ガザの平和を願い、たこ揚げをする釜石の子どもたち
「共に」「平和とふっこうを」―。そんな願い、メッセージがつづられた手作りのたこが8日、釜石の大空を舞った。東日本大震災以降、日本の被災地に向けて応援のたこ揚げを続けるパレスチナ自治区ガザの子どもたちと互いを励ます交流をつないできた釜石市民有志らが企画した催し。「空を見上げて明るい顔に」。イスラエル軍とイスラム主義組織ハマスの戦闘が激しさを増し、過酷な生活を強いられる現地に「思い、届け」と切に願う。
震災復興を願ってガザ地区の子どもたちがたこを飛ばすのは2012年が始まり。国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の主催で毎年続けられている。これに応える形で、15年に釜石でガザに向けたたこ揚げが行われ、感謝と平和のメッセージを発信。UNRWAとNPO法人日本リザルツが連携して交流活動を続け、ガザの子どもたちが釜石を訪れて一緒にたこ揚げを楽しむ機会もあった。戦闘と津波。つらい経験をした子どもたちの互いを思いやる気持ちをつないできた。
この交流の形は釜石市内外の有志でつくる「ガザ・ジャパン希望の凧(たこ)揚げ交流会実行委員会」が継ぎ、18~20年にイベントを実施。新型コロナウイルス禍を経て、昨年10月には唐丹中の生徒らの希望を受け、たこ揚げに協力した。
たこ揚げ会場は鵜住居。たこ作りから開始
思い思いのイラストやメッセージを書き込む
今回の会場は、鵜住居町の「うのすまい・トモス」。小中学生を中心に約30人が参加した。思い思いの絵や文字を書き込んだたこを手づくりし、込めた思いや願いを伝える動画を撮影。「幸せ」とつづった小川原瑛大君(鵜住居小3年)は「平和を考える機会になった。日本から応援しているよ」とメッセージを送った。
「戦争が一刻も早く終わってほしい。安心安全に生きてほしい」と願う子が選んだ文字は「望」。「平和(PEACE)」という言葉とそれを象徴するハトを描いた親子は「希望を捨てないで。生きてください」と思いを寄せた。能登半島地震を意識した様子の児童は「じしんくるな」と書いたり、桜の花びらをイメージした折り紙を貼ったものもあった。
さまざまな思いが込もった、たこが完成
ガザにつながる釜石の空にたこが舞った
青空の下、子どもたちが元気に走り回って、たこ揚げ。時折強い風が吹くと、色とりどりのたこが空高く舞い上がった。「国は離れているけど、そばにいると思ってもらえたら」。上野聖奈さんと香川真紀さん(ともに唐丹中2年)は、パレスチナと日本の旗をモチーフにした、たこにそんな思いを託した。
元気にたこ揚げを楽しむ子どもたち
オンライン交流の時間も。直接気持ちを伝えた
「たこ揚げは空を見上げることで顔が明るくなる。そして、言葉で伝えられないメッセージも届くと思う」。同実行委メンバーの一人、岩手大教育学部4年の野呂文香さん(22)=甲子町出身=はそう話し、穏やかに笑った。この活動に高校生の頃から関わってきて、深刻なガザの情勢を憂慮。「震災からの復興を願い続けてくれるガザへの恩返しになれば。上を向ける平和が広がるように」と祈った。
同じように高校時代から交流する静岡大地域創造学環4年の高橋奈那さん(22)=小川町出身=は「同世代の子が紛争に巻き込まれていることは大きな衝撃だった」と思い起こす。自然災害で傷ついた震災の被災地と重ね、「平和、安心安全な暮らしを願うのは共通のこと」ときっぱり。たこ揚げという楽しい思い出を通じて、多くの人に「背景にあるものが伝わったらいい」と期待した。
企画した野呂文香さん(左)と高橋奈那さん
たこ揚げの様子は、近隣地域に身を寄せるガザの子どもらにもオンラインで届けられた。復興支援で釜石に暮らした経験がある実行委の佐藤直美さん(50)=仙台市=は「たくさんの人がメッセージを寄せてくれた。『一緒に頑張ろう』『一人じゃないよ』とか、自分事として捉えているのが印象的だった。これからも続けていきたい」と目を細めた。
希望を託し、たこを揚げた参加者
「会いたい」。釜石の子どもたち、実行委メンバーは一緒にたこ揚げできる日を待っている。