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探す、見つける、知る喜び「今年は何種類?」野鳥の宝庫・釜石で水辺の観察会 自然散策のススメ

釜石・片岸公園に飛来しているオオハクチョウ=13日、水辺の鳥観察会

釜石・片岸公園に飛来しているオオハクチョウ=13日、水辺の鳥観察会

 
 県沿岸有数の野鳥生息地、釜石市片岸町の鵜住居川河口周辺で13日、恒例の水辺の鳥観察会(市主催)が開かれた。東日本大震災の津波で大きな被害を受けた同所。2021年に減災機能を兼ね備えた水辺環境として整備された片岸公園には、今年もオオハクチョウが多数飛来。参加者の目を楽しませた。河口周辺では他にも、大小さまざまな色とりどりの野鳥を確認。フィールドスコープや双眼鏡で見ると、各個体の特徴がよく分かり、参加者は野鳥観察の面白さを体感した。
 
 子どもから大人まで32人が参加。釜石野鳥の会(臼澤良一会長、7人)の5人が講師を務めた。始めに片岸公園駐車場で、同会会員が周辺で見られる野鳥を写真で見せながら紹介。体色や鳴き声など判別のポイントを教えた後、片岸公園から釜石鵜住居復興スタジアム前の鎧坂橋付近までを歩きながら野鳥を探した。
 
釜石野鳥の会の会員が周辺で見られる鳥を紹介

釜石野鳥の会の会員が周辺で見られる鳥を紹介

 
沼地に憩う野鳥の姿を探す参加者(上段)。双眼鏡やフィールドスコープで確認(下段)

沼地に憩う野鳥の姿を探す参加者(上段)。双眼鏡やフィールドスコープで確認(下段)

 
 駐車場から沼地に向かうと、聞こえてきたのは「オオハクチョウ」の鳴き声。羽が灰色の幼鳥を含む群れが見られた。同会の菊地利明事務局長は「ハクチョウは天敵に襲われないよう水面に浮いたまま寝る。朝早く飛び立ち、田んぼにこぼれた米を食べたり、岸辺に生える草の根を食べる。日本で見られる鳥の中では体重が重いほう」と説明。観察時の注意点として、距離を保つことや餌を与えないことを挙げた。周辺を定期的に散歩している方によると、これまでに最大で42羽が確認されたという。沼地ではこの他、頬が白い「ホオジロガモ」や頭が茶色い「ホシハジロ」なども見られた。
 
さまざまな種類の野鳥が集まる片岸公園の沼地

さまざまな種類の野鳥が集まる片岸公園の沼地

 
公園を散歩する人たちの目を楽しませているオオハクチョウの群れ

公園を散歩する人たちの目を楽しませているオオハクチョウの群れ

 
 鵜住居川の中州では「アオサギ」や「クロガモ」、「イカルチドリ」などを確認。鵜片橋上流に目をやると石の上で憩う「マガモ」の雄(頭が緑)、橋の下に広がるヨシ原では「ホオジロ」も見られた。参加者が楽しみにしていたのは“飛ぶ宝石”と称される「カワセミ」。ここ数年、鎧坂橋付近で確認されており、この日は一瞬だが、飛ぶ姿が見られた。特徴である頭から背中にかけての青色が見え、参加者を喜ばせた。
 
鵜住居川水門の近くで見られたアオサギ。体色のコントラストが美しい。下段奥の右側はマガモの雄(緑色の頭が特徴)

鵜住居川水門の近くで見られたアオサギ。体色のコントラストが美しい。下段奥の右側はマガモの雄(緑色の頭が特徴)

 
左上:ダイサギ。右上:イカルチドリ。下段:ヒドリガモ。公園内の草地で餌をついばむ

左上:ダイサギ。右上:イカルチドリ。下段:ヒドリガモ。公園内の草地で餌をついばむ

 
 約1時間の観察後、駐車場に戻ると…。道路沿いに並ぶ電柱の上に鎮座していたのは、タカの仲間「ノスリ」。トビよりも一回り小さく、短めの尾は開くと先が丸みを帯びているのが特徴。獲物を見つけると急降下し、野を擦るように飛んで捕まえることから、この名がついたといわれる。
 
 最後は見た鳥を確認する「鳥合わせ」。見られたのは29種類で、昨年並みだった。鵜住居町の町田音和ちゃん(5)は鳥と恐竜が大好き。保育園の帰りにほぼ毎日、ハクチョウを見に来るほどで、「鳥見るの楽しい。びっくりしたのはカワセミ。パパが買ってくれた図鑑に載っている鳥をもっと見てみたい」と興味津々。母理美さん(41)は「名前を知らなかった鳥も見られた。釜石は自然が豊か。娘にはここでしか見られないものをいっぱい見せてあげたい」。「また来ようよ」と話す音和ちゃんを温かく見守った。
 
 今回の観察会では子どもの参加も増えた。菊地事務局長は「興味を持ってくれて感激。生で見られる場所があるのが釜石の良さ。本物を見ることは子どもたちにとってもいい経験になる」と観察会の継続を願う。
 
子どもから大人まで楽しめる野鳥観察。名前が分かるとさらに面白い!

子どもから大人まで楽しめる野鳥観察。名前が分かるとさらに面白い!

 
夢中でカメラをのぞき込む子に笑顔を見せる臼澤会長(左)。右上:電柱に止まるノスリ。右下:街中でもあまり見られなくなったスズメの群れ

夢中でカメラをのぞき込む子に笑顔を見せる臼澤会長(左)。右上:電柱に止まるノスリ。右下:街中でもあまり見られなくなったスズメの群れ

 
 同観察会は市生活環境課が1977年から継続。悪天候や震災の影響で中止された年もあるが、蓄積されたデータは同所の自然環境の推移を知る一助にもなっている。鵜住居川河口周辺は震災前、野鳥が営巣できる樹木も多く、観察会では50種前後が確認できた。津波で河口の位置が変わり、堤防内外の自然環境も大きく変化したことで、被災後数年間は、見られる野鳥の種類、数ともに激減したが、観察会が再開された直近の過去3年間は30種ほどで推移している。
 
 「さらに草木が増えてくれば、野鳥の生息、飛来数も増える可能性はある。最も重要なのは鳥が餌を食べられる環境。食物連鎖がうまくいくことで、より多くの鳥が生息できるようになる」と野鳥の会の臼澤会長。近年はサケの遡上が減ったことで、産卵後のサケなどを餌とするワシの姿が見られなくなっているという。
 
鵜住居川周辺は絶好の野鳥観察スポット。皆さんもぜひ楽しんでみては?

鵜住居川周辺は絶好の野鳥観察スポット。皆さんもぜひ楽しんでみては?

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ガザへ届け!平和の願い 釜石の子どもら、たこに託す つながる空見上げ「そばにいるよ」

ガザの平和を願い、たこ揚げをする釜石の子どもたち

ガザの平和を願い、たこ揚げをする釜石の子どもたち

 
 「共に」「平和とふっこうを」―。そんな願い、メッセージがつづられた手作りのたこが8日、釜石の大空を舞った。東日本大震災以降、日本の被災地に向けて応援のたこ揚げを続けるパレスチナ自治区ガザの子どもたちと互いを励ます交流をつないできた釜石市民有志らが企画した催し。「空を見上げて明るい顔に」。イスラエル軍とイスラム主義組織ハマスの戦闘が激しさを増し、過酷な生活を強いられる現地に「思い、届け」と切に願う。
 
 震災復興を願ってガザ地区の子どもたちがたこを飛ばすのは2012年が始まり。国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の主催で毎年続けられている。これに応える形で、15年に釜石でガザに向けたたこ揚げが行われ、感謝と平和のメッセージを発信。UNRWAとNPO法人日本リザルツが連携して交流活動を続け、ガザの子どもたちが釜石を訪れて一緒にたこ揚げを楽しむ機会もあった。戦闘と津波。つらい経験をした子どもたちの互いを思いやる気持ちをつないできた。
 
 この交流の形は釜石市内外の有志でつくる「ガザ・ジャパン希望の凧(たこ)揚げ交流会実行委員会」が継ぎ、18~20年にイベントを実施。新型コロナウイルス禍を経て、昨年10月には唐丹中の生徒らの希望を受け、たこ揚げに協力した。
 
たこ揚げ会場は鵜住居。たこ作りから開始

たこ揚げ会場は鵜住居。たこ作りから開始

 
思い思いのイラストやメッセージを書き込む

思い思いのイラストやメッセージを書き込む

 
 今回の会場は、鵜住居町の「うのすまい・トモス」。小中学生を中心に約30人が参加した。思い思いの絵や文字を書き込んだたこを手づくりし、込めた思いや願いを伝える動画を撮影。「幸せ」とつづった小川原瑛大君(鵜住居小3年)は「平和を考える機会になった。日本から応援しているよ」とメッセージを送った。
 
 「戦争が一刻も早く終わってほしい。安心安全に生きてほしい」と願う子が選んだ文字は「望」。「平和(PEACE)」という言葉とそれを象徴するハトを描いた親子は「希望を捨てないで。生きてください」と思いを寄せた。能登半島地震を意識した様子の児童は「じしんくるな」と書いたり、桜の花びらをイメージした折り紙を貼ったものもあった。
 
さまざまな思いが込もった、たこが完成

さまざまな思いが込もった、たこが完成

 
ガザにつながる釜石の空にたこが舞った

ガザにつながる釜石の空にたこが舞った

 
 青空の下、子どもたちが元気に走り回って、たこ揚げ。時折強い風が吹くと、色とりどりのたこが空高く舞い上がった。「国は離れているけど、そばにいると思ってもらえたら」。上野聖奈さんと香川真紀さん(ともに唐丹中2年)は、パレスチナと日本の旗をモチーフにした、たこにそんな思いを託した。
 
元気にたこ揚げを楽しむ子どもたち

元気にたこ揚げを楽しむ子どもたち

 
オンライン交流の時間も。直接気持ちを伝えた

オンライン交流の時間も。直接気持ちを伝えた

 
 「たこ揚げは空を見上げることで顔が明るくなる。そして、言葉で伝えられないメッセージも届くと思う」。同実行委メンバーの一人、岩手大教育学部4年の野呂文香さん(22)=甲子町出身=はそう話し、穏やかに笑った。この活動に高校生の頃から関わってきて、深刻なガザの情勢を憂慮。「震災からの復興を願い続けてくれるガザへの恩返しになれば。上を向ける平和が広がるように」と祈った。
 
 同じように高校時代から交流する静岡大地域創造学環4年の高橋奈那さん(22)=小川町出身=は「同世代の子が紛争に巻き込まれていることは大きな衝撃だった」と思い起こす。自然災害で傷ついた震災の被災地と重ね、「平和、安心安全な暮らしを願うのは共通のこと」ときっぱり。たこ揚げという楽しい思い出を通じて、多くの人に「背景にあるものが伝わったらいい」と期待した。
 
企画した野呂文香さん(左)と高橋奈那さん

企画した野呂文香さん(左)と高橋奈那さん

 
 たこ揚げの様子は、近隣地域に身を寄せるガザの子どもらにもオンラインで届けられた。復興支援で釜石に暮らした経験がある実行委の佐藤直美さん(50)=仙台市=は「たくさんの人がメッセージを寄せてくれた。『一緒に頑張ろう』『一人じゃないよ』とか、自分事として捉えているのが印象的だった。これからも続けていきたい」と目を細めた。
 
希望を託し、たこを揚げた参加者

希望を託し、たこを揚げた参加者

 
 「会いたい」。釜石の子どもたち、実行委メンバーは一緒にたこ揚げできる日を待っている。

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能登地震支援 物資持ち寄り、搬送準備 釜石ライオンズクラブ「震災の恩返し」

支援物資を整理する釜石ライオンズクラブの会員

支援物資を整理する釜石ライオンズクラブの会員

 
 釜石ライオンズクラブ(LC、大和田助康会長、会員48人)は、能登半島地震の被災地支援として石川県に物資を送ることを決め、14日に釜石市只越町の事務所で仕分けや箱詰め作業を行った。東日本大震災の支援への恩返しを込めた取り組み。道路事情などで現地に入るのは難しいことから、同じような支援に乗り出している近隣県の拠点に若手会員らが直接運び込む考えだ。
 
 元日のニュースを見て、会員たちはそれぞれ震災当時のことを思い出した。「とにかく動こう」。中でも、若手会員ら6人でつくる釜石はまゆりクラブ支部(大和田崇士会長)の思いは強く、ベテラン会員に働きかけた。7日にLCの役員会で支援を決めると、翌日から会員らから次々と物資が持ち込まれた。
 
会員たちが寄せた思いも箱に詰め込む

会員たちが寄せた思いも箱に詰め込む

 
 集まったのはミネラルウォーター(2リットル、6本入り)18箱、米10キロ、子ども・大人用のおむつ、カイロ、タオル類、缶詰、カップ麺など。箱詰め作業は6人で行い、品目ごとに段ボール箱にまとめ入れた。
 
 LCの大和田会長は「震災の時は全国から物資だけでなく、応援という気持ちでも支えをいただいた。組織の力、つながり、善意のありがたさを実感した」と振り返り、「その恩返しに」と力を込める。
 
「震災の恩返しをする時」とLCの大和田会長(右から2人目)

「震災の恩返しをする時」とLCの大和田会長(右から2人目)

 
 今回、若手が積極的に行動する。同支部メンバーは釜石商工会議所青年部としても活動していて、そのつながりを生かして現地のニーズを把握。中継基地となる長野県の商議所に物資を運ぶ考えだ。搬送に名乗りを上げた同支部の宍戸文彦さん(48)が15日に受け取り。「微力だが、気持ちで動きたい。3・11でもらったように。今は下を向いているだろうが、外の人が出向くことでプラスの気の流れを届けたい」と気持ちがはやる。
 
30を超える段ボール箱を車に詰め込む

30を超える段ボール箱を車に詰め込む

 
「足を運ばなければ見えないこともある。心に寄り添っていきたい」と現地を思う宍戸さん

「足を運ばなければ見えないこともある。心に寄り添っていきたい」と現地を思う宍戸さん

 
 LCの大和田会長はそんな若手に頼もしさを感じつつ、「もう少し様子を見てから」と気持ちを抑える大切さを伝えた。震災復興と重ね合わせ、「復興にはかなり時間がかかるだろう。いち早く行方不明者の捜索が進み、小規模な避難所や自宅避難者に物資が届いてほしい。一日も早く安心して暮らせるよう願う。みんなで助け合って早く笑顔が見たい」と心を寄せる。今後も「できる範囲、無理をしない形で善意を集めた活動」を続けることにしている。

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地域守る!気合込め、まとい振り 釜石市消防出初式 3年ぶりの分列行進 頼もしく

まとい振りは防災の願いを込め高々と

まとい振りは防災の願いを込め高々と

 
 釜石市消防出初め式は14日に行われた。大町の市民ホールTETTOの式典に続き、市中心部の目抜き通りをパレード。市消防団(坂本晃団長、団員532人)の団員、釜石消防署や市の関係者ら約450人が市民生活を守るべく士気を高め、その心意気を大勢の市民が見守った。
 
釜石市民ホールで行われた式典

釜石市民ホールで行われた式典

 
 式典で、統監の小野共市長が式辞。激甚化、複雑化、そして多発する自然災害への備え、防災意識の高揚、防災知識の育成などの重要性を強調し、「消防団を中核とした防災力強化に努める。地域の安全、安心を守る任務に尽力を」と求めた。
 
 長年の消防防災に対する功績、職務精励などで団員69人を表彰。無火災814日(2021年9月7日~23年11月30日)となる市中心市街地を管轄する第1分団に「無火災竿頭綬」(県消防協会遠野釜石地区支部表彰)が授与された。
 
消防、防災活動へ士気を高める団員ら

消防、防災活動へ士気を高める団員ら

 
パレードでは力強いまとい振りを披露

パレードでは力強いまとい振りを披露

 
 街頭パレードは感染症の影響もあり、3年ぶりに行われた。統監台が置かれた青葉通りの交差点で、「纏(まとい)隊」が気合を込めた纏振りを披露。ラッパ隊の演奏に合わせ団本部、1~8分団がきびきびと行進し、消防ポンプ自動車などの車両38台が続いた。
 
 沿道に集まった市民は頼もしそうに見つめた。甲子町の20代女性は、消防車両が大好きな長男(2歳)らを連れて初めて観賞。「すごかった。かっこよかったね。火事のない一年に。安全なまちになるよう守ってもらえたら」と期待した。
 
きびきびと分列行進する団員たち

きびきびと分列行進する団員たち

 
堂々とした行進をラッパ隊が後押し

堂々とした行進をラッパ隊が後押し

 
頼もしい姿を沿道から見守る市民

頼もしい姿を沿道から見守る市民

 
「期待に応える」。思いを共有する分列行進

「期待に応える」。思いを共有する分列行進

 
 市内で昨年発生した火災は10件。ここ数年は1桁台が続いていたことから、団員や消防関係者は気を引き締める。一方で団員の確保など課題もあるが、地域の安全を担う活動を積極的に行えるよう、分団配備車両の更新や屯所の整備などを計画的に進めていく。

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広報かまいし2024年1月15日号(No.1824)

広報かまいし2024年1月15日号(No.1824)
 

広報かまいし2024年1月1日号(No.1823)

広報かまいし2024年1月15日号(No.1824)

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【P1】
表紙

【P2-5】
特集 よろこびのうた ― 第44 回 かまいしの第九 ―

【P6-7】
イベント案内 他

【P8-9】
税の申告

【P10】
まちの話題

【P11-13】
まちのお知らせ

【P14-15】
保健案内板・保健だより

【P16】
かまいし起業人

この記事に関するお問い合わせ
釜石市 総務企画部 広聴広報課 広聴広報係
〒026-8686 岩手県釜石市只越町3丁目9番13号
電話:0193-27-8419 / Fax 0193-22-2686 / メール
元記事:https://www.city.kamaishi.iwate.jp/docs/2024011500029/
釜石市

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釜石市公式サイトと連携し、縁とらんすがピックアップした記事を掲載しています。記事の内容に関するお問い合わせは、各記事の担当窓口までお問い合わせください。
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2年目「釜石市はたちのつどい」244人出席 成人の誓い新たに未来へ希望の船出

 「はたちのつどい」に名称変更され2年目となる釜石市の成人の日の記念式典=7日

「はたちのつどい」に名称変更され2年目となる釜石市の成人の日の記念式典=7日

 
 8日の「成人の日」を記念し、釜石市は7日、本年度20歳を迎える人たちの門出を祝う「はたちのつどい」を大町の市民ホールTETTOで開いた。成人年齢が18歳に引き下げられ、式典名称が変更されて2回目の開催。対象者274人のうち244人が出席した。新型コロナ感染症の5類移行に伴いマスク着用は任意となり、晴れ着姿の若者の笑顔が一層はじけた。
 
 同式典の対象者は2003年4月2日から04年4月1日までに生まれた人。主催者を代表し小野共市長は「自らの可能性を信じ、道を切り開き、夢や希望に挑戦してください。あきらめなかった人間だけが夢をかなえる。自分を大切にして人生を歩んでほしい」と切望。東日本大震災からの復興を遂げた同市は新たな時代を迎えるとし、「まちの未来を自分事として受け止め、釜石発展のためにご助力を」と願った。
 
 抱負を発表したのは、鵜住居町出身で東北大に通う川﨑瞭さん(19)。小学1年生で経験した東日本大震災を振り返り、過酷な状況下で育ててくれた両親に感謝するとともに、「エンジニアとして宇宙開発に携わる」という自身の夢を語った。厳しい世界情勢の中、歩む今後の人生―。「釜石の復興を導いてくれた偉大な大人たちに『釜石、日本の未来は任せてくれ』と胸を張って言えるような大人になりたい。まだまだ道半ばだが、気概と覚悟を持って生きていく」と誓いを立てた。
 
出席者を代表し抱負を発表した川﨑瞭さん(左)

出席者を代表し抱負を発表した川﨑瞭さん(左)

 
釜石の同式典恒例となった郷土芸能・虎舞の披露

釜石の同式典恒例となった郷土芸能・虎舞の披露

 
 ステージでは有志が郷土芸能「虎舞」を披露。実行委員が作成したビデオメッセージの上映、市民憲章・防災市民憲章の唱和、市民歌斉唱も行われた。式典の前後には記念撮影や釜石茶道協会が設置した茶席などを楽しみながら、友人らとの再会を喜び合った。
 
 野田町在住、日本製鉄社員の及川勝陽さん(20)は今春から社会人3年目に入る。「日々、成長あるのみ。一層気を引き締めて頑張りたい」とさらなる精進を誓う。釜石シーウェイブスジュニアで4歳からラグビーを始め、高校は盛岡市の強豪校に進んだ。「自分はラグビーに育ててもらった。後輩たちにもラグビーの楽しさを伝えたい」と、現在は同ジュニアの指導にもあたる。「釜石ラグビーの強さをもう一度、世界に発信できれば」と夢を描き、子どもたちの育成に意欲を見せた。
 
再会した同級生らと記念撮影。笑顔がはじける

再会した同級生らと記念撮影。笑顔がはじける

 
 唐丹町出身の姫田幸実さん(20)は「震災やコロナもあり、成長への関門が多かったというのが正直な印象。支えてくれた両親には本当に感謝している」と話し、晴れ着姿を見せられたことを喜ぶ。専門学校で身に付けたスキルを生かし、春からは仙台市で事務系の仕事に就く予定。20歳を機に挑戦したいのは一人旅。「旅行が好き。将来は世界を旅したい」と希望を膨らませた。
 
 箱崎町出身の戸張闘志郎さん(19)は「20歳は人生の大きな節目。これからつきまとう責任も大きくなってくると思う。一層、大人としての自覚を持ちたい」と気を引き締める。高校卒業後、航空自衛隊に入隊し、青森県三沢基地で勤務中。自衛官を志したのは13年前の震災で助けてもらったことが大きい。「大変なことも多いが、やりがいのある仕事。自衛隊は国防の象徴。国民の皆さまの心に寄り添い、安心感を与えられるような自衛官になりたい」と目標を掲げる。
 
バルーンアートで装飾されたフォトスポットで記念の一枚

バルーンアートで装飾されたフォトスポットで記念の一枚

 
高校時代の写真を見て当時を懐かしむ釜石商工高の同級生グループ

高校時代の写真を見て当時を懐かしむ釜石商工高の同級生グループ

 
 同市の成人の日の式典では2011年の東日本大震災以降、開式前の黙とうを欠かさない。今年は1日に発生した能登半島地震の犠牲者への哀悼の気持ちも込めて祈りをささげた。鵜住居町出身の佐々木遥花さん(20)は同地震発生の緊急地震速報に13年前の恐怖がよみがえった。釜石高在学時は、震災伝承や防災啓発活動を行うグループ「夢団~未来へつなげるONE TEAM~」の2代目代表として活躍。短大進学後も関連活動に携わってきた。今回の発災で防災研究への思いをさらに強くし、未来の命を守るため「自分の経験やこれまでの活動で得たものを少しでも多くの人に伝えられたら」と決意を示した。
 
開式前、全員で東日本大震災と能登半島地震の犠牲者に黙とうをささげた

開式前、全員で東日本大震災と能登半島地震の犠牲者に黙とうをささげた

 
 同市では2022年から同式典の内容を当事者から公募した実行委員の協議によって決定。当日の進行も実行委員が担う。今年は7人の委員が力を合わせた。
 
はたちのつどい実行委メンバー(上段)。ビデオメッセージの制作や市民憲章の唱和などを担当

はたちのつどい実行委メンバー(上段)。ビデオメッセージの制作や市民憲章の唱和などを担当

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幸福な一年に 釜石・大渡どんと祭 炎高く 手を合わせ切に願う「普通の暮らしを」

地域住民が平穏を祈った「大渡どんと祭」

地域住民が平穏を祈った「大渡どんと祭」

 
 釜石市の中心部を流れる甲子川の河川敷で7日、正月飾りなどをたき上げる恒例の「大渡どんと祭」があった。大渡町内会(菅原章会長、約250世帯)の祭典委員会が主催し、今回で50回目。集まった住民らは、高く上がった炎に平穏、多幸、無病息災を祈った。
 
 朝から住民が正月の松飾りや古いお札などを持ち寄り、河川敷に組まれた八角形のやぐらに次々と投げ入れた。駒木町の不動寺内にある弘法寺の森脇妙紀住職が家内安全、開運招福、世界平和などを祈願。代表者が拝礼した後、手製のたいまつで火を付けると炎が高く燃え上がり、見守った人たちは静かに手を合わせていた。
 
丸太を組み上げたやぐらに積み上げられた正月飾り

丸太を組み上げたやぐらに積み上げられた正月飾り

 
神事で代表者が拝礼し、やぐらに点火した

神事で代表者が拝礼し、やぐらに点火した

 
 初めて参加した鈴木さほさん(双葉小4年)、仁丸君(5)姉弟は「炎が大きくてびっくり。家族やペットが元気に過ごせたらいいな」と願いを込めた。どんと祭に毎年足を運んでいた祖父が昨年亡くなったといい、「ありがとう」の気持ちを込めて正月の風習を継承。母親の紗都子さん(45)は「健康で充実した生活が送れるよう、家族みんなで力を合わせていきたい」と目を細めた。
多くの市民の願いを集め、焚き上げの炎がたなびく

多くの市民の願いを集め、焚き上げの炎がたなびく

 
炎をじっと見つめたり、手を合わせ願う参加者

炎をじっと見つめたり、手を合わせ願う参加者

 
 「一年が幸福であるように」。菅原会長(68)は、50回目の行事に願いを込めた。加えて、能登半島地震の被災地に向け、「一日も早い復興を遂げることを願う」と思いを寄せた。
 
地域の安寧を祈り手を合わせる菅原会長

地域の安寧を祈り手を合わせる菅原会長

 
 東日本大震災の津波で自宅や会社・店舗などが被災し、13年かけて「やっと日常を取り戻しつつある」と感じていた菅原会長。そんな時に飛び込んだ能登の地震被害。「絶望の淵にあった日々、生活再建の大変さが分かりすぎる…」と言葉を詰まらせる。「安寧、平和、一番欲しいのは普通の暮らし」とポツリ。炎の先にある空を見上げ、「子どもたちの未来が明るくなるように。厳しい世の中を生き残れるよう力を付ける手伝いをしたい」と望んだ。

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受験生、挑戦者を応援「すべらない砂」 JR釜石駅で配布 合格祈願神社で“神頼み”も

JR釜石駅で配布している受験応援グッズ「すべらない砂」

JR釜石駅で配布している受験応援グッズ「すべらない砂」

 
 高校や大学の入学試験の時期に合わせ、JR釜石駅で袋詰めされた験担ぎグッズ「すべらない砂」が配られている。改札口付近にお目見えした手製の「合格祈願神社」で、誰でも自由に入手可能。「絶対合格!」と、備えられた振り鈴を鳴らして手を合わせる姿も見られる。
  
 砂は列車が坂道を走行する際、車輪が空転しないよう車体から線路にまく。この「すべらないように」とした工夫にちなみ、20年近く配布を続ける。毎年、受験生やその家族らが砂をもらうために駅を訪れるといい、この時期の取り組みとして定着している。
 
改札口付近に設置された合格祈願神社(右)

改札口付近に設置された合格祈願神社(右)

 
駅員と清掃を担うグループ会社の職員が手作り

駅員と清掃を担うグループ会社の職員が手作り

 
 今年も市内の神社でおはらいした砂と、合格特急券と表した片道切符を袋詰め。切符のデザインは、昨年末に運行が始まったJR東日本の観光列車「ひなび(陽旅)」をイメージした白と赤の2色づかいに新調した。1000個を用意。3月上旬まで無料で持ち帰ることができる。
 
「ひなび」仕様のデザインになった切符と砂を袋詰め

「ひなび」仕様のデザインになった切符と砂を袋詰め

 
 高校受験を控えた盛岡市の山本大豪(だいご)さん(見前南中3年)は7日に “お守り”をゲット。「油断せずに、でもいつも通りに過ごしたい」と気持ちを落ち着かせた。母親の圭織さん(37)は「とにかく神頼み」と神社に向かって熱心に手を合わせた。姉の彩華さん(紫波総合高3年)は、自転車競技に打ち込み競輪選手を目指す彼氏のために砂を入手。「夢を応援したいし、安全に競技を続けられるように」と大切そうに服のポケットにしまい込んだ。
 
「絶対合格」。願いを込めて手を合わせる人の姿も

「絶対合格」。願いを込めて手を合わせる人の姿も

 
 頑張る人、挑戦する人の力になれば―。そう思いを込めて袋詰め作業に取り組んだのは同駅で窓口業務などを担当する三國和馬さん(28)。「受験はもちろん、何かチャレンジしてみようと考えていたら、手に取ってほしい。少しでも前向きな気持ちでその場に臨めるようになったらいい」と願った。
 
受験応援グッズを紹介する三國和馬さんも挑戦を控える

受験応援グッズを紹介する三國和馬さんも挑戦を控える

 
 自身は今月下旬ごろから初の海外生活に挑む。ベトナムに2カ月滞在し、会社からのミッションをこなす研修を控え、期待と不安が入り混じった状態。視野を広げ、語学力や積極性を身に付けたいと目標を掲げていて、実現に向け「一緒に頑張りましょう」と呼びかける。

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動き出す!釜石 2024年の仕事始め まちの発展、豊漁願う 能登半島地震…支援の動きも

2024年が本格的に始動。釜石市魚市場も活気づく

2024年が本格的に始動。釜石市魚市場も活気づく

 
 釜石市内の企業や官公庁の多くは4日が仕事始めとなった。魚河岸の市魚市場は初水揚げで活気づき、初売り式も行って豊漁を祈願。変化に合わせた水産業の形を見いだすべく、手締めで気持ちを合わせた。只越町の市役所では小野共市長が年頭訓示。元日に発生した石川県能登半島を震源とする地震に触れ、「災害を正しく恐れ、備えるのは難しいだろうが、東日本大震災を経験した者として必ず逃げるという心構えが必要だ」と気を引き締めた。
 

活気づく魚市場で初売り式「魅力ある水産業の推進を」

 
 魚市場では日の出前から定置網漁船が入港。サバやヤリイカなど約14トンが水揚げされたが、2023年と比べると半分以下に落ち込み、厳しい出だしとなった。萬漁業生産組合(萬文貴組合長)の萬宝丸(19トン、乗組員11人)は約1週間ぶりの操業。萬組合長(46)は「海水温が高く、狙った魚は入っていなかった。金額的にはいい魚だとしても量は少なく、何とも言えない。新しいことをやらなければと思っても、実行は難しい。変わっていく現状に合わせていくしかない」と複雑な心情を話した。
 
水揚げ、魚の選別など手際よく作業する萬宝丸の乗組員ら

水揚げ、魚の選別など手際よく作業する萬宝丸の乗組員ら

 
 初競りを前に、市漁業協同組合連合会の木村嘉人会長が取り扱い実績を報告した。23年4~12月の水揚げは3770トン(22年同期比16%減)、金額が11億2400万円(同50%増)。かご漁業、大型巻き網船、サンマの取り扱い増が上向きの流れを支えた。一方、秋サケ漁は復調の兆しが見えず、厳しい状況のまま。「好調の要因を重点に誘致に力を入れる。質の高いサービスで地域経済の発展に貢献していく」と意気込んだ。
 
 市場開設者の小野共市長は、事業化された「釜石はまゆりサクラマス」の養殖に期待感を示す。昨年6~7月にかけて約160トンが水揚げされ、「将来的に年間1000トンの生産を目指す」と事業者らは展望。プロモーション活動も進行中で、行政として「魚のまち復活に向け、水産業を魅力ある産業として未来につなぐ取り組みを進めていく」と強調した。
 
初売り式で鏡開きや手締めをして一年の大漁を願う関係者

初売り式で鏡開きや手締めをして一年の大漁を願う関係者

 
水揚げされた魚を見定め、競り落とす買い受け人ら

水揚げされた魚を見定め、競り落とす買い受け人ら

 

市長、年頭訓示 市職員ら身を引き締め「災害への心構え、真剣に」

 
小野共市長(左下の写真)の訓示に聞き入る幹部職員

小野共市長(左下の写真)の訓示に聞き入る幹部職員

 
 「令和6年は波乱の幕開け…」。23年に就任し、初の年頭訓示に当たった小野市長は能登半島地震や2日の羽田空港での航空機事故を踏まえ、「災害が身近なところにあると改めて認識。津波から100回逃げて、100回来なくても101回目も必ず逃げる。この心構えが震災を生き抜いた私たちが肝に銘じ、とるべき行動だ」と強調した。
 
 市政運営のかじ取りに使命感を見せ、市職員に対して「自由に積極的にどんどん発言してほしい。組織パフォーマンスを最大限発揮するには、個々の動きが大事。まちの発展に向け一致団結していきたい」と協力を求めた。
 

地震被害、支援の動き「震災の恩返しを」

 
 能登半島地震を受け、釜石市は物資、職員の派遣など支援の形を探っている。震災後に石川・能登町から職員が派遣されたほか、「釜石応援ふるさと大使」の浅田(旧姓長谷場)久美さん=重量挙げ指導者=が珠洲市に暮らすなど、つながりがある。
 
 釜石市の中村達也総務企画部長によると現在、能登町と電話でのやり取りを継続中。「今回の地震では最大震度7を観測し、震災より大きかったと思う。私たちも経験したが、受け入れ態勢などまだ混乱しているだろう。必要なものを必要な時期に提供できるよう体制を整えていく」とした。
 
イオンタウン釜石に設置された募金箱

イオンタウン釜石に設置された募金箱

 
釜石情報交流センターでも協力を呼びかける

釜石情報交流センターでも協力を呼びかける

 
 市は被災者支援を目的に市役所本庁舎や8カ所の各地区生活応援センターなどで災害義援金の受け付けを開始。こうした動きは民間でも広がり、いち早く募金箱を設置したイオンタウン釜石では市民らが思いを投じている。「震災を思い出して気持ちが落ち着かない」「震災の時、お世話になった。恩返しの気持ちを込めて」。大町の釜石情報交流センターでもそう願う人たちが善意を寄せる。施設を運営する釜石まちづくり会社の担当者は「どこかに、何かに役立ててほしいと思いを持つ方の協力を」と呼びかける。

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2024年の幕開け 平穏無事願う人多く 能登半島地震被災者へ釜石市民 心寄せる

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 まれに見る暖かさの中、2024年が幕を開けた釜石市。新型コロナ感染症の5類移行後、初めて迎える正月は帰省客も一段と増えた印象で、おおみそか深夜から元日にかけて、各地の神社や寺は大勢の初詣客でにぎわった。穏やかな三が日になるかと思われた矢先、元日夕方に飛び込んできた能登半島地震発生の一報。甚大な被害が明らかになるにつれ、13年前に東日本大震災を経験している市民らは心を痛め、被災者らを案じる日々が続いている。市内の店舗などでは、いち早く義援金を呼び掛ける募金箱が設置された。
 

穏やかな年越し 唐丹町・盛岩寺で1年の平穏祈る鐘の音響く 住民・帰省客ら願い込め

 
 梵鐘を鳴らし、1年の無事を祈る家族=元日午前0時10分ごろ、盛岩寺

梵鐘を鳴らし、1年の無事を祈る家族=元日午前0時10分ごろ、盛岩寺

 
 唐丹町の盛岩寺(三宅俊禅住職)では元日午前0時に、新年の訪れを告げる鐘が打ち鳴らされた。その後、地元住民らが帰省した家族を伴って続々と初詣。境内では上野賢庸副住職(35)らが訪れた人たちを出迎え、新年のあいさつを交わした。初詣客は境内の梵鐘(釣り鐘)を代わる代わる突き、1年の平穏無事を祈った。
 
 同町にある母親の実家に帰省した宮城県仙台市の小野彩羽さん(15)は昨年を振り返り、「学校でもマスクを外し、みんなの顔が見られるようになった」とコロナ5類移行後の変化を実感。昨春、入学した尚絅学院高ではバスケットボール部に所属。「2年生になる今年は試合で多くのことを学べればいいな。目標は県3位以内」と志を新たにする。母幸恵さん(46)は「コロナで帰省できなかった2年間はやはり寂しかった。両親に顔を見せに帰ってこられるのはうれしい。家族みんな、けがなく健康で過ごせますように」と願いを込めた。
 
新年初の読経を行う上野賢庸副住職(左)。年忌表に見入る人たち(右)

新年初の読経を行う上野賢庸副住職(左)。年忌表に見入る人たち(右)

 
盛岩寺本堂で祈りをささげる家族連れ

盛岩寺本堂で祈りをささげる家族連れ

 
 本堂では上野副住職が新年初の朝のお勤めを行った。同寺では年始に故人の年忌(三~五十回忌)を知らせる紙を貼り出しており、訪れた家族らが確認する姿が見られた。上野副住職は「昨年は唐丹でもクマの出没が相次ぎ、お墓に供物を置かないよう協力を呼び掛けた。私たちは世界情勢や自然環境の変化に目を向けながら生活していく必要がある」と述べた。
 

初日の出は小雪がちらつく中、雲の隙間から… わずかな光に希望託し

 
初日の出を拝もうと両石漁港周辺には多くの人たちが訪れた=元日午前6時55分

初日の出を拝もうと両石漁港周辺には多くの人たちが訪れた=元日午前6時55分

 
 市内の海岸部には元日朝、初日の出を拝もうとする人たちが集まった。釜石市の日の出時刻は午前6時52分ごろ。大方の天気予報では曇りマークが出ていたが、夜が明け始めると、わずかな期待を胸に多くの人が訪れた。
 
 両石町の漁港周辺では、東日本大震災後に盛り土整備された高台の国道45号沿い、岸壁などにマイカーで乗り入れ、日の出を待つ人の姿が…。水平線上には厚い雲がかかり、一時小雪もちらつくなどしたため、あきらめて帰る人もいたが、午前7時15分ごろ、一時的にわずかな陽光が差し込んだ。残っていた人たちはすかさずカメラを向け、新年の“縁起物”を動画や写真に収めた。
 
水平線上にはあいにくの雲が…隙間から太陽が顔を出すのを待ちわびる人たち

水平線上にはあいにくの雲が…隙間から太陽が顔を出すのを待ちわびる人たち

 
午前7時15分ごろ、湾内に陽光が差し込むと一斉にスマホカメラを向けた

午前7時15分ごろ、湾内に陽光が差し込むと一斉にスマホカメラを向けた

 
 甲子町の前川芽衣さん(14)は春から中学3年生。高校受験を控え大事な年となる。初日の出を見て、「新たな気持ちで頑張っていこうという気になった」とパワーをもらった様子。父仁さん(49)も「(御来光を拝むと)気が引き締まる。明るい1年になれば」と期待。13年前の震災津波で鵜住居町の自宅が被災。仮設住宅での避難生活を経て、甲子町に自宅を再建した。「新たな土地での生活もだいぶ慣れ、落ち着きを取り戻しつつある」と話し、家族の希望あふれる未来を願った。
 

眼下に海を臨む釜石大観音 沿岸有数の初詣スポット 正月三が日に約8千人が拝観

 
観音像の入り口で参拝する人たち=釜石大観音、元日午前10時40分ごろ

観音像の入り口で参拝する人たち=釜石大観音、元日午前10時40分ごろ

 
 毎年多くの初詣客でにぎわう大平町の釜石大観音は、今年も元日の日の出の時間帯(午前7時前後)から拝観者が一気に増え始め、終日混雑が続いた。例年にない暖かさで、天候にも恵まれた今年の正月3が日の人出は、昨年より微増の約8千人だった。
 
 元日朝は曇り空だった市内は、午前8時を過ぎたころから太陽が顔を出し、新年を迎えたまちを明るく照らした。大観音には市内外から家族連れや若者グループなどが次々に訪れ参拝。昨年の加護に感謝し、新しい年への期待を胸に手を合わせた。お守りやお札、熊手や破魔矢などの販売コーナーも客足が途切れなかった。
 
 参拝を終えた人たちは青空に映える白亜の観音像をバックに記念撮影したり、目の前に広がる大パノラマの海上風景を楽しんだりと各所で笑顔を広げた。境内にはキッチンカーも並び、好調な売れ行きを見せた。
 
元日午前中には天候が回復。青空に映える観音像

元日午前中には天候が回復。青空に映える観音像

 
初詣客でにぎわう境内。浄土橋から眺める釜石湾の景色(右下)も目を見張る美しさ

初詣客でにぎわう境内。浄土橋から眺める釜石湾の景色(右下)も目を見張る美しさ

 
 釜石在住の前川凜太郎さん(23)は小中学校の同級生4人で訪れた。同所への初詣はほぼ毎年の恒例。「健康第一でいけるように」と祈りを込めた。社会人3年目。仕事を覚え、職場にも慣れてきたところで、「これからは後輩にも教えられるようにさらに精進したい」と目標を掲げる。県内各地で働く同級生とは「正月に会うのが楽しみ。ずっと仲良くしていきたい」と旧交を温め合う。
 
 同市平田の櫻井武さん(70)は妻、独立した長男家族らと6人で参拝。新年を迎えて願うのは、家族の健康と世界平和。多くの尊い命が奪われている海外2つの戦争に心を痛め、早期終結を強く願った。自身は昨年6月、50年にわたる会社勤めを終えた。人口9万人に達した釜石全盛の時代を知るだけに、昨年11月の同市の人口“3万人切り”に危機感を募らせる。「行政には新たな企業誘致などを頑張ってもらい、何とか人口減を食い止めてほしい」と積極的施策を望んだ。
 

健康づくりは歩くことから 初詣ウオークで誓い新た 能登半島地震被災地に思い寄せ神仏に祈り

 
門松が飾られた商店街を歩く初詣ウオークの参加者=大町、2日

門松が飾られた商店街を歩く初詣ウオークの参加者=大町、2日

 
 釜石市ウオーキング協会(遠野健一会長、会員50人)の新年恒例「初詣ウオーク」は2日に行われた。19回目の開催で、同市と遠野市から協会員と一般参加者26人が集まった。市内の神社と寺4カ所を詣でながら歩き、今年1年の健康を祈願。前日夕方に発生した能登半島地震の被災者にも思いを寄せ、1人でも多くの方が無事であるよう祈りをささげた。
 
 スタート地点となる中妻町の昭和園クラブハウス駐車場で出発式。あいさつした遠野会長(79)は元日に襲った激震に東日本大震災を重ね、「いつ何があるか分からない。被害が拡大しないことを祈るばかり。みんなで健康と平穏無事を願って歩こう」と呼び掛けた。コースは同クラブハウスから浜町の尾崎神社までの約8キロ。途中、八雲神社(八雲町)、八幡神社(大渡町)、薬師山観音寺(大町)に立ち寄り参拝した。
 
大渡町の八幡神社に到着。急な石階段を上った先にある社の前で参拝

大渡町の八幡神社に到着。急な石階段を上った先にある社の前で参拝

 
八幡神社の近くにある長谷川時雨(作家)の文学碑前では、観光ガイドを務める参加者が解説

八幡神社の近くにある長谷川時雨(作家)の文学碑前では、観光ガイドを務める参加者が解説

 
 昨年11月に協会員となった男性(75)は、市の健康診査で高血圧を指摘されたのを機にウオーキングを始めた。今では一日約7500歩を歩く。「歩き始めて血圧が少し下がった。検査の数値が良くなるとさらに欲が出てくる。共に取り組んでいる減塩と合わせ、今年も目標を立てて頑張りたい」と新年の誓い。戦禍、異常気象、天災…。不穏な世界情勢にも懸念を示し、「戦争のない、自然災害の少ない年になってほしい。(大地震に襲われた)石川の皆さんが心配…」と不安な一夜を過ごした被災者を案じた。
 
ゴールとなる浜町の尾崎神社で参拝。今年1年の協会活動に意欲を高めた

ゴールとなる浜町の尾崎神社で参拝。今年1年の協会活動に意欲を高めた

 
 長年続く同ウオークだが、今年ほど暖かい気候の中で行われるのはまれなこと。「天気にも恵まれ、みんなが元気で集まれたのが何より」と遠野会長。会長就任2年目となる今年は「協会の活動を広く周知し、会員でなくても月2回の例会ウオーキングに気軽に参加してもらえるしくみをつくりたい。人生100年時代。自分の足で歩けることは大きな喜び。皆さんの健康づくりに役立ててもらえれば」と、新たな活動の形を模索する。

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「釜石新聞NewS」プレーバック2023

 
 新型コロナウイルス感染症が5類に移行され、社会活動が少しずつ平常化してきた2023年。釜石市内では再開された祭りやスポーツなど各種行事で、再会を楽しむ顔に多く出会う年となった。そして、区切り、交代、誕生…といった「変化」や「新たな芽吹き」を感じる一年でもあった。そんなまちの動きをネット上で紹介した記事から振り返る。(年齢、肩書は当時)

2月

 
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【将棋・小山怜央さんプロに、地元歓喜】
 釜石市出身で将棋のアマチュア強豪、小山怜央さん(29)は13日、大阪市で行われたプロ棋士編入試験5番勝負の第4局に勝利し、通算成績3勝1敗で合格を決めた。棋士養成機関「奨励会」の未経験者、岩手県出身者で初のプロ棋士が誕生し、地元では歓喜の声が広がった。3月に帰省し、子どもらと交流。応援を力に飛躍を誓う。
 

3月

 
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【東日本大震災から12年―犠牲者13回忌 変わらぬ鎮魂の祈り各地で】
 未曽有の被害をもたらした東日本大震災から12年。今年の“3.11”も亡き人を思い、祈りをささげる人たちの姿が市内各所にあった。墓所、祈りのパーク、海岸…。それぞれの場所で花を手向け冥福を祈った。年々増えていく「(震災を)知らない世代」にどう伝え、未来の命を守るのか。教訓継承への取り組みは続く。
 
pb03
 
【SMCが釜石に第5工場新設 雇用拡大、外国人労働者も増加】
 空気圧制御機器製造、世界首位のSMC(本社・東京都)が釜石市に新たな工場を建設した。同市が1991年に誘致以来、5番目となる工場。国内外の需要増に対応し、生産拡大を図るためのもので、2026年ごろまでに約600人の就労を見込む。ベトナム、インドネシアなどからの特定技能外国人労働者も受け入れており、安定的な生産体制を目指す。
 

5月

 
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【明治日本の産業革命遺産フォトコン 最優秀賞は橋野鉄鉱山】
「明治日本の産業革命遺産」を対象にしたフォトコンテストで、橋野町の世界遺産「橋野鉄鉱山」を被写体にした作品「悠久のたたら場跡と星空」が最優秀賞に輝いた。撮影者は佐々木弘文さん(55)。「原燃料の山と橋野一番高炉」と題した藤原信孝さん(74)の作品はエリア賞を獲得。2人は10日に市役所を訪れ、喜びを伝えた。
 
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【クマ出没注意!目撃相次ぐ 県、7年ぶりに警報】
 釜石市内では5月以降、クマ(ツキノワグマ)の目撃情報が相次いでいる。26日には只越町の市役所前にクマ1頭が出没。約3時間後に捕獲という緊張を強いられる状況が発生した。県は人身被害が多発していることから、全域に「ツキノワグマの出没に関する警報」を発令。2016年度以来7年ぶりで、今回で2回目となった。
 

6月

 
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【復興支えたSL銀河 惜しまれながら10年の運行に終止符】
 JR釜石線で2014年から運行してきた観光列車「SL銀河」が、客車の老朽化のため、6月上旬で引退した。高らかな汽笛、迫力の走行で震災復興を力強く後押ししてきた大人気の列車。この10年で延べ約7万4000人が乗車した。ラストランには同列車を愛してやまない人たちが全国から駆け付け、最後の雄姿を見届けた。
 
pb07
 
【釜石はまゆりサクラマス 養殖事業化後、初水揚げ】
 釜石湾で養殖されている「釜石はまゆりサクラマス」が27日、今季初めて市魚市場に水揚げされた。昨秋に事業化してからの“初もの”は、体長60~80センチ、重さ1.7キロほどに育った計8.4トン。「身ぶりが良い」と関係者らは好感触を得る。プロモーション活動にも着手し、希少性を生かした取り組みに力を入れていく構えだ。
 

8月

 
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【ラグビーアマ代表 フランス大会出場へ結団式】
 ラグビーのワールドカップ(W杯)フランス大会に合わせて初めて開かれる「ワールドアマチュアラグビーフェスティバル」に、日本代表として「いわて釜石ラグビーフットボールクラブ」が出場。地域にゆかりのあるメンバー30人が公募で選ばれ、26日に釜石鵜住居復興スタジアムで結団式。「世界一を狙う」と気持ちを高め合った。
 

9月

 
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【4年ぶりの釜石よいさ 継承へ新たな形】
 第32回「釜石よいさ」は23日、釜石鵜住居復興スタジアムで開かれた。コロナ禍で中止が続き、屋外での通常開催は4年ぶり。「笑顔を生み出す場」を心待ちにしていた15団体約550人が熱い群舞を繰り広げた。経費や運営人員不足など課題もあり、「どう継続するか」を模索する中、会場や開催時期を変更して新たな形を試した。
 

10月

 
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【コロナ禍から復活 かまいし仙人峠マラソン大会4年ぶりに開催】
 高低差400メートルの急峻な峠道を駆け上がる「かまいし仙人峠マラソン大会」が29日、4年ぶりに開かれた。2010年から始まり、震災後は「復興の峠を駆け上がれ」の合言葉の下、継続されてきたが、新型コロナの影響で20年から中止されていた。久しぶりの大会は雨模様となったが、老若男女が絶景の紅葉を力に変え、難コースに挑んだ。
 
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【釜石最後の芸者・艶子姐さんの生涯 語りと踊りで再現】
 「芸は津波に流されない―」。踊りや三味線など磨いた芸で、戦後の釜石の社交の場を華やかに彩った故伊藤艶子(藤間千雅乃)さんの生涯が、ふるさと釜石で舞台化された。俳優名取裕子さんの語り、伊藤さんの芸を継ぐ東京・八王子の芸者衆の踊りなどで“艶子姐さん”の波乱万丈の人生が浮かび上がった。29日、市民ホールTETTOで公演した。
 

11月

 
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【片岸町に大津波記念碑が完成 悼み、伝え続ける震災】
 釜石市片岸町に東日本大震災の被災状況や教訓を伝える大津波記念碑が建立された。4日の除幕式で町民らにお披露目。津波で倒された神社の鳥居を「人」の形に組み、犠牲者の慰霊と教訓発信を末永く誓う。石柱には中高生が伝えたい言葉を刻んだ。同町は震災の津波で8割が被災。住民33人が犠牲になった。
 
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【震災復興→力強いまちへ 16年ぶりに代わるリーダー】
「撓(たわ)まず屈せず」を合言葉に、東日本大震災の復興で陣頭指揮を執った市長・野田武則氏(70)が17日に任期を満了し、16年(4期)通った市庁舎を後にした。この退任を前に行われた市長選で新人同士の一騎打ちを制して初当選した小野共氏(54)は20日に初登庁。「力強いまち」を目指し、市政運営をスタートさせた。
 

12月

 
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【かまいしの第九 45年の歴史に幕 「いつかまた…」】
 師走の釜石で歌い継がれてきたベートーベンの交響曲第9番。市民に愛された「かまいしの第九」は今年の公演が最後となった。中核メンバーの高齢化や資金減などが理由。同市の音楽文化の象徴が大きな功績とともに一時代を終えた。17日の最終公演では、出演者と聴衆が一体となる感動のステージが繰り広げられた。
 
■後記
 市民の皆様、釜石新聞NewSをご覧いただいている全国の皆様、本年のご愛読ありがとうございました。
 WEB専門の媒体としてのご理解と認知度も着実に高まり、皆様の生活の中に受け入れていただいている手ごたえを感じる機会が多くなりました。取材依頼などについては運営体制の変化などもあり、復興釜石新聞の時のようにはお応えしきれない点についてお詫び申し上げるとともに、あらためてご理解を賜れれば幸いです。
 
皆様、どうぞよいお年をお過ごしください。

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製鉄所隆盛で栄えた「昭和」の釜石 市民遺産で回顧 郷土資料館企画展が面白い!新年は5日から

市郷土資料館で開催中の「かまいしの古き良き時代 ザ・昭和 ~鐵(てつ)と共に~」

市郷土資料館で開催中の「かまいしの古き良き時代 ザ・昭和 ~鐵(てつ)と共に~」

 
 釜石市の歴史や文化を知るなら鈴子町の市郷土資料館(佐々木豊館長)。さまざまなテーマの展示で釜石を学べるが、年に数回行われる特別展示も興味深い。現在、開催中の企画展「ザ・昭和」は、製鉄所の繁栄で人口9万人以上を記録したこともある戦後の時代にスポットを当てる。多くの市民が行き交うまちはたくさんの商店や飲食店、娯楽施設が並び、活気を呈した。その古き良き時代を遺物や写真などで振り返る。展示は来年1月14日まで(12月28日~1月4日までは年末年始休館)。
 
 「鉄のまち」と称される釜石市は、太平洋戦争末期の1945(昭和20)年、米英連合国軍による2度の艦砲射撃で壊滅的な被害を受けた。戦後、復興への鉄需要の高まりで、釜石製鉄所は国内の主力として急成長。まちは企業城下町として栄え、63(同38)年には人口9万2000人を突破した。大渡町から東前町までの通りは最大の繁華街で、製鉄所の三交替勤務に伴い、飲食店などは昼夜問わずにぎわっていたという。
 
 その“昭和の釜石”を垣間見ることができる今回の企画展。会場では同館の所蔵物のほか、市内の企業などから寄せられたさまざまな遺物が公開されている。商売で使われた金銭登録機(今のレジスター)、商店や飲食店、宿泊施設、企業などの名前入りマッチ、灰皿、菓子製造に使われた道具、料亭の状差し…など。まちの繁栄の象徴、デパート(丸光、及新)などの包装紙もあり、当時を知る人にとっては懐かしい記憶がよみがえる。廃業した店も多く、まちの歴史を物語る貴重な品々が並ぶ。
 
 建材を扱っていた大町の「前田商店」で使われていた金銭登録機

建材を扱っていた大町の「前田商店」で使われていた金銭登録機

 
浜町にあった料亭「福寿楼」の状差し(中)と看板(左)

浜町にあった料亭「福寿楼」の状差し(中)と看板(左)

 
デパートや商店の包装紙(左側)と店などで身に着けていた前掛け(右側)

デパートや商店の包装紙(左側)と店などで身に着けていた前掛け(右側)

 
市内の収集家が集めた商店や飲食店、会社などの名前が入ったマッチ

市内の収集家が集めた商店や飲食店、会社などの名前が入ったマッチ

 
 今年創業100年を迎えた小川町の酒造会社、浜千鳥(新里進社長)は1968(昭和43)年まで、現只越町3丁目(今の釜石郵便局の場所)で操業。当時の社名は釜石酒造商会。本企画展では、小川町に移転する際に目抜き通りで行ったパレードの写真や、「浜千鳥」の前の商品名が入った量り売り用の漏斗(じょうご)、当時製造していたサイダー瓶などが展示される。
 
今年創業100年を迎えた「浜千鳥」に関する展示コーナー

今年創業100年を迎えた「浜千鳥」に関する展示コーナー

 
企画展で展示されている浜千鳥の“キンレンサイダー工場”の写真と同サイダー瓶

企画展で展示されている浜千鳥の“キンレンサイダー工場”の写真と同サイダー瓶

 
 市内在住の写真家、藤枝宏さんが撮影した昭和50年代の釜石の街並み写真も展示。煙突が立ち並ぶ製鉄所、「不夜城」と言われたまちの夜景、映画館のある中心商店街など、まちの活気を感じさせる光景が凝縮される。
 
藤枝宏さん撮影の昭和の街並み写真展示コーナー

藤枝宏さん撮影の昭和の街並み写真展示コーナー

 
東日本大震災の津波で流失した「呑兵衛横丁」。この通りは昭和30年代、大にぎわいだった

東日本大震災の津波で流失した「呑兵衛横丁」。この通りは昭和30年代、大にぎわいだった

 
 同館では「当時を生きた人が懐かしさを感じるのはもちろん、昭和を知らない世代にも釜石の歩みを知ってもらえる展示。常設展示品以外のものがほとんどなので、ぜひこの機会にじっくりと観賞してもらえれば」と来場を呼び掛ける。問い合わせは同館(電話/FAX 0193・22・2046)へ。