戦時下の女学生らの姿を描いた第36回釜石市民劇場=TETTO
第36回釜石市民劇場(同実行委主催)は2月26日、釜石市大町の市民ホールTETTOで上演された。77年前、厳しい戦時下をたくましく生き抜いた女学生や子どもにスポットを当てた物語で、元釜石高等女学校生の手記も朗読。太平洋戦争末期、米英軍による2度の艦砲射撃を受けた同市から、非戦の願いを強く発信した。会場では、ロシアによる軍事侵攻で苦しい環境下にあるウクライナへの支援募金も呼び掛けた。
1945(昭和20)年春から夏の釜石が舞台。戦況の悪化で、遠野への集団疎開を余儀なくされた国民学校児童、勤労動員や軍事教練で学業もままならない高等女学生、敵に狙われた製鉄所で働く父を案じる家族-。それぞれの境遇の中、希望を見い出しながら懸命に生きる姿を描いた。構成詩、元釜女生4人の手記の朗読で、機銃掃射や艦砲射撃の恐ろしさも伝えた。手記は、2000年に釜石南高(現釜石高)教諭だった箱石邦夫さん(81)が生徒らと釜女卒業生に手紙を送り寄せてもらったもので、当時の文化祭で展示。16年、箱石さんにより証言書簡集「八月のあの日・乙女たちの仙人越え」としてまとめられた。貴重な証言は今回の劇の内容にも生かされている。
疎開先の遠野で農夫と交流する国民学校の子ども
警備兵から竹やり訓練を命じられる高等女学校生
高射砲台に向かおうとする隊員(右)に複雑な思いがあふれる
キャスト18人、スタッフ約30人で作り上げた市民手作りの舞台劇。午前と午後の2回公演に計336人が足を運び、釜石が経験した戦争の歴史や後世に託す思いを劇を通して感じ取った。平田の水島寿人さん(55)は「艦砲射撃の激しさを改めて知る機会になった。こうした事実を次世代につないでいかなければ」と実感。キャストの素晴らしい演技も称賛した。
会場には、朗読された手記をつづった元釜女生の佐野睦子さん(92)、書簡集を編さんした箱石さんの姿も。勤労動員で自宅のある大橋から嬉石の缶詰工場に通った佐野さんは、20数キロの暗い帰り道を幾度となく歩いた経験、決して忘れることのない戦争の苦しみを記している。「集団疎開を含む当時の釜女の話は埋もれてしまうところだったが、箱石先生が掘り起こし世に出してくれた。今回の劇でさらに日の目を見たことはとても感慨深い」と感謝の気持ちを口にした。
元釜石高等女学校生の手記の朗読。戦争の記憶は半世紀以上経過しても鮮明に残る…
子どもキャストの熱演は観客の笑顔を誘う
昨年11月から稽古を続けてきたキャスト。役作りに励み、掛け合いや表現力に磨きをかけ本番を迎えた。姉はスタッフ、妹、弟、自身はキャストと4人で参加した青山凜々華さん(12)は昨年に続いての出演。「今年は大きい声でできたし、あまり緊張しなかった」と自己分析。劇で戦争体験者の悲しみを深く知り、「当時の子どもたちは厳しい中でも頑張っていてすごい」と実感を込めた。
製鉄所工員役の伊藤詩恩さん(26)は演劇初挑戦。「最初は声も小さく棒読みだったが、周りが上手なので引き上げられた。本番では観客の反応も感じられてうれしかった」と演技の楽しさを味わった。地域おこし協力隊員として2020年に釜石に移住。回を重ねてきた市民劇について「まちが元気になる要素。今後も何らかの形で関われれば」と話した。
厳しい戦況について語る製鉄所の工員。いざこざもありながら、国のためにと任務遂行を誓う
「戦争なんて大っ嫌い!」主人公・みよ(右から2人目)が思いの丈を叫ぶラストシーン
戦争のない平和な世界を願う主人公「みよ」の独白で幕を閉じた同劇-。「ラストシーンにかけた」という矢浦望羽さん(17)は「うまくいった」と達成感をにじませた。8年目の出演で初の主人公役。「今までにない緊張感。舞台に立った時、圧倒される感じもあった」というが、緊張はすぐに解け、堂々の演技を見せた。涙する観客もいたことを後で聞き、「伝わったかな」と喜びの笑顔を輝かせた。
釜石市民劇場は1986年に初演。郷土の先人や歴史をテーマに公演し、市民に愛されてきた。東日本大震災や新型コロナウイルス禍による休演もあったが、脈々と受け継がれている。
コロナ禍で中止していた観客のお見送りも復活。ウクライナ支援募金も呼び掛けた