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釜石市内でも目撃多数 クマに注意 被害に遭わないための対策を! 環境整備も重要

釜石市内で目撃されているツキノワグマ¬(資料写真:三浦勉さん撮影、以下同)

釜石市内で目撃されているツキノワグマ¬(資料写真:三浦勉さん撮影、以下同)

 
 釜石市内では連日、ツキノワグマの目撃情報が相次いでいる。市に寄せられた4月、5月の目撃件数は前年同期を上回り、住宅地近くに長時間とどまる事例も。市内の目撃のピークは例年6月で、引き続き注意が必要だ。人身、物的被害に遭わないよう、自宅周辺の環境整備、入山時の装備など意識的な対策が求められる。
 
 市水産農林課によると、今年に入り同市に寄せられたクマの目撃件数は3月2件(前年同月0件)、4月29件(同6件)。5月は28日現在53件で、前年同月1カ月間の26件をすでに上回っている。4月24日には小佐野町の民家敷地から小佐野保育園園庭に侵入する1頭が確認されたほか、26日には中妻町の商業施設裏に迷い込んだ1頭が麻酔で捕獲される事例があった。5月21日には小佐野橋付近で木に登る1頭が確認され、わなを設置したものの捕獲には至らなかった。今のところ、人身被害はない。
 
 「同じ個体が何回も目撃されているケースもあり、一概に(増えていると)は言えないが、目撃が多くなる時期としては今年は早い印象」と同課。今の時期は山に餌となる木の実などがなく、クマは餌を求めて活発に動き回るが、これまでの情報では民家周辺で何かを食い荒らされた様子はないという。ただ、これからの時期は子グマが親離れし、新たな生活場所を求めて行動範囲を広げるため、人里への出没が増える可能性もある。
 
今年4月21日に橋野町青ノ木で見られたクルミの木に登るクマ

今年4月21日に橋野町青ノ木で見られたクルミの木に登るクマ

 
クマは川沿いの移動が多い傾向に。これからの時期は親離れした子グマの移動が活発になるので要注意 

クマは川沿いの移動が多い傾向に。これからの時期は親離れした子グマの移動が活発になるので要注意

 
 2024年度、同市に寄せられたクマ目撃情報は164件。人身被害はなかったが、空き家被害が1件確認された。昨秋は山のドングリやクルミ、クリなどの堅果類が豊作だったことで、凶作だった23年度に比べると9~11月の目撃情報は少なく、冬眠前に見られるカキの食害もほぼなかったという。
 
 鳥獣被害対策の3原則は①環境整備(寄せ付けない環境づくり)、②防除(農地などを柵や網で囲って侵入防止)、③駆除(個体を捕獲)。第一段階として、やぶや空き家の放置をなくし、家の周りに(クマが隠れられるような)陰となる場所をつくらない、クマの誘引物(生ごみ、ペットフード、果実、米ぬか…など)を侵入される恐れのある場所に置かない―などの対策が重要だ。
 
背丈の高い草木は刈り取り、見通しを確保。農地などには侵入を防ぐ柵・網を設置する対策を

背丈の高い草木は刈り取り、見通しを確保。農地などには侵入を防ぐ柵・網を設置する対策を

 
山に餌がないと人里に下りてくる頻度も高まる。十分な警戒を!

山に餌がないと人里に下りてくる頻度も高まる。十分な警戒を!

 
 この他、キャンプや登山、山菜・キノコ採りなどで山に入る際には①クマ鈴、笛、ラジオなど音の出るもの、クマ撃退スプレーを携帯する、②複数人で行動する、③クマの目撃情報や痕跡(ふん、爪痕)のある場所は避ける―など、被害に遭わないための装備、行動が必要だ。

 市水産農林課の清藤剛課長補佐(兼林業振興係長)は「市全域が民家のすぐ裏手に山があるような地形のため、どこに出没してもおかしくない状況。クマは川沿いに移動する傾向もあり、散歩やジョギングコースにしている人は十分な注意が必要。クマの行動が活発になる朝、夕の時間帯は特にも警戒し、目撃情報があった時は周辺に立ち入らないようにしてほしい」と呼び掛ける。

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【5/31(土) シープラザ釜石】日本製鉄釜石シーウェイブス 最終戦 パブリックビューイング

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5月31日(土)、Balcom BMW Stadium(広島県)で開催される NTTジャパンラグビー リーグワン2024-25 ディビジョン2/ディビジョン3 入替戦 第2戦 マツダスカイアクティブズ広島戦 のパブリックビューイングが、釜石市鈴子町のシープラザ釜石で開催されます。

 

会場では、施設内1Fの飲食店や特産店などで軽食やおつまみ、ビールやソフトドリンクなどの購入・持ち込みが可能です。また、当日は先日の第1戦で配布したデザインと同じ応援ハリセンを配布します。釜石の地から熱い釜石コールを届けましょう!

日時

2025年5月31日(土) 12:00 キックオフ

会場

シープラザ釜石 2F ラグビーカフェ情報発信コーナー
〒026-0031 岩手県釜石市鈴子町22-1

入場料

無料

主催

日本製鉄釜石シーウェイブス
協力:釜石ラグビー応援団

日本製鉄釜石シーウェイブス

日本製鉄釜石シーウェイブス

日本製鉄釜石シーウェイブスは、岩手県釜石市を拠点とし、「ジャパンラグビー リーグワン ディビジョン2」に所属する地域型クラブチームです。応援よろしくお願いします!
公式サイト

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いわてグルージャ盛岡 パブリックビューイング in 釜石PIT vol.6 Honda FC戦

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開催概要

2025年 第27回日本フットボールリーグ 第10節
vs. Hoda FC AWAY戦 

 

2025年5月31日(土) 13:00 キックオフ(開場 12:30)

 

【入場無料】1ドリンク制…ご入場後ソフトドリンク(¥150)orノンアルドリンク(¥200)をご購入いただきます。

 

いわてグルージャ盛岡公式グッズ&会場限定のオリジナルグッズも販売します!

場所

釜石PIT(岩手県釜石市大町1-1-10)

 

【駐車場について】
・斜向かいにある釜石大町駐車場または周辺の有料駐車場をご利用ください。
・自転車およびバイクは、釜石PITに隣接する駐輪駐車スペースをご利用ください。

主催

釜石まちづくり株式会社
協力:株式会社いわてアスリートクラブ

フェリアス釜石

釜石まちづくり株式会社

釜石まちづくり株式会社(愛称 フェリアス釜石)による投稿記事です。

問い合わせ:0193-22-3607
〒026-0024 岩手県釜石市大町1-1-10 釜石情報交流センター内 公式サイト

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第7回えんむすびマルシェ

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釜石大観音仲見世にて、第7回えんむすびマルシェを開催します。
 
スイーツ、食べ物や飲み物、クラフト雑貨などの露店とキッチンカーによるマルシェを開催します。
ワークショップや体験コーナー、ステージ企画や、その他コンテンツも実施予定です。
今回はプロジェクトの10周年となりますので、感謝のおふるまいなども企画しております。ぜひお越しください。
 
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日時

2025年6月1日(日) 10:00〜15:00

場所

釜石大観音仲見世(釜石市大平町3-9-1)

料金

入場無料

主催

釜石大観音仲見世リノベーションプロジェクト
Facebookページ: https://www.facebook.com/kamaishinakamise
Instagram: https://www.instagram.com/enmusbi_marche

釜石大観音仲見世リノベーションプロジェクト

釜石大観音仲見世リノベーションプロジェクト

釜石大観音仲見世リノベーションプロジェクトは、仲見世商店街を再生するためにさまざまな活動を行っています。

問い合わせ (代表/宮崎):090-4857-5693 / t-miya@aa.alles.or.jp

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困っている人の力に!大船渡林野火災の被災者支援へ かまいし絆会議の小中学生が募金

小野共市長(左)に募金を託す「かまいし絆会議」の生徒

小野共市長(左)に募金を託す「かまいし絆会議」の生徒

 
 大規模林野火災で被害に遭った大船渡市の被災者支援に役立ててもらおうと、釜石市の14小中学校(9小学校、5中学校)でつくる「かまいし絆会議」は昨年度末に各校で募金活動を展開。児童生徒約1700人、保護者らから41万2376円が集まった。日本赤十字社(日赤)を通じて現地に送ることにし、21日に代表者2人が日赤岩手県支部釜石市地区長を務める小野共市長を訪ね、寄せられた善意を託した。
 
 市役所を訪れたのは、絆会議会長の白野真心(まみ)さんと副会長の岡本あいるさん(ともに釜石中3年)。2人は「今、被災している人たちに何かできることはないかと考えた。少しでも生活の足しになれば。よろしくお願いします」と、活動で使った募金箱を目録代わりに小野市長に手渡した。
 
釜石市内の児童生徒の思いを届けた釜石中の生徒と教諭ら

釜石市内の児童生徒の思いを届けた釜石中の生徒と教諭ら

 
 小野市長は大船渡の林野火災の状況に触れ、「2月26日に発生し、4月7日に鎮火宣言が出るまで、41日間にわたる長い消火活動があった。3300ヘクタールを超える面積が焼失する、本当に大規模な火災だった。皆さんと同じ年代の小学生、中学生も被災されたと聞く」などと説明。「困っている人たちがいたら助けたいという、絆会議の皆さんのあたたかい気持ちが本当にうれしい。受け取った思いをしっかり届ける」と述べた。
 
 今回の活動は釜石中が発案し、各校が呼びかけに応えた。釜中では生徒会執行部が中心となり、3月7日から9日に校内で展開。9日が卒業式だったこともあり、卒業生の家族らも気持ちを寄せた。他校も同様に年度末だったことから、短期間で実施。同席した釜中の藤原幹伍教諭(生徒会執行部担当)が経緯を説明し、最終的な集計金額を数日前に聞いて白野さんや岡本さんと感激を共有したことも加えた。
 
小野市長らと懇談。募金活動の経緯や込めた思いを伝えた

小野市長らと懇談。募金活動の経緯や込めた思いを伝えた

 
 釜中では募金のほか、鵜住居町の市民体育館が緊急消防援助隊の宿営地となった際に消火活動に尽力する隊員らへの感謝と激励を込め寄せ書きを記した横断幕を製作し、贈る活動も行った。絆会議の会長、副会長を務める2人は学校でもそれぞれ生徒会長、副会長として仲間を引っ張った。
 
募金箱を持つ白野真心さん(左)と岡本あいるさん

募金箱を持つ白野真心さん(左)と岡本あいるさん

 
 岡本さんは「小学校、中学校のみんなで集めた募金が被災した人たちのために使われて、一日でも早く元の生活、笑顔あふれる日常に戻ってほしい」と願った。白野さんは「私たちは東日本大震災の年に生まれた。さまざま支援をしてもらったので、今、困っている人たちに返せることはないかと思った。何もない方がいいけど、これからも何かあったら自分たちにできることを少しでもやっていきたい」と背筋を伸ばした。
 
 絆会議ではこれまでに「トルコ・シリア地震救援金」「令和5年7月7日からの大雨災害義援金(秋田県)」「令和6年能登半島地震災害義援金」としても募金活動を展開し、寄付している。

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ファン感謝デーで「勝つぞ!釜石SW」 2部残留かけ、入れ替え戦へ「声援が力に」

交流を楽しんだ釜石シーウェイブスの選手とファンら

交流を楽しんだ釜石シーウェイブスの選手とファンら

 
 NTTジャパンラグビーリーグワン2部の日本製鉄釜石シーウェイブス(SW)は17日、釜石市大町の市民ホールTETTO前広場でファン感謝デーを開いた。今季は最下位となり、入れ替え戦に臨むチーム。ファンは選手やスタッフの労をねぎらいつつ、「勝つぞ」とエールを送った。「来季も2部で戦う資格を勝ち取る」。熱い思い、後押しを、残留をかけた戦いへの力にする。
 
 約300人が参加。イベントの冒頭、桜庭吉彦ゼネラルマネジャーが今季リーグ戦の全14戦を振り返り、「戦い抜けたのは皆さんの応援のおかげ。残念ながら目指す成績ではなかったが、僅差のゲーム、得失点も改善し、チームは着実に強くなっている。皆さんの後押しを力に24日、31日の大事な試合を勝ち取り、来年も2部で戦う資格を得たい」とあいさつ。SH村上陽平主将(26)の発声で乾杯した。
 
「かんぱーい!」。村上陽平主将(右上の写真)が音頭を取った

「かんぱーい!」。村上陽平主将(右上の写真)が音頭を取った

 
 ファンら来場者は選手、スタッフと言葉を交わしたり写真を撮ったり交流を楽しんだ。会場にはホーム戦でも出店したキッチンカーなど飲食ブースが並び、選手が「15分限定店長」として呼び込み、接客に挑戦。試合で見せる真剣な表情とはひと味違う、穏やかな笑顔や気さくな一面を見せ、ファンらの「応援したい」気持ちをガッチリつかんだ。
 
サム・ヘンウッド選手、トンガ・モセセ選手と笑顔でパチリ

サム・ヘンウッド選手、トンガ・モセセ選手と笑顔でパチリ

 
サインを求めたり、会話を弾ませたり、写真を撮ったり

サインを求めたり、会話を弾ませたり、写真を撮ったり

 
キッチンカーの「15分限定店長」を務めた選手ら

キッチンカーの「15分限定店長」を務めた選手ら

 
「おいしいビール、いかがですか」とトンガ・モセセ選手

「おいしいビール、いかがですか」とトンガ・モセセ選手

 
 “押し”の選手にサインを求め歩いていた一関市の金田慶一郎さん(千厩小3年)は自身もラグビー競技に親しんでいて、選手たちは「ヒーロー!」と笑った。競技の魅力は「チームプレーで、仲間と力を合わせられること」。目標は「スタンドオフ、センターをやりたい。突っ込んでいける」と、やる気を刺激された様子だった。
 
 ファンが選ぶMVPの発表もあり、正確なキックでチームをけん引したSOミッチェル・ハント選手(29)が選ばれた。「全試合の先発フル出場」「チーム最多得点。得点力は素晴らしく、守備力もある」「ラグビーやチーム、ファンに対する真摯(しんし)な姿勢、試合での活躍は応援したくなる」。ファンから届いた声に、ハント選手は「応援、ありがとうございます。釜石はワンシーズン目だが、楽しい年だった。接戦がすごく多かったが、来シーズンは絶対勝ってみんなでお祝いしたい」と、すでに先を見据えた。
 
MVPに選ばれたミッチェル・ハント選手(右)、評価した投票者、須田康夫ヘッドコーチ(左)

MVPに選ばれたミッチェル・ハント選手(右)、評価した投票者、須田康夫ヘッドコーチ(左)

 
 退団選手、スタッフもあいさつ。15年在籍した黒沢尻工高出身のプロップ高橋拓也選手(33)らに惜しみない拍手が送られた。2年在籍した古川浩太郎選手(30)を追いかける福岡県の30代女性も駆け付け、「次のステージでも応援を続ける」と思いを伝えた。
 
退団する選手を家族、チームメート、ファンらがねぎらう

退団する選手を家族、チームメート、ファンらがねぎらう

 
 須田康夫ヘッドコーチ(41)も今季限りで退任する。2010年に釜石SW入りし、フランカーやナンバー8として活躍し、主将も務めた。仙台育英高コーチを経て、20年にFWコーチでSWに戻り、21年から指揮を執って4季目。今季は4位以内を目標に掲げたが、2勝12敗の勝ち点11で8チーム中最下位に終わった。「入れ替え戦に回ってしまったが、残り2試合ある。しっかり勝ち、今季の悔しい思い、借りは2部で返さなければ。サポーターの力も借りて、チーム一丸となって勝ち切る」と奮起。「大好き」と深い思い入れがあるチームの「2部残留」へ選手たちを鼓舞する。
 
選手らに熱視線を送るファン。変わらぬエールも送り続ける

選手らに熱視線を送るファン。変わらぬエールも送り続ける

 
 釜石SWは24日、盛岡市のいわぎんスタジアムで入れ替え戦第1戦に臨み、マツダスカイアクティブズ広島(3部1位)を33-14で下した。ホーム戦で貴重な勝ち点4を獲得。残留へ前進した。
 
 第2戦は31日、敵地で行われる。釜石SWは勝ちか引き分けで2部残留が確定。負けた場合も得失点差などの条件次第で残留ができる。最終決戦―。今季のスローガン「STEEL WAVE」のごとく、ピッチ上で「強い決意と勇気を胸に、鋼のような波を起こす」選手たちへ地域やファンが熱い声援を送っている。

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釜石・橋野鉄鉱山、世界遺産登録10年 歴史と自然感じる記念ウオーク 雨に負けず笑顔満開

満開の八重桜のトンネルを歩き笑顔を見せる参加者

満開の八重桜のトンネルを歩き笑顔を見せる参加者

 
 世界遺産に登録されて7月で10周年を迎える釜石市橋野町青ノ木の「橋野鉄鉱山」を巡るウオーキングイベント(釜石市ウォーキング協会主催)が17日にあり、市内外の約20人が自然と歴史に触れながら歩いた。あいにくの雨模様ながら、ちょうど満開となった八重桜の歓迎を受けた参加者には天候を吹き飛ばす笑顔の花が咲いた。
 
 10周年を記念したイベントは同協会の例会行事。一般参加もあり、盛岡市など市外からも集まった。案内役は、同協会員で釜石観光ガイドとしても活動する地元の小笠原明彦さん(68)。インフォメーションセンターを発着点に、高炉跡、普段は立ち入りが制限されている区域にある青ノ木橋、旧道・笛吹街道(地元では青ノ木街道とも言う)の一部をたどる往復約5キロのコースを歩いた。
 
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インフォメーションセンターを出発し高炉跡方面へ向かう

 
二番高炉跡を見学し、さらに歩みを進める参加者

二番高炉跡を見学し、さらに歩みを進める参加者

 
 高炉跡周辺には「種焼窯」「種置場」と記された遺跡が点在していて、小笠原さんは「種って何?…鉄鉱石のことをそう呼んでいた。名付け方が日本人ぽいよね」と解説。高炉の石組みにある凸凹を示し、「これは日本独自のもの。西洋を参考にはしたが、日本の技術も生かした鉄づくりが橋野にはあった」と強調した。寛永年間の時代からあったとされる旧街道では「子どもの頃のあそび場だった」と話し、地元ならではの魅力もこっそり教えたりした。
 
ガイドの説明を聞いたり、ゆっくりと遺跡周辺を歩く

ガイドの説明を聞いたり、ゆっくりと遺跡周辺を歩く

 
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笛吹街道を踏みしめた参加者。後方は遠野方面に続く

 
 「鉄の話を聞くうちに歩けちゃった」とうれしそうに話したのは80代の女性。「行ったことのないところに行ける」のが団体に所属するメリットだが、年齢を重ね「みんなと歩くのは大変」になり、今回のコースも途中で離脱するつもりだった。高炉跡周辺や旧街道に続く道が明るく、手入れされているのも歩が進む要因になったようで、「健康づくりに歩くことを続けたい」と前を向いていた。
 
雨にも負けず、参加者はぐんぐんと力強く歩いた

雨にも負けず、参加者はぐんぐんと力強く歩いた

 
自然との出合いや仲間との会話もウオーキングの楽しみ

自然との出合いや仲間との会話もウオーキングの楽しみ

 
 同協会の遠野健一会長(81)は「ガイドの説明を聞いて頭の体操にもなり、健康を感じてもらえただろう。製鉄の歴史を見ても、製造工程や鉄の品質、技術、日本はどこにも負けないものを持っている。そのスタートが釜石。世界遺産登録10周年を機に歴史の重みを再認識し、170年ほど前に働いていた人たちのことを思いながら、この地を踏みしめてもらえたならいい」と充実感をにじませた。
 
満開の八重桜に参加者は表情をほころばせる

満開の八重桜に参加者は表情をほころばせる

 
橋野鉄鉱山がデザインされたパネル前で記念にパチリ

橋野鉄鉱山がデザインされたパネル前で記念にパチリ

 
 2025年度は24回のウオーキング行事を計画。釜石市内だけでなく、岩手県内各地の協会主催行事にも参加する。6月には「魹ケ崎灯台散策ウオーク」(宮古市重茂・姉吉キャンプ場駐車場集合)や「栗林・大沢川流域化石探訪ウオーク」(釜石市栗林町・砂子畑集会所集合)を予定。9月には三陸鉄道の旅と「三陸大王杉」(大船渡市三陸町越喜来)の見物を楽しむ企画を用意。10月実施の「鉄と魚とラグビーのまち釜石潮騒ウオーク」は、今回と同じく橋野鉄鉱山世界遺産登録10周年記念の冠を掲げる。

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「あったね~」「これ何?」 昭和の家電が面白い! 釜石・郷土資料館で6月1日まで遺産展

“昭和100年”にちなんだ市郷土資料館の収蔵資料展。暮らしを豊かにした電化製品などが並ぶ

“昭和100年”にちなんだ市郷土資料館の収蔵資料展。暮らしを豊かにした電化製品などが並ぶ

 
 日本の高度経済成長に代表される「昭和」の時代―。その昭和が始まった1926年から数えて100年目の今年、当時の出来事や流行に触れる機会が増えている。釜石市鈴子町の市郷土資料館(小笠原太館長)では、昭和の時代に製造、利用された家電(家庭用電化製品)を集めた遺産展を開催中。“昭和世代”には懐かしく、平成・令和生まれには新鮮な驚きがある空間となっている。6月1日まで開催する。
 
 本年度の同館収蔵資料展の一環として開催。展示資料47点は市民から寄贈されたもので、普段は非公開の品々だ。会場には衣食住のほか、娯楽に関わる製品が並ぶ。家電は戦前から製造されていたが、戦中は“ぜいたく品”として、ラジオなどを除き、製造販売が制限されていたという。一般家庭に広く普及していったのは戦後。洗濯機、冷蔵庫、炊飯器などの便利品が家事労働の負担を軽減した。
 
洗濯機や掃除機の商品カタログをパネル化して展示。「ザ・昭和」を感じる

洗濯機や掃除機の商品カタログをパネル化して展示。「ザ・昭和」を感じる

 
昭和の時代に製造された家庭用電化製品の数々を展示する会場

昭和の時代に製造された家庭用電化製品の数々を展示する会場

 
 炊飯器は火力調整が必要なガスから電気に。1955(昭和30)年、国産初の自動式電気炊飯器が登場。後に、炊飯と保温が一体化したジャー炊飯器、内釜全体を発熱させるIH(電磁誘導加熱)炊飯器が登場した。家庭用電子レンジは65(昭40)年に初めて発売されたが、当初は価格が高く、普及が進まなかった。76(昭51)年に低価格のファミリータイプが発売され、購入層が拡大した。今回の展示では、20年ほど前まで使われていたという、ごく初期の電子レンジも見ることができる。
 
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重量感たっぷりの電子レンジ(左)。約20年前まで“現役”だったという

 
 家事が楽になり、時間的余裕が生まれると、娯楽に関する製品が増えていった。53(昭28)年の国内テレビ放送の開始で、ブラウン管の白黒テレビが出始めたが、当時は高価。60(昭35)年のカラーテレビ放送開始、64(昭39)年の東京五輪開催がテレビの普及を後押しした。70(昭45)年代に入ると、カラーテレビの価格が下がり、“一家に一台”時代を迎える。これに伴い、家庭用ビデオデッキやテレビゲーム機も登場。83(昭58)年発売、任天堂のファミコン(ファミリーコンピューター)は一世を風靡(ふうび)した。
 
4本脚の白黒テレビ(左)とカラーテレビ(右)。当時はダイヤル式のつまみを回してチャンネルを変えていた

4本脚の白黒テレビ(左)とカラーテレビ(右)。当時はダイヤル式のつまみを回してチャンネルを変えていた

 
 今回の展示品で最も古いものとみられるのが、真空管ラジオ。戦後復興期の主流で、55(昭30)年に国内初のトランジスタラジオが発売されると小型・軽量化が進み、ラジオは急速に普及した。その後、カセットテープレコーダーにラジオチューナーを一体化させた「ラジカセ」が発売され、いつでもどこでも気軽に録音・再生が楽しめるようになった。最近、デジタル世代がアナログ音源や機材に興味を持ち、ラジカセで音楽を楽しむ姿もあるという。
 
左から)真空管ラジオ→トランジスタラジオ→ラジカセへと進化。ラジカセは昭和レトロを好む若者にも人気

(左から)真空管ラジオ→トランジスタラジオ→ラジカセへと進化。ラジカセは昭和レトロを好む若者にも人気

 
 家庭用の映像記録の始まりは8ミリフィルムカメラ。撮影した映像は映写機でスクリーンに映して楽しんだ。同機で映画鑑賞も。昭和50年代後半にはビデオテープが普及し、撮影機器も変化していく。写真撮影のフィルムカメラ(二眼レフ)は昭和初期から。一眼レフは昭和30年代に登場し、同50年代にかけてオートフォーカス技術が進化していった。通信技術の遺産はダイヤル式電話機とアマチュア無線機。
 
8ミリフィルム映写機(左)とカメラ(中)。後に簡単操作、高画質のビデオカメラ(右)へ移行していく

8ミリフィルム映写機(左)とカメラ(中)。後に簡単操作、高画質のビデオカメラ(右)へ移行していく

 
ワープロ(左上)、ダイヤル式電話機(右上)、アマチュア無線機(下)。貴重な昭和遺産

ワープロ(左上)、ダイヤル式電話機(右上)、アマチュア無線機(下)。貴重な昭和遺産

 
 会場では昭和家電の商品カタログや取り扱い説明書も展示される。同館の佐々木寿館長補佐は「ラジオやテレビ、写真、ビデオ、電話…。今やスマホ1台でできてしまうことも、昭和のこうした技術の進化が基になっていることを感じてもらえれば」と話す。自分が使っていたものを懐かしんだり、知らない世代には新鮮な発見があったり…。同世代、世代間の会話も弾む展示会となっている。同館の開館時間は午前9時半から午後4時半まで(最終入館:午後4時)。火曜日休館。

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釜石・和山に肉用牛25頭放牧 エム牧場(福島県)が新たな挑戦! 消費者求める付加価値づくりに意欲

釜石市和山牧場に放たれ、元気に駆け出す「エム牧場」の牛=15日

釜石市和山牧場に放たれ、元気に駆け出す「エム牧場」の牛=15日

 
 釜石市北西部に位置する標高800メートルの和山高原。古くから牧場として活用されてきたこの地で今春、新たな挑戦が始まった。東北3県で肉用牛の生産を行う福島県二本松市のエム牧場(吉田和社長)が、肥育を目的とした放牧を開始。肥育のための“完全放牧”は全国でも珍しく、「ストレスフリーの健康牛」として料理人や消費者にアピールしていきたい考え。牧場開きが行われた15日、黒毛和牛、短黒牛など5種25頭が、市管理の牧場地に放たれた。震災以降、低迷する畜産業の活性化、“和山ブランド”の発信に地元関係者も大きな期待を寄せる。
 
 放牧する牛は、福島県と岩手県金ヶ崎町の自社農場から10トントラック2台で運ばれてきた。牧場地を所有する一般社団法人栗橋地域振興社(菊池録郎代表理事会長)の現地事務所近くで4トン車に移し、3回に分けて、放牧地の「立岩」と呼ばれるエリア(17ヘクタール)に運んだ。今季、放牧する25頭は黒毛和種、ホルスタイン種、ジャー黒(ジャージー牛と黒毛和牛の交配)、短黒(日本短角牛と黒毛和牛の交配)、あか牛(褐毛和種)の5種。生後約1~12歳。このうち、9頭は東京の食肉卸業者やスーパー、フランス料理店の買い取りが決まっている。
 
エム牧場のスタッフがトラックから牛を降ろし、牧場地に誘導

エム牧場のスタッフがトラックから牛を降ろし、牧場地に誘導

 
今季は5種25頭が10月末まで放牧される

今季は5種25頭が10月末まで放牧される

 
つながれていたロープがはずされると、牛たちが思い思いに散らばった

つながれていたロープがはずされると、牛たちが思い思いに散らばった

 
 牛の放牧といえば本来、繁殖牛や仔牛の育成のために行うのが一般的だが、今回行うのは「山で肉を仕上げる」ための放牧。料理人が求める“ストーリー性のある” 赤身肉を生産しようと、新たな挑戦の場に和山牧場を選んだ。「消費者は、自分が食べる肉がどこでどういう育ち方をしたかなど付加価値に興味を示す。山の中の広々とした牧場で青草を食べ、伸び伸びと育った牛は非常に魅力的に映るのでは」と吉田社長(45)。通常、肉用牛は牛舎で配合飼料などを食べながら育つが、近年は餌代が高騰。山への放牧は生産コスト削減にもつながる。
 
放牧した牛の様子を眺めるエム牧場の吉田和社長(右)と同社従業員ら

放牧した牛の様子を眺めるエム牧場の吉田和社長(右)と同社従業員ら

 
長旅の疲れも見せず?? 新天地の牧場を駆け回る牛たち

長旅の疲れも見せず?? 新天地の牧場を駆け回る牛たち

 
耳標に買い取り予約業者の名前が付いた牛も。業者は放牧前に牛舎を訪れ、「この牛を放して」と指定

耳標に買い取り予約業者の名前が付いた牛も。業者は放牧前に牛舎を訪れ、「この牛を放して」と指定

 
 同社は1995年創業。肉用牛の繁殖、肥育から精肉加工、販売までを手掛ける。福島、宮城、岩手3県の計15カ所で2500頭を飼育。昨年、赤身肉の販売に力を入れる牛肉卸の東京宝山(萩澤紀子社長)と仕事をすることになり、3年前から協議を続けていた同市和山牧場での放牧を決意。市が管理する牧場地で牛を預かる「預託」という形で、今春からの放牧が実現した。
 
 吉田社長は「放牧牛は脂の色の違いで市場評価が下がっていたが、肉自体はおいしい。新たな価値を生み出し、低コストでA5等級の肉を出せるようになれば、牛肉生産の可能性が広がる」と、常識を覆すチャレンジに心を躍らせる。すでに複数の料理人が興味を示しているといい、「うまくいけば頭数も増やしていきたい」と今後を見据える。
 
水場を教えるために団体移動。さまざまな種類の牛が和山の風景を彩る

水場を教えるために団体移動。さまざまな種類の牛が和山の風景を彩る

 
牧場内を流れる沢で水分補給。近くの木には塩分補給用の固形塩も設置された

牧場内を流れる沢で水分補給。近くの木には塩分補給用の固形塩も設置された

 
標高800メートルの和山高原。複数の牧場地が広がる

標高800メートルの和山高原。複数の牧場地が広がる

 
 今年創立70周年を迎える同振興社(旧栗橋牧野農業協同組合)によると、和山での牛の放牧のピークは1983(昭和58)年の937頭。最盛期には闘牛大会も行われていた。時代の変化とともに畜主、放牧数ともに減少。東日本大震災(2011年)前には約200頭の放牧があったが、震災後、牛の販売価格の下落や生産者の高齢化などで半減し、右肩下がりの状況が続く。今年は畜主7人による12~13頭の放牧にとどまる見込み。
 
 同振興社の菊池会長(73)は「エム牧場さんが来てくれたおかげで、牧場の有効活用が図られ、荒廃も防げる。来年にはユーラスエナジーさんの新たな風力発電施設も稼働予定。牛と風車が作り出す風景は和山の魅力を高め、観光客誘致にもつながる」と歓迎する。エム牧場の和山放牧牛は釜石市のふるさと納税の返礼品にも活用される予定。放牧の受け入れを行う市水産農林課の正木浩二課長は「牧場地の維持、畜産業の発展、食肉の特産品化など、当市にとっても多くのメリットが生まれる。さらなる規模拡大にも期待したい」と話す。
 
栗橋地域振興社の事務所近くで行われた牧場開きの安全祈願。市、県、振興社の代表らが山の神を祭る石碑や畜魂碑に向かって祈りをささげた

栗橋地域振興社の事務所近くで行われた牧場開きの安全祈願。市、県、振興社の代表らが山の神を祭る石碑や畜魂碑に向かって祈りをささげた

 
放牧を前に市水産農林課の職員らが牧場の電気柵のバッテリーを交換。受け入れ準備を整えた

放牧を前に市水産農林課の職員らが牧場の電気柵のバッテリーを交換。受け入れ準備を整えた

 
 今季の25頭は10月末まで放牧予定。頭数確認や健康チェックなど日々の管理は同社スタッフが行う。吉田社長は「関係する皆さんの協力があってここまでこぎ着けた」と感謝。「本来、牛舎で飼っていれば高値で売れるものをあえて外に放す」。“ありえないこと”に挑む若き牛飼いたちがつくる未来に注目したい。
 
今秋まで牛が無事に過ごせるよう願いを込めるエム牧場のスタッフら

今秋まで牛が無事に過ごせるよう願いを込めるエム牧場のスタッフら

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釜石市 プラスチックごみ分別収集開始から1カ月 現状は? 24日から市内8地区で説明会実施

釜石市で地区ごと月1回(土曜日)行われているプラスチックごみの収集=17日

釜石市で地区ごと月1回(土曜日)行われているプラスチックごみの収集=17日

 
 釜石市は本年度4月からプラスチックごみの分別収集を開始した。月1回(地区ごとに定められた土曜日)、すでに実施しているペットボトルと合わせ、同じ日に収集している。地球環境に配慮したプラスチックの再資源化を促し、同市のごみ処理費用を削減するのが大きな目的。開始から1カ月が経過したが、市民からは一般ごみとの分別の判断に迷う声も聞かれる。現状を取材した。
 
 同市が分別収集するプラごみは「プラスチック製容器包装」と「製品プラスチック」。容器包装は「プラ」マーク表示のある食料品や日用品などの容器、包装、緩衝材で、袋やボトル、ケース類、ペットボトルのキャップ・ラベル、発砲スチロール、食品トレイなど。製品プラは「プラ」表示はないが、プラ100%でできていて、大きさ50センチ以下のもの(厚さ5ミリ未満)。例としては食品保存容器や食器、バケツ、CD・DVDなど。収集できるのは食品の油分や塩分が付着していない、洗剤やシャンプーの中身が残っていない…など、いずれも汚れのないきれいな状態のものだけ。
 
 洗ったものは乾かし、容器包装、製品ともに中身を確認できる透明または半透明の袋に入れて、収集日当日午前8時までに集積所に出す。市指定ごみ袋で出す場合は袋に「プラ」と書き、一般ごみではないことを示すと良い。
 
4月から収集を開始した「プラスチック製容器包装(“プラ”表示あり)」と「製品プラスチック(同表示なし)」の例

4月から収集を開始した「プラスチック製容器包装(“プラ”表示あり)」と「製品プラスチック(同表示なし)」の例

 
地区ごとに定められている月1回の収集日(市配布のごみカレンダー参照)午前8時までに出す

地区ごとに定められている月1回の収集日(市配布のごみカレンダー参照)午前8時までに出す

 
市の委託業者「新菱和運送」によるプラごみの収集作業(ペットボトルと同時回収)。17日は車両6台が稼働

市の委託業者「新菱和運送」によるプラごみの収集作業(ペットボトルと同時回収)。17日は車両6台が稼働

 
 市生活環境課によると、4月の収集実績は5日484キロ、12日819キロ、19日1112キロ、26日708キロで、計3123キロ。分別が始まったばかりというのもあるが、「市全体の収集量としてみると、当初見込みよりもまだまだ少ない状況」だという。汚れの付着やプラ以外の混入で資源物にならなかった残渣(ざんさ)は4週で計140キロ。これは「割合としては比較的少なく、気を付けて分別してもらっている印象」と受け止める。
 
 市民からの問い合わせで多いのは、収集可能なプラの判断基準。次の再資源化につなげるためには「完全にきれいなもの」が求められるが、始まったばかりの現時点では市民の対応が追い付かない側面もあることから、「汚れを落とすのに手間や労力を要する場合や、どの程度洗えばいいか迷った時は一般ごみに。まずは分別の意識を高めてもらい、できるところからご協力を」と呼び掛ける。
 
収集した家庭プラごみは岩手資源循環の処理施設(釜石総合リサイクルセンター)に搬入される(17日午前撮影)

収集した家庭プラごみは岩手資源循環の処理施設(釜石総合リサイクルセンター)に搬入される(17日午前撮影)

 
プラごみは検品後、機械に投入。破集袋機で回収時の袋をはずす

プラごみは検品後、機械に投入。破集袋機で回収時の袋をはずす

 
 プラごみは市の収集運搬委託業者(釜石清掃企業、新菱和運送)が収集。リサイクルのための選別、梱包(こんぽう)を請け負う同市平田、岩手資源循環(谷博之代表取締役)の処理施設に持ち込まれる。破集袋機で回収時の袋をはずし、手選別ラインでプラ再生できないものを除去。磁選機で混入金属を回収した後、圧縮梱包機で「プラスチックベール」という固まりする。プラベールは再生事業者に引き渡され、再生プラ製品の一部材料となるペレットや物流パレット(荷役台)に加工される。
 
資源としてプラ再生できないものを人の目で見極め除去する手選別ライン

資源としてプラ再生できないものを人の目で見極め除去する手選別ライン

 
収集時に交じってしまったペットボトルもラインからはずす。ペットボトルは別に梱包するため

収集時に交じってしまったペットボトルもラインからはずす。ペットボトルは別に梱包するため

 
最後は圧縮梱包機で「プラスチックベール」に加工。1個の重さは約250キロ

最後は圧縮梱包機で「プラスチックベール」に加工。1個の重さは約250キロ

 
 同市のプラ分別収集について谷代表取締役は「搬入されているものは非常にきれい」と好感触。ペットボトルと同時収集だが、梱包は“容器包装、製品プラ”と“ペットボトル”それぞれに行うため、「必ず別々の袋に入れて出してほしい」と呼び掛ける。スタート1カ月の搬入量から、「(分別収集を)まだ知らない人が多いのでは。人口規模からすると、月に30トンぐらいは出ると思われるが、今はまだ10分の1程度」と話す。家庭から出るごみの約6割はプラごみ。分別するだけで、一般ごみの量は半分以下になるという。同社では市民の直接搬入も受け入れる(無料)。プラごみ、ペットボトルともに平日(月~金)は午前8時半から午後4時半まで、土曜日は午前8時半から正午まで受け付ける。
 
プラごみの処理作業には社員とパート10人前後があたる(19日午前撮影)

プラごみの処理作業には社員とパート10人前後があたる(19日午前撮影)

 
 2022年4月の「プラスチックに係る資源循環の促進等に関する法律」の施行で、自治体は容器包装プラに加え、製品プラの分別収集・再商品化が努力義務となった。容器包装プラの分別収集は本県33市町村のうち23市町村で開始済み。沿岸南部では大槌町だけが実施していた。釜石市は今回、容器包装と製品両プラの分別収集に着手。同市のごみは3市2町で運営する岩手沿岸南部クリーンセンター(同市平田)で溶融処理するが、プラ分別でセンターに持ち込む量を減らすことで、同市の処理費用の負担割合を減らしたいとの狙いがある。2023年度、同市のごみ処理にかかった費用は約6億1000万円。市民1人あたり、年間約2万円を負担している計算になる。
 
 市生活環境課の二本松史敏課長は「プラ分別の浸透には時間がかかると思うが、市広報などで繰り返し周知しながら、精度も高めていければ」とし、より多くの市民の意識変容、実践に期待する。
 
プラごみ分別収集開始に先駆け、栗林町で開かれた説明会。栗林共栄会が市に要請し開催した=3月30日

プラごみ分別収集開始に先駆け、栗林町で開かれた説明会。栗林共栄会が市に要請し開催した=3月30日

 
 市はプラスチック分別の方法についての住民向け説明会を5月24、25、31日に市内8地区で開催予定。実際にやってみて分からないこと、迷っていることなどを聞いてほしいとしている。日程、場所は市広報5月15日号に掲載している。
 
5月24、25、31日に開かれるプラスチック分別方法の説明会日程

5月24、25、31日に開かれるプラスチック分別方法の説明会日程

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患者に寄り添う心学ぶ 県立釜石病院で看護体験 命に向き合う中高生、やりがい実感

県立釜石病院の看護体験で新生児を抱っこする中学生

県立釜石病院の看護体験で新生児を抱っこする中学生

 
 釜石市甲子町の県立釜石病院(坂下伸夫院長)は14日、ふれあい看護体験を行い、市内の中高生16人が患者への対応や感染防止対策などに理解を深め、命と向き合う仕事のやりがいを体感した。
 
 釜石中、甲子中、釜石高の生徒が参加。白衣に身を包んだ生徒は手洗いや消毒など感染予防対策の重要性を学んだ後、2~5人の班に分かれて病棟や手術室での実習に取り組んだ。
 
手洗いや消毒など座学で得た感染予防対策を実践する生徒たち

手洗いや消毒など座学で得た感染予防対策を実践する生徒たち

 
 小児科、泌尿器科、緩和ケアなどの5病棟では中高生4人が入院患者の手浴に挑戦。緊張しながらも「熱くないですか」などと声をかけ、丁寧に洗った。患者から「気持ちよかった」との気持ちを表現するうなずきが返ってくると、生徒たちは肩の力を緩めた。
 
 食事の配膳、患者役・介助役となり車椅子による移動を体験したり、食事の介助も見学。現役看護師の岡崎琴音さん(27)が「患者さんと向き合う時、見えているところがすべてではない。ほんの小さなことでも変化があれば、他の看護師、医師に伝えたりする。やることに集中しながらも、いろんなところにアンテナをはるのが大事。看護の難しいところであり、やりがいでもある」と、自分の体験を交えて助言した。
 
現役看護師(左)に教わりながら入院患者の手浴に取り組む

現役看護師(左)に教わりながら入院患者の手浴に取り組む

 
食事を届けて入院患者と触れ合い笑顔を見せる生徒

食事を届けて入院患者と触れ合い笑顔を見せる生徒

 
点滴スタンドを持ちながら車椅子の移動にチャレンジ

点滴スタンドを持ちながら車椅子の移動にチャレンジ

 
 産婦人科の分娩(ぶんべん)業務が休止された同病院では、平日にデイサービス型の産後ケアを開設し、助産師の指導で授乳や入浴などの支援を行っている。この日は休息にやってきた親子がおり、生徒たちは新生児を抱っこする体験も。「かわいい」と愛らしい姿を見つめ、ぬくもりを実感した。
 
緊張!新生児を両腕でしっかり抱っこ…「かわいい」

緊張!新生児を両腕でしっかり抱っこ…「かわいい」

 
沐浴(もくよく)も見学して助産師の仕事に触れた

沐浴(もくよく)も見学して助産師の仕事に触れた

 
 甲子中3年の菊池夏希さん、釜石高3年の伊藤智哉さんはそれぞれ看護師の家族の影響で同じ道を志す。菊池さんは「人に寄り添えるのはすてきなこと。いろんな事に気を付けて、てきぱき動いていてかっこいい」と興味を深めた。伊藤さんは「繊細な仕事のイメージがあったけど、スピード勝負な場面もあると感じた。一人一人に合わせて対応し、ちょっとしたことでも連想して頭を働かせていると知り、新鮮だった。実際の仕事は大変そうというより、楽しい気持ちが強かった。患者さんに『担当してもらえてよかった』と思ってもらえる看護師になりたい」と意欲を高めていた。
 
体験を通して医療現場、看護の仕事に関心を深めた中高生

体験を通して医療現場、看護の仕事に関心を深めた中高生

 
 髙橋佳世子副総看護師長(教育専従看護師兼務)は「体験を通じて患者さんの笑顔に触れ、やりがいを感じ、職業意識を高めてほしい。誰かのためにできる仕事、医療、看護の道を志し、共に岩手で頑張ってもらえたらうれしい」と期待した。
 
 体験は看護週間(11~17日)に合わせて実施。16日にも行われ、高校生16人が参加した。

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活気、熱意込め 11年ぶり みこし行列 館山神社(釜石・平田地区)で例大祭

館山神社例大祭の神輿渡御で笑顔を見せる担ぎ手たち

館山神社例大祭の神輿渡御で笑顔を見せる担ぎ手たち

 
 釜石市平田の館山神社例大祭(実行委員会主催)は11日、2014年以来11年ぶりに行われた。台風災害、新型コロナウイルス禍を経て待望の再開となり、神輿(みこし)渡御や郷土芸能の奉納などで地域は活気に満ちた。東日本大震災の被災地域でもある平田地区では復興事業により街の姿が変化。住民の減少や高齢化なども進み、まつりの参加者確保は厳しくなったが、「復興を祝おう」「今できることをやろう」「子どもたちの記憶に残したい」と熱意を込めた。
 
11年ぶりに行われた「平田まつり」。神輿渡御に活気づく

11年ぶりに行われた「平田まつり」。神輿渡御に活気づく

 
 平田町内会(約280世帯)、平田船頭組合、平田神楽保存会、虎舞の平田青虎会が中心になり、3年に1度行う式年祭。「平田まつり」として親しまれ、地域住民の無病息災、豊漁や航海の安全などを願い、神に感謝を伝えてきた。11年は震災のため見送られ、「古くから親しまれたコースをたどるのは最後…」と復興事業が本格化する直前の14年に祭り行列を行った。
 
 「復興が終わったら」。そうした思いを地域で共有し、予算を積み立てていたが、19年の台風19号による豪雨災害、コロナ禍などで実施できなかった。住民の高齢化が進み、神輿の担ぎ手を集めるのは年々厳しくなる中、住民から「やらないの」「早くやろう」「再開だ」との声があり、復活を果たした。
 
階段は約100段。高台の神社から下りてくる神輿

階段は約100段。高台の神社から下りてくる神輿

 
 館山神社での神事の後、150人余りの行列が出発。ご神体を載せた神輿の担ぎ手たちはかけ声を響かせながら、土地区画整理事業などによって変化した道路、家並みの間を進んだ。
 
 神輿の担ぎ手は約30人。尾崎神社の神輿担ぎ手団体「輿衆(よしゅう)会」の力を借りた。地元企業も協力し、岩手資源循環からは9人が参加。同社の佐々木公輔さん(33)は19年の台風で被災し尾崎白浜地区から移り住み、初めての平田まつり。「久しぶりにやる祭りで神輿を担げてうれしい。隣近所とはあいさつ程度の交流なので、祭りを通して関係が深まる機会になればいい」と話し、担ぎ棒にぐっと肩をあてた。
 
新しいまちを進む神輿。「復興が終わったら」を実現した

新しいまちを進む神輿。「復興が終わったら」を実現した

 
神輿が通ると手を合わせ、願いを込めた。「みなが元気で」

神輿が通ると手を合わせ、願いを込めた。「みなが元気で」

 
 「御旅所」とする釜石祥雲支援学校や荒神社、釜石湾漁協では地域の代表らが神輿に玉串をささげ平穏を祈願し、神楽や虎舞を奉納。見守る住民らも一緒に手を合わせたり、勇壮、華麗な舞、威勢のいいおはやしに心を躍らせた。
 
地域の芸能団体も加わった神輿行列が練り歩く

地域の芸能団体も加わった神輿行列が練り歩く

 
白装束で厳かに神輿渡御。芸能団体は華やかに彩りを添える

白装束で厳かに神輿渡御。芸能団体は華やかに彩りを添える

 
御旅所では芸能団体が虎舞や神楽を奉納した

御旅所では芸能団体が虎舞や神楽を奉納した

 
 漁港にはお祭り広場が設けられ、ステージ上では平田こども園の園児らによる「ちびっこ虎舞」や唐丹町の鼓舞桜会の桜舞太鼓などが繰り広げられた。行列をはやし立てた虎舞は地域を盛り上げる演舞を披露。行列に彩りを添えた平田神楽は伝承する祝いの舞を届けた。
 
 支援学校そばにある復興住宅で暮らす佐々木真里子さん(77)は「祭り大好き。わくわくして楽しい気分。感動した」とにこやかに笑った。行列に参加する子や孫の姿を見つめた礼ケ口町の80代夫婦は「かっこいいね。家族がみんな健康であればいい」と願った。「思い出、写真の1枚もない。海に持っていかれた」と70代男性はつぶやきつつ、「いい祭りだ。久しぶりに顔を合わせた人もいる」と満足そうだった。
 
お祭り広場ではちびっこ虎舞や祝いの舞が披露された

お祭り広場ではちびっこ虎舞や祝いの舞が披露された

 
芸能団体の演舞を楽しむ大勢の人でにぎわった

芸能団体の演舞を楽しむ大勢の人でにぎわった

 
 「懐かしい」と目を細めたのは久保知久さん(77)。震災前の行列には手踊りなども加わっていてにぎやかだったと教えてくれた。少し寂しさも感じるが、「地域行事は人と人がつながる機会になる。他の地域から来た人たちがなじみ、一緒にまちを盛り上げてもらえれば」と期待した。
 
 行列に加わった子どもたちの多くは今回、初めて地域に祭りがあることを知った。平田神楽の遠藤凜さん(13)は「みんなで踊るのが楽しいし、見てもらえてうれしい。平田にもお祭りがあってすごいと思ったし、もっと好きになった」と破顔。青虎会の福士千尋さん(10)は「太鼓やかけ声を頑張った」と胸を張った。リズムに乗った演舞を繰り広げる大人たちは憧れ。「伝統文化を継ぐ」との思いは強く、「平田の人たちは優しくて好き。いつか自分が盛り上げられるようになりたい」とうなずいた。
 
行列参加者も見物客も関係者も!笑顔が広がる平田まつり

行列参加者も見物客も関係者も!笑顔が広がる平田まつり

 
 平田町内会の中川崇司会長(73)は「こんなにいっぱい集まってくれるとは。年配者が懐かしみ、子どもらに地域の歴史文化を伝え継ぐ機会になった」と話し、充実感をにじませた。震災後、人が変わり、街並みも変わった。住民の減少、高齢化もあり、行列参加者の確保やコースの変更など数カ月前から準備。「陰で支えてくれる多くの力があった」と感謝を口にする。つながりを大事にし、誰もがとけ込める地域づくりは途上。手探りながらも、「新しいまちのひとつのスタート」として復活させた祭りを守っていく構えだ。