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SL銀河 釜石の「ものづくりの灯」でラストシーズン運行へ 初日は3月25日

SL銀河点火用の種火を手にする釜石駅の髙橋駅長(右)とJR盛岡車両センターの本倉所長

SL銀河点火用の種火を手にする釜石駅の髙橋駅長(右)とJR盛岡車両センターの本倉所長

 
3月からラストシーズンの運行を始めるSL銀河

3月からラストシーズンの運行を始めるSL銀河

 
 2014年4月からJR釜石線(花巻―釜石間、90.2キロ)で運行されてきた蒸気機関車「SL銀河」が、客車の老朽化のため、本年6月で運行を終了する。3月から始まるラストシーズンに向け21日、機関車に火が入れられた。点火用の種火となったのは、近代製鉄発祥の地・釜石市の象徴「ものづくりの灯(ひ)」。釜石人の魂が込められた高炉の火が、見納めとなるSL運行を力強く支える。
 
 火入れ前日の20日、同市鈴子町釜石駅前広場の「鉄のモニュメント」から採火が行われた。上部で燃え続ける「ものづくりの灯」を釜石ガスの社員がトーチに分灯。釜石駅の髙橋恒平駅長が受け取り、ランタンに火を移した。火はSLの整備を担当するJR東日本盛岡車両センターの本倉幹弘所長に託された。翌21日には盛岡のSL検修庫で火入れ式が行われ、石炭を燃焼させるボイラーに点火された。
 
「鉄のモニュメント」にともされる「ものづくりの灯」を釜石ガスの社員が採火

「鉄のモニュメント」にともされる「ものづくりの灯」を釜石ガスの社員が採火

 
髙橋釜石駅長(右)が採火した火をトーチからランタンに移した

髙橋釜石駅長(右)が採火した火をトーチからランタンに移した

 
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 鉄のモニュメントは近代製鉄発祥150周年を記念し2007年に設置。新日鉄釜石製鉄所(現日本製鉄)構内で保存されてきた高炉の火を分けてもらい、「ものづくりの灯を永遠に」と記した磁鉄鉱石碑と共に“鉄のまち釜石”を発信している。東日本大震災の津波被害で火は一時消えたが、再びともされ、14年のSL銀河運行開始時には今回同様、この火を採火し火入れを行った。
 
 採火に立ち会った髙橋駅長は「ラストシーズンも釜石の大切な火を頂戴し、力強く運行していく。これまで全国から大勢のご乗車をいただいた。感謝の気持ちを込め、最後まで安全、安定輸送に努める」と思いを強くした。今シーズンも沿線の駅などで、さまざまなイベントが企画される。
 
 被災した沿岸地域への誘客など観光面からの復興支援、地域活性化を目的に運行を続けてきたSL銀河。14年4月12日の運行開始以来、春から初冬の土日祝日などに約480本を運行し、約7万人が乗車している。
 
2014年4月の運行開始から人気を集めてきたSL銀河。沿線住民に夢と希望を与えた(写真:復興釜石新聞)

2014年4月の運行開始から人気を集めてきたSL銀河。沿線住民に夢と希望を与えた(写真:復興釜石新聞)

 
各駅では多くの鉄道ファンがカメラを構える=2021年、陸中大橋駅

各駅では多くの鉄道ファンがカメラを構える=2021年、陸中大橋駅

 
 SL銀河ラストシーズンの運行は3月25日から。土日を中心に上下計24本の運行を予定する。最終定期運行は6月3日(釜石行き)と4日(花巻行き)。10、11日の旅行商品専用の団体臨時列車が最後の運行となる。

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「持続可能な観光地域づくり」へ全国8市町が共同宣言 釜石市で初のサミット開催

全国8市町が「持続可能な観光の推進に向けた共同宣言」を行ったサミット=14日、釜石市

全国8市町が「持続可能な観光の推進に向けた共同宣言」を行ったサミット=14日、釜石市

 
 釜石市など全国8市町でつくる日本「持続可能な観光」地域協議会は14日、釜石市民ホールTETTOで初のサミットを開いた。各市町の首長らが集い、「持続可能な観光の推進に向けた共同宣言」を採択。将来を見据え、国際基準を取り入れた観光地域づくりを広域連携で進めていくことをあらためて確認した。専門家の基調講演や各地域の取り組み報告もあり、民間の観光関係者を含め約150人が参加した。
 
 同協議会は2021年7月、釜石市の呼び掛けで発足。北海道ニセコ町、同弟子屈町、長野県小布施町、京都府宮津市、徳島県三好市、熊本県小国町、鹿児島県与論町が参画する。持続可能な観光を目指すための専門的支援、知見や情報の共有、連携する自治体のプロモーションに資する取り組みを推進し、地方創生のモデル地域を形成していくのが狙い。
 
日本「持続可能な観光」地域協議会代表理事の野田武則釜石市長があいさつ

日本「持続可能な観光」地域協議会代表理事の野田武則釜石市長があいさつ

 
 協議会の代表理事を務める野田武則釜石市長はサミット開催にあたり、「他市町の取り組みを参考にしながら共に切磋琢磨(せっさたくま)し、全国に持続可能な観光を発信してもらえれば」とあいさつ。共同宣言文には地域独自の文化と自然環境を保全し、持続可能な観光の国際基準(GSTC)に基づき、地域に貢献する観光を推進していくことが記され、8市町の首長が署名した。各市町からは、これまで経験した観光に関わる問題、課題解決への取り組み、協議会による連携への期待などが述べられた。
 
共同宣言署名に先立ち、協議会に参画する8市町の首長らが思いを述べた

共同宣言署名に先立ち、協議会に参画する8市町の首長らが思いを述べた

 
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 日本三景の一つ「天橋立(あまのはしだて)」を有する京都府宮津市の城崎雅文市長は、観光客による交通渋滞やごみ問題を経験した過去を踏まえ、「開発と保全のバランス、まさに持続可能な開発目標(SDGs)に関わる部分が重要になる。本協議会を中心に世界から選ばれる観光地を共に作っていきたい」と意気込んだ。
 
 町面積の約65%が「阿寒摩周国立公園」内という北海道弟子屈町の吉備津民夫副町長は、隣接4市町での「ゼロカーボンパーク」登録を紹介。「サミットを機に気候変動や資源の枯渇、生物多様性の保全など、問題解決への取り組みが全国に広がっていけば」と期待した。
 
 西日本第2の高峰「剣山」を有し、山と川が9割を占める徳島県三好市の高井美穂市長は、日本ジオパークの認定を目指していることを明かし、「自然と共存し、無理なく続けていける観光が地域課題の解決につながる。住民が喜んでもてなし、来た人にも喜んでもらえる好循環が持続可能な観光」との考えを示した。
 
 鹿児島県最南端の離島、与論町は沖縄復帰の前後で観光客数が大きく増減。最盛期に建設された観光施設の廃墟化など負の遺産問題を経験した。久留満博副町長は「一過性、消費型観光ではなく、島に残る美しい環境や貴重な文化、暮らしに配慮した取り組みが必要と考え、協議会に参加した。観光地のマネジメント、危機管理体制の構築などを早急に進めたい」と話した。
 
基調講演する高山傑さん(国連世界観光機関持続可能な観光プログラム諮問委員、観光庁「日本版持続可能な観光ガイドライン」アドバイザー)

基調講演する高山傑さん(国連世界観光機関持続可能な観光プログラム諮問委員、観光庁「日本版持続可能な観光ガイドライン」アドバイザー)

 
 基調講演の講師は、持続可能な観光の国際基準策定、評価における日本での第一人者、高山傑さん(一般社団法人JARTA代表理事)。GSTCの概要や持続可能な観光に必要なマネジメントなどについて説明した。
 
 高山さんは持続可能な観光の国際的定義を「経済、社会、環境への影響を十分に考慮した観光」とし、GSTCを活用した国際社会にも受け入れられる観光地づくりを促した。全ての関係者に支持されるマネジメント、数世代先を見据えた観光戦略の必要性も示し、▽土地の豊かさを失わない方針▽ブームではなく、ルーツにこだわる本物体験の加速▽地域住民の意見を反映した資源マネジメント▽地域で稼ぐための方策と後方支援―などをポイントに挙げた。
 
 GSTCは世界持続可能観光協議会が策定した達成すべき基準で、協議会から認定された第三者機関が実際の認証を行う。グリーン・デスティネーションズ(オランダ)は100項目の評価基準を設け、GSTC認証獲得への第一段階となる「世界の持続可能な観光地トップ100選」を2015年から発表。サミットを開いた地域協議会の8市町では釜石市(18年~5年連続)、ニセコ町(20、21年)、与論町(21年)、小国町(22年)が選出されている。釜石市は22年、全項目の70%で評価を得て、国内で唯一「シルバー賞」も受賞した。
 
釜石市の取り組みについて発表する市の担当者

釜石市の取り組みについて発表する市の担当者

 
 講演後は8市町と、同100選受賞に貢献してきた釜石市の観光地域づくり法人・かまいしDMC(河東英宜代表取締役)の取り組み報告も行われた。

釜石ラーメンスタンプラリー開催のお知らせ

昨年、釜石市で撮影され、年末に完成披露上映会を開催した映画「釜石ラーメン物語」は、今春4月7日より岩手県各所にて全国公開に先駆けて先行公開をいたします。

 

プロモーション実行委員会では、映画と釜石ラーメンのPRを兼ねてスタンプラリーを2/23〜5/31の期間で実施します。豪華な賞品も準備していますので、映画も観ていただき、釜石でラーメンも食べていただきたいと思います。

 

スタンプラリーの詳細は準備が出来次第告知します。

 

 

かまリン

(一社)釜石観光物産協会

釜石市内の観光情報やイベント情報をお届けします。

公式サイト / TEL 0193-27-8172 / 〒026-0031 釜石市鈴子町22-1 シープラザ釜石

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世界遺産「明治日本の産業革命遺産」をより分かりやすく 釜石でガイドらが研修

世界遺産「明治日本の産業革命遺産」インタープリテーション釜石エリア研修会

世界遺産「明治日本の産業革命遺産」インタープリテーション釜石エリア研修会

 
 2015年7月にユネスコの世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」。8県11市23構成資産の1つである「橋野鉄鉱山」を有する釜石市で6日、同遺産の価値を分かりやすく伝えるための人材育成研修会が開かれた。一般財団法人産業遺産国民会議が主催。東京都新宿区、産業遺産情報センター長の加藤康子さん(同国民会議専務理事)らが講演した。
 
 釜石観光ガイド会員、橋野鉄鉱山インフォメーションセンタースタッフ、市関係職員ら約20人が参加。同遺産の保全、発信に関わる2人の専門家の講演、海外有識者のインタビュースピーチの上映などが行われた。
 
 講演した加藤さんは、同遺産が「製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の3分野、時代的には19世紀半ば~20世紀初頭(江戸後期~明治後期)にわたることをあらためて説明。1つの世界遺産として示している価値について、「鎖国をしていた日本が開国し、わずか50年で工業立国の土台をつくった。急速な産業化の道程を表した遺産」とし、「橋野鉄鉱山を訪れる人たちに、その全体像の中での意義をしっかり伝えてほしい」と願った。
 
産業遺産情報センター長/産業遺産国民会議専務理事 加藤康子さん

産業遺産情報センター長/産業遺産国民会議専務理事 加藤康子さん

 
 同遺産を時系列でみると、次の3つの時代に分けられることも説明した。①試行錯誤の挑戦(1850~60年代)=鎖国をしていた日本が西洋の科学技術の情報が乏しい中で、蘭書を片手に鉄製大砲の鋳造に挑戦していた時代(釜石で洋式高炉による鉄の連続出銑に成功した大島高任らの活躍)。②西洋の科学技術の導入(1860~80年代)=開国により西洋の技術者が入国。日本からの留学も活発になり、ものづくりの人材が急速に成長していった時代。③産業基盤の確立(1890年代~1910年)=大量生産が可能になった時代。
 
講演に聞き入る釜石市の観光ガイド、橋野鉄鉱山インフォメーションセンタースタッフら

講演に聞き入る釜石市の観光ガイド、橋野鉄鉱山インフォメーションセンタースタッフら

 
 同センターで上映している「橋野鉄鉱山」と「官営八幡製鉄所」の紹介映像も見せ、釜石(同鉄鉱山)が世界遺産価値にどう貢献しているのかも示した。加藤さんは「当時、急速に産業国家の土台をつくることができたのは、基礎となる素材産業が国内で確立したから。釜石では木炭高炉法からコークス炉導入まで30年。西洋では3世紀もかかっている」と話した。
 
 釜石市民と鉄との関わりについても言及。特に子どもたちの教育プログラムを絶賛し、「愛情を持って鉄と触れ合い、学んでいる姿は全国オンリーワン。釜石の鉄のDNAは絶対に無くさないでほしい。挑戦をし続けた先人たちの魂が生きている。必ず日本の未来に大きな貢献ができるような人材が育つだろう」と期待した。
 
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 同遺産の世界遺産登録から7年―。加藤さんは、登録時の価値を損なわないようにするため各自治体、関係者間で情報共有する「遺産保全マニュアル」を本年度から2カ年で作成することも報告した。

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釜石の山に眠る「鉄」以外のお宝とは? 市立図書館で学ぶ市民教養講座

釜石市立図書館が開いた市民教養講座「釜石の金山・銅山について」

釜石市立図書館が開いた市民教養講座「釜石の金山・銅山について」

 
 「近代製鉄発祥の地」である釜石市は、洋式高炉による連続出銑の成功とともに、原料となる鉄鉱石の豊富な産出でも知られる。釜石一帯の山々では鉄のほかに金や銅の鉱脈もあり、実際に採掘が行われていた。その歴史を学ぶ講座が4日、釜石市小佐野町の市立図書館(川畑広恵館長)で開かれた。同館主催の市民教養講座の一環。市世界遺産課課長補佐の森一欽さんが講師を務め、16人が聴講した。
 
 同市に眠る鉱床は、約1億2千万年前(中生代白亜紀)の火山活動で生まれた。マグマの熱で石灰岩などが溶かされ変成。冷え固まる過程でさまざまな鉱物が生成された。変成岩の中でも柘榴(ざくろ)石の近くで鉄鉱石(磁鉄鉱)、灰鉄輝石の周りで銅鉱石(黄銅鉱)、石英脈が発達した場所では金鉱石が見つかっている。「理由は証明されていないが、昔の人は現場の勘で鉱脈を探していったと思われる」と森さん。釜石では特に鉄鉱石と銅鉱石が多く見られ、大規模な採掘につながった。
 
金鉱石や銅鉱石ができる過程についても説明した

金鉱石や銅鉱石ができる過程についても説明した

 
講師を務めた釜石市世界遺産課の森一欽課長補佐

講師を務めた釜石市世界遺産課の森一欽課長補佐

 
 県内では、日本最古の金が産出されている陸前高田市の「玉山金山」など気仙地方の金山が有名だが、釜石地方でも小規模ながら採掘が行われていた時代がある。文献などによると、釜石市内では16の金山が確認されており、各地に広く分布する。中でも多いのは橋野町。
 
 橋野鉄鉱山の東側にある「六黒見(むくろみ)金山」は、1807(文化4)年に発見された。地元住民や盛岡藩が採掘に乗り出すが、江戸期の経営はうまくいかなかった。明治期になると近代化が図られ、再興への道が開かれる。1935(昭和10)年、日本鉱業が金増産のため本格的採掘に着手したが、43(昭18)年の全国的な金山整理で閉山。戦後、一時稼働したが、55(昭30)年ごろまでには休山したとみられる。記録によると、35~43年までの鉱石採掘量は約8万5千トン。鉱石1トンから取れる金は約8グラム程度だった。
 
 森さんは六黒見金山に残る社宅、事務所、坑道跡などの写真を紹介。大きいもので横20メートル、縦16メートルの坑道入り口があることも示した。明治期の金山所有者の銘が刻まれた石碑もあったが、2016年の台風豪雨で流失し、行方不明だという。
 
六黒見金山に残る、採掘が行われていた痕跡を示す写真

六黒見金山に残る、採掘が行われていた痕跡を示す写真

 
釜石で行われた金、銅採掘について学ぶ参加者

釜石で行われた金、銅採掘について学ぶ参加者

 
 釜石市甲子町大橋の「釜石鉱山」一帯は日本最大の鉄鉱山であるとともに、国内有数の銅鉱山でもある。1907(明治40)年、大橋の新山から産出される銅鉱石の製錬を開始。有力な銅鉱床が発見されると、52(昭和27)年、銅鉱石の選鉱場を建設し、本格的な採掘を始めた。「釜石では粗い製錬はしたが、純度を高める作業はしなかったため、硫化物による大きな公害はなかった」と森さん。
 
 鉄鉱石は精鉱により50~60%が有用な鉄になるが、銅鉱石は12~20%程度と採算がなかなか合わない。釜石鉱山では1992(平成4)年に銅鉱石の採掘を休止。鉄鉱石は93(平5)年、石灰石は2000(平12)年に採掘を休止している。
 
釜石鉱山の銅鉱石の選鉱場は、今は建物の土台だけが残る

釜石鉱山の銅鉱石の選鉱場は、今は建物の土台だけが残る

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SL銀河、今季最終運行 釜石駅で見送り~来春の引退決定も…「また絶対乗る!」

今季最終運行を迎えたSL銀河。雄姿をカメラに収める乗客らでにぎわった

今季最終運行を迎えたSL銀河。雄姿をカメラに収める乗客らでにぎわった

 
 JR釜石線(花巻―釜石間)を走る蒸気機関車「SL銀河」が4日、今シーズンの運行を終えた。最終日も家族連れらでにぎわい、乗車率はほぼ満員となった。始発駅の釜石駅ホームでは地元関係者が横断幕を掲げ、大漁旗を振りながら花巻行きの列車をお見送り。来春に運行終了を控える中、鉄道ファンや住民らも雄姿を目に焼き付けようと詰め掛け、SLをバックに記念写真を撮影していた。
 
「ありがとう!また来年」と横断幕を掲げる乗客も

「ありがとう!また来年」と横断幕を掲げる乗客も

 
「C58239」をバックに記念写真。ホームに笑顔が広がった

「C58239」をバックに記念写真。ホームに笑顔が広がった

 
 釜石駅には午前9時57分の発車に合わせ、市外内から多くの人が集まった。機関車の前で機関士と写真を撮ったり、運転台の様子をのぞかせてもらったり交流。「ありがとう!また来年」と横断幕を掲げて客車に乗り込む人もいた。
 
 千葉県茂原市の澤井穂高君(萩原小2年)は今年2回目の乗車。機関車の迫力やレトロな雰囲気の客車、プラネタリウムがお気に入りで、「来年も絶対乗る」と目を輝かせた。首から下げたコンパクトカメラのシャッターを切る息子の様子を見守る父康男さん(39)は「思い出を大切に残してほしい。三陸の魚を味わいにまた来たい」と自身も楽しみをキープした。
 
白い制服に「一日駅長」のたすきを掛けた利重剛さん(右)、髙橋恒平釜石駅長

白い制服に「一日駅長」のたすきを掛けた利重剛さん(右)、髙橋恒平釜石駅長

 
 来年公開予定の映画「釜石ラーメン物語」に出演する俳優の利重剛さんが一日駅長に委嘱され、白い制服姿でホームに登場した。髙橋恒平駅長とともに手を挙げて出発の合図。見送りの大漁旗が翻る中、大きな汽笛、黒煙とともに列車がホームを滑り出した。
 
大漁旗を振って花巻行きの列車を見送る釜石市民ら

大漁旗を振って花巻行きの列車を見送る釜石市民ら

 
今季最終列車はほぼ満員。乗客は手を振って見送りに応えた

今季最終列車はほぼ満員。乗客は手を振って見送りに応えた

 
 駅から少し離れた場所で、線路を力強く進むSLを待ち構える人の姿も多数。只越町の多田國雄さん(79)は普段、聞こえない汽笛の音がこの日は耳に届き、「(写真を)撮りに来い―ということ。行かねば」と駆け付けた。モクモクと黒煙をはきながら走る機関車を正面から捉えてパチリ。「いいのが撮れた」と満足げだった。
 
釜石駅に停車中のSL銀河。少し離れたところで出発を待ち構えるファンも

釜石駅に停車中のSL銀河。少し離れたところで出発を待ち構えるファンも

 
】黒煙を上げ釜石を後にするSLを沿線から多くの人が見送った

黒煙を上げ釜石を後にするSLを沿線から多くの人が見送った

 
 SL銀河は蒸気機関車C58形239号機を復元し、東日本大震災の復興支援や観光振興を目的に2014年4月に運行を開始した。JR東日本盛岡支社によると、9年目の今季は4~12月の期間で、土日・祝日を中心に上下計72本(定員各176人)を運行。平均乗車率は8割と好調を維持した。14年4月から今年11月までの乗客数は約5万7000人。沿線住民、鉄道ファンらに愛されているが、旅客車の老朽化などに伴い来春の運行後に終了することが決まっている。来年の運行日程は今後決定するという。
 

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近代製鉄発祥の地・釜石から発信!いわての鉄遺産 フォーラムで価値、活用を考える

初開催の「いわての鉄遺産フォーラム」。保存・継承の思いを共有した

初開催の「いわての鉄遺産フォーラム」。保存・継承の思いを共有した

  
 12月1日は「鉄の記念日」(日本鉄鋼連盟制定)。江戸時代末期の1857(安政4)年12月1日、大島高任が現釜石市甲子町大橋に建設した洋式高炉で日本初の鉄鉱石を用いた製鉄(連続出銑)に成功したことにちなむ。釜石市では記念日の前後1週間を「鉄の週間」として、各種イベントを催している。11月26日には「いわての鉄遺産フォーラムinかまいし」(いわて鉄文化関連遺産ネットワーク主催)が大町の市民ホールで開かれ、同市の世界遺産「橋野鉄鉱山」を含む本県の鉄関連遺跡の価値と活用について、鉄の歴史館(大平町)名誉館長の小野寺英輝さん(岩手大理工学部准教授)が講演。地域の歴史を学んだ児童らは成果発表で、再発見した「釜石のよさ」を発信した。
  
「釜石の意義」を強調した鉄の歴史館名誉館長の小野寺英輝さん

「釜石の意義」を強調した鉄の歴史館名誉館長の小野寺英輝さん

  
 小野寺さんは、橋野鉄鉱山を含む「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」(8県11市23資産)で描かれた「ストーリー」や、そこでの釜石の位置づけに関し、独自の解釈を織ませながら解説。「構成資産群は世界へ向けた日本の近代化を発信するために作られた人工的なストーリー。歴史の縦糸と言えるもので、これに対する横糸となるのが地域の歴史。2つを融合させることで、近代化の中での地域の役割を立体的に理解できる」と強調した。
  
 伝承について、「遺産は単に古いものというイメージで捉えてはいけない。長い年月にわたり保ち続けた歴史や習慣と、その価値であり、何かを伝えるものでなければならない」と指摘。伝承を基本とした観光客の誘致は重要とした上で、「ただ見て終わりではなく、具体的に何か受け取るものや付加価値を求めている社会学習や修学旅行、ゼミ合宿などを誘致することが遺産の活用につながる」とした。
  
三陸ジオパークの魅力から再発見した「釜石のよさ」を伝えた双葉小児童

三陸ジオパークの魅力から再発見した「釜石のよさ」を伝えた双葉小児童

  
 鉄の学習発表には市内の小学校2校が参加。双葉小5年生29人は、「三陸ジオパーク」について学んだ成果をスライドにまとめた。代表の9人が三陸の地形の歴史や釜石にある6つのジオサイト、鉄づくりの歴史や採取できる鉱物などをクイズ形式で紹介した。
  
 児童からは「豊かな自然がたくさんある。地形は海を育み、恵みをもたらすが、津波の被害を大きくすることもある。三陸や釜石のことをもっと知りたいし、よさを発信していきたい」などの声が聞かれた。
  
栗林小児童は大島高任と鉄づくりを題材にした創作劇を紹介した

栗林小児童は大島高任と鉄づくりを題材にした創作劇を紹介した

  
 栗林小5、6年生12人は鉄に関する座学、鉄の歴史館や橋野鉄鉱山の見学を行い、近代製鉄の歴史に理解を深めた。▽勉強熱心▽困難に立ち向かう心の強さ▽目標に向かって前に進む姿勢▽挑戦し続ける粘り強さ―といった大島高任の生き方が印象に残り、高任の考えと支えた釜石人の思いを想像しながら劇を作って校内の学習発表会で披露した。
  
 フォーラムには4人が参加し、劇の一部を動画で紹介。「世界に誇ることができる自慢がたくさんある。この地で偉業を成し遂げた熱い思いを持った人たちの生き方をつないでいきたい」と力を込めた。
  
釜石市に寄贈された絵画「坑底に闘う」。今後は旧釜石鉱山事務所に展示される予定

釜石市に寄贈された絵画「坑底に闘う」。今後は旧釜石鉱山事務所に展示される予定

  
絵画の寄贈式に臨んだ渕上範敏社長(右)、野田武則市長

絵画の寄贈式に臨んだ渕上範敏社長(右)、野田武則市長

  
 旧釜石鉱山事務所(甲子町大橋)で展示されていた絵画「坑底に闘う」(鈴木満作)が修復作業を終え、所有する日鉄鉱業(東京)から市に寄贈された。同社子会社の釜石鉱山(甲子町)の渕上範敏社長によると、作品の右上に「於日鉄釜石鉱山 18.8.2」とあり、戦時中の鉱山坑内で働く人々の姿を描いた100号の大作。「戦時中を考察する歴史資料としての価値もあり、当時のことを思い、ゆっくり鑑賞してほしい」と願う。市では、来年春以降に同事務所で見ることができようにしたいとしている。
  
鉄や三陸ジオパークに関するパネル展示で理解を深める来場者

鉄や三陸ジオパークに関するパネル展示で理解を深める来場者

  
 「明治日本の―」や三陸ジオパークに関する情報を紹介する「鉄のパネル展」。会場を鈴子町のシープラザ釜石に移し、12月4日まで開催する。
  
 同ネットワークは、橋野鉄鉱山を核に鉄文化関連遺産などを結び、情報発信や教育、保存活用、人的・文化的交流などの地域振興につなげていくため、県と県内15市町村を構成団体として、2021年に設立された。フォーラムは鉄遺産の価値を普及させ、保存・継承への意識を醸成するのを狙いに初開催。約70人が聴講した。
   
今後予定される鉄の週間行事は下記の通り。
◆3日(土)午前10時~・鉄の歴史館 記念講演会「三陸ジオパークと釜石の地質」
*同館で3、4日には県指定文化財「紙本両鉄鉱山御山内並高炉之図」(幕末の高炉操業の絵巻)公開
*同館で来年1月9日(月・祝)まで企画展「かまいしの大地の足跡展」
◆4日(日)午後13時半~・市立図書館 市民教養講座「鉄の町かまいし歴史講座」
*同館で14日(水)まで「鉄の記念日図書展」
◆8日(木)まで・旧釜石鉱山事務所 企画展「鉱山を極める その1―釜石鉱山新山について」
◆同・橋野鉄鉱山インフォメーションセンター 橋野高炉跡発掘調査速報展(三番高炉周辺・御日払所跡出土資料の展示)
◆来年1月22日(日)まで・市郷土資料館 企画展「新収蔵資料展」

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世界遺産「橋野鉄鉱山」で発掘調査 三番高炉の水車場、フイゴ座、鋳造場を確認

国史跡「橋野高炉跡」発掘調査現地説明会。水車場跡に見入る見学者

国史跡「橋野高炉跡」発掘調査現地説明会。水車場跡に見入る見学者

 
 釜石市が本年度、発掘調査を行った「橋野鉄鉱山」高炉場跡、三番高炉エリアで12日、調査結果を一般に公開する説明会が開かれた。同調査は市が2018年から進める「橋野高炉跡範囲内容確認調査」の一環。三番高炉跡は1956(昭和31)年に岩手大による発掘調査が行われ、その価値が認められ、翌57(同32)年に橋野高炉跡が国史跡に指定された経緯がある。今回はその調査記録の再確認などが行われた。結果、高炉覆屋建物の規模が実証され、水車場、フイゴ座、鋳造場の痕跡も確認できた。
 
 同調査は10~11月の期間で実施。岩手大の調査記録、1892(明治25)、94(同27)年の建物記録を参考に、規模の確認を主目的とした。高炉の西側には本線水路から水を引き稼働させた水車場の記録があり、今回の発掘でもその石組みを確認。下部構造や範囲が明らかになったほか、地中からは水車場か高炉上屋の廃材とみられる木材が見つかった。水車の直径は約2メートルと推定されるという。
 
水車場の下部構造(黄丸部分)が分かる石組み

水車場の下部構造(黄丸部分)が分かる石組み

 
水車場の中から見つかった廃材(黄丸部分)

水車場の中から見つかった廃材(黄丸部分)

 
 水車の軸とつながれたフイゴは高炉に風を送る装置で、高炉北側に位置していたことが記録に残る。水車の駆動で2基の箱型フイゴが稼働していたとみられ、地中にフイゴの土台を止めるための穴が見つかった。大島高任が日本で初めて連続出銑に成功した大橋高炉では当初、西洋式の丸型足踏みフイゴが採用された。翌年に操業した橋野高炉ではより効率的に風を送れるように改良した箱型フイゴが使われ、2基の稼働で順次、風を送れる仕組みが確立された。これが橋野高炉成功の理由の一つとされる。
 
三番高炉の北側に位置する「フイゴ座跡」(黄丸部分)

三番高炉の北側に位置する「フイゴ座跡」(黄丸部分)

 
水車とフイゴをつなぐ軸の推定位置を説明(奥が水車場、手前がフイゴ座)

水車とフイゴをつなぐ軸の推定位置を説明(奥が水車場、手前がフイゴ座)

 
 今回の調査では岩手大の調査記録では分からなかった鋳造場跡が確認された。高炉の南側エリアで鋳型の外側の部材が出土。関係する木枠、砂、焼けた土も確認された。高炉石組みのすぐそばには鋳造炉、鋳型場とみられる痕跡も。文献記録によると、同高炉の出銑は1894(明治27)年6月が最後とされ、終焉(えん)ごろは銑鉄の生産よりも鉄瓶や鍋釜の鋳造が中心だったとされる。
 
三番高炉南側エリアで確認された鋳造場跡(黄線囲み部分)。鋳型片などが見つかった(左下)

三番高炉南側エリアで確認された鋳造場跡(黄線囲み部分)。鋳型片などが見つかった(左下)

 
 この他、高炉東側に位置する出銑の砂場跡の範囲、岩大調査では検出されていなかった柱穴や土坑が確認された。これらの情報をもとに検討した結果、高炉覆屋建物の規模は約57坪(約188平方メートル)と推定され、明治の記録と合致した。出土した鋳型の一部、高炉底部のれんがを含む塊など遺物は、橋野鉄鉱山インフォメーションセンターで12月8日まで公開されている。
 
高炉出銑口前の砂場範囲も確認された。左下は江戸末期の絵巻に描かれた出銑口前での作業風景

高炉出銑口前の砂場範囲も確認された。左下は江戸末期の絵巻に描かれた出銑口前での作業風景

 
インフォメーションセンターで公開されている出土品。右は耐火れんが積塊

インフォメーションセンターで公開されている出土品。右は耐火れんが積塊

 
 今回は昨年度の調査で確認できなかった土蔵跡の調査も行われた。江戸末期(1860年代前半)に描かれた高炉絵巻では御日払所の北側に板蔵、土蔵の順に並ぶ様子が見られるが、今回の調査で板蔵の東側に土蔵があったことが確認された。建物礎石が見つかり、明治の記録「6坪」と合致した。この場所には1967(昭和42)年に国史跡指定10周年を記念して日本鉄鋼連盟により東屋(休憩所)が建設されており、2018(平成30)年まで上屋が残っていた(老朽化で撤去)。
 
板蔵跡の東側で確認された土蔵跡。絵巻(左下)では板蔵の北側に描かれていた

板蔵跡の東側で確認された土蔵跡。絵巻(左下)では板蔵の北側に描かれていた

 
 調査を担当した市世界遺産課の髙橋岳主査は「水車場の石垣など遺構が良好な状態で残っていることをあらためて確認できた。この状態の良さがあったからこそ、昭和32年の国史跡指定にもつながったものと思われる。今回、鋳造の痕跡が見つかったのは新たな発見」と成果を示した。来年度は西側に位置する長屋跡の発掘調査が行われる予定。

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味覚、手仕事、スポーツの秋満喫! うのすまい・トモス(釜石)で秋祭り、初開催

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うのすまい・トモスで開かれた秋祭りを楽しむ子どもたち

 
 釜石市鵜住居町のうのすまい・トモスで13日、「秋祭りwith手仕事マルシェ」(かまいしDMC主催)が初開催された。市内外のおいしいもの、ハンドメード品を販売する出店が集合。スポーツ体験などもあり、老若男女が思い思いに「~~の秋」を楽しんだ。
 
 トモス広場と鵜の郷交流館を会場に、市内外の飲食店やものづくり団体など25団体が出店。海産物の加工品やパン、麺類、焼き鳥、スイーツなど多彩なメニューを提供したり、ハンドメード雑貨や木工品、文具など幅広い商品を紹介した。
 
目の前で焼き上げられるホタテの香ばしさが食欲をそそる

目の前で焼き上げられるホタテの香ばしさが食欲をそそる

 
手作り品が並んだマルシェで品定めをする親子連れ

手作り品が並んだマルシェで品定めをする親子連れ

 
 子どもたちは、地元のラグビーチーム・釜石シーウェイブス(SW)選手との交流に大はしゃぎ。ラインアウトでのボールキャッチを体験した大人たちも「高い」「面白い」と興奮気味だった。隣接する市民体育館では本県のプロバスケットボールチーム・岩手ビッグブルズがあり、チアリーダーがダンスパフォーマンスを披露。「秀明太鼓」の演奏もあった。
 
釜石シーウェイブス選手と触れ合いを楽しむ家族連れ

釜石シーウェイブス選手と触れ合いを楽しむ家族連れ

 
岩手ビッグブルズチアリーダーのパフォーマンスを多くの人が見守った

岩手ビッグブルズチアリーダーのパフォーマンスを多くの人が見守った

 
 近くの釜石鵜住居復興スタジアムで開かれたタグラグビー大会を終えた子どもたちの姿も多数。藤原菫さん、藤原英佑君(ともに鵜住居小3年)、小川原瑛大君(同2年)はかき氷や冷たい飲み物を手に「最高」と喜んだ。いろいろな味、あふれる物や人に祭り気分を満喫。「ますます元気になる。いいね~」と笑顔を重ねた。
 
 地元の寺前ストアはソウルフード・かまだんごや草餅などを販売。計300個ほどを持ち込んだが、約30分で完売した。店主の佐々木輝幸さん(47)は「人が集まると物が動く。イベントは客を呼べる」と手応えを実感。続く新型コロナウイルス禍に加え、人口減で消費が縮小している現状に厳しい表情を浮かべる一方で、「うちの商品を楽しみにしている人も多い。細く長く商売を続けたい」と目を細めた。
 
おいしいものを買い求めて味わう人たちでにぎわった

おいしいものを買い求めて味わう人たちでにぎわった

 
 まちのにぎわい創出などを目指して企画された。うのすまい・トモス統括マネジャーの佐々学さん(43)は「子どもから高齢者まで幅広い年代が楽しめる憩いの場になれば」と期待。津波伝承施設「いのちをつなぐ未来館」もあることから、「震災を忘れない場所としての利用も広がってほしい」と願う。
 
 地域を盛り上げようと、12月4日にはクリスマスにちなんだ手作り雑貨など売り出すマーケットの開催を予定する。
 

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紅葉の橋野に3年ぶりのにぎわい 「水車まつり」で祝う実りの秋 豚汁やそばに舌鼓

人気の餅まきでにぎわう「第16回水車まつり」

人気の餅まきでにぎわう「第16回水車まつり」

 
 農作物の収穫を祝う釜石市橋野町の「水車まつり」は6日、産地直売所・橋野どんぐり広場周辺で開かれた。橋野町振興協議会(和田松男会長)、栗橋地区まちづくり会議(洞口政伸議長)が共催。新型コロナウイルス感染症の影響で2年間の中止を経ての復活開催となり、待ちわびた約430人が餅まきや豚汁の振る舞いなどを楽しんだ。食、文化、自然と地域の魅力を堪能できるイベントは16回目を迎えた。
 
 青空に映える山々の紅葉に囲まれた会場。祭りは恒例の餅まきで幕を開けた。手作りの祝い餅約1千個を軽トラックの荷台から豪快にまいた。老若男女が「こっち、こっち」と手を伸ばし、久しぶりのにぎわい風景が広がった。
 
主催団体の代表らが紅白の祝い餅を豪快にまいた

主催団体の代表らが紅白の祝い餅を豪快にまいた

 
餅まきを楽しむ来場者。まつりを代表する光景

餅まきを楽しむ来場者。まつりを代表する光景

 
 野菜をふんだんに使った豚汁は約300食を用意し、無料で提供。手打ちそば、きびの焼き団子、雑穀おにぎりなどは約100~300食を各100円で販売した。野菜や穀物はいずれも地元産。良質食材と地域の食の技で生まれる味覚を求めて、長蛇の列ができた。2018年から同祭りに協力する鵜住居公民館の自主グループ「そばの三たて会」(奥山英喜会長)は、そば打ちで力を発揮。振興協女性部とともに前日から準備にあたった。全メニューは昼前に完売する盛況ぶりを見せた。
 
豚汁は無料でお振る舞い。この味を求めて多くのファンが訪れる

豚汁は無料でお振る舞い。この味を求めて多くのファンが訪れる

 
きびの焼き団子は炭火で香ばしさアップ。みそだれも食欲をそそる

きびの焼き団子は炭火で香ばしさアップ。みそだれも食欲をそそる

 
 川崎花音さん、心花さん姉妹(鵜住居小4年)は「栄養たっぷりの野菜が入った豚汁、みそだれがかかったきび団子がおいしかった」、いとこの川口梨沙さん(同)は「餅をいっぱい拾った」と笑顔満開。周辺の紅葉にも目を見張り、「赤、黄、オレンジといろいろな色が交ざってきれい。秋だなーって感じる。ずっと見ていたい」と口をそろえた。
 
 甲子町の佐藤高正さん(74)は市広報を見て妻らと初めて来場。「こんなに人出があるとは驚き。一通り食べたが、どれもおいしい。天気もいいし、川と水車、紅葉が織りなす景色は最高」と祭りを満喫。橋野に来る機会はあまりなく、「こういうイベントがあれば足が向く。長く続けてほしい」と望んだ。
 
橋野自慢の味に子どもたちもこの笑顔!箸が進む

橋野自慢の味に子どもたちもこの笑顔!箸が進む

 
赤ちゃんもおいしい豚汁をもぐもぐ。家族で橋野の味を堪能

赤ちゃんもおいしい豚汁をもぐもぐ。家族で橋野の味を堪能

 
 産直近くの親水公園内にある水車小屋では、きねでもみ米をつく実演も。これで精製した米は風味が違うという。この日は来場者が米を持ち込む姿もあった。大きな水車が回る農村風景は今ではなかなか見ることができない。水車の前では記念撮影を楽しむ家族連れらが目立った。水車小屋の裏手には「ママシタの滝」があり、こちらも撮影スポットとなった。
 
かやぶき屋根の水車小屋(左上写真)。来場者は水の力で回る大きな水車の迫力を楽しんだ

かやぶき屋根の水車小屋(左上写真)。来場者は水の力で回る大きな水車の迫力を楽しんだ

 
 水車まつりは、同町で年間を通して行われる「はしの四季まつり」の一つ。コロナ禍で20年からは全祭りの中止が続いていたが、本年は春の八重桜まつり、夏のラベンダーまつりを観賞会という名目で実施。今回の水車まつりは本格復活の第一歩となり、ほぼ例年規模での開催が実現した。
 
 同振興協の和田会長は「市内の感染状況も落ち着いており、『そろそろ動き出したい』との思いがあった。協議会内でも開催への前向きな意見が多く、みんなの強い気持ちが復活を後押しした」と説明。3年ぶりの活気に「よかったねぇ~。ほっとする光景」と目を細め、「来年はニジマス釣り大会を含め、全まつりができるようになれば」と心から願った。

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2基のみこし、曳き船に市民ら感涙 3年ぶりの釜石まつり コロナ禍からの復活に力

釜石まつり(尾崎神社、日本製鉄山神社合同祭)=16日、薬師公園御旅所

釜石まつり(尾崎神社、日本製鉄山神社合同祭)=16日、薬師公園御旅所

 
 釜石市浜町の尾崎神社と桜木町の日本製鉄北日本製鉄所釜石地区山神社の合同祭「釜石まつり」(同実行委主催)は14日から3日間にわたって行われた。新型コロナウイルス感染症の影響で中止が続いていた同市最大の秋祭りが3年ぶりに復活。15日は釜石湾内で曳き船まつり(尾崎神社海上渡御)、16日は市中心市街地で両神社のみこし渡御を繰り広げ、まちに活気をもたらした。参加者、観客ともに大きな喜びに包まれ、地元の宝を再認識。コロナ禍からの脱却に大きな弾みをつけた。
 
曳き船まつり(尾崎神社海上渡御)は4年ぶりの開催=15日、釜石港

曳き船まつり(尾崎神社海上渡御)は4年ぶりの開催=15日、釜石港

 
 尾崎神社奥宮のご神体をみこしに迎え、海上を渡御する曳き船まつりは、江戸時代から続く伝統神事。海上安全や豊漁などを祈願する。コロナ前の2019年も悪天候で中止されたため、今回は4年ぶりの開催。魚河岸の市魚市場前から出港した14隻の船団は尾崎半島青出浜にある奥宮にご神体を迎えに行き、午後0時半ごろ帰港。大漁旗をなびかせた各船は港内を3周した。船には神楽や虎舞の郷土芸能団体が乗り込み、にぎやかなおはやしや舞を披露。みこしを乗せた御召船第18宝生丸(釜石湾漁協)が岸壁に近づくと、見物客が手を合わせた。
 
色とりどりの大漁旗をなびかせ進む漁船=釜石市魚市場前

色とりどりの大漁旗をなびかせ進む漁船=釜石市魚市場前

 
船首でちょうちんを掲げ、舞を見せる錦町虎舞

船首でちょうちんを掲げ、舞を見せる錦町虎舞

 
船が岸壁に近づくと、互いに手を振ったり声を掛け合ったりした

船が岸壁に近づくと、互いに手を振ったり声を掛け合ったりした

 
 北上市の川﨑千鶴子さん(61)は「震災前に見て以来。コロナで気持ちが落ちている時だけに気分が上がる。浜ならではの威勢の良さも魅力」と大喜び。釜石・甲子町に暮らす義母妙さん(84)は「いい天気に爽やかな海風。最高の祭り日和。若いころは自分も船に乗った。その時のことが懐かしく思い出される」と息子夫婦と心を躍らせた。
 
 第18宝生丸の乗組員大向孝哉さん(60)は久しぶりの高揚感を味わい、「毎年のことだから、やっぱりこれがないとね。コロナを吹き飛ばすような活気」と復活を歓迎。サケ、サンマ、イカと不漁続きで漁業は厳しい状況に置かれるが、「とにかく魚がとれることを願うばかり。尾崎の神様に海の環境回復を祈る」と思いを込めた。
 
海上渡御を終えたみこしは浜町の尾崎神社里宮へ

海上渡御を終えたみこしは浜町の尾崎神社里宮へ

 
 両神社の合同みこし渡御には郷土芸能9団体を含む約800人が参加。鈴子町の釜石消防署脇駐車場で合同祭の神事を行った後、午後0時半ごろ行列が出発。大渡町から魚河岸まで市中心部の目抜き通りを2基のみこしが練り歩いた。先導した郷土芸能団体は大町から只越町間の路上で演舞を披露。沿道に詰めかけた大勢の観客の前で魂のこもった舞を見せた。
 
大渡町を練り歩くみこし渡御行列(右下拡大:平田神楽)=16日

大渡町を練り歩くみこし渡御行列(右下拡大:平田神楽)=16日

 
東前太神楽も頭をつけて舞いながら進む

東前太神楽も頭をつけて舞いながら進む

 
親子虎共演!幼児の舞い手も活躍した尾崎町虎舞

親子虎共演!幼児の舞い手も活躍した尾崎町虎舞

 
 薬師公園御旅所で神事を行った両神社のみこしは、並んで通りをゆっくりと進んだ。出迎えた観客はさい銭をあげてみこしに手を合わせ、地域の守り神に感謝。家内安全、商売繁盛、コロナ禍で落ち込んだ景気回復などそれぞれの願いを胸に、異彩を放つみこしを見つめた。
 
尾崎神社(右)と日本製鉄山神社のみこし。3年ぶりの合同渡御が実現

尾崎神社(右)と日本製鉄山神社のみこし。3年ぶりの合同渡御が実現

 
沿道では大勢の市民らが行列を見守った=大町

沿道では大勢の市民らが行列を見守った=大町

 
 小佐野町の佐々木興子さん(78)は「例年より人出も多いよう。お祭り女だからわくわくする」と笑顔満開。いつもは釜石芸能連合会の手踊りで参加するが、今年は同会の参加見送りで観客側に。「人口減少、高齢化も進むが、祭りで釜石が元気になってほしい。次回、参加できるように自分も元気でいたい」と願った。
 
 8月に北九州市から転勤してきたテツゲンの早田大輔さん(36)は初めて同山神社のみこし担ぎに参加。震災やコロナの苦境から立ち上がってきた釜石人の底力に感動し、「皆さんの笑顔が印象的。よそから来た人間も温かく迎えてくれる市民性がありがたい。釜石にいる間はぜひ参加したい」と声を弾ませた。
 
虎舞、神楽の参加団体は山車を引きながら移動

虎舞、神楽の参加団体は山車を引きながら移動

 
 行列は市役所御旅所を経て午後2時半ごろ、魚市場御旅所に到着。神楽、虎舞の6団体が最後の踊りを奉納し、祭りはクライマックスを迎えた。例年行う「大盃の儀」はコロナ感染予防のため取りやめ、代わりに参加者の3本締めで締めくくった。尾崎神社のみこしはご神体を奥宮にかえすため船に乗せられ、神楽、虎舞団体がはやし立てる中、岸壁を離れた。見送りは船が見えなくなるまで続いた。
 
 2歳から祭りに参加する錦町虎舞の阿部龍雅君(16)は「みんなで盛り上がれる祭りはめっちゃ最高。今年はいつも以上」と祭り復活の喜びをかみしめた。踊りの練習は厳しいが、「どんどん頑張ってうまくなりたい。大人になったら踊りを教えられるような、みんなを引っ張っていけるような人になりたい」と夢を描いた。
 
魚市場御旅所ではみこし還御式が行われ、年行司太神楽など6団体が演舞

魚市場御旅所ではみこし還御式が行われ、年行司太神楽など6団体が演舞

 
「白虎」で躍動する只越虎舞

「白虎」で躍動する只越虎舞

 
奥宮にかえるご神体を神楽、虎舞の団体がおはやしで見送った

奥宮にかえるご神体を神楽、虎舞の団体がおはやしで見送った

 
 尾崎神社の佐々木裕基宮司は「沿道でみこしに手を合わせ、ずっと頭を下げられている方もいて胸が熱くなった。震災の年に涙を流して拝んでくださった姿と重なる。祭りを待ち望んだ皆さんの喜びがあふれていた」と目を潤ませた。同神社は300年以上の歴史を誇る六角大みこしを70年ぶりに修復、19年の渡御で初披露した。今回はコロナ禍で担ぎ手の確保が難しいことや、大人数による密回避を考慮し、大みこしの渡御は見送った。「来年こそはコロナが終息し、大みこしが練り歩ければ」と佐々木宮司。
 
 同まつり委はコロナ感染状況や市内経済などへの影響を総合的に判断し、規模縮小、各種感染防止策を講じた上での開催を決めた。事務局によると曳き船まつりは約3千人、みこし渡御は約1万2千人の人出があった。両日とも混乱や事故もなく無事終了した。

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秋恒例の味覚フェス復活! 釜石絆の日イベントと同時開催で3年ぶりのにぎわい

釜石鵜住居復興スタジアムで開催された「釜石まんぷくフェス2022」=25日

釜石鵜住居復興スタジアムで開催された「釜石まんぷくフェス2022」=25日

 
 新型コロナウイルス感染症の影響で中止が続いていた釜石市の味覚イベントが3年ぶりに復活―。釜石まんぷくフェス2022(釜石観光物産協会主催)は9月24、25の両日、釜石鵜住居復興スタジアムで開かれ、多くの来場者でにぎわった。同スタジアムでは、2019年のラグビーワールドカップ(W杯)釜石開催のレガシー(遺産)を継承する「釜石絆の日」イベントを同時開催。25日は秋晴れの下、食とラグビーを楽しむ人たちの笑顔があふれた。
 
 同イベントは「釜石まるごと味覚フェスティバル」として毎年秋に開催してきたが、新型コロナの影響による2年の中止を経た今年は、名称を「釜石まんぷくフェス」と改称。絆の日イベントとの共催により、初めて同スタジアムが会場となった。市内外の食に関わる業者を中心に22店が出店。各地の特産品やご当地自慢のソウルフードを求めて、多くの人たちが足を運んだ。
 
 地元の人気は「釜石ラーメン」。極細縮れ麺と琥珀色に透き通ったしょうゆ味スープが特徴のご当地ラーメンは近年、多くのメディアでも取り上げられ、同市を代表する名物に。同フェスの提供店にも続々と客が訪れた。地元海産物も好評で、ホタテやイカ焼きの香ばしい匂いが来場者の食欲をそそった。
 
大人気の“釜石ラーメン”を求める客が並んだ「川喜」のブース

大人気の“釜石ラーメン”を求める客が並んだ「川喜」のブース

 
焼きホタテやイカ焼きを提供した「松坂商店」

焼きホタテやイカ焼きを提供した「松坂商店」

 
釜石「Kojima Cafe」の巨大綿あめに子どもたちもびっくり!

釜石「Kojima Cafe」の巨大綿あめに子どもたちもびっくり!

 
 釜石市と交流のある県外各市区町からの出店も。同じ製鉄のまちで、東日本大震災以降、名物の焼うどん販売に訪れる福岡県北九州市のブースは今回も長蛇の列が続いた。復興支援で同市から釜石市に派遣された経験を持つ竹内邦彦さん(71)は「この味を求めて何度も足を運んでくれる方もいる」と感激。コロナ禍からの脱却の動きに「縮こまってばかりではいられない。こういうイベントで明かりをともし、まちの活性化につなげていければ」と期待を込めた。
 
北九州市は名物の焼きうどんを提供。大学生ボランティアも奮闘した

北九州市は名物の焼きうどんを提供。大学生ボランティアも奮闘した

 
北九州市のブースには常時、長い列ができた

北九州市のブースには常時、長い列ができた

 
 友好都市(1984年提携)の富山県朝日町も同フェスの常連。昆布かまぼこ、バタバタ茶、翡翠ようかんなど町の特産品を販売した。両市町の縁は、明治から昭和にかけ漁場開拓のため、同町出身者が釜石に移り住んだことが発端。会場では、朝日町出身者やルーツを持つ人たちが懐かしがる様子も見られたという。同町健康課の岩村耕二課長は「(物産交流などは)お互いにいい取り組みを勉強し合える機会。釜石とのご縁は大切にしていきたい」と願った。
 
富山県朝日町の職員らは自慢の特産品を販売。かまぼこの試食も

富山県朝日町の職員らは自慢の特産品を販売。かまぼこの試食も

 
 同フェス初出店となったのは北海道室蘭市。製鉄所、震災復興支援のつながりで、今年の同市市制施行100年、室蘭港開港150年を記念した港まつりに釜石市が出店した縁で実現した。カレーラーメン、豚肉とタマネギを使う“室蘭やきとり”のたれ、鐵(てつ)の素クッキーなどの名産品を販売。室蘭観光協会の矢元宗一郎業務係長は「スタジアムもすごくきれいで、イベント会場としてもいい。今後も物産交流を継続していきたい」と話した。
 
北海道室蘭市は初出店。観光関係者がさまざまな地元名産品をPR!

北海道室蘭市は初出店。観光関係者がさまざまな地元名産品をPR!

 
 紫波町から訪れた佐々木麻衣さん(35)は「テレビの宣伝を見て来た。沿岸部に足を延ばすのは久しぶり。釜石ラーメンは、あっさりスープがおいしくて全部いただいた」とイベントを満喫。長女ららさん(14)は2年前に小学校の修学旅行で訪れて以来の釜石。「海が近くて、おいしい海鮮物があるのが魅力。今日は家族と一緒で楽しい」とほほ笑んだ。
 
おいしいものを食べて笑顔いっぱいの子どもたち

おいしいものを食べて笑顔いっぱいの子どもたち

 
子どもも大人も興味津々!「働く自動車展」

子どもも大人も興味津々!「働く自動車展」

 
 会場では自衛隊、警察、消防の車両や、建設工事で使う重機などに試乗できる「働く自動車展」も開催。家族連れなどでにぎわい、絶好の写真スポットとなった。海上保安庁のヘリコプターはスタジアム上空を展示飛行し、来場者を楽しませた。特設ステージでは地元ゆかりの音楽アーティストによるライブも行われた。主催者によると、2日間の来場者は約4千人。