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サンマ船 釜石・白浜漁港(箱崎町)から出漁 北の海へ、見送る家族ら「無事であれ」

白浜漁港から北海道へ向かうサンマ船「第二十八明神丸」

白浜漁港から北海道へ向かうサンマ船「第二十八明神丸」

  
 秋の味覚・サンマを求めて、釜石市箱崎町の白浜漁港からサンマ漁船「第二十八明神丸」(19トン)が2日、拠点となる北海道の釧路港へ向けて出港した。近年、サンマ漁を取り巻く状況は厳しく、不安を抱えての船出に。そうした中でも、見送る地域住民の表情は明るく、浜は活気づいた。
 
 同漁港からの出漁は40年ほど続くが、今ではこの船が唯一。船主の栗澤重之さん(61)を船頭に、息子の仁(まさし)さん(32)が機関長を務め、甲板長の佐々木康裕さん(39)、炊事長の佐々木幸喜さん(59)の4人で漁に出る。
 
 「ここ数年は資源量が少ないうえ、魚形が小型化していることもあり、水揚げは一番いい時から10分の1くらい。廃業になるかも」。重之さんは厳しい状況を語る。公海まで行く燃料代に加え、集魚灯など棒受網漁の設備装着など出漁の経費も掛かるが、「乗組員の生活もあるから。ほかの魚種のかたまりがピンポイントで見込まれ、一獲千金ということもある」と期待を込める。
 
大漁旗を掲げて船出の準備をする乗組員ら

大漁旗を掲げて船出の準備をする乗組員ら

 
乗組員を激励したり「祝い酒」を味わったり

乗組員を激励したり「祝い酒」を味わったり

 
 午前9時、大漁旗をはためかせながら岸壁を離れた第二十八明神丸。「気をつけて行ってこい」。乗組員の家族や漁師仲間、地域住民らが手を振って送り出した。船は漁港内を2周し、汽笛を鳴らして見送りに応えて外海に出た。
 
白浜漁港を離れる船を見送る地域住民ら

白浜漁港を離れる船を見送る地域住民ら

 
岸壁で見守る仲間に、乗組員も手を振って応える

岸壁で見守る仲間に、乗組員も手を振って応える

 
 当初、8月下旬に出る予定だったが、海況の状況が良くなく、数日待っての出漁。この日は土曜日ということもあって、子どもの姿もあった。地元でホタテやワカメなどの養殖を手掛ける浦島富司さん(71)は「遠出は若手に任せる。頑張ってこい。人が集まり、活気が出ていいな」と目を細めた。
 
 「無事であれ」。重之さんの妻イミさん(60)は願う。海に出る漁師の夫の帰りを待ちながら陸の生活を守っていて「一心同体だから」と、近年の不漁は切実な問題だという。大変であっても漁場へ向かう乗組員たちを送ろうと集まった住民らに「祝い酒」や赤飯などを振る舞い、ともに航海の安全、健康を祈った。
 
期待を込め船出した第二十八明神丸の乗組員

期待を込め船出した第二十八明神丸の乗組員

 
岸壁で手を振りながら船を見送る乗組員の家族ら

岸壁で手を振りながら船を見送る乗組員の家族ら

 
 水産庁が7月下旬に発表したサンマ長期漁海況予報(北海道東部~常磐海域)では、8~12月のサンマ来遊量を「低水準(昨年と同水準)」と予測している。明神丸は釧路港で待機し、漁場までの距離などを確認して出漁する予定。例年は10月半ばごろに釜石に戻る。

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防災の学び 伝え合う 釜石市・東海市の児童 まちの歴史から共通点を発見 友情深める

まちの特色や防災の取り組みを伝え合う釜石市と東海市の児童

まちの特色や防災の取り組みを伝え合う釜石市と東海市の児童

  
 姉妹都市提携を結ぶ釜石市と東海市の児童交流会が24日、釜石市の平田小(佐守直人校長、児童157人)であった。東海市の小学校12校から6年生24人が訪れ、平田小6年生(32人)と交流。互いの市の特色や防災学習の取り組みを紹介し、学び合いながら友情を深めた。
   
 平田小児童は「東日本大震災が起こった時、お母さんのおなかにいた人がほとんど」とした上で、津波襲来時の映像を紹介。家族らから話を聞いたり、避難訓練を年6回行っていることを説明した。全児童が水やタオル、カイロなどを入れた避難袋を用意していて、「いつ起こるか分からない災害。とにかく自分の命は自分で守る。津波が来たらとにかく高いところへ。『津波てんでんこ』の考えを大切にしている」と強調した。
  
東日本大震災時の津波の映像に見入る子どもたち

東日本大震災時の津波の映像に見入る子どもたち

 
ラグビーのまちについて紹介する平田小児童(右)

ラグビーのまちについて紹介する平田小児童(右)

   
 東海市の児童は熱心にメモを取ったり、デジタルカメラで写真を撮ったりしながら同年代の話に耳を傾けた。南海トラフ巨大地震を想定した備えについて発表し、ライフジャケットの着用訓練を行っていることを伝えた。
   
 4グループに分かれて、まちの特色や歴史などを発表し合ってより理解を深める時間も。東海市の児童が「震災のことを大人に初めて聞いた時、どんな印象だった?」と質問すると、平田小の児童は「小さい頃であまり分からなかった。学校で学習しながら知識を深めている」と答えた。ほかにも好きな給食のメニューやゲームの話題で会話を弾ませていた。
  
気になることを聞いたり答えたり、会話を弾ませたグループワーク

気になることを聞いたり答えたり、会話を弾ませたグループワーク

 
釜石にまつわるクイズに挑戦する東海市の児童(奥)

釜石にまつわるクイズに挑戦する東海市の児童(奥)

   
 平田小の熊谷凜音(りの)さんは「10年くらい前につらいことがあったけど、頑張ているよとしっかり伝えられた」と胸を張り、久保心輝(こうき)君は「鉄のまちが共通点ということが印象に残った。仲良くなって交流を続けられたら」と期待した。
   
 東海市立横須賀小の女子児童は「避難袋の取り組みが印象的。細かい準備をしていれば、いざという時に安心すると思う。すごい被害のあった震災のことをきちんと理解して、備えられるようにしていると感じた」と刺激を受けた。加木屋南小の男子児童は鉄の歴史に理解を深めた様子。「鉄の発展は大島高任のおかげ。学びや経験を伝えたい」と背筋を伸ばした。
  
東海市にちなんだ献立も入った給食を一緒に味わう

東海市にちなんだ献立も入った給食を一緒に味わう

   
 両市は、1960年代に釜石製鉄所から700人超が家族を伴って東海製鉄所に移ったことをきっかけに交流を開始。2007年に姉妹都市となり、スポーツを通じた交流事業などで絆を深めてきた。東海市は震災後、物資支援、職員の派遣、ラグビーW杯に向けた多額の寄付など支援を続け、中学生の海外体験学習事業(新型コロナウイルスの影響で現在は実施せず)などでも連携。児童の交流は21年度から続けている。

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遊び尽くす!釜石の海 箱崎白浜・隠れ家的ビーチでワンデイキャンプ 「怖い」を「楽しい」に

さまざまな遊びや体験で海に親しむ家族連れら

さまざまな遊びや体験で海に親しむ家族連れら

  
 知る人ぞ知る釜石市のシークレットビーチ、箱崎白浜の通称“小白浜”海岸で19日、親子で海に親しむイベント「海あそびワンデイキャンプ」があった。海に関わる活動を展開する団体や漁師らでつくる「海と子どもの未来プロジェクト実行委員会(通称・さんりくBLUE ADVENTURE)」が主催。東日本大震災後に進んだ“海離れ”を食い止めたい、地元の自然に誇りと愛着を持ってほしい―と続けられ、今回で10回目となった。市内の家族連れを中心に60人超が参加。夏の暑さが残る水辺に歓声を響かせた。
  
 参加者はウエットスーツとライフジャケットを身に着けて海ヘゴー。シーカヤックやスタンドアップパドルボード(SUP)による水上散歩、シュノーケリングでの生き物観察、砂遊びなど思い思いに時間を過ごした。昼食にカレーライスを味わった後は、釜石ライフセービングクラブの安全講習。水辺防災の合言葉「ういてまて」を実践した。
 
カヤックや救助用ボードで海に繰り出す子どもたち

カヤックや救助用ボードで海に繰り出す子どもたち

 
水上バイクの試乗体験でうれしそうに手を振る子どもたち

水上バイクの試乗体験でうれしそうに手を振る子どもたち

 
波に揺られるだけでも楽しい。磯の生き物探しもできちゃう

波に揺られるだけでも楽しい。磯の生き物探しもできちゃう

 
 小川町の久保綺良里(きらり)さん(小佐野小5年)は初参加。救助用水上バイクの試乗や砂浜での“シーグラス”探しなどを楽しんだ。「気持ちよくて楽しい場所。友達が一緒なのもうれしい」とにっこり。父の文之さん(49)は「いろんな遊びがそろっている」と歓迎した。平田の尾崎白浜出身で、実家のなりわいが漁業ということもあり海は身近な存在。だが、震災の津波で漁具を失ったり苦い記憶も。それでも「海を嫌いになることはない」ときっぱり。楽しい思い出が多く、子どもにも良さを伝えたいと思う。「いざという時は逃げろ。そのことを守ればいい」。のびのびと活動するまな娘を優しく見守っていた。
 
 ラグビーイベントに合わせて来釜中の広島市のグループも参加した。碓井大和(やまと)君(深川小6年)は足ひれをつけて海に飛び込み、大はしゃぎ。さまざまな遊びを満喫していた。感想を聞いてみると、「海を嫌いな子も楽しめるんじゃないかな」と予想外の答えが返ってきた。「実はしょっぱい海水が苦手」とのこと。それでも白い砂、透明度の高い海に好印象を持ったようで、「遊び尽くす」と元気だった。
  
釜石の海を満喫中。子どもも大人もみんな笑顔
 

釜石の海を満喫中。子どもも大人もみんな笑顔

  
水上散歩、砂遊び…好きなように時間を過ごす参加者

水上散歩、砂遊び…好きなように時間を過ごす参加者

  
 小白浜は古くから地元住民がレジャーを楽しんでいた隠れ家的な場所。陸路で行くこともできるが、船での移動が便利で、このイベントでは漁師4人が白浜漁港からの送り迎えに協力した。「ホワイトビーチ」と呼ぶこともあると教えてくれたのは地元の佐々木幸喜さん(59)。仲間の佐々木義光さん(53)=片岸町室浜=と一服しながら、「自慢のビーチに人が集まるのはいいことだ。いろんな人と顔見知りになれるし、毎年楽しみにしている」と表情は明るかった。
 
昼食のカレーライスや汁物を届けるのは地元漁師の船

昼食のカレーライスや汁物を届けるのは地元漁師の船

 
漁港からシークレットビーチまでの送迎を担当した漁師たち

漁港からシークレットビーチまでの送迎を担当した漁師たち

 
 こうした景観のいい環境で体験活動を行うことで地域に魅力を感じ、自然を残し守ろうという気持ちになってもらうのが狙いの一つ。安全確保の条件が良いのもポイントで、有事の際にはハイキング路を利用し高台避難も可能だ。団体が連携することで多彩なプログラムを提供でき、それぞれの取り組みを知ってもらうことで次世代に活動をつなぐとの期待感もある。そして欠かせないのが地域の力。運営には住民、高校生や大学生など市内外のボランティアが協力し、実行委と合わせると約40人が関わった。
 
 「海の恵みをもらって暮らしている地域。豊かな経験を通し、いい思い出を作ってほしい。それが生きる力にもなるはず」とさんりくBLUE ADVENTURE共同代表の佐藤奏子さん(44)。震災後、気になっているのが海離れで、「海は怖いもの」と印象をいまだに残す人がいると感じている。「心の距離がある人たちが少しでも海に触れ合える機会になればいい。楽しい記憶を親子で残すことができたら、自然の見方や海への気持ちも変わってくると思う」。そのきっかけづくりになるよう取り組み続ける構えだ。
 
「古里の海の思い出と生きる力を育んでほしい」と佐藤奏子さん

「古里の海の思い出と生きる力を育んでほしい」と佐藤奏子さん

 
 同キャンプは海外からの大きな支えもあって継続する。釜石にゆかりのある元プロトライアスリートのマイケル・トリーズさん(英国出身)が設立した社会貢献団体「Tri 4 Japan(トライ・フォー・ジャパン)」の寄付で運営。新型コロナウイルスの影響で来釜は見送られているが、トリーズさんは心を寄せ続けているという。
 

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スイカ割り、花火…夏の風物詩で世代間交流 釜石小・大町地区子供会 地域とのつながりづくり

スイカ割りで交流を楽しむ釜石小児童とお年寄り

スイカ割りで交流を楽しむ釜石小児童とお年寄り

  
 釜石小学校(釜石市大渡町)の大町地区子供会(千葉法子地区長、児童21人)は17日、地区内にある高齢者施設で世代間交流会を開き、多世代でスイカ割りや花火遊びを楽しんだ。夏休みの親子レクリエーション行事として実施。児童と保護者ら30人がお年寄りと触れ合いながら思い出を作った。
  
 親子レクは新型コロナウイルス禍で行えずにいたが、感染症法上の位置づけが5類に引き下げられたこともあり、「子どもたちに楽しい夏の思い出を」と数年ぶりに計画した。子どもが大人たちと関わることで地域とのつながりができることをしようと考え、市地域包括支援センターに相談。同センターが、認知症対応型共同生活介護や小規模多機能型居宅介護事業を行うコンフォートライフ(松田宇善代表社員)に話を持ちかけた。
   
 会場は、同社が運営する施設「やかた」の駐車スペース。小規模多機能ホーム(定員29人)、グループホーム(同9人)、デイサービス(同3人/日)の入居者や利用者、職員ら30人ほどが子どもたちを待ち構えた。
   
子どもたちがスイカ割りに挑戦。目隠しをして臨んだ

子どもたちがスイカ割りに挑戦。目隠しをして臨んだ

   
 同センターが用意したスイカを前に、幅広のひもで目隠しした児童たち。プラスチック製の野球バットを手に3回、ぐるぐると回って、おぼつかない足取りでスイカに向かって進んだ。頼りは、友達からの「もっと右」「もう少し前」などの声。歩を止め、中腰の姿勢で力いっぱいバットを振りおろし、見事、スイカに命中すると、「おおー」と歓声と拍手が沸き起こった。
   
「そのまま真っすぐ」「はい、ストップ」。友達の声が頼り

「そのまま真っすぐ」「はい、ストップ」。友達の声が頼り

  
スイカ割りのこつは中腰。命中してもしなくても楽しい

スイカ割りのこつは中腰。命中してもしなくても楽しい

  
施設職員は方向を見失った“フリ”で利用者を驚かせたり

施設職員は方向を見失った“フリ”で利用者を驚かせたり

   
 スイカを味わった後は、花火遊びの時間。子どもたちが手持ち花火を楽しむ様子をお年寄りが見守った。5年の羽賀孔成君は、参加したくてうずうずしていた高齢男性に線香花火を手渡し、一緒にパチパチ。「喜んでもらえて良かった。やかたの前を通った時に顔を見たら、『こんにちは』と声をかけたい」と笑った。
   
手持ち花火を楽しむ子どもたち。「煙たいけどキレイだね」

手持ち花火を楽しむ子どもたち。「煙たいけどキレイだね」

  
「わー、きれい」。置き型の噴出花火は少し離れて楽しんだ

「わー、きれい」。置き型の噴出花火は少し離れて楽しんだ

   
 地域密着型の運営を目指す同施設では外部との交流行事や利用者主体で小学生の登下校を見守る「スクールガード」などを行っていたが、コロナの影響で中断。5類移行で行動制限は緩和傾向にあるが、高齢者施設での対応は変わらず続いていて、今回の交流会も悩んだという。ただ、入居者らが喜ぶ姿に、松田代表(52)は「いろいろ刺激になったようだ。この『家』からどんどん外に出て飲んだり買い物したり自由に過ごしてもらうのが理想。地域に開かれている施設として、できる形でつながりを深めていきたい」と見据えた。
   
児童とお年寄りが仲良く花火を楽しむ様子を見守る千葉地区長

児童とお年寄りが仲良く花火を楽しむ様子を見守る千葉地区長

   
 千葉地区長(47)は市臨時職員として高齢者と関わりのある業務に携わっていて、「子どもとの交流を通して高齢者に役割を見いだしてもらえたら」との期待もあった。世代を超えて夏の風物詩を堪能する様子に、ほっとした様子。「普段、地域に見守られている子どもが、今日は元気を分けられたと思う。にぎやかさが広がるような企画を続けたい」と思いを巡らせた。

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日本の夏風景戻る コロナ禍経て各地で盆踊り再開 釜石・小佐野町内会もにぎやかに

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4年ぶりに開かれた小佐野町内会の盆踊り=17日、北銀小佐野支店駐車場

 
 釜石市の小佐野町内会(佐々木喜一会長、340世帯)は17日、新型コロナウイルス感染症の影響で中止していた盆踊りを4年ぶりに再開。地域住民らが踊りや出店、抽選会などを楽しみ、久しぶりの町内会行事で交流の輪を広げた。各種制限が緩和されたこともあり人出は予想以上。休止していた町内会活動復活へ弾みをつけた。
 
 同町内会の盆踊り会場は北日本銀行小佐野支店の駐車場。12日にやぐらを設営し、16日の開催を予定していたが、夕方からの悪天候が予想されたため翌17日に延期された。町内会役員らが午前中からちょうちんを取り付けるなどし会場準備。午後6時半に開会した。
 
 小佐野コミュニティ会館を練習拠点とする釜石民謡クラブが協力し、踊りを先導。「炭坑節」「相馬盆唄」といった盆踊りの定番曲のほか、地元の「釜石小唄」で踊りを楽しんだ。大小の太鼓で盛り上げたのは、町内で病院や介護施設を運営する医療法人楽山会、社会福祉法人楽水会の職員ら4人。地域の盆踊りへの協力は長年続く。
 
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市民に親しまれる「釜石小唄」は盆踊りでも踊られる地元の定番

 
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地元の楽山会、楽水会職員は大小の太鼓で協力。子どもたちにもたたき方を教えた(右上)

 
 会場では同会館で活動するエアロビックダンスグループ・キッズDADAの発表も。幼稚園のころから活動する佐野雪乃さん(8)は「いつもと違って人がいっぱいで慣れない感じ。でもうまく踊れた」と満足げ。初めての盆踊り参加を楽しんだ。民謡クラブは三味線伴奏で「ソーラン節」「大漁唄い込み」などの歌も披露。平田いきいきサークルは「サザエさん」の歌などで簡単な振り付けを披露し、来場者と楽しんだ。
 
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元気いっぱい!!エアロビックダンスを披露するキッズDADA

 
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歌や踊りで協力した釜石民謡クラブのメンバーら

 
 辺りが暗くなり始めると来場者はどんどん増え、踊りの輪も大きくなった。子どもたちは見よう見まねで手を動かし夏の思い出づくり。曲のリズムに合わせて太鼓をたたいてみる子もいて、たくさんの笑顔が広がった。
 
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暗くなると、やぐらの周りには老若男女の踊りの輪ができた

 
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子どもたちも久しぶりの盆踊りを楽しんだ

 
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会場には多くの地域住民が訪れ、お盆の風物詩を満喫した

 
 小佐野町の四宮香蓮さん(9)は「盆踊りに来たことはあるけど踊るのは初めて。踊りは覚えれば簡単で楽しかった」と笑顔。「明日から学校が始まる。夏休み最後のいい思い出になった」と喜んだ。母実佳さん(38)は久しぶりの開催に「活気が出ていいですね。やってもらってうれしい。コロナも明けて子どももすごく楽しんでいたよう」と声を弾ませた。
 
 会場には3店の出店が並び、焼き鳥や焼きそば、かき氷などの屋台メニューを販売。地元小佐野在住で、本場中国の味を再現した「月餅」販売が人気を集める高莉莉さん(リリーズ美食工房)も初の盆踊り出店で地域との交流を深めた。地元商店会の協賛による抽選会では、1~3等で米やタオルギフト、菓子詰め合わせ、ラッキー賞25本は商品券が当たるとあって、来場者は期待しながら番号の発表を待った。
 
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夏祭り気分を上げる飲食の出店には家族連れなどが列を作った

 
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「当たるかな?」抽選会の番号発表に期待を高める来場者

 
 古くから釜石製鉄所の社宅エリアだった小佐野町では、社宅自治会単位で盆踊りを開催してきた経緯がある。21年ほど前、小佐野町内会が発足したのを機に、地元商店会との合同盆踊りがスタート。2夜の開催で、町内会員はもとより周辺の小川町、定内町などからも来場者が訪れる一大イベントとなっていた。
 
 佐々木町内会長(82)は「しばらくぶりだったが、思ったより人が集まった。今年は特にも子どもが多い印象。祖父母の家に帰省中の子もいるのかも。これからもみんなで相談しながらより楽しめる盆踊りにしていきたい」と話した。

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水中花火、スターマイン…釜石港に光の大輪 3千発の花火に市民、帰省客ら歓声

名物の水中花火などで楽しませた「釜石納涼花火2023」=11日、釜石港

名物の水中花火などで楽しませた「釜石納涼花火2023」=11日、釜石港

 
 釜石市の夏の夜を彩る納涼花火2023(市、釜石観光物産協会主催)は11日、釜石港で開催された。東日本大震災犠牲者の鎮魂、まちの活性化を願い、約3千発を打ち上げ。港周辺に設けられた4つの観覧場所で市民や帰省客、観光客らが夜空を焦がす光の競演に酔いしれた。主催者によると、4カ所の人出は計約1万3千人。昨年より約3千人増えた。
 
 花火の打ち上げは、震災復興支援で釜石市とつながる秋田県大仙市の大曲の花火協同組合(小松忠信代表理事=小松煙火工業代表取締役)が担当。職人16人が来釜し、午後7時過ぎから約1時間にわたって、43のプログラムで見物客を楽しませた。
 
 震災犠牲者にささげる鎮魂の花火「白菊」からスタート。4~8号玉、スターマインの打ち上げ花火のほか、小型船が移動しながら仕掛ける水中花火が次々に繰り出された。圧巻は海面上に半円形に広がる水中花火。岸壁に陣取った客はその大きさと音の迫力に歓声を上げた。観光物産協会は今年からホームページで、全プログラムと花火のタイトルを公開。発想力豊かなネーミングも目を引いた。
 
さまざまな色彩や形の花火が見物客を魅了した

さまざまな色彩や形の花火が見物客を魅了した

 
日本製鉄の桟橋クレーンと花火の競演は釜石の花火大会おなじみの光景

日本製鉄の桟橋クレーンと花火の競演は釜石の花火大会おなじみの光景

 
海面に映る光も美しい港ならではの花火大会=港町の観覧エリアから撮影

海面に映る光も美しい港ならではの花火大会=港町の観覧エリアから撮影

 
 神奈川県横浜市の矢吹春花さん(27)は釜石にある父親の実家に帰省中。おじ、おばらと魚市場会場で花火見物を楽しんだ。「釜石の花火はコロナ前以来。今年はぜひ見たいと思って」と前日に釜石入り。「水上花火が特に良かった。夏を満喫できた」と喜び、「コロナ禍も明けてみんなで楽しめるようになってうれしい。台風もあるので14日に戻る。新幹線が動きますように」と願った。
 
 釜石市松原町の大久保友結さん(11)は浴衣姿で花火見物。「小さいのも大きいのもあって、色がとてもきれい。また見たいと思った。今日のことは絵日記に書く」と夏の思い出を心に刻んだ。父幸徳さん(41)は「いつもイオン側から見ていたが、初めて魚市場側に足を運んだ。最高でしたね。子どもたちも喜んでくれた」と満面の笑顔。コロナ禍で中止になった2020、21年の2年間は「待ち遠しかった。夏はやっぱり花火がないとね」と、盆前恒例イベントの再開を歓迎した。
 
出店は昨年同様、魚市場と港町の2カ所に設置。夕方から大勢の人でにぎわった

出店は昨年同様、魚市場と港町の2カ所に設置。夕方から大勢の人でにぎわった

 
夏の夜空を色鮮やかに染める花火。見物客は目と耳で堪能

夏の夜空を色鮮やかに染める花火。見物客は目と耳で堪能

 
子どもも大人も花火に夢中。多くの人がスマホカメラ片手に見入った

子どもも大人も花火に夢中。多くの人がスマホカメラ片手に見入った

 
 同市の花火大会は震災後、安全上の観点から観覧場所を指定して行われる。2019年からは市魚市場(魚河岸)、港町岸壁、同グリーンベルト、イオンタウン釜石屋上(港町)の4カ所を指定。コロナ5類移行で各種規制が緩和された今夏は、マスクをはずして花火を楽しむ人たちが多かった。主催者は「事故なく、多くの皆さんに楽しんでいただけた」と協力に感謝。

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子どもだけじゃない!? 大人だって楽しむ 釜石・栗林小PTA 川遊びで見せる本気

友達と川遊びを楽しんで夏休みの思い出をつくる栗林小の子どもたち

友達と川遊びを楽しんで夏休みの思い出をつくる栗林小の子どもたち

  
 釜石市の栗林小PTA(小笠原亮会長)の親子行事「川遊び」は5日、栗林町道々橋付近の鵜住居川河川敷で行われた。夏休みの恒例行事だが、新型コロナウイルス禍で開催できない状況が続いていた。夏空の下、集える喜びに子どもも大人も大はしゃぎ。ただ、近年は夏の暑さに気を配る必要もあり、子どもたちの笑顔を広げようと温かい思いを持つ親たちは熱中症対策にも大忙しだった。
   
 栗林小(八木澤江利子校長、児童32人)の児童とPTA、教職員ら約50人が参加。水着やウエットスーツ、ライフジャケットを身に着けた子どもたちは川で泳いだり水の中の生き物を探したり、びしょぬれになりながら思い思いに遊びを満喫した。
  
道々橋そばの河川敷は子どもたちの遊び場の一つ

道々橋そばの河川敷は子どもたちの遊び場の一つ

 
何がいるかな?小さない水中生物探しを楽しむ姿も

何がいるかな?小さない水中生物探しを楽しむ姿も

   
 この行事に欠かせないものが、父親らの手づくり「いかだ」。以前はタイヤのゴムチューブとすのこ板を組み合わせた形だったが、乗り降りの時にけがの心配もあったことから、今回は発泡スチロールとビニール、ロープを使った改良版を用意。ロープを大人がコントロールし、安全に川下りを楽しめる仕様。いかだに乗った子どもたちは足をばたつかせて水をかけ合ったり、河川敷で見守る母親らに手を振ったりしていた。
  
いかだはお父さんたちの手作り。乗り心地もよさそう

いかだはお父さんたちの手作り。乗り心地もよさそう

 
いかだをコントロールする大人たちの動力は子どもの笑顔

いかだをコントロールする大人たちの動力は子どもの笑顔

   
 5年の栗澤桂人君は「ボートが一番。滑ってきついけど楽しい。水も気持ちいい」と笑顔を弾けさせた。「小学校生活最後の夏だから、みんなと川遊びができて良かった」と頬を緩めたのは6年の佐々木さやかさん。カゲロウなど水中生物をつかまえて年下の子に見せたりしていて、「自然が豊かでいいところ」と地域への愛着を深めた。
   
 この日は岩手県内に熱中症警戒アラートが発令され、教員らが気温や湿度から算出する「暑さ指数」を測定、確認しつつ実施。県教委が部活動などを中止する基準とする31度を超えなかったため、予定時間いっぱい活動を続けることができた。合間には保護者らが買い出しに行き、涼を感じる状態のスポーツドリンクやアイスで水分補給。休憩時間も設けて予防対策には熱を込めた。
  
暑さ指数を確認するなど熱中症対策にも気を配った

暑さ指数を確認するなど熱中症対策にも気を配った

   
 「大人も本気で遊ぶのがこの行事の特徴」と小笠原会長(37)。自身は魚突きもりを手に水中探索に夢中で、「子どもの頃、夏休みの水遊びといえばこの川で、アユ釣りをしたり。自然相手に遊べる機会を残したいから、大人になっても懸命に遊ぶ姿を見せたい」とちゃめっ気たっぷりに笑った。この行事は昼食にバーベキューを味わうのが定番だが、今年は熱中症だけでなく、感染症予防もあって実施を見送った。
 
子どもに負けじと大人たちも笑顔を広げた川遊び

子どもに負けじと大人たちも笑顔を広げた川遊び

  
 八木澤校長は「子どもを思う心が根づく地域。自然に親しませてもらい、ふるさとを大事に思う気持ちが育っている」と感心する。夏は水にまつわる事故を耳にすることが多くなるが、川遊び行事は危険な場所などを知る機会にもなると指摘。大人たちがしっかり準備し見守ることで、「安全を実感できただろう」と目を細めた。
   
 次にPTAの親たちが本気を見せるのは秋に予定されている同校の学習発表会「栗っ子祭り」。自分たちも楽しむことで子どもたちの笑顔を広げようと意気込んでいる。
 
 

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平和への願い 未来につなぐ 艦砲被災から78年 釜石市、戦没者を追悼

「思いを引き継ぐ」。釜石市戦没者追悼・平和祈念式で心に刻む釜石市と青森市の中学生

「思いを引き継ぐ」。釜石市戦没者追悼・平和祈念式で心に刻む釜石市と青森市の中学生

  
 太平洋戦争で釜石市が受けた2度目の艦砲射撃から78年の9日、市戦没者追悼・平和祈念式が大町の市民ホールTETTOで行われた。遺族や関係者ら約120人が参列。過去の戦争で犠牲となった戦没者や戦災殉難者を慰霊するとともに、無残な戦争を繰り返さないよう平和への願いを心に刻んだ。
  
 黙とうをささげた後、式辞に立った野田武則市長は「戦争の悲惨さを決して忘れることなく、恒久平和の確立に向けて努力することが国内で唯一、2度にわたる艦砲射撃の攻撃を受けた歴史を持つ当市に課せられた使命。平和への願いを心に刻み、戦争の記憶を風化させず後世に語り継いでいく」と犠牲者に誓った。
  
 満州に出征した父正雄さん(当時33)、3人のおじを亡くした市遺族連合会の佐々木郁子会長(80)=平田・尾崎白浜=が遺族を代表し追悼のことば。「戦争は罪もない人々の命を絶ち、幸せを取り上げ、憎しみしか残さない。私たちも高齢となったが、後の世代に戦争の史実と命の大切さを伝えていくことが使命であり、生きたくても生きられなかった人々の思いを大切にしてほしいと訴えていく」と思いをかみしめた。
  
遺族を代表して追悼のことばを述べた釜石市遺族連合会の佐々木郁子会長

遺族を代表して追悼のことばを述べた釜石市遺族連合会の佐々木郁子会長

  
 平和・防災学習相互交流事業の一環で青森市と釜石市の中学1年生計19人も参列しており、青森の奥崎莉生さん(油川中)、三上飛真さん(東中)、福士小和さん(同)、釜石の白石恋菜さん(甲子中)が戦争体験者の話や震災伝承施設の見学などの活動、学びについて発表。「新しい仲間と平和や防災ついて語り合える貴重な機会。私たちはこれからもお互いに平和を引き継ぐ思いを大切にし、みんなが安心して平和に暮らせる未来を創造していきたい」と思いを共有した。
  
釜石と青森の中学生は平和への思いを発表した後に献花した

釜石と青森の中学生は平和への思いを発表した後に献花した

  
 市内の合唱グループ「翳(かげ)った太陽を歌う会」が、釜石艦砲の惨禍を伝える女声合唱組曲「翳った太陽」を5年ぶりに献唱。参列者は祭壇に白菊を手向け、戦争犠牲者の冥福を祈った。式典時間に来られなかった人たちのため、会場内の献花台が午後2時まで開放された。
  
戦争の悲惨さ、平和の尊さを訴える「翳った太陽」を献唱する会員

戦争の悲惨さ、平和の尊さを訴える「翳った太陽」を献唱する会員

  
参列者が献花。戦災犠牲者を悼み、平和を願った

参列者が献花。戦災犠牲者を悼み、平和を願った

  
 遺族や参列者が高齢化する中、平和への思いを未来につなぎ、取り組みを次世代に継承するため、本年度から式典の名称に「平和祈念」が加えられた。会場には釜石艦砲や太平洋戦争に関する資料、市戦跡マップを展示。ロシアによるウクライナ侵攻に関連して日本赤十字社による人道支援活動の紹介パネル、救援金の募金箱も設置した。
  
 こうした取り組みについて、野田市長は「若い世代も含め幅広く参加しやすく」と意義を強調。佐々木会長は「これを機に心安らかに暮らせる日々、命の大切さ、平和であることのありがたさを考える日なれば」と願った。
   
 終戦間近の1945年、釜石市は7月14日と8月9日に米英連合軍による艦砲射撃を受け、780人以上が犠牲になった。青森市は7月28日、米軍のB29爆撃機による空襲で、1000人超が犠牲になっている。
 
 

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諦めず夢つかむ 将棋・小山怜央四段 古里釜石で講演 プロ棋士への歩み回想

将棋プロ棋士・小山怜央四段誕生の道のりを紹介する講演会

将棋プロ棋士・小山怜央四段誕生の道のりを紹介する講演会

 
 釜石市出身の将棋・プロ棋士、小山怜央四段(30)の講演が5日、同市大町の釜石PITであった。将棋との出合いやプロになるまでの道のりを紹介。プロ入り後の戦いぶりにも触れ、「対局で活躍し、いいニュースで恩返ししたい」と意気込みを語った。市の主催で、市民や将棋ファンら約70人が聴講。諦めずに夢をつかみ取った姿をじかに感じ、「応援するぞ」との思いを強めていた。
 
プロ棋士になるまでの道のりを語る小山四段

プロ棋士になるまでの道のりを語る小山四段

 
 岩手県初のプロ棋士でもある小山四段は、現行制度で棋士の養成機関である奨励会を経験せずに棋士編入試験を突破し、4月にプロ入りしたばかりだ。将棋との出合いは小学2年生のころ。携帯型ゲームのやりすぎで目まいを起こし、心配した両親に勧められたのが将棋だった。弟、母と一緒にルールを覚え、子ども大会への参加を重ね、「負けた悔しさ」でどんどん熱中。他にも習い事をやっていたというが、「家族で出かけていたのは将棋だけ。小山家にとって特別な存在だった」と回想した。
 
 釜石高2年の時に経験した東日本大震災にも触れた。鵜住居町にあった自宅を津波で失い、避難生活を送る中で、「心の支えは将棋だった。弟や部活の仲間と指している時は忘れられた」と小山四段。避難所には将棋関係者が慰問に来てくれたといい、「助け合える存在の大切さに気づかされた」としみじみと語った。
 
震災後の避難生活を写真で紹介。この時に心の支えになったのが将棋

震災後の避難生活を写真で紹介。この時に心の支えになったのが将棋

 
 プロになれるなら、なりたい―。奨励会に挑むチャンスは過去に2度あった。中学生、大学生の時に受験したが合格できず、気持ちを切り替え社会人に。仕事を中心に頑張る中、通勤時間を使って棋力を磨き続けていると、編入試験への挑戦が見えてきた。奥にしまい込んでいたプロへの気持ちがふつふつと沸き上がり、勤めていた会社を退職。その頃に始めたのがAI(人工知能)を用いた勉強法で、苦手だった序盤の研究に時間を費やした。
 
 昨年9月にようやく編入試験の受験資格を得た。試験は勢いのある新人棋士との5番勝負。プロ入りへあと1勝として臨んだ運命の第4局は「うまくいきすぎなくらい」思い通りの形で進んだ。中盤に形勢が接近した場面もあったが、「冷静になって指したら残せた。いろいろあったが棋士になれた」と振り返った。
 
 プロになってからは「2勝5敗で正直、不本意」と思いを吐露。静かな闘志を胸に秘めている様子で、「いつかは活躍するので応援をよろしくお願いします」とはにかんだ。5月下旬には宮古市で行われた将棋の8大タイトルの一つ叡王戦5番勝負の第4局で大盤解説を担当。中学生選抜大会の審判などもこなしていて、大好きな将棋に関わる日々に充実感をにじませた。郷里岩手からの熱い応援を感じており、「恩返ししたい。対局でいいニュースを届けたい」と力を込めた。
 
小山四段の話に聞き入った釜石市民や将棋ファン。活躍に期待を込め拍手を送る

小山四段の話に聞き入った釜石市民や将棋ファン。活躍に期待を込め拍手を送る

 
 講演では質疑応答の時間も。「勝負飯は?」との問いには「マーボー豆腐ですかね。のどを通りやすいから」と答えて会場を沸かせた。「最も心に残る一戦」として挙げたのは編入試験の第1局。勝率8割超だった徳田拳士四段との対局で、「研究通りにうまくいき、素直にうれしい勝ちだった」と晴れやかな表情を見せた。「言ってなかったんですが、実は…」。この対局の1週間前に体調を崩していたと明かし、体調管理の大事さを再認識した一戦でもあったという。
 
 プロ棋士誕生に大興奮の藤井尚美さん(47)は小山四段と同じ鵜住居町出身。「将棋はよく分からないけど、応援したい。家族のサポート力の強さを感じ、ほっこりした気持ちになった」と目を細めた。同僚の釜石高教諭、湊博之さん(52)は「挫折しながらも最後に夢をつかむ姿に感銘を受けた。諦めず続けたから、チャンスに巡り合うことができたのだろう」と推測。同校将棋部顧問の小澤光悦教諭(60)=北上市=は「今はフリークラスだが、名人への挑戦権を争う順位戦に出られたらいい。棋士として長く頑張ってもらいたい」と期待した。

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戦地からふるさとへ 出征兵士がつづったはがき 釜石・郷土資料館で公開 9/3まで戦災企画展

戦地から届いたはがきの拡大パネルなどを展示する企画展=釜石市郷土資料館

戦地から届いたはがきの拡大パネルなどを展示する企画展=釜石市郷土資料館

 
 今日8月9日は太平洋戦争で釜石市が2度目の艦砲射撃を受けた日。市内では戦没者を追悼し、平和を祈念する式典が開かれた。市民らが寄贈した戦争関連の資料を収蔵する市郷土資料館(佐々木豊館長)では今、戦災企画展を開催中。今年は軍事郵便にスポットをあて、出征兵士が家族や近親者に送ったとみられるはがきを中心に公開。戦地と内地をつなぐ郵便が果たした役割を伝える。
 
 同館企画展示室で、新たに寄贈された資料を含め119点を公開。戦地から送られた軍事郵便30点は一部を拡大パネルにして展示する。はがき表面の宛先には当時の上閉伊郡鵜住居村、同栗橋村、東浜町(現東前町)などとあり、各地から出征したとみられる兵士が所属部隊名とともに名前を記している。意外にも裏面はカラーの絵はがきになっているものが複数。文面から家族や近親者に宛てたものと分かる。
 
 表面に検閲印が見られるように、兵士が書いたはがきや手紙は所属する中隊ごとに検閲を受けなければならず、戦争を否定する文言や弱音はご法度。文面は「元気でご奉公している。安心してください」といった、家族らを心配させまいとする内容が多く、逆にふるさとで働く家族らの体を気遣う言葉がつづられる。
 
「検閲」の印が押された軍事郵便。文面は厳しくチェックされた

「検閲」の印が押された軍事郵便。文面は厳しくチェックされた

 
出征した兵士がふるさとに残る家族らを気遣う様子が文面から読み取れる

出征した兵士がふるさとに残る家族らを気遣う様子が文面から読み取れる

 
漫画のような絵が描かれたカラーのはがきも…

漫画のような絵が描かれたカラーのはがきも…

 
 軍事郵便は1894(明治27)年に軍事郵便取扱細則で定められたもので、戦地ではその取りまとめを行う野戦郵便局が各地に開設された。戦地から送る場合は無料。その費用を賄うため、有料だった内地からの手紙の送付が奨励された。戦時下で同郵便は戦地と内地をつなぐ唯一の手段で、生存確認の意味も持っていた。2度の艦砲射撃を受けた釜石は多くの軍事郵便も失われており、展示品は同市にとっても非常に貴重な資料となっている。
 
 戦地の兵士を励ますために内地からは「慰問袋」が送られた。家族のほか国防婦人会が衛生用品や薬品、たばこ、食料品などを袋詰めし、兵士を鼓舞、慰労する「慰問文」を添えて発送。企画展では送られた物品の一例などが紹介される。「私は慰問袋がなかったら生まれていませんでした」。同館を訪れた人が発した言葉―。その方の両親は慰問袋が縁で知り合い、結ばれたという。
 
戦地に送られた慰問袋と慰問文について解説する展示

戦地に送られた慰問袋と慰問文について解説する展示

 
 釜石が受けた2度の艦砲射撃では782人が犠牲になった(2023年度市調べ)。砲撃があったことは新聞やラジオで全国に報じられ、当時の小野寺有一市長の元には1回目の被災後、見舞いや激励のはがきが相次いだ。後に内閣総理大臣に就任する鳩山一郎氏(東京都)、本県出身の外交官・政治家の出淵勝次氏からのはがきもある。展示ではこれらのはがきに加え、戦後の復興にまい進した小野寺市長の日誌も公開される。
 
1回目の艦砲射撃の後、当時の釜石市長に届いたはがき。鳩山一郎氏からのはがきも(左上)

1回目の艦砲射撃の後、当時の釜石市長に届いたはがき。鳩山一郎氏からのはがきも(左上)

 
戦後の市民生活の安泰に力を尽くした小野寺有一市長についても紹介

戦後の市民生活の安泰に力を尽くした小野寺有一市長についても紹介

 
 同館職員の川畑郁美さんは「毎回テーマを替えて開催するが、いつも思うのは、どれだけ戦争が残酷で悲惨なものだったかということ。戦争を体験していなくても、私たちは後世に伝えていかねばならない。残された資料は未来につなぐ一助になるはず」と企画展開催の意義を示した。
 
出征兵士の無事を願う日章旗と千人針が施された衣類

出征兵士の無事を願う日章旗と千人針が施された衣類

 
 郷土資料館企画展「戦時下の便り-釜石(ふるさと)想う軍事郵便-」は9月3日まで開催。開館時間は午前9時半から午後4時半まで(最終入館:午後4時)。火曜休館(8月15日は臨時開館)。

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一緒に遊んで食べよう! こさのこども食堂 釜石・小佐野地区民児協、夏の居場所づくりに初企画

「いただきまーす」。こさのこども食堂で昼食を楽しむ参加者

「いただきまーす」。こさのこども食堂で昼食を楽しむ参加者

  
 釜石市の小佐野地区民生委員・児童委員協議会(伊東恵子会長)は7月30日、小佐野コミュニティ会館を主会場に子ども食堂を開いた。夏休み中の子どもたちに楽しんでもらおうと初企画。小佐野小児童約50人が集い、食事だけでなく、ニュースポーツを体験したり、ボランティアとして参加した釜石高生に勉強を教えてもらったりした。市内で子ども食堂の開設は初の試みでもあり、居場所や世代間交流の機会を提供することで、地域で子どもを見守る環境づくりにつなげていく。
   
 「こさのこども食堂、オープン!」献立はカレーライス。給食センターで腕を振るっていた元職員も加わった住民スタッフが手作りした。「夏バテをしないように」と少し多めに入れたショウガやニンニクが隠し味。夏休みで学校給食がなくなり消費が減少する牛乳、デザートにバナナも添えて、「いつもの給食」を再現。大人たちの思いを感じ取った子どもたちから「給食みたいでおいしい」と声が飛んだ。
   
献立はカレーライス。地域の大人との会話も食事のスパイスに

献立はカレーライス。地域の大人との会話も食事のスパイスに

  
おかわりにも対応。忙しく動く地域のお母さんたちはうれしそう

おかわりにも対応。忙しく動く地域のお母さんたちはうれしそう

   
 交流活動は遊びと勉強の時間が用意され、高校生ボランティア約20人がサポート。同会館内の和室では宿題を持ち込んだ児童が学習を進め、分からない部分があると高校生に助言をもらったりした。隣接する小佐野小体育館ではニュースポーツ体験があり、パラスポーツのボッチャやスカットボール、輪投げで汗を流した。
   
宿題に取り組む小佐野小児童。釜石高生(左)らに手伝ってもらったり

宿題に取り組む小佐野小児童。釜石高生(左)らに手伝ってもらったり

  
体を動かした後はしっかり水分補給。高校生らが見守った

体を動かした後はしっかり水分補給。高校生らが見守った

   
 食事と遊びを目当てに参加した及川紗良さん(6年)は、期待通りでうれしそう。特に友達や高校生、地域の人たちとの交流が夏休みの思い出になったといい、「楽しかったので続けてほしい。ボランティアにも興味を持った」と刺激を受けた。
   
 子どもたちを見守った釜高の生徒も学びを深める機会になった様子。人見知りをやわらげようと参加した芳賀結月さん(1年)は「子ども食堂は食事だけでなく、子どもたちの居場所にもなると感じた。年代別に固まっていて交流が少ない気がしたので、次回はもっと広く触れ合えるようにするといいかな。その中で、自分もコミュニケーション力を磨けたら」と期待した。
   
世代間交流を楽しみながら地域で子どもを見守る環境をつくる

世代間交流を楽しみながら地域で子どもを見守る環境をつくる

   
 市内陸部の小佐野地区は東日本大震災後、被災地域から人口が流入した。家族形態や生活スタイルが変わる中、地域の見守りなど子どもを取り巻く環境も変化。さらに、新型コロナウイルス禍で子ども会や地域活動が見送られたことで、子育て世帯を中心に住民同士の交流機会が減少し、関係性が希薄化していた。市によると、児童扶養手当の受給世帯数が比較的多いとのデータもあり、学校や家庭だけではない子どもの居場所づくりが必要とされていた。
  
「おいしい」。子どもたちの声に肩の力を緩めた伊東会長(中)

「おいしい」。子どもたちの声に肩の力を緩めた伊東会長(中)

  
 伊東会長(74)は初めての試みに不安がいっぱいだったというが、子どもたちの笑顔にホッと一息。「この触れ合いが声をかけ合える、顔見知りの関係づくりにつながると思う。これからの見守り活動に生かせる」と手応えを得る。
  
 今回は地域住民や地元企業などが米や菓子を提供し、予算面では県や市の赤い羽根共同募金の補助金を活用できたが、継続にはより多くの協力が必要と実感。開催曜日など検討した方がよさそうな点も見えてきたが、「みんなが楽しく過ごせる場にしたい」と気持ちを新たにする。来年1月にも開催を予定し、「また来てね。みんなで交流しましょう」と子どもたちに呼びかけていた。

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堤体内に踏み入り探検 日向ダムで湖畔の集い 役割学んだ後は…魚とって木に触れ自然満喫

日向ダムの堤体内でダムの話と涼を楽しむ参加者

日向ダムの堤体内でダムの話と涼を楽しむ参加者

 
 釜石市甲子町・小川川上流にある日向ダムで7月29日、「日向ダム湖畔の集い」が開かれた。「森と湖に親しむ旬間」(7月21~31日)にちなんだ恒例行事で、県や市、地元町内会などで組織する同旬間釜石地区分科会実行委員会が主催。家族連れらが足を運び、ダム施設の見学や木工教室、魚のつかみ取りといった催しを楽しんだ。
  
 ダム施設見学では、普段は入れない堤体内を職員が案内。約250段の階段を下り内部の通路を進んでいくと、ひんやりとした空間が広がった。気温13度ほどに保たれているという内部には、ダムにかかる水圧や堤体のたわみを計測する機器などが設置されていて、職員が計測方法を紹介。取水ゲート操作室や放流ゲート室・発電所にも入り、機材などを見て回った。
 
「わー、高い」「大きいね」。ダム周辺を散策する来場者

「わー、高い」「大きいね」。ダム周辺を散策する来場者

 
ダム施設の見学は階段を上ったり下ったり。合わせると約500段

ダム施設の見学は階段を上ったり下ったり。合わせると約500段

  
 管理棟2階の操作室では、ダムの監視カメラ映像や観測データの集計、管理システムを見学。データは県沿岸広域振興局(新町)にも送信されていることなど監視体制についても理解を深めた。
  
 家族3人で訪れた盛岡市の菊池悠理さん(岩手大付属中2年)は初めてのダム見学で、「いろんな災害に備えて設備を充実させていると知った」と学んだ様子。父信幸さん(61)は「面白かった。多くの人の力で造り上げられ、地域に役立っているとあらためて感じた。近頃は大雨などの災害も多く、こうした体験で子どもたちに分かってもらえるといい」とうなずいた。
  
ダムの頂上部や発電所などを歩き回って役割などに学んだ

ダムの頂上部や発電所などを歩き回って役割などに学んだ

 
管理棟操作室も見学。監視カメラを動かす体験もあった

管理棟操作室も見学。監視カメラを動かす体験もあった

  
 ダム湖の船着き場では特設水槽でニジマスのつかみ取りが行われた。約220匹が順次放たれ、子どもたちが歓声を上げながら素早く泳ぐ魚を追いかけた。取った魚はその場で塩焼きにして味わうことも。山元綾音さん(釜石小6年)は「暴れて逃げられたりしたけど、つかまえられた。楽しかったし、おいしい」と笑顔を見せ、弟の一成君(同2年)は「コツは素早くつかむことだよ」と胸を張った。母莉菜さん(36)は「夏休み中にいろいろな経験をさせたい」と優しく見守った。
  
「追いつめて、ぎゅっ」。ニジマスのつかみ取りを楽しむ子どもたち

「追いつめて、ぎゅっ」。ニジマスのつかみ取りを楽しむ子どもたち

 
ダム湖を望みながら記念にパチリ。緑豊かな自然環境を満喫した

ダム湖を望みながら記念にパチリ。緑豊かな自然環境を満喫した

  
 同旬間は豊かな自然空間で森林やダムへの理解を深めてもらうのが狙い。期間中、各地でさまざまなイベントが行われた。日向ダムは1997年に治水対策の目的で完成し、その年からイベントを実施。新型コロナウイルスの影響で2020年度から中止していたが、今年4年ぶりに開催。今回で22回目となった。