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第10回 かまいし百円市

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売られている商品は全部100円の「第10回かまいし百円市」を開催します!
リユース可能な子ども用品、まだまだ使えるおもちゃ、かつての趣味の名残、ちょっとしたコレクションアイテム、ハンドメイド作品…など、すべて100円のフリーマーケットです。
合言葉は『100円握ってお宝探し!』
どんな掘り出し物が見つかるか、宝探し気分でお楽しみください♪

出店者一覧(順不同)

umineco 服、雑貨
買わなきゃ損損!! 服、おもちゃ、ぬいぐるみ
AYAORI HOT CAT 焼き菓子、服、レコード、本、雑貨
じゅのむ分店 アニメグッズ、服
もったいない屋 おもちゃ、子ども服、雑貨
むくのしっぽ 服、編み物、ぬいぐるみ、雑貨
佐藤・平 古本屋 本、雑誌
すこの店 子ども雑貨
さくらいけ おもちゃ、育児用品、服、本、雑貨
くどう商店 小鳥飼育用品、雑貨
こじゃれのお店 おもちゃ、日用品、子ども雑貨
釜石情報交流センター 食器、鍋、雑貨

当日は「100円つめ放題コーナー」も登場します。
袋いっぱいにつめて、ぜひお楽しみください!

日時

2026年3月29日(日)10:00~13:00

場所

釜石市民ホールTETTO・ホール前広場
百円市会場は屋外となりますので、各自気候対策の上ご来場ください。

主催・お問合せ

釜石まちづくり(株)
担当:菅原
TEL 0193-22-3607

フェリアス釜石

釜石まちづくり株式会社

釜石まちづくり株式会社(愛称 フェリアス釜石)による投稿記事です。

問い合わせ:0193-22-3607
〒026-0024 岩手県釜石市大町1-1-10 釜石情報交流センター内 公式サイト

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震災15年― 釜石SW うのスタで魅せた価値ある勝利にファン大歓喜 首位花園破る

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東日本大震災復興祈念試合として行われたリーグワン2部第7節 日本製鉄釜石シーウェイブス(赤)vs花園近鉄ライナーズ=7日

 
 NTTジャパンラグビーリーグワン2部の日本製鉄釜石シーウェイブス(SW)は7日、釜石鵜住居復興スタジアムで行われた東日本大震災復興祈念試合で、首位の花園近鉄ライナーズと対戦。30-22(前半20-7)で勝利し、初のレギュラーシーズン3勝目を挙げた。「体を張り続ける」「絶対あきらめない」。チームが常に持ち続けてきた“釜石魂”を体現した試合は、復興を押し進めたまちの力と重なり、観戦客に大きな感動を与えた。6試合を終え、勝ち点15で暫定5位となった釜石の次戦は15日。同スタジアムでレッドハリケーンズ大阪と対戦する。
 
 試合前日の6日、釜石SWの選手、スタッフ約60人は、震災で犠牲になった市民の芳名が掲げられる釜石祈りのパーク(鵜住居町)を訪れた。哀悼の意を表し、チームがこの地でプレーする意義を再認識する日。全員で黙とうをささげ、献花した。
 
試合前日の6日、釜石祈りのパークで震災犠牲者に黙とうをささげる釜石SWの選手、スタッフら

試合前日の6日、釜石祈りのパークで震災犠牲者に黙とうをささげる釜石SWの選手、スタッフら

 
犠牲者の芳名板の前で献花。冥福を祈り手を合わせた

犠牲者の芳名板の前で献花。冥福を祈り手を合わせた

 
 小学6年で震災を経験した宮城県気仙沼市出身のSH村上陽平選手は「もう15年か…」と時の流れの速さを実感。自宅は津波の難を逃れたが、ライフラインの復旧まで避難生活を送った。「3・11が近づくと、起こった出来事の大きさを身に染みて感じる。風化させてはいけない―」。東北を元気にしたいと、「80分間通して熱いプレーをする」ことを誓った。入団13年目のWTB小野航大選手は福島県いわき市出身。震災から3年後の入団で、釜石復興とともに歩んできた。「ひたむきな姿で多くの人に勇気を届けたい」。思いは主将時代から変わらない。トウタイ・ケフヘッドコーチ(HC)の下、チームは確実に成長しており、「あとは勝つだけ」と特別な試合へ意気込んだ。
 
 迎えた試合当日―。スタジアムは4325人の観戦客で埋まった。前半、釜石は先制トライを許すも、風上の優位を生かした攻撃で、何度も敵陣深く切り込んだ。屈強なフィジカルの花園ディフェンスに得点を阻まれる場面が続いたが、チームの士気は途切れなかった。26分、敵陣でのロック、ベンジャミン・ニーニーのインターセプトを足掛かりにボールを広く展開。CTBヘルダス・ファンデルヴォルトが相手ディフェンスの裏を突くキックパスで前進すると、左サイドでフォローしていたWTB髙居海靖がゴール前まで持ち込み、最後はフッカー西林勇登が押し込み逆転。SOミッチェル・ハントのゴールも決まり、10-7とした。
 
前半26分、CTBヘルダス・ファンデルヴォルトのキックパスをWTB髙居海靖がゴール前に運び(写真左)、最後はフッカー西林勇登が逆転のトライ。大きな喜びに包まれる

前半26分、CTBヘルダス・ファンデルヴォルトのキックパスをWTB髙居海靖がゴール前に運び(写真左)、最後はフッカー西林勇登が逆転のトライ。大きな喜びに包まれる

 
 いい流れの中、36分にはフルバック落和史のオフロードパスを受けたナンバー8サム・ヘンウッドが持ち前の突破力を見せゴール前へ。相手に倒され離したボールはCTBトンガ モセセが押し込み、17-7(ゴール成功)とリードを広げた。前半終了間際のPGでさらに追加点を挙げ、20-7で折り返した。
 
前半36分、フルバック落和史が相手を揺さぶるステップで前進。オフロードパスでナンバー8サム・ヘンウッドにつなぎ(写真左)、CTBトンガ モセセがゴールに押し込んだ(同右)

前半36分、フルバック落和史が相手を揺さぶるステップで前進。オフロードパスでナンバー8サム・ヘンウッドにつなぎ(写真左)、CTBトンガ モセセがゴールに押し込んだ(同右)

 
SOミッチェル・ハントは前半でPG2本、コンバージョンキック2本を決め、10得点

SOミッチェル・ハントは前半でPG2本、コンバージョンキック2本を決め、10得点

 
釜石SWの活躍にバックスタンド席の大漁旗や手旗が揺れる

釜石SWの活躍にバックスタンド席の大漁旗や手旗が揺れる

 
 波に乗る釜石は後半3分、敵陣ラインアウトからモールを形成し前進。粘り強くボールをつなぎ、最後はフランカー髙橋泰地がトライ。25-7とさらに突き放した。その後、攻守逆転。花園のカウンター攻撃などで7分、10分と2連続トライを決められ、8点差まで詰め寄られた(25-17)。悪い流れを断ち切ったのは16分。花園の反則でハントが蹴り出し、ラインアウトからモールを形成。そのままトライに持ち込んだ(30-17)。決めたのは主将のフランカー河野良太。自身の「リーグワン出場50試合目」に花を添えた。
 
後半3分、フランカー髙橋泰地のトライ。急きょのメンバー変更でスタメン出場。試合後、「自分たちの準備したことがしっかり出せた」と喜びを表した

後半3分、フランカー髙橋泰地のトライ。急きょのメンバー変更でスタメン出場。試合後、「自分たちの準備したことがしっかり出せた」と喜びを表した

 
後半16分、ラインアウトからモールで一気に攻め、貴重な追加点。トライを決めた河野良太もこの笑顔

後半16分、ラインアウトからモールで一気に攻め、貴重な追加点。トライを決めた河野良太もこの笑顔

 
 20分以降は“我慢”の時間。何度も自陣深くに攻め込まれるも、粘り強いディフェンスでピンチを乗り切った。31分に1トライを許したが、釜石は効果的なタックルが随所に光り、勝利への強い気持ちが表れたプレーに観客から「釜石コール」が響いた。80分間の激戦は30-22で釜石に軍配が上がった。
 
低い体勢のタックルで相手を果敢に止めにいく釜石の選手ら

低い体勢のタックルで相手を果敢に止めにいく釜石の選手ら

 
 「ベリーハッピー」。試合後、喜びを表した釜石SWのトウタイ・ケフHCは「良い内容でプレーさえすれば(上位チームにも)勝てるということを証明できたと思う。とにかく一貫性を持って、ブレずにやるべきことをしっかりやっていれば結果はついてくる」と手応えを実感。河野主将は復興祈念試合を前にチームで共有した「プライドを持って最後まで体を張り続けて戦う」ことを体現できた結果とし、苦しい状況下で力をもらったファンの声援に感謝。試合を重ねるごとに課題を修正し、自分たちのラグビーが形になっているとも感じていて、「次の試合がとても大事。今日やれたことを次も出せるよう、いい準備をしていきたい」と気持ちを切り替えた。
 
河野主将はリーグワン50キャップ達成。「プレーヤー・オブ・ザ・マッチ」にも選ばれた。ご家族で記念撮影(写真左)

河野主将はリーグワン50キャップ達成。「プレーヤー・オブ・ザ・マッチ」にも選ばれた。ご家族で記念撮影(写真左)

 
選手タオルなどを掲げ、すばらしい試合に感謝する観戦客(写真上)

選手タオルなどを掲げ、すばらしい試合に感謝する観戦客(写真上)

 
 桜庭吉彦ゼネラルマネジャーは震災15年にあたり、「多くの支援と地域の結束でここまでこられた」と深謝。2019年のラグビーワールドカップ開催地となった鵜住居の地で「節目の試合ができ光栄。素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた選手たちを誇りに思う。来場者も選手も心が一つになる時間を共有できたのは大きい」と話した。震災を知らない世代の加入が増えてくる中で、「発災当時、チームが地域とどう関わり、どんなエネルギーをもらって今があるのかを風化させることなく語り継いでいきたい」とも。“地域とともにあり続ける”チームを後世につなぐ決意を改めて示した。
 

釜石高「夢団」うのスタ石碑前で震災語り部 未来の命を守るため伝え続ける

 
釜石高の「夢団」メンバーは自ら考えた内容で語り部。震災の教訓を来場者に伝えた

釜石高の「夢団」メンバーは自ら考えた内容で語り部。震災の教訓を来場者に伝えた

 
 釜石高の生徒有志で活動する「夢団~未来へつなげるONE TEAM~」は今季も釜石SWホーム戦に合わせ、震災伝承、防災啓発の語り部を実施中。復興祈念試合となった7日も、スタジアム内に建つ震災犠牲者鎮魂、教訓伝承のための祈念碑「あなたも逃げて」の前で、1、2年生3人が来場者に語った。
 
 「あなたは自分の命を自分で守れますか?」。そう切り出したのは、この日が語り部活動2回目の菊池彩乃さん(1年)。震災時は1歳。もちろん記憶はないが、同団の活動で震災の教訓をつないでいく大切さを学び、語り部に手を挙げた。伝えているのは、当時の釜石小児童が下校後に発生した大地震で自ら判断して避難行動を取り、津波から逃れた出来事。「今の自分たちの年齢より下の子が自分で考え行動した結果、命を守ることができた」事実に心を打たれたからだという。「命を守る行動に年齢は関係ない。大切なのは意識と行動力」。語り部を通して、災害時の行動をより多くの人に考えてほしいと願う。
 
 奈良県から訪れた小池道朗さん(60)は4年前に聞いた夢団の語り部が強く印象に残っていて、「もう一度聞きたい」と足を止めた。この日早朝にも釜石では地震を観測。「私たちも東日本大震災の記憶がだんだん薄れている。関西も東南海地震があると言われているので、気を引き締めていかねば」と避難の重要性を心に刻んだ。
 
夢団と釜石SWがコラボした応援フラッグを手にするメンバー

夢団と釜石SWがコラボした応援フラッグを手にするメンバー

 
 夢団は今回、復興祈念試合の来場者にプレゼントする応援フラッグのデザインも手がけた。釜石SWのスタッフから同試合の位置付けなどを聞き、メンバーが手書きのラフ案を作成。市内のデザイン会社がデジタル化し完成した。
 
 デザインを担当した夢団の六串流歌さん(2年)によると、コンセプトは「永遠」と「つながり」。この2つを数学記号の「∞(無限)」で表現し、輪の中にハマナスの花とラグビーボールを配置した。ハマナスは鵜住居町根浜海岸で古くから自生していたが震災の津波で砂浜に生えていたものは全て流された。しかし、その年の6月、津波をかぶった防潮堤内側の松林で花開く姿が確認され、地域住民に希望を与えた。「ハマナスは鵜住居復興を象徴する花。前向きな印象を受けたのでデザインに入れたいと思った」と六串さん。
 
 震災時は2歳。大槌町の自宅は海の近くにあり、津波で全壊した。記憶はないが、母から高台の大槌高に避難して助かった話を聞いている。「こうして震災を後世に伝えることは私たち世代の責任。次に生まれてくる子どもたちにしっかり伝え、みんなが忘れないようにしなくては」と夢団の活動に意欲を見せる。
 
この日はゲストも登場!ラグビー芸人・しんやさん(写真左)、SW応援団の佐野よりこさん(鵜住居町出身、民謡歌手)がパフォーマンスや歌で盛り上げた

この日はゲストも登場!ラグビー芸人・しんやさん(写真左)、SW応援団の佐野よりこさん(鵜住居町出身、民謡歌手)がパフォーマンスや歌で盛り上げた

 
三陸鉄道を利用し来場した観戦客には、限定缶バッジや三鉄グッズなどをプレゼント

三陸鉄道を利用し来場した観戦客には、限定缶バッジや三鉄グッズなどをプレゼント

 
うのスタフードコーナーには70店以上が出店。にぎわいを見せた

うのスタフードコーナーには70店以上が出店。にぎわいを見せた

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震災犠牲者しのび法要 釜石・鵜住居観音堂 心、まちに「光が届くよう」祈り込め

東日本大震災犠牲者の冥福を祈り鵜住居観音堂で営まれた「復光」祈願法要

東日本大震災犠牲者の冥福を祈り鵜住居観音堂で営まれた「復光」祈願法要

 
 東日本大震災の犠牲者を悼み、まちの復興を願う「復光祈願法要」は8日、釜石市鵜住居町の鵜住居観音堂(小山士別当)で営まれた。同法要は15回目で、地域住民や関係者ら約30人が参列。本尊「十一面観音立像」(県指定文化財)の模刻「身代わり観音像」に静かに手を合わせ、亡き人や地域の未来へ思いをはせた。
 
被災地の平穏を願い読経する千葉秀覚執事長(手前から2人目)ら

被災地の平穏を願い読経する千葉秀覚執事長(手前から2人目)ら

 
 法要は毛越寺(平泉町)の千葉秀覚執事長(63)らが執り行い、読経に合わせ、それぞれが焼香した。地元の齋藤清子さん(81)は津波で失った親族2人の安寧を祈りながら合掌。「残されたものは祈るしかない。だいぶ立派に街はできたが、住む人は減り、寂しくなる」とつぶやく。ふと耳を澄ますと、観音堂近くのグラウンドから野球少年たちの声が届いた。「若い人たちが暮らし、普段から元気な声が聞こえたらいいのに」と願った。
 
参列者は読経に合わせて焼香。静かに手を合わせる

参列者は読経に合わせて焼香。静かに手を合わせる

 
 観音堂は震災の津波で全壊し、2022年に高台に再建。まつられている本尊は破損しながらも流失を免れ、当時、盛岡大教授だった故大矢邦宣さんらが救出、修復された。背面に「永正七年」(1510年)の年号があり、33年に一度開帳される。模刻は大矢さんの発案で2014年に制作。観音堂の再建を待つ間も「地域のよりどころになるように」との思いが込められ、今も地域を見守る存在として安置されている。
 
鵜住居の街並みを望む高台に建つ観音堂

鵜住居の街並みを望む高台に建つ観音堂

 
地域を見守る「身代わり観音像」に祈りをささげる

地域を見守る「身代わり観音像」に祈りをささげる

 
 法要に合わせ、幾度か観音堂へ通う千葉執事長は「震災から15年目となるが、それぞれが歴史を刻んできた15年なのだろう。街は復興しても、当時のつらい記憶、亡き人を思う気持ちは消えないもの。そうした中で、室町時代から信仰が続く観音様、身代わり観音像が人の心、地域に光が届くよう見守ってくださっている」と法話した。
 
 小山別当(82)は「大矢先生や尽力してくれた関係者のおかげで生きる希望を教えていただいた。そして、法要を続けられている毛越寺の方々、集まってくれる地域の皆さんには感謝しかない。その思いを受け止め、地域の宝を貴重な文化財として後世に引き継いでいきたい」と思いを深めた。

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東日本大震災から15年― 各地で続く祈り 箱崎町庵寺では8日に初の追悼供養法要

合掌し、震災犠牲者に祈りをささげる箱崎町の住民ら=8日、庵寺1

合掌し、震災犠牲者に祈りをささげる箱崎町の住民ら=8日、庵寺

 
 未曽有の津波被害をもたらした東日本大震災から15年となるきょう11日、沿岸被災地は朝から追悼の祈りに包まれている。死者、行方不明者合わせ1064人(関連死含む)が犠牲となった釜石市では、墓地や海岸などで大切な人を思い、手を合わせる姿が見られる。市北東の半島部に位置する箱崎町では8日、箱崎町内会(髙橋道夫会長142世帯)による震災犠牲者の追悼供養法要が営まれた。同町内会主催の法要は初めてとなる。
 
箱崎町内会が初めて行った東日本大震災犠牲者の追悼供養法要

箱崎町内会が初めて行った東日本大震災犠牲者の追悼供養法要

 
 法要は町内の庵寺で開かれ、在住者と町外に暮らす元住民ら43人が参列した。鵜住居町、常楽寺の藤原育夫住職、藤原政成副住職が読経。津波にのまれるなどし、犠牲となった72人の御霊を慰めた。参列者は順に焼香し、犠牲者の鎮魂、冥福を祈った。法要後、藤原住職は「15年がたち、いろいろな感情が出てくる。人間はつらいことだけを思い浮かべがちだが、その中にも光明がある。仏様に感謝し、手をつないで生きていくことが大事」と話した。
 
常楽寺(鵜住居町)の藤原育夫住職の読経が響く中、参列者が焼香

常楽寺(鵜住居町)の藤原育夫住職の読経が響く中、参列者が焼香

 
亡くなった大切な人たちに手を合わせ、心の中で思いを伝える参列者

亡くなった大切な人たちに手を合わせ、心の中で思いを伝える参列者

 
法要後は藤原育夫住職(写真左)が法話。遺族らの気持ちに寄り添った

法要後は藤原育夫住職(写真左)が法話。遺族らの気持ちに寄り添った

 
 参列した76歳の女性は、町内に暮らしていた父方の叔母夫婦ら親族5人を一度に亡くした。避難途中で津波にのまれたほか、避難したものの、忘れ物を取りに自宅に戻ってしまうなどし、命を落としたという。「おば、おじにはいつも頼りっきりで…。今も何かあるたび胸にぽっかり穴が開く感じ…。何年たってもその穴は埋まらない」。あふれる涙に声を詰まらせる。当時、自身も母と避難する途中で津波にのまれた。同じ波に流され、亡くなった5人を思うと「余計つらい。私たちだけ生きて…と思う時もあった」。被災後、町内の戸建て復興住宅に入居した。共に生き延びた母は昨年2月に亡くなり、「本当に一人になってしまった…」。深い悲しみを抱えながら「母が残した畑を耕すのが今の生きがい」と懸命に前を向く。
 
 箱崎漁港に面する同地域には震災前、273世帯、734人が暮らしていた。津波で47人が死亡、14人の行方が分かっておらず、犠牲者は関連死を含め72人。全体の86%にあたる235世帯が被災した。地域は明治、昭和の三陸大津波でも大きな被害を受けていたが、過去に被害が及ばなかった場所に住む人が避難せず、津波に巻き込まれる事例が多くあった。
 
箱崎町の玄関口の市道沿いには(左から)明治、昭和、平成の津波記念碑が並ぶ。東日本大震災を表す“平成”の記念碑は2021年3月建立。裏面には被災状況が刻まれる

箱崎町の玄関口の市道沿いには(左から)明治、昭和、平成の津波記念碑が並ぶ。東日本大震災を表す“平成”の記念碑は2021年3月建立。裏面には被災状況が刻まれる

 
関係者の協力で箱崎町内会の法要を実現させた髙橋道夫会長(中央)

関係者の協力で箱崎町内会の法要を実現させた髙橋道夫会長(中央)

 
 法要に先立ち、髙橋町内会長(75)は「震災で犠牲になった御霊を供養するとともに、皆さん一人一人が災害に対する意識を高め、地域から犠牲者を絶対に出さないという強い意志を持っていただくことを願う」と参列者に呼びかけた。世帯数は震災前からほぼ半減。高齢者世帯の増加が顕著で、災害時の自助、共助力のさらなる強化が求められる。髙橋会長は「震災後、高さ14.5メートルの防潮堤はできたが、過信してはだめ。自然の脅威は時に想像を超える。過去の教訓を決して忘れず、後世に伝え続けていかなければならない」と誓う。町内会主催の同法要は今後も続けていく予定。

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「3・11」あんどん 岐阜と釜石の有志が制作中 根浜防潮堤で明夜点灯“とうほくのこよみのよぶね”

有志らによる「3・11」あんどんの制作作業=8日、根浜海岸レストハウス

有志らによる「3・11」あんどんの制作作業=8日、根浜海岸レストハウス

 
 東日本大震災発生からあす11日で15年―。沿岸被災地では犠牲者を追悼する準備が進む。津波で大きな被害を受けた釜石市鵜住居町では、「3・11」の数字をかたどったあんどんの制作が8日から始まっている。「とうほくのこよみのよぶね」として、2012年から同町根浜海岸で続けられてきた活動。これまでは漁船の上にあんどんを設置し海に浮かべてきたが、今年は海岸の防潮堤に設置する予定。11日夕方から点灯し、震災犠牲者への祈りの場とする。
 
 同活動は、国内外で活躍するアーティスト日比野克彦さんが中心となり企画。日比野さんの出身地岐阜県岐阜市で2006年から続けられる冬至の行事「こよみのよぶね」を、震災犠牲者の鎮魂、復興の一助に役立てようと始められた。制作には岐阜の実行委メンバーが全面協力。毎年、釜石に足を運び、地元住民や支援者らと制作から点灯まで協働で作業を行ってきた。昨年は諸事情により根浜での実施がかなわず、大槌町吉里吉里海岸に場所を移して開催。今年は根浜での復活に向けた足がかりにと、陸上点灯という形で再開することになった。
 
コロナ禍で参集活動が困難だった2022年に岐阜の実行委が制作し、釜石に運んだあんどん。今年もこの時とほぼ同規模になる見込み

コロナ禍で参集活動が困難だった2022年に岐阜の実行委が制作し、釜石に運んだあんどん。今年もこの時とほぼ同規模になる見込み

 
8日の制作作業には地元釜石から10人余りが参加。分担して各種作業に取り組んだ

8日の制作作業には地元釜石から10人余りが参加。分担して各種作業に取り組んだ

 
 8日から根浜海岸レストハウスで制作作業が進められていて、初日は地元住民ら10人余りが作業に協力。岐阜県の伝統工芸品「美濃和紙」に色を塗り、「3・11」をかたどる竹の骨組み作りを行った。数字型あんどんを並べた完成形は横幅約3~4メートル、高さ約1.5メートルほどになる見込み。
 
 市内の会社員新里拓也さん(32)は、12月から2月にかけて大町青葉通りと大町広場をイルミネーションで彩った、かまいし灯り実行委のメンバー4人で参加。初めての作業ながら「楽しい」と手を動かし、完成形にイメージを膨らませた。岐阜のメンバーが協力し、同活動が続いてきたことに「遠くから釜石に思いを寄せてくださりありがたい」と感謝。自身は震災時、盛岡市で高校生活を送っており、発災から1週間後、古里の惨状を目の当たりにした。あれから15年。復興の進展を改めて実感し、「震災前より明るいまちになってくれたら」と、同年代の仲間とまちづくりへの貢献に思いを強くする。
 
竹の骨組みに貼り付ける「美濃和紙」にさまざまな色を塗る

竹の骨組みに貼り付ける「美濃和紙」にさまざまな色を塗る

 
細く切った竹で数字の「11」をかたどる骨組みを作る

細く切った竹で数字の「11」をかたどる骨組みを作る

 
「・(中点)」は円形にした竹を組み合わせて作る。竹は強度としなやかさを保てる薄さに削って加工

「・(中点)」は円形にした竹を組み合わせて作る。竹は強度としなやかさを保てる薄さに削って加工

 
 今回、岐阜からは8人が制作に協力。根浜と吉里吉里の2班に分かれ、地元住民らと作業を進めている。根浜では再開にあたり、地元の一般社団法人根浜MIND(岩崎昭子代表理事)が活動協力。将来的な海上点灯復活を目指し、再スタートの一歩として、今年は防潮堤での実施を企画した。
 
 2020年から毎年足を運ぶ岐阜市の馬淵弥保さん(49)は「(根浜MINDの)岩崎さんはじめ地元の皆さんの気持ちに応えたいという思いが強い。できるだけお手伝いしたい」と釜石での人との出会い、つながりを大事にする。被災者が自身の経験を話してくれたこともあり、「(震災を)忘れてはいけない。経験していない子どもたちも増えてくる中、大人には後世に伝えていく責任がある」と実感。震災の記憶は消し去ることはできないが、こよみのよぶねが「少しでも(悲しみを抱える)気持ちに温かさをもたらし、海とともに生きる人たちの心の支えになれば」と願う。
 
岐阜メンバーの馬淵弥保さん(左から2人目)から竹の組み立て方を教わりながら作業する釜石の協力者

岐阜メンバーの馬淵弥保さん(左から2人目)から竹の組み立て方を教わりながら作業する釜石の協力者

 
 「3・11」のあんどんはあす11日、宝来館前の防潮堤に設置され、午後5時ごろに点灯される予定。

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頑張ったよ!お茶のおけいこ かまいしこども園の年長児、お点前披露 保護者もてなす

保護者に振る舞うお茶をたてるかまいしこども園の年長児

保護者に振る舞うお茶をたてるかまいしこども園の年長児

 
 釜石市天神町のかまいしこども園(藤原けいと園長、園児81人)で3日、「お茶のおけいこ」があり、年長児13人が茶会体験をした。「おさらい会」として催された茶会には、保護者を招待。年長児は1年間の稽古の成果を発揮し、お茶をたて、おもてなしの心を見せた。
 
 同園では、▽思いやり▽優しさ▽感謝▽譲り合い▽美しさに触れる―という5つの心を養うことを目的に、日本文化の茶道を保育に取り入れる。今年度は、裏千家茶道准教授の戸村宗孝(そうこう)さん(74)が月に2回ほど、園に出向いて年長児を対象におけいこ。おじぎの仕方や礼儀、所作、お茶の作法などを指導してきた。
 
 園舎内には野だて傘、「日々是好日」と書かれた短冊、モモや菜の花など季節の花を生けた席が用意された。この日は、子どもたちの健やかな成長を願う「ひなまつり」。ひな人形も飾られていて華やかな雰囲気の「ひなまつり茶会」となった。
 
習ってきた茶道の成果を披露するおさらい会の茶席

習ってきた茶道の成果を披露するおさらい会の茶席

 
 園児は和菓子を運び、お茶をたて、おもてなし。「お茶をどうぞ」と言って差し出すと、保護者は「おいしい」と笑顔で味わっていた。大役を終えた子どもたちは、自分でたて、味わいを確認。「いつもより濃いね」などと友達と顔を合わせながら楽しんでいた。
 
指導に当たった戸村宗孝さん(左)が優しくサポート

指導に当たった戸村宗孝さん(左)が優しくサポート

 
習った所作でお点前を披露する園児に保護者は熱視線

習った所作でお点前を披露する園児に保護者は熱視線

 
成果を見せ終わってホッとした様子の子どもたち

成果を見せ終わってホッとした様子の子どもたち

 
背筋をピン!自分でたてたお茶をいただく園児

背筋をピン!自分でたてたお茶をいただく園児

 
 結城心温ちゃん(6)は「いつもより2.5倍うまくできた。お母さんが笑ってくれてうれしい」と得意げに話した。母親の恵さん(40)によると、登園前に自宅で「泡立て、がんばるね」と約束。差し出された茶はしっかり泡が立ち、有言実行したまな息子の姿に目を細め、「日本の良いところを学んだ経験や大事な心を忘れないで、大きく成長してほしい。小学校でもたくさんの友達をつくってほしい」と願った。
 
茶を飲む保護者の様子にドキドキ、ワクワクする子どもたち width=

茶を飲む保護者の様子にドキドキ、ワクワクする子どもたち

 
「おいしかったよ」「すごいね」。保護者の笑顔から伝わる

「おいしかったよ」「すごいね」。保護者の笑顔から伝わる
 
 「最初は分からなかったけど、できるようになった」と背筋をピンと伸ばした久保梓ちゃん(6)。茶席で、母親の静樺さん(29)に菓子をいただく時のようじ(黒文字)の使い方や茶わんを回してから飲むといった作法をアドバイス。茶を点てる際にうまく泡立てるコツは「(茶せんで)1の字を書くようにするの」と、かき混ぜるようなしぐさを見せて、身に着けた学びも伝えていた。「楽しかった」と満足げなわが子に、静樺さんは「日本の文化に触れさせてもらって感謝ですね。園で伸び伸びと過ごしていると感じられたのも収穫」と喜んだ。
 
菓子やお茶のいただき方をしぐさで教える園児

菓子やお茶のいただき方をしぐさで教える園児

 
 子どもらを指導した戸村さんは「始めた頃は、お茶を飲めない子もいた。保護者に見てもらい、お茶わんを回すことを教えたりするまでになった」と感心。「茶道で触れた気持ち、お花を見て季節を感じる心が少しでも植えられていたらいい。さらにおけいこを続けてくれたら」と期待も込めた。
 
 同園の澤田利子副園長も「落ち着いてお点前ができていた。頑張ってきた成果が見られたし、お茶を通して心が豊かになっている」と確認。社会経験として大事にしたい心を育む機会として、来年度以降もお茶のおけいこを続ける考えだ。

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ガザのみんなへ「忘れてないよ」 釜石から発信 空に舞う たこに平和の願い込め

青空の下、平和の願いを込めたたこを飛ばす子どもたち

青空の下、平和の願いを込めたたこを飛ばす子どもたち

 
 東日本大震災を機に交流を続けるパレスチナ自治区ガザの平和を願う「たこ揚げ」が1日、釜石市唐丹町の唐丹グラウンドであった。市内外の有志でつくる「ガザ・ジャパン希望の凧(たこ)揚げ交流会実行委員会」が主催。同市の野球スポーツ少年団・釜石ファイターズの児童や親子連れら約50人が参加し、戦争のない世界を祈るメッセージを釜石の空から送った。
 
 ガザでは、2012年から国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が主催して、現地の子どもたちが震災被災地の復興を願ってたこを飛ばした。その思いに応えようと、釜石でも15年からたこ揚げを開始。“つながる空”を通して交流を続けている。
 
「舞い上がれ、高く」。子どもらが元気いっぱいに走り出す

「舞い上がれ、高く」。子どもらが元気いっぱいに走り出す

 
 「よし、いくぞー」「おーい!」。長い糸を手に野球少年たちが元気に駆け出した。声を大きく上げて、地域や世界中が明るくなるように。「みんな幸せ」「絆」「せんそう ダメ!」など思い思いのメッセージやイラストを描いた、たこを風に乗せて高く揚げた。
 
 斉藤直輝さん(甲子小4年)は、たこに「平和」「希望」と文字を入れた。「戦争がなくなって、世界中の人が幸せになってほしい」から。いつかガザから友達が来たらと想像し、「一緒に野球をしたい」と望んだ。
 
 この日、同市大町の釜石情報交流センターでたこ作りの会もあり、宮城県から参加する人の姿もあった。東北大大学院生でインドネシアからの留学生が書き込んだのは「偃武修文(えんぶしゅうぶん)」という四字熟語。「早く戦争を止めよう。そして子どもたちは勉強を」。そんな呼びかけを託したと話していた。
 
参加した人たちはガザへ届けたい思いを込めてたこを作った

参加した人たちはガザへ届けたい思いを込めてたこを作った

 
 気仙沼市の小野寺優さん(68)が仕上げたのは、日の出をデザインしたたこ。気仙沼凧の会副会長で、伝統の絵柄だという。たこ揚げでは釜石の子どもらにコツを伝えたりして交流。たこが青空を舞う様子を見つめて「こうした風景がいつまでも残ってくれたらいい」と思いを口にした。
 
子どもたちが思い思いの言葉や絵を描いたたこ

子どもたちが思い思いの言葉や絵を描いたたこ

 
元気に走り回って、たこ揚げを楽しむ子どもたち

元気に走り回って、たこ揚げを楽しむ子どもたち

 
 実行委の佐藤直美さん(52)=仙台市=によると、25年10月にイスラエルとの停戦合意が発効され、ガザでは局所的に学校や子どもたちの交流が再開されたとの情報がある。ただ、火種はくすぶったままで、いまだ不安定な状況が続いているという。「少しでも早く安心して暮らせるように」と願う人たちの思いを現地に伝えようと、メッセージ動画を送る取り組みを続けており、今回も撮影を担当した。
 
 佐藤さんが会いたかったと話す一人が、地元の下村恵寿さん(76)。このたこ揚げの協力者で、いつも「子どもは世界の宝」とあたたかく見守ってくれているからだ。15年にガザから子どもらが訪れた際も交流しており、現地に思いを寄せ続ける下村さんからも言葉をもらった。
 
子どもたちをあたたかく見守る下村恵寿さん(右)

子どもたちをあたたかく見守る下村恵寿さん(右)

 
 下村さんは「大人がしたことで犠牲になるのはいつも子ども」と悔しさをにじませる。市体育協会員として長くスポーツ界に関わっており「平和で、スポーツができる幸せを世界に」と切望。「子どもは地域みんなで育てる宝物。大人には責任がある。また、ガザの子たちと一緒にたこ揚げできたらいいな」と、硬い表情をやわらげた。
 
パレスチナの希望と平和の象徴であるたこを掲げる参加者

パレスチナの希望と平和の象徴であるたこを掲げる参加者

 
 パレスチナの人にとって、たこ揚げは「ここにいるよ」という意味合いが込められていると、佐藤さんが教えてくれた。今、現地では「忘れられている」「覚えていてほしい」と感じる人もいるとも。「忘れていないよ」「震災の復興を願ってくれて、ありがとう」と発信できる機会が「このたこ揚げ」と佐藤さんは改めて思った様子だ。
 
 今回、県外から参加したり、卒業式を終えたばかりの大船渡市の高校生も駆け付けた。輪の広がりを感じた佐藤さんは「すてきなメッセージをたくさんもらった」とうれしさを隠さなかった。「現地にしっかり届けられるようにしたい」と受け止め、「日本とガザを結ぶ活動を続けていけたら」と話した。

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釜石市地震・津波避難訓練 2年ぶりに実施 意識低下防げ! 避難場所・経路を再確認

大津波警報発表の訓練放送を受け、津波緊急避難場所の鵜住居小・釜石東中校庭を目指し、学校前の階段を駆け上がる人たち

大津波警報発表の訓練放送を受け、津波緊急避難場所の鵜住居小・釜石東中校庭を目指し、学校前の階段を駆け上がる人たち

 
 釜石市の地震・津波避難訓練は1日、市内全域の住民を対象に行われた。同市では、大船渡市の大規模山林火災の後方支援(昨年3月)、県総合防災訓練時の津波緊急避難場所付近でのクマの目撃(同11月)により、予定していた同訓練を中止したため、今回は2年ぶりの実施。改めて身近な避難場所、経路、所要時間などを確認し、いざという時の“命を守る行動”につなげてもらおうと開催した。東日本大震災の発生から11日で15年―。記憶の風化を防ぎ、経験のない世代への確かな教訓継承へ、さらなる意識醸成が求められる。
 
 訓練は午前8時半、三陸沖を震源とするマグニチュード8を超える巨大地震が発生。同市で震度6強を観測し、沿岸部に大津波警報が発表されたとの想定(予想最大波15メートル、津波到達予想同9時ごろ)で行われた。防災行政無線で緊急地震速報の警報音が鳴らされると、落下物などから身を守る行動「シェイクアウト」を実践。3分後に大津波警報発表のサイレンが鳴り、それぞれがいる場所から最も近い高台への避難を開始した。
 
「急げ!高台へ」 子どもたちも津波時の避難行動を実践

「急げ!高台へ」 子どもたちも津波時の避難行動を実践

 
鵜住神社側の階段を上がり、校庭に向かう住民ら

鵜住神社側の階段を上がり、校庭に向かう住民ら

 
 鵜住居町の市指定津波緊急避難場所の一つ、鵜住居小・釜石東中校庭には、「避難指示発令」の放送が繰り返される中、住民らが続々と避難。正面の大階段のほか、鵜住神社側、商業施設・うのポート側と3方向から、最短ルートで住民らが上がってきた。訓練終了時間の午前9時までに110人が避難した。
 
 2024年に同町に移住した小笠原綾子さん(46)は、小3と未就学の子ども2人を連れて訓練に参加。昨年12月8日深夜に発生した青森県東方沖地震で津波警報が出た際も家族4人で避難し、拠点避難所となっている両校体育館で一夜を明かした。「家族一緒の時はいいが、別々にいる時がやはり心配。子どもたちには、『後で必ず迎えにいくから、不安でも、真っすぐ近くの高台に逃げて』と教えている」と小笠原さん。訓練を重ねることで、「子どもたちに避難の仕方を体で覚えてほしい。ここ(鵜住居)に住む以上は絶対に身に付けておくべきことなので」と幼いころからの意識付けを図る。
 
 震災の津波で自宅が全壊、再建した家に暮らす沖寿雄さん(81)は15年前の避難時の様子を鮮明に記憶する。沖さんらは隣近所に声がけしながら、最も近い高台の鵜住神社境内(当時の市指定津波避難場所)に誘導。同所には160人以上が避難し、津波の難を逃れた。避難者の半数は裏山を越え、さらに内陸部に向かい、足腰が弱い高齢者などは神社で一夜を明かした。「あの時のようなことは二度とあってほしくないけど…。訓練を重ねて足元を固めないと、いざという時、行動できない。何かあったらすぐ逃げられるように避難意識は常に持ち続けていなければ」と訓練の重要性を心に刻む。
 
(訓練)地震発生から13分が経過。校庭に続々と避難者が集まる

(訓練)地震発生から13分が経過。校庭に続々と避難者が集まる

 
鵜小・東中校庭は海抜約20メートルの高台に位置。さらに高い場所にある校舎内の体育館は数日~数カ月の避難生活に対応する拠点避難所となる

鵜小・東中校庭は海抜約20メートルの高台に位置。さらに高い場所にある校舎内の体育館は数日~数カ月の避難生活に対応する拠点避難所となる

 
 地元の鵜住居町内会(古川愛明会長、150世帯)自主防災部は避難訓練に続き、今年も独自に避難所開設訓練に取り組んだ。鵜小・東中の2体育館は災害時に一定期間、避難生活を送るための市指定拠点避難所になっているが、災害の規模が大きいと担当の市職員が即座に集まることができない可能性がある。このため、同町内会は自分たちで避難者の受け入れにいち早く対応できるよう、訓練を重ねる。今回も災害用備蓄倉庫から段ボールベッドやパーテーションを体育館に運び、組み立て作業を行った。
 
災害用備蓄倉庫から段ボールベッドのセットを運び出し、体育館で組み立て作業を体験

災害用備蓄倉庫から段ボールベッドのセットを運び出し、体育館で組み立て作業を体験

 
ワンタッチパーテーションの設置も体験。避難所でのプライバシー確保や感染症対策などに役立てられる

ワンタッチパーテーションの設置も体験。避難所でのプライバシー確保や感染症対策などに役立てられる

 
 同町内会は被災前の3地区(上、仲、川原)をカバーする新たな町内会組織として2018年4月に設立。エリア内には被災後に自宅を再建、または復興住宅に入居した古くからの住民のほか、震災後に新たに移り住んだ住民が混在。新規移住者は年々、増加傾向にある。古川会長(78)は訓練参加者が限定的なことを危惧。「地域の防災力を高めるには町内会組織の充実が不可欠。イベントなどを通じて町内会活動への参加を促し、基盤を固めることで、自主防災にもつなげていければ」と今後を見据える。
 
市立図書館で行われた市災害対策本部運営訓練(写真提供:市防災危機管理課)

市立図書館で行われた市災害対策本部運営訓練(写真提供:市防災危機管理課)

 
 この日は、休日や夜間に大津波警報が発表された場合に市が災害対策本部を置く小佐野町の市立図書館で、災害対策本部運営訓練も行われた。本部長の小野共市長はじめ幹部職員、緊急初動特別チーム第2班の職員(内陸部在住)ら計23人が参集。警報を受け、市長が避難指示を発令し、鵜住居地区災害対策用カメラで鵜小・東中への避難行動の様子をモニターで確認した。同特別チームは緊急避難場所から寄せられる避難者数、釜石消防署が取りまとめる消防団からの避難者数の情報を集計。対策本部へ最新の情報を報告した。
 
 同館には防災行政無線の遠隔制御装置、移動式無線、衛星携帯電話を配備。固定電話6回線は大規模災害時、ボイスワープ機能により、本庁代表電話への連絡が同館の災害対策本部事務局へ転送される仕組みになっている。訓練では配備機材なども使い、情報収集にあたった。災害対策本部員会議では、被害、避難状況の共有、拠点避難所開設、対応方針をシミュレーションした。
 
 意見交換では「緊急避難場所と拠点避難所の違いを正確に理解していない市民も多いと感じる。広報紙やホームページで周知徹底を図る必要がある」「今回の訓練の反省点や課題を庁内で共有し、今後に生かしていかねばならない」などの声が上がった。市防災危機管理課によると、今回の訓練の避難者数は3日時点の報告取りまとめ分で2005人。

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おいしさ提供、フェアトレード普及、復興応援…釜石・ハピスコーヒーが固定店舗開設へ

固定店舗を間もなくオープンさせる岩鼻伸介さん=2月

固定店舗を間もなくオープンさせる岩鼻伸介さん=2月

 
 釜石市を中心にキッチンカーで営業するコミュニティーカフェ「HAPPIECE COFFEE(ハピスコーヒー)」。東日本大震災後に帰郷した店主の岩鼻伸介さん(48)が淹(い)れる“おいしい”一杯と、何気ない会話の“うまみ”を味わえるのが魅力だ。豆は「フェアトレード」で仕入れ、公正な取引を通じ原産国の生産者を支援するという概念の普及にも一役買う。移動販売の傍ら、災害の被災地に“ホッと”ひと息つける時間を届ける活動も続ける中、この3月の「あの日」に拠点となる固定店舗を開設する。提供するのは、これまで大切にしてきた要素を色濃くした「最高にすてきなコーヒータイム」。プレオープン中に体験してきた。
 
おいしいコーヒーを味わえるカフェが通りに明かりをともす

おいしいコーヒーを味わえるカフェが通りに明かりをともす

 
 2月某日夕方、空き店舗が目立つ同市大平町の釜石大観音仲見世通りの一角に明かりがともる。数年前までは喫茶店、古くは食堂として利用された空き店舗を改装。当時の雰囲気を生かした内装、照度を落とした店内はもの懐かしさがあふれる。
 
 そこで提供されるメニューは、コーヒーのフルコース。岩鼻さんが厳選した数種類のコーヒーのテイスティング(試飲)から始まる。その日、「ウェルカムコーヒー」として用意された豆は6種。浅煎(い)りしたエチオピア・イルガチェフェと東ティモール・レテフォホ、中煎りで東ティモール・コカマウとペルー・アルトマヨ、そして深煎りのインドネシア・マンデリンとメキシコ・マヤビニック。店主が「お好きな味は?コーヒーの旅をどうぞ」といざなう。
 
コーヒーのフルコースを体験。ウェルカムコーヒーを説明する岩鼻さん

コーヒーのフルコースを体験。ウェルカムコーヒーを説明する岩鼻さん

 
 「浅煎りは酸味が豊かでフルーティー。中煎りは酸味と苦みのバランスがとれている感じ。深煎りはコクと苦みがガツンとくる」。岩鼻さんの“豆”知識を参考にしながら味見。酸味、苦み、コク、香り…微妙な違いに、自分の好みがみえてくる。
 
 そして選んだ一杯が「メインコーヒー」となる。豆を挽き、お湯を注いで丁寧に抽出する間が、さらなる情報収集タイム。コーヒーの淹れ方、フェアトレードコーヒーの歴史など岩鼻さんの“熱い”コーヒー談義を楽しめる。
 
お好みの一杯を目の前で丁寧に抽出。豆知識を添えて

お好みの一杯を目の前で丁寧に抽出。豆知識を添えて

 
メインコーヒーは能登の知人が作ったカップで「どうぞ」

メインコーヒーは能登の知人が作ったカップで「どうぞ」

 
 お気に入りを味わい、2杯目へ。「もっと深く知りたい」という人は試飲で気になった別のコーヒーに挑戦でき、「多様な味に触れたい」のならキッチンカー営業で好評というメニューの「アフォガード」(アイスクリームに熱いエスプレッソなどをかけたデザート)を選べる。希望があれば「アラカルト」として追加でもう一杯(別料金)いただける。
 
 コースの締めとして手渡されるのが、持ち帰り用のコーヒー。「その人にピッタリ」の「また飲みたい」味を自宅でも楽しんでもらおうという趣向だ。豆のままか、粉にするか選択可能。豆に適した抽出方法や器具のアドバイスも受けられる。
 
2杯目はアフォガードを味わい、自宅用のコーヒーもゲット

2杯目はアフォガードを味わい、自宅用のコーヒーもゲット

 
和洋が混在した店内で味わい深いカフェタイムはいかが…

和洋が混在した店内で味わい深いカフェタイムはいかが…

 
 90分という時間をかけて複数の味に触れ、感覚や知性を刺激され、新しい発見もある、何ともぜいたくなフルコースは完全予約制。料金は税込み5000円。自家焙煎(ばいせん)した豆を十数種用意しており、ブレンドも可能。岩鼻さんは「いろんなコーヒーの中から好みのものを楽しんでもらえたら」とワクワクした様子で来店を待つ。
 

夢の実現場所「ハピスコーヒーラボラトリー」

 
「ハピスコーヒーラボラトリーですてきな時間を」と岩鼻さん

「ハピスコーヒーラボラトリーですてきな時間を」と岩鼻さん

 
 店名は「ハピスコーヒーラボラトリー」。ハピスは「Happy」と「Piece」を組み合わせた「幸せのひとかけら」という意味の造語で、「研究所」や「実験室」という意味合いの言葉を加えた。フレンチのようにコーヒーをコースで提供するのは週に2、3日と想定。コーヒー講座(90分)も定期的に開催する。入門、初級、中級などのコースを設定し、料金は税込み5000円。より多角的な視点を求める探究者向けのメニュー(コーヒー・コンサルティング、90分で税込み3万円)もある。
 
コーヒーにまつわる器具を眺めるのも味わい。フェアトレードの品も並んでいる

コーヒーにまつわる器具を眺めるのも味わい。フェアトレードの品も並んでいる

 
 固定店舗の開設はおいしいコーヒーの提供、フェアトレードの普及に加え、能登半島地震(2024年発生)の被災地支援を継続させるためでもある。岩鼻さんは発災後からほぼ毎月、キッチンカーを約15時間走らせて現地に通い、コーヒーを振る舞っている。石川県七尾市を中心に活動し、これまでに21回訪問。現在1杯700円のコーヒーを計約2万杯(約1400万円)無償提供してきた。
 
温かさ上乗せ!釜石の思い、能登へ 1杯のコーヒーに添えるメッセージ キッチンカーでお届け
 
 この取り組みは、震災の津波で実家が全壊した岩鼻さんが「恩返し」のつもりで始めた。能登には「あの時」と同じ、ほっと息をつける時を待つ人がいたから。「息の長い応援を」と支援者からカンパを募りながら被災地に向ってきたが、体力的にも経済的にも毎月通うのは厳しくなった。
 
 「自分がいかなくなることで忘れられているように感じる人もいるのではないか」と岩鼻さん。「分かっているよ、忘れていないよ」と伝え、交流を続ける方法として考え出したのが、釜石と能登の被災地をオンラインでつなぐ拠点の開設。それが釜石の“ラボ”だ。合わせて能登の拠点として、七尾市中島町の小牧集会所に拠点を準備した。
 
釜石と能登をオンラインでつないで交流を継続する

釜石と能登をオンラインでつないで交流を継続する

 
 地元でのキッチンカー営業は続け、移動販売をしない日にラボで「至福のひととき」を提供する。そしてたまに店内に設置したパソコンとモニターで能登の拠点とつなぎ、現地の人と画面越しに交流。現地では週に2回サロン活動が行われているようで、来た人と話をする形を思い描いている。
 
 能登行きは回数が減るかもしれないが、現地に行けない時もつながれるよう考えた仕組みが、まもなくスタートする。「つながりは失ってはいけないもの。より密に人や地域の縁を結んでいけるのでは」と岩鼻さん。固定店舗という居場所ができることで、震災を経験した人、能登の被災地を思う人、コーヒー好きな人たちが言葉を交わすコミュニケーションの場になることを願う。
 

グランドオープンの「3・11」は“あの日のコーヒー”で

 
釜石大観音仲見世通りの「ハピスコーヒーラボラトリー」=3月

釜石大観音仲見世通りの「ハピスコーヒーラボラトリー」=3月

 
 固定店舗の本オープンは3月11日。地震発生時刻の午後2時46分、黙とうの後に店を開放し、「あの日のコーヒー」を振る舞う。
 
 あの日のコーヒーは、岩鼻さんが15年前に古里に届けたかった一杯。「避難所で凍え、不安でいっぱいだった人に淹れてあげたかった」。当時、東京都内で経営コンサルタントをしていたため、かなわなかった。仕事の傍ら、イベントでコーヒーの提供もしていて、フェアトレードに出合ったのもその頃。できなかった悔しさを出発点に「古里の復興に貢献しよう」とUターン。キッチンカーで巡り、人が集える場をつくってきた。
 
「あの日のコーヒー」を振る舞う本オープンは間もなく

「あの日のコーヒー」を振る舞う本オープンは間もなく

 
 「原点」と話す一杯を、岩鼻さんは震災から15年となる「あの日」に手渡す。「この日をどう過ごそうかと迷っている人もいる。日が沈んだ後も店を開けているので、気軽に立ち寄って、あの日に思いをはせながら、あたたかいコーヒーを味わってもらえたら」。そう望みながら、迎える準備をする。

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地域へ提言 釜石市国際外語大学校の1期生 卒業研究を発表 留学生は日本語でスピーチ

釜石市国際外語大学校の卒業研究発表会で学びの成果を披露する学生たち

釜石市国際外語大学校の卒業研究発表会で学びの成果を披露する学生たち

 
 3月に卒業を控えた釜石市国際外語大学校(同市鈴子町、及川源太学長)の1期生は2月26日、同市大町の市民ホールTETTOで学びの成果を見せる研究発表会に臨んだ。外語観光学科の日本人学生は地域課題の解決に向けた研究、実践の過程を紹介。日本語学科の留学生は日々の暮らしで感じたこと、気づいたことなどを日本語で伝えた。
 
 2024年4月に開校。英語や観光マネジメントなどを学び地域で活躍する人材を育てる外語観光学科(2年制)と、留学生を対象にした日本語学科(1年半と2年制)があり、1期生計18人が今年卒業を迎える。
 
「魚のまち釜石」をPRする取り組みを発表する学生

「魚のまち釜石」をPRする取り組みを発表する学生

 
 外語観光学科の岩間ひなさん(21)は、同市のキャッチコピー「鉄と魚とラグビーのまち」の中で、まちの印象として「イメージが強くない」と感じた「魚のまち」をテーマに認知度を高め、魅力を発信するプロジェクトに取り組んだ。地元の若手漁師へのインタビュー記事や、コンブ養殖の加工作業の様子をまとめた動画を「インスタグラム」などのSNS(交流サイト)上でアピール。漁師自らがイベント出店する際に使うメニュー紹介の「POP(ポップ)」、のぼりの作成も手がけた。
 
 POP作りでは伝えたいことをシンプルに、瞬間的に捉えてもらえるよう言語化するのに苦労したが、「水産業を盛り上げる一つの形を残すことができた。新しいことへの挑戦で、大きな学びになった」と充実感をにじませた。一方で、水産業界では従事者の高齢化などでSNS運用に不慣れだったり、なり手不足で人員の確保が難しいことを改めて認識。情報発信は「ハードルが高い」と実感を込めた。
 
聴講した人からの質問に答えたりして成果を示した

聴講した人からの質問に答えたりして成果を示した

 
 そのうえで、若者の新規就業につながるきっかけとして、▽学生と企業の連携による商品開発ワークショップ▽漁業インターン―などの実施を提言。期待される効果として「漁業への理解が広がり、人手不足を補える。外部から人を集めることで、消費促進にもなる」と指摘した。
 
 そのほか、「多文化共生」と「防災・減災」を絡めたアンケート調査から見えた日本人市民の意識や年代別の認知度の違いをまとめた発表もあった。
 
日本語の習熟度を披露するネパールからの留学生たち

日本語の習熟度を披露するネパールからの留学生たち

 
 日本語学科のネパール人留学生は4グループに分かれて、母国との文化の違い、日本の暮らし、学生生活、市民との交流について、1年半学んできた日本語を駆使してスピーチ。ブダトキ ルパさん(20)はバスや列車など交通システムが時間通りに運行されていることや、利用の仕方を運転手らが親切に教えてくれたエピソードを披露し、「ルールがあるから安心で、きれいで、住みやすいまちになっている」と、はきはきとした口調で語った。
 
 カトワル スザンさん(19)は「はじめは言葉が分からず本当に困った。戸惑うこともあったが、違いを知ることは大切。交流すると、新しい発見があり、成長につながる。おじぎ、礼儀、静かに電車に乗る、ごみを分けること、多くを知った。責任感、思いやりの気持ちも学んだ。大切にしていきたい」と話し、笑顔を見せた。
 
日本人の友達ができた。同年代ではないけど」と笑いを誘ったり

「日本人の友達ができた。同年代ではないけど」と笑いを誘ったり

 
忘れ物が手元に戻ったエピソードやアルバイト先での経験をスピーチ

忘れ物が手元に戻ったエピソードやアルバイト先での経験をスピーチ

 
 学校の授業について「とても分かりやすく楽しい。読む、書く、聞く、話す…はじめはできなかったけど、日本語で気持ちを伝えられるようなった」と喜びを素直に言葉にした。「釜石よいさ」など地域のイベントに参加した楽しさ、日本人の悪いところ(働きすぎなど)を指摘するスピーチも。アルバイト先でミスした時に先輩が手助けしてくれたと感謝する学生は、「いつか誰かを助けられる人になりたい」と目標を明かした。
 
「ありがとう」。日本語、英語、母国語で感謝の気持ちを伝えた

「ありがとう」。日本語、英語、母国語で感謝の気持ちを伝えた

 
学生たちが撮った街の風景や日常を切り取った写真の展示

学生たちが撮った街の風景や日常を切り取った写真の展示

 
 卒業研究の協力者や助言者、学生のアルバイト先の関係者、地域住民らが発表に耳を傾けた。会を閉じた後は、学生のもとに駆け寄り交流タイム。学生たちがスマートフォンで撮った「釜石の日常」を紹介する写真展示もあり、鑑賞しながら会話を弾ませていた。

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震災復興と歩み10年― 釜石の「劇団もしょこむ」 軌跡刻む集大成公演 観客210人が楽しむ

コメディー劇で楽しませた「劇団もしょこむ」の10周年集大成公演=21日、TETTO

コメディー劇で楽しませた「劇団もしょこむ」の10周年集大成公演=21日、TETTO

 
 釜石市の劇団もしょこむ(小笠原景子代表)は21、22の両日、団結成10周年を記念した集大成公演を市民ホールTETTOで開いた。震災復興のさなかの2015年、「被災地でも芝居がしたい」「演劇をもっと身近に感じられる環境を」と、愛好者らが立ち上げた同劇団。これまでオリジナルの8作品を市内外で公演し、未来につながる新たな文化を芽吹かせてきた。過去作品の軌跡を散りばめた本作のタイトルは、「もし夜が来なくても、夢を見る。」 大槌町在住のライターたておきちはるさんが書き下ろした。コメディー劇ながら、要所に人が生きる上で大切にしたい思いを盛り込み、観客を物語の世界に引き込んだ。
 
 物語の舞台は“いわくつき”のシェアハウス「神木須館(ジンギスカン)」。住民は何げない日常を送るが、実はそれぞれに事情を抱えてこの場所に集まっていた。そんなある日、一人のオカルトライターが現れ、ハウスの隠された秘密が暴かれていく。実はこの場所は100年先を生きるための「コールドスリープ」研究施設。さまざまな悩みから人生を生き直したいと願う人たちが被験を待っていた。しかし、何も知らない役者くずれのダメ男“コースケ”が舞い戻ってきたことで、被験は一時中止に。ライターの暴露で真実を知ったコースケは思わぬきっかけで、コールドスリープ装置の起動に巻き込まれる。果たしてコースケの運命は…?
 
シェアハウスを訪ねてきたオカルトライターを名乗る女“八木”(右)の正体は?

シェアハウスを訪ねてきたオカルトライターを名乗る女“八木”(右)の正体は?

 
役者くずれのダメ男“コースケ”(中央)は髪を切って改心。ハウスに併設するカフェバーで働き始める

役者くずれのダメ男“コースケ”(中央)は髪を切って改心。ハウスに併設するカフェバーで働き始める

 
八木の言葉に心を乱される大学生“沙也加”(右)。沙也加もまたコールドスリープを待つ被験者だった

八木の言葉に心を乱される大学生“沙也加”(右)。沙也加もまたコールドスリープを待つ被験者だった

 
 登場人物8人を演じたのは釜石在住、ゆかりの社会人と高校生。個性際立つキャラクターを見事に演じ切った。劇中のセリフや演出はクスッと笑える場面が多いが、同時にコースケの成長、大切な仲間と自分らしさを取り戻していく住民の姿は、生きづらさに悩む人へのメッセージ性も秘める。
 
ある絵本がきっかけでコールドスリープ装置が起動。羊の椅子に座るコースケは100年の眠りに入ってしまうのか!?

ある絵本がきっかけでコールドスリープ装置が起動。羊の椅子に座るコースケは100年の眠りに入ってしまうのか!?

 
あの手この手を使い、コースケを眠りから覚まそうとするハウスの住人

あの手この手を使い、コースケを眠りから覚まそうとするハウスの住人

 
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仲間たちの祈りが通じ装置が停止。普段と変わらない目覚めを迎えたコースケに住人が駆け寄る

 
 同劇団公演の魅力は舞台と客席の近さ。高さのあるステージ上ではなく、最前列の客席と同じ高さに舞台セットを組むことで、会場の一体感を高めている。今回は特にも細部にまでこだわったセットが目を引き、公演後、舞台に招き入れられた観客は、さまざまな仕掛けに驚きながら見入った。2日間で3公演があり、子どもから大人まで計210人が楽しんだ。観客は市内のほか沿岸各地、内陸部からも訪れ、初めて同劇団公演を見るという人も多かった。
 
最前列の客席と同じ高さに組まれた舞台セット。シェアハウス内で物語が進む

最前列の客席と同じ高さに組まれた舞台セット。シェアハウス内で物語が進む

 
21日夜の公演には約70人が来場。終演後はセットに入り劇の世界観を満喫した

21日夜の公演には約70人が来場。終演後はセットに入り劇の世界観を満喫した

 
 釜石市の村上舞子さん(30)は「知り合いが2人出ている。身近な人たちの演技力にびっくり」と目を丸くした。大槌町の浪板拓朗さん(31)は「明るく始まったが、途中からシリアスな場面もあって面白かった」と初観劇。若い力で地域を盛り上げている活動に感心し、「これからも応援したい」と口をそろえた。
 
 宮古市で演劇活動を行う吉田真理さん(65)は「少ない人数であれだけの完成度はすごい。まだまだこれからの人たちで今後が楽しみ」と期待。沿岸部は震災以降、人口減少が顕著だが、「自ら立ち上がり、まちを元気にしようという気持ちでも、互いにつながっていければ」と願った。
 
このポーズは!?  3作目に登場したご当地ヒーロー“釜んライダー”。当時演じたメンバーが再びの決めポーズ

このポーズは!? 3作目に登場したご当地ヒーロー“釜んライダー”。当時演じたメンバーが再びの決めポーズ

 
シェアハウスに平穏な日常が戻る。コースケはハウスの管理人に…

シェアハウスに平穏な日常が戻る。コースケはハウスの管理人に…

 
 今回の出演者の中で劇団創設時からのメンバーは3人。その一人、建築士の宮崎達也さん(54)は当初、裏方だったが、後に役者に転身。最初の頃、「舞台袖で出番を待っていた時の緊張感は決して忘れられない」と懐かしむ。同劇団には震災復興支援を機に釜石に移住した人たちも多く関わってきた。自身は仕事の関係で三重と釜石の2拠点生活を送りながら、演劇活動も継続。「“外”の人が入ることで化学反応が生まれたり、面白さが増したりする」と、メンバーの入れ替わりも自然の流れとして楽しむ。10年活動する中で、「要求されるレベルが上がってきて大変ではあるが、観客に喜んでいただけていることを聞くと、やってきて良かった」と素直に思う。
 
コーヒー好きのサラリーマン“犬山”を演じた宮崎達也さん(中央)。犬山という役は過去作品にも登場

コーヒー好きのサラリーマン“犬山”を演じた宮崎達也さん(中央)。犬山という役は過去作品にも登場

 
 「立ち上げ当初はがむしゃらで、先のことは全く考えていなかった。10年たち、メンバーも増え、活動が続いているのは夢のよう」と話すのは菅野結花さん(35)。小笠原代表と意気投合、仲間を集め、同劇団創設にこぎ着けたメンバーだ。現在は東京を拠点にプロの俳優として活動するが、古巣にも深い愛着をにじませる。今回もZoom(ズーム)などを活用し、東京から稽古に参加。「本業で忙しい中でも、みんな本気で面白いものを作ろうとする。そういう仲間がいることはこの上ない幸せ」と実感する。陸前高田市出身。元々、演劇に触れる機会が少なかった沿岸部に確かな足跡を残せていることに喜びを感じ、「将来、岩手沿岸が『文化のまち』と言われるようになっていけば」と希望を抱く。
 
左上写真:劇団立ち上げメンバーの小笠原景子さん(左)と菅野結花さん。10周年を迎え喜びもひとしお。次の10年に新たな夢を描く

左上写真:劇団立ち上げメンバーの小笠原景子さん(左)と菅野結花さん。10周年を迎え喜びもひとしお。次の10年に新たな夢を描く

 
 震災被災者の心情をリアルに描いた、仮設団地での旗上げ公演から10年―。この間、復興の進展、コロナ禍による活動休止などを経験し、「劇団に求められるものも変わってきた」と小笠原代表(41)。観客にさらに喜んでもらうためには「個々のレベルアップが必要」と考えていて、舞台公演という演劇のベースは守りつつ、新たな挑戦を模索する。「ラジオドラマや朗読など人前での表現の場を増やしたい。現団員はもちろん、これから演劇をやってみたいという子どもたちの受け皿としても小さな取り組みを重ね、次の10年につなげられたら」と意気込む。