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市民の心耕し45年―「かまいしの第九」重ねた歴史、思い共有し万感の最終公演 次世代の芽吹きも期待

最終公演となった第44回かまいしの第九=市民ホールTETTO

最終公演となった第44回かまいしの第九=市民ホールTETTO

 
 45年の長きにわたり、師走の釜石市に“歓喜の歌”声を響かせてきた「かまいしの第九」。地域の音楽文化発展の礎を築き、経済低迷や震災など困難に立ち向かう市民に勇気と希望を与え続けた伝統の演奏会が17日、惜しまれながら幕を閉じた。メンバーの高齢化や活動資金減少などで「今回を一区切り」とした実行委。初代指導者の故渡邊顕麿さんの教えを脈々と受け継ぎ、釜石の第九イズムを貫いたメンバーは、あふれる思いを歌声に込め、同演奏会を愛する聴衆と感動のフィナーレを迎えた。
 
 釜石市民ホールTETTOで開かれた最終公演。会場には市内外から約550人が集まった。オーケストラは指揮者の瓦田尚さん(40)=釜石出身、東京在住=率いるアマチュアオケ「ムジカ・プロムナード」、釜石市民吹奏楽団の団員ら総勢60人。合唱隊は「かまいし第九の会」を中心とした市内外の115人で編成した。
 
 演奏会は、東日本大震災をテーマとした「明日を」「群青」の2曲の合唱で幕開け。続いて、ベートーベンの交響曲第9番1~4楽章が演奏された。本県出身の声楽家4人がソリストを務め、管弦楽の壮大な演奏、時代、世代を超えてつながれた魂の歌声がホールいっぱいに響き渡った。
 
4人のソリストは本県出身者(左からSoprano:土井尻明子さん、Alto:在原泉さん、Tenor:澤田薫さん、Bass:小原一穂さん)

4人のソリストは本県出身者(左からSoprano:土井尻明子さん、Alto:在原泉さん、Tenor:澤田薫さん、Bass:小原一穂さん)

 
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 同演奏会は1978年、旧市民文化会館のこけら落とし公演として行われたのが始まり。前年に帰郷し、実家の寺を継いだ渡邊顕麿さん(1931-96)がそれまでの合唱活動の経験を生かし、市内で指導を始めた中での新たな挑戦だった。初期メンバーはドイツ語の辞書を片手に歌詞の意味を読み解き、渡邊さんの教え「曲に込められた精神をそれぞれの生活、生き方に反映させる」ことを忠実に守りながら、演奏会を重ねてきた。
 
初代指導者・指揮者の渡邊顕麿さん(左上)。合唱指導をする渡邊さん(右上)。釜石市民文化会館で行われていた第九演奏会(1991年、下)=写真提供:実行委

初代指導者・指揮者の渡邊顕麿さん(左上)。合唱指導をする渡邊さん(右上)。釜石市民文化会館で行われていた第九演奏会(1991年、下)=写真提供:実行委

 
子どもから高齢者まで多くの市民が参加した1999年の第九演奏会=写真提供:実行委

子どもから高齢者まで多くの市民が参加した1999年の第九演奏会=写真提供:実行委

 
 87年からは第九以外の大曲にも挑戦。渡邊さん他界後は、遺志を継いだ山﨑眞行さんが指導にあたり、両輪での合唱披露は2014年まで続いた。03年からは次世代への合唱文化継承を目指し、市内の中学校が毎年順繰りに歌う「オーケストラと歌おう」のコーナーも開設。渡邊さんが残した「学び、耕し続ける文化」を着実に実践してきた。
 
 最大の存続危機は2011年の東日本大震災。メンバーの犠牲、被災、会場の市民文化会館の全壊でしばらくの活動休止もやむを得ない状況だったが、「被災者が立ち上がる力に」と開催を決断。校舎を失った釜石東中の生徒が第九の合唱に声を重ね、大きな感動を呼んだ。被災後の6年間は釜石高体育館が会場となり、17年の市民ホール落成のこけら落とし公演が、くしくも初演時と同様、この第九演奏会となった。
 
東日本大震災があった2011年、釜石高体育館で行われた演奏会。釜石東中の全校生徒が第九の合唱にも参加した

東日本大震災があった2011年、釜石高体育館で行われた演奏会。釜石東中の全校生徒が第九の合唱にも参加した

 
2017年、釜石市民ホールTETTOのこけら落とし公演となった第40回かまいしの第九

2017年、釜石市民ホールTETTOのこけら落とし公演となった第40回かまいしの第九

 
 このまま順調に行くかと思われたが、予想もしなかった新型コロナウイルス感染症の大流行で20、21年は開始以来、初めての中止に追い込まれた。昨年、復活開催したものの、さまざまな情勢の変化で「事業を支えるだけの“体力”を維持できなくなった」として、本公演を最後とすることを決めた。
 
 万感の思いで迎えたフィナーレ。拍手が鳴りやまない中、ステージに招かれたのは、2代目指揮者として25年間、演奏会を率いた山﨑眞行さん(73)。これまでの功績に瓦田さんから感謝の花束が手渡された。山﨑さんは昨年の復活演奏会でも指揮する予定だったが、病のため急きょ降板。この日は客席から演奏を見守り、「みんな頑張ってくれた。一生懸命の第九が聞けてうれしい」と喜んだ。ここまで続いた原動力を「みんなの情熱」とし、「今日で終わりではないと感じる。きっと(何らかの形で)続いていくと思う」と実感を込めた。
 
2019年まで指揮者を務めた山﨑眞行さんがステージに登場。合唱メンバーや聴衆から感謝の拍手が送られた

2019年まで指揮者を務めた山﨑眞行さんがステージに登場。合唱メンバーや聴衆から感謝の拍手が送られた

 
昨年に続いて指揮をした瓦田尚さん(右)。最後は聴衆も一体となり「歓喜の歌」を響かせた。同演奏会恒例のフィナーレ(左)

昨年に続いて指揮をした瓦田尚さん(右)。最後は聴衆も一体となり「歓喜の歌」を響かせた。同演奏会恒例のフィナーレ(左)

 
「これまで感動をありがとう!」出演者をたたえる拍手は鳴りやまず

「これまで感動をありがとう!」出演者をたたえる拍手は鳴りやまず

 
 終演後のロビーでは出演者と来場者が入り交じり、第九でつながれた強い絆をあらためて心に刻み合った。支えてくれた家族からねぎらいの言葉を受ける人も。孫から花束を贈られ喜びの笑顔を見せたのは、通算18回目の出演を果たした土橋郁子さん(78)。本公演には夫博聰さんも来場する予定だったが、11月上旬に突然の急逝(享年79)。音楽好きだった夫のためにもと、悲しみを乗り越えステージに立った。「どこかで聞いていてくれたかな…」。第九は生きがいだった。「今はやりきったという感じ」。長男照好さん(52)は「父にも母の思いが届いたのではないか。演奏も感動的だった。始めた人たちの思いを感じることができた気がして…」と余韻に浸った。
 
「おつかれさま!」お孫さんから花束を贈られ、喜びの笑顔を輝かせる土橋郁子さん(左)

「おつかれさま!」お孫さんから花束を贈られ、喜びの笑顔を輝かせる土橋郁子さん(左)

 
 互いの演奏会に出演し合い、釜石のメンバーとは約30年の付き合いという八戸メンネル・コールの河原木久一さん(89)は「釜石の人たちは心が温かい。私たちのことも快く受け入れてもらった」と感謝。震災があった年に被災した中学生と一緒に歌った演奏会が「忘れられない。あの歌声に三陸の人たちがどれほど励まされたことか」と思いをはせた。
 
 この日は過去に出演経験がある人たちも多数、駆け付けた。渡邊さんが立ち上げた親と子の合唱団ノイホフ・クワィアーに家族3人で所属していた山本美津子さん(86)は、旧市民文化会館のこけら落とし公演に夫、娘と出演した経験を持つ。「(当時が)とても懐かしくてね。アンコールでは一緒に歌った」と声を弾ませ、「第九(演奏会)は市民の大事な宝物だった。もう1回やってほしい」と復活開催に望みを託した。
 
 第1回からの合唱メンバーで最終公演を迎えたのは5人。20代後半から参加してきた菊池玲次さん(71)は「たくさんの先輩方に支えられ、ここまで続けてこられた。亡くなった方も多いが、本当に感謝しかない」と、人生の半分以上を共に歩んだ第九に深い思いを寄せる。この日は、長年一緒に歌い、プライベートでも親交のあった市芸術文化協会前会長の岩切潤さん(2017年逝去、享年82)のちょうネクタイを胸に忍ばせて歌った。
 
終演後、さまざまな思いを分かち合った出演者と来場者。左上は感謝の気持ちを伝える実行委の川向修一会長

終演後、さまざまな思いを分かち合った出演者と来場者。左上は感謝の気持ちを伝える実行委の川向修一会長

 
 地元紙の記者として初の第九発会式を取材した際、渡邊さんに声を掛けられ、合唱メンバーの一員になった実行委の川向修一会長(71)。最後のステージでは渡邊さんの教えの一言ひと言、活動を共にした故人の顔が浮かび、目を潤ませる場面もあった。多くの人たちと心を通わせ歌い続けた45年―。「ひとつの形としての演奏会は終わるが、自分たちのやってきたことが種となり、この先、新たな形で芽吹いてくれれば…」。“一区切り”の言葉に出演者も聴衆も「いつかまた…」との期待を込める。
 
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「元気でいてね!」日ごろの感謝込めお遊戯披露 上中島こども園児が地域の高齢者に

地域住民に歌をプレゼントする上中島こども園児=中妻地区生活応援センター width=

地域住民に歌をプレゼントする上中島こども園児=中妻地区生活応援センター

 
 釜石市の上中島こども園(楢山知美園長、園児48人)の園児18人が18日、園近くの中妻地区生活応援センター(菊池拓朗所長)で地域の高齢者にお遊戯を披露した。日ごろの見守りへの感謝を込め、昨年に続いて企画。かわいらしい衣装に身を包んだ子どもらの歌やダンスに、集まった高齢女性12人は大喜び。終始、笑顔で楽しい時間を過ごした。
 
 センターを訪問したのは3歳、5歳児クラスの園児。始めに全員で「We wish You A Merry Christmas」「にじのむこうに」の2曲を合唱した。3歳児クラスの8人はサンタクロース姿でクリスマスメドレーのダンスを披露。小さな体をめいっぱい動かし、一足早いクリスマス気分を届けた。
 
かわいいミニサンタの登場に目を細める高齢女性

かわいいミニサンタの登場に目を細める高齢女性

 
クリスマスの曲に合わせ踊る3歳児クラスの園児

クリスマスの曲に合わせ踊る3歳児クラスの園児

 
 5歳児クラスの10人は2グループに分かれてお遊戯。「アロハ・フラ~海と空と太陽と」の曲で披露したダンスは南国気分を漂わせ、冬の寒さを吹き飛ばした。「あばれ太鼓~雷ジーン」はかっこいい振り付けが特徴。決めポーズもバッチリで、りりしい姿を見せた。
 
南国のフラダンスであったか気分を届ける5歳児クラスの園児

南国のフラダンスであったか気分を届ける5歳児クラスの園児

 
はっぴ姿の男児は太鼓のばちに見立てた道具を手に元気に踊った

はっぴ姿の男児は太鼓のばちに見立てた道具を手に元気に踊った

 
 “ちびっこサンタ”姿の藤原依茉ちゃん(4)は「うまく踊れた。クリスマス大好き。(もうすぐなので)楽しみ」とにっこり。フラダンサーになり切った小林妃奈乃ちゃん(5)は「楽しかった。おばあちゃんたち、笑って喜んでくれた。これからも元気でいてほしい」と願いを込めた。
 
 同園では9日に、園児らの成長を保護者に見てもらう3~5歳児の生活発表会を開催。この時に発表したお遊戯を「地域の方にも見てもらいたい」と、会終了後も練習を重ねてきた。目尻を下げっぱなしだった平野京子さん(73)は「みんな上手。胸がいっぱいになって涙が出てきた」と大感激。自身の保育園時代と比べ、「今の子どもたちはすごいね。いろいろなことを覚えてねぇー」と感心しきり。
 
子どもたちの頑張りに盛んな拍手を送る

子どもたちの頑張りに盛んな拍手を送る

 
会場にはたくさんの笑顔が広がった

会場にはたくさんの笑顔が広がった

 
園児と高齢者は共に楽しいひとときを過ごした

園児と高齢者は共に楽しいひとときを過ごした

 
 上階が復興住宅になっている同センターでは週に2回、住民らがラジオ体操を行っていて、同園の園児が参加することも。季節の行事でも交流が続く。「地域の皆さんに見守ってもらいながら子どもたちを育てていきたい」と楢山園長。こうした交流は子どもの心の成長への効果だけではなく、日ごろからの行き来で顔見知りになることで大人の目が増え、不審者の声掛けや犯罪などに巻き込まれるリスクを軽減できればとの思いもある。新型コロナウイルス禍で園行事への招待はしばらくできずにいたが、来年から再開できればと心待ちにする。
 
園児から日ごろの感謝を込めて、松ぼっくりツリーとクリスマスカードのプレゼント

園児から日ごろの感謝を込めて、松ぼっくりツリーとクリスマスカードのプレゼント

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励まし支え合って30年 釜石・ボランティア連絡協 交流会で英気蓄え「活動続行!」

結成30周年記念交流会を楽しむ釜石のボランティアら

結成30周年記念交流会を楽しむ釜石のボランティアら

 
 釜石市ボランティア連絡協議会(久保道子、中川カヨ子共同代表)が結成30周年を迎えた。市内で開かれるイベントの運営などで力を合わせたり、市外の団体と交流したり、多様な活動を展開。新型コロナウイルス感染症などの影響で控えていた顔を合わせた活動が徐々に再開される中、構成団体のメンバーたちは奉仕の心を大切にした活動の継続へ気持ちを新たにしている。
 
 同協議会は、1992年の三陸海の博覧会で市内の女性団体がおもてなしを担当したことをきっかけに93年に結成。ボランティア団体の相互の情報交換や連携を目的にし、市社会福祉協議会が事務局を担う。本年度は13団体246人で構成。活動内容は花壇整備や防災活動、手話学習、高齢者家事援助、子育て支援、傾聴など多岐にわたる。
 
 10日、記念の交流会を上中島町の中妻公民館で催し、約60人が日ごろの活動を紹介し合いながら節目を祝った。久保共同代表(釜石地区更生保護女性の会会長)は「この30年、東日本大震災やコロナの感染拡大など、さまざまな困難や苦労もあったと思う。それでも長い間、先輩方の思いをつなぎながら活動を続けてこられたことに感謝の気持ちでいっぱい。お互いに感謝とねぎらいの時間を過ごし、今後の活動の励みとしましょう」とあいさつ。来賓の吉田守実・岩手県ボランティア団体連絡協議会長が祝辞を述べた。
 
開会式であいさつする久保道子共同代表(左)、来賓の吉田守実会長

開会式であいさつする久保道子共同代表(左)、来賓の吉田守実会長

 
人形劇団どっこいしょKが活動紹介。こちらも結成30年

人形劇団どっこいしょKが活動紹介。こちらも結成30年

 
 協議会と同じく結成30周年の「生きがい人形劇どっこいしょK」(千葉勝美座長)が活動紹介。「孤立したキツネ~引きこもり編」と題した演目で、震災で職を失って帰郷し、引きこもりがちになった男性を公的支援につなぐ物語。終盤、音響トラブルが発生したが、団員の菊地恵美子さん(93)がマイクを手に舞台から顔を出し、団体の歴史を話して場をつないだ。
 
途中でトラブルが起きても慌てず場をつなぐ菊地恵美子さん

途中でトラブルが起きても慌てず場をつなぐ菊地恵美子さん

 
 劇団は岩手高齢者大学釜石校の人形クラブを母体に同窓生、OB有志で93年に結成された。脚本づくりから人形や道具の制作、音声、舞台設営まで全て団員が手作りし運営。地域の民話を題材にしたり、保健所と協働で認知症や心の病などをテーマにした演目を市内外の福祉施設、保育施設、講演会などで上演してきた。震災では浜町で保管していた人形などを失ったが、数カ月後に活動を再開。会員9人のうち4人が90代だが、今なお現役で活動する。
 
 コロナ下で3年間活動ができず、団員たちは久しぶりのお披露目に気合が入った。菊地さんも、普段使っているつえを手放しキビキビ歩いて元気満々。「ボランティアは社会にとって大事で、愛と信頼関係がなければ続かない。仲間に感謝。皆さんもお互いに励まし、支え合っていきましょう」と通る声で呼びかけた。
 
団員の平均年齢は90歳超。「生き生きと楽しく」がモットー

団員の平均年齢は90歳超。「生き生きと楽しく」がモットー

 
“お元気シニア”の代表格どっこいしょKの劇に見入る参加者

“お元気シニア”の代表格どっこいしょKの劇に見入る参加者

 
 昼食の時間には、協議会結成のきっかけとなった三陸博の映像や写真資料などがスクリーンに映し出され、参加者が懐かしそうに視聴。そのほか、紙芝居や合唱などの活動紹介もあり、参加者みんなで楽しい時間を共有した。
 
30年前の映像を見ながらおしゃべりを楽しみ親睦を深めた

30年前の映像を見ながらおしゃべりを楽しみ親睦を深めた

 
 事務局担当の市社協職員は「どっこいしょKのようなお元気シニアの皆さんからエネルギーをもらって、それぞれが活動に励んでもらえたら」と期待。人口減、高齢化、会員の減少など課題はあるが、ボランティア活動は携わる人の生きがい、やりがいにつながり、地域も活性化することから、息の長い活動になるようサポートしていく考えだ。

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「夢叶う」その理由は…将棋・小山怜央四段(釜石出身) 答えは初の著書に 古里で出版イベント

小山怜央四段の著書出版を記念し釜石で開かれたイベント

小山怜央四段の著書出版を記念し釜石で開かれたイベント

 
 「夢破れ、夢破れ、夢叶(かな)う」。11月下旬に釜石市内の書店に並んだ本のタイトルだ。著者は、地元出身で岩手県初の将棋プロ棋士となった小山怜央四段(30)。棋士養成機関「奨励会」を経ずに棋士になるという特異な道のりをたどる自伝で、「アマチュア棋士がプロに勝ち、プロになった話」をつづる。刊行を記念し、桑畑書店(釜石・大町)が12月9日にトークイベントを開催。小山四段は、応援する市民や将棋ファンら約30人を前に「自分を信じて挑み続ける」と尽きせぬ情熱を伝えた。
 
 イベントは、幼少期の小山四段を指導した日本将棋連盟釜石支部長の土橋吉孝さん(68)との対談形式で進んだ。土橋さんいわく、「集中力があるが、夢中になると周りのことが耳に入らなくなる子」だったという小山四段。そうした面が対局中に現れ注意されたことが著書で触れられていて、土橋さんは「あとで読んで」と濁したが、小山四段は「細かく書けなかった」と当時の癖を自ら明かしたり、ほほ笑ましい2人のやりとりに会場からくすっと笑いが起こった。
 
終始楽しげにトークを展開する小山四段と土橋吉孝さん

終始楽しげにトークを展開する小山四段と土橋吉孝さん

 
 小山四段の強みは、最後まで諦めない姿勢や失敗を引きずらない切り替えの良さが挙げられるが、「大学生活や社会人経験も強みになる」と自己分析。棋力向上には「AIをガッツリ使っている。反省会と称した研究会があって、奨励会員や棋士と対局しながら腕を磨いている」と近況を伝えた。プロになってからの成績は3勝6敗。来場者から「逆境をどう乗り越えるか」などと質問されると、「スタイルは変えない。自分の読みを信じる」と芯の強さをのぞかせた。
 
ファンに思いを伝える小山四段「嫌になることはあっても、やめたいと思ったことはない。将棋だけは」

ファンに思いを伝える小山四段「嫌になることはあっても、やめたいと思ったことはない。将棋だけは」

 
 トークの後はサイン会。「信念」と力強く記した本を小山四段から受け取った井戸大靖さん(関西大法学部4年)が見せたのは満面の笑み。自身も将棋を楽しんでいて、奨励会未経験、岩手初という偉業に「すごい」と尊敬のまなざしを向ける。「働きながら学び続けるのも大変なのに、仕事を辞めて挑む。情熱ですよね。そういうものを自分も見つけられたら」と感化された。
 
市民やファンが列を作ったサイン会。「信念」と言葉を残す

市民やファンが列を作ったサイン会。「信念」と言葉を残す

 
小山四段(右)の気さくな人柄に触れてみんな笑顔に

小山四段(右)の気さくな人柄に触れてみんな笑顔に

 
 自伝は、▽将棋との出会い~奨励会に挑戦▽高校入学~東日本大震災▽大学入学~二度目の奨励会挑戦▽サラリーマン生活~プロ編入試験の受験資格獲得▽プロへの挑戦-の5章構成。奨励会に入ることはできず、災禍に見舞われたとしても、「棋士になる」という夢を大事に育て、運を味方にしたら諦めず突き進んでつかみ取る、そんな半生をしたためている。
 
 「二度にわたって夢破れ、その末にかなった夢」。プロ棋士となった今、「二つの新たな夢ができた」と著書で明かす。そのほか、土橋さん、プロ編入試験直前に対局した遠山雄亮六段、師匠の北島忠雄七段のインタビューや、棋士編入試験5番勝負全局の棋譜も収録する。
  
信じた道を歩み続ける小山四段の著書「夢破れ、夢破れ、夢叶う」

信じた道を歩み続ける小山四段の著書「夢破れ、夢破れ、夢叶う」

 
小山四段の活躍と書籍の売れ行きを期待する編集者ら

小山四段の活躍と書籍の売れ行きを期待する編集者ら

  
 時事通信社刊。四六判152ページ、税抜き1500円。小山四段のドラマチックな歩みはさまざまな報道で知る人も多く、市民、県民に喜びや感動、勇気を与えた。この書籍はその道のり、経験、思いを「当事者の目線」で記しているのが注目点。イベントには編集を担当した時事通信出版局の永田一周さん(編集委員)も参加し、「縁があり出版にこぎつけた。小山さんには活躍してもらい、皆さんは本を買って応援をお願いします」と売り込んでいた。

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サバイバルマスター 1DAYチャレンジ!フード編

サバイバルマスター®️1DAYチャレンジ!フード編
 

12月24日(日) フード編
 
/// 人の手助けができるサバイバルマスター®️に ///
 
全国の子どもたちにお願いです。
災害時は、大人たちだけでは対応できないことが次々に起こります。
そんな時のために一緒に学び続けよう。

8つのサバイバルプログラム

講習を受けると修了証、実技・筆記試験に合格するとワッペンがもらえます。
スキルが身についているか?学んだことを理解しているか?が合格の基準。
8つのプログラムすべてのワッペンがそろうと「サバイバルマスター®️」として認定されます。
 
サバイバルマスター®️1DAYチャレンジ!フード編チラシ(PDF/14.9MB)

スケジュール

10:00 受付開始
 
10:30 講習開始
このスキルを身に着けたら、どういった場面で役にたつか、学びながら練習しよう!
 
12:00 昼食
非常食を食べてみよう!
 
13:30 筆記試験
知識がしっかり身についているかテスト!
 
13:50 ふりかえり
 
14:00 解散

インストラクター

伊藤 聡
さんつな 代表
釜石高等学校 探求学習講師「防災ゼミ」
72時間サバイバル教育協会 認定ディレクター
 
釜石生まれ釜石育ち。
東日本大震災で自身も被災したものの、生まれ育ったまちを取り戻すため、ボランティアコーディネートを中心とした活動からスタート。
 
自然と災害という二つの要素を織り交ぜながら、子どもたちの生きる力を高めるために、様々な体験機会のコーディネートを行っています。
 
<<主な資格>>
防災士、防災検定2級、JVCAボランティアコーディネーション力検定2級、MFAメディック・ファーストエイド チャイルドケアプラス

お申し込み

予約フォームよりお申し込みお願いします!
https://reserva.be/santsuna
 
日程:2023年12月24日(日)
定員:15名(先着順)
※最小催行:3名
料金(税込):各回3,000円/一人あたり
※プログラム費、検定費、保険代など含みます
※助成金により、通常の参加費(5、500円)より割安になっています
対象:小学3年生以上
※子ども向けの内容ですが大人も参加大歓迎です
集合時間:10時受付開始
会場:根浜レストハウス キャンプ場
(釜石市鵜住居町第21地割23番地1外)
持ち物・注意事項:
●参加費は当日受付でお支払いお願いします(現金、PayPay、かまいしエール券)
●保護者や、対象年齢以外のご家族の付き添い(見学のみ)可能です

主催・お問い合わせ

さんつな(三陸ひとつなぎ自然学校)
LINE https://lin.ee/RvMUVBk
TEL 0193-55-4630 / 090-1065-9976
mail hitotsunagi.main@gmail.com

主催

さんつな

協力

72時間サバイバル教育協会
Tri4JAPAN

さんつな

さんつな

自然と災害という二つの要素を織り交ぜながら、若者の生きる力を高めるための体験機会を提供しています。

問い合わせ:0193-55-4630 〒026-0301 岩手県釜石市鵜住居町29-17-20
メール / LINE / 公式サイト / Facebook

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釜石は番号で呼ばれる橋が多い!? 鉄の町・鉄道の歴史ひもとく 図書館教養講座

釜石の「ナンバーブリッジ」を紹介した森一欽さん

釜石の「ナンバーブリッジ」を紹介した森一欽さん

 
 三の橋、五の橋、七の橋、八の橋…釜石市には「番号で呼ばれる橋」が多い。なぜか?…「名称だから」といえばそれまでだが、気になっている人も少なくはないのでは―。そんな疑問の解消につながる講座が3日、小佐野町の市立図書館で開かれた。同館主催の市民教養講座の一環で、市世界遺産課の森一欽さん(課長補佐)が講師。「鉄の町かまいし」の歴史に関心のある市民ら約20人が聴講し、その「知りたい!」という好奇心をくすぐった。
 
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歴史好きの人たちが耳を傾けた市立図書館の教養講座

 
 テーマは「釜石鉄道の道」。橋の話は鉄の町、鉄路の歴史とかかわる。1858(安政4)年12月1日に大橋地区で、大島高任が洋式高炉・鉄鉱石による製鉄に成功したことから鉄の町の歴史がスタートするが、そこは鉄道の歴史が始まった地でもあるという。
 
 時代は明治、鈴子(現在の釜石製鉄所がある地区)に官営製鉄所をつくることが決まったところから森さんの解説が始まった。生産能力を引き上げた高炉を稼働させる計画で、それに見合った鉄鉱石や木炭を運搬するため鉄路が敷かれた。それが「工部省鉱山寮釜石鉄道(総延長26.3キロ)」。大橋の採鉱場から鈴子、そして釜石港までつなぎ、支線として小川にあった製炭所も結ぶ路線で、1880(明治13)年に運転を開始。「これが日本で3番目の鉄道になる」と語る。
 
鉄の町の歴史を支えた鉄道について解説する森さん

鉄の町の歴史を支えた鉄道について解説する森さん

 
 ただ、官営としての使用は3年ほどで終わり、その後は鉄の生産量拡大や国による鉄道法の公布などで、▽馬車鉄道▽釜石鉱山専用汽車(社線)▽岩手軽便鉄道-と変遷していく。1950(昭和25)年に釜石線が全線開通した後には「モータリーゼーション」がやってくる。森さんは「車社会、国道のど真ん中を鉄道が走っているのは邪魔ですよね。撤去することに。昭和40年のこと」と説明した。
 
 そして話題が変化。「ナンバーブリッジ。なんで番号が付いた橋ができたか」。気になっていた答えは「簡単に言うと、橋の名前をいちいち付けるのは面倒くさいということで番号を付けたんですね、たぶん。それが始まり」と、森さんはさらっと発した。橋ができたのは官営製鉄所時代で、工部省年報(公文書)などを示し、「当時作られた橋は20カ所」と説明。一方、同じ頃に刊行された工学雑誌の記述も見せ、「ある研究者のまとめでは17。何が違うか。書いた方はカルバート、つまり暗きょは橋と認めない」と差異の要因を指摘した。
 
橋の数に違いが生じた点も解説した

橋の数に違いが生じた点も解説した

 
身を乗り出し説明に聞き入る参加者

身を乗り出し説明に聞き入る参加者

 
 工学雑誌を基に、17の橋を紹介した。今も使われ名称も定着している「五の橋」だったり、名を知らずの橋、宅地などで利用され地下で眠ってしまったものもあったり。当時の名残を見ることができる場所もあり、小佐野町の60代男性は「知らなかったことばかり。近くにあるという八の橋、九の橋を散歩がてら見てみようと思う。話を聞きくと楽しみが増えるな」と頬を緩めた。
 
 質疑の時間には、鉄鉱石の運搬で活躍した蒸気機関車や製鉄所製造の鉄管の行方など、歴史好きな人たちならではの問いかけが続いた。「橋の位置を特定する参考に」と当時の住宅街の様子を伝える人もいて、知的好奇心を刺激し合う雰囲気に森さんはニヤリ。昨年の鉄の記念日・週間に行われたある講演で橋の話題が出た後、興味を持った市民らの様子を察知して今回のテーマを選んでいて、「うん。実際に歩いて、いろんな痕跡を探してみて」といたずらっぽい笑みを浮かべた。
 
数字が入った橋名板をパチリ。歴史に触れる町めぐりを楽しめる

数字が入った橋名板をパチリ。歴史に触れる町めぐりを楽しめる

 
甲子町にある「十三の橋」。イギリス積みという手法で積み上げられた赤レンガが残る

甲子町にある「十三の橋」。イギリス積みという手法で積み上げられた赤レンガが残る

 
 ナンバーブリッジ。釜石を楽しむ要素に橋めぐりはいかが―。

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映像文化、まちの歴史で復興後押し 故平松伸一郎さん追悼映画上映会 釜石で 関係者はしのぶ会も

故平松伸一郎さんが手掛けた映画上映会のチラシに見入るしのぶ会の参加者

故平松伸一郎さんが手掛けた映画上映会のチラシに見入るしのぶ会の参加者

 
 東日本大震災後、映画上映や地元に眠る映像の発掘、地域の歴史や文化に着目したまち歩き地図の発行などで復興に尽力した釜石市のフリーライター平松伸一郎さん(享年51)。昨年10月の急逝から1年が経過した今年、平松さんとゆかりのある関係者らが生前の功績に感謝し、映画上映会を企画した。2、3の両日、同市大町の釜石PITで開かれた上映会では、平松さんが手掛けた映画イベントのチラシや生前の活動を伝える新聞記事、投稿したコラムなどを展示。市民らの心の復興に貢献した平松さんの活躍を振り返り、哀悼の気持ちを表した。
 
 「シン・シネピット」と題した上映会は、釜石まちづくり会社、みやこ映画生活協同組合によるシネピット運営委員会が主催。2日間で6作品を上映し、147人が鑑賞した。初日最後の回では平松さんがこよなく愛した世界的ロックバンド「ザ・ビートルズ」のドキュメンタリー映画を上映。鑑賞後、平松さんをしのぶ会が開かれ、親交のあった人たちが思い出を語り合った。
 
ビートルズの映画上映前には平松さんのこれまでの活動を紹介するメモリアル映像の上映も

ビートルズの映画上映前には平松さんのこれまでの活動を紹介するメモリアル映像の上映も

 
生前の平松伸一郎さん(左)=メモリアル映像より

生前の平松伸一郎さん(左)=メモリアル映像より

 
 平松さんは釜石市源太沢町生まれ。釜石南高から慶応大に進み、東京の編集プロダクション勤務を経て2003年に帰郷した。フリーのライター、編集者として各種記事の執筆、高校記念誌の編さんなどを手掛け、同市国際交流協会の一員としても活動。11年の震災後は復興まちづくりに取り組み、NPO法人かまいしリンクを立ち上げ対話カフェを開催するなど、市民目線で復興を後押しする活動を続けた。
 
 まちの文化や歴史にも精通していた平松さん。地域の魅力を再発見するまち歩き地図「釜石てっぱんマップ」の作成(14年初版)、市内に眠っていた昭和の映像発掘や上映なども行い、復興に向かう市民らに再起への力を与えてきた。映画館が消滅して久しい同市に映画上映の場を作り心の復興につなげようと、仮設団地や復興住宅集会所、公民館での上映会も多数開催。“みんなで見たい映画”を公募し上映作品を決める「釜石てっぱん映画祭」(16~19年開催)では、映画監督や俳優を招いてのシネマトークも盛り込み、来場者を喜ばせた。
 
2019年3月に開かれた第3回釜石てっぱん映画祭。前列右から2人目が平松さん=復興釜石新聞より

2019年3月に開かれた第3回釜石てっぱん映画祭。前列右から2人目が平松さん=復興釜石新聞より

 
平松さんと親交のあった人たちが思い出を語り合う。左下は「釜石てっぱんマップ」

平松さんと親交のあった人たちが思い出を語り合う。左下は「釜石てっぱんマップ」

 
 しのぶ会では集まった人たちが献杯し、平松さんとのエピソードや人柄などを語った。NPO法人かまいしリンク代表の遠藤ゆりえさん(39)は国際交流協会での出会いを機に平松さんとつながり、同NPOを共に立ち上げた(平松さん副代表)。「上映映画を選ぶ際の基準はビッグタイトルよりもメッセージ性のあるもの。復興まちづくりへの冷静な視点も持ち合わせていた。あらためて平松さんの生き方に触れることで、気持ちにも一区切りついた感じ」と心境を話した。
 
 2014年から5年間、復興応援職員として同市広聴広報課に勤務していた京都府出身の村上浩継さん(44)は取材の仕事で平松さんと知り合い、てっぱん映画祭などで行動を共にした。平松さんを「ひょうひょうとしてマイペース。うまく周りを巻き込んで成功に導くタイプ」と表現。歴史や文化に目を向けた活動にも共感し、「未来の釜石の文化の担い手、旗振り役として期待していた。こんなに早く亡くなられたのは非常に残念」と惜しんだ。
 
平松さんについて語るかまいしリンクの遠藤ゆりえさん(左)と元釜石市広聴広報課職員の村上浩継さん(右)

平松さんについて語るかまいしリンクの遠藤ゆりえさん(左)と元釜石市広聴広報課職員の村上浩継さん(右)

 
 中学、高校の同級生で、帰郷後の平松さんと親交のあった市職員の笹村聡一さん(53)。脳疾患で倒れ2年ほど闘病中だった友の訃報は新幹線で出張に向かう途中に届き、最後の別れはかなわなかった。同級生ならではのエピソード、思い出は数知れず。気心知れた仲だけに酒席では言いたいことを言い合い、けんかになることもあったが、優れた文才には一目置き、「書いているものは多種多彩で、確かに上手。物書きは彼の天職だったと思う」。郷土愛も深く、「これからの釜石発展の一翼を担ってほしい人材だった。実現したいことはまだまだあったと思うが、聞けずじまいになってしまったのが心残り」と笹村さん。
 
 震災後、平松さんと一緒に沿岸各地で映画上映会を開き、被災者に元気や希望をもたらしてきた、みやこ映画生協常務理事の櫛桁一則さん(51)。「忙しい時は妻より長く一緒にいたかも」と上映活動に奔走した日々を振り返り、「映画や音楽に関してはすごく詳しい方。移動中、音楽を聞きながらいろいろな話を聞くのがすごく楽しくて。知らなかったこともたくさん教わった」と大切な思い出を心に刻む。「リハビリして戻ってくると信じていた」だけに突然の訃報は「本当にショックだった…」。生前、平松さんは「何もないまちだと嘆くだけではだめ。自分たちで創造し、続けていくことが文化になる」と常々言っていたという。櫛桁さんは「平松さんの遺志を継いで、これからも地域の文化振興に携わっていきたい」と思いを強くする。
 
会場には平松さんの活動を伝える地元紙の記事やコラムのコピーが展示された

会場には平松さんの活動を伝える地元紙の記事やコラムのコピーが展示された

 
震災後、平松さんが市内の仲間と発行したコミュニティー紙「フライキ!」

震災後、平松さんが市内の仲間と発行したコミュニティー紙「フライキ!」

 
しのぶ会の参加者は平松さんの功績をあらためて実感し、今後のまちづくりへ思いを新たにした

しのぶ会の参加者は平松さんの功績をあらためて実感し、今後のまちづくりへ思いを新たにした

 
 平松さんは数々の上映会やイベントを開催してきた釜石PITの運営委員も務めた。施設を運営管理する釜石まちづくり会社の下村達志事業部長は「平松さんには情報交流センター設立前の運営準備委員会から関わっていただき、情報ポータルサイト・縁とらんすの基本情報も書いてもらった。多彩な関わりでお世話になり感謝でいっぱい。平松さんが残してくれたものをこれからも生かしていければ」と願う。

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感動共有!笑顔つなぐ読み聞かせ 釜石・甲子小PTA「お話しどんどこ」 活動20年目に

「お話しどんどこ」が甲子小で続ける読み聞かせ活動

「お話しどんどこ」が甲子小で続ける読み聞かせ活動

 
 釜石市立甲子(かっし)小の読み聞かせボランティア「お話しどんどこ」が、活動を始めて20年目に入った。始まりは保護者によるPTAサークル活動。今では祖母世代や近隣住民などが加わった地域ぐるみの活動に深化する。授業の合間の休み時間を活用した不定期の取り組みは、月1回の朝活動に変化。働き世代の保護者らにとっては忙しい時間だが、米澤美紀代表(47)は「本を通して子どもたちと対話しながら一緒に楽しんでいる。いとおしい反応や笑顔、パワーをもらう、すてきな時間。読み手が増え、ずーっと続く活動に」とほほ笑む。
 
 「どこにいるかな? にげた金魚、みんなも一緒に探してくれる?」。11月30日朝、甲子町の同校1年2組(23人)の教室で、米澤代表が児童に優しく語りかける。「いるー、そこ、そこー!」「よかったー」。話の世界に引き込まれた子どもたちが指さしたり全身でアピールする。こんなやりとりが繰り返され、約15分があっという間に過ぎてゆく。
 
 どんどこは2004(平成16)年に学校の呼びかけで、当時の保護者10人ほどで立ち上げた。当初は2、3時間目の授業の間の休み時間(中休み)を使い、図書室で低学年を対象にした読み聞かせを不定期に実施。続ける中で、月に1回、全学年向け、各教室での活動と形が変わった。現在の活動日、第4木曜日は「朝どんどこ」として“甲子っこ”にすっかり定着している。
 
子どもたちを物語の世界に引き込む千田雅恵さん

子どもたちを物語の世界に引き込む千田雅恵さん

 
 登録メンバーは11人で、米澤代表のように在校生の保護者もいれば、祖母だったり、卒業児の家族、元教員、地域住民とさまざまだ。この日活動したメンバーは7人。2年2組(20人)の教室では、立ち上げ時からのメンバー千田雅恵さん(61)が季節に合わせて選んだウクライナの民話「てぶくろ」や、100年前に生み出された物語ながら新鮮味や面白さが色あせない「子どものすきな神さま」(新美南吉作)を穏やかな語り口で聞かせた。
 
 朝活後、図書室で反省会。持ち込んだ本を見せ合い、選択に込めた思いを共有したり、記録を残したりした。さらに、この日は20年目の活動を祝うセレモニーを企画。中休みに6年生(43人)を迎えて、図書の寄贈(10冊)やパネルシアターの上演でふれあった。
 
記念セレモニーで学校に図書を贈呈。児童はお礼の手紙をお返し

記念セレモニーで学校に図書を贈呈。児童はお礼の手紙をお返し

 
クイズ形式で展開するパネルシアターは大盛り上がり

クイズ形式で展開するパネルシアターは大盛り上がり

 
 千田さんが20年の活動を振り返り。「楽しいお話が次々出てくるようなイメージ」を込めた団体名の由来、「子どもたちのために少しでもできることを」とたくさんの大人が思いをつないできたこと、学校の心強い後押しにも触れた。「気づいたら20年。本の世界をみんなでドキドキしたり感動したりできる読み聞かせは楽しい。今度はみんなが読み手になって、どんどこを続けてほしいな」と期待した。
 
20年の活動を振り返る千田さん(左)

20年の活動を振り返る千田さん(左)

 
贈った図書を紹介する米澤美紀代表(左)

贈った図書を紹介する米澤美紀代表(左)

 
 図書委員の髙橋龍之助君は「いつもおもしろく、本との出合いの機会になっている」と感謝を伝えつつ、「ヨシタケシンスケさんの本が好きなので、今度読んでほしい」とリクエスト。母良田(ほろた)凪君は物語の世界を情感たっぷりに表現する読み手の姿が印象に残っていて、「自分もやってみたい」と目標の芽を伸ばしている。
 
 同校には現在、児童244人が在籍する。メンバーは季節や学年を考慮しながら取り上げる本を選んでいるが、共通するのは「感動」という視点。まずは自分たちが心揺さぶられ、そうした思いをつづられた文字にのせ届けている。艦砲射撃を題材にした作品を紹介し、まちの歴史も伝えたり。朝どんどこを見守る菊池一章校長は「読み手の皆さんが楽しんでいるのが神髄。聞き手との一体感、空気感がすごくいい」と目を細める。
 
あちこちから小さな手が伸びる「朝どんどこ」

あちこちから小さな手が伸びる「朝どんどこ」

 
「次に読む本は?」。反省会は選書のヒントを得る場に

「次に読む本は?」。反省会は選書のヒントを得る場に

 
読んだ本と子どもたちの反応を記録に残す

読んだ本と子どもたちの反応を記録に残す

 
 米澤代表は「大きくなると読み聞かせはしなくなるが、親以外から伝えられることもある。忙しい朝だけど、子どもたちとの交流はひと息できる楽しい時間でもある」と保護者の立場からも意義を実感。どんどこのサークル活動のほか、PTAの図書ボランティア部隊として週2回、図書室の読書環境づくりにも携わり、「甲子小にたくさんの笑顔の花を咲かせるよう、元気に活動していきたい」と意欲を見せた。
 
活動継続へ気持ちを新たにする「お話しどんどこ」メンバー

活動継続へ気持ちを新たにする「お話しどんどこ」メンバー

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見て、触れて、味わって知る「サケ」 かまいしこども園児 郷土の水産業に理解一層

サケの体に恐る恐る触ってみる園児=かまいしこども園サケ学習

サケの体に恐る恐る触ってみる園児=かまいしこども園サケ学習

 
 釜石市天神町のかまいしこども園(藤原けいと園長、園児85人)で11月28日、サケの解体学習が行われた。同園の年長児が取り組む「サケ学習」の一環。サケの一生や漁獲方法、食卓に上がるまでの過程を教わった園児らは、地元で取れた雌サケの解体を見学し、さばいた切り身を炭火焼きで味わった。
 
 同学習は地元水産資源の学びを通して郷土愛や環境保全意識の醸成につなげようと、海洋教育パイオニアスクールプログラム(笹川平和財団海洋政策研究所など主催)の助成を受けて2021年度から行われる。今年度の学習は春の稚魚放流からスタート。夏には漁獲や市場の様子を映像で学んだ。
 
 3回目となった今回は恒例の解体学習。はじめに、講師を務める岩手大三陸水産研究センター特任専門職員の齋藤孝信さんが、これまでの学びのおさらいとして、サケの成長過程や定置網での漁獲方法、市場での競りなどについて話した。齋藤さんは「みんなが甲子川に放流したサケの赤ちゃんは北の海で大きくなり、4年後の秋に釜石の海に戻ってきます。大きな網を仕掛けて取ったサケは、市場で仲買人さんが買って魚屋さんに並びます」と説明。最近は戻ってくるサケが少なくなっていることも教え、「サケが戻ってこられるきれいな海や川にするため、ごみは決められた場所に捨てよう」などと呼び掛けた。
 
岩手大の齋藤さんはサケが食卓に届くまでの過程を説明

岩手大の齋藤さんはサケが食卓に届くまでの過程を説明

 
 いよいよ本物のサケが登場。齋藤さんが腹に包丁を入れるとイクラが姿を見せ、園児から歓声が上がった。用意されたサケは体長75センチ、重さ4キロの中型。両石湾仮宿沖の定置網で前日朝に漁獲された。園児らはサケの体に触ったり、鋭い歯がある口の中や頭の近くにある心臓を観察したり…。初めて見る体内や各部位に驚きの表情で見入った。解体学習には年長児のほか、年中児も特別参加した。
 
釜石の海で水揚げされたサケに目を輝かせる園児

釜石の海で水揚げされたサケに目を輝かせる園児

 
初めて触るサケの体の感触は?

初めて触るサケの体の感触は?

 
鋭い歯が並ぶサケの口の中を見てびっくり仰天!

鋭い歯が並ぶサケの口の中を見てびっくり仰天!

 
 梶原環ちゃん(5)は「血がちょっと怖かった。サケの体はぬるぬるしていた。イクラが好き。サケを食べるの、楽しみ」と、この後の試食を心待ちにした。
 
 内臓などを取り除き、切り身にしたサケは塩をふって、園庭で炭火焼きにして味わった。「おいしー!」と声をそろえる園児たち。「カリカリする」「焦げがちょっと苦い」「塩がしょっぱい」「皮、大好き」…。それぞれの舌で海の恵みの味を表現した。
 
サケが焼き上がるのを心待ちに見守る園児

サケが焼き上がるのを心待ちに見守る園児

 
炭火で焼いたサケの切り身をじっくり味わう

炭火で焼いたサケの切り身をじっくり味わう

 
 3年間、同学習に協力してきた講師の齋藤さんは「映像を見せる、実物を触らせる、放流をするなど、さまざまな体験が子どもたちの興味喚起につながっている。サケへの理解も随分、深まっている」と手応えを実感。海や海産物に親しむことで、地産地消の推進、魚食普及にもつながることを願い、「将来、漁師になりたいと思う子がでてくれればさらにうれしい」と10年、20年後に期待を寄せる。
 
 サケが豊漁だったころは、家庭の軒先に新巻きザケが並ぶ光景が冬の風物詩だった釜石。近年の水揚げ激減で、そうした景色も見る機会が減った。澤田利子副園長は同学習について、「魚(漁業)のまち釜石をもっと身近に感じられるようになったのではないか。地球温暖化や海洋(プラスチック)ごみの魚への影響が顕著になってきている。子どもたちには自然を大切にするなど、環境問題にも関心を持ちながら育っていってほしい」と願う。同園のサケ学習はこの後、新巻きザケ作りの見学なども検討している。
 
お腹を開いたサケの体内に目がくぎ付け。貴重な学びの時間

お腹を開いたサケの体内に目がくぎ付け。貴重な学びの時間

 
取り出したばかりのイクラの塊に興味津々

取り出したばかりのイクラの塊に興味津々

 
女の子はきらきら光るイクラの粒にこの笑顔

女の子はきらきら光るイクラの粒にこの笑顔

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広報かまいし2023年12月1日号(No.1821)

広報かまいし2023年12月1日号(No.1821)
 

広報かまいし2023年12月1日号(No.1821)

広報かまいし2023年12月1日号(No.1821)

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【P1】
小野市長 就任あいさつ

【P2-3】
明治日本の産業革命遺産 書き下ろし小説
まちの話題

【P4-5】
水道管の凍結にご注意ください 他
行政事務組合・広域環境組合 決算

【P6-7】
まちのお知らせ

【P8】
イベント案内

この記事に関するお問い合わせ
釜石市 総務企画部 広聴広報課 広聴広報係
〒026-8686 岩手県釜石市只越町3丁目9番13号
電話:0193-27-8419 / Fax 0193-22-2686 / メール
元記事:https://www.city.kamaishi.iwate.jp/docs/2023112700017/
釜石市

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釜石市公式サイトと連携し、縁とらんすがピックアップした記事を掲載しています。記事の内容に関するお問い合わせは、各記事の担当窓口までお問い合わせください。
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釜石は鉄の街「どうして?」 郷土の歴史学ぶ子どもたち、成果発表 関連行事も続々

釜石の歴史に触れる鉄の学習発表会

釜石の歴史に触れる鉄の学習発表会

 
 釜石市の児童・生徒による鉄の学習発表会(鉄のふるさと釜石創造事業実行委員会主催)は11月25日、大町の釜石PITで開かれ、2校が史跡見学や鉄づくり体験で得た学びを紹介した。市では「鉄の記念日」(12月1日)の前後1週間を「鉄の週間」として各種イベントを催しており、発表会もその一つ。関係者は「子どもだけでなく、大人も地域の歴史に触れ、学び続けるまちに」と願う。
 
 鉄の記念日は、近代製鉄の始まりを記念する日。盛岡藩士の大島高任が安政4(1857)年12月1日、釜石市甲子町大橋に建設した洋式高炉で日本初の連続出銑を成功させたことにちなむ。
 
学びから得た地域の魅力を伝える双葉小児童

学びから得た地域の魅力を伝える双葉小児童

 
 双葉小は4年生の代表5人が発表。近代製鉄発祥の地・大橋地区にある釜石鉱山の坑道見学や旧釜石鉱山事務所での鉱石採取体験などを通して「鉄の街釜石」に触れた。驚いたこととして挙げたのは、大橋地区に学校があったこと。多い時には1200人の子どもたちが通ったといい、「双葉小の9倍くらい。ここだけで生活ができた」と思いをはせた。
 
 鉱石の標本づくりにも挑戦。石の種類、鉄鉱石ができる仕組みなどを学び、「釜石を発展させた鉱石たちを宝物として大切にしたい」とまとめた。現在の釜石鉱山で製造されるナチュラルミネラルウォーター「仙人秘水」が印象に残ったのは磯﨑雄太君。坑道の中の岩盤を40年かけてつたってくるこの湧き水は「僕らが生まれる前のもの。魅力的。いろんな良いところをもっと伝えたい」と胸を張った。
 
「仙人秘水は常温の方がおいしいそうです」と豆知識も

「仙人秘水は常温の方がおいしいそうです」と豆知識も

 
 釜石東中の1年生20人は、同事務所で行った「たたら製鉄」実習の様子を寸劇で紹介した。大島高任は西洋の高炉設計図を頼りに釜石で製鉄を進めたといい、生徒たちも同様の手法で悪戦苦闘しながら築炉。木炭の小割作業など準備の大変さ、火入れの熱さ、鉄の混合物(ケラ)を得られるかといった不安も見せた。この活動で学んだのは、先人たちの偉大さや仲間と協力する大切さ。「失敗を恐れず、いろんなことにチャレンジし続ける」と声をそろえた。鈴木星愛(せな)さんは「この経験を生かして部活を頑張りたい」とうなずいた。
 
釜石東中の生徒は鉄づくり体験の様子を再現

釜石東中の生徒は鉄づくり体験の様子を再現

 
子どもたちの学びにじっと耳を傾けた市民ら

子どもたちの学びにじっと耳を傾けた市民ら

 
 高橋勝教育長が「堂々とした発表に驚いた。当時の人たちの苦労や思いを知り、自分たちに置き換え、考えることが学びになる。知る楽しさ、感動、気づきを大切にしてほしい」と講評。自身も今回の発表で発見があったと明かし、「大人も学んでいかなければ」と子どもたちからの刺激を歓迎した。
 
 同事務所が国登録有形文化財(建造物)になってから今年で10周年となるのを記念し企画したフォトコンテストの結果発表もあった。釜石鉱山をテーマに7月中旬から10月末まで募集し、鉄鉱石や銅鉱石の選鉱場跡、不要な砕石を積んだ堆積場、釜石線の線路などを写した30作品が寄せられた。最優秀賞に選ばれたのは、選鉱場と自然風景を一体的に捉えた「栄えた跡と秋空」。撮影した藤原信孝さん(75)は「世界遺産になるべき場所であり、多くの人に足を運んでほしいと思いを込めた。この地で、子どもたちの鉄づくり学習が行われているのも意義深い」と熱く語った。
 
釜石鉱山をテーマにしたフォトコンテスト最優秀作品

釜石鉱山をテーマにしたフォトコンテスト最優秀作品

 
撮影者の藤原信孝さんに賞状と記念品が贈られた

撮影者の藤原信孝さんに賞状と記念品が贈られた

 
 このほかにも鉄の週間行事はめじろ押し。1日は市鉄の歴史館や同事務所が無料公開され、夜には知る人ぞ知る「鉄の検定」がある。2日には歴史館で名誉館長講演会(午前10時~・テーマ「イギリスの産業革命―日本との差異」)のほか、県指定文化財「紙本両鉄鉱山御山内並高炉之図」(幕末の高炉操業の絵巻)も公開。企画展「餅鐵の刃」は18日まで催される。
 
 同事務所の企画展「いわての国登録有形文化財展」、橋野鉄鉱山インフォメーションセンターの「橋野高炉跡発掘調査速報展」は8日まで。市立図書館では3日午後1時半~、市民教養講座・鉄の町かまいし歴史講座「釜石鉄道の道―番号で呼ばれる橋」を予定し、鉄の記念日にちなんだ図書展を14日まで開く。市郷土資料館では企画展「かまいしの古き良き時代 ザ・昭和~鐵と共に」が開催中で、来年1月14日まで楽しめる。

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釜石や大槌でもクマ出没増 人身被害も 関係機関、情報共有「知らないをなくしたい」

釜石大槌地区のクマの出没状況などを共有した管理協議会

釜石大槌地区のクマの出没状況などを共有した管理協議会

 
 釜石・大槌地区ツキノワグマ管理協議会は21日、釜石市新町の釜石地区合同庁舎で本年度2回目の会合を開いた。例年は1度の開催だが、今年は人身被害が相次いでいることから、関係者間の情報共有を図ろうと回数を増やした。岩手県や釜石市、大槌町の鳥獣被害対策担当者、猟友会、農業や林業関係者など約20人が出席。広範で効率的な情報収集により市街地に出没した時に迅速に対応すべく知恵を絞った。
 
 県沿岸広域振興局環境衛生課の担当者が県内の出没状況を説明。今年はブナなどのドングリが大凶作のため、目撃や痕跡で確認されたクマの出没数は9月末時点で3368件と、前年同期の2049件に比べて急増している。人身被害は11月8日時点で死亡2人を含む43件46人(前年同期21件22人)。例年、出没のピークは8月で、9月には減少傾向となるが、今年は6月(873件)をピークに減ってはいるが、数字的には高い水準で推移している。
 
クマ出没に関する資料を確認しながら情報共有

クマ出没に関する資料を確認しながら情報共有

 
 釜石市でも県と同様に出没数が急増。今年、これまでに確認されたのは284件で、昨年1年間(143件)の約2倍となっている。6月の65件をピークに1桁となる月もあったが、10、11月は50件前後と増加。それに伴い、人身被害も発生している。
 
 「2件になってしまった」。市水産農林課の宮本祥子さん(林業振興係長)が市内に残るクマの痕跡を示しながら人身被害の状況を話した。10月と11月に1件ずつ発生し、場所はともに甲子地区内。このうち、散歩中の80代女性がクマに襲われ負傷した10月のケースは、市がクマの出没を把握していない場所で起こった。事後に住民らに聞き取りをすると、「近くに柿の木があって以前からクマがうろついていた」というが、市には連絡していなかった。「行政だけでは情報を得られない。広く共有するには住民の協力が必要。報告が重要になる」と、苦い事例にやるせなさをにじませた。
 
釜石市内での事例を伝える宮本さん(奥)

釜石市内での事例を伝える宮本さん(奥)

 
クマのものとみられる痕跡を示して情報提供

クマのものとみられる痕跡を示して情報提供

 
 11月に発生したのは、以前から出没を確認していた柿畑。少し前に1頭を捕獲し、市では「被害はおさまる」と考えていた。だが、結果的に別の個体が害をもたらし、畑の様子を見に来た70代女性がけがを負った。2件とも柿の木が誘因物の一つと考えられ、宮本さんはクマのものとみられる爪痕がある幹、折られた枝、周辺に残されたふんの写真を表示しながら、「クマの出没を知らない状況を極力なくしたい。小さな変化でも気になることがあれば連絡してほしい」と求めた。
 
 出席者から、6月に出没が増えた要因や次年度の予測について質問が上がった。沿岸振興局の担当者は「急増の要因は把握できていないが、全県的に生息頭数が増えていると推測される」と回答。本年度の捕獲上限は686頭としているが、10月13日時点で捕獲数は591頭に上り、過去最多を更新。人身被害や市街地への出没が多発しており、「来年度は上限を110頭増やし、796頭とすることが決まっている」とした。
 
会合ではクマ対策をめぐって意見を交わした

会合ではクマ対策をめぐって意見を交わした

 
 大槌町でも2件の人身被害が発生しており、町の担当者は「この時期になっても、まだ出没を前提にした対応をしなければならない。誘因物の除去も大事だが、一つ除いても次のリスクにつながるのではと感じる。いたちごっこのよう。どういうゴールを目指すのか、分からない」と困惑。釜石地方森林組合の関係者らはドングリが実る広葉樹を針葉樹林に増やす混交林に触れ、「植樹は時間がかかるが、検討していく必要があるのでは」と考えを伝えた。
 
 沿岸振興局保健福祉環境部の田村良彦部長は「普段から連携をとっているが、さらに強化したい。痕跡を早期に発見、共有して住民に還元し、人身被害の防止につなげていく」と強調した。