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大島高任 家族写真

大島高任が生まれた日

189年前の今日5月11日、近代製鉄の父大島高任は生まれました。

 

大島高任は文政9(1826)年5月11日盛岡藩の城下仁王小路(現在の大通三丁目桜城小学校隣)に父大島周意(かねおき)、母千代の長男として生まれました。幼名は文治、後に周禎、総左衛門、明治2年43歳のとき高任と改名しました。

 

大島高任 家族写真
写真は左から次女久、妻八十、高任、長男道太郎

 

大島家は周防大島の出身で初代総右衛門から高任の祖父7代目総平まで馬医、今でいう獣医師として南部藩に仕えました。父周意は奥医師(奥医師とは藩のお抱え医師)で名医だったといわれている。それとともに藩の薬品吟味御用、海防御備・硝石製法(火薬)の御用も受けた。高任は医師よりもそちらに興味があったようで、17歳から江戸にて箕作阮甫に学び、21歳から長崎にて藩命により医学を学ぼうとするが、それに背き西洋流兵法、砲術、採鉱、精錬を学ぶ。その後の事はあとで触れるが近代製鉄の父は一朝一夕でなしえたわけではなくそういう下地があったからだと私は思います。

 

その後高任は余所からは高く評価され水戸藩から300石という破格で召し抱えられようとして南部藩に打診したら南部藩はそんな放蕩者はくれてやるみたいなことを言われるものの、高任は代々藩に仕えた巨籍の恩義があるとして断ってしまう。そんな生真面目だから偉業をなせるのでしょうね。南部人の気質のような気もします。今日はそんな偉人の誕生日です。

金野義男

タウンレポーター 金野義男

金野義男(こんのよしお)と申します。平田在住です。釜石の好きな風景は新浜町から見た南桟橋を中心とした風景と釜石湾を背景にした釜石大観音の後姿です。得意なジャンルは歴史と自然です。
釜石さくら祭り

6年ぶりの開催、唐丹町の釜石さくら祭り

釜石さくら祭り

 

4月26日(日)に唐丹町で釜石さくら祭りが6年ぶりに開催されました。
祭りは天照御祖神社の式年大祭で3年に1度開催されていたが震災の影響で6年ぶりの開催となった。祭りのメインは大名行列でやっこ姿などの行列が続いた。

 

釜石さくら祭り

 

私はこの祭りを見るのは小学生以来でちゃんと見たのは初めて、パンフレットによると地域によって持ち物が決まっていて本郷地区の御徒組に始まり小白浜地区の道具組、山谷地区の鉄砲組などが連なり、後から各地の郷土芸能や手踊りが続く。御徒組のやっこ姿の振りは子供じゃなくても真似したくなる。また道具組の「いい女子がいたえぇ」などの掛け声は思わず笑ってしまう。なにか遠くの街の祭りを初めて見たかのような新鮮さがあって不思議な感じがしました。

 

釜石さくら祭り

 

とはいっても行列の周りは家並みがあったであろう屋敷の後でその背後では防波堤の建設工事の最中という状況です。微笑ましかったのは行列に小中生をはじめとする若者や支援で来ている方々が参加していることでした。また、この祭りを盛り上げようとする唐丹の方々の意気込みがみられる祭りでした。早くも3年後が楽しみです。

道の駅釜石仙人峠オープン

道の駅釜石仙人峠オープン

道の駅釜石仙人峠オープン

 

4月21日(火)、釜石市初の道の駅となる道の駅釜石仙人峠がオープンしました。5600平方メートルの敷地にトイレ棟と多目的棟があり、45台の駐車スペースがあります。愛称は「アユ躍る清流と甲子柿の里」と名付けられました。

 

午前9時からオープンセレモニーが行われ野田武則市長は「ここは西の玄関口であり、農業の振興や甲子地区の活性化の拠点としたい」と挨拶されました。その後、市長らのテープカットでオープンしました。

 

道の駅のテープカットをする野田市長

 

直売施設がある多目的棟は43坪と狭いものの、市内の特産品のほか野菜などの生鮮品のほか釜石市を紹介するコーナーもあり一角には釜石鉱山で採掘した鉱石の見本もありました。奥には釜石ラーメンやソフトクリームが売られている軽食コーナーがありそこからデッキに出て甲子川を眺めながら食べることができます。

 

そこでオープン前から噂の藤勇醤油ソフトクリームを食べてみました。ワッフルコーンに入った真っ白なソフトクリームにスプーンが刺さって350円です。一口目は濃厚でしょっぱさを感じましたが二口目からは甘さと醤油の香りが口いっぱいに広がりました。初夏のような日差しと甲子川沿いの五葉おろしの風の冷たさが気持ちいいデッキでした。

 

藤勇醸造 醤油ソフト

金野義男

タウンレポーター 金野義男

金野義男(こんのよしお)と申します。平田在住です。釜石の好きな風景は新浜町から見た南桟橋を中心とした風景と釜石湾を背景にした釜石大観音の後姿です。得意なジャンルは歴史と自然です。