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広報かまいし2025年8月1日号(No.1861)

広報かまいし2025年8月1日号(No.1861)
 

広報かまいし2025年8月1日号(No.1861)

広報かまいし2025年8月1日号(No.1861)

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【P1】
釜石納涼花火2025

【P2-3】
釜石はまゆりサクラマスフェア

【P4-5】
イベント案内 他

【P6-7】
ツキノワグマの被害に遭わないために
8月の粗大ごみ収集予約受付のお知らせ 他

【P8-9】
教育広報「いのちの教育」を推進しています

【P10-11】
まちのお知らせ

【P12】
第34回釜石よいさ

この記事に関するお問い合わせ
釜石市 総務企画部 オープンシティ・プロモーション室
〒026-8686 岩手県釜石市只越町3丁目9番13号
電話:0193-27-8463 / Fax 0193-22-2686 / メール
元記事:https://www.city.kamaishi.iwate.jp/docs/2025072800028/
釜石市

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釜石市公式サイトと連携し、縁とらんすがピックアップした記事を掲載しています。記事の内容に関するお問い合わせは、各記事の担当窓口までお問い合わせください。
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戦後80年―記憶つなぐ 釜石の戦跡めぐるバスツアー 案内役は高校生 戦災展も紹介

防空壕跡を案内する佐藤凛汰朗さん(左)と中澤大河さん

防空壕跡を案内する佐藤凛汰朗さん(左)と中澤大河さん

 
 釜石市の高校生が、市内の戦跡を巡るバスツアーを企画した。戦後80年の節目に「釜石艦砲射撃」など戦争の歴史を振り返り、平和について考えてもらおうとコースを設定。21日、小学生から80代までの市民ら20人を乗せたバスが、まちに残る戦争の記憶をたどった。
 
 企画したのは、釜石高3年の佐藤凛汰朗さんと中澤大河さん。2年時のゼミ活動で地域の魅力を高め活性化させる取り組みを考える中で、戦争の歴史に着目した。釜石は1945年の7月14日と8月9日の2回、米英連合軍などの艦隊から艦砲射撃を受けた“被害者”だが、当時、まちには捕虜収容所があって“加害”の側面もありうることから、「両方の視点から平和を学ぶ教育の拠点になるのではないか」と考えた。
 
 バスツアーの企画を練ったが、予算面など高校生には難しかった。そこで、今年2月に高校生を対象にしたウオーキングツアーを企画、実行して手応えを得た一方、「単発では意味がない」と感じた。ゼミ活動のまとめ発表で「地域の持続的なイベント化を目指す」と展望したところ、2人の活動が市職員らの目に留まり、バスツアーが実現した。市教委文化財課の協力を得て市主催事業となり、ツアーのコースを決定。市郷土資料館や釜石観光ガイド会などの力も借り、案内役として知識の深化に取り組んだ。
 
釜石の戦跡を巡るバスツアー。参加者を誘導する佐藤さん(右)

釜石の戦跡を巡るバスツアー。参加者を誘導する佐藤さん(右)

 
移動中の車内でもまちの歴史を解説した(写真:釜石市提供)

移動中の車内でもまちの歴史を解説した(写真:釜石市提供)

 
 ツアー当日、2人はマイクロバスで約3時間半かけて5カ所を案内した。印象に残りやすい戦跡として選んだ小川町の防空壕(ごう)跡では、普段は閉じられている扉を開き、参加者に“体験”を促した。奥行き約50メートル、岩盤に設置されたこの壕には艦砲射撃の際、住民約50人が避難したとされる。「白いブラウス(女学生のこと)が目立ち、入れてもらえず、山中に逃げた」などと事前に学んだ体験者の声を引用しながら、当時の状況を伝えた。
 
小川防空壕跡で戦時中のエピソードを紹介する高校生

小川防空壕跡で戦時中のエピソードを紹介する高校生

 
高校生の解説にじっと耳を傾けるツアー参加者

高校生の解説にじっと耳を傾けるツアー参加者

 
戦時中の状況を考えながら防空壕跡を見学する参加者

戦時中の状況を考えながら防空壕跡を見学する参加者

 
 嬉石町の隧道(ずいどう=トンネル)避難口は、住宅街の一角に残る戦跡。「戦争を身近なものとして考えてほしい」とツアーに組み込んだ。「加害の側面からも考えなければ」と案内した大平町の大平公園内にある日本中国永遠和平の像では戦時中に亡くなった外国人捕虜を悼んだ。
 
嬉石隧道避難口では体験者の声を引用し当時の状況を伝えた

嬉石隧道避難口では体験者の声を引用し当時の状況を伝えた

 
平和を考える場所として薬師公園や大平公園なども巡った

平和を考える場所として薬師公園や大平公園なども巡った

 
 参加者は「(戦争の歴史は)だいたい知っていると思っていたが、高校生に新しいことを教えてもらった。新鮮な体験になった」などと感想。観光ガイドとして活動する栗林町の川崎通さん(68)は「学んだことを届けたいという懸命さが伝わってきた。手書きの地図とか視覚的に訴えたり、参加者への気遣いがすごい。自分も頑張らなきゃと刺激になった」と話した。
 
 ツアーを終えた2人は「やってよかった」と声をそろえた。中澤さんは「つたない説明に反応してくれたり、知らなかったことを教えてくれたり、うれしかった。これで終われないと思った。学びを深め、戦争の記憶を将来につなげたい」とうなずいた。
 
 佐藤さんは「市内には戦争の跡が残っているのに知らない人が多い。戦争の記憶が忘れられてしまう」と危機感を持つ。地域に根づくイベントとして継続の形を思案中。「若い人たちが積極的に学び、継承していくことが重要になる。戦後80年の節目で終わらせるのではなく、後輩や他校の生徒にも声をかけたい」と見据えた。
 

郷土資料館で企画展 未来に伝える「釜石艦砲射撃」

 
釜石市郷土資料館では戦災資料展が開かれている

釜石市郷土資料館では戦災資料展が開かれている

 
 ツアーの発着点となった市郷土資料館(鈴子町)では、戦災資料展「艦砲射撃80年―未来に伝えるために」が開催中。「釜石艦砲」の激しい砲撃をくぐり抜けて残った家財道具、当時の様子を描いた油絵や写真など170点余りを展示している。ツアーの中で、佐藤さんと中澤さんは砲弾の破片などの展示物を解説。「これを機に戦争について深く考えてほしい」と呼びかける。
 
 日本が軍事色を強めていく中、釜石のまちも製鉄所を中心に工業用地を広げ設備、生産の増強を図るなど戦時色が濃く塗り重ねられていった。戦争にどう関わっていたか…兵士として戦地に赴いた人々と残された家族、艦砲射撃で亡くなった外国人捕虜の存在など戦中、戦後復興の様子を写真や解説パネル、兵士の持ち物など展示物で紹介する。
 
兵士の持ち物や手紙など戦争にまつわる展示物が並ぶ

兵士の持ち物や手紙など戦争にまつわる展示物が並ぶ

 
 今回の注目は、釜石出身で埼玉県在住の角田陽子さん(81)から今春寄贈された小さな木製の机。床に座って読み書きする際に使う「文机」と呼ばれるものだ。45年1月に戦病死した父・鈴木正一さんが作った。7月14日、母・郁子さんは艦砲の犠牲になった。当時、角田さんは1歳。両親の記憶はないが、戦火を逃れた机は形見として大事にしてきた。「戦争の記憶を後世に」。両親への思いなどをつづった詩集「文机」(自費出版)、正一さんが残した手紙、郁子さんが手作りしたレース小物を添え、今回初めて公開している。
 
初公開の「文机」。家族の遺品と共に展示されている

初公開の「文机」。家族の遺品と共に展示されている

 
 敗戦後、捕虜として極寒のシベリアに抑留された人々の過酷な生活の一端も紹介する。アルミ製と見られる手製のスプーンは収容所で与えられる食料が硬かったことから、食材をつぶすのに使われたものとのこと。盗難防止のためか、「マスサハ」と名が刻まれている。不十分な防寒具、深刻な栄養失調、体力が落ちる中での重労働…。そうした生活から生還、引き揚げ後に釜石で暮らした「鱒澤宣比古さん」の親族が「見て、知ってほしい。目を向けてほしい」と望み、今展に並べられた。
 
「シベリア抑留」の生活の一端を紹介する展示

「シベリア抑留」の生活の一端を紹介する展示

 
 鱒澤さんにまつわるものは他にも。その“命をつないだスプーン”の隣には、日本の家族と交わしたはがきがある。日本語に不慣れな旧ソ連の検閲官が読めるよう書かれた文字は全て片仮名。「イツカハカヘルユエキヲツケテマテ」「タノシキハルモマタオトズレルデアラウ」などと家族を気遣う言葉がしたためられている。日ソ共同宣言により、抑留者に国からの補償はないが、日本政府から銀杯が贈られた。その箱に記された「慰労杯」との墨文字。本人が書いたものだという。同館の佐々木寿館長補佐は、親族の言葉を伝える。「よっぽど悔しかったのだと思う。面白人だった」と。
 
戦火跡を残す家財道具が展示されたコーナー

戦火跡を残す家財道具が展示されたコーナー

 
 戦災資料展は9月7日まで(火曜休館)。午前9時半~午後4時半(最終入館は同4時)。入館料200円(高校生以下無料)。

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地球にやさしいごみ処理に「なるほど!」 沿岸南部クリーンセンター見学会大盛況

ごみクレーンの動きに興味津々の来場者=岩手沿岸南部クリーンセンター施設見学会

ごみクレーンの動きに興味津々の来場者=岩手沿岸南部クリーンセンター施設見学会

 
 釜石市平田の「岩手沿岸南部クリーンセンター」は26日、一般向けの施設見学会を開いた。釜石、大船渡、陸前高田、大槌、住田3市2町のごみを「ガス化溶融炉」で処理する同施設。来場者は普段見ることのない工場棟を見学し、収集されたごみが再資源化されるまでの処理過程に理解を深めた。この日は同見学会としては過去最多の167人が訪れた。
 
 来場者はDVDで施設概要について学んだ後、職員の案内で工場棟に向かった。同施設には、ごみを高温で溶かして処理する溶融炉が2炉ある。炉の内部は1800度にも達し、溶融物は各種処理を経て、「スラグ」と「メタル」という資源物に再生される。1日に147トン(73.5トン×2炉)のごみ処理が可能で、73.5トンの処理からスラグ約6トン、メタル約2トンができる。黒っぽい砂状のスラグは道路などの舗装用材として活用。小石状の鉄の塊メタルは建設機械後部の重しや製鉄所などで有効利用される。これにより、最終処分場での埋め立て量を減らすことができる。
 
ガス化溶融炉や排ガス処理設備、蒸気タービン発電機などを窓越しに見学

ガス化溶融炉や排ガス処理設備、蒸気タービン発電機などを窓越しに見学

 
 施設では、溶融処理で発生するガスの熱エネルギーを利用した発電も行っている。熱で作った蒸気の力で発電機を動かす「蒸気タービン発電機」を備え、作られた電気は場内の設備の稼働、照明、暖房などに利用される。余った電気は電力会社に売電。余熱を利用して湯も沸かし、浴場として平日に無料で一般開放している。溶融炉で発生したガスはダイオキシン類などの有害成分を分解し、薬品やフィルター処理を施した後、クリーンな状態で建屋の煙突から排出される。
 
 来場者は365日24時間体制でプラントを監視する中央制御室、クレーンでごみを撹拌(かくはん)し溶融炉に投入するごみピットなどを見学。クレーンは一度に約700キロのごみをつかんで、15分間隔で炉頂から入れることも聞き、驚きの声を上げた。
 
中央操作室、ごみクレーン運転室にはさまざまなコンピューター機器が並ぶ

中央操作室、ごみクレーン運転室にはさまざまなコンピューター機器が並ぶ

 
ごみを撹拌(かくはん)し、溶融炉に投入する作業について技術担当者が説明

ごみを撹拌(かくはん)し、溶融炉に投入する作業について技術担当者が説明

 
 同市の佐々木久美子さん(70)は浴場の利用やごみの持ち込みで施設を訪れたことはあるが、内部の見学は初めて。「ごみ処理のしくみがよく分かった。普段からごみの分別には気を付けていて、4月から始まったプラごみ分別も頑張っている。収集業者さんに迷惑をかけないよう協力していければ」と意識をさらに高めた。地元平田地区の女性(54)は「処理過程をモニターで見たりするとより理解が深まる。たくさんの熱が生まれているのにも驚き。もっと有効活用が図られれば」と今後に期待した。
 
 この日は施設見学ツアーのほか、県環境学習交流センター(盛岡市)による出張学習会が開かれた。手回し発電体験やエコチェック、自然素材の工作コーナーなどがあり、幅広い世代が楽しんだ。浴場も特別開放した。
 
県環境学習交流センター(盛岡市)が出張。環境に関わる各種体験コーナーを設けた

県環境学習交流センター(盛岡市)が出張。環境に関わる各種体験コーナーを設けた

 
手回し発電機やうちわで発電体験(写真左)。クリーンセンターをモニターで学ぶ機器も(同右)

手回し発電機やうちわで発電体験(写真左)。クリーンセンターをモニターで学ぶ機器も(同右)

 
 同施設は沿岸南部5市町が共同で建設した。稼働開始を予定していた2011年4月を前に東日本大震災が発生。施設は津波による大きな被害は免れ、電気設備の復旧後に本格稼働した。14年8月までは被災4市町の災害廃棄物処理も行った。近年は人口減や資源物の分別収集などで、ごみ処理量は減少傾向にある。2024年度の処理量は約2万5100トン(前年度比約1300トン減)。
 
 施設へのごみの直接持ち込みは現在、平日に限り受け入れているが、生活スタイルの多様化や社会情勢の変化に伴い、休日受け入れについても検討するため、試験的に9月まで月1回(第3土曜日)の受け入れを実施している。対象は釜石市と大槌町の住民。(詳細は市のホームページを参照)

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海開き!歓声響く 釜石・根浜海岸 水上、水中から魅力体感 砂浜遊びも満喫

水遊びを楽しむ人でにぎわう根浜海岸海水浴場

水遊びを楽しむ人でにぎわう根浜海岸海水浴場

 
 釜石市鵜住居町の根浜海岸海水浴場は19日、海開きした。この日、仙台管区気象台は、岩手県を含む東北北部が梅雨明けしたとみられると発表。平年より9日、昨年より14日も早く夏本番を迎えた浜辺には水遊びを楽しむ人たちの笑顔が広がった。
 
 海開きを前に関係者が神事を執り行い、開設期間中の無事故を祈った。子どもたちはカラフルな浮輪などを手に海に入り、「冷たーい」と歓声。遊泳や飛び込みを楽しんだり、波打ち際で波と戯れたり、砂浜に穴を掘って遊んだ。
 
海遊びを楽しむ子どもたち。カラフルな浮輪が海を彩る

海遊びを楽しむ子どもたち。カラフルな浮輪が海を彩る

 
波と戯れたり水しぶきを上げたり思い思いに楽しむ

波と戯れたり水しぶきを上げたり思い思いに楽しむ

 
砂浜で遊びながら笑顔を見せる子どもたち

砂浜で遊びながら笑顔を見せる子どもたち

 
 市内で海に関わる活動を展開する団体などで組織する実行委が海遊びイベントを開催。水上バイクやシュノーケリング、シーカヤック、スタンドアップパドルボード(SUP=サップ)など多彩な体験プログラムを家族連れらが楽しみ、浜辺がにぎわった。
 
ずぶぬれが楽しい!水鉄砲を手に歓声を上げる

ずぶぬれが楽しい!水鉄砲を手に歓声を上げる

 
海の魅力を全身で味わえる海遊びイベント

海の魅力を全身で味わえる海遊びイベント

 
 市内の小学生西条心葉さんと平松実桔さん(ともに2年)は「水が冷たいけど、気持ちいい。浮かんだりするのもいいけど、砂遊びが楽しい」と夢中になった。そばで見守る平松さんの父、達人さん(38)は「釜石には海があるから来ないのはもったいない。ただで遊べるし。日本各地で砂浜が減っているとも聞くから、貴重な場所」と、子どもたちと一緒に海の魅力を満喫した。
 
涼を求めて根浜海岸へ。思い思いに水遊びを楽しむ

涼を求めて根浜海岸へ。思い思いに水遊びを楽しむ

 
 海水浴場は8月24日まで開設。午前10時~午後4時に遊泳できる。期間中は監視員が常駐。週末を中心に活動する釜石ライフセービングクラブの菊池健一代表(53)は「海に来たら監視所に立ち寄り、海の状況を聞いてほしい。日焼けや熱中症を防ぐ対策、準備も大事。遊泳区域、ルールを守って楽しい海遊びを」と呼びかける。

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描く自由と歩む 釜石の“日曜画家”小野寺豊喜さん 静かな語りでひも解く創作の道

展示会で自身の作品を解説する小野寺豊喜さん

展示会で自身の作品を解説する小野寺豊喜さん

 
 釜石市民ホールTETTO(釜石市大町)の自主事業「art at TETTO(アート・アット・テット)」は、釜石地域で創作活動に取り組む作家らの多彩な才能に出合える場として定着する。第15弾として取り上げられた“日曜画家”の小野寺豊喜さん(76)=同市鵜住居町=は19日までの10日間、油彩による具象画を中心に80点余りの作品を展示。会期中の12日にはトークイベントを行い、自身の作品を解説した。
 
 余暇に趣味として絵を描く日曜画家を自称する小野寺さんは、30歳の時に参加した市主催の絵画教室をきっかけに創作活動を始めた。参加仲間らと自主活動グループ「釜石市民絵画教室」(現・釜石絵画クラブ)を立ち上げ、後に同教室の5代目会長も務めた。活動歴約45年で、グループ展や市民芸術文化祭への出展は多数。昨年11月には同ホールで初の個展を実現させた。
 
 個展の「続き」「再挑戦」という今回の作品展では、多くが再展示となった。メイン作品として掲げた「明日への希望を託す」は東日本大震災を題材に、がれきが積み重なるなど実際に目にした光景に2人の孫の姿を入れて画面構成。手を取り、前を向いて歩み出す様に「未来的なもの」を込めてタイトル付けしたという。
 
震災をテーマにした作品「明日への希望を託す」(右)

震災をテーマにした作品「明日への希望を託す」(右)

 
 画材は、季節の花や果物などの静物、海や山といった自然風景などさまざま。定番モチーフの一つが新巻きザケで、小野寺さんは「三陸のサケは顔がいいですよ」とニヤリと笑った。「旧釜石鉱山」「昔の製鉄所風景」と題した作品は、建屋の解体前に撮った写真や記憶を重ねて「記念に残そう」と筆を握った。
 
 「目に留まったものを描く」スタイルに合う街並みの一つが、函館。「面白い建物があって。教会とか、異国情緒な風景を描いてみたい」と絵心をそそられる。話を聞いていた人から「その場でスケッチするの?写真を撮るの?」と質問されると、小野寺さんは「頭の中に記憶する。時間があればスケッチすることも。色とかは忘れるので、写真は撮るが、写真を見ながら描くことはしない。いらないものまで描いたりしてしまうから。いろんな手法を取り入れている」と、創作の一端をひも解いた。
 
荒々しい岩々を描いた作品。創作意欲をかき立てるモチーフの一つ

荒々しい岩々を描いた作品。創作意欲をかき立てるモチーフの一つ

 
四季折々の風景、植物、魚、街並み、建物…画材はさまざま

四季折々の風景、植物、魚、街並み、建物…画材はさまざま

 
 「はっきりこうだ-と言いたくない。見た人が自由に感じ取ってほしい」。小野寺さんがそう紹介した一枚は、他の展示作品とは少し毛色が異なる。タイトルは「登る」。自身にとっては「挑戦」という抽象的な作風だ。未完の作品で、色合いを変えたり加筆し、岩手芸術祭に出品する予定。「私が描く自由、いろんな描き方に挑戦しようと向き合う作品。まだ若いので、もう少し踏ん張って別の方向性を見つけたい」と思いを明かした。
 
小野寺さんの解説を楽しむ来場者。手前は新作「登る」

小野寺さんの解説を楽しむ来場者。手前は新作「登る」

 
「油彩は自由さがあるから」と笑顔で話す小野寺さん

「油彩は自由さがあるから」と笑顔で話す小野寺さん

 
 新たな方向性を探しつつも、「自由さがある油彩」で創作活動を続ける構え。描いていると、ななめ、横、上下などさまざまな角度からモノを見る視点が必要となり、色を重ね合わせたり削ったりする作業は「人生と重なる。やればやるほど発見、気づきがある」と実感を込めて話す。「うまい、へたではなく、思いっきりやるのがいい」。意欲に衰えはない。

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マルシェ、ラベンダー、音楽、史跡ガイド 祝10周年! 五感で楽しむ世界遺産「橋野鉄鉱山」 

「橋野鉄鉱山」世界遺産登録10周年を記念したイベント=13日、インフォメーションセンター駐車場

「橋野鉄鉱山」世界遺産登録10周年を記念したイベント=13日、インフォメーションセンター駐車場

 
 明治日本の産業革命遺産「橋野鉄鉱山」の世界遺産登録10周年を祝う現地イベントが13日、釜石市橋野町の同インフォメーションセンター周辺で開かれた。目にも鮮やかな青空と深緑が織りなす空間に飲食や手作り雑貨のマルシェが出現。隣接するフラワーガーデンではラベンダーが見頃を迎え、夏景色を広げた。市内外から約650人が来場。史跡見学とともに各種催しを楽しみ、歴史、文化、自然が融合する同所の魅力を堪能した。
 
 地元郷土芸能「橋野鹿踊り」がオープニングを飾った。“館褒め”から7演目を披露し、世界遺産10周年を盛大に祝った。 橋野鹿踊り・手踊り保存会の菊池郁夫会長は「コロナ禍前以来の久しぶりの披露」と喜びを重ね、「登録時から来訪客は減っているが、市にももっとアピールしてもらって集客につなげられれば。地元団体としても事あるごとに応援していきたい」と協力姿勢を見せた。
 
マルシェ開幕を彩った「橋野鹿踊り」。総勢24人が伝統の舞で盛り上げた

マルシェ開幕を彩った「橋野鹿踊り」。総勢24人が伝統の舞で盛り上げた

 
 センター駐車場のマルシェ会場には市内外のキッチンカー、農水産物業者、ハンドメイド作家など30店舗が軒を連ねた。来場者は店主らとの会話も楽しみながら、気に入った作品を購入したり、飲食を楽しんだりした。宮古市の藤田夏穂さん(22)は貝殻など天然素材の手作りアクセサリーを販売。他のイベントで知り合った出店者から情報を得て、初めて同所に足を運んだ。「空気がきれいで緑豊かな景色が素敵。終わったら高炉跡も見ていきたい」と見学も楽しみに…。世界遺産と絡めたイベントへの出店も初めてで、「インスタグラムとかで自分が出店情報を発信することで、遺産を知らない若い世代が知るきっかけになったらうれしい」と相乗効果にも期待した。
 
多彩な木工品に興味津々の来場者

多彩な木工品に興味津々の来場者

 
「CASIN」の屋号で手作りアクセサリーを販売した藤田さん。5月から始めたイベント出店は「お客さまとの交流が楽しい」という

「CASIN」の屋号で手作りアクセサリーを販売した藤田さん。5月から始めたイベント出店は「お客さまとの交流が楽しい」という

 
 四季折々の自然風景も魅力の橋野鉄鉱山。センター隣にあるフラワーガーデンの夏を彩るのがラベンダーの開花だ。例年この時期は、庭園を管理する橋野町振興協議会による観賞イベントが行われるが、今年は同10周年イベントと共催した。来場者は刈り取りやラベンダースティック作りを体験。さわやかな香りに身も心もリフレッシュしながら、心地よい時間を過ごした。宮古市と山田町から訪れた60代女性2人は「桜の時期に来たことはあるが、ラベンダー畑があるのは知らなかった」と再発見。「いい香りに癒やされました。今日は風もあって最高に気持ちいい。下界はもっと暑いだろうけど」とにっこり。ドライフラワーにするのを楽しみに会場を後にした。
 
橋野鉄鉱山フラワーガーデンでラベンダーの刈り取りを楽しむ親子。トンボもいい香りに誘われて…?

橋野鉄鉱山フラワーガーデンでラベンダーの刈り取りを楽しむ親子。トンボもいい香りに誘われて…?

 
リボンと編み込む「ラベンダースティック」の製作体験。インテリア小物にも

リボンと編み込む「ラベンダースティック」の製作体験。インテリア小物にも

 
園芸店の方から学ぶ寄せ植え体験もあった(写真左が完成品)。刈り取ったラベンダーは各自お持ち帰り。スタッフが活用法なども教えた

園芸店の方から学ぶ寄せ植え体験もあった(写真左が完成品)。刈り取ったラベンダーは各自お持ち帰り。スタッフが活用法なども教えた

 
 センターの建物内では「森の音楽会」と題したバイオリンのミニコンサートが開かれた。仙台フィルハーモニー管弦楽団第2バイオリン副首席奏者で、ハナミズキ音楽アカデミーを主宰する小川有紀子さんが教え子らと演奏。東日本大震災以降、釜石市で継続的に演奏を披露している小川さんが同世界遺産の節目に花を添えた。
 
小川有紀子さん(写真左)によるバイオリンミニコンサート。インフォメーションセンターが音楽堂に早変わり

小川有紀子さん(写真左)によるバイオリンミニコンサート。インフォメーションセンターが音楽堂に早変わり

 
橋野鉄鉱山高炉場跡をガイドが案内。手前が一番高炉、奥が二番高炉。当時の高さは約8メートル。今は花こう岩の石組みだけが残る

橋野鉄鉱山高炉場跡をガイドが案内。手前が一番高炉、奥が二番高炉。当時の高さは約8メートル。今は花こう岩の石組みだけが残る

 
 にぎわい創出と合わせ、もちろん史跡への理解を深める機会も。釜石観光ガイド会の千葉まき子、菊池弘充両ガイドの案内で高炉場跡を見学するツアーが午前と午後に行われた。高炉の石組みに使われた花こう岩や製鉄原料の鉄鉱石を産出した大地の成り立ち、鉄鉱石が発見された経緯、大島高任とその協力者がこの地に高炉を建設し操業に成功した理由、世界遺産としての価値などを説明。参加者は約160年前の製鉄風景を想像しながらガイドの話に聞き入った。
 
釜石観光ガイド会の2人が参加者の質問にも答えながら現地を案内

釜石観光ガイド会の2人が参加者の質問にも答えながら現地を案内

 
炉底塊に磁石が引きつけられる感覚を味わい、製鉄の証拠を確認(写真左)。参加者は高炉稼働時に想像を巡らせながらガイドの話に聞き入った

炉底塊に磁石が引きつけられる感覚を味わい、製鉄の証拠を確認(写真左)。参加者は高炉稼働時に想像を巡らせながらガイドの話に聞き入った

 
 東京都の藤野純一さん(53)は仕事で同市を訪問。駅で同イベントのチラシを見つけ、仕事仲間と足を運んだ。「オランダの技術を勉強したとはいえ、(見たこともない高炉を)ゼロから造り上げたというのは改めてすごいなと。残っていなかったかもしれない史跡がこうして残っているのも素晴らしい」と感心。「ガイドさんの説明も分かりやすく、来られてラッキーでした」と大喜びだった。
 
 この日は唐丹、平田両公民館が合同で企画したバスツアーで約30人が訪れた。両地区は震災の津波で被災。復興へ苦労の道のりを歩む中で、同世界遺産登録は被災住民にとっても希望の光となった。唐丹町の小濱勝子さん(83)は「もう10年になるんですねぇ」と感慨深げ。“鉄のまち”を象徴する遺産を「やっぱり大事にしていかないとね。人口は減ってくるが、釜石として自慢できるものをみんなで力を貸して守っていければ。10年経ったから終わりではなく、これから先の世代にもこの歴史を伝えていかなくては」と継承の大切さを訴えた。
 
幅広い世代が訪れた「橋野鉄鉱山マルシェ」。多くの人に同所を知ってもらう機会にもなった

幅広い世代が訪れた「橋野鉄鉱山マルシェ」。多くの人に同所を知ってもらう機会にもなった

 
 市教委文化財課世界遺産室の森一欽室長は「思ったより盛況で何より。これまで史跡の価値といった部分にPRが集中していたが、あまり堅苦しくなく周知できればとの思いもあり、このような催しを企画した。視点を変えた遺産の活用、人を呼び込む方策も今後、考えていければ」と話した。

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「橋野鉄鉱山」世界遺産登録10周年 価値をどう伝える? シンポジウムで“今後”を考える

世界遺産登録10周年記念シンポジウムでは歴史作家の河合敦さんが講演=12日、TETTO

世界遺産登録10周年記念シンポジウムでは歴史作家の河合敦さんが講演=12日、TETTO

 
 釜石市橋野町の橋野鉄鉱山を含む「明治日本の産業革命遺産」(8県11市23資産)はこの7月で、世界文化遺産登録から10周年を迎えた。同市では12日、記念式典とシンポジウムが大町の市民ホールTETTOで開かれ、約200人が基調講演やパネルトークに耳を傾けた。「釜石での鉄づくりの成功がなければ日本の近代化はなしえなかった―」。参加者は遺産が物語る価値を再認識しながら、今後の発信、活用の在り方を考えた。
 
 式典で達増拓也県知事は、釜石の地で国内初の鉄鉱石による連続出銑に成功した盛岡藩士・大島高任を「そのたゆまぬ努力と功績はわが国、世界の大きな至宝」と称賛。平泉、御所野遺跡(北海道・北東北の縄文遺跡群)と合わせ、「本県は3つの世界遺産を有する。奈良、鹿児島と並び日本最多」と誇りを示した。小野共釜石市長は世界遺産登録に関わる歩みが震災復興期間と重なったことで、「復興途上の沿岸自治体の希望をつなぎ、復興を押し進める力となった」と分析。活用には多くの課題があるが、「価値と魅力を市内外に伝える取り組みを継続していく」と誓った。
 
「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の世界遺産登録10周年にあたり、達増拓也県知事(写真左上)があいさつ

「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の世界遺産登録10周年にあたり、達増拓也県知事(写真左上)があいさつ

 
 日本製鉄北日本製鉄所釜石地区は、釜石製鉄所関連の所蔵資料1067点を同市に寄贈した。1985年の市立鉄の歴史館建設時に同市に寄託され、展示などに活用されてきたもので、高瀬賢二副所長(釜石地区代表)が小野市長に目録を手渡した。小野市長は同社に感謝状を贈って謝意を表した。
 
日本製鉄北日本製鉄所釜石地区が所蔵資料を釜石市に寄贈。右から高瀬賢二副所長、小野共市長

日本製鉄北日本製鉄所釜石地区が所蔵資料を釜石市に寄贈。右から高瀬賢二副所長、小野共市長

 
 基調講演の講師はテレビ出演でもその名を知られる、歴史作家で多摩大客員教授の河合敦さん。幕末からわずか50年の間に急激な産業化を成し遂げた日本の技術力やその背景について解説した。同世界遺産の大きな価値は「西洋の技術を単に模倣したのではなく、日本の伝統技術を使って近代化に成功しているところ」と河合さん。これは非西欧地域では初めてのことだ。
 
 江戸後期、鎖国下の日本で唯一オランダとの貿易が許されていた長崎では、英軍艦フェートン号の不法侵入事件を機に外国船の脅威が高まる。港の警備にあたる佐賀藩主・鍋島直正は、(後に大島高任も師事する)伊東玄朴に翻訳させた蘭書を基に洋式大砲の研究を重ね、1852年、反射炉を用いた鉄製大砲の鋳造に成功。58年に設置した三重津海軍所では、日本初の本格的な蒸気船を完成させた(同海軍所跡が世界遺産)。佐賀藩の反射炉技術は幕府、萩、薩摩藩に伝播。薩摩藩では石垣の技術を石組みに、薩摩焼の技術をれんがに応用した。
 
幕末から明治の産業革命について話す河合敦さん(右)。分かりやすい解説はテレビでもおなじみ

幕末から明治の産業革命について話す河合敦さん(右)。分かりやすい解説はテレビでもおなじみ

 
 では、なぜ藩主や武士のような知識階級だけでなく、職人などの庶民に高度なことができたのか? 河合さんは「江戸時代に教育施設が普及し、多くの人が寺子屋や私塾に通って、文字の読み書きや計算をできるようになっていたから」と推測する。統計はないが、「幕末の江戸中心部では住民の半数が読み書きできたのでは」と言われているという。実際、同時代にはさまざまな分野の本も出ていて、「高度な教育力や出版文化の広がりが(技術力に)大きく関係している」と話す。こうした背景により、山口県萩市に残る吉田松陰の「松下村塾」(塾舎)も世界遺産の構成資産となっている。
 
 「根底には日本の独立を守らねばという気持ちがあり、大島高任のような(学びを深める)人間が生まれてきたのだと思う。教育、文化水準が高いという素地があったからこそ、日本は短期間で近代国家に転身できたのだろう」と河合さん。橋野鉄鉱山の魅力発信の方策として、「VR(仮想現実)で実際の高炉建屋や鉄が流れ出る様子を体験できるようにすれば、もっと興味を持って足を運んでもらえるのでは」とのアイデアも示した。
 
世界遺産「橋野鉄鉱山」を含む釜石の鉄の歴史を今後、どう生かすか? 意見を交わしたパネルトーク

世界遺産「橋野鉄鉱山」を含む釜石の鉄の歴史を今後、どう生かすか? 意見を交わしたパネルトーク

 
 パネルトークは「釜石の鉄の歴史を活用する」というテーマで行われた。岩手大理工学部准教授で鉄の歴史館名誉館長の小野寺英輝さんがコーディネーターを務め、これまで橋野鉄鉱山に関わる活動を行ってきた3人から話を聞いた。
 
 教員時代、釜石市の2中学校で鉄の歴史を含む郷土学習に取り組んだ森本晋也さんは「古里を学ぶことで地域への愛着、誇りが生まれる」と実感。当時、生徒と「地域を学ぶ」のか「地域に学ぶ」のかが話題になったと明かし、「先人の生き方や歴史を通して、生徒は『自分はどう生きればいいのか』考える機会にもなった」と振り返った。現県立図書館長の立場から、「シビックプライド」の醸成にも言及。単なる郷土愛ではなく、積極的にまちづくりに関わる当事者意識、地域の一員としての自負心を育もうとするもので、「郷土資料と人々をつなぎ、まちを良くしたいという能動的な態度を育成していければ」と望んだ。
 
釜石二中、釜石東中赴任時に取り組んだ郷土学習について紹介する森本晋也さん。各種教育職を経て、2023年度から県立図書館長を務める

釜石二中、釜石東中赴任時に取り組んだ郷土学習について紹介する森本晋也さん。各種教育職を経て、2023年度から県立図書館長を務める

 
 釜石観光ガイド会に所属し、橋野鉄鉱山を含む地元製鉄の歴史、三陸ジオパークに関わる伝承活動を行う伊藤雅子さんは「いかに興味を持ってもらうか」に重点を置く。難しくなりがちな内容だけに、「聞く人の地元に関わる話を織り交ぜたり、興味を損なわないよう相手の様子を見ながら話すようにしている」という。パンフレットやWeb上の情報だけではなく、その奥に広がる事象を伝えられるのが現地ガイドの魅力。「分かりやすく楽しく」。お客さまの滞在時間に合わせ時間内に収めることも心がける。
 
釜石観光ガイド会の伊藤雅子さん(写真左上)、震災語り部としても活躍する橋野町の菊池のどかさん(同右上)は同市の歴史や魅力に目を向けてもらうための考えを述べた

釜石観光ガイド会の伊藤雅子さん(写真左上)、震災語り部としても活躍する橋野町の菊池のどかさん(同右上)は同市の歴史や魅力に目を向けてもらうための考えを述べた

 
 橋野鉄鉱山がある橋野町に暮らす菊池のどかさんは、小中学校の出前授業や体験学習で、同遺産への理解を深めていった。大学の卒業論文では同鉄鉱山を取り上げ、地元の魅力発信に関わる活動を続けている。歳月の経過は人々の興味、関心を風化させることにもなるが、「風化した後でも何かきっかけがあれば学びの機会は得られる。後の世代の人たちの気付きにつながるものを残していくことはできるのではないか」と今後の活動を見据えた。
 
 会場に足を運んだ橋野町出身、栗林町在住の女性(75)は「先祖が栗橋分工場で働いていた。地元の鉄の歴史は家族の歴史とも重なる。大学生の孫も興味を持ち始めた。貴重な歴史をしっかり後世に伝え、つないでいく必要がある」と語った。

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夏だ!安全に楽しく泳ごう 釜石市営プール 屋外50メートルプール開放 8月17日まで

(屋外)プール開きの安全祈願祭=12日、釜石市営プール(大平町)

(屋外)プール開きの安全祈願祭=12日、釜石市営プール(大平町)

 
 釜石市大平町の市営プールは12日から屋外50メートルプールの利用を開始した。小中学校の夏休み期間に合わせ、8月17日まで開放予定。今季は熱中症対策として、プールサイドに熱中指数計を設置。監視員による安全管理体制も強化し、利用者の事故防止につなげる。
 
 12日午前、プールサイドで利用者の安全を祈る神事が行われた。同プール市指定管理者の協立管理工業(小笠原拓生社長)、釜石水泳協会(山崎達会長)が主催。関係者17人が出席した。尾崎神社(浜町)の佐々木裕基宮司が祝詞を奏上。出席者の代表が玉串をささげ、シーズン中の無事故を祈願した。市文化スポーツ課の清藤美穂係長は「誰もが快適に利用できるよう協立管理工業と連携、協力を密にし、施設運営、維持管理に当たっていきたい」とあいさつした。
 
プール利用者の安全を祈る釜石水泳協会の代表(写真上)。市と指定管理者の協立管理工業は連携し快適な利用環境を目指す
 

プール利用者の安全を祈る釜石水泳協会の代表(写真上)。市と指定管理者の協立管理工業は連携し快適な利用環境を目指す

 
 同プールで練習する、かまいしスイミングクラブ(SC)の小中高生ら14人が試泳した。連日の暑さが一段落したこの日は午前10時時点で気温21.5度、水温23.4度。曇り空で、プール開きには少し肌寒い気候となったが、子どもたちはリレー形式で得意種目を力泳し、今季の練習に弾みを付けた。
 
 藤原莉那さん(双葉小6年)はバタフライで試泳。「めちゃくちゃ(水が)冷たかった」と身震いするも、「夏の間、外で泳ぐのは楽しみ」とにっこり。9月に出場する大会は50メートルプールで泳ぐため、「ここで練習を頑張り、県大会で一番になりたい」と目標を掲げた。佐々木千温さん(釜石中1年)は「気温が暖かいので、水が冷たくても気持ちいい」と屋外泳を満喫。19日から開催される県中総体水泳競技に、かまいしSCとして出場予定で、得意の平泳ぎなどで「タイムを1秒でも縮めたい」。リレーメンバーにもなっており、「クラブチームとしても良い成績を残せるように頑張りたい」と意気込んだ。
 
かまいしスイミングクラブの小中高生が試泳し、プール開きを祝う

かまいしスイミングクラブの小中高生が試泳し、プール開きを祝う

 
今季のレベルアップを願いながら力強い泳ぎを見せるクラブ会員

今季のレベルアップを願いながら力強い泳ぎを見せるクラブ会員

 
 同プールは開設から55年が経過。近年は、老朽化による設備の不具合などが発生している。屋外には幼児プールと25メートルプールもあるが、周辺地盤の調査で危険性が指摘されたため、2021年度から利用休止状態が続く。昨年度のプール(屋内・屋外)利用者数は約3万3千人(前年度比約8千人増)。新型コロナ感染症の影響で20年度から2万人台で推移していたが、ようやく以前の水準に戻りつつある。
 
 屋外プールでの熱中症対策として、今年から「熱中指数計」も導入した。温度や湿度、輻射(ふくしゃ)熱を測定し、「注意→警戒→厳重警戒→危険」と4段階でリスクを知らせてくれるもので、感知すると音が鳴るという。協立管理工業の藤澤正明総務主任は「市の熱中症警戒アラートも判断基準に、連続して1時間以上は泳がせないなどの対策を講じる。各自、プールサイドにドリンク類を置いて、速やかに水分補給ができる態勢も取ってほしい。プールから上がって休む場合は日陰に移動を」と呼び掛ける。
 
屋外50メートルプールの水深は1.4~1.6メートル。写真右下は「黒球式熱中指数計」

屋外50メートルプールの水深は1.4~1.6メートル。写真右下は「黒球式熱中指数計」

 
 今季の屋外プール開放は8月17日まで。市内小中学校の夏休み期間は無休で、午前10時半に開場する。同期間中は市内中学校の生徒は生徒手帳の提示で無料。学校プールの開放がない2小学校の児童も無料で利用できる。

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戦後80年…記憶継承へ 高校生発案!釜石の戦跡めぐるバスツアー、まもなく出発

企画の実行を心待ちにする佐藤凛汰朗さん(左)と中澤大河さん=6月17日、釜石高校

企画の実行を心待ちにする佐藤凛汰朗さん(左)と中澤大河さん=6月17日、釜石高校

 
 7月14日。釜石市にとってはどんな日か。太平洋戦争末期の1945(昭和20)年、米艦隊による本州初の艦砲射撃を受けた日だ。まちを襲った1回目の砲撃から80年となる、きょう14日、市内には犠牲者の冥福を祈る黙とうを呼びかける防災行政無線のサイレンが響く。
 
 「戦後80年、どういう意味を持つか。経験者は高齢に、若者が継承していく時代に入っている」。そう思いを巡らす釜石市の高校生2人が、まちに残る戦争の記憶“戦跡”をたどるバスツアーを企画し、実行へ準備を進めている。本番は21日。戦争を体験した人、伝え聞いている人、そして知らない人も「見て感じて、平和を考える機会に」と期待を込める。
 
 メンバーは釜石高3年の佐藤凛汰朗さんと中澤大河さん。地歴・公民・経済ゼミの探究活動として企画を進める。6月17日、企画を後押しする市教育委員会事務局文化財課の課長補佐、手塚新太さん(52)と打ち合わせし、ツアーの行程など確認。7月10日にはシミュレーションを兼ね、下見をした。
 
バスツアー実施に向け手塚新太さん(左)と打ち合わせ=6月17日、釜石高校

バスツアー実施に向け手塚新太さん(左)と打ち合わせ=6月17日、釜石高校

 
 2人が探究活動のテーマに「釜石の戦争」を選んだのは、人口減少が進むまちに新たな見所を加えて発信しようと考えたから。釜石を襲った2回目の艦砲射撃は8月9日にあり、米英両艦隊によるもの。被害の一方で、当時、捕虜収容所があって外国人捕虜が労働させられていたと知った。「加害」との側面も持つまちの歴史を「いかに伝えるか」。両面から考える機会を作ることで学びの場としての個性を感じ、「平和意識を高める教育の拠点になりうる」と想像した。
 
資料を整理しながらバスツアーの企画を練る

資料を整理しながらバスツアーの企画を練る

 
 そこで実験として、市が発行する「釜石の戦跡」(戦跡マップ)を用いたウオーキングツアーを今年2月に実施。高校生を対象に、平和像が立つ薬師公園(大町)や捕虜収容所跡地周辺につくられた盛り土避難路(通称・グリーンベルト、港町)、製鉄所につながるトンネルで戦時中は防空壕(ごう)として利用された嬉石隧道(づいどう)避難口を案内した。
 
 「歴史を知り、戦争を身近に感じた」と評価を得た一方で、見学場所や説明内容に参加者も案内役の2人も物足りなさを感じた。残ったモヤモヤ感は何か―。戦跡マップに記された約30の記憶は市内に点在し、当初バスツアー企画を考えたが、高校生の力では難しかった。形を変え実践すると、「一度では伝えきれない。もっと見てもらいたい場所もある」「一過性ではだめ。ツアーを持続的な活動にする必要がある」との考察、展望を持った。地域の持続的なイベント化を目指していたところ、2人の活動が大人たちの目に留まった。
 
資料を確認したり調べたり企画実現へ準備を進める

資料を確認したり調べたり企画実現へ準備を進める

 
 戦後80年。世代を超えた語り継ぎの必要性を実感しているのは市も同じだった。手塚さんは「戦争を知らない世代が伝え聞いたことをそしゃくして伝える作業は難しいと思うが、2人はしっかり調べている。すごいと思うし、うれしい」と受け止め、バスツアーの実現を後押し。協力を得た2人は、ガイド役を担う際の知識を増やすべく市郷土資料館(鈴子町)を見学したり職員からレクチャーを受けたりしながら、ツアーコースを決めた。
 
 コースの下見には、釜石観光ガイド会の千葉まき子さんが同行した。本番を想定した2人の語りに助言。「よく調べている。あとは原稿をしっかり読み込むことと、ゆっくり話すことを意識して。今の素直さを出していけば大丈夫」と背中を押した。自身の経験から「何か質問されることもあるから、さらに知識を持っておくと、ゆとりを持って話せる」と、補足となる情報を教えたりした。
 
本番をイメージしながらガイドを体験する=7月10日、小川町

本番をイメージしながらガイドを体験する=7月10日、小川町

 
千葉まき子さん(右)の説明を聞く生徒ら=7月10日、大平町

千葉まき子さん(右)の説明を聞く生徒ら=7月10日、大平町

 
 高校生2人の思いを乗せたバスツアーはまもなく出発する。中澤さんのイチ押しは薬師公園にある「忠魂碑」。砲弾をかたどったもので、「面白いものがある」と印象を受けた戦跡だという。「びっくりしてほしい。そこから戦争や地域の歴史に興味がわくと思うから」。日清・日露戦争の戦死者を弔うために建てられたとされるその碑をきっかけにした探究者の広がりを期待する。
 
 高校生平和大使として活動した経験を持つ佐藤さんは世界情勢が不安定さを増す中、「戦争を身近なものとして考えてほしい」と切に願う。その思いを伝える戦跡としてツアー先に組み込んだのが嬉石隧道。「となりは民家」という住宅街の中に残るその遺構に語ってもらう、「戦争は遠く離れたところの出来事ではなく、ありふれた身近なところにある」と。
 
ツアー先の下見。新たな情報を仕入れ、時間配分を確認した

ツアー先の下見。新たな情報を仕入れ、時間配分を確認した

 
下見をして感じたことを伝え合いながら本番に向け準備する

下見をして感じたことを伝え合いながら本番に向け準備する

 
 「高校生とめぐる釜石の戦跡」と題したバスツアーは21日に同資料館からスタート。ウオーキングツアーで回った場所のほか、小川防空壕(小川町)や日本中国永遠和平の像(大平町)なども案内する。定員は15人で、すでに満席とのこと。
 
 このツアーのほかにも、市内では地域の歴史を振り返る機会が続く。同資料館では「艦砲戦災展」を開催中。8月9日には市戦没者追悼・平和祈念式も予定される。

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「鉄の町」の歴史知る 釜石の中学生が製鉄体験 ものづくりの熱、体感「最後まで全力で」

「近代製鉄発祥の地・釜石」で鉄づくり体験に挑む中学生=3日

「近代製鉄発祥の地・釜石」で鉄づくり体験に挑む中学生=3日

 
 国内初の洋式高炉による製鉄(連続出銑)を成功させるなど「鉄の町」として発展してきた釜石市(岩手県)。市はその歴史を知ってもらおうと、市内の中学1年生を対象に鉄づくり体験を実施している。生徒は古くから伝わる、たたら技法による作業に取り組むことで、地域に根づくものづくり精神に理解を深めている。チームワークやコミュニケーション力を磨く機会にもなっており、今年度も継続。2、3の両日には釜石東中(髙橋晃一校長、生徒86人)の1年生33人が挑んだ。
 
 体験の場は、同市甲子町大橋の旧釜石鉱山事務所前。この地は日本最大の鉄鉱山として栄え、豊富な資源を基に国内で初めて洋式高炉による連続出銑に成功し、「近代製鉄発祥の地」として知られる。
 
仲間と協力して炉造りに取り組む釜石東中の1年生=2日

仲間と協力して炉造りに取り組む釜石東中の1年生=2日

 
 3班に分かれた生徒は初日の2日、炉づくりに取り組んだ。コンクリートブロックを基盤に耐火レンガ約100個を積み上げ、湯出し口や送風管を固定。鉄製の煙突を取り付けた高さ約2メートルの炉を造った。
 
 写真が添えられた平面の設計図から想像し、立体的な炉を造る過程に生徒たちは苦戦。指導する市教育委員会事務局文化財課の加藤幹樹さん(40)は図を読み解く力を養ってもらおうと、「ものづくりは図面が命。よく見て」と言葉少なく助言した。
 
助言、相談、にらめっこ…平面図と写真をもとに炉を組み立てる

助言、相談、にらめっこ…平面図と写真をもとに炉を組み立てる

 
 翌日の3日に火入れ。釜石で産出した鉄鉱石10キロと木炭や石灰を投入した。原料は10回に分けて入れるが、燃焼が進むと炉内だけでなく炉の周辺も熱くなることから、作業時に防火手袋の着用は必須。「ちゃんと着けてから」と指摘した生徒に対し、加藤さんは「そう!ものづくりは事故をなくすためルールを徹底すること」と評価した。
 
完成した炉に木炭を投入。本格的な製鉄体験に取り組む生徒=3日

完成した炉に木炭を投入。本格的な製鉄体験に取り組む生徒=3日

 
鉄鉱石と石炭を混ぜたものを投入。「鉄ができますように」

鉄鉱石と石炭を混ぜたものを投入。「鉄ができますように」

 
 6回目を投入する前に「ノロ」と呼ばれる不純物の排出作業を行い、生徒が見守った。鉄鉱石の主成分の酸化鉄に、炭素を混ぜて高温で熱すると一酸化炭素や二酸化炭素となって気化し、純度の高い鉄が残る。そうした化学反応が「還元。酸化鉄から余分な酸素が抜けている状態」と加藤さんは説明した。
 
炉内から不純物を取り出す「ノロ出し」と呼ばれる作業に興味津々

炉内から不純物を取り出す「ノロ出し」と呼ばれる作業に興味津々

 
ノロ出しを見守り、鉄づくりが順調に進んでいるのを確かめた

ノロ出しを見守り、鉄づくりが順調に進んでいるのを確かめた

 
 作業開始から約4時間後に解体した炉から鉄の塊(粗鉄、ケラ)が現れると、生徒たちは「よし」と歓声を上げた。加藤さんによると、地元産の鉄鉱石に含まれる鉄の含有量は6~7割程度で、たたら製鉄では10キロの鉄鉱石から2~3キロの鉄ができるという。今回はどの班も3キロ以上あった。
 
炉を解体すると鉄の塊が出現し、生徒は“ほっと”ひと息

炉を解体すると鉄の塊が出現し、生徒は“ほっと”ひと息

 
塊を磨くと火の粉が舞い、鉄づくりの成功を実感する生徒ら

塊を磨くと火の粉が舞い、鉄づくりの成功を実感する生徒ら

 
 6キロのケラを得たA班リーダーの新屋碧さんは「本来のたたら製鉄は七日七晩続いたと聞き、鉄づくりに熱を込めた昔の人の心を感じて頑張ろうと思った。トラブルを互いにカバーしながら、最後まで全力でやれた」と振り返った。学級委員長を務め、チームづくりの大変さを感じていたというが、「仲間とのコミュニケーションやまとめ方が何となくわかった。協力の大切さも感じた。忘れずに引っぱっていきたい」と学び取った。
 
 “近代製鉄発祥”と言えば、7月は同市橋野町青ノ木の「橋野鉄鉱山」が明治日本の産業革命遺産(8県11市23資産)の構成資産の一つとして、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録されてから10周年となる。
 
 学区内に遺産があることで小学生のころから鉄の学習を続ける小林彩恋(あこ)さん(栗林小卒)は「鉄づくりを体験することで、座学とは違う歴史を感じられて面白かった。一から作り出すのは大変だけど楽しい」とにっこり。橋野鉄鉱山は地域の誇りであり、大切にしていきたい宝物で、「鉄の歴史が釜石から広まったことをもっと発信したい」と愛着をにじませた。
 
にじむ充実感。製鉄体験を終え、集合写真をパチリ

にじむ充実感。製鉄体験を終え、集合写真をパチリ

 
 加藤さんは「ものをつくるのは苦労や難しさがあり、試行錯誤の繰り返し。基礎、小さなものを積み重ね、大変な思いをしながら生み出すのがものづくり。みんなが使っているもの、全てがものづくりによるもの。そのことを忘れないで」と思いを伝えた。中学生向けの製鉄体験は全5校が2022年から学校行事として取り入れる。今年度、他4校は8~9月にかけて開催する。
 

橋野鉄鉱山・世界遺産登録10周年、記念行事も

 
 市は世界遺産登録10周年の機運を盛り上げようと、12日に同市大町の市民ホールTETTOで記念式典(午後1時半~)とシンポジウム(同2時10分~)を開く。シンポジウムでは歴史作家で多摩大学客員教授の河合敦氏が基調講演。岩手大学理工学部准教授で釜石市立鉄の歴史館名誉館長の小野寺英輝氏をコーディネーターとし、歴史の活用をテーマにパネルトークも行われる。
 
 13日には橋野鉄鉱山周辺でマルシェ(午前11時~午後3時)を開催。飲食のキッチンカーや手作り雑貨などの出店が集結するほか、森の音楽会・バイオリンミニコンサート、ラベンダーの鑑賞・摘み取り体験なども楽しめる。
 

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海上自衛隊多用途支援艦「すおう」 釜石港で一般公開 物資輸送・災害派遣で活躍

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多用途支援艦「すおう」の艦内を見学する家族連れ=5日

 
 海上自衛隊の多用途支援艦「すおう」(980トン、乗組員約45人)が釜石港に入港し、5、6の両日、艦内が一般公開された。釜石市が港湾利用の促進などを狙い、18年ぶりに自衛隊の艦艇を招致。「めったに乗れないから」と多くの市民らが足を運び、乗員らから各種装備の説明を受け、自衛隊の活動に理解を深めた。
 
 すおうは全長65メートル、最大幅12メートル。青森県むつ市の大湊基地を母港とする。主な任務は、物資輸送や航行不能となった護衛艦のえい航、艦艇が行う訓練の支援など。災害派遣として、2018年に発生した北海道胆振東部地震では燃料輸送を担ったほか、19年の台風19号の現場では搭載する真水タンクから陸上自衛隊の給水車に水を補給するなど力を発揮している。
 
釜石港公共ふ頭に着岸した「すおう」=4日

釜石港公共ふ頭に着岸した「すおう」=4日

 
 4日に入港。釜石港公共ふ頭で歓迎式があり、小野共市長は東日本大震災時の自衛隊による救援、復旧活動に謝意を示し、「湾口防波堤が復旧し釜石港の静穏度が高まった。災害時の物資輸送や被災者支援の拠点、補給や荒天時の避難港として利活用の足がかりに」と期待を述べた。
 
 かまいしこども園の園児約30人が伝統芸能の虎舞を披露。かわいらしい出迎えを受け、角田精一郎艦長(3等海佐)は「艦艇公開を通じてわれわれの任務や乗員の生活を見てもらい、海上自衛隊の活動を理解してほしい」と望んだ。
 
「すおう」の入港を歓迎し子どもたちが虎舞を披露した

「すおう」の入港を歓迎し子どもたちが虎舞を披露した

 
白い制服姿でキリッと敬礼する「すおう」の乗員ら

白い制服姿でキリッと敬礼する「すおう」の乗員ら

 
 5日は市民ら約870人が見学。船内では操舵室が公開され、艦長席に座ったりする体験もできた。角田艦長は「小さい船ながら機動性がある」と強調。乗員が航海計器について説明したり、展示された災害派遣のパネルで行動実績を紹介した。甲板上では搭載されたクレーン装置やえい航装置などを間近で見ることができ、来場者は興味津々の様子だった。
 
「すおう」を一目見ようと多くの人が列を作った=5日

「すおう」を一目見ようと多くの人が列を作った=5日

 
前甲板より低くなっている後部甲板の広いスペースは災害派遣や物資輸送支援時には救急車両や大型コンテナなどを積み込むことができる

前甲板より低くなっている後部甲板の広いスペースは災害派遣や物資輸送支援時には救急車両や大型コンテナなどを積み込むことができる

 
艦内では搭載装備の見学や乗員らとの触れ合いを楽しむ

艦内では搭載装備の見学や乗員らとの触れ合いを楽しむ

 
搭載される大型の双眼鏡に興味を示す見学者

搭載される大型の双眼鏡に興味を示す見学者

 
 海自の制服を試着して記念撮影する家族連れの姿も。市内の小学4年の佐々木暁(あき)君(9)、紘ちゃん(5)兄弟は「船が大きくてすごい。かっこいい。急な階段の上り下りが楽しかった」と笑顔を見せた。
 
「すおう」をバックに記念にパチリ。撮影を楽しむ来場者

「すおう」をバックに記念にパチリ。撮影を楽しむ来場者

 
陸上自衛隊の車両も展示され、子どもも大人も興味津々

陸上自衛隊の車両も展示され、子どもも大人も興味津々

 
 公共ふ頭には陸上自衛隊岩手駐屯地(滝沢市)の協力で、93式近距離地対空誘導弾や82式指揮通信車などが展示され、乗車体験もできた。
 
 6日も860人余りが艦内を見学。一目見ようと公共ふ頭に足を運んだのは2日間で計約1900人だったという。市では、艦艇が入港した実績を作り、有事の際の円滑な対応につなげたい考えだ。

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県内外から太公望、釜石に集結! 甲子、鵜住居川でアユ釣り解禁 1年ぶりの感触に気分高揚

まばゆい朝日が差し込む中、アユ釣りを楽しむ釣り人=6日午前4時半すぎ、甲子川

まばゆい朝日が差し込む中、アユ釣りを楽しむ釣り人=6日午前4時半すぎ、甲子川

 
鵜住居川は6日午前5時に解禁。鵜住居川漁協の監視員と会話を楽しむ釣り客

鵜住居川は6日午前5時に解禁。鵜住居川漁協の監視員と会話を楽しむ釣り客

 
 釜石市の2大河川、甲子川と鵜住居川で6日、今季のアユ釣りが解禁された。釜石地方は梅雨入り後、まとまった雨が降らず、水量不足による影響が心配されたが、解禁日初日としては、まずまずの釣果。両河川には早朝から多くの釣り客が繰り出し、1年ぶりの“引き”の感触に笑顔を広げた。今年は天然遡上(そじょう)のアユも多く見られるということで、釣り人らは「9月いっぱいまで楽しめそう」と期待を寄せる。
 
 甲子川では午前4時半の解禁を待って、釣り人らが思い思いのポイントで竿(さお)を出した。例年、多くの人が訪れる甲子町松倉の県立釜石病院裏のエリアでは、日の出前から釣り客が準備を進め、解禁時刻になると、長い竿が連なるいつもの光景が広がった。ほとんどが、アユの縄張り特性を利用した「友釣り」。川底の石や水流の状況を見極めながら、おとりアユを泳がせた。
 
 開始早々、20センチほどの形のいいアユを上げた同市平田の油木由峰さん(54)は「掛かり始めとしては調子はまずまず。雨が降って水量が増えれば、アユもさらに活発になる」と様子見の構え。今季の天然アユの多さについて、「海でサバとかに稚魚が食べられなかったこと、(遡上時期の)5月ごろに川の水位が高かったことが大量遡上につながっているようだ」と話し、今後に楽しみを残した。
 
解禁から早々に形のいいアユが掛かった=甲子川

解禁から早々に形のいいアユが掛かった=甲子川

 
県立釜石病院裏は人気のスポット。今年も多くの釣り客が集まった

県立釜石病院裏は人気のスポット。今年も多くの釣り客が集まった

 
 一関市の小野寺岳男さん(58)は仲間2人と前日の閉伊川(1日解禁)から“はしご”。甲子川の解禁日に釣るのは初めてで、「こんなに人がいる所で釣るのは久しぶり」と話した。解禁から1時間ほどで4匹をゲット。「ここは川の水がきれい。魚もおいしいと評判」。シーズン中は県内外の川に出向く。「2カ月半ぐらいしかないので今年も存分に楽しみたい」と心を躍らせた。
 
 漁業権が設定されていない甲子川では遊漁料の徴収はないが、自主的に資源保護の取り組みを行う甲子川鮎釣協力会(安久津吉延会長)が釣り人から協力金を募り、毎年春の稚魚放流を維持している。市や企業の助成も得ていて、今年は約3万2000尾を放流した。協力金は甲子町の釣具店「釣具オヤマ」などで受け付けている。
 
竿先を上げ、掛かったアユをたも網に誘導。流れるような動きが見事

竿先を上げ、掛かったアユをたも網に誘導。流れるような動きが見事

 
放流から2カ月弱。アユの成育は順調。「けっこう太いのが多い」と釣り客

放流から2カ月弱。アユの成育は順調。「けっこう太いのが多い」と釣り客

 
 一方、鵜住居川は午前5時に解禁。鵜住居町から橋野町にかけ、橋のたもとなどを中心に各ポイントに釣り人が散らばった。前夜からの泊り組も多く、広い河川敷には多くの車両が並んだ。昨年の解禁日は早朝、雨に見舞われたが、今年は朝から夏の日差しが照りつける中での解禁。こちらも例年に比べ水量は少なめながら、朝方を中心に好調な釣果を見せた。
 
 昨年に続き、解禁日に足を運んだ一関市の男性(68)は長持橋付近で釣りを楽しんだ。「見ての通り立派なアユだよ」。たも網に入れて見せてくれたアユは大きいもので18センチほど。午前6時半ごろまでに14匹を釣り上げた。アユ釣り歴約50年。「ここは河川敷の草刈りもしてくれていて、車を止めるスペースがあるのがうれしい。高齢者にやさしい川」とにっこり。「今日は何時ごろまで(楽しむ)?」と聞くと、「体力の続く限り」と元気な答えが返ってきた。
 
鵜住居川長持橋付近には県内陸部からの釣り客も多数。漁協組合員も注目の釣果

鵜住居川長持橋付近には県内陸部からの釣り客も多数。漁協組合員も注目の釣果

 
 「解禁日の楽しみは前夜祭から…」。仲間と泊まり込み、解禁を迎えた地元鵜住居町の小笠原大和さん(48)。「さっきまでバタバタ掛かった」と午前7時ごろに見せてくれたのは、20センチの大物や天然アユを含む15匹。「この時間で2ケタはいいほう。昨年は同じ場所で全く駄目だったので」とリベンジを果たした。5月ごろから川をチェックし魚の群れを確認。待ちに待ったシーズン到来を喜び、「地元の誇る川。休みのたびに来たい」と声を弾ませた。
 
 東京都あきる野市から訪れた男性(77)は、鵜住居出身の東京の友人から話を聞いて、3年前から足を運ぶように。現地で知り合った釜石在住者が「親切にいろいろ教えてくれた」こともあり、鵜住居川のファンになった。「釣り人のマナーが一番いい。ここの雰囲気も好き。だから、わざわざ東京から来るんです」。アユ釣りは定年後に始めた。「狙った場所で、思った通りに釣れた時が最高に面白い」と友釣りの魅力にもはまっている様子。
 
地元鵜住居の釣り客(右)も幸先のいいスタートに顔がほころぶ

地元鵜住居の釣り客(右)も幸先のいいスタートに顔がほころぶ

 
栗林町道々橋上流は川幅が狭く水流が集中。アユの動きもいいよう

栗林町道々橋上流は川幅が狭く水流が集中。アユの動きもいいよう

 
 同河川は鵜住居川漁業協同組合(川崎公夫代表理事組合長)が漁業権を持つ。今年は組合によって稚アユ約4万6500尾が放流された。解禁日に巡回監視を行った組合の藤原信孝事務局長は「出だしの釣果もいいようで一安心。パトロール中、マナーの良さや草刈りなどの環境整備にお褒めの声をいただきうれしい」と、他地域に良い評判が広がってきているのを実感。「あと2~3割、水量が欲しいところ。洪水にならない程度にね」と今後の気象の行方を気にかけた。
 
砂子畑橋上流も人気のスポット。多くの釣り客が陣取った

砂子畑橋上流も人気のスポット。多くの釣り客が陣取った

 
花巻市から仲間6人で訪れた鵜住居川解禁日の常連さん。好調なかかりに笑顔

花巻市から仲間6人で訪れた鵜住居川解禁日の常連さん。好調なかかりに笑顔

 
 鵜住居川での釣りの際は同組合員証(組合員費:年間5000円)か、一般遊漁券(年券7000円、日券1500円)が必要。遊漁券は市内釣具店や流域の赤いのぼり旗を掲げた販売所のほか、スマホアプリ「フィッシュパス」で購入できる。現場の立て看板の注意事項などを守り、安全で楽しい釣りを呼び掛ける。
 
鵜住居川沿い県道釜石遠野線に掲げられる赤いのぼり旗が遊漁券販売所の目印。写真右上が今年の遊漁券。橋野町青ノ木など上流部には「フィッシュパス」のQRコードも掲示(右下)

鵜住居川沿い県道釜石遠野線に掲げられる赤いのぼり旗が遊漁券販売所の目印。写真右上が今年の遊漁券。橋野町青ノ木など上流部には「フィッシュパス」のQRコードも掲示(右下)