海図第1号の複製パネルを手にする松吉慎一郎部長(右)と山陰宗真君
船が安全に航行できるよう、海岸の地形や水深、灯台などの目標物を分かりやすく示した海の地図「海図」。150年前に近代的技術を用いた日本単独の海図づくりが始まり、最初の作成地となったのは釜石市だった―。12日、「陸中國釜石港之圖(りくちゅうのくにかまいしこうのず)」と題された海図第1号の複製パネルが市に贈られた。海上保安庁の海図150周年記念事業の一環。市では教育委員会を通じ市内全14小中学校に届け、海との関わりや歴史を学ぶ機会に活用してもらう。
国内では1871(明治4)年、兵部省海軍部に水路局(現同庁海洋情報部)が設置され、日本人の手だけで海洋調査から海図作成までを一貫して行う「水路業務」がスタート。今年は150年の節目に当たる。72(同5)年、水路局によって初めて刊行されたのが、釜石港の海図だった。当時の釜石は、東京―函館間航路の中間補給地点として重要な港であったことに加え、官営製鉄所が建設される直前だったこともあり、船舶の安全性や利便性を確保するために作成された。
贈呈式は釜石市役所で行われ、第2管区海上保安本部(宮城県塩釜市)や市の関係者、代表校の児童らが出席。釜石海上保安部の松吉慎一郎部長が双葉小児童会長の山陰宗真君(6年)にパネルを手渡した。
贈られたのは原物(縦25・3センチ、横31・7センチ)を約2倍に拡大したもの。「第1号になった土地の海を誇りに、興味を持っていきたい」と山陰君。釣りが好きで釜石港も釣り場の一つと言い、「海の深さとかが細かく書かれていて、必要で大切なものだと思う」とうなずいた。
海保本部の関係者が海図に書かれた文字などを解説した
松吉部長は「日本が近代化を図っていく時に選ばれ、当時から重要な要衝であった証し。海図を通じ、広く深く海に関心を持ってもらえたら。地域の誇りとして受け継いでほしい」と期待。同席した野田武則市長は「脈々と続く歴史の重み、誇りを大切に、海とともに生活していく中で新しい発展を目指していく」と港湾の重要性を再認識した。
記念事業の一環として、29日まで盛岡市の県立図書館でパネル展を実施している。10月には釜石市鈴子町のシープラザ釜石でも同様の展示を開催する予定。複製パネルは市内の高校2校にも贈られた。