酒造りのスタートとなる田植えに精を出す参加者

酒造り 田植えで理解、県内外から過去最高110人参加

酒造りのスタートとなる田植えに精を出す参加者
酒造りのスタートとなる田植えに精を出す参加者

 

 釜石市小川町の酒造会社、浜千鳥(新里進社長)が一般向けに開く「酒造り体験塾」が今年も始まった。5月31日、第1弾の田植え体験会が大槌町で開かれ、過去最高の約110人が参加。泥田での慣れない作業に汗を流しながら、酒米作りに理解を深めた。

 

 体験会場は、同社に岩手県オリジナルの酒米「吟ぎんが」を提供している大槌酒米研究会(8人)の佐々木重吾会長(58)の田んぼ。田植え神事の後、合わせて約15㌃の田んぼ2面に参加者が分かれ、1列になって苗を植えた。ロープの印を目安に、約15㌢に成長した苗を5本ぐらいずつ手植えした。

 

 今年は、遠くは宮城、秋田県から参加者が集まった。釜石市からはボーイスカウト釜石第2団の団員と保護者ら約30人が初参加。同団の高木海里君(釜石小5年)は2時間弱の作業を終え、「まだ腰が痛い。泥に足が埋まって大変だったけど楽しかった。収穫もやってみたい」とさわやかな表情を見せた。

 

 同団と一緒に夫婦で参加した、米国出身で上平田在住のコービ・ワイン・ホーフさん(32)は、震災復興支援で3年前に釜石に来たNPO職員。「お米は日本の基本。浜千鳥の酒も飲んだことがあり、酒造りにも興味がある。田植えは初めて。一番面白いのは泥の感触」と日本の伝統文化を満喫していた。

 

大槌町の農家、着々増産

 

 同社が大槌産の酒米で酒造りを始めて13年目。研究会の作付面積は順調に増え、今年は約15ヘクタールにまで拡大した。20ヘクタールになれば、佐々木会長の地元集落の田んぼの半分近くが酒米栽培になる勢いだという。

 

田植えの記念写真は塾参加者が最後に手にする酒のラベルになる
田植えの記念写真は塾参加者が最後に手にする酒のラベルになる

 

 米生産量の増加に伴い、大槌産吟ぎんがで仕込む酒の種類、醸造量も増加。昨年秋のロンドン酒チャレンジでは純米大吟醸で金賞、5月22日に発表された南部杜氏協会の今年の鑑評会では純米酒の部で2位(出品数約150)を獲得するなど、大槌の米で造った酒が高い評価を受けている。杜氏の力が試される同鑑評会で上位5位に入るのは至難の業で、2位は同社にとって平成の初頭以来25,6年ぶりの快挙だという。こうした動きに佐々木会長は「ありがたいこと。(会社も農家も)互いに励みになれば」と喜ぶ。

 

 同社が使う吟ぎんがの中で大槌産は約9割を占めるようになった。新里社長は「研究会の皆さんからは非常に品質のいい酒米を提供していただいている」と感謝。体験塾の意義について「米造りから一連の流れを体験してもらうことで、〝自分たちの酒〟という気持ちが生まれ、ファンづくりにもつながっている」と話した。体験塾の第2弾は稲刈りで、例年並みに推移すれば9月下旬に収穫する。

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釜石市清掃工場

日本初のごみ溶融炉、役目終え解体へ 釜石市清掃工場

釜石市清掃工場
役目を終え解体される釜石市清掃工場

 

 日本初のごみ溶融炉で、いったん停止した後、東日本大震災のがれき処理のため再稼働した釜石市清掃工場が役目を終えて解体されることになり、25日、釜石市栗林町の現地で解体工事の安全祈願祭が行われた。1979年の稼働開始から30年余り。関係者は「おかげで計画通り、がれきを処理することができた」と解体を惜しんだ。

 

 同清掃工場は、金属やプラスチックなど混合ごみの焼却が可能な全国初の溶融炉として1979年9月から稼働を開始した。溶融炉は、新日本製鉄(現新日鉄住金)が製鉄技術を応用して開発。1700~1800度の高温でごみを溶かすことから、ダイオキシンなどの有害物質も発生せず、新時代のごみ清掃工場として注目を集めた。

 

震災後再稼働 がれき4万2千トン処理

 

 2基の溶融炉を合わせた処理能力は1日当たり109トン。老朽化や沿岸南部クリーンセンターの完成に伴い2011年1月に停止したが、その直後に震災が発生。市は、津波で発生した大量のがれき処理を進めるため、3億円余りをかけて溶融炉を改修。12年2月から14年3月まで、市内で発生した可燃性災害廃棄物のほぼ半分に当たる約4万3千トンを処理した。

 

 解体工事前の安全祈願祭には関係者約30人が出席。神事に続き、若崎正光副市長は「老骨にむち打ち、獅子奮迅の働きをしてくれた」と、役目を終える溶融炉をねぎらった。新日鉄住金エンジニアリングの山田良介副社長は「釜石は日本の近代製鉄発祥の地で、溶融炉も国内1号機。現在、34カ所で稼働する溶融炉の技術は、ここで培われた。稼働開始から32年。最後までよくやったと褒めたい」と述べた。

 

溶融炉の解体を惜しむ若崎正光副市長
「老骨にむち打ち、獅子奮迅の働きをしてくれた」と 日本初の溶融炉の解体を惜しむ若崎正光副市長

 

 溶融炉は6月から解体工事に入り、来年3月までに姿を消す。解体工事費約7億7700万円は国の交付金などを活用する。跡地は更地にするが、今のところ新たな施設整備計画はない。一角に残るリサイクル施設は今後も継続して稼働する。

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フォトライブラリー心象舎 藤枝宏

「心象舎」藤枝さん 自宅再建 ギャラリー開設、震災当時の記録も公開

フォトライブラリー心象舎 藤枝宏氏
大渡町に再建した自宅にフォトギャラリーを開設した藤枝宏さん

 

 復興釜石新聞紙上に「かまいし便り」を連載しているフリーカメラマン、「フォトライブラリー心象舎」を主宰する藤枝宏さん(58)が釜石市大渡町に自宅を再建し、震災前から念願にしていたフォトギャラリーを開設した。震災後も記録し続けている古里の自然や町並みなど、釜石の風景を中心に展示。膨大な撮影データをすぐに映し出せるモニターも備え、一般にも公開している。
 
 藤枝さんは、震災から3カ月後に発刊した復興釜石新聞の第1号から「かまいし便り」を連載。震災から5カ月後の8月には、震災発生直後から撮り続けた街の様子を収録した「釜石の記録」を発行。地元カメラマンによる貴重な記録として反響を呼び、版を重ねて1万部に及んだ。

 

 震災前に撮影したデータをもとに大槌町の街並みを再現した写真集「大槌夢幻ゆめまぼろし」も出版した。2012年には、「かまいし便り」に掲載した写真を中心に構成した「釜石 心の風景」を発行。連載は今389号で233回を数える。

 

 震災の津波で藤枝さんは大町の自宅が全壊。幸い家族は無事だったが、妻や足の不自由な母親らと震災の2週間後から中妻町のアパートで〝みなし仮設〟の暮らしを続けた。

 

 そんな厳しい生活の中で藤枝さんの心を支えたのは、震災前と変わらず輝きを失わない古里の自然の風景だったという。津波で大きな痛手を受けた町並みにようやく復興の姿が見え始めたことも、気持ちを前向きにさせた。

 

 藤枝さんは古里釜石をこよなく愛し、「自分が育った大町に戻り自宅の再建を」という思いも堅かった。大渡町に自宅を再建したのは今年1月。「自宅があった場所にはイオンタウンができ、戻ることはできなかったが、市の配慮で近い場所に再建することができた」と感謝する。

 

釜石の風景、街並み写真展示

 

 自宅1階に20平方㍍余りのフォトギャラリーを開設。裏口の玄関には「心象舎」の看板も掲げた。「雪の松磯」「荒れる御箱崎」など12点のほか、定点で撮影を続ける中心市街地の街並みなどを展示。大型連休中には一般公開のオープンギャラリーも開いた。

 

 展示し切れない写真は、モニターのスライドショーで公開。この中には、震災当日の東部地区の模様を刻々と記録した写真もある。藤枝さんが自宅から避難しながら撮影したもので、甲子川から水があふれる様子などが緊迫感いっぱいに刻まれている。

 

 「被災者にとってはつらいものもあるとは思いますが、震災から4年余りを経過した今、冷静になって確かめたいと思う人も少なくないのでは」と藤枝さん。希望があれば、ギャラリーを公開している。問い合わせは心象舎(電話0193・22・4188)へ。

関連情報 by 縁とんらす
心象舎 釜石フォトギャラリー
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