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“つくる”にありがたみを感じて 釜石・浜千鳥、体験塾で酒米「吟ぎんが」稲刈り

浜千鳥酒造り体験塾で稲刈りに取り組む参加者

浜千鳥酒造り体験塾で稲刈りに取り組む参加者

 
 釜石市小川町の酒造会社「浜千鳥」(新里進社長)が原料とする酒米の稲刈りが9月28日、大槌町の契約農家の田んぼであった。同社が企画する「酒造り体験塾」の第2弾プログラムとし、親子連れら約90人が参加。実りの秋を体感した。一方、供給不足や価格高騰など昨今のコメ問題と、その動向が気になる消費者の目線を持つ人もいて、「酒米だけど、コメのありがたみを感じる」と、動かす手に丁寧さを加えた。
 
 体験の場は、同社に酒米を提供する佐々木重吾さん(68)の田んぼ(約7アール)。5月に体験塾参加者らが「吟ぎんが」という品種を手植えしていた。佐々木さんから説明を受けた後、参加者が田んぼに入り、実りの時期を迎えた稲穂を鎌で収穫。刈り取った穂は束ねて天日干し用に組んだ棒に「はせがけ」した。
 
黄金色に輝く稲穂に頬を緩めながら刈り取り作業に汗を流す

黄金色に輝く稲穂に頬を緩めながら刈り取り作業に汗を流す

 
田んぼで育てた稲を刈り、わらで束ねて運んで、はせがけ

田んぼで育てた稲を刈り、わらで束ねて運んで、はせがけ

 
稲刈りに精を出す父親の傍らに子どもの姿。ほのぼの

稲刈りに精を出す父親の傍らに子どもの姿。ほのぼの

 
 大船渡市の小学生中島龍司さん(8)は田植えにも参加していて、その時に作業した辺りの稲を刈り取った。「大きくなっていて、うれしかった。切る時に鎌を引いたりするのが難しかったけど、楽しい」とにっこり。母の愛海さん(30)は「お酒になるものだけど、コメの成長過程を知ることができた。普段食べているコメへの気持ちも違ってくる」とうなずいた。
 
稲の刈り取りに挑戦する子どもたち。実りの秋を体感

稲の刈り取りに挑戦する子どもたち。実りの秋を体感

 
 佐々木さんによると、この田んぼの実りは猛暑の影響を受けた。すぐ隣には自家用米を植えているが、よく見ると穂の垂れ具合に違いがある。酒米用は穂が短かったり、垂れていない株もあったり。例年と同じ方法で育てたが、「田んぼに有機物を入れているかの差」が今年の夏は顕著に出た形だといい、「植物、作物を育てるためには寄り添わなければいけないと改めて感じた。土が本来持っている力を発揮できるよう、勉強しながら試行していく」と腕をまくる。
 
体験会場となった田んぼで育った酒米「吟ぎんが」の穂

体験会場となった田んぼで育った酒米「吟ぎんが」の穂

 
 生産者の思いにも触れた釜石市の会社員三野宮孝志さん(53)は「コメもお酒も苦労してつくっている人がいる。食べて、飲める、ありがたみを感じながら取り組んでいる」と話し、額の汗をぬぐった。体験塾を通して酒造りの一端に関わることができ、「感動ひとしお」と破顔。吟ぎんがを使った同社の「ゆめほなみ」について「フルーティーで香り高く、ワインみたい」と評し、今年のコメで仕込んだ一品を楽しみに待つ。
 
実りに感謝!酒米の収穫を喜ぶ参加者

実りに感謝!酒米の収穫を喜ぶ参加者

 
稲刈りの作業後には餅つきも楽しんだ

稲刈りの作業後には餅つきも楽しんだ

 
 佐々木さんが会長を務める大槌酒米研究会では今年、6個人1法人が同社に供給する吟ぎんがを栽培し、合わせて約20ヘクタールを作付けした。9月上旬から稲刈りを始めており、「猛暑の中でも割と順調に育ち、平年並みの収量になる」と見込む。
 
 一方で、気になるのがコメの価格高騰。全国的には酒米から食用米の生産へ切り替える農家が増えているというが、「大槌は微増」と佐々木さん。体験塾を通じ、酒を造る人やコメを作る人、消費者、地域住民など多様な関わりが生まれていると感じていて、「浜千鳥は土地柄がよく出た、地元に定着している酒。協同することは、人にとっても地域にとってもの元気の素になる。これからも貢献できれば」と話した。
 
酒造り、米作りに気持ちを合わせる新里進社長(左の写真)と佐々木重吾さん(右の写真、右)

酒造り、米作りに気持ちを合わせる新里進社長(左の写真)と佐々木重吾さん(右の写真、右)

 
 同社では2003年から大槌産酒米・吟ぎんがを使った酒造りを続ける。ゆめほなみのほか「純米大吟醸」「特別純米酒」、大槌・源水地区の湧水で仕込んだ地域おこし酒「源水」などにも広げており、今では同社が使うコメの半数を占める。ただ、コメ不足から続く主食用米の価格高騰のあおりを受ける形で酒米の価格も上がっているのが、懸念材料に。新里社長は「地元のもので酒を造る。地酒メーカーとして大切にするコンセプト。この主力米を大事にしながら、いい酒を造っていくのは変わらない」と力を込める。
 
 この体験塾は、酒造りの工程や同社が込める思い、そして日本酒への理解を深めてもらうための企画。今後、「仕込み」「しぼり」体験を予定する。

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「釜石よいさ」現行の形に一区切り 実行委解散へ 踊り継ぐ方法、開催意義考える機会に

社員の子どもたちも参加し、踊りを楽しむ日本製鉄グループ=第34回釜石よいさ

社員の子どもたちも参加し、踊りを楽しむ日本製鉄グループ=第34回釜石よいさ

 
 第34回釜石よいさ(同実行委主催)は9月23日、釜石市の釜石鵜住居復興スタジアムで開催された。経費や交通規制、運営人員不足などの課題解決のため、市中心市街地から同スタジアムに会場を移して3年目。実行委は以前のような“街なか開催”を望む声も根強い状況を鑑み、現組織としての開催を今年で終了。今後、街なか開催を担う新たな運営母体への移行も視野に、踊り継ぐ方法を模索していきたい考えだ。
 
 16団体約650人が参加。4こども園・幼稚園の「こどもよいさ」に続き、企業や学校、福祉施設など12団体が群舞を繰り広げた。そろいの浴衣、はんてん、ポロシャツなどを身にまとい、郷土芸能の虎舞をモチーフに創作された踊りを楽しむ参加者。お囃子(はやし)隊が先導する「ヨイサッ、サアーサ ヨイヤッサー」の掛け声に合わせて躍動し、弾ける笑顔を見せた。
 
かわいらしい虎の衣装は正福寺幼稚園こどもよいさの伝統

かわいらしい虎の衣装は正福寺幼稚園こどもよいさの伝統

 
かまいしこども園は大漁旗はんてん姿(右)、上中島こども園は鳴子を手に「よいさっ!」

かまいしこども園は大漁旗はんてん姿(右)、上中島こども園は鳴子を手に「よいさっ!」

 
各園オリジナルの振り付けも楽しい。甲東こども園は元気いっぱいにジャンプ!

各園オリジナルの振り付けも楽しい。甲東こども園は元気いっぱいにジャンプ!

 
 東日本大震災前、同スタジアムの場所に校舎があった釜石東中。生徒、教職員ら有志27人が参加した。岩鼻樹里さん(3年)は「みんなで踊れて楽しかった。思っていたよりも明るい雰囲気。各団体が負けじと踊っていたのが印象的」と話した。同校の参加は震災後初。釜石出身の教諭らが提案し参加を募ったところ、1~3年生まで21人が手を挙げた。提案者の一人、佐々木伊織教諭(29)は「小さなことでも地域を盛り上げられるという実感を持ってもらえたら」と期待を込めた。
 
“うのスタよいさ”は初めての参加。地元開催を盛り上げる釜石東中の生徒有志

“うのスタよいさ”は初めての参加。地元開催を盛り上げる釜石東中の生徒有志

 
 昨春開校した釜石市国際外語大学校からはネパール、ミャンマー出身の学生を中心に約50人が初参加した。ネウパネ パビトラさん(21)は「楽しいです。ネパールの祭りを思い出す」とにっこり。教職員が浴衣を着せてくれたが、「着るのが難しそう」と和装文化にも驚いた様子。タマン プラヂプさん(22)も「日本人と一緒に踊れて気分が上がった」と大喜び。ネパールにもみんなで踊る祭りはあるが、「向こうはごちゃまぜ。日本は順番に並んで踊る」と違いを示した。
 
釜石市国際外語大学校は3カ国の学生が参加。そろいの浴衣で初よいさを楽しんだ

釜石市国際外語大学校は3カ国の学生が参加。そろいの浴衣で初よいさを楽しんだ

 
 市外からの飛び入り参加も。サッカーJFL、いわてグルージャ盛岡の選手らは踊りの輪に加わり、試合への来場も呼び掛けた。昨夏加入のDF山内舟征選手(24、愛知県出身)は釜石初訪問。同スタジアム建設の経緯や祭りの活気に触れ、岩手県民の底力も感じた様子。「会場で直接応援の声もいただき、来て良かった」と笑顔を見せた。チームは今一度、自分たちの原点に立ち返ろうと、ホームタウンなどに出向いて地域を元気にする活動を展開中。広報の田村凌空さんは「地元の皆さんが応援してくれているからこそ、自分たちも活動ができる。選手にはそのありがたみも感じてもらえれば」と話した。
 
「一緒に岩手のスポーツを盛り上げよう!」 いわてグルージャ盛岡の山内舟征選手(左)、嶋津柚杏選手も踊りの輪に…

「一緒に岩手のスポーツを盛り上げよう!」 いわてグルージャ盛岡の山内舟征選手(左)、嶋津柚杏選手も踊りの輪に…

 
 祭りの華「よいさ小町」として参加したのは女性9人。地元出身で社会人1年目の佐々木優奈さん(23)は「今の形でのよいさは最後ということもあり、地域を盛り上げる一員になれれば」と応募した。前囃子や震災を機に生まれたスタコラ音頭など新しい踊りにも挑戦し、「若い世代が覚えていかないと後に残らない」と継承の必要性を実感。中学生の時に学校参加した時とは違う特別な思いを抱き、「市民がこれだけ集まる祭りは貴重。どんな形でも残していければ」と願った。
 
よいさスタートを告げる「前囃子」でしなやかな踊りを披露する「よいさ小町」

よいさスタートを告げる「前囃子」でしなやかな踊りを披露する「よいさ小町」

 
佐野よりこさんが歌う「釜石小唄」に踊りで華を添えるよいさ小町(上)。ステージ前では「ちあ釜」のフラッグパフォーマンスも(左下)

佐野よりこさんが歌う「釜石小唄」に踊りで華を添えるよいさ小町(上)。ステージ前では「ちあ釜」のフラッグパフォーマンスも(左下)

 
 この日は、過去最多50店舗が出店したフードコーナー、子どもが遊べるおまつり広場などもにぎわいの一助に。郷土芸能披露、地元出身の民謡歌手佐野よりこさんのライブ、ギネス記録を持つプロけん玉師伊藤佑介さんのショー&参加者のけん玉対決など、ステージイベントも盛りだくさん。約3500人が来場し、海風が心地良い秋晴れのもと、“みんなで楽しむよいさ”を満喫した。
 
各地のグルメが大集結! 50店舗が並んだフードコーナー

各地のグルメが大集結! 50店舗が並んだフードコーナー

 
子どもたちを楽しませたおまつり広場。さまざまな遊びに興じた。釜石商工高生は課題研究で取り組む「大槌刺し子」の作品を販売(右上)

子どもたちを楽しませたおまつり広場。さまざまな遊びに興じた。釜石商工高生は課題研究で取り組む「大槌刺し子」の作品を販売(右上)

 
プロけん玉師の伊藤佑介さんのパフォーマンスは圧巻(左)。よいさのリズムに合わせ、参加者がけん玉対決(右)

プロけん玉師の伊藤佑介さんのパフォーマンスは圧巻(左)。よいさのリズムに合わせ、参加者がけん玉対決(右)

 
 鵜住居町の田中美貴子さん(45)は子ども2人と来場。「津波で大きな被害を受けた場所にスタジアムができ、イベントで盛り上がるまでに復興したことを思うと感慨深い」と話す。震災前は市中心市街地に暮らし、“街なかよいさ”も参加、見物ともに経験。「街なかもスタジアムもそれぞれの良さ、魅力がある。多くの市民が集まり盛り上がれる場があることが、市全体の活力にもつながっていくのではないか。ずっと続いていってほしい」と期待した。
 
3年目となった“うのスタよいさ”。幅広い世代の交流の場にもなっている

3年目となった“うのスタよいさ”。幅広い世代の交流の場にもなっている

 
 釜石よいさは1987年、釜石製鉄所の高炉休止で活気を失ったまちに元気を取り戻そうと、地元の若者たちによって始められた。長年、8月夜に市中心部の目抜き通りで開催してきたが、2011年の東日本大震災の被災で2年間中断。13年に新たな実行委が復活させ、19年まで続けられたが、新型コロナ禍で再び中止を余儀なくされた。23年の再復活にあたっては、人口減少などに伴う社会経済情勢の変化や夏の猛暑を考慮し、経費や開催時期、運営体制を見直し。同スタジアムでの開催を2年間続けてきたが、以前のような街なか開催を望む声も根強いことから、今回をもって現体制での実施を一区切りとし、実行委の解散を決めた。
 
 下村達志実行委員長(50)は「改めてよいさを一から考えるための決断。新たに市街地でやる組織ができれば可能な限り応援するし、できない場合でも今のような『にぎわい創出の場』は維持していきたい」と話す。今後は新組織の発足次第だが、動きがない場合や新組織の計画が遅れる場合は、スタジアムでの「よいさを踊れる」別イベントの開催を検討したい考え。
 
市民の宝「釜石よいさ」を後世へ… 踊り継ぐための模索が続く

市民の宝「釜石よいさ」を後世へ… 踊り継ぐための模索が続く

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釜石SW トウタイ・ケフ新HCのもと今季初戦 「釜石絆の日」ともだちマッチで静岡BRと

雨の中、プレシーズンマッチ初戦に挑む日本製鉄釜石SW(グレージャージー)と静岡BR(青同)=2025ラグビッグドリーム~釜石絆の日~

雨の中、プレシーズンマッチ初戦に挑む日本製鉄釜石SW(グレージャージー)と静岡BR(青同)=2025ラグビッグドリーム~釜石絆の日~

 
 ラグビーリーグワン2部の日本製鉄釜石シーウェイブス(SW)は9月20日、釜石鵜住居復興スタジアムで同1部の静岡ブルーレヴズ(BR)と対戦した。2019年のラグビーワールドカップ(W杯)釜石開催のレガシー(遺産)を継承する「釜石絆の日(9月25日)」記念イベントでの交流試合。両チームにとってプレシーズンマッチ初戦で、釜石SWは今季から指揮を執るトウタイ・ケフヘッドコーチ(HC)のもと、新チームの力を試す場となったが、27-81(前半3-36)の大差で敗れた。
 
 試合開始後、雨模様となったスタジアム。前半は静岡が先制トライ。若手を中心としたメンバーで臨む釜石は、7分にSO落和史のPGで3点を返すが、その後は防戦一方の苦しい展開。計5トライを許し、3-36と大きくリードされ、折り返した。
 
 悪い流れを断ち切りたい釜石は後半7分、今季新加入のCTBパウラ・マヘ、2年目のフランカー、アンガス・フレッチャーの素早いパス回しで敵陣に切り込むと、10メートルライン付近でボールを受けたWTB千葉健が独走。ゴール前で追い付いた相手にタックルで倒されながらも右手を伸ばし意地のトライを決めた(8-36)。静岡トライ直後の15分には、釜石キックオフのボールをWTB小野航大が走り込んでキャッチ。SH南篤志、ロック山田龍之介らがつなぎ、最後はプロップ髙橋璃玖が押し込みトライ。ゴールも決まって15-43とした。
 
フランカー、アンガス・フレッチャー(右)からパスを受け敵陣に切り込むCTBパウラ・マヘ(左)

フランカー、アンガス・フレッチャー(右)からパスを受け敵陣に切り込むCTBパウラ・マヘ(左)

 
後半7分、ゴール前で相手に倒されるもチーム初トライを決めるWTB千葉健

後半7分、ゴール前で相手に倒されるもチーム初トライを決めるWTB千葉健

 
相手得点直後のキックオフボールをキャッチ。攻撃の起点をつくるWTB小野航大(上)。ここからSH南篤志、ロック山田龍之介とつなぎゴール前に運ぶ

相手得点直後のキックオフボールをキャッチ。攻撃の起点をつくるWTB小野航大(上)。ここからSH南篤志、ロック山田龍之介とつなぎゴール前に運ぶ

 
後半15分、最後はプロップ髙橋璃玖が2人のタックルを左にかわしながらトライ

後半15分、最後はプロップ髙橋璃玖が2人のタックルを左にかわしながらトライ

 
 しかし、勢いは続かず…。釜石はスクラムの圧倒的強さや個々の選手のスキルで力の差を見せる静岡に5連続トライを奪われ、15-74と再び大きく突き放された。試合時間残り10分。“あきらめない釜石”を体現したのは38分。静岡の反則から敵陣5メートルライン付近のラインアウトに持ち込んだ釜石は、すぐさまモールを形成。ボールを投げ込んだ今季新加入のフッカー、ルル・パエアが最後尾で受け、左に抜け出しトライを決めた。終了間際の40分には、センターライン付近で相手がこぼしたボールをCTB齋藤弘毅が前方に蹴り出し、SH岡新之助タフォキタウが相手の意表を突き独走トライ。新加入の2人が的確な判断で得点につなげたが、反撃及ばず、27-81で敗れた。
 
後半38分、ラインアウトモールからフッカー、ルル・パエアがトライ

後半38分、ラインアウトモールからフッカー、ルル・パエアがトライ

 
後半40分、SH岡新之助タフォキタウが釜石4本目のトライ

後半40分、SH岡新之助タフォキタウが釜石4本目のトライ

 
 就任後初の対外試合を終え、ケフHCは「スクラムが一番の課題。ディフェンスも良くなかった。新体制での初戦、格上チームとの対戦であまり期待は高く持っていなかったが、残念な結果」と評価。「もっとアグレッシブに」「コンタクトエリアにもっとコミットを」と、果敢に攻め相手にプレッシャーをかける積極プレー、フィジカル向上の必要性を指摘した。ただ、シーズンは始まったばかり。「ここからさらに良くして、チームとして成長していきたい」と思いを強くした。
 
 ゲームキャプテンを務めたロック山田選手はケフHCの意向を受け、「コネクションを切らさない」ことを選手に伝えた。「悪くはなかったが、その一つ目の仕事、タックルやセットピースといったプレーの始まりのところが良くなかった。しっかり精度を上げて修正していきたい」。2011年の東日本大震災以降、釜石との継続的な交流試合で絆を深める静岡BRに対し、「1部のチームとシーズン開始時点で試合ができるのは本当にありがたい」と感謝。「今、ここでラグビーができているのは当たり前ではない。チームに対しての個々の責任、釜石でプレーする責任をしっかり果たしたい」とシーズン入りに際し、改めて気を引き締める。
 
 イベント会場では、オープニングアトラクションとして市内外の郷土芸能が披露されたほか、震災時に力を発揮した自衛隊などの「働く自動車展」も。予定されていたおもてなしイベントの一部は、雨が強まったため中止された。21日は中学生や高校生の交流試合が行われた。
 
2階スタンドデッキで披露された花巻市の「上根子神楽」

2階スタンドデッキで披露された花巻市の「上根子神楽」

 
自衛隊、警察、消防車両が集まる「働く自動車展」は人気の写真スポット。家族連れらが楽しんだ

自衛隊、警察、消防車両が集まる「働く自動車展」は人気の写真スポット。家族連れらが楽しんだ

 
「絆の日」記念グッズも各種用意。ラグビーでつながるさまざまな交流の輪が広がった

「絆の日」記念グッズも各種用意。ラグビーでつながるさまざまな交流の輪が広がった

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広報かまいし2025年10月1日号(No.1865)

広報かまいし2025年10月1日号(No.1865)
 

広報かまいし2025年10月1日号(No.1865)

広報かまいし2025年10月1日号(No.1865)

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【P1】
釜石まつり

【P2-3】
TETTO ロビーコンサート vol.9「MiA &リアスバンド」
わらび座イーハトーブシアター 「真昼の星めぐり」the Musical 他

【P4-5】
令和7年度 インフルエンザ・新型コロナ予防接種
令和7年度の健康診査・肺がん検診がまもなく終了します
10月1日~ マイナ救急が始まります

【P6-7】
令和8年4月入園 幼稚園児を募集します
ツキノワグマの被害に遭わないために 他

【P8-9】
調査票の記入はお済みですか?
10月の粗大ごみ収集予約を受け付けます 他

【P10-11】
まちのお知らせ

【P12】
市民百景

この記事に関するお問い合わせ
釜石市 総務企画部 オープンシティ・プロモーション室
〒026-8686 岩手県釜石市只越町3丁目9番13号
電話:0193-27-8463 / Fax 0193-22-2686 / メール
元記事:https://www.city.kamaishi.iwate.jp/docs/2025092600011/
釜石市

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釜石市公式サイトと連携し、縁とらんすがピックアップした記事を掲載しています。記事の内容に関するお問い合わせは、各記事の担当窓口までお問い合わせください。
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新本殿整備事業完遂祝う 澤田八幡神社(栗林町)例大祭 黄金色の秋風景の中、鹿踊&虎舞に住民歓喜

本殿と周辺整備の完了を祝う澤田八幡神社の例大祭=15日、栗林町同神社境内

本殿と周辺整備の完了を祝う澤田八幡神社の例大祭=15日、栗林町同神社境内

 
 釜石市栗林町沢田の澤田八幡神社の例大祭は15日に行われた。昨年、本殿の建て替え工事が行われた同神社は、周辺の環境整備が全て終了。今年の祭りは事業完遂を祝って、郷土芸能の披露などが盛大に行われた。また今年は、三閉伊一揆の指導者の一人として活躍した郷土の偉人、三浦命助の関係資料が県の文化財に指定されたことも記念し、命助の生誕地・上栗林でも踊りが奉納された。
 
 同神社は江戸時代後期、文政(1818-30)年間の建立。木造の本殿は1955年に屋根のふき替えのみ行われていたが、建物の老朽化が顕著となったことから、地元住民組織・沢田新生会(川崎浩一会長、100世帯)が中心となって、一昨年から建て替え事業を進めてきた。本殿は昨年6月に完成していたが、参道整備や新しい扁額の設置などがこのほど終了。例大祭が住民へのお披露目の場となった。
 
新築整備された澤田八幡神社の本殿(右)。新たに整備された参道(左)。参集殿の建物内を通らず参拝できる

新築整備された澤田八幡神社の本殿(右)。新たに整備された参道(左)。参集殿の建物内を通らず参拝できる

 
郷土芸能団体など関係者が三浦命助生誕の地・上栗林に建てられている顕彰碑に足を運んだ

郷土芸能団体など関係者が三浦命助生誕の地・上栗林に建てられている顕彰碑に足を運んだ

 
三閉伊一揆に参加し窮状を救った三浦命助ら村民に敬意を表し、踊りを奉納する「澤田鹿踊」

三閉伊一揆に参加し窮状を救った三浦命助ら村民に敬意を表し、踊りを奉納する「澤田鹿踊」

 
 14日夜に宵宮祭、15日は神社での神事の後、関係者が上栗林の「三浦命助顕彰碑」に足を運んだ。同碑は命助の没後100年にあたる1963年に町民一同によって建てられたもので、裏山には命助の墓がある。今年4月に命助関係資料が県指定文化財となったことを記念し、碑の前で澤田鹿踊と澤田虎舞が踊りを奉納した。命助が信仰した観音堂の前では、郷土の人々を救った命助ら先人の御霊を慰め、感謝の祈りをささげた。
 
住民らが見守る中、伝統の舞を披露する鹿踊の踊り手

住民らが見守る中、伝統の舞を披露する鹿踊の踊り手

 
2頭の雄鹿が雌鹿を奪い合う「突き合い」。観衆の掛け声で最も盛り上がる演目

2頭の雄鹿が雌鹿を奪い合う「突き合い」。観衆の掛け声で最も盛り上がる演目

 
 命助の関係親族の女性(81)は「地域の皆さんが文化財指定を祝ってくれてありがたい。自分のためではなく、みんなのために事を起こした命助さんに敬意を表したい。これからも地元の歴史としてつないでいければ」と願った。
 
子どもや若者が力を発揮した「澤田虎舞」。虎が遊び戯れる様子を表現した「跳虎」

子どもや若者が力を発揮した「澤田虎舞」。虎が遊び戯れる様子を表現した「跳虎」

 
頑張って踊る子どもたちの姿に笑みがこぼれる(下)

頑張って踊る子どもたちの姿に笑みがこぼれる(下)

 
 昼食をはさんで午後からは、神社境内で両芸能が披露された。澤田虎舞(大丸広美代表、30人)は跳虎(はねとら)、笹喰み(ささばみ)、甚句など多彩な踊りを披露した。同虎舞は片岸虎舞の流れをくむもので、明治時代から踊られているとみられる。少子高齢化による担い手不足などで、10年ほど前から近隣の砂子畑道々虎舞と相互交流。両地区神社の祭典では踊り手を出し合い、継承の一助としている。
 
収穫期を迎えた黄金色の田んぼも祭り風景を彩る。秋祭りならではの光景

収穫期を迎えた黄金色の田んぼも祭り風景を彩る。秋祭りならではの光景

 
虎頭の形状の違いも楽しめる複数の虎の競演

虎頭の形状の違いも楽しめる複数の虎の競演

 
次世代を担う子どもたちも躍動。子虎の「笹喰み」(右)に見物客もにっこり

次世代を担う子どもたちも躍動。子虎の「笹喰み」(右)に見物客もにっこり

 
 祭りでは“子虎”も大活躍。小学生らが小さな頭(かしら)を振って踊り、観客から盛んな拍手を浴びた。栗林に父方の祖父が暮らす長谷川諒さん(9、野田町)は幼いころから同虎舞に親しむ。今回も祭りに向けて「頭をちゃんと振るところや笹で歯磨きするところ(笹喰み)を頑張って練習しました」と自信をのぞかせた。出来を聞いてみると「100点!」とのこと。「虎舞はみんなで協力してやるところが楽しい。これからも続けたい」と目を輝かせた。
 
 澤田鹿踊(川崎充代表)は祝入羽(いわいりは)、向返し(こがえし)、花踊りなど5演目を披露した。メンバーは小学1年生から77歳まで約20人。同鹿踊は約330年前、房州(現千葉県)生まれの唯喜伝治という人物が沢田地区の名家に雇われた際、地区の若者たちに教えたのが始まりとされる。市内の鹿踊伝承の先駆けで、1980年に同市指定無形民俗文化財となっている。
 
祭りを盛り上げる郷土芸能は地域の宝。神社境内が一気に華やぐ

祭りを盛り上げる郷土芸能は地域の宝。神社境内が一気に華やぐ

 
幅広い世代が太鼓や笛、踊りを担当。郷土芸能は世代間交流の場にも

幅広い世代が太鼓や笛、踊りを担当。郷土芸能は世代間交流の場にも

 
澤田鹿踊は市内の鹿踊の文化財指定第一号

澤田鹿踊は市内の鹿踊の文化財指定第一号

 
 鹿踊も担い手育成は大きな課題。事務局の小澤英樹さん(53)は「とにかく続けていくことが大事。地元小学校統合の話もあり、子どもたちへの継承は難しさを増すが、何とかつないでいきたい」と伝統芸能の誇りを胸に刻む。この日は同祭りの評判を聞きつけ、県外から足を運んだ客もいて、「地域の良さを内外に広めていければ」との思いも強くする。
 
 沢田地区に暮らす菊池ウメさん(79)は終始、笑顔で郷土芸能を楽しみ、「祭りって本当にいいなあと思って。小さい子どもたちの踊りもかわいくてね…。昨日の宵宮祭もすごく良かった」と心を躍らせた。同神社の本殿が新しくなったことも喜び、「これからもみんな元気で暮らせる地域になれば」とご加護を願った。
 
祭りを楽しむ見物客。昨年に続く郷土芸能披露に喜びの表情

祭りを楽しむ見物客。昨年に続く郷土芸能披露に喜びの表情

 
祭りを通して地域の素晴らしさを実感。子どもたちの健やかな成長にもつながっている

祭りを通して地域の素晴らしさを実感。子どもたちの健やかな成長にもつながっている

 
 同神社氏子総代長も務める新生会の川崎会長(61)は「多くの皆さんのご奉賛をいただいて本殿を新しくでき、感謝の気持ちでいっぱい。祭りは伝統芸能の継承にも欠かせない。力を合わせ、芸能を含めた地域文化の継承に努めていきたい」と思いを新たにした。

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三浦命助 一揆指導者の素地、宗教者の顔… 東北学院大 兼平賢治教授が釜石で講演

「三浦命助関係資料」の県文化財指定を記念した講演会=14日、釜石PIT

「三浦命助関係資料」の県文化財指定を記念した講演会=14日、釜石PIT

 
 江戸時代末期、嘉永の三閉伊一揆(1853年)の指導者の一人だった栗林村(現釜石市栗林町)の三浦命助(1820-1864)。本年4月、命助の関係資料が県指定文化財となったことを記念した講演会が14日、同市で開かれた。講師は同文化財指定に尽力した東北学院大学文学部の兼平賢治教授。一揆を率いた命助の知られざる実像に迫り、約100人が耳を傾けた。
 
 県文化財に指定された「三浦命助関係資料」は、一揆後、命助が仙台藩領へ逃走していた時の日記、入牢中に記し家族に送った獄中記、平田番所通行時に着用していた装束など35点(文書31、版木2、装束2)。命助の本家筋にあたる三浦家が所蔵していたもので、命助の足跡や思想、近世後期から幕末期の盛岡藩と民衆の動向をひもとく上で貴重な資料群として、4月11日付けで指定された。記念講演会は釜石市教委が主催。会場となった釜石PITには同文化財リストとともに現物8点が特別展示された。
 
県指定文化財となった資料群。僧侶だったことを物語る版木・折本(左上)、大福帳(右上)、獄中記(下)

県指定文化財となった資料群。僧侶だったことを物語る版木・折本(左上)、大福帳(右上)、獄中記(下)

 
35点の資料の中から8点が講演会会場で公開された。貴重な資料に興味津々の来場者

35点の資料の中から8点が講演会会場で公開された。貴重な資料に興味津々の来場者

 
 三浦命助は村の肝いりだった父のもとに生まれた。大飢饉(ききん)のため、17歳で秋田藩の院内銀山に出稼ぎ。帰村後は農業のほか、沿岸と内陸を行き来し、農海産物の荷駄商いをして生計を立てていた。18歳で結婚し、5人の子どもに恵まれている。
 
 日本最大級とされる三閉伊一揆は、藩の追加課税に苦しむ民衆が1847(弘化4)年11月と、53(嘉永6)年6月の二度にわたり起こした。命助は34歳の時、1万6千人以上が参加した嘉永の一揆に加わり、仙台藩に越訴。45人の代表者の一人として交渉し、免税など要求のほとんどを認められた。一揆後、村に戻るも、村内の騒動で身の危険を感じ仙台藩領へ出奔。出家し寺の住職を務めた後、京都に上り、二条家の家来になった。57(安政4)年、帰村しようと藩境の平田番所を越えたところ、脱藩の罪で捕らえられ、盛岡の牢に入れられた。その後、6年8カ月も勾留され、45歳で牢死した。
 
 講演で兼平教授は、命助が一揆の頭人(指導者)となる要素はどこにあったかに着目。院内銀山への出稼ぎ、広域の商売で幅広く識見を得ていたことに加え、幼いころからの観音信仰でさまざまな知識を蓄えていたことが影響していると明かした。熱心な信仰は、一揆後に命助が宗教者としての道を歩むことにもつながっていく。当初、「義乗」と名乗ったとされるが、三浦家に伝わる版木には「義参」の文字があり、「義参が正しいと考えられる」と兼平教授。出家後は「明英」と名乗っている。
 
記念講演会の講師を務めた東北学院大学文学部の兼平賢治教授。盛岡藩南部家について江戸時代を通して研究している

記念講演会の講師を務めた東北学院大学文学部の兼平賢治教授。盛岡藩南部家について江戸時代を通して研究している

 
三浦命助に関するさまざまな資料をスクリーンで見せながら進んだ講演会

三浦命助に関するさまざまな資料をスクリーンで見せながら進んだ講演会

 
 出奔した仙台藩領では曹洞宗積雲寺(現宮城県加美町)に入り、後に天台宗箆峯寺西ノ坊(同涌谷町)の弟子に。さらに南小牛田村(同美里町)に居住し、当山派修験である東寿院の住持(住職)となった後、京都へ上る。兼平教授は、これまでに研究者が示してきた一揆の指導者や修験になり得た背景を紹介。命助が弁舌や筆のたつ人物だったことが伝えられた。
 
 兼平教授は8月に実施した宮城県公文書館での調査、小牛田のフィールドワークの成果についても説明。同館所蔵の村絵図や命助が記した日記をもとに、関係寺社の場所や居住地域をおおむね特定したという。逃亡の身であった命助が京都に向かい、二条家の家来になった理由については、慶應義塾大文学部古文書室の「二条家文書」展示品解説を引用。二条家の家紋が入った提灯や御用絵符は、命助が帰村するための身の保証であったが、命助が二条家から「永御暇」となったことを知った盛岡藩は、プレッシャーをなくし捕縛に至ったと考えられるという。
 
兼平教授の最新の調査成果も公開。命助が南小牛田村で僧侶をしていた時の暮らしぶりや人間関係について語った

兼平教授の最新の調査成果も公開。命助が南小牛田村で僧侶をしていた時の暮らしぶりや人間関係について語った

 
講演会には市内外から約100人が来場し、関心の高さを伺わせた

講演会には市内外から約100人が来場し、関心の高さを伺わせた

 
 同講演会は「かまいし歴史文化プロモーションを通じた関係人口創出事業」の一環として開催。来場者はこれまであまり知られていなかった三浦命助の素地や逃亡中の生活、宗教者としての顔に触れ、さらなる学びを得ていた。

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ゲリラ豪雨想定で避難、炊き出しなど訓練 中小川町内会自主防が実施 上小川住民も初参加

豪雨災害を想定した避難訓練=13日、釜石市中小川地区

豪雨災害を想定した避難訓練=13日、釜石市中小川地区

 
 釜石市の中小川町内会自主防災会(佐々木正雪会長)は13日、ゲリラ豪雨による洪水、土砂災害を想定した防災訓練を行った。周りを山に囲まれ、沢水の大量流出や小川川の増水で住宅地への浸水、崖崩れなどの恐れがある同地域。住民がいち早く危険を察知し、迅速な避難行動をとれるようにと実施した。避難のほか、炊き出しや消火、防災資機材の使い方も訓練。いざという時の備え、命を守る行動へ意識を高めた。
 
 避難訓練は短時間に集中的に激しい雨が降り、小川川が危険水位に達したとの想定で行われた。地区内3カ所で警戒にあたっていた消防団員らから連絡を受けた佐々木会長が、市防災行政無線の屋外拡声子局の放送設備を使用し、川から離れた高台道路を通っての避難を呼びかけた。住民らは家族や隣近所で声をかけ合い、避難を開始。要支援者は車いすを使って搬送した。集合した上小川・中小川集会所駐車場で5つの地区ごとに避難者数を確認。この日は子どもから大人まで計94人が避難行動を取った。
 
中小川町内会自主防災会の佐々木正雪会長が防災無線で避難を呼びかける

中小川町内会自主防災会の佐々木正雪会長が防災無線で避難を呼びかける

 
住民が小川川から離れた高い場所を目指し避難。上小川・中小川集会所駐車場で地区ごとに避難者数を確認した

住民が小川川から離れた高い場所を目指し避難。上小川・中小川集会所駐車場で地区ごとに避難者数を確認した

 
 駐車場では仮設トイレや担架の組み立て、おにぎりを握る炊き出し訓練などを実施。協力した釜石消防署署員の指導で消火器(この日は訓練用水消火器使用)の操作訓練も行った。同型の消火器1本には3キロの粉末消火薬剤が入っているといい、署員は「少しの量でも視界が悪くなる。必ず逃げ道を確保し、無理をせず、命を守ることを優先して」と注意を促した。火災時の煙の充満を再現したテント内を歩く体験もあった。訓練用の無害な煙の中を進んだが、実際の火災では有毒な一酸化炭素を含む黒い煙が発生するため、口や鼻をタオルなどで覆って低い姿勢で避難することが大事。参加者は見通しのきかない怖さを体験し、火災予防への意識を強めた。
 
仮設トイレ(写真右)や担架(同左)を組み立てる訓練

仮設トイレ(写真右)や担架(同左)を組み立てる訓練

 
消防署員、団員らの指導で消火器(訓練用)の操作も体験した

消防署員、団員らの指導で消火器(訓練用)の操作も体験した

 
火災現場を再現。煙(訓練用)が充満するテントの中を歩く。前が見えず立ち止まってしまう人も…

火災現場を再現。煙(訓練用)が充満するテントの中を歩く。前が見えず立ち止まってしまう人も…

 
 中小川町内会は本年度、町内会活動の休止が続いていた上小川地区の住民を受け入れ、組織を再編。両地区合わせ380世帯、745人の町内会組織となった。同訓練に初めて参加した上小川の岩間みき子さん(68)は「自宅近くの川は少しの雨でも水位が上がりやすく心配。危険を感じたら、警報になる前に安全な場所へ早めの避難をすることを家族で確認している」と話し、訓練にも3世代で参加。孫の羽叶さん(9)は「いざという時はお家の人と一緒に逃げたい。訓練で消火器を初めて使った。ちょっと難しかった」と振り返った。
 
 訓練の様子を見守った市防災危機管理課の大澤翔防災係長は「ゲリラ豪雨の場合、通常の台風と違い、避難のための時間が限られる。気象のほか、昼か夜かによっても状況が異なる点を理解し、より安全に身を守る方法を普段から考えておいてほしい」と願う。地区内では昨年、台風による土砂崩れの影響で、市街地に通じる道路が片側通行になる状態が続いた。「訓練をしてみて分かることもある。地域によって危険性や課題は変わってくるので、地区ごとに訓練を重ね、共助の力を高めてもらえれば」と話す。
 
おにぎりをつくる炊き出し訓練は町内会婦人部を中心に実施

おにぎりをつくる炊き出し訓練は町内会婦人部を中心に実施

 
負傷者などを担架で運ぶ訓練

負傷者などを担架で運ぶ訓練

 
 同町内会自主防は東日本大震災を契機に2014年に発足。以来、年1回の防災避難訓練を続けている。小川川上流には1997年に日向ダムが完成。佐々木会長(75)によると、これまでに大規模な洪水被害はないというが、近年増加するゲリラ豪雨など短時間で集中的に激しい雨が降った場合、想定を上回る川の増水や家屋への浸水、土砂崩れによる道路の寸断なども考えられる。佐々木会長は「緊急連絡網や要支援者の避難誘導など体制は整えているが、近年の異常気象で何が起こるか分からない時代。地区内は山から複数の沢が流れ込む地形で、一番心配なのは川の氾濫。高齢者も多いので、とにかく早め早めの避難を心がけてほしい」と呼びかける。

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知ってほしい!「大槌刺し子」 釜石商工高生、地域イメージし商品づくり 「よいさ」で販売へ

一針一針に思いを込めた手作り品をPRする釜石商工高生

一針一針に思いを込めた手作り品をPRする釜石商工高生

 
 釜石商工高(小松了校長、生徒176人)の総合情報科3年の有志5人が、課題研究の授業の一環で「大槌刺し子」の技術を学んでいる。伝統文化の発信と担い手不足の解決に向け取り組む中で、「普及は地元から」と考察。地域をイメージしたデザインを施した商品を作り、9月23日に開かれる祭り「釜石よいさ」の会場で販売することにした。高校生らしい発想から生まれたデザインとの出合いがあるはず。生徒たちは「一針に込めた思いを感じてほしい」とアピールする。
 
 同校の課題研究で大槌刺し子をテーマにするのは2年目。担い手の育成を考える中で技術の習得にも挑み、昨年は大槌刺し子のブランド「SASHIKO GALS(サシコギャルズ)」の商品づくりの一部を担ったほか、ブランドを東京で紹介する販売会に参加するためクラウドファンディングを実施。販売内容に関わる計画やマーケティング、広報、交通費の算出などに関わり、商業系の学びも深めた。
 
 今年は、捨てられるはずだった廃棄物や不用品に手を加え、より付加価値の高い商品へと生まれ変わらせる「アップサイクル」という視点を取り入れた作品づくりに挑戦。一定の間隔で同じ方向に刺していき、幾何学模様で布地を埋め尽くす「一目(ひとめ)刺し」の技術習得を目指し、週3時間、大槌刺し子の職人から学んでいる。
 
課題研究で生徒たちがつくった一目刺しの刺し子作品

課題研究で生徒たちがつくった一目刺しの刺し子作品

 
 「持続可能な商品づくり」として選んだのは、布でアルミなどの金具を包んだ「くるみボタン」のストラップ。「伝統文化の発信は地元から」と考え、人が集まるイベントでの販売も計画した。それが学校祭(10月)と、地域の祭り・よいさ。より関心を持ってもらえるよう、「釜石と言えば」と思い浮かべた「海」をモチーフにした図柄も取り入れ、5人それぞれがイメージしたデザインを布に描いている。
 
 9月3日には、刺し子を施した布と金具などを組み合わせる作業を授業の中で行った。講師は大槌刺し子事務所スタッフの佐々木加奈子さん(48)。生徒たちは一人30枚、刺し子作品を持ち込み、仕上がり具合を確認してもらった。「糸の状態が緩いね。直せるものはしっかりと」「商品は見栄えが大事。買う人の目線になって」と、ものづくりに必要な視点や大切にすべき心得を教わった。
 
佐々木加奈子さん(手前左)に教わりながら作品づくりに挑戦中

佐々木加奈子さん(手前左)に教わりながら作品づくりに挑戦中

 
刺し子の仕上がりを確認し、くるみボタンづくりを進める

刺し子の仕上がりを確認し、くるみボタンづくりを進める

 
 今回は使われなくなった藍染めの布を再利用する。縫い目が加わった布は厚みが増し、くるみボタンづくりは予想外に苦戦。菊池風音さんは「不器用だから難しいし、大変」と苦笑いした。それでも地域の伝統文化に触れ、「趣味で続けていけたら」と楽しみながら取り組む。海柄のモチーフとして選んだのはヒトデ。「海の星だから、希望という意味を込めた。買ってくれる人の希望になるものになったらうれしい」と期待する。
 
専用の打ち具やハンマーを使った作業に力が入る

専用の打ち具やハンマーを使った作業に力が入る

 
かわいく見えるのは…中心を決める作業は慎重に

かわいく見えるのは…中心を決める作業は慎重に

 
 菊池さん以外の生徒がモチーフにした海柄には、魚やホタテ貝がある。クラゲは2種あり、「絆、再生」との意味や、「きれいだから」といった素直な気持ちを込めたという。「お気に入りのものを手に取ってほしい」。授業のほか、休み時間も使いながら手を動かしている。
 
 生徒たちが課題研究に熱を込める理由の一つが、大槌刺し子の立ち上がりの物語にある。東日本大震災で被災した女性たちの生きがいづくりにと、2011年に復興支援プロジェクトで発足。「おばあちゃんたちが避難所で暇にしていた時に始まったというのが心に響いた。残ってほしいし、守りたい」と、5人は同じ思いを重ね合わせる。
 
生徒たちが思いを込めて手づくりする刺し子のくるみボタン

生徒たちが思いを込めて手づくりする刺し子のくるみボタン

 
 釜石よいさは23日に釜石市鵜住居町の釜石鵜住居復興スタジアムで開かれる。午前11時半開場。釜石商工高生の販売ブースは、よいさグッズ販売や縁日コーナーなどが並ぶ「おまつり広場」の一角に設けられる予定。

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釜石・根浜海岸の歌碑「おかえりなさい」 島倉千代子さんの十三回忌前に ファンら集う

島倉千代子さんの歌碑の前でファンらが記念撮影

島倉千代子さんの歌碑の前でファンらが記念撮影

 
 釜石市鵜住居町の根浜海岸に、2013年に亡くなった歌手島倉千代子さんが歌った「おかえりなさい」の歌碑がある。♪あなたの帰りを待っている…。この歌い出しや呼びかけるような歌詞に東日本大震災被災地への思いを重ねていた島倉さんの気持ちをくみ取ったファンらが15年に建立した。今年は十三回忌にあたり、ファンらでつくる後援会が歌碑のそばでしのぶツアーを企画。9月12日、全国から集った18人が刻まれた歌詞を見つめながら「大好きな人」を思い浮かべた。
 
 07年に発表された同曲には「おかえりなさい」「帰っておいで」との歌詞があり、島倉さんは震災(11年)を受け、犠牲になった人やいまだ行方が分からない人へ向けた呼びかけのように感じていたという。「被災地が落ち着いたら、歌いに行きたい」と望んだが、その思いを遂げられぬまま、13年11月8日に他界した。
 
 そうした思いを聞いていた後援会が寄付を募り、縁があって釜石に歌碑を立てた。場所は旅館「宝来館」の裏山にある避難路入り口付近。17年には歌碑近くに音声装置を設置した。
 
根浜海岸に立つ「おかえりなさい」の歌碑と音声装置

根浜海岸に立つ「おかえりなさい」の歌碑と音声装置

 
 後援会メンバーらは除幕式や七回忌など節目に訪れてきた。4回目となる今回は「十三回忌奉納花火パブリックビューイングツアー」として実施。新潟県小千谷市片貝町の「片貝まつり(浅間神社秋季例大祭奉納大煙火)」の模様を、島倉さんが思いを寄せた場所で一緒に見ることにした。
 
 関西、関東を中心に集まったツアー参加者は旅館に着くと、すぐに歌碑の前へ。音声装置のボタンを押し、島倉さんの温かみのある歌声を聴いた。♪あなたの帰りを待っている 変わらぬ心がここにある……おかえりなさい。声を合わせて歌ったりした。
 
避難路の入り口から優しいまなざしの島倉さんが海岸を見守る

避難路の入り口から優しいまなざしの島倉さんが海岸を見守る>

 
島倉さんの曲にちなみ避難路に植えられたカラタチの木を見上げるファンら

島倉さんの曲にちなみ避難路に植えられたカラタチの木を見上げるファンら

 
 島倉さんの付き人だった綿引あつ子さん(82)=千葉県=もファンの一人。「会って話したいことがあるから」と来釜した。着物姿でしっとり、か細く、優しい人柄で守ってあげたい印象の島倉さんに引かれたというが、素は「芯がしっかりし、頼れる人。決断が速い。意外にも普段着はジーパンにTシャツなの」としのぶ。歌碑を見つめ、「今も心にとめ集まってくれるファンがいる。今で言う“押し”への情熱が本当にすごい」と、つぶやいた表情にはうれしさがにじんでいた。
 
ボタンを押すと「おかえりなさい」が流れ、笑顔を見せるファン

ボタンを押すと「おかえりなさい」が流れ、笑顔を見せるファン

 
 夕食時にユーチューブ配信された片貝まつりのライブ映像を視聴。奉納した花火(大スターマイン)には、地震や台風、豪雨などで被災した人らに対し「一日も早く『おかえりなさい』『ただいま』と言えるような心休まる日常を取り戻せますように」との願いを込めた。花火の打ち上げに向け募った寄付金や、関西の後援会が催すビデオ上映会でのグッズ販売の益金などを充てたという。
 
 歌碑建立の計画時から中心的な役割を担った関西地区の後援会代表の吉田恵美子さん(75)=大阪府=は「全国のファンの応援、協力があったからできた」と感謝する。ツアーを企画することで、初めて現地を訪れることができたファンもいて、「良かった。この場所で島倉さんの思いや、震災のことを考えてもらえたら」と希望。「ここは帰る場所。『おかえりなさい』と待っているから、一日も早く『ただいま』と家族の元へ帰ってきてほしい」と祈るように話した。
 
島倉さんをイメージしたポーズで写真撮影したり歌ったりして交流を楽しんだ

島倉さんをイメージしたポーズで写真撮影したり歌ったりして交流を楽しんだ

 
 後援会メンバーやファンは年齢層が高めで、活動は控えめになっているという。そんな中、30代のファンが資料館を運営したりツアーの調整役を担ったり、うれしい動きも。吉田さんは頼もしく感じている。「(島倉さんは)魅力がある人だから」。忘れない―大切な人を思う場所であり続けることを切望する。
 
 片貝まつり奉納花火の模様は10月18日にBSフジで午後7時から放送(録画)される予定だという。

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釜石・大槌エリアで16日からドクターカー試行運用開始 診療開始までの時間短縮で救命率向上へ

釜石、大槌でのドクターカー試行運用に向けた訓練=3日、釜石消防署

釜石、大槌でのドクターカー試行運用に向けた訓練=3日、釜石消防署

 
 県立大船渡病院(星田徹院長)と釜石大槌地区行政事務組合消防本部(駒林博之消防長)は、あす16日から、釜石市と大槌町でドクターカーの試行運用を開始する。同消防からの要請で、緊急度や重症度の高い患者の元に医師と看護師が同車両で駆け付け、いち早く処置を開始して同病院などへ搬送する。医療介入までの時間が短縮されることで、救命率向上や予後の改善につながるものと期待される。
 
 ドクターカー(緊急車両)には必要な医療資機材などが積載され、同病院救命救急センターの医師と看護師、運転手が乗り込む。出動後、両市町内に設定している救急車とのドッキングポイント(幹線道路沿い12カ所)に向かい、傷病者がいる救急車に乗り込み、診察、処置を行いながら病院へ搬送する。救急車内での医師による診療行為には患者の医療費負担が発生するが、全て保険診療の範囲内。ドクターカーの出動料は発生しない。
 
県立大船渡病院のドクターカー。ドッキングポイントに向かう際はサイレンを鳴らしながら緊急走行

県立大船渡病院のドクターカー。ドッキングポイントに向かう際はサイレンを鳴らしながら緊急走行

 
 試行運用を前に3日、同市鈴子町の釜石消防署で運用訓練が行われた。消防職員や医療関係者ら約60人が参加。119番通報を受け、現場に向けて走行中の救急車内から、また、救急車が向かった現場から―と、2例のドクターカー出動要請を想定。▽救急隊とドクターカー間の傷病者情報共有やドッキングポイントの連絡▽救急隊の現場活動と傷病者の収容▽ドッキングポイントで医師と看護師が救急車に乗車。診察、処置を行いながら病院に搬送―という一連の流れをシミュレーションした。胸痛を訴える患者、脳疾患疑いの患者を想定し対応を確認した。
 
救急隊は走行中の救急車から通報者(家族など)に折り返し電話し情報収集。救急隊とドクターカーの医師、看護師は患者情報を共有。ドッキングポイントを確認し、到着時間などを相互連絡

救急隊は走行中の救急車から通報者(家族など)に折り返し電話し情報収集。救急隊とドクターカーの医師、看護師は患者情報を共有。ドッキングポイントを確認し、到着時間などを相互連絡

 
救急隊が現場で容体を確認し、現場からドクターカーを要請するケースも

救急隊が現場で容体を確認し、現場からドクターカーを要請するケースも

 
ドッキングポイントで医師と看護師が救急車に乗り込む

ドッキングポイントで医師と看護師が救急車に乗り込む

 
 ドクターカーは両者で定めた要請基準に基づき要請、出動する。基準は呼吸の異変、突然の胸痛、妊産婦症例―など内因性12項目、交通事故関連、溺水、気道熱傷疑い―など外因性15項目、その他4項目が定められる。119番通報を受けた消防本部通信指令や現場に向かった救急隊が判断し、病院に要請する。
 
 大船渡病院のドクターカーは2024年4月から大船渡、住田の2市町で運用を開始。25年2月に陸前高田市が加わった(10月から3市町本格運用)。24年度の出動は231件、25年度は7月末現在で132件。医師の診療開始までの時間が平均で約12分、病院から遠い住田の症例では約20~30分短縮されているという。救急車内から病院に、到着後に行う治療の指示が出せるため、着いてからの時間短縮効果も得られている。
 
救急車内で傷病者を診察。必要な処置を行いながら病院へ搬送

救急車内で傷病者を診察。必要な処置を行いながら病院へ搬送

 
病院到着後、スムーズに次の治療へ…。到着後の時間短縮効果も

病院到着後、スムーズに次の治療へ…。到着後の時間短縮効果も

 
 釜石地域での試行運用開始にあたり、救命救急センターの横沢友樹センター長は「釜石大槌地区から大船渡病院への救急搬送は年間約200件あり、搬送に1時間以上かかることも。(ドクターカー出動で)少しでも早く医療を提供できるのは大きなメリット」と話す。
 
 同消防本部によると現在、緊急処置が必要な心臓、脳疾患患者のほとんどは県立大船渡病院へ搬送。2021年10月から釜石病院での分娩(ぶんべん)業務が休止されたことで、妊産婦の救急症例も大船渡病院への搬送となっている。菊池俊消防課長は「救急隊では不可能な処置を、救急救命医が来ていち早く施してもらえるのは心強い。迅速な医療開始は予後にもつながる。消防と病院の連携を密にし、より良い搬送につなげていければ」と気を引き締める。
 
訓練後の振り返り。救急隊と横沢友樹センター長らが意見を交わした

訓練後の振り返り。救急隊と横沢友樹センター長らが意見を交わした

 
 ドクターカーの運行は平日(月~金、祝日除く)午前9時から午後5時まで。釜石市では9月1日号の市広報で周知している。本格運用は2026年4月からを見込む。

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通学は公共交通で!三陸鉄道乗り方教室 釜石東中生が体験 高校進学後の利用促す

三陸鉄道の車両を使って行われた乗り方教室

三陸鉄道の車両を使って行われた乗り方教室

 
 三陸鉄道乗り方教室は8月27日、釜石市で開かれ、鵜住居町の釜石東中(髙橋晃一校長)の3年生(23人)が鉄道の利用の仕方などを学んだ。岩手県三陸鉄道強化促進協議会の事業の一環。乗車機会の少ない沿線中学生を対象に実施し、進学後の通学定期利用などを促そうとする試みだ。
 
 教室には生徒のほか、保護者らも参加した。講師は、釜石駅の山蔭康明駅長。学校行事などで三鉄を利用したことがある生徒たちはホームに記された黄色い線の内側で臨時列車の到着を待った。
 
 県沿岸部を走る三鉄はワンマン運転を行っている。山蔭駅長は、車掌が乗務せず運転士だけで運行していることを伝え、「車両は(進行方向)前方のドアが開く。乗り降りの時は一番前から」と教えた。そして、乗車の際には整理券発行機から整理券を取ることも加えた。
 
釜石東中の生徒は最寄りの鵜住居駅を利用。車両前方のドアから乗車

釜石東中の生徒は最寄りの鵜住居駅を利用。車両前方のドアから乗車

 
車両に乗り込む生徒ら。「整理券を取るのを忘れずに!」

車両に乗り込む生徒ら。「整理券を取るのを忘れずに!」

 
 生徒らを乗せた臨時列車は、山田駅との間を往復。走行中、山蔭駅長が車内に設置された運賃表の見方や運賃の支払い方などを説明した。支払いに関し、両替機が備えられ1000円札の両替はできるものの、「なるべくおつりがないよう小銭を準備して乗ってほしい」と求めた。定期券や企画乗車券など“お得な情報”も紹介した。
 
運賃箱を示して支払いの方法を伝える山蔭康明駅長

運賃箱を示して支払いの方法を伝える山蔭康明駅長

 
山蔭駅長の説明を聞いたり、車窓からの風景を楽しんだり

山蔭駅長の説明を聞いたり、車窓からの風景を楽しんだり

 
 山蔭駅長は三鉄と共に歴史を刻んでいる入社1期生。東日本大震災、台風、コロナ禍など幾多の苦難を国内外からの支援を力に乗り越えてきた歩みにも触れ、鉄路の維持、公共交通の必要性を語った。近年、人口減により利用者数が伸び悩むなど経営は厳しさを増すが、「運転免許を持たない高齢者や学生など公共交通機関を必要とする人もいる。だからこそ、ずっと走り続けていかなければいけない」と力を込めた。
 
 途中、映画「すずめの戸締まり」に登場する織笠駅で停車。下車した生徒らは駅舎などをスマートフォンのカメラで写したりし、列車旅の雰囲気も味わった。個人的に利用することはこれまでなかったという菊池大舞(ひろむ)さんは「整理券を取り忘れそうになった。景色がいいところだったり乗らないと分からない事があって楽しかった。友達と遊びに出かける時に利用してみたい」と笑顔を見せた。
 
整理券と運賃(または乗車券)を運転士に渡して降車

整理券と運賃(または乗車券)を運転士に渡して降車

 
列車の乗り方を改めて学んだ釜石東中生

列車の乗り方を改めて学んだ釜石東中生

 
 山蔭駅長は「マイレール意識を」と利用を呼びかけつつ、多岐にわたる鉄道の仕事も紹介。「地域の足を守る、地域のためになる仕事をしたいと思ってもらえたらうれしい。一緒に働きましょう」と期待を込めた。

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新鮮!装いも商品も サンデーホームマート釜石店がリニューアルオープン 利便性アップ

店に入ると野菜がずらり。新鮮な風景に買い物客が集まる

店に入ると野菜がずらり。新鮮な風景に買い物客が集まる

 
 東北地方でホームセンターを展開するサンデー(本社・青森県八戸市、大南淳二代表取締役社長)は8月29日、釜石市上中島町の「サンデーホームマート釜石店」(大山直喜店長)をリニューアルオープンさせた。日用雑貨や住宅設備に関する商品を販売するホームセンターの装いを一新。生鮮食品や総菜なども扱うワンストップ型店舗として利便性をプラスし、「日常づかいの暮らし」をサポートする。
 
 午前8時の開店時間前には150人ほどの列ができた。開店すると買い物客らは新鮮な野菜や弁当、特売品の岩手県産米や卵、冷凍食品などを次々にカートに入れた。小川町の高橋テミさん(81)は近所の人に「売り出し行くよ」と誘われ、「すっ飛んできた」とにっこり。「小川には店がなくて買い物が大変。ここで一気に買い物が済むから生活が便利になりそう。店内も新しくて、気持ちがいい」と歓迎した。
 
食品売り場では買い物客が特売品や総菜、冷凍食品を品定め

食品売り場では買い物客が特売品や総菜、冷凍食品を品定め

 
リニューアルに合わせセルフレジを導入し利便性を高める

リニューアルに合わせセルフレジを導入し利便性を高める

 
 ホームマートは農村地域を中心とする小商圏向けに同社が開発した業態。売り場面積300坪規模で、農業資材や日用品、食品など地域のニーズに柔軟に対応した品を取り扱い、暮らし密着型の店舗として運営する。
 
 釜石店は2000年4月にホームセンターとして開店した。同社では既存の店舗を維持、強化する戦略の一つとしてホームマート型店舗の拡大を計画。売り場面積1000坪の釜石店は「新生ホームマート1号店」で、同規模店では初の業態となる。
 
リニューアルオープンしたサンデーホームマート釜石店

リニューアルオープンしたサンデーホームマート釜石店

 
 リニューアルの大きな特徴が食品コーナー(約160坪)の設置。豆腐や牛乳といった日配品、冷凍食品、そして野菜、肉、魚介類などの生鮮食品、弁当や総菜類も並ぶ。医薬品の売り場も広げ、健康食品の品ぞろえを拡充。「毎日の買い物」に利用してもらえるよう新鮮さと品質も売りにする。
 
 ホームセンターの要素もしっかり残す。水産のまちという釜石の地域特性に対応した水産関連の作業用品や、シカなどによる農作物、庭木の被害が増えていることから電気柵などの防獣対策用品、災害発生に備えた防災用品、防犯用品も充実させた。家庭菜園や室内ガーデニングを楽しむ人向けのコンパクトな園芸用品、植物の育成用土や肥料、カジュアルウエアなども取りそろえる。
 
地域の特性に合わせホームセンター商材もそろえる

地域の特性に合わせホームセンター商材もそろえる

 
買い物客に対応する店員。質問や要望に耳を傾ける

買い物客に対応する店員。質問や要望に耳を傾ける

 
 市内にはイオンタウン釜石の専門店の一つとしてホームセンターに特化した「サンデー釜石港町店」もあるが、ホームマートという新業態による品ぞろえやサービス提供で特色を出し、両立を図る。釜石店の大山店長(52)は「買い物をして楽しいと思える、衣食住がそろう店になった。ぜひ利用を」と呼びかける。営業時間は午前8時~午後8時。
 
「毎日のお買い物にぜひ」と笑顔を見せる大山直喜店長

「毎日のお買い物にぜひ」と笑顔を見せる大山直喜店長

 
 既存のホームセンターを含むサンデーグループの店舗数は111店になる。1000坪規模のホームマートは釜石店を皮切りに、東北各地で展開させていく。