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2年目「釜石市はたちのつどい」244人出席 成人の誓い新たに未来へ希望の船出

 「はたちのつどい」に名称変更され2年目となる釜石市の成人の日の記念式典=7日

「はたちのつどい」に名称変更され2年目となる釜石市の成人の日の記念式典=7日

 
 8日の「成人の日」を記念し、釜石市は7日、本年度20歳を迎える人たちの門出を祝う「はたちのつどい」を大町の市民ホールTETTOで開いた。成人年齢が18歳に引き下げられ、式典名称が変更されて2回目の開催。対象者274人のうち244人が出席した。新型コロナ感染症の5類移行に伴いマスク着用は任意となり、晴れ着姿の若者の笑顔が一層はじけた。
 
 同式典の対象者は2003年4月2日から04年4月1日までに生まれた人。主催者を代表し小野共市長は「自らの可能性を信じ、道を切り開き、夢や希望に挑戦してください。あきらめなかった人間だけが夢をかなえる。自分を大切にして人生を歩んでほしい」と切望。東日本大震災からの復興を遂げた同市は新たな時代を迎えるとし、「まちの未来を自分事として受け止め、釜石発展のためにご助力を」と願った。
 
 抱負を発表したのは、鵜住居町出身で東北大に通う川﨑瞭さん(19)。小学1年生で経験した東日本大震災を振り返り、過酷な状況下で育ててくれた両親に感謝するとともに、「エンジニアとして宇宙開発に携わる」という自身の夢を語った。厳しい世界情勢の中、歩む今後の人生―。「釜石の復興を導いてくれた偉大な大人たちに『釜石、日本の未来は任せてくれ』と胸を張って言えるような大人になりたい。まだまだ道半ばだが、気概と覚悟を持って生きていく」と誓いを立てた。
 
出席者を代表し抱負を発表した川﨑瞭さん(左)

出席者を代表し抱負を発表した川﨑瞭さん(左)

 
釜石の同式典恒例となった郷土芸能・虎舞の披露

釜石の同式典恒例となった郷土芸能・虎舞の披露

 
 ステージでは有志が郷土芸能「虎舞」を披露。実行委員が作成したビデオメッセージの上映、市民憲章・防災市民憲章の唱和、市民歌斉唱も行われた。式典の前後には記念撮影や釜石茶道協会が設置した茶席などを楽しみながら、友人らとの再会を喜び合った。
 
 野田町在住、日本製鉄社員の及川勝陽さん(20)は今春から社会人3年目に入る。「日々、成長あるのみ。一層気を引き締めて頑張りたい」とさらなる精進を誓う。釜石シーウェイブスジュニアで4歳からラグビーを始め、高校は盛岡市の強豪校に進んだ。「自分はラグビーに育ててもらった。後輩たちにもラグビーの楽しさを伝えたい」と、現在は同ジュニアの指導にもあたる。「釜石ラグビーの強さをもう一度、世界に発信できれば」と夢を描き、子どもたちの育成に意欲を見せた。
 
再会した同級生らと記念撮影。笑顔がはじける

再会した同級生らと記念撮影。笑顔がはじける

 
 唐丹町出身の姫田幸実さん(20)は「震災やコロナもあり、成長への関門が多かったというのが正直な印象。支えてくれた両親には本当に感謝している」と話し、晴れ着姿を見せられたことを喜ぶ。専門学校で身に付けたスキルを生かし、春からは仙台市で事務系の仕事に就く予定。20歳を機に挑戦したいのは一人旅。「旅行が好き。将来は世界を旅したい」と希望を膨らませた。
 
 箱崎町出身の戸張闘志郎さん(19)は「20歳は人生の大きな節目。これからつきまとう責任も大きくなってくると思う。一層、大人としての自覚を持ちたい」と気を引き締める。高校卒業後、航空自衛隊に入隊し、青森県三沢基地で勤務中。自衛官を志したのは13年前の震災で助けてもらったことが大きい。「大変なことも多いが、やりがいのある仕事。自衛隊は国防の象徴。国民の皆さまの心に寄り添い、安心感を与えられるような自衛官になりたい」と目標を掲げる。
 
バルーンアートで装飾されたフォトスポットで記念の一枚

バルーンアートで装飾されたフォトスポットで記念の一枚

 
高校時代の写真を見て当時を懐かしむ釜石商工高の同級生グループ

高校時代の写真を見て当時を懐かしむ釜石商工高の同級生グループ

 
 同市の成人の日の式典では2011年の東日本大震災以降、開式前の黙とうを欠かさない。今年は1日に発生した能登半島地震の犠牲者への哀悼の気持ちも込めて祈りをささげた。鵜住居町出身の佐々木遥花さん(20)は同地震発生の緊急地震速報に13年前の恐怖がよみがえった。釜石高在学時は、震災伝承や防災啓発活動を行うグループ「夢団~未来へつなげるONE TEAM~」の2代目代表として活躍。短大進学後も関連活動に携わってきた。今回の発災で防災研究への思いをさらに強くし、未来の命を守るため「自分の経験やこれまでの活動で得たものを少しでも多くの人に伝えられたら」と決意を示した。
 
開式前、全員で東日本大震災と能登半島地震の犠牲者に黙とうをささげた

開式前、全員で東日本大震災と能登半島地震の犠牲者に黙とうをささげた

 
 同市では2022年から同式典の内容を当事者から公募した実行委員の協議によって決定。当日の進行も実行委員が担う。今年は7人の委員が力を合わせた。
 
はたちのつどい実行委メンバー(上段)。ビデオメッセージの制作や市民憲章の唱和などを担当

はたちのつどい実行委メンバー(上段)。ビデオメッセージの制作や市民憲章の唱和などを担当

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幸福な一年に 釜石・大渡どんと祭 炎高く 手を合わせ切に願う「普通の暮らしを」

地域住民が平穏を祈った「大渡どんと祭」

地域住民が平穏を祈った「大渡どんと祭」

 
 釜石市の中心部を流れる甲子川の河川敷で7日、正月飾りなどをたき上げる恒例の「大渡どんと祭」があった。大渡町内会(菅原章会長、約250世帯)の祭典委員会が主催し、今回で50回目。集まった住民らは、高く上がった炎に平穏、多幸、無病息災を祈った。
 
 朝から住民が正月の松飾りや古いお札などを持ち寄り、河川敷に組まれた八角形のやぐらに次々と投げ入れた。駒木町の不動寺内にある弘法寺の森脇妙紀住職が家内安全、開運招福、世界平和などを祈願。代表者が拝礼した後、手製のたいまつで火を付けると炎が高く燃え上がり、見守った人たちは静かに手を合わせていた。
 
丸太を組み上げたやぐらに積み上げられた正月飾り

丸太を組み上げたやぐらに積み上げられた正月飾り

 
神事で代表者が拝礼し、やぐらに点火した

神事で代表者が拝礼し、やぐらに点火した

 
 初めて参加した鈴木さほさん(双葉小4年)、仁丸君(5)姉弟は「炎が大きくてびっくり。家族やペットが元気に過ごせたらいいな」と願いを込めた。どんと祭に毎年足を運んでいた祖父が昨年亡くなったといい、「ありがとう」の気持ちを込めて正月の風習を継承。母親の紗都子さん(45)は「健康で充実した生活が送れるよう、家族みんなで力を合わせていきたい」と目を細めた。
多くの市民の願いを集め、焚き上げの炎がたなびく

多くの市民の願いを集め、焚き上げの炎がたなびく

 
炎をじっと見つめたり、手を合わせ願う参加者

炎をじっと見つめたり、手を合わせ願う参加者

 
 「一年が幸福であるように」。菅原会長(68)は、50回目の行事に願いを込めた。加えて、能登半島地震の被災地に向け、「一日も早い復興を遂げることを願う」と思いを寄せた。
 
地域の安寧を祈り手を合わせる菅原会長

地域の安寧を祈り手を合わせる菅原会長

 
 東日本大震災の津波で自宅や会社・店舗などが被災し、13年かけて「やっと日常を取り戻しつつある」と感じていた菅原会長。そんな時に飛び込んだ能登の地震被害。「絶望の淵にあった日々、生活再建の大変さが分かりすぎる…」と言葉を詰まらせる。「安寧、平和、一番欲しいのは普通の暮らし」とポツリ。炎の先にある空を見上げ、「子どもたちの未来が明るくなるように。厳しい世の中を生き残れるよう力を付ける手伝いをしたい」と望んだ。

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受験生、挑戦者を応援「すべらない砂」 JR釜石駅で配布 合格祈願神社で“神頼み”も

JR釜石駅で配布している受験応援グッズ「すべらない砂」

JR釜石駅で配布している受験応援グッズ「すべらない砂」

 
 高校や大学の入学試験の時期に合わせ、JR釜石駅で袋詰めされた験担ぎグッズ「すべらない砂」が配られている。改札口付近にお目見えした手製の「合格祈願神社」で、誰でも自由に入手可能。「絶対合格!」と、備えられた振り鈴を鳴らして手を合わせる姿も見られる。
  
 砂は列車が坂道を走行する際、車輪が空転しないよう車体から線路にまく。この「すべらないように」とした工夫にちなみ、20年近く配布を続ける。毎年、受験生やその家族らが砂をもらうために駅を訪れるといい、この時期の取り組みとして定着している。
 
改札口付近に設置された合格祈願神社(右)

改札口付近に設置された合格祈願神社(右)

 
駅員と清掃を担うグループ会社の職員が手作り

駅員と清掃を担うグループ会社の職員が手作り

 
 今年も市内の神社でおはらいした砂と、合格特急券と表した片道切符を袋詰め。切符のデザインは、昨年末に運行が始まったJR東日本の観光列車「ひなび(陽旅)」をイメージした白と赤の2色づかいに新調した。1000個を用意。3月上旬まで無料で持ち帰ることができる。
 
「ひなび」仕様のデザインになった切符と砂を袋詰め

「ひなび」仕様のデザインになった切符と砂を袋詰め

 
 高校受験を控えた盛岡市の山本大豪(だいご)さん(見前南中3年)は7日に “お守り”をゲット。「油断せずに、でもいつも通りに過ごしたい」と気持ちを落ち着かせた。母親の圭織さん(37)は「とにかく神頼み」と神社に向かって熱心に手を合わせた。姉の彩華さん(紫波総合高3年)は、自転車競技に打ち込み競輪選手を目指す彼氏のために砂を入手。「夢を応援したいし、安全に競技を続けられるように」と大切そうに服のポケットにしまい込んだ。
 
「絶対合格」。願いを込めて手を合わせる人の姿も

「絶対合格」。願いを込めて手を合わせる人の姿も

 
 頑張る人、挑戦する人の力になれば―。そう思いを込めて袋詰め作業に取り組んだのは同駅で窓口業務などを担当する三國和馬さん(28)。「受験はもちろん、何かチャレンジしてみようと考えていたら、手に取ってほしい。少しでも前向きな気持ちでその場に臨めるようになったらいい」と願った。
 
受験応援グッズを紹介する三國和馬さんも挑戦を控える

受験応援グッズを紹介する三國和馬さんも挑戦を控える

 
 自身は今月下旬ごろから初の海外生活に挑む。ベトナムに2カ月滞在し、会社からのミッションをこなす研修を控え、期待と不安が入り混じった状態。視野を広げ、語学力や積極性を身に付けたいと目標を掲げていて、実現に向け「一緒に頑張りましょう」と呼びかける。

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動き出す!釜石 2024年の仕事始め まちの発展、豊漁願う 能登半島地震…支援の動きも

2024年が本格的に始動。釜石市魚市場も活気づく

2024年が本格的に始動。釜石市魚市場も活気づく

 
 釜石市内の企業や官公庁の多くは4日が仕事始めとなった。魚河岸の市魚市場は初水揚げで活気づき、初売り式も行って豊漁を祈願。変化に合わせた水産業の形を見いだすべく、手締めで気持ちを合わせた。只越町の市役所では小野共市長が年頭訓示。元日に発生した石川県能登半島を震源とする地震に触れ、「災害を正しく恐れ、備えるのは難しいだろうが、東日本大震災を経験した者として必ず逃げるという心構えが必要だ」と気を引き締めた。
 

活気づく魚市場で初売り式「魅力ある水産業の推進を」

 
 魚市場では日の出前から定置網漁船が入港。サバやヤリイカなど約14トンが水揚げされたが、2023年と比べると半分以下に落ち込み、厳しい出だしとなった。萬漁業生産組合(萬文貴組合長)の萬宝丸(19トン、乗組員11人)は約1週間ぶりの操業。萬組合長(46)は「海水温が高く、狙った魚は入っていなかった。金額的にはいい魚だとしても量は少なく、何とも言えない。新しいことをやらなければと思っても、実行は難しい。変わっていく現状に合わせていくしかない」と複雑な心情を話した。
 
水揚げ、魚の選別など手際よく作業する萬宝丸の乗組員ら

水揚げ、魚の選別など手際よく作業する萬宝丸の乗組員ら

 
 初競りを前に、市漁業協同組合連合会の木村嘉人会長が取り扱い実績を報告した。23年4~12月の水揚げは3770トン(22年同期比16%減)、金額が11億2400万円(同50%増)。かご漁業、大型巻き網船、サンマの取り扱い増が上向きの流れを支えた。一方、秋サケ漁は復調の兆しが見えず、厳しい状況のまま。「好調の要因を重点に誘致に力を入れる。質の高いサービスで地域経済の発展に貢献していく」と意気込んだ。
 
 市場開設者の小野共市長は、事業化された「釜石はまゆりサクラマス」の養殖に期待感を示す。昨年6~7月にかけて約160トンが水揚げされ、「将来的に年間1000トンの生産を目指す」と事業者らは展望。プロモーション活動も進行中で、行政として「魚のまち復活に向け、水産業を魅力ある産業として未来につなぐ取り組みを進めていく」と強調した。
 
初売り式で鏡開きや手締めをして一年の大漁を願う関係者

初売り式で鏡開きや手締めをして一年の大漁を願う関係者

 
水揚げされた魚を見定め、競り落とす買い受け人ら

水揚げされた魚を見定め、競り落とす買い受け人ら

 

市長、年頭訓示 市職員ら身を引き締め「災害への心構え、真剣に」

 
小野共市長(左下の写真)の訓示に聞き入る幹部職員

小野共市長(左下の写真)の訓示に聞き入る幹部職員

 
 「令和6年は波乱の幕開け…」。23年に就任し、初の年頭訓示に当たった小野市長は能登半島地震や2日の羽田空港での航空機事故を踏まえ、「災害が身近なところにあると改めて認識。津波から100回逃げて、100回来なくても101回目も必ず逃げる。この心構えが震災を生き抜いた私たちが肝に銘じ、とるべき行動だ」と強調した。
 
 市政運営のかじ取りに使命感を見せ、市職員に対して「自由に積極的にどんどん発言してほしい。組織パフォーマンスを最大限発揮するには、個々の動きが大事。まちの発展に向け一致団結していきたい」と協力を求めた。
 

地震被害、支援の動き「震災の恩返しを」

 
 能登半島地震を受け、釜石市は物資、職員の派遣など支援の形を探っている。震災後に石川・能登町から職員が派遣されたほか、「釜石応援ふるさと大使」の浅田(旧姓長谷場)久美さん=重量挙げ指導者=が珠洲市に暮らすなど、つながりがある。
 
 釜石市の中村達也総務企画部長によると現在、能登町と電話でのやり取りを継続中。「今回の地震では最大震度7を観測し、震災より大きかったと思う。私たちも経験したが、受け入れ態勢などまだ混乱しているだろう。必要なものを必要な時期に提供できるよう体制を整えていく」とした。
 
イオンタウン釜石に設置された募金箱

イオンタウン釜石に設置された募金箱

 
釜石情報交流センターでも協力を呼びかける

釜石情報交流センターでも協力を呼びかける

 
 市は被災者支援を目的に市役所本庁舎や8カ所の各地区生活応援センターなどで災害義援金の受け付けを開始。こうした動きは民間でも広がり、いち早く募金箱を設置したイオンタウン釜石では市民らが思いを投じている。「震災を思い出して気持ちが落ち着かない」「震災の時、お世話になった。恩返しの気持ちを込めて」。大町の釜石情報交流センターでもそう願う人たちが善意を寄せる。施設を運営する釜石まちづくり会社の担当者は「どこかに、何かに役立ててほしいと思いを持つ方の協力を」と呼びかける。

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2024年の幕開け 平穏無事願う人多く 能登半島地震被災者へ釜石市民 心寄せる

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 まれに見る暖かさの中、2024年が幕を開けた釜石市。新型コロナ感染症の5類移行後、初めて迎える正月は帰省客も一段と増えた印象で、おおみそか深夜から元日にかけて、各地の神社や寺は大勢の初詣客でにぎわった。穏やかな三が日になるかと思われた矢先、元日夕方に飛び込んできた能登半島地震発生の一報。甚大な被害が明らかになるにつれ、13年前に東日本大震災を経験している市民らは心を痛め、被災者らを案じる日々が続いている。市内の店舗などでは、いち早く義援金を呼び掛ける募金箱が設置された。
 

穏やかな年越し 唐丹町・盛岩寺で1年の平穏祈る鐘の音響く 住民・帰省客ら願い込め

 
 梵鐘を鳴らし、1年の無事を祈る家族=元日午前0時10分ごろ、盛岩寺

梵鐘を鳴らし、1年の無事を祈る家族=元日午前0時10分ごろ、盛岩寺

 
 唐丹町の盛岩寺(三宅俊禅住職)では元日午前0時に、新年の訪れを告げる鐘が打ち鳴らされた。その後、地元住民らが帰省した家族を伴って続々と初詣。境内では上野賢庸副住職(35)らが訪れた人たちを出迎え、新年のあいさつを交わした。初詣客は境内の梵鐘(釣り鐘)を代わる代わる突き、1年の平穏無事を祈った。
 
 同町にある母親の実家に帰省した宮城県仙台市の小野彩羽さん(15)は昨年を振り返り、「学校でもマスクを外し、みんなの顔が見られるようになった」とコロナ5類移行後の変化を実感。昨春、入学した尚絅学院高ではバスケットボール部に所属。「2年生になる今年は試合で多くのことを学べればいいな。目標は県3位以内」と志を新たにする。母幸恵さん(46)は「コロナで帰省できなかった2年間はやはり寂しかった。両親に顔を見せに帰ってこられるのはうれしい。家族みんな、けがなく健康で過ごせますように」と願いを込めた。
 
新年初の読経を行う上野賢庸副住職(左)。年忌表に見入る人たち(右)

新年初の読経を行う上野賢庸副住職(左)。年忌表に見入る人たち(右)

 
盛岩寺本堂で祈りをささげる家族連れ

盛岩寺本堂で祈りをささげる家族連れ

 
 本堂では上野副住職が新年初の朝のお勤めを行った。同寺では年始に故人の年忌(三~五十回忌)を知らせる紙を貼り出しており、訪れた家族らが確認する姿が見られた。上野副住職は「昨年は唐丹でもクマの出没が相次ぎ、お墓に供物を置かないよう協力を呼び掛けた。私たちは世界情勢や自然環境の変化に目を向けながら生活していく必要がある」と述べた。
 

初日の出は小雪がちらつく中、雲の隙間から… わずかな光に希望託し

 
初日の出を拝もうと両石漁港周辺には多くの人たちが訪れた=元日午前6時55分

初日の出を拝もうと両石漁港周辺には多くの人たちが訪れた=元日午前6時55分

 
 市内の海岸部には元日朝、初日の出を拝もうとする人たちが集まった。釜石市の日の出時刻は午前6時52分ごろ。大方の天気予報では曇りマークが出ていたが、夜が明け始めると、わずかな期待を胸に多くの人が訪れた。
 
 両石町の漁港周辺では、東日本大震災後に盛り土整備された高台の国道45号沿い、岸壁などにマイカーで乗り入れ、日の出を待つ人の姿が…。水平線上には厚い雲がかかり、一時小雪もちらつくなどしたため、あきらめて帰る人もいたが、午前7時15分ごろ、一時的にわずかな陽光が差し込んだ。残っていた人たちはすかさずカメラを向け、新年の“縁起物”を動画や写真に収めた。
 
水平線上にはあいにくの雲が…隙間から太陽が顔を出すのを待ちわびる人たち

水平線上にはあいにくの雲が…隙間から太陽が顔を出すのを待ちわびる人たち

 
午前7時15分ごろ、湾内に陽光が差し込むと一斉にスマホカメラを向けた

午前7時15分ごろ、湾内に陽光が差し込むと一斉にスマホカメラを向けた

 
 甲子町の前川芽衣さん(14)は春から中学3年生。高校受験を控え大事な年となる。初日の出を見て、「新たな気持ちで頑張っていこうという気になった」とパワーをもらった様子。父仁さん(49)も「(御来光を拝むと)気が引き締まる。明るい1年になれば」と期待。13年前の震災津波で鵜住居町の自宅が被災。仮設住宅での避難生活を経て、甲子町に自宅を再建した。「新たな土地での生活もだいぶ慣れ、落ち着きを取り戻しつつある」と話し、家族の希望あふれる未来を願った。
 

眼下に海を臨む釜石大観音 沿岸有数の初詣スポット 正月三が日に約8千人が拝観

 
観音像の入り口で参拝する人たち=釜石大観音、元日午前10時40分ごろ

観音像の入り口で参拝する人たち=釜石大観音、元日午前10時40分ごろ

 
 毎年多くの初詣客でにぎわう大平町の釜石大観音は、今年も元日の日の出の時間帯(午前7時前後)から拝観者が一気に増え始め、終日混雑が続いた。例年にない暖かさで、天候にも恵まれた今年の正月3が日の人出は、昨年より微増の約8千人だった。
 
 元日朝は曇り空だった市内は、午前8時を過ぎたころから太陽が顔を出し、新年を迎えたまちを明るく照らした。大観音には市内外から家族連れや若者グループなどが次々に訪れ参拝。昨年の加護に感謝し、新しい年への期待を胸に手を合わせた。お守りやお札、熊手や破魔矢などの販売コーナーも客足が途切れなかった。
 
 参拝を終えた人たちは青空に映える白亜の観音像をバックに記念撮影したり、目の前に広がる大パノラマの海上風景を楽しんだりと各所で笑顔を広げた。境内にはキッチンカーも並び、好調な売れ行きを見せた。
 
元日午前中には天候が回復。青空に映える観音像

元日午前中には天候が回復。青空に映える観音像

 
初詣客でにぎわう境内。浄土橋から眺める釜石湾の景色(右下)も目を見張る美しさ

初詣客でにぎわう境内。浄土橋から眺める釜石湾の景色(右下)も目を見張る美しさ

 
 釜石在住の前川凜太郎さん(23)は小中学校の同級生4人で訪れた。同所への初詣はほぼ毎年の恒例。「健康第一でいけるように」と祈りを込めた。社会人3年目。仕事を覚え、職場にも慣れてきたところで、「これからは後輩にも教えられるようにさらに精進したい」と目標を掲げる。県内各地で働く同級生とは「正月に会うのが楽しみ。ずっと仲良くしていきたい」と旧交を温め合う。
 
 同市平田の櫻井武さん(70)は妻、独立した長男家族らと6人で参拝。新年を迎えて願うのは、家族の健康と世界平和。多くの尊い命が奪われている海外2つの戦争に心を痛め、早期終結を強く願った。自身は昨年6月、50年にわたる会社勤めを終えた。人口9万人に達した釜石全盛の時代を知るだけに、昨年11月の同市の人口“3万人切り”に危機感を募らせる。「行政には新たな企業誘致などを頑張ってもらい、何とか人口減を食い止めてほしい」と積極的施策を望んだ。
 

健康づくりは歩くことから 初詣ウオークで誓い新た 能登半島地震被災地に思い寄せ神仏に祈り

 
門松が飾られた商店街を歩く初詣ウオークの参加者=大町、2日

門松が飾られた商店街を歩く初詣ウオークの参加者=大町、2日

 
 釜石市ウオーキング協会(遠野健一会長、会員50人)の新年恒例「初詣ウオーク」は2日に行われた。19回目の開催で、同市と遠野市から協会員と一般参加者26人が集まった。市内の神社と寺4カ所を詣でながら歩き、今年1年の健康を祈願。前日夕方に発生した能登半島地震の被災者にも思いを寄せ、1人でも多くの方が無事であるよう祈りをささげた。
 
 スタート地点となる中妻町の昭和園クラブハウス駐車場で出発式。あいさつした遠野会長(79)は元日に襲った激震に東日本大震災を重ね、「いつ何があるか分からない。被害が拡大しないことを祈るばかり。みんなで健康と平穏無事を願って歩こう」と呼び掛けた。コースは同クラブハウスから浜町の尾崎神社までの約8キロ。途中、八雲神社(八雲町)、八幡神社(大渡町)、薬師山観音寺(大町)に立ち寄り参拝した。
 
大渡町の八幡神社に到着。急な石階段を上った先にある社の前で参拝

大渡町の八幡神社に到着。急な石階段を上った先にある社の前で参拝

 
八幡神社の近くにある長谷川時雨(作家)の文学碑前では、観光ガイドを務める参加者が解説

八幡神社の近くにある長谷川時雨(作家)の文学碑前では、観光ガイドを務める参加者が解説

 
 昨年11月に協会員となった男性(75)は、市の健康診査で高血圧を指摘されたのを機にウオーキングを始めた。今では一日約7500歩を歩く。「歩き始めて血圧が少し下がった。検査の数値が良くなるとさらに欲が出てくる。共に取り組んでいる減塩と合わせ、今年も目標を立てて頑張りたい」と新年の誓い。戦禍、異常気象、天災…。不穏な世界情勢にも懸念を示し、「戦争のない、自然災害の少ない年になってほしい。(大地震に襲われた)石川の皆さんが心配…」と不安な一夜を過ごした被災者を案じた。
 
ゴールとなる浜町の尾崎神社で参拝。今年1年の協会活動に意欲を高めた

ゴールとなる浜町の尾崎神社で参拝。今年1年の協会活動に意欲を高めた

 
 長年続く同ウオークだが、今年ほど暖かい気候の中で行われるのはまれなこと。「天気にも恵まれ、みんなが元気で集まれたのが何より」と遠野会長。会長就任2年目となる今年は「協会の活動を広く周知し、会員でなくても月2回の例会ウオーキングに気軽に参加してもらえるしくみをつくりたい。人生100年時代。自分の足で歩けることは大きな喜び。皆さんの健康づくりに役立ててもらえれば」と、新たな活動の形を模索する。

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「釜石新聞NewS」プレーバック2023

 
 新型コロナウイルス感染症が5類に移行され、社会活動が少しずつ平常化してきた2023年。釜石市内では再開された祭りやスポーツなど各種行事で、再会を楽しむ顔に多く出会う年となった。そして、区切り、交代、誕生…といった「変化」や「新たな芽吹き」を感じる一年でもあった。そんなまちの動きをネット上で紹介した記事から振り返る。(年齢、肩書は当時)

2月

 
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【将棋・小山怜央さんプロに、地元歓喜】
 釜石市出身で将棋のアマチュア強豪、小山怜央さん(29)は13日、大阪市で行われたプロ棋士編入試験5番勝負の第4局に勝利し、通算成績3勝1敗で合格を決めた。棋士養成機関「奨励会」の未経験者、岩手県出身者で初のプロ棋士が誕生し、地元では歓喜の声が広がった。3月に帰省し、子どもらと交流。応援を力に飛躍を誓う。
 

3月

 
pb02
 
【東日本大震災から12年―犠牲者13回忌 変わらぬ鎮魂の祈り各地で】
 未曽有の被害をもたらした東日本大震災から12年。今年の“3.11”も亡き人を思い、祈りをささげる人たちの姿が市内各所にあった。墓所、祈りのパーク、海岸…。それぞれの場所で花を手向け冥福を祈った。年々増えていく「(震災を)知らない世代」にどう伝え、未来の命を守るのか。教訓継承への取り組みは続く。
 
pb03
 
【SMCが釜石に第5工場新設 雇用拡大、外国人労働者も増加】
 空気圧制御機器製造、世界首位のSMC(本社・東京都)が釜石市に新たな工場を建設した。同市が1991年に誘致以来、5番目となる工場。国内外の需要増に対応し、生産拡大を図るためのもので、2026年ごろまでに約600人の就労を見込む。ベトナム、インドネシアなどからの特定技能外国人労働者も受け入れており、安定的な生産体制を目指す。
 

5月

 
pb04
 
【明治日本の産業革命遺産フォトコン 最優秀賞は橋野鉄鉱山】
「明治日本の産業革命遺産」を対象にしたフォトコンテストで、橋野町の世界遺産「橋野鉄鉱山」を被写体にした作品「悠久のたたら場跡と星空」が最優秀賞に輝いた。撮影者は佐々木弘文さん(55)。「原燃料の山と橋野一番高炉」と題した藤原信孝さん(74)の作品はエリア賞を獲得。2人は10日に市役所を訪れ、喜びを伝えた。
 
pb05
 
【クマ出没注意!目撃相次ぐ 県、7年ぶりに警報】
 釜石市内では5月以降、クマ(ツキノワグマ)の目撃情報が相次いでいる。26日には只越町の市役所前にクマ1頭が出没。約3時間後に捕獲という緊張を強いられる状況が発生した。県は人身被害が多発していることから、全域に「ツキノワグマの出没に関する警報」を発令。2016年度以来7年ぶりで、今回で2回目となった。
 

6月

 
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【復興支えたSL銀河 惜しまれながら10年の運行に終止符】
 JR釜石線で2014年から運行してきた観光列車「SL銀河」が、客車の老朽化のため、6月上旬で引退した。高らかな汽笛、迫力の走行で震災復興を力強く後押ししてきた大人気の列車。この10年で延べ約7万4000人が乗車した。ラストランには同列車を愛してやまない人たちが全国から駆け付け、最後の雄姿を見届けた。
 
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【釜石はまゆりサクラマス 養殖事業化後、初水揚げ】
 釜石湾で養殖されている「釜石はまゆりサクラマス」が27日、今季初めて市魚市場に水揚げされた。昨秋に事業化してからの“初もの”は、体長60~80センチ、重さ1.7キロほどに育った計8.4トン。「身ぶりが良い」と関係者らは好感触を得る。プロモーション活動にも着手し、希少性を生かした取り組みに力を入れていく構えだ。
 

8月

 
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【ラグビーアマ代表 フランス大会出場へ結団式】
 ラグビーのワールドカップ(W杯)フランス大会に合わせて初めて開かれる「ワールドアマチュアラグビーフェスティバル」に、日本代表として「いわて釜石ラグビーフットボールクラブ」が出場。地域にゆかりのあるメンバー30人が公募で選ばれ、26日に釜石鵜住居復興スタジアムで結団式。「世界一を狙う」と気持ちを高め合った。
 

9月

 
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【4年ぶりの釜石よいさ 継承へ新たな形】
 第32回「釜石よいさ」は23日、釜石鵜住居復興スタジアムで開かれた。コロナ禍で中止が続き、屋外での通常開催は4年ぶり。「笑顔を生み出す場」を心待ちにしていた15団体約550人が熱い群舞を繰り広げた。経費や運営人員不足など課題もあり、「どう継続するか」を模索する中、会場や開催時期を変更して新たな形を試した。
 

10月

 
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【コロナ禍から復活 かまいし仙人峠マラソン大会4年ぶりに開催】
 高低差400メートルの急峻な峠道を駆け上がる「かまいし仙人峠マラソン大会」が29日、4年ぶりに開かれた。2010年から始まり、震災後は「復興の峠を駆け上がれ」の合言葉の下、継続されてきたが、新型コロナの影響で20年から中止されていた。久しぶりの大会は雨模様となったが、老若男女が絶景の紅葉を力に変え、難コースに挑んだ。
 
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【釜石最後の芸者・艶子姐さんの生涯 語りと踊りで再現】
 「芸は津波に流されない―」。踊りや三味線など磨いた芸で、戦後の釜石の社交の場を華やかに彩った故伊藤艶子(藤間千雅乃)さんの生涯が、ふるさと釜石で舞台化された。俳優名取裕子さんの語り、伊藤さんの芸を継ぐ東京・八王子の芸者衆の踊りなどで“艶子姐さん”の波乱万丈の人生が浮かび上がった。29日、市民ホールTETTOで公演した。
 

11月

 
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【片岸町に大津波記念碑が完成 悼み、伝え続ける震災】
 釜石市片岸町に東日本大震災の被災状況や教訓を伝える大津波記念碑が建立された。4日の除幕式で町民らにお披露目。津波で倒された神社の鳥居を「人」の形に組み、犠牲者の慰霊と教訓発信を末永く誓う。石柱には中高生が伝えたい言葉を刻んだ。同町は震災の津波で8割が被災。住民33人が犠牲になった。
 
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【震災復興→力強いまちへ 16年ぶりに代わるリーダー】
「撓(たわ)まず屈せず」を合言葉に、東日本大震災の復興で陣頭指揮を執った市長・野田武則氏(70)が17日に任期を満了し、16年(4期)通った市庁舎を後にした。この退任を前に行われた市長選で新人同士の一騎打ちを制して初当選した小野共氏(54)は20日に初登庁。「力強いまち」を目指し、市政運営をスタートさせた。
 

12月

 
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【かまいしの第九 45年の歴史に幕 「いつかまた…」】
 師走の釜石で歌い継がれてきたベートーベンの交響曲第9番。市民に愛された「かまいしの第九」は今年の公演が最後となった。中核メンバーの高齢化や資金減などが理由。同市の音楽文化の象徴が大きな功績とともに一時代を終えた。17日の最終公演では、出演者と聴衆が一体となる感動のステージが繰り広げられた。
 
■後記
 市民の皆様、釜石新聞NewSをご覧いただいている全国の皆様、本年のご愛読ありがとうございました。
 WEB専門の媒体としてのご理解と認知度も着実に高まり、皆様の生活の中に受け入れていただいている手ごたえを感じる機会が多くなりました。取材依頼などについては運営体制の変化などもあり、復興釜石新聞の時のようにはお応えしきれない点についてお詫び申し上げるとともに、あらためてご理解を賜れれば幸いです。
 
皆様、どうぞよいお年をお過ごしください。

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製鉄所隆盛で栄えた「昭和」の釜石 市民遺産で回顧 郷土資料館企画展が面白い!新年は5日から

市郷土資料館で開催中の「かまいしの古き良き時代 ザ・昭和 ~鐵(てつ)と共に~」

市郷土資料館で開催中の「かまいしの古き良き時代 ザ・昭和 ~鐵(てつ)と共に~」

 
 釜石市の歴史や文化を知るなら鈴子町の市郷土資料館(佐々木豊館長)。さまざまなテーマの展示で釜石を学べるが、年に数回行われる特別展示も興味深い。現在、開催中の企画展「ザ・昭和」は、製鉄所の繁栄で人口9万人以上を記録したこともある戦後の時代にスポットを当てる。多くの市民が行き交うまちはたくさんの商店や飲食店、娯楽施設が並び、活気を呈した。その古き良き時代を遺物や写真などで振り返る。展示は来年1月14日まで(12月28日~1月4日までは年末年始休館)。
 
 「鉄のまち」と称される釜石市は、太平洋戦争末期の1945(昭和20)年、米英連合国軍による2度の艦砲射撃で壊滅的な被害を受けた。戦後、復興への鉄需要の高まりで、釜石製鉄所は国内の主力として急成長。まちは企業城下町として栄え、63(同38)年には人口9万2000人を突破した。大渡町から東前町までの通りは最大の繁華街で、製鉄所の三交替勤務に伴い、飲食店などは昼夜問わずにぎわっていたという。
 
 その“昭和の釜石”を垣間見ることができる今回の企画展。会場では同館の所蔵物のほか、市内の企業などから寄せられたさまざまな遺物が公開されている。商売で使われた金銭登録機(今のレジスター)、商店や飲食店、宿泊施設、企業などの名前入りマッチ、灰皿、菓子製造に使われた道具、料亭の状差し…など。まちの繁栄の象徴、デパート(丸光、及新)などの包装紙もあり、当時を知る人にとっては懐かしい記憶がよみがえる。廃業した店も多く、まちの歴史を物語る貴重な品々が並ぶ。
 
 建材を扱っていた大町の「前田商店」で使われていた金銭登録機

建材を扱っていた大町の「前田商店」で使われていた金銭登録機

 
浜町にあった料亭「福寿楼」の状差し(中)と看板(左)

浜町にあった料亭「福寿楼」の状差し(中)と看板(左)

 
デパートや商店の包装紙(左側)と店などで身に着けていた前掛け(右側)

デパートや商店の包装紙(左側)と店などで身に着けていた前掛け(右側)

 
市内の収集家が集めた商店や飲食店、会社などの名前が入ったマッチ

市内の収集家が集めた商店や飲食店、会社などの名前が入ったマッチ

 
 今年創業100年を迎えた小川町の酒造会社、浜千鳥(新里進社長)は1968(昭和43)年まで、現只越町3丁目(今の釜石郵便局の場所)で操業。当時の社名は釜石酒造商会。本企画展では、小川町に移転する際に目抜き通りで行ったパレードの写真や、「浜千鳥」の前の商品名が入った量り売り用の漏斗(じょうご)、当時製造していたサイダー瓶などが展示される。
 
今年創業100年を迎えた「浜千鳥」に関する展示コーナー

今年創業100年を迎えた「浜千鳥」に関する展示コーナー

 
企画展で展示されている浜千鳥の“キンレンサイダー工場”の写真と同サイダー瓶

企画展で展示されている浜千鳥の“キンレンサイダー工場”の写真と同サイダー瓶

 
 市内在住の写真家、藤枝宏さんが撮影した昭和50年代の釜石の街並み写真も展示。煙突が立ち並ぶ製鉄所、「不夜城」と言われたまちの夜景、映画館のある中心商店街など、まちの活気を感じさせる光景が凝縮される。
 
藤枝宏さん撮影の昭和の街並み写真展示コーナー

藤枝宏さん撮影の昭和の街並み写真展示コーナー

 
東日本大震災の津波で流失した「呑兵衛横丁」。この通りは昭和30年代、大にぎわいだった

東日本大震災の津波で流失した「呑兵衛横丁」。この通りは昭和30年代、大にぎわいだった

 
 同館では「当時を生きた人が懐かしさを感じるのはもちろん、昭和を知らない世代にも釜石の歩みを知ってもらえる展示。常設展示品以外のものがほとんどなので、ぜひこの機会にじっくりと観賞してもらえれば」と来場を呼び掛ける。問い合わせは同館(電話/FAX 0193・22・2046)へ。

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市民の心耕し45年―「かまいしの第九」重ねた歴史、思い共有し万感の最終公演 次世代の芽吹きも期待

最終公演となった第44回かまいしの第九=市民ホールTETTO

最終公演となった第44回かまいしの第九=市民ホールTETTO

 
 45年の長きにわたり、師走の釜石市に“歓喜の歌”声を響かせてきた「かまいしの第九」。地域の音楽文化発展の礎を築き、経済低迷や震災など困難に立ち向かう市民に勇気と希望を与え続けた伝統の演奏会が17日、惜しまれながら幕を閉じた。メンバーの高齢化や活動資金減少などで「今回を一区切り」とした実行委。初代指導者の故渡邊顕麿さんの教えを脈々と受け継ぎ、釜石の第九イズムを貫いたメンバーは、あふれる思いを歌声に込め、同演奏会を愛する聴衆と感動のフィナーレを迎えた。
 
 釜石市民ホールTETTOで開かれた最終公演。会場には市内外から約550人が集まった。オーケストラは指揮者の瓦田尚さん(40)=釜石出身、東京在住=率いるアマチュアオケ「ムジカ・プロムナード」、釜石市民吹奏楽団の団員ら総勢60人。合唱隊は「かまいし第九の会」を中心とした市内外の115人で編成した。
 
 演奏会は、東日本大震災をテーマとした「明日を」「群青」の2曲の合唱で幕開け。続いて、ベートーベンの交響曲第9番1~4楽章が演奏された。本県出身の声楽家4人がソリストを務め、管弦楽の壮大な演奏、時代、世代を超えてつながれた魂の歌声がホールいっぱいに響き渡った。
 
4人のソリストは本県出身者(左からSoprano:土井尻明子さん、Alto:在原泉さん、Tenor:澤田薫さん、Bass:小原一穂さん)

4人のソリストは本県出身者(左からSoprano:土井尻明子さん、Alto:在原泉さん、Tenor:澤田薫さん、Bass:小原一穂さん)

 
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 同演奏会は1978年、旧市民文化会館のこけら落とし公演として行われたのが始まり。前年に帰郷し、実家の寺を継いだ渡邊顕麿さん(1931-96)がそれまでの合唱活動の経験を生かし、市内で指導を始めた中での新たな挑戦だった。初期メンバーはドイツ語の辞書を片手に歌詞の意味を読み解き、渡邊さんの教え「曲に込められた精神をそれぞれの生活、生き方に反映させる」ことを忠実に守りながら、演奏会を重ねてきた。
 
初代指導者・指揮者の渡邊顕麿さん(左上)。合唱指導をする渡邊さん(右上)。釜石市民文化会館で行われていた第九演奏会(1991年、下)=写真提供:実行委

初代指導者・指揮者の渡邊顕麿さん(左上)。合唱指導をする渡邊さん(右上)。釜石市民文化会館で行われていた第九演奏会(1991年、下)=写真提供:実行委

 
子どもから高齢者まで多くの市民が参加した1999年の第九演奏会=写真提供:実行委

子どもから高齢者まで多くの市民が参加した1999年の第九演奏会=写真提供:実行委

 
 87年からは第九以外の大曲にも挑戦。渡邊さん他界後は、遺志を継いだ山﨑眞行さんが指導にあたり、両輪での合唱披露は2014年まで続いた。03年からは次世代への合唱文化継承を目指し、市内の中学校が毎年順繰りに歌う「オーケストラと歌おう」のコーナーも開設。渡邊さんが残した「学び、耕し続ける文化」を着実に実践してきた。
 
 最大の存続危機は2011年の東日本大震災。メンバーの犠牲、被災、会場の市民文化会館の全壊でしばらくの活動休止もやむを得ない状況だったが、「被災者が立ち上がる力に」と開催を決断。校舎を失った釜石東中の生徒が第九の合唱に声を重ね、大きな感動を呼んだ。被災後の6年間は釜石高体育館が会場となり、17年の市民ホール落成のこけら落とし公演が、くしくも初演時と同様、この第九演奏会となった。
 
東日本大震災があった2011年、釜石高体育館で行われた演奏会。釜石東中の全校生徒が第九の合唱にも参加した

東日本大震災があった2011年、釜石高体育館で行われた演奏会。釜石東中の全校生徒が第九の合唱にも参加した

 
2017年、釜石市民ホールTETTOのこけら落とし公演となった第40回かまいしの第九

2017年、釜石市民ホールTETTOのこけら落とし公演となった第40回かまいしの第九

 
 このまま順調に行くかと思われたが、予想もしなかった新型コロナウイルス感染症の大流行で20、21年は開始以来、初めての中止に追い込まれた。昨年、復活開催したものの、さまざまな情勢の変化で「事業を支えるだけの“体力”を維持できなくなった」として、本公演を最後とすることを決めた。
 
 万感の思いで迎えたフィナーレ。拍手が鳴りやまない中、ステージに招かれたのは、2代目指揮者として25年間、演奏会を率いた山﨑眞行さん(73)。これまでの功績に瓦田さんから感謝の花束が手渡された。山﨑さんは昨年の復活演奏会でも指揮する予定だったが、病のため急きょ降板。この日は客席から演奏を見守り、「みんな頑張ってくれた。一生懸命の第九が聞けてうれしい」と喜んだ。ここまで続いた原動力を「みんなの情熱」とし、「今日で終わりではないと感じる。きっと(何らかの形で)続いていくと思う」と実感を込めた。
 
2019年まで指揮者を務めた山﨑眞行さんがステージに登場。合唱メンバーや聴衆から感謝の拍手が送られた

2019年まで指揮者を務めた山﨑眞行さんがステージに登場。合唱メンバーや聴衆から感謝の拍手が送られた

 
昨年に続いて指揮をした瓦田尚さん(右)。最後は聴衆も一体となり「歓喜の歌」を響かせた。同演奏会恒例のフィナーレ(左)

昨年に続いて指揮をした瓦田尚さん(右)。最後は聴衆も一体となり「歓喜の歌」を響かせた。同演奏会恒例のフィナーレ(左)

 
「これまで感動をありがとう!」出演者をたたえる拍手は鳴りやまず

「これまで感動をありがとう!」出演者をたたえる拍手は鳴りやまず

 
 終演後のロビーでは出演者と来場者が入り交じり、第九でつながれた強い絆をあらためて心に刻み合った。支えてくれた家族からねぎらいの言葉を受ける人も。孫から花束を贈られ喜びの笑顔を見せたのは、通算18回目の出演を果たした土橋郁子さん(78)。本公演には夫博聰さんも来場する予定だったが、11月上旬に突然の急逝(享年79)。音楽好きだった夫のためにもと、悲しみを乗り越えステージに立った。「どこかで聞いていてくれたかな…」。第九は生きがいだった。「今はやりきったという感じ」。長男照好さん(52)は「父にも母の思いが届いたのではないか。演奏も感動的だった。始めた人たちの思いを感じることができた気がして…」と余韻に浸った。
 
「おつかれさま!」お孫さんから花束を贈られ、喜びの笑顔を輝かせる土橋郁子さん(左)

「おつかれさま!」お孫さんから花束を贈られ、喜びの笑顔を輝かせる土橋郁子さん(左)

 
 互いの演奏会に出演し合い、釜石のメンバーとは約30年の付き合いという八戸メンネル・コールの河原木久一さん(89)は「釜石の人たちは心が温かい。私たちのことも快く受け入れてもらった」と感謝。震災があった年に被災した中学生と一緒に歌った演奏会が「忘れられない。あの歌声に三陸の人たちがどれほど励まされたことか」と思いをはせた。
 
 この日は過去に出演経験がある人たちも多数、駆け付けた。渡邊さんが立ち上げた親と子の合唱団ノイホフ・クワィアーに家族3人で所属していた山本美津子さん(86)は、旧市民文化会館のこけら落とし公演に夫、娘と出演した経験を持つ。「(当時が)とても懐かしくてね。アンコールでは一緒に歌った」と声を弾ませ、「第九(演奏会)は市民の大事な宝物だった。もう1回やってほしい」と復活開催に望みを託した。
 
 第1回からの合唱メンバーで最終公演を迎えたのは5人。20代後半から参加してきた菊池玲次さん(71)は「たくさんの先輩方に支えられ、ここまで続けてこられた。亡くなった方も多いが、本当に感謝しかない」と、人生の半分以上を共に歩んだ第九に深い思いを寄せる。この日は、長年一緒に歌い、プライベートでも親交のあった市芸術文化協会前会長の岩切潤さん(2017年逝去、享年82)のちょうネクタイを胸に忍ばせて歌った。
 
終演後、さまざまな思いを分かち合った出演者と来場者。左上は感謝の気持ちを伝える実行委の川向修一会長

終演後、さまざまな思いを分かち合った出演者と来場者。左上は感謝の気持ちを伝える実行委の川向修一会長

 
 地元紙の記者として初の第九発会式を取材した際、渡邊さんに声を掛けられ、合唱メンバーの一員になった実行委の川向修一会長(71)。最後のステージでは渡邊さんの教えの一言ひと言、活動を共にした故人の顔が浮かび、目を潤ませる場面もあった。多くの人たちと心を通わせ歌い続けた45年―。「ひとつの形としての演奏会は終わるが、自分たちのやってきたことが種となり、この先、新たな形で芽吹いてくれれば…」。“一区切り”の言葉に出演者も聴衆も「いつかまた…」との期待を込める。
 
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「元気でいてね!」日ごろの感謝込めお遊戯披露 上中島こども園児が地域の高齢者に

地域住民に歌をプレゼントする上中島こども園児=中妻地区生活応援センター width=

地域住民に歌をプレゼントする上中島こども園児=中妻地区生活応援センター

 
 釜石市の上中島こども園(楢山知美園長、園児48人)の園児18人が18日、園近くの中妻地区生活応援センター(菊池拓朗所長)で地域の高齢者にお遊戯を披露した。日ごろの見守りへの感謝を込め、昨年に続いて企画。かわいらしい衣装に身を包んだ子どもらの歌やダンスに、集まった高齢女性12人は大喜び。終始、笑顔で楽しい時間を過ごした。
 
 センターを訪問したのは3歳、5歳児クラスの園児。始めに全員で「We wish You A Merry Christmas」「にじのむこうに」の2曲を合唱した。3歳児クラスの8人はサンタクロース姿でクリスマスメドレーのダンスを披露。小さな体をめいっぱい動かし、一足早いクリスマス気分を届けた。
 
かわいいミニサンタの登場に目を細める高齢女性

かわいいミニサンタの登場に目を細める高齢女性

 
クリスマスの曲に合わせ踊る3歳児クラスの園児

クリスマスの曲に合わせ踊る3歳児クラスの園児

 
 5歳児クラスの10人は2グループに分かれてお遊戯。「アロハ・フラ~海と空と太陽と」の曲で披露したダンスは南国気分を漂わせ、冬の寒さを吹き飛ばした。「あばれ太鼓~雷ジーン」はかっこいい振り付けが特徴。決めポーズもバッチリで、りりしい姿を見せた。
 
南国のフラダンスであったか気分を届ける5歳児クラスの園児

南国のフラダンスであったか気分を届ける5歳児クラスの園児

 
はっぴ姿の男児は太鼓のばちに見立てた道具を手に元気に踊った

はっぴ姿の男児は太鼓のばちに見立てた道具を手に元気に踊った

 
 “ちびっこサンタ”姿の藤原依茉ちゃん(4)は「うまく踊れた。クリスマス大好き。(もうすぐなので)楽しみ」とにっこり。フラダンサーになり切った小林妃奈乃ちゃん(5)は「楽しかった。おばあちゃんたち、笑って喜んでくれた。これからも元気でいてほしい」と願いを込めた。
 
 同園では9日に、園児らの成長を保護者に見てもらう3~5歳児の生活発表会を開催。この時に発表したお遊戯を「地域の方にも見てもらいたい」と、会終了後も練習を重ねてきた。目尻を下げっぱなしだった平野京子さん(73)は「みんな上手。胸がいっぱいになって涙が出てきた」と大感激。自身の保育園時代と比べ、「今の子どもたちはすごいね。いろいろなことを覚えてねぇー」と感心しきり。
 
子どもたちの頑張りに盛んな拍手を送る

子どもたちの頑張りに盛んな拍手を送る

 
会場にはたくさんの笑顔が広がった

会場にはたくさんの笑顔が広がった

 
園児と高齢者は共に楽しいひとときを過ごした

園児と高齢者は共に楽しいひとときを過ごした

 
 上階が復興住宅になっている同センターでは週に2回、住民らがラジオ体操を行っていて、同園の園児が参加することも。季節の行事でも交流が続く。「地域の皆さんに見守ってもらいながら子どもたちを育てていきたい」と楢山園長。こうした交流は子どもの心の成長への効果だけではなく、日ごろからの行き来で顔見知りになることで大人の目が増え、不審者の声掛けや犯罪などに巻き込まれるリスクを軽減できればとの思いもある。新型コロナウイルス禍で園行事への招待はしばらくできずにいたが、来年から再開できればと心待ちにする。
 
園児から日ごろの感謝を込めて、松ぼっくりツリーとクリスマスカードのプレゼント

園児から日ごろの感謝を込めて、松ぼっくりツリーとクリスマスカードのプレゼント

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励まし支え合って30年 釜石・ボランティア連絡協 交流会で英気蓄え「活動続行!」

結成30周年記念交流会を楽しむ釜石のボランティアら

結成30周年記念交流会を楽しむ釜石のボランティアら

 
 釜石市ボランティア連絡協議会(久保道子、中川カヨ子共同代表)が結成30周年を迎えた。市内で開かれるイベントの運営などで力を合わせたり、市外の団体と交流したり、多様な活動を展開。新型コロナウイルス感染症などの影響で控えていた顔を合わせた活動が徐々に再開される中、構成団体のメンバーたちは奉仕の心を大切にした活動の継続へ気持ちを新たにしている。
 
 同協議会は、1992年の三陸海の博覧会で市内の女性団体がおもてなしを担当したことをきっかけに93年に結成。ボランティア団体の相互の情報交換や連携を目的にし、市社会福祉協議会が事務局を担う。本年度は13団体246人で構成。活動内容は花壇整備や防災活動、手話学習、高齢者家事援助、子育て支援、傾聴など多岐にわたる。
 
 10日、記念の交流会を上中島町の中妻公民館で催し、約60人が日ごろの活動を紹介し合いながら節目を祝った。久保共同代表(釜石地区更生保護女性の会会長)は「この30年、東日本大震災やコロナの感染拡大など、さまざまな困難や苦労もあったと思う。それでも長い間、先輩方の思いをつなぎながら活動を続けてこられたことに感謝の気持ちでいっぱい。お互いに感謝とねぎらいの時間を過ごし、今後の活動の励みとしましょう」とあいさつ。来賓の吉田守実・岩手県ボランティア団体連絡協議会長が祝辞を述べた。
 
開会式であいさつする久保道子共同代表(左)、来賓の吉田守実会長

開会式であいさつする久保道子共同代表(左)、来賓の吉田守実会長

 
人形劇団どっこいしょKが活動紹介。こちらも結成30年

人形劇団どっこいしょKが活動紹介。こちらも結成30年

 
 協議会と同じく結成30周年の「生きがい人形劇どっこいしょK」(千葉勝美座長)が活動紹介。「孤立したキツネ~引きこもり編」と題した演目で、震災で職を失って帰郷し、引きこもりがちになった男性を公的支援につなぐ物語。終盤、音響トラブルが発生したが、団員の菊地恵美子さん(93)がマイクを手に舞台から顔を出し、団体の歴史を話して場をつないだ。
 
途中でトラブルが起きても慌てず場をつなぐ菊地恵美子さん

途中でトラブルが起きても慌てず場をつなぐ菊地恵美子さん

 
 劇団は岩手高齢者大学釜石校の人形クラブを母体に同窓生、OB有志で93年に結成された。脚本づくりから人形や道具の制作、音声、舞台設営まで全て団員が手作りし運営。地域の民話を題材にしたり、保健所と協働で認知症や心の病などをテーマにした演目を市内外の福祉施設、保育施設、講演会などで上演してきた。震災では浜町で保管していた人形などを失ったが、数カ月後に活動を再開。会員9人のうち4人が90代だが、今なお現役で活動する。
 
 コロナ下で3年間活動ができず、団員たちは久しぶりのお披露目に気合が入った。菊地さんも、普段使っているつえを手放しキビキビ歩いて元気満々。「ボランティアは社会にとって大事で、愛と信頼関係がなければ続かない。仲間に感謝。皆さんもお互いに励まし、支え合っていきましょう」と通る声で呼びかけた。
 
団員の平均年齢は90歳超。「生き生きと楽しく」がモットー

団員の平均年齢は90歳超。「生き生きと楽しく」がモットー

 
“お元気シニア”の代表格どっこいしょKの劇に見入る参加者

“お元気シニア”の代表格どっこいしょKの劇に見入る参加者

 
 昼食の時間には、協議会結成のきっかけとなった三陸博の映像や写真資料などがスクリーンに映し出され、参加者が懐かしそうに視聴。そのほか、紙芝居や合唱などの活動紹介もあり、参加者みんなで楽しい時間を共有した。
 
30年前の映像を見ながらおしゃべりを楽しみ親睦を深めた

30年前の映像を見ながらおしゃべりを楽しみ親睦を深めた

 
 事務局担当の市社協職員は「どっこいしょKのようなお元気シニアの皆さんからエネルギーをもらって、それぞれが活動に励んでもらえたら」と期待。人口減、高齢化、会員の減少など課題はあるが、ボランティア活動は携わる人の生きがい、やりがいにつながり、地域も活性化することから、息の長い活動になるようサポートしていく考えだ。

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「夢叶う」その理由は…将棋・小山怜央四段(釜石出身) 答えは初の著書に 古里で出版イベント

小山怜央四段の著書出版を記念し釜石で開かれたイベント

小山怜央四段の著書出版を記念し釜石で開かれたイベント

 
 「夢破れ、夢破れ、夢叶(かな)う」。11月下旬に釜石市内の書店に並んだ本のタイトルだ。著者は、地元出身で岩手県初の将棋プロ棋士となった小山怜央四段(30)。棋士養成機関「奨励会」を経ずに棋士になるという特異な道のりをたどる自伝で、「アマチュア棋士がプロに勝ち、プロになった話」をつづる。刊行を記念し、桑畑書店(釜石・大町)が12月9日にトークイベントを開催。小山四段は、応援する市民や将棋ファンら約30人を前に「自分を信じて挑み続ける」と尽きせぬ情熱を伝えた。
 
 イベントは、幼少期の小山四段を指導した日本将棋連盟釜石支部長の土橋吉孝さん(68)との対談形式で進んだ。土橋さんいわく、「集中力があるが、夢中になると周りのことが耳に入らなくなる子」だったという小山四段。そうした面が対局中に現れ注意されたことが著書で触れられていて、土橋さんは「あとで読んで」と濁したが、小山四段は「細かく書けなかった」と当時の癖を自ら明かしたり、ほほ笑ましい2人のやりとりに会場からくすっと笑いが起こった。
 
終始楽しげにトークを展開する小山四段と土橋吉孝さん

終始楽しげにトークを展開する小山四段と土橋吉孝さん

 
 小山四段の強みは、最後まで諦めない姿勢や失敗を引きずらない切り替えの良さが挙げられるが、「大学生活や社会人経験も強みになる」と自己分析。棋力向上には「AIをガッツリ使っている。反省会と称した研究会があって、奨励会員や棋士と対局しながら腕を磨いている」と近況を伝えた。プロになってからの成績は3勝6敗。来場者から「逆境をどう乗り越えるか」などと質問されると、「スタイルは変えない。自分の読みを信じる」と芯の強さをのぞかせた。
 
ファンに思いを伝える小山四段「嫌になることはあっても、やめたいと思ったことはない。将棋だけは」

ファンに思いを伝える小山四段「嫌になることはあっても、やめたいと思ったことはない。将棋だけは」

 
 トークの後はサイン会。「信念」と力強く記した本を小山四段から受け取った井戸大靖さん(関西大法学部4年)が見せたのは満面の笑み。自身も将棋を楽しんでいて、奨励会未経験、岩手初という偉業に「すごい」と尊敬のまなざしを向ける。「働きながら学び続けるのも大変なのに、仕事を辞めて挑む。情熱ですよね。そういうものを自分も見つけられたら」と感化された。
 
市民やファンが列を作ったサイン会。「信念」と言葉を残す

市民やファンが列を作ったサイン会。「信念」と言葉を残す

 
小山四段(右)の気さくな人柄に触れてみんな笑顔に

小山四段(右)の気さくな人柄に触れてみんな笑顔に

 
 自伝は、▽将棋との出会い~奨励会に挑戦▽高校入学~東日本大震災▽大学入学~二度目の奨励会挑戦▽サラリーマン生活~プロ編入試験の受験資格獲得▽プロへの挑戦-の5章構成。奨励会に入ることはできず、災禍に見舞われたとしても、「棋士になる」という夢を大事に育て、運を味方にしたら諦めず突き進んでつかみ取る、そんな半生をしたためている。
 
 「二度にわたって夢破れ、その末にかなった夢」。プロ棋士となった今、「二つの新たな夢ができた」と著書で明かす。そのほか、土橋さん、プロ編入試験直前に対局した遠山雄亮六段、師匠の北島忠雄七段のインタビューや、棋士編入試験5番勝負全局の棋譜も収録する。
  
信じた道を歩み続ける小山四段の著書「夢破れ、夢破れ、夢叶う」

信じた道を歩み続ける小山四段の著書「夢破れ、夢破れ、夢叶う」

 
小山四段の活躍と書籍の売れ行きを期待する編集者ら

小山四段の活躍と書籍の売れ行きを期待する編集者ら

  
 時事通信社刊。四六判152ページ、税抜き1500円。小山四段のドラマチックな歩みはさまざまな報道で知る人も多く、市民、県民に喜びや感動、勇気を与えた。この書籍はその道のり、経験、思いを「当事者の目線」で記しているのが注目点。イベントには編集を担当した時事通信出版局の永田一周さん(編集委員)も参加し、「縁があり出版にこぎつけた。小山さんには活躍してもらい、皆さんは本を買って応援をお願いします」と売り込んでいた。

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サバイバルマスター 1DAYチャレンジ!フード編

サバイバルマスター®️1DAYチャレンジ!フード編
 

12月24日(日) フード編
 
/// 人の手助けができるサバイバルマスター®️に ///
 
全国の子どもたちにお願いです。
災害時は、大人たちだけでは対応できないことが次々に起こります。
そんな時のために一緒に学び続けよう。

8つのサバイバルプログラム

講習を受けると修了証、実技・筆記試験に合格するとワッペンがもらえます。
スキルが身についているか?学んだことを理解しているか?が合格の基準。
8つのプログラムすべてのワッペンがそろうと「サバイバルマスター®️」として認定されます。
 
サバイバルマスター®️1DAYチャレンジ!フード編チラシ(PDF/14.9MB)

スケジュール

10:00 受付開始
 
10:30 講習開始
このスキルを身に着けたら、どういった場面で役にたつか、学びながら練習しよう!
 
12:00 昼食
非常食を食べてみよう!
 
13:30 筆記試験
知識がしっかり身についているかテスト!
 
13:50 ふりかえり
 
14:00 解散

インストラクター

伊藤 聡
さんつな 代表
釜石高等学校 探求学習講師「防災ゼミ」
72時間サバイバル教育協会 認定ディレクター
 
釜石生まれ釜石育ち。
東日本大震災で自身も被災したものの、生まれ育ったまちを取り戻すため、ボランティアコーディネートを中心とした活動からスタート。
 
自然と災害という二つの要素を織り交ぜながら、子どもたちの生きる力を高めるために、様々な体験機会のコーディネートを行っています。
 
<<主な資格>>
防災士、防災検定2級、JVCAボランティアコーディネーション力検定2級、MFAメディック・ファーストエイド チャイルドケアプラス

お申し込み

予約フォームよりお申し込みお願いします!
https://reserva.be/santsuna
 
日程:2023年12月24日(日)
定員:15名(先着順)
※最小催行:3名
料金(税込):各回3,000円/一人あたり
※プログラム費、検定費、保険代など含みます
※助成金により、通常の参加費(5、500円)より割安になっています
対象:小学3年生以上
※子ども向けの内容ですが大人も参加大歓迎です
集合時間:10時受付開始
会場:根浜レストハウス キャンプ場
(釜石市鵜住居町第21地割23番地1外)
持ち物・注意事項:
●参加費は当日受付でお支払いお願いします(現金、PayPay、かまいしエール券)
●保護者や、対象年齢以外のご家族の付き添い(見学のみ)可能です

主催・お問い合わせ

さんつな(三陸ひとつなぎ自然学校)
LINE https://lin.ee/RvMUVBk
TEL 0193-55-4630 / 090-1065-9976
mail hitotsunagi.main@gmail.com

主催

さんつな

協力

72時間サバイバル教育協会
Tri4JAPAN

さんつな

さんつな

自然と災害という二つの要素を織り交ぜながら、若者の生きる力を高めるための体験機会を提供しています。

問い合わせ:0193-55-4630 〒026-0301 岩手県釜石市鵜住居町29-17-20
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