タグ別アーカイブ: 防災・安全

みなとかまいし地区会議のメンバーら

津波の恐ろしさアピール、「避難道路」に看板〜揺れる貨物船 猛威象徴

みなとかまいし地区会議のメンバーら

「震災を風化させないために」と、浜町の「避難道路」に看板を設置したみなとかまいし地区会議のメンバーら

 

 東日本大震災の津波が押し寄せる釜石湾内で波に翻弄(ほんろう)される大型貨物船の写真を使用した大きな看板が、釜石市役所から浜町の高台に通じる通称「避難道路」に設置された。港湾に近い町内会や商店街などで組織する「みなとかまいし地区会議」(高橋松一議長)が、地域住民の防災意識を高め、被災地を訪れる観光客などへ津波の恐ろしさをアピールしようと設置した。4日、現地で看板を披露した高橋議長は「(震災当時を)思い出したくないが、津波のすごさ、怖さを知り、ここで起こったことを少しでも理解してもらえれば」と思いを語った。

 

 看板は縦150センチ、横210センチ。写真の貨物船「アジア・シンフォニー」(4724トン)は、船首の一部が防潮堤を壊した形で釜石港の岸壁に乗り上げ、津波の猛威を象徴する。この高台から撮影されたもので、看板には地震の発生日時や震源、規模なども記した。制作、設置費用は約40万円。

 

 同会議は2009年の設立当初から防災体制の整備をテーマに活動。地震や津波発生時に高台への避難を呼びかけるポスターの掲示や、地域内にある高台の避難指定場所への避難誘導標識を設置するなど自主防災活動に取り組んできた。

 

 この高台は地域の避難場所としての役割だけでなく、住民らの散歩道でもある。震災発生時も多くの住民が避難し、津波の襲来を見守った。震災後は津波被害の大きかった市街地を一望できる場所として、観光客の多くが立ち寄る場所にもなっている。

 

 しかし、同会議が設置してきたポスターや標識はほとんどが津波で流失し、再設置の予定もなく、災害時の避難誘導案内機能は失われたまま。また、この高台を訪れても震災の被害を説明するものもなかったことから、「地域住民の避難の備えを促し、観光客に注意を喚起し、震災の記憶を風化させないために」と設置を決めた。

 

 「(使用した写真は)あり得ない光景」と話すのは、看板を制作した日美画房の小田島凌一さん(76)。地震発生後、設置場所の高台に避難したという同会議副議長の菊池新之助さん(76)は「津波の瞬間は、まさに阿鼻叫喚(あびきょうかん)。貨物船が湾内を木の葉のようにぐるぐると回っていた。論より証拠、真実が伝わる」と看板設置の意義を強調する。

 

 市市民生活部の大久保孝信部長は「この高台は震災を全国に発信する場で、津波発生時の避難場所でもある。この看板がいざという時、逃げる場所を思い起こさせる印になれば」と期待を寄せた。

 

 高橋議長は「防災は市民生活のすべてにつながってくる。次の時代になっても震災を風化させてはいけない。身近で起きたことを語り継いでいくことが大切。行政と協力しながら防災をテーマにした活動を継続していきたい」と話した。

 

(復興釜石新聞 2015年8月8日発行 第409号より)

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復興釜石新聞と連携し、各号紙面より数日の期間を設け記者のピックアップ記事を2〜3点掲載しています。

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野田武則市長に手渡す岩切潤さん

戦災の記憶 語り継ぐ〜かまいしの昭和20年、艦砲射撃を生き延びて

野田武則市長に手渡す岩切潤さん

自費出版した「かまいしの昭和20年」を、野田武則市長に手渡す岩切潤さん(右)

 

 釜石市芸術文化協会会長の岩切潤さん(80)が、艦砲被災など釜石の戦時中の歴史や自身の戦争体験などをまとめた「かまいしの昭和20年―艦砲射撃を生き延びて」を自費出版した。当時の体験を語れる人が減る中で、岩切さんは戦災の記憶を語り継ぐ大切さを痛感。戦後復興の歩みに東日本大震災からの復興への思いを重ね合わせ、「戦争という大変で苦労した過去があって現在があり、未来につながる。釜石は津波や戦争を経験したが、何度も粘り強く立ち上がり復活してきた。未来に向かって進んでいこう」とのメッセージを込めた。

 

 太平洋戦争末期の1945(昭和20)年、釜石は7月14日と8月9日の2度にわたって米英連合軍から艦砲射撃を受け、市街地は焼け野原になり、市民ら750人以上が犠牲になるなど大きな被害を出した。

 

 自費出版した本は、昨年5月と7月に盛岡市と釜石で岩切さんが講演した内容を取りまとめたもの。艦砲射撃や避難した防空壕(ごう)での様子、疎開先での暮らしぶりなど当時釜石国民学校(現釜石小)5年生だった岩切さんの実体験を、艦砲射撃を受けた釜石市内の風景などの写真や被弾図など資料を交えて紹介した。

 

 艦砲射撃から3年後の48年に釜石製鉄所の高炉が再建され、50年に釜石線の全線開通、59年に国道283号・仙人峠の開通と続いた復興の歩みも収録。これからの釜石についても触れ、「『橋野鉄鉱山・高炉跡』の世界遺産登録や2019年のラグビーワールドカップは震災復興を目指す釜石の希望の光。前途には大変な課題もあるが、市民一丸となり、大事業実現に向けまい進したい」とつづった。

 

 本はA4判36ページで、800部作成した。市のほか、県沿岸広域振興局にも70冊を寄贈。市は郷土資料館や市立図書館、各地区生活応援センターなどに置いて公開する。

 

釜石市に300冊寄贈

 

 岩切さんは6日、市役所を訪れ、「今年は戦後70年。語り継いでいく素材の一つになれば」と約300冊を野田武則市長に託した。野田市長は「70年という大事な節目に出版された本を多くの市民に見てもらいたい。戦争の恐ろしさ、命の大切さの発信につながれば」と期待した。

 

 岩切さんは「戦争、艦砲射撃を知らない世代に見てほしい。戦争は陸、空ばかりではなく、船からも来る。思いがけないことを知ってほしい」と話した。

 
 今回の寄贈のほか、約200冊を9日に行われる市戦没者追悼式で、希望者に配布することにしている。

 

 岩切さんは県漁政課長、大船渡振興局長などを歴任。現在は社団法人三陸アーカイブ減災センター代表などを務める。

 

(復興釜石新聞 2015年8月8日発行 第409号より)

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