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「釜石ラーメン」映画完成 地元で上映会・トークショー 撮影秘話に市民ら興味津々

完成披露上映会で撮影秘話を紹介する出演者ら

完成披露上映会で撮影秘話を紹介する出演者ら

 
 麺は細いが、絆は太い。人情・根性、釜石ラーメン―。釜石市が舞台の映画「喜劇 釜石ラーメン物語」が完成し、3日に大町の市民ホールTETTOで地元向けの上映会が開かれた。チケットが完売する盛況ぶりで、市民ら約800人が鑑賞。上映後には監督や出演者によるトークショーもあり、作品に込めた思いや撮影秘話を紹介した。
 
 映画は、架空のラーメン店「小川食堂」が舞台。店主として味を守っていた母が東日本大震災で行方不明となり、代わりに父が店を切り盛りしている。苦境の経営を巡って姉妹がぶつかり合う中、父が倒れて入院。心配する町の人が次々と見舞いに来る中で、姉妹は店の存在意義や家族の絆を見つめ直していく。そして、母がつないできた味「最高の一杯」を目指して奮闘する―というストーリー。監督は今関あきよしさん、主人公の姉役を俳優の井桁弘恵さんが演じた。
 
 今年4月に市内で撮影。小川町をメイン舞台に、昭和の風景が色濃く残るノスタルジックな食堂、町並みを映し出した。釜石出身の俳優佐々木琉(りゅう)さんのほか、多くの市民もエキストラとして参加。上映会は全国で公開する前に、協力してくれた住民たちに見てもらおうと催された。
 
記念撮影で観客にポーズを指示する今関監督(前列左)ら出演者

記念撮影で観客にポーズを指示する今関監督(前列左)ら出演者

 
多くの市民らが映画鑑賞とトークショーを楽しんだ

多くの市民らが映画鑑賞とトークショーを楽しんだ

 
 上映後のトークショーで、今関監督は「釜石を訪れ復興の様子を見る中で、この街で映画を撮りたいと考えた。帰りにラーメンを食べた時、『これだ!』と。震災がテーマで暗い部分もあるが、ラーメンを中心に家族愛に満ちた、笑いあり、明るさを散りばめた映画にしたかった」と思いを明かした。
 
 物語に登場する釜石ラーメンは、細い縮れ麺と琥珀(こはく)色に透き通ったスープが特徴のシンプルなしょうゆラーメン。市内では約30店舗で提供している。父役の利重剛さんは「3分の1は食べた。あと20軒ある。いつか…」と余韻を残した。思い出深い作品になったと振り返り、「応援しようという気持ちで撮影に臨んだが、結局応援され、励まされて元気をもらって帰ることに。大きな家族愛を感じながら演じた。その雰囲気を楽しんでほしい」と見どころを伝えた。
 
作品に込めた思いを語る今関監督(左)、利重さん

作品に込めた思いを語る今関監督(左)、利重さん

 
 ロケ中の秘話として今関監督が挙げたのは、井桁さんが豪快に麺を落とした湯切りのシーン。井桁さんは「結構難しい。でも特技が湯切りになった。ラーメンを作る役はいつ来ても大丈夫」と胸を張り、会場を沸かせた。
  
 釜石の印象で出演者から多く聞かれたのは、咲き誇る桜や野生のシカとの遭遇といった自然の豊かさ。子グマを目撃したと目を大きくしたのは、小川食堂の常連客で美容室店主役の大島葉子さん。「クスッとするような小川町のお笑い担当」と自己紹介し、思い出深い市民エキストラとの触れ合いを回想した。
 
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撮影中のエピソードを紹介する井桁さん(左)、大島さん(中)、佐々木さん

  
 今作が、映画デビュー作となった佐々木さん。監督から「カット、OK!」と伝えられたが、しっくりせず撮り直しを申し出たエピソードが紹介されると、前向きな姿勢に客席から大きな拍手と声援が届いた。俳優という職業、古里の良さを改めて実感。祖父母が鵜住居町でラーメン店を営んでおり、しっかりと宣伝もした。
 
映画の主題歌「ひかり射し込む場所」を熱唱する洸美さん(左)

映画の主題歌「ひかり射し込む場所」を熱唱する洸美さん(左)

 
 映画の主題歌を担当する日台ハーフのシンガーソングライター洸美(ひろみ)さんも登場し、「ひかり射し込む場所」を披露。許しと希望をテーマに、台本を何度も読み、撮影中の釜石の風景写真を見ながら制作したことを紹介した。
 
 映画は来年4月から県内で上映し、その後全国で公開される予定。今関監督は「英語字幕をつけて海外でも上映し、ワールドワイドに釜石を発信したい。被災したイメージだけではなく、映画を通して釜石のもっといろんな面(麺)を知ってほしい」と熱を込めた。
 
上映会終了後、感動を伝える観客に笑顔で応える出演者ら

上映会終了後、感動を伝える観客に笑顔で応える出演者ら

 
 野田町の佐々木誠治さん(75)、公子さん(74)夫妻は「面白かった」と声をそろえた。「なじみのある景色ばかり。つながり、絆がやっぱり大事だね。映画がヒットして、釜石ラーメンが知られるようになったらうれしい。たくさんの人に来て食べてもらえたら復興につながる」と笑顔を重ねた。

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三陸の歴史は5億年前から 釜石は国内最古の植物化石の発見地 市民らジオの視点学ぶ

市内の地質などについて解説した「かまいしの大地の足跡展」講演会=鉄の歴史館

市内の地質などについて解説した「かまいしの大地の足跡展」講演会=鉄の歴史館

 
 三陸ジオパーク(2013年、日本ジオパークに認定)の再審査を来年にひかえ、釜石市では市内のジオ資源の価値を市民らに理解してもらう取り組みが進む。“鉄のまち釜石”を支えた鉄鉱石などの鉱物の産出は、三陸の大地の成り立ちと深く関係しており、同市の6つのジオサイト(見どころ)には釜石鉱山や橋野鉄鉱山が含まれる。大平町の鉄の歴史館では3日、開催中の特別企画展「かまいしの大地の足跡展―三陸ジオパークと釜石―」に合わせ、同市の地質などを解説する講演会が開かれた。県立博物館専門学芸員の望月貴史さんが講師を務めた。
 
 三陸ジオパークは青森県八戸市から宮城県気仙沼市まで南北約220キロ、東西約80キロに及び日本最大。5億年にもわたる地球の営みが刻まれた大地が特徴で、日本有数の鉱物資源が埋蔵される。釜石市は大地の成り立ちが異なる北部北上帯と南部北上帯の境界に位置し、双方の地質が見られる極めて珍しい地域。古生代デボン紀から中生代白亜紀の地層が確認されている。
 
 水海川上流の千丈ヶ滝(ジオサイト)付近に分布する「千丈ヶ滝層」は古生代デボン紀(約4億2千万年前~3億6千万年前)にできた地層で、北上山地の中でもかなり古い。この時代は陸上に最古の森林が形成され、同層最上部の泥岩からは国内最古の植物化石「リンボク」の化石が見つかっている。うろこ状の樹皮を持ち、樹高40メートルにも達した大型シダ植物で、化石には樹皮の模様が見られる。
 
 「千丈ヶ滝層」の露頭が見られる現場=2020年に開かれた県立博物館主催の地質観察会で撮影

「千丈ヶ滝層」の露頭が見られる現場=2020年に開かれた県立博物館主催の地質観察会で撮影

 
千丈ヶ滝層最上部の泥岩から見つかった「リンボク」の化石。うろこ状の樹皮のあとが見られる

千丈ヶ滝層最上部の泥岩から見つかった「リンボク」の化石。うろこ状の樹皮のあとが見られる

 
 千丈ヶ滝層の北側に広がるのが「小川層」。古生代石炭紀(約3億6千万年前~3億年前)に海中で堆積した地層で、主に生物の遺骸がたまってできる石灰岩で構成され、サンゴの化石がよく見られる。千丈ヶ滝層の北東部に広がる「栗林層」は古生代ぺルム紀(約3億年前~2億5千万年前)の地層。最下部に礫(れき)岩層があり、海中生物のウミユリや腕足動物の化石が見つかっている。今も深海に生息するウミユリ(動物)は、この時代の姿とほとんど変わっておらず、「生きた化石」と言われる。
 
石灰岩の中に見られる「サンゴ」の化石(20年の観察会で発見)

石灰岩の中に見られる「サンゴ」の化石(20年の観察会で発見)

 
礫岩の中に見られる「ウミユリ」の化石(20年の観察会で発見)

礫岩の中に見られる「ウミユリ」の化石(20年の観察会で発見)

 
 講師の望月さんは「千丈ヶ滝周辺は古生代後期の3つの時代の地層を歩いて見られる特殊な場所。7千万年にもまたがる長期の時代の地層をこんなに近い場所で見ることができるのはなかなかない」と話した。
 
 中生代(約2億5千万年前~6千万年前)の地質が見られるジオサイトは根浜海岸、箱崎半島千畳敷、釜石鉱山、橋野鉄鉱山。根浜海岸の岩には中生代ジュラ紀(約2億年前~1億4500万年前)の地層があり、「チャート」と呼ばれる深海の堆積岩でできたしま模様の層を見ることができる。千畳敷は中生代白亜紀(約1億4500万年前~6600万年前)初頭にマグマが地下深くで冷え固まってできた花こう岩で形成される。釜石鉱山、橋野鉄鉱山の形成には、白亜紀(約1億2千万年前)のマグマの貫入が関係する。古生代にできた石灰岩などがマグマの熱で変成して生まれたのが、磁鉄鉱や黄銅鉱。一帯では結晶質石灰岩(大理石)なども見られ、スカルン鉱床(接触鉱床)と呼ばれる。豊富な鉱物資源で釜石は日本最大の鉄鉱山、有数の銅鉱山として栄えた。
 
根浜海岸の防潮堤近くの岩で見られるチャート層

根浜海岸の防潮堤近くの岩で見られるチャート層

 
箱崎半島先端部、ジオサイトになっている「千畳敷」。花こう岩の荒々しい景色が広がる

箱崎半島先端部、ジオサイトになっている「千畳敷」。花こう岩の荒々しい景色が広がる

 
 望月さんは同市で複雑な地質が見られる背景として、三陸の大地の成り立ちを紹介した。三陸は北上山地のほぼ中央に位置する早池峰山を境に、地質学上「北部北上帯」と「南部北上帯」に分けられる。南部は約5億年前、太平洋赤道近くにあったゴンドワナ大陸の辺縁で、約4億4千万年前に大陸から分離。一方、北部は大陸の反対側の海底にたまった海洋堆積物が起源(約3億2千万年前~1億4千万年前)で、海洋プレートに乗って移動。南部、北部ともに長い年月をかけて北上し、アジア大陸の東縁で合体。後に日本列島が分離する。
 
講師の望月貴史さん(左下写真)の講演に聞き入る来場者

講師の望月貴史さん(左下写真)の講演に聞き入る来場者

 
 「世界各地で見つかる化石が当時の大地の場所を教えてくれる。大船渡市で見つかった古生代シルル紀のハチノスサンゴの化石と似たものがオーストラリアでも見つかっている。石炭紀以前は両地域が近い場所にあったと考えられる要素」と望月さん。講演では三陸南部特有の地形「リアス海岸」の成り立ちについても説明した。
 
鉄の歴史館で1月9日まで行われる特別企画展

鉄の歴史館で1月9日まで行われる特別企画展

 
 同館の特別企画展では北部、南部北上帯の解説パネル、各地で見つかっている岩石、化石など40点を展示。同館や旧釜石鉱山事務所の所蔵品のほか、県立博物館から借りたモシリュウ(草食恐竜)の上腕骨の複製、リンボクの化石など貴重な資料が公開される。両石の明治、昭和の津波記念碑がジオサイトになっていることに関連し、市内98の津波記念碑の紹介、明治、昭和の大津波被災の絵図や写真の展示なども行っている。1月9日まで開催される(火曜日、12月29日~1月3日は休館)。

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多彩な音色、楽器の掛け合いで聴衆魅了 釜石市民吹奏楽団 第56回定演

息の合った演奏を披露する釜石市民吹奏楽団

息の合った演奏を披露する釜石市民吹奏楽団

  
 釜石市民吹奏楽団(山内真紀人団長、約50人)の第56回定期演奏会は11月27日、大町の市民ホールTETTOで開かれた。「ウィズ コロナ」を掲げて時勢に応じた演奏活動を模索する中、今夏の東北吹奏楽コンクールに県代表として36年ぶりに出場し、「困難に負けず進んでいこう」との思いを乗せて今できる精いっぱいの熱奏を届けた団員ら。自信に満ちた迫力あるステージを繰り広げ、聴衆560人余りを魅了した。
  
1部のステージでは吹奏楽コンクール課題曲などを披露した

1部のステージでは吹奏楽コンクール課題曲などを披露した

  
 2部構成で、全9曲を演奏。1部では、本年度の全日本コンクール課題曲の一つ「ジェネシス」(鈴木英史作曲)、自由曲として東北大会でも演奏した「Comet(コメット)」(堀田庸元作曲)などを披露した。新型コロナウイルス禍で集まって音を奏でることの難しさを感じながらも、「いいものを作りたい」と挑み続けてきた同団。気持ちを一つにした息の合ったハーモニーを響かせた。
  
画像や照明を使って目も耳も楽しませた2部のステージ

画像や照明を使って目も耳も楽しませた2部のステージ

 
楽器ごとに衣装をそろえたり、ソロや掛け合い演奏も

楽器ごとに衣装をそろえたり、ソロや掛け合い演奏も

  
 2部は映画音楽、演歌、ジャズなど多彩なジャンルの楽曲を吹奏楽バージョンで聴かせた。ミュージカル「レ・ミゼラブル」の劇中歌7曲メドレーは低音が響くドラマティックなオープニングに始まり、「夢やぶれて」「民衆の歌」など、さまざまな曲調、楽器の掛け合いで壮大な世界観を展開させた。ステージのバックスクリーンには曲に合わせたイメージ画が映し出され、雰囲気のある照明とともに聴衆を劇中にいざなった。
 
 観客は声を出しての感動表現を控え、代わりに「ブラボー!」カードを掲げたり、盛んな拍手を送ってアンコールを求めた。2曲を追加演奏した団員らは「サンキュー!」カードで気持ちを返礼。舞台上と客席が音楽を分かち合う喜びにあふれた。
  
感染対策として観客に配られた「ブラボー!」カード

感染対策として観客に配られた「ブラボー!」カード

 
観客の拍手に応え、感謝の気持ちを掲げる団員たち

観客の拍手に応え、感謝の気持ちを掲げる団員たち

  
 毎回足を運んでいる甲子町の佐々美枝子さん(69)は「自信に満ちていて圧倒された。映像と一緒に音が体に入ってくるようで、すごく楽しかった」と感激。定内町の横田みゑ子さん(70)は「コロナで外に出るのを迷ったが、来て良かった」と目を細めた。
  
東北大会での入賞を紹介するコーナーもお目見えした

東北大会での入賞を紹介するコーナーもお目見えした

  
 同団は、第65回東北吹奏楽コンクール(9月4日、福島県いわき市)の職場・一般の部に県代表として出場し、銅賞に入った。会場ではその記録を紹介。山内団長は「聴いてくださる方のために―との思いを心に留め、精進していきたい」と力を込めた。
 

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震災被災地の「心の復興」に貢献 チームスマイル活動終了 釜石で布袋寅泰さんライブ&感謝の会

多くのファンを魅了した布袋寅泰さんのスペシャルライブ(撮影:西条佳泰 / Grafica Inc.)

多くのファンを魅了した布袋寅泰さんのスペシャルライブ(撮影:西条佳泰 / Grafica Inc.)

 
 東日本大震災の被災地で著名文化人やアーティストによる復興支援イベントを手掛けてきた一般社団法人チームスマイル(東京都、矢内廣代表理事=ぴあ社長)は、年内で活動を終了する。東北3県の拠点の一つ「釜石PIT」がある釜石市では11月20日に、これまでの感謝を込め、ギタリスト布袋寅泰さんのスペシャルライブを開催。同法人の活動に協力し、釜石に思いを寄せ続けてきた布袋さんの熱いステージに約720人が酔いしれた。
 
 ライブは釜石PITに隣接する市民ホールTETTOで開かれた。抽選でチケットを手にした観客は、開演前から期待で心を躍らせた。映画「キル・ビル」のテーマ曲で布袋さんが登場すると観客は総立ちに。こぶしを突き上げ、体を揺らした。ソロの代表曲「バンビーナ」「さらば青春の光」「POISON」、バンド、ユニットで魅了した「マリオネット」「BE MY BABY」など、布袋さんが生み出してきた数々の名曲で会場の熱気は最高潮に達した。
 
 布袋さんの同市でのライブは2016年8月以来2回目。前回は同年1月にオープンした釜石PITで行われ、同法人が企画したトークショーにも出演している。布袋さんと同市との縁は少年時代にさかのぼる。当時、親戚が暮らしており、「毎年夏休みに釜石に来るのが楽しみだった」という。16年のトークでは、釜石のいとこに聞かせてもらったビートルズに衝撃を受け、ギターを始めたことも明かしている。
 
 今回のライブでも「豊かな自然、釜石の人たちの屈託のない笑顔、温かさ…。自分にとっても、この地で出会った父と母にとっても思い出のまち」と語った。ライブ前には、19年にラグビーワールドカップ(W杯)会場となった釜石鵜住居復興スタジアムにも足を運んだ。台風の影響でW杯2試合のうち1試合が中止となったが、ロンドンでそのニュースを聞いた布袋さんはすぐさま矢内代表に連絡を取り、落ち込む同市のためにスタジアムでのコンサートを提案したという。その後のコロナ禍で実現はできなかったが、この日のライブで「いつかやりたい」と思いを口にした。
 
 昨年、アーティスト活動40周年を迎えた布袋さん。アニバーサリー曲として制作した「10年前の今日のこと」などアコースティックナンバーも聞かせた。観客は全13曲の演奏と布袋さんの言葉に感激しながら、かけがえのない時間を味わった。
 
 最前列で迫力のステージを堪能した釜石市の水野吾一さん(52)は「布袋さんの音楽は自分の青春そのもの。釜石のことをずっと思ってくれてありがたい。明日からまた頑張れそう」と大喜び。滝沢市の小野寺美奈子さん(52)も高校生のころからの大ファン。「憧れ続けてきた人生の先輩。いつ見てもかっこいい。被災地を盛り上げてくれるのも県民としてうれしい」と胸を熱くした。久慈市の40代男性4人は「めちゃくちゃ楽しかった」と口をそろえ、余韻に浸った。「布袋さんのやさしさに目頭が熱くなった」「ずっと見守ってくれている気がする」―次々にあふれる言葉。震災から10年が経ち風化が色濃くなりつつある中、「見えない部分の復興の力になるのでは」と話した。
 
一般社団法人チームスマイル「釜石PIT」感謝の会=11月20日

一般社団法人チームスマイル「釜石PIT」感謝の会=11月20日

 
 チームスマイルは震災直後、ぴあ社員らによるボランティア活動からスタート。2012年には一般社団法人を立ち上げ、「エンターテインメントによる心の復興支援」を掲げて活動を発展させてきた。活動拠点として14年に豊洲PIT(東京都江東区)を開業。東北では福島県いわき市(15年)、岩手県釜石市(16年)、宮城県仙台市(同)に拠点を設け、同法人主催のイベントのほか地元企画の事業などを行い、復興を後押ししてきた。
 
2016年1月、釜石市大町にオープンした「釜石PIT」

2016年1月、釜石市大町にオープンした「釜石PIT」

 
 16年からは被災地の子どもや若者の支援企画「“わたしの夢”応援プロジェクト」を展開。「東北PIT応援団」に名を連ねた各界の著名人らを3市に派遣し、講演会やトークショー、舞台実演、技術指導などを行ってきた。釜石市では布袋寅泰さんのトークショーを皮切りに20年までに計8回の企画が実現。音楽、美術、古典芸能、スポーツなどの各分野で活躍する14人が訪れ、夢や希望を育んだ。
 
 布袋さんのライブ後、釜石PITでは同活動を支援してきた地元関係者らを招いた感謝の会が開かれた。矢内代表はこれまでの経過を説明し、「10年を目標に活動を続けてきた。心の復興の面では多少なりともお役に立てたのではないか。社団法人としての活動は終わるが、4つのPITは名前を残して継続する」とし、今回のライブチケットの売り上げ全額を同市と釜石まちづくり会社に寄付した。
 
寄付金を贈った矢内廣代表(中)、野田武則釜石市長(右)、釜石まちづくり会社・谷澤栄一社長

寄付金を贈った矢内廣代表(中)、野田武則釜石市長(右)、釜石まちづくり会社・谷澤栄一社長

 
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 野田武則市長は「心が折れそうな時、皆さんが届けてくれる励ましや元気に地域の方々がどれほど勇気づけられたことか。感謝してもしきれない。矢内社長らの精神は釜石PITの名称とともにこの場所で脈々と生き続ける。しっかり守っていきたい」と決意を示した。
 
 釜石PITは同市が建設した釜石情報交流センターの多目的集会室に併設する形でオープン。ライブや映画上映会、パブリックビューイングなど多彩な催しが行われ、住民活動の場としても親しまれてきた。今後も引き続き、同センター指定管理者のまちづくり会社が運営を担い、活用が図られる。

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伝えたい!災害の怖さ、備えや避難の大切さ 釜石東中3年生、栗林小で防災交流会

釜石東中と栗林小の防災交流会ですごろくを楽しむ児童生徒

釜石東中と栗林小の防災交流会ですごろくを楽しむ児童生徒

 
 主体的、実践的な防災学習に力を入れる釜石市鵜住居町の釜石東中(佃拓生校長、生徒102人)の3年生41人は22日、3年間の学びの成果を伝える防災交流会を栗林町の栗林小(八木澤江利子校長、児童33人)で開いた。津波の怖さ、避難の大切さを伝えようと、手作りの紙芝居やかるた、クイズなど8つの体験プログラムを用意し、小学生に挑戦してもらった。
  
すごろくのマスに書かれたお題に沿って机の下に潜る児童ら

すごろくのマスに書かれたお題に沿って机の下に潜る児童ら

  
 小学生は用意されたプログラムから、4つを選んで体験。すごろくでは、サイコロを振り、防災や災害時対応の問いなどが書かれたマスにコマを進めた。「一人で家にいる時に地震が起こったら?」との質問には、「まず身を守る」と答え、近くにあった机の下に潜ってじっとした。実験チームは、災害時に水道が使えなくなった場合の代替策を紹介。2〜3ミリほどの穴を開けたペットボトルを水道の蛇口のように使う方法で、キャップを緩めると穴から適量の水が出て、キャップを閉めれば水が止まる様子に児童は驚いていた。
  
ペットボトルを「簡易蛇口」として使う方法を伝える実験

ペットボトルを「簡易蛇口」として使う方法を伝える実験

 
かるたチームは伝えたい思いを読み札に詰め込んだ

かるたチームは伝えたい思いを読み札に詰め込んだ

  
 「想定にとらわれるな」「確かめよう 避難経路」「軽い気持ちでのぞむな 避難訓練」。地震や津波、日常の災害への備えを分かりやすく伝えようと作られた、かるたの読み札には3年生が伝えたい思いを詰め込んだ。三陸に伝わる「てんでんこ」を題材にした紙芝居では、「津波からそれぞれが身を守って逃げなければならないが、避難する場所を決めておけば、大切な人や家族と会うことができる」と訴えた。防災バックや非常食など事前の準備を強調するプレゼンテーション、避難所生活で気を付けることなどを示したパンフレットを配布するチームもあった。
 
「避難場所を決めて家族で共有して」。紙芝居で教訓を伝える

「避難場所を決めて家族で共有して」。紙芝居で教訓を伝える

 
プレゼンチームは防災バックの重さを体験してもらった

プレゼンチームは防災バックの重さを体験してもらった

 
地震発生時や避難所での行動をまとめた防災パンフレット

地震発生時や避難所での行動をまとめた防災パンフレット

 
 5人組の戦隊ヒーロー「てんでんこレンジャー」も登場。防災について学びを深めた児童たちに「大きくなった時に周りの人を助けられるようになってほしい。一緒に未来につなげていこう」と呼び掛けた。
 
 栗林小の小笠原虹南(にいな)さん(6年)は「クイズが印象に残った。エレベーターに乗っていて地震が起きた時に全部の階のボタンを押せば、最寄りの階で停止すると初めて知った。防災についてもっと勉強して、てんでんこレンジャーのような活動に関わってみたい」と刺激を受けた。
 
地震発生時の行動などを問いかけるクイズに挑戦する児童

地震発生時の行動などを問いかけるクイズに挑戦する児童

 
笑顔で交流した小学生と「てんでんこレンジャー」

笑顔で交流した小学生と「てんでんこレンジャー」

 
 釜石東中3年生は総合的な学習の一環で、防災に関する活動を積み重ねてきた。1年生では東日本大震災時の体験を地元住民らから聞き取り、「防災だより」としてまとめ「いのちをつなぐ未来館」で展示。2年生の時には避難困難者(障害者や高齢者、乳児のいる母親など)の行動の大変さを体験したり、地域住民との意見交換会で災害時に中学生ができることを発表し、助言をもらったりした。3年生では避難所運営訓練を実施。こうした活動をまとめた集大成が交流会で、震災を知らない子が増える中で、学びを次代につなぐため実践した。
  
「逃げれば、助かる!」。写真と映像で分かりやすく伝えた

「逃げれば、助かる!」。写真と映像で分かりやすく伝えた

  
 写真・映像チームは、震災時の鵜住居小児童の避難行動を描いたアニメ動画や同校校舎3階に車が突き刺さる写真などを見せ、「津波の威力はすごいし、とても怖い。でも、しっかり逃げれば命は助かる。津波が来ると分かったら、すぐに逃げよう」と児童に語りかけた。
 
 中学3年生は震災当時、2、3歳。佐々木和哉君は揺れの怖さを記憶するが、伝えられる側の小学生はほとんどがまだ生まれていなかった。知らない世代に分かりやすく伝えられるようリアルな映像やスライドを使うなど工夫。「災害の怖さと避難の大切さを伝えられた。自分の身を守る行動、防災について考えてもらう時間にしてもらえた」と手応えを感じた。花輪祐輔君は「もう守られる立場ではない。伝える立場なので、行動に移していきたい」と背筋を伸ばした。
  
 同様の交流会は、鵜住居小でも行った。
 
 

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みんなで楽しもう!釜石の芸術文化 多彩な市民の力作、展示や舞台発表で発信

釜石市民の多彩な表現活動を紹介した芸術文化祭

釜石市民の多彩な表現活動を紹介した芸術文化祭

 
 第52回釜石市民芸術文化祭(市、市芸術文化協会主催)は12、13の両日、大町の市民ホールTETTOで開かれた。書道、写真、絵画、盆栽など各分野を愛好する市内の表現者たちが力作を並べ、訪れた市民らが感性豊かな作品を鑑賞した。YouTube(ユーチューブ)生配信も昨年に続いて行い、発表部門の団体が活動の成果を発信した。
 
ぬくもりある光を放つステンドグラス作品を楽しむ来場者

ぬくもりある光を放つステンドグラス作品を楽しむ来場者

 
記念切手など自慢のコレクションを公開した釜石郵趣会

記念切手など自慢のコレクションを公開した釜石郵趣会

 
 芸文協には26団体(約470人)が加盟する。展示部門には加盟団体、一般参加を合わせて17団体が出品。生け花、水墨画、切り絵、ステンドグラス、郵趣品など多彩な分野の力作が並んだ。釜石夏草俳句会(菊池義一代表、会員7人)は、日々の生活で心動かされた一瞬を切り取って詠んだ俳句を柔らかな筆致で書き上げた短冊や色紙などを紹介。俳句歴30年の濱川糸子さん(73)は「世界一短い詩で、十七文字で言い切る。なかなか難しいが、気持ちを表現できる」と魅力を語った。会員の高齢化が進み、新たな入会もなく、活動PRになればと参加。〽芸術祭 思い句に触れ 仲間入り―と期待した。
 
釜石夏草俳句会は心動かされた瞬間を詠んだ作品を並べた

釜石夏草俳句会は心動かされた瞬間を詠んだ作品を並べた

 
廃材を使ったオブジェなど個性豊かな作品がお目見えした

廃材を使ったオブジェなど個性豊かな作品がお目見えした

 
昔懐かしい風景写真などが並んだ「まちかどミニ美術館」

昔懐かしい風景写真などが並んだ「まちかどミニ美術館」

 
 特別企画として「まちかどミニ美術館(博物館)」と題した展示コーナーを用意。市内企業などが所蔵する美術品や個人的に見せたい「我が家の宝物」を紹介でき、12月からTETTOで常設展示となる予定だ。芸文祭に合わせて並んだのは、懐かしいまちの風景や人の笑顔。多くの人が足を止め、一つ一つじっくりと見入っていた。
 
色鮮やかな折り紙を使った壁掛けづくりを紹介した遠藤さん(中)

色鮮やかな折り紙を使った壁掛けづくりを紹介した遠藤さん(中)

 
 エコクラフト、色鉛筆画などの体験コーナーもあり、来場者が手作りの面白さに触れた。傾聴ボランティアとして活動する源太沢町の遠藤哲郎さん(85)は折り紙を使った壁掛けづくりを紹介。安く手軽な遊びを考え続けているという遠藤さんの丁寧な指導に触れた80代の女性は「ありがたいね。楽しさに好奇心が刺激された」と喜んだ。
 
オカリナとフルート演奏、書が融合したパフォーマンス

オカリナとフルート演奏、書が融合したパフォーマンス

 
 ステージでは5団体がダンスやバンド演奏などを披露した。釜石南高(現釜石高)の1969(昭和44)年卒業生でつくる「ふるさと復興支援グループ釜南44」(白田正行代表)は郷土愛を色濃くにじませた作品展示やイベントで芸文祭を盛り上げ、今年で6年目となる。今回は、白田代表の妻とよ子さん(66)=釜石出身、旧姓・菊池=が所属する「ライリッシュオカリナ連盟宮城県北支部・泉の杜」の演奏で釜石市民に癒やしを届けた。同グループメンバーで音楽教室を主宰する釜石の山﨑真行さんがフルートで音を重ね、仙台市在住の書家・支部蘭蹊さん(はせべ・らんけい=本名・一郎、71)が音色に合わせて書のパフォーマンスを見せる演出もあった。
 
釜石ふるさと応援大使に就任した支部さん(前列)

釜石ふるさと応援大使に就任した支部さん(前列)

 
 少年期を釜石で過ごした支部さんは今回、釜石ふるさと応援大使に就任。東日本大震災後、釜石市内の仮設住宅を回って書を届けたり、同グループの活動を通じて復興応援を続けてきた。新型コロナウイルス禍で訪問機会は減っているが、「書道は言葉を伝えるもの。勇気づけられる書を書き続けたい」と意欲。特に、子どもや若い世代に「普段着の書道」「言葉の力」を伝えていく考えだ。
 
表千家茶道こども教室の茶席では中学生がお点前を披露した

表千家茶道こども教室の茶席では中学生がお点前を披露した

 
小学生は緊張しながらもお運びを手伝い、客をもてなした

小学生は緊張しながらもお運びを手伝い、客をもてなした

 
 釜石茶道協会による呈茶もあり、来場者を和ませた。12日には、表千家成和会(互野宗哲会長)を母体に組織する実行委が実施する茶道こども教室の受講生が稽古の成果を披露。遠野愛実さん(大平中1年)と大下桜雅君(釜石中2年)が「立礼(りゅうれい)点前」を見せ、小学生がお運びを手伝った。2年目の佐々木翔空(とあ)君(小佐野小5年)は「人前でのおもてなしに緊張した。練習より上手くできて楽しかった。お点前がかっこいい。自分もできるようになりたい」と刺激を受けた。
 
 芸文協の河東眞澄会長は「芸術文化に対する市民の熱い思いが感じられる」と強調する一方、会員の高齢化などで継続する厳しさも明かす。昨年は3日間の実施だったが、今年は2日と期間を短縮。規模は縮小となっても「ひらめく芸術、きらめく文化のまちを継承するため、みんなで知恵を出し合っていきたい」と思いを巡らせた。
 

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福祉学習の成果、演じて発信 大平中生、認知症の劇披露「みんなで支えよう!」

認知症がテーマの劇で熱演する大平中3年生

認知症がテーマの劇で熱演する大平中3年生

 
 釜石市大平町にある大平中(蛸島茂雄校長、生徒101人)は、地元の高齢者福祉施設と交流しながら福祉学習に取り組んでいる。3年生39人は、3年間の学びの集大成として認知症をテーマにした劇を創作。8日、同じ学区内にある平田町の平田小(鈴木崇校長、児童148人)で披露し、福祉学習の成果を後輩たちに伝えた。
 
 劇のタイトルは「野菊ばあちゃん物語」。認知症の症状が出始めた高齢女性の振る舞いに戸惑いながらも暖かく見守る家族や地域の人たちを描いた。「物忘れが多くなった」「身の回りのことに無頓着」「外に出なくなった」「同じことを何回も話す」といった高齢女性の変化を見せ、「認知症かも?」と家族が気付く症状を明示。医療機関の受診を渋ったり、食事した後に「ごはんまだ?」と繰り返したりした時の悪い対応事例を演じた後に、時間を巻き戻す演出で同じ場面を再現して関係をこじらせない接し方や心得も分かりやすく紹介した。
 
「もしかしたら認知症?」。早めの受診を促す方法を紹介

「もしかしたら認知症?」。早めの受診を促す方法を紹介

 
 認知症の人を地域全体で見守る体制の大切さも発信した。その一歩が、声がけ。ポイントは、▽驚かせない▽急がせない▽心を傷つけない―ことで、「『こんにちは。きょうは寒いですね』とかごく普通のあいさつをして、『どこまで行くの?』とゆっくり穏やかに優しく声かけるのよ」と、せりふで示した。高齢者らが行方不明になった際の早期発見を目的にした市事業「認知症高齢者徘徊(はいかい)SOSネットワーク」も紹介。自分たちが暮らす地域でも「困ったときはお互いさま」という気持ちが広がってほしいと思いを込めた。
 
「相手の視界に入って優しく声がけを」。認知症の人への接し方を伝えた

「相手の視界に入って優しく声がけを」。認知症の人への接し方を伝えた

 
 大平中の福祉学習は総合的な学習の一環で、社会福祉法人清風会(平田)が支援。3年生は認知症サポーター養成講座や介護技術体験などに取り組んできた。同法人が運営する特別養護老人ホームあいぜんの里を訪問し、ソーランを披露するなど交流も。3年間積み上げた学びを劇に盛り込んだ。
 
 「野菊ばあちゃん」を演じた佐々木梨杏さんは「認知症についてたくさん学んで、知ったことを伝えられた。対応の仕方が分かったので、学びを生かして地域で暮らしていきたい。これからも福祉に興味を持って、知識を深められたらいい」とうなずいた。
 
人を思いやる大切さや大事な人を守り抜く尊さを伝える合唱も披露した

人を思いやる大切さや大事な人を守り抜く尊さを伝える合唱も披露した

 
 劇の披露は、中学校での福祉学習の様子を伝え、地域のために尽くそうとする心を育てるのが狙い。平田小4~6年生約70人が見学した。児童から「調べたり学習したことを劇にしたのがすごい」「認知症は身近に潜んでいると思った」「家族に認知症の高齢者がいる。劇を参考にして優しく接してあげたい」などと感想があった。
 
劇の発表を通じて交流を深めた大平中の生徒と平田小の児童

劇の発表を通じて交流を深めた大平中の生徒と平田小の児童

 
 同法人の関係者や教育、福祉関係の市職員らも鑑賞し、「核家族化やコミュニティーの希薄化が進み、地域や世代間の交流が少なくなる中、福祉に関する正しい理解を育む取り組みが求められている。継続を」と期待。それに応えるべく、大平中では「支え合い・助け合い、安心して暮らせるまちづくり」を全校共通テーマとして学習、交流を深めていく考えだ。

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誰もが自分らしく生きられる社会に 釜石で人権のつどい 講演などで理解促進図る

人権マンガ展の入賞者と関係者ら=人権のつどい

人権マンガ展の入賞者と関係者ら=人権のつどい

 
 人権のつどいinかまいし(釜石市主催)は5日、大町の市民ホールTETTOで開かれた。宮古人権擁護委員協議会の人権啓発活動ネットワーク事業で、新型コロナ感染症の影響により3年ぶりに実施。同市が独自に取り組む「人権マンガ展」の入賞者表彰、応募作品の展示、講演会などが行われ、幅広い世代が人権問題への理解を深めた。
 
 人権意識の高揚、差別のない明るい社会の構築を目指すイベント。開会にあたり野田武則市長は「人権課題解決の一助、自らの人権意識を見つめ直す機会となることを期待する」とあいさつ。同市が1991年から継続する中学生対象の「人権マンガ展」の表彰式が行われた。
 
 本年度は市内3校から16点の応募があり、4賞の受賞者を表彰した。釜石市長賞を受賞したのは髙橋愛里さん(唐丹中3年)。国籍や人種による差別や偏見で事件が発生している世界の現状に心を痛め、差別撤廃や人権尊重の思いを作品に表現した。肌の色が違う4本の手を組ませ、「私とあなたは何の違いもない」とのメッセージを添えた。「相手を知ろうとする姿勢が大事。他国のことを調べたり話し合ったり。インターネットも有効活用し、互いの理解を深められたら」と髙橋さん。
 
釜石市長賞を受賞した髙橋愛里さん(唐丹中3年)

釜石市長賞を受賞した髙橋愛里さん(唐丹中3年)

 
髙橋さんの作品。差別のない社会への思いを表現

髙橋さんの作品。差別のない社会への思いを表現

 
 館内では5、6の両日、本年度の全応募作品と2014年度からの入賞作品の展示も行われた。来場者はいじめ撲滅や個性尊重、世界平和などへの願いが込められた力作を目にしながら、人権の大切さを再認識した。
 
本年度の全応募作品と過去の入賞作品を展示した人権マンガ展

本年度の全応募作品と過去の入賞作品を展示した人権マンガ展

 
 講演会のテーマは「ジェンダーと人権~性の多様性を手がかりに」。釜石市出身で都立高主幹教諭の瓦田尚さん(早稲田大大学院卒)が講師を務めた。瓦田さんは性的少数者(LGBTなど)やジェンダー(社会的、文化的につくられた性)に関する教育をいち早く授業に取り入れてきた。
 
 講演で、男女の役割などについて固定的な観念を持つことを指す「ジェンダーバイアス」の事例を紹介。「バイアス(先入観、偏見)によってつらい思いをする人もいる」と話した。性的少数者の割合は左きき、AB型の割合と同じくらいとも言われる。近年、当事者が支援者と共に理解促進を訴えるパレードを行ったり、同性パートナーシップ制度を導入する自治体が増えてくるなど、取り巻く社会環境は大きく変わってきている。
 
瓦田尚さんの講演「ジェンダーと人権~性の多様性を手がかりに」

瓦田尚さんの講演「ジェンダーと人権~性の多様性を手がかりに」

 
 「少数者が生きやすい社会はその他の人も生きやすい社会。憲法では社会的弱者に対し、国や自治体がその権利、自由を保障する責任を定めている」と瓦田さん。誰でも使えるという「ユニバーサルデザイン」の考え方を紹介し、「物だけでなく考え方、環境をいかに“ユニバーサルデザイン化”していけるかが重要」と話した。
 
 学校では男女別の名簿や定員の廃止、部活の入部条件の改善などが進み、将来的には男女別の体育を一緒にという方向性も示されている。瓦田さんは憲法11、12条の条文を紹介し、「権利をもらって安心するだけでなく、『これでいいのか』と常に考え続けることが大事。困った時に声を上げることが人権を守ることにつながる」と教えた。
 
学校の授業のような雰囲気で進んだ人権講演会

学校の授業のような雰囲気で進んだ人権講演会

 
 この日はアトラクションとして、甲子中生徒によるハカ、唐丹町の桜舞太鼓も披露された。 

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「イカ」の体って面白い! 子どもたちが解剖 エコクラブ講座 海洋プラごみの現状も学ぶ

こどもエコクラブで行われたスルメイカの解剖

こどもエコクラブで行われたスルメイカの解剖

 
 小学生が地元の自然や環境を学ぶ釜石市の「こどもエコクラブ」(市主催)は5日、本年度の第4回講座「海の生物観察会」を開催。会員30人がスルメイカの解剖と海洋プラスチックごみの学習に取り組んだ。大学生や漁業者が講師となり、海洋資源の大切さ、人間の暮らしが海に与える影響などを伝え、子どもたちの理解を促した。
 
 平田の岩手大釜石キャンパスが会場。2班に分かれ、2つのメニューを交互に体験した。イカの生態を教えたのは、同大農学部水産システム学コース専攻の小松原昂樹さん(4年)。イカは日本近海だけでも100種類以上いて、水を吐き出すことで高速移動したり、空中を飛ぶことができること、2種類の色素細胞によって体色が自在に変化することなどを教えた。唐丹町の漁師佐々木武さん(40)、佐々木和則さん(56)も講師を務め、スルメイカの漁獲方法などを解説した。
 
漁師の佐々木武さんはイカの漁獲方法を説明した

漁師の佐々木武さんはイカの漁獲方法を説明した

 
はさみとピンセットを使い、スルメイカの解剖に挑戦する子どもたち

はさみとピンセットを使い、スルメイカの解剖に挑戦する子どもたち

 
 スルメイカの解剖では、はさみを使って体を切り開き、各部位を観察。果たす役割も学んだ。慎重に作業するも、墨汁嚢(のう)を切ってしまい、顔に墨を浴びる子も。イカの目は人間と構造が似ていて高性能。子どもたちは取り出した目の中にある透明な水晶体に驚きの声を上げた。イカの血液が青色であることも知った。
 
漁師の佐々木和則さんから教わり目玉を取り出してみると… 中には透明な水晶体が(左下写真)

漁師の佐々木和則さんから教わり目玉を取り出してみると… 中には透明な水晶体が(左下写真)

 
岩大生の小松原昂樹さん(右から2人目)がイカの青い血液について解説

岩大生の小松原昂樹さん(右から2人目)がイカの青い血液について解説

 
 磯﨑雄太君(双葉小3年)は「イカは家で食べるけど、体の中を見るのは初めて。心臓が3つあるのを知ってびっくり。海の生き物に興味がわいた。もっと勉強してみたい」と目を輝かせた。
 
 海の環境汚染で近年、問題視されている海洋プラスチックについて教えたのは、同大大学院生の菅野智愛(ともよし)さん(1年)。子どもたちは始めに、キャンパス近くの漁港で海水を採取。ろ紙でこし、紙に残ったものを顕微鏡で観察した。見えたのは、肉眼ではほとんど確認できなかった糸くずのようなもの。正体は、海に流れ出たプラスチックごみが波にもまれたり、太陽光にさらされたりして微小化した「マイクロプラスチック」。
 
海水を採取(左下写真)し、交じっていたものを顕微鏡で観察

海水を採取(左下写真)し、交じっていたものを顕微鏡で観察

 
岩大大学院生の菅野智愛さんが海洋プラスチックごみについて教えた

岩大大学院生の菅野智愛さんが海洋プラスチックごみについて教えた

 
 菅野さんは魚の腹からペットボトルのキャップが出てきた事例も紹介。「小さなプラスチックが魚の口に入ると、みんなが食べる魚にも影響が出てくるかもしれない。このままだと、海のプラスチックごみが魚の量を超えてしまうという予測もある」と話した。釜石の海のプラスチックごみの現状も示し、誰もができる海ごみ減量の方策として「ポイ捨てをしない。見つけたごみを拾う。ごみの分別をする」ことを呼び掛けた。
 
 長畑良優(みゆ)さん(平田小1年)は「海にプラスチックがたくさん落ちていたり浮いていることを初めて知った。海に行ってごみ拾いをしたい」と環境への意識を高めた様子。体験や座学を通して子どもたちは多くの学びを得た。

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「古里は心のよりどころ」釜石出身、アルゼンチン在住の造園技師 猪又康夫さん映画撮影で帰郷

映画撮影のため帰郷した猪又康夫さん(左から2人目)、長男圭悟さん(同3人目)、フェルナンド・クラップ監督(左)らスタッフ 

映画撮影のため帰郷した猪又康夫さん(左から2人目)、長男圭悟さん(同3人目)、フェルナンド・クラップ監督(左)らスタッフ 

 
 釜石市出身で、南米アルゼンチンに渡り、日本の造園術を広めた猪又康夫さん(84)が自身の人生を描くドキュメンタリー映画の撮影で10月下旬、6年ぶりに帰郷した。首都ブエノスアイレス市の日本庭園を設計、施工するなど、同国の街並みに唯一無二の空間を生み出してきた猪又さん。日本を離れて半世紀以上になるが、古里釜石は今も心のよりどころ。今回の訪問で、旧友との再会や子どものころから慣れ親しんだ景色に力をもらい、生涯現役に意欲を燃やす。
 
 同映画は、日本人移民の著書を執筆したフェルナンド・クラップ監督が猪又さんの人柄とエネルギーに魅せられ、数年かけて口説き落とし、撮影が実現した作品。猪又さんがアルゼンチンで手掛けた仕事や歩んできた人生を紹介するほか、日系社会や両国の関係性について本人の視点で浮き彫りにする。アルゼンチン映画協会が制作を支援する。
 
 猪又さんと長男圭悟さん(44)はクラップ監督ら制作スタッフ3人と来釜。26日午前は漁船に乗っての釜石湾内周遊、午後には鉄の歴史館見学や市広報のインタビュー取材を受ける様子などを撮影した。
 
職員の案内で鉄の歴史館を見学する猪又康夫さん

職員の案内で鉄の歴史館を見学する猪又康夫さん

 
インタビュー取材を受ける様子をスタッフが撮影

インタビュー取材を受ける様子をスタッフが撮影

 
自身の人生について語る猪又康夫さん(釜石市出身、アルゼンチン在住)。撮影:市広聴広報室

自身の人生について語る猪又康夫さん(釜石市出身、アルゼンチン在住)。撮影:市広聴広報室

 
 猪又さんは1938年生まれ。父と兄は製鉄所勤務で、上中島町に暮らした。釜石高から東京農業大に進み、造園を学んだ。叔父は中国で活躍した造園技師で、その仕事を写真で目にしたのもきっかけだった。大学卒業後は北海道札幌市の造園会社に勤め、技術を磨いた。忙しい日々の中、「行き先が決まった人生は歩みたくない」とゼロからの出発を決断。27歳の時に、アルゼンチンで成功した札幌出身の花き栽培業者の呼び寄せで渡航した。
 
 ブエノスアイレス北部のエスコバル市に住み仕事を受け始めたが、当時、日本庭園の魅力を知るのは戦後、開拓で渡った日本人移民だけ。それでも「造って見せないことには誰も信用しない」と、日本で培ったさまざまな技術を駆使し実績を積んでいった。その実直な仕事ぶりや優れた技術は次第に現地の人たちの注目を集めていく。
 
 69年、エスコバル日本人会の依頼で入植記念の日本庭園を完成させた。78年には在亜日本人会から依頼されたブエノスアイレス日本庭園の大規模改修、拡張工事を完了。パンアメリカン高速道路の拡張工事に伴う大木1080本の移植も実現した。エスコバルで毎年行われる国定花祭りでは、大展示場装飾の総監督を50年余り続けている。公共の仕事のほか私邸の造園も行ってきた。2020年には日本文化の普及、在留邦人、日系人への福祉功労で、日本の叙勲「旭日双光章」を受章。アルゼンチン岩手県人会長も務めた。
 
猪又さんが手掛けた「エスコバル日本庭園」。写真提供:小木曽モニカさん(日本ロケコーディネーター・通訳)

猪又さんが手掛けた「エスコバル日本庭園」。写真提供:小木曽モニカさん(日本ロケコーディネーター・通訳)

 
多くの観光客でにぎわう「ブエノスアイレス日本庭園」。写真提供:清水尚子さん(同)

多くの観光客でにぎわう「ブエノスアイレス日本庭園」。写真提供:清水尚子さん(同)

 
 渡航から56年―。己の造園道を貫き、異国の地で確かな足跡を残してきた猪又さん。「子どもたちには苦労をかけたが、なんとかやってきた。商才がないんですね。ただ、文化としての日本庭園は種をまいた。家族には金は残せなかったが、心の財産は残せたと思っている」。
 
 古里釜石の豊かな自然、美しい景色は造園にも生かされる。「意識はしていないが、幼いころから見たものはやっぱり目に焼き付いているのだろう。自然に絵に浮かんでくる」。自身にとってのもう一つの宝は地元の友人ら。今回のロケでも船や車の手配など全面的な協力をもらった。「遠く離れていても気持ちはつながっている。ありがたい」。
 
猪又さんの友人(左)が漁船を出し、海上での撮影も。写真提供:清水さん

猪又さんの友人(左)が漁船を出し、海上での撮影も。写真提供:清水さん

 
震災後の釜石の海景色を目に焼き付ける猪又さん(左)。写真提供:清水さん

震災後の釜石の海景色を目に焼き付ける猪又さん(左)。写真提供:清水さん

 
 造園は自らの人生そのもの。「体は使えなくなってきたが、仕事がくる間は監督、設計は続けていく。これしかできないから。死ぬまで変わらないと思う―」。仕事への情熱は尽きることがない。
 
 猪又さんを追った映画のアルゼンチンでの公開は来年後半を予定する。「日本、釜石でもぜひ公開したい」と撮影陣。現在、制作のためのクラウドファンディングも展開している。

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挑戦!色の“ない”世界を“ある”に 生活体験発表大会で知事賞 釜石高定時制・大里菜々美さん 全国大会へ

全国大会に向け練習する大里菜々美さん(写真左)。原稿には学校生活で得た学びや気付き、思いをつづる(写真右)

全国大会に向け練習する大里菜々美さん(写真左)。原稿には学校生活で得た学びや気付き、思いをつづる(写真右)

 
 岩手県内の定時制、通信制高校に通う生徒たちの「生活体験発表大会」で、「色」と題して語った釜石高定時制2年の大里菜々美さんが最優秀の知事賞に輝いた。不登校だった小中学校時代の6年間は「色のない世界」。高校生となった今は、新しい仲間との出会いや三つの「挑戦」を課すことで前向きに生きている。「人生を彩るのは『挑戦』。どんな色を塗っていこう。想像するだけで胸が高鳴る」。本県代表として全国大会に臨む大里さんは、かつての自分と同じような境遇の人たちにそう語りかけるつもりだ。
 
 県大会は今年で72回目。9月に盛岡市で開かれ、定時制や通信制のある高校9校から12人が出場した。7分の持ち時間で、自身の体験や思いを語って最高賞を手にした大里さん。釜石高の前身、釜石南高時代を含め初めての受賞で、関係者らは喜びを口にする。
 
県大会の賞状を手にする大里さん。トロフィーのペナントリボンに初めて「釜石高定時制」の名が残る

県大会の賞状を手にする大里さん。トロフィーのペナントリボンに初めて「釜石高定時制」の名が残る

 
 大里さんは全国大会に向け、日々練習中。国語科担当の伊藤裕美教諭が付き添い、間の取り方などを助言する。「(大里さんは)本番に強い。淡々としているが、強い意志を感じる語り。滑舌がいい」と評価。原稿を暗記して読み上げるのではなく、「自然に話しているように言葉が出てくるようになれば」と見守る。
 
担当教諭に助言をもらいながら練習を重ねる大里さん

担当教諭に助言をもらいながら練習を重ねる大里さん

 
 「困難なことに立ち向かうことは、面倒なことでしかなかった。だから挑戦から逃げてきた」。小学4年生から休みがちになったという大里さん。陸上記録会の選手候補になったり、校内の広報委員長に推されたり、挑戦しなければならない局面になると、逃げるように休んだ。そして「本格的に不登校になった」。中学校にはほとんど行かなかった。
  
 時間や曜日の感覚が曖昧な昼夜逆転の生活。逃げ続け、たどり着いたのは「色彩のない世界だった」。真っ暗な夜中に目を覚ましては、孤独感に涙した。そんな白黒の世界の中で、自問自答する日々。「このままでいいはずがない」。焦りを感じるようになった中学3年、高校受験が近づいた。「生活を変えたい。彩りのあるものにするためには挑戦する勇気を持たなくては」。環境を変えようと、地元遠野市の隣町釜石市にある釜石高定時制を受験。自宅から列車などで約50分かけて通う日々が始まった。
 
 「やってみる」という一つの挑戦だった高校生活も2年目に突入。これまでに▽生徒会の役員になる▽接客が必要なコンビニでアルバイトをする▽学校を休まない―という三つのことに挑戦した。1年生で生徒会の会計係になり、今年の後期には自ら手を挙げて生徒会長になった。「リーダーに向いているとは思わないが、集団の先頭に立つ経験をし、成長したい」。アルバイトは1カ月だけだったが、無遅刻無欠勤でやり遂げた。「やればできる」と分かった。そして1年間休まず学校に通い、最大の目標、皆勤賞を手にした。「強くなれた。変われた」と実感。皆勤は今も続けている。
  
 なぜ、かつて学校から逃げたんだろう?―「失敗するのが怖かったんだ」と振り返る。挑戦できるようになった今思うことは…「大切なのは成功することではない。経験が財産になる。人生を彩るのは、挑戦そのものだ」
 
大里さんは思いを込めた言葉を紡ごうと練習に励んでいる

大里さんは思いを込めた言葉を紡ごうと練習に励んでいる

 
 「全国か…」。知事賞を受けた気持ちを聞いた時に大里さんがこぼした一言。喜びより逃げ腰かと一瞬感じられたが、「ガチガチに緊張するタイプ。周りに圧倒されないようにしたい」と自己分析していたからだった。これまでの生活を振り返りながら原稿を考える過程で、前向きな気持ちになったと言い、「『失敗してもいいや』。そう思うと、怖いものなしで生きられちゃう」。本番での強さにつながる「心の強さ」が伝わってきた。
 
友達との交流を楽しむ大里さん(左)。彩り豊かな学校生活を実感する

友達との交流を楽しむ大里さん(左)。彩り豊かな学校生活を実感する

 
「大会では一人芝居のように発表する人が多いが、自分にはハードルが高い。ただ言葉を紡いで発する感じだけど、私らしく思いを伝えたい」
 
 また一つ挑戦を重ねる大里さん。人生というキャンバスに新たな色を加える全国大会は11月20日、六本木ヒルズ・ハリウッドプラザ(東京)で開かれる。
 
 

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残そう!ふるさと釜石の味 かまだんご作りに親子で挑戦 「食の匠」の料理伝承会

食の匠(右)から教わりながら、かまだんご作りに取り組む参加者

食の匠(右)から教わりながら、かまだんご作りに取り組む参加者

  
 釜石・大槌地域郷土料理伝承会(同地域農業振興協議会など主催)は10月29日、釜石市大町の青葉ビルで開かれた。地域に伝わる郷土料理の継承と次代の伝承者育成を狙いに企画。同地域の親子ら14人が参加し、釜石地方の郷土菓子として知られる「かまだんご」作りに挑戦した。
  
かまだんごは、釜石地方の農家などに古くから伝わる定番のおやつ。草を刈る鎌の形に似ていることから名付けられたといわれる。それぞれの家庭によって形や中身のあんは少しずつ異なるが、いずれも米粉や小麦粉でつくられたモッチリとした生地の皮の中にトロリとした砂糖が入っている。
  
 講師は、釜石・大槌郷土料理研究会(前川良子会長、11人)会員で、本県の「食の匠」に認定されている橋野町の藤原政子さん(68)。若いころはポテトチップスが好きだったという藤原さんに、かまだんごを通じてゆで上げた小麦の甘い香りや手作り料理の良さ、身近な食材の魅力を伝えたしゅうとめの調理法を独自に改良したレシピを紹介した。材料の薄力粉、米粉などは岩手県産を使用。あんで使うクルミは橋野産で、参加者に地元食材のおいしさを味わってもらうよう準備した。
  
生地作りからスタート。親子で悪戦苦闘する姿も

生地作りからスタート。親子で悪戦苦闘する姿も

  
 参加者は皮作りから開始。材料を混ぜて、耳たぶほどの硬さになるまでこねていった。80グラムほどに分けて丸くのばした皮であんをしっかり包み、鍋でゆで上げた。藤原さんは「生地づくりには熱湯を使う。柔らかさが持続する」「生地はこねすぎない」「たっぷりの熱湯で浮き上がるまでゆでる」など作業ごとにポイントを教えた。
 
子どもたちの作業を優しいまなざしで見つめる藤原さん(右) 

子どもたちの作業を優しいまなざしで見つめる藤原さん(右)

  
「こぼれないようしっかり」。皮であんを包む作業に集中する参加者

「こぼれないようしっかり」。皮であんを包む作業に集中する参加者

  
上手にゆでるコツはかきまぜること(写真左)。浮き上がったらすくい取る(写真右)

上手にゆでるコツはかきまぜること(写真左)。浮き上がったらすくい取る(写真右)

   
 「おいしいかまだんごを作ってみたい」と参加した宮本聖良(せいら)さん(釜石中1年)は「生地を練る作業が思っていたより大変。力をつけて、休みの日に再挑戦したい」と意欲的。コロナ禍で試食はなく持ち帰りとなったが、「みんなで手作りしたから、おいしいはず」と楽しみを残した。祖母の愛子さん(68)も「いろんなポイントを教えてもらい参考になった。食の匠の知恵はさすがだ」と感心。子どもや若い世代が郷土料理や地元食材の良さに触れるきっかけになる伝承会を歓迎した。
  
「手作り料理に心動かされた経験を若い世代に伝えたい」と藤原さん

「手作り料理に心動かされた経験を若い世代に伝えたい」と藤原さん

  
 同地域の漁業、農業に携わる女性らでつくる研究会は20年近く前から地産地消、郷土料理の伝承活動に取り組んでいる。藤原さんは、しゅうとめから教えられた手作り料理のあたたかさを次代につなごうと意欲的に活動。「地元でとれた食材を利用し、家庭で食べ継がれてきた味は地域の財産。素朴だが、知恵と工夫があり、安心して食べられる。つながれてきた思いを伝えたい。伝承会をきっかけに、家庭で気軽に作って味をつないでほしい」と願った。