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世界遺産「明治日本の産業革命遺産」をより分かりやすく 釜石でガイドらが研修

世界遺産「明治日本の産業革命遺産」インタープリテーション釜石エリア研修会

世界遺産「明治日本の産業革命遺産」インタープリテーション釜石エリア研修会

 
 2015年7月にユネスコの世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」。8県11市23構成資産の1つである「橋野鉄鉱山」を有する釜石市で6日、同遺産の価値を分かりやすく伝えるための人材育成研修会が開かれた。一般財団法人産業遺産国民会議が主催。東京都新宿区、産業遺産情報センター長の加藤康子さん(同国民会議専務理事)らが講演した。
 
 釜石観光ガイド会員、橋野鉄鉱山インフォメーションセンタースタッフ、市関係職員ら約20人が参加。同遺産の保全、発信に関わる2人の専門家の講演、海外有識者のインタビュースピーチの上映などが行われた。
 
 講演した加藤さんは、同遺産が「製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の3分野、時代的には19世紀半ば~20世紀初頭(江戸後期~明治後期)にわたることをあらためて説明。1つの世界遺産として示している価値について、「鎖国をしていた日本が開国し、わずか50年で工業立国の土台をつくった。急速な産業化の道程を表した遺産」とし、「橋野鉄鉱山を訪れる人たちに、その全体像の中での意義をしっかり伝えてほしい」と願った。
 
産業遺産情報センター長/産業遺産国民会議専務理事 加藤康子さん

産業遺産情報センター長/産業遺産国民会議専務理事 加藤康子さん

 
 同遺産を時系列でみると、次の3つの時代に分けられることも説明した。①試行錯誤の挑戦(1850~60年代)=鎖国をしていた日本が西洋の科学技術の情報が乏しい中で、蘭書を片手に鉄製大砲の鋳造に挑戦していた時代(釜石で洋式高炉による鉄の連続出銑に成功した大島高任らの活躍)。②西洋の科学技術の導入(1860~80年代)=開国により西洋の技術者が入国。日本からの留学も活発になり、ものづくりの人材が急速に成長していった時代。③産業基盤の確立(1890年代~1910年)=大量生産が可能になった時代。
 
講演に聞き入る釜石市の観光ガイド、橋野鉄鉱山インフォメーションセンタースタッフら

講演に聞き入る釜石市の観光ガイド、橋野鉄鉱山インフォメーションセンタースタッフら

 
 同センターで上映している「橋野鉄鉱山」と「官営八幡製鉄所」の紹介映像も見せ、釜石(同鉄鉱山)が世界遺産価値にどう貢献しているのかも示した。加藤さんは「当時、急速に産業国家の土台をつくることができたのは、基礎となる素材産業が国内で確立したから。釜石では木炭高炉法からコークス炉導入まで30年。西洋では3世紀もかかっている」と話した。
 
 釜石市民と鉄との関わりについても言及。特に子どもたちの教育プログラムを絶賛し、「愛情を持って鉄と触れ合い、学んでいる姿は全国オンリーワン。釜石の鉄のDNAは絶対に無くさないでほしい。挑戦をし続けた先人たちの魂が生きている。必ず日本の未来に大きな貢献ができるような人材が育つだろう」と期待した。
 
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 同遺産の世界遺産登録から7年―。加藤さんは、登録時の価値を損なわないようにするため各自治体、関係者間で情報共有する「遺産保全マニュアル」を本年度から2カ年で作成することも報告した。

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釜石の山に眠る「鉄」以外のお宝とは? 市立図書館で学ぶ市民教養講座

釜石市立図書館が開いた市民教養講座「釜石の金山・銅山について」

釜石市立図書館が開いた市民教養講座「釜石の金山・銅山について」

 
 「近代製鉄発祥の地」である釜石市は、洋式高炉による連続出銑の成功とともに、原料となる鉄鉱石の豊富な産出でも知られる。釜石一帯の山々では鉄のほかに金や銅の鉱脈もあり、実際に採掘が行われていた。その歴史を学ぶ講座が4日、釜石市小佐野町の市立図書館(川畑広恵館長)で開かれた。同館主催の市民教養講座の一環。市世界遺産課課長補佐の森一欽さんが講師を務め、16人が聴講した。
 
 同市に眠る鉱床は、約1億2千万年前(中生代白亜紀)の火山活動で生まれた。マグマの熱で石灰岩などが溶かされ変成。冷え固まる過程でさまざまな鉱物が生成された。変成岩の中でも柘榴(ざくろ)石の近くで鉄鉱石(磁鉄鉱)、灰鉄輝石の周りで銅鉱石(黄銅鉱)、石英脈が発達した場所では金鉱石が見つかっている。「理由は証明されていないが、昔の人は現場の勘で鉱脈を探していったと思われる」と森さん。釜石では特に鉄鉱石と銅鉱石が多く見られ、大規模な採掘につながった。
 
金鉱石や銅鉱石ができる過程についても説明した

金鉱石や銅鉱石ができる過程についても説明した

 
講師を務めた釜石市世界遺産課の森一欽課長補佐

講師を務めた釜石市世界遺産課の森一欽課長補佐

 
 県内では、日本最古の金が産出されている陸前高田市の「玉山金山」など気仙地方の金山が有名だが、釜石地方でも小規模ながら採掘が行われていた時代がある。文献などによると、釜石市内では16の金山が確認されており、各地に広く分布する。中でも多いのは橋野町。
 
 橋野鉄鉱山の東側にある「六黒見(むくろみ)金山」は、1807(文化4)年に発見された。地元住民や盛岡藩が採掘に乗り出すが、江戸期の経営はうまくいかなかった。明治期になると近代化が図られ、再興への道が開かれる。1935(昭和10)年、日本鉱業が金増産のため本格的採掘に着手したが、43(昭18)年の全国的な金山整理で閉山。戦後、一時稼働したが、55(昭30)年ごろまでには休山したとみられる。記録によると、35~43年までの鉱石採掘量は約8万5千トン。鉱石1トンから取れる金は約8グラム程度だった。
 
 森さんは六黒見金山に残る社宅、事務所、坑道跡などの写真を紹介。大きいもので横20メートル、縦16メートルの坑道入り口があることも示した。明治期の金山所有者の銘が刻まれた石碑もあったが、2016年の台風豪雨で流失し、行方不明だという。
 
六黒見金山に残る、採掘が行われていた痕跡を示す写真

六黒見金山に残る、採掘が行われていた痕跡を示す写真

 
釜石で行われた金、銅採掘について学ぶ参加者

釜石で行われた金、銅採掘について学ぶ参加者

 
 釜石市甲子町大橋の「釜石鉱山」一帯は日本最大の鉄鉱山であるとともに、国内有数の銅鉱山でもある。1907(明治40)年、大橋の新山から産出される銅鉱石の製錬を開始。有力な銅鉱床が発見されると、52(昭和27)年、銅鉱石の選鉱場を建設し、本格的な採掘を始めた。「釜石では粗い製錬はしたが、純度を高める作業はしなかったため、硫化物による大きな公害はなかった」と森さん。
 
 鉄鉱石は精鉱により50~60%が有用な鉄になるが、銅鉱石は12~20%程度と採算がなかなか合わない。釜石鉱山では1992(平成4)年に銅鉱石の採掘を休止。鉄鉱石は93(平5)年、石灰石は2000(平12)年に採掘を休止している。
 
釜石鉱山の銅鉱石の選鉱場は、今は建物の土台だけが残る

釜石鉱山の銅鉱石の選鉱場は、今は建物の土台だけが残る

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節電の冬…イルミネーションも 釜石市内、太陽光発電やLED採用「静かな癒やしを」

国立釜石病院では節電しながらも地域をライトアップする

国立釜石病院では節電しながらも地域をライトアップする

 
 冬の夜を彩るイルミネーションの点灯が釜石市内でも始まっている。ただ今年は、全国の家庭や企業を対象にした政府による節電要請を受け、電力事情に配慮した対応を取って実施。使用する発光ダイオード(LED)電球を増やしたり、太陽光発電を活用するなど、あの手この手で心をほっこりさせる風物詩を市民に届けている。
  
光で彩られた小佐野コミュニティ会館を背に「はい、ポーズ」

光で彩られた小佐野コミュニティ会館を背に「はい、ポーズ」

  
 小佐野町の小佐野コミュニティ会館では建物や通路の樹木が赤や青、黄色などカラフルに輝くイルミネーションで彩られている。近所の子どもたち、市内の家族連れらが足を運び、スマートホンや手持ちカメラで記念にパチリ。「すごくきれい」と笑顔を広げている。
 
「小佐野地域から元気を発信」と住民が力を合わせて続ける

「小佐野地域から元気を発信」と住民が力を合わせて続ける

 
 地域を元気にしようと地元町内会などが企画し、家庭で眠っている電飾を持ち寄って継続。ここ数年はLED電球に切り替えながら節電にも気を配ってきた。今年はさらに、地元事業所から贈られたソーラーパネルと蓄電池を使って昼間に充電した電力を一部に利用。来年1月14日までの日没から夜明けまで点灯する。
 
 小佐野地区生活応援センターの佐藤貴之所長は「施設を利用する子ども、高齢者だけでなく道行く人たちも、この明かりを会話のネタにして交流してもらえたら」と願う。
 
テーマパークのような国立釜石病院のイルミネーション

テーマパークのような国立釜石病院のイルミネーション

 
 定内町の国立病院機構釜石病院の「釜石ルミナリエ」は点灯する電球全てがLEDで、太陽光発電を活用して光をともす区画も設けた節電対応。一見、落ち着いた明るさながら、近づくと華やかさは健在で、例年通りテーマパークのような光景が広がっている。
 
電飾がきらびやかな「釜石ルミナリエ」の光のトンネル

電飾がきらびやかな「釜石ルミナリエ」の光のトンネル

 
 光のトンネルにはアニメやクリスマスにちなんだキャラクターを飾り付け、子どもたちに喜んでもらえるよう工夫。地元ラグビーチーム・釜石シーウェイブス(SW)の応援コーナーもあり、地域愛にあふれる。点灯は日没~午前2時ごろまで。来年1月いっぱい楽しめるが、釜石SWの活躍次第で終了時期が延びる可能性もあるという。
 
 土肥守院長は「コロナ禍で遠出を控える人はいまだ多く、近場で楽しんでもらえたら。大声を出さず、感染予防に気をつけながら静かに癒やされてほしい」と望む。
 
うのすまいトモスの一日限定イルミネーション

うのすまいトモスの一日限定イルミネーション

 
 鵜住居町のうのすまいトモスでは4日に一日限定で点灯。三陸鉄道の明かりと合わせ地域を照らした。
 
 節電の冬。寒さは厳しさを増すが、市内に散らばる輝きを見つめ、光に込められた気持ちを感じると心は温かい。
 

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広報かまいし2022年12月15日号(No.1798)

広報かまいし2022年12月1日号(No.1797)
 

広報かまいし2022年12月15日号(No.1798)

広報かまいし2022年12月15日号(No.1798)

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【P1】
表紙

【P2-7】
特集 釜石シーウェイブス シーズン開幕

【P8-9】
チームスマイル 感動をありがとう!

【P10-11】
マイナポイント第2弾・マイナンバーカード
新型コロナワクチン接種のお知らせ 他

【P12-13】
学校規模の適正化・適正配置に関する提言書
釜石大槌地区行政事務組合決算・岩手沿岸南部広域環境組合決算 他

【P14-15】
こどもはぐくみ通信
北海道・三陸沖後発地震注意情報の運用が始まります 他

【P16-17】
まちの話題

【P18-19】
イベント案内
かまいし起業人 

【P20-21】
まちのお知らせ

【P22-23】
保健案内板・保健だより

【P24】
いつまでも変わらぬ故郷への愛 ~造園技師 猪又康夫さん~ 他

この記事に関するお問い合わせ
釜石市 総務企画部 広聴広報課 広聴広報係
〒026-8686 岩手県釜石市只越町3丁目9番13号
電話:0193-27-8419 / Fax 0193-22-2686 / メール
元記事:https://www.city.kamaishi.iwate.jp/docs/2022121200013/
釜石市

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釜石市公式サイトと連携し、縁とらんすがピックアップした記事を掲載しています。記事の内容に関するお問い合わせは、各記事の担当窓口までお問い合わせください。
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震災十三回忌前に 毛越寺(平泉)の僧侶ら 釜石・鵜住居観音堂で「復光」祈り法要

震災の犠牲者供養と被災地復興を願って手を合わせる人たち

震災の犠牲者供養と被災地復興を願って手を合わせる人たち

  
 東日本大震災から来年で十三回忌を迎えるのを前に、釜石市鵜住居町の「鵜住居観音堂」で11月30日、犠牲者供養と復興を祈る法要が営まれた。観音堂再建の歩みを知る平泉町・毛越寺の藤里明久貫主(72)が協力。「復興は進んでも心の中には震災の爪痕が残っていると思う。観音堂が気持ちの落ち着く場所になってほしい」と願いを込めた。
   
 同寺の従業員研修旅行の一環。震災後、毎年3月11日に平泉でも震災物故者の法要を行っており、被災地の現状に理解を深め、「忘れない」「伝える」との思いを共有して、その日を迎えようと、約20人が来釜した。
  
藤里貫主(手前)の話に耳を傾ける毛越寺の従業員ら

藤里貫主(手前)の話に耳を傾ける毛越寺の従業員ら

  
 観音堂は震災の津波で流失。本尊「十一面観音立像」(県指定文化財)は破損したものの流失を免れ、故大矢邦宣さん(震災当時、盛岡大教授)らが見つけて修復した。修復作業の間、本尊の代わりに地域を見守ってもらおうと模刻「身代わり観音像」も制作。本尊とともに今年3月に再建された観音堂に安置する。
   
 大矢さんの遺志を継ぎ、被災地に心を寄せてきた藤里貫主が、その歩みを従業員らに紹介。「光が差し込んで、心豊かに暮らせるよう『復光』を願う」と、身代わり観音像を前に般若心経を唱え、従業員らが手を合わせた。
  
震災十三回忌を前に鵜住居観音堂で営まれた法要

震災十三回忌を前に鵜住居観音堂で営まれた法要

  
 地域住民も足を運び、思いをはせる機会にした。齋藤清子さん(78)は「もうすぐ12年。あっという間、早いね。観音堂は気持ちのよりどころ。子どもたちの声が聞こえるまちになってほしい」と目を細めた。
  
 観音堂を管理する別当の小山士(つかさ)さん(79)は「毛越寺からは毎年のように法要に来ていただきありがたい。先祖代々、500年守ってきた観音様をしっかりお守りしていかなければ」と言葉をかみしめた。
  
研修旅行で来釜した毛越寺の従業員、出迎えた鵜住居町の住民

研修旅行で来釜した毛越寺の従業員、出迎えた鵜住居町の住民

  
 「3月11日に平泉を訪れる方々にも被災地を忘れず、思いを寄せてもらいたい。そのためにもわれわれが現状を知り、伝える役目を果たしたい」と藤里貫主。一行は、陸前高田市の高田松原津波復興記念公園や宮城県南三陸町なども訪ねた。

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縄文人の暮らしの痕跡多数確認 釜石・橋野「太田林遺跡」発掘現場を一般に公開

発掘調査が行われてきた「太田林遺跡」の現地公開=釜石市橋野町

発掘調査が行われてきた「太田林遺跡」の現地公開=釜石市橋野町

 
 6月から発掘調査が進められてきた釜石市橋野町の「太田林遺跡」の現場が11月23日、一般に公開された。調査を行う県文化振興事業団埋蔵文化財センターによると、同所では縄文時代の竪穴住居20棟以上が密集した状態で見つかり、当時の装飾品「玦(けつ)状耳飾り」が多数出土した。縄文人の暮らしの一端を垣間見ることができ、訪れた人たちは興味をそそられながら担当者の説明に聞き入った。調査は来年度まで続く。
 
 橋野地区の消防屯所建設に伴う記録保存のための調査。現場は産地直売所「橋野どんぐり広場」から笛吹峠方面へ約150メートルの県道沿い。本年度は1325平方メートルを対象とした。
 
 竪穴住居は縄文時代早期(約8000年前)から前期末(約5000年前)のものと推定され、溝の長さや柱穴の状態から大型住居の痕跡が見られる。複数の建物跡が重なりあっていて、同じ場所に何回も建て替えて住み続けていたことが分かる。調査を担当する同センター主任文化財専門員の八木勝枝さん(48)は「この場所は日当たりが良く、平地が広い。川も近い。集落を構えるのに最適な立地条件」と話す。
 
竪穴住居を区画する溝や柱穴が複数見られる現場

竪穴住居を区画する溝や柱穴が複数見られる現場

 
長期にわたり住み続けるのに最適な条件がそろっていたとみられる

長期にわたり住み続けるのに最適な条件がそろっていたとみられる

 
 食糧を保存するための「貯蔵穴」も見つかった。大きなものは深さ約1・7メートルで、底が広いフラスコ型。小型の穴からは炭化したクリが多数見つかった。皮がむかれた状態で発見されるのは珍しく、原形もとどめている。大型住居の中には炉の跡(焼土)が複数みられ、家族単位で炉を囲んでいたとも考えられるという。
 
深さ約1・7メートルのフラスコ型「貯蔵穴」

深さ約1・7メートルのフラスコ型「貯蔵穴」

 
底に炭化したクリが見つかった(赤丸部分)貯蔵穴。形がはっきり残る縄文時代のクリ(右下)

底に炭化したクリが見つかった(赤丸部分)貯蔵穴。形がはっきり残る縄文時代のクリ(右下)

 
 担当者が注目するのは建物跡から見つかった「玦状耳飾り」。耳たぶに開けた穴に装着して使うもので、完成品(24点)だけでなく、製作途中のものも見つかった。材料は滑石。これだけの数が同じ場所から見つかることはまれだという。他に土器、石器(矢じり、石斧、すり石など)が多数出土したほか、土偶の破片や動物とみられる焼けた骨も見つかった。
 
今回の調査区から出土した遺物。上段は玦状耳飾りの製作過程

今回の調査区から出土した遺物。上段は玦状耳飾りの製作過程

 
用途別に大小さまざまな形状に加工された石器類

用途別に大小さまざまな形状に加工された石器類

 
 発掘範囲の東側では墓とみられる穴が5基見つかった。人為的に埋め戻されたような土がたまっていて、加工途中の「石刀」状の石製品が出土している。墓は住居よりも新しい時期のものと推定される。
 
墓の跡とみられる穴が複数見つかった東側エリア

墓の跡とみられる穴が複数見つかった東側エリア

 
 見学した甲子町(中小川)の中川和雄さん(73)は「場所的に住みやすい地形ですもんね。当時の人もできるだけ考えていたのだろう。釜石の温暖な気候もあるのかも」と想像を巡らし、「亡妻は遺跡が大好きだった。帰ったら報告してあげたい」と語った。
 
 同センターの八木さんは「これほどの住居の密集は私も見たことがない。玦状耳飾りは割とまとまっていたので、その家がどういう役割だったかを考える材料にもなる。来年度の調査と合わせ、一帯の全体像を把握できれば」と話した。発掘調査の成果は最終的に1冊の調査報告書にまとめられ、一般の人も県内市町村図書館などで目にすることができる。
 
 太田林遺跡は今回の調査区の北側にも広がり、これまでの市による分布・試掘調査で縄文時代から弥生時代の遺構・遺物が発見されている。

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台風で倒木・ユリノキ→積み木に加工 岩手県緑化推進委、かまいしこども園に贈る

たくさんの積み木を前に、笑顔を見せる子どもたち

たくさんの積み木を前に、笑顔を見せる子どもたち

  
 釜石市天神町のかまいしこども園(藤原けいと園長、園児78人)に11月28日、台風被害を受けた盛岡市内の倒木・ユリノキを加工して作られた積み木90個が贈られた。ユリノキの苗木1本も届き、子どもたちが園庭に植樹。「一緒に大きくなろうね」と苗木の根元にそっと土をかぶせた。
   
 積み木の材料となったユリノキは盛岡・高松公園地内にあったが、2019年10月の台風19号による強風で倒木。県緑化推進委員会が盛岡市から譲り受け、東日本大震災被災地の幼稚園、保育園、こども園を対象に子どもたちの「木育」の推進を図ろうと、積み木を製作、寄贈している。今回、同委員会から釜石市に寄贈先の調整依頼があり、各施設に意向を確認。同園が希望したことから、苗木と合わせて贈ることを決めた。
  
小山田課長(右)から積み木を受け取る園児と藤原園長

小山田課長(右)から積み木を受け取る園児と藤原園長

  
 この日は同委員会釜石支部事務局を担う市水産農林課の小山田俊一課長らが同園を訪問。小山田課長は、▽モクレン科の落葉樹▽大きな枝を広げて高さ15メートルにもなり、街路樹や公園樹として植栽されている▽8年くらいで、おわんに似たチューリップのような花が咲く―といったユリノキの特徴を紹介した。
  
ユリノキの苗木を植えるかまいしこども園の年長児たち

ユリノキの苗木を植えるかまいしこども園の年長児たち

  
 年長児8人が植樹作業をお手伝い。小山田課長は「みんなと一緒に成長することを期待。積み木を通して木に親しみ、森や緑の大切さを知ってほしい」と、園児と藤原園長に積み木を手渡した。
  
「共同作業でロボットを作ろう」。積み木遊びを楽しむ年長児

「共同作業でロボットを作ろう」。積み木遊びを楽しむ年長児

  
 園内に戻り、木箱に入った大小さまざまな積み木が広げられると、年長児は「わー、しんぴん」などと歓声。思い思いの形に並べたり、高く積み上げたりして積み木遊びを楽しんだ。中村日陽(ひより)ちゃん(5)は「すてきなかおりがした。つるつるしてた。人とかいっぱい作って遊ぶ」とはにかんだ。

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地域活動再開の一歩! 釜石・栗林町砂子畑地区で「あおぞら市」 元気な笑顔で再会

掘り出し物を探したり会話を楽しんだりした「あおぞら市」

掘り出し物を探したり会話を楽しんだりした「あおぞら市」

 
 釜石市栗林町の砂子畑老人クラブ「高砂会」女性部(藤原たか子部長、部員約20人)は11月24日、全ての商品を100円で販売するフリーマーケット「あおぞら市」を初開催した。新型コロナウイルスの感染拡大で控えてきた地域活動を再開するきっかけづくりとして企画。会場となった町内の砂子畑さんあいセンターには買い物を楽しむ笑顔や、「久しぶり」「元気そうだね」などと再会を喜ぶ声が広がった。
  
 この日は朝方まで雨が降ったため、室内での実施に変更。窓を開けて換気するなど感染対策に気を配った。会場には5つの販売コーナーが並び、部員や同クラブ会員が育てた新鮮野菜(白菜、大根、ニンジン、キクイモなど)や手作り雑貨(ビーズアクセサリーなど)、古着などがずらり。約1升の米、手作りの郷土菓子「かまだんご」は人気で、あっという間に売り切れた。
 
新鮮な野菜が並んだ販売コーナーで品定め

新鮮な野菜が並んだ販売コーナーで品定め

 
元気な姿を確認し合い、会話を弾ませた

元気な姿を確認し合い、会話を弾ませた

 
「財布が閉まらない」。100円を手に品定め、買い物を楽しむ女性たちの声があちらこちらから聞こえてきた。「あらー、来てくれたの」「元気だった?」「寒くなってきたから、風邪ひかないようにね」。久しぶりに顔を合わせ、立ち話をする姿も見られた。
 
 女性部ではコロナ禍前、折り紙などの手芸教室や保健師による健康講座、地域の清掃活動などで定期的に集まって交流してきた。ここ数年は対面での活動を控えていて、「久しく顔を見ていない。元気な姿で再会を楽しみたい」と思案。「老人クラブは草取り」というイメージを拭き取ろうと、この催しを企画した。
  
 「高齢者もイベントがあると、いつも以上に体も声にも元気があふれる」と藤原部長(77)。会場のあちらこちらで会話を楽しむ住民らの様子に目を細めた。そして、もう一つ、うれしいことも。東日本大震災後、同地区には被災した人たちのための仮設住宅が建ち、10年以上がたった今、地区に残って生活を根付かせた人たちがイベントに参加してくれた。
 
震災を機に親交を深めた藤原部長(左)、佐々木さん

震災を機に親交を深めた藤原部長(左)、佐々木さん

 
 そんな一人が佐々木ナツさん(86)。エコクラフトのかご、キーホルダーなど手作り品を提供した。海沿いの鵜住居町根浜地区から、山側の砂子畑に移り、「知らないところに来て不安だったが、地区のみなさんに声をかけてもらい、立ち上がることができた」。感謝の気持ちを込めて作った作品を顔なじみの住民らが手に取ると、目に喜色を浮かべた。「地震が起きても津波の不安はなく、気持ち的に安心な地域。みんなと穏やかに暮らしたい」。そう願う。
 
 藤原部長は「たくさんの笑顔、元気な姿を見ることでき、コロナ禍の気晴らしになったはず」と前向きに捉えた。一方、コロナ下での活動には不安もあり、感染対策に気を付けながら、「地区のみんなが楽しめるようなことを考えて、顔を合わせる機会をつくっていきたい」とした。
 
地域を活性化させる催しに力を発揮した砂子畑地区の女性たち

地域を活性化させる催しに力を発揮した砂子畑地区の女性たち

 
 女性たちのパワーに、栗澤康夫さん(86)は「たいしたもんだ。買い物を楽しめ、交流もできる」と感心した。催しなどへの男性参加は少ない傾向にあり、解決策として「俺たちはカラオケだな」とぽろり。コロナ前の付き合いや交流を取り戻す活動を少しずつ進めていく考えだ。
 
 あおぞら市の収益で、使い捨てカイロを購入して高齢者世帯に配る予定。寒くなる季節に、「体も心もほかほかに」と願いを込め、あたたかさを贈る。
 

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地元食材で「まるごと釜石給食」 試験養殖のサクラマス初登場 児童ら「おいしー!」

「まるごと釜石給食」を味わい、笑顔を広げる釜石小の3年児童

「まるごと釜石給食」を味わい、笑顔を広げる釜石小の3年児童

 
 釜石市内の全小中学校(小9・中5)で14日、地元食材を使用した「まるごと釜石給食」が提供された。地産地消、地域の農・水産業への理解促進を狙いに、市学校給食センターが実施。釜石湾での試験養殖が2年目を迎えた「釜石はまゆりサクラマス」も初めてメニューに採用された。釜石小(及川靖浩校長、児童92人)の3学年(10人)教室では市関係者4人が同席し、児童らと一緒に給食を味わった。
 
 この日の献立は▽釜石はまゆりサクラマスの塩こうじ焼き▽じゃがいものそぼろ煮▽三陸ワカメのみそ汁▽ご飯▽リンゴ▽牛乳―。地元で生産されたサクラマス、ワカメ、コメ(ひとめぼれ)、ジャガイモ、ダイコン、ハクサイ、ネギ、リンゴが使われた。釜石小3学年教室では食べる前に、市学校教育課学校給食センターの菅原良枝栄養教諭が食材について説明。「釜石のものを食べて元気に育ってほしいという地域の皆さんの願いがこもった献立です。感謝しながらよく味わって食べよう」と呼び掛けた。
 
サクラマスなど、釜石の味を楽しみにしながら給食の準備

サクラマスなど、釜石の味を楽しみにしながら給食の準備

 
食べる前に給食の献立と使われている食材について説明を受けた

食べる前に給食の献立と使われている食材について説明を受けた

 
 全員で「いただきます」と声を合わせ、昼食を開始した。給食初登場の釜石産サクラマスはほとんどの児童が初めて口にする魚。センター職員によると、今回は「うまみ、香りをシンプルに味わってもらおう」と塩こうじ焼きにしたという。小学生には40グラム、中学生には60グラムの切り身で提供された。児童らは新米のご飯とおかずを交互に口に運び、地元食材の素晴らしさを実感した。
 
黒板に掲げられた食材を確かめながら箸を進める

黒板に掲げられた食材を確かめながら箸を進める

 
初めて給食に出された釜石産サクラマスをいただく。さて、お味は?

初めて給食に出された釜石産サクラマスをいただく。さて、お味は?

 
 畝岡蓮恩君は「初めて食べたサクラマスは脂が乗っていておいしかった」と大満足。福士愛梨さんもサクラマスの味を気に入り、「釜石の海で養殖されていると聞きびっくり。もっといっぱい食べられるようになるといい」と期待した。
 
 同センターの山根美保子所長は「釜石にもおいしい農水産物があることを知ってほしい。これからも釜石産食材をできるだけ給食で提供していければ」と話す。センターでは今月11日には「鮭の日」にちなんだ給食を提供。8日の「いい歯の日」にちなみ、7日から11日まではかみごたえのある献立を取り入れ、子どもたちの食への関心を高めた。

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世界遺産「橋野鉄鉱山」で発掘調査 三番高炉の水車場、フイゴ座、鋳造場を確認

国史跡「橋野高炉跡」発掘調査現地説明会。水車場跡に見入る見学者

国史跡「橋野高炉跡」発掘調査現地説明会。水車場跡に見入る見学者

 
 釜石市が本年度、発掘調査を行った「橋野鉄鉱山」高炉場跡、三番高炉エリアで12日、調査結果を一般に公開する説明会が開かれた。同調査は市が2018年から進める「橋野高炉跡範囲内容確認調査」の一環。三番高炉跡は1956(昭和31)年に岩手大による発掘調査が行われ、その価値が認められ、翌57(同32)年に橋野高炉跡が国史跡に指定された経緯がある。今回はその調査記録の再確認などが行われた。結果、高炉覆屋建物の規模が実証され、水車場、フイゴ座、鋳造場の痕跡も確認できた。
 
 同調査は10~11月の期間で実施。岩手大の調査記録、1892(明治25)、94(同27)年の建物記録を参考に、規模の確認を主目的とした。高炉の西側には本線水路から水を引き稼働させた水車場の記録があり、今回の発掘でもその石組みを確認。下部構造や範囲が明らかになったほか、地中からは水車場か高炉上屋の廃材とみられる木材が見つかった。水車の直径は約2メートルと推定されるという。
 
水車場の下部構造(黄丸部分)が分かる石組み

水車場の下部構造(黄丸部分)が分かる石組み

 
水車場の中から見つかった廃材(黄丸部分)

水車場の中から見つかった廃材(黄丸部分)

 
 水車の軸とつながれたフイゴは高炉に風を送る装置で、高炉北側に位置していたことが記録に残る。水車の駆動で2基の箱型フイゴが稼働していたとみられ、地中にフイゴの土台を止めるための穴が見つかった。大島高任が日本で初めて連続出銑に成功した大橋高炉では当初、西洋式の丸型足踏みフイゴが採用された。翌年に操業した橋野高炉ではより効率的に風を送れるように改良した箱型フイゴが使われ、2基の稼働で順次、風を送れる仕組みが確立された。これが橋野高炉成功の理由の一つとされる。
 
三番高炉の北側に位置する「フイゴ座跡」(黄丸部分)

三番高炉の北側に位置する「フイゴ座跡」(黄丸部分)

 
水車とフイゴをつなぐ軸の推定位置を説明(奥が水車場、手前がフイゴ座)

水車とフイゴをつなぐ軸の推定位置を説明(奥が水車場、手前がフイゴ座)

 
 今回の調査では岩手大の調査記録では分からなかった鋳造場跡が確認された。高炉の南側エリアで鋳型の外側の部材が出土。関係する木枠、砂、焼けた土も確認された。高炉石組みのすぐそばには鋳造炉、鋳型場とみられる痕跡も。文献記録によると、同高炉の出銑は1894(明治27)年6月が最後とされ、終焉(えん)ごろは銑鉄の生産よりも鉄瓶や鍋釜の鋳造が中心だったとされる。
 
三番高炉南側エリアで確認された鋳造場跡(黄線囲み部分)。鋳型片などが見つかった(左下)

三番高炉南側エリアで確認された鋳造場跡(黄線囲み部分)。鋳型片などが見つかった(左下)

 
 この他、高炉東側に位置する出銑の砂場跡の範囲、岩大調査では検出されていなかった柱穴や土坑が確認された。これらの情報をもとに検討した結果、高炉覆屋建物の規模は約57坪(約188平方メートル)と推定され、明治の記録と合致した。出土した鋳型の一部、高炉底部のれんがを含む塊など遺物は、橋野鉄鉱山インフォメーションセンターで12月8日まで公開されている。
 
高炉出銑口前の砂場範囲も確認された。左下は江戸末期の絵巻に描かれた出銑口前での作業風景

高炉出銑口前の砂場範囲も確認された。左下は江戸末期の絵巻に描かれた出銑口前での作業風景

 
インフォメーションセンターで公開されている出土品。右は耐火れんが積塊

インフォメーションセンターで公開されている出土品。右は耐火れんが積塊

 
 今回は昨年度の調査で確認できなかった土蔵跡の調査も行われた。江戸末期(1860年代前半)に描かれた高炉絵巻では御日払所の北側に板蔵、土蔵の順に並ぶ様子が見られるが、今回の調査で板蔵の東側に土蔵があったことが確認された。建物礎石が見つかり、明治の記録「6坪」と合致した。この場所には1967(昭和42)年に国史跡指定10周年を記念して日本鉄鋼連盟により東屋(休憩所)が建設されており、2018(平成30)年まで上屋が残っていた(老朽化で撤去)。
 
板蔵跡の東側で確認された土蔵跡。絵巻(左下)では板蔵の北側に描かれていた

板蔵跡の東側で確認された土蔵跡。絵巻(左下)では板蔵の北側に描かれていた

 
 調査を担当した市世界遺産課の髙橋岳主査は「水車場の石垣など遺構が良好な状態で残っていることをあらためて確認できた。この状態の良さがあったからこそ、昭和32年の国史跡指定にもつながったものと思われる。今回、鋳造の痕跡が見つかったのは新たな発見」と成果を示した。来年度は西側に位置する長屋跡の発掘調査が行われる予定。

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大学の知見をまちづくりに 「海と希望の学園祭」 釜石市・東京大連携協定記念で

「海と希望の学園祭」を太鼓演奏で盛り上げる重茂中(宮古市)の生徒

「海と希望の学園祭」を太鼓演奏で盛り上げる重茂中(宮古市)の生徒

 
 海と希望の学園祭(釜石市主催)は5、6の両日、同市大町の釜石PIT、市民ホールTETTOで開かれた。共同研究や技術開発、地域振興など各種分野で連携する同市と東京大3研究所の協定締結を記念し初めて開催。海洋研究や地域産業に関わる講演やパネル討論、楽しく海に親しむワークショップなど多彩な催しが行われ、幅広い年代が学びを深めた。
 
 同市と同大は2006年の同大社会科学研究所(社研)による「希望学」釜石調査を機につながり、東日本大震災後は「危機対応学」という新たな分野で研究連携を続けてきた。そうした実績を基に本年3月、社研、大槌町に研究施設を持つ同大大気海洋研究所、市の3者で「連携協力の推進に関する覚書」を締結。7月には、釜石港で実証試験が始まった波力発電の技術指導を行う同大先端科学技術研究センター(先端研)と市で「連携及び協力に関する協定」を締結した。
 
 記念の交流イベントとなった同祭。大気海洋研はヒトデやヤドカリ、ウニ、アメフラシなど海の生物に触れられるコーナーを開設し、来場者に生態などを教えた。中にはウニの一種ながら、硬貨のような平たい形状の「ハスノハカシパン」も。一般にはなじみのない生物で、来場者は興味深げに見入った。
 
海の生物に触れられるタッチプール。左下拡大は「ハスノハカシパン」

海の生物に触れられるタッチプール。左下拡大は「ハスノハカシパン」

 
 担当者の説明を熱心に聞いていた三浦海斗君(釜石中2年)は「いろいろな生物の特徴や生息場所を知れた。海には友だちとよく釣りに行く。今度行った時は、探してみたい」と貴重な学びを得た様子。「生き物に直接、触れられるのは面白い。これからもこういうイベントを続けてほしい」と望んだ。
 
 樹脂で作った海の生物フィギュアで注目を集めたのは大槌町のササキプラスチック(SASAMO)。魚やウニ、ホヤなどの身近な生物のほか、深海に生息する甲殻類の一種「オオグソクムシ」の大きなフィギュアがひときわ目を引いた。景品がもらえるキャスティングゲームもあり、釣りの楽しさも疑似体験できた。
 
ササキプラスチック製作海の生物フィギュアに目がくぎ付け。深海生物は重さもずっしり(右下)

ササキプラスチック製作海の生物フィギュアに目がくぎ付け。深海生物は重さもずっしり(右下)

 
 釜石海上保安部の海洋調査業務の展示、文京学院大の工作コーナー、海洋環境問題に関する映画上映も。大気海洋研との連携で「海と希望の学校」事業に取り組む重茂中(宮古市)の生徒35人は、学校で伝承する剣舞、鶏舞、魹埼太鼓を披露し、同祭を盛り上げた。
 
自分の船の位置を知るための角度測定に使う「六分儀」を体験する子ども=釜石海上保安部の展示

自分の船の位置を知るための角度測定に使う「六分儀」を体験する子ども=釜石海上保安部の展示

 
重茂中の生徒は郷土芸能「鶏舞」などを披露し、来場者を楽しませた

重茂中の生徒は郷土芸能「鶏舞」などを披露し、来場者を楽しませた

 
 講演やトークイベントは7プログラムを開催。3研究所の教授や准教授らが各種テーマで講演したほか、地元の観光や産業関係者を交えてのパネル討論などを行った。「海と希望のまち釜石~未来への船出~」をテーマとしたパネル討論には、教授3人と野田武則市長、かまいしDMCの河東英宜代表取締役が登壇。海洋環境、再生可能エネルギー、海を生かした観光、人材育成など多様な視点で意見を交わした。
 
 大気海洋研所長の河村知彦教授(海洋生態学、水産資源生物学)は海洋環境への関心喚起について「海の中は見えない。研究者が一般の人に伝え、みんなで共有していく必要がある。見えない部分に想像を働かせ、問題や可能性を見いだすことが大事」と述べた。先端研所長の杉山正和教授(再生可能エネルギーシステム)は地域におけるエネルギー政策について「資源はそれぞれ違う。画一的プランではなく、その地域ならではのロジック(論理、筋道)を作っていくことが重要。若い世代が自分たちの未来を考えるワークショップをしたり、地域の事情に合わせた展開が理想」とした。
 
5人が登壇した「海と希望のまち釜石」パネル討論。持続可能な未来へ意見を交わした

5人が登壇した「海と希望のまち釜石」パネル討論。持続可能な未来へ意見を交わした

 
パネル討論に聞き入る来場者

パネル討論に聞き入る来場者

 
 観光事業を行うDMCの河東代表取締役は「地域の魅力を生かしきれていない」との外部からの指摘に「増えている移住者の視点、地元住民の協力で魅力の掘り起こし、磨き上げ、発信に努めているところ。眠っている資源はまだまだある」と今後の可能性を示唆。野田市長は震災で発揮された防災教育の効果を例に挙げ、市民の学びの場の必要性に言及。「釜石は常に困難を乗り越えてきた歴史があるが、人口減もあり、次世代がその力を持ち続けられるかという不安もある。これからは多くの学びの中で気付きや感性を得て、課題解決に向かう力を養っていかなければならない」と話した。

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紅葉の橋野に3年ぶりのにぎわい 「水車まつり」で祝う実りの秋 豚汁やそばに舌鼓

人気の餅まきでにぎわう「第16回水車まつり」

人気の餅まきでにぎわう「第16回水車まつり」

 
 農作物の収穫を祝う釜石市橋野町の「水車まつり」は6日、産地直売所・橋野どんぐり広場周辺で開かれた。橋野町振興協議会(和田松男会長)、栗橋地区まちづくり会議(洞口政伸議長)が共催。新型コロナウイルス感染症の影響で2年間の中止を経ての復活開催となり、待ちわびた約430人が餅まきや豚汁の振る舞いなどを楽しんだ。食、文化、自然と地域の魅力を堪能できるイベントは16回目を迎えた。
 
 青空に映える山々の紅葉に囲まれた会場。祭りは恒例の餅まきで幕を開けた。手作りの祝い餅約1千個を軽トラックの荷台から豪快にまいた。老若男女が「こっち、こっち」と手を伸ばし、久しぶりのにぎわい風景が広がった。
 
主催団体の代表らが紅白の祝い餅を豪快にまいた

主催団体の代表らが紅白の祝い餅を豪快にまいた

 
餅まきを楽しむ来場者。まつりを代表する光景

餅まきを楽しむ来場者。まつりを代表する光景

 
 野菜をふんだんに使った豚汁は約300食を用意し、無料で提供。手打ちそば、きびの焼き団子、雑穀おにぎりなどは約100~300食を各100円で販売した。野菜や穀物はいずれも地元産。良質食材と地域の食の技で生まれる味覚を求めて、長蛇の列ができた。2018年から同祭りに協力する鵜住居公民館の自主グループ「そばの三たて会」(奥山英喜会長)は、そば打ちで力を発揮。振興協女性部とともに前日から準備にあたった。全メニューは昼前に完売する盛況ぶりを見せた。
 
豚汁は無料でお振る舞い。この味を求めて多くのファンが訪れる

豚汁は無料でお振る舞い。この味を求めて多くのファンが訪れる

 
きびの焼き団子は炭火で香ばしさアップ。みそだれも食欲をそそる

きびの焼き団子は炭火で香ばしさアップ。みそだれも食欲をそそる

 
 川崎花音さん、心花さん姉妹(鵜住居小4年)は「栄養たっぷりの野菜が入った豚汁、みそだれがかかったきび団子がおいしかった」、いとこの川口梨沙さん(同)は「餅をいっぱい拾った」と笑顔満開。周辺の紅葉にも目を見張り、「赤、黄、オレンジといろいろな色が交ざってきれい。秋だなーって感じる。ずっと見ていたい」と口をそろえた。
 
 甲子町の佐藤高正さん(74)は市広報を見て妻らと初めて来場。「こんなに人出があるとは驚き。一通り食べたが、どれもおいしい。天気もいいし、川と水車、紅葉が織りなす景色は最高」と祭りを満喫。橋野に来る機会はあまりなく、「こういうイベントがあれば足が向く。長く続けてほしい」と望んだ。
 
橋野自慢の味に子どもたちもこの笑顔!箸が進む

橋野自慢の味に子どもたちもこの笑顔!箸が進む

 
赤ちゃんもおいしい豚汁をもぐもぐ。家族で橋野の味を堪能

赤ちゃんもおいしい豚汁をもぐもぐ。家族で橋野の味を堪能

 
 産直近くの親水公園内にある水車小屋では、きねでもみ米をつく実演も。これで精製した米は風味が違うという。この日は来場者が米を持ち込む姿もあった。大きな水車が回る農村風景は今ではなかなか見ることができない。水車の前では記念撮影を楽しむ家族連れらが目立った。水車小屋の裏手には「ママシタの滝」があり、こちらも撮影スポットとなった。
 
かやぶき屋根の水車小屋(左上写真)。来場者は水の力で回る大きな水車の迫力を楽しんだ

かやぶき屋根の水車小屋(左上写真)。来場者は水の力で回る大きな水車の迫力を楽しんだ

 
 水車まつりは、同町で年間を通して行われる「はしの四季まつり」の一つ。コロナ禍で20年からは全祭りの中止が続いていたが、本年は春の八重桜まつり、夏のラベンダーまつりを観賞会という名目で実施。今回の水車まつりは本格復活の第一歩となり、ほぼ例年規模での開催が実現した。
 
 同振興協の和田会長は「市内の感染状況も落ち着いており、『そろそろ動き出したい』との思いがあった。協議会内でも開催への前向きな意見が多く、みんなの強い気持ちが復活を後押しした」と説明。3年ぶりの活気に「よかったねぇ~。ほっとする光景」と目を細め、「来年はニジマス釣り大会を含め、全まつりができるようになれば」と心から願った。