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栗林ラビー 20年ぶり全国大会へ 団員ら「楽しんで自分たちのバレーを!先輩たちの分まで…」

第42回岩手県小学生バレーボール育成大会(エンジョイ!バレーボールフェスティバル2025県予選)で初優勝した「栗林ラビーバレーボールスポーツ少年団」=11月9日、写真:父母会撮影

第42回岩手県小学生バレーボール育成大会(エンジョイ!バレーボールフェスティバル2025県予選)で初優勝した「栗林ラビーバレーボールスポーツ少年団」=11月9日、写真:父母会撮影

 
 釜石市の栗林ラビーバレーボールスポーツ少年団(団員31人)は、11月の「第42回岩手県小学生バレーボール育成大会」女子の部で初優勝。今月25~28日に京都府で開催される「エンジョイ!バレーボールフェスティバル2025」に本県代表として出場する。同団の全国大会進出は2005年以来20年ぶり。21年にも全国大会出場権を得る大会があったが、新型コロナウイルス禍で中止となったため、団にとって今回の喜びはひとしお。全国の舞台でも「大会を存分に楽しみ“ラビーの”バレーを!」と、練習にも熱がこもる。
 
 11月8、9の両日、奥州市で開かれた県育成大会女子の部には33チームが出場。3チームずつ11組の予選リーグで1位(2勝0敗)となった栗林ラビー(第2シード)は決勝トーナメントに進み、準々決勝の対下矢作・横田(陸前高田市)、準決勝の対矢巾女子(第3シード)、決勝の対高田東Jr(第4シード)戦をいずれも2-0で下し、同大会初優勝に輝いた。
 
決勝トーナメントは3戦とも2-0で勝利(写真:父母会撮影)

決勝トーナメントは3戦とも2-0で勝利(写真:父母会撮影)

 
チーム一の高身長、谷藤怜香さんのスパイクは圧巻(同)

チーム一の高身長、谷藤怜香さんのスパイクは圧巻(同)

 
 藤原明広監督(66)によると、現チームの強みは「拾ってつなぐ」バレー。中高の強豪チームの練習法などを研究し、強化を重ねてきた。攻撃の要は6年の谷藤怜香さん(小佐野小)、藤原朱莉さん(鵜住居小)の両エース。谷藤さんは県内小学生の中でもトップレベルの実力を誇り、藤原さんはブロックと速攻で、ここ1年急成長を見せる。先の県大会でも「つなぎはトップ。サーブも良く、ミスが少なかったのが勝因」と藤原監督。
 
練習を工夫し、レシーブやフォローの技術を磨いてきた栗林ラビー。「床にボールを落とすまい」と必死に食らいつく

練習を工夫し、レシーブやフォローの技術を磨いてきた栗林ラビー。「床にボールを落とすまい」と必死に食らいつく

 
全国大会まで1カ月となった11月24日、団員らはさらなるレベルアップを目指し、練習に励んだ=栗林小体育館

全国大会まで1カ月となった11月24日、団員らはさらなるレベルアップを目指し、練習に励んだ=栗林小体育館

 
 初の県制覇にエースの藤原さんは「全員で頑張って練習してきたことが成果となって表れた」と評価。自身が競技を始めたのは3年生から。約160センチの高身長、磨きをかける跳躍力を武器に、谷藤さんと切磋琢磨しながらチームの攻撃力を高める。全国大会に向け、「スパイカーとセッターのコンビネーションをもっと良くして、相手ブロックをかわすような攻撃ができれば。頭を使って動きたい」と意気込む。
 
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“2枚エース”の一人、藤原朱莉さんは高身長+腕の長さを生かした攻撃が持ち味。ブロック力も抜群

 
 主力の6年生は5人。藤原監督が「オールラウンダー」と、攻守で信頼を寄せる一人が四宮香蓮さん(小佐野小)。競技を始めたのは昨年からだが、「運動能力が高く、どのポジションでもいける(藤原監督)」という。得点源となるサーブも強み。初の全国の舞台、さらには小学生最後となる大会を「積極的に声を出し、試合を楽しみたい」と心待ちにする。
 
昨年からバレーを始めた四宮香蓮さん。どのポジションもこなせる頼りになる存在

昨年からバレーを始めた四宮香蓮さん。どのポジションもこなせる頼りになる存在

 
 同団の県制覇は2021年以来。同年は3大会で優勝したが、コロナ禍で全国、東北大会共に中止となり、先輩団員らは非常に悔しい思いをした。現団員の中には当時の主力メンバーの“妹団員”が3人在籍。その一人、山﨑良菜さん(釜石小5年)は姉新菜さんの思いを受け継ぎ、1年から同団で活動。監督の勧めで4年からセッターを務める。司令塔としての状況判断に面白みを感じていて、「全国の強いチームにも『負けないぞ』という気持ちで臨みたい」と気合十分。県外の強豪校に進んだ姉も“春高バレー”での全国大会出場が決まっていて、家族はダブルの喜びに包まれる。
 
姉の背中を追ってバレーを始めた山﨑良菜さん。セッターとして攻撃のバリエーションを広げる

姉の背中を追ってバレーを始めた山﨑良菜さん。セッターとして攻撃のバリエーションを広げる

 
 練習中も自ら指示を出し、チームをまとめるのは、主将の金野歩海さん(鵜住居小6年)。姉涼葉さんは三冠を果たした21年時の主将で、「姉の分も…」と全国大会出場への思いは人一倍強かった。昨年の育成大会後、「監督を全国に連れて行く」と全員で誓った。決意表明から1年―。努力を重ねたメンバーは見事、約束を果たした。
 
20年以上にわたり栗林ラビーを率いる藤原明広監督は「スポーツの楽しさを伝えたい」と子どもたちを熱心に指導。現団員らと臨む全国大会を楽しみにする

20年以上にわたり栗林ラビーを率いる藤原明広監督は「スポーツの楽しさを伝えたい」と子どもたちを熱心に指導。現団員らと臨む全国大会を楽しみにする

 
 金野さんにチームの強みを尋ねると意外な言葉が返ってきた。「一番意識しているのは整理整頓。物を雑に扱わない。チーム外の人にもきちんとあいさつをする」。こうした普段の心がけがプレーにも反映されているという。団員、指導者、保護者が一丸となった取り組み姿勢も自負。「ラビー全員のチームワークが岩手で一番だと思う」と誇りを示す。周りを元気にするムードメーカーとしての役割も自覚しつつ、「笛が鳴るまでは絶対にボールを落とさない。最後まであきらめず必死に戦う」と固い決意ものぞかせる。
 
メンバーに声がけしながらチームを盛り上げる主将の金野歩海さん。試合中に足りなかった笑顔と元気を増やそうと、この1年頑張ってきた

メンバーに声がけしながらチームを盛り上げる主将の金野歩海さん。試合中に足りなかった笑顔と元気を増やそうと、この1年頑張ってきた

 
団員の保護者は普段の練習から全面協力。子どもたちと一緒に体を動かし、練習を支える

団員の保護者は普段の練習から全面協力。子どもたちと一緒に体を動かし、練習を支える

 
さまざまな練習メニューを取り入れ、レベルアップにつなげる

さまざまな練習メニューを取り入れ、レベルアップにつなげる

 
 同団は1983年結成。当初は栗林小児童主体のチームだったが、後に広域化を進め、現在は釜石・大槌地区のほか山田町や宮古市からも団員が集う。団員数31人は過去最多。上級生の活躍は下級生のやる気向上にもつながっている。全国大会まで残り20日。藤原監督は「今の精度をさらに上げ、1試合でも多く勝ちたい。現在は所属児童がいない栗林の人たちも応援してくれている。少しでもいい成績を出して恩返ししたい」と言葉に力を込める。
 
全国大会でも「ラビーのバレーを!」。全力で戦うことを誓い合う主要メンバー

全国大会でも「ラビーのバレーを!」。全力で戦うことを誓い合う主要メンバー

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鉄がつなぐ!?「一市四カ村合併70年」写真で振り返る 釜石市郷土資料館で企画展

釜石市郷土資料館で開催中の「一市四カ村合併70年」展

釜石市郷土資料館で開催中の「一市四カ村合併70年」展

 
 有料道路の開通、市民のデモ行進、市場に水揚げされたあふれんばかりのサケ、高炉解体、観光船はまゆりの就航、世界遺産登録のお祝い…。釜石市鈴子町の市郷土資料館の企画展示室に並んでいる写真だ。1市(釜石)4村(甲子、鵜住居、栗橋、唐丹)が合併し、現在の釜石市が形成されて今年で70年。さまざまな歴史が積み重ねられてきた。まちの動きを見せる展示物から「釜石を良くしようとする市民の力」が伝わってくる。
 
 鉄の記念日(12月1日)にちなみ、同館では鉄の週間事業として資料展「写真で見る 一市四カ村合併70年」を開催中。合併後の街並み(空撮)やこの70年間にあった主要な出来事を約60点の写真パネルや、年表などで振り返る。
 
鉄の週間に関連した企画展。写真パネルや年表など資料が並ぶ

鉄の週間に関連した企画展。写真パネルや年表など資料が並ぶ

 
 昭和初期、「釜石町」は製鉄所の事業拡張や水産業の発達から急速に成長。市制施行の機運が高まり、1937(昭和12)年5月5日に「釜石市」となった(当時の人口は約4万人)。4年後の41(同16)年に太平洋戦争が勃発。重要な工業都市だった釜石は45(同20)年、米英連合軍などによる2度の艦砲射撃で壊滅的な被害を受けた。
 
 戦後、釜石地域は混乱期にあったが、鉄の需要増加による製鉄所の復興などで経済は上向いた。人口も右肩上がりとなり、さまざまな産業が生まれ、建造物も次々に整備され、活気に満ちた。そこに国の施策として市町村の合併が進められたことから、55(同30)年4月1日、1市4村による新・釜石市が形づくられた。“鉄がつなげたまち”の当時の人口は8万1000人余り。盛岡市に次ぐ県内第2の都市に躍り出た。その後の約10年は市制の歴史でも最も人口が多く、まちの勢いが共有された期間とされる。
 
合併から70年のまちの動きを紹介する写真パネル

合併から70年のまちの動きを紹介する写真パネル

 
 写真パネルでは、釜石大観音や鉄の歴史館、シープラザ釜石などの建造物が完成したことを祝う催し、日本選手権を7連覇した新日鉄釜石ラグビー部のパレード風景、市役所議場前で座り込みをする市職員や働く人々によるデモ活動など、釜石の昔の様子を見ることができる。
 
合併後に撮られた市内各地の空撮写真のパネル

合併後に撮られた市内各地の空撮写真のパネル

 
合併を記念した鳥瞰図や鉄瓶、申請書など貴重な資料が並ぶ

合併を記念した鳥瞰図や鉄瓶、申請書など貴重な資料が並ぶ

 
 55年の合併のために提出した申請書、合併前最後に作られた各市村の要覧、解村や合併を記念した鉄瓶なども関係資料として40点ほど並ぶ。明治から昭和期に名をはせた鳥瞰図(ちょうかんず)作家、吉田初三郎(1884~1955)作の釜石図も掲示。市制施行を記念したもので、精巧な地図とはひと味違った筆使いや彩色に情趣がある。
 
 同館の佐々木寿館長補佐にとって思い出深いのが、70(昭和45)年に市営プールで行われた第25回岩手国体の開会式の写真だ。小学生だった佐々木館長補佐は、開会式ではなかったが、現地で競技を見たことを懐かしむ。
 
 社会人となって印象深い出来事の一つとして挙げたのは、釜石製鉄所の第一高炉が解体される様子を写した一枚。佐々木館長補佐は「すごい音がして倒れた」と、96(平成8)年のその日を思い浮かべた。「いよいよか…」と、当時は複雑な心境になったという。製鉄所の配置転換や合理化により89(平成元)年に高炉は休止されていたが、「動かなくても形がある。やはり製鉄のまちだからね。なくなるのは…」と、言葉に寂しさをにじませた。
 
合併後の70年の歩みを振り返るモノクロの写真パネル

合併後の70年の歩みを振り返るモノクロの写真パネル

 
「やはり釜石は鉄のまち」。盛衰を感じさせる写真もある

「やはり釜石は鉄のまち」。盛衰を感じさせる写真もある

 
昭和、平成と時代が変わる中で移り変わる街の様子を見せる

昭和、平成と時代が変わる中で移り変わる街の様子を見せる

 
 「写真を見て当時を思い出してもらい、それをきっかけに周りの方といろんなことを語り合ってもらえたら。若い人たちには『こんなことがあったのか』と地元の歴史を知る機会になればいい。興味を持ったら、独自に調べたりしてほしい」と期待する佐々木館長補佐。かつての活気ある街の風景に触れ、「ポテンシャルのある街、釜石で生きていこう」と思う人が増えることを願う。
 
 資料展は来年1月25日まで。開館時間は午前9時半~午後4時半(最終入館は同4時)。火曜日休館。12月28日~1月4日は年末年始の休館となる。

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「小川しし踊り」伝承脈々と 小佐野小が「いわてユネスコ文化賞」受賞 旧小川小から活動48年

運動会で「小川しし踊り」を披露する小佐野小児童。長年の伝承の取り組みに「いわてユネスコ文化賞」が贈られた(写真提供=小佐野小)

運動会で「小川しし踊り」を披露する小佐野小児童。長年の伝承の取り組みに「いわてユネスコ文化賞」が贈られた(写真提供=小佐野小)

 
 釜石市立小佐野小(松本孝嗣校長、児童249人)は、岩手県ユネスコ連絡協議会(三田地宣子会長)の2025年度顕彰で「いわてユネスコ文化賞」を受賞した。児童らが代々取り組んできた地元郷土芸能「小川しし踊り」の伝承活動が認められたもの。学校統合前の旧小川小から受け継ぐ活動は今年で48年―。地域の誇り、郷土愛を育む活動は児童らの成長に大きく寄与している。
 
 同協議会は教育、科学、文化の分野で他の模範となる活動を行う児童生徒や指導者を「いわてユネスコ賞」として顕彰している。第30回の本年度は11件(科学賞2、文化賞6、活動奨励賞2、教育賞1)の表彰があり、小中高10校と1個人が受賞した。
 
県ユネスコ連絡協に代わり、釜石ユネスコ協会の岩切久仁会長(左)が小佐野小の松本孝嗣校長(右)に表彰状と盾を届けた=11月26日、同校

県ユネスコ連絡協に代わり、釜石ユネスコ協会の岩切久仁会長(左)が小佐野小の松本孝嗣校長(右)に表彰状と盾を届けた=11月26日、同校

 
 小佐野小への表彰伝達は11月26日、同校で行われた。釜石ユネスコ協会の岩切久仁会長、佐々木聡理事、岩間千枝子理事、高橋宏樹事務局長が訪問。岩切会長が松本校長に表彰状と盾を手渡した。松本校長は「子どもたちにとって、受賞は大きな励みになる」と感謝。全校朝会で報告する際に「受賞の意義をしっかり伝えたい。先輩たちが長い間続けてきた価値を知ることで、『自分たちも』と継続の意識が高まると思う。自己肯定感を得ることにもつながる」と話した。
 
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小佐野小の小川しし踊り伝承活動について懇談する関係者

 
 同校では総合的な学習の時間などを利用し、毎年5、6年生全員がしし踊りに取り組む。小川しし踊り保存会(佐々木義一会長)のメンバーが学校を訪れ、児童らを指導。踊り、太鼓、笛など演舞に必要な役割を分担し、パートごとに練習を重ねる。演舞を披露するのは運動会や学習発表会など。保護者や地域住民の前で練習の成果を発表し、多くの感動を与えている。
 
5月24日に開催された運動会では5、6年生のしし踊りがオープニングを飾った(写真提供:小佐野小)

5月24日に開催された運動会では5、6年生のしし踊りがオープニングを飾った(写真提供:小佐野小)

 
今年度の5、6年生は計約100人。しし頭のほか、小踊り、太鼓、笛などを役割分担(同)

今年度の5、6年生は計約100人。しし頭のほか、小踊り、太鼓、笛などを役割分担(同)

 
 約140年の歴史を誇る小川しし踊り(市指定文化財)。同保存会は地元芸能の伝承、担い手育成を目指し、1977(昭和52)年頃から当時の小川幼稚園、小川小で芸能指導を開始。2005年に小川小と統合した小佐野小でもその取り組みが受け継がれ、現在に至る。保存会は指導者の立場として、昨年度の「いわてユネスコ教育賞」を受賞している。
 
 同保存会副会長として児童らの指導にもあたる釜石協会の佐々木理事は「小川小の運動会でしし踊りを踊り始めたのが私たちの世代」と歴史の重みをかみしめる。全国的に伝統文化の継承が課題となる中、「地元の団体と学校が一緒になって伝承に取り組むのは意義あること。歴史あるものには先人の教えもある。大切にしていくことで、結果的に郷土愛にもつながるのでは」と期待した。
 
小川小卒業生で保存会副会長の佐々木聡さん(右)は学校統合後も続くしし踊りの伝承活動に喜びを表した

小川小卒業生で保存会副会長の佐々木聡さん(右)は学校統合後も続くしし踊りの伝承活動に喜びを表した

 
児童らはそれぞれの役割を果たし、一体感あふれる演舞で保護者や地域住民を魅了した(写真提供:同)

児童らはそれぞれの役割を果たし、一体感あふれる演舞で保護者や地域住民を魅了した(写真提供:同)

 
 同校の活動を推薦した釜石協会の岩切会長は「指導する側と受ける側、双方が受賞できたことは大変うれしい。こうした活動は両者の思いが合致しないと成り立たない。学校のカリキュラムで活動環境を整えてくださっているのは心強い」とし、地域の素晴らしさを感じながら育つ子どもらの健やかな成長を願った。

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食の秋だから!山海グルメ堪能 釜石まんぷくフェス 体験、ステージ、遊びも満喫

多くの人でにぎわう釜石まんぷくフェス=11月23日

多くの人でにぎわう釜石まんぷくフェス=11月23日

 
 交流物産展、水産まつり、農業祭、軽トラ市-。釜石市の食の魅力をPRする催しが一度に楽しめる「釜石まんぷくフェス」(釜石観光物産協会主催)が22、23の両日、同市鈴子町のシープラザ釜石周辺で開かれた。サンマ、甲子(かっし)柿など釜石の海や山の幸のほか、釜石と交流がある自治体の自慢の味も集合。子ども向けの電動自動車の試乗体験やステージイベントもあり、連日、家族連れらでにぎわった。
 
 フェスは2022年から開催。これまでは9月に同市鵜住居町の釜石鵜住居復興スタジアムを会場にしていたが、今回は特産品や食材の“旬”を味わってもらおうと時期を変更し、会場も市中心部に移した。
 
 最終日の23日、開始早々に人だかりができたのは鈴子公園。農業祭恒例の餅まき、シイタケまきで老若男女が手を伸ばした。続いて長蛇の列ができたのは、水産まつりの焼きサンマのお振る舞い。地元で水揚げされた500匹(2日間で計1000匹)は大人気で、来場者の食欲をそそった。軽トラ市では“オール釜石産スープ”を提供。市が栽培促進中のトマト「すずこま」(愛称・かまとまちゃん)、オヤマ(一関市)のブランド鶏「奥州いわいどり」のうち釜石の養鶏農場で生産された鶏肉などが使われた。
 
恒例行事で開幕した農業祭。餅やシイタケが宙を舞う

恒例行事で開幕した農業祭。餅やシイタケが宙を舞う

 
ピーマン釣り、甲子柿販売、スープお振る舞いで山の幸堪能

ピーマン釣り、甲子柿販売、スープお振る舞いで山の幸堪能

 
軽トラ市で人気を集めるのは新鮮な地元野菜

軽トラ市で人気を集めるのは新鮮な地元野菜

 
 炭火で香ばしく焼き上げられたサンマを頬張る陸前高田市の小学生菅野湊也さん(10)は「めっちゃ、おいしい」と箸を進めた。サンマを提供したのは釜石の漁業会社濱幸水産。旬の味を求める人の波を見つめていた同社船舶部長の大和田暢宏さん(53)は「地元の船が水揚げしたものを地元で味わってもらい、うれしい。サンマ漁は終盤戦。いいものを届けられたらいい」と目を細めた。
 
長い列ができたサンマ焼きのお振る舞い

長い列ができたサンマ焼きのお振る舞い

 
サンマを頬張る親子連れ「焼きたて、おいしい」

サンマを頬張る親子連れ「焼きたて、おいしい」

 
 シープラザ釜石西側駐車場を使った交流物産展には釜石市内の飲食店のほか、同市の姉妹都市・愛知県東海市の商工会議所、友好交流都市の富山県朝日町や東京都荒川区などから約50団体が出店。浜焼きや肉料理、スイーツなど多彩なグルメが並んだ。
 
出店、キッチンカーがずらりと並んだ交流物産展

出店、キッチンカーがずらりと並んだ交流物産展

 
自慢の味を提供した盛岡市の「花どんたく」の出店

自慢の味を提供した盛岡市の「花どんたく」の出店

 
 来場者は「熱々でおいしい」などと声を弾ませ、食を堪能した。盛岡市の「酒飲み処 花どんたく」が持ち込んだイチ押しメニューは「博多牛もつ鍋」。本場の味(具材はキャベツ、ニラ、肉)に地元の食材(豆腐)を加えた“博多生まれ、盛岡育ち”のこだわりの一品が食欲を刺激した。店主の長谷川さんは「対面で売るのは会話を楽しめていい。『また食べたい』と思ってもらえたら」と腕をまくった。
 
 サン・フィッシュ釜石では、マグロの解体ショーやカキの釣り体験が行われ、大にぎわい。狙いを定めてカキを釣り上げた中妻町の小学生木下真由さん(10)は「難しかったけど、面白かった。ずっしり重たいのが釣れた。焼いて食べたい」と笑った。
 
カキに狙いを定める家族連れ。「やったー、釣れた!」

カキに狙いを定める家族連れ。「やったー、釣れた!」

 
興味津々!人だかりができたマグロの解体ショー

興味津々!人だかりができたマグロの解体ショー

 
 長崎産の養殖ホンマグロ(体長約150センチ)を前に「丸っとして迫力あるし、ギラギラしてきれいだ」と驚いていたのは、仙台市の相原幸雄さん(60)。切り分けられた赤身の“サク”を手に入れ、「食べるのが楽しみ」と声を弾ませた。東日本大震災前に仕事で釜石に来たことがあるといい、「まちがきれい。歩きやすく整備されている。タイミングよく紅葉も見られて気持ちいい。いい思い出になった」と、隣に立つ愛妻と笑顔を重ねていた。
 
 シープラザのステージイベントには、釜石市国際外語大学校の学生有志が登場。日本語学科のネパール、ミャンマーの留学生はそれぞれ民族衣装に身を包み、伝統の踊りを披露した。同科2年生で、ネパール人のガウタム・サンチさん(20)は「私たちの国の文化を伝えられた。うれしい」と笑顔を見せた。日本人学生は外語観光学科の特色を紹介した。
 
笑顔を弾かせながら踊るネパール人留学生

笑顔を弾かせながら踊るネパール人留学生

 
「心を込めて踊ります」とミャンマー人留学生

「心を込めて踊ります」とミャンマー人留学生

 
 来場者は食、遊び、体験を楽しみながら鈴子町を周遊。主催の同協会関係者は「一度に楽しめるのがポイント。いくつかの企画を組み合わせることで人を呼び込める」と手応えを話した。

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広報かまいし2025年12月1日号(No.1869)

広報かまいし2025年12月1日号(No.1869)
 

広報かまいし2025年12月1日号(No.1869)

広報かまいし2025年12月1日号(No.1869)

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【P1】
TETTO Cinema vol.6 フィルムで観る邦画名作上映会
トモス de クリスマスマルシェ

【P2-3】
釜石のお店を巡ろうキャンペーン!

【P4-5】
日本製鉄釜石シーウェイブスを一緒に応援しよう! 他

【P6-7】
釜石大槌地区行政事務組合決算
岩手沿岸南部広域環境組合決算 他

【P8-9】
まちのお知らせ

【P10】
マイレールDAY2025 シンポジウム~鉄道の大切さ、今日は1日考えよう~
かまいし冬灯り2025
初の学園祭開催!釜国祭 ~ことばがつなぐ 世界と地域とわたしたち~

この記事に関するお問い合わせ
釜石市 総務企画部 オープンシティ・プロモーション室
〒026-8686 岩手県釜石市只越町3丁目9番13号
電話:0193-27-8463 / Fax 0193-22-2686 / メール
元記事:https://www.city.kamaishi.iwate.jp/docs/2025112100040/
釜石市

釜石市

釜石市公式サイトと連携し、縁とらんすがピックアップした記事を掲載しています。記事の内容に関するお問い合わせは、各記事の担当窓口までお問い合わせください。
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釜石PIT 2025年12月のスケジュール

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太字で表示されているイベントは一般の方も参加できます。イベントに関するお問い合わせは、各主催者までお願いいたします。
 
施設に関する詳細はこちらのページをご覧ください。

フェリアス釜石

釜石まちづくり株式会社

釜石まちづくり株式会社(愛称 フェリアス釜石)による投稿記事です。

問い合わせ:0193-22-3607
〒026-0024 岩手県釜石市大町1-1-10 釜石情報交流センター内 公式サイト

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12/1「鉄の記念日」にちなみ釜石2施設で企画展 今年のテーマは世界遺産登録10周年の「橋野鉄鉱山」

発掘調査の成果などが公開される企画展「橋野鉄鉱山展」。鉄の歴史館で開催中

発掘調査の成果などが公開される企画展「橋野鉄鉱山展」。鉄の歴史館で開催中

 
 12月1日は“近代製鉄発祥の地釜石”にとって大切な「鉄の記念日」。1857(安政4)年、盛岡藩士大島高任が釜石(甲子村大橋)に建設した高炉で、鉄鉱石(磁鉄鉱)を原料とした鉄の連続出銑に日本で初めて成功した日だ。釜石市大平町の鉄の歴史館、甲子町大橋の釜石鉱山展示室Teson(てっさん)では今、同記念日にちなんだ企画展を開催中。今年は世界遺産登録から10周年を迎えた「橋野鉄鉱山」にスポットを当て、歴史館では高炉場、Tesonでは採掘場を中心に解説する。普段は公開していない貴重な資料もあり、「ぜひ、この機会に」と来場を呼びかける。
 
 大島高任は大橋での成功を受け、翌58(安政5)年、橋野村青ノ木に仮高炉を建設。これが橋野鉄鉱山の始まりだ。後に一番、二番高炉が建設され、仮高炉は改修されて三番高炉と称される。藩営ではあったが、実際は紫波の豪商・小野権右衛門の資本力による支配人経営。68(明治元)年には幕府の許可を得て銭座を併設し、出銑量は年間1千トン以上に上った。69(同2)年に政府が鋳銭禁止令を出すが、密造が続けられ、71(同4)年の大規模検挙により廃座。同時に一番、二番高炉は操業をやめ、三番高炉での銑鉄生産のみとなった。経営権の移譲が繰り返された後、94(同27)年、釜石鉱山田中製鉄所に売却された。田中が栗橋分工場の操業を開始したことで、橋野鉄鉱山は操業をやめたが、採掘は昭和30年代ごろまで細々と続いた。
 
 鉄の歴史館で開かれている「橋野鉄鉱山展」では、26点の関連資料と解説パネル14点を展示する。橋野地域では高炉による製鉄が始まる前から、砂鉄を原料とした“たたら製鉄”が盛んだった。「和山七ヶ山」と言われる鉄山があり、同展では直近の分布調査で見つかった鉄滓を展示する。大橋高炉で原料となる磁鉄鉱の発見は1727(享保12)年。場所を示す「大橋磁石岩絵図」は市指定文化財となっている。同展ではそのレプリカを展示。藩が作成した橋野鉄鉱山操業の予算書(下書き)も展示する。
 
 写真上:橋野鉄鉱山の北側では古くからたたら製鉄が行われていた。右は橋野鉄鉱山と赤芝鉄山の間で見つかった鉄滓とフイゴの羽口。同下:安政6年の橋野鉄鉱山操業経費の調書の下書き

写真上:橋野鉄鉱山の北側では古くからたたら製鉄が行われていた。右は橋野鉄鉱山と赤芝鉄山の間で見つかった鉄滓とフイゴの羽口。同下:安政6年の橋野鉄鉱山操業経費の調書の下書き

 
 同市では2006年から「橋野高炉跡範囲内容確認調査」を実施。東日本大震災で一時中断したが、18年から再開し、毎年エリアごとに発掘調査を進めている。その年の調査結果は橋野鉄鉱山インフォメーションセンターで速報展という形で公開するが、本企画展では主に19年以降の成果をパネルと出土品で総合的に紹介している。
 
 高さ7メートルの高炉に鉄鉱石や燃料の木炭を投入するには、作業するための建物「覆屋(おおいや)」が必要となるが、22年に行われた三番高炉エリアの発掘調査では、その規模が確認されている。柱跡(礎石、柱根など)をつないでいくと、覆屋の規模は約57坪(188平方メートル)と推定され、これは明治時代の記録と合致する。現在見られる高炉石組みの前に広がる平場は、ほぼ建物で覆われていたと考えられる。
 
三番高炉エリアの発掘調査現場(2022年撮影)。「覆屋」の建物規模が分かった

三番高炉エリアの発掘調査現場(2022年撮影)。「覆屋」の建物規模が分かった

 
 同展では1958(昭和33)年ごろ、製鉄所の人たちが作ったという三番高炉と覆屋の木製模型も展示する。覆屋は幕末の高炉操業を描いた絵巻「紙本両鉄鉱山御山内並高炉之図(しほんりょうてっこうざんおやまうちならびにこうろのず)」で描かれるが、立体的な模型だとその形状がよく分かる。
 
三番高炉と覆屋の木製模型。近代製鉄発祥100周年を記念し、「紙本両鉄鉱山御山内並高炉之図」を参考に再現した

三番高炉と覆屋の木製模型。近代製鉄発祥100周年を記念し、「紙本両鉄鉱山御山内並高炉之図」を参考に再現した

 
 出土品では高炉に使われた花巻産の耐火れんが、高炉の石組み(花こう岩)をつなぐ蝶形の鉄製金具「チキリ」、製品の一部とみられる銑鉄などを展示。三番高炉エリアからは鋳造場跡が確認されていて、鉄瓶の鋳型とみられるものや鉄鍋の耳部分、同所で製造されたとされる鉄瓶も展示している。この他、銭座があったことを示す銭竿や鉄銭、長屋跡から見つかった生活雑貨の皿も。
 
高炉の内部構造を解説するパネル(左)と、部材として使われたチキリ(右上)、耐火れんが(右下)

高炉の内部構造を解説するパネル(左)と、部材として使われたチキリ(右上)、耐火れんが(右下)

 
鉄銭は主に四文銭を鋳造(左)。鉄瓶の鋳型の土台部分とみられる遺物(右上)も出土

鉄銭は主に四文銭を鋳造(左)。鉄瓶の鋳型の土台部分とみられる遺物(右上)も出土

 
 市教委文化財課世界遺産室の森一欽室長は「この10年の発掘調査だけでも新たな発見が多数あった。本企画展ではその成果を集大成という形で出すが、まだまだ分かっていないことがあり通過点。今後も調査を続け、橋野鉄鉱山の全容をより詳しく解明していければ」と話す。企画展は来年1月12日まで開催。毎週火曜日休館。12月29日~1月3日までは年末年始休館となる。
 
 一方、釜石鉱山展示室Tesonでは「鉱山(やま)を極めるⅡ~青ノ木鉱床編~」と題し、関連資料17点、パネル10点を展示する。橋野高炉に供給する鉄鉱石を採掘した「青ノ木鉱床」は高炉場に隣接する二又沢川の上流(高炉場の南南西約2.6キロ)に位置し、かつては“二又鉱床”や“猫軸山”と呼ばれていた。露天掘りや半地下式の採掘場があり、後に坑道掘りも始まった。橋野鉄鉱山の高炉が閉鎖された後も、断続的に採掘が行われ、1956(昭和31)年の大橋側、大峰鉱床の開発で青ノ木の坑道は大峰とつなげられた。
 
釜石鉱山展示室Tesonで開かれている企画展。鉄鉱石を採掘した青ノ木、高前両鉱床にスポットをあてる

釜石鉱山展示室Tesonで開かれている企画展。鉄鉱石を採掘した青ノ木、高前両鉱床にスポットをあてる

 
「紙本両鉄鉱山御山内並高炉之図」で描かれる露天掘りの様子。鉄槌やくさびを使って地表から掘り進めた

「紙本両鉄鉱山御山内並高炉之図」で描かれる露天掘りの様子。鉄槌やくさびを使って地表から掘り進めた

 
 橋野高炉には、沢桧川上流、大平集落の東約1500メートルに位置する「高前鉱床」からも鉄鉱石が供給された。高前の鉱石は、明治初期に沢桧川沿いで稼働した横石、大蕨(わらび)両高炉や栗林高炉にも供給。田中製鉄所栗橋分工場が稼働すると、同工場の主力採掘場となった。
 
 企画展の展示資料、1894(明治27)~1905(同38)年の鉱業施業案綴(つづり)には、田中製鉄所時代の両鉱床の採掘計画(作業人数、採掘量)が記されていて、一部を拡大コピーで紹介。実際の採掘量を記した明細表も合わせて展示する。他にも1906(同39)~11(同44)年に作成された両鉱床の実測図(平面、断面)、明治末頃の青ノ木坑内の写真、1891(同24)年から15年間の高前・男嶽官地の採掘を田中に許可する農商務大臣名の借区券など、普段は見ることができない貴重な資料が並ぶ。
 
明治27~35年の鉱業施業案綴。右下は28年の施業案を読みやすいように文字を打ち直したもの

明治27~35年の鉱業施業案綴。右下は28年の施業案を読みやすいように文字を打ち直したもの

 
青ノ木(二又)、高前両鉱床の坑内実測図の展示。普段は非公開

青ノ木(二又)、高前両鉱床の坑内実測図の展示。普段は非公開

 
高前、男嶽官地の採掘許可を示す「借区券」(右)。左は鉄鉱石や木炭を背負って運ぶための籠「コダス」

高前、男嶽官地の採掘許可を示す「借区券」(右)。左は鉄鉱石や木炭を背負って運ぶための籠「コダス」

 
 同展示室の企画展は12月8日までの開催(火・水曜日休館)。なお、同展示室と橋野鉄鉱山インフォメーションセンターは9日から来年3月31日まで冬季休館となる。