待望の再建「鵜住居観音堂」 津波被災から救出された本尊11年ぶりに古里へ
再建された「鵜住居観音堂」で行われた震災物故者鎮魂被災地復興祈願法要
東日本大震災の津波で流失した釜石市鵜住居町の「鵜住居観音堂」が、震災から11年を前に、鵜住神社近くの高台に再建を果たした。土砂にまみれながら奇跡的に救出され、専門技師の手で修復された本尊「十一面観音立像」(2012年県有形文化財指定)も、保管先の県立博物館(盛岡市)から帰郷。500年にわたり地域住民の信仰を集める秘仏が、再びまちの未来を見守る。
6日、観音堂を再建した別当の小山士さん(78)らが、堂内で震災物故者鎮魂被災地復興祈願法要を行った。本尊と本尊を模刻した「身代わり観音像」を前に、医王山毛越寺(平泉町)の藤里明久貫主が読経。参列者が焼香し犠牲者の冥福を祈った。
毛越寺の藤里明久貫主(僧侶中央)を招いて法要
震災後、同観音堂に関わる法要を行ってきた藤里貫主は「新観音堂の完成は感慨深い。小山さんら関係者が努力を重ね、ここまでたどり着けた。多くの地元の方々も喜んでいると思う」と今までの苦労を思いやった。
新観音堂は、小山さん所有の山の斜面を敷地造成し建立。お堂と続き間の6畳和室、収蔵庫などを合わせ、建物面積は約40平方メートル。地元の良質なスギ材などを使った木造で、屋根は鉄板葺(ぶ)き。昨年8月に着工し、今月完成した。入り口に掲げる扁額などに、老木で伐採された鵜住神社のご神木が使われている。
新「鵜住居観音堂」外観。左奥は鵜住神社
観音堂内部。お堂の他6畳間、流しなどを備える
慈覚大師の作とされる「十一面観音立像」を祭る同観音堂は、像背面に「永正七年」(1510年)の墨書銘があることから、同時期の開設と考えられる。現在の鵜住神社境内にあったが、明治期の神仏分離で、神社下に居を構える別当・小山家が同像を引き取り安置した。1985(昭和60)年に屋敷を改築、新たな観音堂を設けた。地域の祭りの際には、郷土芸能の奉納や参拝で多くの人が訪れる場所だった。
2011年の震災津波で建物は全壊。諸尊像も流失したが、ブロック造りの宝物庫に保管されていた本尊は、破損しながらも原形をとどめ、流失を免れた。当時、盛岡大教授だった故大矢邦宣さんが学生と救出作業にあたり、県立博物館で、駆け付けた京都科学(本社・京都市)の技師らによって修復作業が行われた。本尊の帰還を待つ地域住民のため、14年には大矢さんの発案で、模刻の身代わり観音像が制作され、新たに建立した小観音堂に安置。本設の観音堂の再建を待つばかりとなっていた。
修復された本尊「十一面観音立像」(右)と模刻「身代わり観音像」
震災時、別当だった小山正さんは11年7月に他界。引き継いだ長男勉さんは観音堂の再建に意欲を見せていたが、17年3月に急逝。以降、分家の小山士さんが別当として、観音堂に関わる職務を担う。士さんは観音堂再建について、「被災住民の住居再建が進んだ後でと考え、周辺の復興がほぼ完了した段階で着手した。これまでの多くの皆さんの支えに感謝したい。500年も地元で拝まれてきた秘仏をしっかり守っていく」と決意を新たにする。
観音堂を再建した小山士さん(前列中左)。毛越寺の藤里貫主(同中右)らと喜びを分かち合った
当初6日に、新観音堂の落慶法要を行う予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大を考慮し延期。住民を集めての法要は、感染状況を見ながら開催時期を判断する。
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