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古タオル→雑巾に…そして小学校へ 釜石・中田薬局、リユース活動 SDGs実践中

中田薬局が取り組むリユース活動「中たオルプロジェクト」

中田薬局が取り組むリユース活動「中たオルプロジェクト」

 
 釜石市の中田薬局(中田義仁代表取締役)は、国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」の視点を取り入れ、タオルのリユース(再利用)活動に取り組んでいる。体操着リユースに続く第2弾となる取り組みの名は「中たオルプロジェクト」。使い古したタオルを集めて、シニア世代が雑巾(中たオル)に作り替え、小学校に届ける仕組みで、高齢者の居場所や世代間交流の機会づくりを地域の薬局として後押しする。
 
小学生に使ってもらおうと雑巾づくりに励む女性たち

小学生に使ってもらおうと雑巾づくりに励む女性たち

 
 14日は甲子町の甲子公民館で雑巾づくり。パッチワークを楽しむ女性8人が協力した。タオルには、市内にあった商店名が印刷されたりし「懐かしい」と会話を弾ませる女性たち。「手と口を同時に動かせるのよ」と楽しそうにミシンを動かし、1時間ほどで75枚を作り上げた。既に作った雑巾と合わせ250枚を15日に甲子小に届けた。
 
 定内町の高橋輝子さん(82)は「雑巾づくりなんて、何年ぶりかしら。娘が子どもの頃には作ったけど…懐かしいな。子どもたちに使ってもらい、学校がピカピカになったらうれしい。手仕事が好きだから、また機会があったらお手伝いしたい」と目を細めた。
 
手仕事の大ベテランたちは手も口も動かしながら楽しく作業

手仕事の大ベテランたちは手も口も動かしながら楽しく作業

 
 プロジェクトを手掛けるのは、同社でインターンシップ(就業体験)中の佐々木優奈さん(岩手大教育学部2年)と酒本野乃さん(中央大経済学部2年)。2人は2月上旬から釜石に滞在し、社員と同じ立場で企業に加わり、課題解決や新規事業の立ち上げなどに取り組んできた。同社から受けたミッションは「タオルリユースの仕組みづくり」。高齢化が進む地域で高齢者の居場所をつくり、子どもと結びつける取り組みについて知恵を絞った。
 
 タオル集めには、若者ならではの力を発揮。普段から親しむ会員制交流サイト(SNS)を活用しながらポスター、口コミで呼びかけ、800枚以上が寄せられた。雑巾製作に協力してくれる人集めについては、地域の薬局として関係を築いてきた人たちが紹介してくれた。
 
プロジェクトを担った佐々木優奈さん(右)と酒本野乃さん

プロジェクトを担った佐々木優奈さん(右)と酒本野乃さん

 
 タオル集め、製作協力者集めとプロジェクトの課題をクリアしていき、最後の関門、継続性について模索。地元甲子町出身の佐々木さんは母校の釜石高に目を付け、雑巾づくりや調整役を担ってもらう流れを見いだした。「今後は高校生や小学生にも参加してもらい地域ぐるみの活動にしたい」と見据えた。薬局でアルバイトをしていた酒本さん(鳥取市出身)は、薬局と地域の関わりや果たす役割を体験しようとインターンに挑戦。地域全体でSDGsへの理解を深め、実践しようとする取り組みを芽吹かせることができたと手応えを得た。
 
 2人は17日にインターン生活が終了。活動を見守った中田代表取締役は「若い人たちの感性と行動力で物事を進めてくれた。継続できるとの見通しもついた。短期間な上、さまざまな壁にぶち当たったと思うが、乗り越えている。失敗しても諦めず行動できることを証明した。これからの生活の力にしてほしい」と期待した。
  
中たオルプロジェクトの問い合わせは中田薬局松倉店(0193・23・1230)か、InstagramDM (@nakatapharmacy)へ。

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釜石SW 首位・浦安に19-92 震災被災地での特別な試合 無念の大敗 次こそホーム勝利を

リーグワン2部第8節 釜石SW-浦安=12日

リーグワン2部第8節 釜石SW-浦安=12日

 
 NTTジャパンラグビーリーグワン2部の釜石シーウェイブス(SW)RFCは12日、釜石市の釜石鵜住居復興スタジアムで浦安D-Rocksと対戦。19-92(前半0―45)で敗れた。1勝7敗、勝ち点5で最下位。レギュラーシーズン最終戦は19日、同スタジアムで清水建設江東ブルーシャークスと対戦する。
 
 全勝でリーグ首位の浦安に必死で食らいついたが、猛攻を止めることができなかった。釜石は前後半で14トライ(認定を含む)を奪われ、今季最多の92失点。相手選手の個々のスキルの高さ、戦術のうまさに何度もディフェンスを突破され、スタンドからため息がもれた。前半、敵陣ゴール近くまで切り込む場面もあったが、ボールをキープできず、得点には至らなかった。
 
 釜石の反撃は後半5分。敵陣22メートル付近の攻防から今季新加入のフランカー武者大輔、SOジョシュア・スタンダーとつなぎ、フェイントで走り抜き初トライ。27分には、後半出場のSH村上陽平が的確な判断でゴール前まで運び、最後はロック、ベンジャミン・ニーニーが決めた。浦安も攻撃の手を緩めず、点差が開く中、釜石は試合終了間際に意地の1トライをもぎ取った。
 
後半5分、ジョシュア・スタンダーのトライで釜石SW初得点

後半5分、ジョシュア・スタンダーのトライで釜石SW初得点

 
敵陣ゴール前に切り込み、2本目のトライにつなげた村上陽平(中央)

敵陣ゴール前に切り込み、2本目のトライにつなげた村上陽平(中央)

 
試合終了間際、左隅インゴールに飛び込んだキャメロン・ベイリー(右)

試合終了間際、左隅インゴールに飛び込んだキャメロン・ベイリー(右)

 
 「特別な日に特別な場所でプレーする」意義-。東日本大震災から12年となった日の翌日。被災した小中学校跡地にできた希望のスタジアム。「勇気を届けよう」と強い思いを持って臨んだ一戦だったが、結果は大差での敗戦。WTB小野航大主将は「ここで後ろ向きな姿は見せたくないという思いがあったので…。情けない」と目を赤らめた。レギュラー最終戦は1週間後。下を向いてはいられない。「今日のゲームから何を感じ、どう変われるか。この先が重要」と前を見据えた。
 
試合前には選手、観客らが東日本大震災の犠牲者に黙とうをささげた

試合前には選手、観客らが東日本大震災の犠牲者に黙とうをささげた

 
 この日の試合は、スポーツツーリズムを通じて地域経済の活性化に貢献する「一枚岩プロジェクト」と協働。首都圏からの観戦ツアー、スポーツによる地方創生をテーマにしたオンラインシンポジウムなどが行われた。試合前には、釜石市出身のアーティスト小林覚さんがプロジェクトにまつわる言葉を織り込んで制作したアート作品のお披露目もあった。来場者は1208人。
 
小林覚さんの作品お披露目(撮影:西条佳泰 / Grafica Inc.)

小林覚さんの作品お披露目(撮影:西条佳泰 / Grafica Inc.)

 
 釜石高生徒による震災伝承活動も行われた。生徒有志で結成する防災・震災伝承グループ「夢団~未来へつなげるONE TEAM~」の17人が活動。施設内に建つ震災の教訓を伝える祈念碑の前では、2年生4人が語り部として自らの経験などを伝えた。
 
 この日が語り部デビューの久保陽嘩さん。保育園での昼寝の最中、大地震に見舞われた。迎えに来た親と避難し、寒い車の中で一夜を明かした。海岸部の自宅では逃げ遅れた祖母が津波にのまれたが、幸い助かることができた。小中学校では地震発生時の行動を学んだ。最近は大人の率先行動が見られないことに違和感を覚えるという。「皆さん、災害の恐ろしさを忘れていませんか?」。こう呼びかけた久保さん。「災害は忘れたころにやってくる。災害は待ってくれない」。自分や大事な人の命を守るために「今できることはたくさんある」と備えの大切さを訴えた。
 
自身の体験を基に災害への備えを呼び掛けた久保陽嘩さん(右)。多くの人が足を止め聞き入った

自身の体験を基に災害への備えを呼び掛けた久保陽嘩さん(右)。多くの人が足を止め聞き入った

 
 「もっと、こうしていれば」「詰めが甘かったのかな」―。震災後、大人たちから聞く言葉に久保さんは「防災はやりすぎがちょうどいいと思う。同じ釜石でも被災の有無で意識の差がある。災害があったことを忘れないでほしい」と願った。
 
震災の教訓を伝える石碑の前で行われた「夢団」による語り部活動

震災の教訓を伝える石碑の前で行われた「夢団」による語り部活動

 
防災食班は自分たちで考えたストック食品のレシピなどを紹介

防災食班は自分たちで考えたストック食品のレシピなどを紹介

 
 夢団は本年度、防災食の研究にも取り組む。会場では、常温保存食品を日常的にストックして災害時にも応用する方法や簡単アレンジレシピを紹介。秋山瑠奈さん(1年)は「災害時には食料が足りなくなる。備えが大事。日常食の活用法なども参考にしてほしい」と願った。

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歌で伝える震災「釜石あの日あの時甚句」 10作目「未来の孫へ」制作 後世につなぐ活動継続へ

 「釜石あの日あの時甚句」で震災を伝える藤原マチ子さん(左)と北村弘子さん

「釜石あの日あの時甚句」で震災を伝える藤原マチ子さん(左)と北村弘子さん

 
 東日本大震災の出来事や教訓を相撲甚句の節に乗せて伝える「釜石あの日あの時甚句」。自ら作詞し、市内外で披露してきた釜石市の藤原マチ子さん(70)、北村弘子さん(70)が、震災犠牲者の十三回忌の節目に新作を発表した。10作目で、題名は「未来の孫へ」。命を守る大切さ、感謝する心、平和への願い…。千年後の子どもたちに今、“残したい思い”を歌詞にちりばめた。
 
 藤原さんが作詞。震災の経験や生きる意味を遠い未来の子どもたちに伝えようと、自身が書いていた「孫への手紙」を基にした。あの日、まちを襲った大地震と大津波。寒さと恐怖に震えながら家族の無事を祈ったこと、世界中の人たちが生きる力をくれたこと…。情景の浮かぶ詞が心に刺さる。
 
 「どんな時にも諦めず、必ず命を守ること。あなたが生きていることが、きっと誰かの役に立つ」。未来の災害から生き延びてほしい、生きて誰かを助けられる大人になってほしい―。藤原さんの強い願いが込められた。
 
 藤原さんは「未来の孫へ」に込めた思いを話した=10日、宝来館

藤原さんは「未来の孫へ」に込めた思いを話した=10日、宝来館

 
 震災命日の前夜、鵜住居町根浜の旅館・宝来館で、宿泊客らに新作を含む4編を聞かせた。藤原さんが歌い、北村さんが合いの手を入れるいつものスタイル。一部は北村さんの手話も交えた。震災後のボランティア活動が縁で同市に移住した元大学教員の平修久さん(67)は「節に乗せると分かりやすく、ジーンと胸に響く。新作は未来に向けた前向きな印象」と、2人が紡ぐ言葉を受け止めた。
 
北村さん(右)の手話とともに伝える「釜石東中・鵜住居小編」

北村さん(右)の手話とともに伝える「釜石東中・鵜住居小編」

 
2人の甚句に拍手を送る観客。12年前の震災を思い起こした

2人の甚句に拍手を送る観客。12年前の震災を思い起こした

 
 藤原さんと北村さんは、地元で民話の伝承活動を行う「漁火の会」の仲間。2人と親交のある同館おかみ岩崎昭子さん(66)の提案で、震災を甚句で伝える活動を始めた。兄3人が相撲に親しみ、母は相撲甚句の名手だった藤原さん。観光ガイド会員で震災ガイドもしていた北村さん。2012年12月、津波から逃れた児童生徒の避難行動を伝える「釜石東中学校、鵜住居小学校編」を2人で作詞。その後、次々に作品が生まれていった。
 
 津波にのまれながら九死に一生を得た岩崎さんを描く「宝来館女将(おかみ)編」、津波で亡くなった藤原さんの兄をしのぶ「兄き編」、行方不明の夫への思いを語る「いのり編 あなた」、多くの命が奪われた悲しみ、悔しさを表した「防災センター編」―など。13年5月までに9編が作られた。2人は月命日に同館で甚句による伝承活動を続け、市内外の出演依頼にも応えてきた。
 
目を潤ませながら聞き入る観客も(右側)。同館での甚句披露はコロナ禍のため2020年2月以来

目を潤ませながら聞き入る観客も(右側)。同館での甚句披露はコロナ禍のため2020年2月以来

 
 最初は気負いやプレッシャーで、歌い出せないこともあったという藤原さん。「兄さんが歌の中に生きている」との客の言葉に励まされ、「供養のためにも歌おう」と思うようになった。徐々に気持ちも落ち着いてきた。「あの世の人たちと共に生きる―ということが自然と体に身に付いてきたのかな。この活動を亡き兄が一番喜んでいると思う」と想像を巡らす。
 
北村さんがこれまでの活動などについて紹介

北村さんがこれまでの活動などについて紹介

 
 「この甚句は遺族や被災者が抱える思いを代弁するもの」。共作を含め7編の作詞を手掛けた北村さん。当初「10作目は復興甚句を」と考えていたが、この10年でハード面の復興はできても、心の傷は変わらないことを思い知らされる。「今回は13回忌の1つのけじめ。心の復興は計り知れない。震災を経験した私たちが伝えられるのはどこまでいっても“復興途上甚句”なのかもしれない―」。
 
 被災地で生きる身として、震災と向き合い続ける藤原さんと北村さん。これからも被災者に寄り添いながら、伝えることに真摯に取り組むことを誓った。
 
2人のバックの書は「あの日あの時甚句」を聞いた人から贈られた

2人のバックの書は「あの日あの時甚句」を聞いた人から贈られた

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広報かまいし2023年3月15日号(No.1804)

広報かまいし2023年3月15日号(No.1804)
 

広報かまいし2023年3月15日号(No.1804)

広報かまいし2023年3月15日号(No.1804)

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【P1】
表紙

【P2】
まちの話題

【P3-9】
特集 新たな挑戦の始まり

【P10-11】
新市庁舎建設工事が始まります

【P12-13】
新型コロナワクチン接種のお知らせ
医療・福祉関係の学生対象 奨学金を貸与します 他

【P14-15】
こどもはぐくみ通信
生涯学習情報誌まなびぃ釜石

【P16-17】
まちのお知らせ

【P18-19】
保健案内板
保健だより

【P20】
釜石シーウェイブス 対 清水建設江東ブルーシャークス 他

この記事に関するお問い合わせ
釜石市 総務企画部 広聴広報課 広聴広報係
〒026-8686 岩手県釜石市只越町3丁目9番13号
電話:0193-27-8419 / Fax 0193-22-2686 / メール
元記事:https://www.city.kamaishi.iwate.jp/docs/2023030900049/
釜石市

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釜石市公式サイトと連携し、縁とらんすがピックアップした記事を掲載しています。記事の内容に関するお問い合わせは、各記事の担当窓口までお問い合わせください。
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震災12年・釜石 変わらぬ思い、続く祈り そして向き合い、決意「未来の命守る」

釜石祈りのパークで、犠牲になった人の名を見つめる遺族ら

釜石祈りのパークで、犠牲になった人の名を見つめる遺族ら

 
 東日本大震災は11日、2011年3月の発生から12年となった。岩手県内で関連死を含めた死者・行方不明者は6255人。県との合同追悼式が行われた釜石市では912人の命が奪われ、152人の行方が分かっていない。あの日を思い、被災各地で続いた祈り。遺族らは変わらぬ思いで大切な人をしのび、地域を担う若者たちは体験を継承し「未来の命を守る」と決意した。そんな1日を写真で伝える。
 
県と釜石市合同で行われた追悼式。市合唱協会が献唱した

県と釜石市合同で行われた追悼式。市合唱協会が献唱した

 
 合同追悼式は釜石市民ホールTETTO(大町)を会場に、渡辺博道復興相や遺族ら約250人が参列した。午後2時46分の地震発生時刻に黙とうし、達増拓也知事は「教訓を忘れることなく次の世代に語り継ぎ、大切な人に思いを寄せ、ふるさと岩手を築いていく」と式辞。野田武則市長は「市民が夢と希望を持って、生き生きと暮らせる街づくりに全身全霊で取り組む」と誓った。
  
 「父さん、母さん、どうしているの?」。遺族を代表し追悼の言葉を述べたのは、婦人消防協力隊のはんてんをまとった平田・尾崎白浜の佐々木淳子さん(67)。津波で鵜住居町の実家、父の前川朝吉さん(当時87)と母マサさん(同84)を失った。悲しみをにじませながらも、さまざまな人とのつながりで変化したこの12年を振り返り、未来の命を守るための決意を示した。「災害弱者である高齢者や障害者の対応など課題は多く、教訓を伝える重みは増している。防災市民憲章『備える』『逃げる』『戻らない』『語り継ぐ』を継承していく」
 
追悼式を終え、取材に応じる佐々木淳子さん

追悼式を終え、取材に応じる佐々木淳子さん
  

市内各地で あの人思い、手を合わす

 
祈りのパークで「あの人」の名を探し、手を合わせる遺族ら

祈りのパークで「あの人」の名を探し、手を合わせる遺族ら

 
 市内全域の震災犠牲者1064人のうち、1002人の芳名が掲げられる鵜住居町の追悼施設「釜石祈りのパーク」には遺族や縁故者らが次々に訪れ、献花して手を合わせた。片岸町の山﨑恵一さん(87)は津波で亡くした長男宏さん(当時44)に会いに来た。「無念、残念…言葉に表せない。元気でいてもらいたかった…愚痴が出る。海が好きな子で、まだやりたかったこともあったろう」。複雑な気持ちのまま迎えた十三回忌。「いつかは区切りがつくだろうか」とつぶやいた。
 
 箱崎町出身の植田詩季さん(19)は、母方の祖母が行方不明のまま。刻まれた名を見つめ感情がこみ上げた母親が足早に離れる中、「頑張ってるから、見守っていてね」と語りかけた。当時小学1年で、津波の恐ろしさは分からなかった。大槌高校で防災に関する学びを深め、大学生になった今は被害の深刻さ、防災の重要性を認識する。そして、優しかったおばあちゃんに誓う。「地元に帰ってくるから。地域、人をつなぐために」
 
「わすれない」。納骨堂の前で手を合わせる参列者

「わすれない」。納骨堂の前で手を合わせる参列者

 
 身元不明遺骨を安置する平田の大平墓地公園内の大震災物故者納骨堂では、釜石仏教会(大萱生修明会長、14カ寺)による法要があった。現在、全身遺骨5柱、部分骨4柱を安置。僧侶9人が読経する中、参列者が焼香した。導師を務めた仙寿院(大只越町)の芝﨑恵応住職は「家族の元に戻れず、つらい思いをしている人がいることを忘れてはいけない。その方の分も幸せになるよう、必死に生きなければ」と呼びかけた。
  
殉職した消防団員を追悼。ハンカチで涙をぬぐう遺族ら

殉職した消防団員を追悼。ハンカチで涙をぬぐう遺族ら

  
鈴子広場(鈴子町)にある「殉職消防団員顕彰碑」前で行われた献花式。震災で職務遂行中に命を落とした仲間8人に「団員の安全を確保しながら市民生活を守る活動に力を尽くす」と誓った。佐々木金一郎さん(当時64)の長男、幹郎さん(38)は家族3人で参列。「使命感で動いて、大変な思いで亡くなっていったのだろう。残された自分たちも、それに恥じないような生き方ができればいい」と言葉をかみしめた。
 
魚河岸テラスで鐘の音に思いを託す人たち

魚河岸テラスで鐘の音に思いを託す人たち

 
釜石湾を一望できる魚河岸テラス。2階デッキにある鐘を高らかに響かせ、海を見つめていた遺族ら。「十三回忌…区切りではない」。北上市から足を運んだ家族連れは「震災のことを考えたい」。復興道路の三陸沿岸道路(三陸道)を使って被災地の様子を確認するつもりだ。
 

あの日を「忘れない―」 追悼、記憶の継承へ 夜まで続いた12年目の“祈り”

 
海に向かって黙とうをささげ(左下写真)、風船を放った追悼行事=宝来館

海に向かって黙とうをささげ(左下写真)、風船を放った追悼行事=宝来館

 
 地震発生時刻の午後2時46分―。鵜住居町の根浜海岸周辺では津波犠牲者を悼み、冥福を祈る黙とうがささげられた。海岸前の宿・宝来館で行われた追悼行事。集まった人たちはメッセージを書き込んだ色とりどりの風船を大空に放った。約1カ月前に発生したトルコ・シリア大地震、1年以上続くロシアによるウクライナ侵攻の犠牲者、被災者にも思いを寄せ、鎮魂と平和への願いを発信した。
 
オーケストラ用に編曲された「南部木挽唄」を献歌する佐野よりこさん(左)と歌に聞き入る人ら

オーケストラ用に編曲された「南部木挽唄」を献歌する佐野よりこさん(左)と歌に聞き入る人ら

 
 震災の津波で、鵜住居町に暮らす両親を亡くした民謡歌手の佐野よりこさん(盛岡市)。「海に、天に届け」と、最愛の両親から授かった歌声を地元で響かせ、犠牲者の魂を慰めた。悲しみと向き合いながらの12年―。「あっという間」とする一方で、地域の人たちが年を重ねた姿に確実な年月の経過も実感する。一日たりとも忘れることはない両親-。「やっぱり恋しい…よね」と思いを募らせる。
 
 復興で大きく形を変えた古里。うれしくもあり、寂しくもあり、複雑な思いが入り交じる。記憶の風化は避けられないが、残された者として「震災を伝え続ける」責務を心に刻む。「よりこ、頑張れ」。姿は見えずとも近くで見守ってくれている両親の声を想像し、「一日一日を大切に、しっかり生きていかなければ」と誓った。
 
「釜石復興の鐘」の打鐘(右)。賛美歌や自作の歌に祈りを込める新生釜石教会の柳谷雄介牧師

「釜石復興の鐘」の打鐘(右)。賛美歌や自作の歌に祈りを込める新生釜石教会の柳谷雄介牧師

 
 鈴子町、釜石駅前広場の夕刻。鎮魂、復興、記憶、希望―の4つの言葉が刻まれた「釜石復興の鐘」が、市民らによって打ち鳴らされた。震災発生年の12月、市民有志のプロジェクトにより建立された鐘。被災から立ち上がるまちに清らかな音を響かせてきた。プロジェクトの八幡徹也代表は「あの日の情景はすぐに目に浮かぶ。これからも記憶をとどめ、次の世代に伝えていかねば」と意を強くした。
 
釜石仏教会による竹灯籠供養=釜石祈りのパーク

釜石仏教会による竹灯籠供養=釜石祈りのパーク

 
 朝から献花に訪れる人が続いた釜石祈りのパーク。夕方には釜石仏教会による竹灯籠供養が行われた。約1200個の灯籠で形作った「忘れない」の文字が、揺らめくろうそくの明かりで浮かび上がった。僧侶の読経に続き、遺族らが焼香。釜石、大槌、遠野の子どもたちによるバイオリン献奏が慰霊の空間をやさしく包んだ。同会の芝﨑恵応・仙寿院住職は「亡くなった人と共に生きていたこと、震災の教訓をいつまでも忘れないでほしい」と願った。
 
鎮魂の花火「白菊」と、海面を照らす「とうほくのこよみのよぶね」(写真:画面上で合成)

鎮魂の花火「白菊」と、海面を照らす「とうほくのこよみのよぶね」(写真:画面上で合成)

 
 日が落ちた根浜海岸。防潮堤や松林にキャンドルの明かりがともる中、今年も「海の祈りの風景」が広がった。海上には「3・11」の舟形あんどんが浮かび、午後7時、鎮魂の花火「白菊」が打ち上げられた。花火玉には市内3小中学校の児童生徒が寄せたメッセージを貼り付けた。「あの時3歳だった子は今年、中学を卒業する。みんなに守られ、懸命に生きてきた。津波で亡くなった親御さんも成長に安堵していると思う」。宝来館のおかみ岩崎昭子さんはそう言って、12年の時の重みをかみしめた。

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わずかでも手掛かりを 釜石・両石町水海で不明者捜索 震災12年を前に警察・海保・消防合同で

海岸で行方不明者の手掛かりなどを捜索する警察官ら

海岸で行方不明者の手掛かりなどを捜索する警察官ら

 
 東日本大震災から12年を目前にした10日、釜石市両石町の水海海岸などで震災による行方不明者の捜索活動が行われた。釜石警察署(前川剛署長)、釜石海上保安部(虻川浩介部長)、釜石大槌地区行政事務組合消防本部(大丸広美消防長)から計70人が参加。嘱託警察犬2頭も加え、手掛かりを探した。
  
 開始式で、前川署長は「明日で震災から12年、遺族にとっては十三回忌となる。岩手県内の不明者は1110人。釜石市は152人、大槌町では416人の行方が分かっていない」と説明。虻川部長、大丸消防長は「12年間、不明者の帰りを待っている家族、地域の思いを胸に刻み、わずかでも手掛かりになるものを見つけ出してほしい」などと激励した。全員で黙とうし、海上と陸上班に分かれて出発した。
  
警察犬と指導手も捜索活動に協力した

警察犬と指導手も捜索活動に協力した

  
 水海海岸の捜索では釜石警察署員と消防隊員らが熊手を使って小石を掘り起こしたり、打ち上げられた漂流物を確認したりした。同署地域課の坂本愛里巡査(19)は宮古市出身。小学1年の時に経験した震災の津波でおじ、おばを亡くした。被災者の救助や交通誘導、避難所でケアする警官の姿に憧れ、道を決めた。「年数は関係なく、家族が戻ってくるのを待っている遺族の方に、小さくても手掛かりを返すことができれば」と熱心に取り組んだ。
 
潜水捜索する場所の打ち合わせをする海保職員と潜水士

潜水捜索する場所の打ち合わせをする海保職員と潜水士

 
海中捜索に臨む潜水士。後方は八戸海保の巡視船「しもきた」

海中捜索に臨む潜水士。後方は八戸海保の巡視船「しもきた」

 
 近くの鏡海岸では海中捜索も実施。八戸海保所属の巡視船「しもきた」に配属される潜水士7人が水深7~10メートルの海域で手掛かりを求めた。潜水捜索に初めて携わった佐藤健太さん(23)は宮城県仙台市出身。「津波の経験はないが、地震の怖さは覚えている。被災した方と思いは同じ。これからも役立てる仕事をしていく」と胸を張った。
 
行方不明者の手掛かりを求めて捜索する消防隊員ら

行方不明者の手掛かりを求めて捜索する消防隊員ら

  
 大槌消防署警防係の大久保太陽さん(21)は震災当時、小学3年生。津波で大槌町の自宅を失い、避難生活の場となった遠野市に居を移した。捜索活動への参加は2回目。「子どもの頃にお世話になった方が見つかっていない。家族のもとへ帰る手助けができれば」と目を凝らした。今回は手掛かりを見つけ出すことはできなかったが、誰かの役に立つことのできる職業にやりがいを感じる日々。「救急、救助…一つずつできることを積み上げたい」と前を向いた。
 
 釜石署などは毎年3月11日ごろ釜石大槌地域の沿岸部を捜索している。
 

DAZN presents いわてグルージャ盛岡 パブリックビューイング

DAZN presents いわてグルージャ盛岡 パブリックビューイング FC大阪戦

 DAZN presents いわてグルージャ盛岡 パブリックビューイング

 

\ 第3節も「いわてグルージャ盛岡」を応援します! /

 

DAZN Presents パブリックビューイング in 釜石PIT
いわてグルージャ盛岡の応援企画として、アウェイ戦を中心にパブリックビューイングを開催します!少数ですがグッズ販売もあります!

対象試合

2023明治安田生命J3リーグ 第3節
いわてグルージャ盛岡 vs FC大阪(AWAY)

日時

2023年3月18日(土) 14:00 キックオフ
開場 13:40

場所

釜石PIT(岩手県釜石市大町1-1-10)

料金

入場無料

その他

・入場時は検温および手指消毒をお願いします
・観戦時のお食事はできません
・大声を出しての声援はお控えください

主催

釜石まちづくり株式会社

フェリアス釜石

釜石まちづくり株式会社

釜石まちづくり株式会社(愛称 フェリアス釜石)による投稿記事です。

問い合わせ:0193-22-3607
〒026-0024 岩手県釜石市大町1-1-10 釜石情報交流センター内 公式サイト

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黒森神楽(宮古市)3年ぶり巡行で釜石の神楽宿・宝来館へ 震災高台移転の根浜集落にも門打ち

「黒森神楽」の釜石巡行。役舞「松迎」を披露する神楽衆=5日、宝来館

「黒森神楽」の釜石巡行。役舞「松迎」を披露する神楽衆=5日、宝来館

 
 国指定重要無形民俗文化財、宮古市の「黒森神楽」が5日、釜石市鵜住居町根浜の神楽宿・宝来館で舞を披露した。新型コロナウイルス感染症の影響で休止していた新春恒例の巡行を再開。来訪を心待ちにしていた約100人が、役舞や劇仕立ての演目を楽しみ、心豊かな時間を過ごした。神楽衆は東日本大震災の津波被災で高台移転した根浜集落も訪問。犠牲者を供養する神楽念仏、家々を回って家内安全などを祈願する門打ちを行った。
 
 黒森神楽保存会(松本文雄代表、15人)の10人が来演。宿での演舞を前に、高台住宅地の入り口にある津波記念碑と地蔵の前で「神楽念仏」を行った。黒森神社(宮古市山口)の神霊を移した「権現様(獅子頭)」の舞で震災犠牲者を供養。集まった住民らは権現様に頭や肩をかんでもらう“身固め”の儀式で、無病息災などの御加護を受けた。一行は3軒の門打ちもした。
 
海に向かい、津波犠牲者を供養する「神楽念仏」=根浜復興団地

海に向かい、津波犠牲者を供養する「神楽念仏」=根浜復興団地

 
「権現様」を携えて家々を回り1年の無事を祈願

「権現様」を携えて家々を回り1年の無事を祈願

 
 同地区には35世帯約90人が暮らす。根浜親交会の佐々木三男会長(61)は「神楽は縁起物。来てくれるのは大変うれしい」と笑顔。震災から12年となる地域について、「子どもから高齢者まで誰もが住みやすいまちを掲げる。大事に育てていきたい」と思いを込めた。
 
 宝来館では宿に入る前に、権現舞による「舞い込み」で悪魔払いや火伏せの祈祷(きとう)を行った。昼休憩をはさみ、大広間で幕神楽が開演。太鼓やかねの「打ち鳴らし」後、祈祷を司る役舞、天照大御神をテーマにした岩戸系演目など全8演目を披露した。役舞は天下泰平を祈願する二人舞「松迎」、農林漁業者の信仰対象である「山の神」舞など。大漁と海上安全を願う「恵比寿舞」では、鯛(たい)を釣り上げる場面に観客も参加し会場を沸かせた。狂言の一種「鍛冶屋」は、演者のやりとりが笑いを誘った。
 
役舞「山の神」の演舞では米をまいて五穀豊穣を祈願。山の神は安産の神としてもあがめられる

役舞「山の神」の演舞では米をまいて五穀豊穣を祈願。山の神は安産の神としてもあがめられる

 
観客を巻き込み、活きのいい鯛を釣り上げる様子を演じる「恵比寿舞」

観客を巻き込み、活きのいい鯛を釣り上げる様子を演じる「恵比寿舞」

 
ユーモアたっぷりの演技で楽しませた狂言「鍛冶屋」

ユーモアたっぷりの演技で楽しませた狂言「鍛冶屋」

 
 日本の伝統舞を子どもたちの教材とする「民俗舞踊教育研究会」(東京都)の山本良江さん(60)、古矢比佐子さん(69)は長年、同神楽巡行に足を運ぶ。「歴史の重みと大衆的な面の双方が相まってすごく魅力的」と山本さん。若いメンバーの成長を目の当たりにした古矢さんは「高校生だった子たちも磨かれてきて、次世代へ継承されているのを感じる」。震災を乗り越え、地域で神楽を楽しめる空間ができてきたことにも深い感慨を覚えた。
 
後継者として今後の活躍が期待される若手メンバー。技量を高めるべく精進を重ねる

後継者として今後の活躍が期待される若手メンバー。技量を高めるべく精進を重ねる

 
見応え十分の各演目に拍手を送る観客。最後は権現様に「身固め」をしてもらった(左下写真)

見応え十分の各演目に拍手を送る観客。最後は権現様に「身固め」をしてもらった(左下写真)

 
 黒森神楽は500年以上の歴史を誇る。毎年正月3日に同神社で「舞立ち」。久慈市までの「北回り」、釜石市までの「南回り」の巡行を交互に行っている。コロナ禍で北、南の巡行をそれぞれ1年休止し、今年3年ぶりに再開させた。松本代表(74)は「お客さんも楽しんでくれた。自分たちも相手の反響によって腕以上のものを出したりできるので、こういう場はやっぱり必要」と巡行のありがたみを実感。今は20~80代のメンバーが伝承活動に励む。「先人から引き継いだものを次の人たちに渡すのが自分たちの役目。年が離れていても、目標が同じだから一緒に頑張れる」と話した。

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東日本大震災12年、大切な人をいつまでも胸に 釜石で命を思い、祈り、誓う

祈りや誓いを込めて東日本大震災12年を迎える釜石市民

祈りや誓いを込めて東日本大震災12年を迎える釜石市民

 
 東日本大震災から12年、命を思う――。まちの復興は進んでも、大切な人を失った悲しみが消えることはない。でも、あの人を思い、震災の教訓を伝えながら諦めず一歩ずつ前に向かうことが、報いになると信じる。11日を前に、犠牲者を悼み地域の安寧を願う法要、追悼施設の清掃活動などが行われた釜石市。「手を合わせれば、思いが届く」「一歩ずつ前へ」「守る側になりたい」。かけがえのない人々をまぶたの裏に浮かべ、そして地域の未来や希望を胸に抱き、今日も祈り続けている。
 

眼下に広がる海に向かい手を合わす 根浜地区

  
根浜地区で行われた震災慰霊祭で、黙とうする住民ら=4日

根浜地区で行われた震災慰霊祭で、黙とうする住民ら=4日

  
 震災の津波で壊滅的な被害を受けた鵜住居町根浜地区では4日に慰霊祭が行われた。高台造成地に整備された復興団地の住民ら約30人は地震発生時刻、午後2時46分に黙とう。津波記念碑が建つ団地内の公園で「お地蔵さん」に白菊を手向けた。
 
 同地区には現在35世帯約90人が暮らす。津波で住民15人が犠牲になった。「海は起こると怖いが、海とともに育ってきたから(海が)なければ生活できない」と80代男性。隣に住んでいた親戚らが亡くなり、「何年たっても悲しみ、寂しさは変わらない」と、眼下に広がる穏やかな海を静かに見つめていた。
 
海を望む高台の公園で「お地蔵さん」に手を合わせる住民=4日

海を望む高台の公園で「お地蔵さん」に手を合わせる住民=4日

 
 追悼行事を続ける根浜親交会の佐々木三男会長(61)は慰霊祭で防災市民憲章を読み上げた。1カ月前に発生したトルコ・シリア地震に触れ、「災害はいつ起こるか分からない。命を守るため、憲章を受け止めてもらえたら。若い世代とも思いを共有し、みんなで地区を活性化させていきたい」と力を込めた。
  

十三回忌「復光」祈願法要 鵜住居観音堂

  
震災の十三回忌に合わせ鵜住居観音堂で営まれた「復光」祈願法要=5日

震災の十三回忌に合わせ鵜住居観音堂で営まれた「復光」祈願法要=5日

   
 津波で流失後、再建された鵜住居観音堂で5日、毛越寺(平泉町)の藤里明久貫主(72)らが震災の十三回忌に合わせ「復光祈願法要」を営んだ。地域住民ら約50人が参列し、読経に合わせて焼香。犠牲者の冥福と地域の安寧を願って静かに手を合わせた。親戚が行方不明のままという川崎シゲさん(82)は「悲しみは続くけれど、思いが届くかなと思った。見守ってもらっているよう」と目を細めた。
   
 昨年3月に再建された観音堂には、破損したものの流失を免れた本尊「十一面観音立像」(県指定文化財)が安置される。修復に尽力した故大矢邦宣さん(震災当時、盛岡大教授)の遺志を継ぎ、被災地に通い続けている藤里貫主は「まちの様子は変わったが、人の心はそう簡単に変わらない。諦めず、一歩一歩前に向かうことが大切。着実に進む姿を観音様が見守ってくださっている」と参列者に呼びかけた。
   
毛越寺の藤里明久貫主らを囲んで写真撮影する鵜住居地区の住民ら=5日

毛越寺の藤里明久貫主らを囲んで写真撮影する鵜住居地区の住民ら=5日

   
 観音堂を管理する別当の小山士(つかさ)さん(79)は、思いを寄せ続ける人たちに感謝を伝え、「高台にある観音堂を復興のシンボル、前向きに生きていく心のよりどころとして守り続ける」と誓った。
   
 

釜石東中生らが芳名板を清掃 釜石祈りのパーク

   
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芳名板を磨く釜石東中の生徒たち=8日

   
 市内全域の震災犠牲者1064人(関連死を含む)のうち、1002人の芳名が掲げられる鵜住居町の追悼施設「釜石祈りのパーク」。慰霊に訪れる多くの人たちに落ち着いた気持ちで手を合わせてもらおうと、8日、施設管理者や地域住民ら約20人が芳名板や石畳の洗浄など清掃作業に取り組んだ。
   
 2020年から行っていて、今回は釜石東中(佃拓生校長)の3年生35人(在籍41人)が協力。芳名板を布で丁寧に磨いた内藤龍也さんは「悲しいことがたくさんあった場所。きれいになるように」と思いを込めた。憲章の「命を守る」との文字に触れた髙清水麻凛さんは「震災当時は3歳で、守られる側だった。震災や防災のことを学んできたから、今度はもっと小さい子を連れて逃げられたらいい」とうなずいた。
   
鵜住居地区防災センター跡地に整備された祈りのパーク。解体したコンクリート片を使った階段付近でも作業=8日

鵜住居地区防災センター跡地に整備された祈りのパーク。解体したコンクリート片を使った階段付近でも作業=8日

   
 作業後、生徒たちは施設前に並んで合唱。被災を経験した当時の東中生の思いを歌にした「いつかこの海をこえて」に、「苦しみを乗り越え、希望の道を進もう」との決意を乗せた。
   
釜石東中3年生が製作したポスター。生徒の手と未来への思いを散りばめる=8日

釜石東中3年生が製作したポスター。生徒の手と未来への思いを散りばめる=8日

   
 「いつか~」は歌詞の歌い出しをつなげると、「鵜住居で生きる 夢いだいて生きる」とのメッセージが浮かび上がる。3年生はこの歌とともに「3.11今伝えたいこと」をつづったポスターを製作した。モチーフとなっているのは生徒それぞれの「手」。地域を支えたり、未来を切り開いていくという思いや言葉が添えられている。各家庭に配布。「家族の避難場所」という欄があり、話し合って記入することで完成となる。
 
 

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釜石SW 愛知に38-44で惜敗 1部昇格なくなる 残り2戦でホーム白星狙う

釜石SWホーム3連戦始まる。5日は豊田自動織機シャトルズ愛知と対戦

釜石SWホーム3連戦始まる。5日は豊田自動織機シャトルズ愛知と対戦

 
 NTTジャパンラグビーリーグワン2部の釜石シーウェイブス(SW)RFCは5日、釜石市の釜石鵜住居復興スタジアムで豊田自動織機シャトルズ愛知と対戦。38-44(前半18-31)で敗れ、1部昇格条件の3位以内への可能性がなくなった。後半に一時逆転し、今季初のホーム戦勝利に期待が高まったが、あと一歩及ばず6点差で涙をのんだ。1勝6敗、勝ち点5でリーグ最下位の6位。次節は12日、同スタジアムで首位の浦安D-Rocksと対戦する。
 
 前半早々、釜石は愛知に2トライを許すも12分、敵陣ラインアウトからボールをキープ。中央付近から左に展開し、タッチライン際でキャッチしたWTB小野航大主将がインゴールに持ち込んだ。いい流れをつかんだ釜石は25分にPGを決めた直後、自陣での攻防からフランカー河野良太が抜け出し、ナンバー8サム・ヘンウッドにパス。一気に敵陣5メートルまで運び、最後はロック、ベンジャミン・ニーニーがトライ(ゴール成功)、15-19とした。その後、愛知2トライ、釜石1PGで18-31。13点差で前半を折り返した。
 
タッチラインぎりぎりでボールを受け、インゴールに走り込む小野主将(右)=前半12分

タッチラインぎりぎりでボールを受け、インゴールに走り込む小野主将(右)=前半12分

 
河野のパスを受け独走。敵陣5メートルまで切り込んだヘンウッド(手前右から2人目)

河野のパスを受け独走。敵陣5メートルまで切り込んだヘンウッド(手前右から2人目)

 
前半26分、ニーニーのトライ(左側)。後半4分にも2本目を決め、点差を縮める(右白枠内)

前半26分、ニーニーのトライ(左側)。後半4分にも2本目を決め、点差を縮める(右白枠内)

 
 後半開始直後は釜石が猛攻。4分、左サイドから長短のパスでつなぎ、右ゴール目前でWTB阿部竜二が後方に走り込んだニーニーに託し、後半初得点(ゴール成功)。ニーニーの2本目に会場が沸いた。PGでさらに詰め寄ると13分、敵陣22メートルスクラムからヘンウッドが自ら持ち出しサイドアタック。33-31と逆転した。18分に愛知がトライで再逆転。22分には、後半出場のSO中村良真の左インゴールへのキックを小野主将が押さえ、この日2本目のトライ。38-38の同点に戻した。釜石は残り10分でPGを2本決められ、ホーム初勝利を逃した。
 
スクラムから右サイドアタックで逆転トライを決めたヘンウッド(中央)=後半13分

スクラムから右サイドアタックで逆転トライを決めたヘンウッド(中央)=後半13分

 
 昨年12月以来、約2カ月ぶりのホーム戦はマスク着用の声出し応援が可能に。コロナの制限緩和で、会場には久しぶりの選手を鼓舞する掛け声が響いた。入場観客数は約830人。釜石、大槌両市町の小中学生が無料観戦できるパスポートで入場した佐伯晃君(甲子小4年)は「惜しくも負けて残念。でも試合は面白かったし、SWの選手はかっこ良かった」と憧れのまなざしを向けた。
 
 SWの稲田壮一郎選手と同じ職場の菊池唯さん(41)は「今回はいけるんじゃないかと思っていたが、惜しかったですね。でも僅差の試合は魅力的。稲田選手の出場も見られて良かった」と笑顔。地元で試合観戦できる環境も喜び、「また来ます。SW選手には残り2試合、体に気を付けて頑張ってほしい」とエールを送った。
 
青空の下、観客は久しぶりのホームでの試合を楽しんだ

青空の下、観客は久しぶりのホームでの試合を楽しんだ

 
大漁旗をなびかせ、選手の奮闘をたたえるバックスタンド席の観客

大漁旗をなびかせ、選手の奮闘をたたえるバックスタンド席の観客

 
 1月の愛知との1戦目は14-64の大差で敗れた釜石。上位を争う2チームとの対戦を経て臨んだ今回は、ディフェンスの粘りや外への素早い展開など確実な成長を感じさせた。一方で、試合立ち上がりの失点は引き続きの課題。
 
 須田康夫ヘッドコーチ(HC)は「優勢にゲームを進めることはできていたが、悔やまれるプレーがいくつか。一人一人の規律、プレーの精度が必要」。小野主将も「細かいエラーが勝ち切れなかった要因。短い期間で修正できれば次の2戦、勝つチャンスはある」とみる。トップ3の目標には届かないが、レギュラーシーズン残り2試合もホームで全力を尽くす。「目標の方向性を修正し、自分たちのベストを見せたい」と須田HC。次節の試合は、発生から12年となる東日本大震災命日の翌日。小野主将は「ここで、このチームでプレーする意味を今一度チーム内で共有し、皆さんを勇気づけられるゲームをしたい」と意気込む。

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【3.11追悼】大切な人を迎える「祈りの灯」 釜石・根浜 命を思う明かりで地域を包む

根浜地区の避難路を彩るハマナスを模したイルミネーション

根浜地区の避難路を彩るハマナスを模したイルミネーション

 
 東日本大震災から12年を迎えるのを前に、釜石市鵜住居町根浜地区に5日、犠牲者を追悼する「海への祈り灯(び)」がともされた。旅館宝来館前や松林には大切な人の名前や「明日も心に太陽を」などメッセージが書き込まれたキャンドルが点在。旅館の裏山にある木製の避難路「絆の道」は、同地区を象徴する花「ハマナス」を模したイルミネーションで彩られ、あの日津波に襲われた地域を優しく包み込んでいる。11日まで。
  
根浜の海を望む松林に置かれたキャンドル

根浜の海を望む松林に置かれたキャンドル

 
 同地区に明かりをともす取り組みは市民団体が始めた。松林に道をつくるようにキャンドルを配置していたが、ここ数年は同館おかみの岩崎昭子さん(66)の発案でメッセージを書き込んだり、「命を感じる場所」に置いてもらう形にする。“あの人”を思う言葉や祈りが込められた光がここに、そこにも、あそこにも。震災ボランティア、応援職員など被災地の復興に関わり、今も思いを寄せ続けている人たちから寄せられた願いが込もった明かりもある。
 
キャンドルにメッセージを書き込む親子。右端は出迎えた岩崎さん

キャンドルにメッセージを書き込む親子。右端は出迎えた岩崎さん

 
 キャンドルは約1万個を用意。同館や観光施設「根浜シーサイド」でメッセージを書き込めるコーナーを設けている。大槌湾を望む箱崎白浜から室浜地区、両石町にも配っていて、各地の津波記念碑などに置いて祈りを届ける。岩崎さんは「明かりを見ると『私はここにいます』と言っているように感じる。犠牲になった人たちは海や空、見えない所から見守ってくれている。思いをつなぐような自分たちの祈りの形をつくっていきたい」と穏やかな表情で話した。
  
避難路にイルミネーションを飾り付けた花巻のメンバーらが集って「スイッチオン!」

避難路にイルミネーションを飾り付けた花巻のメンバーらが集って「スイッチオン!」

  
 避難路のイルミネーションは「花巻絆の道植栽ボランティア有志」が設置。ペットボトルを使った花形の飾り約350個で彩る。発光ダイオード(LED)の電力は、地域から出る廃食油を精製したバイオディーゼル燃料を使用。避難路入り口付近には島倉千代子さんの歌碑があり、「おかえりなさい」と明かりに温かさを添えている。
 
 飾り付けの発案者は岩崎さん。思いを形にした花巻有志グループの事務局、関喬(たかし)さん(75)は「この地を訪れる人たちに花で楽しんでほしいと続けてきた活動の延長。古里に帰ってくる魂にささげる明かりになれば」と願う。
  
避難路を明るく照らすイルミネーション

避難路を明るく照らすイルミネーション

 
命を思う明かりが点在する根浜海岸の松林

命を思う明かりが点在する根浜海岸の松林

  
 根浜地区では11日に「祈りの空間」を催す。追悼の風船、祈りの甚句、「とうほくこよみのよぶね」、花火「白菊」の打ち上げなどが予定されている。
 

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新想定の地震・津波避難訓練 釜石市民、急ぎ足で高台へ…命守る行動重ね「信じて逃げる」

釜石市内一斉に行われた地震・津波避難訓練。鵜住居地区では住民らが高台の避難場所に向かった

釜石市内一斉に行われた地震・津波避難訓練。鵜住居地区では住民らが高台の避難場所に向かった

 
 釜石市は5日、全市民を対象にした地震・津波避難訓練を実施した。岩手県が昨年公表した最大級の津波浸水想定を踏まえた訓練で、浸水域の市民は大津波警報、避難指示発令のサイレンが鳴り響くと、高台など市が指定する緊急避難場所に向かった。市内全域での訓練は新型コロナウイルスの影響で2019年以来4年ぶり。浸水域外の市民も自宅や職場などで身を守る行動を実践する「シェイクアウト訓練」、自主防災組織や町内会を中心とした地域ごとの訓練を行った。市の災害対策本部運営訓練、自衛隊による通信訓練などもあり、災害時の公的機関の連携、それぞれの役割や対応を確認した。市によると、避難者数を把握できた59カ所に計1560人が移動した。
 
高台に避難した鵜住居地区の住民ら。浸水域の市民はそれぞれ近くにある避難場所を確かめた

高台に避難した鵜住居地区の住民ら。浸水域の市民はそれぞれ近くにある避難場所を確かめた

  
 県が示した新想定を受け、市は津波災害の緊急避難場所全83カ所を地元町内会などと点検し、昨年9月にハザードマップを改訂した。浸水区域に入った緊急避難場所のうち5カ所を敷地内の高台などに変更し、1カ所を新設。中長期の避難生活を想定した拠点避難所は2カ所を廃止し、1カ所を新たに指定している。今回の訓練は避難場所の周知、避難経路や移動にかかる時間の把握などを目的に開催した。
  
 訓練は、午前8時半に東北地方太平洋沖を震源とするマグニチュード(M)9.0の地震が発生して釜石で震度6弱の揺れを観測、3分後に気象庁が大津波警報を発令したとの想定。防災行政無線が知らせた津波到達予想時刻は約30分後の同9時頃。市民らは呼びかけに応じて地震から身を守る行動をとった後、急ぎ足で避難場所や近くの高台に向かった。
  
子どもも大人も鵜住居小・釜石東中校庭を目指し階段を駆け上がった

子どもも大人も鵜住居小・釜石東中校庭を目指し階段を駆け上がった

  
 海抜約20メートルの高台にあり、鵜住居地区の緊急避難場所になっている鵜住居小・釜石東中学校校庭には住民ら約60人が避難した。東日本大震災の津波で被災し自宅を再建した住民の60代女性は「津波はいつ来るか分からない。防災リュックを玄関に置いたり備えはしている」と防災意識を持ち続ける。校庭に向かうには長い階段を上らなければならないが、「荷物を持って避難する大変さ、どれくらいの時間が必要か分かった」と体に覚えさせた。
  
鵜小・東中体育館で行われた避難所開設訓練。段ボールベットの組み立てなどを体験した

鵜小・東中体育館で行われた避難所開設訓練。段ボールベットの組み立てなどを体験した

  
 両校の体育館は拠点避難所でもあり、鵜住居町内会(古川愛明会長、約100世帯)主体の避難所開設訓練が行われた。住民らは段ボールベッドや間仕切りの組み立てなどに挑戦。陸上自衛隊滝沢駐屯地から駆け付けた給水車から飲料水をもらう体験もあった。同町内会副会長の沖寿雄さん(78)は「津波は二度と来てほしくないが、自然災害は人の手ではどうすることもできない。だからこそ備えは必要。練習を重ねていけば、万一の時にスムーズに動ける。信じて逃げることができる」と気を引き締めた。
 
完成したベッドに乗って感触を確かめる参加者

完成したベッドに乗って感触を確かめる参加者

 
自衛隊の給水車から飲料水をもらう体験も

自衛隊の給水車から飲料水をもらう体験も

 
 市は県公表を受け、昨年4月、大津波警報発表時の災害対策本部を内陸部の小佐野町、市立図書館に設置することを決めた。この日はその運営訓練も実施。市と消防、自衛隊、警察、海上保安部から約60人が参加した。
 
 同館2階に本部室、事務局を設置。警報時の職員参集、津波緊急避難場所からの状況報告、避難者数の集計などを行った。災害時、一般電話が使えなくなることを想定し、消防団や自衛隊による無線、衛星携帯電話の通信訓練も行われた。
 
市災害対策本部事務局では各避難場所からの避難者数の報告を受けた

市災害対策本部事務局では各避難場所からの避難者数の報告を受けた

 
本部室には市長以下幹部、関係機関の職員らが参集。訓練状況を見て課題の洗い出しに努めた

本部室には市長以下幹部、関係機関の職員らが参集。訓練状況を見て課題の洗い出しに努めた

  
 今回の訓練では要支援者の避難方法を検討するため、荒川町内会が試験的に車両を使った避難訓練を実施。津波浸水域外の中小川町内会は後方支援のための炊き出し訓練を行った。同本部長となる野田武則市長は「要支援者の車避難、職員の図書館への参集方法など訓練で課題を明らかにし、誰一人として犠牲にならないための対応を考えたい」と話した。