10万人目の入館者となった木村史希君、青木郁実さん、菊池旭斗君(右から)
2013年11月にオープンした釜石市の橋野鉄鉱山インフォメーションセンターの入館者が9月29日、10万人に達し、記念のセレモニーが行われた。明治日本の産業革命遺産(8県11市23資産)の一つとして15年7月に世界遺産登録された同鉄鉱山の情報発信施設は、開館から丸6年を前に、節目の喜びに包まれた。
10万人目の入館者となったのは、北上市の黒沢尻北高山岳部の2年生部員、青木郁実さん、木村史希君、菊池旭斗君の3人。くす玉を割り、野田武則市長、市世界遺産課の職員らの祝福を受けた。野田市長から橋野鹿踊りの置物、釜石のラグビーグッズなどの記念品、橋野町振興協議会の和田松男会長から花束が贈られた。「日本の近代化の礎となった釜石、橋野鉄鉱山の意義を理解してもらえれば」と野田市長。
3人は27日から鯨山で行われた登山競技の県高校新人大会に参加。顧問の菅野幸輝教諭の運転する車で山田町から帰る途中、同所に立ち寄った。思わぬ幸運に「びっくり。いい思い出になる」と大喜び。センターで同課の佐々木育男課長から釜石の鉄づくりの歴史や遺産の概要について説明を受けた後、高炉場跡を見学した。共に理系という3人は、約160年前の製鉄現場に興味津々。佐々木課長の話に熱心に耳を傾けた。
佐々木課長の案内で高炉場跡を見学。橋野鉄鉱山で行われた鉄づくりを学ぶ
木村君は高炉の大きさに圧倒され、「釜石が日本の工業を世界に押し上げる足掛かりとなったことに、県人として誇りを感じる。昔のものがこれだけ残っていてすごい」と大興奮。菊池君は「50~60日かけて鉄を作っていた当時の苦労は大変なもの。その頑張りがあったからこそ、今の自分たちの幸せな暮らしがある」と歴史に思いをはせた。青木さんは「全て人の手でやっているのに驚く。将来に継いでいくべき大切な遺産。運搬路、採掘場跡(通常は非公開)もいつか見てみたい」と期待を膨らませた。
化学を教える菅野教諭は5月の連休に同所を訪問。授業でよく話をしていた。「現地で実際に見聞きすると理解が深まる。彼らは山岳部員。自然を生かして鉄を作っていた歴史的価値に触れ、感動しているのでは」
同センターは、世界遺産登録を目指す取り組みが本格化する中、13年11月10日にオープン。現地見学の前後に知識を得られ、休憩場所にもなっている施設は、映像や模型、パネル展示などで同鉄鉱山を分かりやすく解説する。積雪で冬期は休館するが、開館期間(通常4月1日~12月8日)中は無休。入館者数は世界遺産登録された15年度に最多の4万3316人を記録。翌16年度は8月の台風10号被害で約2カ月半の休館を余儀なくされた。内陸からのアクセス路、県道釜石遠野線笛吹峠の復旧にも時間を要し、17年度は1万人を切ったが、昨年度から回復傾向に。本年度は4月からこれまでに約9300人が訪れ、待望の10万人を突破した。
同鉄鉱山の台風被害復旧は、高炉場跡は完了し、今後は運搬路と採掘場跡に着手する計画。本年度、国は明治日本の産業革命遺産の情報拠点施設を東京に整備する予定で、市も同遺産全体の理解促進を図るための展示を同センターで行っていく方針。
(復興釜石新聞 2019年10月5日発行 第830号より)
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