タグ別アーカイブ: 地域

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2025年度がスタート 釜石大槌の若き消防士6人「地域守る」 決意胸に新たな一歩

制服、制帽を身に着け、気を引き締める新採用の消防士

制服、制帽を身に着け、気を引き締める新採用の消防士

 
 新年度がスタートした1日、釜石大槌地区行政事務組合消防本部では新採用の消防士6人に辞令が交付された。駒林博之消防長からの激励に応え、ビシッと敬礼。「災害から地域を守っていく」との決意を胸に、新たな一歩を踏み出した。
 
 釜石市鈴子町の同本部・釜石消防署で辞令交付式があり、駒林消防長が訓示。2月に発生した大船渡市の大規模山林火災で、同本部は岩手県内の相互応援隊として隊員を派遣し、連日、各地の隊員と力を合わせ消火活動に当たった。「消防の業務は集団行動。訓練を通じて知識や技術を習得しながら仲間との結束力も高め、実際の現場で動けるよう取り組んでほしい」と背中を押した。
 
釜石大槌地区行政事務組合消防本部で行われた辞令交付式

釜石大槌地区行政事務組合消防本部で行われた辞令交付式

 
新規採用を含めた職員らを前に訓示する駒林博之消防長

新規採用を含めた職員らを前に訓示する駒林博之消防長

 
 新職員を代表して岩間雄史さん(22)が宣誓書を読み上げ、「消防の目的や任務を深く自覚し、全体の奉仕者として誠実かつ公正に職務の遂行に当たります」と決意を込めた。
 
新採用職員を代表して宣誓書を読み上げる岩間雄史さん(手前)

新採用職員を代表して宣誓書を読み上げる岩間雄史さん(手前)

 
 岩間さんは浜町出身。小学2年生の頃に経験した東日本大震災をきっかけに「地域の文化や自然を災害から守りたい」と消防士を志した。大船渡の山林火災で全国の消防士と連携して広範囲の消火活動に当たった先輩たちの姿に、素直に「かっこいい」と憧れを抱く。「現場は大変なこともあると思うが、自分もしっかり活動できるよう努力し、地域に貢献したい」と背筋を伸ばした。
 
「地域のために」。辞令を手に前を向く若き消防士たち

「地域のために」。辞令を手に前を向く若き消防士たち

 
 6人は、釜石、大槌ゆかりの18~22歳。震災の経験や身近にいる消防士の存在が、この道につながった。4月7日に県消防学校(矢巾町)に入校。半年間、初任教育を受け、人命と地域の暮らしを守るための訓練に励む。その後、10月から消防署などで実際に勤務する。

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広報かまいし2025年4月1日号(No.1853)

広報かまいし2025年4月1日号(No.1853)
 

広報かまいし2025年4月1日号(No.1853)

広報かまいし2025年4月1日号(No.1853)

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【P1】
学校給食費の無償化対象者を拡充します

【P2-3】
かまいしの自然環境を活用した遊びの提供にかかる費用を補助します
高齢者の補聴器購入費用を一部助成します 他

【P4-5】
市職員の給与などを公表します 他

【P6-7】
まちのお知らせ

【P8】
サプライヤーパーク・プレオープンマッチ

 

この記事に関するお問い合わせ
釜石市 総務企画部 オープンシティ・プロモーション室
〒026-8686 岩手県釜石市只越町3丁目9番13号
電話:0193-27-8463 / Fax 0193-22-2686 / メール
元記事:https://www.city.kamaishi.iwate.jp/docs/2025032900010/
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釜石市公式サイトと連携し、縁とらんすがピックアップした記事を掲載しています。記事の内容に関するお問い合わせは、各記事の担当窓口までお問い合わせください。
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能登の新入学児童に祝福とエール 通学のお守りに! 釜石から「トラキーホルダー」プレゼント

大地震で被災した能登地方の新入学児童に贈るトラキーホルダー。釜石トラ作りの会が制作

大地震で被災した能登地方の新入学児童に贈るトラキーホルダー。釜石トラ作りの会が制作

 
 石川県北部、奥能登地域を中心に甚大な被害をもたらした能登半島地震から、今日で1年3カ月―。復旧復興が続く同地域の小学校に今春、入学する新1年生を応援したいと、東日本大震災で被災した釜石市の市民グループが手作りのお祝い品を贈った。贈り主は同市平田を拠点に活動する、釜石トラ作りの会(前川かな代表、会員10人)。同市の郷土芸能“虎舞”をモチーフに制作したキーホルダーが入学祝いの品だ。「虎は千里行って千里帰る」という故事から、漁師らの無事帰還を願って古くから踊られてきた虎舞。キーホルダーには新入学児童が安全に通学し、無事に帰宅してほしいとの願いが込められる。
 
 トラキーホルダーは、能登町の宇出津小など5校と輪島市の門前東小など3校、計65人の新1年生に贈られる。黄色のクラフトテープを編んで一つ一つ手作業で仕上げたキーホルダーには、「入学おめでとう 交通安全に気をつけてね!」というメッセージカードが添えられる。会の活動と寄贈に込めた思いを記した手紙も各学校に届けてもらう。
 
釜石市の平田公民館で活動する「釜石トラ作りの会」=3月9日

釜石市の平田公民館で活動する「釜石トラ作りの会」=3月9日

 
新入学児童に贈るキーホルダーを箱に詰める前川かな代表

新入学児童に贈るキーホルダーを箱に詰める前川かな代表

 
トラ作りの会からキーホルダーを託される伊藤聡さん(左)。各校には手紙(右上)も一緒に届けてもらう

トラ作りの会からキーホルダーを託される伊藤聡さん(左)。各校には手紙(右上)も一緒に届けてもらう

 
 キーホルダーは3月27日、両市町に届けられた。輪島市を拠点とする民間のボランティアセンター「RQ能登」で昨年2月からコーディネーターとして活動する釜石市出身の伊藤聡さん(45)=さんつな代表=が、会から託された祝い品を担当者に直接手渡した。両担当者は予想以上の出来栄えに驚いた様子だったという。能登町教育委員会事務局の喜多隆志主幹は「大地震による被災で子どもたちは大変な思いをしたが、全国から温かい励ましやさまざまな支援をいただき、学校生活を送れている。皆さまからの応援は子どもたちにとって大きな力となっている」と、感謝の言葉を口にしたという。
 
伊藤さんからトラキーホルダーを受け取った輪島市支援調整窓口スタッフの澤田かをりさん(右)=写真提供:伊藤さん

伊藤さんからトラキーホルダーを受け取った輪島市支援調整窓口スタッフの澤田かをりさん(右)=写真提供:伊藤さん

 
トラキーホルダーを手にする能登町教委の喜多隆志さん(右)=写真提供:同

トラキーホルダーを手にする能登町教委の喜多隆志さん(右)=写真提供:同

 
 釜石トラ作りの会は、震災で被災した同市平田地区の住民が立ち上げた。仮設住宅入居時に行われたサロン活動でクラフトテープを使った物づくりを覚え、6年ほど前からは虎舞をモチーフにしたキーホルダーを作り、地元小学校の新入学児童に贈っている。メンバーのほとんどが同震災の津波で自宅を失うなどした被災者。全国で頻発する自然災害のニュースを目にするたび心を痛め、被害にあわれた人たちを案じてきた。会の活動が軌道に乗ってきたこともあり、「自分たちのできることで被災地の子どもたちを励ましたい」と、今回初めて能登地方の新入学児童へのキーホルダー贈呈を発案した。
 
 仲介役を担った伊藤さんは3月上旬、会のメンバーが制作活動を行う平田公民館を訪問。前川代表(60)からこれまでの活動の経緯などを聞くとともに、発災から1年が経過した能登の現状を伝えた。伊藤さんによると、現地は倒壊した家屋の公費解体がやっと進んできたところ。地震被害がまちの全域に及び、9月には豪雨災害もあったため復旧復興の遅れが顕著で、被災者の多くは今も仮設住宅などでの避難生活を余儀なくされているという。
 
 同会の活動のきっかけを聞いた伊藤さんは「向こうの仮設(住宅)にも手仕事の上手なお母さん方がいる。こういう活動があれば住民が集まる場もでき、孤立防止にも役立つ」とコミュニティー維持のヒントも得た様子。14年前の大震災被災の当事者でもあることから、「今回のような支援は気持ちと気持ちがつながるもの。もらった小学生は成長する過程でその意義を感じるようになるのではないか」と話した。
 
キーホルダーを受け取りに訪れた伊藤さんに会の活動経緯を伝えるメンバー

キーホルダーを受け取りに訪れた伊藤さんに会の活動経緯を伝えるメンバー

 
伊藤さんも平田出身。地元ならではの話題も出て会話が弾む

伊藤さんも平田出身。地元ならではの話題も出て会話が弾む

 
 「私たちも全国の人たちから支援を受けて今がある。一人ではできなくても、みんなでやればできることもある」と前川代表。子どもへの支援を考えた背景には14年前の実体験がある。「子どもが元気だと大人も元気になれる。子どもたちの姿に親や祖父母は頑張る力をもらい、生活再建やまちの復興を成し遂げてきた。今回の贈り物が能登の子どもたちの笑顔につながれば…」。トラキーホルダーが揺れるランドセル姿の新1年生を思い浮かべながら、メンバーらは制作活動を続ける。

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釜石・大町広場 ウッドデッキに美観再び 塗装奉仕の日本塗装工業会県支部に市から感謝状

日本塗装工業会岩手県支部の奉仕(右下)できれいになった大町広場のウッドデッキ

日本塗装工業会岩手県支部の奉仕(右下)できれいになった大町広場のウッドデッキ

 
 釜石市の中心市街地にある公園「大町広場」のウッドデッキが美しい景観を取り戻した。一般社団法人日本塗装工業会岩手県支部(松田隆二支部長、29社)が社会貢献活動として、ボランティアで塗装作業を買って出たもので、広場は明るく快適な空間に生まれ変わった。市は26日、同支部に感謝状を贈り、多大な貢献へ謝意を表した。
 
 同広場は、東日本大震災後の復興まちづくりの中で整備され、2015年6月に完成。大型商業施設「イオンタウン釜石」や共同店舗「タウンポート大町」に隣接し、市民の憩いの場、また各種イベント会場としても活用されてきた。特徴的なウッドデッキは9年が経過し、塗装の劣化で色あせた印象となっていたところ、県内の建設塗装業者で組織する同支部から奉仕活動の申し入れがあり、今回の再整備が実現した。
 
 2月26日、県内各地から32人の職人が集まり、木材保護塗料を施す作業が行われた。事前に高圧洗浄機で汚れを落としておいたデッキに2色の茶系塗料を塗った。デッキの一部はステージとしても使われるため段差がある。職人らは手間のかかる作業を分担しながらこなした。完成時のような美観を取り戻した広場は市民にも好評で、散歩や買い物に訪れた人たちが休憩したり、子どもたちが遊ぶ姿が見られている。
 
県内各地から建設塗装業者が参加した社会貢献活動=2月26日、大町広場(写真提供:日本塗装工業会岩手県支部)

県内各地から建設塗装業者が参加した社会貢献活動=2月26日、大町広場(写真提供:日本塗装工業会岩手県支部)

 
32人が1日かけて塗装作業。プロの技が光る(写真提供:同)

32人が1日かけて塗装作業。プロの技が光る(写真提供:同)

 
感謝状を受け取った日本塗装工業会県支部の松田隆二支部長(中央)=3月26日、市長室

感謝状を受け取った日本塗装工業会県支部の松田隆二支部長(中央)=3月26日、市長室

 
 作業から1カ月となった一昨日26日は、同支部への感謝状贈呈式が市役所で行われた。同支部から松田支部長、千葉俊一事務局長、地元業者の伊東公一さん(松草塗装工業代表取締役、中妻町)が訪れ、小野共市長から感謝状を受け取った。
 
 松田支部長は「塗装の目的の一つが美観。そういった部分を見て喜んでもらえるのは非常にうれしい。地域の皆さんあっての塗装の仕事。感謝の心を忘れず、これからもまい進していきたい」。市との調整役を担った伊東さんは「今回の活動には予想以上の参加があった。皆さんの協力でこの広さ(約650平方メートル)を1日で仕上げることができた」と仲間との絆を示した。
 
松草塗装工業(釜石市)の伊東公一代表取締役(写真右上)らが今回の活動について報告

松草塗装工業(釜石市)の伊東公一代表取締役(写真右上)らが今回の活動について報告

 
塗装には防虫防腐効果のある塗料が使われ、耐久性も期待できる。はがれにくいのも特徴

塗装には防虫防腐効果のある塗料が使われ、耐久性も期待できる。はがれにくいのも特徴

 
 小野市長は「県内景気が悪い中で、身銭を切って市民のために奉仕していただいたことに深く感謝する。皆さんの気持ちが本当にありがたい」と頭を下げた。
 
 同支部は1955年に発足。人材育成、労働安全衛生活動、情報収集などを行いながら、会員の経営強化、業界の地位向上などを目指してきた。年1回の社会貢献活動も長年にわたり継続。今年、創立70周年を迎える。支部はこの後、タウンポート大町前のウッドデッキ塗装も手がける予定で、4月中の完成を見込む。
 
「釜石のシンボル的な場所で作業をさせていただき光栄」と話す松田支部長(左)。同市との新たな縁を喜んだ

「釜石のシンボル的な場所で作業をさせていただき光栄」と話す松田支部長(左)。同市との新たな縁を喜んだ

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地域と共に 釜石「うのすまい・トモス」6周年 味覚に手仕事…記念マルシェにぎわう

オープンから6周年を迎えた「うのすまい・トモス」

オープンから6周年を迎えた「うのすまい・トモス」

 
 釜石市鵜住居町のうのすまい・トモスで23日、6周年記念マルシェが開かれた。東日本大震災の教訓を伝えるとともに、地域の交流拠点にもなるよう願いが込められた施設。市内外のおいしいものや雑貨などの出店、工作体験などの催しがあり、家族連れらでにぎわった。
 
 地元釜石のほか、盛岡市や遠野市などから43店が出店した。ホタテなどの浜焼き、もつ煮、ピザなど各店がこだわりの味を提供。手作りのアクセサリーや着物のリメイク小物など手仕事の技を込めた商品も紹介した。鵜住居町内会は綿あめやポップコーンをお振る舞い。陸中海岸青少年の家(山田町)は貝殻や松ぼっくりなど海と森の素材で彩るフォトフレームづくり体験で楽しませた。
 
市内外のおいしいものが並び、来場者は品定めを楽しんだ

市内外のおいしいものが並び、来場者は品定めを楽しんだ

 
食べて、体験して、会話を楽しむ人たちの笑顔が広がった

食べて、体験して、会話を楽しむ人たちの笑顔が広がった

 
 三陸鉄道鵜住居駅がすぐそばにあり、列車を利用し来場した人にはマルシェ限定の買い物券を配布するサービスも用意された。そうした後押しに応えようと、三鉄(本社・宮古市)が今回、初出店。黒字化の願いを込めたポン菓子「クロジカせんべい」や駅名板キーホルダーなどを並べた。釜石駅の山蔭康明駅長は「沿線地域のものを紹介しながら、一緒に活気づけられたらいい。ゆっくり列車に乗って旅を楽しんでもらえると、もっとうれしい」と、店先で買い物客をもてなした。
 
三陸鉄道の販売ブースに並んだ品々をのぞき込む来場者

三陸鉄道の販売ブースに並んだ品々をのぞき込む来場者

 
 家族で飲食を楽しんだ二本松勝さん(45)は「イベントがあれば訪れる」と、今回も同級生や親戚が出店していることから足を運んだ。顔を合わせる機会にもなっていて、「こういうにぎわいの機会をもっと増やしてほしい」と願った。
 
 「元気出していくぞー」。地元の釜石東中の1、2年生の有志約40人がソーラン節を披露し、会場を盛り上げた。「若い力を感じて、地域も人も元気になってほしい」。生徒会長の千葉心菜さん(2年)は法被をなびかせながら、力の入った踊りにそう思いを込めた。ソーランリーダーの花輪和穂さん(同)は練習の成果を発揮できたと満足げ。伝統の“東中ソーラン”を引き継ぎつつ、「地域の人にも踊ってもらえるようにしたり、『映(ば)える』活動を発信して活発化させたい」と目標を掲げた。
 
息を合わせソーラン節を踊る釜石東中の生徒たち

息を合わせソーラン節を踊る釜石東中の生徒たち

 
「地域に元気を」と思いを届け、満足げな笑顔を見せた

「地域に元気を」と思いを届け、満足げな笑顔を見せた

 
 うのすまい・トモスは震災の教訓伝承、地域活動や観光交流を促進する拠点として公共施設を一体的に整備し、2019年3月にオープン。釜石祈りのパーク、いのちをつなぐ未来館、鵜の郷(さと)交流館などで構成され、両館の来場者数は3月22日現在で約66万人。新型コロナウイルス禍で減少した時期があったものの、修学旅行先や企業研修先として堅調に推移している。
 
 うのすまい・トモスの菊池啓統括マネジャーは「普段は防災や災害の備えを学ぶ県外からの利用が多いが、地域に根差した施設でありたいという思いがある。人が集う機会を定期的に設け、鵜住居駅前地区のにぎわいを創出し、地元を中心とした事業者の潤いにつなげていければ」と展望する。

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釜石の“宝物”が集う新スポット!?「まちかどミニ美術館」 TETTOに開設

釜石市民ホールTETTOに開設された「まちかどミニ美術館」

釜石市民ホールTETTOに開設された「まちかどミニ美術館」

 
 釜石市大町の市民ホールTETTOに、常設展示コーナー「まちかどミニ美術館」が開設された。地域に眠る“宝物”をみんなで楽しもうと、釜石市芸術文化協会(河東眞澄会長)が企画。思い思いの表現活動に取り組む人たちの“見てもらいたい一作”を紹介している。今後は、3カ月ごとに作品を入れ替える予定。「わが家の宝」「創作活動の力作」などテーマを設けたりしながら公募し、作品10点程度を無料で展示していく。
 
 開設に合わせ22日に行われたセレモニーで、河東会長は「釜石にはさまざまな芸術作品が眠っている。地域には絵を描いたり、ものを作ったり、文化活動を楽しむ人たちがいる。そうした活動の中で生まれた宝物をみんなで楽しみましょう」とあいさつ。芸文協の関係者や出品者らが除幕し、文化芸術に触れる場のオープンを喜んだ。
 
まちかどミニ美術館には市民が手がけた多彩なジャンルの作品が並ぶ

まちかどミニ美術館には市民が手がけた多彩なジャンルの作品が並ぶ

 
 同ホール共通ロビーの一角を活用。毛布に包まれて気持ちよさげに眠る猫を描いたパステル・色鉛筆画「爆睡」(小野寺浩さん作、日仏現代美術世界展準大賞受賞)、破けた障子の穴をのぞき込む瞬間を切り取った写真作品「好奇心」(菊池賢一さん作、第45回岩手県写真連盟公募展大賞受賞)、鶏をモチーフにした複雑で細緻な線をつないだ切り絵「まなざし」(黒須由里江さん作、第76回中美展準会員賞受賞)のほか、版画や俳句、彫金、砂絵など多彩なジャンルの作品が並ぶ。13人が出品。団体に所属している人もいるが、多くは個人で創作活動に取り組んでいる。
 
オープニングセレモニーで出品者が作品に込めた思いを解説

オープニングセレモニーで出品者が作品に込めた思いを解説

 
感性豊かな作品が並び、来場者がじっくりと鑑賞を楽しむ

感性豊かな作品が並び、来場者がじっくりと鑑賞を楽しむ

 
 本業の看板業を発展させながら写真やイラストなどの作品を作り続ける多田國雄さん(82)は、「2011.3.11の記憶」とタイトルを付けたデザイン作品を並べた。東日本大震災で被災し避難生活を送る中で唯一、手元に残った記録媒体・携帯電話で撮った写真を散りばめた。全ての窓が抜け落ち土砂に埋まった当時の自家用車、防潮堤を壊した形で岸壁に乗り上げた貨物船、被災後のまちに戻った街灯の明かり…。被災から3年たった頃に手がけたもので、「次第に当時の記憶が遠のく今、薄れかけた記憶を呼びもどす」との気持ちを閉じ込めた。「(災害は)また来るかもしれないでしょ」。毎年3月に個人的に向き合ってきた一作を公開している。
 
震災をテーマにした「2011.3.11の記憶」(左)と作者の多田國雄さん

震災をテーマにした「2011.3.11の記憶」(左)と作者の多田國雄さん

 
 同美術館には「港かまいし 芸術鑑賞散歩」とのキャッチフレーズが付く。芸文協の関係者は「どの作品も個性が全く違う。作品を楽しみに来てもらい、一作一作をじっくりと楽しんでほしい」と期待。公開された作品に刺激を受け、「新たなことに挑戦したり、趣味を見つけてもらえたら。そして、ぜひ展示してみましょう」と、輪の広がりを待つ。
 
制作者、鑑賞者がつながる場としての可能性に期待が高まる

制作者、鑑賞者がつながる場としての可能性に期待が高まる

 
 出品は原則釜石在住の個人、芸術文化団体に所属する人が対象。今後、市の広報紙などで募集する予定だ。同美術館には文化芸術に関する催しのチラシなどを配置する情報コーナーも用意。作品公募の案内も置くことにしており、「鑑賞がてらチェックを」と呼びかける。

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地域まるごとサポーター!認知症見守りへ 釜石・栗橋地区住民有志 チーム結成

認知症の人や家族を支える「チームオレンジ くりはし」のメンバー

認知症の人や家族を支える「チームオレンジ くりはし」のメンバー

 
 釜石市の栗橋地区(栗林町、橋野町)の住民有志は12日、認知症の人やその家族を支える活動に取り組む「チームオレンジ くりはし」を結成した。もともと地域の団結力が強く、根づく住民同士の見守り、支え合いの風土を生かす。各種講座を受けて理解を深めたメンバーが、それぞれ自主的に取り組んできた活動をさらに前進。認知症に関わらず、「共生」の地域づくりを目指す。
 
 同地区には、486世帯986人(2月末現在)が暮らす。昨年秋頃にチームづくりの機運が高まり、認知症サポーター養成講座とステップアップ講座を順次開催。延べ167人が修了している。
 
 結成式は栗林町の砂子畑さんあいセンターで開催。10~90代の約60人が参加し、認知症支援のシンボルカラーであるオレンジ色のリングを受け取った。栗林、橋野それぞれにリーダーは置くが、メンバー各自が「地域まるごと認知症サポーター」として隣近所での見守り合いを継続。栗橋地区生活応援センターや市社会福祉協議会と連携し、認知症カフェの開催なども予定する。
 
各地区のリーダーからオレンジリングを受け取るメンバー

各地区のリーダーからオレンジリングを受け取るメンバー

 
 栗林地区リーダーの小笠原サキ子さん(74)は、親の介護のため7年前に古里に戻った。その頃から地域にチームオレンジをつくる目標を持っていたといい、「結成は結果で、これまでのプロセスや住民の気持ちの動きが大事」と深く感じ入った様子。若い世代の参加もうれしい動きで、「世代が違っても気持ちがつながっていればいい。その輪を広げていきたい」と思いを深めた。
 
 橋野地区リーダーの菊池信子さん(73)は「表情が気になる人がいたら声をかけている。経験者の話も聞きながら活動していきたい」と話した。百歳体操、グラウンドゴルフ、お茶っこ会などの集まりは継続。停滞しているという老人会の活動を見直したり、季節の植物を地域で楽しむ機会を増やしたい考えだ。
 
「地域みんなが顔見知り」。普段のつながりを活動に生かす

「地域みんなが顔見知り」。普段のつながりを活動に生かす

 
 市内では鵜住居、小佐野、唐丹地区に続き4番目の結成となった。栗橋地区生活応援センターの二本松由美子所長は「支え合い文化が根づいた地域で、ゼロからのスタートでない。これまでの支え合いの延長線として考えてもらえたら」と、緩やかな視点での活動を期待した。

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趣味の作品集まれ~ 中妻公民館に展示コーナーお目見え 地域交流、来館促進、達人発掘も?

中妻公民館でスタートした「みんなの作品展」=18日

中妻公民館でスタートした「みんなの作品展」=18日

 
 釜石市上中島町の中妻公民館(中妻地区生活応援センター、小山田富美子所長兼館長)は3月から、地区住民が誰でも出品可能な「みんなの作品展」を始めた。趣味で創作している人、こども園や学校、サークルなど個人、団体、年代を問わず作品を募集。1カ月単位で展示期間を設け、毎月継続していく。「住民が地域とつながるきっかけに」と作品提供を呼び掛ける。
 
 3月の展示は18日から開始。中妻地区に住む高齢者ら男女3人が作品を寄せている。一枚板をくりぬいてさまざまな模様を施した木工の壁掛け、切り絵、和紙人形、羽子板、パッチワークなど16点が並ぶ。いずれも趣味で創作しているもので、これまで多くの人の目に触れる機会のなかった作品だ。
 
 同館を利用する女性は「初めて見る作品も。地域にこういうのを作っている人がいるのは知らなかった。素晴らしい」と驚いた様子。自身も創作活動に興味があり、「何か開拓しようかなと思っていたところ。いろいろ見ながらやりたいことを見つけたい」と刺激を受けていた。
 
パッチワーク、切り絵、和紙細工… 作者の思いが詰まった作品が並ぶ

パッチワーク、切り絵、和紙細工… 作者の思いが詰まった作品が並ぶ

 
木工細工の壁掛けは商品のような仕上がり。部屋を素敵に彩りそう

木工細工の壁掛けは商品のような仕上がり。部屋を素敵に彩りそう

 
 同地区には震災後、復興住宅が建設され、他地区からの移住者が増えた。住民には高齢者も多く、同館では引きこもり防止策の一助にと体操やゲーム、健康相談、昼食会などサロン活動を定期的に開催するが、「なかなか足を運べない」「人が集まる場は苦手」という人もいる。そういう人でも地域とのつながりを持てればと考えたのが「みんなの作品展」。話を聞くと、自宅で物作りを楽しむ人は意外と多く、作品を通して新たな交流が生まれるのではないかと常設の展示コーナーを設けることにした。
 
来館者も初めて見る作品に興味津々。制作過程が気になる

来館者も初めて見る作品に興味津々。制作過程が気になる

 
 菊池洋範所長補佐は「作品を持ち寄ることで外出のきっかけになったり、作品を楽しみに気軽に公民館へ来てもらったり。制作者、来館者双方にいい効果があれば」と期待。同館では今のところ、定期的に活動するような制作系のサークルはなく、「こうした展示を機に新たなサークル活動に発展することもあるかも。人と人との輪がさらに広がっていけばうれしい」と今後を思い描く。
 
 作品展示を希望する方は中妻公民館(電話0193・23・5543)まで連絡を。なお、3月の展示は4月17日までを予定する。
 
作品展は入り口近くのロビーで開催中。今後、展示の仕方も工夫する予定

作品展は入り口近くのロビーで開催中。今後、展示の仕方も工夫する予定

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抹茶の苦さも思い出に 釜石・正福寺幼稚園 年長児、小学校入学前の特別な茶席体験

「苦いけど、おいしい」。お茶会を楽しむ子どもたち

「苦いけど、おいしい」。お茶会を楽しむ子どもたち

 
 釜石市甲子町の正福寺幼稚園(松岡公浩園長、園児28人)の年長児を招いたお茶会が2月28日、隣接する正福寺(須藤寛人住職)で開かれた。日本の伝統文化に触れてもらおうと企画。参加した園児14人のほとんどが抹茶をいただくのは初めてで、「ちょっぴり苦いね。けど、がんばったよ」と得意げな表情を広げた。
 
 同園を運営する学校法人釜石学園理事長でもある須藤住職がお点前を披露。園児たちはその様子を間近で見ながら、お菓子をいただき、抹茶を飲んだ。「いいにおい、たまらない」と笑う子もいれば、「葉っぱのにおいだ。にがーい」と動きが止まる子もいた。「チョコの追加、お願いします」との希望者も多数。それでも、最後はみんなで「がんばって飲んだよ」と声を合わせた。
 
園児を前にお点前を披露する須藤寛人住職(右)

園児を前にお点前を披露する須藤寛人住職(右)

 
お菓子もお点前も真剣な表情で「ちょうだいいたします」

お菓子もお点前も真剣な表情で「ちょうだいいたします」

 
抹茶を一口…。表情豊かに味わいを表現する子どもたち

抹茶を一口…。表情豊かに味わいを表現する子どもたち

 
 茶の湯の研さんを積む須藤住職の妻由布子さん、近所に住む佐野宗智さんが作法を紹介した。「一座建立(いちざこんりゅう)」とのキーワードを示し、「お茶を出す人、いただく人が心を通わせて心地よい空間をつくり出すという言葉です。まずは、お互いに心の込もったあいさつをしましょう。そうすれば、平和であたたかい空間になるから」と説明。茶を飲むときは器の正面をずらすために少し回すなど、園児たちは約束を守りながら取り組んだ。
 
 お点前の体験もあり、福士千晴君(6)は「混ぜるとこ、楽しかった。苦かったけど、飲めてうれしかった」と笑顔を見せた。
 
教わったことをしっかり受け止めて「ちょうだいします」

教わったことをしっかり受け止めて「ちょうだいします」

 
お点前に挑戦。「シャカ、シャカ、シャカ…」。集中力、抜群!

お点前に挑戦。「シャカ、シャカ、シャカ…」。集中力、抜群!

 
もてなし、もてなされ、笑顔あふれる正福寺幼稚園のお茶会

もてなし、もてなされ、笑顔あふれる正福寺幼稚園のお茶会

 
 小学校入学を控える年長児に「思い出になる園行事を」と須藤住職が提案。園とは違った生活になることを「抹茶の苦さ」や、作法という「決まり事」で感じてほしいという期待もある。「今日やったことを忘れずに頑張ってください」。エールを送った。

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釜石東中 失われた記録つなぐ 卒業生と共につくる50周年記念誌 協賛呼びかけ

記念誌づくりを進める釜石東中創立50周年記念事業実行委のメンバー

記念誌づくりを進める釜石東中創立50周年記念事業実行委のメンバー

 
 釜石市立釜石東中学校(釜石市鵜住居町)が今年度、創立50周年を迎えた。鵜住居地区の3つの中学校の統合により、1974(昭和49)年に開校、地域とともに歩んで半世紀。これまでの歴史を残そうと、記念誌の作成が進められている。東日本大震災で被災し多くの資料が失われ、情報不足が心配されたが、卒業生らの協力もあって方向性はまとまった。被災の記録と復興への取り組みも加え、後世に伝えるものにするつもりだ。
 
 同校は鵜住居中、箱崎中、栗林中が統合し開校。当時は海に近い場所にあった。さらに橋野中も加わり、その約4年後の2011(平成23)年3月、震災の津波で校舎が全壊。他地域の中学校を間借りして授業を続けた。鵜住居町の内陸部に仮設校舎が設けられると、地区に戻り、同じように被災した鵜住居小児童と一緒に本設校舎の完成を待ちながら約5年間を過ごした。17(同29)年4月から、同町中心部の高台に整備された新校舎(小中併設)で生活を始めた。
 
 もともと防災教育に熱心に取り組んでおり、新校舎が地域の防災拠点としても機能する複合教育施設として整備されたことから、活動を深化。受け継がれた校風、防災の学びや技能を生かそうと、災害発生時の初動対応を行う自主防災組織(自主防)を今年2月に立ち上げた。「助けられる人から助ける人へ」。自分の命を守りつつ、周囲の人も救う姿勢を実践していく。
 
 記念誌の編さんに取り組んでいるのは、同校創立50周年記念事業実行委員会(小笠原慎二委員長)、教職員ら約10人。昨年夏頃から委員らが集まって構成を考え、菊地由紀美副校長(58)が中心となってまとめている。
 
メンバーが話し合いながら編集作業を進めている

メンバーが話し合いながら編集作業を進めている

 
 「足跡、軌跡を振り返ることができる大事な記念誌。思い出を共有できるものをつくりたい」という思いだが、卒業者名簿や卒業アルバムなどの資料を失っているため苦戦。卒業生らにアルバムなど情報提供を求め、寄せられたアルバムから写真を選び、まとめようと奮闘している。入手できたアルバムは39年分で、年度ごとにクラス写真を掲載する予定。また、震災の記録として、同校の防災教育や震災当時の避難行動を紹介する新聞記事なども加える。
 
 記念事業として、昨年10月に同校文化祭に合わせて式典や沿革を紹介する特別展示を実施。展示した写真も記念誌に収める予定で、小笠原委員長(43)や菊地副校長らが、鵜住居の歴史に詳しい同校の学校運営協議会委員の古川幹敏さん(71)の話も聞きながら作成を進める。
 
記念事業として実施した展示で使った写真も掲載する予定

記念事業として実施した展示で使った写真も掲載する予定

 
 同校の卒業生で実行委顧問の川﨑浩二さん(55)は津波で自宅が被災し、思い出の品は残っていない。記念誌の作成に関わる中で、「懐かしい記憶」に触れている。自身の卒業年度のアルバムは被災地域外の同級生が寄せてくれた。「年度ごと、個別だった学校の歩みがひとつになるのが記念誌。一気に見ることができるものは、なかなかない」と発行の意義を強調する。学びやを巣立った人たちが懐かしむだけでなく、「今、学んでいる生徒にも見てほしい。こういう経過があって今あることを知ってほしい」と望む。
 
 編集は終盤に入り、発行に向けて協賛金を募っている。協賛金は2000円からで、記念誌を希望する場合は2000円以上の協賛金が必要。専用フォームから申し込み、指定口座へ振り込む(手数料は自己負担)か、学校に直接持参する。申し込みは23日まで。問い合わせは釜石東中(0193-28-3010)へ。
 

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震災14年 それでも歩み続ける 「あの人」への思い、心にとどめ 支え合って未来へ

地震が発生した午後2時46分、釜石祈りのパークで手を合わせる遺族ら=11日

地震が発生した午後2時46分、釜石祈りのパークで手を合わせる遺族ら=11日

 
 東日本大震災は11日、発生から14年となった。釜石市全域の犠牲者は、関連死を含め1064人(うち行方不明者152人)。平穏な暮らしを一変させたあの日―。命をつないだ人々は深い悲しみと向き合いながら懸命に生きてきた。今年も巡ってきた“3.11”。市内では犠牲者の鎮魂と冥福を祈る人たちが各所で手を合わせ、故人に思いを伝えた。
 
「支え合って生きていく」。追悼の言葉を送った宮田キナヱさん

「支え合って生きていく」。追悼の言葉を送った宮田キナヱさん

 
 「元気に頑張っています」。鵜住居町の追悼施設「釜石祈りのパーク」前広場で開かれた追悼式で、遺族代表の宮田キナヱさん(76)は夫光行さん(当時70)と長男豊さん(同32)に語りかけた。遺体安置所に行った時、思わず大声で泣いた。がくぜんとする中でも「なくてはならない業種だから」と亡き夫が経営し、長男が継ぐはずだった廃棄物収集運搬会社を引き受け、事業を再開。避難所のごみ収集に携わった。多くの支援があったことを報告し、「恩返しのつもりで、精いっぱい仕事をします」と前を向いた。「安心してください。そして、これからも見守って」
 
 遺族や縁故者ら約120人が出席し、市合唱協会員が「いのちの歌」など2曲を献唱。1003人の名を刻んだ芳名板が並ぶ祈りのパークの献花台に白菊を手向け、手を合わせた。
 
祈りをささげる歌声が大切な人をしのぶ女性に寄り添う

祈りをささげる歌声が大切な人をしのぶ女性に寄り添う

 
芳名板に記された文字をなぞり、花を手向け、手を合わす

芳名板に記された文字をなぞり、花を手向け、手を合わす

 
 千鳥町の会社員鬼頭美憲さん(50)は長男佑介さん(22)と訪れ、刻まれた2人の名に手を伸ばした。「時間や年数は経っていくが、気持ちはあの日のまま。捜し歩いた日がよみがえる。下を向く、足を止める時間も必要…だけど、歩いていかないと」。複雑な心境を吐き出す一方で、会社の同僚や市民劇の仲間たちが「顔を上げる力をくれる」とありがたく思う。亡き妻里絵さん(当時34)、長女美佑里ちゃん(同2)に向き合い、心の中でつぶやいた。「(佑介は)たくましく強く育ったよ」「そばにいると思って生きてくよ」
 
「それしかできないから」。魚河岸の岸壁から海を見つめる漁業者

「それしかできないから」。魚河岸の岸壁から海を見つめる漁業者

 
 祈りのパークの場所には震災時、鵜住居地区防災センターがあった。多くの住民が逃げ込み津波の犠牲となった。「親戚がそこで…」と話したのは、浜町の70代女性。魚河岸の市魚市場近くの岸壁で干物づくりを終え、唐丹町で暮らす実弟(60代)と海を眺めていた。女性は津波で自宅を失ったが、ほぼ同じ場所に再建。漁師の夫は「海しか見えない」とこぼしつつ、自身も「小さい頃から見慣れているから、海がないとね」とうなずく。“夫婦漁師”は「あと数年かな」とぽつり。「だんなと一緒に過ごせたらいい」
 
花や菓子を供えて墓参りする遺族=11日昼ごろ

花や菓子を供えて墓参りする遺族=11日昼ごろ

 
 市内の墓地には朝から、遺族らが墓参りに訪れた。大平墓地公園で、亡き夫栄蔵さん(当時67)に手を合わせた佐藤昌代さん(81、大船渡市)。震災時は釜石市浜町に暮らし、夫婦で自営業を営んでいた。「俺、車よけてくっから」。配達から戻った夫の最後の言葉が今も耳から離れない。周りに促され、先に避難所に向かった。「(夫も)きっと逃げているはず…」。迎えにくると信じていたが、安否は不明のまま。2週間後、がれきの下から見つかった。「自分の持ち物には何でも名前を書く人だったので…」。身元確認に行った遺体安置所で対面した夫は別れた時のままの服装だった。仮設住宅に入ったが、「しばらく笑い顔ができなかった」。後に、出身地で妹らが暮らす大船渡市への移住を決めた。
 
「会いに来たよ…」。故人への思いを胸に手を合わせる

「会いに来たよ…」。故人への思いを胸に手を合わせる

 
 昌代さんと墓前を訪れた長女船野有紀子さん(54、宮城県)は、墓石をなでながら家族の近況を報告した。「父は働き者。朗らかで家族思い。私たち娘も5人の孫も、とてもかわいがってくれた」。14年という時の経過はあっても「忘れることは一日もない」。家族が集まると、必ず話題になるのは父のこと。「14年か…。会いたいな」。思い出は決して色あせない。「今は気ままにやっているから」と話す母。近くにいてくれる叔母らに感謝しながら、母が元気でいてくれることを願う。
 
身元不明の遺骨を安置する震災物故者納骨堂(大平墓地公園)で行われた供養

身元不明の遺骨を安置する震災物故者納骨堂(大平墓地公園)で行われた供養

 
 大平墓地公園内には、身元が分からない犠牲者の遺骨を安置する納骨堂がある。全身骨5柱、部分骨4柱が眠る。今年も市関係者、一般市民らが参列して供養が行われた。黙とう後、釜石仏教会(大萱生修明会長、17カ寺)の僧侶9人が読経し、参列者が焼香。いつか家族の元に戻れるよう祈りをささげた。
 
 2018年に納骨堂が完成するまで遺骨を預かり、供養を続けてきた仙寿院(大只越町)の芝﨑恵応住職は「一生懸命生きたはずの皆さんが(震災で)どこの誰かも分からなくなり、遺骨には数字しか並んでいない。非常に悲しい現実がある」と吐露。参列者は「早く見つかってほしい。それまではみんなで供養していく」と思いを寄せた。
 
地震発生時刻に海に向かって黙とう=午後2時46分、鵜住居町根浜

地震発生時刻に海に向かって黙とう=午後2時46分、鵜住居町根浜

 
 午後2時46分―。14年前の地震発生時刻を告げるサイレンが市内に鳴り響く。それぞれの場所で目を閉じ、祈りをささげる人々。あの日、津波に襲われた鵜住居町根浜の旅館「宝来館」には遺族や地元住民、ボランティアの大学生など多くの人たちが集まり、追悼行事(3.11祈りと絆「白菊」実行委主催)が行われた。
 
 市内全小中学校14校の児童生徒から寄せられた追悼と未来へのメッセージを朗読。犠牲者、被災者への思い、自分を生み育ててくれた両親への感謝、命を守る行動への誓い…。震災の記憶、経験がない子どもたちが紡いだ言葉の数々が集まった人たちの心に響いた。
 
さまざまなメッセージを記した風船を大空に放つ

さまざまなメッセージを記した風船を大空に放つ

 
能登半島地震、ウクライナとロシアの戦争…。小中学生からは他地域の被災者らに向けたメッセージもあった。復興や平和への祈りが続く

能登半島地震、ウクライナとロシアの戦争…。小中学生からは他地域の被災者らに向けたメッセージもあった。復興や平和への祈りが続く

 
 津波で両親を亡くした同町出身の民謡歌手佐野よりこさんは「今でも悪い夢であってほしいと思う。大切な人を亡くした悲しみは一生消えることはないだろう」と遺族の気持ちを代弁。「犠牲になった人たちの分まで、一日一日を大切に前を向いて歩いていく」と誓った。天を仰ぎ、“津波てんでんこ”“南部木挽唄(オーケストラバージョン)”を献唱した。
 
佐野よりこさん(右)は津波犠牲者らの冥福を祈り2曲を献唱。古里の海に眠る故人の魂を慰めた

佐野よりこさん(右)は津波犠牲者らの冥福を祈り2曲を献唱。古里の海に眠る故人の魂を慰めた

 
 穏やかに寄せては返す波―。祈りの場となった根浜海岸はこれまでにない静けさをたたえた。夜に予定されていた鎮魂の花火「白菊」は、大船渡市で発生した大規模山林火災を受け、6月に延期された。毎年、同花火打ち上げの手伝いなどボランティアで訪れている奥州市の小笠原徹さん(46)は小学2年までを鵜住居町で過ごした。「震災から2カ月後に来た時は衝撃で言葉にならなかった」。釜石には妻と息子も一緒に。「震災を忘れてはいけない。風化させないよう子どもにも徐々に伝えていきたい」と話した。
 
鎮魂、復興、記憶、希望の4つの言葉が刻まれた「釜石復興の鐘」を鳴らす。大船渡市の山林火災被災者にも思いを寄せて…

鎮魂、復興、記憶、希望の4つの言葉が刻まれた「釜石復興の鐘」を鳴らす。大船渡市の山林火災被災者にも思いを寄せて…

 
 追悼行事は夜まで続いた。鈴子町の釜石駅前広場では夕方、「釜石復興の鐘」の打鐘が行われた。主催した、かまいし復興の祈り実行委の八幡徹也代表は震災と大船渡市の山林火災を重ね、「“まさか”は突然やってくる。私たちは大震災とコロナ禍、2つの“まさか”を乗り越えてきた。大船渡の被災した方々にも心を寄せ、鐘を打ち鳴らしてもらえれば」とあいさつ。招待者に続き一般市民らが鐘を鳴らし、鎮魂と復興への祈りを込めた。長年、鈴子町内会長を務めた澤田政男さん(76、宮古市)は「鈴子は釜石の玄関口。この場所に復興の鐘があることは大きな意味を持つ。訪れた人が震災を思い出し、忘れないための一助になれば」と願った。

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消えゆく街の個性 釜石の「呑ん兵衛横丁」 地元出身の写真家、歴史刻む写真集出版

釜石市内の書店に並ぶ写真集「釜石呑ん兵衛横丁」

釜石市内の書店に並ぶ写真集「釜石呑ん兵衛横丁」

 
 かつて、釜石市には夜の街を照らす名物飲み屋街があった。「釜石呑ん兵衛(のんべえ)横丁」。この呼び名で親しまれた飲み屋街は、戦後の焦土から立ち上がった屋台を起源にする。地元の労働者、旅人らが肩を寄せ合う憩いの場だったが、東日本大震災の津波で全壊。その後、仮設店舗で復活も2018年、約60年の歴史に幕を下ろした。
 
 そんな「街の個性」と言える横丁の記録を伝える写真集がこのほど、出版された。撮影したのは、釜石出身のフリーカメラマンで釜石応援ふるさと大使も務める佐々木貴範さん(58)=埼玉県所沢市。「横丁は釜石の歴史と文化の象徴だった。単純に懐かしんでもらえたら。それと、もしかしたら新しい発見があるかも」とメッセージを送る。
 

懐かしさと発見を求め 佐々木貴範さん撮影

 
震災前後の釜石の「呑ん兵衛横丁」を撮り続けた佐々木貴範さん

震災前後の釜石の「呑ん兵衛横丁」を撮り続けた佐々木貴範さん

 
 写真集「釜石呑ん兵衛横丁 東日本大震災で消滅した飲み屋街の記録と歴史」はB5判116ページ。09年8月に取材を始め、約15年かけて撮影、取材した集大成だ。震災の津波で流されながらも、さまざまな支援を受けて仮設商店街で営業を再開した横丁の笑顔に満ちた様子を、震災前の写真と合わせて紹介。仮設店舗の退去後、個々に再建した店も追い続け、撮った約1500枚の中から115枚を掲載した。
 
 1957年ごろ、路地で営業していた店が集まり、大町の長屋に軒を連ねた同横丁。最大で36店が営業し、製鉄業で活気づくまちに憩いの場を提供してきた。2011年の震災時には27店が営業していたが、津波で建物は全壊。同年12月、鈴子町に整備された仮設店舗で16店が営業を再開した。市が大町に整備した本設の飲食店街への移転(3店)、自立再建、店主の死去などで最後に残ったのは6店。5店は本設再建へ意欲はあるものの、期限までに道筋をつけることができなかった。そうして消えた地域の文化の象徴。撮影しながら、調べた歴史の変遷も詳しく記す。
 
震災前の呑ん兵衛横丁があった大町付近。川にフタをするように飲み屋が並んでいた

震災前の呑ん兵衛横丁があった大町付近。川にフタをするように飲み屋が並んでいた

 
鈴子町にあった仮設商店街。退去期限が迫る2018年3月に撮影

鈴子町にあった仮設商店街。退去期限が迫る2018年3月に撮影

 
 佐々木さんは横丁と同時代ににぎわい、03年に廃止となった「橋上市場」の写真集も過去に手がけた。「呑ん兵衛横丁と橋上市場は戦後の復興に貢献し、ともに釜石の名物であり、観光の目玉だった。それが街の個性で、文化だった」。その象徴が消えてしまった寂しさの一方で、今ある文化のさらなる消失を危惧。記録としての写真の役割、力を信じて写真集をまとめた。
 
 「お恵」に「とんぼ」「助六」…。店名を記したそろいの看板が店頭にずらりと並び、夜の街を照らす横丁は“釜石の顔”だった。間口約3メートル、奥行き約5.5メートルの店内はカウンターだけで8人も入れば満席。常連の住民、仕事帰りの人、旅行者たちが集い、お気に入りの店で店主との会話を楽しむ。「一人で入ってもすぐに仲間になれる」。そんな誰もがすぐに打ち解ける雰囲気が写真から伝わってくる。
 

残したかった看板、あの頃 「お恵」店主・菊池悠子さん

 
 「懐かしいね」。そうつぶやきながら写真集のページをめくるのは、同横丁で55年にわたり居酒屋「お恵」を営んできた菊池悠子さん(86)。「もう、やめよう」。望んでいた集団での本設再建がかなわず、横丁を閉じることになった時にそう思った。自宅で過ごす日々が続くと、「ボケちゃう、やだな」。仮設店舗退去後、1年の準備期間を経て、かつて横丁があった、同じ大町で営業を再開した。
 
写真集を手に取る「お恵」の菊池悠子さん

写真集を手に取る「お恵」の菊池悠子さん

 
 「あの頃はおもしろかった」。24歳の時、友人から引き継ぐ形で始めた店の営業は「大変だったけど、楽しかった…やっぱり呑ん兵衛横丁が一番だね」と菊池さん。景気が良かったこともあるが、「人が絶えなかった。(店は)狭くて7人も入れば、いっぱい。人がすれ違うのにぶつかったりするくらいなのがいいんだよね」。仮設店舗時代の時もしかり。「大変でも、みんな前向きで懸命だった。おもしろかった」
 
 ページを進める手を止め、「あの人、どうしているかな」とぽつり。なじみ客、仲間だった横丁の店主らの顔を浮かべた様子だった。その中で、印象に残っているのは仮設時代に店ののれんをくぐった初見の客の言葉。店がいくつもある中で「どうしてうちの店に?」と聞くと、「前を通ったら、大きな笑い声が聞こえてきたから」と答えが返ってきたとか。アハハハ…。菊池さんの笑顔は今も変わっていない。「ありのままなのさ」
 
復活した「お恵」。菊池さんは笑顔と笑い声が味

復活した「お恵」。菊池さんは笑顔と笑い声が味

 
 写真集に収められている店主、客の姿に共通なのは笑顔。横丁を歩く酔客のカットからも、楽しそうな様子が伝わってくる。そんな光景は震災前はもちろん、仮設店舗でも同様。たまに顔を出す佐々木さんがたくさん写真を撮っている姿を記憶する菊池さんは「ありがたいね」と目を細める。“残したかったあの看板”“おもしろかったあの頃”を記録として閉じ込めてくれたことが「うれしい」。今は先のことをあまり考えていないというが、「店は人生そのもの。体が続く限り…ね」と表情は明るかった。
 
写真集には笑顔あふれる横丁の記録が刻まれる

写真集には笑顔あふれる横丁の記録が刻まれる

 
 菊池さんはこの写真集を店に置いていて、客らにとっても「昔の思い出話のきっかけになっている」という。「懐かしんでほしい」との佐々木さんの思いは伝わっている。世代が変わって地元では横丁を知らない人が増え、他地域の人は存在すら知らないだろう。「呑ん兵衛横丁の名を残せなかった」とやりきれなさを感じてきた佐々木さんは「釜石の文化の記録として写真集を手に取ってもらえたら」と願う。
 
 発売を記念し、3月29日に釜石市でトークイベントを開く。佐々木さん、菊池さん、「とんぼ」店主の高橋津江子さんが参加し、写真集制作の裏話、横丁や仮設店舗での出来事など語る。司会は、常連客の一人でもある元市職員の大久保孝信さん。会場は大町の市民ホールTETTOギャラリーで午後2時~、入場無料。
 
 写真集は、トークイベントを主催する桑畑書店(釜石・大町)の店頭に並ぶ。価格は税抜き2800円。インターネット書店でも購入できる。問い合わせは無明舎出版(018-832-5680)へ。