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震災・復興・ラグビー 釜石でしか得られない学びを 埼玉、広島の中学生ラガー「絆キャンプ」

釜石鵜住居復興スタジアム裏にあるラグビー神社に参拝する「絆キャンプ」の参加者

釜石鵜住居復興スタジアム裏にあるラグビー神社に参拝する「絆キャンプ」の参加者

 
 ラグビー「リーグワン」所属チームが関係するジュニア・ユース団体による交流合宿「絆キャンプ」が、23~25日まで釜石市で開催された。2019年のラグビーワールドカップ(W杯)日本大会の試合誘致により、東日本大震災からの復興を大きく前進させた同市で、今後のラグビー人生の糧となる学びを得ようと関係者が企画。埼玉、広島両県の3チームで活動する中学生らが訪れ、震災・防災学習、地元チームとの交流試合などを行った。
 
 釜石を訪れたのは埼玉県のワイルドナイツジュニアユース、Acorns Sports & Rugby Academy(エーコンズスポーツアンドラグビーアカデミー)、広島県の広島ラガー・ジュニアラグビースクールの団員ら。地元から釜石シーウェイブス(SW)アカデミー、宮古ラグビースクールが加わり、約80人での合宿となった。
 
 23日に釜石入りした県外3チームは、鵜住居町で2011年の震災について学んだ。犠牲者の芳名板が設置される「釜石祈りのパーク」で黙とうをささげ、同所を襲った津波の高さをモニュメントで実感。防災市民憲章に込められた4つの教訓「備える、逃げる、戻らない、語り継ぐ」を心に刻んだ。震災伝承施設「いのちをつなぐ未来館」では津波の映像や展示物を見ながら、同市の被害状況、小中学生がとった避難行動などについて話を聞いた。
 
釜石祈りのパークで東日本大震災について学ぶワイルドナイツジュニアユースの団員ら=23日

釜石祈りのパークで東日本大震災について学ぶワイルドナイツジュニアユースの団員ら=23日

 
いのちをつなぐ未来館でさらに詳しく学習。震災の教訓を心に刻む

いのちをつなぐ未来館でさらに詳しく学習。震災の教訓を心に刻む

 
 24日は参加チームのコーチ陣による技術指導や交流試合が行われた。試合会場の釜石鵜住居復興スタジアムでは、施設の意義や特徴も学習した。復興に向かう同市がラグビーW杯誘致に動き、被災した小中学校跡地にスタジアムを新設。防災機能を兼ね備えた施設で、建設にはさまざまな人たちの復興への強い思いが込められていることが伝えられた。
 
「釜石鵜住居復興スタジアム」建設の経緯を聞く

「釜石鵜住居復興スタジアム」建設の経緯を聞く

 
参加者から質問も。元釜石SW選手で市職員の佐伯悠さんが答える

参加者から質問も。元釜石SW選手で市職員の佐伯悠さんが答える

 
 交流試合は「チーム埼玉・広島対チーム三陸」など各種対戦カードが組まれた。選手たちは釜石復興を願ってきた人々の気持ち、憧れのW杯選手と同じピッチに立てる喜びをかみしめながら試合に臨み、ひたむきなプレーを見せた。
 
 ワイルドナイツの小沼虎汰郎さん(中2)は「みんな、よくくじけずに復興までこぎ着けたなあと思う。スタジアムは同じ被害に遭わないための工夫もあって驚いた。いろいろなことを知れて本当にためになった。災害が起こったらパニックになってしまうかもしれないが、ここで学んだことを生かせれば」と収穫を口にした。
 
 釜石SWにも在籍した中村彰さんが立ち上げたエーコンズの清水蒼唯さん(中2)は昨年も合宿で釜石を訪問。「自然が多く、地元埼玉では感じられない別の雰囲気がある。普段、対戦機会のないチームとの試合は身が引き締まるし刺激になる。行きたい高校があるので、そのためにも他のうまい人を見習って自分も成長できれば」と意欲を示した。
 
チーム埼玉とチーム三陸の交流試合。厳しい暑さに負けずプレー

チーム埼玉とチーム三陸の交流試合。厳しい暑さに負けずプレー

 
ワイルドナイツの選手を2人がかりで止めるSWアカデミーの選手ら(赤ジャージ)

ワイルドナイツの選手を2人がかりで止めるSWアカデミーの選手ら(赤ジャージ)

 
試合中もゴールエリアで練習。各チームのコーチが指導した

試合中もゴールエリアで練習。各チームのコーチが指導した

 
 釜石SWのキャプテン山﨑陽介さん(中3)は埼玉チームとの試合に「(相手は)やっぱり強かった。実戦でないと試せないこともあるので、こういう機会はありがたい」と感謝。技術指導では「基礎を復習できた」といい、「今回見つかった課題もあるので、改善できるようにこれからの練習で生かしていきたい」と話した。
 
 本キャンプは初開催。NPO法人ワイルドナイツスポーツプロモーション代表理事で、ジュニア・ユースの育成にあたる三宅敬さん(40)が、NPO法人スクラム釜石の早川弘治理事ら関係者と企画を練り実現した。ラグビーが釜石復興に果たした役割を知るとともに、広域の中学生との交流による互いの経験や考えの共有、リーダーシップの醸成などを目的とした。
 
 同スタジアム建設中の2017年に釜石を訪れている三宅さん。「W杯への高揚感の一方、大勢の人が被災した悲しみで、明暗のある感情に揺さぶられた」と当時を振り返る。教え子たちを連れた7年ぶりの釜石訪問。「これもラグビーがつないでくれた縁」と感謝する。「ラグビーができることは決して当たり前ではない。周りへの感謝の気持ちを持ち、プレーで恩返しすることが大事。交流の中で他者を感じながら、自分をアピールするという相互関係も築いてほしい」と願った。
 
 7年前、父敬さんと一緒に同所を訪れていたワイルドナイツの三宅葵さん(中2)は「全く違うまちに来たような感覚。完成したスタジアムでの試合の機会をいただけたことはすごく光栄なこと」と喜んだ。震災学習も学びが多かった様子で、「僕たちは最後に(震災を)経験した世代。この下はまだ生まれていなかった人たち。僕たちの代からどんどんつなげ、伝えていかなければ」と実感を込めた。
 
相手の動きを見極めながらボールを前に進める

相手の動きを見極めながらボールを前に進める

 
宮古の選手を押しのけ、力強い前進を見せる広島の選手

宮古の選手を押しのけ、力強い前進を見せる広島の選手

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副業型の地域活性化起業人 釜石市、初登用 都市圏のデジタル人材に期待「地方に刺激を」

小野共市長(左)から委嘱状を受け取った野辺地葵さん

小野共市長(左)から委嘱状を受け取った野辺地葵さん

 
 釜石市は23日、「地域活性化起業人」として、IT(情報技術)を活用したものづくりや中小企業のコンサルタント業務などを手掛ける「Crossover Group」(東京)の最高経営責任者(CEO)、野辺地葵さん(27)に委嘱状を交付した。三大都市圏の民間力を地域活性に生かす総務省の制度を活用するが、これまでの企業派遣型とは異なり、「副業型」での受け入れ。野辺地さんは従来通り同社で働きながら、市が依頼する業務に取り組む。
 
 地域活性化起業人制度は、地域の課題解決に民間企業のノウハウや知見を活用しようと総務省が2014年度に創設した。地方自治体と協定を結んだ民間企業が社員を一定期間派遣し、即戦力として業務に取り組んでもらうもので、国は特別交付税措置で財源を支援する。
 
 この企業派遣型に加え、24年度からは企業に所属する社員個人と自治体が協定を結ぶ形の副業型制度がスタート。企業派遣型は月の半分以上は受け入れ自治体に滞在して働く必要があるが、副業型は月に4日以上、計20時間以上を自治体業務に充て、受け入れ自治体での滞在日数は最低月1日とする。居住の必要をなくし参加のハードルを下げた形だ。国は副業期間中の経費や交通費(上限合計200万円)を補助。自治体のホームページ運営など主にリモート対応が可能な分野で、都市部のデジタル人材らに働いてもらうことを想定する。
 
釜石初の副業型地域活性化起業人として活動を始める野辺地さん

釜石初の副業型地域活性化起業人として活動を始める野辺地さん

 
 野辺地さんは岩手県九戸村出身。3年ほど前に同社を立ち上げ、中小企業が抱える課題についてITデータなどを使って解決策を練ったり、ネット通販サイトやアプリ制作などの事業を展開する。釜石には母方の実家があり、年に数回訪れる「故郷のような街」だったことから、「活気ある街づくりの一助になりたい」と参加を決めた。
 
 任期は来年3月末まで(最長3年)。「地方創生・政策推進研究員」として、市の人口統計データや市内企業に関するデータなどを分析し現状と課題を整理、それに対応する施策の立案・展開に向けた助言といった活動に取り組む。
 
「釜石の熱意から生まれる活動を全力で手伝う」と話す野辺地さん

「釜石の熱意から生まれる活動を全力で手伝う」と話す野辺地さん

 
 市役所であった交付式で小野共市長から委嘱状を受け取った野辺地さんは「故郷が抱える課題に向き合い、解決の後押しができる取り組みだと感じ、一念発起。一朝一夕にはいかないだろうが、市の職員や企業関係者、市民の活動を全力で手伝いたい」と気合十分。もともと同起業人に関心があり、副業型の開始を耳にしていたことから、いち早く市の募集に手を上げた。拠点を移さず地方創生に携わったり、自身のキャリアを生かせることに魅力を感じていて、「関わる人と互いに刺激し合い、活動や施策を磨き上げたい」と力を込める。
 
委嘱後の懇談では公共交通のあり方などで意見を交わした

委嘱後の懇談では公共交通のあり方などで意見を交わした

 
 市はこれまでに企業派遣型で4人を受け入れ(全員任期終了)たが、副業型での受け入れは今回が初めて。小野市長は「目に見える課題だけでなく、裏に隠されている事実に対応した施策や事業を作り、精度を上げることが重要。民間の刺激、面白い指摘を期待している」と述べた。

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第2回 かまいし五百円市

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合言葉は「500円玉でお宝発掘!」
売ってる商品はぜ~~んぶ500円の「第2回かまいし五百円市」を開催します。
リユース可能な子供用品、まだまだ使えるおもちゃ、ちょっとしたコレクションアイテム、かつての趣味の名残、ハンドメイド商品・・・など、全て税込500円のフリーマーケットです。
お宝探し気分でお楽しみください。皆様のご来場をお待ちしております!
 
※同日、同会場にて「第31回釜石市ふれあい福祉まつり」が開催されます。
ふれあい福祉まつりの物販会は五百円市と異なりますのでご注意ください。

日時

2024年9月27日(土)10:00~14:00

場所

釜石市民ホールTETTO・ホール前広場 PIT側エリア

主催・お問合せ

釜石まちづくり(株)
TEL 0193-22-3607

フェリアス釜石

釜石まちづくり株式会社

釜石まちづくり株式会社(愛称 フェリアス釜石)による投稿記事です。

問い合わせ:0193-22-3607
〒026-0024 岩手県釜石市大町1-1-10 釜石情報交流センター内 公式サイト

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釜石産!良質な鶏肉を子どもたちに 生産加工のオヤマ 学校給食に提供 児童ら「うまっ!」

釜石産鶏肉を使った給食を味わう鵜住居小の児童ら

釜石産鶏肉を使った給食を味わう鵜住居小の児童ら

 
 釜石で鶏肉を作っていることを知ってほしい―。釜石市栗林町に養鶏場がある鶏肉生産加工販売業オヤマ(本社・一関市、小山征男代表取締役)は、学校給食用食材として釜石産のいわいどりを市に提供した。さっそく22日に給食のメニューに登場。これに合わせて、同社の小山達也常務取締役(48)らが鵜住居小(佐藤一成校長、児童143人)を訪れ、「おいしいー」と頬張る子どもたちの様子をうれしそうに見つめた。
 
 栗林の養鶏場は4月から本格的に生産、出荷を始めた。今回提供したのは鶏もも肉で、小学校用が1205個(1個40グラム)、中学校用は720個(同60グラム)。特別支援学校を含む市内13校で振る舞われた。
 
お楽しみの給食の時間。トレーを持つワクワク顔の列が続く

お楽しみの給食の時間。トレーを持つワクワク顔の列が続く

 
料理を盛りつけたり配膳したり役割分担しながら食事の準備

料理を盛りつけたり配膳したり役割分担しながら食事の準備

 
 この日の献立は「いわいどりのマーマレード焼き」で、市学校給食センター(山根美保子所長)が調理。同校1年生(23人)の教室では、小山常務が「鶏肉は良質な筋肉、体をつくるもの。すてきな味付けがされた鶏肉をたくさん食べて大きくなってほしい」と自慢の食材をアピールした。
 
 児童は大きく口を開いて鶏肉を頬張ると、「うまい」とひと言。中には、パンに挟んで味わったりする子もいて、思い思いの食べ方で地元産食材のよさをかみしめた。菊池咲希さんは「優しい味がする」とにっこり。鈴木綾誠さんは「食感が柔らかい。めっちゃ、おいしい。もっと食べたい」と喜んだ。
 
いわいどりのマーマレード焼きにかぶりつく児童

いわいどりのマーマレード焼きにかぶりつく児童

 
パクっと頬張ったり、パンで挟んだり、食べ方はいろいろ

パクっと頬張ったり、パンで挟んだり、食べ方はいろいろ

 
 小山常務は「みんなの笑顔を持ち帰り、生産している大人たちに伝える。その循環関係を大切にしながら、いい鶏を提供し続けるパワーにしたい。地元で良質な鶏肉を作っていることを知ってもらい、いわいどりをソウルフードしてもらえたら。将来、一緒に生産してもらえたら幸せ」と期待を込めた。
 
小山達也常務らが「おいしい鶏肉をもりもり食べて」とPR

小山達也常務らが「おいしい鶏肉をもりもり食べて」とPR

 
「おいしー。ありがとう」。児童は笑顔を添えて感謝も伝えた

「おいしー。ありがとう」。児童は笑顔を添えて感謝も伝えた

 
 この日のメニューは他にも釜石産がお目見え。三陸産ワカメを使ったサラダに加わったキュウリ、スープには特産品化を目指すトマト「すずこま」やタマネギが使われた。

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地域、世代、国籍超えて… みんなで楽しむ盆踊り 被災の鵜住居に新たな活力 地元商店会企画

鵜住居商店会が開いた納涼盆踊り大会=24日、うのすまい・トモス

鵜住居商店会が開いた納涼盆踊り大会=24日、うのすまい・トモス

 
 釜石市鵜住居町の駅前公共施設「うのすまい・トモス」の広場で24日、納涼盆踊り大会が開かれた。鵜住居商店会(中里充良会長、31店)が主催。釜石市、かまいしDMC(河東英宜代表取締役)、鵜住居地域会議(古川幹敏議長)が後援した。会場にはキッチンカーなどの出店が並び、町内外から訪れた人たちで大にぎわい。やぐらを囲んで踊りの輪ができ、幅広い年代が夏の風物詩を楽しんだ。
 
 同盆踊りは2019年、釜石鵜住居復興スタジアムが会場の一つとなったラグビーワールドカップ(W杯)日本大会開催に合わせて初めて企画された。20~22年は新型コロナウイルス感染症の影響で中止を余儀なくされ、昨年4年ぶりに復活。今回で3回目の開催となった。
 
 会場は2011年の東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた町中心部。被災後、一帯は犠牲者を慰霊する「釜石祈りのパーク」、震災伝承・防災学習施設「いのちをつなぐ未来館」、観光拠点施設「鵜の郷交流館」が一体的に整備されていて、中央の広場が盆踊り会場となっている。
 
 広場にはちょうちんで飾ったやぐらが組まれ、地元の舞踊愛好者らが踊りを先導。「炭坑節」「三陸みなと音頭」など盆踊りの定番曲に加え、フォークダンスでもなじみの「マイム・マイム」、再ブレークで注目された「ダンシング・ヒーロー」も用意され、来場者がさまざまな踊りを楽しんだ。
 
盆踊りを楽しむ来場者。各年代、男女が交ざって踊りの輪を作る

盆踊りを楽しむ来場者。各年代、男女が交ざって踊りの輪を作る

 
和洋の曲に合わせノリノリで踊る♪ やぐら上の舞踊家とハイタッチで盛り上がる子どもも

和洋の曲に合わせノリノリで踊る♪ やぐら上の舞踊家とハイタッチで盛り上がる子どもも

 
“ダンシング・ヒーロー”盆踊りは子どもたちにも大人気!自然と体が動く

“ダンシング・ヒーロー”盆踊りは子どもたちにも大人気!自然と体が動く

 
 この日は日中の最高気温が35度に達する猛暑日となり、盆踊り開始時刻の午後5時時点も蒸し暑さが残った。市内外のキッチンカー11店が並んだ飲食スペースでは、かき氷やアイスの販売に長い列ができた。大人たちは冷えた生ビールや缶ビールで喉を潤した。商店会は綿あめ、ポップコーンを無料で配り、子どもらが笑顔を広げた。
 
キッチンカーが囲む飲食スペースは終始にぎわいを見せた

キッチンカーが囲む飲食スペースは終始にぎわいを見せた

 
綿あめとポップコーンは商店会がサービス。かき氷を頬張りひとときのクールダウンも

綿あめとポップコーンは商店会がサービス。かき氷を頬張りひとときのクールダウンも

 
 参加者には浴衣姿の人も多数。商店会では事前予約で浴衣のレンタルや着付けのサービスも行っていて、会場は夏ならではの華やいだ雰囲気に包まれた。大人と子ども20人以上の着付けを手掛けた寺前美容室店主、菊池リツ子さん(68)は「市内で働くベトナム人の若者たちは初めて着る浴衣に大喜びだった。鵜住居内外からこんなにも多くの人たちが来てくれるなんて…。みんなが楽しんでいる姿を見るとこちらもうれしくなる」と顔をほころばせた。
 
 甲子町の黒澤颯吹さん(10)は「最高です。コロナ禍でにぎやかなイベントがなかったのですごく楽しい」とにっこり。母史枝さん(41)も2人の子どもが楽しむ姿を喜び、「みんなで集まれる場があるのはいいですね」と共感。震災前は鵜住居に暮らしたが、被災して甲子に移り住んだ。「(距離もあり)なかなかこっちに来られないが、こういう催しがあると足を運ぶきっかけになる」と夏の夕べのひとときを満喫した。
 
震災前、鵜住居町内に支店店舗があった北日本銀行の行員らもそろいの浴衣姿で参加

震災前、鵜住居町内に支店店舗があった北日本銀行の行員らもそろいの浴衣姿で参加

 
やぐら上で“うのスマイル”全開の子どもたち。家族は下から写真や動画撮影に夢中

やぐら上で“うのスマイル”全開の子どもたち。家族は下から写真や動画撮影に夢中

 
 人口が多かった時代には市内各所で行われていた盆踊りだが、人口減や高齢化による担い手不足、さらには震災による地域コミュニティーの変化などで、その数は大幅に減った。鵜住居商店会の盆踊りは地域を限定せずに誰でも気軽に足を運べる形にし、市広報への掲載、新聞折り込み、SNSでの情報発信などPRにも力を入れてきた。
 
 実行委員長の岩﨑健太さん(40)=岩崎商店専務取締役=は「おかげさまで大勢の方に来ていただいた。来場者数は昨年よりも多いかも」と手応えを実感。イベントの目的の一つとして「日々の生活の中で皆さんが集まり、会話して一緒に盛り上がれるような場を提供できればという思いがあり、それを体現できてうれしい。子どもたちの参加が多いのも地域の活力になる」と喜んだ。
 
 最後は恒例の餅まきも行われ、パンや菓子を含め計約2500個を大盤振る舞い。やぐらの周りには大勢の人たちが詰めかけ、大変な熱気のうちにイベントは終了した。
 
釜石のイベントの締めはやっぱり「餅まき」。パンや菓子も宙を舞った

釜石のイベントの締めはやっぱり「餅まき」。パンや菓子も宙を舞った

 
 「こっちにも~」。両手を挙げてアピール!

「こっちにも~」。両手を挙げてアピール!

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地域の海、未利用魚…おいしく学ぶ 釜石小、教員のための出前授業 学習内容のヒント探る

海洋環境に関する出前授業で魚をさばく体験をする釜石小教員ら

海洋環境に関する出前授業で魚をさばく体験をする釜石小教員ら

 
 釜石市大渡町の釜石小(五安城正敏校長)の教員を対象にした出前授業「海の学習会」が19日、同市鈴子町の釜石ガス・キッチンスタジオで行われた。若手からベテランまで教員13人が参加。岩手大釜石キャンパス特任専門職員の齋藤孝信さん(63)から地域の海の状況を聞いたり、「未利用魚」を使った調理を体験し、学校の授業に生かすヒントを得た。
 
 釜石小が、海洋教育パイオニアスクールプログラム(笹川平和財団海洋政策研究所など主催)の採択を受けて2021年度から取り組む活動の一環。これまでは児童を対象に水産業について学ぶ授業を行ってきたが、4年目の今年は教職員向けの活動も取り入れ、深化させることにした。
 
メモを取ったりしながら真剣な表情で座学に臨む教員たち

メモを取ったりしながら真剣な表情で座学に臨む教員たち

 
 この日、齋藤さんは海洋環境の変化を解説。釜石湾の水温変化(月平均)の表やグラフなどを示しながら、「2024年は過去最高を更新中。平田湾では瞬間的に25度台になったり。そうなると、22度で活動を停止するとされるホタテは死滅する。影響を受けてしまうか、悩ましい状況」と明かした。海水温の上昇が要因の一つとされる磯焼け、海洋環境を守るためにできる活動(地産地消、プラスチックごみの排出削減など)も紹介した。
 
 海水温が高いことで釜石市魚市場に水揚げされる魚種が変化していることも伝えた。「ここ15年ほどのデータを見ると、安定しているのはサバ。イワシは増大。マダイ、タチウオなど暖かい南の海域にいるはずの魚が増えている」と説明。この先も見慣れない魚種の水揚げあると予想するが、「なじみがないものは食べ方が分からず、需要も見込まれず収入にはならないと漁師は考え、手を付けにくい。だから普及しない」と見解を加えた。
 
魚をさばく齋藤孝信さん(右)をじっと見つめる参加者

魚をさばく齋藤孝信さん(右)をじっと見つめる参加者

 
 海の現状に触れた後は魚のさばき方教室で、教員らは基本の「三枚おろし」に挑んだ。この日、定置網に入ったカンパチなどを使用。どれも、大きさが出荷の規格よりも小さく、値段がつかないことなどを理由に食用にされない「未利用魚」だった。齋藤さんがうろこ取りから包丁の入れ方まで実演を交えて指導。魚をさばくのが初めてという教員も多く、同市平田の釜石キャンパスで水産を学ぶ岩大生らのサポートを受けながら、苦労しつつも楽しそうに手を動かしていた。
 
未利用魚(右下写真、カンパチなど)を使ったさばき方教室

未利用魚(右下写真、カンパチなど)を使ったさばき方教室

 
初めての挑戦ながら手際よく作業を進める参加者

初めての挑戦ながら手際よく作業を進める参加者

 
 「よし!やるぞ」「わ~」「できた!ほめて」。表情豊かな先生たち

「よし!やるぞ」「わ~」「できた!ほめて」。表情豊かな先生たち

 
 未利用魚の利用は、市場に出回る魚介類と同じようにおいしく食べられるのを知ってもらう狙いもあり、1年生担任の菊地華奈教諭(27)は「命をいただいていることを感じた。大事に食べることを子どもたちに伝えたい」とうなずく。食を守ることは地球環境を大切にすることになり、そのためにできることをしっかりやろうと呼びかけもしたい考え。初めて挑んだ魚の三枚おろしは「上々」と手応えがあり、「やり方を教えてもらえれば、意外とできる。子どもたちにも苦手と思い込まず、やってみてと促すようにしたい」と手掛かりを得た様子だった。
 
やってみたら…「意外とできた」。成功体験に笑顔が広がる

やってみたら…「意外とできた」。成功体験に笑顔が広がる

 
丁寧な作業を仲間たちがあたたかい笑顔で見守る

丁寧な作業を仲間たちがあたたかい笑顔で見守る

 
 さばいた魚は刺し身、塩焼き、あら汁にして味わった。教務主任の西川亮教諭(50)は岩手県内陸部の出身ながら、沿岸部での生活が長い上に釣り好きとあって、魚さばきも三枚おろしもお手の物。若手教諭の活動を見守り、「意外と地域や海の環境を知らない先生も多い。釜小は若い人が多いので、こうした研修で知識を得て、うまく子どもたちに還元してもらえたら。各自、尻込みせずに挑戦する、いい機会になった」と目を細めた。
 
 釜石小では同プログラムを活用して現在、6年生がサケの学習に取り組み、岩大が講師の派遣などで協力している。今回新たに加えた教員向けの海洋教育体験での学びは、4~6年生の理科や社会、総合学習などに役立てていく。

【はしの四季まつり】ニジマス釣り大会

ニジマス釣り大会

【はしの四季まつり】ニジマス釣り大会
 

本イベントは大雨の影響により、9月23日(月・祝)10時~14時も追加開催いたします。(9/22追記)

 
橋野町振興協議会では栗橋地区まちづくり会議と共催し、ニジマス釣り大会を開催します。道具や餌は無料で貸し出し、釣ったニジマスはその場で塩焼きにできます。

 

日時

2024年9月22日(日) 10時~14時

場所

橋野町どんぐり広場親水公園

参加料

無料(竿とエサは準備します)
※釣り上げたニジマスは、全てさばいた上で1尾200円で購入して頂きます。希望者にはその場で塩焼きにして提供します。

その他

小雨決行です

問い合わせ

橋野町振興協議会事務局 TEL 090-4639-3225(担当 和田)

 

<昨年の開催レポート>
「釣れた!釣れた!」4年ぶり ニジマス釣り大会で歓声 橋野・親水公園ににぎわい再び

橋野町振興協議会

橋野町振興協議会

問い合わせ:TEL 090-4639-3225 / FAX 0193-57-2212 / 〒026-0041 岩手県釜石市橋野町34-13-12

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戦後79年― 続く苦しみ 事実知る大切さを後世に 釜石にあった2捕虜収容所 研究者が語る

第3回戦争講話と朗読の会=20日、市立図書館

第3回戦争講話と朗読の会=20日、市立図書館

 
 太平洋戦争終結から79年―。終戦間近の1945年7月14日と8月9日、連合軍による2度の艦砲射撃を受けた釜石市では今年も、郷土の戦禍を知り、犠牲者を慰霊する場が設けられた。戦争体験者が年々減少し、記憶の継承が難しくなっていく中、戦争を知らない世代がその事実をしっかりと受け止め、後世につないでいくことは一層重要性を増す。その第一歩となるのが「知ること」。20日、市立図書館で行われた「戦争講話と朗読の会」、9日、市民ホールTETTOで開かれた市戦没者追悼・平和祈念式は、釜石であった事実を知る貴重な機会となった。
 
 市立図書館の戦争講話と朗読の会は今年で3回目。講話を行ったのは国内外に会員を持つPOW(Prisoner of War=戦争捕虜)研究会の共同代表兼事務局長の笹本妙子さん(76、横浜市)だ。同会は2002年に発足。戦時下、日本国内に開設された捕虜収容所130カ所と民間人抑留所29カ所の調査記録をまとめた約1千ページに及ぶ事典を昨年12月に刊行している。笹本さんは67カ所の収容所について執筆した。
 
 日本軍は開戦初期にアジア、太平洋の各地を占領。敵国の連合軍兵士約30万人を捕虜とし、アジア人以外の約16万人のうち約3万6千人を日本国内の労働力不足を補う要員として連行。移送船の劣悪な環境や米軍の魚雷攻撃、空爆で、日本到着までに約1万1千人が死亡したとされる。辛うじてたどり着いた捕虜は国内130カ所の収容所に入れられ、鉱山や工場、港などで働かされた。本県には北上と釜石に3カ所の収容所があり、うち2カ所が釜石。笹本さんは調査にあたった釜石の収容所について、写真や見取り図、元捕虜から聞き取った話などを交えて解説した。
 
釜石にあった2つの捕虜収容所について話す笹本妙子さん(右)

釜石にあった2つの捕虜収容所について話す笹本妙子さん(右)

 
 現甲子町天洞にあった大橋捕虜収容所(仙台俘虜収容所第4分所)は1942年に開設。ジャワから移送されたオランダ、英、米、オーストラリア人、横浜の収容所から来たカナダ人ら、終戦までに約400人が釜石鉱山で労働に従事した。捕虜には技術者が多く、削岩機による採掘、電気工事、機械修理などにもあたったという。航海で衰弱した人を含め、終戦までに病気で15人が亡くなった。
 
 現港町、矢ノ浦橋のたもとにあった釜石捕虜収容所(仙台俘虜収容所第5分所)は43年に開設。ジャワからオランダ人、横浜から米、英、オーストラリア、ニュージーランド人ら約400人が連れてこられ、釜石製鉄所で資材の運搬、鉱石の積み込み、旋盤などに従事した。製鉄所が近かった同収容所は2回目の艦砲射撃で全焼。2回の砲撃で32人が犠牲になった。病死者も含めると死者は50人に上る。
 
 笹本さんは両収容所の住環境や食事、日本人職員との関係など、これまであまり知られてこなかった事実も紹介。「食事は他の収容所に比べれば恵まれていたほう。一方で、戦時中の日本軍は暴力体質で、些細なことで上官が部下を殴るのは当たり前。それが捕虜にも向けられた」と話した。背景に「日本人にとって捕虜は軽蔑すべき存在で、捕虜になることは恥」という戦陣訓があったからとも。
 
市民ら約30人が笹本さんの話に耳を傾けた

市民ら約30人が笹本さんの話に耳を傾けた

 
 戦後、収容所の日本人職員は戦犯裁判にかけられ有期刑を受けた。元捕虜と元職員、そしてその両家族は心に深い傷を負い、長年苦しみ続けてきた。釜石には1995~2000年に元捕虜のオランダ人、ウィレム・リンダイヤさんの息子が訪問。大橋収容所跡などを訪れ、父と交流のあった人に話を聞いたり、小中高生に講演をしたりする中でわだかまりが解けていったという。元捕虜からの聞き取りを続けてきた笹本さんも「話をするうちに日本への強い憎しみが少しずつ解けてくることも。自分たちの体験に耳を傾けてくれる人がいることで、感情が和らいでいくことも多い」と話す。
 
 「捕虜収容所の設置期間は長くても3年半。短い所は1カ月にも満たないが、その中で何があり、どれほど苦しんだ人がいたのか…。郷土の歴史として知ってほしい」と笹本さん。自身が捕虜に関心を持ったのは、引っ越し先の横浜市の自宅近くで英連邦戦死者墓地を目にしたこと。若い世代が戦争を実感する難しさは感じつつも、「きっかけがあれば興味を持って調べたり勉強したりすることにつながる。そのためにも少しでも伝えていければ」と思いを込めた。
 
今回の講話、朗読会にはさわや書店が協力した

今回の講話、朗読会にはさわや書店が協力した

 
 会場に足を運んだ市内の70代女性は「シベリア抑留のことはよく耳にするが、ここ釜石でも同じようなことがあったと思うと複雑。やはり知っておくべきこと」と脳裏に刻んだ。ウクライナやガザで続く戦禍にも心を痛め、「過去にあれだけの戦争を経験しているのに『なぜ今の時代に』と思う。国連の先導とかで何とか停戦にもちこむ形はできないものか」と一刻も早い終結を願った。
 
 2部では市内で活動する読書サポーター「颯(かぜ)・2000」の3人が、戦後、詩人集団「花貌(かぼう)」が刊行した小冊子から短歌や戦争体験手記5編を朗読した。
 
「花貌」の釜石艦砲記録集から手記を読む「颯・2000」のメンバー(左)

「花貌」の釜石艦砲記録集から手記を読む「颯・2000」のメンバー(左)

 

市戦没者追悼式は9日に 釜石艦砲の紙芝居初上演 知らない世代 目と耳で理解

 
釜石市戦没者追悼・平和祈念式=9日、市民ホールTETTO

釜石市戦没者追悼・平和祈念式=9日、市民ホールTETTO

 
 釜石市主催の戦没者追悼・平和祈念式は2回目の艦砲射撃を受けた9日に行われ、約150人が参列した。戦争で犠牲になった国内外の御霊に哀悼の祈りをささげ、恒久平和への誓いを新たにした。
 
 黙とう後、小野共市長が式辞。「7月14日と8月9日は決して忘れることのできない日。2度にわたる艦砲射撃の犠牲者の中には、遠い異国の地で尊い命を落とした外国人もいる。恒久平和の確立へ努力することが、国内で唯一2度の艦砲射撃を受けた当市の使命」と話した。
 
 釜石市遺族連合会の佐々木郁子会長(81)が追悼のことば。満州に出征し病死したとされる父ら過酷な戦場で果てていった兵士を思い、「79年たった今でも無念と悲しさに涙がこみあげてくる。一日も早く一柱でも多くの御英霊が古里の地に安らかに眠れる日が来ることを願うばかり。戦争で残るのは憎しみと報復だけ。日本を取り巻く国々にも不安な空気が流れ始めている。私たちは戦争と平和に襟を正して向き合わねば」と述べた。
 
追悼のことばを述べる釜石市遺族連合会の佐々木郁子会長

追悼のことばを述べる釜石市遺族連合会の佐々木郁子会長

 
 式では今年初めて、釜石艦砲を描いた紙芝居が朗読された。元教員で画家としても活躍した故鈴木洋一さん(2019年逝去)が自らの実体験を伝えるために制作した作品。鈴木さんは14歳の時に艦砲射撃を体験している。読書サポーター「颯(かぜ)・2000」のメンバーで、自身も4歳の時に艦砲射撃を体験した浅沼和子さん(83)が朗読した。
 
紙芝居「釜石の艦砲射撃」を朗読する浅沼和子さん(颯・2000メンバー)

紙芝居「釜石の艦砲射撃」を朗読する浅沼和子さん(颯・2000メンバー)

 
紙芝居の絵を会場のスクリーンに映し出した。中央上白枠内は防空壕(ごう)の様子

紙芝居の絵を会場のスクリーンに映し出した。中央上白枠内は防空壕(ごう)の様子

 
 参列者は献花台に白菊を手向け、戦争犠牲者の冥福、世界平和を願い、祈りをささげた。市によると2度の艦砲射撃による犠牲者はこれまでに782人が確認されている。
 
平和防災学習の相互交流で釜石を訪れている青森市の中学生らも式に出席。献花した

平和防災学習の相互交流で釜石を訪れている青森市の中学生らも式に出席。献花した

 
献花し、祭壇の前で祈りをささげる参列者

献花し、祭壇の前で祈りをささげる参列者

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戦後の地域つなぐ“盆野球” 鵜住居に響く快音今年も 68回目の水野旗争奪大会に笑顔、歓声

8月14日恒例! 68回目を迎えた水野旗争奪お盆野球大会

8月14日恒例! 68回目を迎えた水野旗争奪お盆野球大会

 
 釜石市鵜住居地区の伝統行事、水野旗争奪お盆野球大会(実行委主催)は14日、釜石東中グラウンドで行われた。「青少年の健全育成に」と戦後間もなく始まった大会は、東日本大震災や新型コロナウイルス禍による中断がありながらも続けられ、今回で68回目を迎えた。震災後の人口減や少子化の影響などで、参加は過去最少の4チームとなったが、世代を超えて野球を楽しみ、旧交を温め合う“盆野球”の姿は今も健在で、たくさんの笑顔が弾けた。
 
 同大会は1947年に鵜住居村(当時)で水野医院を開業した水野勇さん(95年逝去)が、戦後の青少年の荒廃した生活態度に心を痛め、地区対抗の野球大会を提案したのが始まり。48年に第1回大会が開かれ、55年に水野さんが寄贈した優勝旗が今に受け継がれる。2011年に発生した東日本大震災で以降6年間、20年から3年間は新型コロナウイルス感染症の影響でそれぞれ大会中止を余儀なくされたが、「地元の伝統を絶やしたくない」との熱い思いで大会が続けられている。
 
 参加するのは鵜住居町と周辺3町の地区ごとに作る中学生以上の即席チーム。戦後の高度経済成長などで人口が多かった時代には10チーム以上が参加していたが、今はほぼ半減。震災後は鵜住居町の被災4地区が合同チームとなり、釜石東中野球部チームを加えた6チームで大会を継続していたが、今年は2チーム減の4チーム(日向、白浜、両石、鵜住居)での大会となった。
 
着衣は自由。この大会ならではの変わらぬ光景

着衣は自由。この大会ならではの変わらぬ光景

 
力投を見せる各チームの投手

力投を見せる各チームの投手

 
1回戦 両石対鵜住居の試合。得点のチャンスに目がくぎ付け

1回戦 両石対鵜住居の試合。得点のチャンスに目がくぎ付け

 
 台風一過後の大会当日は真夏の青空が戻り、気温も上昇。水分補給をしっかり行いながら、1年ぶりの野球を楽しんだ。集まった参加者は帰省した仲間を交え、同級生や先輩、後輩と近況を報告し合ったり、学生時代の思い出話に花を咲かせたりと和気あいあい。高校や大学、社会人クラブチームなどで競技を続ける現役選手らが垣間見せる“本気”プレーには、「盆野球だよ~」などと手加減を促すやじも飛び、グラウンドは終始、笑いに包まれた。
 
同じ小中出身、地元の顔なじみとの野球に笑顔を広げる参加者

同じ小中出身、地元の顔なじみとの野球に笑顔を広げる参加者

 
ホームインした選手を迎え歓喜に沸く両石チーム

ホームインした選手を迎え歓喜に沸く両石チーム

 
 鵜住居チームで参加した仙台大3年の前川陸さん(21)は小学校から野球を始め、現在は同大準硬式野球部に所属。この日は本塁打も放ち、チームの勝利に貢献した。中学生のころから親しむ盆野球。「(震災などで)地元を離れた人もお盆の時には戻ってくる。知り合いと普段やらない野球ができるのが一番の楽しみ。大人の人たちから学ぶこともある」と世代を超えた親睦の機会を喜ぶ。地元の復興を実感しつつ、「ラグビーや野球などスポーツでももっと名前を知ってもらえるまちになれば」と古里の未来にも期待を寄せた。
 
日向と鵜住居の決勝。最後まで全力を見せる選手

日向と鵜住居の決勝。最後まで全力を見せる選手

 
選手たちの好、珍プレーにベンチも笑顔の鵜住居チーム

選手たちの好、珍プレーにベンチも笑顔の鵜住居チーム

 
 日向チームの小笠原賢児さん(45)は、震災前以来10数年ぶりの参加。「人数が多かったころの昔のイメージで来たが、だいぶ少なくなっていて…」と驚きつつ、「久しぶりに会った同級生もいた。なかなか会えない人と会えたのもうれしい」と顔をほころばせた。震災後に帰郷。建設業の仕事でがれき撤去に携わり、被災した母校、鵜住居小と釜石東中(現釜石鵜住居復興スタジアム立地場所)でも作業した。「(変わり果てた姿に)寂しさを感じながら仕事をしていた」と当時を振り返る。盆野球も被災した東中グラウンドが会場だった。震災を乗り越え継続する大会に、「今まで回数とか意識したことはなかったが、68回という数字を聞くと鵜住居の歴史の重みを感じる。地元の誇りです」と小笠原さん。
 
 今大会は1回戦2試合と決勝の3試合が行われた(1試合7回)。1回戦の日向対白浜は4-2で日向、両石対鵜住居は7-5で鵜住居が勝利し、決勝は日向と鵜住居の対戦。勝負は最後までもつれ込み、延長8回タイブレーク、6-5で日向が優勝した。最優秀選手には、久しぶりの参加で投手として活躍した小笠原賢児さん(日向)が選ばれた。優秀選手は鵜住居チームの佐々木大地(りく)さんが受賞した。
 
久しぶりの優勝を果たした日向チーム。かつてのスポ少・日向ライナーズも強かった

久しぶりの優勝を果たした日向チーム。かつてのスポ少・日向ライナーズも強かった

 
天候にも恵まれた今大会。楽しい思い出を胸にまた来年!

天候にも恵まれた今大会。楽しい思い出を胸にまた来年!

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古里見つめ…震災後の海景、街並み「趣くままに画く」 釜石の洋画家・菊池政時さん作品展

震災後に描き下ろした絵画を展示した菊池政時さん

震災後に描き下ろした絵画を展示した菊池政時さん

 
 穏やかに停泊する漁船、荷役クレーンや浮きドックが稼働する活発な港、高台の住宅地から望む海岸線…。海にまつわる景色がずらりと並んだ絵画展が7日から11日まで、釜石市大町の市民ホールTETTOで開かれた。作品を手がけたのは、地元の洋画家菊池政時さん(88)。東日本大震災津波で被災しながらも、身近にある港、まちの風景を変わらず描き続ける。
 
 展示会のタイトルは「3・11から趣(おもむ)くままに画(えが)く」。震災後に描き下ろした具象画を中心に160点を紹介した。油彩、アクリル、水彩など画材は多様で、サイズもサムホール~80号とさまざま。モチーフは古里・釜石のほか、大海原と迫力ある断崖が連なる「北山崎」(岩手県田野畑村)など三陸の海岸風景が多い。「誰が見ても分かる」と自認する作風。その力作からは豊かな観察眼と高い描写力がうかがえる。
 
釜石の港や街の風景を題材にした作品が並んだ

釜石の港や街の風景を題材にした作品が並んだ

 
 菊池さんは浜町出身。戦中・戦後の遊びの一つが絵を描くことで、「好んだモチーフは軍艦や飛行機。自己表現の手段だった」と思い起こす。絵画にのめり込んだのは中学時代。美術を専門とする教師が持つ“油絵の具”に心引かれ、画材を手に入れるのは難しかったが、見よう見まねで手法を学んだ。
 
 盛岡市の岩手県立美術工芸学校(のちの盛岡短期大学美術工芸科)に進学。盛岡市ゆかりの洋画家深沢省三、紅子夫妻や美術評論家の森口多里ら魅力的な講師陣から手ほどきを受け、筆を走らせた。非常勤講師には詩人・彫刻家・画家の高村光太郎もいたとか。美術の教員免許を取得したが、家業(公衆浴場業)を継ぐため、釜石に戻った。
 
 家業の傍ら、映画館の手描き看板や建築現場で利用される完成予想図を手がけたり、「絵に関することは何でもやった」。1990年代に入ると、釜石や大槌の高校で非常勤美術講師として活動。現在も釜石商工高校で指導し、生徒の取り組みを見守りつつ自身の創作活動にも励む。過去には一線美術会、日本美術家連盟に所属し、グループ展や個展など国内外で多数出展。現在は無所属だが、岩手芸術祭洋画部門の理事を務める。
 
精力的に筆を持つ様子がうかがえる作品がずらり

精力的に筆を持つ様子がうかがえる作品がずらり

 
「描いた場所が分かる」。菊池さんがもらってうれしい言葉

 「描いた場所が分かる」。菊池さんがもらってうれしい言葉

 
 震災後の活動を見せる展示だが、1点だけ震災前の作品を掲げた。「造船所A」。菊池さんが長年講師を務める釜石絵画クラブ(市民絵画教室から改名)のグループ展出品作で、震災の津波の爪痕を残す。実家の銭湯、その建物2階にあったアトリエも津波にのみ込まれ、描きためていた作品の多くを失った。手元に残ったのは、数点だけ。今回の展示作と同じく水没したが、生徒らが救い出してくれた。
 
津波で被災し一部が切り取られた「造船所A」。色彩も薄れる

津波で被災し一部が切り取られた「造船所A」。色彩も薄れる

 
 被災後は県内陸部への避難、みなし仮設住宅での生活を経て、今は大町の復興住宅で暮らす。高層階の住まいから見える街並みを描写した作品もいくつもあり、精力的な創作活動が続いていると感じられる。
 
 そんな菊池さんだが、一時期、筆を持てない時期があった。震災を機に銭湯は廃業し、画材道具や作品を失った悲しさに加え、「津波で荒廃した街を描くわけにいかない」と思ったから。意欲を取り戻したのは、平田で仮住まいをしていた頃。津波浸水地から離れた地域で「あるのは健全な建物ばかり」だったこともあってスケッチブックを手に散歩し、目に留まった風景を描きまくった。
 
 心を動かした平田地区の風景を写生した作品も数点紹介した。その中の1点は、大きな平屋と蔵が並ぶたたずまいを透明水彩で味わい深く表現。モチーフとなったのは津波の被害を免れた家屋で、「残しておきたい景観。負けない力強さを感じた」と思いをのせた。
 
仮住まい中に描いた作品を紹介する菊池さん

仮住まい中に描いた作品を紹介する菊池さん

 
生活の中で見つめる街並みを写し出す作品も多い

生活の中で見つめる街並みを写し出す作品も多い

 
 高校の教室から見える尾崎半島をモチーフにさらりとペンを走らせたスケッチと、構図や色彩をしっかりと整え時間をかけて仕上げた一枚を一緒に見せたりもした。菊池さんは「さまざまな表現の方法があることを知ってほしい。自由だということを」と期待する。
 
 ほぼ毎日筆を持ち、描きたいものを求め散策しているが、「行き当たりばったりで、うまくいかないことも。そんな時は、ぶっ壊して進む」と豪快さをにじませる。そこには「『いい形にはいい色がつく』との省三先生の教え」があり、「デッサンがしっかりしていればどうにかなる。描いていれば絵になる。自分次第」と解釈しているからだ。
 
「スケッチがあるほど豊かな絵になる」と菊池さんは話す

「スケッチがあるほど豊かな絵になる」と菊池さんは話す

 
荷役クレーンと漁船を描けば⁉「釜石らしい風景」を描き続ける

荷役クレーンと漁船を描けば⁉「釜石らしい風景」を描き続ける

 
 創作意欲は衰え知らずの菊池さん。「これでいい」という正解はなく、「よし次は!」と挑戦は続く。「思うように描けると期待できる自分がいるから」。画材や作風に変化を加えてみて「大革新」と感じても、「違った絵を…変えよう」と貪欲な姿勢を垣間見せる。「まだ描きたいモチーフがある。さまざまな手法も試したい」。これからも“画描き”であり続ける。

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まちに飛び出し学ぶ!?「釜国スタイル」体感 釜石・国際外語大学校オープンキャンパス

まちでの学びを体感する釜石市国際外語大学校のオープンキャンパス

まちでの学びを体感する釜石市国際外語大学校のオープンキャンパス

 
 観光分野などで地域に貢献できる人材の育成を目指し、英語力や地域課題解決力、情報発信力を磨く学びを提供する釜石市国際外語大学校(竹内新也校長)のオープンキャンパスが10日、同市鈴子町の校内であった。4月に開校したばかりの専門学校で、毎月公開日を設けているが、今回は夏休みの特別企画を用意。「進学の選択肢に」と考えている高校生と保護者、新設の教育機関が気になる人ら約20人が参加し、まち全体を学びの場とする「釜国スタイル」を体感した。
 
 先行する外語観光学科(2年制)の概要説明からスタート。松島理香子副校長が、▽国際理解・英語コミュニケーション力▽地域創生・課題解決▽ITスキル・情報発信―という学びの3つの柱について解説した。地域の現場を見つめるフィールドスタディーを重視しているとし、学生らの取り組みを紹介。「まちに出て、見て、産業や歴史などを知り、課題を発見して探究、提案、発信したりすることで自主性、社会性などの力を磨いている。出会った人にリアルな仕事を聞く時間にもなっている」と強調した。
 
教室で学校概要や学生の活動について説明を聞く参加者

教室で学校概要や学生の活動について説明を聞く参加者

 
 なぜ「KAMAISHIの観光」に着目するのか―。持続可能な観光の国際認証機関グリーン・デスティネーションズが地域を表彰するアワードで、日本で初のゴールド賞を受賞し、「世界の持続可能な観光地100選」には6年連続で選ばれている。そこに結び付くのが、市内全域を博物館に見立てる「オープン・フィールド・ミュージアム構想」。自然や文化、人など地域に眠る宝を発掘しながら、住民と来訪者をつなぐ観光地域づくりの手法で、継続的な収益を生みつつ住民の郷土愛を育み、地域を活性化させている。
 
 この構想が、同学科の学びにぴたりとハマる。そんな外部と連携した活動を実際に体験してもらうのが今回の企画で、バスに乗り込み、まちに繰り出した。市外からの参加者もいて、車内ではスマホを使ったクイズに挑戦。「三陸産〇〇の入った貝だしスープで海鮮をしゃぶしゃぶする名物は?」「力強く押し寄せる海の波との意味を持つ地域型ラグビーチームの名称とは?」など、釜石にちなんだ問いから特色に触れた。
 
「まち全体が学びの場」と説明する松島理香子副校長

「まち全体が学びの場」と説明する松島理香子副校長

 
バスに乗って校外へ。車内では釜石にちなんだクイズに挑む

バスに乗って校外へ。車内では釜石にちなんだクイズに挑む

 
 同市鵜住居町方面へ向かい、根浜シーサイド、いのちをつなぐ未来館は車窓から見学。釜石鵜住居復興スタジアムでは同学科担任の藤原花連さんの案内で歩き、施設の特徴を感じたりした。市外出身の学生向けに確保する居住施設を紹介しながら、魚河岸テラスへ移動。「甲子柿」「浜千鳥」といった特産品PRに一役買うジェラートの取り組みを見て学校に戻った。
 
釜石鵜住居復興スタジアム(写真上部)や魚河岸テラス(同下部)を見て回った

釜石鵜住居復興スタジアム(写真上部)や魚河岸テラス(同下部)を見て回った

 
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海と山が融合した釜石は「学びのヒントがたくさんある」らしい

 
 車内で藤原さんは「普段の生活にあるものの価値に気づき、観光の一手段として考えていく。それを授業の中にしみ込ませ、経済学、マネジメント、動画・ウェブサイト制作と広く学習に取り組んでいる。学生の活躍を発信しているので見てほしい」とアピール。竹内校長は「日々、地域に開かれた学校でありたい。まち全体をキャンパスにしたユニークな教育理念の中でともに楽しみ、成長してほしい」と仲間入りを求めた。
 
 教室に戻って、入試や奨学金制度などの説明も受けた。釜石高定時制に通う生徒(4年)は2回目の参加で、前回は英語の授業を体験。同校への進学を決めていて、「コミュニケーションツールとして英語の表現力を身に付けたい。地域のことをまるっと学べる最適な場所。釜石に貢献できる人になりたい」と意欲を高めていた。
 
クイズにアンケート…スマホを使った活動も体験した

クイズにアンケート…スマホを使った活動も体験した

 
 10月には留学生向けの日本語学科(1年半と2年制)も開設。ネパールから20人ほどが仲間入りするという。北上市から足を運んだ高校生(3年)は「まち全体で学べるのがいい。将来の方向が決まっていないので、広い学びで見つけられたら。国際交流が楽しみ」と選択肢に入れた。付き添った両親は「先生たちが明るい。心配もあるけど、見て回って安心した。自分でさまざま挑戦し、成長してくれたら」と見守った。
 
地域に開かれた運営を目指す釜石市国際外語大学校

地域に開かれた運営を目指す釜石市国際外語大学校

 
 同校では魅力を広く周知するため月に1、2回のオープンキャンパスを実施。9月は7日、21日を予定し、カリキュラムなどを体験できる。

DAZN presents いわてグルージャ盛岡 パブリックビューイング in 釜石PIT テゲバジャーロ宮崎戦

 

\ いわてグルージャ盛岡を一緒に応援しよう! /

 

DAZN Presents パブリックビューイング in 釜石PIT
いわてグルージャ盛岡の応援企画として、アウェイ戦を中心にパブリックビューイングを開催します!

対象試合

2024明治安田生命J3リーグ 第25節(AWAY)
いわてグルージャ盛岡 vs テゲバジャーロ宮崎

日時

2024年8月24日(土) 19:00 キックオフ
開場 18:30

場所

釜石PIT(岩手県釜石市大町1-1-10)

 

【駐車場について】
・斜向かいにある釜石大町駐車場または周辺の有料駐車場をご利用ください。
・自転車およびバイクは、釜石PITに隣接する駐輪駐車スペースをご利用ください。

参加費(運営協力費)

大人300円/高校生以下無料
※運営協力費は、本パブリックビューイング開催のための運営費の一部として使用いたします。会場でお支払いください。

その他

・いわてグルージャ盛岡公式グッズを会場にて販売!
・PV会場限定 オリジナルLEDキーホルダーも販売!
・ソフトドリンク/ノンアルドリンクを会場で販売!

主催

釜石まちづくり株式会社

フェリアス釜石

釜石まちづくり株式会社

釜石まちづくり株式会社(愛称 フェリアス釜石)による投稿記事です。

問い合わせ:0193-22-3607
〒026-0024 岩手県釜石市大町1-1-10 釜石情報交流センター内 公式サイト