発掘調査が行われてきた「太田林遺跡」の現地公開=釜石市橋野町
6月から発掘調査が進められてきた釜石市橋野町の「太田林遺跡」の現場が11月23日、一般に公開された。調査を行う県文化振興事業団埋蔵文化財センターによると、同所では縄文時代の竪穴住居20棟以上が密集した状態で見つかり、当時の装飾品「玦(けつ)状耳飾り」が多数出土した。縄文人の暮らしの一端を垣間見ることができ、訪れた人たちは興味をそそられながら担当者の説明に聞き入った。調査は来年度まで続く。
橋野地区の消防屯所建設に伴う記録保存のための調査。現場は産地直売所「橋野どんぐり広場」から笛吹峠方面へ約150メートルの県道沿い。本年度は1325平方メートルを対象とした。
竪穴住居は縄文時代早期(約8000年前)から前期末(約5000年前)のものと推定され、溝の長さや柱穴の状態から大型住居の痕跡が見られる。複数の建物跡が重なりあっていて、同じ場所に何回も建て替えて住み続けていたことが分かる。調査を担当する同センター主任文化財専門員の八木勝枝さん(48)は「この場所は日当たりが良く、平地が広い。川も近い。集落を構えるのに最適な立地条件」と話す。
竪穴住居を区画する溝や柱穴が複数見られる現場
長期にわたり住み続けるのに最適な条件がそろっていたとみられる
食糧を保存するための「貯蔵穴」も見つかった。大きなものは深さ約1・7メートルで、底が広いフラスコ型。小型の穴からは炭化したクリが多数見つかった。皮がむかれた状態で発見されるのは珍しく、原形もとどめている。大型住居の中には炉の跡(焼土)が複数みられ、家族単位で炉を囲んでいたとも考えられるという。
深さ約1・7メートルのフラスコ型「貯蔵穴」
底に炭化したクリが見つかった(赤丸部分)貯蔵穴。形がはっきり残る縄文時代のクリ(右下)
担当者が注目するのは建物跡から見つかった「玦状耳飾り」。耳たぶに開けた穴に装着して使うもので、完成品(24点)だけでなく、製作途中のものも見つかった。材料は滑石。これだけの数が同じ場所から見つかることはまれだという。他に土器、石器(矢じり、石斧、すり石など)が多数出土したほか、土偶の破片や動物とみられる焼けた骨も見つかった。
今回の調査区から出土した遺物。上段は玦状耳飾りの製作過程
用途別に大小さまざまな形状に加工された石器類
発掘範囲の東側では墓とみられる穴が5基見つかった。人為的に埋め戻されたような土がたまっていて、加工途中の「石刀」状の石製品が出土している。墓は住居よりも新しい時期のものと推定される。
墓の跡とみられる穴が複数見つかった東側エリア
見学した甲子町(中小川)の中川和雄さん(73)は「場所的に住みやすい地形ですもんね。当時の人もできるだけ考えていたのだろう。釜石の温暖な気候もあるのかも」と想像を巡らし、「亡妻は遺跡が大好きだった。帰ったら報告してあげたい」と語った。
同センターの八木さんは「これほどの住居の密集は私も見たことがない。玦状耳飾りは割とまとまっていたので、その家がどういう役割だったかを考える材料にもなる。来年度の調査と合わせ、一帯の全体像を把握できれば」と話した。発掘調査の成果は最終的に1冊の調査報告書にまとめられ、一般の人も県内市町村図書館などで目にすることができる。
太田林遺跡は今回の調査区の北側にも広がり、これまでの市による分布・試掘調査で縄文時代から弥生時代の遺構・遺物が発見されている。