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「ホタルの里」再生へ 小川川ワッカラ淵に地元町内会が餌のカワニナ放流

ゲンジボタルの餌となるカワニナの放流=小川川

ゲンジボタルの餌となるカワニナの放流=小川川

 
 釜石市内有数のゲンジボタルの生息地として知られる小川川。東日本大震災後の周辺環境の変化で数が減ってしまったホタルの光を取り戻そうと、地域住民らが川の環境再生に乗り出した。12日、地元の中小川町内会(佐々木正雪会長、280世帯)が、ホタルの幼虫の餌となる「カワニナ」の放流会を開き、住民ら約40人が参加。以前、目にした美しい光景の復活へ期待を高めた。
 
 ホタル観察会も開かれる中流域の通称・ワッカラ淵が放流会場。始めに、釜石ホタル友の会の臼澤良一会長(73)がホタルの一生や発光の仕組みについて説明した。ホタルは卵から成虫になるまで約1年を要する。幼虫は約10カ月間、水中で生活。ゲンジボタルの幼虫は巻き貝の「カワニナ」を食べて成長する。カワニナは、きれいな川の指標にもなる生物で、ゲンジボタルの生息には良好な水質の河川環境が欠かせない。
 
参加者は初めにホタルの生態について学んだ

参加者は初めにホタルの生態について学んだ

 
ゲンジボタルの幼虫が食べる巻き貝「カワニナ」

ゲンジボタルの幼虫が食べる巻き貝「カワニナ」

 
 震災前、無数のホタルが飛び交い、市民らの目を楽しませていた小川川だが、近年はその数が激減。震災後の流域への仮設住宅整備や台風豪雨の影響とみられる河川環境の変化が要因と考えられ、「そもそも餌のカワニナ自体がいなくなってしまった」という。
 
 再びホタルを増やす方策を模索する中、佐々木会長(72)が今年3月、上流域でカワニナの繁殖を確認。採集した約700匹を住民の協力を得てワッカラ淵に放流することになった。参加者はカワニナの姿を観察した後、小さなバケツに分けてもらい、流れの緩やかな場所に放流した。
 
放流場所のワッカラ淵。岸に近い浅瀬に放した

放流場所のワッカラ淵。岸に近い浅瀬に放した

 
地域の未来を担う子どもたちも放流活動に協力

地域の未来を担う子どもたちも放流活動に協力

 
 兄弟3人で参加した菊池朝陽君(小佐野小6年)は「カワニナがホタルの餌になるのを初めて知った」。同所でホタルを見たことがあり、「夜に来ると点々と緑色に光りながら飛んでいるのが見えた。もっといっぱい飛んで、『きれいだな』と思えるような川になったらいい」と願いを込めた。
 
 同川は1993年ごろ、市のホタル再生モデル事業の対象となり、カワニナやホタルの幼虫の放流が行われた。ホタルの発光は繁殖行動の一種で、雄と雌の求愛のシグナル。住民らは黒いカーテンで家の明かりを外に漏らさないよう配慮するなど、地道な努力を重ねた。その結果、ピーク時には100匹以上のホタルが見られるまでに。地元住民だけでなく、広く市民が訪れる観察スポットになっていた。
 
数年後、この場所でたくさんのホタルが飛び交うことを願って…

数年後、この場所でたくさんのホタルが飛び交うことを願って…

 
 今回の放流の成果が判明するのは来年以降。佐々木会長は「小川川のホタルは釜石の宝。絶対に守っていきたい。今日は子どもたちもたくさん集まってくれた。若い親子にどんどん参画してもらい、保全活動の輪を広げていきたい」と話す。
 
 ホタルの発光は例年6月下旬~7月上旬。気象条件がそろえば、今年も間もなく光輝く姿を見られそうだ。

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「ブルーカーボン」活用で水産振興 海との関係性見直す 釜石市で勉強会

「ブルーカーボン」に関する勉強会。水産業振興に役立てる方策を考えた

「ブルーカーボン」に関する勉強会。水産業振興に役立てる方策を考えた

  
 脱炭素社会の実現に向けて世界が動き出す中、海域の生態系が吸収・貯留する二酸化炭素(CO2)「ブルーカーボン」が注目されている。森林が取り込むCO2「グリーンカーボン」の海洋版で、四方を海に囲まれた日本でも活用に向けた研究が進む。また近年、CO2削減量を認定した「カーボンオフセット・クレジット」を取引する取り組みが各地で進行。釜石市で10日に開かれた勉強会(岩手大三陸水産研究センターなど主催)ではブルーカーボンの働きやカーボンオフセット制度に着目し、水産業振興への活用策を考えた。
   
 ブルーカーボンは2009年、国連環境計画(UNEP)が提唱した。海は大気からCO2を吸収しており、アマモやコンブといった海草や藻類は海中でCO2を取り込む。吸収した後に地中の枝や葉、根で長期間貯留する機能も。森林から河川を通して海に流れ出たグリーンカーボンを藻場が吸収する働きもあり、CO2削減と気候変動の緩和に役立つとされる。
  
講師はリモート参加。児玉さんはブルーカーボンの働きなどを紹介した

講師はリモート参加。児玉さんはブルーカーボンの働きなどを紹介した

   
 平田の岩大釜石キャンパスで開かれた勉強会はオンライン配信を併用し、講師はリモートで参加した。国立研究開発法人水産研究・教育機構水産技術研究所の研究開発コーディネーター児玉真史さんがブルーカーボンの働きや活用を探る世界の動きを紹介。国内でも▽生態系・地域別藻場のCO2吸収量・貯留量の評価モデル開発▽藻場の維持・拡大技術開発▽海藻養殖技術の高度化―などの研究が進められている。
   
 児玉さんは、海水温上昇による磯焼け、ウニ類や魚類による食害は世界中で生じている現象とした上で、「新しい藻場の維持、形成技術の開発が必須。海藻養殖は気候変動の緩和、適応策として貢献していける。先進国日本の対策技術に期待が寄せられている」と強調した。食用以外で産業として成り立つことが重要で、「海藻由来の製品開発といった工業的活用策を探り新しい産業を生み出す、イノベーションが求められる」と指摘。沿岸域の藻場を増やす必要もあり、「大規模というよりは大胆に考えてほしい」と助言した。
  
信時さんは「横浜ブルーカーボン事業」について解説した

信時さんは「横浜ブルーカーボン事業」について解説した

  
 神戸大産官学連携本部アドバイザリーフェローの信時正人さんは、ブルーカーボンの活用事例として横浜市の取り組みを紹介した。海洋を活用した地球温暖化対策から生み出されたCO2削減量の枠(クレジット)を購入することで、削減したとみなす「カーボンオフセット」という事業で、横浜市では仕組みを利用しトライアスロン大会を開催。地元企業や団体が行うワカメの地産地消活動で生み出されたクレジットを購入することで、大会運営でのエネルギー利用や参加者の会場までの移動で生じるCO2排出量を埋め合わせ(オフセット)した。大会が温暖化対策を間接的に支援するほか、地域振興にも役立っているという。
  
 コンブ養殖による新たな事業が展開され、飲食店などと連携したメニュー提供や加工品開発、「こんぶ湯」など環境への優しさ、SDGsに注目したイベントでブルーカーボンの可能性を探る動きが活発化している。「アプローチの仕方はさまざま。変化を都市づくりにつなげている」と信時さん。「目の前の海との付き合い方を考えていくことが重要。資源、エネルギー、食の関係性を意識し、見直すきっかけの一つがブルーカーボン」と伝えた。
  
講師に質問する参加者。「海の持つ可能性を知ることができた」との声もあった

講師に質問する参加者。「海の持つ可能性を知ることができた」との声もあった

  
 会場参加と合わせて約90人が聴講。ブルーカーボンのメリットと理解促進へのアピール方法、親しみやすい海づくりのポイントなど質問を投げかける時間もあり、関心の高さをうかがわせた。
 
 釜石東部漁業協同組合青年部長を務める両石町の漁師、久保宣利さん(49)は深刻な磯焼けの対策のヒントが見つかることを期待し参加。同漁協では漁場にコンブを投入する磯焼け対策の実証実験を始めたところで、「ブルーカーボン事業とうまく組み合わせると、資源の循環、持続可能な漁業につなげられると可能性を感じた。より学びを深めたい」と刺激を受けていた。

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行方不明の高齢女性を保護 危険回避した2女性に釜石警察署長が感謝状

釜石警察署署長感謝状を受けた阿部静子さん(中左)と前川陽美さん(中右)

釜石警察署署長感謝状を受けた阿部静子さん(中左)と前川陽美さん(中右)

 
 釜石警察署(前川剛署長)は9日、行方不明になっていた釜石市甲子町の女性(82)を保護し、迅速な通報で命の危険を回避したとして、大槌町小鎚の保健師・阿部静子さん(40)と釜石市鵜住居町の看護師・前川陽美さん(22)に署長感謝状を贈った。保護された女性は認知症の症状があり、2人の的確な判断と処置がなければ生命に関わる事案となっていた可能性も。女性が無事に家族のもとに帰れたことに、2人は「安心しました。本当に良かった」と口をそろえた。
 
 同署署長室で贈呈式が行われ、前川署長が阿部さん、前川さんに感謝状を手渡した。前川署長は「お2人のやさしさ、親切心が高齢女性を救った。ご家族も大変感謝しておられた。高齢者が犯罪被害や交通事故に巻き込まれる事案が増えている。これからも地域の安全、安心のためにご協力を」と願った。
 
行方不明高齢者保護の功労で前川剛署長が感謝状を贈呈

行方不明高齢者保護の功労で前川剛署長が感謝状を贈呈

 
 釜石市内に職場がある2人は5月11日午後7時すぎ、車で帰宅途中、鵜住居町の国道45号恋の峠付近で、ガードレールにつかまりながら上り坂をとぼとぼ歩く高齢女性を目撃。阿部さんは近くの店舗駐車場からUターン。前川さんは一度自宅に戻ったものの、気になって父親と一緒に現場に引き返した。
 
 2人が声を掛けると、女性は「家に帰ろうとしている」というようなことを口にしたが、「目がとろんとして、少し疲れている様子だった」(前川さん)という。「声を掛けたらすぐに近寄ってきた。不安も大きかったのでは」と阿部さん。その後、阿部さんの車に女性を乗せて毛布やカイロで体を温めるなど介抱。前川さんが110番通報し、警察官が到着するまでの間、手掛かりを求めて2人で女性の話を聞いていた。
 
 女性が家にいないことに家族が気付いたのは午後6時ごろ。付近を捜したが見つからず、釜石署に届け出た。前川さんらと家族からの通報が重なり、早い段階での身元判明につながった。発見時、外傷などは見受けられなかったが、翌日の受診で軽度の足首の捻挫が判明した。
 
大きな事故につながらず、女性が家族のもとに戻れたことを喜ぶ阿部さん(右)と前川さん

大きな事故につながらず、女性が家族のもとに戻れたことを喜ぶ阿部さん(右)と前川さん

 
 5年前、福祉施設から抜け出した高齢男性を保護した経験がある阿部さんは、今回の発見場所から「もしかしたら…」と同様のケースを考え、すぐに行動を起こした。「まずは無事だったことが何より。(高齢化が進み)これから似たようなことが増えるだろう。この地域に住む人間として、気になる人がいたら積極的に声を掛けたい」。
 
 発見現場は街灯がなく、当時は薄暗かった。周辺では過去にクマの目撃例もある。地元住民でもある前川さんは「あの時間帯に散歩する人を見かけることはほぼ無い。後悔しない選択ができて良かった」。思いがけない感謝状を受け、「自分にとっても誇りになる」と話し、初めての経験を胸に刻んだ。

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広報かまいし2022年6月15日号(No.1786)

広報かまいし2022年6月15日号(No.1786)
 

広報かまいし2022年6月15日号(No.1786)

広報かまいし2022年6月15日号(No.1786)

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【P1】
表紙
【P2-5】
参議院選挙
【P6-8】
新型コロナワクチン接種のお知らせ
【P9】
個人情報の漏洩についてのお詫び
【P10-11】
健康診査・肺がん検診
【P12-13】
子どもはぐくみ通信
市民のひろば
【P14-15】
まちの話題
【P16-17】
防災行政無線
復興まちづくり協議会の開催 他
【P18-21】
まちのお知らせ
【P22-23】
保健案内板
保健だより
【P24】
市内で見られる夏鳥の紹介 他

この記事に関するお問い合わせ
釜石市 総務企画部 広聴広報課 広聴広報係
〒026-8686 岩手県釜石市只越町3丁目9番13号
電話:0193-27-8419 / Fax 0193-22-2686 / メール
元記事:https://www.city.kamaishi.iwate.jp/docs/2022060900074/
釜石市

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釜石市公式サイトと連携し、縁とらんすがピックアップした記事を掲載しています。記事の内容に関するお問い合わせは、各記事の担当窓口までお問い合わせください。
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みんなで守ろう!世界遺産 「橋野鉄鉱山」で環境美化活動&記念講演会

橋野鉄鉱山山神社エリアの環境美化活動=4日

橋野鉄鉱山山神社エリアの環境美化活動=4日

 
 釜石市橋野町の世界遺産「橋野鉄鉱山」で4日、高炉跡周辺の環境美化活動が行われた。市が主催し、市民ら約20人が参加。老朽化のため新たな鳥居が設置された山神社エリアを中心に、見学者の安全な歩行環境を整えた。山神社の歴史にスポットをあてた記念講演もあり、参加者が遺跡の保護、継承へ理解を深めた。
 
 「みんなの橋野鉄鉱山」と題した同行事は、「橋野高炉跡国史跡指定60周年」となった2017年にスタート。史跡指定月日の6月3日にちなんで毎年同時期に開催される。今年の環境美化活動は、三番高炉の東側にある山神社跡周辺で行われた。参加者は沢水の流れを良くするための溝の清掃、山神社跡に向かう通路の整備、新設された鳥居周りの枯れ木の撤去のほか、大雨で土が流出した見学路の修繕などを行った。約1時間の作業で一帯は歩きやすい環境になった。
 
山神社跡に向かう石段などの堆積物も撤去した

山神社跡に向かう石段などの堆積物も撤去した

 
大雨で土が流出した通路に土砂を運び路面を補修

大雨で土が流出した通路に土砂を運び路面を補修

 
 この後、同鉄鉱山インフォメーションセンターで記念講演会が開かれた。市世界遺産課課長補佐の森一欽さんが講師を務め、同鉄鉱山山神社について解説した。
 
 盛岡藩士・大島高任が甲子村大橋で洋式高炉による連続出銑に成功した翌年、1858(安政5)年に操業を開始した橋野鉄鉱山。操業の安全などを祈願する山神社は、三番高炉東側の山の斜面、高炉建設に使う花こう岩を切り出した後の平場を利用し、60年ごろに建てられたと推測される。現在は礎石だけが残り、社の場所を物語る。
 
山の斜面の平場に礎石が残る山神社跡。右隣には「石割桜」が育つ

山の斜面の平場に礎石が残る山神社跡。右隣には「石割桜」が育つ

 
 山神社の御神体、扁額(ともに木製)、手水鉢(石製)は、同町中村の熊野神社に保管される。94(明治27)年に鉄鉱山が廃業した際、山神社の神主を兼務していた熊野神社が引き取ったものとみられる。手水鉢は64(元治元)年、扁額は69(明治2)年の作。山神社への登り口には69(明治2)年建立の「山神碑」と「牛馬観世音碑(供養碑)」が残る。
 
1869年建立の山神碑(左)と牛馬観世音碑

1869年建立の山神碑(左)と牛馬観世音碑

 
 市は2021年度事業で同神社の鳥居を建て替えた。変形し倒れかかっていた前の鳥居は、風化具合から1945(昭和20)年ごろの製作とみられ、世界遺産の対象となった時代からは外れるため、新設に至った。鳥居の下には、神社ができたころのものと思われる礎石(花こう岩)があり、これは「世界遺産の構成要素」となるため保全された。
 
以前と同じ形に再現された山神社の新しい鳥居

以前と同じ形に再現された山神社の新しい鳥居

 
 新しい鳥居は前の鳥居と同じ形に再現。地域の慣習にならい、地元産のクリの木で作った。形は代表的な2つの型(明神、神明)が交じったタイプ。解説した森さんは「高炉場の全景が描かれた絵図(巻)には鳥居が3つある。橋野鉄鉱山時代は朱塗りだった可能性も。今後の調査で他の鳥居の痕跡も見つかるかもしれない」と期待を示した。
 
橋野鉄鉱山山神社について解説する市世界遺産課の森一欽課長補佐

橋野鉄鉱山山神社について解説する市世界遺産課の森一欽課長補佐

 
記念講演に聞き入る参加者

記念講演に聞き入る参加者

 
 釜石観光ガイド会の新人ガイド、川崎通さん(66、栗林町)は昨年10月からの養成講座を修了し、同鉄鉱山などで実習を重ねてきた。この日の講演で、「山神社にもいろいろな歴史があることが分かった。ガイドの参考にしたい。ここを訪れる人は事前に勉強してくる人も多い印象。それに対応できるようさらに知識を深めたい」と意欲を見せた。
 
釜石観光ガイドの案内で山神社についても理解を深める見学者

釜石観光ガイドの案内で山神社についても理解を深める見学者

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ナツハゼ苗木、育成中 全国植樹祭へ 釜石・栗林小「大事にお世話」

全国植樹祭に向け苗木育成事業に取り組む栗林小児童、県職員ら

全国植樹祭に向け苗木育成事業に取り組む栗林小児童、県職員ら

  
 釜石市栗林町の栗林小(八木澤江利子校長、児童33人)は、来春本県で行われる第73回全国植樹祭(県など主催)に向けた苗木の育成事業に取り組んでいる。1、2年生8人がナツハゼの苗木10本を育成中。12月上旬まで世話をする予定で、「どんどん大きくなるよう、水やりを頑張る」と意欲を見せる。
   
 植樹祭で植栽する苗木を県内の小中学校の児童生徒に育ててもらう取り組み「苗木のスクールステイ」の一環。児童生徒に森林づくりの大切さを伝え、植樹祭成功の機運醸成を図ることを目的にする。本年度は県内54の学校や緑の少年団などが取り組んでおり、苗木計445本の育成を委託する予定。釜石・大槌地域では3校で実施している。
  
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「大事に育てるぞ」。県職員(右)からナツハゼの苗木を受け取る児童

   
 3日、県沿岸広域振興局農林部の職員3人が同校を訪問。育成を担当する児童らは緑の少年団「橋野森林愛護少年団」として、赤い帽子と緑のスカーフを身に付けて出迎えた。同部林業振興チームの主査林業普及指導員、新井隆介さんが子どもたちに苗木を引き渡した。
  
苗木に興味を示す子どもたち。水やりのタイミングを教わった

苗木に興味を示す子どもたち。水やりのタイミングを教わった

 
「大きくなって」と水やり。12月まで成長を見守る

「大きくなって」と水やり。12月まで成長を見守る

   
 受け取った子どもたちは、ナツハゼに興味津々。同部職員から、▽国内に自生するツツジ科の落葉低木で、黒い実を付けることから「和製ブルーベリー」とも呼ばれている▽夏にハゼノキのような紅葉を見せるのが名前の由来―などと特徴を聞き取った。「土を触ってみて、乾いていたら水をたっぷり上げてください。根元に優しくかけてあげて。花がいっぱい咲き、実がたくさん付くように大事に育ててほしい」と依頼を受けた児童は元気に「はーい」と応えた。
   
 佐々木貫汰君(2年)は「ナツハゼという植物を初めて知った。木が腐らないようにみんなと一緒に水やりを頑張る。葉っぱの色が変わったり、花が咲いたり、実がなるって聞いたから、変わるところを観察しながら育てたい」と胸を張った。
  
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森林づくりの大切さを伝える学習で自然への興味関心を高める子どもたち

   
新井さんによる森林環境学習も行われた。「いわて森林(もり)の恵みガイドブック」を使い、森林の働きや林業の仕事を解説。児童は、「県の木は?」というクイズに挑戦しながら、自然に対する理解や興味関心を高めていた。
   
 育てた苗木は12月に回収され、2023年春に陸前高田市の高田松原津波復興祈念公園で開催が予定される全国植樹祭で植えられる。

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急げ!近くの避難場所へ 鵜住居小と釜石東中、下校時に合同訓練

大地震を告げる放送を聞き、近くの避難場所に向かう児童生徒ら

大地震を告げる放送を聞き、近くの避難場所に向かう児童生徒ら

  
 釜石市鵜住居町の鵜住居小(佐藤一成校長、児童140人)と釜石東中(佃拓生校長、生徒102人)は6月1日、下校時に地震と津波発生を想定した合同避難訓練を行った。「今いるところから一番近い避難場所は!」「とにかく高台に避難する」。学校での学びを生かし、東日本大震災時に生徒が児童の手を引き高台に避難した両校では、脈々とつないできた防災意識の深化に向け、自ら主体的に考え判断し行動する力を身に付けようと取り組みを進めている。
  
 三陸沖を震源とする震度6強の地震が発生し、高さ10メートル以上の津波が襲来するとの想定。帰宅途中に防災行政無線から大地震を告げる放送が流れると、児童生徒はその場にしゃがみ込み、持っていたかばんなどで頭を守った。「早く高台へ」「逃げろー、急げー」。揺れが落ち着いたことを確認し、近くの指定避難場所などに向かった。
   
警報が流れると、その場でしゃがみ込み荷物で頭を覆って身を守った

警報が流れると、その場でしゃがみ込み荷物で頭を覆って身を守った

  
最寄りの避難場所を目指し坂道を駆け上がる子どもたち

最寄りの避難場所を目指し坂道を駆け上がる子どもたち

  
 このうち日向・新川原地区を歩いていた子どもたちは、高さ19メートルの三陸沿岸道路釜石山田道路につながる「津波避難階段」に向かった。長内集会所に近い、鵜住居第2高架橋南側たもとにある階段は、上りきると鵜住居トンネル電気室前の広場に出る。そこを目指して約80段の階段を急ぎ足で上った。「気を付けて」。中学生や小学校高学年の児童は振り返って他の子に気を配って避難。より早く逃げられるよう、低学年児童の荷物を背負って逃げる生徒の姿も見られた。
  
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小学生のランドセルも背負って避難する中学生の姿があった

  
 主体的に行動することを目標に訓練に臨んだ高清水麻凜さん(釜石東中3年)は「普段は自分のことだけでいいが、今回は後輩のことを考えながら行動した。大きい声を出して誘導できた」と自己評価。川﨑拓真君(同)は「いざという時に備えて、防災に関する学びにしっかりと緊張感を持って取り組んでいく」と意識を高めた。
  
 震災から11年が経過。現在の小学生は当時0歳か1歳で、ほとんどは生まれていない。実際の記憶はなく、授業や教科書で「あの日」の出来事を学ぶ。岩鼻樹里さん(鵜住居小6年)は「サイレンが怖くてドキドキした。みんなと一緒にいて素早く行動できたけど、落ち着いて逃げることができなかった」と、ちょっと残念そうな表情を浮かべた。「知識はあっても、実感のない話」にしないよう真剣に参加していて、「本当の時は落ち着いて行動したい。自分の命を守ったら、低学年の子の命も守れるようになりたい」と上を向いた。
  
 鵜小・東中学区内の指定避難場所(津波災害緊急避難場所)は、両校の校庭を含め36カ所ある。今回の訓練で小学校は集団下校としたが、普段の下校時間はばらばら。登下校中に地震に遭遇したり、警報が鳴った時に周囲に頼ることのできる人がいない場合でも逃げられるよう各自が避難先を把握するのが訓練の目的。さらに、それぞれの状況に応じて考え、判断し、行動する力を鍛えてもらうのも狙いにする。
   
訓練終了後の反省会で、主体的に行動しようと思いを共有した

訓練終了後の反省会で、主体的に行動しようと思いを共有した

   
 訓練終了後、広場で反省会。地区住民20人ほども参加していて、新川原町内会の古川幹敏会長(69)が震災の経験談を交えながら、「大きな地震の時、みんなで一緒に行動できるとは限らない。大事なことは、どこにいても一人でも逃げることと、避難場所を考えておくこと。備えが必要。命を大切にする取り組みを一緒にやっていこう」と呼び掛けた。
  
 訓練の様子を見守った両校の教諭らは「中学生に頼らなくても逃げられる心構えを。どんな時でも自分の力で逃げられるよう努力してほしい」「訓練だからではなく、普段から本気で自分で考えて行動することが大事。夜中だったら…、自分ひとりかもしれない。いろんなパターンがあり、自主的に行動する姿勢を小学生につなげてほしい」と求めた。

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養殖サクラマス、評価上々「臭みなく食感よし」 釜石・魚河岸で事業者向け試食会  

養殖サクラマスの刺し身と塩焼きを味見する試食会参加者

養殖サクラマスの刺し身と塩焼きを味見する試食会参加者

  
 釜石湾内で海面養殖されているサクラマスの認知向上、需要拡大につなげようと、釜石市内の事業者向けの試食会が5月31日、魚河岸テラス内のヒカリ食堂で開かれた。飲食店や水産加工会社、行政関係者ら約30人が刺し身や塩焼きを味見。「臭みがない」「食感がいい」などと、6月の出荷を前に評価は上々だった。
  
 市と岩手大、釜石湾漁業協同組合、地元水産会社などで構成する釜石地域サクラマス海面養殖試験研究コンソーシアムが主催。参加者は、味や見た目、食感、脂の乗りを確かめながら味わった。上中島町にある鮎徳食堂の鮎田健さん(56)は「食感はすごくいい。身の色や味は思っていたより、あっさりした感じ。そこが良さなのかもしれないが、生食で活用するには工夫が必要になりそう。マリネのような料理で提供できたら」と考えを巡らせた。
  
ほんのり赤みがあり、脂が乗っているのに淡白、柔らかな食感が特徴

ほんのり赤みがあり、脂が乗っているのに淡白、柔らかな食感が特徴

  
参加者は味や見た目などを確かめ、活用策を探った

参加者は味や見た目などを確かめ、活用策を探った

  
 不漁が続く秋サケなどの主力魚種に代わる新たな水産資源として、サクラマスの海面養殖に関係者が寄せる期待は大きい。試験研究は2020年11月に開始し、1季目は約12トンを水揚げした。共同研究に参加する泉澤水産(両石町)の泉澤宏社長(60)は「養殖では寄生虫が付かず、刺し身で食べることができる」と強調。釜石地方で「ママス」としてなじみのあるサクラマスは日本の在来種でもあり、「釜石の春の魚として浸透し、応援してもらえるようにしたい」と熱い思いで取り組む。
   
 釜石流通団地水産加工業協同組合長で平田の水産加工業、リアス海藻店の平野嘉隆社長(50)は「小ぶりなので生食として需要があるのでは。加工原料とするには生産量をさらに増やす必要がある。サクラマスは市場での希少価値が高いはずなので、安定生産で量の確保を」と取り組みを見守る。
  
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釜石湾で試験養殖されているサクラマス

   
 2季目は昨年11月にスタート。静岡県産の300グラムほどの稚魚約2万1000匹をいけすに入れ、育てている。泉澤社長によると、今季は海水温が低めで成長に遅れがあったというが、5月に入り適水温になると餌をよく食べるようになり、順調に成育。中には2キロ越えのものも見られるという。6月中に水揚げを始め、計約24トンの出荷を目標にしている。
  
 海面での養殖飼育研究のほか、岩大が中心となって釜石地域の養殖環境に適した種苗研究も進められている。

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防火、防災の士気高め 釜石市消防団演習 3年ぶり開催

3年ぶりに行われた釜石市消防団の消防演習

3年ぶりに行われた釜石市消防団の消防演習

  
 釜石市消防団(川﨑喜久治団長、団員551人)の2022年度消防演習は5月29日、鈴子町の釜石消防庁舎駐車場を会場に行われた。新型コロナウイルスの影響で20、21年が中止となり、3年ぶりの開催。今回もコロナ感染拡大防止のため分列行進や放水訓練は行わず、表彰式主体で規模を縮小して行われた。
  
姿勢を正し敬礼。職務遂行へ士気を高めた

姿勢を正し敬礼。職務遂行へ士気を高めた

   
 式典には団員221人、車両40台が参加。統監の野田武則市長が「有事の際に安全、迅速に対応できるよう訓練に励んでほしい。地域防災のリーダーとして既成にとらわれることのなく、活発な活動を」と訓示した。
   
 優良消防団や団員をたたえる市長表彰では竿頭綬(かんとうじゅ)に5団体、功績章は11人が受賞。市消防団長表彰の精勤証は9人に贈られた。新規入団者3人が辞令を受け、第7分団3部(橋野町中村)所属の佐々木一真さんが「良心に従って誠実に消防の義務を遂行する」と宣誓した。
  
先輩団員に見守られ辞令を受けた新入団者

先輩団員に見守られ辞令を受けた新入団者

   
 各分団や所属ごとに整列した団員らは姿勢を正し、野田市長らの観閲を受け、防火・防災と安全・安心のまちづくりに向けた任務遂行へ気を引き締めた。
 

震災から11年 「鵜住居観音堂」再建 落慶法要で地域住民に初公開

震災から11年 「鵜住居観音堂」再建 落慶法要で地域住民に初公開

震災から11年 「鵜住居観音堂」再建 落慶法要で地域住民に初公開
 
 東日本大震災の津波被災から11年の時を経て再建された釜石市鵜住居町の「鵜住居観音堂」で5月29日、落慶法要が営まれた。地域住民や再建に尽力した関係者が参列。奇跡的に流失を免れ、修復された本尊「十一面観音立像」が安置された真新しいお堂を参列者は感慨深げに見つめ、500年にわたり地域を守ってきた秘仏に感謝しながら手を合わせた。
 
 新観音堂は別当の小山士さん(78)が、高台の私有地に建設。竣工した3月に落慶法要を行う予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大を考慮し延期していた。法要に先立ち小山さんは、被災後の経緯について説明。「前向きに生きるためのよりどころ、地域復興のシンボルとし、教訓を次代に伝えていきたい。交流人口の増加、地域の活性化にもつながれば」と期待した。
 
 法要は平泉町、医王山毛越寺の藤里明久貫主らの協力で行われた。読経が響く中、参列者が焼香。震災後の歩みに思いをはせ、再び取り戻した日常に感謝の祈りをささげた。藤里貫主は「新しい観音堂がまたここから光を放ち、地域を照らし続ける。お参りし、その御利益を心の安寧につなげていただければ」と話した。
 
鵜住居観音堂落慶法要=5月29日、鵜住居町

鵜住居観音堂落慶法要=5月29日、鵜住居町

 
観音堂入り口で焼香し、手を合わせる参列者

観音堂入り口で焼香し、手を合わせる参列者

 
導師を務めた医王山毛越寺の藤里明久貫主(右) 

導師を務めた医王山毛越寺の藤里明久貫主(右) 

 
 観音堂再建に貢献した菊池建設(釜石市橋野町)、ちいろば設計(盛岡市)に小山さんが感謝状と記念品を贈呈。鵜住居青年会が虎舞を奉納し落慶を祝った。
 
施工した菊池建設の菊池浩社長に感謝状を贈る小山士さん(右)

施工した菊池建設の菊池浩社長に感謝状を贈る小山士さん(右)

 
観音堂の前で虎舞を奉納する「鵜住居青年会」

観音堂の前で虎舞を奉納する「鵜住居青年会」

 
 別当を務める小山家の屋敷に併設されていた前観音堂は震災の津波で全壊。33年に一度の御開帳を守り続けてきた本尊の観音立像はブロック造りの宝物庫に保管されていたため流失を免れ、破損しながらも奇跡的に原形をとどめた。震災前から同像の調査を行っていた故大矢邦宣さん(震災当時、盛岡大教授)らが救出にあたり、県立博物館に持ち込まれた後、ボランティアで駆け付けた京都科学(本社・京都市)の技師らの手で修復作業が行われた。
 
 同像は慈覚大師の作とされ、背面に「永正七年」(1510年・室町時代後期)の墨書銘がある。2012年11月に県の有形文化財に指定された。新しいお堂には、同様に救出された「不動三尊立像」「千手観音坐像」(ともに江戸時代作)、本尊を模刻した「身代わり観音像」(2014年作)が安置される。
 
津波による流失を免れ、修復された本尊「十一面観音立像」

津波による流失を免れ、修復された本尊「十一面観音立像」

 
 震災前、観音堂の近くに住んでいた木村正明さん(66)=栗林町在住=は、被災した同観音像などの第一発見者。津波でがれきに覆われた一帯から倒れた宝物庫を見つけ出し、当時の勤務先の後輩の力を借りて、砂泥にまみれた観音像などを助け出した。「見つかった時は本当に良かったなぁと思ってね」。あれから11年―。新観音堂の完成も心から喜び、「昔から地域の人たちにあがめられてきた歴史ある観音様。これからもずっと守り続けていってほしい」と願った。
 
 新観音堂は当初、19年の再建を目指していたが、地域の復興の遅れを鑑み延期。周辺住民の自宅再建がほぼ完了した昨年、建設を決意し、今春の完成に至った。小山さんは本尊の救出からこれまで、さまざまな形で支援してくれた関係者に深く感謝。法要で多くの人たちにお披露目できたことに「ほっとした。先祖代々守ってきた観音様を今後も地域住民に愛されるようしっかりお守りしたい」と意を強くした。

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海図刊行150周年―第1号の地・釜石で記念講演会 郷土の歴史を知る手掛かりに

海図第1号「陸中国釜石港之図」の刊行150年を記念し開かれた講演会 

海図第1号「陸中国釜石港之図」の刊行150年を記念し開かれた講演会

  
 日本人の手だけで初めて作られた海図第1号「陸中國釜石港之圖(りくちゅうのくにかまいしこうのず)」の刊行150周年を記念した講演会(第2管区海上保安本部、釜石海上保安部など主催)は5月29日、釜石市大町の市民ホールTETTOで開かれた。新型コロナウイルスの流行が続く中、ユーチューブのライブ配信を取り入れて行い、会場参加と合わせて約130人が聴講。「海図の歴史を巡る」をテーマにした3人の講演を通じ、海洋での活動に不可欠な海図の重要性、歴史的背景や意義について理解を深めた。
   
 海図は、船が安全に航行できるよう海岸の地形や水深、灯台などの目標物を分かりやすく示した地図。海上保安庁海洋情報部の藤田雅之部長が海図の必要性や測量技術の変遷などを解説した。1872年(明治5年)、当時の兵部省海軍部水路局(現同海洋情報部)が刊行した「陸中國釜石港之圖」の特徴も紹介。釜石港が第1号の地に選ばれた背景について、▽東京―函館間航路の重要な補給地点▽官営製鉄所の開業を控えていた―ことなどを挙げ、近代化を進めるための重要な港湾だったと強調した。
   
海図作成の歴史を振り返り、教育現場での活用を提案した小林准教授

海図作成の歴史を振り返り、教育現場での活用を提案した小林准教授

   
 京都女子大文学部史学科の小林瑞穂准教授(日本近現代史)は第1号海図作成の背景について、「釜石は陸路が狭く、海からの輸送の実績があったからこそ、製鉄につながったのではないか。鉄という重要な資源の損失を出さないために測量、海図作成の重要性が増したと考えられる。釜石港之図は『鉄の都釜石』の証しでもある」などと歴史的意義を独自の視点で示した。
   
 「海図は近代日本の殖産興業の礎となり、外交方針に果たした役割も重要だ」と指摘し、釜石港之図を日本史や地理、社会科の教材として教育現場で生かすことを提案。海図の更新は現在も海上保安庁によって行われており、東日本大震災の影響で変化した地形の情報も正確に反映している。震災を記憶する歴史資料としても重要で、保存と活用を期待。「歴史の証言者として、のちの釜石人に役立つもの。しっかりと受け渡してほしい」と求めた。
   
来場者は歴史の深さを感じながら専門家の話に聞き入った

来場者は歴史の深さを感じながら専門家の話に聞き入った

   
 浜町の曳船・内航運送業、海洋曳船の星野諭社長は「岩手三陸地域海上交通の今、昔」と題して講演。港湾内で他の船を押したり引っ張ったりするタグボートの歴史や種類を説明し、釜石港の変遷を紹介した。
  
海図の歴史などを紹介するパネル展示。興味津々に見つめる姿があった

海図の歴史などを紹介するパネル展示。興味津々に見つめる姿があった

   
 会場では、第1号海図を印刷するために手彫りで作られた銅板や海図の歴史などを紹介するパネル展示も。第2管区海上保安本部の宮本伸二本部長は「海図第1号刊行の地で、綿々と培われてきた歴史、測量技術に触れ、海に理解を深めてほしい。海とともに生きてきたまち、先人たちに思いをはせる機会に」と期待した。
 

「浜千鳥酒造り体験塾」の田植え体験。塾開催は25年目を迎えた

「浜千鳥酒造り体験塾」スタート! 大槌での酒米生産20年目 喜びの田植え

「浜千鳥酒造り体験塾」の田植え体験。塾開催は25年目を迎えた

「浜千鳥酒造り体験塾」の田植え体験。塾開催は25年目を迎えた

 
 釜石市小川町の酒造会社、浜千鳥(新里進社長)が開く「酒造り体験塾」が今年も始まった。5月29日、同社に酒米を供給する大槌町の農家の田んぼで田植え体験会が行われ、子どもから大人まで約70人が手植え作業に汗を流した。同社が大槌産の酒米を使うようになって今年で20年目。品質の良い「吟ぎんが」で仕込まれた地酒は、各種鑑評会や国際コンテストで高い評価を受ける。塾参加者は地元の自然の恵みと蔵人の技で造られる酒に思いをはせながら、今後の体験を心待ちにした。
 
 新型コロナウイルス禍で過去2年は形を変えて行われてきた田植え体験。今年は休止していた神事を復活させ、時間をずらした2部制開催を一斉作業に戻すなど制限緩和を図った。神事では杜氏(とうじ)の奥村康太郎さん(41)が田んぼにくわ入れし、参加者の代表が植え始めの儀式を行った。
 
奥村康太郎杜氏による田んぼへのくわ入れの儀式

奥村康太郎杜氏による田んぼへのくわ入れの儀式

 
田んぼの所有者・佐々木重吾さんから苗の植え方の説明を聞く

田んぼの所有者・佐々木重吾さんから苗の植え方の説明を聞く

 
 田んぼの所有者・佐々木重吾さん(65)から植え方の説明を受けた後、一列に並び苗植えを開始。スタッフが張るロープに沿って丁寧に植え付けていった。抜けるような青空、目にも鮮やかな新緑、心地よい薫風―。参加者は季節感も味わいながら作業に精を出し、1時間半ほどかけて約7アールの田んぼへの植え付けを完了した。
 
腰をかがめての作業は重労働。昔ながらの手植え

腰をかがめての作業は重労働。昔ながらの手植え

 
素足の参加者は、ぬる水の泥の感触も楽しく!

素足の参加者は、ぬる水の泥の感触も楽しく!

 
 ボーイスカウト釜石第2団は同体験塾の田植え、稲刈り参加の常連。この日は団員と保護者、指導者ら20人が訪れた。山崎健太君(平田小5年)は2回目の田植え。「今回は(苗が)あまり倒れることなく植えられた。農業に触れるとやさしい気持ちなる。自分たちが植えた米がお酒という商品になるのもうれしい。大人になったら飲んでみたい」と声を弾ませた。
 
田植えを楽しむボーイスカウト釜石第2団の団員

田植えを楽しむボーイスカウト釜石第2団の団員

 
 釜石市小佐野町の小国亜紀さん(46)は、夫が同塾に協力する大槌町の青年団体「波工房」のメンバー。自身も何度か田植えを経験するが、「今日は暑かったせいか大変だった」と農業の苦労を感じた様子。「日本酒は得意ではないが、浜千鳥のお酒だけは好きで飲む。他地域の方に送ると喜ばれ、リクエストされることもしばしば」と魅力を語り、体験塾で手にする完成品にも期待した。
 
 次回の体験塾は稲刈り。9月下旬か10月上旬の実施を予定する。
 

「大槌産吟ぎんが」で仕込む酒 高評価、認知度拡大で浜千鳥の“顔”に

 
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 大槌町で浜千鳥に供給する酒米生産が始まったのは2003年。地場産米での酒造りを模索していた新里進社長が佐々木重吾さんに協力を求めたのがきっかけだった。佐々木さんは地元農家と「大槌酒米研究会」(佐々木会長)を立ち上げ、岩手オリジナル酒米「吟ぎんが」の生産に着手。メンバーを増やしながら徐々に作付面積を拡大し、今では5個人、1法人(農事組合法人大槌結ゆい=佐々木代表理事)で約20ヘクタールを耕作するまでになった。近年では年間70トン以上を供給する(昨年実績72トン)。
 
 現在、同社が使う酒米の5割近くが大槌産。銘柄に「吟ぎんが」の名前が入る商品は全て“大槌産”に切り替わり、本年度から特別純米酒にも使われる予定だという。新里社長(64)は「米は酒の品質に直結する。同一地域から一定品質の米を安定的に仕入れられるのは非常にありがたい」と感謝。「大槌産吟ぎんが=浜千鳥」という地域ブランドの認知拡大も実感し、同研究会と歩んできた20年の重みをかみしめる。
 
浜千鳥の新里進社長(右から3人目)=2020年酒造り体験塾・稲刈り

浜千鳥の新里進社長(右から3人目)=2020年酒造り体験塾・稲刈り

 
 研究会では米の品質向上を目指し、関係機関の指導のもと課題解決に向けたさまざまな取り組みも重ねてきた。「20年を振り返ると感慨深い」と佐々木さん。大槌産吟ぎんがで最初に生まれた酒「ゆめほなみ(夢穂波)」は町民にも愛される。「まちをあげて利用してもらっている感があり、生産者としてもうれしい」。地元ラグビーチームを応援する商品企画など地域密着の同社の企業姿勢にも共感し、「釜石・大槌の元気の源に自分たちも少し貢献できているかと思うと大きな励みになる」と話した。
 
大槌酒米研究会会長として同地域の酒米栽培をけん引してきた佐々木重吾さん(中央)=2018年酒造り体験塾・田植え

大槌酒米研究会会長として同地域の酒米栽培をけん引してきた佐々木重吾さん(中央)=2018年酒造り体験塾・田植え

 
 大槌町では今年、地元の豊富な湧水を活用したまちおこしの一環で、民間企業ソーシャル・ネイチャー・ワークスが浜千鳥の協力を得て「源水の湧水」と「大槌産吟ぎんが」で仕込んだ地域おこし酒を醸造。7月3日に行われる源水生き物観察会での試飲を予定する。