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伝統の舞で平田集会所の完成を祝う「平田神楽」(

平田地区に新集会所完成、神楽や虎舞でオープン祝う〜生活応援センター併設、利便性向上 地域住民の融合支援

安全安心な地域づくりの拠点となる新しい「平田集会所」

安全安心な地域づくりの拠点となる新しい「平田集会所」

 

 震災復興で土地区画整理事業が導入された釜石市平田地区に、生活応援センターを併設した新しい集会所が完成。1日、地域住民や市の関係者約50人が出席し、現地で開所式が行われた。待望のコミュニティー拠点施設の完成に住民らは笑顔を広げ、今後のまちづくりへ意欲を高めた。

 

 野田武則市長、平田地域会議の前川輝夫議長(平田町内会長)があいさつ。前川議長は「行政手続きが地元でできるようになったのが何より。課題を克服しながら、みんなでより良い平田地域をつくっていきたい」と協力を呼び掛けた。各町内会長など出席者の代表9人がテープカットを行い、開所を祝った。平田神楽と平田虎舞は真新しい施設内で舞を披露。新集会所のスタートを華やかに彩った。

 

伝統の舞で平田集会所の完成を祝う「平田神楽」(

伝統の舞で平田集会所の完成を祝う「平田神楽」

 

 同集会所は、平田第6地割内の新たに整備された市道沿いの敷地(588平方メートル)に建設された。昨年8月に着工。鉄筋コンクリート造り2階建てで、延べ床面積は329平方メートル。総事業費は1億5600万円。

 

 1階は生活応援センターの事務室、調理室、小会議室、2階に大会議室、和室、給湯室を配した。和室には郷土芸能の道具類を収納できるスペースも。1階には町内会用の倉庫も完備した。両階にトイレを設置。太陽光発電の設備も導入した。駐車場は建物入り口側に5台分を確保。隣り合う市消防団第3分団第3部屯所の駐車スペース(10台)も併用する。

 

 平田集会所は旧市立平田幼稚園の2階に併設されていたが、2015年の同園の移転新築に伴い解体された。08年に設置された平田地区生活応援センターは震災の津波で流失。センター業務は、旧釜石商業高グラウンドに整備された仮設団地内にプレハブの建物を設け、継続してきた。震災後、町内会や地域会議の活動は、同校体育館や仮設団地の談話室、災害公営住宅の集会所などを借りて実施。新施設の早期完成が待たれていた。

 

 独居老人の食事会を毎月開催する支え合いサロン「平田はまなす」の庄司嘉市代表(79)は「設備の整った集会所ができたことで、活動の充実も図られる。みんなで力を合わせ、楽しく暮らせるまちをつくっていければ」と期待を込めた。

 

 同センターは市職員と釜援隊員5人で運営。仮設では行っていなかった証明書発行や税金収納など市の出張所業務が可能となり、住民の利便性が向上した。

 

 千葉裕美子所長は「被災した地元住民が自宅再建で戻ってきているほか、災害公営住宅入居や上平田ニュータウンへの転入など他地域から移住する人も増えている。地域住民が融合できるよう支援していきたい」と話した。

 

(復興釜石新聞 2018年4月4日発行 第678号より)

 

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さまざまな思いを胸に最後ののれんを掲げる菊池悠子さん

60年の歴史に幕、呑ん兵衛横丁「泣きたくなるよね」〜仮設店舗 はまゆり飲食店街、退去期限迎えるも移転先見つからず

さまざまな思いを胸に最後ののれんを掲げる菊池悠子さん

さまざまな思いを胸に最後ののれんを掲げる菊池悠子さん

 

 東日本大震災の被災飲食店が入居した釜石市鈴子町の仮設店舗「釜石はまゆり飲食店街」(18店)は、年度末の退去期限を迎え、3月31日で営業を終了した。同所で再起をかけ、本設営業に望みをつないできた「呑ん兵衛横丁」(6店)は移転先を見い出せず、看板を下ろすことに…。釜石製鉄所全盛時代に飲食業発展の礎を築き、60年の歴史を紡いできた名物横丁の閉店に、客からは「寂しい」「何とか続けられないものか」と惜しむ声が上がった。

 

 同横丁で55年にわたり居酒屋「お恵」を営んできた菊池悠子さん(79)。最後の営業を前に、長年支えてくれた客や震災後、多くの支援を寄せてくれた全国の人たちに「とにかく感謝、感謝だよね」と言い尽くせぬ思いを吐露。「メソメソしててもだめ。いつもの自分でいないと」と奮い立った。

 

 横丁の店主らは「本設移転するならみんな一緒に」と願い、同飲食店街の他店主らと集団再建の道を模索。昨年7月には市に対し、駅前商業ビル建設構想を提案し市有地の提供を要望したがかなわず、仮設営業の期限延長も認められなかった。

 

 “釜石の顔”と言われた横丁を閉じることに、「泣きたくなるよね」と菊池さん。やりきれない思いをにじませながら「やめるんじゃなく、休むことにする。多分、みんな気持ちは同じだろうから」と前を向いた。

 

 1957年ごろ、路地で営業していた店が集まり、大町の長屋に軒を連ねた同横丁。最大で36店が営業し、製鉄業で活気づくまちに憩いの場を提供してきた。2011年の震災時には26店が営業していたが、津波で建物は全壊。同年12月、鈴子町に整備された仮設店舗で15店が営業を再開した。市が大町に整備した本設の飲食店街への移転(3店)、自立再建、店主の死去などで最後に残ったのは6店。5店は本設再建へ意欲はあるものの、期限までに道筋をつけることができなかった。

 

 同飲食店街(48区画)にはオープン時、44店が入居。安くておいしい多様な店が集まり、市民だけでなく市外からの復興支援者、観光客にも人気だった。転勤で釜石を離れる常連客(39)は「いちげんさんでも温かく迎えてくれる。さまざまな人たちと交流でき、貴重な情報交換の場でもあった。また来たいと思っていたのに」と残念そう。

 

 店主らでつくる「釜石はまゆり飲食店会」(山崎健会長)は、14年ごろから本設再建に向けた調査を開始。復興住宅の配置や自宅再建の動向、津波や大雨による浸水状況などを踏まえ、鈴子町が適地として挙がった。釜石駅前のホテル建設計画、ラグビーワールドカップ釜石誘致、橋野鉄鉱山の世界遺産登録の動きも集客要素として期待された。

 

バーを営み、仮設飲食店街のまとめ役として尽力した山崎会長

バーを営み、仮設飲食店街のまとめ役として尽力した山崎会長

 

 「いろいろ考えると鈴子町が最適だったが、(構想が)実現できず非常に残念」と山崎会長(49)。釜石の飲食文化を発信してきた“呑ん兵衛横丁”を「やっぱり残したかった。横丁抜きにして釜石の飲食店再興は厳しいと思う。60年の老舗看板は何ものにも代えがたい」と今後を憂えた。

 

 山崎会長によると、18店のうち本設営業のめどが立っているのは3月30日現在、4店だけだという。

 

(復興釜石新聞 2018年4月4日発行 第678号より)

 

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芝の補強材移送作業

国内初導入、鵜住居復興スタジアム ハイブリッド芝生〜エアファイバー釜石へ、国際貿易港化が輸入後押し フランスから1350トン

芝の補強材移送作業

芝の補強材移送作業

 

 釜石市がラグビーワールドカップ(W杯)の試合会場として建設を進めている釜石鵜住居復興スタジアム(仮称)で来月、補強型天然芝(ハイブリッド芝生)を使ったグラウンド整備が始まる。天然芝の補強材となる化学繊維「エアファイバー」が今月初めに釜石港に到着、26日にコンテナからの荷下ろし作業が行われた。

 

 市はグラウンド整備に関し、補強型天然芝の導入を昨年6月に決定した。人工繊維と天然コルク、砂を混ぜた特殊な床土を敷き、寒冷地の芝草種子を組み合わせたハイブリッド仕様で、土に繊維を混ぜてクッション性を高め、そこに芝の根を絡ませて生育を促す仕組み。導入にあたり試験栽培をしたところ、従来の芝生グラウンドに比べて芝の耐久性や衝撃吸収性、保水性などが高まった。建設費は高くなるが、10年間の維持管理費は軽減され、2倍の稼働率が見込まれるといったメリットも。床土改良型としては日本で初めての導入になるという。

 

人口繊維、天然コルク、砂を混ぜた「エアファイバー」

人口繊維、天然コルク、砂を混ぜた「エアファイバー」

 

 エアファイバーは、フランスの「ナチュラルグラス社」が開発。同スタジアムのメイングラウンドに使うため、約1350トンが5便に分けてフランスから輸入される。

 

 26日は、すでに荷揚げされていた114トン分がコンテナから運び出された。この日は第3便、長さ20フィート(約6メートル)のコンテナ21個分も到着した。

 

芝の種をまく補強材はコンテナで運ばれた

芝の種をまく補強材はコンテナで運ばれた

 

 グラウンドの整備は4月9日から始め、5月上旬までに芝の種まきをする予定。施工を担当する日本フィールドシステム東北支店の平舘優支店長は「芝床改良型のハイブリッド芝は国内初。世界レベルの選手が安全でクオリティーの高い試合ができるよう、しっかり整備したい。釜石の皆さんに愛されるグラウンドになってほしい」と話した。

 

 釜石港の国際貿易港化が急速に進展する中で、今回の輸入が実現した。市ラグビーワールドカップ2019推進室によると、釜石港まで運び込むことで輸送経費が軽減できたと強調。市では引き続き、国際コンテナ物流を通じた産業経済活動をけん引していきたい考えだ。

 

 スタジアムは7月下旬に完成する予定だ。

 

(復興釜石新聞 2018年3月31日発行 第677号より)

 

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スーパーが核店舗となった複合型商業施設の外観イメージ

鵜住居商業施設 建設へ前進、各店舗のスーパー内定〜まちなか再生の起爆剤に 年内にも着工 来年夏のオープン目指す

「まちの起爆剤に」と期待の声が上がった鵜住居再生計画策定委

「まちの起爆剤に」と期待の声が上がった鵜住居再生計画策定委

 

 第3回釜石市鵜住居地区まちなか再生計画策定委員会(佐々木憲一郎委員長)は27日、鵜住居町の長内集会所で開かれ、市が建設を計画する複合型商業施設の核店舗として盛岡市に本社があるスーパーの入居が内定したことが報告された。スーパーの売り場も当初の想定を大きく上回り、ほぼ2倍の広さとなる。このほかリフォームショップなど5店舗の入居も決まった。委員からは「間違いなく、この町の起爆剤になる」と期待の声が広がった。4月中にも正式に契約を交わし、年内に着工、来年夏のオープンを目指す。

 

 商業施設は鵜住居小・釜石東中に近い、国道45号沿いに建設される。建築面積は1489平方メートル。鮮魚、野菜、酒類などを販売するスーパー(964平方メートル)のほか、リフォームショップ、婦人衣料店、保険代理店、美容室、食堂の5店舗が入る。

 

スーパーが核店舗となった複合型商業施設の外観イメージ

スーパーが核店舗となった複合型商業施設の外観イメージ

 

 核店舗の誘致については当初、津波被災地区の住宅再建が思うように進まず、人が戻っていない状況などから厳しいと見込まれていた。自ら誘致に動いた佐々木委員長は「中途半端な規模では勝負にならない、という会社の熱意が地域の将来を見いだしてくれた。地権者も快諾してくれた」と感謝の思いを口にする。

 

 入居を決めた委員は「遠野に行こうか迷っていた。これでやっと踏み出せる」と前向き。「ここから人の流れができる。商業施設を側面から支えたい」という委員もあった。

 

 鉄骨造り平屋建ての商業施設は、釜石まちづくり会社が整備した上でテナントに貸し付け運営する。整備費は約3億9千万円を見込み、国の津波立地補助金を活用する。

 

 まちづくり会社の谷澤栄一事業部長は「ギリギリの収支が見込まれるが、みんなで支え、長く継続してほしい」と期待する。

 

(復興釜石新聞 2018年3月31日発行 第677号より)

 

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被災した根浜海岸の松林や植生の再生を願い、イベントに参加した地元住民ら

海岸林の再生願い根浜でイベント〜地元住民ら定植で苗作り、ハマヒルガオ、ハマエンドウの種をまく

被災した根浜海岸の松林や植生の再生を願い、イベントに参加した地元住民ら

被災した根浜海岸の松林や植生の再生を願い、イベントに参加した地元住民ら

 

 釜石市鵜住居町の根浜海岸に広がっていた海岸林の再生を目指した植栽イベントが21日、同海岸の旅館・宝来館で開かれ、40人が育苗ポッド400個にハマヒルガオとハマエンドウの種をまいた。苗は参加者らが育て、秋に海岸の砂地に移植する。

 

 地元住民などで組織する根浜海岸林再生実行委員会(前川昭七会長)が主催。震災犠牲者に黙とうしたあと、前川会長は「根浜にマツが植えられて87年ほど。苗を育て植林しようとしているが、立派になるには80年かかる。長い時間をかけてもマツや植物を育てていこう」と呼び掛けた。

 

 防潮堤がなかった時代の片岸町まで延長2キロにわたった広い砂浜、大勢の海水浴客など「根浜の今昔」が映像で紹介され、宝来館女将の岩崎昭子さん(61)、前川会長ら4人がコメントを添えた。

 

 ドローンで撮影した現在の根浜の姿も動画で紹介された。根浜ハマボウフウ研究会の佐々木虎男会長(79)は、防潮林として人工的に造られた松林の歴史を語った。

 

 松原と海浜植物の復活に取り組む陸前高田市のNPO高田松原を守る会の4人も参加。千田勝治副理事長(69)は「住田町に残された高田松原のマツボックリから採取した種子から育てた苗木を3年計画で移植し、2年目の今年も3800本を植える予定。砂が少なくなり、養浜、海浜植物の復活には課題が残る」と報告した。

 

 海浜植物の復活を支援している県立大総合政策学部の島田直明准教授(植生学、環境生態学)は、根浜海岸の植生再生ついて「根浜の堤防を震災前と同じ高さの5・6メートルで復旧し、自分たちの住居は高台(標高20メートル)に移した住民には、根浜の景観を将来に残そうという強い思い入れがある」などと語った。

 

 種まき作業に取り組んだ参加者はそれぞれ2種、数個のポッドを持ち帰った。高台に造成された新しい住宅地から参加した3人の女性はそれぞれ6個以上を受け持った。佐々木虎男会長の妻絹子さん(73)は、「どちらも震災以前から海岸で見慣れていたが、苗を作るのは初めて。心配はある。大切な預かりものだから気を付けて育てたい」と大事そうにポッドを抱えた。

 

 「日本の白砂青松100選」にも選ばれた根浜海岸には、震災からマツ233本や、ケヤキ、ニセアカシアなど250本が免れた。その復興へ、住民や県は「根浜由来」のマツを育てている。島田准教授によると、根浜周辺の海浜植物は13種が確認されている。

 

(復興釜石新聞 2018年3月28日発行 第676号より)

 

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園児の元気な呼び掛けと歌で愛着ある幼稚園に別れを告げた式典(

平田幼稚園が閉園、65年の歴史に別れ〜4月から民間運営のこども園に、地元住民支援継続

4月から「平田こども園」となる平田幼稚園の園舎

4月から「平田こども園」となる平田幼稚園の園舎

 

 釜石市平田の市立平田幼稚園(藤原安園長)は31日で閉園する。24日、同園で閉園記念式典が開かれ、園児や保護者、地域住民らが65年の歴史を刻んだ幼稚園に別れを告げた。新年度4月からは、民間事業者が運営する「平田こども園」に生まれ変わる。

 

 式典には約80人が出席。野田武則市長が「保護者の就労環境の変化に対応可能なこども園として、新たなスタートを切ることになった。子どもたちに培われた郷土愛が、輝かしい未来の礎となるものと信じる」と式辞を述べた。

 

 藤原園長は「平田幼稚園の思い出がいつまでも残りますように。子どもたちの旅立ちにエールを送りたい。平田の皆さんの明るさ、たくましさ、やさしさが次世代へ引き継がれることを願う」とあいさつした。

 

 同園に特に貢献したとして、佐々木静男さん(畑、樹木整備など)、平田地域会議(交通指導、雪かきなど)、平田青虎会(虎舞指導)に市教委から感謝状が贈られた。園児らが「へいたっこ虎舞」を演舞。「大きくなってもずっと忘れません。たくさんの思い出をありがとうございました。さようなら」と声を合わせ、歌で気持ちを表した。

 

 同園は1953年10月、旧平田小校舎を利用し、運営協議会による私立幼稚園として開設。78年4月に〝市立〟となり、81年に新園舎が整備された。恵まれた自然環境の中、地域に開かれた幼児教育を実践。東日本大震災では津波は免れたが、ライフラインの寸断で1カ月間の休園を余儀なくされた。復興に向けた土地区画整理事業に伴い、2015年10月、平田小近くに現園舎が移転新築された。市立幼稚園の40年間で輩出した卒園児は1183人。

 

 式典には歴代教職員の姿も。公立移管時に主任として勤務した千葉県船橋市の佐々木寿美子さん(82)は「新園舎の建設を進めながらの保育で苦労したが、人懐っこい子どもたちに支えられた」と当時を懐かしみ、「地域との関わりが強かった分、自分の中でも一番の記憶に残る場所。自身も成長させられた」と尽きない思い出を口にした。

 

園児の元気な呼び掛けと歌で愛着ある幼稚園に別れを告げた式典(

園児の元気な呼び掛けと歌で愛着ある幼稚園に別れを告げた式典

 

 平田町内会の前川輝夫会長(同地域会議長)は「高齢化が進む地域で、子どもの明るい声が響く幼稚園は住民に元気をもたらしてきた。こども園になっても応援し、成長を見守っていきたい」と、新園との連携にも意欲を見せた。

 

 平田幼稚園では通常保育と預かり保育を実施。地元平田だけでなく、遠くは甲子町大畑や小川町、唐丹町まで市内各地から園児が通った。最終の17年度は3歳児11人、4、5歳児各16人の計43人が在籍した。

 

 子ども3人が同園に通った山崎幸恵PTA会長は「園の雰囲気と先生たちの温かい指導に何度励まされたか。安心して子どもを預けられた」と感謝。「こども園も地域に根付いた園であってほしい」と願った。次男の俊君(平田小2年)は新旧の園舎を経験。「サッカーをしたり、みんなで仲良く遊んだ。閉園は少し寂しい」と話し、今年度で卒園する弟の健太君と大切な思い出を胸にしまい込んだ。

 

 市は16年に策定した幼児教育振興プランに基づき、市内幼・保施設の再編を推進。平田幼稚園は保育所型認定こども園(定員90人)に移行することになり、公募・審査の結果、「ぴっころきっず平田」を運営するプライムツーワン(本社・札幌市)が運営事業者に決まった。

 

(復興釜石新聞 2018年3月28日発行 第676号より)

 

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広報かまいし2018年4月1日号(No.1685)

広報かまいし2018年4月1日号(No.1685)

 

広報かまいし2018年3月15日号(No.1684)

広報かまいし2018年3月15日号(No.1684)

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【目次】
表紙:釜石市民ホールTETTOグランドオープン・フェスタ
P02:忘れない震災×伝える教訓
P04:運転免許証の自主返納を考えてみませんか、福祉タクシー助成券を交付します
P05:平成30年度住宅用新エネルギー導入支援事業費補助金、被災地通学支援事業が始まります、災害援護資金貸付制度の申込期限が延長されました
P06:今月のインフォメーション
P08:外国人観光客へのおもてなし力を付けてみませんか、釜石地区被災者相談支援センターをご利用ください

この記事に関するお問い合わせ
釜石市 総務企画部 広聴広報課 広報係
〒026-8686 岩手県釜石市只越町3丁目9番13号
電話:0193-27-8419 / Fax 0193-22-2686 / メール
元記事:https://www.city.kamaishi.iwate.jp/shisei_joho/koho/backnumber/detail/1217504_2596.html
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釜石市公式サイトと連携し、縁とらんすがピックアップした記事を掲載しています。記事の内容に関するお問い合わせは、各記事の担当窓口までお問い合わせください。
定住自立圏形成の協定締結を終え、握手を交わす釜石市と大槌町の関係者ら

釜石市と大槌町「定住自立圏」の形成協定〜医療充実、産業振興など連携 5月までに「共生ビジョン」策定

定住自立圏形成の協定締結を終え、握手を交わす釜石市と大槌町の関係者ら

定住自立圏形成の協定締結を終え、握手を交わす釜石市と大槌町の関係者ら

 

 釜石市と大槌町による定住自立圏形成協定の締結式が20日、釜石市役所で行われ、野田武則市長と平野公三町長が協定書に署名した。人口減少や地域活性化が共通の課題で、医療体制の充実や産業振興の強化、地域公共交通の整備、人材育成といった事業を連携、協力し進めることで圏域の生活機能の確保、魅力ある地域を形成するのが狙い。締結を受けて4月に両市町の住民代表らを交えた共生ビジョン懇談会を開く予定。連携する具体的な取り組みを盛り込んだ「共生ビジョン」を5月までに取りまとめる。

 

 定住自立圏は、地方への人の流れの創出を目指した制度。中心的機能を担う「中心市」と、経済や文化、生活で密接な関係のある「周辺市町村」で構成し、事業に対して国から優先的に財政支援が受けられる。釜石市は2月26日に「中心市」を宣言し、各市町議会の議決を得て協定を締結した。

 

 今回の両市町による定住自立圏の形成で、連携する政策分野は▽生活機能の強化(医療、福祉、教育、産業振興、防災など)▽結びつきやネットワークの強化(地域公共交通、移住の促進など)▽圏域マネジメント能力の強化(人材育成)―の3点。福祉では総合的な子育て支援など、産業振興では中小企業の育成や観光資源のPRなど、移住の促進では婚活イベントの共同開催など、人材育成では職員の合同研修といった事業を挙げている。

 

 この日の締結式で野田市長は「あるものを分かち合い、ないものは補い合うのが圏域形成の意義。連携が円滑に進み、効率的な行政運営のもと質の高い公共サービスの提供ができる」と強調。平野町長は「町単独で全ての課題を解決するのは困難で、連携し圏域としての魅力を高める必要があると強く認識。地域住民が『連携して良かった』と思える取り組みをすべきで、釜石との連携を磨き上げたい」と述べた。

 

 共生ビジョン懇談会の第1回は4月16日に市役所で開く予定。圏域全体で目指す将来像とその実現のために必要な具体の取り組みを検討し、5月にビジョンを取りまとめることにしている。

 

(復興釜石新聞 2018年3月21日発行 第674号より)

 

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釜石で試合をするチームの中で初めてスタジアムを視察したフィジー代表のジョン・マッキーHC(右)

フィジー代表マッキーHC、鵜住居復興スタジアムを初視察〜釜石での試合は光栄、地元の人々との交流も大切に

釜石で試合をするチームの中で初めてスタジアムを視察したフィジー代表のジョン・マッキーHC(右)

釜石で試合をするチームの中で初めてスタジアムを視察したフィジー代表のジョン・マッキーHC(右)

 

 2019年ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会で、釜石市で予選に臨むフィジー代表のジョン・マッキーヘッドコーチ(HC、61)らチーム関係者が20日、試合が行われる釜石鵜住居復興スタジアム(仮称)を視察した。釜石で行われる2試合の出場チーム関係者が試合会場を訪れたのは初めて。

 

 マッキーHCとチームマネジャーが訪問。県と釜石市の担当者の案内で根浜海岸周辺を回ったあと、建設中のスタジアムに足を運び、整備状況や周辺の環境などを確認した。

 

 マッキーHCは「釜石は『ラグビーのまち』と聞いた。そんな所で試合をすることは光栄だ」と感想を語った。ラグビー日本一7連覇の偉業を達成したチーム(新日鉄釜石)が釜石にあったことは初めて知ったそうで、「それはすごいことだ」と驚きの表情も見せた。「新しく建設されるスタジアムで最初に試合をすることになる。非常に楽しみにしている。地元の人々との交流も大切にしていきたい」と思いを膨らませた。

 

 翌21日は市内のホテルや市球技場など練習施設も視察した。

 

 復興スタジアムの建設工事は約8割まで進んでおり、今年7月に完成の予定。マッキーHCは「試合が近づいたらまた来て、詳しくスタジアムのことを知りたい」としている。

 

 フィジー代表は1987年の第1回ラグビーW杯でベスト8に入り、これまで8大会に連続出場。ニュージーランド出身のマッキーHCは2015年大会の前にフィジー代表HCに就任したが、予選敗退に終わった。

 

 フィジー代表は来年9月25日午後2時15分からウルグアイ代表と対戦する。ウルグアイ代表の関係者も近く視察に訪れる予定だ。

 

(復興釜石新聞 2018年3月21日発行 第674号より)

 

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公開された釜石海保の新巡視船「きたかみ」

最新装備 高まる期待、海の安全 復興支える新巡視船〜2代目「きたかみ」就役披露

公開された釜石海保の新巡視船「きたかみ」

公開された釜石海保の新巡視船「きたかみ」

 

 釜石海上保安部(吉本直哉部長)に配備された新巡視船「きたかみ」(西村美德船長、乗り組み定員30人)の就役披露式・祝賀会は17日、釜石市港町の陸中海岸グランドホテルで開かれた。海上保安官ら関係者約120人が出席。海の安全確保と復興を支える高機能の巡視船に期待を高めた。

 
 吉本部長は「海の安全を守るため、高い機能を十分生かしたい」と式辞。第2管区海上保安本部の岩崎茂本部長は「新しい巡視船が地元のみなさんから愛され、信頼されるよう、乗組員は船と一体となって職務にまい進してほしい」とあいさつした。

 

 来賓の平野達男参議院議員、佐々木顕一県議会議長、野田武則釜石市長、佐々木義昭同市議会議長が祝辞。乗組員25人が壇上に並び、海上保安協会釜石支部から西村船長(55)と徳永洋太郎業務管理官(51)に花束を贈呈。西村船長は「最新鋭の性能を最大限に発揮し、海の安全、海難救助、海上治安の維持にまい進する」と決意を述べた。

 

海の安全を守る決意を新たにした西村船長(中央)ら乗組員

海の安全を守る決意を新たにした西村船長(中央)ら乗組員

 

 2代目の「きたかみ」は650トン、長さ72メートル、幅10メートルで、先代と比べ総トン数は約2倍、長さが5メートル、幅は2メートル大きくなった。ウオータージェット推進で最高速力25ノット以上の高速性能を持つ。2タイプの海難救助船3隻を搭載し、ボートタイプの2隻は強力なエンジンを備え、浅瀬でも活動できる。上部構造の両側には電光掲示板があり、日本語と複数の外国語でメッセージを表示する。前部両舷には船体に固定・内蔵の防舷機能を持たせ、船首部に20㍉機関砲、放水銃を装備する。

 

 船内の居住性には余裕をもたせ、船橋は十分な視界を確保している。最新の操船機器が整然と並び、乗組員の移動も容易だ。クッション性を持つ固定椅子を置き、荒海での職務が長時間に及ぶこともある乗組員の負担軽減に配慮した。

 

 新「きたかみ」は同型巡視船の6番船として横浜で造られた。今年2月に西村船長ら乗組員が出向いて受領。操船、各機能の完熟訓練を繰り返しながら、母港釜石にはこの8日に入港した。

 

 徳永業務管理官は「直進性、回転性など操縦性が高い。(航そうは)、波をかき分けるというより、滑走する感覚」と新船の性能に信頼を寄せる。西村船長は「震災を乗り越え、職務を果たした先代は地元の人たちに親しまれた。その魂を受け継ぎ、職務を通じて被災地の復興に貢献したい」と表情を引き締めた。

 

 新巡視船は18日、三陸沖で消息を絶った宮城県のマグロはえ縄漁船の捜索に出動した。

 

(復興釜石新聞 2018年3月21日発行 第674号より)

 

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仲町内会の津波犠牲者を思い、鎮魂の祈りをささげる町内会員ら

鵜住居町仲町内会、住民離散もつながりは絶えず〜結んだ絆 継続誓う、震災7年 犠牲者悼む

仲町内会の津波犠牲者を思い、鎮魂の祈りをささげる町内会員ら

仲町内会の津波犠牲者を思い、鎮魂の祈りをささげる町内会員ら

 

 東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた釜石市鵜住居町の仲町内会(岩鼻新一郎会長)は18日、震災から7年となるのを機に、町内の犠牲者を悼む法要を常楽寺(藤原育夫住職)で開いた。町中心部に位置し、防災センターへの避難などで多くの住民が犠牲になった同町内会。家族や親族、住居を失い、離れ離れに暮らす会員らは、地元の同朋を共に供養。法要後の親睦会で、長年育んだ絆を今後も結び続けることを誓い合った。

 

 法要には市内外から約50人が参列した。海に向かって黙とうをささげた後、藤原住職らが読経。途中、犠牲者一人ひとりの名前が読み上げられると、故人への思いを募らせ、すすり泣く声が漏れた。参列者は焼香して手を合わせ、犠牲者の冥福を祈った。

 

 滝沢市に住む女性(59)は24年間一緒に暮らした夫の両親が犠牲に。「転勤で震災の4年前に鵜住居を離れた。心残りだったが『まだ若いから大丈夫』と言われて…。今となっては複雑な気持ち」と癒えぬ悲しみを吐露。自身も幼いころから同町に暮らした。「祭りに出たり、協力し合っていた町内会が懐かしい」と高台からまちを見渡した。栗林町の仮設住宅に住み、長女と妹夫婦が犠牲になった女性(78)は「娘と妹がいまだ行方不明。ゆうべは妹夫婦が夢に出てきてね…。法要では名前も呼んでもらい、ありがたかった」と感謝した。

 

仲町内会の今後についても話し合った親睦会

仲町内会の今後についても話し合った親睦会

 

 同町内会はJR鵜住居駅周辺の古くからの商業エリアにあり、震災前は約120世帯が暮らした。確認できているだけで津波の犠牲者は102人。2、3世代家族や親族が同じ地域に住む人も多かったことから、複数の近親者を亡くした遺族が目立つ。

 

 ほとんどの家屋が流失し、町内会員は各地に散らばった。当時の会長や役員は津波で亡くなり、町内会は休止状態にあったが、会計監査だった福士義一さん(85)の提案で、賛同会員の協力を得て法要の準備を進めてきた。所在が分からない会員の連絡先を突き止める作業は大変な苦労を伴った。

 

 自らも妻と孫娘を亡くした岩鼻会長(82)は遺族の7年の重みを共有し、「町内会としてようやく供養ができた。胸につかえていたものが少し和らいだ」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。

 

 土地区画整理で宅地造成された同町は今後、新たな区割りが導入される。駅周辺には追悼施設や体育館が整備されるため、震災前の仲町エリアは大きく姿を変える。岩鼻会長らは「町内会機能を失っても、住民のつながりは絶えない。親睦会など何らかの形で交流を続け、互いの生活を支え合っていきたい。孤独死など決してないように」と願った。

 

(復興釜石新聞 2018年3月21日発行 第674号より)

 

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6年半ぶりに釜石を訪れ、小佐野小児童らと交流したスコット・ファーディーさん(中央)

ファーディーさん“里帰り” 6年半ぶりに釜石へ〜ラグビーW杯を復興の弾みに、「いつも応援している」とメッセージ

6年半ぶりに釜石を訪れ、小佐野小児童らと交流したスコット・ファーディーさん(中央)

6年半ぶりに釜石を訪れ、小佐野小児童らと交流したスコット・ファーディーさん(中央)

 

 釜石シーウェイブス(SW)RFCに2011年秋まで所属し、東日本大震災時には被災者支援に奮闘、2015年ラグビーワールドカップ(W杯)で豪州代表として準優勝に貢献したスコット・ファーディーさん(33)が12日、6年半ぶりに釜石へ“里帰り”。小佐野小の児童らとタグラグビーを楽しみ、励ました。情報交流センター釜石PITで開かれた市民との交流会にも出席。「釜石はきっと良くなる。いつも応援している」とエールを送った。会場からは「釜石に戻ってきて」と復帰を願う声も上がった。 

 

 ファーディーさんは09年から釜石SWのFWとして活躍。震災直後には母国の大使館から避難を促されたが、釜石に半年間残り、支援物資を被災者まで運ぶなどボランティア活動に汗を流した。今回の釜石訪問は、復興が進む様子を見てもらい、感謝を伝えようと市が企画し実現した。

 

 小佐野小では釜石SWの選手らとともに、6年生約60人とタグラグビーを楽しんだ。トレードマークのあごひげから優しいまなざしをのぞかせ、子どもたちにやわらかくパスを送ると、「ファーディー!ファーディー!」と大きな歓声が上がった。

 

 SWジュニアで活動する6年の及川勝太君は「ファーディーさんはとても大きくて、びっくり。パスワークも速く、遊ばれてしまいました」と、憧れの選手とのプレーを喜んだ。

 

 震災をはさんで2年半余りにわたり釜石で選手生活を送ったファーディーさんは「釜石の人々は優しい、すてきなまち。来年のW杯はきっと素晴らしいものになる」と期待。交流した児童らには「幼いころからラグビーに触れるのは良いこと。男の子も女の子も楽しめるようになれば」とエールを送った。

 

 久しぶりに目にした釜石の街並み。「大変な状況の中でも他人を気遣い、協力する姿が忘れられない」と震災直後を振り返り、「ずいぶん復興したようだが、生活再建は長い道のり。いつも応援している」と思いを寄せた。

 

「釜石で忍耐力を学んだ」市民と交流、思いを語る

 

「おかえりなさい」と大勢の市民の歓待を受けたファーディーさん

「おかえりなさい」と大勢の市民の歓待を受けたファーディーさん

 

 ファーディーさんは12日午後、建設が進む「釜石鵜住居復興スタジアム」(仮称)などを見学。釜石市球技場で釜石高、釜石商工高ラグビー部を指導したあと、「おかえりファーディー!」と題した釜石PITでの市民交流会に臨んだ。

 

 震災から、ちょうど7年。ファーディーさんは市民ら100人を前に、母国から避難を促された当時の心境を「食べ物も物資も足りない状況の中で、残って周りの人たちのためにできることをしようと決断した。チームメートとの絆もあった」と振り返った。

 

 6年半ぶりに訪れた“第二の故郷”。「まだ仮設住宅で暮らしている人も多いが、これから街はどんどん良くなっていくと信じている。来年のW杯はそのきっかけになる」と期待を寄せた。

 

 後ろ髪を引かれる思いで釜石を離れたのは、子どものころから夢だったというW杯出場への熱い思いがあったから。15年のW杯では念願の母国代表に選ばれ、準優勝に貢献する働きを見せた。

 

 「釜石では他人を思いやり、協力すること、何よりも忍耐力を学んだ。釜石での経験が母国代表のテストマッチでも生かされた」と感謝の思いも口にした。

 

 会場の市民からは「釜石に戻ってプレーできないか」と“ラブコール”も上がったが、「それはチームにお願いしてほしい」とユーモアを交えて応える場面も。「来年のW杯では釜石まで家族を連れて観戦したい」と話した。

 

(復興釜石新聞 2018年3月17日発行 第673号より)

 

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