震災5年 犠牲者しのぶ、ふるさと再生願い黙祷
釜石市主催の震災5周年犠牲者追悼式で、犠牲になった家族や知人の面影を思い、手を合わせる参列者=11日釜石高校体育館
東日本大震災から5年を迎えた11日、県内は犠牲者の死を悼む鎮魂の祈りに包まれた。震災関連死を含め1062人が犠牲になり、152人が今なお行方不明のままとなっている釜石市では、被災21地区でかさ上げ工事が進み、自宅の自力再建や災害公営住宅への入居が始まっているものの、いまだ3600人余りが仮設住宅で生活を送る。市主催の震災5周年追悼式は甲子町の釜石高体育館で行われ、参列した遺族ら約600人が震災発生時刻の午後2時46分に黙とう。亡き家族や知人の面影を思い、一日も早い復興を願って手を合わせた。
節目の追悼式 遺族ら600人参列
政府主催の追悼式の中継に合わせて国歌を斉唱した後、午後2時46分を告げるサイレンに合わせて黙とう。野田武則市長は「5年前のあの時の思いを決して忘れてはならない。悲劇を二度と繰り返さないよう、教訓を次の世代に確実につなげていくことを誓う」と式辞を述べた。
追悼式では釜石市合唱協会メンバーが鎮魂と復興の思いを込め献唱した
母トモさん(享年92)を亡くした唐丹町小白浜の自営業、千葉陽一さん(81)が遺族代表で追悼のことば。津波は海抜約20メートルの場所にあった自宅1階に流れ込み、トモさんはがれきの下敷きに。近所の人の手を借りて助け出されたが、震災の影響で電気が止まっていたため暖を取ることができず、その日のうちに亡くなった。
千葉さんは「がれきに囲まれ、医者に連れて行くこともできなかった。母は『寒いよ、寒いよ』と繰り返し、息を引き取った。手押し車でも、背中におぶってでも、なぜ避難しなかったか。『まさかここまでは』という思いがあったかもしれない。悔やまれてならない」と振り返った。そのうえで、発展を遂げようとする釜石の姿を見ることなく亡くなった人たちに「残された私たちを静かに見守ってください。そして安らかにお眠りください」と語りかけた。
釜石市合唱協会の22人が「麦の唄」など2曲を献唱。生田流正派箏成会が奏でる琴の音が響く中、参列者が次々と献花台に白菊を手向け、犠牲になった家族や知人に思いをはせた。
片岸町室浜に住む娘の山﨑めぐみさん(享年48)を亡くした定内町の早坂テツさん(88)は「高齢になり、最後だと思って足を運んだ。あの日と同じ金曜日。強く思い出してしまって…。近くに娘がいたらどんなにいいか」と涙が頬を伝った。
(復興釜石新聞 2016年3月16日発行 第470号より)
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