歌で伝える震災「釜石あの日あの時甚句」 10作目「未来の孫へ」制作 後世につなぐ活動継続へ
「釜石あの日あの時甚句」で震災を伝える藤原マチ子さん(左)と北村弘子さん
東日本大震災の出来事や教訓を相撲甚句の節に乗せて伝える「釜石あの日あの時甚句」。自ら作詞し、市内外で披露してきた釜石市の藤原マチ子さん(70)、北村弘子さん(70)が、震災犠牲者の十三回忌の節目に新作を発表した。10作目で、題名は「未来の孫へ」。命を守る大切さ、感謝する心、平和への願い…。千年後の子どもたちに今、“残したい思い”を歌詞にちりばめた。
藤原さんが作詞。震災の経験や生きる意味を遠い未来の子どもたちに伝えようと、自身が書いていた「孫への手紙」を基にした。あの日、まちを襲った大地震と大津波。寒さと恐怖に震えながら家族の無事を祈ったこと、世界中の人たちが生きる力をくれたこと…。情景の浮かぶ詞が心に刺さる。
「どんな時にも諦めず、必ず命を守ること。あなたが生きていることが、きっと誰かの役に立つ」。未来の災害から生き延びてほしい、生きて誰かを助けられる大人になってほしい―。藤原さんの強い願いが込められた。
藤原さんは「未来の孫へ」に込めた思いを話した=10日、宝来館
震災命日の前夜、鵜住居町根浜の旅館・宝来館で、宿泊客らに新作を含む4編を聞かせた。藤原さんが歌い、北村さんが合いの手を入れるいつものスタイル。一部は北村さんの手話も交えた。震災後のボランティア活動が縁で同市に移住した元大学教員の平修久さん(67)は「節に乗せると分かりやすく、ジーンと胸に響く。新作は未来に向けた前向きな印象」と、2人が紡ぐ言葉を受け止めた。
北村さん(右)の手話とともに伝える「釜石東中・鵜住居小編」
2人の甚句に拍手を送る観客。12年前の震災を思い起こした
藤原さんと北村さんは、地元で民話の伝承活動を行う「漁火の会」の仲間。2人と親交のある同館おかみ岩崎昭子さん(66)の提案で、震災を甚句で伝える活動を始めた。兄3人が相撲に親しみ、母は相撲甚句の名手だった藤原さん。観光ガイド会員で震災ガイドもしていた北村さん。2012年12月、津波から逃れた児童生徒の避難行動を伝える「釜石東中学校、鵜住居小学校編」を2人で作詞。その後、次々に作品が生まれていった。
津波にのまれながら九死に一生を得た岩崎さんを描く「宝来館女将(おかみ)編」、津波で亡くなった藤原さんの兄をしのぶ「兄き編」、行方不明の夫への思いを語る「いのり編 あなた」、多くの命が奪われた悲しみ、悔しさを表した「防災センター編」―など。13年5月までに9編が作られた。2人は月命日に同館で甚句による伝承活動を続け、市内外の出演依頼にも応えてきた。
目を潤ませながら聞き入る観客も(右側)。同館での甚句披露はコロナ禍のため2020年2月以来
最初は気負いやプレッシャーで、歌い出せないこともあったという藤原さん。「兄さんが歌の中に生きている」との客の言葉に励まされ、「供養のためにも歌おう」と思うようになった。徐々に気持ちも落ち着いてきた。「あの世の人たちと共に生きる―ということが自然と体に身に付いてきたのかな。この活動を亡き兄が一番喜んでいると思う」と想像を巡らす。
北村さんがこれまでの活動などについて紹介
「この甚句は遺族や被災者が抱える思いを代弁するもの」。共作を含め7編の作詞を手掛けた北村さん。当初「10作目は復興甚句を」と考えていたが、この10年でハード面の復興はできても、心の傷は変わらないことを思い知らされる。「今回は13回忌の1つのけじめ。心の復興は計り知れない。震災を経験した私たちが伝えられるのはどこまでいっても“復興途上甚句”なのかもしれない―」。
被災地で生きる身として、震災と向き合い続ける藤原さんと北村さん。これからも被災者に寄り添いながら、伝えることに真摯に取り組むことを誓った。
2人のバックの書は「あの日あの時甚句」を聞いた人から贈られた
釜石新聞NewS
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