木組みの技による伝統工法で建てられた「潮見第」と、完成を喜ぶ地元の協力者
東日本大震災からの地域復興と三陸創生を考える拠点とする「潮見第(しおみだい)=唐丹小白浜まちづくりセンター」が、釜石市唐丹町小白浜に完成した。伝統木造建築工法による2階建て。お披露目の会は17日に行われ、建設事業に協力した地元住民、運営主体の民間事業者ら30人が完成を祝った。潮見第は、三陸の豊かな自然や水産物を発信し、市内外の幅広い世代が交流する施設を目指す。
建設したのは株式会社唐丹小白浜まちづくりセンター。代表取締役は建築基本法制定準備会の神田順会長(69)=東京大名誉教授=が務める。
167平方メートルの敷地に延べ床面積124平方メートル。1階は広間がコンクリートの床で、キッチン、トイレ、浴室を備える。2階には2つの寝室、浴室、トイレがある。さらに、2階の屋根の上に設置されたロフトからは小白浜集落と唐丹湾を一望できる。
お披露目の会で仲間と剱持さん(後列中央)は「新居」の完成に笑顔いっぱい
設計した神田さんは「潮見第の愛称はこの眺望から名付けた。『第』は別邸などの意味」という。
七寸(21センチ)角の大黒柱2本が2階の梁(はり)まで突き抜け、支える構造が特徴的。内外の壁も板張りで統一している。半世紀以上前は一帯にありふれた家の風情だ。建材は地元から伐り出したスギを使った。
工事を担当した山形県鶴岡市の剱持猛雄さん(71)=剱持工務店、番匠一級建築士事務所代表=は「古民家を解体した時、木組み、細工のすごさに驚き、伝統工法のすばらしさに引き付けられた。神田先生からお話があり、『間取りだけを考え、建て方はまかせてほしい』と伝えた」という。
強度を補完する金属ボルトや筋交いは一切使っていない。「しっかりした木組みと壁板の組み合わせだけで(地震にも)強い建物ができる。この家(潮見第)は大丈夫だ」と剣持さんは自信をのぞかせた。「近くで材木を調達し、製材できる。後々の改築や修繕などを考えても、地元材を使ったほうが安く建てられる」と断言する。
神田さんは「感無量。棟梁の剱持さん、知人や友人、地元のみなさん、隣の木村工務店の応援で、地元の材木で家を建てるという、私がやりたかったことができた」と喜ぶ。
当面の利用者は株主や知り合い、研究者や大学生を見込む。「都会の子どもたちが唐丹の豊かな自然に触れ、交流する場にもなるといい。ロフトもある構造は、子どもにも隠れ家のような楽しさがある」と夢は広がる。
神田さんが初めて釜石を訪れたのは1971年4月。当時は大学院生で、唐丹町小白浜に住む父親の知人宅に滞在した。
東京大工学部で32年間、建築構造を研究。柏キャンパスに新領域創成科学研究科が立ち上がると、工学の枠にとどまらない環境学の創成に携わった。
定年退官を1年後に控えた2011年3月、東日本大震災が起きた。東大の復興応援プロジェクトの中で、唐丹を中心に活動を開始。神田研究室は6月に被害調査で小白浜、尾崎白浜、佐須地区に入った。
復興まちづくりに関し、ハード、ソフトの住民意向を聴き取るワークショップを翌年6月から小白浜で始め、意見交換会として毎年続けてきた。
復興支援の継続には「基地」が必要と考えた。「自分が気兼ねなく小白浜に滞在できる場所でもある」と神田さん。その熱意に地元住民が応え、建設用地や建材となるスギ林を購入できた。
潮見第の完成に「感無量」と神田さん
「もともとは私個人の夢の実現だが、21世紀の漁村集落を豊かなまちにしたい」という思いを、友人の輪が後押し。民間運営とする資金的基盤の見通しも立った。
神田さんは「過疎地をどうするか、そのまちの将来をどう考えるか―は、どこにでもある課題だ。ここで重要なのは漁業だろう。産物を、生産者の顔が見えるかたちで消費者に届け、交流して地域も発信する方法もある」と潮見第から思いを巡らせる。
(復興釜石新聞 2017年9月23日発行 第624号より)
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