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釜石の実像と釜石市オープンシティ戦略(初版)の公表について

釜石の実像と釜石市オープンシティ戦略(初版)の公表について

市では、国の地方創生の動きを踏まえ、長年の課題である人口減少・少子高齢化に対応し、将来のまちの進路を示す羅針盤となる、釜石の実像(釜石市人口ビジョン)と釜石市オープンシティ戦略(釜石市総合戦略)の初版を10月30日に策定しましたので公表します。

 

今回公表した初版については、今後、より多くの市民や団体の参加を得た議論を踏まえて、戦略に位置づけた施策や取組の具体化を行い、2016年3月に最終版(改定版)を策定することとしています。

 

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釜石の実像(釜石市人口ビジョン)初版

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釜石市オープンシティ戦略(釜石市総合戦略)初版

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釜石の実像と釜石市オープンシティ戦略の構成と位置づけ

 
釜石の実像とオープンシティ戦略は、現在を共有し、未来への選択を実現していくための羅針盤であり、選択と集中の裏付けとなる事実・価値観を示すものです。

 

釜石の実像は、人口動態に関する現状とまちの将来の展望を示すものであり、オープンシティ戦略は、復興まちづくり基本計画を踏まえ、当市の少子高齢化・人口減少問題に対する最上位計画であり、「移住・交流」「仕事・産業」「出会い・結婚・出産・子育て」「市民協働・男女共同参画」「教育」「広域連携」「地域包括ケア・高齢化社会」等を主な範囲とし、テーマ横断的な基本思想と5つの戦略コンセプト、施策・KPI(重要業績評価指標)を定めています。
※KPI:Key Performance Indicatorの略であり、施策ごとの達成すべき成果目標。

 

釜石の実像の概要

 
当市の人口は、現状のまま手立てを打たなければ、2040年に21,503人になると予測(国立社会保障・人口問題研究所推計)されていますが、釜石の実像から抽出された4つの問題に対して、適切な課題設定を行い、オープンシティ戦略において実行可能な施策を最大限講じることで、人口減少のスピードを緩やかにしていくことが可能だと考えています。

 

市では、合計特殊出生率を現状の1.81から2030年までに人口置換水準の2.1まで上昇させ、自然動態の改善を図り、震災後に抑制された社会減の動態を維持することで、将来展望として、2040年に27,000人程度の人口を維持することを目標とします。

 

釜石市オープンシティ戦略の概要

 

「オープンシティ釜石 ~市民一人ひとりが役割を持つ、もっとも開かれたまち~」

 

オープンシティ戦略では、基本思想として「オープンシティ釜石」を掲げ、歴史が育んだ文化的土壌と社会関係資本を最大限生かしながら、良質な地域内外の交流を通じて、多様な人材が還流し、地域の課題と可能性が自分事化され、新たな事業機会や市民活動が生み出されることによって、希望が連鎖していく、そうしたサイクルが自立的に回っている状態を地域のありたい姿として掲げています。

 

「活動人口」と「つながり人口」を戦略の柱に据え、このまちに生きることを自ら選択し、小さな挑戦を生み育て、それぞれの役割を全うする市民一人ひとり(=活動人口)が生き生きと暮らすことのできるまちづくりを実現し、必ずしも将来的な定住に捉われることなく、釜石の暮らしや産業、まちづくりに多様な関わりを有するすべての人々(=つながり人口)が、相互に補完し合い、住民票上の人口以上に、地域に活力が生み出され、市民一人ひとりが役割と品格を持ち、地域の誇りとともに生き生きと暮らす姿を目指します。

 

図 オープンシティ戦略の基本思想(イメージ図)
オープンシティ戦略の基本思想(イメージ図)

 

図 活動人口及びつながり人口の具体例
活動人口及びつながり人口の具体例

 
図 地域の活力(イメージ)
地域の活力(イメージ)

 

本戦略では、①『人材を還流させる「まちの人事部」機能の構築』、②『多様なビジネスが生まれる土壌づくり』、③『自然な出会いの創出と社会で子どもを産み育てる環境整備』、④『自ら学び、選択する人材の育成と市民による「らしさ」の創出』、⑤『世代を超えて、お互い支え合える地域づくり』を5つの戦略コンセプトとして掲げ、戦略コンセプトに基づく施策を設定しています。

 

図 5つの戦略コンセプト
5つの戦略コンセプト

 

戦略コンセプトや個々の視察立案・実行にあたっては、1.市民創発型プロジェクトの推進、2.外部人材・企業との協働という視点に加え、2015年9月19日に公表した「岩手県沿岸市町村復興期成同盟会」による『共同声明』の趣旨を鑑み、三陸沿岸地域の社会経済環境の変化を十分に踏まえつつ、3.広域連携による課題解決を図っていくものとします。

 

図 戦略コンセプト・施策の立案・実行における3つの視点
戦略コンセプト・施策の立案・実行における3つの視点

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12月23日オープンする釜石情報交流センター

釜石情報交流センター 12月23日オープンへ〜施設利用 運営委で検討、予約受付は12月1日から

12月23日オープンする釜石情報交流センター

12月23日のオープンへ建設が進む釜石情報交流センター

 

 12月23日のオープンに向けて釜石市が中心市街地の大町に整備を進めている釜石情報交流センターの運営委員会が11日、設置された。青葉ビルで開かれた初会合では、センターの概要や施設利用、事業計画などについて市が説明。委員からは、施設利用の3カ月前とする予約開始日について、「もっと前から予約できないか」と見直しを求める意見などが出された。

 

 センターは、大型商業施設イオンタウン釜石を核に周辺に公共施設を配置し、にぎわい創出を目指す市の拠点整備事業「フロントプロジェクト1」の主要施設。隣接して整備する市民ホール(仮称)と連動し、市民活動の活性化を図る釜石の新しいランドマークに位置付ける。

 

 鉄骨造り2階建て、延べ床面積約1千平方メートル。ワークスペースや市民スタジオのほか、オランダ人絵本作家ディック・ブルーナさんによるキャラクターをモチーフとした国内唯一の「ミッフィーカフェ」を設置する。多目的集会室(約160人収容)は、市と復興支援活動の協定を結んだ一般社団法人との契約で「チームスマイル釜石PIT」と命名。映画や首都圏でのライブ上映などイベントが年間40回程度実施される計画だ。

 

 センターの基本整備構想は2013年に策定された。建設検討委員会、運営検討委員会を経て、オープンまで1カ月余りと迫ったことから運営委員会に切り替えた。委員には市民公募などで10人を委嘱。委員長には市芸術文化協会の岩切潤会長を選んだ。

 

運営委員会

施設利用などについて意見を交わした運営委員会

 

 市は、センターの愛称を検討していることも明らかにした。

 

 開館時間は午前9時から午後10時までで、毎月第3木曜日と年末年始は休館。一般の利用予約は12月1日から受け付ける。

 

 市は12月23日のオープンに合わせてセレモニーを行い、同24日と25日には一般の利用促進に向けて内覧会を開く。釜石PITは年明け1月9日にオープニングセレモニーを行い、同11日のゴスペラーズ公演など記念イベントを予定する。

 

(復興釜石新聞 2015年11月14日発行 第436号より)

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釜石市民らを励ました支部蘭蹊さん

ふるさと支援へ同期生結束、ひと・まち・こころ釜南44展〜郷土愛、展示作品に色濃く

「釜南44展」の展示会場

多彩な作品を鑑賞しながら交流を深めた「釜南44展」の展示会場

 

 同期生の郷土愛で釜石を元気に――。釜石南高の1969(昭和44)年卒業生でつくる「ふるさと復興支援グループ釜南44」は7、8の両日、作品展示と音楽によるイベント「ひと・まち・こころ釜南44展」を釜石市大町の青葉ビルで開いた。心の復興を後押ししようと仙台、八戸、東京など各地と岩手県内在住の同期生約25人が集い、趣味で取り組む絵画や写真、リメークした布作品などを展示した。煙突が並ぶ釜石製鉄所や橋上市場といった釜石を象徴する懐かしい風景写真もあり、来場者と出品者が当時に思いをはせながら交流した。

 

 中学、高校の6年間を釜石で過ごした仙台市在住の書家、支部蘭蹊さん(64)は釜南同期の音楽家山﨑眞行さん(釜石在住)のフルート演奏とコラボで書のパフォーマンスを披露。震災後、言葉の力を書に込め被災者を勇気づけてきた支部さんは、心に響く一節を味わいのある書体で書き上げた。

 

釜石市民らを励ました支部蘭蹊さん

人生の糧になる言葉を書に託し、釜石市民らを励ました支部蘭蹊さん(左)

 

 1クラス50人で、9クラスもあった高校時代。当時は話したこともなかった同期生とも釜南44の活動で心を通わせる仲になったという。支部さんは「60代以降は自由な時間を使い、また違った生き方ができる年代。われわれが培ってきた技術や感覚は復興まちづくりにも大きな力になるだろう」とさらなる貢献に意欲を見せた。

 

 盛岡市在住の多田康子さん(65)は、地元「湯沢さんさの会」の仲間と湯沢地区伝統のさんさ踊りでイベントのオープニングを飾った。多田さんは大槌町出身。震災直後は歯科衛生士として被災地支援に奔走した。「何かお役に立ちたいと、自分たちができる形を探り実現させた同期たちのエネルギーに頭が下がる。みんなで地元愛を持ち続け、まちの元気につなげていけたら」と願った。

 

 釜南44は、二十数年前から交流が続く仙台市在住の同期生を中心に2011年に結成。震災から8カ月後にウクライナの歌姫ナターシャ・グジーのコンサートを仙台で開き、収益の一部を釜石で行われる食のイベントに寄付した。3回目となった昨年2月のコンサートには釜石虎舞も出演している。

 

 釜石でのイベントは今回初めての試みで、グループの白田正行代表(65)=仙台市=は「外に出た人間は釜石を思う気持ちが強い。今後は釜北、釜工、釜商を含め全国に散らばる釜石の高校同期生のネットワークをつなぎ、より良い形にできれば。50歳を過ぎると昔に帰っていくというか、そういう(地元への)強い気持ちを釜石のために役立てるような仕組みを作っていきたい」と、新たな展開に期待した。

 

(復興釜石新聞 2015年11月11日発行 第435号より)

 

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広報かまいし2015年11月15日号(No.1628)

広報かまいし2015年11月15日号(No.1628)

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広報かまいし2015年11月15日号(No.1628)

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【目次】
表紙:秋晴れに フライキはためかせ 祈りささげる
P02:野田市政 3期目がスタート
P03:ラグビー情報発信拠点「ラグビーカフェ・シープラザ釜石」プレオープン、大学等研究機関誘致促進懇話会を開催
P04:市営住宅の入居者を募集します、被災者に自宅などを提供した人の再調査を行います
P05:ごみ減量にご協力を~簡単にできるごみ減量~
P06:平成26年度決算のあらまし
P10:まちの話題
P12:保健案内板
P14:まちのお知らせ
P16:かまいし徒然日記

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釜石市民劇場

釜石市民劇場 被災母子の「小さな幸せ」描く〜前を向いて生きる家族の絆

釜石市民劇場

大好きな父親との思い出に支えられ、強く生きる親子の姿を描いた第29回市民劇場公演

 

 第29回釜石市民劇場「小さな幸せの花~あなたを忘れない」(同実行委主催)は8日、釜石市鈴子町のシープラザ遊で上演され、約200人が観劇した。東日本大震災による休演を経て復活3年目の今年は、震災で父親を亡くした母子の物語。4年の歳月を経た日常に、大切な思い出を胸に前を向いて生きる家族の絆が描かれた。深い悲しみを経験した人たちに希望をつなぐ内容が共感を呼んだ。

 

 全8景の舞台。震災で父親が行方不明になり、残された母親と3人の子どもは、近所の友人や父の職場の同僚らに見守られ暮らしていた。ある日、長女が帰宅せず大騒ぎに。無人駅でうとうとする長女は夢に現れた父から亡くなった生母の存在を聞くとともに、今の母、自分、2人の妹に向けられる深い愛情を知る。「母の日」、家族は母の大好きな花の花言葉「小さな幸せ」をかみしめる。

 

 家族愛が表現された夢の中のシーンは、セリフの一部を歌にしてミュージカル風に演出。原作・脚本は実行委の久保秀俊事務局長が手がけた。キャストは子どもから大人まで14人。約50人のスタッフ、実行委員が支えた。

 

 公演後、母親役(主人公)の小笠原景子さん(31)は、小学生の時に父を亡くした自身の経験と重ね、「(故人を)思い出すことで、姿は無くとも存在し続ける。悲しみは幸せの肥やしとなり、耕された後には必ず”小さな幸せの花”が咲くと思う」と劇に込めた気持ちを観客に伝えた。

 

 同劇場公演は震災前、市民文化会館の自主文化事業として行い、郷土の先人をテーマに釜石ならではの市民手づくり舞台を毎年継続してきた。同会館が被災し2年の休演を余儀なくされたが、関係者の熱意で復活。苦労を重ねながらも創意工夫によるテント公演を実現させている。

 

 一関藤沢市民劇場に携わる男性(59)は「十分ではない環境の中で、今までの歴史を守っていこうという皆さんの心意気を感じる。劇を見ながら、死はつらいが生きている人間も何とか頑張っていかなくてはと思った」と語った。

 

 転勤で釜石に戻り、10年ぶりの出演となった阿部健一さん(47)は「何か協力できればとの思いもあって参加。仕事後の稽古など体力的にきつい面もあるが、市民劇場の仲間はやっぱりいい」と笑顔。初参加の鬼頭佑介君(釜石中1年)は「一からなので難しかったが、うまくできてほっとしている。また役者で出てみたい」と充実感を見せた。

 

 演出を担当して3年目となる坂脇和恵さん(44)は「みんなの力が集まれば、何もないテントでも公演ができる。人の力って本当にすごい。(2年後に完成予定の)市民ホールでのこけら落とし公演も決まっているので、キャストには本物の舞台で演じてほしい」と期待した。

 

(復興釜石新聞 2015年11月11日発行 第435号より)

関連情報 by 縁とらんす
釜石市民劇場 Facebookページ

昨日は、第29回釜石市民劇場【小さな幸せの花~あなたを忘れない~】へご来場いただきまして、本当にありがとうございました!天候が悪いにもかかわらず、たくさんの方に観劇いただき、感謝の気持ちでいっぱいです。第29回釜石市民劇場公演は終了しましたが、ほんの数ヶ月後には、次回公演に向けて始動いたします。今後とも、釜石市民劇場をよろしくお願いしますm(__)m

Posted by 釜石市民劇場 on 2015年11月9日

 

復興釜石新聞

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根浜海岸を望む場所に建立された島倉千代子さんの「おかえりなさい」の歌碑

島倉千代子さんの歌碑、根浜に〜震災犠牲者へ「おかえりなさい」の思い込め、除幕式は来年3月に

根浜海岸を望む場所に建立された島倉千代子さんの「おかえりなさい」の歌碑

根浜海岸を望む場所に建立された島倉千代子さんの「おかえりなさい」の歌碑

 

 昭和を代表する歌手の島倉千代子さんの歌碑が、釜石市鵜住居町根浜の旅館宝来館の裏山にある避難路入り口付近に建立された。「東日本大震災の被災地が落ち着いたら、『おかえりなさい』を歌いに行きたい」と話していたという島倉さんは2013年に他界。果たせなかった思いを形にしようと、関西地区のファンらでつくる島倉千代子後援会(事務局・大阪市吹田市、吉田恵美子代表、会員約150人)が中心となり建立した。震災で犠牲になった人に「お帰りなさい」、いまだ行方が分からない人に「帰っておいで」―と、さまざまな思いが込められた歌碑の除幕式は来年3月30日、島倉さんの誕生日に行うことにしている。

 

 歌碑は白御影石製で高さ90センチ、幅約1・4メートル。2007年5月にシングル曲として発売した「おかえりなさい」の歌詞が刻まれた。背面にはそのジャケット写真を配し、優しいまなざしで見守る島倉さんを感じられるようになっている。

 

 「東京だョおっ母さん」「人生いろいろ」などのヒット曲で知られ、戦後の歌謡界に大きな足跡を残した島倉さんは13年11月8日、75歳で生涯を閉じた。生前の島倉さんの思いをつなげようと、吉田代表(65)ら4人が発起人となり歌碑建立に向けて後援会を結成。会員に寄付を募ったところ、約200万円の善意が寄せられ、建立にこぎつけた。

 

 「おかえりなさい」は定年で職場から離れていく団塊の世代へ向けた応援歌で、節目を迎えた人の心を優しく温めてくれる曲だという。この曲を被災地に届けたいと話していた島倉さんの思いを形にできる場所は―と考えていた吉田代表の脳裏に浮かんだのが、鵜住居町出身の小松廣子さん(61)、義次さん(65)夫妻だった。

 

 吉田代表は1988年に義次さんの転勤で吹田市へ移った廣子さんと知り合い、家を行き来するように。廣子さんが手作りしたアップルパイを島倉さんに届けたこともあったといい、島倉さんは廣子さんのことを「アップルパイさん」と呼び、会いたいと言っていたことを思い出した。

 

 小松さん夫妻は退職後に住もうと03年に鵜住居町新田地区の廣子さんの実家近くに家を建てていたが、震災の津波で流失。実家も流され、両親も犠牲になった。父親の岩崎正志さん(当時85歳)はすぐに見つかったが、母親のテルさん(同84歳)は行方不明のまま。退職を控えていた2年前、鵜住居町での再建を断念し、花巻市に移った。

 

 当初、小松さん夫妻の自宅があった場所に建てる計画だったが、「復興がいつになるか分からない。何もない場所よりは」と、廣子さんと親交がある宝来館の女将に歌碑の設置を打診。女将が快諾し、設置が決まった。

 

 歌碑の設置作業は10月27日から29日まで実施。東京都品川区にある島倉さんの墓を手掛けた稗田石材店(同大田区本店)が製作から請け負った。

 

 29日、設置を終えた歌碑の前には吉田代表、神戸市の佐野慶子さん(67)、奈良市の西幸子さん(66)、義次さんの笑顔があった。「ここが温かく『お帰りなさいね』と迎える場所。『ただいま』と帰る場所。歌詞がぴったりな場所」(吉田代表)、「千代子さん、きっと喜んでいる。みんなの協力でできたこと。ただ感謝。海が見え、自然が豊かで最高の立地条件。最高の幸せ」(西さん)。佐野さんは「寂しさもあるけど、ここで千代子さんに会える。千代子さんにもらった思いや友達を大事にしますね」と歌碑を見つめていた。

 

完成した歌碑の前で笑顔を見せる佐野さん、吉田代表、小松義次さん、西さん(左から)

完成した歌碑の前で笑顔を見せる佐野さん、吉田代表、小松義次さん、西さん(左から)

 

 義次さんは「関西の人が東北を訪れることは少ない。被災地以外の人がこの歌碑を含め被災地を見ることに意義がある。思いを寄せ、足を運んでもらう機会が増えれば」と願った。

 

 歌碑は現在ブルーシートで覆われており、来年3月に正式に除幕。除幕式は30日午前11時からの予定で、関西地区のほか九州や東京からもファンら約35人が駆け付けるという。

 

(復興釜石新聞 2015年11月7日発行 第434号より)

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古民家再生 魅力的な空間に生まれ変わった古民家に関係者の笑顔が輝く

古民家再生第1弾オープン祝う〜橋野町の曲がり屋 活用に夢膨らむ、市内外をつなぐ UIターン推進へ

古民家再生 魅力的な空間に生まれ変わった古民家に関係者の笑顔が輝く

魅力的な空間に生まれ変わった古民家に関係者の笑顔が輝く

 

 釜石市の一般社団法人HUB三陸(中村博充代表理事)が取り組む橋野町の古民家再生プロジェクトの建物改修第1弾が終了し、10月31日に現地でオープニングパーティーが開かれた。作業に携わってきたボランティアや関係者約50人が参加し、生まれ変わった築90年の曲がり家で今後の活用に夢を膨らませた。

 

 同プロジェクトは、地域資源である古民家に地域づくりの学びの場、団体や企業、大学の研修拠点としての機能を見いだし、釜石への関心の掘り起こしや交流促進につなげようと5月にスタートした。十数年空き家になっていた古民家を借り、ワークショップ方式でボランティアによる改修に着手。プロの指導を受けながら床板張り、壁塗り、ロケットストーブ製作などを行ってきた。国内外から集まったボランティアは延べ450人にのぼる。

 

改修が進められてきた橋野町中村の築90年の古民家

改修が進められてきた橋野町中村の築90年の古民家

 

 今回は2階建て母屋の1階を改修した。玄関に接する茶の間は吹き抜けに改築し、古民家ならではの立派な梁(はり)を際立たせ、まきをくべるロケットストーブを設置。他に広間と奥、表座敷の3部屋があり、戸を外すと大広間にもなる。水回り、照明などは企業が協賛した。設計、施工監理を行った東京都の1級建築士、高池葉子さん(33)は「多くの人が思い入れを持って関わってくださった。本当に感慨深い。まずは地域の方からどんどん使っていただき、外からも人を呼び込む場になれば」と願った。

 

 同プロジェクトには市の「定住促進かまいし魅力体験事業補助金」が交付されている。同事業は釜石での中・長期型滞在プログラムで地域の魅力を感じてもらい、継続的な関わりやU・Iターン推進につなげようというもの。市まち・ひと・しごと創生室の石井重成室長は「『移住未満、観光以上』という人たちをどれだけ増やせるか。その層の厚みが地域活力に大きな影響を与えてくると思う」とプログラムに期待を寄せる。

 

 改修した古民家はHUB三陸が管理し、一般社団法人三陸ひとつなぎ自然学校(伊藤聡代表理事)、パソナ東北創生(戸塚絵梨子社長)などと共に企画する体験・研修プログラムの活動拠点とする。2階も今後、改修が進められる予定。

 

 母屋に併設される馬屋は、一般社団法人三陸駒舎(寄田勝彦代表理事)がクラウドファンディングを活用し改修予定。馬を飼育しながら、ホースセラピーや馬との暮らし宿泊体験などを予定する。三陸駒舎、HUB三陸の両理事を務める黍原豊さん(38)は「馬との触れ合いには心豊かに過ごしたり、今の社会が抱える課題を解決するヒントがある。地域の人たちと一緒に発信していければ」と意欲を見せる。

 

 プロジェクト担当のHUB三陸理事斎藤学さん(35)は「内外の人をつなぎ、釜石に来るきっかけを作ろうとしたのがHUB三陸。古民家再生はまさにそれを体現してくれた。また釜石に来たい、外からも応援したいという人が出てきている」と、早くも事業の手応えを感じている。

 

(復興釜石新聞 2015年11月7日発行 第434号より)

関連情報 by 縁とらんす
三陸駒舎公式サイト
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平田幼稚園 新園舎完成、平田小の隣接地に〜響く歓声 広がる笑顔

移転新築した平田幼稚園の園庭で遊ぶ子どもたち
移転新築した平田幼稚園の園庭で遊ぶ子どもたち

 

 釜石市が東日本大震災の復興に向けた平田地区土地区画整理事業に伴い進めてきた市立平田幼稚園(祝田由美子園長、園児42人)の移転新築工事が完成し、27日に竣(しゅん)工式が行われた。園児や保護者、市や園の関係者ら約120人が参列し、新しくなった園舎の完成を祝った。11月4日から保育を始める。

 

 式では、野田武則市長が「子どもたちの笑顔を育むため、より安心安全な園舎になった。新たに始まる園生活が多くの人に親しまれ、充実が図られるよう職員一丸となって運営していく。子どもの成長には家庭や地域の協力も必要で、園児たちが新しい時代をたくましく生きる力の基礎を身に付け、心豊かに、夢と希望を実現できるよう力添えをお願いしたい」とあいさつした。

 

 野田市長ら7人がテープカット。園児は園歌を元気いっぱい歌い、「へいたっこ虎舞」を披露して花を添えた。

 

 園児を代表しテープカットした田畑夢虎(ゆめと)君(5)、遠野愛実ちゃん(5)は「(園舎は)きれい。うれしい。みんなといっぱい遊びたい」とにっこり。早速、友達と真新しい園舎や園庭を駆け回り、歓声を響かせた。

 

関係者がテープカットして新園舎の完成を祝った
関係者がテープカットして新園舎の完成を祝った

 

 新園舎は平田小に隣接する敷地面積約2515平方メートルの土地に、延べ床面積約637平方メートルの木造平屋の建物、約1千平方メートルの園庭を整備。主な施設は保育室3室、預かり保育室、遊戯室などを配した。園児や職員が安全に移動できるよう段差を解消し、手すりを設置したほか、天井が高く出窓を多く配し光が入りやすくて明るい、風通しの良い園舎に設計。国道から離れているため車の往来を気にせず、自然の中で存分に体を動かし遊べる場所が完成した。

 

 同園は1953年に旧平田小校舎を利用し、私立幼稚園としてスタート。78年に市立となり、81年に園舎を新築した。2011年の震災で園舎は被災を免れたが、ライフラインが寸断され休園。保護者らの要望を受け、約1カ月後に再開し保育を続けてきた。平田地区土地区画整理事業では園舎が道路となる計画で、昨年12月から移転新築工事をしてきた。総事業費は約3億円。

 

 祝田園長は「今までの園舎に愛着があり寂しさもあるが、明るい園舎は子どもたちの夢のお城。夢が広がっている子どもたちの明るい笑顔、成長を見守りたい」と話した。

 

 市は、旧園舎のお別れ会を7日10時から11時まで開く予定。解体は9日に始まるという。

 

(復興釜石新聞 2015年10月31日発行 第432号より)

 

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ふるさとの児童に贈る名前入りのリンゴを収穫する遠藤快莉君

白山小から転校 遠藤君が縁結ぶ〜釜石と絆深めるイモ、りんご 長野県飯島町

白山小児童にサツマイモを贈る飯島地区青少年育成会の4人
白山小児童にサツマイモを贈る飯島地区青少年育成会の4人

 

 白山小(栗澤弘校長、児童49人)に26日、長野県上伊奈郡飯島町の飯島小地区PTA連合体「飯島地区青少年育成会」の塩澤昌幸会長ら保護者4人が訪れ、大量のサツマイモをプレゼントした。震災から続く支援で、直接届けるのは初めて。釜石市や仙台市などの被災地を巡り、復興の様子を確認した。

 

 来訪したのは塩澤会長(37)のほか、矢澤真さん(34)池上堅さん(30)、宮下勝至さん(39)。贈呈式は体育館で行われ、全校児童が一行を歓迎。サツマイモ150本(72キロ)が贈られた。

 

 児童代表の三浦智咲さん(6年)が「サツマイモは私が2年生の時からいただいています。遠くから届けてくださり、ありがとうございます」と感謝。全員で「みんなが集まれば」など2曲を歌い返礼した。

 

 塩澤会長らによると、同育成会は30年以上、サツマイモの栽培体験を続けている。今年も児童276人が保護者と約15アールの畑に地区ごとに栽培、約600キロを収穫した。

 

 白山小との縁は、1人の児童がつないだ。飯島小6年の遠藤快莉(かいり)君は震災の時、白山小1年生だった。職場が被災した父親の転勤で、2年生から飯島小に転校した。快莉君一家を通して震災の状況を知った児童や育成会が、収穫したサツマイモを贈り、激励することにした。

 

 快莉君は塩澤会長に、白山小児童に宛てたメッセージを託した。「ぼくは、いつかまた釜石に帰って、いっしょに野球をしたいと思っています。長野の空も釜石と同じ空です。ぼくは長野県で、みなさんを応援しています」とあった。

 

ふるさとの児童に贈る名前入りのリンゴを収穫する遠藤快莉君
ふるさとの児童に贈る名前入りのリンゴを収穫する遠藤快莉君

 

 贈呈式を見守った中妻町の祖父、古川明良さん(64)によると、快莉君一家は自宅を新築。兄妹2人に、飯島町で妹が生まれた。

 

 なお、リンゴ栽培農家で同育成会の木下喜文前会長は27日、白山小の児童全員にリンゴを届けた。サツマイモと同様に5年目の寄贈。今年は児童それぞれの名前入りに挑戦、快莉君らも収穫を手伝った。

 

(復興釜石新聞 2015年10月31日発行 第432号より)

 

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釜石市民ホールの完成イメージ

文化の殿堂 膨らむ期待〜釜石市民ホール着工 17年秋完成 12月オープンへ、イオンと連動 にぎわい創出

釜石市民ホールの完成イメージ
釜石市民ホールの完成イメージ。2年後のオープンを目指す

 

 東日本大震災で被災し使えなくなった釜石市民文化会館に代わる施設として市が中心市街地に整備する釜石市民ホール(仮称)の建設工事安全祈願祭が23日、大町の現地で行われた。同ホールは芸術文化活動の拠点になるとともに、周辺にある大型商業施設イオンタウン釜石などと連動した、にぎわい創出の核としても期待が膨らむ。完成は2年後の2017年秋を見込み、市は同12月のオープンを目指す。

 

 安全祈願祭には市、工事関係者など約30人が出席。神事でくわ入れした野田武則市長は「震災から4年7カ月、やっと市民ホールに着工できる。釜石の文化発信の拠点として大いに力を発揮してもらいたい」と期待を述べた。

 

市民ホールの工事安全祈願祭で、くわ入れする野田市長
市民ホールの工事安全祈願祭で、くわ入れする野田市長

 

 市民ホールは鉄筋コンクリート造り地上4階建て、地下1階で、延べ床面積は約7千平方メートル。メーンの大ホールは838席で、1階の480席は可動式。可動席を取り外すと、平土間式の小ホール(約200人収容)と平場でつながり、展示やイベントなど多目的の会場としても使える。1階にはこのほか中小3つの防音練習室、ギャラリーなどがある。2階は大ホール固定席のほか、和室、会議室など。3階には幼い子ども連れでも利用できる多目的鑑賞室も設けた。

 

中央の更地部分が市民ホール建設地。東側には隣接して情報交流センターの整備が進む=釜石市大町
中央の更地部分が市民ホール建設地。東側には隣接して情報交流センターの整備が進む=釜石市大町

 

 設計はaat+ヨコミゾマコト建築設計事務所、施工は戸田建設と山崎建設が請け負う。総事業費は約56億円で、資材高騰などで当初の計画より約9億円増えた。予算圧縮のため規模は旧市民文化会館の3分の2程度となるが、外面のほとんどをガラス張りにするなど、にぎわい創出の核施設として集客を促すよう工夫した。

 

 市民ホール建設検討員会の岩切潤委員長(80)=市芸術文化協会会長=は「震災後は宮古市や大槌町など近隣市町の施設を使って活動してきた。文化活動は心の復興につながる。早く完成してほしい」と願いを込める。

 

 市は今後、ホールの愛称の公募も検討する。同ホールに先行する形で隣接して建設が進む情報交流センターは12月に完成を予定する。

 

(復興釜石新聞 2015年10月28日発行 第431号より)

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第2回「ケアカフェかまいし」が開催されました

初めまして、ケアカフェかまいし店の店長の鳩岡です。今回は10月30日に第2回目の開催となる、『ケアカフェかまいし』を取材してきました。

 

第2回 ケアカフェかまいしのチラシ
第2回 ケアカフェかまいしのチラシ
 

『繋がる場、よりどころの場』として2015年4月にプレ開店し、今後は隔月で開店していく予定です。

 

第2回ケアカフェかまいし

 

さて、ケアカフェとは、「ジャズの流れるカフェのような雰囲気の中、コーヒーなどを飲みながら、 4〜5人のグループに分かれてテーマに沿った会話を楽しみます。席替えをして話を深め、さらに内容を全員で共有し、いろいろな意見を持ち帰ることを目的にしています。」(ケアカフェジャパンのサイトより)という集いで、北海道旭川市で始まったこの取り組みは、現在では全国各地で行われています。

 

第2回ケアカフェかまいし開催の様子

 

今回のテーマは「まち」でおこないました。「医療、介護の学校(研修会)の企画」「大渡り橋での市場の開催」「釜石の人口減少・介護職不足など…」医療、福祉の分野から、または違う分野の方々より自分達のまちについてのおしゃべりがたくさんありました。

 

おしゃべりの様子です。https://youtu.be/LWd9_25P-UM

 

笑いあり、笑いあり、滑りあり…
是非、ケアカフェかまいしにご来店ください。次回は2016年1月16日(土)開催予定です。

 

carecafe_01-min

 

開催告知情報:
ケアカフェかまいし Facebookページ
釜石市公式サイト – かまチョコ

 

無投票で3選を果たし、支持者から万歳の声を受ける野田武則氏

次世代に誇れるまちづくりへ〜野田氏 無投票3選、釜石市長選挙

無投票で3選を果たし、支持者から万歳の声を受ける野田武則氏
無投票で3選を果たし、支持者から万歳の声を受ける野田武則氏=25日午後5時40分

 

 任期満了に伴う釜石市長選は25日告示され、無所属で現職の野田武則氏(62)が無投票で3選を果たした。野田氏以外に立候補はなく、小沢和夫前市長が再選された2007年4月の市長選以降、4回連続の無競争となった。「無風」について賛否両論がある中で、3選を果たした野田氏は「選挙戦の勝利より責任は重い。市民の全面的な負託と受け止める」としつつ、「次世代が誇れるまちづくりにまい進し、釜石が持つ可能性を最大限に引き出していく」と決意を述べた。

 

 野田氏は午前9時すぎ、大町に設けた選挙事務所前で第一声。約200人の支持者を前に、▽住まいと暮らしの早期再建▽防災・減災のまちづくり▽安心できる新たなコミュニティーづくり▽産業振興と雇用確保▽海洋エネルギー開発など先駆的事業による拠点都市化―の基本公約を掲げた上で、「次世代に誇れる品格ある釜石をつくろう」と訴えた。

 

 総括責任者の小泉嘉明氏は「今後の4年が釜石復興の最も重要な時期。野田さんを中心にまちづくりを進めよう」とあいさつ。民主党の黄川田徹衆議院議員、小野共、岩崎友一の両県議、佐々木義昭市議会議長ら市議10人が駆けつけ、激励した。

 

 今回の市長選で、野田氏は政党などへの推薦要請は行わなかったが、自民党釜石市支部(豊田勇支部長)がいち早く支持を表明。元県議で自民党第3選挙区支部長代理の小野寺有一氏は「野田さんは4年前に掲げた公約をすべて果たした。難しい決断を迫られる今後の4年間、リーダーに最もふさわしいのは野田さんだ」とエールを送った。

 

 野田氏はこのあと市内全域を選車で回り、仮設団地など10カ所で演説。午後5時までに他の立候補の届け出はなく、無投票3選が確定した。

 

 選挙事務所に戻った野田氏は支持者らと万歳して当選を喜んだ。妻幸子さん(54)とともに花束を手にした野田氏は「被災者の一日も早い住まいの再建、暮らしの再建と合わせ、心の復興にも力を入れていかねばならない」と3期目の抱負を述べた。

 

 このあと記者団の質問に答える形で、今後のまちづくりについて「次世代の市民が釜石に希望を持ち、住み続けるまちでありたい」と強調。3期目の施策として「地域会議を見直し、より小さな集落単位で話し合う場を設けたい」との考えも示した。

 

記者団の質問に応え3期目の抱負を述べる野田氏
記者団の質問に応え3期目の抱負を述べる野田氏

 

 大規模施設の整備に伴う市財政への影響については「維持管理などについて専門家や地域代表による委員会をつくり、対応を探りたい」とし、4年後に迫ったラグビーワールドカップ(W杯)については「被災3県の代表として開催地に選ばれたと受け止める。震災の教訓を世界に発信する場としたい」と思いを述べた。

 

 野田氏は釜石市出身で、県議、釜石市長を歴任した野田武義氏の長男。専修大卒。甲東幼稚園の園長などを経て03年に県議初当選。2期目だった07年、小沢前市長の死去に伴う市長選に無所属で出馬し、無投票で初当選した。今回の市長選に向け、7月に開かれた後援会の会合で出馬の意向を明らかにし、市議会臨時会で「復興はまだ道半ば。復興計画の実現に向け全力を尽くしたい」と正式に決意を明らかにした。

 

(復興釜石新聞 2015年10月28日発行 第431号より)

 

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