艦砲射撃から80年 釜石で追悼式 語りつなぐ体験者の記憶、平和の尊さ 次世代へ


2025/08/19
釜石新聞NewS #地域

祭壇に花を手向け、祈りをささげる参列者

祭壇に花を手向け、祈りをささげる参列者

 
 釜石市は8月9日、同市大町の市民ホールTETTOで戦没者追悼・平和祈念式を行い、遺族や市内の中学生ら約150人が犠牲者を悼んだ。太平洋戦争終結間際の1945(昭和20)年に釜石が2度目の艦砲射撃を受けたこの日、その戦禍を伝える体験者の手記が朗読された。「どこもかしこも火の海。……何もできない惨憺(さんたん)たるものだった」。80年前のまちの記憶に触れた参列者は戦争の惨禍を繰り返さず、平和の尊さを次の世代につなぐ思いを深めた。
 
祈りの歌声が響いた釜石戦没者追悼・平和祈念式

祈りの歌声が響いた釜石戦没者追悼・平和祈念式

 
 黙とう後、小野共市長が「7月14日と8月9日は決して忘れてはならない日。戦禍が繰り返されることのないよう、恒久平和の確立へ努力することが、国内で唯一2度の艦砲射撃を受けた当市に課せられた使命だ」と式辞を述べた。
 
 市遺族連合会の佐々木郁子会長(82)=同市平田=が追悼のことば。父が出征中に病死し、「父の記憶を持たないままも、父の背中を追い求めて生きてきた。平和な世界に生きることを願いながら、散っていた方々のことを忘れてはならない」と切なる願いを込める。戦後80年となった今、不穏な空気に包まれた世界情勢を危惧。「細くなった記憶の糸をたぐり寄せ、語りつないでいく」と誓った。
 
 読書サポーター「颯(かぜ)・2000」メンバーの佐久間良子さん(69)=同市唐丹町=は、釜石艦砲射撃の体験談などをつづった同人誌「花貌(かぼう)」を朗読した。読んだのは、故和田乙子さんの手記「学徒動員の想い出」より「地獄の七月十四日」。まちを襲った1度目の砲撃の惨状を伝える。
 
手記を朗読し艦砲射撃を伝える佐久間良子さん

手記を朗読し艦砲射撃を伝える佐久間良子さん

 
 避難先のトンネルの中にも響いた「耳も腹も胸もつんさぐ」砲撃のごう音、外に出て目にした火の海と化したまち。「十五の我々にはどうすることも出来ない。ただ泣くだけだった」。そんな地獄の道を泣きながら越え、自宅に生還した「あの日を永遠に忘れない」。
 
 当時、和田さんと行動した佐久間さんの母・前川イツ子さん(95)=大槌町吉里吉里=の経験も紹介した。火の海を歩いていたら長靴が熱で溶けてやけどした、まちの至る所に犠牲者が横たわっていた…。母から聞いた話を静かに語り、「命をつないでくれてありがとう」と締めくくった。
 
 市内の合唱グループ「翳(かげ)った太陽を歌う会」が釜石艦砲、広島・長崎への原爆投下を題材にした歌などの4曲を献唱。参列者は献花台に白菊を手向け、戦争犠牲者の冥福を祈った。
 
戦没者らを悼み、献花。静かに祈り手を合わせた

戦没者らを悼み、献花。静かに祈り手を合わせた

 
 平和・防災学習相互交流事業の一環で青森市と釜石市の中学生計20人も参列。釜石中1年の白野美佳さんは「戦争をしないという選択をするのが私たちの使命であり、責任。戦争で失われた命に敬意を込め、平和の尊さを次の世代へと伝えていく」と受け止めた。
 
平和への誓いを胸に献花する釜石市と青森市の中学生

平和への誓いを胸に献花する釜石市と青森市の中学生

 
 式には前川さんも足を運んだ。友人と自分の体験を伝えてくれた娘に感激した様子で、「80年前を思い出したら、何とも言えない。生かしてもらってよかった。ただ元気でいつまでも…。どこの国も戦争がない世の中になってほしい」と願った。
 
手記を朗読した佐久間さん(左)と母の前川イツ子さん

手記を朗読した佐久間さん(左)と母の前川イツ子さん

 
 「つらい、怖い経験をしながらも生き抜いた和田さんや母たちのためにも艦砲射撃や戦争の悲惨さを伝える活動を続けていこう」と思いを新たにする佐久間さん。市内の小中学校や図書館などで釜石艦砲の体験者が制作した紙芝居などを読み聞かせしており、「子どもたちが受け止め、伝えていく人になってもらえたらうれしい」と期待していた。

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