三回裏、待望の先制点に沸き立つ家族応援団
釜石ナインが甲子園で躍動した。20年前の釜石南時代を含め、センバツ2度目の挑戦でつかんだ悲願の初勝利。「連れてきてくれてありがとう」。一塁側アルプススタンドの応援団は力の限り声を上げ、ナインの奮闘を後押し。スクールカラーの紫一色に染め、歓喜に沸いた。
最後の打者を打ち取って勝利が決まると、応援団は互いにハイタッチして喜びを爆発させた。「岩手の山川 太平洋の…」。選手とともに校歌を歌い、春の甲子園初勝利をかみしめた。
一塁側アルプス席は生徒や保護者、卒業生などで埋め尽くされた。「頑張れ」「勝つぞ」。プレーボールのサイレンが鳴る前から声援が途切れない。釜高応援団とともにブラスバンド演奏で後押しする吹奏楽部の黒沢美咲さん(3年)は「甲子園まで連れてきてもらった感謝を込め、勝ってもらえるよう盛り上げる」と笑顔を見せた。
駆け付けたOBの中には20年前の甲子園メンバーの姿も。野球部OB会長の小国晃也さん(37)=大槌町職員=は「震災でつらい思いをしてきた中で、つかみ取った甲子園。頑張ってほしい。被災地ということで背負うものもあると思うが、伸び伸び楽しんで。笑顔でやることが被災地に元気を届けることにつながる」と激励した。その隣には「KAMAISHI MINAMI」と校名が入った白い上着が。震災で犠牲になった宮田豊さん(享年32)の遺品だ。「一緒に校歌を歌えればいいな」と亡き友に語りかけた。
姉妹都市の東海市からもバス2台で80人が応援に駆け付けた。佐々木有三さん(68)は「公立校、釜石のような地方校が甲子園に出るのはめったにないこと」、大槌町生まれの後藤順次さん(64)は「つながりがあるから、この場で応援したい」と試合を見守った。
三回に1番・佐々木航選手の中前打で先制点をあげると、「ヨッシャー」などと喜ぶ声が上がった。「ハガネノココロ GO!カマイシ!」と声援を送るのは、関東を中心に全国の釜石出身者でつくる釜石応援団のメンバー15人。及川健智副団長(40)=東京都江東区=は「震災時は小学生。制約の中、頑張ってきた。悔いのないように」と願った。
その後、八回にも佐々木航選手の安打を足掛かりに、3番・奥村颯吾選手の中越え二塁打で追加点をあげた。メガホンを突き上げて割れんばかりの大歓声に包まれるアルプス。奥村選手、5番・新沼康大選手が小学時代に在籍していた双葉野球スポーツ少年団でエース投手の金澤俊輔君(12)が「生で見ることができてうれしい。ぼくも甲子園に出たい。(先輩たちは)かっこいい」と笑顔をはじけさせた。
応援団が祈るように見つめたのは九回表。一球一打に息をのむ。奥村選手の前に白球が転がる。丁寧にさばき、一塁へ。新沼選手ががっちりと受け止めると、紫色に染まったスタンドは、ようやく大きく揺れた。
八回裏、決勝点に在校生も歓喜の笑顔
笑顔で声援を送り続けていた同校の佐々木春菜さん(2年)は「ドキドキした。勝ってくれると信じていた。甲子園は一生に一度、行けるかどうか分からない。来ることができただけでもいいのに、いい試合して勝って本当にうれしい。ありがとう」と目を潤ませた。
一塁コーチャーを務めた中村翔斗選手の祖母、絢子さん(78)=小佐野町=は「勝利と孫の頑張る姿を見ることができて良かった。最高」と、一緒に訪れた親戚の佐野ミサ子さん(77)=定内町=と顔を見合わせ笑った。
東京都江東区から駆け付けた高杉知明さん(49)は、おいの9番・石崎仁鵬(のりたか)選手の活躍を見つめた。「感無量。涙が出た」と感激。息子の太基君(11)は「(石崎選手は)かっこいい。ぼくも何かに挑戦したい気になった」と目を輝かせた。親子で声を合わせ、「もう一つ勝って」と期待した。
(復興釜石新聞 2016年3月23日発行 第472号より)
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