モールス信号を打ちながら震災時を振り返る東谷傳局長(右)
東日本大震災発生時、「地域の命綱」として漁業無線が活躍した―。非常時につながる漁業無線の役割を学ぼうと、県立釜石商工高(伊東道夫校長、生徒201人)の電気電子科1年生(10人)は13日、釜石市大平町の釜石漁業用海岸局(通称・釜石漁業無線局)を見学した。釜石局は震災時に避難者を収容する一方、通信と中継機能を生かし、迅速で正確な情報発信を重ねて災害対応に貢献。東谷傳(つたえ)局長(67)は当時の緊迫した状況を振り返りながら、「通信障害がいつ起こるか分からない。あらゆる手段の想定を」と伝えた。
震災発生当日の無線局の対応を伝える東谷局長
「どう命を守るか、考えるきっかけにしてほしい」。大きな受信機が並ぶ通信室で東谷局長が講話した。当時の津波映像や釜石局が発した非常通信情報の音声記録を流し、モールス信号を打ちながら緊迫した状況を再現。「当時の電波法で、無線局同士の連絡はご法度。違法性の懸念を局員に指摘されたが、覚悟の通信だった」と振り返った。
電話回線が不通となる中、国際遭難周波数を使い、千葉、茨城、青森、大船渡と連絡設定。千葉、茨城を通じて県庁との連絡手段を確保した。日没後、海抜70メートルの高台に位置する局舎には自家発電の明かりを頼りに住民らが避難。東谷局長は市内の状況を県に伝えた後、局の近くにある同校に残った生徒、教職員、住民らの名簿を確認し、他県の無線局を経由して安否情報などを県庁に送信した。
1933(昭和8)年の三陸大津波の際も同様の通信が活躍したことも紹介し、「アナログの無線通信は、非常時に通信が途絶した際、その通信網を補完するために活用できる可能性がある」と強調。最近、発生した通信大手の大規模通信障害に触れ、「通信障害はいつ起こるか分からない。あらゆる手段の活用を想定し、日ごろから備えることが大切」と説いた。
メモを取りながら大震災の活動を学ぶ釜石商工高生
大きな送信機が並ぶ局内も見学した
村上颯人君は「焦ったと思うが、しっかり情報を伝えられたのはすごい。災害時に使える無線はこれからも必要になる」と実感。震災当時は小さかったが、津波の怖さは感覚として残っているといい、「備える大切さを伝えたり、命を守るため自分たちにできることを考えたい」と意識を高めた。
同校の復興教育の一環。地元で行われた災害対応について学び、地域の復興・発展を支える人材の育成を目的にする。電気や電子という専門分野に関する興味・関心、学習意欲を高めてもらう狙いも。14日には2年生(14人)が釜石局を見学した。
釜石漁業用海岸局の外観
釜石局は1929(昭和4)年に開局。釜石無線漁業協同組合が管理し、県知事と同組合の二重免許を受ける。職員は5人。主に釜石地域に所属する大型漁船(遠洋マグロ船など)40隻、小型漁船(イカ釣り船など)180隻と通信。漁船の動静確認などを毎日行っている。釜石局を示す信号符字は「JFT」。