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通学は公共交通で!三陸鉄道乗り方教室 釜石東中生が体験 高校進学後の利用促す

三陸鉄道の車両を使って行われた乗り方教室

三陸鉄道の車両を使って行われた乗り方教室

 
 三陸鉄道乗り方教室は8月27日、釜石市で開かれ、鵜住居町の釜石東中(髙橋晃一校長)の3年生(23人)が鉄道の利用の仕方などを学んだ。岩手県三陸鉄道強化促進協議会の事業の一環。乗車機会の少ない沿線中学生を対象に実施し、進学後の通学定期利用などを促そうとする試みだ。
 
 教室には生徒のほか、保護者らも参加した。講師は、釜石駅の山蔭康明駅長。学校行事などで三鉄を利用したことがある生徒たちはホームに記された黄色い線の内側で臨時列車の到着を待った。
 
 県沿岸部を走る三鉄はワンマン運転を行っている。山蔭駅長は、車掌が乗務せず運転士だけで運行していることを伝え、「車両は(進行方向)前方のドアが開く。乗り降りの時は一番前から」と教えた。そして、乗車の際には整理券発行機から整理券を取ることも加えた。
 
釜石東中の生徒は最寄りの鵜住居駅を利用。車両前方のドアから乗車

釜石東中の生徒は最寄りの鵜住居駅を利用。車両前方のドアから乗車

 
車両に乗り込む生徒ら。「整理券を取るのを忘れずに!」

車両に乗り込む生徒ら。「整理券を取るのを忘れずに!」

 
 生徒らを乗せた臨時列車は、山田駅との間を往復。走行中、山蔭駅長が車内に設置された運賃表の見方や運賃の支払い方などを説明した。支払いに関し、両替機が備えられ1000円札の両替はできるものの、「なるべくおつりがないよう小銭を準備して乗ってほしい」と求めた。定期券や企画乗車券など“お得な情報”も紹介した。
 
運賃箱を示して支払いの方法を伝える山蔭康明駅長

運賃箱を示して支払いの方法を伝える山蔭康明駅長

 
山蔭駅長の説明を聞いたり、車窓からの風景を楽しんだり

山蔭駅長の説明を聞いたり、車窓からの風景を楽しんだり

 
 山蔭駅長は三鉄と共に歴史を刻んでいる入社1期生。東日本大震災、台風、コロナ禍など幾多の苦難を国内外からの支援を力に乗り越えてきた歩みにも触れ、鉄路の維持、公共交通の必要性を語った。近年、人口減により利用者数が伸び悩むなど経営は厳しさを増すが、「運転免許を持たない高齢者や学生など公共交通機関を必要とする人もいる。だからこそ、ずっと走り続けていかなければいけない」と力を込めた。
 
 途中、映画「すずめの戸締まり」に登場する織笠駅で停車。下車した生徒らは駅舎などをスマートフォンのカメラで写したりし、列車旅の雰囲気も味わった。個人的に利用することはこれまでなかったという菊池大舞(ひろむ)さんは「整理券を取り忘れそうになった。景色がいいところだったり乗らないと分からない事があって楽しかった。友達と遊びに出かける時に利用してみたい」と笑顔を見せた。
 
整理券と運賃(または乗車券)を運転士に渡して降車

整理券と運賃(または乗車券)を運転士に渡して降車

 
列車の乗り方を改めて学んだ釜石東中生

列車の乗り方を改めて学んだ釜石東中生

 
 山蔭駅長は「マイレール意識を」と利用を呼びかけつつ、多岐にわたる鉄道の仕事も紹介。「地域の足を守る、地域のためになる仕事をしたいと思ってもらえたらうれしい。一緒に働きましょう」と期待を込めた。

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新鮮!装いも商品も サンデーホームマート釜石店がリニューアルオープン 利便性アップ

店に入ると野菜がずらり。新鮮な風景に買い物客が集まる

店に入ると野菜がずらり。新鮮な風景に買い物客が集まる

 
 東北地方でホームセンターを展開するサンデー(本社・青森県八戸市、大南淳二代表取締役社長)は8月29日、釜石市上中島町の「サンデーホームマート釜石店」(大山直喜店長)をリニューアルオープンさせた。日用雑貨や住宅設備に関する商品を販売するホームセンターの装いを一新。生鮮食品や総菜なども扱うワンストップ型店舗として利便性をプラスし、「日常づかいの暮らし」をサポートする。
 
 午前8時の開店時間前には150人ほどの列ができた。開店すると買い物客らは新鮮な野菜や弁当、特売品の岩手県産米や卵、冷凍食品などを次々にカートに入れた。小川町の高橋テミさん(81)は近所の人に「売り出し行くよ」と誘われ、「すっ飛んできた」とにっこり。「小川には店がなくて買い物が大変。ここで一気に買い物が済むから生活が便利になりそう。店内も新しくて、気持ちがいい」と歓迎した。
 
食品売り場では買い物客が特売品や総菜、冷凍食品を品定め

食品売り場では買い物客が特売品や総菜、冷凍食品を品定め

 
リニューアルに合わせセルフレジを導入し利便性を高める

リニューアルに合わせセルフレジを導入し利便性を高める

 
 ホームマートは農村地域を中心とする小商圏向けに同社が開発した業態。売り場面積300坪規模で、農業資材や日用品、食品など地域のニーズに柔軟に対応した品を取り扱い、暮らし密着型の店舗として運営する。
 
 釜石店は2000年4月にホームセンターとして開店した。同社では既存の店舗を維持、強化する戦略の一つとしてホームマート型店舗の拡大を計画。売り場面積1000坪の釜石店は「新生ホームマート1号店」で、同規模店では初の業態となる。
 
リニューアルオープンしたサンデーホームマート釜石店

リニューアルオープンしたサンデーホームマート釜石店

 
 リニューアルの大きな特徴が食品コーナー(約160坪)の設置。豆腐や牛乳といった日配品、冷凍食品、そして野菜、肉、魚介類などの生鮮食品、弁当や総菜類も並ぶ。医薬品の売り場も広げ、健康食品の品ぞろえを拡充。「毎日の買い物」に利用してもらえるよう新鮮さと品質も売りにする。
 
 ホームセンターの要素もしっかり残す。水産のまちという釜石の地域特性に対応した水産関連の作業用品や、シカなどによる農作物、庭木の被害が増えていることから電気柵などの防獣対策用品、災害発生に備えた防災用品、防犯用品も充実させた。家庭菜園や室内ガーデニングを楽しむ人向けのコンパクトな園芸用品、植物の育成用土や肥料、カジュアルウエアなども取りそろえる。
 
地域の特性に合わせホームセンター商材もそろえる

地域の特性に合わせホームセンター商材もそろえる

 
買い物客に対応する店員。質問や要望に耳を傾ける

買い物客に対応する店員。質問や要望に耳を傾ける

 
 市内にはイオンタウン釜石の専門店の一つとしてホームセンターに特化した「サンデー釜石港町店」もあるが、ホームマートという新業態による品ぞろえやサービス提供で特色を出し、両立を図る。釜石店の大山店長(52)は「買い物をして楽しいと思える、衣食住がそろう店になった。ぜひ利用を」と呼びかける。営業時間は午前8時~午後8時。
 
「毎日のお買い物にぜひ」と笑顔を見せる大山直喜店長

「毎日のお買い物にぜひ」と笑顔を見せる大山直喜店長

 
 既存のホームセンターを含むサンデーグループの店舗数は111店になる。1000坪規模のホームマートは釜石店を皮切りに、東北各地で展開させていく。

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太古の地球が生んだ絶景ビーチに感激 遊んで学んで自然の両側面知るワンデイキャンプ

12回目を迎えた「海あそびワンデイキャンプ」=8月24日、箱崎半島

12回目を迎えた「海あそびワンデイキャンプ」=8月24日、箱崎半島

 
 釜石市の箱崎半島入り江の海岸で8月24日、親子で海遊びを楽しむ日帰りキャンプが行われた。地元で海に関わる活動を行う団体や漁師らでつくる、海と子どもの未来プロジェクト実行委「さんりくBLUE ADVENTURE(ブルー・アドベンチャー)」が主催。しっかりとした安全管理のもとで海に親しみ、郷土の豊かな自然や危険から身を守るすべを知ってもらおうと始められ、今年で12年目を迎える。中学生以下の子どもと保護者が対象で、今回は市内外から42人が参加した。
 
 キャンプ地の海岸には、箱崎町の白浜漁港から地元漁師が操縦するサッパ船で“上陸”。通称「小白浜」という名で地元住民に古くから親しまれてきた隠れ家的ビーチは大槌湾に面し、美しい白砂、周辺の山林と太陽光で生み出される海面の色合いが目にも鮮やかな景色を見せている。
 
三陸ジオパーク内にある箱崎白浜の絶景ビーチ“小白浜”。手付かずの自然が残る

三陸ジオパーク内にある箱崎白浜の絶景ビーチ“小白浜”。手付かずの自然が残る

 
 ウエットスーツとライフジャケットを身に着けた参加者は、海遊びの前に安全に関する説明を受けた。地震津波発生時は海に流れ込む沢伝いの斜面を駆け上がり、高台のハイキング路に迅速避難すること、人の目の届かない危険な岩場には行かないことなどを確認した。万が一のクマ出没に備えた注意喚起や追い払いの方法の実演も。この日は同イベントを初回から支える釜石ライフセービングクラブのメンバーやダイビング関係者、漁師など“海の専門家”と、大槌高の生徒などボランティアスタッフ計42人が参加者をサポートした。
 
遊びの前に緊急時の避難路やライフセーバー(右上)の役割などを説明

遊びの前に緊急時の避難路やライフセーバー(右上)の役割などを説明

 
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シュノーケリング用の道具は主催者が貸し出し

 
インストラクターから装備やパドルのこぎ方を教わり、海遊びスタート!

インストラクターから装備やパドルのこぎ方を教わり、海遊びスタート!

 
 参加者はインストラクターの手ほどきを受けながら、シーカヤックやスタンドアップパドルボード(SUP=サップ)、シュノーケリングに挑戦。海面を進む爽快感を味わったり、水中の生き物を探したりと思い思いに楽しんだ。救助や監視に使う水上オートバイに乗せてもらえる体験も。浜辺と海上で海の魅力を存分に味わった。午後からは海中転落や溺れそうになった時に取る姿勢「浮いて待て(浮き身)」の方法を学ぶ講習も行われた。
 
ボードに乗って、いざ大海原へ。ワクワク感いっぱい

ボードに乗って、いざ大海原へ。ワクワク感いっぱい

 
さまざま遊びに笑顔を輝かせる子どもら。海の気持ち良さを満喫

さまざま遊びに笑顔を輝かせる子どもら。海の気持ち良さを満喫

 
 大船渡市の熊谷裕子さん(40)、唯さん(15)親子は初めて参加。過去に溺れかけた経験から「海は苦手」という唯さんに「少しでも克服してもらえれば」と、裕子さんが誘った。カヤックや水上オートバイに乗った唯さんは「思ったよりも楽しかった。水上バイクは普段行くことのない海域まで行って、いろいろな発見があった」。深い所に足を踏み入れるのは「まだ怖い」が、美しい景色に癒やされ、夏の思い出を一つ増やした。裕子さんは「海は身近な場所。豊かな自然に触れて感じたことを心にとどめながら成長していってくれれば」と願った。
 
 奥州市の内山輝一さん(6)は「泳ぐの、楽しかった。海の色がきれい」と大喜び。姉の優綾さん(9)は「ゴーグルをつけて泳ぐと魚が見えるので、プールより楽しい。フグとかフナみたいな形の魚がいた。帰ったらママに話したい」とにっこり。父晃太さん(32)がボランティアに誘われた縁で、子ども3人も参加。釣りが好きで、海にはよく来ているという一家だが、この海岸は初めて。「いい所ですね。(岩手にも)こういう場所があることを知れて良かった」と晃太さん。楽しそうな子どもたちの姿に目を細め、「自然に身を置く体験をさせたい。今はどうしてもゲームとか動画とかに夢中になりがちなので…」と野外活動で得られる効果を期待した。
 
海にはいろいろな生き物が… 採集した魚などを見て触って観察

海にはいろいろな生き物が… 採集した魚などを見て触って観察

 
ライフジャケットを着用しているので浮くのも楽々。手足を伸ばして水に体を委ねる

ライフジャケットを着用しているので浮くのも楽々。手足を伸ばして水に体を委ねる

 
 サポートスタッフの中には首都圏からの参加者も。ダイビング仲間の誘いで初めて釜石を訪れた東京都の鈴木洋平さん(48)は、複雑に入り組んだリアス海岸特有の地形や海中の透明度、白砂の美しさに感激。東日本大震災後に進んだ“海離れ”を食い止めようと活動する地元関係者の取り組みに共感し、「自然の厳しさと楽しさ、両面を知って海で遊ぶというのは大事なこと。子どものころの自然体験の思い出が強いほど、大人になった時に日常から自然にふらっと戻れるようになる。自然を大切にしていこうという気持ちも生まれると思う」と話した。
 
ライフセーバーは海上パトロールや水上オートバイ体験の操縦に大忙し

ライフセーバーは海上パトロールや水上オートバイ体験の操縦に大忙し

 
協力団体、企業のフラッグを掲げ、記念写真に収まる参加者とスタッフら

協力団体、企業のフラッグを掲げ、記念写真に収まる参加者とスタッフら

 
 主催する実行委は2013年の設立以降、同キャンプを継続。トライアスロン競技で釜石と縁の深いマイケル・トリーズさんが震災後に立ち上げた支援組織「Tri 4 Japan(トライ・フォー・ジャパン)」が、資金の提供などで活動を支えてきた。20年からは、釜石市のふるさと納税「団体指定寄付」の対象にもなっている。

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6年目「かまいし軽トラ市」スタート 初回はトモスdeマルシェと一緒に 買い物&遊び楽しむ3時間

今年度1回目の「かまいし軽トラ市」=17日、うのすまい・トモス広場

今年度1回目の「かまいし軽トラ市」=17日、うのすまい・トモス広場

 
 地元の農林水産物、菓子などの加工品販売で人気の「かまいし軽トラ市」(釜石市主催)が今年も始まった。全4回の初回は8月17日、鵜住居町のうのすまい・トモス広場が会場。かまいしDMC主催の「トモスdeマルシェ」と同時開催され、買い物や各種体験で来場者が楽しい時間を過ごした。
 
 軽トラ市は地元生産者の販路拡大、地産地消、交流の場創出などを目的に2020年度から始まった。農作物の収穫時期に合わせ、夏から秋にかけ月1回開催。市民ホールTETTO前広場での単独開催のほか、市内各イベントとの同時開催で集客を図る。6年目の今年は11月までの開催を予定する。
 
二本松農園(鵜住居町)は早生品種のリンゴ「紅ロマン」やリンゴジュースを販売

二本松農園(鵜住居町)は早生品種のリンゴ「紅ロマン」やリンゴジュースを販売

 
 17日、出店したのは9店。農園や産地直売所、水産加工品販売店などがイチオシの商品を持ち寄った。人気はナスやトマト、キュウリ、枝豆などの夏野菜。採れたて新鮮、直売ならではの価格の安さに買い物客は笑顔を広げた。子どもたちが歓声を上げたのは、無料のピーマン釣り。釜石・大槌地域農業振興協議会の企画で、挑戦者は流れるミニプールに浮かんだピーマンと格闘。楽しみながら食材をゲットした。
 
釜石・大槌地域農業振興協議会の「ピーマン釣り」。ペーパークリップが“釣り針”

釜石・大槌地域農業振興協議会の「ピーマン釣り」。ペーパークリップが“釣り針”

 
 元同市地域おこし協力隊員で、現在は兼業農家の三科宏輔さん(29)は橋野町青ノ木で、複数の野菜をビニールハウスや露地で栽培している。この日は、市が栽培促進を目指すトマト「すずこま」を使ったトマトジュースを販売。トマト本来の甘さ、酸味をダイレクトに味わえ、料理にも使える無添加の一品を来場者にアピールした。同ジュース販売は3年目に入るが、「今年はすずこまのハウスがアナグマなどの野生動物に荒らされる被害があり、収量確保が厳しい状況。他の生産者さんの協力を得て、何とかジュース加工ができれば」と三科さん。
 
「すずこま」が原料のトマトジュースを販売した三科宏輔さん

「すずこま」が原料のトマトジュースを販売した三科宏輔さん

 
 同時開催のマルシェには同市と近隣市町から22店が出店した。飲食の移動販売車や商店などが自慢の“おいしいもの”を販売したほか、ハンドメイド作家が販売と合わせワークショップを開催した。
 
 会場内を回って商品を積極的にPRしたのは釜石東中の3年生。生徒ふんする同校の防災キャラクター「てんでんこレンジャー」が地元産の塩蔵ワカメの購入を呼び掛けた。商品は生徒が漁業体験学習で芯抜きを行い、真空パック詰めにしたもの。販促用のオリジナルシールも貼った。この日は地域貢献として、生徒16人が販売活動を展開。用意した約50袋は1時間ほどで完売した。
 
塩蔵ワカメいかがですか~」 自分たちで芯抜き、袋詰めした商品を販売した釜石東中の3年生=トモスdeマルシェ

「塩蔵ワカメいかがですか~」 自分たちで芯抜き、袋詰めした商品を販売した釜石東中の3年生=トモスdeマルシェ

 
「てんでんこレンジャー」も呼び込みに活躍(右上)。完売後、笑顔を輝かせる生徒、教職員ら(下)

「てんでんこレンジャー」も呼び込みに活躍(右上)。完売後、笑顔を輝かせる生徒、教職員ら(下)

 
 震災後、同校の漁業体験を受け入れるNPOおはこざき市民会議の佐藤啓太理事長(43)は「東中は比較的海に近いが、多くの生徒は船や漁業との縁はほとんどないようだ。体験学習は郷土愛を育むためにもいい取り組み。将来の担い手育成にもつながればうれしい」と期待を寄せた。
 
 「Q&Tタピオカ屋」の店名でジュース類を販売したのは門間真由美さん(40)。イベント出店をメインにしていて、タピオカドリンクや生のフルーツが入ったナタデココジュースがお薦め。2019年に鵜住居町に移住した後、同事業を立ち上げ3年目。現在は夫の仕事の関係で埼玉県に暮らすが、「釜石でできたご縁を大事にしたくて、お声掛けいただくたびに出店に帰ってくる。鵜住居に戻ってこられたら常設店舗を持ちたい」と夢を描く。顔なじみの来店客も多く、店頭では再会を喜び合う姿も見られた。
 
タピオカ、ナタデココドリンクを販売した門間真由美さん(左から2人目)。一緒に帰省した子どもらが接客を手伝った

タピオカ、ナタデココドリンクを販売した門間真由美さん(左から2人目)。一緒に帰省した子どもらが接客を手伝った

 
 マルシェでは体験型企画も好評だった。鵜住居町内会はメダカ、金魚すくいコーナーを開設。日本製鉄釜石シーウェイブスは選手2人が参加し、ラグビーボールを使った「ターゲットウォール」で来場者と交流した。
 
鵜住居町内会による夏の好評企画「メダカ、金魚すくい」。多くの子どもたちが挑戦した

鵜住居町内会による夏の好評企画「メダカ、金魚すくい」。多くの子どもたちが挑戦した

 
日本製鉄釜石シーウェイブスが開設した「ターゲットウォール」。川上剛右、アンガス・フレッチャー両選手が来場者と交流した

日本製鉄釜石シーウェイブスが開設した「ターゲットウォール」。川上剛右、アンガス・フレッチャー両選手が来場者と交流した

 
 昨年11月、県内陸部から同町に移住した小田中智さん(70)夫妻はトモスで開催されるイベントを楽しみにする。「いろいろな店があっていい。野菜も安いし、好きな団子もよく買いに来る。今度、盆踊り大会(30日)もあるので、また足を運びたい」と声を弾ませた。
 
 会場では両イベントの共通企画として、スタンプラリーも実施された。各店で商品を購入し、スタンプを3つ集めると、先着150人に釜石産採れたて野菜をプレゼントするもの。野菜は数種類用意され、客が好きなものを選んだ。次回の軽トラ市は9月28日に大町の市民ホールTETTO前広場で開かれる。時間は午前10時から正午まで。

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未来につなぐために… 郷土芸能の担い手育成へ初の体験教室 第1弾は松倉虎舞、太神楽

松倉太神楽の獅子頭に目がくぎ付けになる子ども=郷土芸能体験教室、11日

松倉太神楽の獅子頭に目がくぎ付けになる子ども=郷土芸能体験教室、11日

 
 神楽、虎舞、鹿踊り、太鼓…。釜石市には各地に伝わる郷土芸能が多数あり、地域の祭りや祝い事に欠かせないものとなっているが、人口減少や少子高齢化で近年、その担い手の確保が大きな課題となっている。民俗文化財としての価値も高い同芸能を将来にわたって継承するため、市は本年度、一般向けの体験教室開催に着手した。第一弾として11日、体験会を開いたのは甲子町の「松倉虎舞」と「松倉太神楽」。港町のイオンタウン釜石が会場となり、市内外から集まった約130人が両芸能の魅力に触れた。
 
 両芸能は現在、松倉町内会芸能部(小久保謙治部長)が伝承活動を担う。体験会にはメンバー約30人が協力。午前に虎舞、午後に神楽と各1時間実施された。両回とも始めに、お囃子(はやし)を響かせながら館内を練り歩き、開催をアピール。2階イベントスペースに戻ると演舞が披露された。続いて、囃子を構成する和楽器や踊りに使う「頭(かしら)」に触れられる“体験”の時間。来場者は太鼓をたたいたり、笛を吹いたりしたほか、体が隠れる幕のついた頭を実際に動かしてみたりした。両回で約70人が体験した。
 
体験教室に先立ち、お囃子を響かせながらイオン館内を練り歩く松倉町内会芸能部メンバー

体験教室に先立ち、お囃子を響かせながらイオン館内を練り歩く松倉町内会芸能部メンバー

 
午後から行われた松倉太神楽の演舞。「通りの舞」を披露した

午後から行われた松倉太神楽の演舞。「通りの舞」を披露した

 
芸能部メンバーに教わりながら太鼓や笛に挑戦。やってみると「たのしー!」

芸能部メンバーに教わりながら太鼓や笛に挑戦。やってみると「たのしー!」

 
 甲子小3年の森奏心さんは横笛を体験。「お姉ちゃんが吹くのを見てきた。意外に楽しいけど、息を吐くのが難しい」と一緒に体験した友人と顔を見合わせた。会場には帰省客の姿も。栃木県在住の阿部洋一郎さん(57)は釜石南高(現釜石高)出身。同校は松倉地区にあり、「高校生の時、祭りで虎舞や神楽が地域を練り歩いているのを見ていたので、すごく懐かしい」と当時の活気をまぶたに浮かべた。長男真大さん(21)は神楽の太鼓を体験し、「楽しかった」とにっこり。洋一郎さんは「釜石を離れても古里の芸能はやっぱりいいですね。若い子たちが継承しているのも頼もしい」と目を細めた。
 
各芸能のお囃子に欠かせない横笛。「うまく音が出るかな?」

各芸能のお囃子に欠かせない横笛。「うまく音が出るかな?」

 
5つの演目があるという松倉太神楽。しばらく踊られていない演目も今後、復活させたい考え

5つの演目があるという松倉太神楽。しばらく踊られていない演目も今後、復活させたい考え

 
 松倉虎舞は現山田町の大沢虎舞の流れをくむ。大沢虎舞は江戸時代中期、三陸髄一の豪商として名をはせた前川(吉里吉里)善兵衛の千石船が江戸や長崎に交易した際、大嵐に見舞われ、流れ着いた島で乗組員だった大沢の人たちが虎舞を習い覚え、地元に持ち帰り奉納したのが始まりとされる(諸説あり)。演目に近松門左衛門の浄瑠璃「国姓爺合戦」の劇中に登場する「和藤内の虎退治」を描いた舞があり、松倉虎舞は同演目を受け継ぐ数少ない団体の一つ。釜石、大槌地域の虎舞の多くは大沢虎舞から広まったと考えられている。
 
午前に行われた松倉虎舞の演舞。海岸部の虎舞団体の人たちも「この機会に」と見に来たという 写真提供=市教委文化財課

午前に行われた松倉虎舞の演舞。海岸部の虎舞団体の人たちも「この機会に」と見に来たという 写真提供=市教委文化財課

 
間近で見る虎頭におっかなびっくり?!(左)。子虎の頭は小さな子どもでも支えられる(右) 写真提供=市教委文化財課

間近で見る虎頭におっかなびっくり?!(左)。子虎の頭は小さな子どもでも支えられる(右) 写真提供=市教委文化財課

 
 一方、松倉太神楽は甲子町洞泉、関沢地区に伝わる洞関太神楽と対をなすものとされる(夫婦神楽)。洞泉日月神社に伝わる獅子頭に「天保3年」(1832年)と刻まれており、踊られ始めたのは安政(1854-1860)時代と推察される。宿場町として栄えた甲子地域には盛岡の「七軒丁」から芸能者の来訪があったと伝えられていて、盛岡藩主南部利敬の庇護(ひご)を受けた盛岡多賀神楽がルーツとみられる。栗林町の澤田太神楽と同一系統ともいわれている。戦後、衰退したが、昭和50年代に松倉町内会が復活に乗り出し、後継者育成を図りながら活動を続けている。
 
 同神楽の舞い手は現在、地元在住の小久保瑞希さん(26)と、兄で盛岡市在住の小久保友樹さん(28)の実質2人。体験会では5演目の一つ「通りの舞」を披露した。友樹さんは初の体験会を「一緒に継承してくれる仲間を増やすチャンス」と歓迎。歴史ある芸能を次世代につなぐため、「子どもから大人まで興味のある方はぜひ」と地域を問わない参加を呼び掛け。瑞希さんは「子どもたちの『かっこいい』『踊ってみたい』という声も増えてきた。これからは松倉太神楽の存在を市内外にもっと広めていきたい」とし、舞い手の確保など安定的な伝承活動に意欲を見せた。
 
「一緒にやってみませんか?」 松倉太神楽の舞い手、小久保友樹さん(右)、瑞希さん兄弟がアピール

「一緒にやってみませんか?」 松倉太神楽の舞い手、小久保友樹さん(右)、瑞希さん兄弟がアピール

 
将来の担い手が1人でも増えることを願って…

将来の担い手が1人でも増えることを願って…

 
 友樹さん、瑞希さんの父で、同町内会芸能部部長を務める謙治さん(52)は「太鼓も頭もまずは触って、こういうものだという感触を得てもらうことが大事。興味をもってもらう一歩として、今日はいい機会になった」と感謝。今後は“夫婦神楽”の雄にあたる洞関太神楽(活動休止中)の復活に向け、関係者とタッグを組んで取り組みたい意向を示した。
 
 主催した市教委文化財課によると、市内の郷土芸能団体へのアンケート調査では、担い手不足が一番の問題として挙がっていて、その解消策の一助として今回の体験教室を発案したという。手塚新太課長補佐は「初めてのことなので、各団体とも様子見のところはあったと思う。今回の経験で、こちらもより具体的な提案が可能になる。多くの団体に参加してもらえるよう調整を図っていきたい」と話した。

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港に咲く大輪! 「釜石納涼花火」2年ぶり開催 迫力の水中花火に観客大喜び

釜石港を会場にした「釜石納涼花火2025」=11日

釜石港を会場にした「釜石納涼花火2025」=11日

 
 釜石市の夏を盛り上げる「釜石納涼花火2025」(市、釜石観光物産協会主催)は11日夜、釜石港で開かれた。東日本大震災犠牲者の慰霊、まちの活性化を願う花火、約3千発が夜空や海上を彩った。港周辺に設けられた4つの観覧場所には、市民や帰省客、観光客ら約1万4千人が繰り出し、色とりどりの光の競演を楽しんだ。昨夏の同花火は台風の接近により中止されたため、2年ぶりの開催となった。
 
 震災復興支援で同市とつながる秋田県大仙市の「大曲の花火協同組合」が打ち上げを担当した。午後7時、震災犠牲者を追悼する「白菊」(タイトル:鎮魂と平和への祈り)を皮切りにスタート。「釜石湾に希望のファンファーレ」「夕映の釜石湾」「光る汗と笑顔 釜石よいさ」など、ご当地ならではのタイトルが付けられたスターマイン、水中花火のほか、3~8号玉の各連発花火など31のプログラムで楽しませた。
 
震災犠牲者を思い、打ち上げられた「白菊」

震災犠牲者を思い、打ち上げられた「白菊」

 
港を彩る色や形もさまざまな花火が観客を魅了

港を彩る色や形もさまざまな花火が観客を魅了

 
花火は釜石港内南防波堤から打ち上げ。魚市場会場から臨む花火風景

花火は釜石港内南防波堤から打ち上げ。魚市場会場から臨む花火風景

 
 埼玉県から帰省した秋穂亜佳里さん(34)は親族11人で魚市場会場から観覧。2年ぶりの釜石花火に「見られるのはやはりうれしいですよね。都内とかだとこんなに近くで、しかもシートを敷いてゆっくり座って見ることができる花火はなかなかないので」と笑顔満開。「お盆中は父方の祖母の家に行ったり、海に行ったりしてみんなで楽しみたい」と話し、古里での休暇に気分を高揚させた。
 
 盛岡市の髙橋弘幸さん(62)、尚子さん(61)夫妻は「一番前で見たくて」と、午後1時ごろから魚市場会場の岸壁で待機。釜石の花火は「目の前で広がる水中花火が圧巻」と、ここ数年、毎年足を運ぶ。花火フリークで、大曲の花火をはじめ、各地の花火大会に出向くのが夏の楽しみ。「昨日は宮古の花火を見て、今日は釜石。花火を見ると胸が躍る。(何かと忙しくなる)お盆の前にやってくれるのもいいですね」と喜んだ。
 
釜石の花火大会といえば…「水中花火」。小型船が移動しながら仕掛ける

釜石の花火大会といえば…「水中花火」。小型船が移動しながら仕掛ける

 
魚市場2階の展望テラスは「特別協賛席」として一般に有料開放。午後6時からの数量限定販売に長蛇の列ができた

魚市場2階の展望テラスは「特別協賛席」として一般に有料開放。午後6時からの数量限定販売に長蛇の列ができた

 
魚市場会場には開始1時間以上前から多くの客が訪れた

魚市場会場には開始1時間以上前から多くの客が訪れた

 
 釜石の夏の花火打ち上げは震災後2年間、「LIGHT UP NIPPON(ライトアップ日本)」の被災地支援で実施。その後、港湾復旧工事のため休止し、2015年に地元主催で再開された。20年から2年間は新型コロナ感染症の影響で再び休止を余儀なくされ、22年から通常開催となった。震災後しばらくは約1千発の打ち上げだったが、今は震災前と同様の約3千発となっている。震災後、主催者は安全上の観点から港周辺の観覧場所を指定。4カ所となった22年以降の人出は1万人以上で推移し、今年は最多となった。
 
約1時間にわたり約3千発を打ち上げ。プログラムは事前にWeb上で公開。当日も会場アナウンスで紹介した

約1時間にわたり約3千発を打ち上げ。プログラムは事前にWeb上で公開。当日も会場アナウンスで紹介した

 
昨年9月の「釜石絆の日」うのスタスペシャルライブに出演したスターダスト☆レビューの名曲にちなんだ花火「あなたに逢いたくて~木蘭の涙~」

昨年9月の「釜石絆の日」うのスタスペシャルライブに出演したスターダスト☆レビューの名曲にちなんだ花火「あなたに逢いたくて~木蘭の涙~」

 
花火打ち上げ終了後、ライトを点灯したスマホを振って花火師に感謝を伝える観客

花火打ち上げ終了後、ライトを点灯したスマホを振って花火師に感謝を伝える観客

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「橋上市場!?」かつての釜石風景 軌跡たどる写真展 懐かしむ声、思い出を共有

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サン・フィッシュ釜石で開催中の写真展「橋上市場の軌跡」

 
 かつて、釜石市には全国でただ一つ、橋の上に組み込まれた形の名物市場があった。「釜石の橋上市場」。市中心部を流れる甲子川に架かる旧大渡橋に並行する形の橋上マーケットは、市のシンボルの一つとして市民や観光客に親しまれた。橋の老朽化でJR釜石駅前に移転し20年余り。その流れをつなぐ「駅前橋上市場サン・フィッシュ釜石」(同市鈴子町)で、当時の様子を紹介する写真展が開かれている。
 
 橋上市場は1958年に露天市を原型に誕生。長さ約110メートル、幅約13メートルの場内には魚屋や八百屋はもちろん、衣料品や雑貨、土産物などを扱う店舗、理髪店、食堂もあった。その数、約50店舗。「市民の台所」であり、生活を支える場所でもあったが、河川法上の問題や大渡橋の架け替えに伴い、2003年1月に閉店。45年の歴史に幕を下ろした。
 
 橋と並行し独特の雰囲気をかもす建物、物や人であふれる場内、笑顔の店主たち―。「釜石橋上市場の軌跡」とタイトルが付いた写真展には、当時のにぎわいを写した約60点が並ぶ。開設時の様子や河川法上の問題などで移転・撤去を余儀なくされた経緯、閉店後の事業者らの再スタートについて年表でも紹介する。
 
写真と年表で橋上市場の歴史を振り返る展示

写真と年表で橋上市場の歴史を振り返る展示

 
橋上市場の独特な雰囲気を感じられる写真がずらり

橋上市場の独特な雰囲気を感じられる写真がずらり

 
 形を変えながらも橋上市場の歴史を受け継ぐサン・フィッシュは03年5月に開業。橋上市場で営業していた店舗のうち15店が入居した。ほか一部の事業者は大渡町にあった空き店舗を活用した「いきがい市場」で営業したが、23年の東日本大震災で流失した。サン・フィッシュは23年目を迎え、現在は海産物などを販売する組合員3店と、食堂やスナックなどテナント10店が営業する。
 
 橋上市場やサン・フィッシュに親しみを持ってもらおうと、施設を運営する釜石駅前商業協同組合(八幡雪夫理事長)が企画。当初、市民らから写真を募る方式でスタートしたものの、震災で写真を失ったり、そもそも当時はカメラを持つ人も少ないなどの理由もあってか集まらなかった。そんな時に、市が写真提供に手を挙げたほか、07年に写真集「釜石橋上市場 追憶の光景」を出版した地元出身の写真家佐々木貴範さんの協力を得、さらに地元酒造会社の浜千鳥の仲立ちで、1人が写真を寄せた。
 
開設当時の街のにぎわい、活気を伝える写真を展示する

開設当時の街のにぎわい、活気を伝える写真を展示する

 
最後の営業日となった橋上市場の様子を捉えた写真も並ぶ

最後の営業日となった橋上市場の様子を捉えた写真も並ぶ

 
 発案したのは組合事務局の30代職員。橋上市場のあった当時は小学生で、親戚が働いていたことからイクラなど海産物をもらったことなどを記憶する。写真展に向け準備する中で、当時を知る組合員や理事から話を聞き、思いに触れ、「橋上市場は特別なものだったのでは」と感じたという。知らない世代が増えていることもあり、まちの歴史を知ってもらう機会に、そして記憶する人たちには懐かしみ、世代を超えた会話のきっかけになればと、帰省客が多くなるお盆の時期に合わせて催した。
 
買い物に訪れた客や帰省した人らが展示に足を止めている

買い物に訪れた客や帰省した人らが展示に足を止めている

 
 「懐かしい」と目を細めていたのは、埼玉県草加市の渡辺律子さん(75)。釜石出身で高校時代まで過ごし、先祖の墓参りのため毎年この時期に訪れているという。橋上市場の外観を写した一枚を指さしながら、孫らに今はなき古里の風景を伝えていた。
 
「孫たちに古里のことを伝えられた」と話す渡辺律子さん(左)

「孫たちに古里のことを伝えられた」と話す渡辺律子さん(左)

 
 「育った当時、(橋上市場は)普通にあるものだったけど、のちにイタリアと釜石にしかないものだと知った。珍しいものなのだと記憶したのを思い出す。にぎやかで、活気がある街だった」と渡辺さん。時を経た街の様子に寂しさを感じつつ、懐かしい顔や味との再会を楽しみにしているらしく、「釜石に来ると、高校生に戻ったかのように若返る。元気なうちは来たい」と柔らかな笑みを浮かべた。
 
 同じように懐かしむのは、施設内で「七兵衛屋商店」を営む後藤さちえさん(65)。橋上市場から移転した店舗の一つで、「あの頃は本当ににぎやかだった。ちょうど子育て中で大変だったはずだが、苦労を考える暇もなく働いた。立ち止まっていられる状況ではなく、ただ突っ走っていた」と明るく笑う。現在、組合の理事を務め、展示の準備にも積極的に関わった。
 
 海産物や刺身を店頭に並べ、客を迎え続けている後藤さんは、写真展でうれしい対面があった。掲示された一枚に、7年前に亡くなった夫の英輔さん(享年65)の姿を見つけた。「橋上市場にいる自分たちを撮ることはなかったから、こういう写真が残っているのは感激。こういう風に、写真を見て『あ、こんな人いたね』とか話のタネになれば。皆さんの心の中がにぎわったらいい」とうなずいた。
 
亡夫との思いがけない再会に頬を緩める後藤さちえさん

亡夫との思いがけない再会に頬を緩める後藤さちえさん

 
 展示会場には「想い出箱」が置いてある。橋上市場でのエピソードや写真展の感想などを自由に書いてもらおうと、用紙も用意。すでに投書した人もいて、一部が紹介されている。「釜石に来たときは必ず橋上市場に寄っていた。いつも人であふれ、たくさんのお店があって楽しい、独特な、不思議な空間だった」「かまだんごを買うのが好きだった」。足を止めた人たちが掘り起こした記憶をつづっている。
 
「想い出箱」に寄せられたメッセージを掲示して記憶を共有

「想い出箱」に寄せられたメッセージを掲示して記憶を共有

 
 写真展は31日まで。施設の営業時間内(午前7時~午後4時)に見ることができる。組合事務局では「これから先のことを考えることも大事だが、昔のことに思いをはせることがあってもいいと思う。釜石を盛り上げた人たちの存在、釜石の商売人のあたたかい人柄を感じてほしい」と期待する。
 
 この企画は、空きスペースを有効活用することで、来場者の滞在時間を長くすることも狙い。「テナント利用、出店者を募集中。短期、チャレンジショップだったり、フリーマーケットや作品展も歓迎」と呼びかける。

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夜市も、盆踊りも!超にぎやか、楽しく同時初開催 釜石の街なかに「おいでんせ~」

釜石市の中心部ににぎわいをもらたした夜市と超盆踊り

釜石市の中心部ににぎわいをもらたした夜市と超盆踊り

 
 釜石市の中心街で10日、市民が楽しめる2つのイベントが同時開催された。地元企業が実行委を組織して企画した「かまいし夜市おいでんせ」と、イオンタウン釜石が催した市民参加型の「超盆踊り」。ともに初開催で、「街中ににぎわいを」「夜のまちを盛り上げよう」との共通の思いが重なった。「初めまして、かんぱーい!」「やっぱり、人が集まるっていいよね」。家族連れや帰省客らが多彩な出店、ステージも楽しみつつ、古里の夏を満喫した。
 

夜の街に乾杯!食や酒に舌鼓

 
ビールを片手に談笑する来場者と出店者

ビールを片手に談笑する来場者と出店者

 
 夜市は同市大町が会場。市民ホールTETTO前広場には市内の飲食店が唐揚げや焼き鳥などを提供する「屋台村」や、岩手県内の酒造会社やブルワリーが連なる「カンパイガーデン」がお目見えした。合わせて約20の味わいが楽しめるとあって、客が次々と来場。浜焼きといった地元の味をさかなに酒やビールを飲みつつ談笑する光景が会場内のあちらこちらで見られた。
 
飲食や虎舞などを楽しむ人でにぎわう「かまいし夜市」

飲食や虎舞などを楽しむ人でにぎわう「かまいし夜市」

 
 隣接するイオンタウン釜石前の大町広場にはステージが設けられ、2つの広場を結ぶ道路は歩行者天国となった。郷土芸能の虎舞や吹奏楽、ヒップホップダンスなどのジャンル豊かなパフォーマンスが繰り広げられた。
 
 「思いがけない出会いがいいね」と笑ったのは礼ケ口町の菅野愛子さん(78)。相席になった女性や、隣のテーブルに座っていた若者らと「乾杯ー!」と声を合わせ盛り上がった。初めての試みを歓迎。「面白くて長居してしまった。1回と言わず、回を重ねてほしい」と期待した。
 
「初めまして」「かんぱーい!」。交流が生まれる

「初めまして」「かんぱーい!」。交流が生まれる

 
 人口減や東日本大震災、コロナ禍の影響などで人通りが少なくなった繁華街ににぎわいをもたらす新たなイベントを模索し実現。実行委員長の小澤伸之助さん(48)は「形にこだわらす、やってみた結果、多くの人が喜んでくれた」と頬を緩めた。
 
夜市の開場は午後1時。明るい中でも次々と客が来場

夜市の開場は午後1時。明るい中でも次々と客が来場

 
実行委の仲間と笑顔を重ねる小澤伸之助さん(中)

実行委の仲間と笑顔を重ねる小澤伸之助さん(中)

 
 大町で育った小澤さん。「ここ(大町周辺)は釜石の中心部だけど、じゃなくなった。さまざまな要因で街の形が崩れている」と感じていた。一方で「新しく創り出す、今がそのタイミング」と、前向きな思考も。同じような気持ちを抱く事業者や仲間の有志らが出店し、新たな試行の場になった。釜石産鶏肉を使った台湾風唐揚げ「大鶏排(ダージーパイ)」がその一つ。「釜石ならでは、新名物になり得るものをクリエイトする動きだ」と歓迎した。
 
 今回は「食と音で人をつなぎ、街を創る」をコンセプトとしたが、小澤さんは「もっとやりたいことがある」と継続を視野に入れる。イベント名にした「おいでんせ」は市民に親しみ深い釜石小唄の一節にある、人を迎えるときの言葉。「古き良き釜石の活気を思い起こさせてくれる。多くの人が集い、『おいでんせ』と心でつながれることを考えて実行していきたい」と思い描く。
 

大人も子どもも輪になり一体感

 
大勢の市民らが参加したイオンタウン釜石の「超盆踊り」

大勢の市民らが参加したイオンタウン釜石の「超盆踊り」

 
 「おいでんせ」つながりで踊りの輪が広がったのは、イオンタウン釜石の「超盆踊り」。同市港町の第2駐車場の一角にシンボルのやぐらがお目見えし、日暮れ前には子どもたちが輪をつくり、「マツケンサンバⅡ」などで元気よく踊った。
 
盆踊りパレードを思い思いに楽しむ子どもたち

盆踊りパレードを思い思いに楽しむ子どもたち

 
 夜が更けると、親子連れやお年寄りら老若男女が踊りを楽しむ“超”本番がスタート。夏を彩る祭り「釜石よいさ」のおはやし隊有志が太鼓で盛り上げ、よいさ小町が踊りを先導した。「炭坑節」といった盆踊りの定番曲のほか、「釜石小唄」でも踊りを満喫。参加した人たちになじみがない「ドンパン節」では、進行役の佐野よりこさん(釜石出身のフリーアナウンサー・民謡歌手)が踊り方を教えたりした。
 
進行役の佐野よりこさん(右)、おはやし隊が盛り上げる

進行役の佐野よりこさん(右)、おはやし隊が盛り上げる

 
やぐらを囲むように輪をつくって踊る参加者

やぐらを囲むように輪をつくって踊る参加者

 
 里帰り中の子どもや孫ら11人で夏の夜を楽しんだ唐丹町の尾形康民さん(62)は「震災の津波後は地域のイベントも少なくなり、集まる機会も減った。にぎやかなのは地域が活気づくし、こういう場で(孫たちに)ねだられるのがやっぱりうれしいよな」と目尻を下げ、「来年も」と望んだ。
 
 よいさ小町で大学生の小笠原のゑさん(19)は帰省中に参加。「踊る楽しさを伝えられたら」と笑顔で群舞を引っ張り、9月23日に釜石鵜住居復興スタジアムで開催予定のよいさPRに一役買った。
 
大人も子どもも一緒に踊りの輪をつくって交流を深めた

大人も子どもも一緒に踊りの輪をつくって交流を深めた

 
 市中心部を盛り上げようと企画。「同じ思いだ」と、夜市実行委と情報を共有しながら準備を進めた。イオンタウン釜石の大沼秀璽モールマネジャーは「多くの方が一緒に踊って『超』楽しんでいただけたようだ」と、うれしそうに会場を見渡した。

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震災復興後押し15年 「唐丹ゆめあかり」惜しまれつつ最終回 住民力結集の打ち上げ花火に万感

最後の開催となった「唐丹ゆめあかり」=9日、小白浜漁港

最後の開催となった「唐丹ゆめあかり」=9日、小白浜漁港

 
 釜石市唐丹町で東日本大震災以降、毎年夏に開催してきた鎮魂と復興を祈るイベント「唐丹ゆめあかり」が最終回を迎えた。津波で大きな被害を受けた地域に明日への希望と活力をもたらした15年―。住民らは終了を惜しみつつも、復興への歩みを支えた地域イベントに感謝し、新たなまちづくりに思いを新たにした。
 
 同イベントは唐丹駐在所連絡協議会(佐々木孝会長)、小白浜町内会(佐々木啓二会長)を中心に組織する実行委が主催。震災があった2011年に、ペットボトルキャンドルを防潮堤などの海岸エリアにともし、犠牲者の鎮魂と復興への祈りを込める場として始まった。13年には、東北の被災地で花火を打ち上げるプロジェクト「LIGHT UP NIPPON(ライトアップ日本)とのコラボが実現。市内外の支援者の協力で、郷土芸能の披露や縁日広場なども開催する一大イベントに発展した。
 
 花火の打ち上げは16年から、地域住民や地元企業、団体などからの協賛金で行われてきた。新型コロナ感染症拡大を考慮し、20年は実行委がイベント中止を決めたが、打ち上げに協力してきた花火業者、芳賀火工(仙台市)が支援を申し入れ、地域限定の“サプライズ花火”として実施。住民の要望を受け、翌21年以降も地域から寄せられる協賛金を原資に打ち上げを継続してきたが、社会情勢の変化で資金確保が難しくなってきたため、実行委は15年目となる本年を区切りに終了を決断した。
 
これまでの経緯を話し、協力に感謝する佐々木啓二実行委員長(写真左上)。会場には幅広い世代が集まった

これまでの経緯を話し、協力に感謝する佐々木啓二実行委員長(写真左上)。会場には幅広い世代が集まった

 
地域内外から訪れた家族連れなどが夏の夕べを楽しんだ

地域内外から訪れた家族連れなどが夏の夕べを楽しんだ

 
 9日、イベント会場となった小白浜漁港には夕方から、キッチンカーやアート作品体験のブースが並んだ。辺りが暗くなり始めると、地域住民や帰省客などが大勢集まった。花火の打ち上げを前に、唐丹中(金野学校長、生徒27人)の生徒有志19人が、学校で取り組む「唐中ソーラン」を披露。元気いっぱいの踊りで、地域の盛り上げに一役買った。同町本郷の「桜舞太鼓」を伝承する鼓舞櫻会(佐藤勇人会長)は手踊りも交え、華やかなパフォーマンスを見せた。市内外のイベントに引っ張りだこの同太鼓演奏に盛んな拍手が送られた。
 
唐丹中の生徒有志が「唐中ソーラン」を披露。アンコールにも応え、2回踊った

唐丹中の生徒有志が「唐中ソーラン」を披露。アンコールにも応え、2回踊った

 
生徒らはそろいの長ばんてんを着て、躍動感あふれる踊りを見せた

生徒らはそろいの長ばんてんを着て、躍動感あふれる踊りを見せた

 
唐丹町本郷を代表する郷土芸能「桜舞太鼓」は女性陣の手踊りとコラボ

唐丹町本郷を代表する郷土芸能「桜舞太鼓」は女性陣の手踊りとコラボ

 
 唐丹ソーランを率いた千葉柊瑛さん(3年)は「ミスとかなく、声も出していい踊りができた」と満足げ。震災後に生まれ、幼いころからまちの復興を見ながら育った。同イベントも毎年楽しみにしてきたが、「今年で終わると聞いて悲しい。地域の盛り上げや交流になる祭りだったので…」。次代の唐丹を担う立場として、「今よりも活気づいて楽しく過ごせるまちにしたい」と思いを込めた。
 
 フィナーレを飾る打ち上げ花火は、これまでで最多の約800発。今年は町内外の149人から104万4千円の協賛金が寄せられ、繰越金と合わせ費用に充てた。集まった人たちは震災後の15年に思いをはせながら、夜空を焦がす色とりどりの光を見つめた。
 
唐丹の夏の夜空を彩った打ち上げ花火。震災犠牲者を追悼し、冥福を祈った

唐丹の夏の夜空を彩った打ち上げ花火。震災犠牲者を追悼し、冥福を祈った

 
花火は北側防波堤から打ち上げられた。“真ん丸お月さま”とも競演(写真左)

花火は北側防波堤から打ち上げられた。“真ん丸お月さま”とも競演(写真左)

 
 同市平田在住の大和田聡子さん(44)は震災時、唐丹の実家に暮らしていた。長女を身ごもっており、自宅裏の国道に駆け上がり、津波の難を逃れた。守られた命は14歳に…。「この子がいたから(2人とも)助かったようなもの」と当時を振り返った。被災した実家は再建され、両親が暮らす。この日は親子5人で帰省し、3世代で唐丹の復興花火を見納め。15年続いた古里のイベントに「唐丹の結束力を感じる。終わるのは残念だが、また、こうしてみんなが集まれるような場があれば」と願った。
 
 同町本郷出身、在住の新沼みどりさん(41)は「震災後、子どもたちは地元で楽しめる場があまりなかったので、(イベント開催は)ありがたかった。被災して他地域に移住した人との再会の機会にもなっていた」と感謝。本郷地区は子育て世代の人口流出が顕著で、「娘たちが大きくなった時が心配。少子化で学校統合の話もある。自分も育った母校がなくなっていくのは寂しい」と地域の未来を案じた。
 
唐中ソーランにスマホカメラを向ける人も多数。思い出をしっかり心に刻んだ

唐中ソーランにスマホカメラを向ける人も多数。思い出をしっかり心に刻んだ

 
 佐々木啓二実行委員長(81、小白浜町内会長)は「地域の皆さんの『続けてほしい』との思いが強く、ここまで継続できた。復興に向かう中で、住民の心の支えになってきたのは確か。夏の楽しみの一つではあったが、一応の区切りとした。『また、やりたい』という声が出てくるようであれば、次の若い世代の判断に委ねたい」と話した。

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艦砲射撃から80年 釜石で追悼式 語りつなぐ体験者の記憶、平和の尊さ 次世代へ

祭壇に花を手向け、祈りをささげる参列者

祭壇に花を手向け、祈りをささげる参列者

 
 釜石市は8月9日、同市大町の市民ホールTETTOで戦没者追悼・平和祈念式を行い、遺族や市内の中学生ら約150人が犠牲者を悼んだ。太平洋戦争終結間際の1945(昭和20)年に釜石が2度目の艦砲射撃を受けたこの日、その戦禍を伝える体験者の手記が朗読された。「どこもかしこも火の海。……何もできない惨憺(さんたん)たるものだった」。80年前のまちの記憶に触れた参列者は戦争の惨禍を繰り返さず、平和の尊さを次の世代につなぐ思いを深めた。
 
祈りの歌声が響いた釜石戦没者追悼・平和祈念式

祈りの歌声が響いた釜石戦没者追悼・平和祈念式

 
 黙とう後、小野共市長が「7月14日と8月9日は決して忘れてはならない日。戦禍が繰り返されることのないよう、恒久平和の確立へ努力することが、国内で唯一2度の艦砲射撃を受けた当市に課せられた使命だ」と式辞を述べた。
 
 市遺族連合会の佐々木郁子会長(82)=同市平田=が追悼のことば。父が出征中に病死し、「父の記憶を持たないままも、父の背中を追い求めて生きてきた。平和な世界に生きることを願いながら、散っていた方々のことを忘れてはならない」と切なる願いを込める。戦後80年となった今、不穏な空気に包まれた世界情勢を危惧。「細くなった記憶の糸をたぐり寄せ、語りつないでいく」と誓った。
 
 読書サポーター「颯(かぜ)・2000」メンバーの佐久間良子さん(69)=同市唐丹町=は、釜石艦砲射撃の体験談などをつづった同人誌「花貌(かぼう)」を朗読した。読んだのは、故和田乙子さんの手記「学徒動員の想い出」より「地獄の七月十四日」。まちを襲った1度目の砲撃の惨状を伝える。
 
手記を朗読し艦砲射撃を伝える佐久間良子さん

手記を朗読し艦砲射撃を伝える佐久間良子さん

 
 避難先のトンネルの中にも響いた「耳も腹も胸もつんさぐ」砲撃のごう音、外に出て目にした火の海と化したまち。「十五の我々にはどうすることも出来ない。ただ泣くだけだった」。そんな地獄の道を泣きながら越え、自宅に生還した「あの日を永遠に忘れない」。
 
 当時、和田さんと行動した佐久間さんの母・前川イツ子さん(95)=大槌町吉里吉里=の経験も紹介した。火の海を歩いていたら長靴が熱で溶けてやけどした、まちの至る所に犠牲者が横たわっていた…。母から聞いた話を静かに語り、「命をつないでくれてありがとう」と締めくくった。
 
 市内の合唱グループ「翳(かげ)った太陽を歌う会」が釜石艦砲、広島・長崎への原爆投下を題材にした歌などの4曲を献唱。参列者は献花台に白菊を手向け、戦争犠牲者の冥福を祈った。
 
戦没者らを悼み、献花。静かに祈り手を合わせた

戦没者らを悼み、献花。静かに祈り手を合わせた

 
 平和・防災学習相互交流事業の一環で青森市と釜石市の中学生計20人も参列。釜石中1年の白野美佳さんは「戦争をしないという選択をするのが私たちの使命であり、責任。戦争で失われた命に敬意を込め、平和の尊さを次の世代へと伝えていく」と受け止めた。
 
平和への誓いを胸に献花する釜石市と青森市の中学生

平和への誓いを胸に献花する釜石市と青森市の中学生

 
 式には前川さんも足を運んだ。友人と自分の体験を伝えてくれた娘に感激した様子で、「80年前を思い出したら、何とも言えない。生かしてもらってよかった。ただ元気でいつまでも…。どこの国も戦争がない世の中になってほしい」と願った。
 
手記を朗読した佐久間さん(左)と母の前川イツ子さん

手記を朗読した佐久間さん(左)と母の前川イツ子さん

 
 「つらい、怖い経験をしながらも生き抜いた和田さんや母たちのためにも艦砲射撃や戦争の悲惨さを伝える活動を続けていこう」と思いを新たにする佐久間さん。市内の小中学校や図書館などで釜石艦砲の体験者が制作した紙芝居などを読み聞かせしており、「子どもたちが受け止め、伝えていく人になってもらえたらうれしい」と期待していた。

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夏休みの宿題 快適環境で一気に進めちゃおう! 帰りの会には楽しいゲームも

市民ホールTETTOギャラリーで夏休みの宿題に励む小学生ら=2日

市民ホールTETTOギャラリーで夏休みの宿題に励む小学生ら=2日

 
 夏休み中の小学生を対象としたイベント「市内いっせいしゅくだいの日」は2日、釜石市大町の市民ホールTETTOと情報交流センターを会場に開かれた。長期休みで顔を合わせる機会が減っている子ども、親同士のコミュニケーションの場として、同センターが初めて企画。子どもたちは涼しい環境で宿題に取り組み、合間には楽しいゲームで交流した。子どもたちが勉強に励む間、親たちは日本の公立小学校を題材にした教育映画を鑑賞した。
 
 3年生以下と4年生以上の2つのグループに分けて時間割を設定。朝の会の後、子どもたちがそれぞれの“教室”で学習を開始した。1コマ40分で、各自持ち寄った夏休みの宿題に取り組んだ。算数や国語など学校から課題として出されているドリルの問題を解き進めた。
 
空調設備の整った快適空間が子どもたちの学習を後押し

空調設備の整った快適空間が子どもたちの学習を後押し

 
40分間しっかり勉強した後は「スイカタイム」。ひと息入れて2時間目に備える

40分間しっかり勉強した後は「スイカタイム」。ひと息入れて2時間目に備える

 
 1時間目と2時間目の間の中休みには、冷やしたスイカをお振る舞い。頭も体もリフレッシュした後、後半の40分でさらに学習を進めた。帰りの会では勉強を頑張ったご褒美に、菓子がもらえるゲームを実施。水の入ったペットボトルで2色の絵の具を混ぜると何色になるかを当てるもので、実験的要素を含んだ楽しいゲームに子どもたちが歓声を上げた。
 
「2色の絵の具を水に入れて混ぜると何色に?」色当てゲームで盛り上がる

「2色の絵の具を水に入れて混ぜると何色に?」色当てゲームで盛り上がる

 
「やったー!」正解した子どもたちは跳びはねて大喜び。景品は人気菓子の「じゃがりこ」

「やったー!」正解した子どもたちは跳びはねて大喜び。景品は人気菓子の「じゃがりこ」

 
 川村奏音さん(小3)は「夏休みの宿題は半分ぐらい終わった。今日はこども園の時に一緒だった友達とも会えて楽しい」とにっこり。この日は偶然にも9歳の誕生日と重なり、「お菓子もいっぱいもらったし、いい思い出になった」と喜んだ。
 
 長期休みの学習は子どもが自分で計画を立てて進めなければならないため、その進み具合は親も気になるところ。さまざまな誘惑がない環境で少しでも宿題がはかどれば、親としても安心できる。イベントを発案した同センター指定管理者の釜石まちづくり会社、下村達志事業部長は「長期休みの間、子どもが1日をどう過ごしているのか、親同士が情報交換できるのも大きい。今後は夏、冬両休みでの開催とし、勉強後のお楽しみ企画も充実させながら、認知度を高めていければ」と話した。

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戦争の記憶を未来に 戦後80年 釜石からのメッセージ「世代を超え、伝え続ける」

戦争の記憶を語り継ぐ催し「戦後80年 釜石と戦災」

戦争の記憶を語り継ぐ催し「戦後80年 釜石と戦災」

 
 太平洋戦争末期、岩手県釜石市を5300発超の砲弾が襲い、800人近くが犠牲になったとされる米英連合軍の2度の艦砲射撃から80年。戦火を経験した人は高齢となり、年々、戦時中の体験談を聞くのが難しくなってきている。そのような状況を見据え、まちに残された戦争の記憶をつなごうと、「戦後80年 釜石と戦災~未来に伝えるために~」(同市主催)が3日、大町の市民ホールTETTOで開かれた。講演会やパネル討論などを通じて世代を超えた記憶の継承、平和の大切さを考えた。
 
 市民ら約150人が参加。講演会の冒頭、小野共市長が「国内で唯一2度にわたる艦砲射撃を受けた釜石には、戦争の悲惨さや愚かさ、平和の尊さを訴え、伝えていく役割がある。戦災からの復興を推し進めてきた先人たちの足跡を振り返りながら、戦争のない平和な世の中を目指す」とあいさつした。
 
 講演では、市内在住の佐野睦子さん(94)が「わたしの戦争時代の思い出」と題して体験を伝えた。釜石は終戦直前の1945(昭和20)年7月14日と8月9日、米英連合軍などの艦隊から艦砲射撃を受けた。製鉄所があることで敵の攻撃を受ける可能性があると考えられ、佐野さんはその年の4月に故郷の釜石から現在の遠野市にあった女学校へ疎開していた。
 
「若さと忍耐で過ごした戦争時代」を振り返る佐野睦子さん

「若さと忍耐で過ごした戦争時代」を振り返る佐野睦子さん

 
 「ドシーンドシーン」。砲撃による地鳴りは疎開先でもはっきり聞こえた。2度目の砲撃の直後に疎開した同級生らから故郷の過酷な現状を聞いた。「戦争の恐ろしさを深く肝に銘じた日だった」。
  
 釜石には捕虜収容所があり、隊列を組み鉱山での採掘などに向かう姿をよく見た。終戦後、その捕虜が口笛を吹きながら街を歩き回っている光景を見て、日本の敗戦を思い知った。
 
 しばらくして釜石に戻った。「まちは地獄そのもの。この世のものと思われない悲惨さにただ立ち尽くした」。一面焼け野原。まちのシンボルだった製鉄所の5本の大煙突は砲撃で無残に折れ曲がっていた。釜石駅周辺には爆弾でできた大きな穴がいくつもあった。「もっと早く終わっていたら」。涙が止まらなかった。
 
 「戦後80年の日本はなんと豊かでしょう。お腹いっぱい白いご飯を食べたいと切実に願う中で終戦、敗戦の時を見つめた私も94歳」と佐野さん。思い出を語る同級生は少なくなり、残された数ある思い出を語り尽くせていないとしつつ、「こんな時代もあったということを少しでも分かっていただけたら。平和な毎日のありがたさ、尊さを考えてほしいです」と、客席に語りかけた。
 
 戦時中、釜石の捕虜収容所の所長を務めた故稲木誠さんの孫で、ニューズウィーク日本版記者の小暮聡子さん(44)も登壇。「戦争の記憶~未来への継承~」と題し、稲木さんが残した手記を元に記者として捕虜を訪ね、たどった戦争の記憶を語った。
 
「戦争の記憶を大切に受け取り、伝えていく」と話す小暮聡子さん

「戦争の記憶を大切に受け取り、伝えていく」と話す小暮聡子さん

 
 釜石には、釜石鉱山そばの現甲子町天洞の「大橋」と、現港町の矢ノ浦橋のたもとの「釜石」の2つの捕虜収容所があり、終戦時には計約750人が収容されていた。終戦直前の艦砲射撃では32人が犠牲になった。
 
 「あの時の凄惨(せいさん)な光景と死のうめき声を忘れることができない」。そう書き残した稲木さん。戦後、捕虜を死なせたBC級戦犯として東京の巣鴨プリズンに5年半拘禁された。
 
 収容所の管理、捕虜の扱いに最善を尽くしたと考えていた稲木さんは、戦犯とされたことに葛藤、苦悩し続けた。一方で、「祖父の心が救われる出来事があった」と小暮さん。元捕虜と文通して友情を育んだことを紹介した。
 
 「手記を書き続けるのは地獄の苦しみ……戦争を知らない若者たちへの遺書にする」。そうした祖父の手記を高校生の頃に目にした小暮さんは「戦争の記憶は祖父を苦しめたのに…なぜつらい記憶を伝えようと思ったの、何を伝えたかったの」と問いかけながら、記憶をたどり続ける。
 
 元捕虜や釜石艦砲の体験者、元兵士、遺族らに話を聞く中で、共通して感じるのは「戦争を2度と起こしてはならないという強い思いだ」と小暮さん。「戦争の非人道性を生々しく語れば語るほど、語る人の負担は大きい。それでも後世のため、私たちのために話してくれるからこそ、戦争の記憶の深い部分に想像力を働かせることが必要なのではないか」「なぜ語ってくれたのか。考え続けることが、記憶を主体的に継承し、自分事として考え続けることにつながるのではないか」と訴えた。
 
 登壇者の一人として、釜石の収容所で捕虜生活を送ったオランダ人男性の孫、エローイ・リンダイヤさん(60)が思いを語った。祖父エヴェルト・ウィレム・リンダイヤさん(1908-81年)はオランダ領のインドネシアから連行され、大橋を主として生活し、機械整備や病人の看護などをさせられた。45年9月に解放されるまで書き続けていたのが、家族にあてた日記形式の手紙。「祖父にとって希望を持ち続けるための大切な手段であり、父にとっては生きていく上で非常に大事な命綱となった」と明かした。
 
釜石で捕虜生活を送った祖父について語るエローイ・リンダイヤさん

釜石で捕虜生活を送った祖父について語るエローイ・リンダイヤさん

 
 この節目の集いは「戦争の恐ろしさを忘れず、勇気と人間性を持って平和を深く願った人たちをたたえるため」と、エローイさんは意義を強調。「戦争犠牲者への追悼と戦火を交えた国同士の和解が未来に続く指針になるように」と願った。
 
 リンダイヤ一家の物語を4月に出版した米オハイオ州のメリンダ・バーンハートさん(81)も壇上でメッセージを発信。一家の物語は、釜石というまちの物語でもあったとし、「過酷な収容生活の一方で、思いやりの物語を見つけられた」と明かした。
 
 パネル討論では、佐野さんや小暮さん、市内外で戦争の伝承活動や平和教育を実践する6人が「戦争と平和を考える」をテーマに取り組みを紹介した。釜石艦砲の歴史を教育に取り入れている甲子中学校の川村吉(はじめ)教諭(36)は「授業を終えた後に市内の戦跡に行った子もいて、関心を高めることにつながっている」と成果を説明。「知ること、自分事として主体的に捉えることを意識して授業を進めたい」と展望した。
 
「戦争と平和を考える」をテーマにしたパネル討論

「戦争と平和を考える」をテーマにしたパネル討論

 
 市内外の小中学校で釜石艦砲の体験者が制作した紙芝居の読み聞かせなどを行っている読書サポーター「颯(かぜ)・2000」の千田雅恵代表(62)は、活動を通じた語り継ぎに手応えを感じる一方で、「小中学校以外の世代にどうやって伝えていけばいいか」と課題を認識。「学校や地域、行政、市民の力を借りて解決したい」とした。
 
 戦争の歴史を平和教育に生かすべきと考え、7月に市内の戦跡を巡るバスツアーを企画した釜石高校3年の佐藤凛汰朗さんと中澤大河さんは「持続的な活動にしなければ戦争の記憶の継承も実現できない」と考察。一過性の取り組みではなく、「後輩やさらに下の世代に受け継いでほしい」と望んだ。
 
 小暮さん、佐野さんは、祖父の手記や自身の経験などが記憶の継承に生かされていることをうれしく感じた様子。小暮さんは「捕虜、収容所のことを釜石市の記憶として伝えていくことはものすごく重要だ」、佐野さんは「若い世代に戦争の残虐さ、平和のありがたさを(戦後)90年、100年になろうとも未来に伝えてほしい」と願った。
 
戦後80年の節目に幅広い世代が集い、継承への思いを共有した

戦後80年の節目に幅広い世代が集い、継承への思いを共有した

 
「戦争と平和を考える機会になった」と感想を話す中学生

「戦争と平和を考える機会になった」と感想を話す中学生

 
 大平中1年の田原薫さんは、戦時中に釜石に捕虜収容所があったこと、艦砲射撃や病気などで多くの外国人が亡くなったことを初めて知った。戦争体験者の話から、当時の状況や苦労を感じ取り、「聞いたことや覚えたことを忘れずに周りに伝えたい。艦砲射撃のことや戦争の歴史をさらに調べてみる」とうなずいた。
 
「人の縁、どう巡るか分からないね」と捕虜収容所の関係者の子孫ら。右から、小暮さん、エローイさん、吉田武子さん、メリンダ・バーンハートさん

「人の縁、どう巡るか分からないね」と捕虜収容所の関係者の子孫ら。右から、小暮さん、エローイさん、吉田武子さん、メリンダ・バーンハートさん

 
 聴講した人の中には、稲木さんの部下だった故岩淵清己さんの遺族の姿も。岩淵さんの三女で、宮城県気仙沼市の吉田武子さん(87)は終戦時7歳だった。父が自宅に背の高い外国人を連れてきたことや、戦後戦犯として収監されたことを覚えているという。今回は、小暮さんに会うために来場。言葉を交わし、「良かった」と胸を熱くした。今なお調査を追い続ける小暮さんの姿に敬意を示し、「これからの時代を生きる人たちのためにも歴史、記憶をつないでいかなければ」と言葉をかみしめた。