センバツ出場を決めた後輩をたたえる

前回出場 20年前のOB「存分に楽しんで」〜エース前田直樹さんら後輩にエール、10年前に「釜甲会」結成 絆深める

センバツ出場を決めた後輩をたたえる

センバツ出場を決めた後輩をたたえる前田直樹さん(左)。さらに右へ菊池智哉主将、岩間大投手、小國晃也さん、君ケ洞剛一さん、佐々木昌彦さん=1月30日

 

 釜石高のセンバツ出場が決まった翌30日、甲子園に向け練習を開始した釜高ナインを20年前の前回出場のエース前田直樹さん(37)=宮城県石巻市=らOB4人が訪ね、激励した。前田さんは後輩の健闘を祈り、練習球5ダースをプレゼント。「20年前の自分は地に足がつかないまま甲子園のマウンドを踏んだ。後輩には伸び伸びと夢の舞台を楽しんでほしい」と願った。

 

 前田さんと同学年で活動した当時のチームメートは23人。この日は前田さんのほか、小國晃也さん(37)=釜石市小川町=、君ケ洞剛一さん(37)=同平田=、佐々木昌彦さん(36)=盛岡市=がグラウンドに足を運んだ。

 

菊池主将に練習球を贈る前田さん

菊池主将に練習球を贈る前田さん(右)。「落ち着いてプレーを」とアドバイスした

 

 甲子園出場から10年を記念し、当時の1、2年生部員で「釜甲会」を結成してちょうど10年。以来、毎年1回集まって親睦を深めている。2月20日にセンバツ出場20周年を記念して盛大に釜甲会を開く予定だが、それより一足早く届いた吉報。4人は「良かった」「おめでとう」と後輩の快挙をたたえた。

 

 4人はこのあと、震災の津波で、松原町で命を落としたチームメートの宮田豊さん(当時32)の墓がある石応禅寺を訪ね、吉報を報告したという。

 

■前田直樹さん
 前田さんは20年前、釜石南(当時)を初の甲子園に導いた主戦投手。しかし、秋の県大会、東北大会と連投で肩を痛め、センバツ初戦の米子東戦では初回に5点を奪われ無念の降板。その後追いつき一時は逆転したものの、最終回に逆転され涙をのんだ。慶応大に進んで外野手に転じ、東京6大学野球で活躍。卒業後は日本製紙石巻(宮城県)でプレーし、現在はコーチを務める。震災で石巻の工場も被災し、復旧に奔走した。

 

 「甲子園で入場行進をしたときの、あの感触、景色が忘れられない。悔しい思いはしたが、その後も野球を続ける原点となった」と振り返る。初戦は先制するも無情の雨でノーゲーム。仕切り直しの試合は「地に足がつかず、内容は半分も覚えていない」。この経験を教訓に、「プレッシャーはあると思うが、事前のイメージをしっかりと持ち、落ち着いてプレーしてほしい」と後輩の菊池主将や岩間投手にアドバイスした。

 

■君ケ洞剛一さん
 君ケ洞さんは当時、控え投手。公式練習で甲子園のマウンドを踏むことはできたが、本番ではベンチ(16人)に入れなかった。「でも精いっぱいやったし、甲子園の雰囲気は十分に味わえた。悔いはない」と言い切る。

 

 ホタテを中心とする海産物通販会社の専務。震災の津波で平田の工場が全壊したものの、いち早く復旧させた。若者が集うまちづくり団体ネクスト釜石の主要メンバーとして活動し、地域の産業再生に力を尽くす。

 

 「当時のチームメートは本当に仲が良く、それが何よりの宝物になった」。後輩には「被災地のためとかあまり考えず、心ゆくまで甲子園の雰囲気を楽しんでほしい」と言葉を贈る。

 

■小國晃也さん
 20年前は三塁手で、大槌町復興推進課に勤める小國さんは、釜石高野球部OB会長に就任したばかり。釜石高の岩間投手は、小國さんの父峰男さんが監督として指導するスポーツ少年団の教え子で、震災で行方不明になったままの岩間投手の母成子さん(当時44)は職場の同僚だった。「つらい思いを乗り越えてきた分、甲子園に行かせてあげたかった。OB会としても精いっぱいバックアップし、存分に楽しんできてほしい」と応援する。

 

■佐々木昌彦さん
 高校時代は遠野市上郷から列車で通学した佐々木さんは練習で打球を目に当て、本番では一塁コーチに回った。

 

 岩手大に進み、10年ほど前、仲間とテレビCMなど広告映像の制作会社を設立。震災後は釜石や大槌など被災地のスポーツ少年団を回り、グラブなど道具を贈って支援した。

 

 「あの困難な状況に置かれた子どもたちが甲子園に行けると思うと、涙も出ますよ」と感激を隠せない。「甲子園は夢のまた夢。期待を背負うことなく、楽しんできてほしい」と願う。

 

(復興釜石新聞 2016年2月3日発行 第458号より)

 

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夢に見た甲子園出場が現実となり、とび上がって喜ぶ岩間投手

チーム一丸「被災地に元気を」〜釜石 20年ぶり夢舞台、21世紀枠でセンバツ滑り込み

喜びを爆発させる釜石高の選手ら

「ヨッシャー、甲子園だ」。20年ぶり2度目のセンバツ出場を決め、喜びを爆発させる釜石高の選手ら=1月29日午後3時20分

 

 兵庫県西宮市の甲子園球場で3月20日から行われる第88回選抜高校野球大会に出場する32校が1月29日に決まり、21世紀枠(3校)で釜石が選ばれた。釜石南時代の96年に初出場して以来、20年ぶり2度目の「春」。夢に見た甲子園出場がホンモノとなり、佐々木偉彦監督(31)を胴上げする釜石ナインは喜びを爆発させた。東日本大震災から間もなく5年。今回は震災で大きな痛手を負った地域の期待を背負い、晴れの舞台に臨む。

 

 この日、校舎1階の校長室には約50人の報道陣と10台ほどのテレビカメラが詰めかけ満杯となった。張りつめた空気の中、午後3時過ぎ、選考委員会本部から電話が入り、互野恭治校長が受話器を取った。「被災地釜石にとって願ってもない朗報。ありがたくお受けします」。緊張の面持ちが笑顔に変わった。

 

釜石高校 互野恭治校長

吉報が届き、笑顔で電話に応える釜石高の互野恭治校長

 

 正面玄関前で待機していた野球部員のもとへ互野校長が駆け付け、吉報を報告。「津波から避難し、『釜石の奇跡』と言われた。そこから成長した姿を全国のみなさんに見せてほしい」と激励した。ユニホームを着たナインがとび上がり、喜びを爆発させた。校内にも放送が流れ、授業中の生徒たちから歓声が湧いた。

 

 歓喜の胴上げが始まる。互野校長に続き、佐々木監督が2度、3度と宙を舞った。ベンチから大きな声を出し続け、センバツ出場の原動力となった菊池智哉主将(2年)の重い体も持ち上げられた。校舎の屋上からはセンバツ出場を祝う垂れ幕がスルスルと下りた。

 

 震災に負けず練習に工夫を重ね、昨秋の県大会で準優勝。東北大会では初戦で敗れたが、甲子園常連校の東北(宮城県)と延長戦にもつれ込み、互角に戦った。そのひたむきな姿勢が高く評価され、20年ぶりにめぐってきた夢舞台。就任1年目で甲子園に導いた佐々木監督は「被災地の復興はまだ道半ば。全国の人たちに被災地を、目標に向かって力を発揮する子どもたちの姿を見てほしい」と力を込める。

 

就任1年目で悲願を達成した佐々木偉彦監督を歓喜の胴上げ

就任1年目で悲願を達成した佐々木偉彦監督を歓喜の胴上げ

 

 大槌町赤浜で被災し母親を亡くしながらも、県大会、東北大会を一人で投げ抜いた岩間大投手(2年)は「甲子園に出るだけでは意味がない。全力プレーで被災地の人たちに元気を与えたい」と誓う。松原町で被災し、甲子町の仮設住宅で暮らす菊池主将も「お世話になった方々に恩返しをしたい」と口をそろえる。

 

夢に見た甲子園出場が現実となり、とび上がって喜ぶ岩間投手

夢に見た甲子園出場が現実となり、とび上がって喜ぶ岩間投手(右から6人目)ら

 

 昨秋の沿岸南地区予選1回戦でコールド負け。危機的状況からチームが生まれ変わり、奇跡的な快進撃が始まった。佐々木監督は「当初は岩間が中心だったが、他の選手も力をつけ、粘って勝てるチームになった」と成長に目を見張る。

 

 目標は「トータルベースボール」。打撃の基本を見直すだけでなく、走攻守全体の底上げを図る。野球についてさまざまな視点から考える意識改革も徹底。選手には日々の課題をチェックする「野球ノート」の提出を義務付け、そこには必ず両親や仲間、震災後に支えてくれた周囲の人々への感謝の言葉を記すことにしている。

 

 昨秋の公式戦終了後からウエートトレーニングなど基礎体力の強化にも取り組んできた。11月には、選手1人が1泊2日で10合の米を食べ尽くす「釜めし合宿」を敢行。57キロと、投手としては華奢(きゃしゃ)な体つきだった岩間投手は「体重が6キロも増え、課題の球速アップにつながる」と喜ぶ。

 

 初出場の20年前は初戦で米子東に敗れ、勝利の校歌を響かせることはできなかった。当時はまだ小学生で、テレビでその姿を見ていたという佐々木監督は「まず1勝し校歌を歌いたい」としながらも、「21世紀枠の最高はベスト4。その歴史を塗り替えたい」と目標を高く掲げる。菊池主将も「釜石の歴史をつくりたい」。岩間投手は「どこと当たっても絶対に負けない」と強豪校との対戦を待ち望む。

 

 釜石高野球部は2月下旬から愛知県東海市で合宿に入る。3月上旬には関西で2次合宿を行い、3月11日に大阪で行われる組み合わせ抽選会に臨む。

 

■釜石高野球部の歩み
 1914年に釜石女子職業補修学校として創立。釜石高等女学校などを経て49年に釜石高となったが、63年に釜石南、釜石北に分離。2008年に両校が統合し釜石高となった。硬式野球部は46年に創部。62年に秋の県大会で優勝し東北大会に進んだが、準決勝で敗れ選抜出場を逃した。釜石南時代の95年秋にも東北大会に進み準優勝。96年の第68回選抜大会に初出場したが、初戦で米子東(鳥取県)に7-9と惜しくも逆転負けした。現部員は女子マネジャー1人を含む24人。

 

(復興釜石新聞 2016年2月3日発行 第458号より)

 

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釜石鉄コン

【参加者募集】『釜石鉄コン』を開催します

釜石鉄コン

 

3月5日(土)に第4回釜石街コン『釜石鉄コン』を開催します‼

出会いの場の創出や地域の活性化を目的とした交流イベント「釜石鉄コン」を開催します。

 

https://www.city.kamaishi.iwate.jp/shisei_joho/keikaku_torikumi/chihousousei/detail/__icsFiles/afieldfile/2016/02/06/kamaishitetukon.pdf

釜石鉄コンチラシ

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日時

平成28年3月5日(土)

会場

三陸鉄道貸切列車

対象

20歳以上の男女(独身の方限定)

定員

70人(男性35人×女性35人)

参加料

男性5,000円 / 女性2,000円
※参加料は当日徴収いたします。

イベントスケジュール

◆受付 14時30分~14時50分
場所)三陸鉄道釜石駅待合室
◆オープニング 15時~16時
内容)ゲストトーク(ゲストMC:きぬ)、ルール説明 等
◆出会い・交流タイム 16時~18時
内容)飲食交流(食べ飲み放題)、ゲーム(豪華特典あり) 等
◆エンディング 18時~18時30分
内容)ゲストーク(ゲストMC:きぬ)、マッチングイベント 等

申込方法

氏名、住所、年齢、性別、電話番号、メールアドレス、託児所ご利用有無を明記の上、メールにてお申込みください。
申込メールアドレス ⇒ santetu-kamaishi@bz04.plala.or.jp

申込期間

2月10日(水)~2月25日(木)
※定員になり次第締め切らせていただきます。

問合せ先

三陸鉄道釜石駅 TEL:0193-22-1616

主催

三陸鉄道株式会社、釜石市若者定着事業実行委員会、一般社団法人釜石青年会議所、釜石観光物産協会

関連情報 by 縁とらんす
釜石鉄コン | 三陸鉄道

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電話 0193-22-2111(132) / FAX 0193-22-2686 / メールでの問い合わせ
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釜石市

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釜石市減塩隊

脳卒中予防へ「減塩隊」活動開始〜啓発へ事業所訪問、食生活見直し呼びかける〜脳血管疾患死亡率 本県は全国ワースト

釜石市減塩隊

脳卒中の死亡率が県平均より高率となっている釜石地域で予防を呼びかけようと「釜石市減塩隊」が発足。毎月28日に啓発活動を展開する

 

 脳卒中の死亡率全国ワーストを返上しようと県が定めた「いわて減塩・適塩の日」(毎月28日)にちなみ、釜石市民に脳卒中予防、減塩の必要性を啓発する「減援隊」が28日、発足した。1回目の活動として市内の事業所を訪問。隊員が減塩のポイントを知らせるチラシやティッシュを配り、脳卒中を防ぐ積極的な取り組みや食習慣の見直しを呼びかけた。

 

 鵜住居町の鵜住居地区生活応援センター前で減塩隊の結団式を行ったあと、近くにある事業所2カ所を訪問。食品製造業の津田商店(津田保之社長、従業員約170人)では、川崎浩一隊長(釜石医師会事務長)が「自分のため、家族のためにもぜひ今日から減塩の取り組みをお願いする」と呼びかけ。職場で活用してもらうためのポスターや卓上のぼり、啓発物品を従業員に配った=写真。

 

釜石市減塩隊

 

 従業員らからは「(昼食では)手作りの漬物を持ち寄ったりしてたくさん食べているけど、食べる量を減らさないとね」などの声も。同社総務部の平内浩史課長は「ここで働いている人は一家の大黒柱。長生き、長く働いてもらえるよう、塩分に気を付けてもらう取り組みを企業としても進めたい」と話した。

 

 隊員の藤原政子さん(市母子保健推進員代表)は「自分や家族の健康を守る責任があり、塩分には気を付けている。橋野町で農家レストランと菓子工房を経営しており、食塩に頼らない味付けの料理を提供することを心掛けている。これまでの取り組みを減塩隊の活動でも生かしていければ」と活動に励んだ。

 

 減塩隊は8人の隊員と、7つの協力団体の会員や職員らで組織。事務局の市健康推進課では「現状を知って、減塩を意識してもらいたい。減塩の必要性を広く啓発する活動の起爆剤になれば」と期待する。

 

 2月は市内の商業施設で啓発活動を行い、3月はキャラバンカーで市内各地を回り広く呼びかける活動を予定。2月21日には脳卒中予防講演会を開くことにしている。

 

 厚生労働省の2010年の調査で、県内の脳血管疾患(脳卒中)の年齢調整死亡率(年齢構成で補正、人口10万人当たり)は、男性が70・1人(全国平均49・5人)、女性が37・1人(同26・9人)でともに全国ワースト。その中でも釜石地域は脳卒中による死亡率が極めて高いという。

 

 脳卒中の大きな原因は高血圧。高血圧の原因は塩分の取り過ぎや喫煙などさまざまだが、本県は一日当たりの塩分摂取量が全国最多。厚労省の12年の調査では、男性が12・9グラム、女性が11・1グラムでともに全国ワーストだった。

 

 冬場に野菜を食べるために保存食として作る漬物、魚の干物、塩辛などを好む家庭も多いといった風土や伝統的な食習慣、加工食品の摂取、外食が一般的となっていることなどが塩分の取り過ぎの原因と考えられるが、効果ある減塩対策を進めるためには個人や各世帯の努力では困難な状況となっている。

 

 このことから市は、新たに1月から3月までを「市減塩取り組み強化期間」とし、栄養士会や食生活改善推進員協議会、保健所など関係団体と連携して減塩隊を結成。減塩・適塩の日に合わせ、集中的に啓発活動を行うことにした。

 

(復興釜石新聞 2016年1月30日発行 第457号より)

 

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「三陸水産業の未来を考える」をテーマにパネル討論を繰り広げる漁業者や研究者ら

生産と消費の接点が再生のカギに〜三陸水産業の未来を考える シンポジウム

「三陸水産業の未来を考える」をテーマにパネル討論を繰り広げる漁業者や研究者ら

「三陸水産業の未来を考える」をテーマにパネル討論を繰り広げる漁業者や研究者ら

 

 漁業者や水産業者、研究者、行政関係者が幅広い視点から三陸水産業の可能性と未来を探るシンポジウムが27日、釜石市の情報交流センター釜石PITで開かれた。キッチンカーや里海プロジェクトを推進する釜石プラットフォーム(三塚浩之代表取締役)が復興庁「新しい東北」先導モデル事業として企画し、約50人が参加。東京海洋大准教授の勝川俊雄さんが基調講演したあと、地元でカキ養殖に取り組む漁業者らが加わりパネル討論で意見を交換した。

 

 勝川さんは東大卒で、三重大准教授を経て昨年から現職。専門は資源管理で、日本の漁業を持続可能な産業にするために積極的な発言を続けている。

 

 今回の講演では、漁業者の高齢化、右肩下がりの漁獲量や魚価で危機に立たされている日本の水産業の現状を説明し、「少し残して高く売る漁業への転換が課題となるが、ブランド化がなかなか難しい中で、生産者と消費者が直接触れ合うことが新しい価値を生み出す」と強調。その接点の一つとして、釜石の箱崎漁港で行われている「桜牡蠣」養殖事業を例に挙げ、「東京の居酒屋などで直接販売する手法は消費者を”ここだけ” “今だけ”の格別感にさせ、漁業者のやりがいや誇りにもつながる。生産と消費の場が近くにある釜石は、新しい形の漁業の適地ではないか」と大きな可能性を示した。

 

 パネル討論には、桜牡蠣の養殖に取り組む佐々木健一さん(釜石東部漁協牡蠣部会長)も加わり、「出前漁師として東京でカキを販売したときは大きな手ごたえがあった。今後は漁師が安定した生活ができるようにもっていきたい」などと話した。

 

 大船渡市三陸町吉浜で若手漁業者による「元気組」を立ち上げ活動している千葉豪さんは、震災後に行った被災地観光研修ツアーや地域の子どもたちを対象にした漁業体験などを例に挙げ、「必要なのは、漁業や地域への誇り。産地間競争は厳しいものがあるが、仲間と生産向上に励みたい」と意欲を語った。

 

 釜石を拠点に研修ツーリズム事業に取り組む戸塚絵梨子さん(パソナ東北創生社長)は「課題は都会から遠いことやお金がかかることだが、まずは体験してもらうことが大切」と指摘。

 

 「釜援隊」のプロデュースなどを手掛けた石井重成さん(釜石市まち・ひと・しごと創生室長)は「現実的に人口増は難しい中で、釜石とかかわる人たちを〝つながり人口〟として増やし、消費者として取り込んでいくことが重要」と指摘した。

 

 パネル討論の進行役は、釜石プラットフォームの活動を支援する枝見太朗さん(釜石市復興アドバイザー、富士福祉事業団理事長)が務めた。

 

(復興釜石新聞 2016年1月30日発行 第457号より)

三陸水産業の未来を考える オープンシティ釜石のチャレンジ
 

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支援の学生らと合唱を披露する仮説住宅の住民ら

「絆、忘れない」別れの餅つき 甲子B仮設住宅自治会〜支援の学生らとハーモニー、仮設住宅集約化で6月までに退去へ

「絆」と刻まれた復興リンゴを手に記念撮影する自治会長の萬さん(前列左から2人目)

「絆」と刻まれた復興リンゴを手に記念撮影する自治会長の萬さん(前列左から2人目)

 

 雪が舞う釜石市甲子町松倉の甲子B仮設住宅で24日、法政大の学生らが協力して「大餅つき大会」が開かれた。同仮設住宅は市の集約化計画に伴い、今年6月にも撤去される予定。餅つき大会は、半年後を見据えた最後のイベントとして企画。震災後5年にわたり支え合ってきた住民らは「別れ別れになっても、ここで培った絆は忘れない」との思いを込め、力強く杵(きね)を振るった。

 

 餅つき大会は、同仮設住宅自治会(萬敬一郎会長)が県共同募金会被災地住民支えあい活動助成金を活用して企画した。同住宅住民のほか、周辺の仮設住宅にも呼びかけ、約50人が参加。高速道路を維持管理する会社で、被災3県で支援活動に取り組むネクスコ・エンジニアリング東北(仙台市青葉区)は仙台と北上市の事業所から7人の社員が駆け付け、「絆」の文字を浮き彫りにした復興リンゴ200個を住民らに贈った。

 

 イベントに協力したのは、法政大多摩キャンパスで学ぶ現代福祉学部の学生有志でつくる復興ボランティア団体「スタ学」。2年前から同仮設のイベントに協力するなど支援活動に取り組んでおり、今回は法大落語研究会のメンバーにも呼びかけ、18人が支援に訪れた。

 

 学生らはイベント会場を用意したほか、トン汁やあんこ餅を振る舞うなど大活躍。落研のメンバーは「ときそば」などを熱演。何とも不器用な「南京玉すだれ」を披露し、住民らを笑わせる場面もあった。

 

 同住宅では住民有志が毎月2回、歌の練習に取り組んでおり、この日のイベントでは学生らも交え、復興支援ソング「花は咲く」など3曲を披露。ハーモニーの輪で絆を結んだ。

 

支援の学生らと合唱を披露する仮説住宅の住民ら

支援の学生らと合唱を披露する仮説住宅の住民ら

 

 同仮設住宅には、ピーク時には52世帯が生活していたが、復興公営住宅の整備などに伴って減少し、現在は29世帯に。集約化に伴い6月までにすべての世帯が退去。市内6カ所ほどの仮設住宅へバラバラに移り住むという。

 

 港町で被災し、3代目の自治会長を務める萬さん(72)は「今回が最後の大きなイベントとなるが、若い学生さんたちと一緒にやれるのは本当に楽しく、人と人の信頼、絆を強く感じる」と喜ぶ。萬さんは甲子町松倉の仮設住宅に移り、そこから只越町の復興住宅に入居する予定。スタ学代表の日高純菜さん(21)=3年=と仲良く杵を持ち、「ここで勉強させてもらったことを、次の仮設住宅や復興住宅のコミュニティーづくりに役立てたい」との決意を込め、振り下ろした。

 

 臨床心理士を目指して勉学やボランティア活動に励む日高さんは「この仮設住宅での活動は最後になりますが、ここでの経験を後輩に伝え、釜石での支援活動は継続していきたい」と話す。

 

(復興釜石新聞 2016年1月27日発行 第456号より)

 

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広報かまいし2016年2月1日号(No.1633)

広報かまいし2016年2月1日号(No.1633)

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広報かまいし2016年2月1日号(No.1633)

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【目次】
表紙:釜石駅前広場改修工事のお知らせ~一般車駐車場の駐車台数を規制しています~、市長のつぶや記
P02:復興情報 被災地区のまちづくり-vol.8
P06:今月のインフォメーション、おもいをつむぐはなみずき
P08:身近な防災豆知識21、第3次釜石市障がい者福祉計画(案)~皆さんの意見を募集します~、釜石地区被災者相談支援センターをご利用ください

この記事に関するお問い合わせ
釜石市 総務企画部 広聴広報課 広報係
〒026-8686 岩手県釜石市只越町3丁目9番13号
電話:0193-22-2111 / 0193-22-2686 / メール
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被災者支援フォーラム

被災者支援フォーラム

被災者支援フォーラム

 

東日本大震災において、避難所運営活動などを行った町内会などを顕彰するとともに「人、地域のつながりの大切さ」を再認識する機会とします。

1 日時

平成28年2月7日(日)13:30~15:00(13:00開場)

2 場所

釜石情報交流センター 1階 多目的集会室(釜石市大町1-1-10)

3 参加方法

申込不要、参加費無料
どなたでも参加できます(会場の座席に限りがあります)

4 プログラム(予定)

(1)開会
(2)市長挨拶
(3)来賓挨拶 千葉県茂原市長 釜石市議会議長
(4)感謝状贈呈
 ○避難所運営活動を行った町内会(自主防災組織)
 ○避難所として民間施設等を提供した団体
 ○自宅等を被災者のために提供した方
 ※感謝状贈呈者には1月15日(金)付けで案内状を送付しております。
(5)フォーラム
 テーマ「市民による市民のための被災者支援のあり方」
 ○コーディネーター 岩手大学地域防災研究センター 越野修三 教授
 ○事例発表者
 松倉町内会 事務局長 佐野賢治 氏
 (有)釜石パンション 長瀬裕子 氏
 やえがし歯科医院 院長 八重樫祐成 氏
(6)閉会

5 被災者支援フォーラムチラシ

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被災者支援フォーラムチラシ

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この記事に関するお問い合わせ
釜石市 総務企画部 総務課 震災検証室
〒026-0025 岩手県釜石市只越町3丁目9番13号
電話 0193-22-2111(107・113) / FAX 0193-22-2686 / メールでの問い合わせ
元記事:
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釜石市

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沿岸自治体関係者ら120人が参加した「震災5年目シンポジウム」

災害時の広域連携強化へ課題共有〜沿岸自治体、応援職員意見交換「震災5年目シンポジウム」大槌町で開く

沿岸自治体関係者ら120人が参加した「震災5年目シンポジウム」

沿岸自治体関係者ら120人が参加した「震災5年目シンポジウム」

 

 県沿岸広域振興局(佐々木和延局長)が主催する「東日本大震災津波5年目シンポジウム」が22日、大槌町浪板の三陸花ホテルはまぎくで開かれた。大槌町や釜石市など震災で甚大な被害を出した沿岸自治体関係者ら約120人が参加。応援職員を交えて他自治体からの復興支援の取り組みを振り返り、現状を検証するとともに、災害発生時の自治体間の連携強化に向け、パネル討論などで意見を交換。今後の広域支援のあり方や課題を探り、情報を共有した。

 

 震災発生当時、県防災危機管理監として災害対応の指揮を執った越野修三さん(岩手大地域防災研究センター専任教授)が「東日本大震災津波における広域支援について」と題して基調講演。震災発生当初の被害状況を説明し、「被害は予想をはるかに超え、被災地の行政は機能しなかった」と振り返った。

 

 その背景には「被災市町村における圧倒的な人・物・情報の不足があった」と指摘。▽膨大な量の救援物資の集積、配分、輸送業務▽燃料不足の中での救援活動―などを挙げ、「国の調整窓口が一元化していないため、調整に苦労した。国としての広域的な物流システムを確立すべき」と強調。今後の課題として、▽応援側、受援側の指揮・調整を円滑にできる仕組みと体制の構築▽被災地のニーズを吸い上げる情報収集体制と行政、民間などの役割の明確化▽全国的な支援基盤の構築―を挙げた。

 

 「将来の災害対応に備えた自治体間連携の必要性」をテーマにしたパネル討論で、震災直後から被災地の後方支援に当たった菊池保夫さん(遠野市総務部参事)は「震災前に後方支援拠点構想を掲げ、沿岸9市町村と津波対応協力会議を設けていたのが大きく生かされた」と説明。「自治体の権限や財源強化、対応マニュアルの策定、ニーズや情報の把握、強力なリーダーシップが必要」と指摘した。

 

災害時の広域連携強化へ向け繰り広げられたパネル討論

災害時の広域連携強化へ向け繰り広げられたパネル討論

 

 震災から2年後に本県に派遣された清水充さん(東京都都市整備局市街地整備部用地担当課長)は「被災地の受援ニーズ把握が非常に難しかった」と振り返り、「支援のリスト化や協定締結が必要」と強調。

 

 阪神淡路大震災での応援や中越地震での災害対応を経験した今井重伸さん(新潟県長岡市地域戦略部主査)は「遠野市の取り組みから学びたい。災害時における自治体間の連携は進化しているのではないか」と高く評価した。

 

 パネル討論にも加わった越野さんは「支援をする方、受ける方も、どれだけ事前に準備しているかに尽きる。平素から役割や目的をきちんと決めておかなければ連携はできない。事前の備えの7~8割をマニュアル化し、ルールを決め標準化しておくことが大切だ」などとアドバイスした。

 

 沿岸振興局の佐々木局長は「県と沿岸市町村の連携を強め、復興を加速させたい」と強調。多くの自治体職員の応援を受けている大槌町の平野公三町長は「まちづくりはこれからが正念場。自治体間のネットワークを生かし、真の復興につなげたい」と決意を述べた。

 

(復興釜石新聞 2016年1月27日発行 第456号より)

 

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