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地域、世代、国籍超えて… みんなで楽しむ盆踊り 被災の鵜住居に新たな活力 地元商店会企画

鵜住居商店会が開いた納涼盆踊り大会=24日、うのすまい・トモス

鵜住居商店会が開いた納涼盆踊り大会=24日、うのすまい・トモス

 
 釜石市鵜住居町の駅前公共施設「うのすまい・トモス」の広場で24日、納涼盆踊り大会が開かれた。鵜住居商店会(中里充良会長、31店)が主催。釜石市、かまいしDMC(河東英宜代表取締役)、鵜住居地域会議(古川幹敏議長)が後援した。会場にはキッチンカーなどの出店が並び、町内外から訪れた人たちで大にぎわい。やぐらを囲んで踊りの輪ができ、幅広い年代が夏の風物詩を楽しんだ。
 
 同盆踊りは2019年、釜石鵜住居復興スタジアムが会場の一つとなったラグビーワールドカップ(W杯)日本大会開催に合わせて初めて企画された。20~22年は新型コロナウイルス感染症の影響で中止を余儀なくされ、昨年4年ぶりに復活。今回で3回目の開催となった。
 
 会場は2011年の東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた町中心部。被災後、一帯は犠牲者を慰霊する「釜石祈りのパーク」、震災伝承・防災学習施設「いのちをつなぐ未来館」、観光拠点施設「鵜の郷交流館」が一体的に整備されていて、中央の広場が盆踊り会場となっている。
 
 広場にはちょうちんで飾ったやぐらが組まれ、地元の舞踊愛好者らが踊りを先導。「炭坑節」「三陸みなと音頭」など盆踊りの定番曲に加え、フォークダンスでもなじみの「マイム・マイム」、再ブレークで注目された「ダンシング・ヒーロー」も用意され、来場者がさまざまな踊りを楽しんだ。
 
盆踊りを楽しむ来場者。各年代、男女が交ざって踊りの輪を作る

盆踊りを楽しむ来場者。各年代、男女が交ざって踊りの輪を作る

 
和洋の曲に合わせノリノリで踊る♪ やぐら上の舞踊家とハイタッチで盛り上がる子どもも

和洋の曲に合わせノリノリで踊る♪ やぐら上の舞踊家とハイタッチで盛り上がる子どもも

 
“ダンシング・ヒーロー”盆踊りは子どもたちにも大人気!自然と体が動く

“ダンシング・ヒーロー”盆踊りは子どもたちにも大人気!自然と体が動く

 
 この日は日中の最高気温が35度に達する猛暑日となり、盆踊り開始時刻の午後5時時点も蒸し暑さが残った。市内外のキッチンカー11店が並んだ飲食スペースでは、かき氷やアイスの販売に長い列ができた。大人たちは冷えた生ビールや缶ビールで喉を潤した。商店会は綿あめ、ポップコーンを無料で配り、子どもらが笑顔を広げた。
 
キッチンカーが囲む飲食スペースは終始にぎわいを見せた

キッチンカーが囲む飲食スペースは終始にぎわいを見せた

 
綿あめとポップコーンは商店会がサービス。かき氷を頬張りひとときのクールダウンも

綿あめとポップコーンは商店会がサービス。かき氷を頬張りひとときのクールダウンも

 
 参加者には浴衣姿の人も多数。商店会では事前予約で浴衣のレンタルや着付けのサービスも行っていて、会場は夏ならではの華やいだ雰囲気に包まれた。大人と子ども20人以上の着付けを手掛けた寺前美容室店主、菊池リツ子さん(68)は「市内で働くベトナム人の若者たちは初めて着る浴衣に大喜びだった。鵜住居内外からこんなにも多くの人たちが来てくれるなんて…。みんなが楽しんでいる姿を見るとこちらもうれしくなる」と顔をほころばせた。
 
 甲子町の黒澤颯吹さん(10)は「最高です。コロナ禍でにぎやかなイベントがなかったのですごく楽しい」とにっこり。母史枝さん(41)も2人の子どもが楽しむ姿を喜び、「みんなで集まれる場があるのはいいですね」と共感。震災前は鵜住居に暮らしたが、被災して甲子に移り住んだ。「(距離もあり)なかなかこっちに来られないが、こういう催しがあると足を運ぶきっかけになる」と夏の夕べのひとときを満喫した。
 
震災前、鵜住居町内に支店店舗があった北日本銀行の行員らもそろいの浴衣姿で参加

震災前、鵜住居町内に支店店舗があった北日本銀行の行員らもそろいの浴衣姿で参加

 
やぐら上で“うのスマイル”全開の子どもたち。家族は下から写真や動画撮影に夢中

やぐら上で“うのスマイル”全開の子どもたち。家族は下から写真や動画撮影に夢中

 
 人口が多かった時代には市内各所で行われていた盆踊りだが、人口減や高齢化による担い手不足、さらには震災による地域コミュニティーの変化などで、その数は大幅に減った。鵜住居商店会の盆踊りは地域を限定せずに誰でも気軽に足を運べる形にし、市広報への掲載、新聞折り込み、SNSでの情報発信などPRにも力を入れてきた。
 
 実行委員長の岩﨑健太さん(40)=岩崎商店専務取締役=は「おかげさまで大勢の方に来ていただいた。来場者数は昨年よりも多いかも」と手応えを実感。イベントの目的の一つとして「日々の生活の中で皆さんが集まり、会話して一緒に盛り上がれるような場を提供できればという思いがあり、それを体現できてうれしい。子どもたちの参加が多いのも地域の活力になる」と喜んだ。
 
 最後は恒例の餅まきも行われ、パンや菓子を含め計約2500個を大盤振る舞い。やぐらの周りには大勢の人たちが詰めかけ、大変な熱気のうちにイベントは終了した。
 
釜石のイベントの締めはやっぱり「餅まき」。パンや菓子も宙を舞った

釜石のイベントの締めはやっぱり「餅まき」。パンや菓子も宙を舞った

 
 「こっちにも~」。両手を挙げてアピール!

「こっちにも~」。両手を挙げてアピール!

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地域の海、未利用魚…おいしく学ぶ 釜石小、教員のための出前授業 学習内容のヒント探る

海洋環境に関する出前授業で魚をさばく体験をする釜石小教員ら

海洋環境に関する出前授業で魚をさばく体験をする釜石小教員ら

 
 釜石市大渡町の釜石小(五安城正敏校長)の教員を対象にした出前授業「海の学習会」が19日、同市鈴子町の釜石ガス・キッチンスタジオで行われた。若手からベテランまで教員13人が参加。岩手大釜石キャンパス特任専門職員の齋藤孝信さん(63)から地域の海の状況を聞いたり、「未利用魚」を使った調理を体験し、学校の授業に生かすヒントを得た。
 
 釜石小が、海洋教育パイオニアスクールプログラム(笹川平和財団海洋政策研究所など主催)の採択を受けて2021年度から取り組む活動の一環。これまでは児童を対象に水産業について学ぶ授業を行ってきたが、4年目の今年は教職員向けの活動も取り入れ、深化させることにした。
 
メモを取ったりしながら真剣な表情で座学に臨む教員たち

メモを取ったりしながら真剣な表情で座学に臨む教員たち

 
 この日、齋藤さんは海洋環境の変化を解説。釜石湾の水温変化(月平均)の表やグラフなどを示しながら、「2024年は過去最高を更新中。平田湾では瞬間的に25度台になったり。そうなると、22度で活動を停止するとされるホタテは死滅する。影響を受けてしまうか、悩ましい状況」と明かした。海水温の上昇が要因の一つとされる磯焼け、海洋環境を守るためにできる活動(地産地消、プラスチックごみの排出削減など)も紹介した。
 
 海水温が高いことで釜石市魚市場に水揚げされる魚種が変化していることも伝えた。「ここ15年ほどのデータを見ると、安定しているのはサバ。イワシは増大。マダイ、タチウオなど暖かい南の海域にいるはずの魚が増えている」と説明。この先も見慣れない魚種の水揚げあると予想するが、「なじみがないものは食べ方が分からず、需要も見込まれず収入にはならないと漁師は考え、手を付けにくい。だから普及しない」と見解を加えた。
 
魚をさばく齋藤孝信さん(右)をじっと見つめる参加者

魚をさばく齋藤孝信さん(右)をじっと見つめる参加者

 
 海の現状に触れた後は魚のさばき方教室で、教員らは基本の「三枚おろし」に挑んだ。この日、定置網に入ったカンパチなどを使用。どれも、大きさが出荷の規格よりも小さく、値段がつかないことなどを理由に食用にされない「未利用魚」だった。齋藤さんがうろこ取りから包丁の入れ方まで実演を交えて指導。魚をさばくのが初めてという教員も多く、同市平田の釜石キャンパスで水産を学ぶ岩大生らのサポートを受けながら、苦労しつつも楽しそうに手を動かしていた。
 
未利用魚(右下写真、カンパチなど)を使ったさばき方教室

未利用魚(右下写真、カンパチなど)を使ったさばき方教室

 
初めての挑戦ながら手際よく作業を進める参加者

初めての挑戦ながら手際よく作業を進める参加者

 
 「よし!やるぞ」「わ~」「できた!ほめて」。表情豊かな先生たち

「よし!やるぞ」「わ~」「できた!ほめて」。表情豊かな先生たち

 
 未利用魚の利用は、市場に出回る魚介類と同じようにおいしく食べられるのを知ってもらう狙いもあり、1年生担任の菊地華奈教諭(27)は「命をいただいていることを感じた。大事に食べることを子どもたちに伝えたい」とうなずく。食を守ることは地球環境を大切にすることになり、そのためにできることをしっかりやろうと呼びかけもしたい考え。初めて挑んだ魚の三枚おろしは「上々」と手応えがあり、「やり方を教えてもらえれば、意外とできる。子どもたちにも苦手と思い込まず、やってみてと促すようにしたい」と手掛かりを得た様子だった。
 
やってみたら…「意外とできた」。成功体験に笑顔が広がる

やってみたら…「意外とできた」。成功体験に笑顔が広がる

 
丁寧な作業を仲間たちがあたたかい笑顔で見守る

丁寧な作業を仲間たちがあたたかい笑顔で見守る

 
 さばいた魚は刺し身、塩焼き、あら汁にして味わった。教務主任の西川亮教諭(50)は岩手県内陸部の出身ながら、沿岸部での生活が長い上に釣り好きとあって、魚さばきも三枚おろしもお手の物。若手教諭の活動を見守り、「意外と地域や海の環境を知らない先生も多い。釜小は若い人が多いので、こうした研修で知識を得て、うまく子どもたちに還元してもらえたら。各自、尻込みせずに挑戦する、いい機会になった」と目を細めた。
 
 釜石小では同プログラムを活用して現在、6年生がサケの学習に取り組み、岩大が講師の派遣などで協力している。今回新たに加えた教員向けの海洋教育体験での学びは、4~6年生の理科や社会、総合学習などに役立てていく。

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戦後79年― 続く苦しみ 事実知る大切さを後世に 釜石にあった2捕虜収容所 研究者が語る

第3回戦争講話と朗読の会=20日、市立図書館

第3回戦争講話と朗読の会=20日、市立図書館

 
 太平洋戦争終結から79年―。終戦間近の1945年7月14日と8月9日、連合軍による2度の艦砲射撃を受けた釜石市では今年も、郷土の戦禍を知り、犠牲者を慰霊する場が設けられた。戦争体験者が年々減少し、記憶の継承が難しくなっていく中、戦争を知らない世代がその事実をしっかりと受け止め、後世につないでいくことは一層重要性を増す。その第一歩となるのが「知ること」。20日、市立図書館で行われた「戦争講話と朗読の会」、9日、市民ホールTETTOで開かれた市戦没者追悼・平和祈念式は、釜石であった事実を知る貴重な機会となった。
 
 市立図書館の戦争講話と朗読の会は今年で3回目。講話を行ったのは国内外に会員を持つPOW(Prisoner of War=戦争捕虜)研究会の共同代表兼事務局長の笹本妙子さん(76、横浜市)だ。同会は2002年に発足。戦時下、日本国内に開設された捕虜収容所130カ所と民間人抑留所29カ所の調査記録をまとめた約1千ページに及ぶ事典を昨年12月に刊行している。笹本さんは67カ所の収容所について執筆した。
 
 日本軍は開戦初期にアジア、太平洋の各地を占領。敵国の連合軍兵士約30万人を捕虜とし、アジア人以外の約16万人のうち約3万6千人を日本国内の労働力不足を補う要員として連行。移送船の劣悪な環境や米軍の魚雷攻撃、空爆で、日本到着までに約1万1千人が死亡したとされる。辛うじてたどり着いた捕虜は国内130カ所の収容所に入れられ、鉱山や工場、港などで働かされた。本県には北上と釜石に3カ所の収容所があり、うち2カ所が釜石。笹本さんは調査にあたった釜石の収容所について、写真や見取り図、元捕虜から聞き取った話などを交えて解説した。
 
釜石にあった2つの捕虜収容所について話す笹本妙子さん(右)

釜石にあった2つの捕虜収容所について話す笹本妙子さん(右)

 
 現甲子町天洞にあった大橋捕虜収容所(仙台俘虜収容所第4分所)は1942年に開設。ジャワから移送されたオランダ、英、米、オーストラリア人、横浜の収容所から来たカナダ人ら、終戦までに約400人が釜石鉱山で労働に従事した。捕虜には技術者が多く、削岩機による採掘、電気工事、機械修理などにもあたったという。航海で衰弱した人を含め、終戦までに病気で15人が亡くなった。
 
 現港町、矢ノ浦橋のたもとにあった釜石捕虜収容所(仙台俘虜収容所第5分所)は43年に開設。ジャワからオランダ人、横浜から米、英、オーストラリア、ニュージーランド人ら約400人が連れてこられ、釜石製鉄所で資材の運搬、鉱石の積み込み、旋盤などに従事した。製鉄所が近かった同収容所は2回目の艦砲射撃で全焼。2回の砲撃で32人が犠牲になった。病死者も含めると死者は50人に上る。
 
 笹本さんは両収容所の住環境や食事、日本人職員との関係など、これまであまり知られてこなかった事実も紹介。「食事は他の収容所に比べれば恵まれていたほう。一方で、戦時中の日本軍は暴力体質で、些細なことで上官が部下を殴るのは当たり前。それが捕虜にも向けられた」と話した。背景に「日本人にとって捕虜は軽蔑すべき存在で、捕虜になることは恥」という戦陣訓があったからとも。
 
市民ら約30人が笹本さんの話に耳を傾けた

市民ら約30人が笹本さんの話に耳を傾けた

 
 戦後、収容所の日本人職員は戦犯裁判にかけられ有期刑を受けた。元捕虜と元職員、そしてその両家族は心に深い傷を負い、長年苦しみ続けてきた。釜石には1995~2000年に元捕虜のオランダ人、ウィレム・リンダイヤさんの息子が訪問。大橋収容所跡などを訪れ、父と交流のあった人に話を聞いたり、小中高生に講演をしたりする中でわだかまりが解けていったという。元捕虜からの聞き取りを続けてきた笹本さんも「話をするうちに日本への強い憎しみが少しずつ解けてくることも。自分たちの体験に耳を傾けてくれる人がいることで、感情が和らいでいくことも多い」と話す。
 
 「捕虜収容所の設置期間は長くても3年半。短い所は1カ月にも満たないが、その中で何があり、どれほど苦しんだ人がいたのか…。郷土の歴史として知ってほしい」と笹本さん。自身が捕虜に関心を持ったのは、引っ越し先の横浜市の自宅近くで英連邦戦死者墓地を目にしたこと。若い世代が戦争を実感する難しさは感じつつも、「きっかけがあれば興味を持って調べたり勉強したりすることにつながる。そのためにも少しでも伝えていければ」と思いを込めた。
 
今回の講話、朗読会にはさわや書店が協力した

今回の講話、朗読会にはさわや書店が協力した

 
 会場に足を運んだ市内の70代女性は「シベリア抑留のことはよく耳にするが、ここ釜石でも同じようなことがあったと思うと複雑。やはり知っておくべきこと」と脳裏に刻んだ。ウクライナやガザで続く戦禍にも心を痛め、「過去にあれだけの戦争を経験しているのに『なぜ今の時代に』と思う。国連の先導とかで何とか停戦にもちこむ形はできないものか」と一刻も早い終結を願った。
 
 2部では市内で活動する読書サポーター「颯(かぜ)・2000」の3人が、戦後、詩人集団「花貌(かぼう)」が刊行した小冊子から短歌や戦争体験手記5編を朗読した。
 
「花貌」の釜石艦砲記録集から手記を読む「颯・2000」のメンバー(左)

「花貌」の釜石艦砲記録集から手記を読む「颯・2000」のメンバー(左)

 

市戦没者追悼式は9日に 釜石艦砲の紙芝居初上演 知らない世代 目と耳で理解

 
釜石市戦没者追悼・平和祈念式=9日、市民ホールTETTO

釜石市戦没者追悼・平和祈念式=9日、市民ホールTETTO

 
 釜石市主催の戦没者追悼・平和祈念式は2回目の艦砲射撃を受けた9日に行われ、約150人が参列した。戦争で犠牲になった国内外の御霊に哀悼の祈りをささげ、恒久平和への誓いを新たにした。
 
 黙とう後、小野共市長が式辞。「7月14日と8月9日は決して忘れることのできない日。2度にわたる艦砲射撃の犠牲者の中には、遠い異国の地で尊い命を落とした外国人もいる。恒久平和の確立へ努力することが、国内で唯一2度の艦砲射撃を受けた当市の使命」と話した。
 
 釜石市遺族連合会の佐々木郁子会長(81)が追悼のことば。満州に出征し病死したとされる父ら過酷な戦場で果てていった兵士を思い、「79年たった今でも無念と悲しさに涙がこみあげてくる。一日も早く一柱でも多くの御英霊が古里の地に安らかに眠れる日が来ることを願うばかり。戦争で残るのは憎しみと報復だけ。日本を取り巻く国々にも不安な空気が流れ始めている。私たちは戦争と平和に襟を正して向き合わねば」と述べた。
 
追悼のことばを述べる釜石市遺族連合会の佐々木郁子会長

追悼のことばを述べる釜石市遺族連合会の佐々木郁子会長

 
 式では今年初めて、釜石艦砲を描いた紙芝居が朗読された。元教員で画家としても活躍した故鈴木洋一さん(2019年逝去)が自らの実体験を伝えるために制作した作品。鈴木さんは14歳の時に艦砲射撃を体験している。読書サポーター「颯(かぜ)・2000」のメンバーで、自身も4歳の時に艦砲射撃を体験した浅沼和子さん(83)が朗読した。
 
紙芝居「釜石の艦砲射撃」を朗読する浅沼和子さん(颯・2000メンバー)

紙芝居「釜石の艦砲射撃」を朗読する浅沼和子さん(颯・2000メンバー)

 
紙芝居の絵を会場のスクリーンに映し出した。中央上白枠内は防空壕(ごう)の様子

紙芝居の絵を会場のスクリーンに映し出した。中央上白枠内は防空壕(ごう)の様子

 
 参列者は献花台に白菊を手向け、戦争犠牲者の冥福、世界平和を願い、祈りをささげた。市によると2度の艦砲射撃による犠牲者はこれまでに782人が確認されている。
 
平和防災学習の相互交流で釜石を訪れている青森市の中学生らも式に出席。献花した

平和防災学習の相互交流で釜石を訪れている青森市の中学生らも式に出席。献花した

 
献花し、祭壇の前で祈りをささげる参列者

献花し、祭壇の前で祈りをささげる参列者

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戦後の地域つなぐ“盆野球” 鵜住居に響く快音今年も 68回目の水野旗争奪大会に笑顔、歓声

8月14日恒例! 68回目を迎えた水野旗争奪お盆野球大会

8月14日恒例! 68回目を迎えた水野旗争奪お盆野球大会

 
 釜石市鵜住居地区の伝統行事、水野旗争奪お盆野球大会(実行委主催)は14日、釜石東中グラウンドで行われた。「青少年の健全育成に」と戦後間もなく始まった大会は、東日本大震災や新型コロナウイルス禍による中断がありながらも続けられ、今回で68回目を迎えた。震災後の人口減や少子化の影響などで、参加は過去最少の4チームとなったが、世代を超えて野球を楽しみ、旧交を温め合う“盆野球”の姿は今も健在で、たくさんの笑顔が弾けた。
 
 同大会は1947年に鵜住居村(当時)で水野医院を開業した水野勇さん(95年逝去)が、戦後の青少年の荒廃した生活態度に心を痛め、地区対抗の野球大会を提案したのが始まり。48年に第1回大会が開かれ、55年に水野さんが寄贈した優勝旗が今に受け継がれる。2011年に発生した東日本大震災で以降6年間、20年から3年間は新型コロナウイルス感染症の影響でそれぞれ大会中止を余儀なくされたが、「地元の伝統を絶やしたくない」との熱い思いで大会が続けられている。
 
 参加するのは鵜住居町と周辺3町の地区ごとに作る中学生以上の即席チーム。戦後の高度経済成長などで人口が多かった時代には10チーム以上が参加していたが、今はほぼ半減。震災後は鵜住居町の被災4地区が合同チームとなり、釜石東中野球部チームを加えた6チームで大会を継続していたが、今年は2チーム減の4チーム(日向、白浜、両石、鵜住居)での大会となった。
 
着衣は自由。この大会ならではの変わらぬ光景

着衣は自由。この大会ならではの変わらぬ光景

 
力投を見せる各チームの投手

力投を見せる各チームの投手

 
1回戦 両石対鵜住居の試合。得点のチャンスに目がくぎ付け

1回戦 両石対鵜住居の試合。得点のチャンスに目がくぎ付け

 
 台風一過後の大会当日は真夏の青空が戻り、気温も上昇。水分補給をしっかり行いながら、1年ぶりの野球を楽しんだ。集まった参加者は帰省した仲間を交え、同級生や先輩、後輩と近況を報告し合ったり、学生時代の思い出話に花を咲かせたりと和気あいあい。高校や大学、社会人クラブチームなどで競技を続ける現役選手らが垣間見せる“本気”プレーには、「盆野球だよ~」などと手加減を促すやじも飛び、グラウンドは終始、笑いに包まれた。
 
同じ小中出身、地元の顔なじみとの野球に笑顔を広げる参加者

同じ小中出身、地元の顔なじみとの野球に笑顔を広げる参加者

 
ホームインした選手を迎え歓喜に沸く両石チーム

ホームインした選手を迎え歓喜に沸く両石チーム

 
 鵜住居チームで参加した仙台大3年の前川陸さん(21)は小学校から野球を始め、現在は同大準硬式野球部に所属。この日は本塁打も放ち、チームの勝利に貢献した。中学生のころから親しむ盆野球。「(震災などで)地元を離れた人もお盆の時には戻ってくる。知り合いと普段やらない野球ができるのが一番の楽しみ。大人の人たちから学ぶこともある」と世代を超えた親睦の機会を喜ぶ。地元の復興を実感しつつ、「ラグビーや野球などスポーツでももっと名前を知ってもらえるまちになれば」と古里の未来にも期待を寄せた。
 
日向と鵜住居の決勝。最後まで全力を見せる選手

日向と鵜住居の決勝。最後まで全力を見せる選手

 
選手たちの好、珍プレーにベンチも笑顔の鵜住居チーム

選手たちの好、珍プレーにベンチも笑顔の鵜住居チーム

 
 日向チームの小笠原賢児さん(45)は、震災前以来10数年ぶりの参加。「人数が多かったころの昔のイメージで来たが、だいぶ少なくなっていて…」と驚きつつ、「久しぶりに会った同級生もいた。なかなか会えない人と会えたのもうれしい」と顔をほころばせた。震災後に帰郷。建設業の仕事でがれき撤去に携わり、被災した母校、鵜住居小と釜石東中(現釜石鵜住居復興スタジアム立地場所)でも作業した。「(変わり果てた姿に)寂しさを感じながら仕事をしていた」と当時を振り返る。盆野球も被災した東中グラウンドが会場だった。震災を乗り越え継続する大会に、「今まで回数とか意識したことはなかったが、68回という数字を聞くと鵜住居の歴史の重みを感じる。地元の誇りです」と小笠原さん。
 
 今大会は1回戦2試合と決勝の3試合が行われた(1試合7回)。1回戦の日向対白浜は4-2で日向、両石対鵜住居は7-5で鵜住居が勝利し、決勝は日向と鵜住居の対戦。勝負は最後までもつれ込み、延長8回タイブレーク、6-5で日向が優勝した。最優秀選手には、久しぶりの参加で投手として活躍した小笠原賢児さん(日向)が選ばれた。優秀選手は鵜住居チームの佐々木大地(りく)さんが受賞した。
 
久しぶりの優勝を果たした日向チーム。かつてのスポ少・日向ライナーズも強かった

久しぶりの優勝を果たした日向チーム。かつてのスポ少・日向ライナーズも強かった

 
天候にも恵まれた今大会。楽しい思い出を胸にまた来年!

天候にも恵まれた今大会。楽しい思い出を胸にまた来年!

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公共交通維持へ自動運転バス 釜石で実証実験スタート 生活の足に…可能性探る

釜石市平田地区を走行する自動運転バスを関係者が見送る

釜石市平田地区を走行する自動運転バスを関係者が見送る

 
 釜石市の平田地区で5日、自動運転バスの実証実験が始まった。オペレーターが同乗し、一部操作の指示を出す「レベル2」の方式で、22日まで運行。市内でも運転手の高齢化や人手不足で公共交通の維持が課題となっており、市では新たな交通手段としての可能性や安全性、課題を確認する。
 
 自動運転バスは、同市平田町のスーパー「ベルジョイスみずかみ平田店」を中心に循環する2つのルートで運行。上平田ニュータウン方面は1周約4キロ、復興住宅・県営平田アパートへ向かう経路は約2.6キロで、1日各5便を走らせる。県交通など既存のバス停近くで乗降でき、運賃は無料。乗車は事前予約制で、LINE(ライン)か電話(市生活環境課)で申し込む。
 
自動運転バスの実証実験が平田地区で進行中

自動運転バスの実証実験が平田地区で進行中

 
 車両は、エストニア製の電気バス「Mica(ミカ)」(8人乗り)。センサーとカメラが搭載され、車両の周りを検知し位置を把握しながら進む。事前に設定されたルートをハンドル操作なく、時速20キロ程度で走行。運行は自動運転事業を手がけるボードリー(東京)に委託し、オペレーターが同乗するため乗車できるのは7人となる。
 
釜石にちなんだ塗装が施された自動運転バス

釜石にちなんだ塗装が施された自動運転バス

 
車外にはセンサーやカメラ、車内にはモニターやタブレットなどの機器が搭載される

車外にはセンサーやカメラ、車内にはモニターやタブレットなどの機器が搭載される

 
 自動運転は自動化の度合いで5段階に区分され、今回の実証実験はレベル2。横断歩道や交差点では一時停止し、障害物を感知すると自動で停車したりするが、オペレーターが周囲を確認して停車や発進などの指示を出す。市は、特定の条件下で運転手不在でも走行が可能な「レベル4」への移行を見据えており、技術の立証や課題の検証も目的とする。
 
オペレーター(右)が同乗し、自動運転レベル2で運行する

オペレーター(右)が同乗し、自動運転レベル2で運行する

 
 同店駐車場で出発式があり、市関係者や住民ら約40人が参加した。小野共市長が「人口減や少子高齢化を踏まえ、従来の施策に新たな手法を加える必要がある。次世代の交通を体感し、生活の足としての可能性を考えるきっかけになれば」とあいさつ。関係者によるテープカットを行った後、住民5人を乗せた第1便が発進した。
 
実証事業の出発式でテープカットする関係者

実証事業の出発式でテープカットする関係者

 
自動運転バスの第1便に乗り込む地元住民

自動運転バスの第1便に乗り込む地元住民

 
 乗車した藤澤静子さん(82)は「少し不安だったが、スムーズに走っていて安心した。2年ほど前に運転免許を返納したので、早く実用化してもらいたい」と期待。佐藤清さん(80)は、ゆっくり走行するバスを車が追い越す際に自動でブレーキがかかって“おっ”と身構えたというが、危険性はほとんど感じなかったという。やはり自動化の実現を望み、「車を手放すことを考える歳になってきたからね。いろんな交通手段があった方がいい」とうなずいた。
 
 同地区は、中心地にスーパーや郵便局、歯科医院、三陸鉄道平田駅など社会基盤があり、住宅地から一定の距離もあってルート設定が可能なことから実験場所に選んだ。自動運転は期待感より、「きちんと走るか」「安心して乗れるのか」といった不安感が上回ると思われるが、通学や通院などで普段からバスを利用する学生や高齢者らがいて受け入れられやすい地域性、需要が見込まれることも選定の理由だという。事業費は約3500万円。全額、国土交通省の「地域公共交通確保維持改善事業費補助金(自動運転社会実装推進事業)」を充てる。
 
ベルジョイスみずかみ平田店敷地にある既存のバス乗り場を利用。写真右下のバス停が目印

ベルジョイスみずかみ平田店敷地にある既存のバス乗り場を利用。写真右下のバス停が目印

 
 市生活環境課の二本松史敏課長は「初めての自動運転バスの運行で不安もあると思うが、走っている姿を見て、実際に乗ってみて、安全で安心な乗り物と体感してほしい」と呼びかける。利用者へのアンケートも行い、課題を洗い出して導入の可能性を探る考えで、「将来的に安心して暮らしていけるよう公共交通の維持に努めていく」と強調した。

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震災復興の舞台裏…「釜石のいちばん長い日」 前市長の野田武則さん、本出版「今だから」

出版記念のイベントで本にサインする野田武則さん=8月3日、釜石市民ホール

出版記念のイベントで本にサインする野田武則さん=8月3日、釜石市民ホール

 
 2007年から釜石市長を4期16年務めた野田武則さん(71)=釜石市野田町、現・社会福祉法人理事長=が、市長時代の仕事や思いを振り返る著書を出版した。タイトルは「釜石のいちばん長い日 元市長の震災記」。23年11月に任期満了で退任するまで、多くの時間と労力を注いだ東日本大震災の復興の舞台裏を記す。刊行を記念したトークイベントが8月3日にあり、“こぼれ話”をポロリ。一市民としてまちを見つめ、未来への願いも加えた。
 
 イベントは桑畑書店(同市大町)が主催。会場の市民ホールTETTO(同)には市民ら約50人が集まった。震災後に同市の副市長を務めた嶋田賢和さん(41)=東京在住、現・ぴあ執行役員=との対談形式で行い、研修ツーリズムを通した人材育成事業などに取り組む戸塚絵梨子さん(37)=釜石市内、パソナ東北創生代表取締役=が進行。震災の教訓、復興応援への感謝、未来に向けての思いを話題にした。
 
本「釜石のいちばん長い日―」(写真右上)を出版した野田さん(同左)と耳を傾ける市民ら

本「釜石のいちばん長い日―」(写真右上)を出版した野田さん(同左)と耳を傾ける市民ら

 
トークイベントに加わった嶋田賢和さん(右)、戸塚絵梨子さん(左)

トークイベントに加わった嶋田賢和さん(右)、戸塚絵梨子さん(左)

 
 野田さんは県議を経て、07年に市長選に立候補して無投票で初当選した。1期目の11年、震災が発生。市街地に押し寄せる津波を市役所の屋上から見て、「これが現実なのだろうか。目には見えているのですが、気持ちが追いついていきません。ぼうぜん自失、まったくそういう状態でした」とつづる。
 
 心が折れそうになった瞬間も…とする中、1カ月後に同市を訪れた新日鉄(当時)の社長からもらった励ましの言葉「新日鉄がある限り、釜石とともに歩む」を力に復興を目指し、まい進。大型商業施設の誘致、三陸沿岸道路の整備など再建に力を注ぎながら、15年には橋野鉄鉱山の世界遺産登録決定、19年には新設した釜石鵜住居復興スタジアムでのラグビーワールドカップ(W杯)開催も実現させた。
 
 こうした復旧・復興の進展には地域内外から多くの応援や協力があり、本の中には感謝の言葉が連続。トークでも「釜石の復興は奇跡。起こしたのは人の力。それぞれの立場で頑張ってくれる人がいるのが成果だ」と強調した。
 
 「今だから」。震災の教訓や未来への思いを語る野田さん

「今だから」。震災の教訓や未来への思いを語る野田さん

 
 忘れられない言葉は他にもある。「釜石の復興は終わったかもしれないが、私の復興はまだ終わらない。きっと、私が死ぬ時まで復興は終わらないだろう」という遺族の言葉。これは著書のタイトルにもつながる。野田さんにとっての復興は―。「私の3月11日は、その日から市長退任の日まで続いた、長い長い一日だった。終わることができた、やっと…その思いを込めた」とうなずいた。
 
 震災の教訓として挙げたのは、市長時代にまちづくりの合言葉として掲げてきた「撓(たわ)まず屈せずー不撓(ふとう)不屈」の精神と、逆境から粘り強く立ち直る力を意味する「レジリエンス」という言葉。予測不能な事態になった時に「立ち上がれる市民、対応する人間の力が大事になる。震災の経験を伝え、パワーを養い、生かすことが新しいまちづくりの方向性となる」と考えを示した。
 
「よそ者」の中でも特に印象深かった嶋田さんとのトークに笑顔を見せる野田さん(左)

「よそ者」の中でも特に印象深かった嶋田さんとのトークに笑顔を見せる野田さん(左)

 
 復興の歩みを通じ、「命の大切さ、よそ者の活動から人生に対する考え方を学んだ。こうした深い学びがあるのが釜石の宝。まちづくりにどう生かすか、掘り下げ市政運営にあたってほしい」と希望。市政のかじ取り役から離れても故郷への思いは変わらないが、「これからの発展は、震災の経験を持つ皆さんの方にかかっている」と若手に未来を託した。
 
 震災から13年たち、感じるのは記憶の風化。退任直前に行政側の視点で事実をまとめた震災誌を発刊できたが、野田さんは「書き残したことがある」と出版を思い立ったという。「復興は特別な期間だったが、日々の生活で私自身も忘れそうになる。事実の裏には市民や支援者、関わった人たち、それぞれの思いがあった。それが釜石の復興という歯車を動かした」。被災前から復興まで、首長という立場で見つめた人々の思いを残すことで、災禍に見舞われた地域や次なる災害への備え、「参考になれば」と願う。
 
震災復興を振り返る著書を手にする野田さん

震災復興を振り返る著書を手にする野田さん

 
 著書は、▽政治の世界へ▽釜石のいちばん長い日 三・一一ドキュメント▽震災後、撓まず屈せず▽復興への道をひらく▽復興はまだ終わっていない▽復興その先、新しい釜石へ-の6章構成。被災者の捜索、避難所の運営、ラグビーW杯誘致活動の経緯、世界遺産登録など、退任後の今だからこそ語ることができる復興の舞台裏を明かす。
 
 PHP研究所刊、四六判320ページ、税抜き2200円。3500部発行し、県内外の書店のほか、通販サイトでも購入できる。
 
イベント後にはサイン会も。顔なじみも多く会話が弾んだ

イベント後にはサイン会も。顔なじみも多く会話が弾んだ

 
 嶋田さんは「すごく正直で、ヤバイ本。当時の迷い、後悔も書いてあってドキドキしながら読んだ。気持ちがストレートに伝わってくる」と紹介した。イベントには、PHP研究所編集長の佐藤義行さん(55)=釜石・大只越町出身=も参加。「釜石の復興はあり得ない連続だった。これは夢を追ったリーダーの本で、あり得ないことを仲間、周りを巻き込んで実現した物語。まちづくりに関わる方、組織のリーダーに手に取ってほしい」とアピールした。

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「とったぞー!」 ヤマメ、イワナ、ニジマスを手づかみで 松倉町内会「夏休みの思い出に…」

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甲子川で行われた松倉町内会行事「魚のつかみどり」

 
 釜石市甲子町、松倉町内会(佐野賢治会長、550世帯)の夏の恒例行事「魚のつかみどり」が7月28日、甲子川で行われた。地域の自然環境に触れ、親子で夏休みの楽しい思い出を作ってほしいと2006年に開始。新型コロナウイルス禍による中止を経て、昨年から復活させた人気の企画は、今回で通算16回目を迎えた。昨年を上回る約150人が集まり、魚と格闘しながら歓声を上げた。
 
 同行事は甲子小PTA北松倉こども会(須藤由布子地区長)、同南松倉こども会(舘洞広美地区長)との共催事業。赤い羽根共同募金の助成を受けて行われている。
 
 県立釜石高裏の松倉橋近くに網で囲った特設いけすを用意。市内の養魚場から購入したヤマメ、イワナ、ニジマス計約400匹を放した。幼児から一般まで年代ごとに分かれて川に入り、つかみどりに挑戦した。子どもたちは水中の魚の動きに目を凝らし、必死に手を伸ばすが、素早い泳ぎの魚はなかなか捕まらない。生きた魚を触る機会はそう多くはないだけに、おっかなびっくりの子どもも。会場にはにぎやかな声が響いた。
 
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幼児は父母らと一緒に挑戦!うまく捕まえられるかな?

 
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次は小学生。魚の動きを目で追いながら足を踏み入れる

 
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水中に手を入れて…。見事捕まえた子どもらは喜びの笑顔。見守る町内会役員も顔をほころばせる

 
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とった魚は家族が持つビニール袋へ…。今晩のおかず!

 
 1人3匹とれたら終了。自力で捕まえられない場合は、町内会役員がたも網にすくった中からとってもらった。捕まえた魚は“お持ち帰り”。夕ご飯のおかずにと親子で食べるのを心待ちにした。
 
 佐々倫太郎さん(甲子小3年)は昨年に続き2回目の参加。「なかなかうまくつかめなかったけど、3匹とも自分でとれた。魚はぬるぬるしてちょっと気持ち悪っ。でも食べるのは楽しみ」とにっこり。父学さん(44)は「自然に親しむ機会が少なくなっている中で、こういうイベントはありがたい。いろいろな経験は子どもの成長にもつながる」と喜んだ。
 
 本多莉奈さん(甲子中3年)は小学校以来のつかみどり。「久しぶりで楽しい。上からはあまり魚が見えないので、手を水に突っ込んでおいて触ったら捕まえるみたいな…ほぼ感覚で」と独自のコツを習得。とった魚は「(小学生の)いとこにあげる」と年下を思いやる優しさを見せた。
 
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両手でしっかりつかんで1匹GET!魚の体にも触ってみる

 
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「とったよー」。母親のもとに駆け寄る女子児童

 
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3匹を上手につかむ女子中学生。これまでの経験の成果?

 
 コロナ禍から復活2年目。佐野会長は「親子で楽しむ姿が見ていてほほ笑ましい。長年の皆さんの支えがあって続けられている」と感謝。近年は水難事故防止の観点から子どもだけでの川への立ち入りを禁止する指導もあり、こうした行事でないと川に親しむ機会がなかなかない。「市外から帰省する孫のためにと祖父母から開催日の問い合わせを受けることも。幅広い世代から好評を得ている行事」と佐野会長。
 
 松倉町内会では8月16、17の両日には甲子公民館前で盆踊り大会も開催予定。甲子小唄、炭坑節、相馬盆唄などの踊りを楽しむほか、抽選会も行う。両日とも午後7時から同9時まで(雨天の場合は18日までを期限に順延)。
 
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子どもたちの奮闘を家族も笑顔で見守る。夏の思い出の1ページ

 
地域が誇る甲子川。周辺ではアユ釣りを楽しむ人もちらほら

地域が誇る甲子川。周辺ではアユ釣りを楽しむ人もちらほら

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「鉄のまち」支えた歴史を知る 釜石鉱山坑道見学 電動カートで冒険、鉱石探し

鉄鉱石の採掘跡などを巡る釜石鉱山の坑道見学会

鉄鉱石の採掘跡などを巡る釜石鉱山の坑道見学会

 
 「鉄のまち」の歴史を知ってもらおうと夏季に行われている釜石鉱山(釜石市甲子町大橋)の坑道見学が今年も企画され、7月31日から8月2日の3日間で市内外から計約40人が参加した。製鉄業繁栄を支えた鉄鉱山に残る鉱石採掘跡などを見て回って往時を想像したり、夏の日差しから逃れる冷涼な別世界での探検を楽しんだ。
 
 江戸時代に始まり、明治・大正・昭和と日本の製鉄の発展とともに歩んできた釜石鉱山。良質な鉄鉱石を産出し鉄のまち釜石を支えたが、1993(平成5)年に大規模な採掘は終了した。現在は地下水力発電所での発電や坑道から湧き出てくるナチュラルミネラルウォーター「仙人秘水」の製造販売を主力にする。
 
 8月1日に実施された見学には岩手県内の家族連れら13人が参加。同社総務課の千葉慎吾課長代理(41)の案内を受け、電動カートに乗り込んで標高550メートルの坑口から入った。最初の目的地は坑口から約3000メートル入った地点にある「仙人秘水」の採水地。移動時間は20分ほどで、その間、カートに取り付けられたモニターに映し出された鉱山の歴史を伝える動画で知識を深めた。
 
左上写真がスタート地点の坑口。(時計回りに)電動カートに乗って坑内へ

左上写真がスタート地点の坑口。(時計回りに)電動カートに乗って坑内へ

 
車載モニターに表示される動画を見て釜石鉱山の歴史に触れながら移動

車載モニターに表示される動画を見て釜石鉱山の歴史に触れながら移動

 
 採水地は大峰山(標高1147メートル)の地下約600メートルに位置する。参加者は源水を試飲したり、千葉さんから坑道の概要を聞いたりした。秘水は当初、坑道内にある工場で製造していたが、2009年からは送水管を使って地上で製品化する。
 
 「仙人秘水」の採水地で千葉慎吾さん(右)の解説を聞く参加者

「仙人秘水」の採水地で千葉慎吾さん(右)の解説を聞く参加者

 
長い期間じっくりと岩盤をつたってくる湧き水の味わいを確かめる

長い期間じっくりと岩盤をつたってくる湧き水の味わいを確かめる

 
 鉱石採掘場は、同社保安施設課の新田秀祐課長(52)が案内。当時使われていた削岩機や鉱石運搬車などを示しながら、トンネルの掘削や鉱石の採掘方法を説明した。坑道の総延長は1000キロに及ぶといい、「1回の発破で進めるのは1メートルほど。かなりの年月をかけて(採掘場所を)探ったと思う」と想像。多い時で約3000人が交代しながら作業に携わっており、先人たちの働きぶりに頭を下げた。
 
 鉄鉱石の採掘跡は新田秀祐さんが案内。鉱石を効率よく搬出するため鉱石を投下したタテ坑なども見て回った

鉄鉱石の採掘跡は新田秀祐さんが案内。鉱石を効率よく搬出するため鉱石を投下したタテ坑なども見て回った

 
鉄鉱石、石灰石、トルマリンなどが採掘されていたといい、鉱石探しも体験した

鉄鉱石、石灰石、トルマリンなどが採掘されていたといい、鉱石探しも体験した

 
 花こう岩でできた音響実験室「グラニットホール」を見学し、スタート地点に戻った。この日も気温25度を超える夏日だったが、坑内は気温約10度の別世界。参加者はいっときの涼を体感した。
 
 平泉町の千葉敏明さん(76)、ローズマリーさん(75)夫妻は地域の歴史に関心があり、奥州藤原氏の繁栄を支えた金(砂金)をきっかけに県内外の金山、鉱山などを訪ね歩くのが楽しみだという。今回は「坑内に入れるなんて…逃がせない」と来釜。アリの巣のように伸びた坑道での“冒険”を満喫した一方、「昔の人たちは暗くて、危ない環境の中で働いていた。すごく大変だったろう」と思いをはせた。そうした歴史を伝えるものが残され、保全されることで“観光”ができると感謝。これからも「歴史にちなんだ旅を続けよう」と笑顔を重ねた。
 
グラニットホールも見学。坑内の気温は10度で涼しさを感じる

グラニットホールも見学。坑内の気温は10度で涼しさを感じる

 
 坑道見学は、観光地域づくり会社かまいしDMCが展開する「Meetup Kamaishi 2024」のプログラム。海、鉄、山の切り口から地域の宝物、各分野の専門家“鉄人”と触れ合える釜石ならではの体験(漁業体験、漁船クルーズ、シュノーケリング、シーカヤックなど)を用意している。

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釜石の海から知る生物多様性「触感いろいろー!」 移動水族館・おさかな学習会

おさかな学習会でマサバの解剖に挑む親子ら

おさかな学習会でマサバの解剖に挑む親子ら

 
 地元の海に生息する生き物に親しむ「おさかな学習会」が7月27日、釜石市上中島町の中妻公民館(小山田富美子館長)で開かれた。学校が長期休みになった子どもたちに楽しんでもらおうと、公民館事業として実施し3回目。親子連れら15人ほどが生き物に触れたり、魚を解剖したりとさまざまな体験をした。
 
 講師は、同市平田の釜石キャンパスで学ぶ岩手大農学部食料生産環境学科水産システム学コースの加賀谷康太さん(4年)をリーダーにした学生5人。箱崎町桑ノ浜地区の定置網に入ったマサバを取り上げ、名前の由来や特徴を紹介した後、子どもたちと一緒に解剖に挑んだ。
 
参加者は学生のサポートを受けながら解剖に取り組む

参加者は学生のサポートを受けながら解剖に取り組む

 
 ピンセットやはさみを使って身を切り開いて肝臓や心臓など、さまざまな部位を取り出した。“ふにゃふにゃ”な内臓らしきものがつながって出てきて、学生らは「幽門垂(ゆうもんすい)という消化器官。人間にはない、魚だけが持っている特徴」と解説した。胃袋が“パンパン”に膨らんでいるものが多く、はさみで切り込みを入れてみるとカタクチイワシと見られるものがビッシリ。「めっちゃ、食べてる。メタボサバだ」と食物網を感じる場面もあった。
 
 脊椎動物の頭の骨の中にあるが、取り出すのにコツがいるという耳石。大きさ1ミリほどのマサバの耳石を見事に取り出した加賀谷さんは「平衡を保つ働きがある器官で、魚も音を振動で受け取る。顕微鏡で見ると、年齢が分かるよ」と子どもたちの興味をそそった。刺激された参加者がイシモチを解剖すると、耳石がポロリ。「おー、(イシモチの耳石は)初めて見た。研究できる。ちょうだい」と、子ども以上に気持ちを高ぶらせた。
 
マサバを解剖したりトビウオに触れたりして観察を楽しむ

マサバを解剖したりトビウオに触れたりして観察を楽しむ

 
夢中になる子どもの姿に講師役の学生も笑みをこぼす

夢中になる子どもの姿に講師役の学生も笑みをこぼす

 
 アイナメ、ウマヅラハギ、ウニ、タコ、ヒトデ、ヤドカリ…。タッチプールには学生らが釜石の海で捕まえた生き物が放たれ、子どもたちが楽しそうに触れ合った。鈴木楓さん(11)は「いろんな魚がいることを知った。初めての解剖も楽しかった。サバは目がガラスみたいですごいと思った」と学びを広げた。
 
タッチプールで笑顔を広げる子どもたち

タッチプールで笑顔を広げる子どもたち

 
 学習会は、学生らによる地域活動「移動水族館ちょこっとかまいSEA(シー)!」のプログラムの一つ。同館内に26日まで3つの水槽を並べ、研究や調査用に集めたボラ、ヨロイメバル、ムラソイ、トゲクリガニなど約15種を紹介。身近にある生き物の多様性を見せながら岩大、釜石キャンパスの取り組みを発信する機会にした。
 
多様な海の生き物を水槽で展示した移動水族館

多様な海の生き物を水槽で展示した移動水族館

 
涼しげに泳ぐ魚たちに大人たちは癒やされる

涼しげに泳ぐ魚たちに大人たちは癒やされる

 
 加賀谷さんは「地域の水産を盛り上げたい。魚に興味関心を持ち、好きになってくれる人が増えたらうれしい」と期待。大学の講師陣は三陸の漁師とのツテもあり、「バイトしながら漁業体験したり、魚を分けてもらったり、味わったり、船にも乗れる。さまざまな経験ができるのが魅力。釣りもできるし、魚、水産が好きで仕方ない人はここで一緒に研究しましょう」と仲間入りを求めていた。
 
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魚の特徴を解説する学生リーダーの加賀谷康太さん(左から2人目)

 
魚の解剖体験などが行われた学習会の参加者

魚の解剖体験などが行われた学習会の参加者

 
中妻公民館で開催中の「海のいきもの図書展」

中妻公民館で開催中の「海のいきもの図書展」

 
 同館では催しに合わせ、「海のいきもの図書展」を8月10日まで開催中。魚が出てくる絵本や海に住んでいる生き物図鑑など市立図書館所蔵の約50冊が並ぶ。本の貸し出しは不可。土・日曜を除く午前8時半~午後5時15分までの開館時間中に、その場で自由に手に取って楽しめる。

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広報かまいし2024年8月1日号(No.1837)

広報かまいし2024年8月1日号(No.1837)
 

広報かまいし2024年8月1日号(No.1837)

広報かまいし2024年8月1日号(No.1837)

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【P1】
釜石納涼花火2024

【P2-3】
イベント案内
熱中症にご注意ください

【P4-5】
自動運転バスに試乗できます
物価高騰対策給付金 他

【P6-7】
釜石市戦没者追悼・平和祈念式
飼育犬・猫、地域ねこの不妊・去勢手術助成 他

【P8-9】
まちのお知らせ

【P10】
定額減税に係る補足給付金(調整給付)

この記事に関するお問い合わせ
釜石市 総務企画部 広聴広報課 広聴広報係
〒026-8686 岩手県釜石市只越町3丁目9番13号
電話:0193-27-8419 / Fax 0193-22-2686 / メール
元記事:https://www.city.kamaishi.iwate.jp/docs/2024072600027/
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釜石市公式サイトと連携し、縁とらんすがピックアップした記事を掲載しています。記事の内容に関するお問い合わせは、各記事の担当窓口までお問い合わせください。
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初の全国大会へ 開設4年目KIKI DANCE SCHOOL(釜石・大槌)小中3チーム  8/2決戦

2日、初の全国大会に挑む「KIKI DANCE SCHOOL」の小中学生チーム

2日、初の全国大会に挑む「KIKI DANCE SCHOOL」の小中学生チーム

 
 釜石市、大槌町でレッスンを行うKIKI DANCE SCHOOL(キキダンススクール、AKKO主宰)の小中学生3チーム(9人)が、子ども向けダンスコンテスト「1st by Soulm8(ファーストバイソウルメイト)」の東日本予選でファイナリストに選ばれ、全国大会に出場する。開設4年目を迎える同スクールのチームが同コンテストに応募したのは今回が初めて。初挑戦で手にした全国大会への切符。メンバーは上位入賞を目指し、8月2日、頂上決戦(東京・滝野川会館)に挑む。
 
 全国大会出場を決めたのは、小学4年以下の部でThree☆Step(スリーステップ)=黒澤結莉、田中穂、三浦千紗(いずれも大槌学園4年)、小学生の部でtwinny(トゥイニー)=金澤花怜(釜石小5年)、佐々萌菜(白山小同)、中学生の部で4MIX(フォーミックス)=飛内アリシア皐(釜石中1年)、今井芭奈(大平中同)、石川夕茜(釜石中2年)、菊地紗愛(同3年)。4月のオーディションで選ばれて結成したチームで、フリースタイルジャズの演技で戦う。
 
 東日本予選(オンライン審査)は6~7月に計4回、応募のチャンスがあり、キキの3チームは最後の7月13日の審査に臨んだ。最終的に全国大会へ進むチームファイナリスト(西日本予選通過を含む)には、小学4年以下の部で15チーム、小学生の部で24チーム、中学生の部で22チームが選ばれている。本県からの出場は同3チームのみ。
 
大槌学園の4年生3人で結成する「Three☆Step」

大槌学園の4年生3人で結成する「Three☆Step」

 
釜石小、白山小の5年生2人で組んだ「twinny」

釜石小、白山小の5年生2人で組んだ「twinny」

 
釜石中、大平中の1~3年生4人による「4MIX」

釜石中、大平中の1~3年生4人による「4MIX」

 
 キキダンススクールは、関東のキッズチームを数々のコンテストで優勝に導いてきた振付師のAKKOさん(35)が2021年に立ち上げた。現在、幼児から中学生まで約60人が7クラスに分かれて指導を受ける。これまで、スクールの発表会や地域のイベント、日本製鉄釜石シーウェイブスホーム戦のハーフタイムショーなどでダンスを披露してきたが、今年からコンテストへの応募を本格化。その最初の挑戦が、愛好者に人気のソウルメイトの大会だ。
 
 大槌学園の4年生3人で組むスリーステップは、吸収力の高さで成長著しいチーム。メンバーの黒澤結莉さんは初の全国大会出場へ、「いろいろな技とかを決めて、最後まで本気でやり抜きたい」と意気込む。指導するAKKOさんは「変わっていく姿を見るのが楽しい。3人ともポテンシャルが高い」と将来にも期待する。
 
メンバー3人が持つ「はつらつさ」や「勢い」を全て振り付けに込めた作品

メンバー3人が持つ「はつらつさ」や「勢い」を全て振り付けに込めた作品

 
kメンバーの豊かな表情も光る「Three☆Step」の演技

メンバーの豊かな表情も光る「Three☆Step」の演技

 
 元々、仲がいいというトゥイニーの2人は、黒ネコをモチーフにしたダンスで本領を発揮。佐々萌菜さんは「他のチームは人数が多いが、その中でもみんなの印象に強く残るような演技をしたい。目標は3位以上」と上を向く。AKKOさんによると、チームの場合、メンバーの関係性が踊りに出るという。「ペアのほうが輝くと思って組ませたが正解。2人の仲、チームワークの良さが完全に作品に表れている」と話す。
 
いたずら好きな黒ネコ2匹が駆け回り、暴れ楽しむ姿がモチーフの作品

いたずら好きな黒ネコ2匹が駆け回り、暴れ楽しむ姿がモチーフの作品

 
ペアならではの息の合った演技を見せる「twinny」8

ペアならではの息の合った演技を見せる「twinny」

 
 フォーミックスの最年長、菊地紗愛さんは4人の動き、表情、間合い、全体のまとまりなど細部まで意識し、作品の完成度を高める。「目指すは優勝のみ。このために練習を重ねてきたので、自信を持って臨みたい。支えてくれる家族にもいい結果を届けたい」と強い意志を見せる。「何があっても前に一歩踏み出そうとする強さを全員が持っている。さらに気持ちが強くなり、それが形になれば一気に化けるチーム」とAKKOさん。
 
催眠術師がモチーフ。不思議な雰囲気から見ている人を一気に自分たちの世界に巻き込む

催眠術師がモチーフ。不思議な雰囲気から見ている人を一気に自分たちの世界に巻き込む

 
中学生チーム「4MIX」は大人の雰囲気漂う演技で魅了

中学生チーム「4MIX」は大人の雰囲気漂う演技で魅了

 
 予選に応募した他チームの動画はオンラインで視聴が可能。コンテスト経験豊富な子どもたちと同じ土俵で戦うため、AKKOさんは「そう簡単にはいかない」と思いつつも、手応えは感じていた。結果は応募全3チームの全国大会進出。「正直驚いたが、すごくうれしい」と、ステップアップにつながる大きなチャンスを喜ぶ。メンバーには「親御さんのサポートや一緒に踊ってくれる仲間のありがたみをかみしめて舞台に立ってほしい。悔いのない戦いを」と願う。
 
子どもたちを指導するAKKOさん(手前右)。衣装や髪型、メークまでトータルプロデュース

子どもたちを指導するAKKOさん(手前右)。衣装や髪型、メークまでトータルプロデュース

 
保護者が見守る中、練習に励む=7月26日、市民ホールTETTO

保護者が見守る中、練習に励む=7月26日、市民ホールTETTO

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子どもも大人も!みんなの「うのたみ食堂」でワイワイ交流 釜石・鵜住居地区で初開設

初開催の「うのたみ食堂」で食事を楽しむ参加者

初開催の「うのたみ食堂」で食事を楽しむ参加者

 
 釜石市の鵜住居地区民生委員児童委員協議会(小澤修会長)は24日、同市鵜住居町の鵜住居公民館で子ども食堂を開いた。食事はもちろん、遊びや防災グッズの工作を楽しんだ参加者。学校が長期休みに入ったこともあり、「夏を目いっぱい楽しむぞー」と元気だ。子ども食堂は市内の他地区で取り組みが先行しているが、同地区では初開催。運営方法や行事内容、食事の献立、食材の調達など手探りながらの“お試しプレ企画”だったが、地元企業が食材を提供したり地域連携の機会として可能性を広げた。
 
 鵜住居小の夏休み合わせて企画し、児童約40人が公民館に集まった。お楽しみ会として用意された遊びはパラスポーツのボッチャ。協力団体として参加する地域会議や公民館職員、市社会福祉協議会の関係者らも加わり、学年や世代を超え、歓声を上げながら競技に熱中した。
 
ボッチャに挑戦する子どもたち。「あれれー」

ボッチャに挑戦する子どもたち。「あれれー」

 
明暗分かれる…真剣勝負には子どもも大人もなし

明暗分かれる…真剣勝負には子どもも大人もなし

 
 東日本大震災や防災を学ぶ時間も。同地区の主任児童委員市川淳子さん(60)が、地域のお盆恒例行事の復活を描いた絵本「ぼんやきゅう」(ポプラ社、文/指田和、絵/長谷川義史)を読み聞かせした。箱崎白浜地区に住み、被災や避難所生活の経験を伝え、紙皿を使った、こまづくりも紹介。ペットボトルのキャップとストローを使った遊び、新聞紙でつくる即席スリッパを見せながら、「大変な時でも楽しいことを見つけられるんだよ」と子どもたちに語りかけた。
 
市川淳子さん(右)による絵本の読み聞かせを楽しむ児童

市川淳子さん(右)による絵本の読み聞かせを楽しむ児童

 
 昼食は、協議会の会員や公民館で活動する男の手料理教室のメンバーらが手作りした冷やしうどん、サケフレークなどを混ぜ込んだおにぎりを無料で提供した。麺のトッピングとして用意されたワカメは地産地消の箱崎白浜産。米は協議会員の知人から寄せられた熊本県産を使った。
 
おいしいものを味わってもらおうと住民が協力して調理

おいしいものを味わってもらおうと住民が協力して調理

 
「はい、どうぞ」。高学年の児童が料理運びをお手伝い

「はい、どうぞ」。高学年の児童が料理運びをお手伝い

 
 添えられた唐揚げは子どもたちに大人気。1人2個としていたが、澤本大吾さん(1年)は追加を希望して「おいしい」とうれしそうに頬張った。佐々木萌彩(めいあ)さん(6年)は「みんなとワイワイご飯を食べたりできてうれしい。ボッチャでボロ負けしたからリベンジしたい。夏休みの行事はまだあるし、目いっぱい楽しみたい」と笑顔を見せた。
 
口を大きく開けてパクリ。唐揚げを頬張る子ども

口を大きく開けてパクリ。唐揚げを頬張る子ども

 
ずらりと並んだ唐揚げ。おいしさに子どもたちの箸も出る

ずらりと並んだ唐揚げ。おいしさに子どもたちの箸も出る

 
 唐揚げを提供したのは、栗林町に養鶏農場がある鶏肉生産加工販売業オヤマ(本社・一関市)。「からあげグランプリ」で最高賞を複数回獲得する自慢の味わいを知ってもらおうと、「室根からあげ」を200個(100人分)用意した。
 
 この日は、同社の小山達也常務取締役(48)が足を運んで、児童らと交流。岩手県内の自社農場で鶏を育て生産者の顔が見えること、食材のおいしさを上乗せする味付けの秘密などを教えたりした。たくさんの喜ぶ顔に感激した様子で、「釜石には水産だけでなく、畜産もあると知ってもらえたら。次回は、地元の食材とコラボした釜石産ブランド『釜から』を持ってくるよ」と約束。養鶏を通した町おこし、食育への意欲も口にした。後日、平田地区と小佐野地区で開かれた子ども食堂でも唐揚げを振る舞った。
 
「からあげー、イエーイ!」と喜ぶ児童と小山達也常務

 「からあげー、イエーイ!」と喜ぶ児童と小山達也常務

 
 鵜住居地区は震災後、新たに建った学校を中心に地域交流を進めてきたが、新型コロナウイルス禍で行事参加が見送られたことで、「顔つなぎ」の機会が減っていた。昨年から他地区で子ども食堂が開かれ、鵜住居でも同協議会の会員間で機運が高まり事業を計画。今回は低予算で継続できる形をつかむための試行だったが、小澤会長(74)は「うまく手分けしてできたと思う。子どもたちに大人たちの顔を覚えてもらう機会にし、声をかけ合える地域づくりにつながればいい」と会場を見回した。
 
子どもたちの笑顔に小澤修会長も頬を緩ませる

子どもたちの笑顔に小澤修会長も頬を緩ませる

 
 鵜住居地区の子ども食堂は「うのたみ食堂」と銘打つ。集う“鵜住居の民”と主催する“鵜住居の民生委員”から文字をとった。来年度は、子どもだけでなく地域住民を対象にして世代間交流の場として実施する予定だ。