にぎやかな「釜石小唄」に合わせて踊る、釜石はまゆり会の参加者。ふるさと釜石への思いがあふれた
ラグビーW杯、橋野高炉世界遺産登録「盛り上げよう」と熱いエール
首都圏在住の釜石市出身者やゆかりの人々でつくる釜石はまゆり会(石森寛会長)の30回目の集いが6日、東京都荒川区東日暮里のホテルラングウッドで開かれた。震災後、同集いの参加者は年ごとに増えており、4回目の今回は約190人に膨らんだ。ラグビーワールドカップ(W杯)開催地決定に加え、橋野高炉跡の世界遺産登録も有力。この勢いに誘われるように、30回目の節目を迎えた集いに大勢の“釜石人”が駆けつけ、「ふるさと釜石の復興、発展に熱いエールを送ろう」と誓いを新たにした。
総会の部の冒頭で、石森会長(59)は「最近、釜石という名を聞かない日はない。ラグビーW杯開催が決定、7月にも世界遺産登録が決まる橋野はすごい人出らしい。明るいニュースが続く中、これまで以上に釜石をアピールし、復興へ熱いエールを送りたい」とあいさつした。
震災後から取り組む募金活動で、首都圏以外の個人・団体を含む約2千人から4千万円を超える支援金が寄せられたことも報告。この1年間に寄せられた募金、82万9980円が石森会長から野田武則市長に手渡された。
野田武則市長に支援金を手渡す石森寛会長(左)
野田市長は「ラグビーW杯や橋野高炉跡の世界遺産登録だけでない。波力発電など再生可能エネルギーの研究拠点として国から認められ、和山の風力発電は倍以上に規模を拡大し、再び日本一を目指す。資金や人材が足りない中で精いっぱいがんばっている。あらゆる困難を乗り越え、希望のあるまちづくりにまい進したい」と決意を述べた。
続く懇親会では、釜石出身のシンガーソングライターあんべ光俊さん(61)が「遠野物語」や、震災後に作った応援ソング「力は無限大」などを披露。新日鉄釜石ラグビー部日本一7連覇のメンバーで、ラグビーを通じた復興支援に取り組むスクラム釜石代表の石山次郎さん(58)と共に「みなさんの力でラグビーW杯を成功させよう」と呼びかけた。
釜石で開催されるラグビーワールドカップを成功させようと呼びかける石山さん(左)、あんべさん
ステージに立った石山さんは「まったく無名だった自分が釜石のおかけでラグビー日本一のメンバーとなり、日本代表に6回も選ばれた。馬鹿げたことでも言い続ければ実現する。そんな思いが、ラグビーW杯釜石開催決定につながった。4年後は釜石市民が笑顔で
あふれる姿を見たい」と熱い思いを語った。
埼玉県越谷市の栁田(旧姓岩舘)幸子さん(65)は震災の津波で、銭湯「鶴の湯」として親しまれた釜石市浜町の実家を失った。震災から4年が経過した今も、「帰る家がないのは悲しい」と寂しさが募る。結婚後間もなく始めた喫茶店に集まる常連客が心の支えという。「はまゆり会の参加は10年ぶりですが、多くの仲間と会え、明るいニュースを聞くことができてうれしい」と声を弾ませた。
釜石はまゆり会は、新日鉄釜石ラグビー部が日本一7連覇を達成した1985年に創立。266人が集まり1回目の総会を開いた。当初は200人を超える集いが続いていたが、徐々に参加者が減少。震災前は120~130人前後で推移していた。震災のあった年は中断。再開した12年は約150人に増え、13、14年と170人台が続き、30回目の今回は190人台まで盛り返した。
同会の発足直後から運営に関わり、震災前に事務局を引き継いだ藤原孝次さん(75)は「集いには参加できないが支援金だけは、と届けてくれる人も多い」と感謝する。今回は80万円余りを釜石市に届けたが、来年はさらに170万円余りを寄付できそうだという。
石森会長は「ほかのふるさと会にも出席するが、こんなに若い人の多いふるさと会はなく、頼もしい」と喜ぶ。熱いエールを受けた野田市長は「期待に応えられるよう、一歩一歩、復興を形にしていきたい」と思いを新たにしていた。
出席者には、30周年を記念して同会が作成した小冊子が配布された。
「釜石」のカードを掲げ、「ガンバロー」と気勢を上げる
釜石はまゆり会 ブログ
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