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「釜石新聞NewS」プレーバック2023

 
 新型コロナウイルス感染症が5類に移行され、社会活動が少しずつ平常化してきた2023年。釜石市内では再開された祭りやスポーツなど各種行事で、再会を楽しむ顔に多く出会う年となった。そして、区切り、交代、誕生…といった「変化」や「新たな芽吹き」を感じる一年でもあった。そんなまちの動きをネット上で紹介した記事から振り返る。(年齢、肩書は当時)

2月

 
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【将棋・小山怜央さんプロに、地元歓喜】
 釜石市出身で将棋のアマチュア強豪、小山怜央さん(29)は13日、大阪市で行われたプロ棋士編入試験5番勝負の第4局に勝利し、通算成績3勝1敗で合格を決めた。棋士養成機関「奨励会」の未経験者、岩手県出身者で初のプロ棋士が誕生し、地元では歓喜の声が広がった。3月に帰省し、子どもらと交流。応援を力に飛躍を誓う。
 

3月

 
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【東日本大震災から12年―犠牲者13回忌 変わらぬ鎮魂の祈り各地で】
 未曽有の被害をもたらした東日本大震災から12年。今年の“3.11”も亡き人を思い、祈りをささげる人たちの姿が市内各所にあった。墓所、祈りのパーク、海岸…。それぞれの場所で花を手向け冥福を祈った。年々増えていく「(震災を)知らない世代」にどう伝え、未来の命を守るのか。教訓継承への取り組みは続く。
 
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【SMCが釜石に第5工場新設 雇用拡大、外国人労働者も増加】
 空気圧制御機器製造、世界首位のSMC(本社・東京都)が釜石市に新たな工場を建設した。同市が1991年に誘致以来、5番目となる工場。国内外の需要増に対応し、生産拡大を図るためのもので、2026年ごろまでに約600人の就労を見込む。ベトナム、インドネシアなどからの特定技能外国人労働者も受け入れており、安定的な生産体制を目指す。
 

5月

 
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【明治日本の産業革命遺産フォトコン 最優秀賞は橋野鉄鉱山】
「明治日本の産業革命遺産」を対象にしたフォトコンテストで、橋野町の世界遺産「橋野鉄鉱山」を被写体にした作品「悠久のたたら場跡と星空」が最優秀賞に輝いた。撮影者は佐々木弘文さん(55)。「原燃料の山と橋野一番高炉」と題した藤原信孝さん(74)の作品はエリア賞を獲得。2人は10日に市役所を訪れ、喜びを伝えた。
 
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【クマ出没注意!目撃相次ぐ 県、7年ぶりに警報】
 釜石市内では5月以降、クマ(ツキノワグマ)の目撃情報が相次いでいる。26日には只越町の市役所前にクマ1頭が出没。約3時間後に捕獲という緊張を強いられる状況が発生した。県は人身被害が多発していることから、全域に「ツキノワグマの出没に関する警報」を発令。2016年度以来7年ぶりで、今回で2回目となった。
 

6月

 
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【復興支えたSL銀河 惜しまれながら10年の運行に終止符】
 JR釜石線で2014年から運行してきた観光列車「SL銀河」が、客車の老朽化のため、6月上旬で引退した。高らかな汽笛、迫力の走行で震災復興を力強く後押ししてきた大人気の列車。この10年で延べ約7万4000人が乗車した。ラストランには同列車を愛してやまない人たちが全国から駆け付け、最後の雄姿を見届けた。
 
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【釜石はまゆりサクラマス 養殖事業化後、初水揚げ】
 釜石湾で養殖されている「釜石はまゆりサクラマス」が27日、今季初めて市魚市場に水揚げされた。昨秋に事業化してからの“初もの”は、体長60~80センチ、重さ1.7キロほどに育った計8.4トン。「身ぶりが良い」と関係者らは好感触を得る。プロモーション活動にも着手し、希少性を生かした取り組みに力を入れていく構えだ。
 

8月

 
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【ラグビーアマ代表 フランス大会出場へ結団式】
 ラグビーのワールドカップ(W杯)フランス大会に合わせて初めて開かれる「ワールドアマチュアラグビーフェスティバル」に、日本代表として「いわて釜石ラグビーフットボールクラブ」が出場。地域にゆかりのあるメンバー30人が公募で選ばれ、26日に釜石鵜住居復興スタジアムで結団式。「世界一を狙う」と気持ちを高め合った。
 

9月

 
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【4年ぶりの釜石よいさ 継承へ新たな形】
 第32回「釜石よいさ」は23日、釜石鵜住居復興スタジアムで開かれた。コロナ禍で中止が続き、屋外での通常開催は4年ぶり。「笑顔を生み出す場」を心待ちにしていた15団体約550人が熱い群舞を繰り広げた。経費や運営人員不足など課題もあり、「どう継続するか」を模索する中、会場や開催時期を変更して新たな形を試した。
 

10月

 
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【コロナ禍から復活 かまいし仙人峠マラソン大会4年ぶりに開催】
 高低差400メートルの急峻な峠道を駆け上がる「かまいし仙人峠マラソン大会」が29日、4年ぶりに開かれた。2010年から始まり、震災後は「復興の峠を駆け上がれ」の合言葉の下、継続されてきたが、新型コロナの影響で20年から中止されていた。久しぶりの大会は雨模様となったが、老若男女が絶景の紅葉を力に変え、難コースに挑んだ。
 
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【釜石最後の芸者・艶子姐さんの生涯 語りと踊りで再現】
 「芸は津波に流されない―」。踊りや三味線など磨いた芸で、戦後の釜石の社交の場を華やかに彩った故伊藤艶子(藤間千雅乃)さんの生涯が、ふるさと釜石で舞台化された。俳優名取裕子さんの語り、伊藤さんの芸を継ぐ東京・八王子の芸者衆の踊りなどで“艶子姐さん”の波乱万丈の人生が浮かび上がった。29日、市民ホールTETTOで公演した。
 

11月

 
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【片岸町に大津波記念碑が完成 悼み、伝え続ける震災】
 釜石市片岸町に東日本大震災の被災状況や教訓を伝える大津波記念碑が建立された。4日の除幕式で町民らにお披露目。津波で倒された神社の鳥居を「人」の形に組み、犠牲者の慰霊と教訓発信を末永く誓う。石柱には中高生が伝えたい言葉を刻んだ。同町は震災の津波で8割が被災。住民33人が犠牲になった。
 
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【震災復興→力強いまちへ 16年ぶりに代わるリーダー】
「撓(たわ)まず屈せず」を合言葉に、東日本大震災の復興で陣頭指揮を執った市長・野田武則氏(70)が17日に任期を満了し、16年(4期)通った市庁舎を後にした。この退任を前に行われた市長選で新人同士の一騎打ちを制して初当選した小野共氏(54)は20日に初登庁。「力強いまち」を目指し、市政運営をスタートさせた。
 

12月

 
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【かまいしの第九 45年の歴史に幕 「いつかまた…」】
 師走の釜石で歌い継がれてきたベートーベンの交響曲第9番。市民に愛された「かまいしの第九」は今年の公演が最後となった。中核メンバーの高齢化や資金減などが理由。同市の音楽文化の象徴が大きな功績とともに一時代を終えた。17日の最終公演では、出演者と聴衆が一体となる感動のステージが繰り広げられた。
 
■後記
 市民の皆様、釜石新聞NewSをご覧いただいている全国の皆様、本年のご愛読ありがとうございました。
 WEB専門の媒体としてのご理解と認知度も着実に高まり、皆様の生活の中に受け入れていただいている手ごたえを感じる機会が多くなりました。取材依頼などについては運営体制の変化などもあり、復興釜石新聞の時のようにはお応えしきれない点についてお詫び申し上げるとともに、あらためてご理解を賜れれば幸いです。
 
皆様、どうぞよいお年をお過ごしください。

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製鉄所隆盛で栄えた「昭和」の釜石 市民遺産で回顧 郷土資料館企画展が面白い!新年は5日から

市郷土資料館で開催中の「かまいしの古き良き時代 ザ・昭和 ~鐵(てつ)と共に~」

市郷土資料館で開催中の「かまいしの古き良き時代 ザ・昭和 ~鐵(てつ)と共に~」

 
 釜石市の歴史や文化を知るなら鈴子町の市郷土資料館(佐々木豊館長)。さまざまなテーマの展示で釜石を学べるが、年に数回行われる特別展示も興味深い。現在、開催中の企画展「ザ・昭和」は、製鉄所の繁栄で人口9万人以上を記録したこともある戦後の時代にスポットを当てる。多くの市民が行き交うまちはたくさんの商店や飲食店、娯楽施設が並び、活気を呈した。その古き良き時代を遺物や写真などで振り返る。展示は来年1月14日まで(12月28日~1月4日までは年末年始休館)。
 
 「鉄のまち」と称される釜石市は、太平洋戦争末期の1945(昭和20)年、米英連合国軍による2度の艦砲射撃で壊滅的な被害を受けた。戦後、復興への鉄需要の高まりで、釜石製鉄所は国内の主力として急成長。まちは企業城下町として栄え、63(同38)年には人口9万2000人を突破した。大渡町から東前町までの通りは最大の繁華街で、製鉄所の三交替勤務に伴い、飲食店などは昼夜問わずにぎわっていたという。
 
 その“昭和の釜石”を垣間見ることができる今回の企画展。会場では同館の所蔵物のほか、市内の企業などから寄せられたさまざまな遺物が公開されている。商売で使われた金銭登録機(今のレジスター)、商店や飲食店、宿泊施設、企業などの名前入りマッチ、灰皿、菓子製造に使われた道具、料亭の状差し…など。まちの繁栄の象徴、デパート(丸光、及新)などの包装紙もあり、当時を知る人にとっては懐かしい記憶がよみがえる。廃業した店も多く、まちの歴史を物語る貴重な品々が並ぶ。
 
 建材を扱っていた大町の「前田商店」で使われていた金銭登録機

建材を扱っていた大町の「前田商店」で使われていた金銭登録機

 
浜町にあった料亭「福寿楼」の状差し(中)と看板(左)

浜町にあった料亭「福寿楼」の状差し(中)と看板(左)

 
デパートや商店の包装紙(左側)と店などで身に着けていた前掛け(右側)

デパートや商店の包装紙(左側)と店などで身に着けていた前掛け(右側)

 
市内の収集家が集めた商店や飲食店、会社などの名前が入ったマッチ

市内の収集家が集めた商店や飲食店、会社などの名前が入ったマッチ

 
 今年創業100年を迎えた小川町の酒造会社、浜千鳥(新里進社長)は1968(昭和43)年まで、現只越町3丁目(今の釜石郵便局の場所)で操業。当時の社名は釜石酒造商会。本企画展では、小川町に移転する際に目抜き通りで行ったパレードの写真や、「浜千鳥」の前の商品名が入った量り売り用の漏斗(じょうご)、当時製造していたサイダー瓶などが展示される。
 
今年創業100年を迎えた「浜千鳥」に関する展示コーナー

今年創業100年を迎えた「浜千鳥」に関する展示コーナー

 
企画展で展示されている浜千鳥の“キンレンサイダー工場”の写真と同サイダー瓶

企画展で展示されている浜千鳥の“キンレンサイダー工場”の写真と同サイダー瓶

 
 市内在住の写真家、藤枝宏さんが撮影した昭和50年代の釜石の街並み写真も展示。煙突が立ち並ぶ製鉄所、「不夜城」と言われたまちの夜景、映画館のある中心商店街など、まちの活気を感じさせる光景が凝縮される。
 
藤枝宏さん撮影の昭和の街並み写真展示コーナー

藤枝宏さん撮影の昭和の街並み写真展示コーナー

 
東日本大震災の津波で流失した「呑兵衛横丁」。この通りは昭和30年代、大にぎわいだった

東日本大震災の津波で流失した「呑兵衛横丁」。この通りは昭和30年代、大にぎわいだった

 
 同館では「当時を生きた人が懐かしさを感じるのはもちろん、昭和を知らない世代にも釜石の歩みを知ってもらえる展示。常設展示品以外のものがほとんどなので、ぜひこの機会にじっくりと観賞してもらえれば」と来場を呼び掛ける。問い合わせは同館(電話/FAX 0193・22・2046)へ。

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市民の心耕し45年―「かまいしの第九」重ねた歴史、思い共有し万感の最終公演 次世代の芽吹きも期待

最終公演となった第44回かまいしの第九=市民ホールTETTO

最終公演となった第44回かまいしの第九=市民ホールTETTO

 
 45年の長きにわたり、師走の釜石市に“歓喜の歌”声を響かせてきた「かまいしの第九」。地域の音楽文化発展の礎を築き、経済低迷や震災など困難に立ち向かう市民に勇気と希望を与え続けた伝統の演奏会が17日、惜しまれながら幕を閉じた。メンバーの高齢化や活動資金減少などで「今回を一区切り」とした実行委。初代指導者の故渡邊顕麿さんの教えを脈々と受け継ぎ、釜石の第九イズムを貫いたメンバーは、あふれる思いを歌声に込め、同演奏会を愛する聴衆と感動のフィナーレを迎えた。
 
 釜石市民ホールTETTOで開かれた最終公演。会場には市内外から約550人が集まった。オーケストラは指揮者の瓦田尚さん(40)=釜石出身、東京在住=率いるアマチュアオケ「ムジカ・プロムナード」、釜石市民吹奏楽団の団員ら総勢60人。合唱隊は「かまいし第九の会」を中心とした市内外の115人で編成した。
 
 演奏会は、東日本大震災をテーマとした「明日を」「群青」の2曲の合唱で幕開け。続いて、ベートーベンの交響曲第9番1~4楽章が演奏された。本県出身の声楽家4人がソリストを務め、管弦楽の壮大な演奏、時代、世代を超えてつながれた魂の歌声がホールいっぱいに響き渡った。
 
4人のソリストは本県出身者(左からSoprano:土井尻明子さん、Alto:在原泉さん、Tenor:澤田薫さん、Bass:小原一穂さん)

4人のソリストは本県出身者(左からSoprano:土井尻明子さん、Alto:在原泉さん、Tenor:澤田薫さん、Bass:小原一穂さん)

 
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 同演奏会は1978年、旧市民文化会館のこけら落とし公演として行われたのが始まり。前年に帰郷し、実家の寺を継いだ渡邊顕麿さん(1931-96)がそれまでの合唱活動の経験を生かし、市内で指導を始めた中での新たな挑戦だった。初期メンバーはドイツ語の辞書を片手に歌詞の意味を読み解き、渡邊さんの教え「曲に込められた精神をそれぞれの生活、生き方に反映させる」ことを忠実に守りながら、演奏会を重ねてきた。
 
初代指導者・指揮者の渡邊顕麿さん(左上)。合唱指導をする渡邊さん(右上)。釜石市民文化会館で行われていた第九演奏会(1991年、下)=写真提供:実行委

初代指導者・指揮者の渡邊顕麿さん(左上)。合唱指導をする渡邊さん(右上)。釜石市民文化会館で行われていた第九演奏会(1991年、下)=写真提供:実行委

 
子どもから高齢者まで多くの市民が参加した1999年の第九演奏会=写真提供:実行委

子どもから高齢者まで多くの市民が参加した1999年の第九演奏会=写真提供:実行委

 
 87年からは第九以外の大曲にも挑戦。渡邊さん他界後は、遺志を継いだ山﨑眞行さんが指導にあたり、両輪での合唱披露は2014年まで続いた。03年からは次世代への合唱文化継承を目指し、市内の中学校が毎年順繰りに歌う「オーケストラと歌おう」のコーナーも開設。渡邊さんが残した「学び、耕し続ける文化」を着実に実践してきた。
 
 最大の存続危機は2011年の東日本大震災。メンバーの犠牲、被災、会場の市民文化会館の全壊でしばらくの活動休止もやむを得ない状況だったが、「被災者が立ち上がる力に」と開催を決断。校舎を失った釜石東中の生徒が第九の合唱に声を重ね、大きな感動を呼んだ。被災後の6年間は釜石高体育館が会場となり、17年の市民ホール落成のこけら落とし公演が、くしくも初演時と同様、この第九演奏会となった。
 
東日本大震災があった2011年、釜石高体育館で行われた演奏会。釜石東中の全校生徒が第九の合唱にも参加した

東日本大震災があった2011年、釜石高体育館で行われた演奏会。釜石東中の全校生徒が第九の合唱にも参加した

 
2017年、釜石市民ホールTETTOのこけら落とし公演となった第40回かまいしの第九

2017年、釜石市民ホールTETTOのこけら落とし公演となった第40回かまいしの第九

 
 このまま順調に行くかと思われたが、予想もしなかった新型コロナウイルス感染症の大流行で20、21年は開始以来、初めての中止に追い込まれた。昨年、復活開催したものの、さまざまな情勢の変化で「事業を支えるだけの“体力”を維持できなくなった」として、本公演を最後とすることを決めた。
 
 万感の思いで迎えたフィナーレ。拍手が鳴りやまない中、ステージに招かれたのは、2代目指揮者として25年間、演奏会を率いた山﨑眞行さん(73)。これまでの功績に瓦田さんから感謝の花束が手渡された。山﨑さんは昨年の復活演奏会でも指揮する予定だったが、病のため急きょ降板。この日は客席から演奏を見守り、「みんな頑張ってくれた。一生懸命の第九が聞けてうれしい」と喜んだ。ここまで続いた原動力を「みんなの情熱」とし、「今日で終わりではないと感じる。きっと(何らかの形で)続いていくと思う」と実感を込めた。
 
2019年まで指揮者を務めた山﨑眞行さんがステージに登場。合唱メンバーや聴衆から感謝の拍手が送られた

2019年まで指揮者を務めた山﨑眞行さんがステージに登場。合唱メンバーや聴衆から感謝の拍手が送られた

 
昨年に続いて指揮をした瓦田尚さん(右)。最後は聴衆も一体となり「歓喜の歌」を響かせた。同演奏会恒例のフィナーレ(左)

昨年に続いて指揮をした瓦田尚さん(右)。最後は聴衆も一体となり「歓喜の歌」を響かせた。同演奏会恒例のフィナーレ(左)

 
「これまで感動をありがとう!」出演者をたたえる拍手は鳴りやまず

「これまで感動をありがとう!」出演者をたたえる拍手は鳴りやまず

 
 終演後のロビーでは出演者と来場者が入り交じり、第九でつながれた強い絆をあらためて心に刻み合った。支えてくれた家族からねぎらいの言葉を受ける人も。孫から花束を贈られ喜びの笑顔を見せたのは、通算18回目の出演を果たした土橋郁子さん(78)。本公演には夫博聰さんも来場する予定だったが、11月上旬に突然の急逝(享年79)。音楽好きだった夫のためにもと、悲しみを乗り越えステージに立った。「どこかで聞いていてくれたかな…」。第九は生きがいだった。「今はやりきったという感じ」。長男照好さん(52)は「父にも母の思いが届いたのではないか。演奏も感動的だった。始めた人たちの思いを感じることができた気がして…」と余韻に浸った。
 
「おつかれさま!」お孫さんから花束を贈られ、喜びの笑顔を輝かせる土橋郁子さん(左)

「おつかれさま!」お孫さんから花束を贈られ、喜びの笑顔を輝かせる土橋郁子さん(左)

 
 互いの演奏会に出演し合い、釜石のメンバーとは約30年の付き合いという八戸メンネル・コールの河原木久一さん(89)は「釜石の人たちは心が温かい。私たちのことも快く受け入れてもらった」と感謝。震災があった年に被災した中学生と一緒に歌った演奏会が「忘れられない。あの歌声に三陸の人たちがどれほど励まされたことか」と思いをはせた。
 
 この日は過去に出演経験がある人たちも多数、駆け付けた。渡邊さんが立ち上げた親と子の合唱団ノイホフ・クワィアーに家族3人で所属していた山本美津子さん(86)は、旧市民文化会館のこけら落とし公演に夫、娘と出演した経験を持つ。「(当時が)とても懐かしくてね。アンコールでは一緒に歌った」と声を弾ませ、「第九(演奏会)は市民の大事な宝物だった。もう1回やってほしい」と復活開催に望みを託した。
 
 第1回からの合唱メンバーで最終公演を迎えたのは5人。20代後半から参加してきた菊池玲次さん(71)は「たくさんの先輩方に支えられ、ここまで続けてこられた。亡くなった方も多いが、本当に感謝しかない」と、人生の半分以上を共に歩んだ第九に深い思いを寄せる。この日は、長年一緒に歌い、プライベートでも親交のあった市芸術文化協会前会長の岩切潤さん(2017年逝去、享年82)のちょうネクタイを胸に忍ばせて歌った。
 
終演後、さまざまな思いを分かち合った出演者と来場者。左上は感謝の気持ちを伝える実行委の川向修一会長

終演後、さまざまな思いを分かち合った出演者と来場者。左上は感謝の気持ちを伝える実行委の川向修一会長

 
 地元紙の記者として初の第九発会式を取材した際、渡邊さんに声を掛けられ、合唱メンバーの一員になった実行委の川向修一会長(71)。最後のステージでは渡邊さんの教えの一言ひと言、活動を共にした故人の顔が浮かび、目を潤ませる場面もあった。多くの人たちと心を通わせ歌い続けた45年―。「ひとつの形としての演奏会は終わるが、自分たちのやってきたことが種となり、この先、新たな形で芽吹いてくれれば…」。“一区切り”の言葉に出演者も聴衆も「いつかまた…」との期待を込める。
 
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「元気でいてね!」日ごろの感謝込めお遊戯披露 上中島こども園児が地域の高齢者に

地域住民に歌をプレゼントする上中島こども園児=中妻地区生活応援センター width=

地域住民に歌をプレゼントする上中島こども園児=中妻地区生活応援センター

 
 釜石市の上中島こども園(楢山知美園長、園児48人)の園児18人が18日、園近くの中妻地区生活応援センター(菊池拓朗所長)で地域の高齢者にお遊戯を披露した。日ごろの見守りへの感謝を込め、昨年に続いて企画。かわいらしい衣装に身を包んだ子どもらの歌やダンスに、集まった高齢女性12人は大喜び。終始、笑顔で楽しい時間を過ごした。
 
 センターを訪問したのは3歳、5歳児クラスの園児。始めに全員で「We wish You A Merry Christmas」「にじのむこうに」の2曲を合唱した。3歳児クラスの8人はサンタクロース姿でクリスマスメドレーのダンスを披露。小さな体をめいっぱい動かし、一足早いクリスマス気分を届けた。
 
かわいいミニサンタの登場に目を細める高齢女性

かわいいミニサンタの登場に目を細める高齢女性

 
クリスマスの曲に合わせ踊る3歳児クラスの園児

クリスマスの曲に合わせ踊る3歳児クラスの園児

 
 5歳児クラスの10人は2グループに分かれてお遊戯。「アロハ・フラ~海と空と太陽と」の曲で披露したダンスは南国気分を漂わせ、冬の寒さを吹き飛ばした。「あばれ太鼓~雷ジーン」はかっこいい振り付けが特徴。決めポーズもバッチリで、りりしい姿を見せた。
 
南国のフラダンスであったか気分を届ける5歳児クラスの園児

南国のフラダンスであったか気分を届ける5歳児クラスの園児

 
はっぴ姿の男児は太鼓のばちに見立てた道具を手に元気に踊った

はっぴ姿の男児は太鼓のばちに見立てた道具を手に元気に踊った

 
 “ちびっこサンタ”姿の藤原依茉ちゃん(4)は「うまく踊れた。クリスマス大好き。(もうすぐなので)楽しみ」とにっこり。フラダンサーになり切った小林妃奈乃ちゃん(5)は「楽しかった。おばあちゃんたち、笑って喜んでくれた。これからも元気でいてほしい」と願いを込めた。
 
 同園では9日に、園児らの成長を保護者に見てもらう3~5歳児の生活発表会を開催。この時に発表したお遊戯を「地域の方にも見てもらいたい」と、会終了後も練習を重ねてきた。目尻を下げっぱなしだった平野京子さん(73)は「みんな上手。胸がいっぱいになって涙が出てきた」と大感激。自身の保育園時代と比べ、「今の子どもたちはすごいね。いろいろなことを覚えてねぇー」と感心しきり。
 
子どもたちの頑張りに盛んな拍手を送る

子どもたちの頑張りに盛んな拍手を送る

 
会場にはたくさんの笑顔が広がった

会場にはたくさんの笑顔が広がった

 
園児と高齢者は共に楽しいひとときを過ごした

園児と高齢者は共に楽しいひとときを過ごした

 
 上階が復興住宅になっている同センターでは週に2回、住民らがラジオ体操を行っていて、同園の園児が参加することも。季節の行事でも交流が続く。「地域の皆さんに見守ってもらいながら子どもたちを育てていきたい」と楢山園長。こうした交流は子どもの心の成長への効果だけではなく、日ごろからの行き来で顔見知りになることで大人の目が増え、不審者の声掛けや犯罪などに巻き込まれるリスクを軽減できればとの思いもある。新型コロナウイルス禍で園行事への招待はしばらくできずにいたが、来年から再開できればと心待ちにする。
 
園児から日ごろの感謝を込めて、松ぼっくりツリーとクリスマスカードのプレゼント

園児から日ごろの感謝を込めて、松ぼっくりツリーとクリスマスカードのプレゼント

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励まし支え合って30年 釜石・ボランティア連絡協 交流会で英気蓄え「活動続行!」

結成30周年記念交流会を楽しむ釜石のボランティアら

結成30周年記念交流会を楽しむ釜石のボランティアら

 
 釜石市ボランティア連絡協議会(久保道子、中川カヨ子共同代表)が結成30周年を迎えた。市内で開かれるイベントの運営などで力を合わせたり、市外の団体と交流したり、多様な活動を展開。新型コロナウイルス感染症などの影響で控えていた顔を合わせた活動が徐々に再開される中、構成団体のメンバーたちは奉仕の心を大切にした活動の継続へ気持ちを新たにしている。
 
 同協議会は、1992年の三陸海の博覧会で市内の女性団体がおもてなしを担当したことをきっかけに93年に結成。ボランティア団体の相互の情報交換や連携を目的にし、市社会福祉協議会が事務局を担う。本年度は13団体246人で構成。活動内容は花壇整備や防災活動、手話学習、高齢者家事援助、子育て支援、傾聴など多岐にわたる。
 
 10日、記念の交流会を上中島町の中妻公民館で催し、約60人が日ごろの活動を紹介し合いながら節目を祝った。久保共同代表(釜石地区更生保護女性の会会長)は「この30年、東日本大震災やコロナの感染拡大など、さまざまな困難や苦労もあったと思う。それでも長い間、先輩方の思いをつなぎながら活動を続けてこられたことに感謝の気持ちでいっぱい。お互いに感謝とねぎらいの時間を過ごし、今後の活動の励みとしましょう」とあいさつ。来賓の吉田守実・岩手県ボランティア団体連絡協議会長が祝辞を述べた。
 
開会式であいさつする久保道子共同代表(左)、来賓の吉田守実会長

開会式であいさつする久保道子共同代表(左)、来賓の吉田守実会長

 
人形劇団どっこいしょKが活動紹介。こちらも結成30年

人形劇団どっこいしょKが活動紹介。こちらも結成30年

 
 協議会と同じく結成30周年の「生きがい人形劇どっこいしょK」(千葉勝美座長)が活動紹介。「孤立したキツネ~引きこもり編」と題した演目で、震災で職を失って帰郷し、引きこもりがちになった男性を公的支援につなぐ物語。終盤、音響トラブルが発生したが、団員の菊地恵美子さん(93)がマイクを手に舞台から顔を出し、団体の歴史を話して場をつないだ。
 
途中でトラブルが起きても慌てず場をつなぐ菊地恵美子さん

途中でトラブルが起きても慌てず場をつなぐ菊地恵美子さん

 
 劇団は岩手高齢者大学釜石校の人形クラブを母体に同窓生、OB有志で93年に結成された。脚本づくりから人形や道具の制作、音声、舞台設営まで全て団員が手作りし運営。地域の民話を題材にしたり、保健所と協働で認知症や心の病などをテーマにした演目を市内外の福祉施設、保育施設、講演会などで上演してきた。震災では浜町で保管していた人形などを失ったが、数カ月後に活動を再開。会員9人のうち4人が90代だが、今なお現役で活動する。
 
 コロナ下で3年間活動ができず、団員たちは久しぶりのお披露目に気合が入った。菊地さんも、普段使っているつえを手放しキビキビ歩いて元気満々。「ボランティアは社会にとって大事で、愛と信頼関係がなければ続かない。仲間に感謝。皆さんもお互いに励まし、支え合っていきましょう」と通る声で呼びかけた。
 
団員の平均年齢は90歳超。「生き生きと楽しく」がモットー

団員の平均年齢は90歳超。「生き生きと楽しく」がモットー

 
“お元気シニア”の代表格どっこいしょKの劇に見入る参加者

“お元気シニア”の代表格どっこいしょKの劇に見入る参加者

 
 昼食の時間には、協議会結成のきっかけとなった三陸博の映像や写真資料などがスクリーンに映し出され、参加者が懐かしそうに視聴。そのほか、紙芝居や合唱などの活動紹介もあり、参加者みんなで楽しい時間を共有した。
 
30年前の映像を見ながらおしゃべりを楽しみ親睦を深めた

30年前の映像を見ながらおしゃべりを楽しみ親睦を深めた

 
 事務局担当の市社協職員は「どっこいしょKのようなお元気シニアの皆さんからエネルギーをもらって、それぞれが活動に励んでもらえたら」と期待。人口減、高齢化、会員の減少など課題はあるが、ボランティア活動は携わる人の生きがい、やりがいにつながり、地域も活性化することから、息の長い活動になるようサポートしていく考えだ。

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「夢叶う」その理由は…将棋・小山怜央四段(釜石出身) 答えは初の著書に 古里で出版イベント

小山怜央四段の著書出版を記念し釜石で開かれたイベント

小山怜央四段の著書出版を記念し釜石で開かれたイベント

 
 「夢破れ、夢破れ、夢叶(かな)う」。11月下旬に釜石市内の書店に並んだ本のタイトルだ。著者は、地元出身で岩手県初の将棋プロ棋士となった小山怜央四段(30)。棋士養成機関「奨励会」を経ずに棋士になるという特異な道のりをたどる自伝で、「アマチュア棋士がプロに勝ち、プロになった話」をつづる。刊行を記念し、桑畑書店(釜石・大町)が12月9日にトークイベントを開催。小山四段は、応援する市民や将棋ファンら約30人を前に「自分を信じて挑み続ける」と尽きせぬ情熱を伝えた。
 
 イベントは、幼少期の小山四段を指導した日本将棋連盟釜石支部長の土橋吉孝さん(68)との対談形式で進んだ。土橋さんいわく、「集中力があるが、夢中になると周りのことが耳に入らなくなる子」だったという小山四段。そうした面が対局中に現れ注意されたことが著書で触れられていて、土橋さんは「あとで読んで」と濁したが、小山四段は「細かく書けなかった」と当時の癖を自ら明かしたり、ほほ笑ましい2人のやりとりに会場からくすっと笑いが起こった。
 
終始楽しげにトークを展開する小山四段と土橋吉孝さん

終始楽しげにトークを展開する小山四段と土橋吉孝さん

 
 小山四段の強みは、最後まで諦めない姿勢や失敗を引きずらない切り替えの良さが挙げられるが、「大学生活や社会人経験も強みになる」と自己分析。棋力向上には「AIをガッツリ使っている。反省会と称した研究会があって、奨励会員や棋士と対局しながら腕を磨いている」と近況を伝えた。プロになってからの成績は3勝6敗。来場者から「逆境をどう乗り越えるか」などと質問されると、「スタイルは変えない。自分の読みを信じる」と芯の強さをのぞかせた。
 
ファンに思いを伝える小山四段「嫌になることはあっても、やめたいと思ったことはない。将棋だけは」

ファンに思いを伝える小山四段「嫌になることはあっても、やめたいと思ったことはない。将棋だけは」

 
 トークの後はサイン会。「信念」と力強く記した本を小山四段から受け取った井戸大靖さん(関西大法学部4年)が見せたのは満面の笑み。自身も将棋を楽しんでいて、奨励会未経験、岩手初という偉業に「すごい」と尊敬のまなざしを向ける。「働きながら学び続けるのも大変なのに、仕事を辞めて挑む。情熱ですよね。そういうものを自分も見つけられたら」と感化された。
 
市民やファンが列を作ったサイン会。「信念」と言葉を残す

市民やファンが列を作ったサイン会。「信念」と言葉を残す

 
小山四段(右)の気さくな人柄に触れてみんな笑顔に

小山四段(右)の気さくな人柄に触れてみんな笑顔に

 
 自伝は、▽将棋との出会い~奨励会に挑戦▽高校入学~東日本大震災▽大学入学~二度目の奨励会挑戦▽サラリーマン生活~プロ編入試験の受験資格獲得▽プロへの挑戦-の5章構成。奨励会に入ることはできず、災禍に見舞われたとしても、「棋士になる」という夢を大事に育て、運を味方にしたら諦めず突き進んでつかみ取る、そんな半生をしたためている。
 
 「二度にわたって夢破れ、その末にかなった夢」。プロ棋士となった今、「二つの新たな夢ができた」と著書で明かす。そのほか、土橋さん、プロ編入試験直前に対局した遠山雄亮六段、師匠の北島忠雄七段のインタビューや、棋士編入試験5番勝負全局の棋譜も収録する。
  
信じた道を歩み続ける小山四段の著書「夢破れ、夢破れ、夢叶う」

信じた道を歩み続ける小山四段の著書「夢破れ、夢破れ、夢叶う」

 
小山四段の活躍と書籍の売れ行きを期待する編集者ら

小山四段の活躍と書籍の売れ行きを期待する編集者ら

  
 時事通信社刊。四六判152ページ、税抜き1500円。小山四段のドラマチックな歩みはさまざまな報道で知る人も多く、市民、県民に喜びや感動、勇気を与えた。この書籍はその道のり、経験、思いを「当事者の目線」で記しているのが注目点。イベントには編集を担当した時事通信出版局の永田一周さん(編集委員)も参加し、「縁があり出版にこぎつけた。小山さんには活躍してもらい、皆さんは本を買って応援をお願いします」と売り込んでいた。

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サバイバルマスター 1DAYチャレンジ!フード編

サバイバルマスター®️1DAYチャレンジ!フード編
 

12月24日(日) フード編
 
/// 人の手助けができるサバイバルマスター®️に ///
 
全国の子どもたちにお願いです。
災害時は、大人たちだけでは対応できないことが次々に起こります。
そんな時のために一緒に学び続けよう。

8つのサバイバルプログラム

講習を受けると修了証、実技・筆記試験に合格するとワッペンがもらえます。
スキルが身についているか?学んだことを理解しているか?が合格の基準。
8つのプログラムすべてのワッペンがそろうと「サバイバルマスター®️」として認定されます。
 
サバイバルマスター®️1DAYチャレンジ!フード編チラシ(PDF/14.9MB)

スケジュール

10:00 受付開始
 
10:30 講習開始
このスキルを身に着けたら、どういった場面で役にたつか、学びながら練習しよう!
 
12:00 昼食
非常食を食べてみよう!
 
13:30 筆記試験
知識がしっかり身についているかテスト!
 
13:50 ふりかえり
 
14:00 解散

インストラクター

伊藤 聡
さんつな 代表
釜石高等学校 探求学習講師「防災ゼミ」
72時間サバイバル教育協会 認定ディレクター
 
釜石生まれ釜石育ち。
東日本大震災で自身も被災したものの、生まれ育ったまちを取り戻すため、ボランティアコーディネートを中心とした活動からスタート。
 
自然と災害という二つの要素を織り交ぜながら、子どもたちの生きる力を高めるために、様々な体験機会のコーディネートを行っています。
 
<<主な資格>>
防災士、防災検定2級、JVCAボランティアコーディネーション力検定2級、MFAメディック・ファーストエイド チャイルドケアプラス

お申し込み

予約フォームよりお申し込みお願いします!
https://reserva.be/santsuna
 
日程:2023年12月24日(日)
定員:15名(先着順)
※最小催行:3名
料金(税込):各回3,000円/一人あたり
※プログラム費、検定費、保険代など含みます
※助成金により、通常の参加費(5、500円)より割安になっています
対象:小学3年生以上
※子ども向けの内容ですが大人も参加大歓迎です
集合時間:10時受付開始
会場:根浜レストハウス キャンプ場
(釜石市鵜住居町第21地割23番地1外)
持ち物・注意事項:
●参加費は当日受付でお支払いお願いします(現金、PayPay、かまいしエール券)
●保護者や、対象年齢以外のご家族の付き添い(見学のみ)可能です

主催・お問い合わせ

さんつな(三陸ひとつなぎ自然学校)
LINE https://lin.ee/RvMUVBk
TEL 0193-55-4630 / 090-1065-9976
mail hitotsunagi.main@gmail.com

主催

さんつな

協力

72時間サバイバル教育協会
Tri4JAPAN

さんつな

さんつな

自然と災害という二つの要素を織り交ぜながら、若者の生きる力を高めるための体験機会を提供しています。

問い合わせ:0193-55-4630 〒026-0301 岩手県釜石市鵜住居町29-17-20
メール / LINE / 公式サイト / Facebook

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釜石は番号で呼ばれる橋が多い!? 鉄の町・鉄道の歴史ひもとく 図書館教養講座

釜石の「ナンバーブリッジ」を紹介した森一欽さん

釜石の「ナンバーブリッジ」を紹介した森一欽さん

 
 三の橋、五の橋、七の橋、八の橋…釜石市には「番号で呼ばれる橋」が多い。なぜか?…「名称だから」といえばそれまでだが、気になっている人も少なくはないのでは―。そんな疑問の解消につながる講座が3日、小佐野町の市立図書館で開かれた。同館主催の市民教養講座の一環で、市世界遺産課の森一欽さん(課長補佐)が講師。「鉄の町かまいし」の歴史に関心のある市民ら約20人が聴講し、その「知りたい!」という好奇心をくすぐった。
 
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歴史好きの人たちが耳を傾けた市立図書館の教養講座

 
 テーマは「釜石鉄道の道」。橋の話は鉄の町、鉄路の歴史とかかわる。1858(安政4)年12月1日に大橋地区で、大島高任が洋式高炉・鉄鉱石による製鉄に成功したことから鉄の町の歴史がスタートするが、そこは鉄道の歴史が始まった地でもあるという。
 
 時代は明治、鈴子(現在の釜石製鉄所がある地区)に官営製鉄所をつくることが決まったところから森さんの解説が始まった。生産能力を引き上げた高炉を稼働させる計画で、それに見合った鉄鉱石や木炭を運搬するため鉄路が敷かれた。それが「工部省鉱山寮釜石鉄道(総延長26.3キロ)」。大橋の採鉱場から鈴子、そして釜石港までつなぎ、支線として小川にあった製炭所も結ぶ路線で、1880(明治13)年に運転を開始。「これが日本で3番目の鉄道になる」と語る。
 
鉄の町の歴史を支えた鉄道について解説する森さん

鉄の町の歴史を支えた鉄道について解説する森さん

 
 ただ、官営としての使用は3年ほどで終わり、その後は鉄の生産量拡大や国による鉄道法の公布などで、▽馬車鉄道▽釜石鉱山専用汽車(社線)▽岩手軽便鉄道-と変遷していく。1950(昭和25)年に釜石線が全線開通した後には「モータリーゼーション」がやってくる。森さんは「車社会、国道のど真ん中を鉄道が走っているのは邪魔ですよね。撤去することに。昭和40年のこと」と説明した。
 
 そして話題が変化。「ナンバーブリッジ。なんで番号が付いた橋ができたか」。気になっていた答えは「簡単に言うと、橋の名前をいちいち付けるのは面倒くさいということで番号を付けたんですね、たぶん。それが始まり」と、森さんはさらっと発した。橋ができたのは官営製鉄所時代で、工部省年報(公文書)などを示し、「当時作られた橋は20カ所」と説明。一方、同じ頃に刊行された工学雑誌の記述も見せ、「ある研究者のまとめでは17。何が違うか。書いた方はカルバート、つまり暗きょは橋と認めない」と差異の要因を指摘した。
 
橋の数に違いが生じた点も解説した

橋の数に違いが生じた点も解説した

 
身を乗り出し説明に聞き入る参加者

身を乗り出し説明に聞き入る参加者

 
 工学雑誌を基に、17の橋を紹介した。今も使われ名称も定着している「五の橋」だったり、名を知らずの橋、宅地などで利用され地下で眠ってしまったものもあったり。当時の名残を見ることができる場所もあり、小佐野町の60代男性は「知らなかったことばかり。近くにあるという八の橋、九の橋を散歩がてら見てみようと思う。話を聞きくと楽しみが増えるな」と頬を緩めた。
 
 質疑の時間には、鉄鉱石の運搬で活躍した蒸気機関車や製鉄所製造の鉄管の行方など、歴史好きな人たちならではの問いかけが続いた。「橋の位置を特定する参考に」と当時の住宅街の様子を伝える人もいて、知的好奇心を刺激し合う雰囲気に森さんはニヤリ。昨年の鉄の記念日・週間に行われたある講演で橋の話題が出た後、興味を持った市民らの様子を察知して今回のテーマを選んでいて、「うん。実際に歩いて、いろんな痕跡を探してみて」といたずらっぽい笑みを浮かべた。
 
数字が入った橋名板をパチリ。歴史に触れる町めぐりを楽しめる

数字が入った橋名板をパチリ。歴史に触れる町めぐりを楽しめる

 
甲子町にある「十三の橋」。イギリス積みという手法で積み上げられた赤レンガが残る

甲子町にある「十三の橋」。イギリス積みという手法で積み上げられた赤レンガが残る

 
 ナンバーブリッジ。釜石を楽しむ要素に橋めぐりはいかが―。

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映像文化、まちの歴史で復興後押し 故平松伸一郎さん追悼映画上映会 釜石で 関係者はしのぶ会も

故平松伸一郎さんが手掛けた映画上映会のチラシに見入るしのぶ会の参加者

故平松伸一郎さんが手掛けた映画上映会のチラシに見入るしのぶ会の参加者

 
 東日本大震災後、映画上映や地元に眠る映像の発掘、地域の歴史や文化に着目したまち歩き地図の発行などで復興に尽力した釜石市のフリーライター平松伸一郎さん(享年51)。昨年10月の急逝から1年が経過した今年、平松さんとゆかりのある関係者らが生前の功績に感謝し、映画上映会を企画した。2、3の両日、同市大町の釜石PITで開かれた上映会では、平松さんが手掛けた映画イベントのチラシや生前の活動を伝える新聞記事、投稿したコラムなどを展示。市民らの心の復興に貢献した平松さんの活躍を振り返り、哀悼の気持ちを表した。
 
 「シン・シネピット」と題した上映会は、釜石まちづくり会社、みやこ映画生活協同組合によるシネピット運営委員会が主催。2日間で6作品を上映し、147人が鑑賞した。初日最後の回では平松さんがこよなく愛した世界的ロックバンド「ザ・ビートルズ」のドキュメンタリー映画を上映。鑑賞後、平松さんをしのぶ会が開かれ、親交のあった人たちが思い出を語り合った。
 
ビートルズの映画上映前には平松さんのこれまでの活動を紹介するメモリアル映像の上映も

ビートルズの映画上映前には平松さんのこれまでの活動を紹介するメモリアル映像の上映も

 
生前の平松伸一郎さん(左)=メモリアル映像より

生前の平松伸一郎さん(左)=メモリアル映像より

 
 平松さんは釜石市源太沢町生まれ。釜石南高から慶応大に進み、東京の編集プロダクション勤務を経て2003年に帰郷した。フリーのライター、編集者として各種記事の執筆、高校記念誌の編さんなどを手掛け、同市国際交流協会の一員としても活動。11年の震災後は復興まちづくりに取り組み、NPO法人かまいしリンクを立ち上げ対話カフェを開催するなど、市民目線で復興を後押しする活動を続けた。
 
 まちの文化や歴史にも精通していた平松さん。地域の魅力を再発見するまち歩き地図「釜石てっぱんマップ」の作成(14年初版)、市内に眠っていた昭和の映像発掘や上映なども行い、復興に向かう市民らに再起への力を与えてきた。映画館が消滅して久しい同市に映画上映の場を作り心の復興につなげようと、仮設団地や復興住宅集会所、公民館での上映会も多数開催。“みんなで見たい映画”を公募し上映作品を決める「釜石てっぱん映画祭」(16~19年開催)では、映画監督や俳優を招いてのシネマトークも盛り込み、来場者を喜ばせた。
 
2019年3月に開かれた第3回釜石てっぱん映画祭。前列右から2人目が平松さん=復興釜石新聞より

2019年3月に開かれた第3回釜石てっぱん映画祭。前列右から2人目が平松さん=復興釜石新聞より

 
平松さんと親交のあった人たちが思い出を語り合う。左下は「釜石てっぱんマップ」

平松さんと親交のあった人たちが思い出を語り合う。左下は「釜石てっぱんマップ」

 
 しのぶ会では集まった人たちが献杯し、平松さんとのエピソードや人柄などを語った。NPO法人かまいしリンク代表の遠藤ゆりえさん(39)は国際交流協会での出会いを機に平松さんとつながり、同NPOを共に立ち上げた(平松さん副代表)。「上映映画を選ぶ際の基準はビッグタイトルよりもメッセージ性のあるもの。復興まちづくりへの冷静な視点も持ち合わせていた。あらためて平松さんの生き方に触れることで、気持ちにも一区切りついた感じ」と心境を話した。
 
 2014年から5年間、復興応援職員として同市広聴広報課に勤務していた京都府出身の村上浩継さん(44)は取材の仕事で平松さんと知り合い、てっぱん映画祭などで行動を共にした。平松さんを「ひょうひょうとしてマイペース。うまく周りを巻き込んで成功に導くタイプ」と表現。歴史や文化に目を向けた活動にも共感し、「未来の釜石の文化の担い手、旗振り役として期待していた。こんなに早く亡くなられたのは非常に残念」と惜しんだ。
 
平松さんについて語るかまいしリンクの遠藤ゆりえさん(左)と元釜石市広聴広報課職員の村上浩継さん(右)

平松さんについて語るかまいしリンクの遠藤ゆりえさん(左)と元釜石市広聴広報課職員の村上浩継さん(右)

 
 中学、高校の同級生で、帰郷後の平松さんと親交のあった市職員の笹村聡一さん(53)。脳疾患で倒れ2年ほど闘病中だった友の訃報は新幹線で出張に向かう途中に届き、最後の別れはかなわなかった。同級生ならではのエピソード、思い出は数知れず。気心知れた仲だけに酒席では言いたいことを言い合い、けんかになることもあったが、優れた文才には一目置き、「書いているものは多種多彩で、確かに上手。物書きは彼の天職だったと思う」。郷土愛も深く、「これからの釜石発展の一翼を担ってほしい人材だった。実現したいことはまだまだあったと思うが、聞けずじまいになってしまったのが心残り」と笹村さん。
 
 震災後、平松さんと一緒に沿岸各地で映画上映会を開き、被災者に元気や希望をもたらしてきた、みやこ映画生協常務理事の櫛桁一則さん(51)。「忙しい時は妻より長く一緒にいたかも」と上映活動に奔走した日々を振り返り、「映画や音楽に関してはすごく詳しい方。移動中、音楽を聞きながらいろいろな話を聞くのがすごく楽しくて。知らなかったこともたくさん教わった」と大切な思い出を心に刻む。「リハビリして戻ってくると信じていた」だけに突然の訃報は「本当にショックだった…」。生前、平松さんは「何もないまちだと嘆くだけではだめ。自分たちで創造し、続けていくことが文化になる」と常々言っていたという。櫛桁さんは「平松さんの遺志を継いで、これからも地域の文化振興に携わっていきたい」と思いを強くする。
 
会場には平松さんの活動を伝える地元紙の記事やコラムのコピーが展示された

会場には平松さんの活動を伝える地元紙の記事やコラムのコピーが展示された

 
震災後、平松さんが市内の仲間と発行したコミュニティー紙「フライキ!」

震災後、平松さんが市内の仲間と発行したコミュニティー紙「フライキ!」

 
しのぶ会の参加者は平松さんの功績をあらためて実感し、今後のまちづくりへ思いを新たにした

しのぶ会の参加者は平松さんの功績をあらためて実感し、今後のまちづくりへ思いを新たにした

 
 平松さんは数々の上映会やイベントを開催してきた釜石PITの運営委員も務めた。施設を運営管理する釜石まちづくり会社の下村達志事業部長は「平松さんには情報交流センター設立前の運営準備委員会から関わっていただき、情報ポータルサイト・縁とらんすの基本情報も書いてもらった。多彩な関わりでお世話になり感謝でいっぱい。平松さんが残してくれたものをこれからも生かしていければ」と願う。

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感動共有!笑顔つなぐ読み聞かせ 釜石・甲子小PTA「お話しどんどこ」 活動20年目に

「お話しどんどこ」が甲子小で続ける読み聞かせ活動

「お話しどんどこ」が甲子小で続ける読み聞かせ活動

 
 釜石市立甲子(かっし)小の読み聞かせボランティア「お話しどんどこ」が、活動を始めて20年目に入った。始まりは保護者によるPTAサークル活動。今では祖母世代や近隣住民などが加わった地域ぐるみの活動に深化する。授業の合間の休み時間を活用した不定期の取り組みは、月1回の朝活動に変化。働き世代の保護者らにとっては忙しい時間だが、米澤美紀代表(47)は「本を通して子どもたちと対話しながら一緒に楽しんでいる。いとおしい反応や笑顔、パワーをもらう、すてきな時間。読み手が増え、ずーっと続く活動に」とほほ笑む。
 
 「どこにいるかな? にげた金魚、みんなも一緒に探してくれる?」。11月30日朝、甲子町の同校1年2組(23人)の教室で、米澤代表が児童に優しく語りかける。「いるー、そこ、そこー!」「よかったー」。話の世界に引き込まれた子どもたちが指さしたり全身でアピールする。こんなやりとりが繰り返され、約15分があっという間に過ぎてゆく。
 
 どんどこは2004(平成16)年に学校の呼びかけで、当時の保護者10人ほどで立ち上げた。当初は2、3時間目の授業の間の休み時間(中休み)を使い、図書室で低学年を対象にした読み聞かせを不定期に実施。続ける中で、月に1回、全学年向け、各教室での活動と形が変わった。現在の活動日、第4木曜日は「朝どんどこ」として“甲子っこ”にすっかり定着している。
 
子どもたちを物語の世界に引き込む千田雅恵さん

子どもたちを物語の世界に引き込む千田雅恵さん

 
 登録メンバーは11人で、米澤代表のように在校生の保護者もいれば、祖母だったり、卒業児の家族、元教員、地域住民とさまざまだ。この日活動したメンバーは7人。2年2組(20人)の教室では、立ち上げ時からのメンバー千田雅恵さん(61)が季節に合わせて選んだウクライナの民話「てぶくろ」や、100年前に生み出された物語ながら新鮮味や面白さが色あせない「子どものすきな神さま」(新美南吉作)を穏やかな語り口で聞かせた。
 
 朝活後、図書室で反省会。持ち込んだ本を見せ合い、選択に込めた思いを共有したり、記録を残したりした。さらに、この日は20年目の活動を祝うセレモニーを企画。中休みに6年生(43人)を迎えて、図書の寄贈(10冊)やパネルシアターの上演でふれあった。
 
記念セレモニーで学校に図書を贈呈。児童はお礼の手紙をお返し

記念セレモニーで学校に図書を贈呈。児童はお礼の手紙をお返し

 
クイズ形式で展開するパネルシアターは大盛り上がり

クイズ形式で展開するパネルシアターは大盛り上がり

 
 千田さんが20年の活動を振り返り。「楽しいお話が次々出てくるようなイメージ」を込めた団体名の由来、「子どもたちのために少しでもできることを」とたくさんの大人が思いをつないできたこと、学校の心強い後押しにも触れた。「気づいたら20年。本の世界をみんなでドキドキしたり感動したりできる読み聞かせは楽しい。今度はみんなが読み手になって、どんどこを続けてほしいな」と期待した。
 
20年の活動を振り返る千田さん(左)

20年の活動を振り返る千田さん(左)

 
贈った図書を紹介する米澤美紀代表(左)

贈った図書を紹介する米澤美紀代表(左)

 
 図書委員の髙橋龍之助君は「いつもおもしろく、本との出合いの機会になっている」と感謝を伝えつつ、「ヨシタケシンスケさんの本が好きなので、今度読んでほしい」とリクエスト。母良田(ほろた)凪君は物語の世界を情感たっぷりに表現する読み手の姿が印象に残っていて、「自分もやってみたい」と目標の芽を伸ばしている。
 
 同校には現在、児童244人が在籍する。メンバーは季節や学年を考慮しながら取り上げる本を選んでいるが、共通するのは「感動」という視点。まずは自分たちが心揺さぶられ、そうした思いをつづられた文字にのせ届けている。艦砲射撃を題材にした作品を紹介し、まちの歴史も伝えたり。朝どんどこを見守る菊池一章校長は「読み手の皆さんが楽しんでいるのが神髄。聞き手との一体感、空気感がすごくいい」と目を細める。
 
あちこちから小さな手が伸びる「朝どんどこ」

あちこちから小さな手が伸びる「朝どんどこ」

 
「次に読む本は?」。反省会は選書のヒントを得る場に

「次に読む本は?」。反省会は選書のヒントを得る場に

 
読んだ本と子どもたちの反応を記録に残す

読んだ本と子どもたちの反応を記録に残す

 
 米澤代表は「大きくなると読み聞かせはしなくなるが、親以外から伝えられることもある。忙しい朝だけど、子どもたちとの交流はひと息できる楽しい時間でもある」と保護者の立場からも意義を実感。どんどこのサークル活動のほか、PTAの図書ボランティア部隊として週2回、図書室の読書環境づくりにも携わり、「甲子小にたくさんの笑顔の花を咲かせるよう、元気に活動していきたい」と意欲を見せた。
 
活動継続へ気持ちを新たにする「お話しどんどこ」メンバー

活動継続へ気持ちを新たにする「お話しどんどこ」メンバー

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見て、触れて、味わって知る「サケ」 かまいしこども園児 郷土の水産業に理解一層

サケの体に恐る恐る触ってみる園児=かまいしこども園サケ学習

サケの体に恐る恐る触ってみる園児=かまいしこども園サケ学習

 
 釜石市天神町のかまいしこども園(藤原けいと園長、園児85人)で11月28日、サケの解体学習が行われた。同園の年長児が取り組む「サケ学習」の一環。サケの一生や漁獲方法、食卓に上がるまでの過程を教わった園児らは、地元で取れた雌サケの解体を見学し、さばいた切り身を炭火焼きで味わった。
 
 同学習は地元水産資源の学びを通して郷土愛や環境保全意識の醸成につなげようと、海洋教育パイオニアスクールプログラム(笹川平和財団海洋政策研究所など主催)の助成を受けて2021年度から行われる。今年度の学習は春の稚魚放流からスタート。夏には漁獲や市場の様子を映像で学んだ。
 
 3回目となった今回は恒例の解体学習。はじめに、講師を務める岩手大三陸水産研究センター特任専門職員の齋藤孝信さんが、これまでの学びのおさらいとして、サケの成長過程や定置網での漁獲方法、市場での競りなどについて話した。齋藤さんは「みんなが甲子川に放流したサケの赤ちゃんは北の海で大きくなり、4年後の秋に釜石の海に戻ってきます。大きな網を仕掛けて取ったサケは、市場で仲買人さんが買って魚屋さんに並びます」と説明。最近は戻ってくるサケが少なくなっていることも教え、「サケが戻ってこられるきれいな海や川にするため、ごみは決められた場所に捨てよう」などと呼び掛けた。
 
岩手大の齋藤さんはサケが食卓に届くまでの過程を説明

岩手大の齋藤さんはサケが食卓に届くまでの過程を説明

 
 いよいよ本物のサケが登場。齋藤さんが腹に包丁を入れるとイクラが姿を見せ、園児から歓声が上がった。用意されたサケは体長75センチ、重さ4キロの中型。両石湾仮宿沖の定置網で前日朝に漁獲された。園児らはサケの体に触ったり、鋭い歯がある口の中や頭の近くにある心臓を観察したり…。初めて見る体内や各部位に驚きの表情で見入った。解体学習には年長児のほか、年中児も特別参加した。
 
釜石の海で水揚げされたサケに目を輝かせる園児

釜石の海で水揚げされたサケに目を輝かせる園児

 
初めて触るサケの体の感触は?

初めて触るサケの体の感触は?

 
鋭い歯が並ぶサケの口の中を見てびっくり仰天!

鋭い歯が並ぶサケの口の中を見てびっくり仰天!

 
 梶原環ちゃん(5)は「血がちょっと怖かった。サケの体はぬるぬるしていた。イクラが好き。サケを食べるの、楽しみ」と、この後の試食を心待ちにした。
 
 内臓などを取り除き、切り身にしたサケは塩をふって、園庭で炭火焼きにして味わった。「おいしー!」と声をそろえる園児たち。「カリカリする」「焦げがちょっと苦い」「塩がしょっぱい」「皮、大好き」…。それぞれの舌で海の恵みの味を表現した。
 
サケが焼き上がるのを心待ちに見守る園児

サケが焼き上がるのを心待ちに見守る園児

 
炭火で焼いたサケの切り身をじっくり味わう

炭火で焼いたサケの切り身をじっくり味わう

 
 3年間、同学習に協力してきた講師の齋藤さんは「映像を見せる、実物を触らせる、放流をするなど、さまざまな体験が子どもたちの興味喚起につながっている。サケへの理解も随分、深まっている」と手応えを実感。海や海産物に親しむことで、地産地消の推進、魚食普及にもつながることを願い、「将来、漁師になりたいと思う子がでてくれればさらにうれしい」と10年、20年後に期待を寄せる。
 
 サケが豊漁だったころは、家庭の軒先に新巻きザケが並ぶ光景が冬の風物詩だった釜石。近年の水揚げ激減で、そうした景色も見る機会が減った。澤田利子副園長は同学習について、「魚(漁業)のまち釜石をもっと身近に感じられるようになったのではないか。地球温暖化や海洋(プラスチック)ごみの魚への影響が顕著になってきている。子どもたちには自然を大切にするなど、環境問題にも関心を持ちながら育っていってほしい」と願う。同園のサケ学習はこの後、新巻きザケ作りの見学なども検討している。
 
お腹を開いたサケの体内に目がくぎ付け。貴重な学びの時間

お腹を開いたサケの体内に目がくぎ付け。貴重な学びの時間

 
取り出したばかりのイクラの塊に興味津々

取り出したばかりのイクラの塊に興味津々

 
女の子はきらきら光るイクラの粒にこの笑顔

女の子はきらきら光るイクラの粒にこの笑顔

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広報かまいし2023年12月1日号(No.1821)

広報かまいし2023年12月1日号(No.1821)
 

広報かまいし2023年12月1日号(No.1821)

広報かまいし2023年12月1日号(No.1821)

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【P1】
小野市長 就任あいさつ

【P2-3】
明治日本の産業革命遺産 書き下ろし小説
まちの話題

【P4-5】
水道管の凍結にご注意ください 他
行政事務組合・広域環境組合 決算

【P6-7】
まちのお知らせ

【P8】
イベント案内

この記事に関するお問い合わせ
釜石市 総務企画部 広聴広報課 広聴広報係
〒026-8686 岩手県釜石市只越町3丁目9番13号
電話:0193-27-8419 / Fax 0193-22-2686 / メール
元記事:https://www.city.kamaishi.iwate.jp/docs/2023112700017/
釜石市

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