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台風19号で崩落 釜石・市道箱崎半島線 排水機能強化し2年半ぶり復旧開通

台風19号で崩落 釜石・市道箱崎半島線 排水機能強化し2年半ぶり復旧開通

崩落箇所の復旧工事がほぼ終わり、3月31日午後5時に開通した市道箱崎半島線

崩落箇所の復旧工事がほぼ終わり、3月31日午後5時に開通した市道箱崎半島線

 

 2019年10月の台風19号豪雨で盛り土が崩壊、3人が死傷した釜石市鵜住居町の市道箱崎半島線の復旧工事がほぼ終了し、3月31日から通行可能となった。復旧にあたっては、災害発生要因となった地中浸透水の排水機能を強化する対策を講じたほか、異常をいち早く察知するために水圧や水位、流量などの計測機器を設置した。津波など災害発生時の半島集落孤立を防ぐ道路機能の復活に、住民からは安堵(あんど)の声が聞かれた。

 

 同路線は東日本大震災の被害を教訓に、箱崎半島部と鵜住居町を走る国道45号を高台通行で結ぶ道路として、山を切り開いて整備。2018年10月に全線開通した(総延長2・8キロ)。翌19年10月13日に発生した台風19号による豪雨被害で、路線の一部が長さ約20メートル、幅約12メートルにわたって崩落。通行中の車2台が転落し1人が死亡、2人がけがを負った。

 

台風19号の記録的豪雨で崩落した現場=2019年10月

台風19号の記録的豪雨で崩落した現場=2019年10月

 

 市は崩落原因の調査、検証を地盤工学の専門家に依頼。検証の結果、崩落は「路面下の盛り土に排水能力を超える多量の浸透水が流入し、限界状態に達した盛り土が崩壊したことによる」との結論が示された。流出した土砂は約2600立方メートルに及ぶ。

 

 検証結果を受け復旧工事では、山から盛り土内へ流入する水量を低減させるため、排水施設に集水井、集排水ボーリング工法を採用。盛り土内には最深部の基盤排水層のほか、2段の中間排水層を整備し、管や砕石で排水効果を高めた。盛り土自体の安定を図るため、地中に網状の補強材を5段にわたって設置した。この他、道路変状の確認や異常時の対応ができるよう水圧、水位計などを埋設。今後、地表に設置する雨量計、水路の流量監視カメラと合わせ、リアルタイムの監視による危険回避策も講じた。

 

山から流れ出る雨水や地中の水を集め、安全に流せるようにした排水施設

山から流れ出る雨水や地中の水を集め、安全に流せるようにした排水施設

 

排水機能を高めた盛り土から水を流すための水路などが敷設された道路脇斜面

排水機能を高めた盛り土から水を流すための水路などが敷設された道路脇斜面

 

4月中の復旧工事完了を目指す。右が鵜住居方面、左が箱崎半島方面

4月中の復旧工事完了を目指す。右が鵜住居方面、左が箱崎半島方面

 

 復旧工事は昨年7月に着工。工事区間55メートルを含め約2キロを通行止めとし、進められた。路盤の安定性を考慮し、路面の本舗装は4月下旬に行う予定。総工費は約2億8千万円。

 

 沿線の鵜住居町根浜地区に暮らす50代自営業男性は「高台の道路はまちの基本線。通ることができないなら意味がない。災害はいつ来るか分からず、避難するのに必要な道路は通すのが先決だと思っていた。通行再開で、ひとまず安心」と歓迎。

 

 箱崎町内会の高橋道夫事務局長(71)は「市中心市街地に出るには、この道路が便利。箱崎と鵜住居を結ぶにこにこバスも通行を再開した。箱崎町は東日本大震災で孤立したので、低地を通らず移動できる道路はありがたい。アップダウンがあるので、冬場の路面凍結への対策も必要」と話した。

シンポジウム冒頭で、活動紹介する釜石高「夢団~未来へつなげるONE TEAM~」

震災伝承を未来につなぐ 語り部活動する若者ら 現状と課題を発信

シンポジウム冒頭で、活動紹介する釜石高「夢団~未来へつなげるONE TEAM~」

シンポジウム冒頭で、活動紹介する釜石高「夢団~未来へつなげるONE TEAM~」

 

 東日本大震災の伝承、防災・減災活動に地域や世代を超えて取り組む「3.11メモリアルネットワーク」(宮城県石巻市、代表・武田真一宮城教育大特任教授)は19日、釜石市の市民ホールTETTOで、震災伝承の今後を考えるシンポジウムを開いた。伝承の未来を担う若い語り部らが集まり意見交換。震災の記憶と教訓を伝え続けるための課題を探った。

 

 岩手、宮城、福島の3県などで震災伝承に関わる活動を行う高校生、大学生、若手社会人ら9人がパネリスト。震災当時は保育園児~中学生、被災経験も異なる若者たちが、活動を始めたきっかけ、これまでの活動で見えてきたこと、続けるための課題などを話し合った。

 

3.11メモリアルネットワーク 第4回東日本大震災伝承シンポジウム

3.11メモリアルネットワーク 第4回東日本大震災伝承シンポジウム

 

 震災で祖父母を亡くした宮城県東松島市の志野ほのかさん(23)は、高校2年時から語り部活動を始めた。社会人1年目。仕事との両立に難しさを感じながらも、職場の理解を得て自分のペースで活動を続ける。「語り部や防災活動が命を守るために大切な活動であると社会的に認められ理解が進めば、長く続けられるのでは」と提言した。

 

 釜石高生徒有志で結成する震災伝承、防災活動団体「夢団~未来へつなげるONE TEAM~」の川原凜乃さん、矢内舞さん(ともに2年)は、卒業後の活動継続に意欲を見せつつも、進学で地元を離れた際の関わり方に不安をのぞかせる。川原さんは「防災活動をしたい人たちが集まれる機会、仲間を紹介してくれる仕組みがあれば」と何らかのサポートを望んだ。

 

活動継続への考えなどを話す釜石高の矢内舞さん(左)、川原凜乃さん

活動継続への考えなどを話す釜石高の矢内舞さん(左)、川原凜乃さん

 

 福島県富岡町の大学生佐藤勇樹さん(22)は小学5年時に被災、原発避難を経験した。昨夏から語り部活動を始めたが、一歩踏み出すハードルの高さも感じている。迷っている人が「語り部を知り、体験できるような機会があれば参入しやすい。他地域で長く活動している人のノウハウ的なことを知る場もあれば」と話した。

 

3.11メモリアルネットワーク 第4回東日本大震災伝承シンポジウムの写真

 

 自身の体験を交えて話すことが多い語り部活動。被災の度合いや身内の犠牲者の有無などを理由に「自分が語っていいのか」とためらう人がいるのも事実。今回のパネリストも同様の葛藤の経験を明かしたが、それぞれに信念を持って活動を続ける。「被災状況で線引きすべきではない。話したいと思う人が話せる場が必要」。「被害の大きさではなく、『伝えたい』という気持ちが大事」。今後、震災を経験していない世代が増えていく中で、意欲ある伝承人材は不可欠との認識を示した。

 

 震災から11年が経過した今、語り部の需要はどうなっているのか。釜石市鵜住居町の伝承施設「いのちをつなぐ未来館」で働く川崎杏樹さん(25)は「減っている実感はない」とし、求められる内容の変化を挙げた。震災直後は、被害の詳細や当時の避難行動が注目されたが、今は「震災前の活動が発災時、どう生きたのか。次の災害にどう備えていけばいいのか」といった事前対策への関心が高いという。

 

 パネリストからは、11年たったからこその(語り部の)必要性を指摘する声も。「やっと現地に来られた」「話せるようになった」など、聞く側、話す側双方の気持ちの変化も見て取れるといい、対応可能な体制づくりも今後の課題に挙げた。

 

若い世代の語り部活動への参画を呼び掛ける川崎杏樹さん(右)

若い世代の語り部活動への参画を呼び掛ける川崎杏樹さん(右)

 

 未来館の川崎さんは同年代の若者に向け、「伝えたい、発信したいと思ったことを素直に伝えれば、その気持ちは必ず聞き手に伝わる。ぜひ、挑戦してほしい」と伝承活動の広がりに期待。宮城県石巻市出身で、愛知県で学生生活を送る岩倉侑さん(名古屋大1年)は「外の世界、特にも今まで災害がない、少なかった地域にこそ、積極的に発信していくことが大事。『誰かを助けたい』という思いを持ち続けていれば、困難も乗り越えられる。誰でも気軽に関われるような活動になれば」と願う。

 

東北大・佐藤翔輔准教授が基調講演 震災伝承を長く続けるために

 

東北大災害科学国際研究所の佐藤翔輔准教授による基調講演

東北大災害科学国際研究所の佐藤翔輔准教授による基調講演

 

 パネルディスカッションに先立ち行われた基調講演では、東北大災害科学国際研究所の佐藤翔輔准教授が、持続的な伝承活動のヒントとなる事例を紹介した。

 

 新潟県関川村では、1967年8月28日に起こった羽越水害を、地域の大蛇伝説と絡めた祭りで伝え続ける。伝承の媒体で祭りのシンボルの大蛇は、水害発生日にちなみ、長さ82・8メートル。竹とわらでできた胴体は村内54集落が分担して制作し、数年に一度の頻度で更新している。担ぎ手には地域の中学生や外部団体が協力する。

 

 佐藤准教授は「更新による技術継承=対話の機会」が無理のない伝承につながり、幅広い年代の住民、他地域からの参加で継続性や広がりを生んでいる点に注目。災害から50年以上たっても、村民の70%が災害のあった日付を記憶していることを明かした。

 

3.11メモリアルネットワーク 第4回東日本大震災伝承シンポジウムの写真

 

 広島県の原爆伝承の人材養成研修(広島市主催)も紹介した。同研修は「被爆体験伝承者(3年)」と「同証言者(2年)」の2コースを設ける。被爆者の高齢化が進み、直接語り継げる人が減っていく中、被爆体験や平和への思いを次世代に確実に伝える狙いがある。

 

 伝承者は証言を受け継ぎたい人を3人まで指名できるが、その理由や熱意を読んだ証言者が「この人なら任せられる」と判断(マッチング)しなければ、次の段階に進めない。約1年かけて証言者と伝承者(1人の証言者につき2~10数人)がグループミーティングを重ね、伝承者は1人立ちを迎える。

 

 佐藤准教授は「優れた伝承から学ぶことも大切。伝承者になった後のフォローアップ、交流の場があれば、自己研さん、切磋琢磨(せっさたくま)する機会も得られる」とアドバイスした。

 

ライブ配信の映像はこちらからご覧になれます。

協定書を手にする損害保険ジャパン・上野好章岩手支店長(左)、トヨタL&F岩手・高橋一仁社長(右)、野田武則釜石市長

損保ジャパン、トヨタL&F 災害時の車両支援で釜石市と協定締結

協定書を手にする損害保険ジャパン・上野好章岩手支店長(左)、トヨタL&F岩手・高橋一仁社長(右)、野田武則釜石市長

協定書を手にする損害保険ジャパン・上野好章岩手支店長(左)、トヨタL&F岩手・高橋一仁社長(右)、野田武則釜石市長

 

 損害保険ジャパン岩手支店(上野好章支店長、盛岡市)、トヨタL&F岩手(高橋一仁社長、矢巾町)は18日、災害時に両社が保有する電動車両やフォークリフトなどを無償貸与する協定を釜石市と結んだ。防災や福祉などで地域貢献を目指す両社は昨年11月、包括連携協定を締結。その取り組みの一環で、災害時における自治体への車両支援を決めた。釜石市との協定が県内初となる。

 

 協定締結式は市役所で行われ、上野支店長、高橋社長、野田武則市長が協定書に署名。災害時に両社が同市に対して行う応急対策支援の内容を確認した。

 

 協定は、釜石市内で災害が発生、または発生する恐れがある場合に、市の要請に基づき、両社が保有する車両などを貸与するもの。損保ジャパンは「電気自動車、ハイブリッド車、燃料電池自動車、車両からの外部給電に必要な機器」、トヨタL&Fは「フォークリフトなど、災害対応に関する機器」を無償貸与。指定避難所への給電、応急復旧現場での活用を想定する。貸与期間中にかかる費用(電気、燃料、消耗品)は市が負担。円滑な連携を図るため、両社は市が行う防災訓練にも協力する。

 

協定締結式で、災害時の3者連携について確認

協定締結式で、災害時の3者連携について確認

 

 上野支店長は「有事の際は真に実効性のある対策が必要。蓄積したノウハウ、事業の強みを生かし、釜石市の役に立てれば」、高橋社長は「先日も大きな地震があった。今回の協定で市民に少しでも安心を届けられたら」と願う。野田市長は「2社の力をいただけるのは大変心強い。震災の教訓を生かし、『誰一人として犠牲にならないまちづくり』にまい進していく」と感謝した。

 

 SDGs(持続可能な開発目標)達成への取り組みを進める両社は、昨年11月、「笑顔あふれる岩手づくり」を目指した包括連携協定を締結。防災・減災、健康福祉、環境など市民生活に関わる地域課題解決に向けタッグを組む。釜石市との協定を機に、複合連携をさらに進めていく考えだ。

新しい消防ポンプ車の配備を喜ぶ第3分団3部団員

地域防災機能アップ 新消防ポンプ車配備、釜石・平田地区の第3分団3部

新しい消防ポンプ車の配備を喜ぶ第3分団3部団員

新しい消防ポンプ車の配備を喜ぶ第3分団3部団員

 

 釜石市消防団(川﨑喜久治団長、団員563人)の第3分団第3部(平田地区、川向真吾部長、11人)に、新しい消防ポンプ車1台が配備された。新車両の操作説明会が9日に鈴子町の釜石大槌地区行政事務組合消防本部庁舎で行われ、川向部長(52)ら4人が参加。納入業者から車両の付帯装置について説明を聞き、積載ポンプの放水能力を確認した。

 

 新車両は四輪駆動のオートマチック車で、毎分2000リットルの放水能力を持つポンプを搭載している。乗車定員5人。自動ブレーキシステム、電子サイレン、カーナビとバックモニター連動装置、ドライブレコーダーなど防火・広報活動に必要な最新機器を装備した。購入金額は2629万円。

 

 庁舎前で車両の運転特性や装備の操作など説明を受けた後、甲子川の対岸、千鳥町の河川敷に移動し、実際に放水能力を確認した。川向部長は「新しい車両に気持ちも引き締まる。操作に早く慣れるため、しっかりと訓練する必要がある。初心に帰り、みんなと協力しながら活動を頑張りたい」と力を込めた。

 

新車両の装備について説明を受ける団員ら

新車両の装備について説明を受ける団員ら

 

甲子川河川敷で新車両の放水能力を確認した

甲子川河川敷で新車両の放水能力を確認した

 

 旧車両は1998年に配備され、20年以上が経過した。この後廃車となる予定で、団員歴約30年の川向部長は「愛着があるから…寂しい」とぽつり。東日本大震災(2011年)時には車両で寝泊まりしながら地区の見守りをし、尾崎半島の大規模山林火災(17年)ではともに懸命に取り組んだ消火活動を振り返り、感慨深げな様子だった。

 

 2021年度の車両更新は今月中に資機材搬送車1台も見込む。

11年目の開催「とうほくのこよみのよぶね」

3・11津波犠牲者にささげる祈り 鵜住居地区に鎮魂、平和を願う人々集う

 東日本大震災から11年となった沿岸被災地―。多くの尊い命が失われたあの日を思い、今年の「3・11」も各地で犠牲者への祈りが続いた。釜石市内で最も多くの犠牲者が出た鵜住居地区。市内外の支援者らが設けた追悼の場に多くの人が足を運び、天に眠る御霊にそれぞれの思いを込めて手を合わせた。

竹灯籠に込める鎮魂の祈り 釜石仏教会 祈りのパークで慰霊行事

 

「釜石仏教会」竹灯籠による震災犠牲者慰霊行事

「釜石仏教会」竹灯籠による震災犠牲者慰霊行事

 

 鵜住居町の釜石祈りのパークには11日夕刻、約1260個の竹灯籠がともされた。市内の震災犠牲者の芳名板を設置する広場に「忘れない」の文字が浮かび上がり、遺族らが大切な人を思い、焼香して手を合わせた。

 

 釜石・大槌地区17寺院が宗派を超え組織する釜石仏教会(会長=大萱生修明・大念寺住職)による慰霊行事。竹灯籠は、協力を申し出た同市大只越町「仙寿院」の檀(だん)家川崎喜八さん(83、鵜住居町)から一昨年寄進された。以来、市内外から灯籠の持ち込みや送付があるという。灯籠には、訪れた人が故人を送る言葉などを記している。

 

 夕闇に灯籠の明かりが浮かび上がると、同会の僧侶らが読経。訪れた人たちが焼香し、犠牲者の冥福を祈った。同市の震災犠牲者は1064人(行方不明、関連死含む)。うち、同パークには1001人の芳名が掲げられる。

 

僧侶らが読経し、来訪者が焼香。犠牲者の御霊に手を合わせた

僧侶らが読経し、来訪者が焼香。犠牲者の御霊に手を合わせた

 

辺りが暗くなると、竹灯籠を並べて作った「忘れない」の文字が浮かび上がった

辺りが暗くなると、竹灯籠を並べて作った「忘れない」の文字が浮かび上がった

 

 鵜住居町で、妻ヨシエさん(当時46)、長男昭一さん(当時28)を亡くした小笠原克己さん(62)。温かな灯籠の明かりに包まれた同パークを長女咲さん(18)、次男大誠君(16)と訪れ、2人の芳名板の前で11年目の祈りをささげた。震災時、小学1年生だった咲さんは今春高校を卒業し、4月から進学で仙台市へ行く。「今日はその報告に…」と成長した愛娘を見つめた。

 

 同町に暮らしていた小笠原さん一家。地震発生時、大誠君を連れ車で仕事中だった克己さんは一度家に戻り、夜勤明けで寝ていた昭一さんに避難を呼びかけた後、咲さんが心配で鵜住居小へ。児童らは全校避難を開始しており、そのまま一緒に高台へ逃れた。「2人で何とか逃げていてくれ―」。まちが津波にのまれるのを見ながら、祈るしかなかった。ヨシエさんと昭一さんは避難が間に合わなかったものと見られる。

 

 あれから11年―。「何も考えず、残してくれた宝物(咲さん、大誠君)を一生懸命育てることしかなかった」。当時4歳だった大誠君は高校1年生に。今は甲子町に親子3人で暮らす。

 

 「震災の記憶は断片的」と話す咲さん。「急に3人になってすごく寂しかった。最初はずっとお通夜みたいな感じで…」。3人を再び笑顔にしたのは、震災前の家族の姿。「ママとお兄ちゃんいるころは常に笑っていたからな。暗いのは嫌いだったから」と克己さん。

 

 月命日、家族の誕生日には2人の墓参りを欠かさない。「とにかく3人で、いつもケラケラ笑いながら生きている」。天国で見守る2人に「心配しないで。大丈夫」と思いを伝えた。

 

鎮魂の花火「白菊」根浜の夜空で開花 犠牲者、遺族の安らぎに

 

震災犠牲者にささげる鎮魂の花火「白菊」=根浜

震災犠牲者にささげる鎮魂の花火「白菊」=根浜

 

 震災犠牲者を追悼する花火「白菊」が11日夜、鵜住居町根浜海岸で打ち上げられた。地元有志らでつくる、3・11祈りと絆「白菊」実行委員会(柏﨑未来委員長)が行う3年目の取り組み。花火玉には、地元の小中学生が寄せたメッセージが貼り付けられ、子どもたちの願いを天空に託した。

 

 メッセージを寄せたのは鵜住居小と釜石東中の児童生徒。震災犠牲者への思いのほか、ウクライナの戦禍、長引く新型コロナウイルス禍を受けて「戦争反対」「世界平和」、「コロナ消えろ」などの願いが54枚したためられた。打ち上げ前の日中、実行委メンバーや地元住民らが「白菊」の一尺玉に貼り付けた。

 

「白菊」の花火玉に小中学生のメッセージを貼る

「白菊」の花火玉に小中学生のメッセージを貼る

 

さまざまな願いが込められたメッセージ

さまざまな願いが込められたメッセージ

 

 協力する新潟県長岡市の花火業者「嘉瀬煙火工業」(嘉瀬晃社長)によると、「白菊」は、第2次大戦でソ連(当時)軍の捕虜となり、抑留生活で多くの戦友を亡くした嘉瀬社長の父が「仲間に手向けたい」と、1990年にロシア・ハバロフスクで打ち上げたのが始まり。鎮魂の花火は、震災で被災した本県陸前高田市で2013年から5年間打ち上げられた。釜石市では20年から毎年3月11日に根浜海岸で上げられている。

 

 「生きたくても生きられなかった―。戦争、震災犠牲者の思いは相通じるものがある。亡くなられた方、ご遺族の方双方が少しでも安らげるお手伝いができたなら」と嘉瀬社長(63)。父が残した「白菊」に魂を込める。

 

 地震発生時刻の午後2時46分。根浜の旅館「宝来館」と高台に整備された復興団地で、集まった人たちが海に向かって黙とう。震災犠牲者の冥福を祈るとともに、海底火山噴火で津波被害を受けたトンガの復興、ロシア軍の侵攻で戦禍にさらされるウクライナの終戦を願い、両国の国旗の色の風船を大空に放った。

 

全員で黙とう後、「思いは一つ」と4色の風船を空に放った

全員で黙とう後、「思いは一つ」と4色の風船を空に放った

 

 鎮魂の花火は午後7時、同海岸沖の台船から打ち上げ。「白菊」3発に続き、繁栄の象徴・金色を織り交ぜたスターマインが夜空を照らした。海岸から花火を眺める人たちは大切な人を思いながら、明日からの新たな一歩に力をもらった。

 

「震災前よりも良いまちに」と願うスターマイン

「震災前よりも良いまちに」と願うスターマイン

 

過去と未来つなぐ「とうほくのこよみのよぶね」 釜石市長が日比野克彦さんに感謝状

 

11年目の開催「とうほくのこよみのよぶね」

11年目の開催「とうほくのこよみのよぶね」

 

 根浜の海に「3・11」の舟形あんどんを浮かべ、鎮魂と未来への希望を明かりに託す「とうほくのこよみのよぶね」。例年は現地釜石市で、市民らが参加しあんどんを制作するが、今年は新型コロナウイルス禍で参集活動が困難なため、発案した岐阜県岐阜市の実行委が制作した小型あんどんを運び、宝来館の屋外ウッドデッキに設置した。

 

 同活動は国内外で活躍するアーティスト日比野克彦さん(岐阜県美術館館長)が、出身地岐阜市の仲間と企画。同市長良川で2006年から行う冬至行事を東北被災地の復興の力にと、震災の翌年12年から始めた。

 

 11日夕方の点灯に合わせ、野田武則釜石市長が宝来館を訪問。震災後、同活動のほか仮設の住宅や店舗の壁をカラフルなマグネットシートで彩る活動などを行い、市民の心の復興に貢献してきた日比野さんに感謝状を贈った。

 

野田市長が日比野克彦さんに感謝状を贈呈

野田市長が日比野克彦さんに感謝状を贈呈

 

 野田市長は、日比野さんや実行委メンバーらに「被災者、市民を代表し、心から感謝申し上げたい」と話し、差し入れを手渡した。日比野さんは「過去の記憶をとどめ、未来を見つめていくという『こよみのよぶね』のコンセプトを東北にも持っていければと始めた。地元の方々には大変お世話になっている」と深謝し、継続に意を強くした。

 

日比野さんら岐阜の実行委メンバー。野田市長と

日比野さんら岐阜の実行委メンバー。野田市長と

 

 震災直後の大型連休に、仕事先の秋田県から三陸沿岸に入った日比野さん。以来、被災地に寄り添い続け、釜石市民と心の絆を結ぶ。11年という時の流れは、被災地に暮らす人たちの気持ちの変化ももたらしていると感じる。「前はしのぶ気持ちのほうが強かったと思うが、10年を越すと未来を意識した言葉が出てくる」。3・11は「海と出会い、思いを共有できる日。次の世代につないでいく日であってほしい」と望んだ。

市追悼式では合唱協会メンバーが鎮魂と復興の願いを込め献唱=午後3時27分

震災11年、亡き人へ祈り 釜石市内各地で追悼-癒えぬ悲しみ、それでも前へ

市追悼式では合唱協会メンバーが鎮魂と復興の願いを込め献唱=午後3時27分

市追悼式では合唱協会メンバーが鎮魂と復興の願いを込め献唱=午後3時27分

 

 2011年3月11日、東日本大震災が発生。釜石市を襲った巨大津波は、関連死を含めて912人の命を奪い、152人の行方が分かっていない。暮らし、営み、日常が一瞬で奪われたあの日から11年となった11日、市内各地で追悼行事が行われた。「(あの人が)いないなんて、実感がない」「今年も帰ってこなかった」「平穏に暮らせるよう見守っていて」。それぞれの祈りをささげた人々は、悲しみや苦しみを残しながらも前向きに歩み続けていく。

 

釜石市追悼式 遺族「前向きに生きていく」

 

 市主催の追悼式は大町の市民ホールTETTOで開かれた。遺族ら約170人が参列し、震災が発生した午後2時46分に黙とう。野田武則市長は最終段階を迎えた復興状況、社会変化によって新たに見えた課題への対応が必要となった現状を踏まえ、「市民の協力、地域のつながりがより重要になる。真に復興を実感するまで寄り添い、夢と希望を持って生き生きと暮らせる持続可能なまちづくりに取り組んでいく」と誓った。

 

追悼の言葉を述べた沖健太郎さん=午後3時18分

追悼の言葉を述べた沖健太郎さん=午後3時18分

 

 津波で鵜住居町の自宅、次男英憲さん(当時22)を失った元市職員の沖健太郎さん(69)=中妻町=が遺族を代表して追悼の言葉。「町全体が一瞬にして何もかもなくなってしまいました。すべてが今もなお夢のようです」と心情を明かし、「1人で家にいて相談する相手もなく、どんなに心細かったか。津波が襲ってきた時はあまりにも突然で、おそらくビックリする暇もなかっただろう」と天に向かって語り掛けた。

 

 犠牲者に対する哀悼の念とともに込めたのは、震災当時の英憲さんの様子を知らせてくれた地域の人や見つけ出してくれた人たちへの感謝の気持ち。式を終えた沖さんは「一人の青年が生きていたこと、たくさんの命が奪われたことを忘れないでほしい。悔しさはいつまでも残る。それでも前向きに生きていく」と上を向いた。

 

亡き人に思いをはせ、手を合わせる遺族ら=午後3時50分

亡き人に思いをはせ、手を合わせる遺族ら=午後3時50分

 

 市合唱協会のメンバー15人が2曲を献唱。生田流正派箏成会が奏でる琴の音が響く中、参列者が次々と献花台に白菊を手向けた。

 

刻まれた名に手を伸ばし 祈りのパーク「あの人を思う」

 

芳名板にそっと手を伸ばす澤田實さん、陽子さん夫妻=午前10時28分

芳名板にそっと手を伸ばす澤田實さん、陽子さん夫妻=午前10時28分

 

 市内全域の震災犠牲者1064人のうち、1001人の芳名が掲げられる鵜住居町の追悼施設「釜石祈りのパーク」には朝から、さまざまな思いを込めた祈りが続いた。

 

 訪れた遺族や縁故者らは献花台に花を手向け、静かに手を合わせた。定内町の澤田陽子さん(70)は、津波で実妹木下典子さん(当時56)=鵜住居町根浜=ら親族4人を亡くした。「(妹は)いない。でも実感が湧かない」というが、「11年は長いようで、あっという間」と思いを巡らすと涙が頬をつたった。1年半前に夫實さん(72)と古里にUターン。「平穏に暮らせれば。見守ってほしい」と願った。

 

遺族らは犠牲になった人の名前に触れ、手を合わせた=午前10時35分

遺族らは犠牲になった人の名前に触れ、手を合わせた=午前10時35分

 

 刻まれた名にそっと手を伸ばし、「何でそんなところにいるんだよ」とつぶやいたのは栗林町の栗澤茂子さん(79)。長男健(たけし)さん(当時44)が勤務先の大渡町で津波の犠牲になった。双子で次男康(やすし)さん(55)=北上市=と訪れ、「健康で病気もなかったのに…。天国で安らかに暮らしているか。家族思いだから、向こうで案じているだろう。あと何年、来れるかな。康がずっと会いに来るから」と言葉を掛けた。

 

身元不明者を供養 物故者納骨堂「忘れない」

 

納骨堂の前で手を合わせる参列者=午前9時38分

納骨堂の前で手を合わせる参列者=午前9時38分

 

 身元不明遺骨を安置する平田の大平墓地公園内の大震災物故者納骨堂では、釜石仏教会(大萱生修明会長、14カ寺)による法要が営まれた。現在、全身遺骨5柱、部分骨4柱を安置。僧侶4人が読経し、参列者が焼香、手を合わせた。

 

 導師を務めた大只越町の仙寿院、芝崎惠應住職は「被災者らの本当の心、苦しい思いを理解し、未来の教訓となるよう伝え続けなければならない」と呼び掛けた。

 

 大平町の菅原美代子さん(68)、大船渡市立根町の藤原ツキ子さん(61)姉妹は行方不明の母浦島ミエ子さん(当時80)=箱崎町白浜=を思い、納骨堂が完成した18年以降、毎年訪れている。「わすれない」と記された銘板を見上げた2人は「面白い母ちゃんだった。11年になるけど、今年も帰ってこなかった」と寂しさをにじませた。

 

殉職消防団員を慰霊 鈴子広場「活動継承を誓う」

 

献花し仲間をしのぶ消防団員=午前11時43分

献花し仲間をしのぶ消防団員=午前11時43分

 

 震災で職務遂行中に命を落とした消防団員8人を慰霊する献花式は、鈴子町の鈴子広場にある「殉職消防団員顕彰碑」で営まれた。遺族、消防団員ら約30人が出席。市民の命と財産を守るために尽力した魂に「二度と犠牲者を出さない安全安心なまちづくり」を誓った。

 

 野田市長は「傷跡を残すような消防団活動を繰り返してはならない。風化させることなく伝えることが責務だ」と式辞。川﨑喜久治団長は「近年、災害は複雑化、多様化、大規模化し、避難行動の見直しが急務。団員の安全を確保しながら市民の生活を守る活動に力を尽くす。その思いは変わらない」と8人の霊前に誓った。

 

涙をこらえきれず手で顔を覆う遺族ら=午前11時41分

涙をこらえきれず手で顔を覆う遺族ら=午前11時41分

 

 殉職した当時の副団長福永勝雄さん(享年66)、第6分団本部長の佐々木金一郎さん(享年64)の遺族が参列。碑に刻まれた亡き夫の名を目にすると、押し隠していた思いがあふれ出し、手で顔を覆った。心の痛みは、今なお癒えず―。

11日を前に根浜地区で行われた震災慰霊祭で、黙とうする住民ら=6日

東日本大震災11年、釜石・根浜地区で慰霊祭 「みんなが幸せに」住民ら冥福祈る

11日を前に根浜地区で行われた震災慰霊祭で、黙とうする住民ら=6日

11日を前に根浜地区で行われた震災慰霊祭で、黙とうする住民ら=6日

 

 東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた釜石市鵜住居町根浜地区で6日、発生から11年となる11日を前に慰霊祭が行われた。高台造成地に整備された復興団地の住民ら約30人が地震発生時刻に合わせ、黙とう。犠牲者を悼みながら、「みんなが幸せに安心して暮らし続けることができる地域にする」と思いを分かち合った。

 

 根浜親交会(前川昭七会長)が震災後から継続する追悼行事。住民らは同地区で犠牲になった15人と共に、津波で尊い命を奪われた全ての犠牲者を思い、午後2時46分に黙とう。集会所に設けられた祭壇に白菊を手向け鎮魂や安寧の祈りをささげた。

 

 前川会長、妻良子さん(いずれも69)は、津波で次女美知さん(当時32)を亡くした。漁業の傍ら民宿を営む2人は「多くの人から心を寄せてもらい、ありがたい10年。無我夢中で、あっという間だった」と振り返る。震災から11年、強く思うのは「明日の幸せを見つけ出せる、平和な暮らしの大切さ」。相次ぐ災害、人災と言える戦争が繰り返される現実に心を痛め、合わせる手に「命の尊さを考えてほしい」と願いを込めた。

 

大切な人を思い、手を合わせる前川会長

大切な人を思い、手を合わせる前川会長

 

 根浜地区は震災前、67世帯約180人が暮らした。最大18メートルの津波が襲ったが高い防潮堤は拒み、震災前と同じ5・6メートルの高さを維持。海抜20メートル超の高台造成地に集団で移転し、現在は35世帯約100人が暮らす。

 

 慰霊祭の後、津波記念碑が建つ団地内の公園では「お地蔵さん」に手を合わせる住民の姿も見られた。「こっちも頑張っているから、見守っていて」。同会事務局長の佐々木雄治さん(66)は、宮古市で暮らす長女岩渕理紗子さん(28)と足を運び、津波で犠牲になった妻純子さん(当時53)、実父、実姉、義母の冥福を祈った。

 

海を望む高台の公園に並ぶ「お地蔵さん」に思いを託す佐々木さん親子

海を望む高台の公園に並ぶ「お地蔵さん」に思いを託す佐々木さん親子

 

 佐々木さんは津波の夢で目が覚める日々が続いたというが、ここ数年はほとんどなく、「月日の流れが解決してくれた」と穏やかな表情を見せる。そして、かみしめるように「あの日のことは忘れられない」と口にするが、記憶が薄れていくという感覚もある。ただ、海を望むこの公園に来ると、「自然災害は形、時、規模、何もかも予測できない。高台であっても絶対はない」と、あらためて思う。「海と共存する地域だからこそ、いざという時、自らが避難する意識を強く持たなければ」。津波の教訓を地区全体で共有し、安心して暮らせるまちづくりを続けていく―と前を向いた。

災害時に使用可能な蓄電池などを贈ったSMC釜石工場の関係者(右)ら

災害時の備えに 釜石に工場立地のSMC、可搬式蓄電池などを釜石市に寄贈

災害時に使用可能な蓄電池などを贈ったSMC釜石工場の関係者(右)ら

災害時に使用可能な蓄電池などを贈ったSMC釜石工場の関係者(右)ら

 

 空気圧機器メーカーSMC(東京都千代田区、高田芳樹社長)は2日、災害の備えとして、釜石市にポータブル太陽光パネルと蓄電池などをセットで贈った。市は市役所本庁舎や、市役所が使えなくなった場合に代替施設として使用する予定の小佐野コミュニティ会館などに配備する。

 

 同社は1991年に市の誘致企業として工場の操業を開始。現在、第5工場を建設中で、三陸沿岸地域の産業と雇用を支える企業となっている。2009年には市と「災害時における応急対策用資機材の調達、応急対策要員確保の要請に関する協定」を締結。▽災害発生時に同社が備蓄している食品や防災資機材の提供▽全国から寄せられる救援物資の受け入れ、仕分けを担う要員の確保-などで災害対策を後押しする。今回の寄贈は社会貢献活動の一環。

 

 同社釜石事業所釜石工場の浦島勝樹工場長ら4人が市役所を訪問。野田武則市長に蓄電池などを手渡した浦島工場長は「東日本大震災の時、真っ暗闇の中で一昼夜過ごした経験があった。今後そういうことがないよう、明かりのあるところで過ごしてもらいたいと考えた。災害時の使用が前提だが、普段から地域のイベントなどで活用してもらえれば」と思いを伝えた。

 

寄贈した蓄電池などを前に、野田市長(左)と懇談する浦島工場長(中)ら

寄贈した蓄電池などを前に、野田市長(左)と懇談する浦島工場長(中)ら

 

 贈られたのは、持ち運びができる小型の蓄電池「ポータブル電源」と折り畳み式のソーラーパネルが各5台、延長ケーブルは5本。蓄電池はソーラーパネルを使うと約13時間でフル充電でき、たまった電力でスマートフォンなら約35回分の充電が可能だという。

 

 震災の経験から電気の大切さを痛感する野田市長。今年1月に南太平洋・トンガ沖の海底火山噴火で発生した津波では釜石市にも津波警報が発令されたが、「冬の夜」だったこともあり、避難した人が少なかった―と振り返り、「積極的な避難行動に結び付くよう環境を整える必要がある。十分な資機材を備蓄できていない中、寄贈はありがたい。寒さや暗さにためらうことなく安心して避難できる体制、必要な時に使える体制を構築したい」と感謝した。

防災広報ステッカーを貼った車両を見送り=3月1日、釜石市只越町・釜石郵便局

春の山火事防止へ 郵便・宅配業者と連携 釜石郵便局で出発式

防災広報ステッカーを貼った車両を見送り=3月1日、釜石市只越町・釜石郵便局

防災広報ステッカーを貼った車両を見送り=3月1日、釜石市只越町・釜石郵便局

 

 3月1日からスタートした山火事防止運動(5月末まで)に合わせ、県沿岸広域振興局(森達也局長)と郵便・宅配事業者が連携する啓発活動の出発式が釜石市只越町の釜石郵便局(川村博幸局長)で行われた。「山火事注意」のステッカーを掲示した配達車両が関係者に見送られて出発。地域を走りながら住民らに山火事予防、火の取り扱いに関する注意を促す。

 

 森局長は「(配達車など貨物輸送車両は)住民の目に触れ、山火事防止の啓発に効果がある」と期待。日本郵便岩手県東部地区連絡会の菊池浩康地区統括局長(遠野市・綾織郵便局長)は「しっかりと取り組む。今後も地域の安全安心、住民生活のサポートを追求したい」と力を込めた。

 

 県と郵便局、宅配事業者がそれぞれ結ぶ包括連携協定に基づく取り組み。昨年は釜石地区(2市町)で実施したが、2年目の今年は沿岸振興局管内全域(9市町村)に広げる。郵便局(釜石、大船渡、陸前高田、宮古、岩泉郵便局)94台、ヤマト運輸(釜石、大船渡、陸前高田、宮古、久慈営業所)83台、佐川急便(釜石、大船渡、三陸営業所)44台の計221台(昨年46台)を投入。ステッカー(縦10センチ、横30センチ)はシール式で、赤地に白い文字が書かれている。

 

「山火事注意」ステッカー渡し、佐川急便に協力依頼

 

ステッカーを手にする佐川急便の関係者と森局長(右)=2月24日、釜石市新町・釜石地区合同庁舎

ステッカーを手にする佐川急便の関係者と森局長(右)=2月24日、釜石市新町・釜石地区合同庁舎

 

 佐川急便には運動開始前の2月24日、ステッカーが託された。新町の釜石地区合同庁舎を訪れ、森局長からステッカーを受け取った同社北東北支店(盛岡市)の田口淳子副支店長は「視線を感じる取り組みで、従業員の意識、サービス向上につながる。山火事ゼロとなるよう協力したい」と意気込みを伝えた。

 

山火事 原因の多くは「人為的」 見える注意啓発が一番の手段

 

ステッカーやチラシで山火事防止を呼び掛ける沿岸広域振興局職員

ステッカーやチラシで山火事防止を呼び掛ける沿岸広域振興局職員

 

 県内では昨年26件の山火事が発生し、約7割が3~5月に集中。雪解けが終わり、空気の乾燥や強風の時季に加え、下草が生える時期でもあり、わずかな火元から大規模な林野火災になる恐れがある。例年、山火事の原因は野焼きやたき火、たばこの不始末などによる「人為的」なものが約7割を占めることから、屋外での火の取り扱いは細心の注意が必要だ。

 

 沿岸振興局農林部によると、管内の山火事発生件数は2017年が11件(焼失面積416・88ヘクタール)で、同年5月には釜石市の尾崎半島で山林約413ヘクタールを焼失した。18年は7件(同46・45ヘクタール)、19年が10件(同3・47ヘクタール)、20年5件(同1・81ヘクタール)。同種事業者が山火事防止の啓発活動に協力するという全国で初めての取り組みを展開した昨年は4件、1・65ヘクタールで、ここ数年では件数、面積とも最小だった。

 

 1人ひとりの山火事防止意識の向上が求められ、同部担当者らは「注意啓発が一番の手段」と強調する。同種事業者らによる「目に留まる」取り組みは注意喚起の呼び掛けになり、協力車両と従業員は防火監視という役割も期待される。

震災復興への貢献で釜石市から感謝状を受けた市内団体の代表ら(前列)

震災復興支援に感謝 釜石市が市内79非営利団体に感謝状贈呈

震災復興への貢献で釜石市から感謝状を受けた市内団体の代表ら(前列)

震災復興への貢献で釜石市から感謝状を受けた市内団体の代表ら(前列)

 

 釜石市は18日、「東日本大震災復興支援感謝のつどい」を市内のホテルで開き、復興推進に貢献した地域の非営利団体に感謝状を贈った。これまでの復興の歩みを振り返り、今後の支援の在り方を考える意見交換も行われ、会場の模様はユーチューブチャンネルで生配信された。収録映像は3月31日まで配信される。

 

 新型コロナウイルス感染拡大を考慮し、出席者を約20人に制限して開催。感謝状を贈呈する市内79団体のうち5団体の代表が出席し、野田武則市長から感謝状を受け取った。震災直後からボランティアの受け入れや支援活動のコーディネート、被災住民の心のケアなどに取り組んできた各団体。野田市長は「行政だけでは手が届かない部分に尽力してくれたおかげで、ここまで復興が成し遂げられた」と労をねぎらい、市民を代表して感謝の気持ちを伝えた。

 

釜石市社会福祉協議会など5団体に感謝状を贈呈(写真右は社協の丸木久忠会長)

釜石市社会福祉協議会など5団体に感謝状を贈呈(写真右は社協の丸木久忠会長)

 

復興10年の歩みを振り返り、今後の支援の在り方を考えた意見交換会

復興10年の歩みを振り返り、今後の支援の在り方を考えた意見交換会

 

 映像で同市の復興の歩みを振り返った後、5団体の代表と市の幹部職員らが意見交換。支援活動の内容やこの10年で感じたことを共有し、今後の支援について意見を交わした。

 

 釜石市社会福祉協議会によると、同社協が震災直後から開設したボランティアセンターを通じて活動した人は延べ約9万2千人(2020年度末まで)。菊池亮地域福祉課長は、同市におけるボランティア精神の根付きに確かな手応えを実感。丸木久忠会長は震災復興支援を機に、愛知県東海市や東京都荒川区の社協と災害時相互支援協定を結んだことを挙げ、平時の交流促進にも期待を寄せた。

 

 アットマークリアスNPOサポートセンターは、国際NGOなど外部の支援者と地元支援団体をつなぐ役割を担ったほか、市民の協力を得て仮設住宅の見守り活動を行った。川原康信事務局長は「外部支援の受け入れでは、地域の事情を知る地元組織が中間的役割を担うことでトラブル回避につながる」と話した。

 

震災後の支援活動で感じたことを話す市内団体の代表ら

震災後の支援活動で感じたことを話す市内団体の代表ら

 

野田武則市長と市幹部職員らが各団体の話に耳を傾けた

野田武則市長と市幹部職員らが各団体の話に耳を傾けた

 

 釜石支援センター望は仮設、復興住宅でのサロン活動やイベント開催で、住民のコミュニティー形成を後押ししてきた。ここ数年の課題として挙げたのは「支援者の高齢化」。活動を支えるボランティアは今後、減少が見込まれ、担い手不足が懸念される。海老原祐治センター長は「今までのボランティア活動は被災地が作った1つのレガシー(遺産)。これからも続けていけるしくみを市と協力して考えていければ」と願った。

 

 カリタス釜石はカトリック釜石教会(大只越町)を拠点に、ボランティアの受け入れやお茶っこサロンの開設などを行った。道又譲理事は「ボランティアで釜石に来た人たちからまた行きたいとの声をいただく。コロナが収まったら、復興した釜石に来てほしい」とし、まちの魅力発信など新たな形の活動を模索する。

 

 NPOおはこざき市民会議は、箱崎半島部8漁村集落の復興を目的に設立。ハード、ソフト両面の課題解決に取り組んできた。漁業体験、海産物を生かした特産品開発、郷土料理講習会などを継続し、水産業の振興、地域活性化につなげる。佐藤啓太理事長は「漁業体験が海の仕事への関心を高め、将来の担い手育成にもつながっていけば」と期待する。

 

震災から10年が経過し、今後の支援活動はどうあるべきかについても意見を交わした

震災から10年が経過し、今後の支援活動はどうあるべきかについても意見を交わした

 

 各団体が釜石の支援活動の特長としたのが「行政と民間の連携」。市社協は「市のさまざまな部署と情報交換を密にすることで支援ニーズを把握できた」、支援センター望は「行政と社協、各団体の協働が“釜石モデル”として注目されている」とし、これらの経験を未来に生かすことを望んだ。

 

 「コロナ禍で外出機会が減り、心身が衰えてしまう人が多い」との指摘も。今後は被災地域以外にも目を向け、住民の健康づくり、コミュニティー再構築などに取り組んでいく必要があるとの認識も示された。

竹灯籠の明かりで浮かび上がる根浜の避難階段。上り口には市指定避難場所への距離を示す看板も

震災の教訓 竹灯籠をともした避難階段で共有 3・11に向け根浜で点灯開始

竹灯籠の明かりで浮かび上がる根浜の避難階段。上り口には市指定避難場所への距離を示す看板も

竹灯籠の明かりで浮かび上がる根浜の避難階段。上り口には市指定避難場所への距離を示す看板も

 

 東日本大震災命日まで1カ月となった12日、釜石市鵜住居町根浜地区に追悼と防災への願いが込められた竹灯籠が設置された。灯籠の明かりが照らすのは根浜シーサイドキャンプ場と高台の市道箱崎半島線をつなぐ避難階段。市民らが手作りした50個の灯籠が“命を守る道”を教える。命日の3月11日まで、毎週土日祝日と11日当日、午後5時から同7時まで点灯する。

 

 12日は午後5時に点灯式を実施。灯籠を製作した親子らが見守る中、地元町内会「根浜親交会」の前川昭七会長が発電機のスイッチを押した。LED電球でともす灯籠が111段の階段を夕闇に浮かび上がらせると、集まった人たちがさっそく高台避難を体験。海抜20メートルの市道に続く階段を上った。

 

灯籠点灯後、避難階段を上り下りしてみる来場者

灯籠点灯後、避難階段を上り下りしてみる来場者

 

 竹灯籠の設置は、キャンプ場など一帯の観光施設を管理するかまいしDMC(河東英宜社長)が発案。震災犠牲者を追悼し、昨春完成した同階段を周知する目的で初めて取り組んだ。1月に市民らを対象とした製作体験会を実施。長さ約1メートルの青竹に電動ドリルで穴を開けて模様を施し、明かりが漏れるよう細工した。発電には、地域から出る廃食油を精製したバイオディーゼル燃料を用い、環境に配慮する。

 

体験会参加者らが手作りした竹灯籠。温かな光が階段を包む

体験会参加者らが手作りした竹灯籠。温かな光が階段を包む

 

辺りが暗くなると一層美しい光景が広がり、子どもたちは目を輝かせた

辺りが暗くなると一層美しい光景が広がり、子どもたちは目を輝かせた

 

 友人と足を運んだ藤原朱莉(あかり)さん(鵜住居小2年)は「手作りとは思えないほど、すごくきれい」と感激。「身近な所に避難できる場所があると安心。地震や津波の時は自分たちで早く行動できるように頑張りたい」と心構えを強くする。

 

 市内を代表する海水浴場・根浜海岸を有する同地区は、震災の津波で壊滅的な被害を受け、住民は新たに造成された高台の団地に移転。集落跡地にはキャンプ場や多目的広場が整備され、年間を通してレジャー客やスポーツ合宿の利用者などが訪れる。夏場には同海岸でトライアスロンやオープンウォータースイミングの大会も開かれるため、有事の際は高台避難が必須。キャンプ場から直接駆け上がれる階段が設置されたことで避難経路が増え、より安全で迅速な避難が可能となった。

 

キャンプ場(画面上部の明かりが点在する場所)から最短距離で高台避難が可能

キャンプ場(画面上部の明かりが点在する場所)から最短距離で高台避難が可能

 

竹灯籠には震災犠牲者への思い、未来の命を守りたいとの願いが込められる 

竹灯籠には震災犠牲者への思い、未来の命を守りたいとの願いが込められる 

 

 未曽有の大災害から間もなく11年―。同親交会の佐々木雄治事務局長(66)は震災の風化が進んでいく現実を憂慮。「津波はいつどこで遭遇するか分からない。警報、注意報が出たら、とにかく高い所に避難するという基本を再度確認してほしい」と願う。避難意識啓発にもつなげる今回の取り組み。「この階段をキャンプ場利用者だけではなく、広く多くの人に知ってもらいたい。日ごろから複数の避難ルートを確認しておくことも大事」と呼び掛ける。

津波時の避難経路を確認しながら急坂を上る家族

競わずとも津波避難行動を確認 コロナ禍の「韋駄天競走」形を変えて実施

津波時の避難経路を確認しながら急坂を上る家族

津波時の避難経路を確認しながら急坂を上る家族

 

 津波発生時の迅速な高台避難を啓発する釜石市の「新春韋駄天(いだてん)競走」。東日本大震災の教訓をつなぐ節分行事として、2014年から開催されてきたが、今年は新型コロナウイルス感染拡大を考慮し、例年のレース形式を取りやめ、任意参加による避難訓練として実施した。震災から間もなく11年―。記憶の風化が進み、災害への危機意識の低下が懸念される中、参加者は防災への心構えをあらためて胸に刻んだ。

 

 同行事は大只越町の日蓮宗仙寿院(芝﨑惠應住職)が主催。只越町の津波浸水区域から高台の同寺まで286メートル、高低差約26メートルのコースを駆け上がる。年代などで分けた6部門で開催し、各部の1位には「福男」「福女」「福少年」「福親子」の称号が与えられる。

 

仙寿院境内までの道のりは走っても歩いてもOK。各自のペースで駆け上がる

仙寿院境内までの道のりは走っても歩いてもOK。各自のペースで駆け上がる

 

 9回目の今年も6日の開催に向け準備を進めてきたが、新型コロナ感染拡大に伴う県独自の緊急事態宣言が出され、運営スタッフの確保も難しくなったことから、例年の形式を断念。コースをたどって津波避難場所の同寺まで上がってきた人たちに記念品を手渡す形をとった。米(3合)、同寺のお守りストラップなどに加え、避難啓発のメッセージを記した参加証も贈った。

 

主催者から参加証と記念品を贈呈。文書で津波避難の意識啓発を呼び掛けた

主催者から参加証と記念品を贈呈。文書で津波避難の意識啓発を呼び掛けた

 

願いを書き入れた人形を坂の絵に貼り付ける親子

願いを書き入れた人形を坂の絵に貼り付ける親子

 

 人形(ひとがた)に「コロナ退散」など各自の願いを書き込み、ボードに貼ってもらう試みも。毎年実施してきた海に向かっての黙とうも呼び掛けた。趣旨に賛同し、境内に足を運んだのは46人(うち30人が当初の競走エントリー者)。親子での参加が目立ち、震災後に生まれた子どもたちに教訓を伝えようとする姿勢が見られた。

 

 大只越町の菅原丙午さん(46)は長男一慧君(4)誕生後、親子参加を続ける。「まだ分からないだろうが、今のうちから(避難を)経験させたい」。自宅は津波被害を免れたが、高台から見る住居が減ったまちの光景に複雑な思いをのぞかせる。「コロナに気を取られ、震災のことも忘れがちになっているが、こういう機会を捉え、子どもに繰り返し教えていければ」と願う。

 

 陸前高田市の金野円香さん(34)は職場が釜石という縁で、長女凛愛(るな)さん(11)、長男優真君(10)を連れて初めて参加。凛愛さんは高台避難の大変さを実感し、「1人だとちょっと怖いけど、いざという時は今日の体験を思い出して避難したい」。災害時の避難場所は家族で確認し、家の中の普段から目につく所に掲示。円香さんは「とにかく高い所に逃げることを覚えていてほしい。『防災グッズも準備しないとね』と話しているところ」と家族間で意識の共有を図る。

 

親子3世代で参加する姿も。震災の教訓を確実につなぐ

親子3世代で参加する姿も。震災の教訓を確実につなぐ

 

昨年生まれたばかりの赤ちゃんもお母さんに抱かれ避難体験!この日は1位のたすきをかけての記念撮影も楽しんだ

昨年生まれたばかりの赤ちゃんもお母さんに抱かれ避難体験!この日は1位のたすきをかけての記念撮影も楽しんだ

 

 行事を発案し、運営母体として活動する「釜石応援団ARAMAGI Heart(あらまぎハート)」の下村達志さん(46)は「本来の目的は、競走ではなく避難意識を促すこと。コロナ禍でもできることを考えた。目的は少なからず果たせたと思う」。来年以降の通常開催実現を祈りつつ、「この1年の間にも災害があるかもしれない。その時にはしっかりと避難できるよう意識だけは持ち続けてほしい」と呼び掛ける。