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釜石市内でも目撃多数 クマに注意 被害に遭わないための対策を! 環境整備も重要

釜石市内で目撃されているツキノワグマ¬(資料写真:三浦勉さん撮影、以下同)

釜石市内で目撃されているツキノワグマ(資料写真:三浦勉さん撮影、以下同)

 
 釜石市内では連日、ツキノワグマの目撃情報が相次いでいる。市に寄せられた4月、5月の目撃件数は前年同期を上回り、住宅地近くに長時間とどまる事例も。市内の目撃のピークは例年6月で、引き続き注意が必要だ。人身、物的被害に遭わないよう、自宅周辺の環境整備、入山時の装備など意識的な対策が求められる。
 
 市水産農林課によると、今年に入り同市に寄せられたクマの目撃件数は3月2件(前年同月0件)、4月29件(同6件)。5月は28日現在53件で、前年同月1カ月間の26件をすでに上回っている。4月24日には小佐野町の民家敷地から小佐野保育園園庭に侵入する1頭が確認されたほか、26日には中妻町の商業施設裏に迷い込んだ1頭が麻酔で捕獲される事例があった。5月21日には小佐野橋付近で木に登る1頭が確認され、わなを設置したものの捕獲には至らなかった。今のところ、人身被害はない。
 
 「同じ個体が何回も目撃されているケースもあり、一概に(増えていると)は言えないが、目撃が多くなる時期としては今年は早い印象」と同課。今の時期は山に餌となる木の実などがなく、クマは餌を求めて活発に動き回るが、これまでの情報では民家周辺で何かを食い荒らされた様子はないという。ただ、これからの時期は子グマが親離れし、新たな生活場所を求めて行動範囲を広げるため、人里への出没が増える可能性もある。
 
今年4月21日に橋野町青ノ木で見られたクルミの木に登るクマ

今年4月21日に橋野町青ノ木で見られたクルミの木に登るクマ

 
クマは川沿いの移動が多い傾向に。これからの時期は親離れした子グマの移動が活発になるので要注意 

クマは川沿いの移動が多い傾向に。これからの時期は親離れした子グマの移動が活発になるので要注意

 
 2024年度、同市に寄せられたクマ目撃情報は164件。人身被害はなかったが、空き家被害が1件確認された。昨秋は山のドングリやクルミ、クリなどの堅果類が豊作だったことで、凶作だった23年度に比べると9~11月の目撃情報は少なく、冬眠前に見られるカキの食害もほぼなかったという。
 
 鳥獣被害対策の3原則は①環境整備(寄せ付けない環境づくり)、②防除(農地などを柵や網で囲って侵入防止)、③駆除(個体を捕獲)。第一段階として、やぶや空き家の放置をなくし、家の周りに(クマが隠れられるような)陰となる場所をつくらない、クマの誘引物(生ごみ、ペットフード、果実、米ぬか…など)を侵入される恐れのある場所に置かない―などの対策が重要だ。
 
背丈の高い草木は刈り取り、見通しを確保。農地などには侵入を防ぐ柵・網を設置する対策を

背丈の高い草木は刈り取り、見通しを確保。農地などには侵入を防ぐ柵・網を設置する対策を

 
山に餌がないと人里に下りてくる頻度も高まる。十分な警戒を!

山に餌がないと人里に下りてくる頻度も高まる。十分な警戒を!

 
 この他、キャンプや登山、山菜・キノコ採りなどで山に入る際には①クマ鈴、笛、ラジオなど音の出るもの、クマ撃退スプレーを携帯する、②複数人で行動する、③クマの目撃情報や痕跡(ふん、爪痕)のある場所は避ける―など、被害に遭わないための装備、行動が必要だ。

 市水産農林課の清藤剛課長補佐(兼林業振興係長)は「市全域が民家のすぐ裏手に山があるような地形のため、どこに出没してもおかしくない状況。クマは川沿いに移動する傾向もあり、散歩やジョギングコースにしている人は十分な注意が必要。クマの行動が活発になる朝、夕の時間帯は特にも警戒し、目撃情報があった時は周辺に立ち入らないようにしてほしい」と呼び掛ける。

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困っている人の力に!大船渡林野火災の被災者支援へ かまいし絆会議の小中学生が募金

小野共市長(左)に募金を託す「かまいし絆会議」の生徒

小野共市長(左)に募金を託す「かまいし絆会議」の生徒

 
 大規模林野火災で被害に遭った大船渡市の被災者支援に役立ててもらおうと、釜石市の14小中学校(9小学校、5中学校)でつくる「かまいし絆会議」は昨年度末に各校で募金活動を展開。児童生徒約1700人、保護者らから41万2376円が集まった。日本赤十字社(日赤)を通じて現地に送ることにし、21日に代表者2人が日赤岩手県支部釜石市地区長を務める小野共市長を訪ね、寄せられた善意を託した。
 
 市役所を訪れたのは、絆会議会長の白野真心(まみ)さんと副会長の岡本あいるさん(ともに釜石中3年)。2人は「今、被災している人たちに何かできることはないかと考えた。少しでも生活の足しになれば。よろしくお願いします」と、活動で使った募金箱を目録代わりに小野市長に手渡した。
 
釜石市内の児童生徒の思いを届けた釜石中の生徒と教諭ら

釜石市内の児童生徒の思いを届けた釜石中の生徒と教諭ら

 
 小野市長は大船渡の林野火災の状況に触れ、「2月26日に発生し、4月7日に鎮火宣言が出るまで、41日間にわたる長い消火活動があった。3300ヘクタールを超える面積が焼失する、本当に大規模な火災だった。皆さんと同じ年代の小学生、中学生も被災されたと聞く」などと説明。「困っている人たちがいたら助けたいという、絆会議の皆さんのあたたかい気持ちが本当にうれしい。受け取った思いをしっかり届ける」と述べた。
 
 今回の活動は釜石中が発案し、各校が呼びかけに応えた。釜中では生徒会執行部が中心となり、3月7日から9日に校内で展開。9日が卒業式だったこともあり、卒業生の家族らも気持ちを寄せた。他校も同様に年度末だったことから、短期間で実施。同席した釜中の藤原幹伍教諭(生徒会執行部担当)が経緯を説明し、最終的な集計金額を数日前に聞いて白野さんや岡本さんと感激を共有したことも加えた。
 
小野市長らと懇談。募金活動の経緯や込めた思いを伝えた

小野市長らと懇談。募金活動の経緯や込めた思いを伝えた

 
 釜中では募金のほか、鵜住居町の市民体育館が緊急消防援助隊の宿営地となった際に消火活動に尽力する隊員らへの感謝と激励を込め寄せ書きを記した横断幕を製作し、贈る活動も行った。絆会議の会長、副会長を務める2人は学校でもそれぞれ生徒会長、副会長として仲間を引っ張った。
 
募金箱を持つ白野真心さん(左)と岡本あいるさん

募金箱を持つ白野真心さん(左)と岡本あいるさん

 
 岡本さんは「小学校、中学校のみんなで集めた募金が被災した人たちのために使われて、一日でも早く元の生活、笑顔あふれる日常に戻ってほしい」と願った。白野さんは「私たちは東日本大震災の年に生まれた。さまざま支援をしてもらったので、今、困っている人たちに返せることはないかと思った。何もない方がいいけど、これからも何かあったら自分たちにできることを少しでもやっていきたい」と背筋を伸ばした。
 
 絆会議ではこれまでに「トルコ・シリア地震救援金」「令和5年7月7日からの大雨災害義援金(秋田県)」「令和6年能登半島地震災害義援金」としても募金活動を展開し、寄付している。

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釜石・橋野鉄鉱山、世界遺産登録10年 歴史と自然感じる記念ウオーク 雨に負けず笑顔満開

満開の八重桜のトンネルを歩き笑顔を見せる参加者

満開の八重桜のトンネルを歩き笑顔を見せる参加者

 
 世界遺産に登録されて7月で10周年を迎える釜石市橋野町青ノ木の「橋野鉄鉱山」を巡るウオーキングイベント(釜石市ウォーキング協会主催)が17日にあり、市内外の約20人が自然と歴史に触れながら歩いた。あいにくの雨模様ながら、ちょうど満開となった八重桜の歓迎を受けた参加者には天候を吹き飛ばす笑顔の花が咲いた。
 
 10周年を記念したイベントは同協会の例会行事。一般参加もあり、盛岡市など市外からも集まった。案内役は、同協会員で釜石観光ガイドとしても活動する地元の小笠原明彦さん(68)。インフォメーションセンターを発着点に、高炉跡、普段は立ち入りが制限されている区域にある青ノ木橋、旧道・笛吹街道(地元では青ノ木街道とも言う)の一部をたどる往復約5キロのコースを歩いた。
 
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インフォメーションセンターを出発し高炉跡方面へ向かう

 
二番高炉跡を見学し、さらに歩みを進める参加者

二番高炉跡を見学し、さらに歩みを進める参加者

 
 高炉跡周辺には「種焼窯」「種置場」と記された遺跡が点在していて、小笠原さんは「種って何?…鉄鉱石のことをそう呼んでいた。名付け方が日本人ぽいよね」と解説。高炉の石組みにある凸凹を示し、「これは日本独自のもの。西洋を参考にはしたが、日本の技術も生かした鉄づくりが橋野にはあった」と強調した。寛永年間の時代からあったとされる旧街道では「子どもの頃のあそび場だった」と話し、地元ならではの魅力もこっそり教えたりした。
 
ガイドの説明を聞いたり、ゆっくりと遺跡周辺を歩く

ガイドの説明を聞いたり、ゆっくりと遺跡周辺を歩く

 
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笛吹街道を踏みしめた参加者。後方は遠野方面に続く

 
 「鉄の話を聞くうちに歩けちゃった」とうれしそうに話したのは80代の女性。「行ったことのないところに行ける」のが団体に所属するメリットだが、年齢を重ね「みんなと歩くのは大変」になり、今回のコースも途中で離脱するつもりだった。高炉跡周辺や旧街道に続く道が明るく、手入れされているのも歩が進む要因になったようで、「健康づくりに歩くことを続けたい」と前を向いていた。
 
雨にも負けず、参加者はぐんぐんと力強く歩いた

雨にも負けず、参加者はぐんぐんと力強く歩いた

 
自然との出合いや仲間との会話もウオーキングの楽しみ

自然との出合いや仲間との会話もウオーキングの楽しみ

 
 同協会の遠野健一会長(81)は「ガイドの説明を聞いて頭の体操にもなり、健康を感じてもらえただろう。製鉄の歴史を見ても、製造工程や鉄の品質、技術、日本はどこにも負けないものを持っている。そのスタートが釜石。世界遺産登録10周年を機に歴史の重みを再認識し、170年ほど前に働いていた人たちのことを思いながら、この地を踏みしめてもらえたならいい」と充実感をにじませた。
 
満開の八重桜に参加者は表情をほころばせる

満開の八重桜に参加者は表情をほころばせる

 
橋野鉄鉱山がデザインされたパネル前で記念にパチリ

橋野鉄鉱山がデザインされたパネル前で記念にパチリ

 
 2025年度は24回のウオーキング行事を計画。釜石市内だけでなく、岩手県内各地の協会主催行事にも参加する。6月には「魹ケ崎灯台散策ウオーク」(宮古市重茂・姉吉キャンプ場駐車場集合)や「栗林・大沢川流域化石探訪ウオーク」(釜石市栗林町・砂子畑集会所集合)を予定。9月には三陸鉄道の旅と「三陸大王杉」(大船渡市三陸町越喜来)の見物を楽しむ企画を用意。10月実施の「鉄と魚とラグビーのまち釜石潮騒ウオーク」は、今回と同じく橋野鉄鉱山世界遺産登録10周年記念の冠を掲げる。

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「あったね~」「これ何?」 昭和の家電が面白い! 釜石・郷土資料館で6月1日まで遺産展

“昭和100年”にちなんだ市郷土資料館の収蔵資料展。暮らしを豊かにした電化製品などが並ぶ

“昭和100年”にちなんだ市郷土資料館の収蔵資料展。暮らしを豊かにした電化製品などが並ぶ

 
 日本の高度経済成長に代表される「昭和」の時代―。その昭和が始まった1926年から数えて100年目の今年、当時の出来事や流行に触れる機会が増えている。釜石市鈴子町の市郷土資料館(小笠原太館長)では、昭和の時代に製造、利用された家電(家庭用電化製品)を集めた遺産展を開催中。“昭和世代”には懐かしく、平成・令和生まれには新鮮な驚きがある空間となっている。6月1日まで開催する。
 
 本年度の同館収蔵資料展の一環として開催。展示資料47点は市民から寄贈されたもので、普段は非公開の品々だ。会場には衣食住のほか、娯楽に関わる製品が並ぶ。家電は戦前から製造されていたが、戦中は“ぜいたく品”として、ラジオなどを除き、製造販売が制限されていたという。一般家庭に広く普及していったのは戦後。洗濯機、冷蔵庫、炊飯器などの便利品が家事労働の負担を軽減した。
 
洗濯機や掃除機の商品カタログをパネル化して展示。「ザ・昭和」を感じる

洗濯機や掃除機の商品カタログをパネル化して展示。「ザ・昭和」を感じる

 
昭和の時代に製造された家庭用電化製品の数々を展示する会場

昭和の時代に製造された家庭用電化製品の数々を展示する会場

 
 炊飯器は火力調整が必要なガスから電気に。1955(昭和30)年、国産初の自動式電気炊飯器が登場。後に、炊飯と保温が一体化したジャー炊飯器、内釜全体を発熱させるIH(電磁誘導加熱)炊飯器が登場した。家庭用電子レンジは65(昭40)年に初めて発売されたが、当初は価格が高く、普及が進まなかった。76(昭51)年に低価格のファミリータイプが発売され、購入層が拡大した。今回の展示では、20年ほど前まで使われていたという、ごく初期の電子レンジも見ることができる。
 
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重量感たっぷりの電子レンジ(左)。約20年前まで“現役”だったという

 
 家事が楽になり、時間的余裕が生まれると、娯楽に関する製品が増えていった。53(昭28)年の国内テレビ放送の開始で、ブラウン管の白黒テレビが出始めたが、当時は高価。60(昭35)年のカラーテレビ放送開始、64(昭39)年の東京五輪開催がテレビの普及を後押しした。70(昭45)年代に入ると、カラーテレビの価格が下がり、“一家に一台”時代を迎える。これに伴い、家庭用ビデオデッキやテレビゲーム機も登場。83(昭58)年発売、任天堂のファミコン(ファミリーコンピューター)は一世を風靡(ふうび)した。
 
4本脚の白黒テレビ(左)とカラーテレビ(右)。当時はダイヤル式のつまみを回してチャンネルを変えていた

4本脚の白黒テレビ(左)とカラーテレビ(右)。当時はダイヤル式のつまみを回してチャンネルを変えていた

 
 今回の展示品で最も古いものとみられるのが、真空管ラジオ。戦後復興期の主流で、55(昭30)年に国内初のトランジスタラジオが発売されると小型・軽量化が進み、ラジオは急速に普及した。その後、カセットテープレコーダーにラジオチューナーを一体化させた「ラジカセ」が発売され、いつでもどこでも気軽に録音・再生が楽しめるようになった。最近、デジタル世代がアナログ音源や機材に興味を持ち、ラジカセで音楽を楽しむ姿もあるという。
 
左から)真空管ラジオ→トランジスタラジオ→ラジカセへと進化。ラジカセは昭和レトロを好む若者にも人気

(左から)真空管ラジオ→トランジスタラジオ→ラジカセへと進化。ラジカセは昭和レトロを好む若者にも人気

 
 家庭用の映像記録の始まりは8ミリフィルムカメラ。撮影した映像は映写機でスクリーンに映して楽しんだ。同機で映画鑑賞も。昭和50年代後半にはビデオテープが普及し、撮影機器も変化していく。写真撮影のフィルムカメラ(二眼レフ)は昭和初期から。一眼レフは昭和30年代に登場し、同50年代にかけてオートフォーカス技術が進化していった。通信技術の遺産はダイヤル式電話機とアマチュア無線機。
 
8ミリフィルム映写機(左)とカメラ(中)。後に簡単操作、高画質のビデオカメラ(右)へ移行していく

8ミリフィルム映写機(左)とカメラ(中)。後に簡単操作、高画質のビデオカメラ(右)へ移行していく

 
ワープロ(左上)、ダイヤル式電話機(右上)、アマチュア無線機(下)。貴重な昭和遺産

ワープロ(左上)、ダイヤル式電話機(右上)、アマチュア無線機(下)。貴重な昭和遺産

 
 会場では昭和家電の商品カタログや取り扱い説明書も展示される。同館の佐々木寿館長補佐は「ラジオやテレビ、写真、ビデオ、電話…。今やスマホ1台でできてしまうことも、昭和のこうした技術の進化が基になっていることを感じてもらえれば」と話す。自分が使っていたものを懐かしんだり、知らない世代には新鮮な発見があったり…。同世代、世代間の会話も弾む展示会となっている。同館の開館時間は午前9時半から午後4時半まで(最終入館:午後4時)。火曜日休館。

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釜石市 プラスチックごみ分別収集開始から1カ月 現状は? 24日から市内8地区で説明会実施

釜石市で地区ごと月1回(土曜日)行われているプラスチックごみの収集=17日

釜石市で地区ごと月1回(土曜日)行われているプラスチックごみの収集=17日

 
 釜石市は本年度4月からプラスチックごみの分別収集を開始した。月1回(地区ごとに定められた土曜日)、すでに実施しているペットボトルと合わせ、同じ日に収集している。地球環境に配慮したプラスチックの再資源化を促し、同市のごみ処理費用を削減するのが大きな目的。開始から1カ月が経過したが、市民からは一般ごみとの分別の判断に迷う声も聞かれる。現状を取材した。
 
 同市が分別収集するプラごみは「プラスチック製容器包装」と「製品プラスチック」。容器包装は「プラ」マーク表示のある食料品や日用品などの容器、包装、緩衝材で、袋やボトル、ケース類、ペットボトルのキャップ・ラベル、発砲スチロール、食品トレイなど。製品プラは「プラ」表示はないが、プラ100%でできていて、大きさ50センチ以下のもの(厚さ5ミリ未満)。例としては食品保存容器や食器、バケツ、CD・DVDなど。収集できるのは食品の油分や塩分が付着していない、洗剤やシャンプーの中身が残っていない…など、いずれも汚れのないきれいな状態のものだけ。
 
 洗ったものは乾かし、容器包装、製品ともに中身を確認できる透明または半透明の袋に入れて、収集日当日午前8時までに集積所に出す。市指定ごみ袋で出す場合は袋に「プラ」と書き、一般ごみではないことを示すと良い。
 
4月から収集を開始した「プラスチック製容器包装(“プラ”表示あり)」と「製品プラスチック(同表示なし)」の例

4月から収集を開始した「プラスチック製容器包装(“プラ”表示あり)」と「製品プラスチック(同表示なし)」の例

 
地区ごとに定められている月1回の収集日(市配布のごみカレンダー参照)午前8時までに出す

地区ごとに定められている月1回の収集日(市配布のごみカレンダー参照)午前8時までに出す

 
市の委託業者「新菱和運送」によるプラごみの収集作業(ペットボトルと同時回収)。17日は車両6台が稼働

市の委託業者「新菱和運送」によるプラごみの収集作業(ペットボトルと同時回収)。17日は車両6台が稼働

 
 市生活環境課によると、4月の収集実績は5日484キロ、12日819キロ、19日1112キロ、26日708キロで、計3123キロ。分別が始まったばかりというのもあるが、「市全体の収集量としてみると、当初見込みよりもまだまだ少ない状況」だという。汚れの付着やプラ以外の混入で資源物にならなかった残渣(ざんさ)は4週で計140キロ。これは「割合としては比較的少なく、気を付けて分別してもらっている印象」と受け止める。
 
 市民からの問い合わせで多いのは、収集可能なプラの判断基準。次の再資源化につなげるためには「完全にきれいなもの」が求められるが、始まったばかりの現時点では市民の対応が追い付かない側面もあることから、「汚れを落とすのに手間や労力を要する場合や、どの程度洗えばいいか迷った時は一般ごみに。まずは分別の意識を高めてもらい、できるところからご協力を」と呼び掛ける。
 
収集した家庭プラごみは岩手資源循環の処理施設(釜石総合リサイクルセンター)に搬入される(17日午前撮影)

収集した家庭プラごみは岩手資源循環の処理施設(釜石総合リサイクルセンター)に搬入される(17日午前撮影)

 
プラごみは検品後、機械に投入。破集袋機で回収時の袋をはずす

プラごみは検品後、機械に投入。破集袋機で回収時の袋をはずす

 
 プラごみは市の収集運搬委託業者(釜石清掃企業、新菱和運送)が収集。リサイクルのための選別、梱包(こんぽう)を請け負う同市平田、岩手資源循環(谷博之代表取締役)の処理施設に持ち込まれる。破集袋機で回収時の袋をはずし、手選別ラインでプラ再生できないものを除去。磁選機で混入金属を回収した後、圧縮梱包機で「プラスチックベール」という固まりする。プラベールは再生事業者に引き渡され、再生プラ製品の一部材料となるペレットや物流パレット(荷役台)に加工される。
 
資源としてプラ再生できないものを人の目で見極め除去する手選別ライン

資源としてプラ再生できないものを人の目で見極め除去する手選別ライン

 
収集時に交じってしまったペットボトルもラインからはずす。ペットボトルは別に梱包するため

収集時に交じってしまったペットボトルもラインからはずす。ペットボトルは別に梱包するため

 
最後は圧縮梱包機で「プラスチックベール」に加工。1個の重さは約250キロ

最後は圧縮梱包機で「プラスチックベール」に加工。1個の重さは約250キロ

 
 同市のプラ分別収集について谷代表取締役は「搬入されているものは非常にきれい」と好感触。ペットボトルと同時収集だが、梱包は“容器包装、製品プラ”と“ペットボトル”それぞれに行うため、「必ず別々の袋に入れて出してほしい」と呼び掛ける。スタート1カ月の搬入量から、「(分別収集を)まだ知らない人が多いのでは。人口規模からすると、月に30トンぐらいは出ると思われるが、今はまだ10分の1程度」と話す。家庭から出るごみの約6割はプラごみ。分別するだけで、一般ごみの量は半分以下になるという。同社では市民の直接搬入も受け入れる(無料)。プラごみ、ペットボトルともに平日(月~金)は午前8時半から午後4時半まで、土曜日は午前8時半から正午まで受け付ける。
 
プラごみの処理作業には社員とパート10人前後があたる(19日午前撮影)

プラごみの処理作業には社員とパート10人前後があたる(19日午前撮影)

 
 2022年4月の「プラスチックに係る資源循環の促進等に関する法律」の施行で、自治体は容器包装プラに加え、製品プラの分別収集・再商品化が努力義務となった。容器包装プラの分別収集は本県33市町村のうち23市町村で開始済み。沿岸南部では大槌町だけが実施していた。釜石市は今回、容器包装と製品両プラの分別収集に着手。同市のごみは3市2町で運営する岩手沿岸南部クリーンセンター(同市平田)で溶融処理するが、プラ分別でセンターに持ち込む量を減らすことで、同市の処理費用の負担割合を減らしたいとの狙いがある。2023年度、同市のごみ処理にかかった費用は約6億1000万円。市民1人あたり、年間約2万円を負担している計算になる。
 
 市生活環境課の二本松史敏課長は「プラ分別の浸透には時間がかかると思うが、市広報などで繰り返し周知しながら、精度も高めていければ」とし、より多くの市民の意識変容、実践に期待する。
 
プラごみ分別収集開始に先駆け、栗林町で開かれた説明会。栗林共栄会が市に要請し開催した=3月30日

プラごみ分別収集開始に先駆け、栗林町で開かれた説明会。栗林共栄会が市に要請し開催した=3月30日

 
 市はプラスチック分別の方法についての住民向け説明会を5月24、25、31日に市内8地区で開催予定。実際にやってみて分からないこと、迷っていることなどを聞いてほしいとしている。日程、場所は市広報5月15日号に掲載している。
 
5月24、25、31日に開かれるプラスチック分別方法の説明会日程

5月24、25、31日に開かれるプラスチック分別方法の説明会日程

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患者に寄り添う心学ぶ 県立釜石病院で看護体験 命に向き合う中高生、やりがい実感

県立釜石病院の看護体験で新生児を抱っこする中学生

県立釜石病院の看護体験で新生児を抱っこする中学生

 
 釜石市甲子町の県立釜石病院(坂下伸夫院長)は14日、ふれあい看護体験を行い、市内の中高生16人が患者への対応や感染防止対策などに理解を深め、命と向き合う仕事のやりがいを体感した。
 
 釜石中、甲子中、釜石高の生徒が参加。白衣に身を包んだ生徒は手洗いや消毒など感染予防対策の重要性を学んだ後、2~5人の班に分かれて病棟や手術室での実習に取り組んだ。
 
手洗いや消毒など座学で得た感染予防対策を実践する生徒たち

手洗いや消毒など座学で得た感染予防対策を実践する生徒たち

 
 小児科、泌尿器科、緩和ケアなどの5病棟では中高生4人が入院患者の手浴に挑戦。緊張しながらも「熱くないですか」などと声をかけ、丁寧に洗った。患者から「気持ちよかった」との気持ちを表現するうなずきが返ってくると、生徒たちは肩の力を緩めた。
 
 食事の配膳、患者役・介助役となり車椅子による移動を体験したり、食事の介助も見学。現役看護師の岡崎琴音さん(27)が「患者さんと向き合う時、見えているところがすべてではない。ほんの小さなことでも変化があれば、他の看護師、医師に伝えたりする。やることに集中しながらも、いろんなところにアンテナをはるのが大事。看護の難しいところであり、やりがいでもある」と、自分の体験を交えて助言した。
 
現役看護師(左)に教わりながら入院患者の手浴に取り組む

現役看護師(左)に教わりながら入院患者の手浴に取り組む

 
食事を届けて入院患者と触れ合い笑顔を見せる生徒

食事を届けて入院患者と触れ合い笑顔を見せる生徒

 
点滴スタンドを持ちながら車椅子の移動にチャレンジ

点滴スタンドを持ちながら車椅子の移動にチャレンジ

 
 産婦人科の分娩(ぶんべん)業務が休止された同病院では、平日にデイサービス型の産後ケアを開設し、助産師の指導で授乳や入浴などの支援を行っている。この日は休息にやってきた親子がおり、生徒たちは新生児を抱っこする体験も。「かわいい」と愛らしい姿を見つめ、ぬくもりを実感した。
 
緊張!新生児を両腕でしっかり抱っこ…「かわいい」

緊張!新生児を両腕でしっかり抱っこ…「かわいい」

 
沐浴(もくよく)も見学して助産師の仕事に触れた

沐浴(もくよく)も見学して助産師の仕事に触れた

 
 甲子中3年の菊池夏希さん、釜石高3年の伊藤智哉さんはそれぞれ看護師の家族の影響で同じ道を志す。菊池さんは「人に寄り添えるのはすてきなこと。いろんな事に気を付けて、てきぱき動いていてかっこいい」と興味を深めた。伊藤さんは「繊細な仕事のイメージがあったけど、スピード勝負な場面もあると感じた。一人一人に合わせて対応し、ちょっとしたことでも連想して頭を働かせていると知り、新鮮だった。実際の仕事は大変そうというより、楽しい気持ちが強かった。患者さんに『担当してもらえてよかった』と思ってもらえる看護師になりたい」と意欲を高めていた。
 
体験を通して医療現場、看護の仕事に関心を深めた中高生

体験を通して医療現場、看護の仕事に関心を深めた中高生

 
 髙橋佳世子副総看護師長(教育専従看護師兼務)は「体験を通じて患者さんの笑顔に触れ、やりがいを感じ、職業意識を高めてほしい。誰かのためにできる仕事、医療、看護の道を志し、共に岩手で頑張ってもらえたらうれしい」と期待した。
 
 体験は看護週間(11~17日)に合わせて実施。16日にも行われ、高校生16人が参加した。

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活気、熱意込め 11年ぶり みこし行列 館山神社(釜石・平田地区)で例大祭

館山神社例大祭の神輿渡御で笑顔を見せる担ぎ手たち

館山神社例大祭の神輿渡御で笑顔を見せる担ぎ手たち

 
 釜石市平田の館山神社例大祭(実行委員会主催)は11日、2014年以来11年ぶりに行われた。台風災害、新型コロナウイルス禍を経て待望の再開となり、神輿(みこし)渡御や郷土芸能の奉納などで地域は活気に満ちた。東日本大震災の被災地域でもある平田地区では復興事業により街の姿が変化。住民の減少や高齢化なども進み、まつりの参加者確保は厳しくなったが、「復興を祝おう」「今できることをやろう」「子どもたちの記憶に残したい」と熱意を込めた。
 
11年ぶりに行われた「平田まつり」。神輿渡御に活気づく

11年ぶりに行われた「平田まつり」。神輿渡御に活気づく

 
 平田町内会(約280世帯)、平田船頭組合、平田神楽保存会、虎舞の平田青虎会が中心になり、3年に1度行う式年祭。「平田まつり」として親しまれ、地域住民の無病息災、豊漁や航海の安全などを願い、神に感謝を伝えてきた。11年は震災のため見送られ、「古くから親しまれたコースをたどるのは最後…」と復興事業が本格化する直前の14年に祭り行列を行った。
 
 「復興が終わったら」。そうした思いを地域で共有し、予算を積み立てていたが、19年の台風19号による豪雨災害、コロナ禍などで実施できなかった。住民の高齢化が進み、神輿の担ぎ手を集めるのは年々厳しくなる中、住民から「やらないの」「早くやろう」「再開だ」との声があり、復活を果たした。
 
階段は約100段。高台の神社から下りてくる神輿

階段は約100段。高台の神社から下りてくる神輿

 
 館山神社での神事の後、150人余りの行列が出発。ご神体を載せた神輿の担ぎ手たちはかけ声を響かせながら、土地区画整理事業などによって変化した道路、家並みの間を進んだ。
 
 神輿の担ぎ手は約30人。尾崎神社の神輿担ぎ手団体「輿衆(よしゅう)会」の力を借りた。地元企業も協力し、岩手資源循環からは9人が参加。同社の佐々木公輔さん(33)は19年の台風で被災し尾崎白浜地区から移り住み、初めての平田まつり。「久しぶりにやる祭りで神輿を担げてうれしい。隣近所とはあいさつ程度の交流なので、祭りを通して関係が深まる機会になればいい」と話し、担ぎ棒にぐっと肩をあてた。
 
新しいまちを進む神輿。「復興が終わったら」を実現した

新しいまちを進む神輿。「復興が終わったら」を実現した

 
神輿が通ると手を合わせ、願いを込めた。「みなが元気で」

神輿が通ると手を合わせ、願いを込めた。「みなが元気で」

 
 「御旅所」とする釜石祥雲支援学校や荒神社、釜石湾漁協では地域の代表らが神輿に玉串をささげ平穏を祈願し、神楽や虎舞を奉納。見守る住民らも一緒に手を合わせたり、勇壮、華麗な舞、威勢のいいおはやしに心を躍らせた。
 
地域の芸能団体も加わった神輿行列が練り歩く

地域の芸能団体も加わった神輿行列が練り歩く

 
白装束で厳かに神輿渡御。芸能団体は華やかに彩りを添える

白装束で厳かに神輿渡御。芸能団体は華やかに彩りを添える

 
御旅所では芸能団体が虎舞や神楽を奉納した

御旅所では芸能団体が虎舞や神楽を奉納した

 
 漁港にはお祭り広場が設けられ、ステージ上では平田こども園の園児らによる「ちびっこ虎舞」や唐丹町の鼓舞桜会の桜舞太鼓などが繰り広げられた。行列をはやし立てた虎舞は地域を盛り上げる演舞を披露。行列に彩りを添えた平田神楽は伝承する祝いの舞を届けた。
 
 支援学校そばにある復興住宅で暮らす佐々木真里子さん(77)は「祭り大好き。わくわくして楽しい気分。感動した」とにこやかに笑った。行列に参加する子や孫の姿を見つめた礼ケ口町の80代夫婦は「かっこいいね。家族がみんな健康であればいい」と願った。「思い出、写真の1枚もない。海に持っていかれた」と70代男性はつぶやきつつ、「いい祭りだ。久しぶりに顔を合わせた人もいる」と満足そうだった。
 
お祭り広場ではちびっこ虎舞や祝いの舞が披露された

お祭り広場ではちびっこ虎舞や祝いの舞が披露された

 
芸能団体の演舞を楽しむ大勢の人でにぎわった

芸能団体の演舞を楽しむ大勢の人でにぎわった

 
 「懐かしい」と目を細めたのは久保知久さん(77)。震災前の行列には手踊りなども加わっていてにぎやかだったと教えてくれた。少し寂しさも感じるが、「地域行事は人と人がつながる機会になる。他の地域から来た人たちがなじみ、一緒にまちを盛り上げてもらえれば」と期待した。
 
 行列に加わった子どもたちの多くは今回、初めて地域に祭りがあることを知った。平田神楽の遠藤凜さん(13)は「みんなで踊るのが楽しいし、見てもらえてうれしい。平田にもお祭りがあってすごいと思ったし、もっと好きになった」と破顔。青虎会の福士千尋さん(10)は「太鼓やかけ声を頑張った」と胸を張った。リズムに乗った演舞を繰り広げる大人たちは憧れ。「伝統文化を継ぐ」との思いは強く、「平田の人たちは優しくて好き。いつか自分が盛り上げられるようになりたい」とうなずいた。
 
行列参加者も見物客も関係者も!笑顔が広がる平田まつり

行列参加者も見物客も関係者も!笑顔が広がる平田まつり

 
 平田町内会の中川崇司会長(73)は「こんなにいっぱい集まってくれるとは。年配者が懐かしみ、子どもらに地域の歴史文化を伝え継ぐ機会になった」と話し、充実感をにじませた。震災後、人が変わり、街並みも変わった。住民の減少、高齢化もあり、行列参加者の確保やコースの変更など数カ月前から準備。「陰で支えてくれる多くの力があった」と感謝を口にする。つながりを大事にし、誰もがとけ込める地域づくりは途上。手探りながらも、「新しいまちのひとつのスタート」として復活させた祭りを守っていく構えだ。

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釜石・鵜住居川、甲子川にアユの稚魚放流 釣り解禁はともに7月6日 順調な成育に期待 

鵜住居川漁業協同組合による同川へのアユの稚魚放流=11日

鵜住居川漁業協同組合による同川へのアユの稚魚放流=11日

 
 釜石市の鵜住居川と甲子川に、このほどアユの稚魚が放流された。大船渡市の盛川漁業協同組合で中間育成された体長約7~8センチの稚魚を両河川の関係者が放流。釣り解禁日はともに7月6日。稚魚の繁殖保護のため、6月1日から解禁日前日まで全魚種が禁漁となる。(区域は現地の立て看板などを参照)
 
 鵜住居川への放流は11日、鵜住居川漁業協同組合(川崎公夫代表理事組合長、組合員153人)の組合員約30人によって行われた。鵜住居町の日ノ神橋下流域から橋野町の産直・橋野どんぐり広場付近までの区間18カ所に、重量にして400キロ(約4万6500尾)を放流した。稚魚は、人工放流のない三陸の河川に遡上する天然魚の卵から育ったもので、一尾平均8.6グラム。
 
 組合員らは2班に分かれて作業。稚魚を積んだトラックからバケツリレー、またはホースを延ばして放流した。稚魚購入代など放流にかかる費用は組合費、一般釣り客の遊漁料、関係企業・団体からの協力金で賄われている。
 
組合員らがバケツリレーで川岸まで稚魚を運んで放流=日ノ神橋下流

組合員らがバケツリレーで川岸まで稚魚を運んで放流=日ノ神橋下流

 
稚魚が入ったバケツをロープにくくり付け、慎重に下ろす=雲南橋

稚魚が入ったバケツをロープにくくり付け、慎重に下ろす=雲南橋

 
「解禁日に会おう!」順調に育つよう願いを込めながら…=住川橋

「解禁日に会おう!」順調に育つよう願いを込めながら…=住川橋

 
 同組合によると、昨季のアユ釣りは釣果、型ともに上々。遊漁券の売り上げは前年を若干上回り、過去最高を更新した。集客の要因の一つが「釣り場への入りやすさ」。例年、シーズン前に同組合や流域の各地区、県の委託業者が環境整備の一環で土手や河川敷の草刈りを行っていて、釣り客の評価も高い。
 
 川崎組合長は「河川も漁協経営は厳しい状況。沿岸地域の人口減もあり、全体的に釣り客は減っている。市外からもどんどん来ていただき、鵜住居川での釣りを楽しんでもらえれば」と期待する。本年度の組合員費は年間5000円。一般遊漁料は年券が7000円、日券が1500円。遊漁券は市内釣具店や流域の赤いのぼり旗を掲げた販売所のほか、スマホアプリ「フィッシュパス」で購入可能。
 
今季のアユ釣りを楽しみにする組合員ら。川の状態も確認(写真左)

今季のアユ釣りを楽しみにする組合員ら。川の状態も確認(写真左)

 
 一方、甲子川への放流は12日に行われた。甲子川鮎釣協力会(安久津吉延会長)、甲子地域会議、クボタ環境エンジニアリングの三者で実施。約20人が放流にあたった。2班に分かれ、上流は甲子町砂子渡付近から、下流は源太沢町と礼ケ口町の中間地点からそれぞれ甲子町松倉までの区間、計21カ所で計250キロ(約3万2000尾)を放流した。稚魚は盛川漁協から購入した。一尾平均7.8グラム。
 
甲子川鮎釣協力会などが行ったアユの稚魚放流=12日、松倉橋上流

甲子川鮎釣協力会などが行ったアユの稚魚放流=12日、松倉橋上流

 
 同協力会の安久津会長は「昨年の釣果は雨や気温の上下が激しかった関係で全体的に良くなかった。それでも大きいものでは22~23センチのものも。甲子川は水質が良く、アユの餌となるいいコケが育つので、味はおいしいと言われる」とし、今季の集客に期待を寄せる。
 
 甲子川には河川漁協がなく、入漁料を徴収しないため、稚魚の放流は同協力会に寄せられる釣り人らの協力金や企業の寄付金などで支えられる。250キロの放流は昨年と同じ量となる。例年だと、解禁日には16~18センチほどに成長する見込み。
 
最後はトラックの水槽からホースを延ばして稚魚を送り出した=松倉橋下流

最後はトラックの水槽からホースを延ばして稚魚を送り出した=松倉橋下流

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花の見頃はお預けもにぎわい 「橋野鉄鉱山」で八重桜まつり 世界遺産登録10周年をお祝い

春恒例の「橋野鉄鉱山」八重桜まつり。今年は世界遺産登録10周年も祝って開催。約500人が楽しんだ

春恒例の「橋野鉄鉱山」八重桜まつり。今年は世界遺産登録10周年も祝って開催。約500人が楽しんだ

 
 釜石市橋野町青ノ木の世界遺産「橋野鉄鉱山」で11日、八重桜まつりが開かれた。地元住民組織、橋野町振興協議会(菊池郁夫会長)と栗橋地区まちづくり会議(洞口政伸議長)が主催する、この時期恒例のイベント。遺産エリア周辺の八重桜は大型連休後半から続いた低温や降雨の影響で開花が遅れ、花の見頃はお預けとなったが、訪れた人たちは餅まきや豚汁の振る舞い、高炉場跡のガイドツアーなどを楽しんだ。橋野鉄鉱山は今年7月で世界遺産登録から10周年を迎える。
 
 釜石観光ガイド会(瀬戸元会長、32人)による高炉場跡の見学ツアーでは、2人のガイドがインフォメーションセンターから希望者を案内し、史跡エリアに向かった。同会の川崎孝生副会長(84)は同所で鉄づくりが始まったきっかけ、1~3番高炉の稼働状況、高炉周辺にあった種砕水車場、長屋や御日払所などの役割を説明。良質な鉄鉱石の産出、燃料の木炭材料となる豊かな森林資源、高炉操業に必要な水車を回す水流(二又沢川)があったことで、一大製鉄産業が実現したことを教えた。
 
明治日本の産業革命遺産(8県11市23資産)の構成資産の一つ「橋野鉄鉱山」。見学エリアには3基の高炉の石組みなどが残る

明治日本の産業革命遺産(8県11市23資産)の構成資産の一つ「橋野鉄鉱山」。見学エリアには3基の高炉の石組みなどが残る

 
釜石観光ガイド会会員が当時の鉄づくりや操業規模などを説明。参加者は同所の歴史的意義も学んだ

釜石観光ガイド会会員が当時の鉄づくりや操業規模などを説明。参加者は同所の歴史的意義も学んだ

 
 釜石市内から足を運んだ紺野和子さん(45)は同ガイドツアーに初めて参加。子どもたちが学校で釜石の製鉄の歴史を学び、鉄の検定を受けてきたこともあり、「子ども伝いに話は聞いていた」が、ガイドの解説でさらに理解を深めた様子。「『へえ~』というのがいっぱいありました」と声を弾ませ、「橋野は(四季のイベント開催などで)PRも頑張っている印象。世界遺産登録10周年を機に、より多くの人にここの魅力を知ってほしい」と願った。
 
 まつり恒例の餅まきには幅広い年代が集まった。同振興協の菊池会長(70)ら地域の代表がトラックの荷台に上がり、「橋野鉄鉱山世界遺産登録10周年、おめでとうございます」との掛け声を合図に約800個の紅白餅をまいた。
 
大勢の人たちが楽しんだ餅まき。同まつりで長年続くおもてなし

大勢の人たちが楽しんだ餅まき。同まつりで長年続くおもてなし

 
子どもたちも手提げ袋を手に「こっちにも~」。たくさんの笑顔が広がった

子どもたちも手提げ袋を手に「こっちにも~」。たくさんの笑顔が広がった

 
 同振興協女性部が調理した豚汁のお振る舞いには、今年も長い列ができた。12の具材には地元産の山菜ウルイ、ワラビ、フキも入り、春ならではの味を提供。手作りみそで仕上げた豚汁は来場者に好評で、この味を楽しみに毎年足を運ぶ人も多い。会場内では大槌町のバンド「ZENBEY絆」の演奏や釜石市の女形舞踊・尚玉泉さんの踊りもあり、まつりを盛り上げた。
 
具だくさんの豚汁(右下)を求めて順番待ちの列に並ぶ来場者

具だくさんの豚汁(右下)を求めて順番待ちの列に並ぶ来場者

 
この日は寒さを感じる気候。豚汁が来場者の体を温めた

この日は寒さを感じる気候。豚汁が来場者の体を温めた

 
昨年からまつりを華やかに盛り上げる尚玉泉さん。スマホカメラを向けて楽しむ人も

昨年からまつりを華やかに盛り上げる尚玉泉さん。スマホカメラを向けて楽しむ人も

 
 大槌町の黒澤典子さん(61)は母スワさん(92)を連れて来場。「花は残念だったけど、おいしい豚汁をいただき、餅まきやバンド演奏もあって楽しめた。いい『母の日』になりました」と典子さん。初めて訪れたスワさんも「とてもいい時間を過ごせた」と笑顔を重ね、「(八重桜が)満開の時にまたぜひ」と再訪を望んだ。
 
 同所の八重桜は1980年代に釜石ライオンズクラブが植樹。橋野鉄鉱山が世界遺産登録された2015年には同振興協が新たな植樹を行い、若木も花を咲かせている。インフォメーションセンタースタッフによると、昨年のまつり開催日(12日)は散り始めていたが、今年は開催日前1週間に寒さが続いたため、咲き始めたのは前日から。当日も曇り空で気温が低く、にわか雨や風もあって、多くがつぼみ状態だった。天気予報によると、今後1週間は最高気温が20度超えの日が続く予想で、一気に開花が進むとみられる。
 
咲き始めたばかりの八重桜=11日午前。14日には4分咲きまで進んだ。週末には見頃を迎えそう

咲き始めたばかりの八重桜=11日午前。14日には4分咲きまで進んだ。週末には見頃を迎えそう

 
 同まつりは地域活性化などを目的に2007年にスタート。震災やコロナ禍での中止以外は毎年継続している。同振興協の菊池会長は「天気は悪かったが、大勢のお客さまに来ていただき、ありがたい。皆さんに愛されているまつりと実感する」と感謝。世界遺産登録10周年を迎える今年は、市主催の記念行事も多数計画される。「登録当初は年間1万人を超える来訪があったが、今は減っている。われわれ地元も市と連携しながら、少しでも来訪者増につながるよう魅力を高める取り組みを行っていきたい」と意気込む。

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水辺の生き物続々 根浜ビオトープ開設1周年 観察&環境整備で今後の多様性に期待

根浜ビオトープに生息する生き物をタッチプールで観察=6日

根浜ビオトープに生息する生き物をタッチプールで観察=6日

 
 釜石市鵜住居町の根浜海岸観光施設「根浜シーサイド」内に昨年4月、整備されたビオトープ(生物生息空間)で6日、開設1周年記念イベントが開かれた。沢水が流れ込む大きな池にはこの1年の間にカエルやイモリなどがすみ付いていて、集まった家族連れらが生き物観察を楽しんだ。さらに種類や数が増えることを願い、記念植樹も実施。同所を管理する根浜シーサイドなどは今後、定期的にモニタリング観察会を開き、生き物の生息状況の推移を見守っていく方針だ。
 
 同ビオトープは、東日本大震災の津波で失われた水辺環境と生態系を復活させ、自然との触れ合いや環境教育の場にしようと作られた。同施設の市指定管理者かまいしDMC(河東英宜代表取締役)と市民団体かまいし環境ネットワーク(加藤直子代表)が、多目的広場(運動場)西側の山林隣接地を市から借用して整備。約80平方メートルの敷地には、山からの沢水が循環する大型の池が設置されている。
 
 1周年イベントには市内外から親子連れなど約60人が参加。池に生息しているヤマアカガエルのオタマジャクシ、アカハライモリがタッチプールに放たれ、参加者が見て触れて姿かたちを確認した。最初は恐る恐るだった子どもも、慣れてくると手のひらに乗せてじっくり観察。やさしくなでたりしながら“小さな命”を体感した。
 
オタマジャクシを手のひらに乗せ、間近で観察。触感も確かめる

オタマジャクシを手のひらに乗せ、間近で観察。触感も確かめる

 
活発に動き回るアカハライモリに興味津々

活発に動き回るアカハライモリに興味津々

 
 池へとつながる小川では、トウホクサンショウウオとヤマアカガエルの卵も観察した。ともにゼリー状の物質に覆われているが、トウホクサンショウウオはバナナ形の「卵のう」の中に卵が入っているのに対し、ヤマアカガエルは大きな塊状の「卵塊」で産み付けられていて、形状や触感の違いを確かめた。
 
トウホクサンショウウオの卵(左上)とヤマアカガエルの卵(左下)。「プ二プ二」「ヌルヌル」… 触った子どもたちの感想もさまざま

トウホクサンショウウオの卵(左上)とヤマアカガエルの卵(左下)。「プ二プ二」「ヌルヌル」… 触った子どもたちの感想もさまざま

 
 陸前高田市の臼井航太郎さん(6)は「生き物を捕まえたりするのが楽しい。カエルの卵はぬるぬるして気持ち悪かった。カエルになった時にまた見に来たい」と目を輝かせた。家族で訪れ、前日から施設内でキャンプを満喫。イベントを知り足を運んだ。母真美さん(40)は「身近に生き物と触れ合える場所は少なくなってきている。ここは観察しやすくてとてもいい場所」と感激。「家ではスマホやタブレットで何かしていることが多い。キャンプも自然と触れ合ってほしいとの思いから」。生き物に夢中の愛息を温かく見守り、「次に図鑑を見る時には今日見た生き物を思い出してくれそう」と喜んだ。
 
池のほとりから目を凝らし生き物を探す子どもら

池のほとりから目を凝らし生き物を探す子どもら

 
身近な生き物との触れ合いは今や貴重な体験。親子の思い出づくりにも

身近な生き物との触れ合いは今や貴重な体験。親子の思い出づくりにも

 
 同所一帯には震災前、根浜地区の集落があり、田んぼも広がっていた。多様な生き物が生息していたが、津波で全て流失。住民らは高台移転し、跡地には同観光施設が整備された。ビオトープの整備地周辺には被災後も山から流れ出る沢水で湿地が形成されていたことから、これを活用して生息空間の再生が図られた。
 
 同環境ネットワークによるとこの1年で、カエル類では他にシュレーゲルアオガエル、ニホンアマガエル、タゴガエル(鳴き声のみ)の生息を確認。トンボ類ではオオルリボシヤンマ、シオカラトンボ、ウスバキトンボの姿も確認されているという。この日は事前に捕獲したシュレーゲルアオガエルの成体、オオルリボシヤンマのヤゴ(幼虫)も参加者に見てもらった。
 
今夏、羽化するとみられるオオルリボシヤンマのヤゴ(左上)。鮮やかな体色が目を引くシュレーゲルアオガエル(右上)。生き物は観察後、再び池に放した

今夏、羽化するとみられるオオルリボシヤンマのヤゴ(左上)。鮮やかな体色が目を引くシュレーゲルアオガエル(右上)。生き物は観察後、再び池に放した

 
昨年4月に完成した根浜ビオトープ。豊かな生態系の復活に期待

昨年4月に完成した根浜ビオトープ。豊かな生態系の復活に期待

 
 「たった1年でこれだけの生き物が見られるようになったのはびっくり」と加藤代表(78)。予想では「もっとかかると思っていた」が、2年目の今春、池には大量のカエルの卵が産み付けられた。「生き物がこの池を待っていたんだろうね」。確信が現実となり安心した様子で、「水草や周辺の草が増え、生き物の隠れ家ができてくれば、集まってくる種類もさらに多くなるのでは」と期待感を高めた。
 
 トンボや野鳥に詳しい同ネットワーク会員の菊地利明さん(60)は「トンボは水の匂いと光の反射で水辺を察知して飛んでくると言われている。鳥がカエルの卵などを水かきに絡ませて飛び、遠く離れた水辺に着水することで、それまで見られなかった種が突然見られるようになることも」と話し、今後の生態系の推移に注目する。
 
 この日は生き物観察のほかに記念植樹も行われた。池の周辺に植えられたのは、国蝶のオオムラサキが卵を産み付けることで知られる「エゾエノキ」の幼木2本。菊地さんが日向ダム周辺で育つ木の種を育て、3~4年が経過したもので、同ネットワーク会員らが協力して植え付けた。周りにはシカよけ用のネットも張り、順調に育つように保護した。いつかオオムラサキの滑空が見られる日がくるかも…。
 
植樹するエゾエノキについて説明する菊地利明さん(右)。エゾエノキには国蝶「オオムラサキ」が卵を産み付ける

植樹するエゾエノキについて説明する菊地利明さん(右)。エゾエノキには国蝶「オオムラサキ」が卵を産み付ける

 
植えたエゾエノキの周りにシカよけのネットを張る、かまいし環境ネットワークの会員ら

植えたエゾエノキの周りにシカよけのネットを張る、かまいし環境ネットワークの会員ら

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マグロ、毛ガニ…海産物で「魚のまち」アピール 釜石で春まつり 観光客でにぎわう

かまいし春まつりで買い物客を沸かせたマグロの解体ショー=4日

かまいし春まつりで買い物客を沸かせたマグロの解体ショー=4日

 
 5月の大型連休中の3、4日、釜石市鈴子町の釜石駅前周辺で「かまいし春まつり」(釜石観光物産協会主催)が開かれた。駅前橋上市場サン・フィッシュ釜石では海の恵みを体感する多彩な企画を展開。駅に隣接する観光物産施設シープラザ釜石の西側駐車場には出店ブースや遊びのコーナーが設けられ、市内外から訪れた観光客が思い思いに楽しんだ。
 
 サン・フィッシュでは「魚のまち」をアピールする催しを多数用意。地元で水揚げされた新鮮な魚介類を市価の半額ほどの“浜値”で販売し、その場で焼いて食べられる「浜焼き」を提供した。毛ガニ釣りチャレンジは好評で、4日は開始早々に終了。マダコやトゲクリガニ、リュウグウハゼなどの釜石海域の生き物に触れられるタッチプール(岩手大釜石キャンパスが協力)は子どもたちの人気を集めた。
 
海の生き物に触れられるタッチプールは子どもに大人気

海の生き物に触れられるタッチプールは子どもに大人気

 
毛ガニ釣りに挑む子どもたちに周囲の大人が声援を送る

毛ガニ釣りに挑む子どもたちに周囲の大人が声援を送る
 
マグロの重さ当てクイズも。じっと目を凝らす挑戦者

マグロの重さ当てクイズも。じっと目を凝らす挑戦者

 
 4日、大にぎわいとなったのはマグロの解体ショー。施設を運営する釜石駅前商業協同組合の八幡雪夫理事長が中心となって、長崎・五島産の養殖クロマグロ(ホンマグロ)を出刃包丁などで手際よくさばいた。
 
多くの見物客でにぎわったマグロ解体ショー

多くの見物客でにぎわったマグロ解体ショー

 
 「脂、ヤバー」。頭やカマ、身を切り落とす度に、買い物客から歓声が上がった。解体後は大トロや中トロ、赤身に切り分けてパック詰めされ、安価で販売。解体を見守っていた人らが次々と買い求めた。
 
マグロの解体ショーを通じて触れ合う鮮魚店と買い物客ら

マグロの解体ショーを通じて触れ合う鮮魚店と買い物客ら

 
解体後、マグロを買い求める人たちで長い列ができた

解体後、マグロを買い求める人たちで長い列ができた

 
 マグロの重さ当てクイズも行われ、269人が挑んだ。「55キロ」とぴったり当てた2人にはトロと赤身の「サク」の詰め合わせをプレゼント。「当たっちゃった」と驚く神奈川県藤沢市の会社員八木俊明さん(44)は思いがけない戦利品を手に、「刺し身にして味わう」と頬を緩めた。妻の実家への帰省に合わせ、毎年この時期に来釜。「海鮮はおいしいし、山と海の景色もすごくいい。落ち着く」と目を細めた。
 
 八幡理事長は「どこから人がくるのか…ありがたい。いかにして人を集めるか、周辺施設や行政、出店者らの協力があってこそ」と予想以上の人出に手応えを口にした。漁獲量の減少、水揚げされる魚種の変化への対応など鮮魚店の経営は厳しさもあるが、「駅前を盛り上げたい」との思いは変わらず、「計画中」という秋のイベントに向け、早くも腕をまくった。
 
春の陽気と食を楽しむ家族連れでにぎわった

春の陽気と食を楽しむ家族連れでにぎわった

 
 春まつり開催中は晴れの日が続き、行楽日和となった。屋外では串焼きやかき氷などを味わったり、ゴーカートなど子ども用の乗り物での走行を楽しむ家族連れらでにぎわった。

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真っすぐ、時に曲がりながら 若者が刻む田んぼのリズム 釜石で田植え体験イベント

独特のリズム⁉田植え体験で参加者が描いた苗の点線

独特のリズム⁉田植え体験で参加者が描いた苗の点線

 
 釜石市甲子町の水田で3日、県内外の若者たちが田植えに取り組んだ。青々と成長した「ひとめぼれ」の苗を積んだ田植え機での作業に挑戦。真っすぐだったり、曲がりくねったりと多彩な苗の点描が現れた。電子音楽と食を組み合わせた体験型イベント「DEN DEN GAKU」での一場面。農作業を通じ自然や人との触れ合いも楽しんだ。
 
 小佐野町でゲストハウスを運営する「シェアヴィラやまとき」代表の大井祥紀(よしき)さん(30)を中心とする企画。田植えとのかかわりがあるとされる日本古来の伝統芸能「田楽」に、現代の感性を取り入れた新しい体験を提案するのが狙いで、東京を拠点に活動を展開するクリエイティブチーム「ノット」とタッグを組んだ。
 
 体験の場は「やまとき田んぼ」(約40アール)。生まれは釜石だが、育ちや生活拠点は首都圏の大井さんが昨年から挑むコメ作りの場で、祖父(故人)から引き継いだ大切な水田だ。この日は、水を張った17アールの田んぼで作業。大井さんの実演後、希望者が小型の田植え機を動かした。
 
田植え体験をした「やまとき田んぼ」。周囲には豊かな自然が広がる

田植え体験をした「やまとき田んぼ」。周囲には豊かな自然が広がる

 
コメ作り2年目の大井祥紀さんが描く線は真っすぐのびる

コメ作り2年目の大井祥紀さんが描く線は真っすぐのびる

 
大井さんにアドバイスを受けながら機械を動かす参加者

大井さんにアドバイスを受けながら機械を動かす参加者

 
 山形県にある東北芸術工科大デザイン工学部3年の星川涼介さん(20)、小林晴(はる)さん(20)は農業初体験。農機の操縦も初めてだったが、「ゆっくり、気張らず。ちょっとずれてもいいから」「植える先、前を見て」とのアドバイスを受けて気楽に挑み、「楽しい」と声をそろえた。「コメ農家は就きたい仕事のイメージがなかった」と本音を明かしつつ、「育ったコメを食べたい」「自然が豊かで、ジブリみたい。ひとときでも現実から離れ、リフレッシュになる」と、農業に対する好感を植え付けた。
 
田植え機の操縦を丁寧に教える大井さん(右)

田植え機の操縦を丁寧に教える大井さん(右)

 
田んぼに足を踏み入れ、泥の不思議な感覚を楽しむ

田んぼに足を踏み入れ、泥の不思議な感覚を楽しむ

 
 田植え体験は午前中に始まり、昼休みには野外でバーベキューを堪能。午後の作業時にはノットが電子音楽を響かせる中、首都圏などから訪れた若者ら約30人が機械を動かしたり、作業の進み具合を見守ったりした。
 
コメ作り拠点となる施設の前で食と音楽を楽しむ

コメ作り拠点となる施設の前で食と音楽を楽しむ

 
特設の音楽ブースの奥で田植え機が行き交う

特設の音楽ブースの奥で田植え機が行き交う

 
 「みんなでやるから楽しい」。参加者の様子を見つめながら、大井さんは実感した。「コメ農家は辞めていく人も多く、衰退してしまう」と危機感を抱き、「みんなで楽しんでやる農業を広げたい。(祖父が残してくれた)田んぼがちょうどいい広さで、自分も楽しみながらできる。こういう形なら、農業も残っていくのでは」と考えている。
 
 コメ作りへの挑戦には地域の協力も欠かせない。苗を提供するのは、甲子町の農業佐々木隆さん(83)。大井さんの祖父の代からの付き合いだといい、若い挑戦者をあたたかく見守る。「新規に従事する人が増えるのは、いいことだ。パワーがあり、研究も熱心。販売網などアイデアも持っている。若い人の力を借りながらでなければ、やっていけない」と歓迎。若者たちが田んぼに描いた点線に目を向け、「秋に応えてもらえるよう、丁寧にやらないと」と助言を残した。
 
田植え機を動かす大井さん。地域の力も借りて挑戦を続ける

田植え機を動かす大井さん。地域の力も借りて挑戦を続ける

 
 やまとき田んぼでの田植え作業は今月いっぱい続く見込みで、地元の子どもたちも手伝う予定。大井さんはこうした農業体験のほか、ゲストハウスを拠点に首都圏の人との交流など活動を広げていく考えだ。