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根浜海岸を望む場所に建立された島倉千代子さんの「おかえりなさい」の歌碑

島倉千代子さんの歌碑、根浜に〜震災犠牲者へ「おかえりなさい」の思い込め、除幕式は来年3月に

根浜海岸を望む場所に建立された島倉千代子さんの「おかえりなさい」の歌碑

根浜海岸を望む場所に建立された島倉千代子さんの「おかえりなさい」の歌碑

 

 昭和を代表する歌手の島倉千代子さんの歌碑が、釜石市鵜住居町根浜の旅館宝来館の裏山にある避難路入り口付近に建立された。「東日本大震災の被災地が落ち着いたら、『おかえりなさい』を歌いに行きたい」と話していたという島倉さんは2013年に他界。果たせなかった思いを形にしようと、関西地区のファンらでつくる島倉千代子後援会(事務局・大阪市吹田市、吉田恵美子代表、会員約150人)が中心となり建立した。震災で犠牲になった人に「お帰りなさい」、いまだ行方が分からない人に「帰っておいで」―と、さまざまな思いが込められた歌碑の除幕式は来年3月30日、島倉さんの誕生日に行うことにしている。

 

 歌碑は白御影石製で高さ90センチ、幅約1・4メートル。2007年5月にシングル曲として発売した「おかえりなさい」の歌詞が刻まれた。背面にはそのジャケット写真を配し、優しいまなざしで見守る島倉さんを感じられるようになっている。

 

 「東京だョおっ母さん」「人生いろいろ」などのヒット曲で知られ、戦後の歌謡界に大きな足跡を残した島倉さんは13年11月8日、75歳で生涯を閉じた。生前の島倉さんの思いをつなげようと、吉田代表(65)ら4人が発起人となり歌碑建立に向けて後援会を結成。会員に寄付を募ったところ、約200万円の善意が寄せられ、建立にこぎつけた。

 

 「おかえりなさい」は定年で職場から離れていく団塊の世代へ向けた応援歌で、節目を迎えた人の心を優しく温めてくれる曲だという。この曲を被災地に届けたいと話していた島倉さんの思いを形にできる場所は―と考えていた吉田代表の脳裏に浮かんだのが、鵜住居町出身の小松廣子さん(61)、義次さん(65)夫妻だった。

 

 吉田代表は1988年に義次さんの転勤で吹田市へ移った廣子さんと知り合い、家を行き来するように。廣子さんが手作りしたアップルパイを島倉さんに届けたこともあったといい、島倉さんは廣子さんのことを「アップルパイさん」と呼び、会いたいと言っていたことを思い出した。

 

 小松さん夫妻は退職後に住もうと03年に鵜住居町新田地区の廣子さんの実家近くに家を建てていたが、震災の津波で流失。実家も流され、両親も犠牲になった。父親の岩崎正志さん(当時85歳)はすぐに見つかったが、母親のテルさん(同84歳)は行方不明のまま。退職を控えていた2年前、鵜住居町での再建を断念し、花巻市に移った。

 

 当初、小松さん夫妻の自宅があった場所に建てる計画だったが、「復興がいつになるか分からない。何もない場所よりは」と、廣子さんと親交がある宝来館の女将に歌碑の設置を打診。女将が快諾し、設置が決まった。

 

 歌碑の設置作業は10月27日から29日まで実施。東京都品川区にある島倉さんの墓を手掛けた稗田石材店(同大田区本店)が製作から請け負った。

 

 29日、設置を終えた歌碑の前には吉田代表、神戸市の佐野慶子さん(67)、奈良市の西幸子さん(66)、義次さんの笑顔があった。「ここが温かく『お帰りなさいね』と迎える場所。『ただいま』と帰る場所。歌詞がぴったりな場所」(吉田代表)、「千代子さん、きっと喜んでいる。みんなの協力でできたこと。ただ感謝。海が見え、自然が豊かで最高の立地条件。最高の幸せ」(西さん)。佐野さんは「寂しさもあるけど、ここで千代子さんに会える。千代子さんにもらった思いや友達を大事にしますね」と歌碑を見つめていた。

 

完成した歌碑の前で笑顔を見せる佐野さん、吉田代表、小松義次さん、西さん(左から)

完成した歌碑の前で笑顔を見せる佐野さん、吉田代表、小松義次さん、西さん(左から)

 

 義次さんは「関西の人が東北を訪れることは少ない。被災地以外の人がこの歌碑を含め被災地を見ることに意義がある。思いを寄せ、足を運んでもらう機会が増えれば」と願った。

 

 歌碑は現在ブルーシートで覆われており、来年3月に正式に除幕。除幕式は30日午前11時からの予定で、関西地区のほか九州や東京からもファンら約35人が駆け付けるという。

 

(復興釜石新聞 2015年11月7日発行 第434号より)

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古民家再生 魅力的な空間に生まれ変わった古民家に関係者の笑顔が輝く

古民家再生第1弾オープン祝う〜橋野町の曲がり屋 活用に夢膨らむ、市内外をつなぐ UIターン推進へ

古民家再生 魅力的な空間に生まれ変わった古民家に関係者の笑顔が輝く

魅力的な空間に生まれ変わった古民家に関係者の笑顔が輝く

 

 釜石市の一般社団法人HUB三陸(中村博充代表理事)が取り組む橋野町の古民家再生プロジェクトの建物改修第1弾が終了し、10月31日に現地でオープニングパーティーが開かれた。作業に携わってきたボランティアや関係者約50人が参加し、生まれ変わった築90年の曲がり家で今後の活用に夢を膨らませた。

 

 同プロジェクトは、地域資源である古民家に地域づくりの学びの場、団体や企業、大学の研修拠点としての機能を見いだし、釜石への関心の掘り起こしや交流促進につなげようと5月にスタートした。十数年空き家になっていた古民家を借り、ワークショップ方式でボランティアによる改修に着手。プロの指導を受けながら床板張り、壁塗り、ロケットストーブ製作などを行ってきた。国内外から集まったボランティアは延べ450人にのぼる。

 

改修が進められてきた橋野町中村の築90年の古民家

改修が進められてきた橋野町中村の築90年の古民家

 

 今回は2階建て母屋の1階を改修した。玄関に接する茶の間は吹き抜けに改築し、古民家ならではの立派な梁(はり)を際立たせ、まきをくべるロケットストーブを設置。他に広間と奥、表座敷の3部屋があり、戸を外すと大広間にもなる。水回り、照明などは企業が協賛した。設計、施工監理を行った東京都の1級建築士、高池葉子さん(33)は「多くの人が思い入れを持って関わってくださった。本当に感慨深い。まずは地域の方からどんどん使っていただき、外からも人を呼び込む場になれば」と願った。

 

 同プロジェクトには市の「定住促進かまいし魅力体験事業補助金」が交付されている。同事業は釜石での中・長期型滞在プログラムで地域の魅力を感じてもらい、継続的な関わりやU・Iターン推進につなげようというもの。市まち・ひと・しごと創生室の石井重成室長は「『移住未満、観光以上』という人たちをどれだけ増やせるか。その層の厚みが地域活力に大きな影響を与えてくると思う」とプログラムに期待を寄せる。

 

 改修した古民家はHUB三陸が管理し、一般社団法人三陸ひとつなぎ自然学校(伊藤聡代表理事)、パソナ東北創生(戸塚絵梨子社長)などと共に企画する体験・研修プログラムの活動拠点とする。2階も今後、改修が進められる予定。

 

 母屋に併設される馬屋は、一般社団法人三陸駒舎(寄田勝彦代表理事)がクラウドファンディングを活用し改修予定。馬を飼育しながら、ホースセラピーや馬との暮らし宿泊体験などを予定する。三陸駒舎、HUB三陸の両理事を務める黍原豊さん(38)は「馬との触れ合いには心豊かに過ごしたり、今の社会が抱える課題を解決するヒントがある。地域の人たちと一緒に発信していければ」と意欲を見せる。

 

 プロジェクト担当のHUB三陸理事斎藤学さん(35)は「内外の人をつなぎ、釜石に来るきっかけを作ろうとしたのがHUB三陸。古民家再生はまさにそれを体現してくれた。また釜石に来たい、外からも応援したいという人が出てきている」と、早くも事業の手応えを感じている。

 

(復興釜石新聞 2015年11月7日発行 第434号より)

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平田幼稚園 新園舎完成、平田小の隣接地に〜響く歓声 広がる笑顔

移転新築した平田幼稚園の園庭で遊ぶ子どもたち
移転新築した平田幼稚園の園庭で遊ぶ子どもたち

 

 釜石市が東日本大震災の復興に向けた平田地区土地区画整理事業に伴い進めてきた市立平田幼稚園(祝田由美子園長、園児42人)の移転新築工事が完成し、27日に竣(しゅん)工式が行われた。園児や保護者、市や園の関係者ら約120人が参列し、新しくなった園舎の完成を祝った。11月4日から保育を始める。

 

 式では、野田武則市長が「子どもたちの笑顔を育むため、より安心安全な園舎になった。新たに始まる園生活が多くの人に親しまれ、充実が図られるよう職員一丸となって運営していく。子どもの成長には家庭や地域の協力も必要で、園児たちが新しい時代をたくましく生きる力の基礎を身に付け、心豊かに、夢と希望を実現できるよう力添えをお願いしたい」とあいさつした。

 

 野田市長ら7人がテープカット。園児は園歌を元気いっぱい歌い、「へいたっこ虎舞」を披露して花を添えた。

 

 園児を代表しテープカットした田畑夢虎(ゆめと)君(5)、遠野愛実ちゃん(5)は「(園舎は)きれい。うれしい。みんなといっぱい遊びたい」とにっこり。早速、友達と真新しい園舎や園庭を駆け回り、歓声を響かせた。

 

関係者がテープカットして新園舎の完成を祝った
関係者がテープカットして新園舎の完成を祝った

 

 新園舎は平田小に隣接する敷地面積約2515平方メートルの土地に、延べ床面積約637平方メートルの木造平屋の建物、約1千平方メートルの園庭を整備。主な施設は保育室3室、預かり保育室、遊戯室などを配した。園児や職員が安全に移動できるよう段差を解消し、手すりを設置したほか、天井が高く出窓を多く配し光が入りやすくて明るい、風通しの良い園舎に設計。国道から離れているため車の往来を気にせず、自然の中で存分に体を動かし遊べる場所が完成した。

 

 同園は1953年に旧平田小校舎を利用し、私立幼稚園としてスタート。78年に市立となり、81年に園舎を新築した。2011年の震災で園舎は被災を免れたが、ライフラインが寸断され休園。保護者らの要望を受け、約1カ月後に再開し保育を続けてきた。平田地区土地区画整理事業では園舎が道路となる計画で、昨年12月から移転新築工事をしてきた。総事業費は約3億円。

 

 祝田園長は「今までの園舎に愛着があり寂しさもあるが、明るい園舎は子どもたちの夢のお城。夢が広がっている子どもたちの明るい笑顔、成長を見守りたい」と話した。

 

 市は、旧園舎のお別れ会を7日10時から11時まで開く予定。解体は9日に始まるという。

 

(復興釜石新聞 2015年10月31日発行 第432号より)

 

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ふるさとの児童に贈る名前入りのリンゴを収穫する遠藤快莉君

白山小から転校 遠藤君が縁結ぶ〜釜石と絆深めるイモ、りんご 長野県飯島町

白山小児童にサツマイモを贈る飯島地区青少年育成会の4人
白山小児童にサツマイモを贈る飯島地区青少年育成会の4人

 

 白山小(栗澤弘校長、児童49人)に26日、長野県上伊奈郡飯島町の飯島小地区PTA連合体「飯島地区青少年育成会」の塩澤昌幸会長ら保護者4人が訪れ、大量のサツマイモをプレゼントした。震災から続く支援で、直接届けるのは初めて。釜石市や仙台市などの被災地を巡り、復興の様子を確認した。

 

 来訪したのは塩澤会長(37)のほか、矢澤真さん(34)池上堅さん(30)、宮下勝至さん(39)。贈呈式は体育館で行われ、全校児童が一行を歓迎。サツマイモ150本(72キロ)が贈られた。

 

 児童代表の三浦智咲さん(6年)が「サツマイモは私が2年生の時からいただいています。遠くから届けてくださり、ありがとうございます」と感謝。全員で「みんなが集まれば」など2曲を歌い返礼した。

 

 塩澤会長らによると、同育成会は30年以上、サツマイモの栽培体験を続けている。今年も児童276人が保護者と約15アールの畑に地区ごとに栽培、約600キロを収穫した。

 

 白山小との縁は、1人の児童がつないだ。飯島小6年の遠藤快莉(かいり)君は震災の時、白山小1年生だった。職場が被災した父親の転勤で、2年生から飯島小に転校した。快莉君一家を通して震災の状況を知った児童や育成会が、収穫したサツマイモを贈り、激励することにした。

 

 快莉君は塩澤会長に、白山小児童に宛てたメッセージを託した。「ぼくは、いつかまた釜石に帰って、いっしょに野球をしたいと思っています。長野の空も釜石と同じ空です。ぼくは長野県で、みなさんを応援しています」とあった。

 

ふるさとの児童に贈る名前入りのリンゴを収穫する遠藤快莉君
ふるさとの児童に贈る名前入りのリンゴを収穫する遠藤快莉君

 

 贈呈式を見守った中妻町の祖父、古川明良さん(64)によると、快莉君一家は自宅を新築。兄妹2人に、飯島町で妹が生まれた。

 

 なお、リンゴ栽培農家で同育成会の木下喜文前会長は27日、白山小の児童全員にリンゴを届けた。サツマイモと同様に5年目の寄贈。今年は児童それぞれの名前入りに挑戦、快莉君らも収穫を手伝った。

 

(復興釜石新聞 2015年10月31日発行 第432号より)

 

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釜石市民ホールの完成イメージ

文化の殿堂 膨らむ期待〜釜石市民ホール着工 17年秋完成 12月オープンへ、イオンと連動 にぎわい創出

釜石市民ホールの完成イメージ
釜石市民ホールの完成イメージ。2年後のオープンを目指す

 

 東日本大震災で被災し使えなくなった釜石市民文化会館に代わる施設として市が中心市街地に整備する釜石市民ホール(仮称)の建設工事安全祈願祭が23日、大町の現地で行われた。同ホールは芸術文化活動の拠点になるとともに、周辺にある大型商業施設イオンタウン釜石などと連動した、にぎわい創出の核としても期待が膨らむ。完成は2年後の2017年秋を見込み、市は同12月のオープンを目指す。

 

 安全祈願祭には市、工事関係者など約30人が出席。神事でくわ入れした野田武則市長は「震災から4年7カ月、やっと市民ホールに着工できる。釜石の文化発信の拠点として大いに力を発揮してもらいたい」と期待を述べた。

 

市民ホールの工事安全祈願祭で、くわ入れする野田市長
市民ホールの工事安全祈願祭で、くわ入れする野田市長

 

 市民ホールは鉄筋コンクリート造り地上4階建て、地下1階で、延べ床面積は約7千平方メートル。メーンの大ホールは838席で、1階の480席は可動式。可動席を取り外すと、平土間式の小ホール(約200人収容)と平場でつながり、展示やイベントなど多目的の会場としても使える。1階にはこのほか中小3つの防音練習室、ギャラリーなどがある。2階は大ホール固定席のほか、和室、会議室など。3階には幼い子ども連れでも利用できる多目的鑑賞室も設けた。

 

中央の更地部分が市民ホール建設地。東側には隣接して情報交流センターの整備が進む=釜石市大町
中央の更地部分が市民ホール建設地。東側には隣接して情報交流センターの整備が進む=釜石市大町

 

 設計はaat+ヨコミゾマコト建築設計事務所、施工は戸田建設と山崎建設が請け負う。総事業費は約56億円で、資材高騰などで当初の計画より約9億円増えた。予算圧縮のため規模は旧市民文化会館の3分の2程度となるが、外面のほとんどをガラス張りにするなど、にぎわい創出の核施設として集客を促すよう工夫した。

 

 市民ホール建設検討員会の岩切潤委員長(80)=市芸術文化協会会長=は「震災後は宮古市や大槌町など近隣市町の施設を使って活動してきた。文化活動は心の復興につながる。早く完成してほしい」と願いを込める。

 

 市は今後、ホールの愛称の公募も検討する。同ホールに先行する形で隣接して建設が進む情報交流センターは12月に完成を予定する。

 

(復興釜石新聞 2015年10月28日発行 第431号より)

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carecafe_01-min

第2回「ケアカフェかまいし」が開催されました

初めまして、ケアカフェかまいし店の店長の鳩岡です。今回は10月30日に第2回目の開催となる、『ケアカフェかまいし』を取材してきました。

 

第2回 ケアカフェかまいしのチラシ
第2回 ケアカフェかまいしのチラシ
 

『繋がる場、よりどころの場』として2015年4月にプレ開店し、今後は隔月で開店していく予定です。

 

第2回ケアカフェかまいし

 

さて、ケアカフェとは、「ジャズの流れるカフェのような雰囲気の中、コーヒーなどを飲みながら、 4〜5人のグループに分かれてテーマに沿った会話を楽しみます。席替えをして話を深め、さらに内容を全員で共有し、いろいろな意見を持ち帰ることを目的にしています。」(ケアカフェジャパンのサイトより)という集いで、北海道旭川市で始まったこの取り組みは、現在では全国各地で行われています。

 

第2回ケアカフェかまいし開催の様子

 

今回のテーマは「まち」でおこないました。「医療、介護の学校(研修会)の企画」「大渡り橋での市場の開催」「釜石の人口減少・介護職不足など…」医療、福祉の分野から、または違う分野の方々より自分達のまちについてのおしゃべりがたくさんありました。

 

おしゃべりの様子です。https://youtu.be/LWd9_25P-UM

 

笑いあり、笑いあり、滑りあり…
是非、ケアカフェかまいしにご来店ください。次回は2016年1月16日(土)開催予定です。

 

carecafe_01-min

 

開催告知情報:
ケアカフェかまいし Facebookページ
釜石市公式サイト – かまチョコ

 

無投票で3選を果たし、支持者から万歳の声を受ける野田武則氏

次世代に誇れるまちづくりへ〜野田氏 無投票3選、釜石市長選挙

無投票で3選を果たし、支持者から万歳の声を受ける野田武則氏
無投票で3選を果たし、支持者から万歳の声を受ける野田武則氏=25日午後5時40分

 

 任期満了に伴う釜石市長選は25日告示され、無所属で現職の野田武則氏(62)が無投票で3選を果たした。野田氏以外に立候補はなく、小沢和夫前市長が再選された2007年4月の市長選以降、4回連続の無競争となった。「無風」について賛否両論がある中で、3選を果たした野田氏は「選挙戦の勝利より責任は重い。市民の全面的な負託と受け止める」としつつ、「次世代が誇れるまちづくりにまい進し、釜石が持つ可能性を最大限に引き出していく」と決意を述べた。

 

 野田氏は午前9時すぎ、大町に設けた選挙事務所前で第一声。約200人の支持者を前に、▽住まいと暮らしの早期再建▽防災・減災のまちづくり▽安心できる新たなコミュニティーづくり▽産業振興と雇用確保▽海洋エネルギー開発など先駆的事業による拠点都市化―の基本公約を掲げた上で、「次世代に誇れる品格ある釜石をつくろう」と訴えた。

 

 総括責任者の小泉嘉明氏は「今後の4年が釜石復興の最も重要な時期。野田さんを中心にまちづくりを進めよう」とあいさつ。民主党の黄川田徹衆議院議員、小野共、岩崎友一の両県議、佐々木義昭市議会議長ら市議10人が駆けつけ、激励した。

 

 今回の市長選で、野田氏は政党などへの推薦要請は行わなかったが、自民党釜石市支部(豊田勇支部長)がいち早く支持を表明。元県議で自民党第3選挙区支部長代理の小野寺有一氏は「野田さんは4年前に掲げた公約をすべて果たした。難しい決断を迫られる今後の4年間、リーダーに最もふさわしいのは野田さんだ」とエールを送った。

 

 野田氏はこのあと市内全域を選車で回り、仮設団地など10カ所で演説。午後5時までに他の立候補の届け出はなく、無投票3選が確定した。

 

 選挙事務所に戻った野田氏は支持者らと万歳して当選を喜んだ。妻幸子さん(54)とともに花束を手にした野田氏は「被災者の一日も早い住まいの再建、暮らしの再建と合わせ、心の復興にも力を入れていかねばならない」と3期目の抱負を述べた。

 

 このあと記者団の質問に答える形で、今後のまちづくりについて「次世代の市民が釜石に希望を持ち、住み続けるまちでありたい」と強調。3期目の施策として「地域会議を見直し、より小さな集落単位で話し合う場を設けたい」との考えも示した。

 

記者団の質問に応え3期目の抱負を述べる野田氏
記者団の質問に応え3期目の抱負を述べる野田氏

 

 大規模施設の整備に伴う市財政への影響については「維持管理などについて専門家や地域代表による委員会をつくり、対応を探りたい」とし、4年後に迫ったラグビーワールドカップ(W杯)については「被災3県の代表として開催地に選ばれたと受け止める。震災の教訓を世界に発信する場としたい」と思いを述べた。

 

 野田氏は釜石市出身で、県議、釜石市長を歴任した野田武義氏の長男。専修大卒。甲東幼稚園の園長などを経て03年に県議初当選。2期目だった07年、小沢前市長の死去に伴う市長選に無所属で出馬し、無投票で初当選した。今回の市長選に向け、7月に開かれた後援会の会合で出馬の意向を明らかにし、市議会臨時会で「復興はまだ道半ば。復興計画の実現に向け全力を尽くしたい」と正式に決意を明らかにした。

 

(復興釜石新聞 2015年10月28日発行 第431号より)

 

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広報かまいし2015年11月1日号(No.1627)

広報かまいし2015年11月1日号(No.1627)

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【目次】

表紙:復興住宅の入居者を再募集します、市長のつぶや記
P02:復興情報 被災地区のまちづくり-vol.5
P05:今月のインフォメーション、おもいをつむぐはなみずき
P08:津波避難訓練を実施します、平成28年度保育施設入所申し込みを受け付けます

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広報かまいし2015年10月15日号(No.1626)

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【目次】

表紙:仮設住宅も家と呼んで!
P02:市民が主役の「地方創生」オープンシティ釜石を目指して~2040年のまちの未来を考える取り組みがスタート~
P04:応急仮設団地集約化計画(第2次)の案がまとまりました
P05:平成28年度 園児を募集します、釜石・大槌地域産業育成センター情報便9
P06:まちの話題
P08:市民のひろば
P10:保健案内板
P12:まちのお知らせ
P16:釜石まつり

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野田市長に寄付金を届けた的場会長ら

「最後に役に立てた」と感慨、紀州造林OB会 市に寄付金

野田市長に寄付金を届けた的場会長ら

野田市長に寄付金を届けた的場会長(中央)ら

 

 物流関連資材製造販売業、紀州造林(本社・東京都中央区)の退職者らでつくる紀州造林OB会(的場香会長、会員55人)は7日、復興に役立ててもらおうと釜石市に8万円を寄付した。的場会長ら3人が釜石市役所を訪れ、野田武則市長に寄付金を手渡した。

 

 同社は釜石市の誘致企業第1号だったが、資材の調達が困難になったことなどから2009年に鵜住居町にあった工場を閉鎖。その工場跡地は現在、被災した鵜住居小・釜石東中の仮設校舎として活用されている。

 

 寄付金は6日に鵜住居町の宝来館で開いたOB会で募った。釜石工場に12年間勤務した花巻市の小松義次さんが呼びかけ、地元の10人のほか、市外に暮らす釜石の勤務経験者、大阪や九州からも参加し約40人が旧交を温めたという。

 

 今回の会は震災から自力再建している企業などの視察研修も目的で、市内の車検工場や水産加工業者などを回った。市役所を訪問する前には工場跡地にある仮設校舎も見学。小松さんは「工場を撤退して申し訳ない気持ちだったが、最後に役に立てたと思い感慨深い」と話した。

 

 釜石工場の工場長を務めた経験を持つ同OB会の新田修之(しゅうし)副会長は、震災の年にあった台風による豪雨で和歌山県新宮市の自宅が被災したといい、「南海トラフ地震の発生も懸念されており、災害は人ごとではない」と語った。

 

 的場会長は震災後に釜石を訪れたのは初めてで、「風景が全く変わっていてびっくりしたが、復興作業が進んでいるのを見ることができて良かった。寄付金は少額だが、会員の『頑張れ釜石』との気持ちが込められている。福祉やラグビーの会場整備など皆さんの役に立つよう使ってほしい」と願った。

 

 野田市長はこれまでの同社の協力に感謝し、「年追うごとに変化すると思うので見守ってほしい」と願った。

 

(復興釜石新聞 2015年10月10日発行 第426号より)

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みんなニコニコ紙芝居

お年寄りが、こども園へ〜みんなニコニコ「おはなしころりん」絵本や紙芝居読み聞かせ

みんなニコニコ紙芝居

読み聞かせ活動を通じて触れ合ったデイサービスセンター善の利用者、かまいしこども園の園児ら

 

 大船渡市の読書ボランティア「おはなしころりん」(江刺由紀子代表)による絵本や紙芝居の読み聞かせ会が8日、釜石市天神町のかまいしこども園(藤原けいと園長、園児94人)で開かれた。江刺代表と親交があり、平田で「デイサービスセンター善」を運営する大槌町の合同会社ZEN PROJECT(前川寛代表)の共同企画。同センターを利用する高齢者10人も訪れ、読み聞かせを通じた触れ合いを楽しんだ。

 

 江刺代表ら3人は大型絵本「もりのかくれんぼう」、紙芝居「ごきげんのわるいコックさん」などを読み聞かせた。大きな四角い箱をサイコロのように転がしながら物語が展開する「桃太郎」に、園児らは興味津々。童謡を歌ったり、手遊びで触れ合いながら交流する場面もあり、園舎は和やかな雰囲気に包まれていた。

 

 桝澤大輝君(5)は「楽しかった。(高齢者らは)やさしかった。いっしょに写真とってよかった」とにっこり。「またきてねー」と高齢者らの手を握ったり、ハイタッチした。

 

 同センターを利用する平田の平野通子さん(67)、野田町の菊地クニヨさん(86)、甲子町の鎌田浩子さん(78)は「孫が小さかったころを思い出した。みんなかわいい。子どものパワーをもらって、ますます元気になった」と喜んだ。

 

 今回の読み聞かせ会は、昨年7月から半年間、釜石で開かれた人材育成道場「未来創造塾」の2期生として出会った江刺代表と前川代表のコラボ活動。江刺代表は「子どもとの交流で高齢者は元気になる。人と人をお話でつなげる活動を続けたい。要望があればどこへでも伺います」と話した。

 

 同センターは今年5月に開所したばかり。地域に密着、利用者の立場に立ったサービスの提供を目指す前川代表は「(利用者は)普段見せる表情と違い柔らかく、みんなにこにこ。一人で生活されている人も多く、センターで同年代と交流できるが、子どもと会う機会は少ない。小規模ならではのフットワークの軽さを生かし、外出で地域の人たちと交流していければ。読み聞かせなどいろんな活動をしている団体と連携し、活動を広げていきたい」と意欲を語った。

 

(復興釜石新聞 2015年10月10日発行 第426号より)

【かまいしこども園×おはなしころりん×DS善】https://zen-project.jimdo.com/2週連続企画の第二弾として、おはなしころりんの皆様とかまいしこども園を訪問しました。読み聞かせを通してお年寄りと子供達が一緒に時間を…

Posted by デイサービスセンター善 on 2015年10月8日

 

復興釜石新聞

復興釜石新聞(合同会社 釜石新聞社)

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啄木と釜石のつながり示す〜青葉通りに歌碑建立

石川啄木の歌碑

誰もが足を運びやすいようにと青葉通りに建立された「石川啄木の歌碑」を除幕する式典出席者

 

 岩手を代表する歌人石川啄木と釜石とのつながりを示す歌碑が、釜石市大町の青葉通り緑地に建立された。啄木の母方のいとこで医師として釜石の医療に尽力した工藤大助さん(故人)のひ孫、大町で歯科クリニックを開業する工藤英明さん(53)ら親族が中心となり建立。4日、現地で除幕式が行われ、関係者約60人が釜石初の啄木歌碑の完成を祝った。

 

歌碑建立の協力者にお礼を述べる工藤英明さん

歌碑建立の協力者にお礼を述べる工藤英明さん

 

 啄木の足跡を後世に伝えよう会(工藤英明代表)が主催。英明さんの長女麻純さん(11)、長男純之助君(8)と野田武則市長ら来賓の手で歌碑が除幕された。野田市長は「中心市街地の観光資源ともなり、啄木と釜石の関係を知らせ、啄木の功績を一層発信してくれるものと思う」と祝辞を述べた。

 

 歌碑は高さ1・5メートル、幅1・2メートル。啄木の古里、盛岡市玉山区で採掘される花こう岩「姫神小桜」に、短歌「ゆゑもなく海が見たくて海に来ぬ こころ傷みてたへがたき日に」が刻まれた。啄木が1910(明治43)年に詠んだ歌で、歌集「一握の砂」に収録されている。台座には三陸海岸の石や貝殻が埋め込まれた。製作は釜石市の仲野石材店(清水陵吉社長)が請け負った。

 

 啄木は1900(明33)年、中学の同級生と盛岡から内陸を南下し三陸沿岸を北上する旅を行った。最終地の釜石には当時、いとこの大助さんが医師として赴任しており、啄木は大助さん宅に2週間ほど滞在した。啄木の釜石訪問は、共に旅をした同級生の船越金五郎が残した日記で詳細が明らかになった。歌碑には、その日記の記述も刻まれている。

 

 大助さんは盛岡市出身。1896(明29)年、三陸大津波で医師が不在となった釜石に県の要請で着任。3年の予定だったが、4年目に赤痢が流行し対応のため釜石にとどまった。啄木が訪ねたのは、その4年目のこと。大助さんはいったん、盛岡に戻るが、2年後に釜石鉱山田中製鉄所の付属病院に赴任。以後、釜石で勤務医を続けながら俳句や謡曲などの文化面でも活躍し、その名を知られた。

 

 英明さんは「啄木が釜石に来たのが明治三陸大津波の4年後。今年は東日本大震災から4年。この歌碑が啄木の目に代わって釜石の復興を見届けてもらうシンボルの一つになれば」と願いを込める。

 

 大助さんの孫(英明さんの叔母)で一戸町在住の上田初子さん(73)は「啄木の足跡を風化させず残すことができ、祖父の思いをつなげられた」と多くの協力者に感謝。歌碑の歌について「時に牙をむき、時にたくさんの恵みを与えてくれる海。そのはざまで生きる人々のさまざまな思いと通じる感じがした」と選んだ理由を明かした。

 

コーラスグループ「コールすずらん」による献歌

完成した歌碑を前に盛岡市玉山区のコーラスグループ「コールすずらん」は啄木の歌の合唱曲を献歌した

 

 除幕式には啄木の地元の吟詠会やコーラスグループ、愛好団体などが駆け付け、花を添えた。石川啄木記念館(盛岡市玉山区渋民)の森義真館長(62)は「啄木ゆかりの地に歌碑が建てられ喜んでいる。これを機に釜石の方々が啄木にさらに親しんでくれればありがたい」と期待した。

 

(復興釜石新聞 2015年10月7日発行 第425号より)

 

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