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10年響く「復興の鐘」、希望を託しバルーン放つ〜釜石駅前追悼行事

10年響く「復興の鐘」、希望を託しバルーン放つ〜釜石駅前追悼行事

震災後の支援に感謝し、今後のまちづくりへ意欲を高める出席者

震災後の支援に感謝し、今後のまちづくりへ意欲を高める出席者

 

 釜石市鈴子町の釜石駅前広場では11日夕、全国の支援者の協力で設置された〝復興の鐘〟を鳴らす追悼行事「かまいし復興の祈り」(同実行委主催)が行われた。震災の翌年2012年から続く3・11の恒例行事。同駅周辺の企業、団体の代表者や一般市民が集まり、鐘の音に鎮魂と未来への希望を託した。

 

 全員でバルーンをリリース後、鐘を建立した「釜石復興の風プロジェクト」の八幡徹也代表があいさつ。「あの日から10年。長かった、あっという間などさまざまな声が聞かれる。鎮魂から希望へ。次の10年に向け鐘をついてもらえれば」と呼び掛けた。

 

 野田武則市長、JR釜石駅の吉田正樹駅長ら招待者約10人が献花し打鐘。2016年に広場内に埋めたタイムカプセルから取り出した「5年後の釜石へ」と題した市民らのメッセージも紹介した。

 

 「復興は進みましたか?ラグビーワールドカップが終わって、まちはにぎわっていますか?希望あるまちになっていますように―」。復興への思いなど400人分のメッセージは、抜粋して19日からイオンタウン釜石で展示される。

 

 困難を乗り越えるリーダーの姿勢をメッセージに記した東北土地開発の佐々木光幸社長(65)は、地元経済の再興に「地域性をよく理解し、経営者らが力を結集することが必要。できない理由は考えず、信念を持って進めば道は開ける」と次の10年を見据えた。

明治、昭和、平成(左から)の津波の石碑が並んだ箱崎地区

教訓伝える3基の石碑、釜石市箱崎町〜高台避難を次世代につなぐ

明治、昭和、平成(左から)の津波の石碑が並んだ箱崎地区

明治、昭和、平成(左から)の津波の石碑が並んだ箱崎地区

 

 津波の脅威と教訓を末永く後世に―。東日本大震災発生から10年を迎えるのを前に、釜石市箱崎町の津波到達地に住民らが「津波記念碑」を建立。6日、落成開眼式が行われた。地域に受け継がれてきた明治、昭和の三陸大津波の碑に並ぶ形で建てられ、地区の被災の歴史と変わらない高台避難の教訓を次世代につなぐ。

 

 落成式には地域住民ら関係者約50人が出席した。建立実行委の小川原泉委員長(69)=釜石東部漁協組合長=が経緯を説明し、「これからもあの災害を忘れることなく、子々孫々に至るまで語り継いでほしい」とあいさつ。野田武則市長と共に記念碑を除幕した。常楽寺(鵜住居町)の藤原育夫住職により開眼供養が行われ、出席者が焼香して手を合わせた。

 

 黒御影石の記念碑は高さ1メートル90センチ、幅1メートル40センチ。上部の曲線が津波を表現する。表面に刻まれた「平成の大津波記念碑」の文字は野田市長が揮毫(きごう)。裏面には「忘れない」に続き、震災の発生日時、当時の総世帯数・人口、被災戸数、死者・行方不明者数などが刻まれた。建立場所は震災後、整備された市道箱崎半島2号線沿い、集落入り口付近の市有地。

 

震災の被災状況を刻んだ津波記念碑

震災の被災状況を刻んだ津波記念碑

 

 箱崎町内会(同町5~12地割)で震災10年を契機とした記念碑建立の声が上がり、昨年8月、実行委を組織。事業費約250万円は、現住民と被災して他地区に移転した元住民からの寄付金を主財源とした。

 

 箱崎漁港に面する同地区には震災前、273世帯、734人が暮らしていたが、津波で86%にあたる235世帯が被災。地区内で72人(関連死含む)が犠牲になった。

 

 石碑近くの馬場前地区造成地に自宅を再建した小林りち子さん(62)は、津波で夫のおばが行方不明。家族は無事だったが、自宅や所有する船、養殖道具などを全て失った。「大地震が来たら身一つでいいから、とにかく高台に逃げる。命が一番大事。教訓を伝えるこれらの碑をみんなで守っていきたい」と思いを込める。

 

 同町内会の荒屋正明会長(75)は「記念碑建立は6年前に会長職を受けた時から頭にあった。地区を離れた皆さんにも協力をいただき、ありがたい」と感謝。「犠牲者を悼み、災禍を忘れない場所として心にとどめ、さらなる地域防災力強化を図っていければ」と決意を新たにした。

 

 復興が進んだ同地区は自宅再建がほぼ終了。戸建て復興住宅(31戸)を含め、現在は148世帯が居住する。防潮堤(高さ14・5メートル)工事は、集落と漁港を結ぶ乗り越し道路の整備が今月末に完了する予定。

癒やしの歌声を響かせた釜石高音楽部

あの人 思い 手を合わせる〜鵜住居 祈りのパーク「10年は通過点」

犠牲者の芳名板の前で祈りをささげる家族

犠牲者の芳名板の前で祈りをささげる家族

 

 釜石市内全域の震災犠牲者の芳名板が並ぶ鵜住居町の追悼施設「釜石祈りのパーク」には11日午前から、遺族や縁故者らが次々と訪れた。献花台に花を手向け、静かに手を合わせる人々。亡くなった人を決して忘れず、二度と悲劇を繰り返さないという強い思いが10年目の被災地を包んだ。 

 

 震災の津波で多くの犠牲者が出た鵜住居地区防災センター跡地に一昨年整備された同施設。市内の犠牲者1064人のうち1001人の芳名が掲げられる。11日は、犠牲者を弔おうと多くの人たちが訪れた。芳名板に手を当て思いを込める遺族。世話になった故人に感謝の気持ちを伝える縁故者。10年を機に足を運び、尊い命が奪われた震災に心を痛める外国人の姿も。日蓮宗仙寿院(芝﨑恵応住職)の僧侶と檀(だん)信徒12人は慰霊の唱題行脚で訪れた。地震発生時刻の午後2時46分―。防災無線のサイレンが鳴り響くと来訪者が一斉に黙とう。鎮魂の祈りをささげ、震災の記憶、教訓の継承を誓った。

 

地震発生時刻に黙とう

地震発生時刻に黙とう

 

 宮城県大和町の柏﨑桃香さん(26)は、伯母美幸さん(当時48)=片岸町=が津波の犠牲になった。姉のように接してくれた美幸さん。「当時はその優しさに気付けていなかった」と涙目で後悔を口にする。祖父龍太郎さんも、長年暮らした仮設住宅から再建した自宅に移った直後に他界。「釜石に1人残る祖母を幸せにすることが、2人のために自分ができること」と残された者の使命を胸に刻む。

 

 大渡町の片桐浩一さん(51)は、出産間近だった妻理香子さん(当時31)を防災センターで亡くした。「悔しい気持ちは消えることはないだろう。10年は節目ではなく通過点」。生まれていれば愛娘は今年10歳。「小学4年生か…」。かなわなかった親子の日常に想像をめぐらせた。今も脳裏に浮かぶのは妻の笑顔。「娘と2人で笑いながら見守ってくれている気がする」。この10年を「いろいろなことがありすぎた。一生が凝縮された感じ」と振り返る。震災の風化は避けられないが、「せめて3・11だけは自分や大切な人の命をどう守るか、考える日にしてほしい」と願う。

 

癒やしの歌声を響かせた釜石高音楽部

癒やしの歌声を響かせた釜石高音楽部

 

 釜石高音楽部(平松和佳奈部長)の6人は「願い~震災をのり越えて」など3曲を献唱した。菅野光里さん(2年)は、津波で祖父母が行方不明のまま。込み上げる悲しみをこらえ、精いっぱいの歌声を響かせた。「自分たちが活動する意味を感じた。微力かもしれないが、日常を大事にしてほしいという願いを歌で届けていきたい」と望んだ。

震災10年 希望を明日に、復興は新たなステージへ

震災10年 希望を明日に、復興は新たなステージへ

震災犠牲者に思いをはせ、追悼式で手を合わせる遺族ら

震災犠牲者に思いをはせ、追悼式で手を合わせる遺族ら

 

 東日本大震災から10年となる11日、釜石市の震災犠牲者追悼式が大町の市民ホールTETTOで開かれた。新型コロナウイルスの感染拡大防止を踏まえ一般参加者の入場は控えてもらうなど規模を縮小し、市内在住者に限定した遺族など103人が出席。津波で命を落とした大切な人をしのび、「震災10年」を区切りに新たなステージへと向かう釜石の復興、ふるさとの再生を願って手を合わせた。

 

 県内の人的被害は2月末現在、死者4674人、不明者1111人、関連死は470人に上る。釜石市では806人が命を落とし、不明者は152人。関連死の106人を含め犠牲者は1064人に上る。

 

 釜石の追悼式は東京都内で行われる政府主催の追悼式に合わせる形で開会し、震災が発生した午後2時46分に黙とう。中継された追悼式で、天皇陛下は「誰一人取り残されることなく、一日でも早く平穏な日常の暮らしを取り戻せるように、皆が心を合わせて、被災した地域の人々に末永く寄り添っていくことが大切であると思います」と述べられた。

 

 野田武則市長は「震災で犠牲になった方々への鎮魂の思いをまちづくりの出発点とし、住まいの再建、なりわいの再生へ、たわまず屈せず、復興に向けて取り組んできた」と10年を振り返り、「復興は固定概念にとらわれず、多様に変化する環境に対応し、柔軟な姿勢で学び続けることが大切」と式辞。「学んだ教訓を生かしながら、被災者一人一人が幸せと復興の歩みを実感できるよう努力を重ねていく」と決意を述べた。

 

震災犠牲者の霊に向かい追悼の言葉を述べる野田市長

震災犠牲者の霊に向かい追悼の言葉を述べる野田市長

 

 津波で妻、長男夫婦、孫の家族4人を失った鵜住居町の鈴木堅一さん(77)が遺族を代表して追悼の言葉。「精いっぱい生きてきた、あっという間の10年だった」と振り返り、「これから何十年も生きたであろう5年生で亡くなった孫が、かわいそうでならない」と声を振り絞った。

 

追悼の言葉を述べたあと花を手向ける鈴木堅一さん

追悼の言葉を述べたあと花を手向ける鈴木堅一さん

 

 震災当時、鈴木さんは消防団本部長を務めていた。防潮堤の水門を閉めるため車で向かったが、山に逃げて辛くも助かった。

 

 亡くなった家族に再建を約束した自宅は5月に完成する。「しかし、いくら家を建てても、家族を亡くした私の気持ちの中で復興を感じることはない」と苦しいままの胸の内を明かした。

広報かまいし2021年3月15日号(No.1756)

広報かまいし 2021年3月15日号(No.1756)

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広報かまいし2021年3月15日号(No.1756)

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【P1】
表紙
【P2-3】
新型コロナウイルス予防接種
医療費の一部負担金などの免除期間延長 他
【P4-5】
こどもはぐくみ通信
市民のひろば
【P6-7】
まちの話題
岩手大学釜石キャンパスだより
【P8-9】
まちのお知らせ
【P10-11】
保健案内板
保健だより
【P12】
まなびぃ釜石

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10年目の3月11日に寄せて

10年目の3月11日に寄せて

10年目の3月11日に寄せて

 

いつも「かまいし情報ポータルサイト~縁とらんす」をご覧頂きましてありがとうございます。

 

本日は、東日本大震災から10年目となる3月11日を迎えます。
忘れてしまいたい気持ちと忘れて欲しくない思いが交錯し、多くの人が様々な葛藤を抱える中、10年という時間が経ちました。

 

あらためまして、お亡くなりになられた方々の御霊に、哀悼の意を表します。
そして、この10年間に全国また全世界から頂いたたくさんのご支援に、あらためて感謝いたします。

 

また更に、個々にペースの違いはあれど、復興の名のもとに歩みを進め、本日に至るまで町の日常生活を担ってきた市民の皆様にも、感謝と労いの気持ちをお伝えいたします。
釜石、そして被災地の復興は、住民一人一人の日常の積み重ねに依る部分が、とても大きかったと思います。

 

縁とらんすでは、「〜繋ぐ〜(釜石の過去・現在・未来の繋がり/釜石に暮らす人の繋がり/釜石を訪れる方々との繋がり/釜石を想う方々との繋がり)」(抜粋編集)というコンセプトの元、2015年のサイト開設以降、復興釜石新聞などと連携して様々な情報を発信して参りました。
情報を媒介とした繋がりを構築することで、復興の一助になって来られたかなと思っていますが、これもひとえに、町で生活する皆さんの活気や、いつも釜石を気にかけて下さる方々の熱量による所が大きいです。

 

10年という数字上の節目をもって生活が大きく変わったり、心の面での復興が加速したりすることはありませんが、これから先に歩みを進め続けるためにも、今日という日を大切に過ごし、哀悼の意、感謝の気持ち、労いの心で、全ての皆様が大切な人を想う一日になるよう願っています。

 

2021年3月11日
かまいし情報ポータルサイト~縁とらんす
管理者(釜石まちづくり(株))

縁とらんす

かまいし情報ポータルサイト〜縁とらんす

縁とらんす編集部による記事です。

問い合わせ:0193-22-3607 〒026-0024 岩手県釜石市大町1-1-10 釜石情報交流センター内

オンライン報告会を終え、充実した表情を見せる隊員ら

復興後押し 釜援隊“卒業式”〜8年の歩みを振り返る、オンラインで活動報告会

オンライン報告会を終え、充実した表情を見せる隊員ら

オンライン報告会を終え、充実した表情を見せる隊員ら

 

 東日本大震災からの復興に向け、釜石市のまちづくりや農林漁業の振興、住民福祉など幅広い分野で官民協働による課題解決を担う釜石リージョナルコーディネーター(復興支援員、通称・釜援隊)。今年度末で活動を終える。隊員らでつくる協議会は〝散開〟を前に、2月26日、大町の市民ホールで活動報告会を開催。発足から8年の歩みを振り返り、活動成果を総括した。

 

 多くの自治体が総務省の財政支援を受けて地域おこし協力隊員を迎える中、釜石市は13年、同省の復興支援員制度を活用して独自に釜援隊を導入した。商社や国際機関、マスコミなどで勤務経験のある29人を受け入れ、現在11人が活動。市と住民や企業、NPOなどとの調整役としてまちづくりを支えてきた。

  

 報告会はオンラインで開催。「釜援隊がまちや市民に提供した価値」をテーマにしたパネルトークで、遠藤眞世さん(33)=東京出身=は平田地区に整備された県営復興住宅の自治会運営の伴走支援など住民自治・共助のコミュニティーづくりを伝えた。被災の有無で交流を遠慮する住民たちをつなぐ祭りの実施など成果を上げた一方、年数とともに人の動きも変化し、コミュニティー活動を維持する難しさを実感。「コミュニティーづくりは自分たちでやる」というイメージを持った地域の担い手が必要だと指摘した。

 

 協働先として当時、活動を進めた市の千葉裕美子子ども課長は「住民と行政の懸け橋となり、新たなコミュニティーの輪を広げてもらった」と成果を強調した。

  

 東部地区事業者の連携支援に取り組んだ花坂康志さん(32)は、古里を盛り上げようとUターン。地区の方向性に関し行った事業者へのヒアリングで、異なる主張を整理し、話し合いの場に持ち込む難しさ、社会人としての未熟さを実感。人との関わりでさまざまな学びがあり、「成長を後押ししてもらった。今後、形が変わっても関わっていきたい」と力を込めた。

 

 同地区事業者協議会の新里耕司会長は「地元の視点に外の情報を入れ、新しいチャレンジを創造するチャンスをもたらした」と手応えを感じた。

 

 各隊員の活動報告は4グループに分かれ、一人15分の持ち時間で実施。現隊員の中で最も長く活動する常陸奈緒子さん(36)は「復興まちづくりにおける高校生の地域参画」をテーマに取り組みを紹介した。

 

 高校生による津波防災授業、中高生向けキャリア教育企画、放課後の居場所づくりなどをサポート。地元の後輩たちを応援する活動にやりがいを見いだし、「震災から10年。これからは平時のまちづくりがポイントになる。若い世代を育み、地域とつながり続ける体制、環境づくりを続けたい」と前を向いた。

 

 隊長の二宮雄岳さん(54)によると、現隊員のほとんどが釜石に残ることを決めている。自身も「できることがある」と決断。震災の復旧復興から地方創生期への変化に対応した活動の展開から得た価値を生かした協働の仕組みづくり、産業振興に注力する構えだ。

 

 協働先の市、企業、元隊員らが各場で視聴。2時間半の配信で、延べ約80人が成果を共有した。

白銀の世界を満喫、鵜住居こどもひろば〜そり滑りに歓声、青ノ木で雪遊び

白銀の世界を満喫、鵜住居こどもひろば〜そり滑りに歓声、青ノ木で雪遊び

ストーブを囲み、小笠原さんの心尽くしで伝統の味を満喫する児童ら

ストーブを囲み、小笠原さんの心尽くしで伝統の味を満喫する児童ら

 

 釜石市主催の「ゆきあそび」が祝日の11日、標高約600メートルの橋野町青ノ木で開かれた。幼児や小学生19人と家族、サポーター合わせて32人が参加し、「白銀の世界」を満喫した。

 

 市の放課後子ども教室、鵜住居こどもひろば事業の特別イベント。世界遺産「橋野鉄鉱山」の入り口にある「峠の茶屋」周辺は十分な積雪があった。バスで到着した子どもらは、事業を企画する一般社団法人三陸ひとつなぎ自然学校(伊藤聡理事長)の案内で銀世界に飛び出した。

  

 植物性の着色料で雪にお絵かき。なめらかな雪面に倒れ込んでひと形を刻むと、そり滑り。ふんだんにある坂、傾斜面を求め、膝まで埋まりながらラッセルした。

 

雪まみれになって真冬のだいご味を楽しむこども

雪まみれになって真冬のだいご味を楽しむこども

 

 硬めの雪質を見つけると、のこぎりで角型に切り出し、イヌイットの仮設住居「イグルー」風の再現にも挑戦。屋根の据え付けは難しく、壁面だけの住居となったものの、子どもらは「雪小屋」と呼んで喜んだ。

 

 昼、幼児らは屋内で休憩。児童は屋外のまきストーブを囲み、おにぎりを頬張った。峠の茶屋代表の小笠原静子さん(79)が甘みそ仕立ての豆腐田楽(でんがく)を火鉢に並べ、カボチャとクルミを混ぜ込んだ「オカラ団子」を提供。子どもらは温かい手作りの伝統食に、笑顔でかじりついた。

  

 平田小5年の佐々木碧乃莉(みのり)君は妹の彩衣音さん(同1年)と初参加。「家では家族で小さなカマクラを造った。2人分の大きさかな。やっぱり寒い」と言いながら、午後も雪原での遊びを楽しんだ。

広報かまいし2021年3月1日号(No.1755)

広報かまいし2021年3月1日号(No.1755)

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【P1】
表紙
【P2-7】
東日本大震災から10年を迎えて
【P8-9】
新型コロナウイルスワクチン関係
意見募集(釜石市地域公共交通計画案) ほか
【P10-11】
まちのお知らせ
【P12】
3月11日主な追悼行事のお知らせ

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広報かまいし2021年2月15日号(No.1754)

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【P1】
表紙

【P2-3】
釜石市新型コロナワクチン接種推進室
東日本大震災犠牲者追悼式
市営・定住促進住宅入居者の募集

【P4-5】
市民課各種サービスの案内
市・県民税申告の案内

【P6-7】
意見募集

【P8-11】
聖火リレートーチ巡回展示
パソコン無料回収
まちのお知らせ

【P12-13】
まちの話題

【P14-15】
こどもはぐくみ通信
市民のひろば

【P16-17】
保健案内板
保健だより

【P18-19】
復興情報

【P20】
釜石の歴史 よもやま話

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「釜石市スマートコミュニティ」新エネルギー財団会長賞〜震災復興貢献を高く評価、新エネ大賞地域共生部門

「釜石市スマートコミュニティ」新エネルギー財団会長賞〜震災復興貢献を高く評価、新エネ大賞地域共生部門

太陽光パネルが設置された上中島復興住宅

太陽光パネルが設置された上中島復興住宅

 

 新エネルギーの普及・啓発で優れた取り組みをたたえる本年度の新エネ大賞の地域共生部門で、釜石市が建設技術研究所(東京都)、釜石瓦斯(鈴子町)と共同で取り組む事業「震災復興に貢献する釜石市スマートコミュニティ」が、新エネルギー財団会長賞に選ばれた。主催する同財団が1月26日に発表した。

 

 同事業は、太陽光発電、太陽熱、電気自動車、エネルギーマネジメントシステムの導入、情報交流センター設置やウェブ上での見える化などに関し、産学官が連携した地域共生型の取り組み。東日本大震災からの復興の実現と合わせ、地域の発展や持続可能性につなげる狙いがある。

  

 復興に向け、いち早く自治体と民間企業が共同でスマートコミュニティ事業を進めているのがポイント。▽中核となるメガソーラー事業はSPC(特別目的会社)を設立し、収益を地域に還元▽災害時に移動型電源として活躍する電気自動車の導入―など地域と共生する事業の実施が、他地域での展開も期待できる点と評価された。

 

 市が企画し、同研究所がシステム構築、釜石ガスが効率的な運営を担っている。

 

太陽熱を利用した温水器も備えられており、復興住宅の屋上でパネルが活躍する

太陽熱を利用した温水器も備えられており、復興住宅の屋上でパネルが活躍する

 

 市産業振興部の平松福寿部長は、太陽光発電や太陽熱を利用した復興公営住宅の整備、遊休地の活用、太陽光発電などを導入した水産加工場のエネルギー消費の抑制・電力需要の平準化など成果を強調。「復興の取り組み、再生エネルギーを利用した先進的な取り組みが高く評価された。これを機に、エネルギー事業で産業振興、観光振興を進めたい」と先を見据えた。

 

 同大賞は全4部門で、今回は55件の応募があった。審査の結果、経済産業大臣賞4件、資源エネルギー庁長官賞7件、新エネルギー財団会長賞10件、審査委員長特別賞1件の合計22件を選出。地域共生部門は、地域と共生する事業モデルの導入や普及の重要性から本年度新設された。

東北地方の女性海上保安官で初めて制圧指導官となった坂本さん(右)

東北初の女性制圧指導官に〜釜石海上保安部 坂本さん、保安官増へ貢献誓う

東北地方の女性海上保安官で初めて制圧指導官となった坂本さん(右)

東北地方の女性海上保安官で初めて制圧指導官となった坂本さん(右)

 

 釜石海上保安部(松吉慎一郎部長)に第2管区海上保安本部で初めての女性「制圧指導官」が誕生した。釜石海保の巡視船「きたかみ」の航海士補、坂本百合奈さん(24)。テコンドー二段、水泳も得意な身体能力を生かし、同僚保安官の制圧術の向上に努める。

 

 坂本さんは熊本県菊池市出身。2018年に海上保安学校船舶運航システム課程を卒業し、「きたかみ」に配属された。19年に第2管区海上保安本部の制圧指導官養成課程を経て、検定で中級に合格した。

 

 海上保安官が法を執行する中で、危険性がある相手と向き合う際に無力化するのが制圧術。警察の逮捕術と同等の必須技量とされる。その指導者として認定されるのが制圧指導官。現在、同本部には指導官25人がおり、坂本さんは唯一の女性となる。全国では約300人いるが、女性指導官は6人と少ない。

 

 坂本さんは小学2年から高校まで10年間、地元のテコンドー道場で鍛錬を重ねた。夏には海水浴にも親しみ、水泳も得意だ。テコンドーでは小学生で九州チャンピオン、高校では一般も参加する西日本大会を制し、東京五輪出場を夢見た。「海が好き」と進路を海上保安庁に決め、保安学校を卒業して初任地釜石で乗船勤務に就いた。

 

 制圧指導官への挑戦は、テコンドーのキャリアが後押しした。坂本さんは「指導官になり、責任の重さを改めて実感している。(男女を問わず)指導官をもっと増やすお手伝いをしたい。個々の力に合ったスムーズな指導を心がけたい」と前向きに取り組む。

 

 本務では、船舶の立ち入りや救難活動も経験。「時々、船酔いする」と首をすくめた。この2年の間に東日本大震災の不明者捜索にも参加するなど、遺族や被災者に心を寄せる。

 

 将来の夢は「巡視艇の船長になりたい」と、海の安全に関わり続ける決意だ。

 

 釜石海保によると、全国には女性海上保安官が千人以上。占有率7・4%で、10年前の4・3%から大幅に増えた。「きたかみ」にも坂本さんら3人が勤務する。