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かまいしの第九

思いは一つ「第九」響き渡る、大平中生は校歌を高らかに

かまいしの第九

県内外から集った約150人の合唱愛好者らが「歓喜」の声を上げ、師走の釜石を彩る=6日、釜石高

 

 師走の釜石に今年もベートーベンの「第九」が響き渡った。6日に釜石高校体育館で行われた「かまいしの第九」演奏会(同実行委員会主催、釜石市、市教委共催)。東日本大震災で釜石市民文化会館が被災した後も会場を移して途切れず続き、今年で38回目。県以外から集まった合唱愛好者や釜石高の生徒など約150人が震災からの復興を願い、高らかに声を上げた。「オーケストラと歌おう」のコーナーには大平中(高橋亨校長)の全校生徒124人が出演。最後に客席を埋めた約400人の市民と共に「歓喜の歌」の声を上げ、復興への思いを一つにした。

 

 演奏会は大平中生の歌声で幕開け。同校の校歌のほか、復興支援ソング「花は咲く」をさわやかに響かせた。客席には父母らも詰め掛け、晴れの舞台に大きな拍手を送った。

 

心一つに「校歌」などを歌い上げた大平中の全校生徒

心一つに「校歌」などを歌い上げた大平中の全校生徒

 

 そして、「第九」。約50人編成のオーケストラが第2楽章までを奏でた後、第3楽章から4人のソリストが入場。第4楽章の途中から合唱団が立ち上がり、「歓喜の歌」でクライマックス。150人が一つになり、壮大なハーモニーを響かせた。

 

 大手ゼネコンの熊谷組から派遣され、2年前から嬉石・松原地区のかさ上げ工事など復興事業の現場代理人を務める相見秀毅さん(50)は「みんなの気持ちを一つにする音楽の力に感動した。今後の仕事にも励みになる」と感激に浸った。

 

 鳥取県出身で、釜石に来るまでは音楽とは全く無縁の生活。第九メンバー募集の新聞記事を目にし、「まちの歴史や市民の思いを少しでも知りたい」と昨年から活動に飛び込んだ。しかも、2年目の今年はバスからテノールに転向。見事に歌い切り、「怖いもの知らずです」と大きな体で笑い飛ばした。現場の仲間も舞台づくりなど裏方として全面的に協力した。

 

 相見さんは「(釜石での復興事業は)最低でもあと4年はかかりそう。仕事に区切りが付くまで、まだまだ釜石のみなさんと感動の日々を重ねたい」と意を新たにした。

 

 初めてオーケストラに合わせて歌った大平中2年の堀切友裕君(次期生徒会長)は「最初は合わせるのが大変でしたが、自分たちの思いは届けることができた」と胸を張る。高橋校長は「生徒たちの一生の思い出になる」と感謝した。

 

 6年前の長男に続き二男の今井宙翔君(2年)がステージに立った平田の今井沙織さん(38)は「ちょうど私が生まれた38年も前から続く第九は、その歴史がすごいと思う。その演奏会を2人の息子が体験できて、とてもうれしい」と拍手を送った。

 

(復興釜石新聞 2015年12月9日発行 第443号より)

 

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テープカットし吉浜道路の開通を祝った式

三陸道「吉浜道路」開通 復興加速に期待、釜石ー大船渡 距離縮む

テープカットし吉浜道路の開通を祝った式

テープカットし吉浜道路の開通を祝った式典。地元住民や三陸道沿線市町の関係者が喜びに包まれた

 

 東日本大震災の「復興道路」として国が整備を進める三陸沿岸道路の一部、大船渡市三陸町越喜来から吉浜を結ぶ「吉浜道路」(3・6キロ)が11月29日に開通した。これまで利用されてきた急カーブ、急勾配が続く国道45号に比べ約6分の走行時間短縮が見込まれ、安全な通行とともに医療、物流、観光など復興を後押しする多方面での整備効果が期待される。開通式典に出席した釜石市の野田武則市長は「釜石と大船渡の連携が一層強まり、次の吉浜釜石道路につながる非常に大きな一歩。道路整備は地域経済の活性化、特にも震災で大きなダメージを受けた三陸にとっては欠かすことができないもの。引き続きの加速をお願いしたい」と期待を込める。

 

 午後3時の一般車両通行開始を前に、午前10時から吉浜地区で開通式典が行われた。石井啓一国土交通大臣が「吉浜道路は安全、安心な命の道として沿岸地域の再生と振興に大きく寄与するものと期待される。復興まちづくりの希望の光になるよう、一日も早い全線の完成に向け最大限の努力をしていく」とあいさつ。達増拓也県知事、戸田公明大船渡市長が完成までの経過を紹介し、整備による地域への波及効果に大きな期待感を示した。テープカットや地元地権者の親子三代渡り初め、車両パレードが行われ、出席者約300人が念願の開通を盛大に祝った。

 

 同道路は片側1車線の自動車専用道路。越喜来高架橋(584メートル)、吉浜トンネル(1644メートル)、吉浜高架橋(373メートル)と3つの構造物が区間内の約7割を占める。越喜来側はすでに供用されている「大船渡三陸道路」に、吉浜側は2018年度完成予定の「吉浜釜石道路」につながる。三陸、吉浜両インターチェンジ(IC)で国道45号と結節する。今回の開通で大船渡市内すべてのICが完成し、本県南部は陸前高田市竹駒町から大船渡市三陸町までの28・7キロ区間が通行可能となった。

 

 吉浜道路と並行する45号区間は交通の難所とされる羅生峠があり、正面衝突などの事故も多い。今回の開通で、峠越えの回避による重大事故の削減、迅速で安定した救急搬送、海産物輸送の鮮度保持―など生活や産業の質向上に期待が高まる。

 

 県沿岸南部の高度救命救急、周産期医療を担う県立大船渡病院の伊藤達朗院長は「救急、ハイリスク分娩患者の搬送時間の短縮で早期治療、救命率向上が期待でき、患者負担も軽減される。高規格道路は医療資源の少ない沿岸部にとって貴重なインフラ」と歓迎。釜石ロード女性の会の岩切久仁会長は「うれしいですね。(大船渡)病院も近くなるし、これが早く釜石までつながればと切に願う。道路は人の往来を生む。都会からも(地方に)どんどん訪れるようになるのでは」と明るい未来を描いた。

 

(復興釜石新聞 2015年12月2日発行 第441号より)

 

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翳った太陽を歌う会

再び歌える日を願い 震災で中断も、本格練習を開始〜戦争体験に耳傾ける 「翳った太陽」を歌う会

翳った太陽を歌う会

戦争体験者の話を聞き、語り継ぐとの思いを新たに歌声を響かせる翳った太陽を歌う会の会員ら

 

 釜石市の合唱グループ「翳(かげ)った太陽を歌う会」(菊地直美会長、会員17人)は26日、「戦争体験者の話を聞く会」を小川町の働く婦人の家で開き、米英軍による2度の釜石艦砲射撃(1945年)を経験した甲子町の佐々木郁子さん(86)が語る戦争の悲惨さに耳を傾けた。

 

 佐々木さんは、鈴子町にあった釜石製鉄所病院に看護師として勤務していた16歳の時に艦砲射撃を経験。爆撃の始まりから患者を防空壕(ごう)へ避難させる様子、2時間に及ぶ爆撃のあとの変わり果てた街や負傷者が次々運ばれる病院の様子などを生々しく語った。

 

 「苦しい、助けて」。夜間の巡回時、病院に響く患者のうめき声が耳に残り、「ゆっくり治療すると約束したのに、命をなくした人も多く、悔しさ、悲しさでいっぱいだった」と声を詰まらせた。終戦を告げる玉音放送は「無条件降伏で絶望、不安がある一方、解放される喜びや希望も湧いてきた」と、猛勉強し資格を取得した助産師としての活躍についても語った。

 

 佐々木さんは「想像できますか。今は本当に平和。天災は自然なので防げないが、戦争は人災で起こること。体験者でなくても悲惨さを繰り返さないため、戦争は絶対しない、平和国家を守ってほしい」と願った。

 

 同グループは2005年に活動を始め、今年で11年目。市戦没者追悼式での献歌、小学校でのコンサートなどを行ってきた。その中で歌い継いできた合唱組曲「翳った太陽」は、市内の戦争体験者2人の短歌や絵手紙を元に創作されたもの。会員のほとんどが戦争を体験していない世代で、曲への理解を深めようと同様の会をこれまで4回行い、体験者の心に触れながら戦争について学んできた。

 

 震災で活動場所の同家が避難所になるなど活動が中断。戦争の愚かさ、平和の尊さを訴えるこの組曲も、戦災の生々しい惨状が震災直後の情景と重なり、歌えなくなった。「震災の悲しい記憶を呼び起こすようで」と、同グループ講師で作曲者の最知節子さん(72)は振り返る。

 

 計6曲の組曲は全17分。戦後70年を迎えた今年、追悼式で短い前奏曲だけ披露した。市民ホールが完成した際、全曲披露できるよう、10月から本格的な練習を開始。これに合わせ、話を聞く会も再開することにした。

 

 震災当時会長を務め、今は大渡町のみなし仮設住宅で暮らす種市誓子さん(68)は「戦争は普通の当たり前の生活を奪う。混乱期の中を気丈に生き抜いた佐々木さんの姿を見聞きし、若い人に伝えていかなければとの思い、平和への願いが強まった」と感動。最知さんは「全曲歌える日が来るよう、一歩ずつ歩みを進めていきたい」と意欲を見せた。

 

 同グループでは会員を募集している。申し込みは婦人の家(電話23・2017)へ。

 

(復興釜石新聞 2015年11月28日発行 第440号より)

 

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広報かまいし2015年12月1日号(No.1629)

広報かまいし2015年12月1日号(No.1629)

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【目次】
表紙:「釜石情報交流センター」オープン
P02:復興情報 被災地区のまちづくり-vol.6
P05:跡地利用ワークショップを開催します、道路の除雪作業にご理解・ご協力を、釜石市スマートコミュニティフェア2015、平成28年釜石市新年交賀会
P06:今月のインフォメーション、おもいをつむぐはなみずき
P08:身近な防災豆知識19、釜石地区被災者相談支援センターをご利用ください、市長のつぶや記

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夢プラン実現へ食の文化祭〜栗林の魅力 料理で発信 芸能発表、バザーもにぎやかに

仮設住宅を含む地域住民手作りの料理の振る舞いは今年も大人気

仮設住宅を含む地域住民手作りの料理の振る舞いは今年も大人気

 

 住民交流と地域の魅力発信を目指す「栗林・食の文化祭」は15日、栗林小体育館で開かれた。釜石市栗林町全域の町内会が連合組織する栗林共栄会(遠野健一会長、約250世帯)、市社会福祉協議会(丸木久忠会長)が主催し、昨年に続き2回目の開催。住民手作りの料理の振る舞いや餅まきに、新たに趣味の作品展示、芸能発表、バザーが加わり、町内外の約300人が心温まるひとときに笑顔を輝かせた。

 

仮設住民も心温まるひととき

 

 開会にあたり実行委員長の遠野会長は、震災後に仮設住宅や住宅の自立再建で同町に暮らす人たちが増えたことに触れ、「住んで良かった、住んでみたいと思われるような古里を後世に残したい。食を通して栗林の自然、歴史、文化を共有し、仲間を増やしてもらえれば」とあいさつした。

 

 健康体操や柳亭左龍さんの落語で身も心もリラックス。地元芸能の丹内神楽、地域住民の歌と踊りで会場が盛り上がる中、お待ちかねの昼食時間を迎えた。豚汁やおにぎりが振る舞われたほか、料理自慢の住民が出品した総菜やおこわ、和・洋菓子など34点の試食があった。地元産の野菜、果物、穀物などを使ったアイデアあふれるメニューが並び、来場者は食欲をそそられながら皿に取り分けた。

 

市指定無形文化財(第1号)に登録されている「丹内神楽」

市指定無形文化財(第1号)に登録されている「丹内神楽」

 

 沢田地区の川崎公夫さん(66)は、アユの腹にウニを詰めたオリジナルの甘露煮、厚焼き卵、スイートポテトを出品。調味料にも工夫を凝らした自信作で、「料理が好きでよくやる。甘露煮は昨年、すぐに無くなったので今年は1皿追加。みんなに喜んでもらえればと卵焼きなどを足した」と振る舞いの機会を楽しんだ。

 

 震災の津波被害を免れた同町には6カ所の仮設住宅が建設され、ピーク時には約200世帯が入居。現在は165世帯が暮らす。被災し同町に自宅を再建しているのは約30世帯。環境の変化に伴うコミュニティー再生などの課題解決につなげようと、地域資源や人と人との絆を生かした「食の文化祭」が企画された。

 

 大槌町で被災し砂子畑地区に自宅を再建した岩間淳さん(62)は「こういう場で住民と交わることで、顔と名前が一致する。妻と娘も昨年から菓子などを出品し楽しませてもらっている」と話し、行事への誘いなど日ごろから声をかけてくれる近隣住民らに感謝。箱崎町で被災し沢田地区に再建した自宅に家族8人で暮らす小林京子さん(62)は「栗林に来てもうすぐ3年。皆さんの料理の腕前に感心した。すごくおいしくて。箱崎で一緒だった人とも久しぶりに会えた」と声を弾ませた。

 

 栗林共栄会は、仮設住宅を含む小学生以上の全住民を対象としたアンケート結果を基に昨年、まちの将来像を描く「くりばやし夢プラン」を策定。スローガン「笑顔と元気と結の里」を実現するため、自然、ふれあい、伝統文化、福祉をキーワードにまちづくりの指針を掲げた。同文化祭にもその理念が込められている。

 

(復興釜石新聞 2015年11月18日発行 第437号より)

 

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釜石の実像と釜石市オープンシティ戦略(初版)の公表について

釜石の実像と釜石市オープンシティ戦略(初版)の公表について

市では、国の地方創生の動きを踏まえ、長年の課題である人口減少・少子高齢化に対応し、将来のまちの進路を示す羅針盤となる、釜石の実像(釜石市人口ビジョン)と釜石市オープンシティ戦略(釜石市総合戦略)の初版を10月30日に策定しましたので公表します。

 

今回公表した初版については、今後、より多くの市民や団体の参加を得た議論を踏まえて、戦略に位置づけた施策や取組の具体化を行い、2016年3月に最終版(改定版)を策定することとしています。

 

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釜石の実像(釜石市人口ビジョン)初版

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釜石市オープンシティ戦略(釜石市総合戦略)初版

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釜石の実像と釜石市オープンシティ戦略の構成と位置づけ

 
釜石の実像とオープンシティ戦略は、現在を共有し、未来への選択を実現していくための羅針盤であり、選択と集中の裏付けとなる事実・価値観を示すものです。

 

釜石の実像は、人口動態に関する現状とまちの将来の展望を示すものであり、オープンシティ戦略は、復興まちづくり基本計画を踏まえ、当市の少子高齢化・人口減少問題に対する最上位計画であり、「移住・交流」「仕事・産業」「出会い・結婚・出産・子育て」「市民協働・男女共同参画」「教育」「広域連携」「地域包括ケア・高齢化社会」等を主な範囲とし、テーマ横断的な基本思想と5つの戦略コンセプト、施策・KPI(重要業績評価指標)を定めています。
※KPI:Key Performance Indicatorの略であり、施策ごとの達成すべき成果目標。

 

釜石の実像の概要

 
当市の人口は、現状のまま手立てを打たなければ、2040年に21,503人になると予測(国立社会保障・人口問題研究所推計)されていますが、釜石の実像から抽出された4つの問題に対して、適切な課題設定を行い、オープンシティ戦略において実行可能な施策を最大限講じることで、人口減少のスピードを緩やかにしていくことが可能だと考えています。

 

市では、合計特殊出生率を現状の1.81から2030年までに人口置換水準の2.1まで上昇させ、自然動態の改善を図り、震災後に抑制された社会減の動態を維持することで、将来展望として、2040年に27,000人程度の人口を維持することを目標とします。

 

釜石市オープンシティ戦略の概要

 

「オープンシティ釜石 ~市民一人ひとりが役割を持つ、もっとも開かれたまち~」

 

オープンシティ戦略では、基本思想として「オープンシティ釜石」を掲げ、歴史が育んだ文化的土壌と社会関係資本を最大限生かしながら、良質な地域内外の交流を通じて、多様な人材が還流し、地域の課題と可能性が自分事化され、新たな事業機会や市民活動が生み出されることによって、希望が連鎖していく、そうしたサイクルが自立的に回っている状態を地域のありたい姿として掲げています。

 

「活動人口」と「つながり人口」を戦略の柱に据え、このまちに生きることを自ら選択し、小さな挑戦を生み育て、それぞれの役割を全うする市民一人ひとり(=活動人口)が生き生きと暮らすことのできるまちづくりを実現し、必ずしも将来的な定住に捉われることなく、釜石の暮らしや産業、まちづくりに多様な関わりを有するすべての人々(=つながり人口)が、相互に補完し合い、住民票上の人口以上に、地域に活力が生み出され、市民一人ひとりが役割と品格を持ち、地域の誇りとともに生き生きと暮らす姿を目指します。

 

図 オープンシティ戦略の基本思想(イメージ図)
オープンシティ戦略の基本思想(イメージ図)

 

図 活動人口及びつながり人口の具体例
活動人口及びつながり人口の具体例

 
図 地域の活力(イメージ)
地域の活力(イメージ)

 

本戦略では、①『人材を還流させる「まちの人事部」機能の構築』、②『多様なビジネスが生まれる土壌づくり』、③『自然な出会いの創出と社会で子どもを産み育てる環境整備』、④『自ら学び、選択する人材の育成と市民による「らしさ」の創出』、⑤『世代を超えて、お互い支え合える地域づくり』を5つの戦略コンセプトとして掲げ、戦略コンセプトに基づく施策を設定しています。

 

図 5つの戦略コンセプト
5つの戦略コンセプト

 

戦略コンセプトや個々の視察立案・実行にあたっては、1.市民創発型プロジェクトの推進、2.外部人材・企業との協働という視点に加え、2015年9月19日に公表した「岩手県沿岸市町村復興期成同盟会」による『共同声明』の趣旨を鑑み、三陸沿岸地域の社会経済環境の変化を十分に踏まえつつ、3.広域連携による課題解決を図っていくものとします。

 

図 戦略コンセプト・施策の立案・実行における3つの視点
戦略コンセプト・施策の立案・実行における3つの視点

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12月23日オープンする釜石情報交流センター

釜石情報交流センター 12月23日オープンへ〜施設利用 運営委で検討、予約受付は12月1日から

12月23日オープンする釜石情報交流センター

12月23日のオープンへ建設が進む釜石情報交流センター

 

 12月23日のオープンに向けて釜石市が中心市街地の大町に整備を進めている釜石情報交流センターの運営委員会が11日、設置された。青葉ビルで開かれた初会合では、センターの概要や施設利用、事業計画などについて市が説明。委員からは、施設利用の3カ月前とする予約開始日について、「もっと前から予約できないか」と見直しを求める意見などが出された。

 

 センターは、大型商業施設イオンタウン釜石を核に周辺に公共施設を配置し、にぎわい創出を目指す市の拠点整備事業「フロントプロジェクト1」の主要施設。隣接して整備する市民ホール(仮称)と連動し、市民活動の活性化を図る釜石の新しいランドマークに位置付ける。

 

 鉄骨造り2階建て、延べ床面積約1千平方メートル。ワークスペースや市民スタジオのほか、オランダ人絵本作家ディック・ブルーナさんによるキャラクターをモチーフとした国内唯一の「ミッフィーカフェ」を設置する。多目的集会室(約160人収容)は、市と復興支援活動の協定を結んだ一般社団法人との契約で「チームスマイル釜石PIT」と命名。映画や首都圏でのライブ上映などイベントが年間40回程度実施される計画だ。

 

 センターの基本整備構想は2013年に策定された。建設検討委員会、運営検討委員会を経て、オープンまで1カ月余りと迫ったことから運営委員会に切り替えた。委員には市民公募などで10人を委嘱。委員長には市芸術文化協会の岩切潤会長を選んだ。

 

運営委員会

施設利用などについて意見を交わした運営委員会

 

 市は、センターの愛称を検討していることも明らかにした。

 

 開館時間は午前9時から午後10時までで、毎月第3木曜日と年末年始は休館。一般の利用予約は12月1日から受け付ける。

 

 市は12月23日のオープンに合わせてセレモニーを行い、同24日と25日には一般の利用促進に向けて内覧会を開く。釜石PITは年明け1月9日にオープニングセレモニーを行い、同11日のゴスペラーズ公演など記念イベントを予定する。

 

(復興釜石新聞 2015年11月14日発行 第436号より)

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釜石市民らを励ました支部蘭蹊さん

ふるさと支援へ同期生結束、ひと・まち・こころ釜南44展〜郷土愛、展示作品に色濃く

「釜南44展」の展示会場

多彩な作品を鑑賞しながら交流を深めた「釜南44展」の展示会場

 

 同期生の郷土愛で釜石を元気に――。釜石南高の1969(昭和44)年卒業生でつくる「ふるさと復興支援グループ釜南44」は7、8の両日、作品展示と音楽によるイベント「ひと・まち・こころ釜南44展」を釜石市大町の青葉ビルで開いた。心の復興を後押ししようと仙台、八戸、東京など各地と岩手県内在住の同期生約25人が集い、趣味で取り組む絵画や写真、リメークした布作品などを展示した。煙突が並ぶ釜石製鉄所や橋上市場といった釜石を象徴する懐かしい風景写真もあり、来場者と出品者が当時に思いをはせながら交流した。

 

 中学、高校の6年間を釜石で過ごした仙台市在住の書家、支部蘭蹊さん(64)は釜南同期の音楽家山﨑眞行さん(釜石在住)のフルート演奏とコラボで書のパフォーマンスを披露。震災後、言葉の力を書に込め被災者を勇気づけてきた支部さんは、心に響く一節を味わいのある書体で書き上げた。

 

釜石市民らを励ました支部蘭蹊さん

人生の糧になる言葉を書に託し、釜石市民らを励ました支部蘭蹊さん(左)

 

 1クラス50人で、9クラスもあった高校時代。当時は話したこともなかった同期生とも釜南44の活動で心を通わせる仲になったという。支部さんは「60代以降は自由な時間を使い、また違った生き方ができる年代。われわれが培ってきた技術や感覚は復興まちづくりにも大きな力になるだろう」とさらなる貢献に意欲を見せた。

 

 盛岡市在住の多田康子さん(65)は、地元「湯沢さんさの会」の仲間と湯沢地区伝統のさんさ踊りでイベントのオープニングを飾った。多田さんは大槌町出身。震災直後は歯科衛生士として被災地支援に奔走した。「何かお役に立ちたいと、自分たちができる形を探り実現させた同期たちのエネルギーに頭が下がる。みんなで地元愛を持ち続け、まちの元気につなげていけたら」と願った。

 

 釜南44は、二十数年前から交流が続く仙台市在住の同期生を中心に2011年に結成。震災から8カ月後にウクライナの歌姫ナターシャ・グジーのコンサートを仙台で開き、収益の一部を釜石で行われる食のイベントに寄付した。3回目となった昨年2月のコンサートには釜石虎舞も出演している。

 

 釜石でのイベントは今回初めての試みで、グループの白田正行代表(65)=仙台市=は「外に出た人間は釜石を思う気持ちが強い。今後は釜北、釜工、釜商を含め全国に散らばる釜石の高校同期生のネットワークをつなぎ、より良い形にできれば。50歳を過ぎると昔に帰っていくというか、そういう(地元への)強い気持ちを釜石のために役立てるような仕組みを作っていきたい」と、新たな展開に期待した。

 

(復興釜石新聞 2015年11月11日発行 第435号より)

 

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広報かまいし2015年11月15日号(No.1628)

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【目次】
表紙:秋晴れに フライキはためかせ 祈りささげる
P02:野田市政 3期目がスタート
P03:ラグビー情報発信拠点「ラグビーカフェ・シープラザ釜石」プレオープン、大学等研究機関誘致促進懇話会を開催
P04:市営住宅の入居者を募集します、被災者に自宅などを提供した人の再調査を行います
P05:ごみ減量にご協力を~簡単にできるごみ減量~
P06:平成26年度決算のあらまし
P10:まちの話題
P12:保健案内板
P14:まちのお知らせ
P16:かまいし徒然日記

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釜石市民劇場 被災母子の「小さな幸せ」描く〜前を向いて生きる家族の絆

釜石市民劇場

大好きな父親との思い出に支えられ、強く生きる親子の姿を描いた第29回市民劇場公演

 

 第29回釜石市民劇場「小さな幸せの花~あなたを忘れない」(同実行委主催)は8日、釜石市鈴子町のシープラザ遊で上演され、約200人が観劇した。東日本大震災による休演を経て復活3年目の今年は、震災で父親を亡くした母子の物語。4年の歳月を経た日常に、大切な思い出を胸に前を向いて生きる家族の絆が描かれた。深い悲しみを経験した人たちに希望をつなぐ内容が共感を呼んだ。

 

 全8景の舞台。震災で父親が行方不明になり、残された母親と3人の子どもは、近所の友人や父の職場の同僚らに見守られ暮らしていた。ある日、長女が帰宅せず大騒ぎに。無人駅でうとうとする長女は夢に現れた父から亡くなった生母の存在を聞くとともに、今の母、自分、2人の妹に向けられる深い愛情を知る。「母の日」、家族は母の大好きな花の花言葉「小さな幸せ」をかみしめる。

 

 家族愛が表現された夢の中のシーンは、セリフの一部を歌にしてミュージカル風に演出。原作・脚本は実行委の久保秀俊事務局長が手がけた。キャストは子どもから大人まで14人。約50人のスタッフ、実行委員が支えた。

 

 公演後、母親役(主人公)の小笠原景子さん(31)は、小学生の時に父を亡くした自身の経験と重ね、「(故人を)思い出すことで、姿は無くとも存在し続ける。悲しみは幸せの肥やしとなり、耕された後には必ず”小さな幸せの花”が咲くと思う」と劇に込めた気持ちを観客に伝えた。

 

 同劇場公演は震災前、市民文化会館の自主文化事業として行い、郷土の先人をテーマに釜石ならではの市民手づくり舞台を毎年継続してきた。同会館が被災し2年の休演を余儀なくされたが、関係者の熱意で復活。苦労を重ねながらも創意工夫によるテント公演を実現させている。

 

 一関藤沢市民劇場に携わる男性(59)は「十分ではない環境の中で、今までの歴史を守っていこうという皆さんの心意気を感じる。劇を見ながら、死はつらいが生きている人間も何とか頑張っていかなくてはと思った」と語った。

 

 転勤で釜石に戻り、10年ぶりの出演となった阿部健一さん(47)は「何か協力できればとの思いもあって参加。仕事後の稽古など体力的にきつい面もあるが、市民劇場の仲間はやっぱりいい」と笑顔。初参加の鬼頭佑介君(釜石中1年)は「一からなので難しかったが、うまくできてほっとしている。また役者で出てみたい」と充実感を見せた。

 

 演出を担当して3年目となる坂脇和恵さん(44)は「みんなの力が集まれば、何もないテントでも公演ができる。人の力って本当にすごい。(2年後に完成予定の)市民ホールでのこけら落とし公演も決まっているので、キャストには本物の舞台で演じてほしい」と期待した。

 

(復興釜石新聞 2015年11月11日発行 第435号より)

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昨日は、第29回釜石市民劇場【小さな幸せの花~あなたを忘れない~】へご来場いただきまして、本当にありがとうございました!天候が悪いにもかかわらず、たくさんの方に観劇いただき、感謝の気持ちでいっぱいです。第29回釜石市民劇場公演は終了しましたが、ほんの数ヶ月後には、次回公演に向けて始動いたします。今後とも、釜石市民劇場をよろしくお願いしますm(__)m

Posted by 釜石市民劇場 on 2015年11月9日

 

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根浜海岸を望む場所に建立された島倉千代子さんの「おかえりなさい」の歌碑

島倉千代子さんの歌碑、根浜に〜震災犠牲者へ「おかえりなさい」の思い込め、除幕式は来年3月に

根浜海岸を望む場所に建立された島倉千代子さんの「おかえりなさい」の歌碑

根浜海岸を望む場所に建立された島倉千代子さんの「おかえりなさい」の歌碑

 

 昭和を代表する歌手の島倉千代子さんの歌碑が、釜石市鵜住居町根浜の旅館宝来館の裏山にある避難路入り口付近に建立された。「東日本大震災の被災地が落ち着いたら、『おかえりなさい』を歌いに行きたい」と話していたという島倉さんは2013年に他界。果たせなかった思いを形にしようと、関西地区のファンらでつくる島倉千代子後援会(事務局・大阪市吹田市、吉田恵美子代表、会員約150人)が中心となり建立した。震災で犠牲になった人に「お帰りなさい」、いまだ行方が分からない人に「帰っておいで」―と、さまざまな思いが込められた歌碑の除幕式は来年3月30日、島倉さんの誕生日に行うことにしている。

 

 歌碑は白御影石製で高さ90センチ、幅約1・4メートル。2007年5月にシングル曲として発売した「おかえりなさい」の歌詞が刻まれた。背面にはそのジャケット写真を配し、優しいまなざしで見守る島倉さんを感じられるようになっている。

 

 「東京だョおっ母さん」「人生いろいろ」などのヒット曲で知られ、戦後の歌謡界に大きな足跡を残した島倉さんは13年11月8日、75歳で生涯を閉じた。生前の島倉さんの思いをつなげようと、吉田代表(65)ら4人が発起人となり歌碑建立に向けて後援会を結成。会員に寄付を募ったところ、約200万円の善意が寄せられ、建立にこぎつけた。

 

 「おかえりなさい」は定年で職場から離れていく団塊の世代へ向けた応援歌で、節目を迎えた人の心を優しく温めてくれる曲だという。この曲を被災地に届けたいと話していた島倉さんの思いを形にできる場所は―と考えていた吉田代表の脳裏に浮かんだのが、鵜住居町出身の小松廣子さん(61)、義次さん(65)夫妻だった。

 

 吉田代表は1988年に義次さんの転勤で吹田市へ移った廣子さんと知り合い、家を行き来するように。廣子さんが手作りしたアップルパイを島倉さんに届けたこともあったといい、島倉さんは廣子さんのことを「アップルパイさん」と呼び、会いたいと言っていたことを思い出した。

 

 小松さん夫妻は退職後に住もうと03年に鵜住居町新田地区の廣子さんの実家近くに家を建てていたが、震災の津波で流失。実家も流され、両親も犠牲になった。父親の岩崎正志さん(当時85歳)はすぐに見つかったが、母親のテルさん(同84歳)は行方不明のまま。退職を控えていた2年前、鵜住居町での再建を断念し、花巻市に移った。

 

 当初、小松さん夫妻の自宅があった場所に建てる計画だったが、「復興がいつになるか分からない。何もない場所よりは」と、廣子さんと親交がある宝来館の女将に歌碑の設置を打診。女将が快諾し、設置が決まった。

 

 歌碑の設置作業は10月27日から29日まで実施。東京都品川区にある島倉さんの墓を手掛けた稗田石材店(同大田区本店)が製作から請け負った。

 

 29日、設置を終えた歌碑の前には吉田代表、神戸市の佐野慶子さん(67)、奈良市の西幸子さん(66)、義次さんの笑顔があった。「ここが温かく『お帰りなさいね』と迎える場所。『ただいま』と帰る場所。歌詞がぴったりな場所」(吉田代表)、「千代子さん、きっと喜んでいる。みんなの協力でできたこと。ただ感謝。海が見え、自然が豊かで最高の立地条件。最高の幸せ」(西さん)。佐野さんは「寂しさもあるけど、ここで千代子さんに会える。千代子さんにもらった思いや友達を大事にしますね」と歌碑を見つめていた。

 

完成した歌碑の前で笑顔を見せる佐野さん、吉田代表、小松義次さん、西さん(左から)

完成した歌碑の前で笑顔を見せる佐野さん、吉田代表、小松義次さん、西さん(左から)

 

 義次さんは「関西の人が東北を訪れることは少ない。被災地以外の人がこの歌碑を含め被災地を見ることに意義がある。思いを寄せ、足を運んでもらう機会が増えれば」と願った。

 

 歌碑は現在ブルーシートで覆われており、来年3月に正式に除幕。除幕式は30日午前11時からの予定で、関西地区のほか九州や東京からもファンら約35人が駆け付けるという。

 

(復興釜石新聞 2015年11月7日発行 第434号より)

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古民家再生 魅力的な空間に生まれ変わった古民家に関係者の笑顔が輝く

古民家再生第1弾オープン祝う〜橋野町の曲がり屋 活用に夢膨らむ、市内外をつなぐ UIターン推進へ

古民家再生 魅力的な空間に生まれ変わった古民家に関係者の笑顔が輝く

魅力的な空間に生まれ変わった古民家に関係者の笑顔が輝く

 

 釜石市の一般社団法人HUB三陸(中村博充代表理事)が取り組む橋野町の古民家再生プロジェクトの建物改修第1弾が終了し、10月31日に現地でオープニングパーティーが開かれた。作業に携わってきたボランティアや関係者約50人が参加し、生まれ変わった築90年の曲がり家で今後の活用に夢を膨らませた。

 

 同プロジェクトは、地域資源である古民家に地域づくりの学びの場、団体や企業、大学の研修拠点としての機能を見いだし、釜石への関心の掘り起こしや交流促進につなげようと5月にスタートした。十数年空き家になっていた古民家を借り、ワークショップ方式でボランティアによる改修に着手。プロの指導を受けながら床板張り、壁塗り、ロケットストーブ製作などを行ってきた。国内外から集まったボランティアは延べ450人にのぼる。

 

改修が進められてきた橋野町中村の築90年の古民家

改修が進められてきた橋野町中村の築90年の古民家

 

 今回は2階建て母屋の1階を改修した。玄関に接する茶の間は吹き抜けに改築し、古民家ならではの立派な梁(はり)を際立たせ、まきをくべるロケットストーブを設置。他に広間と奥、表座敷の3部屋があり、戸を外すと大広間にもなる。水回り、照明などは企業が協賛した。設計、施工監理を行った東京都の1級建築士、高池葉子さん(33)は「多くの人が思い入れを持って関わってくださった。本当に感慨深い。まずは地域の方からどんどん使っていただき、外からも人を呼び込む場になれば」と願った。

 

 同プロジェクトには市の「定住促進かまいし魅力体験事業補助金」が交付されている。同事業は釜石での中・長期型滞在プログラムで地域の魅力を感じてもらい、継続的な関わりやU・Iターン推進につなげようというもの。市まち・ひと・しごと創生室の石井重成室長は「『移住未満、観光以上』という人たちをどれだけ増やせるか。その層の厚みが地域活力に大きな影響を与えてくると思う」とプログラムに期待を寄せる。

 

 改修した古民家はHUB三陸が管理し、一般社団法人三陸ひとつなぎ自然学校(伊藤聡代表理事)、パソナ東北創生(戸塚絵梨子社長)などと共に企画する体験・研修プログラムの活動拠点とする。2階も今後、改修が進められる予定。

 

 母屋に併設される馬屋は、一般社団法人三陸駒舎(寄田勝彦代表理事)がクラウドファンディングを活用し改修予定。馬を飼育しながら、ホースセラピーや馬との暮らし宿泊体験などを予定する。三陸駒舎、HUB三陸の両理事を務める黍原豊さん(38)は「馬との触れ合いには心豊かに過ごしたり、今の社会が抱える課題を解決するヒントがある。地域の人たちと一緒に発信していければ」と意欲を見せる。

 

 プロジェクト担当のHUB三陸理事斎藤学さん(35)は「内外の人をつなぎ、釜石に来るきっかけを作ろうとしたのがHUB三陸。古民家再生はまさにそれを体現してくれた。また釜石に来たい、外からも応援したいという人が出てきている」と、早くも事業の手応えを感じている。

 

(復興釜石新聞 2015年11月7日発行 第434号より)

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