甲子町大畑地区の柿畑で行われた甲子柿剪定講習会

甲子柿の品質向上へ 生産組合、剪定講習会 栽培農家の底上げ、ブランド力強化図る

甲子町大畑地区の柿畑で行われた甲子柿剪定講習会

甲子町大畑地区の柿畑で行われた甲子柿剪定講習会

 

 釜石市の甲子柿の里生産組合(佐々木裕一組合長、組合員約30人)は2日、柿の木の剪定(せんてい)講習会を甲子町内の柿畑などで開いた。栽培農家の底上げを狙った試み。組合員ら約20人が参加し、高品質で良い柿を届けようと真剣な表情で臨んだ。

 

 昨年、国の2つの制度(地理的表示[GI]保護制度、機能性表示食品)で特性を認められた甲子柿。ブランド力強化を進める中、高品質安定生産に向けた栽培管理、技術向上を図るため、毎年この時期に講習会を開いている。大船渡農業改良普及センター農業普及員の柳本麻衣さん(29)が講師を務めた。

 

 柏木充夫さん(82)の柿畑(甲子町大畑)にある1本の木を使って、剪定作業を実演した。剪定の目的は「葉や実に光が当たりやすいようにすること」と柳本さん。ノコギリやハサミを手に、収穫期に良い実を出すために軸となる枝を決め、不要な枝を切っていった。摘果や収穫など作業をしやすくするのもポイント。「できるだけ木をコンパクトに。切りすぎかなと思うくらいでも大丈夫、枝は伸びる。素直に伸びている枝を残す」などと指導した。

 

柳本さん(左から2人目)の実演に見入る参加者

柳本さん(左から2人目)の実演に見入る参加者

 

 柏木さんは約200坪の畑で柿の木200本ほどを育てる。昨年は例年に比べると不作の年となったが、柏木さん方では数的に若干影響はあったものの、糖度が高く(20度を超えるものも)味のいい柿を出荷することができた。長男幹彦さん(53)によると、地域外からの問い合わせや購入者もいて、認知度の向上を実感。知識を深める講習会の開催を歓迎していて、「枝を切るのはもったいないと思ってしまうが、学びを生かし、実践したい。消費者が面白いと思ってもらえる農業に取り組み、地域を盛り上げたい」と意欲を高めた。

 

洞関地区コミュニティ消防センターで行われた座学では講師の説明に耳を傾けた

洞関地区コミュニティ消防センターで行われた座学では講師の説明に耳を傾けた

 

 組合員2人の畑を回った後、洞関地区コミュニティ消防センターに移動して病害虫防除を中心に座学。組合では害虫アザミウマ、カイガラムシ、病害の落葉病など徹底防除に取り組むことにしていて、柳本さんは計画的な殺菌・殺虫対策について助言した。

 

 甲子柿に魅了された若者が生産に乗り出す動きがあり、今回の講習にも参加。盛岡市の団体職員佐々木路子さん(38)は「ノー知識できた。内容は難しいが、逆に役立てると思う。農福連携と絡めた取り組みにしたい」と前を見据えた。

 

 佐々木組合長(71)は新たな参入を喜ぶ。「今年こそ豊作で終わりたい。消費者に満足してもらえる、おいしい柿を届けるため、みんなでしっかり取り組みたい」と力を込めた。

11年目の開催「とうほくのこよみのよぶね」

3・11津波犠牲者にささげる祈り 鵜住居地区に鎮魂、平和を願う人々集う

 東日本大震災から11年となった沿岸被災地―。多くの尊い命が失われたあの日を思い、今年の「3・11」も各地で犠牲者への祈りが続いた。釜石市内で最も多くの犠牲者が出た鵜住居地区。市内外の支援者らが設けた追悼の場に多くの人が足を運び、天に眠る御霊にそれぞれの思いを込めて手を合わせた。

竹灯籠に込める鎮魂の祈り 釜石仏教会 祈りのパークで慰霊行事

 

「釜石仏教会」竹灯籠による震災犠牲者慰霊行事

「釜石仏教会」竹灯籠による震災犠牲者慰霊行事

 

 鵜住居町の釜石祈りのパークには11日夕刻、約1260個の竹灯籠がともされた。市内の震災犠牲者の芳名板を設置する広場に「忘れない」の文字が浮かび上がり、遺族らが大切な人を思い、焼香して手を合わせた。

 

 釜石・大槌地区17寺院が宗派を超え組織する釜石仏教会(会長=大萱生修明・大念寺住職)による慰霊行事。竹灯籠は、協力を申し出た同市大只越町「仙寿院」の檀(だん)家川崎喜八さん(83、鵜住居町)から一昨年寄進された。以来、市内外から灯籠の持ち込みや送付があるという。灯籠には、訪れた人が故人を送る言葉などを記している。

 

 夕闇に灯籠の明かりが浮かび上がると、同会の僧侶らが読経。訪れた人たちが焼香し、犠牲者の冥福を祈った。同市の震災犠牲者は1064人(行方不明、関連死含む)。うち、同パークには1001人の芳名が掲げられる。

 

僧侶らが読経し、来訪者が焼香。犠牲者の御霊に手を合わせた

僧侶らが読経し、来訪者が焼香。犠牲者の御霊に手を合わせた

 

辺りが暗くなると、竹灯籠を並べて作った「忘れない」の文字が浮かび上がった

辺りが暗くなると、竹灯籠を並べて作った「忘れない」の文字が浮かび上がった

 

 鵜住居町で、妻ヨシエさん(当時46)、長男昭一さん(当時28)を亡くした小笠原克己さん(62)。温かな灯籠の明かりに包まれた同パークを長女咲さん(18)、次男大誠君(16)と訪れ、2人の芳名板の前で11年目の祈りをささげた。震災時、小学1年生だった咲さんは今春高校を卒業し、4月から進学で仙台市へ行く。「今日はその報告に…」と成長した愛娘を見つめた。

 

 同町に暮らしていた小笠原さん一家。地震発生時、大誠君を連れ車で仕事中だった克己さんは一度家に戻り、夜勤明けで寝ていた昭一さんに避難を呼びかけた後、咲さんが心配で鵜住居小へ。児童らは全校避難を開始しており、そのまま一緒に高台へ逃れた。「2人で何とか逃げていてくれ―」。まちが津波にのまれるのを見ながら、祈るしかなかった。ヨシエさんと昭一さんは避難が間に合わなかったものと見られる。

 

 あれから11年―。「何も考えず、残してくれた宝物(咲さん、大誠君)を一生懸命育てることしかなかった」。当時4歳だった大誠君は高校1年生に。今は甲子町に親子3人で暮らす。

 

 「震災の記憶は断片的」と話す咲さん。「急に3人になってすごく寂しかった。最初はずっとお通夜みたいな感じで…」。3人を再び笑顔にしたのは、震災前の家族の姿。「ママとお兄ちゃんいるころは常に笑っていたからな。暗いのは嫌いだったから」と克己さん。

 

 月命日、家族の誕生日には2人の墓参りを欠かさない。「とにかく3人で、いつもケラケラ笑いながら生きている」。天国で見守る2人に「心配しないで。大丈夫」と思いを伝えた。

 

鎮魂の花火「白菊」根浜の夜空で開花 犠牲者、遺族の安らぎに

 

震災犠牲者にささげる鎮魂の花火「白菊」=根浜

震災犠牲者にささげる鎮魂の花火「白菊」=根浜

 

 震災犠牲者を追悼する花火「白菊」が11日夜、鵜住居町根浜海岸で打ち上げられた。地元有志らでつくる、3・11祈りと絆「白菊」実行委員会(柏﨑未来委員長)が行う3年目の取り組み。花火玉には、地元の小中学生が寄せたメッセージが貼り付けられ、子どもたちの願いを天空に託した。

 

 メッセージを寄せたのは鵜住居小と釜石東中の児童生徒。震災犠牲者への思いのほか、ウクライナの戦禍、長引く新型コロナウイルス禍を受けて「戦争反対」「世界平和」、「コロナ消えろ」などの願いが54枚したためられた。打ち上げ前の日中、実行委メンバーや地元住民らが「白菊」の一尺玉に貼り付けた。

 

「白菊」の花火玉に小中学生のメッセージを貼る

「白菊」の花火玉に小中学生のメッセージを貼る

 

さまざまな願いが込められたメッセージ

さまざまな願いが込められたメッセージ

 

 協力する新潟県長岡市の花火業者「嘉瀬煙火工業」(嘉瀬晃社長)によると、「白菊」は、第2次大戦でソ連(当時)軍の捕虜となり、抑留生活で多くの戦友を亡くした嘉瀬社長の父が「仲間に手向けたい」と、1990年にロシア・ハバロフスクで打ち上げたのが始まり。鎮魂の花火は、震災で被災した本県陸前高田市で2013年から5年間打ち上げられた。釜石市では20年から毎年3月11日に根浜海岸で上げられている。

 

 「生きたくても生きられなかった―。戦争、震災犠牲者の思いは相通じるものがある。亡くなられた方、ご遺族の方双方が少しでも安らげるお手伝いができたなら」と嘉瀬社長(63)。父が残した「白菊」に魂を込める。

 

 地震発生時刻の午後2時46分。根浜の旅館「宝来館」と高台に整備された復興団地で、集まった人たちが海に向かって黙とう。震災犠牲者の冥福を祈るとともに、海底火山噴火で津波被害を受けたトンガの復興、ロシア軍の侵攻で戦禍にさらされるウクライナの終戦を願い、両国の国旗の色の風船を大空に放った。

 

全員で黙とう後、「思いは一つ」と4色の風船を空に放った

全員で黙とう後、「思いは一つ」と4色の風船を空に放った

 

 鎮魂の花火は午後7時、同海岸沖の台船から打ち上げ。「白菊」3発に続き、繁栄の象徴・金色を織り交ぜたスターマインが夜空を照らした。海岸から花火を眺める人たちは大切な人を思いながら、明日からの新たな一歩に力をもらった。

 

「震災前よりも良いまちに」と願うスターマイン

「震災前よりも良いまちに」と願うスターマイン

 

過去と未来つなぐ「とうほくのこよみのよぶね」 釜石市長が日比野克彦さんに感謝状

 

11年目の開催「とうほくのこよみのよぶね」

11年目の開催「とうほくのこよみのよぶね」

 

 根浜の海に「3・11」の舟形あんどんを浮かべ、鎮魂と未来への希望を明かりに託す「とうほくのこよみのよぶね」。例年は現地釜石市で、市民らが参加しあんどんを制作するが、今年は新型コロナウイルス禍で参集活動が困難なため、発案した岐阜県岐阜市の実行委が制作した小型あんどんを運び、宝来館の屋外ウッドデッキに設置した。

 

 同活動は国内外で活躍するアーティスト日比野克彦さん(岐阜県美術館館長)が、出身地岐阜市の仲間と企画。同市長良川で2006年から行う冬至行事を東北被災地の復興の力にと、震災の翌年12年から始めた。

 

 11日夕方の点灯に合わせ、野田武則釜石市長が宝来館を訪問。震災後、同活動のほか仮設の住宅や店舗の壁をカラフルなマグネットシートで彩る活動などを行い、市民の心の復興に貢献してきた日比野さんに感謝状を贈った。

 

野田市長が日比野克彦さんに感謝状を贈呈

野田市長が日比野克彦さんに感謝状を贈呈

 

 野田市長は、日比野さんや実行委メンバーらに「被災者、市民を代表し、心から感謝申し上げたい」と話し、差し入れを手渡した。日比野さんは「過去の記憶をとどめ、未来を見つめていくという『こよみのよぶね』のコンセプトを東北にも持っていければと始めた。地元の方々には大変お世話になっている」と深謝し、継続に意を強くした。

 

日比野さんら岐阜の実行委メンバー。野田市長と

日比野さんら岐阜の実行委メンバー。野田市長と

 

 震災直後の大型連休に、仕事先の秋田県から三陸沿岸に入った日比野さん。以来、被災地に寄り添い続け、釜石市民と心の絆を結ぶ。11年という時の流れは、被災地に暮らす人たちの気持ちの変化ももたらしていると感じる。「前はしのぶ気持ちのほうが強かったと思うが、10年を越すと未来を意識した言葉が出てくる」。3・11は「海と出会い、思いを共有できる日。次の世代につないでいく日であってほしい」と望んだ。

koho1780_

広報かまいし2022年3月15日号(No.1780)

広報かまいし2022年3月15日号(No.1780)

 

広報かまいし2022年3月15日号(No.1780)

広報かまいし2022年3月15日号(No.1780)

ファイル形式: PDFファイル
データ容量: 2.41MB
ダウンロード


 

【P1】
表紙
【P2-3】
新型コロナワクチン接種3回目
【P4-5】
後期高齢者医療制度の窓口負担割合の変更
医療・福祉関係の学生向けの奨学金 他
【P6-7】
子どもはぐくみ通信
市民のひろば 他
【P8-9】
まちのお知らせ
【P10-11】
保健だより
【P12】
釜石の歴史よもやま話

この記事に関するお問い合わせ
釜石市 総務企画部 広聴広報課 広聴広報係
〒026-8686 岩手県釜石市只越町3丁目9番13号
電話:0193-27-8419 / Fax 0193-22-2686 / メール
元記事:https://www.city.kamaishi.iwate.jp/docs/2022031400015/
釜石市

釜石市

釜石市公式サイトと連携し、縁とらんすがピックアップした記事を掲載しています。記事の内容に関するお問い合わせは、各記事の担当窓口までお問い合わせください。
市追悼式では合唱協会メンバーが鎮魂と復興の願いを込め献唱=午後3時27分

震災11年、亡き人へ祈り 釜石市内各地で追悼-癒えぬ悲しみ、それでも前へ

市追悼式では合唱協会メンバーが鎮魂と復興の願いを込め献唱=午後3時27分

市追悼式では合唱協会メンバーが鎮魂と復興の願いを込め献唱=午後3時27分

 

 2011年3月11日、東日本大震災が発生。釜石市を襲った巨大津波は、関連死を含めて912人の命を奪い、152人の行方が分かっていない。暮らし、営み、日常が一瞬で奪われたあの日から11年となった11日、市内各地で追悼行事が行われた。「(あの人が)いないなんて、実感がない」「今年も帰ってこなかった」「平穏に暮らせるよう見守っていて」。それぞれの祈りをささげた人々は、悲しみや苦しみを残しながらも前向きに歩み続けていく。

 

釜石市追悼式 遺族「前向きに生きていく」

 

 市主催の追悼式は大町の市民ホールTETTOで開かれた。遺族ら約170人が参列し、震災が発生した午後2時46分に黙とう。野田武則市長は最終段階を迎えた復興状況、社会変化によって新たに見えた課題への対応が必要となった現状を踏まえ、「市民の協力、地域のつながりがより重要になる。真に復興を実感するまで寄り添い、夢と希望を持って生き生きと暮らせる持続可能なまちづくりに取り組んでいく」と誓った。

 

追悼の言葉を述べた沖健太郎さん=午後3時18分

追悼の言葉を述べた沖健太郎さん=午後3時18分

 

 津波で鵜住居町の自宅、次男英憲さん(当時22)を失った元市職員の沖健太郎さん(69)=中妻町=が遺族を代表して追悼の言葉。「町全体が一瞬にして何もかもなくなってしまいました。すべてが今もなお夢のようです」と心情を明かし、「1人で家にいて相談する相手もなく、どんなに心細かったか。津波が襲ってきた時はあまりにも突然で、おそらくビックリする暇もなかっただろう」と天に向かって語り掛けた。

 

 犠牲者に対する哀悼の念とともに込めたのは、震災当時の英憲さんの様子を知らせてくれた地域の人や見つけ出してくれた人たちへの感謝の気持ち。式を終えた沖さんは「一人の青年が生きていたこと、たくさんの命が奪われたことを忘れないでほしい。悔しさはいつまでも残る。それでも前向きに生きていく」と上を向いた。

 

亡き人に思いをはせ、手を合わせる遺族ら=午後3時50分

亡き人に思いをはせ、手を合わせる遺族ら=午後3時50分

 

 市合唱協会のメンバー15人が2曲を献唱。生田流正派箏成会が奏でる琴の音が響く中、参列者が次々と献花台に白菊を手向けた。

 

刻まれた名に手を伸ばし 祈りのパーク「あの人を思う」

 

芳名板にそっと手を伸ばす澤田實さん、陽子さん夫妻=午前10時28分

芳名板にそっと手を伸ばす澤田實さん、陽子さん夫妻=午前10時28分

 

 市内全域の震災犠牲者1064人のうち、1001人の芳名が掲げられる鵜住居町の追悼施設「釜石祈りのパーク」には朝から、さまざまな思いを込めた祈りが続いた。

 

 訪れた遺族や縁故者らは献花台に花を手向け、静かに手を合わせた。定内町の澤田陽子さん(70)は、津波で実妹木下典子さん(当時56)=鵜住居町根浜=ら親族4人を亡くした。「(妹は)いない。でも実感が湧かない」というが、「11年は長いようで、あっという間」と思いを巡らすと涙が頬をつたった。1年半前に夫實さん(72)と古里にUターン。「平穏に暮らせれば。見守ってほしい」と願った。

 

遺族らは犠牲になった人の名前に触れ、手を合わせた=午前10時35分

遺族らは犠牲になった人の名前に触れ、手を合わせた=午前10時35分

 

 刻まれた名にそっと手を伸ばし、「何でそんなところにいるんだよ」とつぶやいたのは栗林町の栗澤茂子さん(79)。長男健(たけし)さん(当時44)が勤務先の大渡町で津波の犠牲になった。双子で次男康(やすし)さん(55)=北上市=と訪れ、「健康で病気もなかったのに…。天国で安らかに暮らしているか。家族思いだから、向こうで案じているだろう。あと何年、来れるかな。康がずっと会いに来るから」と言葉を掛けた。

 

身元不明者を供養 物故者納骨堂「忘れない」

 

納骨堂の前で手を合わせる参列者=午前9時38分

納骨堂の前で手を合わせる参列者=午前9時38分

 

 身元不明遺骨を安置する平田の大平墓地公園内の大震災物故者納骨堂では、釜石仏教会(大萱生修明会長、14カ寺)による法要が営まれた。現在、全身遺骨5柱、部分骨4柱を安置。僧侶4人が読経し、参列者が焼香、手を合わせた。

 

 導師を務めた大只越町の仙寿院、芝崎惠應住職は「被災者らの本当の心、苦しい思いを理解し、未来の教訓となるよう伝え続けなければならない」と呼び掛けた。

 

 大平町の菅原美代子さん(68)、大船渡市立根町の藤原ツキ子さん(61)姉妹は行方不明の母浦島ミエ子さん(当時80)=箱崎町白浜=を思い、納骨堂が完成した18年以降、毎年訪れている。「わすれない」と記された銘板を見上げた2人は「面白い母ちゃんだった。11年になるけど、今年も帰ってこなかった」と寂しさをにじませた。

 

殉職消防団員を慰霊 鈴子広場「活動継承を誓う」

 

献花し仲間をしのぶ消防団員=午前11時43分

献花し仲間をしのぶ消防団員=午前11時43分

 

 震災で職務遂行中に命を落とした消防団員8人を慰霊する献花式は、鈴子町の鈴子広場にある「殉職消防団員顕彰碑」で営まれた。遺族、消防団員ら約30人が出席。市民の命と財産を守るために尽力した魂に「二度と犠牲者を出さない安全安心なまちづくり」を誓った。

 

 野田市長は「傷跡を残すような消防団活動を繰り返してはならない。風化させることなく伝えることが責務だ」と式辞。川﨑喜久治団長は「近年、災害は複雑化、多様化、大規模化し、避難行動の見直しが急務。団員の安全を確保しながら市民の生活を守る活動に力を尽くす。その思いは変わらない」と8人の霊前に誓った。

 

涙をこらえきれず手で顔を覆う遺族ら=午前11時41分

涙をこらえきれず手で顔を覆う遺族ら=午前11時41分

 

 殉職した当時の副団長福永勝雄さん(享年66)、第6分団本部長の佐々木金一郎さん(享年64)の遺族が参列。碑に刻まれた亡き夫の名を目にすると、押し隠していた思いがあふれ出し、手で顔を覆った。心の痛みは、今なお癒えず―。

砂浜で震災行方不明者の手掛かりを探す釜石海上保安部職員

震災行方不明者の手掛かりを求めて 警察・海保・消防合同で大槌の海岸捜索

砂浜で震災行方不明者の手掛かりを探す釜石海上保安部職員

砂浜で震災行方不明者の手掛かりを探す釜石海上保安部職員

 

 東日本大震災から11年となるのを前に10日、釜石警察署(前川剛署長)管内の行方不明者捜索が大槌町吉里吉里の小久保海岸で行われた。同署、釜石海上保安部(松吉慎一郎部長)、釜石大槌地区行政事務組合消防本部(大丸広美消防長)から72人が参加。砂浜と海中で、行方不明者につながる手掛かりを探した。

 

 開始式に先立ち、全員で震災犠牲者に黙とう。前川署長は「明日で津波発生から11年を迎える。行方不明者の家族の気持ちに添えるよう、何らかの手掛かり、思い出の品を見つけ出してほしい」とあいさつ。松吉部長、大丸消防長が激励した。

 

 砂浜では3機関の職員が手分けし、打ち上げられた漂流物を確認したり、砂を掘り起こして埋まっているものを調べた。警察嘱託犬2頭も指導手と捜索に協力した。海中捜索は同海岸前と周辺の3エリアで実施。最大水深7・5メートルの海域を、応援に駆け付けた第2管区海上保安本部仙台航空基地所属の機動救難士(潜水士)4人が捜索した。

 

陸と海で捜索活動が行われた大槌町、小久保海岸

陸と海で捜索活動が行われた大槌町、小久保海岸

 

 震災から11年が経過し、海中は透明度が戻るが、発見につながる目標物(がれきなど)がないため、捜索は年々困難を極める。この日は深い所にとどまっている可能性などを視野にエリア内を丹念に捜索。屋根の瓦、指輪や腕時計が入ったポーチが見つかったが、震災との関連は不明。ポーチは持ち主の情報がなく、釜石署で当面保管する。

 

 上席機動救難士の榎木大輔さん(41)は、震災時、第3管区横浜海上保安部に所属し、発災直後の海中捜索を経験した。年月の経過とともに当時の現場を知らない隊員が増える中、「口で伝えるだけではイメージしにくい。文字化した資料も活用し、若い隊員に経験をつないでいきたい」と話す。

 

捜索方法を打ち合わせする榎木大輔さん(中央)ら機動救難士(潜水士)

捜索方法を打ち合わせする榎木大輔さん(中央)ら機動救難士(潜水士)

 

 釜石警察署地域課被災地支援係の橋本明日香さん(25)は、幼いころ大槌町に暮らし、同町には親戚が多い。同係を希望し奥州署から異動後、初めての捜索活動。「家族の帰りを待つ人たちの気持ちは11年たっても変わらないと思う。警察官としてできること、何か手掛かりになるものを探したい」と熱心に取り組んだ。

 

 大槌消防署の消防士、関真人さん(24)は同町出身。中学1年時に震災を経験した。同消防本部に入って2年目。「知り合いにも行方不明者がいる。消防としてもだが、町民の一人として見つけたいという思いが強い。できる限り捜索活動を続けていければ」と願う。

 

流木を移動させながら捜索する釜石警察署署員

流木を移動させながら捜索する釜石警察署署員

 

目を凝らし、震災に関係するものを探す消防職員

目を凝らし、震災に関係するものを探す消防職員

 

 この日の陸上捜索では、手掛かりになるものは発見できなかった。県内では同震災で1110人が行方不明。大槌町は416人、釜石市は152人の行方が分かっていない(2月末現在)。

再建された「鵜住居観音堂」で行われた震災物故者鎮魂被災地復興祈願法要

待望の再建「鵜住居観音堂」 津波被災から救出された本尊11年ぶりに古里へ

再建された「鵜住居観音堂」で行われた震災物故者鎮魂被災地復興祈願法要

再建された「鵜住居観音堂」で行われた震災物故者鎮魂被災地復興祈願法要

 

 東日本大震災の津波で流失した釜石市鵜住居町の「鵜住居観音堂」が、震災から11年を前に、鵜住神社近くの高台に再建を果たした。土砂にまみれながら奇跡的に救出され、専門技師の手で修復された本尊「十一面観音立像」(2012年県有形文化財指定)も、保管先の県立博物館(盛岡市)から帰郷。500年にわたり地域住民の信仰を集める秘仏が、再びまちの未来を見守る。

 

 6日、観音堂を再建した別当の小山士さん(78)らが、堂内で震災物故者鎮魂被災地復興祈願法要を行った。本尊と本尊を模刻した「身代わり観音像」を前に、医王山毛越寺(平泉町)の藤里明久貫主が読経。参列者が焼香し犠牲者の冥福を祈った。

 

毛越寺の藤里明久貫主(僧侶中央)を招いて法要

毛越寺の藤里明久貫主(僧侶中央)を招いて法要

 

 震災後、同観音堂に関わる法要を行ってきた藤里貫主は「新観音堂の完成は感慨深い。小山さんら関係者が努力を重ね、ここまでたどり着けた。多くの地元の方々も喜んでいると思う」と今までの苦労を思いやった。

 

 新観音堂は、小山さん所有の山の斜面を敷地造成し建立。お堂と続き間の6畳和室、収蔵庫などを合わせ、建物面積は約40平方メートル。地元の良質なスギ材などを使った木造で、屋根は鉄板葺(ぶ)き。昨年8月に着工し、今月完成した。入り口に掲げる扁額などに、老木で伐採された鵜住神社のご神木が使われている。

 

新「鵜住居観音堂」外観。左奥は鵜住神社

新「鵜住居観音堂」外観。左奥は鵜住神社

 

観音堂内部。お堂の他6畳間、流しなどを備える

観音堂内部。お堂の他6畳間、流しなどを備える

 

 慈覚大師の作とされる「十一面観音立像」を祭る同観音堂は、像背面に「永正七年」(1510年)の墨書銘があることから、同時期の開設と考えられる。現在の鵜住神社境内にあったが、明治期の神仏分離で、神社下に居を構える別当・小山家が同像を引き取り安置した。1985(昭和60)年に屋敷を改築、新たな観音堂を設けた。地域の祭りの際には、郷土芸能の奉納や参拝で多くの人が訪れる場所だった。

 

 2011年の震災津波で建物は全壊。諸尊像も流失したが、ブロック造りの宝物庫に保管されていた本尊は、破損しながらも原形をとどめ、流失を免れた。当時、盛岡大教授だった故大矢邦宣さんが学生と救出作業にあたり、県立博物館で、駆け付けた京都科学(本社・京都市)の技師らによって修復作業が行われた。本尊の帰還を待つ地域住民のため、14年には大矢さんの発案で、模刻の身代わり観音像が制作され、新たに建立した小観音堂に安置。本設の観音堂の再建を待つばかりとなっていた。

 

修復された本尊「十一面観音立像」(右)と模刻「身代わり観音像」

修復された本尊「十一面観音立像」(右)と模刻「身代わり観音像」

 

 震災時、別当だった小山正さんは11年7月に他界。引き継いだ長男勉さんは観音堂の再建に意欲を見せていたが、17年3月に急逝。以降、分家の小山士さんが別当として、観音堂に関わる職務を担う。士さんは観音堂再建について、「被災住民の住居再建が進んだ後でと考え、周辺の復興がほぼ完了した段階で着手した。これまでの多くの皆さんの支えに感謝したい。500年も地元で拝まれてきた秘仏をしっかり守っていく」と決意を新たにする。

 

観音堂を再建した小山士さん(前列中左)。毛越寺の藤里貫主(同中右)らと喜びを分かち合った

観音堂を再建した小山士さん(前列中左)。毛越寺の藤里貫主(同中右)らと喜びを分かち合った

 

 当初6日に、新観音堂の落慶法要を行う予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大を考慮し延期。住民を集めての法要は、感染状況を見ながら開催時期を判断する。

11日を前に根浜地区で行われた震災慰霊祭で、黙とうする住民ら=6日

東日本大震災11年、釜石・根浜地区で慰霊祭 「みんなが幸せに」住民ら冥福祈る

11日を前に根浜地区で行われた震災慰霊祭で、黙とうする住民ら=6日

11日を前に根浜地区で行われた震災慰霊祭で、黙とうする住民ら=6日

 

 東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた釜石市鵜住居町根浜地区で6日、発生から11年となる11日を前に慰霊祭が行われた。高台造成地に整備された復興団地の住民ら約30人が地震発生時刻に合わせ、黙とう。犠牲者を悼みながら、「みんなが幸せに安心して暮らし続けることができる地域にする」と思いを分かち合った。

 

 根浜親交会(前川昭七会長)が震災後から継続する追悼行事。住民らは同地区で犠牲になった15人と共に、津波で尊い命を奪われた全ての犠牲者を思い、午後2時46分に黙とう。集会所に設けられた祭壇に白菊を手向け鎮魂や安寧の祈りをささげた。

 

 前川会長、妻良子さん(いずれも69)は、津波で次女美知さん(当時32)を亡くした。漁業の傍ら民宿を営む2人は「多くの人から心を寄せてもらい、ありがたい10年。無我夢中で、あっという間だった」と振り返る。震災から11年、強く思うのは「明日の幸せを見つけ出せる、平和な暮らしの大切さ」。相次ぐ災害、人災と言える戦争が繰り返される現実に心を痛め、合わせる手に「命の尊さを考えてほしい」と願いを込めた。

 

大切な人を思い、手を合わせる前川会長

大切な人を思い、手を合わせる前川会長

 

 根浜地区は震災前、67世帯約180人が暮らした。最大18メートルの津波が襲ったが高い防潮堤は拒み、震災前と同じ5・6メートルの高さを維持。海抜20メートル超の高台造成地に集団で移転し、現在は35世帯約100人が暮らす。

 

 慰霊祭の後、津波記念碑が建つ団地内の公園では「お地蔵さん」に手を合わせる住民の姿も見られた。「こっちも頑張っているから、見守っていて」。同会事務局長の佐々木雄治さん(66)は、宮古市で暮らす長女岩渕理紗子さん(28)と足を運び、津波で犠牲になった妻純子さん(当時53)、実父、実姉、義母の冥福を祈った。

 

海を望む高台の公園に並ぶ「お地蔵さん」に思いを託す佐々木さん親子

海を望む高台の公園に並ぶ「お地蔵さん」に思いを託す佐々木さん親子

 

 佐々木さんは津波の夢で目が覚める日々が続いたというが、ここ数年はほとんどなく、「月日の流れが解決してくれた」と穏やかな表情を見せる。そして、かみしめるように「あの日のことは忘れられない」と口にするが、記憶が薄れていくという感覚もある。ただ、海を望むこの公園に来ると、「自然災害は形、時、規模、何もかも予測できない。高台であっても絶対はない」と、あらためて思う。「海と共存する地域だからこそ、いざという時、自らが避難する意識を強く持たなければ」。津波の教訓を地区全体で共有し、安心して暮らせるまちづくりを続けていく―と前を向いた。

災害時に使用可能な蓄電池などを贈ったSMC釜石工場の関係者(右)ら

災害時の備えに 釜石に工場立地のSMC、可搬式蓄電池などを釜石市に寄贈

災害時に使用可能な蓄電池などを贈ったSMC釜石工場の関係者(右)ら

災害時に使用可能な蓄電池などを贈ったSMC釜石工場の関係者(右)ら

 

 空気圧機器メーカーSMC(東京都千代田区、高田芳樹社長)は2日、災害の備えとして、釜石市にポータブル太陽光パネルと蓄電池などをセットで贈った。市は市役所本庁舎や、市役所が使えなくなった場合に代替施設として使用する予定の小佐野コミュニティ会館などに配備する。

 

 同社は1991年に市の誘致企業として工場の操業を開始。現在、第5工場を建設中で、三陸沿岸地域の産業と雇用を支える企業となっている。2009年には市と「災害時における応急対策用資機材の調達、応急対策要員確保の要請に関する協定」を締結。▽災害発生時に同社が備蓄している食品や防災資機材の提供▽全国から寄せられる救援物資の受け入れ、仕分けを担う要員の確保-などで災害対策を後押しする。今回の寄贈は社会貢献活動の一環。

 

 同社釜石事業所釜石工場の浦島勝樹工場長ら4人が市役所を訪問。野田武則市長に蓄電池などを手渡した浦島工場長は「東日本大震災の時、真っ暗闇の中で一昼夜過ごした経験があった。今後そういうことがないよう、明かりのあるところで過ごしてもらいたいと考えた。災害時の使用が前提だが、普段から地域のイベントなどで活用してもらえれば」と思いを伝えた。

 

寄贈した蓄電池などを前に、野田市長(左)と懇談する浦島工場長(中)ら

寄贈した蓄電池などを前に、野田市長(左)と懇談する浦島工場長(中)ら

 

 贈られたのは、持ち運びができる小型の蓄電池「ポータブル電源」と折り畳み式のソーラーパネルが各5台、延長ケーブルは5本。蓄電池はソーラーパネルを使うと約13時間でフル充電でき、たまった電力でスマートフォンなら約35回分の充電が可能だという。

 

 震災の経験から電気の大切さを痛感する野田市長。今年1月に南太平洋・トンガ沖の海底火山噴火で発生した津波では釜石市にも津波警報が発令されたが、「冬の夜」だったこともあり、避難した人が少なかった―と振り返り、「積極的な避難行動に結び付くよう環境を整える必要がある。十分な資機材を備蓄できていない中、寄贈はありがたい。寒さや暗さにためらうことなく安心して避難できる体制、必要な時に使える体制を構築したい」と感謝した。

釜石初公演の「朗読劇 あの日から~加奈子~」

朗読劇で描く震災 短編小説「加奈子」県内のアナウンサー・演劇人が語る

釜石初公演の「朗読劇 あの日から~加奈子~」

釜石初公演の「朗読劇 あの日から~加奈子~」

 

 東日本大震災から間もなく11年―。同震災を題材にした短編小説「加奈子」の朗読劇が2月26日、釜石市大町の市民ホールTETTOで上演された。盛岡市のNPO法人いわてアートサポートセンターが主催。県内のアナウンサーや演劇人5人が出演し、物語に込められた思いを朗読という手法で伝えた。

 

 「加奈子」は金ケ崎町在住の作家・平谷美樹さんが書き下ろした作品。本県出身作家12人による震災をテーマにした短編小説集「あの日から」(岩手日報社刊)に収録されている。朗読劇としての上演は2016年の宮古市、21年の盛岡市、二戸市に続き釜石が4カ所目。釜石公演は震災10年に合わせ計画されたが、新型コロナウイルスの影響で1年延期され、この日の実現となった。

 

 物語は、震災から3、4年後を想定して描かれた。三陸沿岸のまちで生まれ育った主人公・加奈子は、東京で震災を経験。父親の反対を押し切り駆け落ち上京。9年間、故郷に戻らなかった加奈子は、すぐには被災したまちに帰れずにいた。震災から数年を経て、突き動かされるように戻った故郷は高校まで慣れ親しんだ景色はなく、復興のまっただ中。姉ら家族が前を向いて暮らす姿。復興に携わる人との出会い。加奈子は自分が求める生き方を模索していく。

 

 主人公・加奈子を演じたのは、盛岡市の「劇団赤い風」の若手役者で、今年から釜石市のケーブルテレビ局で働く久保綾愛さん。釜石からは2015年に「劇団もしょこむ」を旗揚げし、市内外で公演活動を行う小笠原景子さんも出演し、加奈子の姉役などでその実力を発揮した。

 

主人公・加奈子を演じる久保綾愛さん(前列左)。豊かな声色と表情で加奈子の心情を表現した

主人公・加奈子を演じる久保綾愛さん(前列左)。豊かな声色と表情で加奈子の心情を表現した

 

釜石の「劇団もしょこむ」代表・小笠原景子さん(前列)。釜石市民劇場などでも活躍する

釜石の「劇団もしょこむ」代表・小笠原景子さん(前列)。釜石市民劇場などでも活躍する

 

 公演後は原作者の平谷さん、出演した小笠原さんらによるアフタートークも行われた。同作は、本県のアマチュア映画創作集団「オトナ映画部」に所属する平谷さんが、映像作品の脚本として書いたものを小説化した。教師時代、6年間いた宮古市に、震災の年の秋に訪れ、「現実を直視して書かなければ」と思いを強めた平谷さん。発災時は内陸にいて、「何もできない自分に負い目を感じていた。加奈子という主人公は私自身」と物語の根幹を語った。

 

終演後、作品について語る原作者の平谷美樹さん

終演後、作品について語る原作者の平谷美樹さん

 

 小笠原さんは自身の劇団の旗揚げ公演で、仮設住宅に暮らす姉妹の心の葛藤を描いた作品を上演。以来、震災関連の出演オファーが増えたが、「その都度、ためらうことが多かった」。被災地にいるが、無事だった自分。「みんなの気持ちに寄り添えないのではないか…」。迷いながらの活動の中、朗読劇という新たな手法と出会った。「聞く人それぞれに違った情景や人物像を想像し、作品を受け止める。朗読だからこそ可能な表現であり、伝え方」と小笠原さん。

 

 生き残った者のうしろめたさ。惨状を目の当たりにしたつらさ。震災を経験した一人一人の心の傷は計り知れないが、平谷さんは「いつか自分の口で(経験を)語れるようになれば」と願う。小笠原さんも「人の言葉で聞くと感じ方が違う。震災時、幼かった自分の子どもにも当時の話をするようにしている」と、語り継ぐ大切さを訴える。

 

終演後あいさつする(左から)小笠原さん、長谷川拳杜さん(IBC岩手放送)、久保さん、江幡平三郎さん(同)、山井真帆さん(二戸演劇協会the雲人)

終演後あいさつする(左から)小笠原さん、長谷川拳杜さん(IBC岩手放送)、久保さん、江幡平三郎さん(同)、山井真帆さん(二戸演劇協会the雲人)

 

 公演に足を運んだ浜町の女性(56)は「泣かせる話かと恐る恐る見に来たが、前向きな話。平谷さんが言っていた家族や親子といった普遍的要素があり、聞きやすかった。今でも当時を思い出すと涙が出そうになるが、この10年、いろいろなことに気付かされながら生きてきた」と静かにうなずいた。

「未来へつなぐ三陸の海を考える」をテーマに開かれた水産・海洋研究フォーラム

三陸の海の可能性―水産・海洋研究フォーラム 漁業者ら水産業の未来像共有

「未来へつなぐ三陸の海を考える」をテーマに開かれた水産・海洋研究フォーラム

未来へつなぐ三陸の海を考える」をテーマに開かれた水産・海洋研究フォーラム

 

 釜石市主催の水産・海洋研究フォーラムは2月25日、大町の釜石PITで開かれた。「未来へつなぐ三陸の海を考える」をテーマに、研究者や漁業者らが市内外で進む水産業の新たな取り組み事例を発表。会場とオンライン配信合わせて約70人が参加し、取り組みを共有することで三陸の海の可能性を考えた。

 

釜石の水産業への思いを明かす泉澤宏社長

釜石の水産業への思いを明かす泉澤宏社長

 

 地元の水産会社泉澤水産(両石町)の泉澤宏社長は、自動引き網システムや魚群探知機を定置網につけて沈め、24時間監視することにより定置網漁を「見える化」する操業支援システムの導入など全国で進む実証研究を紹介。操業方法の省人化や自動化の動きは作業の効率化、就労時間の削減など利点が多く、今後取り入れたいと考えを示した。

 

 経営悪化で魚市場が閉鎖された網代漁港(静岡県)で水産関係者が新たに取り組んだ、▽漁獲物の供給調整と不可価値向上(計画出荷と活魚・畜養など)▽価格形成への参加(生産者による競り、入札での販売など)▽直接販売(鮮魚の直接販売、料理店の経営)-なども説明。「少なくとって大きく売る取り組みが最も重要になる。持つ資源を積極的に活用し、売り上げの最大化を図ることが大事だ」と強調した。

 

釜石湾のサクラマス養殖試験研究を紹介する平井俊朗教授

釜石湾のサクラマス養殖試験研究を紹介する平井俊朗教授

 

 岩手大三陸水産研究センター長の平井俊朗教授は釜石湾で行うサクラマス養殖試験について、第1期(2020年7月~21年9月)の成果を報告。「魚体サイズ、価格のバラツキが大きい。早熟のためギンザケなど他のサーモンよりも出荷期間が短く、技術的に改善しなければいけない部分も多い」とした。

 

 釜石サーモン養殖は「これからが本番」とした上で、「他魚種、他地域との競合の中で埋没しないための戦略が必要。多様な事業形態の共存、異業種間連携の促進、若者の地域参入に寛容な風土づくりという視点が大事になる」と指摘。一過性ではない、真の地域産業化に向け、「釜石ならではの(サクラマスの)種苗づくりを進める」と前を見据えた。

 

研究者や漁業者の報告や事例に耳を傾けた参加者

研究者や漁業者の報告や事例に耳を傾けた参加者

 

 リモートで参加したNPO法人海辺つくり研究会の木村尚(たかし)理事は、多様な主体の連携による里海保全の取り組みについて講演。ワカメを通した釜石とのつながりも紹介した。21年まで釜石市まちづくり復興アドバイザーを務めた北海学園大経済学部の濱田武士教授は釜石水産業の課題と期待について独自の視点を示した。

 

 野田武則市長は「地域の経済産業活動を支える水産業は震災の影響、漁業者の高齢化、後継者不足、水産資源の減少などの課題がある」と研究への期待を述べた。

久保知久組合長のあいさつで総代会がスタート

釜石地方森林組合総代会~久保組合長勇退 新執行体制で22年度事業推進へ

釜石地方森林組合 第59回通常総代会。コロナ禍を考慮した会場レイアウトで行われた

釜石地方森林組合 第59回通常総代会。コロナ禍を考慮した会場レイアウトで行われた

 

 釜石地方森林組合(久保知久代表理事組合長、組合員1613人)の第59回通常総代会は2月25日、釜石市鵜住居町の市民体育館で開かれた。会では、2017年5月に発生した尾崎半島林野火災の被災地復旧事業が本年3月で完了する見込みとなったことが報告された。5年間、組合長として尽力してきた久保知久さん(74)の退任が発表され、役員18人を改選。新たな執行体制で、地域の森林経営を支える。

 

 昨年12月に総代選挙が行われ、新体制で迎えた同会には、総代員200人中169人が出席した(委任、書面出席含む)。久保組合長は「コロナ禍や世界経済の変化で木材輸入が減少。国産材の需要が一気に高まり、昨秋から丸太価格も上昇傾向」と、“ウッド・ショック”と言われる現象に注目。「これを追い風に、ニーズを的確に把握しながら販路拡大に努めたい」とあいさつした。

 

久保知久組合長のあいさつで総代会がスタート

久保知久組合長のあいさつで総代会がスタート

 

 同組合の2021年度(21年1月~12月)木材取扱量は、バイオマス材を含め2万3820立方メートル(計画比82%)。取扱量は減少したが、単価の上昇、組合が加盟する「上閉伊地区木材流通協議会」の建築資材販売などで、計画比81%の収益を計上した。森林経営管理委託契約は新規で19人から申し込みがあり、年度末時点で725人と契約を締結。国や地方自治体などの事業の受注、各種補助事業の積極的導入で森林環境保全への取り組みを強化。計画比105%の収益につながった。

 

 釜石市から受注した尾崎半島林野火災被災地復旧事業は、19年10月の台風被害により工期が1年延びていたが、特殊地ごしらえ、防護網設置、植林作業が進み、本年3月で完了する見込みとなったことが報告された。

 

提出議案について審議する釜石市、大槌町の総代

提出議案について審議する釜石市、大槌町の総代

 

 22年度は、ウッド・ショックに伴う木材流通の活性化を好機とし、間伐材の販売拡大、上閉伊地区木材流通協議会の地域産材製品のPRに力を入れ、組合員の所得増につなげる。同組合の特長である「二酸化炭素森林吸収源取引」を活用した森林整備事業の推進、日本製鉄に販売するバイオマス代金の利益分を基金に積み、森林環境保全を図る取り組みも進める。低コスト作業と合わせ、組合員の負担を軽減する事業体制づくりに努める。

 

 21年度の事業内容、22年度の事業計画案は損益などと共に承認された。任期満了に伴う役員改選も行われ、昨年12月の役員推薦会議で候補者に選ばれた理事15人と監事3人に対する信任投票を実施。新執行体制が決まった。新任は4人。昨年4月の森林組合法改正で、事業執行体制の強化策として実践的能力を持つ理事の1人以上の配置が義務化されたことを受け、高橋幸男参事(57)が理事を兼務する。

 

新役員選任のための総代員による信任投票

新役員選任のための総代員による信任投票

 

2022年度から3年間役員を務める理事15人と監事3人

2022年度から3年間役員を務める理事15人と監事3人

 

 この日は、今期で退任する役員4人に花束を贈り、長年の労をねぎった。理事として6期18年、16年12月から代表理事組合長を務めてきた久保知久さん(74)は、翌17年に発生した尾崎半島林野火災の復旧事業に力を注いできた。「森林環境の再生はもちろん、少しでも山主さんの利益になるよう、被災木の活用促進に取り組んできた。関係者の理解と協力に感謝したい」と久保さん。国産材が注目され、公共物への木材利用も進む昨今。「山林所有者にとっては本当にいい機会が巡ってきている。希望を持ってほしい。釜石は89%が山林。そこに眠る資源を有効活用できるような組合に」と今後に期待した。

 

本総代会で退任した理事と監事。右から2人目が久保知久代表理事組合長

本総代会で退任した理事と監事。右から2人目が久保知久代表理事組合長

 

 総代会で選任された理事、監事は次の通り(敬称略)。後日の互選で、植田収さん(箱崎町)が代表理事組合長に就任した。

 

【理事】阿部公一(大槌町)、植田収(箱崎町)、臼澤勲(大槌町)、栗澤廣(栗林町)、佐々木四郎(甲子町)、佐々木重吾(大槌町、新任)、佐々木廣(平田)、佐々木裕一(甲子町)、高橋幸男(山田町、新任)、二本松誠(鵜住居町、新任)、畠山一信(唐丹町)、藤原元助(橋野町)、三浦幸保(大槌町)、水上済(唐丹町)、和田功(橋野町)
【監事】柏木公博(天神町)、三浦蔵人(大槌町、新任)、山崎巍(唐丹町)

防災広報ステッカーを貼った車両を見送り=3月1日、釜石市只越町・釜石郵便局

春の山火事防止へ 郵便・宅配業者と連携 釜石郵便局で出発式

防災広報ステッカーを貼った車両を見送り=3月1日、釜石市只越町・釜石郵便局

防災広報ステッカーを貼った車両を見送り=3月1日、釜石市只越町・釜石郵便局

 

 3月1日からスタートした山火事防止運動(5月末まで)に合わせ、県沿岸広域振興局(森達也局長)と郵便・宅配事業者が連携する啓発活動の出発式が釜石市只越町の釜石郵便局(川村博幸局長)で行われた。「山火事注意」のステッカーを掲示した配達車両が関係者に見送られて出発。地域を走りながら住民らに山火事予防、火の取り扱いに関する注意を促す。

 

 森局長は「(配達車など貨物輸送車両は)住民の目に触れ、山火事防止の啓発に効果がある」と期待。日本郵便岩手県東部地区連絡会の菊池浩康地区統括局長(遠野市・綾織郵便局長)は「しっかりと取り組む。今後も地域の安全安心、住民生活のサポートを追求したい」と力を込めた。

 

 県と郵便局、宅配事業者がそれぞれ結ぶ包括連携協定に基づく取り組み。昨年は釜石地区(2市町)で実施したが、2年目の今年は沿岸振興局管内全域(9市町村)に広げる。郵便局(釜石、大船渡、陸前高田、宮古、岩泉郵便局)94台、ヤマト運輸(釜石、大船渡、陸前高田、宮古、久慈営業所)83台、佐川急便(釜石、大船渡、三陸営業所)44台の計221台(昨年46台)を投入。ステッカー(縦10センチ、横30センチ)はシール式で、赤地に白い文字が書かれている。

 

「山火事注意」ステッカー渡し、佐川急便に協力依頼

 

ステッカーを手にする佐川急便の関係者と森局長(右)=2月24日、釜石市新町・釜石地区合同庁舎

ステッカーを手にする佐川急便の関係者と森局長(右)=2月24日、釜石市新町・釜石地区合同庁舎

 

 佐川急便には運動開始前の2月24日、ステッカーが託された。新町の釜石地区合同庁舎を訪れ、森局長からステッカーを受け取った同社北東北支店(盛岡市)の田口淳子副支店長は「視線を感じる取り組みで、従業員の意識、サービス向上につながる。山火事ゼロとなるよう協力したい」と意気込みを伝えた。

 

山火事 原因の多くは「人為的」 見える注意啓発が一番の手段

 

ステッカーやチラシで山火事防止を呼び掛ける沿岸広域振興局職員

ステッカーやチラシで山火事防止を呼び掛ける沿岸広域振興局職員

 

 県内では昨年26件の山火事が発生し、約7割が3~5月に集中。雪解けが終わり、空気の乾燥や強風の時季に加え、下草が生える時期でもあり、わずかな火元から大規模な林野火災になる恐れがある。例年、山火事の原因は野焼きやたき火、たばこの不始末などによる「人為的」なものが約7割を占めることから、屋外での火の取り扱いは細心の注意が必要だ。

 

 沿岸振興局農林部によると、管内の山火事発生件数は2017年が11件(焼失面積416・88ヘクタール)で、同年5月には釜石市の尾崎半島で山林約413ヘクタールを焼失した。18年は7件(同46・45ヘクタール)、19年が10件(同3・47ヘクタール)、20年5件(同1・81ヘクタール)。同種事業者が山火事防止の啓発活動に協力するという全国で初めての取り組みを展開した昨年は4件、1・65ヘクタールで、ここ数年では件数、面積とも最小だった。

 

 1人ひとりの山火事防止意識の向上が求められ、同部担当者らは「注意啓発が一番の手段」と強調する。同種事業者らによる「目に留まる」取り組みは注意喚起の呼び掛けになり、協力車両と従業員は防火監視という役割も期待される。