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戦後80年―記憶つなぐ 釜石の戦跡めぐるバスツアー 案内役は高校生 戦災展も紹介

防空壕跡を案内する佐藤凛汰朗さん(左)と中澤大河さん

防空壕跡を案内する佐藤凛汰朗さん(左)と中澤大河さん

 
 釜石市の高校生が、市内の戦跡を巡るバスツアーを企画した。戦後80年の節目に「釜石艦砲射撃」など戦争の歴史を振り返り、平和について考えてもらおうとコースを設定。21日、小学生から80代までの市民ら20人を乗せたバスが、まちに残る戦争の記憶をたどった。
 
 企画したのは、釜石高3年の佐藤凛汰朗さんと中澤大河さん。2年時のゼミ活動で地域の魅力を高め活性化させる取り組みを考える中で、戦争の歴史に着目した。釜石は1945年の7月14日と8月9日の2回、米英連合軍などの艦隊から艦砲射撃を受けた“被害者”だが、当時、まちには捕虜収容所があって“加害”の側面もありうることから、「両方の視点から平和を学ぶ教育の拠点になるのではないか」と考えた。
 
 バスツアーの企画を練ったが、予算面など高校生には難しかった。そこで、今年2月に高校生を対象にしたウオーキングツアーを企画、実行して手応えを得た一方、「単発では意味がない」と感じた。ゼミ活動のまとめ発表で「地域の持続的なイベント化を目指す」と展望したところ、2人の活動が市職員らの目に留まり、バスツアーが実現した。市教委文化財課の協力を得て市主催事業となり、ツアーのコースを決定。市郷土資料館や釜石観光ガイド会などの力も借り、案内役として知識の深化に取り組んだ。
 
釜石の戦跡を巡るバスツアー。参加者を誘導する佐藤さん(右)

釜石の戦跡を巡るバスツアー。参加者を誘導する佐藤さん(右)

 
移動中の車内でもまちの歴史を解説した(写真:釜石市提供)

移動中の車内でもまちの歴史を解説した(写真:釜石市提供)

 
 ツアー当日、2人はマイクロバスで約3時間半かけて5カ所を案内した。印象に残りやすい戦跡として選んだ小川町の防空壕(ごう)跡では、普段は閉じられている扉を開き、参加者に“体験”を促した。奥行き約50メートル、岩盤に設置されたこの壕には艦砲射撃の際、住民約50人が避難したとされる。「白いブラウス(女学生のこと)が目立ち、入れてもらえず、山中に逃げた」などと事前に学んだ体験者の声を引用しながら、当時の状況を伝えた。
 
小川防空壕跡で戦時中のエピソードを紹介する高校生

小川防空壕跡で戦時中のエピソードを紹介する高校生

 
高校生の解説にじっと耳を傾けるツアー参加者

高校生の解説にじっと耳を傾けるツアー参加者

 
戦時中の状況を考えながら防空壕跡を見学する参加者

戦時中の状況を考えながら防空壕跡を見学する参加者

 
 嬉石町の隧道(ずいどう=トンネル)避難口は、住宅街の一角に残る戦跡。「戦争を身近なものとして考えてほしい」とツアーに組み込んだ。「加害の側面からも考えなければ」と案内した大平町の大平公園内にある日本中国永遠和平の像では戦時中に亡くなった外国人捕虜を悼んだ。
 
嬉石隧道避難口では体験者の声を引用し当時の状況を伝えた

嬉石隧道避難口では体験者の声を引用し当時の状況を伝えた

 
平和を考える場所として薬師公園や大平公園なども巡った

平和を考える場所として薬師公園や大平公園なども巡った

 
 参加者は「(戦争の歴史は)だいたい知っていると思っていたが、高校生に新しいことを教えてもらった。新鮮な体験になった」などと感想。観光ガイドとして活動する栗林町の川崎通さん(68)は「学んだことを届けたいという懸命さが伝わってきた。手書きの地図とか視覚的に訴えたり、参加者への気遣いがすごい。自分も頑張らなきゃと刺激になった」と話した。
 
 ツアーを終えた2人は「やってよかった」と声をそろえた。中澤さんは「つたない説明に反応してくれたり、知らなかったことを教えてくれたり、うれしかった。これで終われないと思った。学びを深め、戦争の記憶を将来につなげたい」とうなずいた。
 
 佐藤さんは「市内には戦争の跡が残っているのに知らない人が多い。戦争の記憶が忘れられてしまう」と危機感を持つ。地域に根づくイベントとして継続の形を思案中。「若い人たちが積極的に学び、継承していくことが重要になる。戦後80年の節目で終わらせるのではなく、後輩や他校の生徒にも声をかけたい」と見据えた。
 

郷土資料館で企画展 未来に伝える「釜石艦砲射撃」

 
釜石市郷土資料館では戦災資料展が開かれている

釜石市郷土資料館では戦災資料展が開かれている

 
 ツアーの発着点となった市郷土資料館(鈴子町)では、戦災資料展「艦砲射撃80年―未来に伝えるために」が開催中。「釜石艦砲」の激しい砲撃をくぐり抜けて残った家財道具、当時の様子を描いた油絵や写真など170点余りを展示している。ツアーの中で、佐藤さんと中澤さんは砲弾の破片などの展示物を解説。「これを機に戦争について深く考えてほしい」と呼びかける。
 
 日本が軍事色を強めていく中、釜石のまちも製鉄所を中心に工業用地を広げ設備、生産の増強を図るなど戦時色が濃く塗り重ねられていった。戦争にどう関わっていたか…兵士として戦地に赴いた人々と残された家族、艦砲射撃で亡くなった外国人捕虜の存在など戦中、戦後復興の様子を写真や解説パネル、兵士の持ち物など展示物で紹介する。
 
兵士の持ち物や手紙など戦争にまつわる展示物が並ぶ

兵士の持ち物や手紙など戦争にまつわる展示物が並ぶ

 
 今回の注目は、釜石出身で埼玉県在住の角田陽子さん(81)から今春寄贈された小さな木製の机。床に座って読み書きする際に使う「文机」と呼ばれるものだ。45年1月に戦病死した父・鈴木正一さんが作った。7月14日、母・郁子さんは艦砲の犠牲になった。当時、角田さんは1歳。両親の記憶はないが、戦火を逃れた机は形見として大事にしてきた。「戦争の記憶を後世に」。両親への思いなどをつづった詩集「文机」(自費出版)、正一さんが残した手紙、郁子さんが手作りしたレース小物を添え、今回初めて公開している。
 
初公開の「文机」。家族の遺品と共に展示されている

初公開の「文机」。家族の遺品と共に展示されている

 
 敗戦後、捕虜として極寒のシベリアに抑留された人々の過酷な生活の一端も紹介する。アルミ製と見られる手製のスプーンは収容所で与えられる食料が硬かったことから、食材をつぶすのに使われたものとのこと。盗難防止のためか、「マスサハ」と名が刻まれている。不十分な防寒具、深刻な栄養失調、体力が落ちる中での重労働…。そうした生活から生還、引き揚げ後に釜石で暮らした「鱒澤宣比古さん」の親族が「見て、知ってほしい。目を向けてほしい」と望み、今展に並べられた。
 
「シベリア抑留」の生活の一端を紹介する展示

「シベリア抑留」の生活の一端を紹介する展示

 
 鱒澤さんにまつわるものは他にも。その“命をつないだスプーン”の隣には、日本の家族と交わしたはがきがある。日本語に不慣れな旧ソ連の検閲官が読めるよう書かれた文字は全て片仮名。「イツカハカヘルユエキヲツケテマテ」「タノシキハルモマタオトズレルデアラウ」などと家族を気遣う言葉がしたためられている。日ソ共同宣言により、抑留者に国からの補償はないが、日本政府から銀杯が贈られた。その箱に記された「慰労杯」との墨文字。本人が書いたものだという。同館の佐々木寿館長補佐は、親族の言葉を伝える。「よっぽど悔しかったのだと思う。面白人だった」と。
 
戦火跡を残す家財道具が展示されたコーナー

戦火跡を残す家財道具が展示されたコーナー

 
 戦災資料展は9月7日まで(火曜休館)。午前9時半~午後4時半(最終入館は同4時)。入館料200円(高校生以下無料)。

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地球にやさしいごみ処理に「なるほど!」 沿岸南部クリーンセンター見学会大盛況

ごみクレーンの動きに興味津々の来場者=岩手沿岸南部クリーンセンター施設見学会

ごみクレーンの動きに興味津々の来場者=岩手沿岸南部クリーンセンター施設見学会

 
 釜石市平田の「岩手沿岸南部クリーンセンター」は26日、一般向けの施設見学会を開いた。釜石、大船渡、陸前高田、大槌、住田3市2町のごみを「ガス化溶融炉」で処理する同施設。来場者は普段見ることのない工場棟を見学し、収集されたごみが再資源化されるまでの処理過程に理解を深めた。この日は同見学会としては過去最多の167人が訪れた。
 
 来場者はDVDで施設概要について学んだ後、職員の案内で工場棟に向かった。同施設には、ごみを高温で溶かして処理する溶融炉が2炉ある。炉の内部は1800度にも達し、溶融物は各種処理を経て、「スラグ」と「メタル」という資源物に再生される。1日に147トン(73.5トン×2炉)のごみ処理が可能で、73.5トンの処理からスラグ約6トン、メタル約2トンができる。黒っぽい砂状のスラグは道路などの舗装用材として活用。小石状の鉄の塊メタルは建設機械後部の重しや製鉄所などで有効利用される。これにより、最終処分場での埋め立て量を減らすことができる。
 
ガス化溶融炉や排ガス処理設備、蒸気タービン発電機などを窓越しに見学

ガス化溶融炉や排ガス処理設備、蒸気タービン発電機などを窓越しに見学

 
 施設では、溶融処理で発生するガスの熱エネルギーを利用した発電も行っている。熱で作った蒸気の力で発電機を動かす「蒸気タービン発電機」を備え、作られた電気は場内の設備の稼働、照明、暖房などに利用される。余った電気は電力会社に売電。余熱を利用して湯も沸かし、浴場として平日に無料で一般開放している。溶融炉で発生したガスはダイオキシン類などの有害成分を分解し、薬品やフィルター処理を施した後、クリーンな状態で建屋の煙突から排出される。
 
 来場者は365日24時間体制でプラントを監視する中央制御室、クレーンでごみを撹拌(かくはん)し溶融炉に投入するごみピットなどを見学。クレーンは一度に約700キロのごみをつかんで、15分間隔で炉頂から入れることも聞き、驚きの声を上げた。
 
中央操作室、ごみクレーン運転室にはさまざまなコンピューター機器が並ぶ

中央操作室、ごみクレーン運転室にはさまざまなコンピューター機器が並ぶ

 
ごみを撹拌(かくはん)し、溶融炉に投入する作業について技術担当者が説明

ごみを撹拌(かくはん)し、溶融炉に投入する作業について技術担当者が説明

 
 同市の佐々木久美子さん(70)は浴場の利用やごみの持ち込みで施設を訪れたことはあるが、内部の見学は初めて。「ごみ処理のしくみがよく分かった。普段からごみの分別には気を付けていて、4月から始まったプラごみ分別も頑張っている。収集業者さんに迷惑をかけないよう協力していければ」と意識をさらに高めた。地元平田地区の女性(54)は「処理過程をモニターで見たりするとより理解が深まる。たくさんの熱が生まれているのにも驚き。もっと有効活用が図られれば」と今後に期待した。
 
 この日は施設見学ツアーのほか、県環境学習交流センター(盛岡市)による出張学習会が開かれた。手回し発電体験やエコチェック、自然素材の工作コーナーなどがあり、幅広い世代が楽しんだ。浴場も特別開放した。
 
県環境学習交流センター(盛岡市)が出張。環境に関わる各種体験コーナーを設けた

県環境学習交流センター(盛岡市)が出張。環境に関わる各種体験コーナーを設けた

 
手回し発電機やうちわで発電体験(写真左)。クリーンセンターをモニターで学ぶ機器も(同右)

手回し発電機やうちわで発電体験(写真左)。クリーンセンターをモニターで学ぶ機器も(同右)

 
 同施設は沿岸南部5市町が共同で建設した。稼働開始を予定していた2011年4月を前に東日本大震災が発生。施設は津波による大きな被害は免れ、電気設備の復旧後に本格稼働した。14年8月までは被災4市町の災害廃棄物処理も行った。近年は人口減や資源物の分別収集などで、ごみ処理量は減少傾向にある。2024年度の処理量は約2万5100トン(前年度比約1300トン減)。
 
 施設へのごみの直接持ち込みは現在、平日に限り受け入れているが、生活スタイルの多様化や社会情勢の変化に伴い、休日受け入れについても検討するため、試験的に9月まで月1回(第3土曜日)の受け入れを実施している。対象は釜石市と大槌町の住民。(詳細は市のホームページを参照)

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「地域」のため「できること」 地震の被災地高校生・能登×釜石 つながる、共に考える

防災意識を高めるゲームを体験する釜石と能登の高校生

防災意識を高めるゲームを体験する釜石と能登の高校生

 
 東日本大震災と能登半島地震―。その被災地、岩手県釜石市と石川県能登町の高校生が災害復興や防災をテーマにした学びを通じ、それぞれの地域への思いを深めている。釜石高の生徒有志グループ「夢団~未来へつなげるONE TEAM~」は20日、復興のプロセスを学ぶ東北研修で来釜した能登高の生徒らと交流。震災の教訓を伝える活動を紹介しながら、「地域のためにできること」を共に考えた。
 
 「これ以上、大切な人を失いたくない。だから今のうちから備えて、災害が来たらどうしたらいいか、家族と話してください。…『津波てんでんこ』、自分、そして大切な人を信じてください」。夢団代表の加藤祢音さん(3年)の語りに能登高の生徒らはじっと耳を傾けた。
 
語り部活動を紹介する夢団代表の加藤祢音さん

語り部活動を紹介する夢団代表の加藤祢音さん

 
 釜石情報交流センター(大町)であった交流会の一場面。加藤さんは、地元のラグビーチーム日本製鉄釜石シーウェイブスのホーム戦に合わせて行っている語り部活動を見せた。震災の津波で祖母ら親族3人を亡くしたが、当時3歳で記憶はほとんどなく、両親から聞いたことを語っている。「顔も名前も、存在すら知らなかった。それがつらい」。そんな思いを込め、備えの大切さを訴える。「自分と大切な人を信じ、それぞれが自分の身を守る行動をとることが多くの命を救う一つの道」と。
 
 能登高生は、語り部の練習などを質問。「もとから災害や防災に興味を持っていたのか」と聞かれると、加藤さんは「中学で勉強し、興味はあった。夢団に入ったのは友達がいたからだったけど、活動を通して防災に関心が深まった。どう行動するかは自分」と答えた。
 
 カードゲーム形式で防災意識の向上を図る「釜石版クロスロード」や、防災すごろくなど夢団オリジナルのゲームも紹介。「高校生ができること」について意見を交わす時間も設け、能登高の生徒たちは「能登版」の取り組みへ生かすヒントを探っていた。
 
「防災・坊主めくり」に挑戦。災害の教訓を学ぶ

「防災・坊主めくり」に挑戦。災害の教訓を学ぶ

 
 能登高の東北研修は18~21日に実施。生徒ら8人、教員ら3人は宮城県の石巻市や女川町の復興の様子を視察し、官民連携のまちづくりについて話を聞いた後、19日に釜石入りした。20日には夢団の8人との交流のほか、うのすまい・トモス(鵜住居町)で、釜石東中2年生の時に震災を経験した川崎杏樹さん(いのちをつなぐ未来館スタッフ)や、夢団の活動を支える伊藤聡さん(「さんつな」代表)から復興まちづくりの過程について説明を受けた。能登町小木地区と復興姉妹都市として交流する大槌町安渡地区も見学した。
 
釜石の復興についての講話を聞く能登高、釜石高の生徒ら

釜石の復興についての講話を聞く能登高、釜石高の生徒ら

 
講師の川崎杏樹さん(写真左)、伊藤聡さん

講師の川崎杏樹さん(写真左)、伊藤聡さん

 
釜石の市街地を歩きながら復興の過程を学んだ高校生ら

釜石の市街地を歩きながら復興の過程を学んだ高校生ら

 
 東北研修のきっかけは、今年3月に夢団の生徒有志が能登地域を訪れたこと。被災地域の現状視察やボランティア活動、小木地区の中学校で進められていた防災教育について学んだりした。能登高の生徒との同世代交流の機会も。今回、夢団の活動に刺激を受けた能登高の生徒が自主的に企画し、学校や町が後押しして実現した。
 
 能登高の三田晴也さん(3年)は、仲良くなった釜石高の三浦大和さん(同)ら夢団メンバーに会うのを楽しみにやってきた。高校生ができる活動のアドバイスをもらい、ノートにメモ書き。今なお崩れたままの建物が残る古里を思い浮かべ、「まちづくりに役立てるようになりたい」と思いを強めた。
 
地域のことを伝え合う生徒たち。「できること」を書き出した

地域のことを伝え合う生徒たち。「できること」を書き出した

 
 三田さんは地震で自宅が半壊した。岩手、宮城の震災被災地を訪ね、急激な人口減や未利用の土地が目立っている現状は「今の能登に当てはまる」と認識。安渡地区の漁師が「仕事がしづらい」と漏らした巨大な防潮堤について、「めっちゃ高い。あれを能登につくられたら能登じゃなくなる」とつぶやいた。
 
 人が優しく、食べ物がおいしい。静かで落ち着く。そして、能登は楽しい―。古里に愛着を持つ女子生徒(同)は、地元で保育士として働き、子どもたちに災害の記憶や教訓、防災を伝えたいと将来を思い描く。東北の被災地をめぐり、「復興していてもいろいろな課題が見えてくる。どう解決していけばいいのか探ることができれば、能登で生かせるかもしれない」と、地元住民の声を熱心に聞いた。
 
学びを共有した生徒。カメラに向けるサインも共通

学びを共有した生徒。カメラに向けるサインも共通

 
 夢団メンバーにとっても実りある交流になった。三浦さんは「能登で暮らす人たちの強さ」を改めて実感し、自分が育った地域のことを見つめ直す機会にした。加藤さんも「物心がついた時には復興した風景だったから、釜石の復興の足跡を改めて教えてもらえてよかった。次代を担う世代が地域を結びつけることでまちの形が見えてくると思うから、他地域の人たちと学び合う時間を刺激に、できる活動を続けたい」と見据えた。
 
笑顔で記念写真。友好を深めた能登と釜石の高校生

笑顔で記念写真。友好を深めた能登と釜石の高校生

 
 今回の東北研修をコーディネートした伊藤さんは、近い将来、まちづくりの担い手として期待される若者たちの交流をうれしそうに見つめる。昨年2月から能登と釜石を行き来しながら応援を続ける中で、小木地区の防災教育に岩手、釜石の復興教育が生かされていると知った。さらに独自に発展させていたことから、「夢団メンバーの学びの深化に」と能登訪問を企画。それから、つながった相互訪問に、「災害からの復興はひとくくりにはできず、長くかかる。是が非でも若者たちが関わっていくことであって、受け継がれていくべき。一過性で終わるのではなく、続けて交流することで切磋琢磨(せっさたくま)しながら、それぞれの地域を盛り上げてほしい」と期待した。

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海開き!歓声響く 釜石・根浜海岸 水上、水中から魅力体感 砂浜遊びも満喫

水遊びを楽しむ人でにぎわう根浜海岸海水浴場

水遊びを楽しむ人でにぎわう根浜海岸海水浴場

 
 釜石市鵜住居町の根浜海岸海水浴場は19日、海開きした。この日、仙台管区気象台は、岩手県を含む東北北部が梅雨明けしたとみられると発表。平年より9日、昨年より14日も早く夏本番を迎えた浜辺には水遊びを楽しむ人たちの笑顔が広がった。
 
 海開きを前に関係者が神事を執り行い、開設期間中の無事故を祈った。子どもたちはカラフルな浮輪などを手に海に入り、「冷たーい」と歓声。遊泳や飛び込みを楽しんだり、波打ち際で波と戯れたり、砂浜に穴を掘って遊んだ。
 
海遊びを楽しむ子どもたち。カラフルな浮輪が海を彩る

海遊びを楽しむ子どもたち。カラフルな浮輪が海を彩る

 
波と戯れたり水しぶきを上げたり思い思いに楽しむ

波と戯れたり水しぶきを上げたり思い思いに楽しむ

 
砂浜で遊びながら笑顔を見せる子どもたち

砂浜で遊びながら笑顔を見せる子どもたち

 
 市内で海に関わる活動を展開する団体などで組織する実行委が海遊びイベントを開催。水上バイクやシュノーケリング、シーカヤック、スタンドアップパドルボード(SUP=サップ)など多彩な体験プログラムを家族連れらが楽しみ、浜辺がにぎわった。
 
ずぶぬれが楽しい!水鉄砲を手に歓声を上げる

ずぶぬれが楽しい!水鉄砲を手に歓声を上げる

 
海の魅力を全身で味わえる海遊びイベント

海の魅力を全身で味わえる海遊びイベント

 
 市内の小学生西条心葉さんと平松実桔さん(ともに2年)は「水が冷たいけど、気持ちいい。浮かんだりするのもいいけど、砂遊びが楽しい」と夢中になった。そばで見守る平松さんの父、達人さん(38)は「釜石には海があるから来ないのはもったいない。ただで遊べるし。日本各地で砂浜が減っているとも聞くから、貴重な場所」と、子どもたちと一緒に海の魅力を満喫した。
 
涼を求めて根浜海岸へ。思い思いに水遊びを楽しむ

涼を求めて根浜海岸へ。思い思いに水遊びを楽しむ

 
 海水浴場は8月24日まで開設。午前10時~午後4時に遊泳できる。期間中は監視員が常駐。週末を中心に活動する釜石ライフセービングクラブの菊池健一代表(53)は「海に来たら監視所に立ち寄り、海の状況を聞いてほしい。日焼けや熱中症を防ぐ対策、準備も大事。遊泳区域、ルールを守って楽しい海遊びを」と呼びかける。

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釜石艦砲80年― 「翳った太陽」を歌う会 合唱で伝える戦禍の記憶 釜中生 平和への願い心に刻む

「翳った太陽」を歌う会 第11回学校コンサート=14日、釜石中体育館

「翳った太陽」を歌う会 第11回学校コンサート=14日、釜石中体育館

 
 「忘れもしない 昭和20年7月14日のこと…」。太平洋戦争末期の1945(昭20)年、釜石市が米艦隊から受けた艦砲射撃の惨禍をつづった女声合唱組曲「翳(かげ)った太陽」。この曲を歌い継ぐ市内のコーラスグループ「翳った太陽」を歌う会(菊地直美会長、会員11人)は、被災から80年となった14日、釜石中(佐々木一成校長、生徒284人)の全校生徒に対し、同曲を歌い聞かせた。「命を奪う戦争は決してあってはならない―」。生徒たちは郷土の悲しい歴史を脳裏に刻み、平和な世界の実現を心から願った。
 
 会員8人によるコンサートは同校の体育館で行われた。作曲者で歌の指導にあたる最知節子さん(82)が指揮し、全6曲を歌い上げた。「翳った太陽」は、艦砲戦災経験者の故石橋巌さん(2006年逝去)が残した絵手紙などを基に作られた。当時、小学校教員だった石橋さんは砲撃で教え子を失った。焼け野原となったまちで遺体を運ぶ過酷な作業にも従事。絵手紙にはそのつらい記憶が記されていて、これが歌詞の原形になった。
 
合唱組曲の基になった、故石橋巌さんが孫に宛てた絵手紙(生徒用資料)。艦砲射撃の記憶がつづられる

合唱組曲の基になった、故石橋巌さんが孫に宛てた絵手紙(生徒用資料)。艦砲射撃の記憶がつづられる

 
歌詞を見ながら会の合唱に聞き入る生徒ら

歌詞を見ながら会の合唱に聞き入る生徒ら

 
 歌唱後、最知さんは組曲の1曲「さいかちの実」の作詞者で、釜石艦砲の証言記録集の刊行、反戦・平和運動に力を注いだ故千田ハルさん(2021年逝去)から託された言葉を紹介。「戦争はどんなことがあってもしてはいけない。どんな理由があってもです」。重ねて最知さんは「今日、私たちは皆さんの心に『平和』という種をまきました。一生懸命育てて、美しい平和の花を咲かせてください」と呼び掛けた。
 
 小学校の頃から語り部の話を聞くなど戦争について学んできたという川端俐湖さん(2年)は「歌によって、戦争の悲惨さがより重く伝わってきた。合唱という伝え方は幅広い年代の方々に知ってもらえる方法だと思うので、これからも続けていってほしい」と話し、聞かせてくれた同会に感謝。生徒会長の白野真心さん(3年)は「戦争は恐ろしく、命が簡単に失われてしまう。戦後80年。艦砲射撃を受けた方々は亡くなってきて、戦争の記憶が失われつつある。少しでも世界の人々の命が救われるよう、今日聞いたことをしっかりと後世に伝えていきたい」と誓った。
 
最知節子さんの指揮で「翳った太陽」を歌う合唱メンバー。当時の情景がよみがえる

最知節子さんの指揮で「翳った太陽」を歌う合唱メンバー。当時の情景がよみがえる

 
生徒らは歌を通して80年前に古里を襲った艦砲射撃について学んだ

生徒らは歌を通して80年前に古里を襲った艦砲射撃について学んだ

 
 同会は戦後60年の2005年に活動を開始。市内小中学校でのコンサート、米英両艦隊による2回目の砲撃を受けた8月9日に行われる市戦没者追悼式などで歌い続けてきた。東日本大震災や新型コロナ禍で活動休止を余儀なくされた時期もあったが、継承への強い思いは変わらない。戦争体験者からじかに話を聞く勉強会も開いていて、さらなる理解を深めている。現合唱メンバーは14~83歳の女性。
 
 後継者育成を願う同会の意向をくみ、釜石中では2017年、特設合唱部が同曲を歌う活動を開始。会員らと追悼式の献唱に参加してきた。21年には、同会制作のCD収録にも協力。現在、校内での合唱団活動は行われていないが、3年の髙橋杏奈さんが会のメンバーとして活動している。髙橋さんはピアノを習っていた最知さんに誘われ、小学2年生から合唱に参加。「中学生になり戦争について学んだことで、歌詞の意味をより深く理解し歌うことができている」と話す。この日は初めてソロパートにも挑戦。「緊張したが、練習の成果を悔いなく出せた」と表情を緩めた。ロシアとウクライナの戦争など海外の悲しい現実を見聞きするたび、「本当につらい。世界が早く平和になってくれることを祈るばかり」と思いを明かした。
 
釜中生の前で初めて同曲を歌った髙橋杏奈さん(写真左中央)。同世代に戦争の恐ろしさ、平和の大切さを訴えた

釜中生の前で初めて同曲を歌った髙橋杏奈さん(写真左中央)。同世代に戦争の恐ろしさ、平和の大切さを訴えた

 
最後に生徒の代表が会のメンバーにお礼の気持ちを伝えた

最後に生徒の代表が会のメンバーにお礼の気持ちを伝えた

 
 同会の学校訪問コンサートは今回で11回目。これまで市内8校で実施し、釜石中では統合前の釜石一中での開催を含め4回目となった。菊地直美会長(62)は「ここまで歌い継いできた先輩方には頭が下がる思い。次世代を生きる人たちには、平和を願う気持ちをずっと持ち続けてほしい。1人でも多くの方に合唱に参加してもらいたい」と、一緒に歌う仲間を募集する。

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描く自由と歩む 釜石の“日曜画家”小野寺豊喜さん 静かな語りでひも解く創作の道

展示会で自身の作品を解説する小野寺豊喜さん

展示会で自身の作品を解説する小野寺豊喜さん

 
 釜石市民ホールTETTO(釜石市大町)の自主事業「art at TETTO(アート・アット・テット)」は、釜石地域で創作活動に取り組む作家らの多彩な才能に出合える場として定着する。第15弾として取り上げられた“日曜画家”の小野寺豊喜さん(76)=同市鵜住居町=は19日までの10日間、油彩による具象画を中心に80点余りの作品を展示。会期中の12日にはトークイベントを行い、自身の作品を解説した。
 
 余暇に趣味として絵を描く日曜画家を自称する小野寺さんは、30歳の時に参加した市主催の絵画教室をきっかけに創作活動を始めた。参加仲間らと自主活動グループ「釜石市民絵画教室」(現・釜石絵画クラブ)を立ち上げ、後に同教室の5代目会長も務めた。活動歴約45年で、グループ展や市民芸術文化祭への出展は多数。昨年11月には同ホールで初の個展を実現させた。
 
 個展の「続き」「再挑戦」という今回の作品展では、多くが再展示となった。メイン作品として掲げた「明日への希望を託す」は東日本大震災を題材に、がれきが積み重なるなど実際に目にした光景に2人の孫の姿を入れて画面構成。手を取り、前を向いて歩み出す様に「未来的なもの」を込めてタイトル付けしたという。
 
震災をテーマにした作品「明日への希望を託す」(右)

震災をテーマにした作品「明日への希望を託す」(右)

 
 画材は、季節の花や果物などの静物、海や山といった自然風景などさまざま。定番モチーフの一つが新巻きザケで、小野寺さんは「三陸のサケは顔がいいですよ」とニヤリと笑った。「旧釜石鉱山」「昔の製鉄所風景」と題した作品は、建屋の解体前に撮った写真や記憶を重ねて「記念に残そう」と筆を握った。
 
 「目に留まったものを描く」スタイルに合う街並みの一つが、函館。「面白い建物があって。教会とか、異国情緒な風景を描いてみたい」と絵心をそそられる。話を聞いていた人から「その場でスケッチするの?写真を撮るの?」と質問されると、小野寺さんは「頭の中に記憶する。時間があればスケッチすることも。色とかは忘れるので、写真は撮るが、写真を見ながら描くことはしない。いらないものまで描いたりしてしまうから。いろんな手法を取り入れている」と、創作の一端をひも解いた。
 
荒々しい岩々を描いた作品。創作意欲をかき立てるモチーフの一つ

荒々しい岩々を描いた作品。創作意欲をかき立てるモチーフの一つ

 
四季折々の風景、植物、魚、街並み、建物…画材はさまざま

四季折々の風景、植物、魚、街並み、建物…画材はさまざま

 
 「はっきりこうだ-と言いたくない。見た人が自由に感じ取ってほしい」。小野寺さんがそう紹介した一枚は、他の展示作品とは少し毛色が異なる。タイトルは「登る」。自身にとっては「挑戦」という抽象的な作風だ。未完の作品で、色合いを変えたり加筆し、岩手芸術祭に出品する予定。「私が描く自由、いろんな描き方に挑戦しようと向き合う作品。まだ若いので、もう少し踏ん張って別の方向性を見つけたい」と思いを明かした。
 
小野寺さんの解説を楽しむ来場者。手前は新作「登る」

小野寺さんの解説を楽しむ来場者。手前は新作「登る」

 
「油彩は自由さがあるから」と笑顔で話す小野寺さん

「油彩は自由さがあるから」と笑顔で話す小野寺さん

 
 新たな方向性を探しつつも、「自由さがある油彩」で創作活動を続ける構え。描いていると、ななめ、横、上下などさまざまな角度からモノを見る視点が必要となり、色を重ね合わせたり削ったりする作業は「人生と重なる。やればやるほど発見、気づきがある」と実感を込めて話す。「うまい、へたではなく、思いっきりやるのがいい」。意欲に衰えはない。

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マルシェ、ラベンダー、音楽、史跡ガイド 祝10周年! 五感で楽しむ世界遺産「橋野鉄鉱山」 

「橋野鉄鉱山」世界遺産登録10周年を記念したイベント=13日、インフォメーションセンター駐車場

「橋野鉄鉱山」世界遺産登録10周年を記念したイベント=13日、インフォメーションセンター駐車場

 
 明治日本の産業革命遺産「橋野鉄鉱山」の世界遺産登録10周年を祝う現地イベントが13日、釜石市橋野町の同インフォメーションセンター周辺で開かれた。目にも鮮やかな青空と深緑が織りなす空間に飲食や手作り雑貨のマルシェが出現。隣接するフラワーガーデンではラベンダーが見頃を迎え、夏景色を広げた。市内外から約650人が来場。史跡見学とともに各種催しを楽しみ、歴史、文化、自然が融合する同所の魅力を堪能した。
 
 地元郷土芸能「橋野鹿踊り」がオープニングを飾った。“館褒め”から7演目を披露し、世界遺産10周年を盛大に祝った。 橋野鹿踊り・手踊り保存会の菊池郁夫会長は「コロナ禍前以来の久しぶりの披露」と喜びを重ね、「登録時から来訪客は減っているが、市にももっとアピールしてもらって集客につなげられれば。地元団体としても事あるごとに応援していきたい」と協力姿勢を見せた。
 
マルシェ開幕を彩った「橋野鹿踊り」。総勢24人が伝統の舞で盛り上げた

マルシェ開幕を彩った「橋野鹿踊り」。総勢24人が伝統の舞で盛り上げた

 
 センター駐車場のマルシェ会場には市内外のキッチンカー、農水産物業者、ハンドメイド作家など30店舗が軒を連ねた。来場者は店主らとの会話も楽しみながら、気に入った作品を購入したり、飲食を楽しんだりした。宮古市の藤田夏穂さん(22)は貝殻など天然素材の手作りアクセサリーを販売。他のイベントで知り合った出店者から情報を得て、初めて同所に足を運んだ。「空気がきれいで緑豊かな景色が素敵。終わったら高炉跡も見ていきたい」と見学も楽しみに…。世界遺産と絡めたイベントへの出店も初めてで、「インスタグラムとかで自分が出店情報を発信することで、遺産を知らない若い世代が知るきっかけになったらうれしい」と相乗効果にも期待した。
 
多彩な木工品に興味津々の来場者

多彩な木工品に興味津々の来場者

 
「CASIN」の屋号で手作りアクセサリーを販売した藤田さん。5月から始めたイベント出店は「お客さまとの交流が楽しい」という

「CASIN」の屋号で手作りアクセサリーを販売した藤田さん。5月から始めたイベント出店は「お客さまとの交流が楽しい」という

 
 四季折々の自然風景も魅力の橋野鉄鉱山。センター隣にあるフラワーガーデンの夏を彩るのがラベンダーの開花だ。例年この時期は、庭園を管理する橋野町振興協議会による観賞イベントが行われるが、今年は同10周年イベントと共催した。来場者は刈り取りやラベンダースティック作りを体験。さわやかな香りに身も心もリフレッシュしながら、心地よい時間を過ごした。宮古市と山田町から訪れた60代女性2人は「桜の時期に来たことはあるが、ラベンダー畑があるのは知らなかった」と再発見。「いい香りに癒やされました。今日は風もあって最高に気持ちいい。下界はもっと暑いだろうけど」とにっこり。ドライフラワーにするのを楽しみに会場を後にした。
 
橋野鉄鉱山フラワーガーデンでラベンダーの刈り取りを楽しむ親子。トンボもいい香りに誘われて…?

橋野鉄鉱山フラワーガーデンでラベンダーの刈り取りを楽しむ親子。トンボもいい香りに誘われて…?

 
リボンと編み込む「ラベンダースティック」の製作体験。インテリア小物にも

リボンと編み込む「ラベンダースティック」の製作体験。インテリア小物にも

 
園芸店の方から学ぶ寄せ植え体験もあった(写真左が完成品)。刈り取ったラベンダーは各自お持ち帰り。スタッフが活用法なども教えた

園芸店の方から学ぶ寄せ植え体験もあった(写真左が完成品)。刈り取ったラベンダーは各自お持ち帰り。スタッフが活用法なども教えた

 
 センターの建物内では「森の音楽会」と題したバイオリンのミニコンサートが開かれた。仙台フィルハーモニー管弦楽団第2バイオリン副首席奏者で、ハナミズキ音楽アカデミーを主宰する小川有紀子さんが教え子らと演奏。東日本大震災以降、釜石市で継続的に演奏を披露している小川さんが同世界遺産の節目に花を添えた。
 
小川有紀子さん(写真左)によるバイオリンミニコンサート。インフォメーションセンターが音楽堂に早変わり

小川有紀子さん(写真左)によるバイオリンミニコンサート。インフォメーションセンターが音楽堂に早変わり

 
橋野鉄鉱山高炉場跡をガイドが案内。手前が一番高炉、奥が二番高炉。当時の高さは約8メートル。今は花こう岩の石組みだけが残る

橋野鉄鉱山高炉場跡をガイドが案内。手前が一番高炉、奥が二番高炉。当時の高さは約8メートル。今は花こう岩の石組みだけが残る

 
 にぎわい創出と合わせ、もちろん史跡への理解を深める機会も。釜石観光ガイド会の千葉まき子、菊池弘充両ガイドの案内で高炉場跡を見学するツアーが午前と午後に行われた。高炉の石組みに使われた花こう岩や製鉄原料の鉄鉱石を産出した大地の成り立ち、鉄鉱石が発見された経緯、大島高任とその協力者がこの地に高炉を建設し操業に成功した理由、世界遺産としての価値などを説明。参加者は約160年前の製鉄風景を想像しながらガイドの話に聞き入った。
 
釜石観光ガイド会の2人が参加者の質問にも答えながら現地を案内

釜石観光ガイド会の2人が参加者の質問にも答えながら現地を案内

 
炉底塊に磁石が引きつけられる感覚を味わい、製鉄の証拠を確認(写真左)。参加者は高炉稼働時に想像を巡らせながらガイドの話に聞き入った

炉底塊に磁石が引きつけられる感覚を味わい、製鉄の証拠を確認(写真左)。参加者は高炉稼働時に想像を巡らせながらガイドの話に聞き入った

 
 東京都の藤野純一さん(53)は仕事で同市を訪問。駅で同イベントのチラシを見つけ、仕事仲間と足を運んだ。「オランダの技術を勉強したとはいえ、(見たこともない高炉を)ゼロから造り上げたというのは改めてすごいなと。残っていなかったかもしれない史跡がこうして残っているのも素晴らしい」と感心。「ガイドさんの説明も分かりやすく、来られてラッキーでした」と大喜びだった。
 
 この日は唐丹、平田両公民館が合同で企画したバスツアーで約30人が訪れた。両地区は震災の津波で被災。復興へ苦労の道のりを歩む中で、同世界遺産登録は被災住民にとっても希望の光となった。唐丹町の小濱勝子さん(83)は「もう10年になるんですねぇ」と感慨深げ。“鉄のまち”を象徴する遺産を「やっぱり大事にしていかないとね。人口は減ってくるが、釜石として自慢できるものをみんなで力を貸して守っていければ。10年経ったから終わりではなく、これから先の世代にもこの歴史を伝えていかなくては」と継承の大切さを訴えた。
 
幅広い世代が訪れた「橋野鉄鉱山マルシェ」。多くの人に同所を知ってもらう機会にもなった

幅広い世代が訪れた「橋野鉄鉱山マルシェ」。多くの人に同所を知ってもらう機会にもなった

 
 市教委文化財課世界遺産室の森一欽室長は「思ったより盛況で何より。これまで史跡の価値といった部分にPRが集中していたが、あまり堅苦しくなく周知できればとの思いもあり、このような催しを企画した。視点を変えた遺産の活用、人を呼び込む方策も今後、考えていければ」と話した。

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「橋野鉄鉱山」世界遺産登録10周年 価値をどう伝える? シンポジウムで“今後”を考える

世界遺産登録10周年記念シンポジウムでは歴史作家の河合敦さんが講演=12日、TETTO

世界遺産登録10周年記念シンポジウムでは歴史作家の河合敦さんが講演=12日、TETTO

 
 釜石市橋野町の橋野鉄鉱山を含む「明治日本の産業革命遺産」(8県11市23資産)はこの7月で、世界文化遺産登録から10周年を迎えた。同市では12日、記念式典とシンポジウムが大町の市民ホールTETTOで開かれ、約200人が基調講演やパネルトークに耳を傾けた。「釜石での鉄づくりの成功がなければ日本の近代化はなしえなかった―」。参加者は遺産が物語る価値を再認識しながら、今後の発信、活用の在り方を考えた。
 
 式典で達増拓也県知事は、釜石の地で国内初の鉄鉱石による連続出銑に成功した盛岡藩士・大島高任を「そのたゆまぬ努力と功績はわが国、世界の大きな至宝」と称賛。平泉、御所野遺跡(北海道・北東北の縄文遺跡群)と合わせ、「本県は3つの世界遺産を有する。奈良、鹿児島と並び日本最多」と誇りを示した。小野共釜石市長は世界遺産登録に関わる歩みが震災復興期間と重なったことで、「復興途上の沿岸自治体の希望をつなぎ、復興を押し進める力となった」と分析。活用には多くの課題があるが、「価値と魅力を市内外に伝える取り組みを継続していく」と誓った。
 
「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の世界遺産登録10周年にあたり、達増拓也県知事(写真左上)があいさつ

「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の世界遺産登録10周年にあたり、達増拓也県知事(写真左上)があいさつ

 
 日本製鉄北日本製鉄所釜石地区は、釜石製鉄所関連の所蔵資料1067点を同市に寄贈した。1985年の市立鉄の歴史館建設時に同市に寄託され、展示などに活用されてきたもので、高瀬賢二副所長(釜石地区代表)が小野市長に目録を手渡した。小野市長は同社に感謝状を贈って謝意を表した。
 
日本製鉄北日本製鉄所釜石地区が所蔵資料を釜石市に寄贈。右から高瀬賢二副所長、小野共市長

日本製鉄北日本製鉄所釜石地区が所蔵資料を釜石市に寄贈。右から高瀬賢二副所長、小野共市長

 
 基調講演の講師はテレビ出演でもその名を知られる、歴史作家で多摩大客員教授の河合敦さん。幕末からわずか50年の間に急激な産業化を成し遂げた日本の技術力やその背景について解説した。同世界遺産の大きな価値は「西洋の技術を単に模倣したのではなく、日本の伝統技術を使って近代化に成功しているところ」と河合さん。これは非西欧地域では初めてのことだ。
 
 江戸後期、鎖国下の日本で唯一オランダとの貿易が許されていた長崎では、英軍艦フェートン号の不法侵入事件を機に外国船の脅威が高まる。港の警備にあたる佐賀藩主・鍋島直正は、(後に大島高任も師事する)伊東玄朴に翻訳させた蘭書を基に洋式大砲の研究を重ね、1852年、反射炉を用いた鉄製大砲の鋳造に成功。58年に設置した三重津海軍所では、日本初の本格的な蒸気船を完成させた(同海軍所跡が世界遺産)。佐賀藩の反射炉技術は幕府、萩、薩摩藩に伝播。薩摩藩では石垣の技術を石組みに、薩摩焼の技術をれんがに応用した。
 
幕末から明治の産業革命について話す河合敦さん(右)。分かりやすい解説はテレビでもおなじみ

幕末から明治の産業革命について話す河合敦さん(右)。分かりやすい解説はテレビでもおなじみ

 
 では、なぜ藩主や武士のような知識階級だけでなく、職人などの庶民に高度なことができたのか? 河合さんは「江戸時代に教育施設が普及し、多くの人が寺子屋や私塾に通って、文字の読み書きや計算をできるようになっていたから」と推測する。統計はないが、「幕末の江戸中心部では住民の半数が読み書きできたのでは」と言われているという。実際、同時代にはさまざまな分野の本も出ていて、「高度な教育力や出版文化の広がりが(技術力に)大きく関係している」と話す。こうした背景により、山口県萩市に残る吉田松陰の「松下村塾」(塾舎)も世界遺産の構成資産となっている。
 
 「根底には日本の独立を守らねばという気持ちがあり、大島高任のような(学びを深める)人間が生まれてきたのだと思う。教育、文化水準が高いという素地があったからこそ、日本は短期間で近代国家に転身できたのだろう」と河合さん。橋野鉄鉱山の魅力発信の方策として、「VR(仮想現実)で実際の高炉建屋や鉄が流れ出る様子を体験できるようにすれば、もっと興味を持って足を運んでもらえるのでは」とのアイデアも示した。
 
世界遺産「橋野鉄鉱山」を含む釜石の鉄の歴史を今後、どう生かすか? 意見を交わしたパネルトーク

世界遺産「橋野鉄鉱山」を含む釜石の鉄の歴史を今後、どう生かすか? 意見を交わしたパネルトーク

 
 パネルトークは「釜石の鉄の歴史を活用する」というテーマで行われた。岩手大理工学部准教授で鉄の歴史館名誉館長の小野寺英輝さんがコーディネーターを務め、これまで橋野鉄鉱山に関わる活動を行ってきた3人から話を聞いた。
 
 教員時代、釜石市の2中学校で鉄の歴史を含む郷土学習に取り組んだ森本晋也さんは「古里を学ぶことで地域への愛着、誇りが生まれる」と実感。当時、生徒と「地域を学ぶ」のか「地域に学ぶ」のかが話題になったと明かし、「先人の生き方や歴史を通して、生徒は『自分はどう生きればいいのか』考える機会にもなった」と振り返った。現県立図書館長の立場から、「シビックプライド」の醸成にも言及。単なる郷土愛ではなく、積極的にまちづくりに関わる当事者意識、地域の一員としての自負心を育もうとするもので、「郷土資料と人々をつなぎ、まちを良くしたいという能動的な態度を育成していければ」と望んだ。
 
釜石二中、釜石東中赴任時に取り組んだ郷土学習について紹介する森本晋也さん。各種教育職を経て、2023年度から県立図書館長を務める

釜石二中、釜石東中赴任時に取り組んだ郷土学習について紹介する森本晋也さん。各種教育職を経て、2023年度から県立図書館長を務める

 
 釜石観光ガイド会に所属し、橋野鉄鉱山を含む地元製鉄の歴史、三陸ジオパークに関わる伝承活動を行う伊藤雅子さんは「いかに興味を持ってもらうか」に重点を置く。難しくなりがちな内容だけに、「聞く人の地元に関わる話を織り交ぜたり、興味を損なわないよう相手の様子を見ながら話すようにしている」という。パンフレットやWeb上の情報だけではなく、その奥に広がる事象を伝えられるのが現地ガイドの魅力。「分かりやすく楽しく」。お客さまの滞在時間に合わせ時間内に収めることも心がける。
 
釜石観光ガイド会の伊藤雅子さん(写真左上)、震災語り部としても活躍する橋野町の菊池のどかさん(同右上)は同市の歴史や魅力に目を向けてもらうための考えを述べた

釜石観光ガイド会の伊藤雅子さん(写真左上)、震災語り部としても活躍する橋野町の菊池のどかさん(同右上)は同市の歴史や魅力に目を向けてもらうための考えを述べた

 
 橋野鉄鉱山がある橋野町に暮らす菊池のどかさんは、小中学校の出前授業や体験学習で、同遺産への理解を深めていった。大学の卒業論文では同鉄鉱山を取り上げ、地元の魅力発信に関わる活動を続けている。歳月の経過は人々の興味、関心を風化させることにもなるが、「風化した後でも何かきっかけがあれば学びの機会は得られる。後の世代の人たちの気付きにつながるものを残していくことはできるのではないか」と今後の活動を見据えた。
 
 会場に足を運んだ橋野町出身、栗林町在住の女性(75)は「先祖が栗橋分工場で働いていた。地元の鉄の歴史は家族の歴史とも重なる。大学生の孫も興味を持ち始めた。貴重な歴史をしっかり後世に伝え、つないでいく必要がある」と語った。

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電気の世界に興味を 釜石商工高生が白山小で出前授業 魅力ある高校の学び伝える

釜石商工高生が講師の出前授業を楽しむ白山小の児童

釜石商工高生が講師の出前授業を楽しむ白山小の児童

 
 釜石市大平町の釜石商工高(小松了校長、生徒176人)の電気電子科3年生は7日、同市嬉石町の白山小(鈴木慎校長、児童33人)の5、6年生14人を対象に出前授業を行った。高校生4人が訪問し、指示通りに黒い線上を走る「ライントレースカー」を使った実験を披露。小学生に模型の操作を体験してもらいながら、電気を使った技術を学ぶおもしろさを伝えた。
 
 講師を務めたのは秋田捷太さん、佐々木新生さん、笹山大河さん、成田彗七さんの4人。課題研究の授業で作ったライントレースカーを持ち込み、走行させるために使われる技術、光センサーや超音波センサーについて解説した。
 
出前授業の講師を務めた釜石商工高電気電子科の3年生

出前授業の講師を務めた釜石商工高電気電子科の3年生

 
 センサーは身の回りにあるものと高校生。「どんなものがある?」と質問すると、児童は「自動ドア」「顔で熱を測れる機械」「手を出すと消毒液が出てくるものとか」などと答えた。その上で、「センサーは測定したいものを、コンピューターや装置が仕事をしやすいよう電気信号に変換する役割を持っている」と説明。ライントレースカーでは走行、障害物を回避するのに活用されているという。
 
 小学生が分かりやすいようにと、高校生は体を使った寸劇を披露。2種類のセンサーの動きを確かめる実験も取り入れたり、教え方を工夫した。
 
センサーの働きを寸劇で分かりやすく伝える高校生

センサーの働きを寸劇で分かりやすく伝える高校生

 
光センサーの動きを確認する実験に児童は興味津々

光センサーの動きを確認する実験に児童は興味津々

 
 原理を何となく理解したところで、ライントレースカーの実走。2台を走らせ、ぶつかりそうになると止まる様子を小学生は好奇心に満ちた表情で見つめた。模型の車を使った無線遠隔操作(ラジコン)も体験。ゲーム感覚で楽しみながら、電気を使った技術に関心を深めた。
 
児童の視線が集中したライントレースカーの走行実験

児童の視線が集中したライントレースカーの走行実験

 
無線を使った遠隔操作で模型の車を走らせる体験を楽しむ

無線を使った遠隔操作で模型の車を走らせる体験を楽しむ

 
 川﨑仁遥さん(5年)は「センサーの動き方を分かりやすく教えてもらえた。難しかったけど楽しかった」と笑顔を見せた。
 
 白山小出身の成田さんは、母校に懐かしさを感じながら後輩たちと向き合った。説明を聞く時は真剣に、体験時には楽しそうな児童の姿に、「電気の世界に興味を持ってもらえた」とうれしさを実感。電気工事ものづくりコンテスト岩手大会2位との実績を持ち、専門的な授業や課題研究で興味関心のある学びを深められるのが商工高の魅力だとし、「将来は商工高に来て」と期待を込めた。
 
出前授業で児童と交流しながら高校生活の魅力を伝えた

出前授業で児童と交流しながら高校生活の魅力を伝えた

 
 出前授業は、工業系の専門的知識を学ぶことができる学校の魅力を発信しようと続ける企画。これまで中学生向けに行ってきたが、昨年度末に市教育委員会から要請があり、今回初めて小学生を対象に実施。秋頃に、ほかの小学校でも開催を予定する。

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夏だ!安全に楽しく泳ごう 釜石市営プール 屋外50メートルプール開放 8月17日まで

(屋外)プール開きの安全祈願祭=12日、釜石市営プール(大平町)

(屋外)プール開きの安全祈願祭=12日、釜石市営プール(大平町)

 
 釜石市大平町の市営プールは12日から屋外50メートルプールの利用を開始した。小中学校の夏休み期間に合わせ、8月17日まで開放予定。今季は熱中症対策として、プールサイドに熱中指数計を設置。監視員による安全管理体制も強化し、利用者の事故防止につなげる。
 
 12日午前、プールサイドで利用者の安全を祈る神事が行われた。同プール市指定管理者の協立管理工業(小笠原拓生社長)、釜石水泳協会(山崎達会長)が主催。関係者17人が出席した。尾崎神社(浜町)の佐々木裕基宮司が祝詞を奏上。出席者の代表が玉串をささげ、シーズン中の無事故を祈願した。市文化スポーツ課の清藤美穂係長は「誰もが快適に利用できるよう協立管理工業と連携、協力を密にし、施設運営、維持管理に当たっていきたい」とあいさつした。
 
プール利用者の安全を祈る釜石水泳協会の代表(写真上)。市と指定管理者の協立管理工業は連携し快適な利用環境を目指す
 

プール利用者の安全を祈る釜石水泳協会の代表(写真上)。市と指定管理者の協立管理工業は連携し快適な利用環境を目指す

 
 同プールで練習する、かまいしスイミングクラブ(SC)の小中高生ら14人が試泳した。連日の暑さが一段落したこの日は午前10時時点で気温21.5度、水温23.4度。曇り空で、プール開きには少し肌寒い気候となったが、子どもたちはリレー形式で得意種目を力泳し、今季の練習に弾みを付けた。
 
 藤原莉那さん(双葉小6年)はバタフライで試泳。「めちゃくちゃ(水が)冷たかった」と身震いするも、「夏の間、外で泳ぐのは楽しみ」とにっこり。9月に出場する大会は50メートルプールで泳ぐため、「ここで練習を頑張り、県大会で一番になりたい」と目標を掲げた。佐々木千温さん(釜石中1年)は「気温が暖かいので、水が冷たくても気持ちいい」と屋外泳を満喫。19日から開催される県中総体水泳競技に、かまいしSCとして出場予定で、得意の平泳ぎなどで「タイムを1秒でも縮めたい」。リレーメンバーにもなっており、「クラブチームとしても良い成績を残せるように頑張りたい」と意気込んだ。
 
かまいしスイミングクラブの小中高生が試泳し、プール開きを祝う

かまいしスイミングクラブの小中高生が試泳し、プール開きを祝う

 
今季のレベルアップを願いながら力強い泳ぎを見せるクラブ会員

今季のレベルアップを願いながら力強い泳ぎを見せるクラブ会員

 
 同プールは開設から55年が経過。近年は、老朽化による設備の不具合などが発生している。屋外には幼児プールと25メートルプールもあるが、周辺地盤の調査で危険性が指摘されたため、2021年度から利用休止状態が続く。昨年度のプール(屋内・屋外)利用者数は約3万3千人(前年度比約8千人増)。新型コロナ感染症の影響で20年度から2万人台で推移していたが、ようやく以前の水準に戻りつつある。
 
 屋外プールでの熱中症対策として、今年から「熱中指数計」も導入した。温度や湿度、輻射(ふくしゃ)熱を測定し、「注意→警戒→厳重警戒→危険」と4段階でリスクを知らせてくれるもので、感知すると音が鳴るという。協立管理工業の藤澤正明総務主任は「市の熱中症警戒アラートも判断基準に、連続して1時間以上は泳がせないなどの対策を講じる。各自、プールサイドにドリンク類を置いて、速やかに水分補給ができる態勢も取ってほしい。プールから上がって休む場合は日陰に移動を」と呼び掛ける。
 
屋外50メートルプールの水深は1.4~1.6メートル。写真右下は「黒球式熱中指数計」

屋外50メートルプールの水深は1.4~1.6メートル。写真右下は「黒球式熱中指数計」

 
 今季の屋外プール開放は8月17日まで。市内小中学校の夏休み期間は無休で、午前10時半に開場する。同期間中は市内中学校の生徒は生徒手帳の提示で無料。学校プールの開放がない2小学校の児童も無料で利用できる。

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安心、楽しい登山を 釜石・橋野地区最高峰「片羽(葉)山」 住民ら、合目標識を新調

「迷わないように」と登山道に標識を設置する参加者

「迷わないように」と登山道に標識を設置する参加者

 
 釜石市橋野町の「片羽(かたば)山」(標高1313メートル)の登山道に設置されている合目標識が新しくなった。もともとあった標識は歳月を経て朽ちたりしていたことから、地元の橋野町振興協議会が新たに作製。釜石勤労者山岳会の協力で設置した。「いい山だよ」と住民が誇る里山。実は、“隠れた名峰”として地域外から登山客が訪れているといい、「安心して楽しんでほしい」との思いが込められている。
 
 7月6日に行われた作業には同協議会や同山岳会の会員、一般市民ら約15人が参加した。しっかりとした支柱が付いた標識や設置作業に使うハンマーなどの道具は程よい重さがあり、山岳会員が中心となり背負って歩行。5~9合目と、ルートを示す矢印の標識を計7カ所に設置した。
 
合目標識や穴を掘るための道具などを持ちながら山道を歩く

合目標識や穴を掘るための道具などを持ちながら山道を歩く

 
橋野町振興協議会と釜石勤労者山岳会の会員らが協力して設置

橋野町振興協議会と釜石勤労者山岳会の会員らが協力して設置

 
 標識を新調するきっかけは昨年秋、市の出先機関・栗橋地区生活応援センターが企画した住民向けの登山会。同センターの二本松由美子所長(59)らによると、ペンキやニスで塗装された木製の標識はクマなどがかじり壊されていたり、経年劣化で朽ちたりしていた。また、ルートが二手に分かれた箇所があり、山頂方面とは別の道を進んで戻るという経験もしたことから、「安心して登ってもらうために新しいものを」と同協議会と相談し、作製した。
 
もともとある4合目の木製標識。半分ほどが欠けている

もともとある4合目の木製標識。半分ほどが欠けている

 
迷いそうな場所には矢印の標識。標識の奥に道が続くも山頂とは別ルート

迷いそうな場所には矢印の標識。標識の奥に道が続くも山頂とは別ルート

 
 設置作業は5月に実施する計画だったが、雨天のため延期されていた。「念願かなった」と晴れやかな笑顔を見せたのは、地元の小笠原幸雄さん(70)。今回の最高齢参加者の一人で、「地区の最高峰にこの年で初めて登ることがきた」と喜びもひとしおの様子。力作業も率先し、「道に迷わないで楽しい登山を」と汗をぬぐった。
 
 同山岳会は、昨秋の登山会で先導役を担ったこともあり協力。標識を設置しながらの山行は初めての経験という中軽米一(はじめ)会長(55)は「安心な登山環境の整備に関わることができた。山に親しむ者にとって価値ある取り組みだ」と感慨深げ。不慣れな道で迷ったり、どこまで進んでいるのか分からなくなることもある登山。そんな時に目安となる標識を備えた山道に目を向け、「たくさんの人に登ってほしい」と望んだ。
 
 片羽山は、三角点のある雄岳と南の雌岳(1291メートル)の双子峰で、登山の対象となるのは雄岳。4合目まではダケカンバなどの林の中を進み、足元は柔らかで歩きやすい。その先は少し下ったかと思うと勾配が増し、7合目辺りからは急登に。倒れたまま手つかずの木、張り出た木の根、石が露出している場所もあり、足元には注意が必要になる。
 
道幅は広く、足元も柔らかく歩きやすいが、徐々に…

道幅は広く、足元も柔らかく歩きやすいが、徐々に…

 
傾斜のきつい道を進むとお立ち台のような岩が。山頂は目前

傾斜のきつい道を進むとお立ち台のような岩が。山頂は目前

 
 「きついな」と思いながら、木の幹や岩などの力を借りつつ足を踏み出していくと低木帯になり、気づくと登頂。山頂は360度のパノラマが広がり、五葉山や早池峰山、条件が良ければ鳥海山を臨むことができるというが、今回は霧で視界は遮られていた。
 
 地元の人が「結構きつい山だよ。登山初心者はやめた方がいい」というのも分かる。それでも、登り切った達成感は格別だ。同山岳会の会員たちが「ストレス解消、すがすがしい気持ちになる。つらさも楽しみ」「自然の中を歩くことで今まで気づかなかったことを発見したり、感動も多くなった」と話す“登山の魅力”に共感した。
 
山頂は霧に包まれるも、登頂者の表情は晴れやか

山頂は霧に包まれるも、登頂者の表情は晴れやか

 
 この山の面白さは名前にも。地図上には「片羽山」と表記され、三角点のそばにある看板にもうっすらだが「片羽山」と文字が見えた。が、登山口や登山道にある鳥居などには「片葉山」とつづられていた。そして、地元の人たちになじみ深いのは「葉」の方。遠野物語三十二話に登場する山の中には「片羽山」とある。一方で、地元には「片葉山」と刻まれた碑などが残っているという。
 
「片羽山」と「片葉山」が混在しているところが面白い⁉

「片羽山」と「片葉山」が混在しているところが面白い⁉

 
 そんな山に住民は親しみを持つ。町内にある産地直売所の橋野どんぐり広場の近くから「雄岳と雌岳がきれい見える」と教えてくれたのは、店頭に立つ女性。かつて登ったことを思い出しながら、「いい山だと思う」とほほ笑む。地域の人は高齢になって登る機会は少なくなったというが、「外の人たちが結構来ているみたい。帰りに(産直に)寄っていく」とうれしそうに話した。
 
奥に見える双子峰が「片羽(葉)山」で、右側が雄岳

奥に見える双子峰が「片羽(葉)山」で、右側が雄岳

 
 今回、下山時に二組の登山客とあいさつを交わした。そのうちの一組は「秋田から」と言っていた。新調した標識がさっそく役立ったと実感。二本松所長は「皆さんの協力で設置できたことを広く知らせたい。地元の山を歩く取り組みも続けられたら」と思いをめぐらせた。

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広報かまいし2025年7月15日号(No.1860)

広報かまいし2025年7月15日号(No.1860)
 

広報かまいし2025年7月15日号(No.1860)

広報かまいし2025年7月15日号(No.1860)

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【P1】
表紙

【P2-3】
かまいし夜市「おいでんせ」、イオンタウン釜石の超盆踊り

【P4-7】
「自然と歩むまち釜石」を目指して

【P8-9】
根浜海岸海水浴場を開設します 他

【P10-11】
ごみの出し方にご注意ください
釜石市職員採用試験 他

【P12-13】
令和7年度の健康診査・肺がん検診を受けましょう 他

【P14-15】
まちの話題

【P16-17】
保健案内板
世界遺産登録10周年コラム
移動図書館車「しおかぜ号」

【P18-19】
まちのお知らせ

【P20】
市民百景

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