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今年もうのスタで 「釜石よいさ」15日開催 TETTOで前夜祭も まちの活力復活へ2年目の挑戦

釜石よいさ本番に向け練習に励むよいさ小町(写真上)とお囃子隊(同下)

釜石よいさ本番に向け練習に励むよいさ小町(写真上)とお囃子隊(同下)

 
 釜石市の夏祭り、第33回釜石よいさ(実行委主催)は15日、鵜住居町の釜石鵜住居復興スタジアム(うのスタ)で行われる。コロナ禍による休止後、課題となっていた経費、運営体制を見直し、持続可能な形を模索する同実行委。復活開催2年目の今年も、うのスタを会場に日中に行うことで、交通規制や夜間照明にかかる経費削減、運営人員規模の縮小を図る。以前、会場だった市中心部、大町周辺のにぎわい創出策として、14日夕方には市民ホールTETTO前広場で前夜祭も開催。市内外からの誘客につなげる。
 
 踊りには17団体約600~700人が参加予定。幼児対象のこどもよいさには市内の4こども園が参加。初参加の「井戸商店・近藤商店 技能実習生チーム」は水産加工業に従事する外国人のほか、市内の他工場で働く外国人の参加も受け入れ、祭り文化の体験、国際交流の機会とする。団体に所属しない子どもたちが参加しやすいように、今年も「かまっこよいさ!」チームが受け皿となり、当日の飛び入り参加を促す。コロナ禍前からの復活は「釜石小学校PTA」チーム。親子で久しぶりのよいさを楽しむ。ラグビーの「日本製鉄釜石シーウェイブス」はホームグラウンドでの祭りを踊りで盛り上げる。
 
釜石鵜住居復興スタジアムで行われた第32回釜石よいさ=昨年9月23日

釜石鵜住居復興スタジアムで行われた第32回釜石よいさ=昨年9月23日

 
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観客を笑顔にする“こどもよいさ”。うのスタから元気を発信(昨年)

 
 祭りを先導する、よいさ小町、お囃子(はやし)隊の練習も大詰めを迎える。今年の「よいさ小町」は高校生4人を含む女性13人で結成。8人が初めての“小町”での参加だ。4回目の練習日となった6日は、学業や仕事を終えて集まった11人が前囃子と本囃子の踊りの練習に励んだ。
 
前囃子の踊りを練習する「よいさ小町」=6日、釜石PIT

前囃子の踊りを練習する「よいさ小町」=6日、釜石PIT

 
 高校1年の小笠原皐さん(16)は幼稚園から小学校まで踊りで参加していた地元出身者。高校生以上が対象の「よいさ小町」に初めて応募し、これまでとは違う立場での参加を楽しみにする。女性ならではのしなやかな動きの前囃子の踊りに「ヒップホップダンスを習っていたので、その癖が抜けない」と笑いつつ、「先輩方に教わりながら形になってきた。浴衣で踊るので、足さばきの所作も勉強しないと」と本番への意欲を高める。「未来の釜石がもっと明るくなるように…」と願い、祭りを華やかに彩る。
 
 神奈川県出身の平澤果鈴さん(24)は今年4月、市内の企業にIターン就職。「釜石に溶け込みたい」と、よいさ小町への挑戦を決めた。「踊りは難しいけど、振り付けに釜石の虎舞の動きとかが入っていて面白い」と楽しむ余裕も。観光関連の仕事で地域創生に携わっており、「地域理解も深めたい」と意気込む。同祭り自体を見るのも初めての経験。「雰囲気を存分に味わいたい。笑顔で楽しく踊れれば」と当日を心待ちにする。
 
虎舞がモチーフの躍動感あふれる本囃子の踊り

虎舞がモチーフの躍動感あふれる本囃子の踊り

 
当日は飛び入り参加OK。よいさ小町をお手本にどんどん踊ろう!

当日は飛び入り参加OK。よいさ小町をお手本にどんどん踊ろう!

 
 大小の太鼓、笛などで編成するお囃子隊は、小学生から50代までの男女35人。初参加、経験者、復活組とさまざまな面々が集う。TETTOホールAを練習会場に、夕方から約1時間半の練習を重ねてきた。当日は25分ずつ3回の踊りの時間を、太鼓や笛の音、掛け声で支える。
 
幅広い年代が集まるお囃子隊。本番に向け練習にも一層力が入る=8日、TETTO

幅広い年代が集まるお囃子隊。本番に向け練習にも一層力が入る=8日、TETTO

 
ベテランから大太鼓のばちさばきを習う参加者

ベテランから大太鼓のばちさばきを習う参加者

 
 千代川瑛大さん(中3)は父智紀さん(47)と小太鼓で親子参加。幼稚園以来の参加という瑛大さんは「周りとリズムを合わせられるようになると達成感と喜びがある」と、お囃子の醍醐味(だいごみ)を実感する。コロナ禍でかなわなかった「人と会って楽しむ時間」を復活させてほしいと願い、「みんなが楽しめるように頑張りたい」と話す。震災後、長女と参加していた智紀さんは「昨年から会場が変わったが、また違った雰囲気でにぎやかさもあった。涼しいのもいい。今年はお囃子初参加の息子と盛り上げに貢献できれば」と思いを込める。
 
 お囃子での参加は25年ぶりという男性(51)は久しぶりの大太鼓に「意外と覚えているものですね。年齢を重ねた分、体力は使いますけど」と苦笑い。“引退”後は職場で踊りでの参加を続けてきたが、会場変更に伴う移動の困難さなどで職場の参加は取りやめに。今回は初の兄弟参加で、「できる限り力を尽くしたい」と誓った。
 
心地良いリズムの笛の音も釜石よいさのお囃子には欠かせない

心地良いリズムの笛の音も釜石よいさのお囃子には欠かせない

 
小太鼓を締める作業も自分たちで。良い音を響かせるために…

小太鼓を締める作業も自分たちで。良い音を響かせるために…

 
 運営に関わる諸課題解決のため、試行的に実施された昨年の“うのスタ”よいさ。実行委員長の一人、佐久間定樹さん(42)は「観客数は予想以上で、市外から訪れる人も多かった印象。初めてスタジアムに足を運んだという市民もいた。開催時期を8月から9月にしたことで、猛暑による熱中症回避にもつながったものとみられる」と一定の成果を実感。一方で、交通アクセスや周辺への経済波及効果の面で市街地開催を望む声もあり、双方のメリット、デメリットを勘案した未来につなぐための取り組みは続く。
 
 コロナ禍前に比べ、半減する参加団体数については「3年間の休止で、転勤のある企業などはよいさを知らない人たちだけになり、長年参加してきた企業も不参加のケースが増えている」と佐久間さん。企業参加を増やすための方策も今後の課題に据えた。
 
 第33回釜石よいさは15日午後1時から釜石鵜住居復興スタジアムで、前夜祭は14日午後5時半から市民ホールTETTO前広場で行われる。詳しいタイムテーブルは釜石よいさ公式サイト、8月15日号の広報かまいしなどで見ることができる。

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岩手と秋田つなぐ盤上の熱戦 釜石で腕競う「国道107号沿線支部交流将棋大会」

釜石を舞台に熱戦を繰り広げた岩手と秋田の将棋愛好家ら

釜石を舞台に熱戦を繰り広げた岩手と秋田の将棋愛好家ら

 
 岩手県と秋田県の将棋愛好者が集う「国道107号沿線支部交流将棋大会」は1日、釜石市鵜住居町の鵜住居公民館で開かれ、参加者が盤上で熱戦を繰り広げた。1994年に始まった大会は26回目。日本将棋連盟釜石支部が主催。東日本大震災やコロナ禍などの影響で中止もあったが、顔を合わせる機会を楽しみに続けており、関係者は「それぞれの県でやり方が違う。学び、競い、腕を磨き合いたい」と語り口も熱い。
 
 国道107号は、岩手・大船渡市を起点とし、秋田・由利本荘市までを結ぶ。「横のつながり」を深めようと、両県で交互に、参加支部の持ち回りで継続。この国道に接続する釜石も仲間に加わり、2003年には戦いの場にもなった。開催地として順番が回ってきても震災の影響で受け入れが難しかったが、21年ぶりに集いの場に手を挙げた。
 
「国道107号沿線支部交流将棋大会」が釜石で開かれるのは21年ぶり

「国道107号沿線支部交流将棋大会」が釜石で開かれるのは21年ぶり

 
 5人1組の団体戦に、両県から11支部14チームが出場。2ブロックに分かれて1人5局ずつ対戦し、点数制で順位を競った。将棋盤を挟んで向かい合うのは、小学3年生~80代までと幅広い年代。対局が終わると、駒を動かしながら感想を伝え合ったり、白熱する戦いを囲んで見守る光景があちらこちらで見られた。
 
優勝旗を狙って集う愛好者。静かなる戦いが展開した

優勝旗を狙って集う愛好者。静かなる戦いが展開した

 
幅広い年代が盤面に向かい合う。注目の対局を見つめる姿も

幅広い年代が盤面に向かい合う。注目の対局を見つめる姿も

 
対局後に振り返りながら親睦を深める光景もあった

対局後に振り返りながら親睦を深める光景もあった

 
 一関ごきげん支部(岩手)の大将として臨んだ高橋桜子さんは、宮城県登米市の中学1年生。家に将棋盤があったことから始め、「いろんな手を探すのが面白い」とハマって4年ほどになる。同支部に所属し、大人に混じって大会に出場しながら鍛錬中。この日の対局も「序盤からリード。優勢に進められている」と手応えを口にした。結果、同支部は3位に入賞。冷静さをのぞかせつつも「勝つと景品がもらえるのがうれしい」と中学生らしい一面も見せた。
 
3位に入賞した一関ごきげん支部。高橋桜子さんも活躍

3位に入賞した一関ごきげん支部。高橋桜子さんも活躍

 
 大会長を務めた北上支部(岩手)の軽石初彦支部長(82)は「対局を通じ、学びを深める機会。将棋の楽しみを感じてほしい」と意義を強調する。昨年、岩手初のプロ棋士が誕生したことに触れ、「小山怜央四段の活躍は岩手の誇り。将棋熱が高まる釜石は将棋のまちだ」と力説。意欲あふれる同支部から3チームが出場し、Aチームが5戦全勝で優勝旗を手にした。
 
熱い戦いを制し優勝旗を手にした北上Aチーム(左側)

熱い戦いを制し優勝旗を手にした北上Aチーム(左側)

 
終局すると感想戦がスタート。遠野支部(右)は準優勝

終局すると感想戦がスタート。遠野支部(右)は準優勝

 
 小山四段は7月にフリークラスからC級2組への昇級を決め、来年度から順位戦に臨む。それを祝って釜石支部がつくった巾着袋が参加賞として贈られた。震災後の支えや今大会の協力に加え、「過去に出場経験がある小山四段を育ててもらった」と感謝を込めたもので、土橋吉孝支部長(68)は「前回、釜石大会の景品は秋の旬サンマだったが、今の旬は小山怜央」とニヤリと笑った。同支部は4勝1敗の成績だったものの、個人勝ち数の差などで5位だった。
 
地元釜石チームも対局に集中。右上写真は参加賞の「小山怜央四段巾着袋」

地元釜石チームも対局に集中。右上写真は参加賞の「小山怜央四段巾着袋」

 
 「強い若手の勝負は面白い」。本庄支部(秋田)の真坂政悦支部長(71)は仲間の戦いぶりをじっと見つめた。“西の端”から釜石に乗り込んできたが、台風の影響が残った道中は2カ所の通行止めがあって一苦労。それでも「地震、コロナ、雨にも風にも負けず続けてくれたことに感謝」と県をまたいだ交流を楽しみにする。
 
 ただ、団体戦のため人数の確保が難しくなっていたり、移動距離にためらう支部があってか、参加数が「以前より少ない」と残念がる。「参加数が増えたら」と望む声は他にも聞こえてきて、主催者側は今回107号につながる岩手県内の沿岸支部にも声がけしていて、宮古市からの参加もあった。
 
秋田vs秋田、強い若手の対局は注目を集めた。左手が本庄支部

秋田vs秋田、強い若手の対局は注目を集めた。左手が本庄支部

 
 若手もベテランも互いに高め合う大会―。来年は由利本荘市で開催する予定。真坂支部長は今回の運営の様子にも目を光らせていて、「参考にしつつ、準備を進めたい」と前を向いていた。
 
 結果は次の通り。
◇団体戦順位①北上支部A(畠山和人さん、高橋英聖さん、菅原大典さん、盾石拓さん、藤原隆幸さん)②遠野支部(中村道典さん、昆隆志さん、米澤祐太さん、小島常明さん、新沼光幸さん)③一関ごきげん支部(高橋桜子さん、千葉大胤さん、小林秀雄さん、横田努さん、吉田拓生さん)
◇個人全勝者/岩泉毅さん(宮古)、畠山和人さん(北上A)、昆隆志さん、米澤祐太さん(遠野)、梅村琴和さん(東和まほろば)、土橋吉孝さん(釜石)、藤原隆幸(北上A)

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姉妹都市ディーニュ市訪問団を「すずこまジェラート」で迎えよう! 栽培の栗林小が活動報告

小野市長(左から2人目)にジェラート用すずこま(トマト)栽培について報告した栗林小児童ら

小野市長(左から2人目)にジェラート用すずこま(トマト)栽培について報告した栗林小児童ら

 
 姉妹都市提携30周年を記念し、21日から釜石市を訪れるフランス、ディーニュ・レ・バン市代表団。初日の歓迎レセプションでは、釜石市民らがさまざまな形で歓迎の気持ちを表す。その一つが地元特産のクッキングトマト「すずこま」を使ったウェルカムジェラートの提供。原料となる同トマトは栗林小(八木澤江利子校長、児童30人)の3、4年児童9人が栽培した。4日、代表児童らが市役所を訪れ、これまでの取り組みを小野共市長に報告した。
 
 市長室で行われた報告会には関係者13人が出席。同校から八木澤校長、佐々木貫汰さん(4年)、藤原柚夏さん(同)、三浦莉南さん(3年)が訪れ、栽培を指導した同市地域おこし協力隊の三科宏輔さん、ジェラート製造を担当するかまいしDMC経営企画管理部の臼沢恵美さんが同席した。八木澤校長が写真を見せながら、児童らの取り組みを説明した。
 
報告会では八木澤校長(写真上段左)がこれまでの活動経過を説明した

報告会では八木澤校長(写真上段左)がこれまでの活動経過を説明した

 
すずこまの苗を植えた栗林小の3、4年生(写真提供:栗林小)

すずこまの苗を植えた栗林小の3、4年生(写真提供:栗林小)

 
 5月末、市水産農林課職員から今回のプロジェクトについて説明を受けた児童らは、橋野町ですずこまを栽培する三科さんから教わりながら、すずこまの苗を植え付けた。その後、水やりや支柱立てなど世話を続けると、1カ月ほどで青い実がつき始めた。7月に入ると大きくなった実が赤く色づき、収穫の時を迎えた。7月下旬には自分たちでトマトジェラートづくりに挑戦。収穫したすずこまと一般的なトマトの2種で作り、食べ比べをして味の違いを確かめた。8月末にはすずこまジェラートを製造販売するかまいしDMCから提供されたジェラートを全校児童で試食。プロの味も堪能した。
 
市職員から姉妹都市ディーニュ市のことを聞き、菜園ポットに苗を植えた(写真提供:栗林小)

市職員から姉妹都市ディーニュ市のことを聞き、菜園ポットに苗を植えた(写真提供:栗林小)

 
約1カ月後には実がつき始めた。虫眼鏡も使って熱心に観察(同)

約1カ月後には実がつき始めた。虫眼鏡も使って熱心に観察(同)

 
真っ赤に実ったトマトに感激。自分たちでジェラート作りにも挑戦した(同)

真っ赤に実ったトマトに感激。自分たちでジェラート作りにも挑戦した(同)

 
 水を与えすぎると良くないということで、雨の日には苗を校舎内に移動させるなど気を使って育ててきた児童ら。佐々木さんは「始めはちゃんと育つかなと思ったけど、いっぱい収穫できた」、三浦さんは「見るたびに背が伸びたり実が赤くなったり、大きく成長していてうれしかった。実は甘くて、ジェラートにすると、とてもトマトの味がしておいしかった」、藤原さんは「(今回の取り組みを通して)いろいろな人にすずこまのことを知ってもらいたいと思った。ディーニュ市の人たちにもその味を感じながらジェラートを楽しんでほしい」と望んだ。
 
児童がそれぞれ感想を発表。かけがえのない経験になったよう

児童がそれぞれ感想を発表。かけがえのない経験になったよう

 
 「子どもたちは作物を育てる大変さや楽しさ、自分たちが手をかけたからこそおいしさが倍増する喜びを味わうことができた。保護者や地域の方からは苗の入手先の問い合わせもあり、すずこまへの関心が高まっているよう」と八木澤校長。同校の“すずこまチャレンジ”の様子は、栗橋地区生活応援センター の広報紙「みどり通信」でシリーズ紹介されている。
 
 プロジェクトに協力した三科さんは単に農作物を育てるだけではなく、「みんなで作ってみんなで食べる」過程で得られる、さまざまな学びを大事にする。「他の学校のトマト栽培にもすずこまを採用してもらい、地域の魅力向上、自然教育の機会増につなげていけたら」と今後に期待を寄せる。
 
児童らのチャレンジについて語る地域おこし協力隊の三科宏輔さん(中央)

児童らのチャレンジについて語る地域おこし協力隊の三科宏輔さん(中央)

 
 市が新たな特産品として生産拡大を進める“すずこま”は抗酸化作用のあるリコピンが多く含まれ、加熱調理でうまみが引き出される。かまいしDMCは同市甲子、橋野地区の生産者から提供されるすずこまを使ったジェラートを昨年から販売(夏季限定)。酸味と甘味が絶妙なさわやかな味わいが人気を博している。臼沢さんによると「皮や芯を手作業で取り除き、電子レンジで加熱することで、トマトの青くささを取ることができ、凝縮されたすずこまのうまみがでる」という。栗林小栽培のすずこまは約1キロの収穫があり、これを使ってウェルカムジェラートを作る。
 
 児童らの報告を聞いた小野市長は「ディーニュ市から来るお客様は、(栗林小の)皆さんがトマトを育ててくれたことをとても喜ぶと思う。今回の体験は皆さんにとっても大きな財産になる。古里の良さを感じたり、将来何かを目指すきっかけになるかもしれない」と話し、協力への感謝の気持ちを伝えた。
 
この日はかまいしDMCのすずこまジェラートの試食も。「トマトの味、食感がいいですね」と小野市長

この日はかまいしDMCのすずこまジェラートの試食も。「トマトの味、食感がいいですね」と小野市長

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歌い紡いで10回目 女声合唱「アンサンブル・ル・シエル」コンサート 家族の支えにも感謝

10回目を迎えた「アンサンブル・ル・シエル」のコンサート=1日、TETTO

10回目を迎えた「アンサンブル・ル・シエル」のコンサート=1日、TETTO

 
 釜石市の女声合唱団、アンサンブル・ル・シエル(中村玲代表、12人)の10回目のコンサートが1日、大町の市民ホールTETTOで開かれた。2013年1月に結成した同団は、働く女性たちが中心メンバー。結婚、出産、子育てとライフスタイルの変化にも柔軟に対応しながら、大好きな合唱を続けている。今回はこれまで歌ってきた思い出の曲を中心にプログラムを組んだ。メンバーらは仲間と歌声を重ねる喜び、支えてくれる家族への感謝の気持ちをかみしめながら、美しいハーモニーを響かせた。
 
 コンサートはゲスト出演のバイオリン演奏を含む4部構成。指導にあたる木下佳子さんの指揮で歌声を届けた。1部はメンバーの思い入れのある5曲を披露。14年3月の初めてのコンサートで歌った「ぜんぶ」、東日本大震災後、歌で日本をつなげようと企画された「歌おうNIPPON」プロジェクトのために書き下ろされた「ほらね、」など心に残る曲を歌った。
 
会場はホールBをロビーとつなげ、誰でも立ち寄れる空間にした

会場はホールBをロビーとつなげ、誰でも立ち寄れる空間にした

 
1部では歌う前にメンバーが曲紹介(写真左)。木下佳子さん(同右)の指揮で息の合ったハーモニーを響かせた

1部では歌う前にメンバーが曲紹介(写真左)。木下佳子さん(同右)の指揮で息の合ったハーモニーを響かせた

 
10年の思い出を胸に心を込めて歌うメンバーら

10年の思い出を胸に心を込めて歌うメンバーら

 
 2部は「NHK連続テレビ小説主題歌 この10年」と題し、“朝ドラ”でなじみの楽曲を聞かせた。「にじいろ」=花子とアン(2014年)から、現在放送中の「虎に翼」の主題歌「さよーならまたいつか!」まで、有名アーティストが歌う5曲を選曲。独唱を交えたステージで楽しませた。最後は、活動開始後に生まれたメンバーの子どもたちがダンスで共演。それぞれの10年が曲とともによみがえった。
 
独唱も交えた2部のステージ。耳なじみの曲で楽しませた

独唱も交えた2部のステージ。耳なじみの曲で楽しませた

 
メンバーの子どもらが出演。元気いっぱいのダンスで花を添えた

メンバーの子どもらが出演。元気いっぱいのダンスで花を添えた

 
 休憩をはさんだ3部は、遠野市でバイオリン教室を主宰し、演奏家としても活躍する伊禮しおりさんのステージ。「タイスの瞑想曲」「情熱大陸」など4曲をプロならではの高度な技術と表現力で聞かせ、観客を魅了した。伊禮さんは震災後、被災した釜石・大槌地区の子どもたちにもバイオリンを教え、犠牲者の慰霊の場でも演奏が披露されている。4部は覚和歌子さん(詩)、横山潤子さん(曲)のコンビによる混声合唱曲集から3曲を披露。「その木々は緑」は伊禮さんがバイオリンでコラボした。
 
ゲストの伊禮しおりさんはバイオリンの独奏のほか合唱曲でも共演(写真上)。ピアノ伴奏は佐々木洋子さん、パーカッションは村井大司さん(同左下)。佐藤裕さんは詩を朗読(同右下)

ゲストの伊禮しおりさんはバイオリンの独奏のほか合唱曲でも共演(写真上)。ピアノ伴奏は佐々木洋子さん、パーカッションは村井大司さん(同左下)。佐藤裕さんは詩を朗読(同右下)

 
4部はメンバー手作りのコサージュを身に着けた

4部はメンバー手作りのコサージュを身に着けた

 
 会場では約80人の観客が聞き入った。2回目の鑑賞という唐丹町の武藤秀郷さん(49)は「すごく溶け合った美しいハーモニーに癒やされた。心が軽くなったよう。子どもたちのダンスもあり、すてきな演奏会だった」と感激。10回目という一つの節目に「大変なこともいっぱいあったと思うが、ここまで続けてこられたのは本当に素晴らしい。ぜひ、これからも回を重ねていってほしい」と願った。
 
 今回のコンサートには、新メンバー3人も出演した。アルトの平松和佳奈さん(21)は釜石高音楽部出身で昨夏入会。「高校の時よりも難しい曲が多くて不安もあったが、先輩方に導かれ、自分も頑張って歌えた。メンバーの皆さんの音楽や歌うことが大好きという気持ちがすごく伝わってきて、それがハーモニーにも表れている」と話す。「これからも地域に根付いた活動で、音楽を通して何か伝えられるような合唱をしていけたら」と平松さん。
 
 現メンバーは半数が市外在住者。結婚や転勤などで釜石を離れても同団で歌いたいと、遠くは花巻市や八幡平市から駆け付ける。練習に参加しやすいように、月に月曜2回、日曜2回と曜日をずらした練習日を設けている。子育てや仕事の関係で、全員そろっての練習はなかなかできないというが、「今回は特にも10回目ということで、本番に向かう集中力が遺憾なく発揮された」と中村代表(41)。
 
素晴らしい歌声に盛んな拍手を送る観客

素晴らしい歌声に盛んな拍手を送る観客

 
今回のコンサートの出演者。子どもたちも頑張りました!

今回のコンサートの出演者。子どもたちも頑張りました!

 
 同団メンバーにはこの10年で計9人の子どもが生まれた。活動開始後に結婚、男児の母になった中村代表は「好きな合唱を続けられるのは家族の支えがあってこそ。ありがたみを感じている」と感謝の思いを口にする。最近、同団のインスタグラムも開設した。「若い世代にもぜひ聞きにきてほしい。コンサート情報の発信と合わせ、子どもがいても活動できるということをアピールしていきたい」と話した。
 
 同団は21日、姉妹都市提携30周年を記念して訪問するフランス、ディーニュ・レ・バン市代表団の歓迎レセプションでフランス国歌を歌う予定。

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釜石産食材でフランス家庭料理を! そば粉ガレット…包む“おいしい交流” 姉妹都市30周年で企画

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釜石産のそば粉を使ったガレット作りに取り組む参加者

 
 釜石産食材を使ってフランスの家庭料理を作る体験教室が8月24日、釜石市大町の青葉ビルで開かれた。釜石と同国ディーニュ・レ・バン市の姉妹都市提携30周年を記念した2回シリーズの企画で、最終回となった今回のメニューはそば粉を使った「ガレット」。海外の文化や調理に関心のある市民8人が参加し、香ばしいガレットを味わいながら姉妹都市交流について理解を深めた。
 
 講師は同国・ナンジ出身の佐々木イザベルさん(大船渡市在住)。7月開催の1回目に作った「クレープ」に触れながらガレットを紹介。どちらも薄くのばした生地で具を包む料理だが、小麦粉を使うクレープは“おやつ”という感覚で家庭でもよく作られていて、「クレープの日(2月2日)」もあるとか。ガレットは生地にそば粉を使うが、手に入れるのは難しく、レストランなどで味わう外食メニューだという。甘い具材を包むこともなく「同じようでも、ガレットは食事」と伝えた。
 
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佐々木イザベルさん(左)の実演に見入る参加者

 
 調理は生地作りから開始。参加者は、溶き卵に釜石・橋野町和山高原産のそば粉、釜石鉱山が製造するナチュラルミネラルウォーター「仙人秘水」、塩を加えてペースト状になるまでかき混ぜた。佐々木さんは「少しずつ水を加えた方がやりやすい」「そば粉はかき混ぜると泡が出るが、少なめに」「本場では生地を1時間は寝かす。そうするとおいしくなる」などとポイントを説明した。
 
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そば粉に水を少しずつ加えながら生地作りに取り組む

 
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佐々木さんのアドバイスを受けながら調理に挑む

 
 いよいよ仕上げの“焼き”に挑戦。生地をフライパンに薄く延ばし、ベーコン、チーズ、目玉焼きをのせて包むとガレットが完成した。参加者から「(生地を)たたんで、こっちも(たたんで)…おー、いいじゃん」「おしゃれ~」とうれしそうな声が聞こえてきた。
 
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焼き色がついた生地で具材を包んでガレットを仕上げる

 
 佐々木さんはフランス語も紹介。「ボナペティ(召し上がれ)」と促し、参加者は「セボン(おいしい)」と言葉を返しながら味わった。試食の間には、主催する市国際交流課の東洋平主査が姉妹都市提携の経緯やこれまでの交流を説明。9月にディーニュ市から訪問団がやってくることも伝え、「見かけたら、ボンジュール(おはよう、こんにちは)と声をかけてほしい」と呼びかけた。
 
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ガレットを味わいながらディーニュ市の紹介に耳を傾けた

 
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食を通して交流を楽しんだ佐々木さん(前列中央)と釜石市民

 
 職場仲間だったという60代と70代の女性は「日本の料理はバタバタとやらなければならないことがあってお母さんたちは大変だけど、外国の料理はゆったりとした時間が流れている感じ。生地の焼き上がりを待つ間にお話しができて調理が楽しい」とにっこり。姉妹都市交流について初めて知った様子で、「食べ物を通した体験で興味が湧いた。外国を身近に感じられる」と新たな情報との出合いも楽しんだ。
 
 記念事業は、まだ続く。記念パネル展(9月15~18日・市民ホールTETTO)やディーニュ市訪問団の来釜(同21日~23日予定)に合わせた交流会、ハーバリウムづくり体験なども計画。他にも、市中心地で環境美化活動の実施も予定されており、迎える準備を進める。

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副業型の地域活性化起業人 釜石市、初登用 都市圏のデジタル人材に期待「地方に刺激を」

小野共市長(左)から委嘱状を受け取った野辺地葵さん

小野共市長(左)から委嘱状を受け取った野辺地葵さん

 
 釜石市は23日、「地域活性化起業人」として、IT(情報技術)を活用したものづくりや中小企業のコンサルタント業務などを手掛ける「Crossover Group」(東京)の最高経営責任者(CEO)、野辺地葵さん(27)に委嘱状を交付した。三大都市圏の民間力を地域活性に生かす総務省の制度を活用するが、これまでの企業派遣型とは異なり、「副業型」での受け入れ。野辺地さんは従来通り同社で働きながら、市が依頼する業務に取り組む。
 
 地域活性化起業人制度は、地域の課題解決に民間企業のノウハウや知見を活用しようと総務省が2014年度に創設した。地方自治体と協定を結んだ民間企業が社員を一定期間派遣し、即戦力として業務に取り組んでもらうもので、国は特別交付税措置で財源を支援する。
 
 この企業派遣型に加え、24年度からは企業に所属する社員個人と自治体が協定を結ぶ形の副業型制度がスタート。企業派遣型は月の半分以上は受け入れ自治体に滞在して働く必要があるが、副業型は月に4日以上、計20時間以上を自治体業務に充て、受け入れ自治体での滞在日数は最低月1日とする。居住の必要をなくし参加のハードルを下げた形だ。国は副業期間中の経費や交通費(上限合計200万円)を補助。自治体のホームページ運営など主にリモート対応が可能な分野で、都市部のデジタル人材らに働いてもらうことを想定する。
 
釜石初の副業型地域活性化起業人として活動を始める野辺地さん

釜石初の副業型地域活性化起業人として活動を始める野辺地さん

 
 野辺地さんは岩手県九戸村出身。3年ほど前に同社を立ち上げ、中小企業が抱える課題についてITデータなどを使って解決策を練ったり、ネット通販サイトやアプリ制作などの事業を展開する。釜石には母方の実家があり、年に数回訪れる「故郷のような街」だったことから、「活気ある街づくりの一助になりたい」と参加を決めた。
 
 任期は来年3月末まで(最長3年)。「地方創生・政策推進研究員」として、市の人口統計データや市内企業に関するデータなどを分析し現状と課題を整理、それに対応する施策の立案・展開に向けた助言といった活動に取り組む。
 
「釜石の熱意から生まれる活動を全力で手伝う」と話す野辺地さん

「釜石の熱意から生まれる活動を全力で手伝う」と話す野辺地さん

 
 市役所であった交付式で小野共市長から委嘱状を受け取った野辺地さんは「故郷が抱える課題に向き合い、解決の後押しができる取り組みだと感じ、一念発起。一朝一夕にはいかないだろうが、市の職員や企業関係者、市民の活動を全力で手伝いたい」と気合十分。もともと同起業人に関心があり、副業型の開始を耳にしていたことから、いち早く市の募集に手を上げた。拠点を移さず地方創生に携わったり、自身のキャリアを生かせることに魅力を感じていて、「関わる人と互いに刺激し合い、活動や施策を磨き上げたい」と力を込める。
 
委嘱後の懇談では公共交通のあり方などで意見を交わした

委嘱後の懇談では公共交通のあり方などで意見を交わした

 
 市はこれまでに企業派遣型で4人を受け入れ(全員任期終了)たが、副業型での受け入れは今回が初めて。小野市長は「目に見える課題だけでなく、裏に隠されている事実に対応した施策や事業を作り、精度を上げることが重要。民間の刺激、面白い指摘を期待している」と述べた。

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釜石産!良質な鶏肉を子どもたちに 生産加工のオヤマ 学校給食に提供 児童ら「うまっ!」

釜石産鶏肉を使った給食を味わう鵜住居小の児童ら

釜石産鶏肉を使った給食を味わう鵜住居小の児童ら

 
 釜石で鶏肉を作っていることを知ってほしい―。釜石市栗林町に養鶏場がある鶏肉生産加工販売業オヤマ(本社・一関市、小山征男代表取締役)は、学校給食用食材として釜石産のいわいどりを市に提供した。さっそく22日に給食のメニューに登場。これに合わせて、同社の小山達也常務取締役(48)らが鵜住居小(佐藤一成校長、児童143人)を訪れ、「おいしいー」と頬張る子どもたちの様子をうれしそうに見つめた。
 
 栗林の養鶏場は4月から本格的に生産、出荷を始めた。今回提供したのは鶏もも肉で、小学校用が1205個(1個40グラム)、中学校用は720個(同60グラム)。特別支援学校を含む市内13校で振る舞われた。
 
お楽しみの給食の時間。トレーを持つワクワク顔の列が続く

お楽しみの給食の時間。トレーを持つワクワク顔の列が続く

 
料理を盛りつけたり配膳したり役割分担しながら食事の準備

料理を盛りつけたり配膳したり役割分担しながら食事の準備

 
 この日の献立は「いわいどりのマーマレード焼き」で、市学校給食センター(山根美保子所長)が調理。同校1年生(23人)の教室では、小山常務が「鶏肉は良質な筋肉、体をつくるもの。すてきな味付けがされた鶏肉をたくさん食べて大きくなってほしい」と自慢の食材をアピールした。
 
 児童は大きく口を開いて鶏肉を頬張ると、「うまい」とひと言。中には、パンに挟んで味わったりする子もいて、思い思いの食べ方で地元産食材のよさをかみしめた。菊池咲希さんは「優しい味がする」とにっこり。鈴木綾誠さんは「食感が柔らかい。めっちゃ、おいしい。もっと食べたい」と喜んだ。
 
いわいどりのマーマレード焼きにかぶりつく児童

いわいどりのマーマレード焼きにかぶりつく児童

 
パクっと頬張ったり、パンで挟んだり、食べ方はいろいろ

パクっと頬張ったり、パンで挟んだり、食べ方はいろいろ

 
 小山常務は「みんなの笑顔を持ち帰り、生産している大人たちに伝える。その循環関係を大切にしながら、いい鶏を提供し続けるパワーにしたい。地元で良質な鶏肉を作っていることを知ってもらい、いわいどりをソウルフードしてもらえたら。将来、一緒に生産してもらえたら幸せ」と期待を込めた。
 
小山達也常務らが「おいしい鶏肉をもりもり食べて」とPR

小山達也常務らが「おいしい鶏肉をもりもり食べて」とPR

 
「おいしー。ありがとう」。児童は笑顔を添えて感謝も伝えた

「おいしー。ありがとう」。児童は笑顔を添えて感謝も伝えた

 
 この日のメニューは他にも釜石産がお目見え。三陸産ワカメを使ったサラダに加わったキュウリ、スープには特産品化を目指すトマト「すずこま」やタマネギが使われた。

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地域、世代、国籍超えて… みんなで楽しむ盆踊り 被災の鵜住居に新たな活力 地元商店会企画

鵜住居商店会が開いた納涼盆踊り大会=24日、うのすまい・トモス

鵜住居商店会が開いた納涼盆踊り大会=24日、うのすまい・トモス

 
 釜石市鵜住居町の駅前公共施設「うのすまい・トモス」の広場で24日、納涼盆踊り大会が開かれた。鵜住居商店会(中里充良会長、31店)が主催。釜石市、かまいしDMC(河東英宜代表取締役)、鵜住居地域会議(古川幹敏議長)が後援した。会場にはキッチンカーなどの出店が並び、町内外から訪れた人たちで大にぎわい。やぐらを囲んで踊りの輪ができ、幅広い年代が夏の風物詩を楽しんだ。
 
 同盆踊りは2019年、釜石鵜住居復興スタジアムが会場の一つとなったラグビーワールドカップ(W杯)日本大会開催に合わせて初めて企画された。20~22年は新型コロナウイルス感染症の影響で中止を余儀なくされ、昨年4年ぶりに復活。今回で3回目の開催となった。
 
 会場は2011年の東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた町中心部。被災後、一帯は犠牲者を慰霊する「釜石祈りのパーク」、震災伝承・防災学習施設「いのちをつなぐ未来館」、観光拠点施設「鵜の郷交流館」が一体的に整備されていて、中央の広場が盆踊り会場となっている。
 
 広場にはちょうちんで飾ったやぐらが組まれ、地元の舞踊愛好者らが踊りを先導。「炭坑節」「三陸みなと音頭」など盆踊りの定番曲に加え、フォークダンスでもなじみの「マイム・マイム」、再ブレークで注目された「ダンシング・ヒーロー」も用意され、来場者がさまざまな踊りを楽しんだ。
 
盆踊りを楽しむ来場者。各年代、男女が交ざって踊りの輪を作る

盆踊りを楽しむ来場者。各年代、男女が交ざって踊りの輪を作る

 
和洋の曲に合わせノリノリで踊る♪ やぐら上の舞踊家とハイタッチで盛り上がる子どもも

和洋の曲に合わせノリノリで踊る♪ やぐら上の舞踊家とハイタッチで盛り上がる子どもも

 
“ダンシング・ヒーロー”盆踊りは子どもたちにも大人気!自然と体が動く

“ダンシング・ヒーロー”盆踊りは子どもたちにも大人気!自然と体が動く

 
 この日は日中の最高気温が35度に達する猛暑日となり、盆踊り開始時刻の午後5時時点も蒸し暑さが残った。市内外のキッチンカー11店が並んだ飲食スペースでは、かき氷やアイスの販売に長い列ができた。大人たちは冷えた生ビールや缶ビールで喉を潤した。商店会は綿あめ、ポップコーンを無料で配り、子どもらが笑顔を広げた。
 
キッチンカーが囲む飲食スペースは終始にぎわいを見せた

キッチンカーが囲む飲食スペースは終始にぎわいを見せた

 
綿あめとポップコーンは商店会がサービス。かき氷を頬張りひとときのクールダウンも

綿あめとポップコーンは商店会がサービス。かき氷を頬張りひとときのクールダウンも

 
 参加者には浴衣姿の人も多数。商店会では事前予約で浴衣のレンタルや着付けのサービスも行っていて、会場は夏ならではの華やいだ雰囲気に包まれた。大人と子ども20人以上の着付けを手掛けた寺前美容室店主、菊池リツ子さん(68)は「市内で働くベトナム人の若者たちは初めて着る浴衣に大喜びだった。鵜住居内外からこんなにも多くの人たちが来てくれるなんて…。みんなが楽しんでいる姿を見るとこちらもうれしくなる」と顔をほころばせた。
 
 甲子町の黒澤颯吹さん(10)は「最高です。コロナ禍でにぎやかなイベントがなかったのですごく楽しい」とにっこり。母史枝さん(41)も2人の子どもが楽しむ姿を喜び、「みんなで集まれる場があるのはいいですね」と共感。震災前は鵜住居に暮らしたが、被災して甲子に移り住んだ。「(距離もあり)なかなかこっちに来られないが、こういう催しがあると足を運ぶきっかけになる」と夏の夕べのひとときを満喫した。
 
震災前、鵜住居町内に支店店舗があった北日本銀行の行員らもそろいの浴衣姿で参加

震災前、鵜住居町内に支店店舗があった北日本銀行の行員らもそろいの浴衣姿で参加

 
やぐら上で“うのスマイル”全開の子どもたち。家族は下から写真や動画撮影に夢中

やぐら上で“うのスマイル”全開の子どもたち。家族は下から写真や動画撮影に夢中

 
 人口が多かった時代には市内各所で行われていた盆踊りだが、人口減や高齢化による担い手不足、さらには震災による地域コミュニティーの変化などで、その数は大幅に減った。鵜住居商店会の盆踊りは地域を限定せずに誰でも気軽に足を運べる形にし、市広報への掲載、新聞折り込み、SNSでの情報発信などPRにも力を入れてきた。
 
 実行委員長の岩﨑健太さん(40)=岩崎商店専務取締役=は「おかげさまで大勢の方に来ていただいた。来場者数は昨年よりも多いかも」と手応えを実感。イベントの目的の一つとして「日々の生活の中で皆さんが集まり、会話して一緒に盛り上がれるような場を提供できればという思いがあり、それを体現できてうれしい。子どもたちの参加が多いのも地域の活力になる」と喜んだ。
 
 最後は恒例の餅まきも行われ、パンや菓子を含め計約2500個を大盤振る舞い。やぐらの周りには大勢の人たちが詰めかけ、大変な熱気のうちにイベントは終了した。
 
釜石のイベントの締めはやっぱり「餅まき」。パンや菓子も宙を舞った

釜石のイベントの締めはやっぱり「餅まき」。パンや菓子も宙を舞った

 
 「こっちにも~」。両手を挙げてアピール!

「こっちにも~」。両手を挙げてアピール!

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地域の海、未利用魚…おいしく学ぶ 釜石小、教員のための出前授業 学習内容のヒント探る

海洋環境に関する出前授業で魚をさばく体験をする釜石小教員ら

海洋環境に関する出前授業で魚をさばく体験をする釜石小教員ら

 
 釜石市大渡町の釜石小(五安城正敏校長)の教員を対象にした出前授業「海の学習会」が19日、同市鈴子町の釜石ガス・キッチンスタジオで行われた。若手からベテランまで教員13人が参加。岩手大釜石キャンパス特任専門職員の齋藤孝信さん(63)から地域の海の状況を聞いたり、「未利用魚」を使った調理を体験し、学校の授業に生かすヒントを得た。
 
 釜石小が、海洋教育パイオニアスクールプログラム(笹川平和財団海洋政策研究所など主催)の採択を受けて2021年度から取り組む活動の一環。これまでは児童を対象に水産業について学ぶ授業を行ってきたが、4年目の今年は教職員向けの活動も取り入れ、深化させることにした。
 
メモを取ったりしながら真剣な表情で座学に臨む教員たち

メモを取ったりしながら真剣な表情で座学に臨む教員たち

 
 この日、齋藤さんは海洋環境の変化を解説。釜石湾の水温変化(月平均)の表やグラフなどを示しながら、「2024年は過去最高を更新中。平田湾では瞬間的に25度台になったり。そうなると、22度で活動を停止するとされるホタテは死滅する。影響を受けてしまうか、悩ましい状況」と明かした。海水温の上昇が要因の一つとされる磯焼け、海洋環境を守るためにできる活動(地産地消、プラスチックごみの排出削減など)も紹介した。
 
 海水温が高いことで釜石市魚市場に水揚げされる魚種が変化していることも伝えた。「ここ15年ほどのデータを見ると、安定しているのはサバ。イワシは増大。マダイ、タチウオなど暖かい南の海域にいるはずの魚が増えている」と説明。この先も見慣れない魚種の水揚げあると予想するが、「なじみがないものは食べ方が分からず、需要も見込まれず収入にはならないと漁師は考え、手を付けにくい。だから普及しない」と見解を加えた。
 
魚をさばく齋藤孝信さん(右)をじっと見つめる参加者

魚をさばく齋藤孝信さん(右)をじっと見つめる参加者

 
 海の現状に触れた後は魚のさばき方教室で、教員らは基本の「三枚おろし」に挑んだ。この日、定置網に入ったカンパチなどを使用。どれも、大きさが出荷の規格よりも小さく、値段がつかないことなどを理由に食用にされない「未利用魚」だった。齋藤さんがうろこ取りから包丁の入れ方まで実演を交えて指導。魚をさばくのが初めてという教員も多く、同市平田の釜石キャンパスで水産を学ぶ岩大生らのサポートを受けながら、苦労しつつも楽しそうに手を動かしていた。
 
未利用魚(右下写真、カンパチなど)を使ったさばき方教室

未利用魚(右下写真、カンパチなど)を使ったさばき方教室

 
初めての挑戦ながら手際よく作業を進める参加者

初めての挑戦ながら手際よく作業を進める参加者

 
 「よし!やるぞ」「わ~」「できた!ほめて」。表情豊かな先生たち

「よし!やるぞ」「わ~」「できた!ほめて」。表情豊かな先生たち

 
 未利用魚の利用は、市場に出回る魚介類と同じようにおいしく食べられるのを知ってもらう狙いもあり、1年生担任の菊地華奈教諭(27)は「命をいただいていることを感じた。大事に食べることを子どもたちに伝えたい」とうなずく。食を守ることは地球環境を大切にすることになり、そのためにできることをしっかりやろうと呼びかけもしたい考え。初めて挑んだ魚の三枚おろしは「上々」と手応えがあり、「やり方を教えてもらえれば、意外とできる。子どもたちにも苦手と思い込まず、やってみてと促すようにしたい」と手掛かりを得た様子だった。
 
やってみたら…「意外とできた」。成功体験に笑顔が広がる

やってみたら…「意外とできた」。成功体験に笑顔が広がる

 
丁寧な作業を仲間たちがあたたかい笑顔で見守る

丁寧な作業を仲間たちがあたたかい笑顔で見守る

 
 さばいた魚は刺し身、塩焼き、あら汁にして味わった。教務主任の西川亮教諭(50)は岩手県内陸部の出身ながら、沿岸部での生活が長い上に釣り好きとあって、魚さばきも三枚おろしもお手の物。若手教諭の活動を見守り、「意外と地域や海の環境を知らない先生も多い。釜小は若い人が多いので、こうした研修で知識を得て、うまく子どもたちに還元してもらえたら。各自、尻込みせずに挑戦する、いい機会になった」と目を細めた。
 
 釜石小では同プログラムを活用して現在、6年生がサケの学習に取り組み、岩大が講師の派遣などで協力している。今回新たに加えた教員向けの海洋教育体験での学びは、4~6年生の理科や社会、総合学習などに役立てていく。

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戦後79年― 続く苦しみ 事実知る大切さを後世に 釜石にあった2捕虜収容所 研究者が語る

第3回戦争講話と朗読の会=20日、市立図書館

第3回戦争講話と朗読の会=20日、市立図書館

 
 太平洋戦争終結から79年―。終戦間近の1945年7月14日と8月9日、連合軍による2度の艦砲射撃を受けた釜石市では今年も、郷土の戦禍を知り、犠牲者を慰霊する場が設けられた。戦争体験者が年々減少し、記憶の継承が難しくなっていく中、戦争を知らない世代がその事実をしっかりと受け止め、後世につないでいくことは一層重要性を増す。その第一歩となるのが「知ること」。20日、市立図書館で行われた「戦争講話と朗読の会」、9日、市民ホールTETTOで開かれた市戦没者追悼・平和祈念式は、釜石であった事実を知る貴重な機会となった。
 
 市立図書館の戦争講話と朗読の会は今年で3回目。講話を行ったのは国内外に会員を持つPOW(Prisoner of War=戦争捕虜)研究会の共同代表兼事務局長の笹本妙子さん(76、横浜市)だ。同会は2002年に発足。戦時下、日本国内に開設された捕虜収容所130カ所と民間人抑留所29カ所の調査記録をまとめた約1千ページに及ぶ事典を昨年12月に刊行している。笹本さんは67カ所の収容所について執筆した。
 
 日本軍は開戦初期にアジア、太平洋の各地を占領。敵国の連合軍兵士約30万人を捕虜とし、アジア人以外の約16万人のうち約3万6千人を日本国内の労働力不足を補う要員として連行。移送船の劣悪な環境や米軍の魚雷攻撃、空爆で、日本到着までに約1万1千人が死亡したとされる。辛うじてたどり着いた捕虜は国内130カ所の収容所に入れられ、鉱山や工場、港などで働かされた。本県には北上と釜石に3カ所の収容所があり、うち2カ所が釜石。笹本さんは調査にあたった釜石の収容所について、写真や見取り図、元捕虜から聞き取った話などを交えて解説した。
 
釜石にあった2つの捕虜収容所について話す笹本妙子さん(右)

釜石にあった2つの捕虜収容所について話す笹本妙子さん(右)

 
 現甲子町天洞にあった大橋捕虜収容所(仙台俘虜収容所第4分所)は1942年に開設。ジャワから移送されたオランダ、英、米、オーストラリア人、横浜の収容所から来たカナダ人ら、終戦までに約400人が釜石鉱山で労働に従事した。捕虜には技術者が多く、削岩機による採掘、電気工事、機械修理などにもあたったという。航海で衰弱した人を含め、終戦までに病気で15人が亡くなった。
 
 現港町、矢ノ浦橋のたもとにあった釜石捕虜収容所(仙台俘虜収容所第5分所)は43年に開設。ジャワからオランダ人、横浜から米、英、オーストラリア、ニュージーランド人ら約400人が連れてこられ、釜石製鉄所で資材の運搬、鉱石の積み込み、旋盤などに従事した。製鉄所が近かった同収容所は2回目の艦砲射撃で全焼。2回の砲撃で32人が犠牲になった。病死者も含めると死者は50人に上る。
 
 笹本さんは両収容所の住環境や食事、日本人職員との関係など、これまであまり知られてこなかった事実も紹介。「食事は他の収容所に比べれば恵まれていたほう。一方で、戦時中の日本軍は暴力体質で、些細なことで上官が部下を殴るのは当たり前。それが捕虜にも向けられた」と話した。背景に「日本人にとって捕虜は軽蔑すべき存在で、捕虜になることは恥」という戦陣訓があったからとも。
 
市民ら約30人が笹本さんの話に耳を傾けた

市民ら約30人が笹本さんの話に耳を傾けた

 
 戦後、収容所の日本人職員は戦犯裁判にかけられ有期刑を受けた。元捕虜と元職員、そしてその両家族は心に深い傷を負い、長年苦しみ続けてきた。釜石には1995~2000年に元捕虜のオランダ人、ウィレム・リンダイヤさんの息子が訪問。大橋収容所跡などを訪れ、父と交流のあった人に話を聞いたり、小中高生に講演をしたりする中でわだかまりが解けていったという。元捕虜からの聞き取りを続けてきた笹本さんも「話をするうちに日本への強い憎しみが少しずつ解けてくることも。自分たちの体験に耳を傾けてくれる人がいることで、感情が和らいでいくことも多い」と話す。
 
 「捕虜収容所の設置期間は長くても3年半。短い所は1カ月にも満たないが、その中で何があり、どれほど苦しんだ人がいたのか…。郷土の歴史として知ってほしい」と笹本さん。自身が捕虜に関心を持ったのは、引っ越し先の横浜市の自宅近くで英連邦戦死者墓地を目にしたこと。若い世代が戦争を実感する難しさは感じつつも、「きっかけがあれば興味を持って調べたり勉強したりすることにつながる。そのためにも少しでも伝えていければ」と思いを込めた。
 
今回の講話、朗読会にはさわや書店が協力した

今回の講話、朗読会にはさわや書店が協力した

 
 会場に足を運んだ市内の70代女性は「シベリア抑留のことはよく耳にするが、ここ釜石でも同じようなことがあったと思うと複雑。やはり知っておくべきこと」と脳裏に刻んだ。ウクライナやガザで続く戦禍にも心を痛め、「過去にあれだけの戦争を経験しているのに『なぜ今の時代に』と思う。国連の先導とかで何とか停戦にもちこむ形はできないものか」と一刻も早い終結を願った。
 
 2部では市内で活動する読書サポーター「颯(かぜ)・2000」の3人が、戦後、詩人集団「花貌(かぼう)」が刊行した小冊子から短歌や戦争体験手記5編を朗読した。
 
「花貌」の釜石艦砲記録集から手記を読む「颯・2000」のメンバー(左)

「花貌」の釜石艦砲記録集から手記を読む「颯・2000」のメンバー(左)

 

市戦没者追悼式は9日に 釜石艦砲の紙芝居初上演 知らない世代 目と耳で理解

 
釜石市戦没者追悼・平和祈念式=9日、市民ホールTETTO

釜石市戦没者追悼・平和祈念式=9日、市民ホールTETTO

 
 釜石市主催の戦没者追悼・平和祈念式は2回目の艦砲射撃を受けた9日に行われ、約150人が参列した。戦争で犠牲になった国内外の御霊に哀悼の祈りをささげ、恒久平和への誓いを新たにした。
 
 黙とう後、小野共市長が式辞。「7月14日と8月9日は決して忘れることのできない日。2度にわたる艦砲射撃の犠牲者の中には、遠い異国の地で尊い命を落とした外国人もいる。恒久平和の確立へ努力することが、国内で唯一2度の艦砲射撃を受けた当市の使命」と話した。
 
 釜石市遺族連合会の佐々木郁子会長(81)が追悼のことば。満州に出征し病死したとされる父ら過酷な戦場で果てていった兵士を思い、「79年たった今でも無念と悲しさに涙がこみあげてくる。一日も早く一柱でも多くの御英霊が古里の地に安らかに眠れる日が来ることを願うばかり。戦争で残るのは憎しみと報復だけ。日本を取り巻く国々にも不安な空気が流れ始めている。私たちは戦争と平和に襟を正して向き合わねば」と述べた。
 
追悼のことばを述べる釜石市遺族連合会の佐々木郁子会長

追悼のことばを述べる釜石市遺族連合会の佐々木郁子会長

 
 式では今年初めて、釜石艦砲を描いた紙芝居が朗読された。元教員で画家としても活躍した故鈴木洋一さん(2019年逝去)が自らの実体験を伝えるために制作した作品。鈴木さんは14歳の時に艦砲射撃を体験している。読書サポーター「颯(かぜ)・2000」のメンバーで、自身も4歳の時に艦砲射撃を体験した浅沼和子さん(83)が朗読した。
 
紙芝居「釜石の艦砲射撃」を朗読する浅沼和子さん(颯・2000メンバー)

紙芝居「釜石の艦砲射撃」を朗読する浅沼和子さん(颯・2000メンバー)

 
紙芝居の絵を会場のスクリーンに映し出した。中央上白枠内は防空壕(ごう)の様子

紙芝居の絵を会場のスクリーンに映し出した。中央上白枠内は防空壕(ごう)の様子

 
 参列者は献花台に白菊を手向け、戦争犠牲者の冥福、世界平和を願い、祈りをささげた。市によると2度の艦砲射撃による犠牲者はこれまでに782人が確認されている。
 
平和防災学習の相互交流で釜石を訪れている青森市の中学生らも式に出席。献花した

平和防災学習の相互交流で釜石を訪れている青森市の中学生らも式に出席。献花した

 
献花し、祭壇の前で祈りをささげる参列者

献花し、祭壇の前で祈りをささげる参列者

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戦後の地域つなぐ“盆野球” 鵜住居に響く快音今年も 68回目の水野旗争奪大会に笑顔、歓声

8月14日恒例! 68回目を迎えた水野旗争奪お盆野球大会

8月14日恒例! 68回目を迎えた水野旗争奪お盆野球大会

 
 釜石市鵜住居地区の伝統行事、水野旗争奪お盆野球大会(実行委主催)は14日、釜石東中グラウンドで行われた。「青少年の健全育成に」と戦後間もなく始まった大会は、東日本大震災や新型コロナウイルス禍による中断がありながらも続けられ、今回で68回目を迎えた。震災後の人口減や少子化の影響などで、参加は過去最少の4チームとなったが、世代を超えて野球を楽しみ、旧交を温め合う“盆野球”の姿は今も健在で、たくさんの笑顔が弾けた。
 
 同大会は1947年に鵜住居村(当時)で水野医院を開業した水野勇さん(95年逝去)が、戦後の青少年の荒廃した生活態度に心を痛め、地区対抗の野球大会を提案したのが始まり。48年に第1回大会が開かれ、55年に水野さんが寄贈した優勝旗が今に受け継がれる。2011年に発生した東日本大震災で以降6年間、20年から3年間は新型コロナウイルス感染症の影響でそれぞれ大会中止を余儀なくされたが、「地元の伝統を絶やしたくない」との熱い思いで大会が続けられている。
 
 参加するのは鵜住居町と周辺3町の地区ごとに作る中学生以上の即席チーム。戦後の高度経済成長などで人口が多かった時代には10チーム以上が参加していたが、今はほぼ半減。震災後は鵜住居町の被災4地区が合同チームとなり、釜石東中野球部チームを加えた6チームで大会を継続していたが、今年は2チーム減の4チーム(日向、白浜、両石、鵜住居)での大会となった。
 
着衣は自由。この大会ならではの変わらぬ光景

着衣は自由。この大会ならではの変わらぬ光景

 
力投を見せる各チームの投手

力投を見せる各チームの投手

 
1回戦 両石対鵜住居の試合。得点のチャンスに目がくぎ付け

1回戦 両石対鵜住居の試合。得点のチャンスに目がくぎ付け

 
 台風一過後の大会当日は真夏の青空が戻り、気温も上昇。水分補給をしっかり行いながら、1年ぶりの野球を楽しんだ。集まった参加者は帰省した仲間を交え、同級生や先輩、後輩と近況を報告し合ったり、学生時代の思い出話に花を咲かせたりと和気あいあい。高校や大学、社会人クラブチームなどで競技を続ける現役選手らが垣間見せる“本気”プレーには、「盆野球だよ~」などと手加減を促すやじも飛び、グラウンドは終始、笑いに包まれた。
 
同じ小中出身、地元の顔なじみとの野球に笑顔を広げる参加者

同じ小中出身、地元の顔なじみとの野球に笑顔を広げる参加者

 
ホームインした選手を迎え歓喜に沸く両石チーム

ホームインした選手を迎え歓喜に沸く両石チーム

 
 鵜住居チームで参加した仙台大3年の前川陸さん(21)は小学校から野球を始め、現在は同大準硬式野球部に所属。この日は本塁打も放ち、チームの勝利に貢献した。中学生のころから親しむ盆野球。「(震災などで)地元を離れた人もお盆の時には戻ってくる。知り合いと普段やらない野球ができるのが一番の楽しみ。大人の人たちから学ぶこともある」と世代を超えた親睦の機会を喜ぶ。地元の復興を実感しつつ、「ラグビーや野球などスポーツでももっと名前を知ってもらえるまちになれば」と古里の未来にも期待を寄せた。
 
日向と鵜住居の決勝。最後まで全力を見せる選手

日向と鵜住居の決勝。最後まで全力を見せる選手

 
選手たちの好、珍プレーにベンチも笑顔の鵜住居チーム

選手たちの好、珍プレーにベンチも笑顔の鵜住居チーム

 
 日向チームの小笠原賢児さん(45)は、震災前以来10数年ぶりの参加。「人数が多かったころの昔のイメージで来たが、だいぶ少なくなっていて…」と驚きつつ、「久しぶりに会った同級生もいた。なかなか会えない人と会えたのもうれしい」と顔をほころばせた。震災後に帰郷。建設業の仕事でがれき撤去に携わり、被災した母校、鵜住居小と釜石東中(現釜石鵜住居復興スタジアム立地場所)でも作業した。「(変わり果てた姿に)寂しさを感じながら仕事をしていた」と当時を振り返る。盆野球も被災した東中グラウンドが会場だった。震災を乗り越え継続する大会に、「今まで回数とか意識したことはなかったが、68回という数字を聞くと鵜住居の歴史の重みを感じる。地元の誇りです」と小笠原さん。
 
 今大会は1回戦2試合と決勝の3試合が行われた(1試合7回)。1回戦の日向対白浜は4-2で日向、両石対鵜住居は7-5で鵜住居が勝利し、決勝は日向と鵜住居の対戦。勝負は最後までもつれ込み、延長8回タイブレーク、6-5で日向が優勝した。最優秀選手には、久しぶりの参加で投手として活躍した小笠原賢児さん(日向)が選ばれた。優秀選手は鵜住居チームの佐々木大地(りく)さんが受賞した。
 
久しぶりの優勝を果たした日向チーム。かつてのスポ少・日向ライナーズも強かった

久しぶりの優勝を果たした日向チーム。かつてのスポ少・日向ライナーズも強かった

 
天候にも恵まれた今大会。楽しい思い出を胸にまた来年!

天候にも恵まれた今大会。楽しい思い出を胸にまた来年!

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公共交通維持へ自動運転バス 釜石で実証実験スタート 生活の足に…可能性探る

釜石市平田地区を走行する自動運転バスを関係者が見送る

釜石市平田地区を走行する自動運転バスを関係者が見送る

 
 釜石市の平田地区で5日、自動運転バスの実証実験が始まった。オペレーターが同乗し、一部操作の指示を出す「レベル2」の方式で、22日まで運行。市内でも運転手の高齢化や人手不足で公共交通の維持が課題となっており、市では新たな交通手段としての可能性や安全性、課題を確認する。
 
 自動運転バスは、同市平田町のスーパー「ベルジョイスみずかみ平田店」を中心に循環する2つのルートで運行。上平田ニュータウン方面は1周約4キロ、復興住宅・県営平田アパートへ向かう経路は約2.6キロで、1日各5便を走らせる。県交通など既存のバス停近くで乗降でき、運賃は無料。乗車は事前予約制で、LINE(ライン)か電話(市生活環境課)で申し込む。
 
自動運転バスの実証実験が平田地区で進行中

自動運転バスの実証実験が平田地区で進行中

 
 車両は、エストニア製の電気バス「Mica(ミカ)」(8人乗り)。センサーとカメラが搭載され、車両の周りを検知し位置を把握しながら進む。事前に設定されたルートをハンドル操作なく、時速20キロ程度で走行。運行は自動運転事業を手がけるボードリー(東京)に委託し、オペレーターが同乗するため乗車できるのは7人となる。
 
釜石にちなんだ塗装が施された自動運転バス

釜石にちなんだ塗装が施された自動運転バス

 
車外にはセンサーやカメラ、車内にはモニターやタブレットなどの機器が搭載される

車外にはセンサーやカメラ、車内にはモニターやタブレットなどの機器が搭載される

 
 自動運転は自動化の度合いで5段階に区分され、今回の実証実験はレベル2。横断歩道や交差点では一時停止し、障害物を感知すると自動で停車したりするが、オペレーターが周囲を確認して停車や発進などの指示を出す。市は、特定の条件下で運転手不在でも走行が可能な「レベル4」への移行を見据えており、技術の立証や課題の検証も目的とする。
 
オペレーター(右)が同乗し、自動運転レベル2で運行する

オペレーター(右)が同乗し、自動運転レベル2で運行する

 
 同店駐車場で出発式があり、市関係者や住民ら約40人が参加した。小野共市長が「人口減や少子高齢化を踏まえ、従来の施策に新たな手法を加える必要がある。次世代の交通を体感し、生活の足としての可能性を考えるきっかけになれば」とあいさつ。関係者によるテープカットを行った後、住民5人を乗せた第1便が発進した。
 
実証事業の出発式でテープカットする関係者

実証事業の出発式でテープカットする関係者

 
自動運転バスの第1便に乗り込む地元住民

自動運転バスの第1便に乗り込む地元住民

 
 乗車した藤澤静子さん(82)は「少し不安だったが、スムーズに走っていて安心した。2年ほど前に運転免許を返納したので、早く実用化してもらいたい」と期待。佐藤清さん(80)は、ゆっくり走行するバスを車が追い越す際に自動でブレーキがかかって“おっ”と身構えたというが、危険性はほとんど感じなかったという。やはり自動化の実現を望み、「車を手放すことを考える歳になってきたからね。いろんな交通手段があった方がいい」とうなずいた。
 
 同地区は、中心地にスーパーや郵便局、歯科医院、三陸鉄道平田駅など社会基盤があり、住宅地から一定の距離もあってルート設定が可能なことから実験場所に選んだ。自動運転は期待感より、「きちんと走るか」「安心して乗れるのか」といった不安感が上回ると思われるが、通学や通院などで普段からバスを利用する学生や高齢者らがいて受け入れられやすい地域性、需要が見込まれることも選定の理由だという。事業費は約3500万円。全額、国土交通省の「地域公共交通確保維持改善事業費補助金(自動運転社会実装推進事業)」を充てる。
 
ベルジョイスみずかみ平田店敷地にある既存のバス乗り場を利用。写真右下のバス停が目印

ベルジョイスみずかみ平田店敷地にある既存のバス乗り場を利用。写真右下のバス停が目印

 
 市生活環境課の二本松史敏課長は「初めての自動運転バスの運行で不安もあると思うが、走っている姿を見て、実際に乗ってみて、安全で安心な乗り物と体感してほしい」と呼びかける。利用者へのアンケートも行い、課題を洗い出して導入の可能性を探る考えで、「将来的に安心して暮らしていけるよう公共交通の維持に努めていく」と強調した。