定住自立圏形成の協定締結を終え、握手を交わす釜石市と大槌町の関係者ら

釜石市と大槌町「定住自立圏」の形成協定〜医療充実、産業振興など連携 5月までに「共生ビジョン」策定

定住自立圏形成の協定締結を終え、握手を交わす釜石市と大槌町の関係者ら

定住自立圏形成の協定締結を終え、握手を交わす釜石市と大槌町の関係者ら

 

 釜石市と大槌町による定住自立圏形成協定の締結式が20日、釜石市役所で行われ、野田武則市長と平野公三町長が協定書に署名した。人口減少や地域活性化が共通の課題で、医療体制の充実や産業振興の強化、地域公共交通の整備、人材育成といった事業を連携、協力し進めることで圏域の生活機能の確保、魅力ある地域を形成するのが狙い。締結を受けて4月に両市町の住民代表らを交えた共生ビジョン懇談会を開く予定。連携する具体的な取り組みを盛り込んだ「共生ビジョン」を5月までに取りまとめる。

 

 定住自立圏は、地方への人の流れの創出を目指した制度。中心的機能を担う「中心市」と、経済や文化、生活で密接な関係のある「周辺市町村」で構成し、事業に対して国から優先的に財政支援が受けられる。釜石市は2月26日に「中心市」を宣言し、各市町議会の議決を得て協定を締結した。

 

 今回の両市町による定住自立圏の形成で、連携する政策分野は▽生活機能の強化(医療、福祉、教育、産業振興、防災など)▽結びつきやネットワークの強化(地域公共交通、移住の促進など)▽圏域マネジメント能力の強化(人材育成)―の3点。福祉では総合的な子育て支援など、産業振興では中小企業の育成や観光資源のPRなど、移住の促進では婚活イベントの共同開催など、人材育成では職員の合同研修といった事業を挙げている。

 

 この日の締結式で野田市長は「あるものを分かち合い、ないものは補い合うのが圏域形成の意義。連携が円滑に進み、効率的な行政運営のもと質の高い公共サービスの提供ができる」と強調。平野町長は「町単独で全ての課題を解決するのは困難で、連携し圏域としての魅力を高める必要があると強く認識。地域住民が『連携して良かった』と思える取り組みをすべきで、釜石との連携を磨き上げたい」と述べた。

 

 共生ビジョン懇談会の第1回は4月16日に市役所で開く予定。圏域全体で目指す将来像とその実現のために必要な具体の取り組みを検討し、5月にビジョンを取りまとめることにしている。

 

(復興釜石新聞 2018年3月21日発行 第674号より)

 

復興釜石新聞

復興釜石新聞(合同会社 釜石新聞社)

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釜石で試合をするチームの中で初めてスタジアムを視察したフィジー代表のジョン・マッキーHC(右)

フィジー代表マッキーHC、鵜住居復興スタジアムを初視察〜釜石での試合は光栄、地元の人々との交流も大切に

釜石で試合をするチームの中で初めてスタジアムを視察したフィジー代表のジョン・マッキーHC(右)

釜石で試合をするチームの中で初めてスタジアムを視察したフィジー代表のジョン・マッキーHC(右)

 

 2019年ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会で、釜石市で予選に臨むフィジー代表のジョン・マッキーヘッドコーチ(HC、61)らチーム関係者が20日、試合が行われる釜石鵜住居復興スタジアム(仮称)を視察した。釜石で行われる2試合の出場チーム関係者が試合会場を訪れたのは初めて。

 

 マッキーHCとチームマネジャーが訪問。県と釜石市の担当者の案内で根浜海岸周辺を回ったあと、建設中のスタジアムに足を運び、整備状況や周辺の環境などを確認した。

 

 マッキーHCは「釜石は『ラグビーのまち』と聞いた。そんな所で試合をすることは光栄だ」と感想を語った。ラグビー日本一7連覇の偉業を達成したチーム(新日鉄釜石)が釜石にあったことは初めて知ったそうで、「それはすごいことだ」と驚きの表情も見せた。「新しく建設されるスタジアムで最初に試合をすることになる。非常に楽しみにしている。地元の人々との交流も大切にしていきたい」と思いを膨らませた。

 

 翌21日は市内のホテルや市球技場など練習施設も視察した。

 

 復興スタジアムの建設工事は約8割まで進んでおり、今年7月に完成の予定。マッキーHCは「試合が近づいたらまた来て、詳しくスタジアムのことを知りたい」としている。

 

 フィジー代表は1987年の第1回ラグビーW杯でベスト8に入り、これまで8大会に連続出場。ニュージーランド出身のマッキーHCは2015年大会の前にフィジー代表HCに就任したが、予選敗退に終わった。

 

 フィジー代表は来年9月25日午後2時15分からウルグアイ代表と対戦する。ウルグアイ代表の関係者も近く視察に訪れる予定だ。

 

(復興釜石新聞 2018年3月21日発行 第674号より)

 

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公開された釜石海保の新巡視船「きたかみ」

最新装備 高まる期待、海の安全 復興支える新巡視船〜2代目「きたかみ」就役披露

公開された釜石海保の新巡視船「きたかみ」

公開された釜石海保の新巡視船「きたかみ」

 

 釜石海上保安部(吉本直哉部長)に配備された新巡視船「きたかみ」(西村美德船長、乗り組み定員30人)の就役披露式・祝賀会は17日、釜石市港町の陸中海岸グランドホテルで開かれた。海上保安官ら関係者約120人が出席。海の安全確保と復興を支える高機能の巡視船に期待を高めた。

 
 吉本部長は「海の安全を守るため、高い機能を十分生かしたい」と式辞。第2管区海上保安本部の岩崎茂本部長は「新しい巡視船が地元のみなさんから愛され、信頼されるよう、乗組員は船と一体となって職務にまい進してほしい」とあいさつした。

 

 来賓の平野達男参議院議員、佐々木顕一県議会議長、野田武則釜石市長、佐々木義昭同市議会議長が祝辞。乗組員25人が壇上に並び、海上保安協会釜石支部から西村船長(55)と徳永洋太郎業務管理官(51)に花束を贈呈。西村船長は「最新鋭の性能を最大限に発揮し、海の安全、海難救助、海上治安の維持にまい進する」と決意を述べた。

 

海の安全を守る決意を新たにした西村船長(中央)ら乗組員

海の安全を守る決意を新たにした西村船長(中央)ら乗組員

 

 2代目の「きたかみ」は650トン、長さ72メートル、幅10メートルで、先代と比べ総トン数は約2倍、長さが5メートル、幅は2メートル大きくなった。ウオータージェット推進で最高速力25ノット以上の高速性能を持つ。2タイプの海難救助船3隻を搭載し、ボートタイプの2隻は強力なエンジンを備え、浅瀬でも活動できる。上部構造の両側には電光掲示板があり、日本語と複数の外国語でメッセージを表示する。前部両舷には船体に固定・内蔵の防舷機能を持たせ、船首部に20㍉機関砲、放水銃を装備する。

 

 船内の居住性には余裕をもたせ、船橋は十分な視界を確保している。最新の操船機器が整然と並び、乗組員の移動も容易だ。クッション性を持つ固定椅子を置き、荒海での職務が長時間に及ぶこともある乗組員の負担軽減に配慮した。

 

 新「きたかみ」は同型巡視船の6番船として横浜で造られた。今年2月に西村船長ら乗組員が出向いて受領。操船、各機能の完熟訓練を繰り返しながら、母港釜石にはこの8日に入港した。

 

 徳永業務管理官は「直進性、回転性など操縦性が高い。(航そうは)、波をかき分けるというより、滑走する感覚」と新船の性能に信頼を寄せる。西村船長は「震災を乗り越え、職務を果たした先代は地元の人たちに親しまれた。その魂を受け継ぎ、職務を通じて被災地の復興に貢献したい」と表情を引き締めた。

 

 新巡視船は18日、三陸沖で消息を絶った宮城県のマグロはえ縄漁船の捜索に出動した。

 

(復興釜石新聞 2018年3月21日発行 第674号より)

 

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仲町内会の津波犠牲者を思い、鎮魂の祈りをささげる町内会員ら

鵜住居町仲町内会、住民離散もつながりは絶えず〜結んだ絆 継続誓う、震災7年 犠牲者悼む

仲町内会の津波犠牲者を思い、鎮魂の祈りをささげる町内会員ら

仲町内会の津波犠牲者を思い、鎮魂の祈りをささげる町内会員ら

 

 東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた釜石市鵜住居町の仲町内会(岩鼻新一郎会長)は18日、震災から7年となるのを機に、町内の犠牲者を悼む法要を常楽寺(藤原育夫住職)で開いた。町中心部に位置し、防災センターへの避難などで多くの住民が犠牲になった同町内会。家族や親族、住居を失い、離れ離れに暮らす会員らは、地元の同朋を共に供養。法要後の親睦会で、長年育んだ絆を今後も結び続けることを誓い合った。

 

 法要には市内外から約50人が参列した。海に向かって黙とうをささげた後、藤原住職らが読経。途中、犠牲者一人ひとりの名前が読み上げられると、故人への思いを募らせ、すすり泣く声が漏れた。参列者は焼香して手を合わせ、犠牲者の冥福を祈った。

 

 滝沢市に住む女性(59)は24年間一緒に暮らした夫の両親が犠牲に。「転勤で震災の4年前に鵜住居を離れた。心残りだったが『まだ若いから大丈夫』と言われて…。今となっては複雑な気持ち」と癒えぬ悲しみを吐露。自身も幼いころから同町に暮らした。「祭りに出たり、協力し合っていた町内会が懐かしい」と高台からまちを見渡した。栗林町の仮設住宅に住み、長女と妹夫婦が犠牲になった女性(78)は「娘と妹がいまだ行方不明。ゆうべは妹夫婦が夢に出てきてね…。法要では名前も呼んでもらい、ありがたかった」と感謝した。

 

仲町内会の今後についても話し合った親睦会

仲町内会の今後についても話し合った親睦会

 

 同町内会はJR鵜住居駅周辺の古くからの商業エリアにあり、震災前は約120世帯が暮らした。確認できているだけで津波の犠牲者は102人。2、3世代家族や親族が同じ地域に住む人も多かったことから、複数の近親者を亡くした遺族が目立つ。

 

 ほとんどの家屋が流失し、町内会員は各地に散らばった。当時の会長や役員は津波で亡くなり、町内会は休止状態にあったが、会計監査だった福士義一さん(85)の提案で、賛同会員の協力を得て法要の準備を進めてきた。所在が分からない会員の連絡先を突き止める作業は大変な苦労を伴った。

 

 自らも妻と孫娘を亡くした岩鼻会長(82)は遺族の7年の重みを共有し、「町内会としてようやく供養ができた。胸につかえていたものが少し和らいだ」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。

 

 土地区画整理で宅地造成された同町は今後、新たな区割りが導入される。駅周辺には追悼施設や体育館が整備されるため、震災前の仲町エリアは大きく姿を変える。岩鼻会長らは「町内会機能を失っても、住民のつながりは絶えない。親睦会など何らかの形で交流を続け、互いの生活を支え合っていきたい。孤独死など決してないように」と願った。

 

(復興釜石新聞 2018年3月21日発行 第674号より)

 

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「チームを一つに」と決意示す〜釜石シーウェイブス、桜庭GM 監督兼任

13季ぶりに現場に復帰、監督としてチームの飛躍に挑むことになった桜庭吉彦氏

13季ぶりに現場に復帰、監督としてチームの飛躍に挑むことになった桜庭吉彦氏

 

 ラグビー・トップチャレンジ(TC)リーグの釜石シーウェイブス(SW)RFCは14日、4月からの2018年度はゼネラルマネジャー(GM)の桜庭吉彦氏(51)が監督を兼任すると発表した。昨季からスタートしたTCリーグでは7位と低迷。下部リーグとの入れ替え戦に回り、かろうじて残留を決めるなど不本意な成績に終わった。昨季1年限りで退任した小村淳ヘッドコーチ(HC)の後任は置かない。来年に迫ったラグビーワールドカップ(W杯)日本大会までにトップリーグに昇格するという目標を見据えて桜庭氏が全権を掌握、チームの飛躍に挑む。

 

 ラグビー日本一7連覇を誇る新日鉄釜石から2001年にクラブチームに移行した後、選手、スタッフとしてチームの大黒柱を担い続けてきた桜庭氏。2002年度から4季、釜石SWのHCを務め、03年度には、チームを19年ぶりの日本選手権出場に導いた。16年度にGMに就任。今回の監督就任は13季ぶりの現場復帰となる。

 

 HCを置かず、監督として復帰する理由について桜庭氏は「採用からチーム編成までを効率的に運営していく。戦略、戦術、選手起用も行い、より責任を明確化する」と説明。「兼任は容易ではないが」とした上で、「一人一人の力を引き出し、チームを一つにまとめる」と意欲を見せた。

 

 目標に掲げる「W杯までにトップリーグ昇格」へ残されるのは、あと1季。「チャンスは1回しかない。来季は通常のシーズンと比べても大事なシーズン。これをチャンスと捉え、挑戦したい。いい成果を出したい」と並々ならぬ決意を示した。

 

 所属選手の半数近い20人が昨季限りで退団したが、18年度に向けてこれまでに大学、高校の新卒7人を含む選手19人の補強を内定。桜庭氏は「間違いなく戦力は上がる」と期待する。

 

 コーチ陣の主軸となるコーチングディレクターには、昨季まで栗田工業のHCを務めTCリーグ昇格に導いたスコット・ピアース氏(53)がアナリスト兼任で加わり、桜庭監督をサポートする。

 

 このほか、ストレングス・コンディショニングコーチには宮古高出身の山口大輔氏(23)が起用される。
 新加入選手の発表、ピアース氏らの入団会見は今月31日に行う予定。

 

(復興釜石新聞 2018年3月17日発行 第673号より)

 

復興釜石新聞

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6年半ぶりに釜石を訪れ、小佐野小児童らと交流したスコット・ファーディーさん(中央)

ファーディーさん“里帰り” 6年半ぶりに釜石へ〜ラグビーW杯を復興の弾みに、「いつも応援している」とメッセージ

6年半ぶりに釜石を訪れ、小佐野小児童らと交流したスコット・ファーディーさん(中央)

6年半ぶりに釜石を訪れ、小佐野小児童らと交流したスコット・ファーディーさん(中央)

 

 釜石シーウェイブス(SW)RFCに2011年秋まで所属し、東日本大震災時には被災者支援に奮闘、2015年ラグビーワールドカップ(W杯)で豪州代表として準優勝に貢献したスコット・ファーディーさん(33)が12日、6年半ぶりに釜石へ“里帰り”。小佐野小の児童らとタグラグビーを楽しみ、励ました。情報交流センター釜石PITで開かれた市民との交流会にも出席。「釜石はきっと良くなる。いつも応援している」とエールを送った。会場からは「釜石に戻ってきて」と復帰を願う声も上がった。 

 

 ファーディーさんは09年から釜石SWのFWとして活躍。震災直後には母国の大使館から避難を促されたが、釜石に半年間残り、支援物資を被災者まで運ぶなどボランティア活動に汗を流した。今回の釜石訪問は、復興が進む様子を見てもらい、感謝を伝えようと市が企画し実現した。

 

 小佐野小では釜石SWの選手らとともに、6年生約60人とタグラグビーを楽しんだ。トレードマークのあごひげから優しいまなざしをのぞかせ、子どもたちにやわらかくパスを送ると、「ファーディー!ファーディー!」と大きな歓声が上がった。

 

 SWジュニアで活動する6年の及川勝太君は「ファーディーさんはとても大きくて、びっくり。パスワークも速く、遊ばれてしまいました」と、憧れの選手とのプレーを喜んだ。

 

 震災をはさんで2年半余りにわたり釜石で選手生活を送ったファーディーさんは「釜石の人々は優しい、すてきなまち。来年のW杯はきっと素晴らしいものになる」と期待。交流した児童らには「幼いころからラグビーに触れるのは良いこと。男の子も女の子も楽しめるようになれば」とエールを送った。

 

 久しぶりに目にした釜石の街並み。「大変な状況の中でも他人を気遣い、協力する姿が忘れられない」と震災直後を振り返り、「ずいぶん復興したようだが、生活再建は長い道のり。いつも応援している」と思いを寄せた。

 

「釜石で忍耐力を学んだ」市民と交流、思いを語る

 

「おかえりなさい」と大勢の市民の歓待を受けたファーディーさん

「おかえりなさい」と大勢の市民の歓待を受けたファーディーさん

 

 ファーディーさんは12日午後、建設が進む「釜石鵜住居復興スタジアム」(仮称)などを見学。釜石市球技場で釜石高、釜石商工高ラグビー部を指導したあと、「おかえりファーディー!」と題した釜石PITでの市民交流会に臨んだ。

 

 震災から、ちょうど7年。ファーディーさんは市民ら100人を前に、母国から避難を促された当時の心境を「食べ物も物資も足りない状況の中で、残って周りの人たちのためにできることをしようと決断した。チームメートとの絆もあった」と振り返った。

 

 6年半ぶりに訪れた“第二の故郷”。「まだ仮設住宅で暮らしている人も多いが、これから街はどんどん良くなっていくと信じている。来年のW杯はそのきっかけになる」と期待を寄せた。

 

 後ろ髪を引かれる思いで釜石を離れたのは、子どものころから夢だったというW杯出場への熱い思いがあったから。15年のW杯では念願の母国代表に選ばれ、準優勝に貢献する働きを見せた。

 

 「釜石では他人を思いやり、協力すること、何よりも忍耐力を学んだ。釜石での経験が母国代表のテストマッチでも生かされた」と感謝の思いも口にした。

 

 会場の市民からは「釜石に戻ってプレーできないか」と“ラブコール”も上がったが、「それはチームにお願いしてほしい」とユーモアを交えて応える場面も。「来年のW杯では釜石まで家族を連れて観戦したい」と話した。

 

(復興釜石新聞 2018年3月17日発行 第673号より)

 

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「釜石市制80年のあゆみ」映像を公開します

「釜石市制80年のあゆみ」映像を公開します

当市が歩んできた歴史や震災復興の状況などを広く周知するため、釜石市制施行80周年記念式典で上映した「釜石市制80年のあゆみ」映像を公開します。

 

釜石市制施行80周年 – YouTube

 

公開方法

インターネットの動画共有サービス「YouTube」を利用し、映像を配信します。

映像についての注意(免責)事項

ご覧になる際は下記の注意(免責)事項をご確認ください。
 
・この映像には、東日本大震災の地震・津波の画像等が含まれていますので、ご視聴にあたって気分が悪くなる等、強いストレスを感じることがありますので、ご留意ください。
・映像の著作権は、当市及びテレビ岩手に帰属します。映像の画面または内容を許可なく他のウェブサイトや著作物等に転載しないでください。また、著作権法で許された範囲内で複製する場合でも、その複製物を目的外に利用したり、内容を改変したりしないでください。
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・インターネット回線の状況やYouTubeのサーバーの負荷、その他視聴者のPC環境により、映像が途切れたり、停止したりするなど正常に視聴できないことがあります。

 

映像配信はこちら
釜石市制施行80周年 – YouTube

この記事に関するお問い合わせ
釜石市 総務企画部 総務課
〒026-8686 岩手県釜石市只越町3丁目9番13号
電話:0193-27-8411 / Fax 0193-22-2686 / メール
元記事:https://www.city.kamaishi.iwate.jp/shisei_joho/shokai/80th/detail/1217190_3440.html
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【インタビュー】復興カメラ 岩手 釜石・大槌~東日本大震災 復興の記録 写真展

《インタビュー》復興カメラ 岩手 釜石・大槌~東日本大震災 復興の記録 写真展

 

2011年3月11日に発生した東日本大震災津波から7年の月日が経ちました。深く大きな傷を負った地域の風景は、再び笑顔が集う街の姿を目指し、日々変わり続けています。

 

未曾有の災害により甚大な被害を受けた故郷の姿を、写真や映像に撮り続けている活動があります。その名は「復興カメラ」。釜石市のNPO団体 @リアスNPOサポートセンターのスタッフが撮影を行っています。

 

その中の一人、事務局長の川原康信さんに、これまでの活動と3月13日から釜石市民ホールのギャラリーで開催されている写真展についてお聞きして来ました

 

被災地の今を記録に残すこと

 

ーー地元での写真展の開催はこれまでありましたでしょうか?

 

川原さん:

お隣の大槌町では数回開催していましたが、実は、「写真展」という形態での開催は、釜石ではほぼ初めてになります。

 

ーー活動のきっかけは…?

 

川原さん:

2011年の7月、神戸へ行くご縁を頂いた際、【人と防災未来センター】を見学させて頂きました。その時、案内してくれた神戸の皆さんが“記録を残すこと”の重要性について話してくれました。「今、この時の写真は今しか撮れない」。当たり前のことですが、過去にさかのぼって撮る事は出来ないわけです。

 

釜石へ戻り、「自分たちに出来る事は何か?」と話し、「記録の為に写真を撮影しよう」という事になりました。

 

始めたばかりの頃は、「どこをどんな風に撮影すれば良いのか?」という基本的な事を悩みながらのスタートで、意見を出し合いながら試行錯誤して来ました。そして何より、自分たちの故郷の瓦礫だらけの風景を撮影する事に心が痛み、苦しい思いをしました。色々な意味で難しい作業でした。

 

活動の広がり~全国各地での「写真展」開催~

 

復興カメラ写真展

Photo by @リアスNPOサポートセンター

 

ーー撮影した写真の活用についてはどのように考えていらっしゃったのでしょうか?

 

川原さん:

そうですね、目的は「記録」でしたから、“撮影した写真を活用して何かをする”という事を初めから考えていたわけではありませんでした。ただ、ホームページやFacebookに写真を掲載し始めたのは、外部へ向けて発信する為で、「ここから支援の輪が広がる事に繋がってくれたら」という想いからでした。そこから次第に“風化”の声が聞こえ始めると、少しでも現状をお伝えすることが出来ればと、時間の経過と共に想いや写真の活用も変化していきました。

 

ーー写真展の開催についてはどうだったのでしょう。

 

川原さん:

一番最初は外部の方にお声掛け頂いて開催したのですが、その時に「写真展」という形を取り“復興カメラ”の活動を観て頂く、知って頂くことが選択肢としてあるのだなと認識しました。

 

これまで全国各地で開催させて頂きましたが、特に、東京、神戸、大阪の皆さんにはたくさんお呼び頂きました。これまでのトータルでも、自分達の主催で実施した写真展の方が回数は少ないですね。

 

ーー各地で写真展を開催していて感じた事、記憶に残っているエピソードなどあれば…。

 

川原さん:

地域によって本当に様々です。例えば、写真の見方一つをとってもそうです。神戸の皆さんは、一枚一枚の写真を特に丁寧に見て下さいました。

 

また、東京では歩いている人の目に入るように外へ向けて写真を展示した所、一度通り過ぎた方が戻って来て、「私、岩手の出身です」と話しかけてくれたこともありました。

 

釜石市民ホールでの写真展の様子

釜石市民ホールでの写真展の様子

 

それから、先ほどお話しした大槌町での開催は、お盆時期にショッピングセンターの一角での展示でした。その時の反応も本当に様々でした。写真展の内容に気づき、目をそらしながら足早に通り過ぎる方、写真を見ながら帰省した孫や子供に説明するおじいさん、おばあさん。写真の前で泣きながら話をしている方を見た時には、「ここで開催して良かったのだろうか…」と自問し、色々と悩んだ事もありました。

 

ーー地域によって様々というお話しでしたが、展示する写真の内容もそれぞれの場所によって違うのでしょうか?

 

川原さん:

そうですね、毎回同じ内容で展示しているわけではありません。「どこで、誰に向けて、どう見てもらうのか」という事を大切にしています。この想いは主催して下さる方々にも丁寧に説明し、同じ想いを共有して頂きながら行っています。時には、残念ながらその想いを理解してもらえずにすれ違ってしまう場合もありますが…。

 

今回は釜石市民ホールから声を掛けて頂き開催が決まりましたが、地元での開催は少し慎重になっていましたので、すぐにはお返事出来ませんでした。ただ、市民ホールの中なら、写真展が目的ではない不特定多数の方々の目に不意に入ってしまうという事もある程度は避けられるだろうと考えました。さらに、目の前が歩道のロケーションですので、外へ向けて展示する写真は、未来へ繋がるような“希望”を感じて頂けるような写真にしました。

 

釜石市民ホールでの写真展の様子

釜石市民ホールでの写真展の様子

 

そして、写真はパネルにして展示しているのですが、実はその土台のパネルにもストーリーがあります。写真に合わせてパネルについての説明も加えていますので、ぜひ会場でご覧ください。“この場所で展示する事の意味”を考え、スタッフが厳選した約50点を展示しましたので、ゆっくりとご覧頂きたいです。

 

“復興カメラ”という表現の形

 

復興カメラ写真展

 

ーーとても細やかな配慮をしながら開催されているのですね。活動の“これから”についてはいかがでしょうか?

 

川原さん:

私たち自身もこの活動をどのようにしていくのかについては、悩んでいる所です。一旦、今年度で区切りを付けようか…という話をしています。撮影自体はこれからも続けていくとは思いますが、これが最後の写真展になるかもしれません。

 

それから、この「復興カメラ」の活動が被災地の記録を残す方法として、“定型”になってくれたら、という想いがあります。この先、50年、100年後に「どこからスタートしたかは定かではない。どうやら東北らしいけど…」と、記録してきた写真と共に受け継がれていれば…、そんな風に思っています。

 

東日本大震災 復興の記録 写真展 復興カメラ~岩手 釜石・大槌 (TETTOプレオープンイベント Vol.12)

開催期間 2018年3月13日(火)~4月1日(日)
時間 9:00~21:00
場所 釜石市民ホールTETTO ギャラリー
入場無料

 

東日本大震災 復興の記録 写真展 復興カメラ~岩手 釜石・大槌 (TETTOプレオープンイベント Vol.12)

 

【復興カメラ】
特定非営利活動法人@リアスNPOサポートセンターのスタッフ数名で活動がスタート。その後、国や県の制度を活用し、多い時は十数人のスタッフで撮影を行う。
これまで撮影した写真の枚数は2017年9月時点で、155,182枚に上る。(撮影場所は主に釜石・大槌。その他三陸沿岸の被災地も)。また写真展は主催・共催合わせてこれまで22回開催(パネルのみの貸し出しは除く)されている。

 

復興カメラFacebookページ
https://www.facebook.com/fukkocamera

復興カメラ公式サイト
https://kickoff-rias.com/fukkocamera/

 

縁とらんす

かまいし情報ポータルサイト〜縁とらんす

縁とらんす事務局による記事です。

問い合わせ:0193-22-3607 〒026-0024 岩手県釜石市大町1-1-10 釜石情報交流センター内

古里「根浜」の再興を願い、色とりどりの風船を空に放つ住民ら=11日、午後2時50分

「あの日を忘れない」と思い込め、青空に希望の風船放つ〜高台移転の根浜地区住民

古里「根浜」の再興を願い、色とりどりの風船を空に放つ住民ら=11日、午後2時50分

古里「根浜」の再興を願い、色とりどりの風船を空に放つ住民ら=11日、午後2時50分

 

 津波で壊滅的な被害を受けた鵜住居町根浜地区では11日、高台造成地に整備された復興団地の住民ら約40人が震災発生時刻に合わせ、眼下に広がる海に黙とうをささげた。

 

 根浜親交会(前川昭七会長)が昨年4月、団地内の公園に建立した「津波記念碑」の前で追悼行事。同地区で犠牲になった15人と共に、津波で尊い命を奪われた全ての犠牲者を思い、午後2時46分に黙とう。白菊と線香を手向け、穏やかな海に鎮魂や安寧の祈りをささげた。「がんばれ」「海がにぎわう根浜へ」など復興を鼓舞するメッセージを記した風船もリリース。青空に未来への希望を託した。

 

 同団地に父と暮らす佐々木理紗子さん(24)は、津波で母、祖父母、伯母を亡くした。7度目の命日に「こっちも頑張っているので、見守って下さい」と伝え、4人の冥福を祈った。母純子さん(当時53)は「ユーモアがあり、気遣いの細やかな人」だったという。「あの日のことは決して忘れることはない」が、歳月の経過で記憶が薄れていく不安も口にし、複雑な胸の内をのぞかせた。

 

 震災前、67世帯約180人が暮らした根浜地区。最大18メートルの津波が襲ったが、「海の見えない生活は不安」という住民の要望で、防潮堤は震災前と同じ5・6メートルの高さを維持。海抜20メートルの高台造成地に自力再建用地と戸建て復興住宅、集会所などが整備され、現在、33世帯約50人が暮らす。

 

 住民らは震災後、各地の仮設住宅で生活していたが、毎月1回のお茶会でつながりを持ち続けた。3月11日の追悼も形を変えながら毎年継続。今年は、記念碑に刻んだ同地区に伝わる津波の教訓をかみしめながら、後世への伝承を誓い合った。

 

 前川会長は「みんなで力を合わせ、住み良いまちにしていきたい。今までの苦しみ、悲しみ以上に、残された人生を有意義に過ごしていければ。楽しく生きることが(犠牲者の)供養にもなると思う」と前を向いた。

 

(復興釜石新聞 2018年3月14日発行 第672号より)

 

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初めて釜石市民ホールで行われた追悼式。震災発生時刻に合わせて黙とうする参列者=11日午後2時46分

震災7年 癒えぬ悲しみ、追悼式に600人参列〜ふるさと再興、犠牲者に誓う

初めて釜石市民ホールで行われた追悼式。震災発生時刻に合わせて黙とうする参列者=11日午後2時46分

初めて釜石市民ホールで行われた追悼式。震災発生時刻に合わせて黙とうする参列者=11日午後2時46分

 

 東日本大震災から7年を迎えた11日、県内は犠牲者の死を悼む鎮魂の祈りに包まれた。震災関連死を含め1063人が犠牲になり、今なお152人が行方不明となっている釜石市では、市主催の犠牲者追悼式が大町の市民ホール「TETTO」で行われた。「さみしくてたまらない」「母との最後が心残り。なぜ逃げろと言わなかったのか」「必ず故郷を再興する」――。黙とうがささげられた午後2時46分、参列した遺族ら約600人は戻らぬ人たちに思いを寄せ、一日も早い復興を願って手を合わせた。

 

 まちづくりの土台となる土地の整備が進む釜石市では、住宅や店舗の再建が加速化し、「まちの姿」が見え始めた。防潮堤や道路、鉄道などの整備と合わせ、復興のゴールも近づく。一方で、今なお約1千世帯が仮設住宅での暮らしを余儀なくされている。

 

 政府主催の追悼式の中継に合わせて国歌を斉唱した後、午後2時46分を告げるサイレンに合わせて黙とう。野田武則市長は「復興の形が見えてきたが、将来の生活に不安を抱える人も多く、一人一人に寄り添い住まいの再建を進める。市民一丸となり、今年こそ復興を完遂すると霊前に誓う」と式辞を述べた。

 

 母ふみ子さん(当時62)、妹の佐野梢さん(同29)、その娘で幼かった2人のめいを亡くした鵜住居町の会社員、沼﨑優(まさる)さん(44)が遺族代表で追悼のことば。亡くなった4人は鵜住居地区防災センターに逃げ込み、大勢の避難者と共に津波にのまれた。

 

 「あの日は金曜日でしたね」。実家が兼業農家で、あの日、沼﨑さんは畑仕事をするため会社を半休しようと考えていたが、ふみ子さんに「一日仕事してこい」といわれたことに腹を立てて口論したまま、家を出た。「最後が口論で終わったこと、今でも悔やまれる」と振り返りつつ、「こんな形(会社を半休にして帰宅するなといさめたこと)だが、私の命を助けてくれた」と感謝する。

 

 そして、毎週金曜日は市内に住む梢さんや弟を鵜住居町の自宅に呼び、同居するふみ子さんと夕食を共にするのが習慣になっていた。「7年前のあの日が金曜日でさえなければ」。梢さんらが津波に巻き込まれることはなかったかもしれない。地震発生直後、防災センターに避難した梢さんと連絡が取れた。「なぜ高台へ逃げろと言わなかったのか」。後悔が残る。

 

 被災地に再建の動きが見られるようになり、沼﨑さんも昨年7月末に家を建て、鵜住居に戻ってきた。気を緩めると涙がこぼれ落ちそうになることも。「助けられた命。前に進み続けなければ」と奮い立たせる。「若者が戻ってきて活躍できるまちづくりを望み、この出来事も伝えていきたい。震災の教訓を忘れず、明るい未来のあるまちづくりが進んでほしい」と願った。

 

犠牲者を悼み、手を合わせる追悼式参列者

犠牲者を悼み、手を合わせる追悼式参列者

 

 釜石市合唱協会の約20人が2曲を献唱。生田流正派箏成会が奏でる琴の音が響く中、参列者が次々と献花台に白菊を手向けた。

 

 天神町の仮設住宅で暮らす三浦アイさん(67)は震災で長女の栄子さん(当時35)と長男の光(こう)さん(同33)を亡くした。「あっという間の7年。忘れたことはないが、この日を迎えるとより深く悲しみ、悔しさが募る。心配で様子を見にきた子どもの方が被災し、申し訳ない気持ちでいっぱい。2人がいたらどんなにいいか」と静かにつぶやく。一時、家にこもりがちになったが、周囲の人の声掛けで外に出るようになると、気持ちも楽になった。「友達っていいよね」と表情を緩めた。

 

(復興釜石新聞 2018年3月14日発行 第672号より)

 

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