動き出す!釜石 2024年の仕事始め まちの発展、豊漁願う 能登半島地震…支援の動きも
2024年が本格的に始動。釜石市魚市場も活気づく
釜石市内の企業や官公庁の多くは4日が仕事始めとなった。魚河岸の市魚市場は初水揚げで活気づき、初売り式も行って豊漁を祈願。変化に合わせた水産業の形を見いだすべく、手締めで気持ちを合わせた。只越町の市役所では小野共市長が年頭訓示。元日に発生した石川県能登半島を震源とする地震に触れ、「災害を正しく恐れ、備えるのは難しいだろうが、東日本大震災を経験した者として必ず逃げるという心構えが必要だ」と気を引き締めた。
活気づく魚市場で初売り式「魅力ある水産業の推進を」
魚市場では日の出前から定置網漁船が入港。サバやヤリイカなど約14トンが水揚げされたが、2023年と比べると半分以下に落ち込み、厳しい出だしとなった。萬漁業生産組合(萬文貴組合長)の萬宝丸(19トン、乗組員11人)は約1週間ぶりの操業。萬組合長(46)は「海水温が高く、狙った魚は入っていなかった。金額的にはいい魚だとしても量は少なく、何とも言えない。新しいことをやらなければと思っても、実行は難しい。変わっていく現状に合わせていくしかない」と複雑な心情を話した。
水揚げ、魚の選別など手際よく作業する萬宝丸の乗組員ら
初競りを前に、市漁業協同組合連合会の木村嘉人会長が取り扱い実績を報告した。23年4~12月の水揚げは3770トン(22年同期比16%減)、金額が11億2400万円(同50%増)。かご漁業、大型巻き網船、サンマの取り扱い増が上向きの流れを支えた。一方、秋サケ漁は復調の兆しが見えず、厳しい状況のまま。「好調の要因を重点に誘致に力を入れる。質の高いサービスで地域経済の発展に貢献していく」と意気込んだ。
市場開設者の小野共市長は、事業化された「釜石はまゆりサクラマス」の養殖に期待感を示す。昨年6~7月にかけて約160トンが水揚げされ、「将来的に年間1000トンの生産を目指す」と事業者らは展望。プロモーション活動も進行中で、行政として「魚のまち復活に向け、水産業を魅力ある産業として未来につなぐ取り組みを進めていく」と強調した。
初売り式で鏡開きや手締めをして一年の大漁を願う関係者
水揚げされた魚を見定め、競り落とす買い受け人ら
市長、年頭訓示 市職員ら身を引き締め「災害への心構え、真剣に」
小野共市長(左下の写真)の訓示に聞き入る幹部職員
「令和6年は波乱の幕開け…」。23年に就任し、初の年頭訓示に当たった小野市長は能登半島地震や2日の羽田空港での航空機事故を踏まえ、「災害が身近なところにあると改めて認識。津波から100回逃げて、100回来なくても101回目も必ず逃げる。この心構えが震災を生き抜いた私たちが肝に銘じ、とるべき行動だ」と強調した。
市政運営のかじ取りに使命感を見せ、市職員に対して「自由に積極的にどんどん発言してほしい。組織パフォーマンスを最大限発揮するには、個々の動きが大事。まちの発展に向け一致団結していきたい」と協力を求めた。
地震被害、支援の動き「震災の恩返しを」
能登半島地震を受け、釜石市は物資、職員の派遣など支援の形を探っている。震災後に石川・能登町から職員が派遣されたほか、「釜石応援ふるさと大使」の浅田(旧姓長谷場)久美さん=重量挙げ指導者=が珠洲市に暮らすなど、つながりがある。
釜石市の中村達也総務企画部長によると現在、能登町と電話でのやり取りを継続中。「今回の地震では最大震度7を観測し、震災より大きかったと思う。私たちも経験したが、受け入れ態勢などまだ混乱しているだろう。必要なものを必要な時期に提供できるよう体制を整えていく」とした。
イオンタウン釜石に設置された募金箱
釜石情報交流センターでも協力を呼びかける
市は被災者支援を目的に市役所本庁舎や8カ所の各地区生活応援センターなどで災害義援金の受け付けを開始。こうした動きは民間でも広がり、いち早く募金箱を設置したイオンタウン釜石では市民らが思いを投じている。「震災を思い出して気持ちが落ち着かない」「震災の時、お世話になった。恩返しの気持ちを込めて」。大町の釜石情報交流センターでもそう願う人たちが善意を寄せる。施設を運営する釜石まちづくり会社の担当者は「どこかに、何かに役立ててほしいと思いを持つ方の協力を」と呼びかける。
釜石新聞NewS
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