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市指定文化財「上栗林のサクラ」開花 昼も夜も見応え十分! 11日ごろまでライトアップ実施中

上栗林のサクラ
 
 釜石市指定文化財(天然記念物)の巨木、同市栗林町の「上栗林のサクラ」が見頃を迎えている。地元町内会の上栗林振興会(三浦栄太郎会長、29世帯)が続ける夜のライトアップも2日から始まった。昼と夜で異なる趣を楽しめる市内最大の一本桜。今年は例年以上のボリュームで咲き誇り、訪れる人たちを喜ばせている。ライトアップは11日ごろまでを予定する。点灯は午後6時半から午後9時半まで。
 
 上栗林集会所に隣接する私有地に自生する同サクラはエドヒガン種。樹齢400年以上と推定され、2006年の市の調査では胸高幹周りが約4.9メートル。07年に市の文化財に指定された。地元では「種蒔(たねまき)桜」と呼ばれ、開花は農事の目安とされてきた。剪定(せんてい)など人の手は一切加えておらず、自然の力で成長。古木ながら樹勢は衰えず、毎年美しい花姿を見せている。
 
釜石市指定文化財の「上栗林のサクラ」=同市栗林町、5日午後撮影

釜石市指定文化財の「上栗林のサクラ」=同市栗林町、5日午後撮影

 
枝先にボリューム満点の花を咲かせ、来訪者の目を楽しませている

枝先にボリューム満点の花を咲かせ、来訪者の目を楽しませている

 
 今年は例年より10日ほど早い2日に開花した。この時期としては異例の最高気温23度に達した5日は、朝と昼で開花具合が目に見えて違うほど咲き進み、一気に6分咲きに。地元住民は「いつも開花から2、3日で5~6分ぐらいまで咲き進む。色的には、蕾(つぼみ)が交じるぐらいの段階が薄いピンク色が映えてきれい」と話す。
 
 5日午後に訪れた市内の家族連れも「花色がきれいなうちに1回見ておこうと思って。今が一番なんじゃないかな。もう少しすると色が抜けてきちゃうので…」と、見どころを押さえている様子。春を通り越した暖かな陽気の中で、最高の花見を楽しんでいた。
 
夜のライトアップは圧巻の光景!日中とは違う趣を醸し出す

夜のライトアップは圧巻の光景!日中とは違う趣を醸し出す

 
 同振興会による夜のライトアップは今年で11年目を迎える。2色のLED照明で浮かび上がる見事な枝ぶり、美しい花色は目を見張る光景。陽光に照らされる昼とは違う幻想的な雰囲気が広がる。特に夜は周りの暗さで樹形がくっきりと際立つため、見る角度でさまざまな表情を楽しめるのも魅力の一つとなっている。
 
 ライトアップを始めた当初は東日本大震災の復興工事が盛んな時期で、目の前の県道を行き来する工事関係者らも多数立ち寄るなど、交通整理をするほどのにぎわいだった。新型コロナウイルス感染症の流行が始まってからは道路沿いへの看板掲示も控え、大々的な宣伝は自粛してきた。それでも、同サクラの素晴らしさを知る市民らを中心に、毎年継続して足を運ぶ人たちは多い。
 
暗闇に浮かび上がる花姿は何とも言えない美しさ

暗闇に浮かび上がる花姿は何とも言えない美しさ

 
5日は雲の隙間からのぞく月明かりとのコラボも

5日は雲の隙間からのぞく月明かりとのコラボも

 
 同振興会の三浦会長(72)は「子どものころからなじみのサクラ。隣に集会所もあり、ここは地域の中心的場所。コロナ禍前は地区住民が集まり、花見会もやっていた」と懐かしむ。コロナも収束傾向にあることから「来年は地区の花見会も復活させたい。コロナ禍前から考えていた、同所でのコンサートなどコラボ企画のイベントも実現できれば」と来シーズン以降を見据える。
 
雪の残る片羽山など周辺風景とのマッチングも魅力的な桜写真を見せる振興会の三浦栄太郎会長(左)と川崎悦三郎さん

雪の残る片羽山など周辺風景とのマッチングも魅力的な桜写真を見せる振興会の三浦栄太郎会長(左)と川崎悦三郎さん

 
上栗林振興会では末永い桜の保全、継承を願う

上栗林振興会では末永い桜の保全、継承を願う

 
 釜石市内から同所へのアクセスは、鵜住居町の国道45号寺前交差点から県道釜石遠野線を橋野町方面に進行。栗林町上栗林地区、沿線右手に矢印形の標識が見える。

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あふれる「SL銀河“愛”」ラストシーズンに一層胸熱く! 沿線で全国のファンらお出迎え

今シーズン運行初日、陸中大橋駅に到着したSL銀河=25日

今シーズン運行初日、陸中大橋駅に到着したSL銀河=25日

 
 2014年の運行開始以来、沿線住民をはじめ全国から訪れるファンを魅了し続けてきた「SL銀河」。その姿を愛してやまない人々は、ラストシーズンの運行開始を特別な思いで見つめた。25、26日の上下運行に、沿線各地では多くの人たちがカメラを構え、通過する列車に手を振った。
 
 25日、釜石市最西端の陸中大橋駅。列車到着の1時間前から待ちわびたのは紫波町の譽田貢司さん(53)家族。三女の朱菫さん(24)、禅太朗ちゃん(3)、すみれ子ちゃん(2)親子は、貢司さんお手製のSL銀河Tシャツと帽子、バッジを身に着け、SL愛をアピール。この日は花巻―新花巻駅間しか切符が取れず、1区間だけ乗車後、車で列車を追いかけてきた。興奮冷めやらぬ禅太朗ちゃんは「ぽっぽの音大好き。手を振ったの楽しかった」とにっこり。
 
 「SL銀河大好き!」譽田貢司さん(中央)家族

「SL銀河大好き!」譽田貢司さん(中央)家族

 
譽田さん手作りのSL銀河Tシャツ。2人のお孫さんのために帽子やバッジも作っちゃいました!

譽田さん手作りのSL銀河Tシャツ。2人のお孫さんのために帽子やバッジも作っちゃいました!

 
 「一般住宅の窓からも手を振ってくれる。外から来る人にも地元からもこんなに愛されている列車ってあるだろうか?釜石線の象徴がなくなるのは寂しい」と貢司さん。「せめて機関車だけでも胴体展示して、みんなが触れ合えるよう残してほしい」と願う。これまで全区間乗車を目指し、何度も挑戦してきたが夢はかなっていない。妻彩野さん(50)は「何とか6月までに…。すすまみれになりながら釜石の景色が見たい」と最後の望みをつなぐ。
 
 SL到着時刻が近づくにつれ、駅には続々と人が集まった。県外ナンバーの車も多数。「これが最後になるかなと思って…」。新潟ナンバーの車で乗り入れたのは、14年の試運転から追いかけているという高木亘さん(50)。「(終盤になって)混むと、思うように写真が撮れなくなりそうなので」と初日に駆け付けた。今シーズンでの運行終了に「とっても残念。客車の老朽化は仕方ないが、機関車はまだ使えそう。どこかで走ってくれたら」。SL撮影が趣味で全国に足を運ぶが、「勾配のある道のり、風光明媚な沿線はここならでは。季節によって見栄えが変わるのも大きな魅力」と語った。
 
 25日は駅以外でもSLを待つ人たちが多く見られた。野田町の踏切付近、小佐野駅近くの線路をまたぐ歩道橋では複数の人出があった。釜石駅周辺を見下ろす県道水海大渡線に集まった人たちのお目当ては、駅手前の甲子川橋梁を渡るSL。写真や映像を熱心に撮影する人たちが並んだ。
 
甲子川橋梁に近づくSL銀河(左)と高台の県道水海大渡線でカメラを構える人たち(右)

甲子川橋梁に近づくSL銀河(左)と高台の県道水海大渡線でカメラを構える人たち(右)

 
釜石駅手前の甲子川橋梁を進む姿は圧巻!汽笛の音とともにファンを魅了

釜石駅手前の甲子川橋梁を進む姿は圧巻!汽笛の音とともにファンを魅了

 
 大渡町の女性(85)は同県道が日課の散歩コース。テレビのニュースで花巻駅出発の様子を目にし、釜石駅到着時刻に合わせ自宅を出てきた。「汽笛の音だけでもいいもんね~。いつもあの辺で2、3回鳴らすんだ」。被災した釜石に元気をくれたSLに感謝。「もうちょっと走ってくれるといいんだけど。機械のことだから分からないもんねぇ」。最後の運行まで、その姿にエネルギーをもらうつもりだ。
 
雨にぬれながら、緩やかな坂道を上る=甲子町大橋、26日上り

雨にぬれながら、緩やかな坂道を上る=甲子町大橋、26日上り

 
 26日は雨がっぱ姿の“撮り鉄”らが防水対策をした撮影機材で待機。水にぬれ、一層黒光りする蒸気機関車の車体を記録した。14年の試運転以来、毎月1、2回は撮影に来ているという神奈川県横浜市の加辺晃さん(55)。夜行バスと一番列車を乗り継ぎ、沿線に足を運ぶのも10年目となった。写真と映像の“二刀流”。釜石市内の撮影ポイントも熟知していて、この日は桜木町でカメラを構えた。
 
左:春の花々もラストシーズンに彩りを添える=桜木町/右:陸中大橋駅出発直後のSL銀河(ともに26日)

左:春の花々もラストシーズンに彩りを添える=桜木町/右:陸中大橋駅出発直後のSL銀河(ともに26日)

 
 「SL銀河は坂道が多く、煙が多いのがいい。そういう所は人も多く集まる」と加辺さん。沿線に仮設住宅が立ち並ぶころから、復興に向かうまちの様子も目にしてきた。「高速道路ができたり街並みも変わってきたが、まだ復興途中なのだろう。この10年、SL運行が地元の力になってきたのは外から来ても感じている。いつかは終わるとは思っていたが…、ちょっと早いかな」。それでも最後までその雄姿を見届けるつもり。「来月は2回来ます」と声を弾ませた。

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駆け抜けろ!ラストシーズン SL銀河、10年目の運行スタート 釜石駅でも歓迎

最終シーズンの運行が始まったSL銀河。釜石駅周辺でも多くの人が出迎えた=25日

最終シーズンの運行が始まったSL銀河。釜石駅周辺でも多くの人が出迎えた=25日

 
 東日本大震災後の沿岸被災地を活気づけようと、JR釜石線(花巻―釜石駅間、90.2キロ)を走る観光列車「SL銀河」のラストシーズンが始まった。25日の釜石駅ホーム。「おかえり。今年もありがとう」とたくさんの笑顔が出迎えた。見送りの26日はあいにくの雨模様にもかかわらず、駅ホームはもちろん沿線にも多くの鉄道ファンらの姿。2日とも全区間で176席がほぼ満席で、「全区間乗りたい」「残りわずかなシャッターチャンスを逃すまい」と、さまざまな熱気が運行を終える6月上旬まで続く。
 
 SL銀河は、JR東日本盛岡支社が観光面からの復興支援、地域活性化を目的に、2014年4月12日に運行を開始。盛岡市の岩手県営運動公園内の交通公園に展示保存・復元した蒸気機関車「C58形239号機」と、花巻市の童話作家・宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を題材にした客車が人気を呼ぶ。春から初冬の土日を中心に約480本を運行し、約7万人が乗車。被災地の観光客増に一役買っていたが、客車の老朽化などから定期運行を終える。
 
客席はほぼ満席で、釜石駅ホームは家族連れらであふれた=25日

客席はほぼ満席で、釜石駅ホームは家族連れらであふれた=25日

 
 25日は花巻発釜石行きの運行。終点の釜石駅(釜石市鈴子町)では大漁旗が揺れる中、列車がホームに滑り込んだ。郷土芸能・虎舞の出迎えに感激したのは陸前高田市の岸浩子さん(66)。物語の世界観が広がるプラネタリウム、「ガタゴト」という揺れなど独特の鉄道旅に「テンション上がりまくり。病みつきになる」と目を輝かせた。初乗車の藤田幸子さん(56)も一緒に祭り気分を満喫。3回目で全区間通して乗車する機会を得た菅野光江さん(70)は「駅関係者の熱意を感じ、ジーンとくる。手を振ってくれる住民、カメラマンの姿を見るのも楽しい。夏の風景を見ることができないのが心残り」としみじみ語る。それでも3人は最終列車への乗車を計画中。「また会いましょう」と笑顔を残した。
 
 毎週末、釜石に観光客を連れてきたSL銀河。沿線では歓迎、見送りといったおもてなしに励んできた。運行開始に合わせ、釜石観光物産協会はホタテ稚貝汁をお振る舞い。虎舞のお出迎え、住民による小旗振りは毎週末に継続し、5月の大型連休には駅前で春まつりを予定する。佐々木一伸事務局次長(52)は「ありがとう―を込めて最後まで応援したい」と思いを込める。
 
転車台での回転作業も多くの人が見つめた=25日

転車台での回転作業も多くの人が見つめた=25日

 
 やっぱり煙だな、SLは―。そう話すのは、只越町の鈴木哲さん(74)。津波での被災、続く避難生活で「何かやることを」と考え手にしたのが、カメラだった。SLの運行が始まると、力強く走る姿に励まされた。頑張る姿に自身を重ね、運行日に合わせてシャッターを押した。「外に出るきっかけを作ってくれた。引退に寂しさを感じるが、最後まで目に焼き付けたい。そして、記録として残したい」。追っかけ生活を続ける。
 
駅長や機関士らと触れ合ったりSL旅を満喫する親子=25、26日

駅長や機関士らと触れ合ったりSL旅を満喫する親子=25、26日

 
 26日の釜石駅も花巻行きの列車を見送ろうと多くの人でにぎわった。盛岡市の川村瑠成(りゅうせい)さん(上田中2年)は48回目の乗車。前日もSLで釜石入りし、一度自宅に戻って再来した、つわものだ。「人との出会いが楽しい」と飽きはなく、今季も乗車回数を重ねるつもり。「なくなってほしくないけど…安全で楽しくラストを迎えてほしい」と見守る。
 
SLをバックに記念写真(写真左)。SL乗車48回目の川村さん(同右)=26日

SLをバックに記念写真(写真左)。SL乗車48回目の川村さん(同右)=26日

 
雨模様にもかかわらず多くの人が見送り(写真左)、それに応える機関士(同右)=26日

雨模様にもかかわらず多くの人が見送り(写真左)、それに応える機関士(同右)=26日

 
 10年目となる今季の運行は土日を中心に上下計24本を予定する。最終定期運行は6月3日(釜石行き)と4日(花巻行き)。10、11日の旅行商品専用の団体臨時列車が最後の運行となる。
 
 同支社ではラストを盛り上げるためプロジェクトを立ち上げ、多彩なイベントを展開している。もてなしに協力してもらおうと、沿線5市町の新小学1年生にオリジナル手旗をプレゼント。釜石市内では約190人に配られる予定で、釜石駅の髙橋恒平駅長は「いつでもどこでもSLを見かけたら笑顔で小旗を振って、応援してもらえたらうれしい」と期待する。また、同駅では運行日に合わせ改札内通路に夜空をイメージしたイルミネーションを点灯している。
 
SL銀河オリジナル手旗(写真左)と釜石駅改札内通路のイルミネーション(同右)=26日

SL銀河オリジナル手旗(写真左)と釜石駅改札内通路のイルミネーション(同右)=26日

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SL銀河 釜石の「ものづくりの灯」でラストシーズン運行へ 初日は3月25日

SL銀河点火用の種火を手にする釜石駅の髙橋駅長(右)とJR盛岡車両センターの本倉所長

SL銀河点火用の種火を手にする釜石駅の髙橋駅長(右)とJR盛岡車両センターの本倉所長

 
3月からラストシーズンの運行を始めるSL銀河

3月からラストシーズンの運行を始めるSL銀河

 
 2014年4月からJR釜石線(花巻―釜石間、90.2キロ)で運行されてきた蒸気機関車「SL銀河」が、客車の老朽化のため、本年6月で運行を終了する。3月から始まるラストシーズンに向け21日、機関車に火が入れられた。点火用の種火となったのは、近代製鉄発祥の地・釜石市の象徴「ものづくりの灯(ひ)」。釜石人の魂が込められた高炉の火が、見納めとなるSL運行を力強く支える。
 
 火入れ前日の20日、同市鈴子町釜石駅前広場の「鉄のモニュメント」から採火が行われた。上部で燃え続ける「ものづくりの灯」を釜石ガスの社員がトーチに分灯。釜石駅の髙橋恒平駅長が受け取り、ランタンに火を移した。火はSLの整備を担当するJR東日本盛岡車両センターの本倉幹弘所長に託された。翌21日には盛岡のSL検修庫で火入れ式が行われ、石炭を燃焼させるボイラーに点火された。
 
「鉄のモニュメント」にともされる「ものづくりの灯」を釜石ガスの社員が採火

「鉄のモニュメント」にともされる「ものづくりの灯」を釜石ガスの社員が採火

 
髙橋釜石駅長(右)が採火した火をトーチからランタンに移した

髙橋釜石駅長(右)が採火した火をトーチからランタンに移した

 
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 鉄のモニュメントは近代製鉄発祥150周年を記念し2007年に設置。新日鉄釜石製鉄所(現日本製鉄)構内で保存されてきた高炉の火を分けてもらい、「ものづくりの灯を永遠に」と記した磁鉄鉱石碑と共に“鉄のまち釜石”を発信している。東日本大震災の津波被害で火は一時消えたが、再びともされ、14年のSL銀河運行開始時には今回同様、この火を採火し火入れを行った。
 
 採火に立ち会った髙橋駅長は「ラストシーズンも釜石の大切な火を頂戴し、力強く運行していく。これまで全国から大勢のご乗車をいただいた。感謝の気持ちを込め、最後まで安全、安定輸送に努める」と思いを強くした。今シーズンも沿線の駅などで、さまざまなイベントが企画される。
 
 被災した沿岸地域への誘客など観光面からの復興支援、地域活性化を目的に運行を続けてきたSL銀河。14年4月12日の運行開始以来、春から初冬の土日祝日などに約480本を運行し、約7万人が乗車している。
 
2014年4月の運行開始から人気を集めてきたSL銀河。沿線住民に夢と希望を与えた(写真:復興釜石新聞)

2014年4月の運行開始から人気を集めてきたSL銀河。沿線住民に夢と希望を与えた(写真:復興釜石新聞)

 
各駅では多くの鉄道ファンがカメラを構える=2021年、陸中大橋駅

各駅では多くの鉄道ファンがカメラを構える=2021年、陸中大橋駅

 
 SL銀河ラストシーズンの運行は3月25日から。土日を中心に上下計24本の運行を予定する。最終定期運行は6月3日(釜石行き)と4日(花巻行き)。10、11日の旅行商品専用の団体臨時列車が最後の運行となる。

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「持続可能な観光地域づくり」へ全国8市町が共同宣言 釜石市で初のサミット開催

全国8市町が「持続可能な観光の推進に向けた共同宣言」を行ったサミット=14日、釜石市

全国8市町が「持続可能な観光の推進に向けた共同宣言」を行ったサミット=14日、釜石市

 
 釜石市など全国8市町でつくる日本「持続可能な観光」地域協議会は14日、釜石市民ホールTETTOで初のサミットを開いた。各市町の首長らが集い、「持続可能な観光の推進に向けた共同宣言」を採択。将来を見据え、国際基準を取り入れた観光地域づくりを広域連携で進めていくことをあらためて確認した。専門家の基調講演や各地域の取り組み報告もあり、民間の観光関係者を含め約150人が参加した。
 
 同協議会は2021年7月、釜石市の呼び掛けで発足。北海道ニセコ町、同弟子屈町、長野県小布施町、京都府宮津市、徳島県三好市、熊本県小国町、鹿児島県与論町が参画する。持続可能な観光を目指すための専門的支援、知見や情報の共有、連携する自治体のプロモーションに資する取り組みを推進し、地方創生のモデル地域を形成していくのが狙い。
 
日本「持続可能な観光」地域協議会代表理事の野田武則釜石市長があいさつ

日本「持続可能な観光」地域協議会代表理事の野田武則釜石市長があいさつ

 
 協議会の代表理事を務める野田武則釜石市長はサミット開催にあたり、「他市町の取り組みを参考にしながら共に切磋琢磨(せっさたくま)し、全国に持続可能な観光を発信してもらえれば」とあいさつ。共同宣言文には地域独自の文化と自然環境を保全し、持続可能な観光の国際基準(GSTC)に基づき、地域に貢献する観光を推進していくことが記され、8市町の首長が署名した。各市町からは、これまで経験した観光に関わる問題、課題解決への取り組み、協議会による連携への期待などが述べられた。
 
共同宣言署名に先立ち、協議会に参画する8市町の首長らが思いを述べた

共同宣言署名に先立ち、協議会に参画する8市町の首長らが思いを述べた

 
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 日本三景の一つ「天橋立(あまのはしだて)」を有する京都府宮津市の城崎雅文市長は、観光客による交通渋滞やごみ問題を経験した過去を踏まえ、「開発と保全のバランス、まさに持続可能な開発目標(SDGs)に関わる部分が重要になる。本協議会を中心に世界から選ばれる観光地を共に作っていきたい」と意気込んだ。
 
 町面積の約65%が「阿寒摩周国立公園」内という北海道弟子屈町の吉備津民夫副町長は、隣接4市町での「ゼロカーボンパーク」登録を紹介。「サミットを機に気候変動や資源の枯渇、生物多様性の保全など、問題解決への取り組みが全国に広がっていけば」と期待した。
 
 西日本第2の高峰「剣山」を有し、山と川が9割を占める徳島県三好市の高井美穂市長は、日本ジオパークの認定を目指していることを明かし、「自然と共存し、無理なく続けていける観光が地域課題の解決につながる。住民が喜んでもてなし、来た人にも喜んでもらえる好循環が持続可能な観光」との考えを示した。
 
 鹿児島県最南端の離島、与論町は沖縄復帰の前後で観光客数が大きく増減。最盛期に建設された観光施設の廃墟化など負の遺産問題を経験した。久留満博副町長は「一過性、消費型観光ではなく、島に残る美しい環境や貴重な文化、暮らしに配慮した取り組みが必要と考え、協議会に参加した。観光地のマネジメント、危機管理体制の構築などを早急に進めたい」と話した。
 
基調講演する高山傑さん(国連世界観光機関持続可能な観光プログラム諮問委員、観光庁「日本版持続可能な観光ガイドライン」アドバイザー)

基調講演する高山傑さん(国連世界観光機関持続可能な観光プログラム諮問委員、観光庁「日本版持続可能な観光ガイドライン」アドバイザー)

 
 基調講演の講師は、持続可能な観光の国際基準策定、評価における日本での第一人者、高山傑さん(一般社団法人JARTA代表理事)。GSTCの概要や持続可能な観光に必要なマネジメントなどについて説明した。
 
 高山さんは持続可能な観光の国際的定義を「経済、社会、環境への影響を十分に考慮した観光」とし、GSTCを活用した国際社会にも受け入れられる観光地づくりを促した。全ての関係者に支持されるマネジメント、数世代先を見据えた観光戦略の必要性も示し、▽土地の豊かさを失わない方針▽ブームではなく、ルーツにこだわる本物体験の加速▽地域住民の意見を反映した資源マネジメント▽地域で稼ぐための方策と後方支援―などをポイントに挙げた。
 
 GSTCは世界持続可能観光協議会が策定した達成すべき基準で、協議会から認定された第三者機関が実際の認証を行う。グリーン・デスティネーションズ(オランダ)は100項目の評価基準を設け、GSTC認証獲得への第一段階となる「世界の持続可能な観光地トップ100選」を2015年から発表。サミットを開いた地域協議会の8市町では釜石市(18年~5年連続)、ニセコ町(20、21年)、与論町(21年)、小国町(22年)が選出されている。釜石市は22年、全項目の70%で評価を得て、国内で唯一「シルバー賞」も受賞した。
 
釜石市の取り組みについて発表する市の担当者

釜石市の取り組みについて発表する市の担当者

 
 講演後は8市町と、同100選受賞に貢献してきた釜石市の観光地域づくり法人・かまいしDMC(河東英宜代表取締役)の取り組み報告も行われた。

釜石ラーメンスタンプラリー開催のお知らせ

昨年、釜石市で撮影され、年末に完成披露上映会を開催した映画「釜石ラーメン物語」は、今春4月7日より岩手県各所にて全国公開に先駆けて先行公開をいたします。

 

プロモーション実行委員会では、映画と釜石ラーメンのPRを兼ねてスタンプラリーを2/23〜5/31の期間で実施します。豪華な賞品も準備していますので、映画も観ていただき、釜石でラーメンも食べていただきたいと思います。

 

スタンプラリーの詳細は準備が出来次第告知します。

 

 

かまリン

(一社)釜石観光物産協会

釜石市内の観光情報やイベント情報をお届けします。

公式サイト / TEL 0193-27-8172 / 〒026-0031 釜石市鈴子町22-1 シープラザ釜石

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世界遺産「明治日本の産業革命遺産」をより分かりやすく 釜石でガイドらが研修

世界遺産「明治日本の産業革命遺産」インタープリテーション釜石エリア研修会

世界遺産「明治日本の産業革命遺産」インタープリテーション釜石エリア研修会

 
 2015年7月にユネスコの世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」。8県11市23構成資産の1つである「橋野鉄鉱山」を有する釜石市で6日、同遺産の価値を分かりやすく伝えるための人材育成研修会が開かれた。一般財団法人産業遺産国民会議が主催。東京都新宿区、産業遺産情報センター長の加藤康子さん(同国民会議専務理事)らが講演した。
 
 釜石観光ガイド会員、橋野鉄鉱山インフォメーションセンタースタッフ、市関係職員ら約20人が参加。同遺産の保全、発信に関わる2人の専門家の講演、海外有識者のインタビュースピーチの上映などが行われた。
 
 講演した加藤さんは、同遺産が「製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の3分野、時代的には19世紀半ば~20世紀初頭(江戸後期~明治後期)にわたることをあらためて説明。1つの世界遺産として示している価値について、「鎖国をしていた日本が開国し、わずか50年で工業立国の土台をつくった。急速な産業化の道程を表した遺産」とし、「橋野鉄鉱山を訪れる人たちに、その全体像の中での意義をしっかり伝えてほしい」と願った。
 
産業遺産情報センター長/産業遺産国民会議専務理事 加藤康子さん

産業遺産情報センター長/産業遺産国民会議専務理事 加藤康子さん

 
 同遺産を時系列でみると、次の3つの時代に分けられることも説明した。①試行錯誤の挑戦(1850~60年代)=鎖国をしていた日本が西洋の科学技術の情報が乏しい中で、蘭書を片手に鉄製大砲の鋳造に挑戦していた時代(釜石で洋式高炉による鉄の連続出銑に成功した大島高任らの活躍)。②西洋の科学技術の導入(1860~80年代)=開国により西洋の技術者が入国。日本からの留学も活発になり、ものづくりの人材が急速に成長していった時代。③産業基盤の確立(1890年代~1910年)=大量生産が可能になった時代。
 
講演に聞き入る釜石市の観光ガイド、橋野鉄鉱山インフォメーションセンタースタッフら

講演に聞き入る釜石市の観光ガイド、橋野鉄鉱山インフォメーションセンタースタッフら

 
 同センターで上映している「橋野鉄鉱山」と「官営八幡製鉄所」の紹介映像も見せ、釜石(同鉄鉱山)が世界遺産価値にどう貢献しているのかも示した。加藤さんは「当時、急速に産業国家の土台をつくることができたのは、基礎となる素材産業が国内で確立したから。釜石では木炭高炉法からコークス炉導入まで30年。西洋では3世紀もかかっている」と話した。
 
 釜石市民と鉄との関わりについても言及。特に子どもたちの教育プログラムを絶賛し、「愛情を持って鉄と触れ合い、学んでいる姿は全国オンリーワン。釜石の鉄のDNAは絶対に無くさないでほしい。挑戦をし続けた先人たちの魂が生きている。必ず日本の未来に大きな貢献ができるような人材が育つだろう」と期待した。
 
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 同遺産の世界遺産登録から7年―。加藤さんは、登録時の価値を損なわないようにするため各自治体、関係者間で情報共有する「遺産保全マニュアル」を本年度から2カ年で作成することも報告した。

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釜石の山に眠る「鉄」以外のお宝とは? 市立図書館で学ぶ市民教養講座

釜石市立図書館が開いた市民教養講座「釜石の金山・銅山について」

釜石市立図書館が開いた市民教養講座「釜石の金山・銅山について」

 
 「近代製鉄発祥の地」である釜石市は、洋式高炉による連続出銑の成功とともに、原料となる鉄鉱石の豊富な産出でも知られる。釜石一帯の山々では鉄のほかに金や銅の鉱脈もあり、実際に採掘が行われていた。その歴史を学ぶ講座が4日、釜石市小佐野町の市立図書館(川畑広恵館長)で開かれた。同館主催の市民教養講座の一環。市世界遺産課課長補佐の森一欽さんが講師を務め、16人が聴講した。
 
 同市に眠る鉱床は、約1億2千万年前(中生代白亜紀)の火山活動で生まれた。マグマの熱で石灰岩などが溶かされ変成。冷え固まる過程でさまざまな鉱物が生成された。変成岩の中でも柘榴(ざくろ)石の近くで鉄鉱石(磁鉄鉱)、灰鉄輝石の周りで銅鉱石(黄銅鉱)、石英脈が発達した場所では金鉱石が見つかっている。「理由は証明されていないが、昔の人は現場の勘で鉱脈を探していったと思われる」と森さん。釜石では特に鉄鉱石と銅鉱石が多く見られ、大規模な採掘につながった。
 
金鉱石や銅鉱石ができる過程についても説明した

金鉱石や銅鉱石ができる過程についても説明した

 
講師を務めた釜石市世界遺産課の森一欽課長補佐

講師を務めた釜石市世界遺産課の森一欽課長補佐

 
 県内では、日本最古の金が産出されている陸前高田市の「玉山金山」など気仙地方の金山が有名だが、釜石地方でも小規模ながら採掘が行われていた時代がある。文献などによると、釜石市内では16の金山が確認されており、各地に広く分布する。中でも多いのは橋野町。
 
 橋野鉄鉱山の東側にある「六黒見(むくろみ)金山」は、1807(文化4)年に発見された。地元住民や盛岡藩が採掘に乗り出すが、江戸期の経営はうまくいかなかった。明治期になると近代化が図られ、再興への道が開かれる。1935(昭和10)年、日本鉱業が金増産のため本格的採掘に着手したが、43(昭18)年の全国的な金山整理で閉山。戦後、一時稼働したが、55(昭30)年ごろまでには休山したとみられる。記録によると、35~43年までの鉱石採掘量は約8万5千トン。鉱石1トンから取れる金は約8グラム程度だった。
 
 森さんは六黒見金山に残る社宅、事務所、坑道跡などの写真を紹介。大きいもので横20メートル、縦16メートルの坑道入り口があることも示した。明治期の金山所有者の銘が刻まれた石碑もあったが、2016年の台風豪雨で流失し、行方不明だという。
 
六黒見金山に残る、採掘が行われていた痕跡を示す写真

六黒見金山に残る、採掘が行われていた痕跡を示す写真

 
釜石で行われた金、銅採掘について学ぶ参加者

釜石で行われた金、銅採掘について学ぶ参加者

 
 釜石市甲子町大橋の「釜石鉱山」一帯は日本最大の鉄鉱山であるとともに、国内有数の銅鉱山でもある。1907(明治40)年、大橋の新山から産出される銅鉱石の製錬を開始。有力な銅鉱床が発見されると、52(昭和27)年、銅鉱石の選鉱場を建設し、本格的な採掘を始めた。「釜石では粗い製錬はしたが、純度を高める作業はしなかったため、硫化物による大きな公害はなかった」と森さん。
 
 鉄鉱石は精鉱により50~60%が有用な鉄になるが、銅鉱石は12~20%程度と採算がなかなか合わない。釜石鉱山では1992(平成4)年に銅鉱石の採掘を休止。鉄鉱石は93(平5)年、石灰石は2000(平12)年に採掘を休止している。
 
釜石鉱山の銅鉱石の選鉱場は、今は建物の土台だけが残る

釜石鉱山の銅鉱石の選鉱場は、今は建物の土台だけが残る

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SL銀河、今季最終運行 釜石駅で見送り~来春の引退決定も…「また絶対乗る!」

今季最終運行を迎えたSL銀河。雄姿をカメラに収める乗客らでにぎわった

今季最終運行を迎えたSL銀河。雄姿をカメラに収める乗客らでにぎわった

 
 JR釜石線(花巻―釜石間)を走る蒸気機関車「SL銀河」が4日、今シーズンの運行を終えた。最終日も家族連れらでにぎわい、乗車率はほぼ満員となった。始発駅の釜石駅ホームでは地元関係者が横断幕を掲げ、大漁旗を振りながら花巻行きの列車をお見送り。来春に運行終了を控える中、鉄道ファンや住民らも雄姿を目に焼き付けようと詰め掛け、SLをバックに記念写真を撮影していた。
 
「ありがとう!また来年」と横断幕を掲げる乗客も

「ありがとう!また来年」と横断幕を掲げる乗客も

 
「C58239」をバックに記念写真。ホームに笑顔が広がった

「C58239」をバックに記念写真。ホームに笑顔が広がった

 
 釜石駅には午前9時57分の発車に合わせ、市外内から多くの人が集まった。機関車の前で機関士と写真を撮ったり、運転台の様子をのぞかせてもらったり交流。「ありがとう!また来年」と横断幕を掲げて客車に乗り込む人もいた。
 
 千葉県茂原市の澤井穂高君(萩原小2年)は今年2回目の乗車。機関車の迫力やレトロな雰囲気の客車、プラネタリウムがお気に入りで、「来年も絶対乗る」と目を輝かせた。首から下げたコンパクトカメラのシャッターを切る息子の様子を見守る父康男さん(39)は「思い出を大切に残してほしい。三陸の魚を味わいにまた来たい」と自身も楽しみをキープした。
 
白い制服に「一日駅長」のたすきを掛けた利重剛さん(右)、髙橋恒平釜石駅長

白い制服に「一日駅長」のたすきを掛けた利重剛さん(右)、髙橋恒平釜石駅長

 
 来年公開予定の映画「釜石ラーメン物語」に出演する俳優の利重剛さんが一日駅長に委嘱され、白い制服姿でホームに登場した。髙橋恒平駅長とともに手を挙げて出発の合図。見送りの大漁旗が翻る中、大きな汽笛、黒煙とともに列車がホームを滑り出した。
 
大漁旗を振って花巻行きの列車を見送る釜石市民ら

大漁旗を振って花巻行きの列車を見送る釜石市民ら

 
今季最終列車はほぼ満員。乗客は手を振って見送りに応えた

今季最終列車はほぼ満員。乗客は手を振って見送りに応えた

 
 駅から少し離れた場所で、線路を力強く進むSLを待ち構える人の姿も多数。只越町の多田國雄さん(79)は普段、聞こえない汽笛の音がこの日は耳に届き、「(写真を)撮りに来い―ということ。行かねば」と駆け付けた。モクモクと黒煙をはきながら走る機関車を正面から捉えてパチリ。「いいのが撮れた」と満足げだった。
 
釜石駅に停車中のSL銀河。少し離れたところで出発を待ち構えるファンも

釜石駅に停車中のSL銀河。少し離れたところで出発を待ち構えるファンも

 
】黒煙を上げ釜石を後にするSLを沿線から多くの人が見送った

黒煙を上げ釜石を後にするSLを沿線から多くの人が見送った

 
 SL銀河は蒸気機関車C58形239号機を復元し、東日本大震災の復興支援や観光振興を目的に2014年4月に運行を開始した。JR東日本盛岡支社によると、9年目の今季は4~12月の期間で、土日・祝日を中心に上下計72本(定員各176人)を運行。平均乗車率は8割と好調を維持した。14年4月から今年11月までの乗客数は約5万7000人。沿線住民、鉄道ファンらに愛されているが、旅客車の老朽化などに伴い来春の運行後に終了することが決まっている。来年の運行日程は今後決定するという。
 

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近代製鉄発祥の地・釜石から発信!いわての鉄遺産 フォーラムで価値、活用を考える

初開催の「いわての鉄遺産フォーラム」。保存・継承の思いを共有した

初開催の「いわての鉄遺産フォーラム」。保存・継承の思いを共有した

  
 12月1日は「鉄の記念日」(日本鉄鋼連盟制定)。江戸時代末期の1857(安政4)年12月1日、大島高任が現釜石市甲子町大橋に建設した洋式高炉で日本初の鉄鉱石を用いた製鉄(連続出銑)に成功したことにちなむ。釜石市では記念日の前後1週間を「鉄の週間」として、各種イベントを催している。11月26日には「いわての鉄遺産フォーラムinかまいし」(いわて鉄文化関連遺産ネットワーク主催)が大町の市民ホールで開かれ、同市の世界遺産「橋野鉄鉱山」を含む本県の鉄関連遺跡の価値と活用について、鉄の歴史館(大平町)名誉館長の小野寺英輝さん(岩手大理工学部准教授)が講演。地域の歴史を学んだ児童らは成果発表で、再発見した「釜石のよさ」を発信した。
  
「釜石の意義」を強調した鉄の歴史館名誉館長の小野寺英輝さん

「釜石の意義」を強調した鉄の歴史館名誉館長の小野寺英輝さん

  
 小野寺さんは、橋野鉄鉱山を含む「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」(8県11市23資産)で描かれた「ストーリー」や、そこでの釜石の位置づけに関し、独自の解釈を織ませながら解説。「構成資産群は世界へ向けた日本の近代化を発信するために作られた人工的なストーリー。歴史の縦糸と言えるもので、これに対する横糸となるのが地域の歴史。2つを融合させることで、近代化の中での地域の役割を立体的に理解できる」と強調した。
  
 伝承について、「遺産は単に古いものというイメージで捉えてはいけない。長い年月にわたり保ち続けた歴史や習慣と、その価値であり、何かを伝えるものでなければならない」と指摘。伝承を基本とした観光客の誘致は重要とした上で、「ただ見て終わりではなく、具体的に何か受け取るものや付加価値を求めている社会学習や修学旅行、ゼミ合宿などを誘致することが遺産の活用につながる」とした。
  
三陸ジオパークの魅力から再発見した「釜石のよさ」を伝えた双葉小児童

三陸ジオパークの魅力から再発見した「釜石のよさ」を伝えた双葉小児童

  
 鉄の学習発表には市内の小学校2校が参加。双葉小5年生29人は、「三陸ジオパーク」について学んだ成果をスライドにまとめた。代表の9人が三陸の地形の歴史や釜石にある6つのジオサイト、鉄づくりの歴史や採取できる鉱物などをクイズ形式で紹介した。
  
 児童からは「豊かな自然がたくさんある。地形は海を育み、恵みをもたらすが、津波の被害を大きくすることもある。三陸や釜石のことをもっと知りたいし、よさを発信していきたい」などの声が聞かれた。
  
栗林小児童は大島高任と鉄づくりを題材にした創作劇を紹介した

栗林小児童は大島高任と鉄づくりを題材にした創作劇を紹介した

  
 栗林小5、6年生12人は鉄に関する座学、鉄の歴史館や橋野鉄鉱山の見学を行い、近代製鉄の歴史に理解を深めた。▽勉強熱心▽困難に立ち向かう心の強さ▽目標に向かって前に進む姿勢▽挑戦し続ける粘り強さ―といった大島高任の生き方が印象に残り、高任の考えと支えた釜石人の思いを想像しながら劇を作って校内の学習発表会で披露した。
  
 フォーラムには4人が参加し、劇の一部を動画で紹介。「世界に誇ることができる自慢がたくさんある。この地で偉業を成し遂げた熱い思いを持った人たちの生き方をつないでいきたい」と力を込めた。
  
釜石市に寄贈された絵画「坑底に闘う」。今後は旧釜石鉱山事務所に展示される予定

釜石市に寄贈された絵画「坑底に闘う」。今後は旧釜石鉱山事務所に展示される予定

  
絵画の寄贈式に臨んだ渕上範敏社長(右)、野田武則市長

絵画の寄贈式に臨んだ渕上範敏社長(右)、野田武則市長

  
 旧釜石鉱山事務所(甲子町大橋)で展示されていた絵画「坑底に闘う」(鈴木満作)が修復作業を終え、所有する日鉄鉱業(東京)から市に寄贈された。同社子会社の釜石鉱山(甲子町)の渕上範敏社長によると、作品の右上に「於日鉄釜石鉱山 18.8.2」とあり、戦時中の鉱山坑内で働く人々の姿を描いた100号の大作。「戦時中を考察する歴史資料としての価値もあり、当時のことを思い、ゆっくり鑑賞してほしい」と願う。市では、来年春以降に同事務所で見ることができようにしたいとしている。
  
鉄や三陸ジオパークに関するパネル展示で理解を深める来場者

鉄や三陸ジオパークに関するパネル展示で理解を深める来場者

  
 「明治日本の―」や三陸ジオパークに関する情報を紹介する「鉄のパネル展」。会場を鈴子町のシープラザ釜石に移し、12月4日まで開催する。
  
 同ネットワークは、橋野鉄鉱山を核に鉄文化関連遺産などを結び、情報発信や教育、保存活用、人的・文化的交流などの地域振興につなげていくため、県と県内15市町村を構成団体として、2021年に設立された。フォーラムは鉄遺産の価値を普及させ、保存・継承への意識を醸成するのを狙いに初開催。約70人が聴講した。
   
今後予定される鉄の週間行事は下記の通り。
◆3日(土)午前10時~・鉄の歴史館 記念講演会「三陸ジオパークと釜石の地質」
*同館で3、4日には県指定文化財「紙本両鉄鉱山御山内並高炉之図」(幕末の高炉操業の絵巻)公開
*同館で来年1月9日(月・祝)まで企画展「かまいしの大地の足跡展」
◆4日(日)午後13時半~・市立図書館 市民教養講座「鉄の町かまいし歴史講座」
*同館で14日(水)まで「鉄の記念日図書展」
◆8日(木)まで・旧釜石鉱山事務所 企画展「鉱山を極める その1―釜石鉱山新山について」
◆同・橋野鉄鉱山インフォメーションセンター 橋野高炉跡発掘調査速報展(三番高炉周辺・御日払所跡出土資料の展示)
◆来年1月22日(日)まで・市郷土資料館 企画展「新収蔵資料展」

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世界遺産「橋野鉄鉱山」で発掘調査 三番高炉の水車場、フイゴ座、鋳造場を確認

国史跡「橋野高炉跡」発掘調査現地説明会。水車場跡に見入る見学者

国史跡「橋野高炉跡」発掘調査現地説明会。水車場跡に見入る見学者

 
 釜石市が本年度、発掘調査を行った「橋野鉄鉱山」高炉場跡、三番高炉エリアで12日、調査結果を一般に公開する説明会が開かれた。同調査は市が2018年から進める「橋野高炉跡範囲内容確認調査」の一環。三番高炉跡は1956(昭和31)年に岩手大による発掘調査が行われ、その価値が認められ、翌57(同32)年に橋野高炉跡が国史跡に指定された経緯がある。今回はその調査記録の再確認などが行われた。結果、高炉覆屋建物の規模が実証され、水車場、フイゴ座、鋳造場の痕跡も確認できた。
 
 同調査は10~11月の期間で実施。岩手大の調査記録、1892(明治25)、94(同27)年の建物記録を参考に、規模の確認を主目的とした。高炉の西側には本線水路から水を引き稼働させた水車場の記録があり、今回の発掘でもその石組みを確認。下部構造や範囲が明らかになったほか、地中からは水車場か高炉上屋の廃材とみられる木材が見つかった。水車の直径は約2メートルと推定されるという。
 
水車場の下部構造(黄丸部分)が分かる石組み

水車場の下部構造(黄丸部分)が分かる石組み

 
水車場の中から見つかった廃材(黄丸部分)

水車場の中から見つかった廃材(黄丸部分)

 
 水車の軸とつながれたフイゴは高炉に風を送る装置で、高炉北側に位置していたことが記録に残る。水車の駆動で2基の箱型フイゴが稼働していたとみられ、地中にフイゴの土台を止めるための穴が見つかった。大島高任が日本で初めて連続出銑に成功した大橋高炉では当初、西洋式の丸型足踏みフイゴが採用された。翌年に操業した橋野高炉ではより効率的に風を送れるように改良した箱型フイゴが使われ、2基の稼働で順次、風を送れる仕組みが確立された。これが橋野高炉成功の理由の一つとされる。
 
三番高炉の北側に位置する「フイゴ座跡」(黄丸部分)

三番高炉の北側に位置する「フイゴ座跡」(黄丸部分)

 
水車とフイゴをつなぐ軸の推定位置を説明(奥が水車場、手前がフイゴ座)

水車とフイゴをつなぐ軸の推定位置を説明(奥が水車場、手前がフイゴ座)

 
 今回の調査では岩手大の調査記録では分からなかった鋳造場跡が確認された。高炉の南側エリアで鋳型の外側の部材が出土。関係する木枠、砂、焼けた土も確認された。高炉石組みのすぐそばには鋳造炉、鋳型場とみられる痕跡も。文献記録によると、同高炉の出銑は1894(明治27)年6月が最後とされ、終焉(えん)ごろは銑鉄の生産よりも鉄瓶や鍋釜の鋳造が中心だったとされる。
 
三番高炉南側エリアで確認された鋳造場跡(黄線囲み部分)。鋳型片などが見つかった(左下)

三番高炉南側エリアで確認された鋳造場跡(黄線囲み部分)。鋳型片などが見つかった(左下)

 
 この他、高炉東側に位置する出銑の砂場跡の範囲、岩大調査では検出されていなかった柱穴や土坑が確認された。これらの情報をもとに検討した結果、高炉覆屋建物の規模は約57坪(約188平方メートル)と推定され、明治の記録と合致した。出土した鋳型の一部、高炉底部のれんがを含む塊など遺物は、橋野鉄鉱山インフォメーションセンターで12月8日まで公開されている。
 
高炉出銑口前の砂場範囲も確認された。左下は江戸末期の絵巻に描かれた出銑口前での作業風景

高炉出銑口前の砂場範囲も確認された。左下は江戸末期の絵巻に描かれた出銑口前での作業風景

 
インフォメーションセンターで公開されている出土品。右は耐火れんが積塊

インフォメーションセンターで公開されている出土品。右は耐火れんが積塊

 
 今回は昨年度の調査で確認できなかった土蔵跡の調査も行われた。江戸末期(1860年代前半)に描かれた高炉絵巻では御日払所の北側に板蔵、土蔵の順に並ぶ様子が見られるが、今回の調査で板蔵の東側に土蔵があったことが確認された。建物礎石が見つかり、明治の記録「6坪」と合致した。この場所には1967(昭和42)年に国史跡指定10周年を記念して日本鉄鋼連盟により東屋(休憩所)が建設されており、2018(平成30)年まで上屋が残っていた(老朽化で撤去)。
 
板蔵跡の東側で確認された土蔵跡。絵巻(左下)では板蔵の北側に描かれていた

板蔵跡の東側で確認された土蔵跡。絵巻(左下)では板蔵の北側に描かれていた

 
 調査を担当した市世界遺産課の髙橋岳主査は「水車場の石垣など遺構が良好な状態で残っていることをあらためて確認できた。この状態の良さがあったからこそ、昭和32年の国史跡指定にもつながったものと思われる。今回、鋳造の痕跡が見つかったのは新たな発見」と成果を示した。来年度は西側に位置する長屋跡の発掘調査が行われる予定。

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味覚、手仕事、スポーツの秋満喫! うのすまい・トモス(釜石)で秋祭り、初開催

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うのすまい・トモスで開かれた秋祭りを楽しむ子どもたち

 
 釜石市鵜住居町のうのすまい・トモスで13日、「秋祭りwith手仕事マルシェ」(かまいしDMC主催)が初開催された。市内外のおいしいもの、ハンドメード品を販売する出店が集合。スポーツ体験などもあり、老若男女が思い思いに「~~の秋」を楽しんだ。
 
 トモス広場と鵜の郷交流館を会場に、市内外の飲食店やものづくり団体など25団体が出店。海産物の加工品やパン、麺類、焼き鳥、スイーツなど多彩なメニューを提供したり、ハンドメード雑貨や木工品、文具など幅広い商品を紹介した。
 
目の前で焼き上げられるホタテの香ばしさが食欲をそそる

目の前で焼き上げられるホタテの香ばしさが食欲をそそる

 
手作り品が並んだマルシェで品定めをする親子連れ

手作り品が並んだマルシェで品定めをする親子連れ

 
 子どもたちは、地元のラグビーチーム・釜石シーウェイブス(SW)選手との交流に大はしゃぎ。ラインアウトでのボールキャッチを体験した大人たちも「高い」「面白い」と興奮気味だった。隣接する市民体育館では本県のプロバスケットボールチーム・岩手ビッグブルズがあり、チアリーダーがダンスパフォーマンスを披露。「秀明太鼓」の演奏もあった。
 
釜石シーウェイブス選手と触れ合いを楽しむ家族連れ

釜石シーウェイブス選手と触れ合いを楽しむ家族連れ

 
岩手ビッグブルズチアリーダーのパフォーマンスを多くの人が見守った

岩手ビッグブルズチアリーダーのパフォーマンスを多くの人が見守った

 
 近くの釜石鵜住居復興スタジアムで開かれたタグラグビー大会を終えた子どもたちの姿も多数。藤原菫さん、藤原英佑君(ともに鵜住居小3年)、小川原瑛大君(同2年)はかき氷や冷たい飲み物を手に「最高」と喜んだ。いろいろな味、あふれる物や人に祭り気分を満喫。「ますます元気になる。いいね~」と笑顔を重ねた。
 
 地元の寺前ストアはソウルフード・かまだんごや草餅などを販売。計300個ほどを持ち込んだが、約30分で完売した。店主の佐々木輝幸さん(47)は「人が集まると物が動く。イベントは客を呼べる」と手応えを実感。続く新型コロナウイルス禍に加え、人口減で消費が縮小している現状に厳しい表情を浮かべる一方で、「うちの商品を楽しみにしている人も多い。細く長く商売を続けたい」と目を細めた。
 
おいしいものを買い求めて味わう人たちでにぎわった

おいしいものを買い求めて味わう人たちでにぎわった

 
 まちのにぎわい創出などを目指して企画された。うのすまい・トモス統括マネジャーの佐々学さん(43)は「子どもから高齢者まで幅広い年代が楽しめる憩いの場になれば」と期待。津波伝承施設「いのちをつなぐ未来館」もあることから、「震災を忘れない場所としての利用も広がってほしい」と願う。
 
 地域を盛り上げようと、12月4日にはクリスマスにちなんだ手作り雑貨など売り出すマーケットの開催を予定する。