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釜石は鉄の街「どうして?」 郷土の歴史学ぶ子どもたち、成果発表 関連行事も続々

釜石の歴史に触れる鉄の学習発表会

釜石の歴史に触れる鉄の学習発表会

 
 釜石市の児童・生徒による鉄の学習発表会(鉄のふるさと釜石創造事業実行委員会主催)は11月25日、大町の釜石PITで開かれ、2校が史跡見学や鉄づくり体験で得た学びを紹介した。市では「鉄の記念日」(12月1日)の前後1週間を「鉄の週間」として各種イベントを催しており、発表会もその一つ。関係者は「子どもだけでなく、大人も地域の歴史に触れ、学び続けるまちに」と願う。
 
 鉄の記念日は、近代製鉄の始まりを記念する日。盛岡藩士の大島高任が安政4(1857)年12月1日、釜石市甲子町大橋に建設した洋式高炉で日本初の連続出銑を成功させたことにちなむ。
 
学びから得た地域の魅力を伝える双葉小児童

学びから得た地域の魅力を伝える双葉小児童

 
 双葉小は4年生の代表5人が発表。近代製鉄発祥の地・大橋地区にある釜石鉱山の坑道見学や旧釜石鉱山事務所での鉱石採取体験などを通して「鉄の街釜石」に触れた。驚いたこととして挙げたのは、大橋地区に学校があったこと。多い時には1200人の子どもたちが通ったといい、「双葉小の9倍くらい。ここだけで生活ができた」と思いをはせた。
 
 鉱石の標本づくりにも挑戦。石の種類、鉄鉱石ができる仕組みなどを学び、「釜石を発展させた鉱石たちを宝物として大切にしたい」とまとめた。現在の釜石鉱山で製造されるナチュラルミネラルウォーター「仙人秘水」が印象に残ったのは磯﨑雄太君。坑道の中の岩盤を40年かけてつたってくるこの湧き水は「僕らが生まれる前のもの。魅力的。いろんな良いところをもっと伝えたい」と胸を張った。
 
「仙人秘水は常温の方がおいしいそうです」と豆知識も

「仙人秘水は常温の方がおいしいそうです」と豆知識も

 
 釜石東中の1年生20人は、同事務所で行った「たたら製鉄」実習の様子を寸劇で紹介した。大島高任は西洋の高炉設計図を頼りに釜石で製鉄を進めたといい、生徒たちも同様の手法で悪戦苦闘しながら築炉。木炭の小割作業など準備の大変さ、火入れの熱さ、鉄の混合物(ケラ)を得られるかといった不安も見せた。この活動で学んだのは、先人たちの偉大さや仲間と協力する大切さ。「失敗を恐れず、いろんなことにチャレンジし続ける」と声をそろえた。鈴木星愛(せな)さんは「この経験を生かして部活を頑張りたい」とうなずいた。
 
釜石東中の生徒は鉄づくり体験の様子を再現

釜石東中の生徒は鉄づくり体験の様子を再現

 
子どもたちの学びにじっと耳を傾けた市民ら

子どもたちの学びにじっと耳を傾けた市民ら

 
 高橋勝教育長が「堂々とした発表に驚いた。当時の人たちの苦労や思いを知り、自分たちに置き換え、考えることが学びになる。知る楽しさ、感動、気づきを大切にしてほしい」と講評。自身も今回の発表で発見があったと明かし、「大人も学んでいかなければ」と子どもたちからの刺激を歓迎した。
 
 同事務所が国登録有形文化財(建造物)になってから今年で10周年となるのを記念し企画したフォトコンテストの結果発表もあった。釜石鉱山をテーマに7月中旬から10月末まで募集し、鉄鉱石や銅鉱石の選鉱場跡、不要な砕石を積んだ堆積場、釜石線の線路などを写した30作品が寄せられた。最優秀賞に選ばれたのは、選鉱場と自然風景を一体的に捉えた「栄えた跡と秋空」。撮影した藤原信孝さん(75)は「世界遺産になるべき場所であり、多くの人に足を運んでほしいと思いを込めた。この地で、子どもたちの鉄づくり学習が行われているのも意義深い」と熱く語った。
 
釜石鉱山をテーマにしたフォトコンテスト最優秀作品

釜石鉱山をテーマにしたフォトコンテスト最優秀作品

 
撮影者の藤原信孝さんに賞状と記念品が贈られた

撮影者の藤原信孝さんに賞状と記念品が贈られた

 
 このほかにも鉄の週間行事はめじろ押し。1日は市鉄の歴史館や同事務所が無料公開され、夜には知る人ぞ知る「鉄の検定」がある。2日には歴史館で名誉館長講演会(午前10時~・テーマ「イギリスの産業革命―日本との差異」)のほか、県指定文化財「紙本両鉄鉱山御山内並高炉之図」(幕末の高炉操業の絵巻)も公開。企画展「餅鐵の刃」は18日まで催される。
 
 同事務所の企画展「いわての国登録有形文化財展」、橋野鉄鉱山インフォメーションセンターの「橋野高炉跡発掘調査速報展」は8日まで。市立図書館では3日午後1時半~、市民教養講座・鉄の町かまいし歴史講座「釜石鉄道の道―番号で呼ばれる橋」を予定し、鉄の記念日にちなんだ図書展を14日まで開く。市郷土資料館では企画展「かまいしの古き良き時代 ザ・昭和~鐵と共に」が開催中で、来年1月14日まで楽しめる。

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釜石や大槌でもクマ出没増 人身被害も 関係機関、情報共有「知らないをなくしたい」

釜石大槌地区のクマの出没状況などを共有した管理協議会

釜石大槌地区のクマの出没状況などを共有した管理協議会

 
 釜石・大槌地区ツキノワグマ管理協議会は21日、釜石市新町の釜石地区合同庁舎で本年度2回目の会合を開いた。例年は1度の開催だが、今年は人身被害が相次いでいることから、関係者間の情報共有を図ろうと回数を増やした。岩手県や釜石市、大槌町の鳥獣被害対策担当者、猟友会、農業や林業関係者など約20人が出席。広範で効率的な情報収集により市街地に出没した時に迅速に対応すべく知恵を絞った。
 
 県沿岸広域振興局環境衛生課の担当者が県内の出没状況を説明。今年はブナなどのドングリが大凶作のため、目撃や痕跡で確認されたクマの出没数は9月末時点で3368件と、前年同期の2049件に比べて急増している。人身被害は11月8日時点で死亡2人を含む43件46人(前年同期21件22人)。例年、出没のピークは8月で、9月には減少傾向となるが、今年は6月(873件)をピークに減ってはいるが、数字的には高い水準で推移している。
 
クマ出没に関する資料を確認しながら情報共有

クマ出没に関する資料を確認しながら情報共有

 
 釜石市でも県と同様に出没数が急増。今年、これまでに確認されたのは284件で、昨年1年間(143件)の約2倍となっている。6月の65件をピークに1桁となる月もあったが、10、11月は50件前後と増加。それに伴い、人身被害も発生している。
 
 「2件になってしまった」。市水産農林課の宮本祥子さん(林業振興係長)が市内に残るクマの痕跡を示しながら人身被害の状況を話した。10月と11月に1件ずつ発生し、場所はともに甲子地区内。このうち、散歩中の80代女性がクマに襲われ負傷した10月のケースは、市がクマの出没を把握していない場所で起こった。事後に住民らに聞き取りをすると、「近くに柿の木があって以前からクマがうろついていた」というが、市には連絡していなかった。「行政だけでは情報を得られない。広く共有するには住民の協力が必要。報告が重要になる」と、苦い事例にやるせなさをにじませた。
 
釜石市内での事例を伝える宮本さん(奥)

釜石市内での事例を伝える宮本さん(奥)

 
クマのものとみられる痕跡を示して情報提供

クマのものとみられる痕跡を示して情報提供

 
 11月に発生したのは、以前から出没を確認していた柿畑。少し前に1頭を捕獲し、市では「被害はおさまる」と考えていた。だが、結果的に別の個体が害をもたらし、畑の様子を見に来た70代女性がけがを負った。2件とも柿の木が誘因物の一つと考えられ、宮本さんはクマのものとみられる爪痕がある幹、折られた枝、周辺に残されたふんの写真を表示しながら、「クマの出没を知らない状況を極力なくしたい。小さな変化でも気になることがあれば連絡してほしい」と求めた。
 
 出席者から、6月に出没が増えた要因や次年度の予測について質問が上がった。沿岸振興局の担当者は「急増の要因は把握できていないが、全県的に生息頭数が増えていると推測される」と回答。本年度の捕獲上限は686頭としているが、10月13日時点で捕獲数は591頭に上り、過去最多を更新。人身被害や市街地への出没が多発しており、「来年度は上限を110頭増やし、796頭とすることが決まっている」とした。
 
会合ではクマ対策をめぐって意見を交わした

会合ではクマ対策をめぐって意見を交わした

 
 大槌町でも2件の人身被害が発生しており、町の担当者は「この時期になっても、まだ出没を前提にした対応をしなければならない。誘因物の除去も大事だが、一つ除いても次のリスクにつながるのではと感じる。いたちごっこのよう。どういうゴールを目指すのか、分からない」と困惑。釜石地方森林組合の関係者らはドングリが実る広葉樹を針葉樹林に増やす混交林に触れ、「植樹は時間がかかるが、検討していく必要があるのでは」と考えを伝えた。
 
 沿岸振興局保健福祉環境部の田村良彦部長は「普段から連携をとっているが、さらに強化したい。痕跡を早期に発見、共有して住民に還元し、人身被害の防止につなげていく」と強調した。

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釜石市×東京大 2年目の「海と希望の学園祭」 体験、工作、トーク…さまざまに地域の魅力発見

来場者を出迎えた新種「オオヨツハモガニ」のバルーンオブジェ。風船1千個以上を使った大作

来場者を出迎えた新種「オオヨツハモガニ」のバルーンオブジェ。風船1千個以上を使った大作

 
 釜石市と東京大の連携事業「海と希望の学園祭」が18、19の両日、同市大町の市民ホールTETTOと釜石PITで開かれた。共同研究や技術開発などで協力協定を結ぶ両者が昨年から開始し2年目を迎えた。展示、ワークショップ、トークイベントなど多彩な企画が用意され、多くの来場者でにぎわった。
 
 展示コーナーでは同大生産技術研究所(生産研)、先端科学技術研究センター(先端研)が研究内容を紹介。大槌町に施設がある大気海洋研究所(大海研)の助教が2019年に発見した新種の「オオヨツハモガニ」は今年もバルーンオブジェで登場した。
 
 市水産農林課は釜石湾内で養殖が進む「釜石はまゆりサクラマス」の試食コーナーを設けた。昨年から事業化され、今季は約160トンを水揚げ。将来的には約1千トンの生産を目指す期待の魚。「生産体制は整ってきている。今後は市内で流通するしくみを確立したい」と小笠原太課長。試食した市民からは「サケとは違うおいしさ。身もやわらかい。値段がもう少し下がれば買いやすい」などの声が聞かれた。
 
 「釜石はまゆりサクラマス」の試食コーナーでは認知度のアンケート調査(シール投票)も

「釜石はまゆりサクラマス」の試食コーナーでは認知度のアンケート調査(シール投票)も

 
 釜石海上保安部は海上保安庁作成の「日本近海海底地形図」を公開。来場者は青と赤のフィルム眼鏡で立体感を体感した。職員からは日本列島が4つのプレートに囲まれていて、地震が起こりやすい環境であることが説明された。地震発生のしくみについて熱心に説明を受ける方も。
 
釜石海上保安部は「日本近海海底地形図」を公開

釜石海上保安部は「日本近海海底地形図」を公開

 
 同市平田にキャンパスを持つ岩手大は、三陸に生息する海の生き物9種に触れられるタッチプールを設置した。東日本大震災後、復興支援活動で同市とつながる文京学院大(東京都)は海にちなんだ工作、フォトスポットコーナーを開設。釜石のクルミの樹皮を利用し、学生らが商品開発したランタンは販売も行われた(売上金を市に寄付)。
 
 文京学院大の学生14人は全員が初めての釜石訪問。荒賀弓絃さん(3年)は「来場者が楽しんでくれているようでうれしい。今後もこのような活動で釜石の活性化、復興支援につなげていければ」。リーダーの武田愛華さん(2年)はランタン作りも手掛け、「地域のために役立つ活動がしたかった。釜石の人たちのやさしさに触れ、この場所をもっと盛り上げたいという気持ちになった」と話した。
 
地元の岩手大釜石キャンパスは海の生き物に触れられるタッチプールで来場者を楽しませた

地元の岩手大釜石キャンパスは海の生き物に触れられるタッチプールで来場者を楽しませた

 
文京学院大は海のいきもの帽子の工作コーナーを開設。海の中をイメージしたフォトスポットで記念撮影も(右下)

文京学院大は海のいきもの帽子の工作コーナーを開設。海の中をイメージしたフォトスポットで記念撮影も(右下)

 
文京学院大生が商品開発する釜石のクルミの樹皮を使ったランタンの販売コーナー。宝来館の女将岩崎昭子さんがプロジェクトに協力

文京学院大生が商品開発する釜石のクルミの樹皮を使ったランタンの販売コーナー。宝来館の女将岩崎昭子さんがプロジェクトに協力

 
 上中島町の前田倫太郎君(7)は海の生き物に初めて触れ、「ウニは固かった。海が好き。深海の魚を見てみたい」と興味をそそられた様子。父興大さん(38)は「海で生き物を見つけても怖くて触れないところがあったので、いい経験ができた」と喜び、地元の海の豊かさを実感。「鉄やラグビーだけでなく海や魚でも、もっと釜石が有名になってくれれば」と期待を込めた。
 
 5年前に東京から釜石に移住した親子は昨年に続き来場。息子(11)は「ウニのストラップを作ったり、工作が面白かった。海の生き物に興味があり、貝殻も集めている。将来は海に関わるお仕事もいいな」。父親(42)は「水産資源の減少が気になる。釜石でもサケの遡上が少ないと聞く。魚を食べることが多いので、資源復活を願う」と話した。
 
大槌町のSASAMO(ササキプラスチック)はウニフィギュアの製作体験コーナーを設けた

大槌町のSASAMO(ササキプラスチック)はウニフィギュアの製作体験コーナーを設けた

 
 会場では今年も東京大の教授陣らによる講演、トークイベントが2日間かけて行われた。初日のトークイベントには4人が出演。2006年の「希望学」調査を機に同市とつながり続ける社会科学研究所(社研)の玄田有史所長の進行で、大海研の兵藤晋所長、生産研の岡部徹所長、先端研の杉山正和所長が「科学とは」というテーマで話した。
 
 釜石港で行われる波力発電の技術指導も担う先端研の杉山所長は「世の中のしくみ、モノや人のことわり(道理)を知るのが科学。だとすれば、それを使って社会をもっと良くしていこうというのが技術なのではないか」。“レアメタル”研究で注目を集める生産研の岡部所長は「効率良く作って、みんなの生活を豊かにするためのものが工学。最近は生産性やコストだけでなく、アートやデザインなど人の感性に訴えることも大切な要素」。ハイギョ(肺魚)の研究を続ける大海研の兵藤所長は「比較生物学では生き物の進化を想像し、検証するのが科学。水の中からどうやって陸に上がれるのか、非常に興味深い」。
 
東京大の4研究所長らが出演した初日のトークイベント。会場では生産研と先端研の研究紹介展示も行われた(右下)

東京大の4研究所長らが出演した初日のトークイベント。会場では生産研と先端研の研究紹介展示も行われた(右下)

 
 4人は来場者からの質問にも答えた。「震災後の12年で最も進展した科学トピックは?」との問いには「AI(人工知能)の進展、世界のネットワークの広がり」、「必要性が強調されてきたのはカーボンニュートラル(温室効果ガス排出実質ゼロ)」と回答。同大と民間企業、地域とのつながりについては「東大は思ったよりオープン。遠い存在と感じずに相談を持ちかけ、いろいろなチャンスを広げてほしい。科学技術が地方の方々の問題意識とつながると面白い。ぜひアプローチを」などと述べた。

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にこにこ100歳!箱崎町出身・植田くめさん 生活中の三峯の杜で多くの祝福受ける

釜石市から100歳のお祝い金や祝い状を贈られた植田くめさん(左)

釜石市から100歳のお祝い金や祝い状を贈られた植田くめさん(左)

 
 釜石市箱崎町出身で現在、鵜住居町の介護老人福祉施設・三峯の杜(齊藤敦子施設長、長期利用29人、短期同20人)で暮らす植田くめさんが、今月12日で満100歳を迎えた。20日、植田さんの100歳を祝う会が施設内で開かれ、市、県、国からの祝い状や記念品が贈られた。同市の100歳以上の方は26人(男1、女25)となった。
 
 市から三浦功喜高齢介護福祉課長らが訪問。特別敬老祝い金(5万円)と野田武則前市長直筆の額入り祝い状、羽毛肌掛け布団を植田さんに贈った。「これからも健康で人生を楽しんで」と三浦課長。この日は、岸田文雄内閣総理大臣、達増拓也県知事名の祝い状や記念品の贈呈も行われ、齊藤施設長が植田さんに手渡した。
 
岸田文雄総理大臣からの祝い状に驚きの表情

岸田文雄総理大臣からの祝い状に驚きの表情

 
家族や職員、利用者仲間に見守られながら祝い状を受け取った

家族や職員、利用者仲間に見守られながら祝い状を受け取った

 
 施設職員からは手作りの記念色紙や花束が贈られた。お祝いの映像上映、職員によるスコップ三味線の演奏などもあり、にぎやかに100歳の長寿を祝った。駆け付けた長男静男さん(74)ら家族、親族5人と利用者、職員に囲まれ、笑顔を輝かせる植田さん。職員と一緒にお礼の言葉を述べ、「まだまだ元気に過ごします!植田くめ」と締めくくると大きな拍手が起こった。
 
職員からは手作りのお祝い色紙と花束が贈られた

職員からは手作りのお祝い色紙と花束が贈られた

 
たくさんの祝福を受け、笑顔でお礼を述べる植田くめさん

たくさんの祝福を受け、笑顔でお礼を述べる植田くめさん

 
 植田さんは1923(大正12)年11月12日、箱崎町生まれ。同郷の夫とは戦後間もなく結婚。漁業のほか畑仕事、ヤクルト配達などをしながら子ども6人を育て上げた。孫11人、ひ孫が10人いるという。長男家族らと暮らしていたが、本年2月、同施設に入所した。
 
 「きかねえ(気が強い)んだ。家では自由気ままに過ごしていた。だから長生きなのかも」と長男静男さん。現在は体調の大きな変化もなく生活中。耳は遠いが、耳元で大きな声で話しかけると、受け答えはできるという。施設職員によると、普段はシルバーカーを押して自分の足で歩いて移動(行事の時は疲れないよう車いすを利用)。食事も箸を使って自分で食べる。
 
 踊りや歌が大好きだという植田さん。施設ではリビングでテレビを見たり、塗り絵をしたり、風船バレーを楽しんだり…。“ドリフターズ”の昔の面白映像を見て笑ったり、職員が耳元で声を出し一緒に歌を歌うこともあるという。植田さんのお世話を担当している施設職員の佐々里沙さん(32)は「とてもかわいらしく、よく気付いてくださる方。外に干した洗濯物が風で飛ばされた時も教えてくれたりとか」。他の利用者や職員にも元気をくれる存在のようで、「これからもけがなく、風邪をひかずに過ごしていただければ」と佐々さん。
 
そろいのはんてん姿の職員らはスコップ三味線演奏でお祝い

そろいのはんてん姿の職員らはスコップ三味線演奏でお祝い

 
歌や踊りが大好きな植田さんは手拍子をして楽しんだ

歌や踊りが大好きな植田さんは手拍子をして楽しんだ

 
 植田さんは2019年から同施設のショートステイを利用。2人の妹と利用が重なった時期もあり、3姉妹で互いに行き来しながら仲良く過ごす姿も見られたという。現在、同施設で100歳以上の方は植田さんお一人で利用者最高齢。齊藤施設長は「他の利用者さんも植田さんを目指して、ともに健康に生活していただければ」と願った。

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「浜千鳥」東北鑑評会で4年連続のダブル優等賞(吟醸、純米酒)獲得/酒造り体験塾は仕込みへ

東北清酒鑑評会で4年連続の2部門「優等賞」を受賞した浜千鳥。英語の賞状も授与された=写真提供:浜千鳥

東北清酒鑑評会で4年連続の2部門「優等賞」を受賞した浜千鳥。英語の賞状も授与された=写真提供:浜千鳥

 
 釜石市の酒造会社、浜千鳥(新里進社長)は2023年の東北清酒鑑評会(仙台国税局主催)吟醸酒、純米酒の2部門で優等賞を受賞した。12年に奥村康太郎さん(43)が杜氏(醸造部長)に就任以降、同鑑評会での受賞は8回目。ダブル受賞は今年で4年連続6回目となる。全国トップクラスの東北6県の酒蔵が出品する鑑評会は入賞が非常に難しく、2部門での連続受賞はさらなる難関。今年、創業100周年を迎えた同社にさらに大きな喜びが重なった。
 
 同鑑評会は吟醸酒と純米酒の味や香りについて総合的に判断し、製造技術の優劣の観点から品質評価を行う。評価員は国税局鑑定官、管内の醸造に関わる研究機関職員、製造場の技術者などが務める。予審と決審を行い、成績が優秀な酒を「優等賞」として出品した製造場を表彰する。各部で入賞した製造場の上位3場のうち、1位に「最優秀賞」、他2場に「評価員特別賞」を授与する。
 
 本年は148の製造場から吟醸酒の部に125場143点、純米酒の部に118場134点が出品された。10月上旬に行われた審査の結果、吟醸酒の部で47点(45場)、純米酒の部で42点(40場)が優等賞となった。本県からは両部門で7場が受賞。浜千鳥、酔仙酒造大船渡蔵(大船渡市)、南部美人(二戸市)の3場が2部門での受賞を果たした。
 
 吟醸酒の部受賞の「浜千鳥 大吟醸」、純米酒の部受賞の「浜千鳥 純米大吟醸 結の香」は共に、岩手オリジナル酵母「ジョバンニの調べ」で醸造。純米大吟醸は本県最上級のオリジナル酒米「結の香」を使用する。大吟醸の原料は酒米の王「山田錦」。
 
釜石税務署の石亀博文署長(右)から仙台国税局長名の賞状を受け取る浜千鳥の奥村康太郎杜氏=写真提供:浜千鳥

釜石税務署の石亀博文署長(右)から仙台国税局長名の賞状を受け取る浜千鳥の奥村康太郎杜氏=写真提供:浜千鳥

 
 2010年に最年少で南部杜氏の資格を取得、12年に同社醸造部長・杜氏に就任以降、各種鑑評会などでの同社入賞をけん引する奥村さん。今回の連続受賞を「レベルの高い東北で入賞するのは大変なこと。続けて評価をいただいたというのは品質を維持できている根拠になり、お客様にいいものを届けられているという自信にもつながる」と喜ぶ。受賞回数を重ねても「毎年、結果は出てみないとわからない」と難しさを語る奥村さん。「品質を維持しつつ、さらに高められるよう頑張りたい。安定も課題」と今後を見据える。
 
 同社には10日、釜石税務署の石亀博文署長から表彰状が伝達された。「(鑑評会連続入賞で)商品への信頼度が増す。その年の原料米の傾向、対策を捉え、より良いもの、再現性も含め私たちらしい味を造るのが仕事。それが認められるのはうれしいこと」と新里社長。同社の4年連続ダブル受賞は5年連続の1社に次ぐ記録。同社は20年には純米酒の部で初の最優秀賞にも輝いている。
 

今季の仕込み10月始動 酒造り体験塾第3弾で市内外の36人がもろみ造りに挑戦

 
浜千鳥酒造り体験塾「仕込み体験会」=12日

浜千鳥酒造り体験塾「仕込み体験会」=12日

 
 浜千鳥の好評企画、一般向けの酒造り体験塾は11、12の両日、第3弾の仕込み体験会が同社酒蔵で開かれ、市内外から計36人が参加した。もろみ造りのための櫂(かい)入れ作業などを体験し、蔵人の苦労の一端を味わった。最後の工程となるしぼり体験会は12月10日に行われる予定。
 
 酒米の田植えから醸造、製品化まで酒造りの一連の工程を体験できる同塾は今年で25年目。仕込み体験は大槌町の田んぼで育てた岩手オリジナル酒米「吟ぎんが」を使って、清酒「ゆめほなみ(夢穂波)」に仕上げる作業に挑戦する。
 
 12日は参加者13人が4班に分かれ、交代で各作業を行った。60パーセントに精米された約680キロの酒米は高温の蒸気で蒸され、参加者が甑(こしき)から冷却機に移す作業を体験。湯気が立ち上る中、スコップで蒸し米を掘り起こし、機械に乗せるのはなかなかの重労働。暑さと戦いながら頑張った。機械で冷ました米は運搬用の布に受け、2人1組で仕込み場まで運び、酒母が入ったタンクに投入。発酵を促す「櫂入れ」作業で、しっかりかき混ぜた。
 
蒸した酒米を甑から冷却機に移す作業。スコップを持つ手に力が入る

蒸した酒米を甑から冷却機に移す作業。スコップを持つ手に力が入る

 
冷ました米は2人がかりで仕込み場へ運ぶ

冷ました米は2人がかりで仕込み場へ運ぶ

 
タンクに投入された米をかき混ぜる「櫂入れ」

タンクに投入された米をかき混ぜる「櫂入れ」

 
 翌日に使う米を洗う体験も行われた。米の状態に合わせ、吸水時間がきっちり管理されていて、参加者は社員の合図で行動。水を吸った米は白色に輝き、参加者の目を引いた。
 
米を洗って吸水させる。時間は時計を見ながら正確に管理

米を洗って吸水させる。時間は時計を見ながら正確に管理

 
水を吸ってきれいな白色になった米に興味津々

水を吸ってきれいな白色になった米に興味津々

 
 釜石市の会社員千葉勝哉さん(24)は職場の同僚に誘われ初めて参加。「蒸し米掘りは暑いし重いし、汗をかいた。一般向けの体験会をやっているところはなかなかないと思うので貴重な機会。しぼり体験会にもぜひ参加したい」と声を弾ませた。普段は浜千鳥の梅酒をよく飲むということで、参加賞の“漬け梅詰め放題”にもうれしさをのぞかせた。
 
 大船渡市の女性会社員(49)は酒好きの友人と参加。作業の大変さを感じつつ、「酒造りの流れを知ることができて面白かった。櫂入れは甘酒の香りもして…」と大満足の様子。「浜千鳥のお酒は飲みやすい。(作業を体験したことで)次、飲む時、3割増しでおいしくいただけそう」と笑った。
 
 同社の仕込み作業は今季も10月から開始。奥村杜氏によると、今夏の猛暑の影響で原料の米が固く、酒造りには例年にない難しさがあるというが、「いいものを消費者に」と社員一丸となって取り組む。今月29日には新型コロナウイルス禍で中止が続いていた「新酒蔵出し祭り」を4年ぶりに開催予定。奥村杜氏は「対面で商品の感想を聞いたり情報交換したりできるのが楽しみ」と心待ちにする。
 
作業を終え充実感をにじませる参加者。おつかれさまでした!

作業を終え充実感をにじませる参加者。おつかれさまでした!

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震災復興…その先へ 小野共市長が初登庁 目指すは「力強い釜石」 16年ぶりリーダー交代

当選後初登庁し職員の出迎えを受ける小野共市長

当選後初登庁し職員の出迎えを受ける小野共市長

 
 11月12日投開票の釜石市長選で初当選した小野共氏(54)が20日、初登庁した。市政運営のスタートにあたり、職員を前に訓示。「釜石のためになると思うことを自由に思い切ってやってほしい。力強いまちを目指して市民と一致団結し、一直線に進んでいこう」と呼びかけた。
 
 小野氏は午前9時ごろ、職員らが迎えるなか登庁。拍手や花束を受けて本庁舎に入った。市長室のいすに座り、心境を尋ねられると、「市民の大きな負託にこたえる責任の重さが体の中から湧き上がる。身の引き締まる思い」と姿勢を正した。
 
市長室の執務机のいすに座った小野市長

市長室の執務机のいすに座った小野市長

 
 訓示は市役所議場で幹部職員ら約40人を前に行われた。東日本大震災後、これまでの12年間は復興事業の推進が行政の役割だったとした上で、「この先は自治体間の競争がし烈を極める。勝ち抜くための取り組みが必要だ」と指摘。さまざまな重圧の中で震災復興というまちづくりを進めた経験を持つ市職員らの力を高く評価し、「首長の役割は責任を取ること。細かいことは言わない。子どもや孫に最高の釜石を残すという自覚とプライドを持って仕事に臨んでほしい」と求めた。
 
市役所議場で幹部職員を前に初めての訓示

市役所議場で幹部職員を前に初めての訓示

 
 4期16年務めた前市長の任期満了に伴う市長選は5日告示され、小野氏は新人同士の一騎打ちを制して初当選を果たした。掲げた公約は▽地域医療の充実▽産業振興▽子育て支援▽教育の充実―の4つ。「各部署、幹部の声を聞きながら慎重に進めたい」とした。選挙戦となったのは20年ぶりだが、投票率は52.01%と過去最低だった。
 
 小野氏は釜石・唐丹町出身で、米サフォーク大学院修了。商社勤務などを経て2007年に釜石市議に初当選した。1期目途中の10年に県議補選で初当選し、連続4期。21~23年には副議長を務めた。市長の任期は18日から4年間。

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「撓まず屈せず」合言葉に震災復興 釜石・野田武則市長が退任 4期16年…心残りなく

釜石市役所玄関前で退任のあいさつをする野田武則氏

釜石市役所玄関前で退任のあいさつをする野田武則氏

 
 釜石市の野田武則市長(70)は17日、4期目の任期を満了し、退任した。最後の登庁日となったこの日、市職員らを前に訓示。「撓(たわ)まず屈せず―を合言葉に職員、市民とともに歩んだ」と任期の大半を費やした東日本大震災後のまちづくりを振り返り、「多くの努力と思いが一つになったのが釜石の復興。たくさんある可能性に花を咲かせ続けて」と託した。退庁時には市役所本庁舎1階の玄関付近で花束を受け取り、一礼。多くの職員や市民から拍手で見送られ、晴れやかな表情で16年間通った庁舎を後にした。
 
 野田氏は甲東幼稚園(現・甲東こども園)の園長などを経て2003年に県議初当選。2期目だった07年、前市長の死去に伴う市長選に無所属で出馬し、無投票で初当選した。1期目途中に震災が起き、復旧・復興業務に尽力する中で11、15、19年と連続無投票で当選した。
 
 陣頭指揮を執った復興まちづくり事業は震災から12年を経て、今年3月に関連するハード事業が完了。三陸沿岸道路の整備や大型商業施設の誘致、岩手大釜石キャンパスの設置など、まちの再生に力を注いだ。「ピンチをチャンスに。震災前よりもいい街に」と“夢のようなこと”にも挑戦。15年に橋野鉄鉱山の世界遺産登録、19年には新設した釜石鵜住居復興スタジアムでのラグビーワールドカップ開催を実現させた。
 
市職員を前に最後の訓示。4期16年を振り返った

市職員を前に最後の訓示。4期16年を振り返った

 
 この日は庁内各課を回ったり、幹部職員と懇談した後、議場で最後の訓示に臨んだ。「釜石ならではの復興の形はできた」と総括した一方、人口の減少や地域経済の縮小など市民の生活環境は厳しく、「適切に対応できなかったことは反省点」とした。
  
 そして、「悔やんでも悔やみきれない」と無念さをにじませたのは、震災で多くの避難者が犠牲となった鵜住居防災センターでの出来事。「防災センターという名前は簡単につけてはいけない。避難場所ではない所を訓練で使ってはいけない。ハザードマップは100%安全とは言い切れない」と教訓を残した。命の大切さを痛切に実感し、「自分の命、人生を守ることは他人の命、人生も守ること。そんな姿勢であり続ける」のを目指し、つくり上げた防災市民憲章の継承を強く望んだ。
 
 「16年の長い間、ありがとうございます」と協力に感謝した野田氏。懸案となっていた新市庁舎の建設や専門学校の開校も将来の見通しが立ったといい、「心残りなく去ることができる」と肩の荷を下ろした。ただ、課題は残るとし、「次の市長とともに市勢の発展、市民一人一人の幸せのため力を尽くしてほしい」と求めた。
 
多くの市民らに見送られながら市役所を後にした

多くの市民らに見送られながら市役所を後にした

 
 本庁舎前では市民らが待ち構え、花束を渡して「お疲れさまでした」「ありがとう」などの声とともに見送った。

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農作物の恵み 存分に味わう 釜石・橋野 人気の「水車まつり」に市内外から500人

コロナ禍を経て復活2年目の「水車まつり」。市内外から訪れた多くの人たちでにぎわった

コロナ禍を経て復活2年目の「水車まつり」。市内外から訪れた多くの人たちでにぎわった

 
 釜石市橋野町の「水車まつり」が5日、産地直売所・橋野どんぐり広場周辺で開かれた。農作物の収穫を祝う11月初頭の恒例イベントで、17回目の開催。地元産の穀物や野菜を使った各種メニューが提供され、幅広い世代が郷土の食文化に親しんだ。終盤を迎えた山々の紅葉、水車による米つきの実演も楽しみ、同地域の素晴らしさを五感で味わった。
 
 同イベントは橋野町振興協議会(菊池郁夫会長)、栗橋地区まちづくり会議(洞口政伸議長)が共催。地域の魅力を発信しようと季節ごとに開催する、はしの四季まつり(春:八重桜まつり、夏:ラベンダー観賞会、秋:ニジマス釣り大会)の一つに位置付けられる。新型コロナウイルス感染症の影響で2020年以降、全面または一部中止が続いたが、今年ようやく全4イベント開催が実現した。
 
 菊池会長が歓迎の言葉を述べた後、いつも通り餅まきで幕開け。まつり準備にあたった各団体の代表が、紅白餅約1千個を軽トラックの荷台からまいた。もち米は同産直組合員の二本松農園(鵜住居町)が提供。同振興協女性部員が手作りで仕上げた。来場者は放物線を描く餅を目で追い、懸命に手を伸ばした。
 
荷台からまかれる紅白の祝い餅に老若男女が手を伸ばした

荷台からまかれる紅白の祝い餅に老若男女が手を伸ばした

 
子どもも大人も笑顔で餅まきを楽しむ。水車まつり恒例の光景

子どもも大人も笑顔で餅まきを楽しむ。水車まつり恒例の光景

 
 まつり名物のお振る舞いは、地元産野菜がふんだんに入った豚汁。約300食分が用意され、無料で提供された。手打ちそば、きびの焼き団子、雑穀おにぎりは約150~380食分を各100円で販売。開始とともに長蛇の列ができた。そば打ちには鵜住居公民館で定期的に活動する「そばの三たて会」(奥山英喜会長)が18年から協力。地域間連携でまつりを盛り上げている。各メニューは今回も早々に完売した。
 
振興協女性部が作る豚汁は毎回大好評(左)。手打ちそば(右上)、みそだれをかけたきびの焼き団子(右下)も食欲をそそる

振興協女性部が作る豚汁は毎回大好評(左)。手打ちそば(右上)、みそだれをかけたきびの焼き団子(右下)も食欲をそそる

 
お目当てのメニューを求めて長蛇の列ができた

お目当てのメニューを求めて長蛇の列ができた

 
 家族や親族10人で訪れた北上市の岩﨑慎之介君(9)は「手打ちそばが気に入った。ここは来たことがあるけど紅葉の時期は初めて。秋の景色はきれい」と感激。弟隆之介君(7)も「餅を7個拾った。焼いて食べたい。ここに来るとさわやかな気持ちになる」とご満悦。釜石市出身という母静香さん(38)は「具だくさんの豚汁、雑穀おにぎりがおいしかった。豊かな自然の中で子どもたちにはいろいろなことを学んでほしい」と期待した。
 
「どれもおいしい!」笑顔で各種メニューを味わう子どもたち

「どれもおいしい!」笑顔で各種メニューを味わう子どもたち

 
まつり来場者は近年、若い世代の親子連れも多い

まつり来場者は近年、若い世代の親子連れも多い

 
 イベント名にも入る水車は産直隣の親水公園内にあり、同所のシンボル的存在。かやぶき屋根の小屋に併設され、回転の力で中の設備が動く仕組みになっている。同まつりでは普段は公開していない小屋の中を見ることができ、来場者はきねでもみ米をつく様子を見学した。
 
 宮城県の戸田慎治さん(70)は同産直で販売される米粉団子のファンで、妻と共に年に1~2回は同所に足を延ばす。今回は偶然にもまつり開催日と重なり、イベントも楽しんだ。水車小屋では地元の方から「これでついた米はうまい」と教えてもらい、豚汁をはじめ全メニューも堪能。「そばは2杯いただいた。きび団子は素朴な甘さで最高の味わい。こういうイベントは子どもたちの食育にも最適。食の安全への理解、生産者への感謝の気持ちを育む機会になる」と話し、「地域のつながりが感じられる」と継続開催を望んだ。
 
親水公園に建つ水車小屋。まつりでは小屋の中も見学できる

親水公園に建つ水車小屋。まつりでは小屋の中も見学できる

 
小屋の中では水車の力できねを動かす米つきを実演。子どもたちも興味津々

小屋の中では水車の力できねを動かす米つきを実演。子どもたちも興味津々

 
 近年の極端な夏の猛暑や秋になっても続く残暑は、農作物生産者にとって悩みの種。栽培管理の苦労は年々増大する。同産直の藤原英彦組合長は「例年だと9月いっぱいは出るトマトの出荷が今年は早めに終了。米は暑さの影響は多少あったものの、幸い台風の直撃がなく、収量は例年並み。冬野菜のダイコンやハクサイは残暑の影響で成長が遅れている」と話す。野生動物による食害も生産者を悩ます。「今年は全国と同様、クマが異常に多い。クリもかなりやられ、出荷もいつもより少ない」と藤原組合長。猛暑と獣被害への今後の対策に課題を示した。
 
産直「橋野どんぐり広場」には地元産の野菜が並ぶ。これからはダイコンやハクサイが出始める

産直「橋野どんぐり広場」には地元産の野菜が並ぶ。これからはダイコンやハクサイが出始める

 
 同市では3日に最高気温26.6度を記録。同まつり開催時の同所の気温は12度で、来場者は急激な温度変化にも驚きながら、季節の移り変わりを肌で感じていた。

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ターゲットは石!?…近代製鉄発祥の地で宝探し こどもエコクラブ 釜石鉱山周辺の自然体感

釜石鉱山で鉱石探しを楽しむ子どもたち

釜石鉱山で鉱石探しを楽しむ子どもたち

  
 釜石市は、製鉄の町。良質な鉄鉱石が豊富にあることもあって、江戸時代末期には甲子町大橋に建設された洋式高炉で日本初の鉄鉱石を用いた製鉄(連続出銑)に成功し、近代製鉄発祥の地として知られる。が、釜石にあるのは鉄鉱石だけではない。採掘時には別の鉱石に出合うこともあり、中には“宝石”を隠しているものも。その宝を求め、子どもたちがトレジャーハントに挑んだ。
  
 宝探しは3日、発祥の地・釜石鉱山周辺で行われた。子どもたちが身近な自然に親しみながら環境保護の意識を育む「こどもエコクラブ」(市主催)の活動として企画。子ども会員約40人に保護者も加わり、80人ほどのハンターが集まった。
 
宝探しに備えて工藤さん(右)から知識を仕入れる

宝探しに備えて工藤さん(右)から知識を仕入れる

 
 鉱山の歴史に関する資料を展示公開する旧釜石鉱山事務所の見学から開始。施設の管理を担当する工藤淳子さん(市世界遺産課)が案内し、子どもたちは鉱物室に並ぶ産出岩石からターゲットとなる石の特徴を確認した。
  
 さまざまな石が積まれた敷地内の一角に移動して鉱石採取に挑戦。ターゲットは▽鉄鉱石▽銅鉱石▽柘榴(ざくろ)石▽灰鉄輝石▽緑簾(りょくれん)石▽結晶質石灰石-など9種類。ハンターは色や模様、磁石がくっつくかなどの情報を頼りに探し、工藤さんが種類を確認した。
 
鉄鉱石や一緒に採掘された鉱石が積まれた山 

鉄鉱石や一緒に採掘された鉱石が積まれた山

  
「これがいいんじゃない?」鉱石探しにみんな夢中

「これがいいんじゃない?」鉱石探しにみんな夢中

 
「これだ!」と手にした石を自慢する子どもたち

「これだ!」と手にした石を自慢する子どもたち

  
 柘榴石狙いの福士大成君(甲子小4年)は、集めた石を市職員にハンマーで割ってもらい、見事に宝石ガーネットの結晶をゲット。「よし!」と破顔した。もともと石に興味はあったが、エコクラブの活動で視野の広がりを実感。「知らなかったことを学べるし、いろんな人と交流できるから楽しい。鉄の歴史や文化をもっと勉強してみたい」と目を輝かせた。
  
石割り作業を興味深く見つめる子どもたち

石割り作業を興味深く見つめる子どもたち

 
「誰だキミは?」「ガーネットです」。お宝ゲット

「誰だキミは?」「ガーネットです」。お宝ゲット

 
こちらは緑簾石。「エピドートの結晶だ」

こちらは緑簾石。「エピドートの結晶だ」

  
 ほかにも、重みのある石を割ると銅が混じっていたり、白い石が「大理石だね」と確認されたり、参加者はそれぞれ宝を手にした。中には複数の特徴が見られ判断に迷うものがあり、「自分で調べてみる」と探究心をくすぐられた子も。鉱石探しを通じ、鉄とともに歩んできた地域のルーツに触れた。
  
 最後はネイチャーゲーム体験。自然の中に置かれた人工物の数を見極める「カモフラージュ」で、観察の目を養った。伸び伸びと遊びまわる子どもたちの姿を少し離れた場所から見守っていた福士君の父大輔さん(42)は「自然に触れることで、気づきを得られる。言いたいことはあるけど、口は挟まない。自分から行動することで何かを感じてもらえたら」と期待。エコクラブの活動は年に6回ほど計画されるが、「増やしてほしい」と望んだ。
  
人工物(黄色い囲み)を探すネイチャーゲームも体験

人工物(黄色い囲み)を探すネイチャーゲームも体験

 
宝を求めて集ったハンターは秋色も満喫する

宝を求めて集ったハンターは秋色も満喫する

 
 エコクラブサポーターの加藤直子さんは、大橋での鉄づくりの成功にちなんで制定された「鉄の記念日」(12月1日)に触れながら、「たくさんの人が働きながら頑張ってくれた場所。そこで使われたのが、地球の中にある土や石」などと自然環境と人間のかかわりを伝えた。鉄づくりの歴史から地球の成り立ちや、石の生成過程に興味持ってもらうのが狙い。周囲は秋色が増し、色づいた木々の葉が落葉していて、「冬の準備を始めている」と季節の移ろいを感じる楽しさも共有した。
  
 これまで生物や星空の観察を実施。昆虫採集は天候の影響で中止したが、番外編的に市外での屋外活動・キャンプを催した。次回は12月上旬に海の生物観察会(ウニの解剖など)を予定。来年1~2月ごろの活動も計画中だ。
 
 

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「悼む・忘れない・伝える」釜石・片岸町に震災大津波記念碑 待望の完成 教訓を確実に後世へ

片岸町に建立され、4日に除幕された「東日本大震災大津波記念碑」

片岸町に建立され、4日に除幕された「東日本大震災大津波記念碑」

 
 東日本大震災の津波で町内の8割が被災、33人が犠牲になった釜石市片岸町に、住民の思いが詰まった大津波記念碑が建立された。犠牲者を悼み、教訓を伝え、未来の命を守ろうと、片岸町内会(鈴木匠会長、121世帯)が建立実行委(委員長=鈴木町内会長)を組織し、実現に向け取り組んできた。津波で破壊された神社の鳥居、石橋を石材として活用。「人」の形に組んで地域の支え合いを表現するなど、デザインにもこだわった。住民だけでなく多くの人に立ち寄ってもらい、津波の教訓を感じ取ってもらうことを期待する。
 
 4日、記念碑の除幕式が現地で行われ、住民や関係者約80人が出席した。海に向かって黙とうをささげたあと、実行委の鈴木委員長(71)があいさつ。かさ上げを含む土地区画整理事業の長期化、新型コロナウイルス禍の影響で、これまで建立がかなわなかった経緯を説明した上で、「亡くなった人にみんなで手を合わせ、思い出す場が欲しかった。復興の象徴にもしたかった。未来につながる防災の決意をここで示していきたい」と碑に込めた思いを明かし、協力者に深く感謝した。町内の子どもらが除幕。完成した記念碑が姿を現した。
 
式の冒頭、海の方角に向かって震災犠牲者に黙とうをささげる出席者

式の冒頭、海の方角に向かって震災犠牲者に黙とうをささげる出席者

 
片岸町内の子どもたちの手によって記念碑の除幕

片岸町内の子どもたちの手によって記念碑の除幕

 
 同記念碑は片岸稲荷神社への上り口付近の私有地(永年貸与)に建立。横幅6.5メートル、奥行き2.5メートルの台座に据えられた。正面向かって左側に、津波で倒壊した同神社鳥居の笠木部分を組んだ「人」という字のモニュメント(高さ2.5メートル、花こう岩)を設置。中央の2本の石柱は鳥居の柱部分を使ったもので、1本は「東日本大震災大津波記念碑」と刻字、もう1本には町内の中高生6人が考えた未来に伝えたい教訓を名前と共に四方に刻んだ。右側の町民から寄付された石には、被害の概要と記念碑に込めた思いが文章で刻まれた。台座には神社の石橋だったものが使われた。
 
中央の石柱のうち1本には、中高生が考えた未来に伝えたい言葉が刻まれた(写真両端)

中央の石柱のうち1本には、中高生が考えた未来に伝えたい言葉が刻まれた(写真両端)

 
台座の右側に設置された碑文。石材は町民が寄付

台座の右側に設置された碑文。石材は町民が寄付

 
 建立された記念碑の近くには山裾に並ぶ形で、被災後に再設置された明治、昭和の三陸大津波の記念碑、江戸時代の神社関連の石碑群などもある。目の前には市が整備した片岸稲荷公園が広がり、同所は国道45号からも見通せる。
 
 式の中で町内に暮らす藤原菜穂華さん(大槌高1年)は震災の記憶がない、経験していない中高生が考えた言葉について「感慨深い。ぜひ見ていただきたい」と話し、「なぜここに記念碑ができたのか、一人一人が考えてくれたら」と思いを込めた。
 
上段:今回設置した記念碑の近くには昭和と明治の三陸大津波記念碑が並ぶ(右側)下段:記念碑は国道45号からも見える場所にある

上段:今回設置した記念碑の近くには昭和と明治の三陸大津波記念碑が並ぶ(右側)下段:記念碑は国道45号からも見える場所にある

 
左:遺族代表であいさつする山﨑長也さん(前片岸町内会長)右:中高生の言葉について思いを述べる藤原菜穂華さん

左:遺族代表であいさつする山﨑長也さん(前片岸町内会長)右:中高生の言葉について思いを述べる藤原菜穂華さん

 
 片岸町は市の北部に位置し、大槌町に隣接する。同震災で当時の住民662人のうち33人が犠牲になり、家屋252軒中199軒が被災した。前町内会長の山﨑長也さん(87)は妻トシさん(当時73)が行方不明のまま。式で遺族を代表してあいさつし、「(犠牲になった家族を)思い起こすたび心が定まらないが、碑ができたことで亡くなられた方、遺族の方々も幾分、心安らかになるのではないか。通りがかった方々も手を合わせていただければ」と願った。
 
 「間もなく(震災から)13年。これまでみんなでやってきたことがこれに凝縮されたような気持ち。一つのけじめができたと思う」と鈴木委員長。今回、町内5カ所の津波到達地点には「これより高台に逃げろ」と刻んだ石柱も設置した。総事業費は約200万円で、資金は住民や町内の団体からの寄付金で賄われた。
 
記念碑について出席者に説明する鈴木匠実行委員長(右)

記念碑について出席者に説明する鈴木匠実行委員長(右)

 
完成した記念碑に献花する出席者

完成した記念碑に献花する出席者

 
震災犠牲者の冥福を願い、祈りがささげられた

震災犠牲者の冥福を願い、祈りがささげられた

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「魅力ある釜石」へ 社会福祉、郷土芸能継承、防災…各分野で活躍 市勢功労者に12人

市勢の発展に貢献し功労者表彰を受けた市民ら

市勢の発展に貢献し功労者表彰を受けた市民ら

  
 釜石市は10月30日、大町のホテルクラウンヒルズ釜石で2023年度の市勢功労者12人(自治功労9人、特別功労3人)を表彰した。野田武則市長は「行政では力の及ばない課題も多く、市民の協力が不可欠。培ってきた豊かな識見と経験のもと、一層の協力を」と式辞。受賞者を代表して沼澤庸(いさお)さん(88)が「市民が安心して暮らせるまち、より魅力的なまちとなるよう新たな気概で力を尽くす」と謝辞で応えた。
  
代表して謝辞を述べる沼澤庸さん

代表して謝辞を述べる沼澤庸さん

  
まちの発展に尽くす気持ちを新たにする受賞者ら

まちの発展に尽くす気持ちを新たにする受賞者ら

  
功労者と功績は次の通り。
【自治功労表彰】
▽伊藤悦子さん(75)=小川町 2000年から通算22年間、民生委員・児童委員を務める。小佐野地区委員協議会長の要職も務め、社会福祉の増進に貢献
▽岩間久一さん(66)=浜町 1991年に釜石虎舞保存連合会を設立以来、会長を継続。こども園などでも指導し、郷土芸能の発展と継承に貢献市
▽後川司さん(70)=唐丹町 消防団員として47年間にわたり地域防災の任に当たるとともに、市消防団第8分団長の要職を務め、民生の安定に貢献
▽小野寺喜代子さん(76)=鵜住居町 2007年から通算15年間、民生委員・児童委員を務める。鵜住居地区委員協議会長の要職も務め、社会福祉の増進に貢献
▽川﨑喜久治さん(73)=栗林町 消防団員として43年間にわたり地域防災の任に当たる。市消防団第7分団長、市消防団長の要職も歴任し、民生の安定に貢献
▽沼澤庸さん(88)=上中島町 統計調査員として55年間にわたり業務を遂行。2009年から通算13年間、市統計調査員協議会長を務め、行政運営の進展に貢献
▽前川耕一さん(70)=平田町 消防団員として44年間にわたり地域防災の任に当たるとともに、市消防団第3分団長の要職を務め、民生の安定に貢献
▽村上輝子さん(77)=中妻町 06年から通算16年間、行政連絡員を務める。釜石地区会長の要職も務め、行政運営の進展に貢献
▽八幡哲夫さん(74)=橋野町 07年から通算15年間、民生委員・児童委員を務める。栗橋地区委員協議会長の要職も務め、社会福祉の増進に貢献
  
【特別功労表彰】
▽菊地次雄さん(82)=大平町 19~22年まで通算3年間、釜石商工会議所会頭を務め、地域経済の発展と東日本大震災の復旧・復興の推進に貢献
▽木村琳藏さん(76)=唐丹町 19~23年まで通算4年間、市議会議長を務め、地方自治の伸展と市勢の振興発展に貢献
▽丸木久忠さん(75)=大町 03~23年まで通算20年間、市社会福祉協議会長を務め、社会福祉の増進と地域福祉の推進に貢献
 
 

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標高差400メートル 急峻の難コースに243人挑む 復活!かまいし仙人峠マラソン大会

4年ぶりに開かれた「かまいし仙人峠マラソン大会」=10月29日

4年ぶりに開かれた「かまいし仙人峠マラソン大会」=10月29日

 
 第14回かまいし仙人峠マラソン大会(同実行委主催)は10月29日、釜石市甲子町大橋の旧釜石鉱山事務所を発着点に行われた。新型コロナウイルス感染症の影響で2020年から3年間中止されてきたが、今年待望の復活を遂げた。全国から集まった17~89歳の男女243人が出場。雨が降ったりやんだりのあいにくの空模様となったが、見ごろを迎えた美しい紅葉や沿道の声援に力をもらい、日本屈指の難コースを走り切った。
 
 大会はこれまで、大松で折り返す10キロコース(標高差約160メートル)と仙人トンネルまでを往復する峠コース=17.2キロ(同約400メートル)の2コースで行われてきたが、今回は約10キロに短縮した峠コースに絞って実施。エントリーした281人のうち243人が出場した。
 
 開会式で小泉嘉明実行委会長(市体育協会長)、野田武則市長が参加者を歓迎。ゲストランナーとして招かれたマラソン“川内3兄弟”の三男川内鴻輝さん(出場3回目)、山岳ランニングで国内トップの吉住友里さん(同2回目)が同コースの魅力を話し、「一緒に頑張ろう」と呼び掛けた。
 
参加者の憧れ、ゲストランナーの川内鴻輝さん(右)と吉住友里さん(左)

参加者の憧れ、ゲストランナーの川内鴻輝さん(右)と吉住友里さん(左)

 
 午前10時、小泉会長の号砲で一斉にスタート。陸中大橋駅方面へ約1キロ下った後、国道283号に出て約4キロの上り坂へ。遠野市との境、仙人トンネル手前の折り返し地点までひたすら続く坂道を駆け上がった。復路は一転、下り坂へ―。最後の難関はスタート直後に下った坂道。今度はゴールまで上る形となり、参加者は残る体力と精神力で完走を目指した。ゴール付近では、仲間や家族が声援を送り、完走後は共に喜びを分かち合った。
 
午前10時、旧釜石鉱山事務所前を一斉スタート

午前10時、旧釜石鉱山事務所前を一斉スタート

 
大橋トンネルを抜け、仙人峠頂上を目指す参加者

大橋トンネルを抜け、仙人峠頂上を目指す参加者

 
ゴールまであと少し。熱い声援を受け、最後の力を振り絞るランナー

ゴールまであと少し。熱い声援を受け、最後の力を振り絞るランナー

 
釜石市でダンス教室を開く澤田稔さん、美世子さん夫妻は手を取り合ってゴール!

釜石市でダンス教室を開く澤田稔さん、美世子さん夫妻は手を取り合ってゴール!

 
 全参加者中、トップでゴールしたのは宮古市の宇部雄太さん(25)。タイムは39分57秒で、2位と約2分の差をつけた。レース後、男女年齢別6部門で1~6位を表彰した。
 
後続を引き離し、トップでゴールした宇部雄太さん(左)。復路の2位争いはデッドヒート(右)

後続を引き離し、トップでゴールした宇部雄太さん(左)。復路の2位争いはデッドヒート(右)

 
6部門で1~6位を表彰。入賞者には賞状や記念品が贈られた

6部門で1~6位を表彰。入賞者には賞状や記念品が贈られた

 
 最年少参加者で今大会唯一の高校生、遠野高2年の佐々木寧音さん(17)は「思ったよりきつい。今まで走ったことがない難コース」と驚きの初体験。父譲さん(47)の影響で小学校から長距離走を始め、同大会も父の背中を見て応募した。初の親子参加に「感無量。よくゴールした。一緒に完走できてうれしい」と喜ぶ譲さん。自身は今回で3回目の参加だが、峠コースは初挑戦。「足がやられた。でも完走できたので自分を褒めたい」。一緒にトレーニングに励むこともある寧音さんを「心の友」と表し、「東京マラソンに出てみたい」と目標を掲げる愛娘に温かいまなざしを向けた。
 
最年少、唯一の高校生参加者の佐々木寧音さん(左)は選手宣誓も務めた。父譲さんと完走の喜びを分かち合う(右)

最年少、唯一の高校生参加者の佐々木寧音さん(左)は選手宣誓も務めた。父譲さんと完走の喜びを分かち合う(右)

 
 釜石移住の仲間と初挑戦したのは、同市に移住して1年の会社員三浦万侑さん(25)。写真で見た仙人峠の紅葉に魅せられ「楽しめそう」と申し込んだが、「坂、やばいです。折り返し前、中盤ぐらいが一番きつかった」と苦笑い。長距離走自体経験がなく、普段はたまにスポーツジムで汗を流す程度。大会2~3週間前から3~4キロ走るのを繰り返し、本番に臨んだ。「(成果は)出せたと信じたい。制限時間内にゴールできたので」。雨ながら肉眼で見る紅葉は格別で、「感動です。途中で写真も撮りました」と記憶と記録に残した。
 
釜石移住者仲間で参加したこちらのグループは全員完走。喜びの笑顔を輝かせた

釜石移住者仲間で参加したこちらのグループは全員完走。喜びの笑顔を輝かせた

 
 職場の仲間での参加も同大会おなじみの光景。今回、釜石税務署の職員4人は11月11日から始まる「税を考える週間」をPRしようと、そろいのTシャツ姿で初参加した。背中にはQRコードを大きくプリントしてアピール。伊東亮将さん(26)は「想像以上のしんどさ。上り坂で何回も心が折れかけたが、何とか気合いで乗り切った」。大和田純さん(28)は「税の広報もでき、全員完走。かなりの達成感。明日からまたみんなで仕事を頑張れそう」。応援に駆け付けた石亀博文署長(58)は「若い職員が何かできないかと考え、自ら行動してくれた。Tシャツも大会のために準備したもの。税に目を向けるきっかけ作りに頑張ってくれたことに感謝したい」と奮闘をたたえた。
 
「税を考える週間」をPRするTシャツ姿で走る釜石税務署の職員ら

「税を考える週間」をPRするTシャツ姿で走る釜石税務署の職員ら

 
完走した釜石税務署の大和田純さん(左)、安保充さん(中左)、伊東亮将さん(右)と石亀博文署長(中右)

完走した釜石税務署の大和田純さん(左)、安保充さん(中左)、伊東亮将さん(右)と石亀博文署長(中右)

 
 今大会参加者の最年長は花巻市の仙内直衛さん(89)。同大会には所属する花巻走友会の仲間とほぼ毎回参加している。自身のスタイルを「“ずぼら”走だ。自分を追い込まず、完走できればいいという感じ」と屈託なく笑う。マラソンは50歳から始め、72歳までフルマラソンにも出場。「完走すると気分がいい。若い人たちと一緒に走れるのは楽しい」と心を躍らせる。今回も無理なく走り切った。
 
「最高齢者賞」を贈られた花巻市の仙内直衛さん(左)と松岡マヨ子さん(右)。年齢を感じさせない健脚ぶりに拍手!

「最高齢者賞」を贈られた花巻市の仙内直衛さん(左)と松岡マヨ子さん(右)。年齢を感じさせない健脚ぶりに拍手!

 
 仙内さんは、女子の最年長松岡マヨ子さん(77、花巻市)とともに「最高齢者賞」を受賞。最も遠くからの参加者に贈られる「遠来賞」は鹿児島県南さつま市から参加の中村貴子さん(45)が受賞した。
 
 同大会は2010年にスタート。翌11年に東日本大震災が発生したが、「復興への峠を駆け上がれ」の合言葉のもと、大会は途切れることなく続けられた。12年の第3回大会で参加者数1011人と最多を記録している。今大会は3年間のブランクを経ての開催ということで、運営体制などを考慮し規模を縮小した。参加者からは大松コースの復活を望む声もあり、実行委では来年以降の形態を再度、検討していく。
 
ハロウィーン仕様のカラフル衣装で選手を応援。力をもらったランナーが急勾配の坂を駆け上がる

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仮装ランナーは今年も健在。沿道の人たちを楽しませた

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