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震災の津波で砂浜の大半が消失した根浜海岸

根浜海岸 自然再生は困難、「360年かかる」と試算報告

震災の津波で砂浜の大半が消失した根浜海岸
震災の津波で砂浜の大半が消失した根浜海岸

 

 東日本大震災の津波で砂浜が消失した釜石市鵜住居町の根浜海岸について、自然再生には少なくとも360年を要するとの調査結果が、8日に開かれた釜石市議会復興特別委員会で報告された。絶好の海水浴場として知られる同海岸は市の重要な観光資源の一つで、復活が困難となれば大きな痛手になる。このため市は、管理者である県に対し、砂を投入するなどして人工的に砂浜を再生させるよう働きかける方針だ。

 

 根浜海岸は大槌湾沿いに約1.5キロにわたる砂浜で、震災前は海水浴などで年間約7万8千人が訪れていた。震災の津波と、地震で地盤が50センチほど沈下したことで片岸海岸側の砂州が300メートルほど後退。根浜海水浴場側の砂浜は大半が消失した。

 

 市は昨年、コンサルタントに現地調査を委託。岩手大のアドバイスも受け、砂浜や海底の地形を調べたほか測量も実施した。古地図などと比較した結果、津波による土砂浸食量は約83万立方メートルに上ると推測。このうち50万立方メートルは、通常の波では戻ることができない沖合に流された可能性が高いという。

 

 根浜海岸は鵜住居川の流失土砂で形成されたと考えられ、長期的には鵜住居川からの土砂で再生する可能性はあるものの、自然再生には少なくとも360年かかると試算した。

 

市、県に人工再生要請へ

 

 市は、「部分的にも海水浴場が使えるよう整備することが現実的な選択肢」とし、砂を投入するなどして560メートルの砂浜を再生すると少なくとも約1億5千万円、720メートルだと約2億1300万円掛かるとの試算も公表。これを基に今後、県に人工的な再生を働きかけていく考えを示した。

復興釜石新聞

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復興釜石新聞と連携し、各号紙面より数日の期間を設け記者のピックアップ記事を2〜3点掲載しています。

問い合わせ:0193-55-4713 〒026-0044 岩手県釜石市住吉町3-3

平成27年度生涯学習まちづくり出前講座

平成27年度生涯学習まちづくり出前講座

市は、生涯学習の推進による明るく住み良いまちづくりを図るため、市民の学習ニーズに応え、市職員等を講師として「生涯学習まちづくり出前講座」を開設しております。メニュー・実施手順をご覧下さい。皆さんからのご注文をお待ちしています。

 

https://www.city.kamaishi.iwate.jp/hagukumu/gakushu_sports/shogai_gakushu/detail/__icsFiles/afieldfile/2015/06/12/27zz.pdf

平成27年度生涯学習まちづくり出前講座

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◆実施手順
1. 出前講座の受付
市教育委員会事務局生涯学習文化課(市教育センター)で申込みを受け付けます。
申込書は、生涯学習文化課・公民館にあります。
申し込みは、郵便・FAXまたはメールでも受け付けます。
2. 生涯学習文化課が講座メニューの担当部署と日時や内容について調整をします。
3. 申込みをした団体・グループに講座実施決定通知を送付します。
4. 出前講座を実施します。
・原則として、市内に在住または勤務する10名以上の団体・グループでお申し込みください。
・実施したい日の14日以上前に申し込みください。

 

◆申込書様式
こちらからダウンロードできます。

 

◆留意事項
・講師料は無料です。
・講座は、午前9時から午後9時までの間で2時間以内とします。
・講座の進行・司会は、団体・グループで行ってください。
・講座の会場は、団体・グループで準備してください。
(会社・公民館・集会所・学校・自宅等、市内に限ります)
・講座では質疑や意見交換は行いますが、苦情や要望等はご遠慮願います。
※この講座メニュー以外でも相談に応じます。また、各種指導者(平成25年度末現在93人登録)の紹介についてもあわせて行っております。お気軽にご相談ください。

この記事に関するお問い合わせ
釜石市 教育委員会 生涯学習文化課 生涯学習係
〒026-0031 岩手県釜石市鈴子町15番2号
電話:0193-22-8835 / FAX:0193-22-3633 / メール
元記事:https://www.city.kamaishi.iwate.jp/hagukumu/gakushu_sports/shogai_gakushu/detail/1191882_2413.html
釜石市

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花のみちプロジェクト

「花のみち」東京と絆強める 鈴子、大渡、箱崎に2400株

花のみちプロジェクト
コンビニエンスストア前の緑地に花を植える鈴子町内会の会員ら=5月31日

 

 さまざまな復興支援に感謝の気持ちを伝えよう―と、釜石市の鈴子町内会(澤田政男会長、54世帯)は5月31日、釜石駅前など国道283号沿いの緑地に花を植えた。県沿岸広域振興局が市内の町内会などの協力を得て行う「岩手×東京 花のみちプロジェクト」の一環。昨年度に続く取り組みで、今年は大渡町内会、箱崎仮設住宅と合わせてベゴニア、ペチュニア、マリーゴールドなど約2400株の花々で道路を彩る。 

 

「ラグビーボールの形にしよう」「宮沢賢治が考えた〝涙にあふれた眼〟の形にしてみては」。鈴子町内会の花植えには10人余りが参加。さまざまな思いを込め、作業を楽しんだ。

 

 澤田会長は「ラグビーワールドカップ(W杯)開催が決まり、橋野高炉跡の世界遺産登録も確実。釜石の玄関口になる釜石駅前を花で彩りたい。花植え作業は町内会員の交流の場にもなる」と喜ぶ。

 

 昨年はコンビニ前の緑地だけだったが、今年は釜石駅前まで範囲を広げ、大渡町内会の担当区域とつなげてフラワーロードとする。

 

 この日植えたのは約700株。沿岸振興局の西村豊副局長ら県職員も作業を手伝った。

 

花のみちプロジェクト
「花のみち」プロジェクトは大渡、箱崎でも行われる

 

 花のみちプロジェクトは、東京都と公益財団法人東京都道路整備保全公社が「被災地を花のあるまちに」と願い、東日本大震災の被災3県とタイアップして進めている。本県では釜石市で実施。東京から培養土や肥料などの資材提供を受け、県が花苗を用意。昨年は市内3カ所に合わせて約1900株を植え付けた。

 

 5日には箱崎町の仮設団地で、7日には大渡町内会で花植え作業を予定する。大渡町内会は大渡橋にハンギングバスケットを設置。イオンタウン釜石入り口交差点までを花々で彩る。

 

 市内で育てられた花々の一部は、東京都庁前の花壇と8月に新宿駅で行われるイベント会場を彩る。PR看板などで花を紹介し、被災地の写真やパネルとともに展示し、被災地や復興の現状を広く知ってもらう。

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釜石市清掃工場

日本初のごみ溶融炉、役目終え解体へ 釜石市清掃工場

釜石市清掃工場
役目を終え解体される釜石市清掃工場

 

 日本初のごみ溶融炉で、いったん停止した後、東日本大震災のがれき処理のため再稼働した釜石市清掃工場が役目を終えて解体されることになり、25日、釜石市栗林町の現地で解体工事の安全祈願祭が行われた。1979年の稼働開始から30年余り。関係者は「おかげで計画通り、がれきを処理することができた」と解体を惜しんだ。

 

 同清掃工場は、金属やプラスチックなど混合ごみの焼却が可能な全国初の溶融炉として1979年9月から稼働を開始した。溶融炉は、新日本製鉄(現新日鉄住金)が製鉄技術を応用して開発。1700~1800度の高温でごみを溶かすことから、ダイオキシンなどの有害物質も発生せず、新時代のごみ清掃工場として注目を集めた。

 

震災後再稼働 がれき4万2千トン処理

 

 2基の溶融炉を合わせた処理能力は1日当たり109トン。老朽化や沿岸南部クリーンセンターの完成に伴い2011年1月に停止したが、その直後に震災が発生。市は、津波で発生した大量のがれき処理を進めるため、3億円余りをかけて溶融炉を改修。12年2月から14年3月まで、市内で発生した可燃性災害廃棄物のほぼ半分に当たる約4万3千トンを処理した。

 

 解体工事前の安全祈願祭には関係者約30人が出席。神事に続き、若崎正光副市長は「老骨にむち打ち、獅子奮迅の働きをしてくれた」と、役目を終える溶融炉をねぎらった。新日鉄住金エンジニアリングの山田良介副社長は「釜石は日本の近代製鉄発祥の地で、溶融炉も国内1号機。現在、34カ所で稼働する溶融炉の技術は、ここで培われた。稼働開始から32年。最後までよくやったと褒めたい」と述べた。

 

溶融炉の解体を惜しむ若崎正光副市長
「老骨にむち打ち、獅子奮迅の働きをしてくれた」と 日本初の溶融炉の解体を惜しむ若崎正光副市長

 

 溶融炉は6月から解体工事に入り、来年3月までに姿を消す。解体工事費約7億7700万円は国の交付金などを活用する。跡地は更地にするが、今のところ新たな施設整備計画はない。一角に残るリサイクル施設は今後も継続して稼働する。

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フォトライブラリー心象舎 藤枝宏

「心象舎」藤枝さん 自宅再建 ギャラリー開設、震災当時の記録も公開

フォトライブラリー心象舎 藤枝宏氏
大渡町に再建した自宅にフォトギャラリーを開設した藤枝宏さん

 

 復興釜石新聞紙上に「かまいし便り」を連載しているフリーカメラマン、「フォトライブラリー心象舎」を主宰する藤枝宏さん(58)が釜石市大渡町に自宅を再建し、震災前から念願にしていたフォトギャラリーを開設した。震災後も記録し続けている古里の自然や町並みなど、釜石の風景を中心に展示。膨大な撮影データをすぐに映し出せるモニターも備え、一般にも公開している。
 
 藤枝さんは、震災から3カ月後に発刊した復興釜石新聞の第1号から「かまいし便り」を連載。震災から5カ月後の8月には、震災発生直後から撮り続けた街の様子を収録した「釜石の記録」を発行。地元カメラマンによる貴重な記録として反響を呼び、版を重ねて1万部に及んだ。

 

 震災前に撮影したデータをもとに大槌町の街並みを再現した写真集「大槌夢幻ゆめまぼろし」も出版した。2012年には、「かまいし便り」に掲載した写真を中心に構成した「釜石 心の風景」を発行。連載は今389号で233回を数える。

 

 震災の津波で藤枝さんは大町の自宅が全壊。幸い家族は無事だったが、妻や足の不自由な母親らと震災の2週間後から中妻町のアパートで〝みなし仮設〟の暮らしを続けた。

 

 そんな厳しい生活の中で藤枝さんの心を支えたのは、震災前と変わらず輝きを失わない古里の自然の風景だったという。津波で大きな痛手を受けた町並みにようやく復興の姿が見え始めたことも、気持ちを前向きにさせた。

 

 藤枝さんは古里釜石をこよなく愛し、「自分が育った大町に戻り自宅の再建を」という思いも堅かった。大渡町に自宅を再建したのは今年1月。「自宅があった場所にはイオンタウンができ、戻ることはできなかったが、市の配慮で近い場所に再建することができた」と感謝する。

 

釜石の風景、街並み写真展示

 

 自宅1階に20平方㍍余りのフォトギャラリーを開設。裏口の玄関には「心象舎」の看板も掲げた。「雪の松磯」「荒れる御箱崎」など12点のほか、定点で撮影を続ける中心市街地の街並みなどを展示。大型連休中には一般公開のオープンギャラリーも開いた。

 

 展示し切れない写真は、モニターのスライドショーで公開。この中には、震災当日の東部地区の模様を刻々と記録した写真もある。藤枝さんが自宅から避難しながら撮影したもので、甲子川から水があふれる様子などが緊迫感いっぱいに刻まれている。

 

 「被災者にとってはつらいものもあるとは思いますが、震災から4年余りを経過した今、冷静になって確かめたいと思う人も少なくないのでは」と藤枝さん。希望があれば、ギャラリーを公開している。問い合わせは心象舎(電話0193・22・4188)へ。

関連情報 by 縁とんらす
心象舎 釜石フォトギャラリー
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問い合わせ:0193-55-4713 〒026-0044 岩手県釜石市住吉町3-3

大島高任 家族写真

大島高任が生まれた日

189年前の今日5月11日、近代製鉄の父大島高任は生まれました。

 

大島高任は文政9(1826)年5月11日盛岡藩の城下仁王小路(現在の大通三丁目桜城小学校隣)に父大島周意(かねおき)、母千代の長男として生まれました。幼名は文治、後に周禎、総左衛門、明治2年43歳のとき高任と改名しました。

 

大島高任 家族写真
写真は左から次女久、妻八十、高任、長男道太郎

 

大島家は周防大島の出身で初代総右衛門から高任の祖父7代目総平まで馬医、今でいう獣医師として南部藩に仕えました。父周意は奥医師(奥医師とは藩のお抱え医師)で名医だったといわれている。それとともに藩の薬品吟味御用、海防御備・硝石製法(火薬)の御用も受けた。高任は医師よりもそちらに興味があったようで、17歳から江戸にて箕作阮甫に学び、21歳から長崎にて藩命により医学を学ぼうとするが、それに背き西洋流兵法、砲術、採鉱、精錬を学ぶ。その後の事はあとで触れるが近代製鉄の父は一朝一夕でなしえたわけではなくそういう下地があったからだと私は思います。

 

その後高任は余所からは高く評価され水戸藩から300石という破格で召し抱えられようとして南部藩に打診したら南部藩はそんな放蕩者はくれてやるみたいなことを言われるものの、高任は代々藩に仕えた巨籍の恩義があるとして断ってしまう。そんな生真面目だから偉業をなせるのでしょうね。南部人の気質のような気もします。今日はそんな偉人の誕生日です。

金野義男

タウンレポーター 金野義男

金野義男(こんのよしお)と申します。平田在住です。釜石の好きな風景は新浜町から見た南桟橋を中心とした風景と釜石湾を背景にした釜石大観音の後姿です。得意なジャンルは歴史と自然です。
釜石さくら祭り

6年ぶりの開催、唐丹町の釜石さくら祭り

釜石さくら祭り

 

4月26日(日)に唐丹町で釜石さくら祭りが6年ぶりに開催されました。
祭りは天照御祖神社の式年大祭で3年に1度開催されていたが震災の影響で6年ぶりの開催となった。祭りのメインは大名行列でやっこ姿などの行列が続いた。

 

釜石さくら祭り

 

私はこの祭りを見るのは小学生以来でちゃんと見たのは初めて、パンフレットによると地域によって持ち物が決まっていて本郷地区の御徒組に始まり小白浜地区の道具組、山谷地区の鉄砲組などが連なり、後から各地の郷土芸能や手踊りが続く。御徒組のやっこ姿の振りは子供じゃなくても真似したくなる。また道具組の「いい女子がいたえぇ」などの掛け声は思わず笑ってしまう。なにか遠くの街の祭りを初めて見たかのような新鮮さがあって不思議な感じがしました。

 

釜石さくら祭り

 

とはいっても行列の周りは家並みがあったであろう屋敷の後でその背後では防波堤の建設工事の最中という状況です。微笑ましかったのは行列に小中生をはじめとする若者や支援で来ている方々が参加していることでした。また、この祭りを盛り上げようとする唐丹の方々の意気込みがみられる祭りでした。早くも3年後が楽しみです。

道の駅釜石仙人峠オープン

道の駅釜石仙人峠オープン

道の駅釜石仙人峠オープン

 

4月21日(火)、釜石市初の道の駅となる道の駅釜石仙人峠がオープンしました。5600平方メートルの敷地にトイレ棟と多目的棟があり、45台の駐車スペースがあります。愛称は「アユ躍る清流と甲子柿の里」と名付けられました。

 

午前9時からオープンセレモニーが行われ野田武則市長は「ここは西の玄関口であり、農業の振興や甲子地区の活性化の拠点としたい」と挨拶されました。その後、市長らのテープカットでオープンしました。

 

道の駅のテープカットをする野田市長

 

直売施設がある多目的棟は43坪と狭いものの、市内の特産品のほか野菜などの生鮮品のほか釜石市を紹介するコーナーもあり一角には釜石鉱山で採掘した鉱石の見本もありました。奥には釜石ラーメンやソフトクリームが売られている軽食コーナーがありそこからデッキに出て甲子川を眺めながら食べることができます。

 

そこでオープン前から噂の藤勇醤油ソフトクリームを食べてみました。ワッフルコーンに入った真っ白なソフトクリームにスプーンが刺さって350円です。一口目は濃厚でしょっぱさを感じましたが二口目からは甘さと醤油の香りが口いっぱいに広がりました。初夏のような日差しと甲子川沿いの五葉おろしの風の冷たさが気持ちいいデッキでした。

 

藤勇醸造 醤油ソフト

金野義男

タウンレポーター 金野義男

金野義男(こんのよしお)と申します。平田在住です。釜石の好きな風景は新浜町から見た南桟橋を中心とした風景と釜石湾を背景にした釜石大観音の後姿です。得意なジャンルは歴史と自然です。