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チームづくりを後押し!釜石市、心鍛える学びの場提供 早稲田大学ラグビー蹴球部 合宿で体感

釜石市で初合宿に臨んだ早稲田大学ラグビー蹴球部=7月30日

釜石市で初合宿に臨んだ早稲田大学ラグビー蹴球部=7月30日

 
 「ラグビーのまち」の釜石市は7月末、大学ラグビーの名門、早稲田大学ラグビー蹴球部の合宿を始めて受け入れた。早大ラグビー部にとっては恒例とする長野県・菅平高原での夏合宿を前にした、チームづくりを狙ったプレ合宿。グラウンドで汗を流し技術を磨くことだけでなく、東日本大震災から立ち上がった歩みに触れながら人間性を高め心を鍛える場にしてもらおうと、「釜石だから提供できる」プログラムを用意した。
 
 全国大学選手権で歴代最多の16回優勝している名門は、2019年を最後に選手権の優勝はなく、最近2年は決勝で敗れた。大学ラグビーは「夏が大切」というが、定例化された合宿への変化をもたらす試みとして、プレ合宿を発案。釜石への誘致は、スタジアムの利用促進を官民で進めるために昨年できたコミュニティ・コンソーシアム「チームうのスタトライ!」の構成員に早大ラグビー部出身者がいたことで実現した。
 
 早大ラグビー部の選手やスタッフら計約170人は、7月28~31日の日程で来釜。19年に開かれたラグビーワールドカップ(W杯)日本大会の会場の一つとなった同市鵜住居町の釜石鵜住居復興スタジアムを中心に練習、地域貢献や交流活動を行った。
 
釜石祈りのパークで献花する早大ラグビー部の選手たち=7月28日

釜石祈りのパークで献花する早大ラグビー部の選手たち=7月28日

 
 初日の28日は鵜住居町の追悼施設「釜石祈りのパーク」を訪れ、フッカーの清水健伸主将(4年)らが献花し、黙とうをささげた。スタジアムに移動し、その日から練習を始めた。29日は、市の復興プログラム・ワークショップに参加。震災の被災状況、W杯が開催されるまでの経緯など、15年余りの被災地の歩み、復興まちづくりとラグビーの関わりについての説明に耳を傾けた。
 
釜石入りしあいさつする清水健伸主将(右上写真)。地域の子どもたちや釜石市民らが歓迎した

釜石入りしあいさつする清水健伸主将(右上写真)。地域の子どもたちや釜石市民らが歓迎した
 
釜石鵜住居復興スタジアムで練習する早大ラグビー部の選手ら=7月30日

釜石鵜住居復興スタジアムで練習する早大ラグビー部の選手ら=7月30日

 
 30日には、高校生を対象にしたラグビークリニックを行った。岩手県内外の7つの高校からラグビー部員ら約90人が参加し、指導を通じて交流。ポジションごとに分かれ、大学生ラガーマンたちが見本を示しながら技術面で助言したりした。
 
ラグビークリニックで地元の高校生らにスクラムの姿勢を指導

ラグビークリニックで地元の高校生らにスクラムの姿勢を指導

 
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大学生ラガーマンと交流した釜石、釜石商工、大船渡東の高校生たち

 
 釜石高校の佐藤和希さん(2年)は「タックルの姿勢など基本を教わった。押されても倒されない、当たり負けしない動きを試合でできるようにしたい」と刺激にした。単独でのチーム編成は難しく、各種大会は釜石商工、大船渡東との合同チームで臨む。大学生の技術やパワー、ラグビーを純粋に楽しんでいる雰囲気を間近で体感できたことも収穫だったといい、「スキルを持ち帰って、花園に向けて練習に取り組んでいく」と気持ちを高めた。
 
丸太を協力して運ぶ早大ラグビー部の選手たち

丸太を協力して運ぶ早大ラグビー部の選手たち

 
 同日は、地域のなりわいを支える復興プログラムを体験する時間も。林業と福祉を連携させた就労支援で復興を後押しする一般社団法人「ゴジョる」(東京、菊池隼代表理事)が釜石で行っている間伐材を使ったまき製造について説明を聞いた。
 
 材料となる木材は、鵜住居町根浜地区の山から切り出したもの。部員たちに、約2キロ先にある箱崎町の加工場まで運んでもらおうと、長さ2メートル、重さ20~60キロの丸太が用意されていた。6、7人のグループに分かれ、担ぎ方など作戦を練りながら人力で運搬。途中にある高さ14メートルの防潮堤では「力貸して」などと声をかけ合いながら上り下りし、結束力を高める機会にした。
 
まき割りにも挑戦。神経を集中させ、おのを振り下ろす

まき割りにも挑戦。神経を集中させ、おのを振り下ろす

 
 部員たちにとって、丸太を運ぶのは初めての体験。ナンバー8の荒木鷲摩さん(2年)は「想像以上に大変だった」と笑いつつ、「ラグビーシーズンはこれから。釜石で印象深い学びは人の気持ちで、マインド面で考えさせられた。『今ある環境が当たり前じゃない』と強く感じたからこそ、毎日を必死に取り組もうと思った。この経験を生かしてレベルアップしたい」と気を引き締めた。
 
 最終日の31日は、感謝を込めスタジアム内の清掃や座席を修繕した。スクラムハーフの平塚英一朗さん(4年)は「実際に被災した方から聞く話は説得力があり、深い学びがあった。自然豊かな環境の中で新鮮な気持ちでラグビーができ、心身ともに成長できた。全国大学選手権の決勝で勝ち、合宿を支えてくれた釜石の方々に恩返ししたい」と力を込めた。
 
釜石合宿の拠点となったスタジアムに感謝を込めベンチをやすりで磨いた=7月31日

釜石合宿の拠点となったスタジアムに感謝を込めベンチをやすりで磨いた=7月31日

 
 ウイングの佐々木豪正さん(4年)は、早大ラグビー部で唯一の岩手県出身選手。紫波町出身で中学生の時、このスタジアムの完成を祝う試合でトライを決めた経験があり、「久しぶり」と懐かしんだ。春先に負ったけがが癒え、釜石合宿から本格的に練習に復帰。震災時のリアルな状況や復興の中でスポーツが果たした役割を改めて振り返る機会にもなったようで、「一日一日を大切に生き、自分が活躍することで岩手に元気を与えられたら。後悔しないよう全力で自分自身を高め、Aチーム入りして試合に出たい。その先に優勝がついてくれば」と気合を入れた。
 
「プレーで岩手に元気を」と釜石合宿に臨んだ佐々木豪正さん(左から3人目)

「プレーで岩手に元気を」と釜石合宿に臨んだ佐々木豪正さん(左から3人目)

 
 清水主将は「地域を盛り上げるスポーツの力を改めて感じた。楽しく充実した経験を積み、人として成長できた」と、釜石合宿を振り返った。「菅平の前に合宿することで日本一に向けてチームの成長を早めたい」と遠征した早大ラグビー部が目指すチーム像は「愛し愛され勝つ早稲田」。自分とラグビーについて見つめ直すワークショップの後に仲間と話し合ったと話し、「自己犠牲―きつい時に盛り上げる、仲間のために動ける、みんなができたら強いチームになる」との思いを共有する。チーム力を強化した先にあるのは日本一奪還。「釜石の皆さんと一緒に、国立の舞台で優勝を勝ち取り、『荒ぶる』(部歌)を歌う」と気持ちを熱くする。
 
 釜石市はスタジアムを活用した合宿の誘致に力を入れている。市文化スポーツ課の山﨑強課長は「1つの団体でこれほどの人数の受け入れは初めてだった。見直しが必要な部分はあるが、大規模でも受け入れられるとPRになったのでは」と手応え。ラグビーのまちの推進、経済活性化につなげる取り組みとすべく、「釜石の強みを生かし、合宿の地としての土壌をつくっていきたい」と先を見据えた。

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【開催中止】釜石納涼花火2026

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【開催中止】8月12日(水)に順延されていた「釜石納涼花火2026」は、悪天候が予想されるため、開催中止が決定いたしました。(8/11 14:00 追記)


【釜石納涼花火 順延決定】
8月11日(火・祝)に予定していた釜石納涼花火は台風接近に伴い、荒天が予想されるため順延が決定しました。
釜石納涼花火2026は、翌日の8月12日(水)を予定しています。
なお、12日の開催については11日午前中に最終判断を行い、釜石市・釜石観光物産協会のSNSにてお知らせいたします。

 

お盆に帰省される方々と一緒に東日本大震災における犠牲者を慰霊すると同時に、潤いと活力に富んだ故郷の実現のため実施します。

 

釜石納涼花火2026

打ち上げ日時

令和8年8月11日(火・祝) 19:00〜20:00
※荒天時は翌12日(水)に順延

打ち上げ場所

釜石港内 南防波堤

観覧場所

港町漁港付近、グリーンベルト、釜石市魚市場付近、イオンタウン釜石屋上の4箇所
魚市場2階展望デッキを当日有料で開放します。

交通規制情報

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駐車場

臨時駐車場:中番庫付近に2ヵ所、魚市場裏側に1ヶ所、東側に1ヶ所、釜石市役所一般駐車場
その他は市内有料駐車場をご案内します。

主催

釜石市、(一社)釜石観光物産協会

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(一社)釜石観光物産協会

釜石市内の観光情報やイベント情報をお届けします。

公式サイト / TEL 0193-27-8172 / 〒026-0031 釜石市鈴子町22-1 シープラザ釜石

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【9/6(日)開催】今年は釜石から走ります! サントリー生ビール号

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サントリー株式会社東北営業本部では、三陸鉄道を応援するため、 サントリー生ビールが飲み放題となる特別列車を運転いたします。
お弁当とおつまみが付くほか、楽しい車内イベントも企画していますので、ぜひご参加ください。
 

釜石駅発「サントリー生ビール号」運行について | 三陸鉄道
【イベントレポート】景色と美酒に酔いしれる 三陸鉄道「海街ワイン列車」を満喫

 

■運航日

2026年9月6日(日)

■発着時刻

釜石駅発 16:10~盛駅にて折返し~釜石駅着 18:27

■参加費

4,000円(2人1組)
・サントリー生ビール飲み放題
・お弁当、おつまみ、運賃込

■申込み方法

8月1日(土)9時より、お電話でお申込みください。
20歳以上の方、20組40名先着順です。
3名以上での申し込みはできません。

【お申込み先】

三陸鉄道釜石駅 電話番号:0193-22-1616(9:00~16:30)

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写真でたどる“鉄のまち”の変遷 釜石製鉄所開業140周年記念で鉄の歴史館が企画展

鉄の歴史館で開かれている企画展「日本最古の稼働製鉄所『釜石製鉄所』の140年の変遷」

鉄の歴史館で開かれている企画展「日本最古の稼働製鉄所『釜石製鉄所』の140年の変遷」

 
 “鉄のまち釜石”の象徴、釜石製鉄所は開業から本年で140周年を迎える。明治時代に稼働を開始した製鉄所は釜石市の玄関口、釜石駅前(鈴子地区)に立地。圧倒的な存在感を放ってきたが、時代の移り変わりとともにその姿も大きく変貌してきた。現代に至るまでの工場と周辺の街並みを写真でたどる企画展が、大平町の市立鉄の歴史館で開かれている。展示は2階会議室で行われ、8月31日まで見学できる。
 
 釜石製鉄所の始まりは、廃業した官営製鉄所の払い下げを受けた田中長兵衛が部下の横山久太郎、地元の製鉄経験者高橋亦助、村井源兵衛らと3トン高炉を建設。試行錯誤の末、1886(明治19)年10月16日、49回目にして製鉄に成功したことに由来する。翌87(同20)年、「釜石鉱山田中製鉄所」が設立され、鈴子に4基、大橋に2基、栗橋に1基の計7基の小高炉が稼働する。94(同27)年には官営時代の高炉を改修し、国内初のコークスを用いる30トン高炉の操業に成功。1903(同36)年には銑鋼一貫体制を確立し、翌04(同37)年には明治期最大の60トン高炉が建設された。
 
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写真左:釜石製鉄所の経営変遷を示すパネル 同右:田中製鉄所時代の製鉄所。上が明治20年代、下が明治40年代

 
大正5年(田中時代)の製鉄所。大渡橋の先に左に折れる鈴子橋が架かり、工場の前には多くの社宅が並ぶ(写真右上)。三の橋の奥には第8高炉が見える(同左上)

大正5年(田中時代)の製鉄所。大渡橋の先に左に折れる鈴子橋が架かり、工場の前には多くの社宅が並ぶ(写真右上)。三の橋の奥には第8高炉が見える(同左上)

 
 企画展では明治20年代からの製鉄所の全景写真を公開する。構内施設の変遷のほか、大正、昭和初期にかけ、鈴子の工場前に社宅が建ち並ぶ様子、周辺に鉱山小学校(大橋は分校)や病院、旅館などが整備されていく過程を見ることができる。現在、商業施設が建つ中番庫地区は湿地帯で、現公共ふ頭の辺りは砂浜が広がる海水浴場だったという。
 
 2度の組織変更を経て、1934(昭和9)年には日本製鉄釜石製鉄所となる。現在地に本事務所が建ったのは41(同16)年。この頃には第8~10の大高炉が稼働し、戦争が始まると軍需工場と化した。太平洋戦争末期の45(同20)年には、2度にわたる艦砲射撃を受け、製鉄所や市街地は壊滅的な被害を受けた。戦後は高炉などの設備復旧が進められ、48(同23)年、第10高炉に火入れ。本格的な操業が再開される。製鉄所の発展で、63(同38)年には人口が9万1千人に達するが、その後の合理化で生産規模が縮小され、89(平成元)年には最後の第1高炉が休止した。
 
昭和15年(日本製鉄時代)の製鉄所。社宅だった場所に製鋼工場が建ち、後に釜石駅前のシンボルとなった5本の煙突が並ぶ(写真右上)。三の橋の背後には第8、第9、第10高炉3基が並ぶ(同左上)

昭和15年(日本製鉄時代)の製鉄所。社宅だった場所に製鋼工場が建ち、後に釜石駅前のシンボルとなった5本の煙突が並ぶ(写真右上)。三の橋の背後には第8、第9、第10高炉3基が並ぶ(同左上)

 
昭和25年(富士製鉄時代)の製鉄所。写真右端中央に現在も使われる本事務所(白い建物)があり、その下には附属病院の建物も見える。左端には釜石線の線路が走る

昭和25年(富士製鉄時代)の製鉄所。写真右端中央に現在も使われる本事務所(白い建物)があり、その下には附属病院の建物も見える。左端には釜石線の線路が走る

 
昭和60年(新日鉄時代)の製鉄所。手前に大渡橋に並行して架かる橋上市場(赤屋根)が見える(写真右上)ほか、三陸鉄道のトラス橋りょうの背後には第1(元第10)高炉と第2(元第8)高炉が見える(同左上)。写真は第2高炉休止時に撮影

昭和60年(新日鉄時代)の製鉄所。手前に大渡橋に並行して架かる橋上市場(赤屋根)が見える(写真右上)ほか、三陸鉄道のトラス橋りょうの背後には第1(元第10)高炉と第2(元第8)高炉が見える(同左上)。写真は第2高炉休止時に撮影

 
 企画展では写真のほか、時代とともに変わる製鉄所構内の施設配置図も展示され、両者を照らし合わせて各時代の製鉄所の姿を知ることができる。写真では1950(昭和25)年の国鉄釜石線全線開通、84(同59)年の三陸鉄道開業で変わる製鉄所周辺の街並みの変化も見て取れる。2011(平成23)年の東日本大震災前後の空撮写真もあり、製鉄所を中心に釜石湾から上中島町に至るエリアを俯瞰(ふかん)できる。
 
平成26年(新日鉄住金時代)に撮影された空撮写真。上中島多目的グラウンドや昭和園グラウンドに仮設住宅が建ち並ぶ。海上には津波で破壊された湾口防波堤の跡が…

平成26年(新日鉄住金時代)に撮影された空撮写真。上中島多目的グラウンドや昭和園グラウンドに仮設住宅が建ち並ぶ。海上には津波で破壊された湾口防波堤の跡が…

 
釜石製鉄所の風景は多くの人たちが描いてきた。写真は最近寄贈された油彩画

釜石製鉄所の風景は多くの人たちが描いてきた。写真は最近寄贈された油彩画

 
 会場には釜石製鉄所をモチーフとした絵画2点、絵はがき2セット、関連する古文書2点も展示する。市教委文化財課世界遺産室の森一欽室長(鉄の歴史館長)は「今回の企画展では釜石製鉄所の風景の変化にスポットを当てた。昭和の時代を知る市民には懐かしさを感じてもらい、観光客には釜石が鉄のまちであるということを改めて知ってもらえれば」と来館を呼びかける。
 
 鉄の歴史館の開館時間は午前9時から午後5時(最終入館午後4時)。火曜日休館。入館料は大人500円、高校生300円、小中学生150円。

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おいしい“ハート”届けます!釜石・唐丹町の漁師3人が養殖 海と人を結ぶムール貝

釜石市唐丹町から“おいしいもの”を届けようと奮闘する3人の漁師

釜石市唐丹町から“おいしいもの”を届けようと奮闘する3人の漁師

 
 豊かな海を生かした漁業をなりわいとしてきた三陸沿岸は、近年の気候変動や海洋環境の変化に伴って、秋サケなど主要魚種が歴史的な不漁に見舞われている。先行きは見通せないが、釜石市唐丹町では海洋変化に対応すべく新たな養殖がスタート。「副産物」を主役としてブランド化し、販路を拡大させている。「信用第一」に安定供給に向けて技術を高めている地元の漁師3人を地域も後押し。ひらくとハート型に見える二枚貝に添えて届ける“あたたかい気持ち”が海と人をつなぎ、浜を活気づけている。
 
 唐丹町漁業協同組合に所属する佐々木和則さん(59)、佐々木武さん(44)、小野寺計さん(41)の3人が唐丹の海で育てるのは、ホタテの養殖いかだや綱などにくっついている「シュウリ貝」。「ムラサキイガイ」とも呼ばれるヨーロッパ原産の外来種で、都市部では「ムール貝」として高級レストランなどで使われる人気の食材だ。
 
「はーとふるムール」として売り出す唐丹産ムール貝

「はーとふるムール」として売り出す唐丹産ムール貝

 
ムール貝の養殖に取り組む(左から)小野寺計さん、佐々木和則さん、佐々木武さん

ムール貝の養殖に取り組む(左から)小野寺計さん、佐々木和則さん、佐々木武さん

 
 現在、水揚げは週1回。「新鮮なうちに」と、水揚げ後すぐに出荷までを行う。7月末、今シーズン一番の注文が入ったため、2日間かけて作業。29日、漁師たちは日の出とともに唐丹湾内の養殖場に出航。30分ほどの作業で、かごはムール貝でいっぱいになった。家族らが待つ港の岸壁に戻ると皆で力を合わせ、貝にこびりついた海藻や小さな貝を丁寧に除去。翌30日朝、唐丹町漁協の職員らの力も借りて箱詰めし、計約300キロを出荷した。
 
唐丹・小白浜漁港から船で5分ほどの養殖場でムール貝を育てる。以前はホタテを養殖していた場所を活用。春に養殖用ロープを垂らし、翌年に収穫する形で継続する

唐丹・小白浜漁港から船で5分ほどの養殖場でムール貝を育てる。以前はホタテを養殖していた場所を活用。春に養殖用ロープを垂らし、翌年に収穫する形で継続する

 
 シュウリ貝は地元では副産物として水揚げされるが、売っても「二束三文」、養殖施設に付着したものは作業の妨げとなる「やっかいもの」だった。一方、主力とするホタテやワカメの養殖は海水温の上昇などの影響で大量へい死や品質低下が見られ、なりわいの継続に危機感を持った3人。この副産物は岸壁などでも見かけ、力強く自生していることもあり、「高水温環境への対応力」に目を付けた。
 
 「養殖で品質や収量を安定させることができれば」。新たな水産資源として可能性を見いだした3人は2023年、和則さんを組合長に「唐丹ムール貝養殖組合」を設立。釜石市内にある岩手県水産技術センターなどの協力を得ながら養殖試験に取り組んだ。
 
 “言い出しっぺ”の武さんいわく、「もっと簡単だと思った。こんなに苦戦するとは…甘くなかった」。もともと自生しているため種となる幼生は容易に手に入り「お金をかけず」にスタートできた。数年育てて付着密度と成長の関係性を確かめ、養殖施設となる綱を設置する時期や方法も確立させた。
 
水揚げ後、陸に戻って貝の洗浄作業。船の帰港を見計らって集まった家族らと力を合わせる

水揚げ後、陸に戻って貝の洗浄作業。船の帰港を見計らって集まった家族らと力を合わせる

 
 そうした中で課題となったのが、貝の洗浄作業。貝にこびりついたものを取り除くのは大変な手間と時間を要した。先進地視察として北海道余市町の漁業者と交流した際に見せてもらった洗浄機をヒントに、独自の洗浄機を試作。和則さんが、以前からつながりがあった宮城県気仙沼市の業者に依頼したもので、導入により作業時間が半分以下と省力化できた。
 
独自の洗浄機を導入して作業の省力化を図る

独自の洗浄機を導入して作業の省力化を図る

 
洗浄機から出した後、さらに磨きをかける

洗浄機から出した後、さらに磨きをかける

 
 次の課題は売り先。高単価な直接取引を目指し、首都圏の水産卸などへ持ち込んだものの、知名度がなく、高くは売れなかった。ただ、クリスマスシーズンの需要をつかみ、約500キロを出荷。3人にとって「大きなモチベーションになった」という。
 
 「(シュウリ貝は)よく食べていて、好きだったから」と話すのは、武さん。味には自信があった。特においしい夏の味わいを知ってもらうべく、人づてに県内外の飲食店への売り込みを開始。釜石市内の飲食店との定期取引も実現した。
 
 昨年からは「はーとふるムール」と名付けてブランド化。「貝を開いた形がハートに見えるから」と、和則さんは笑う。東日本大震災後にもらった多くの「優しさ」「愛情」「真心」を力に復興したこともあり、「復興の証し」「感謝」を届けようと思いを込め、ロゴマークもデザイン。生産者の顔が見える取り組みとして、料理研究家と一緒に試食会や商談会を開いたり消費者との接点を増やしながら、少しずつ販路を切り開いた。
 
貝を開くとハート型に!ブランド性を高めて販路を拡大中 width=

貝を開くとハート型に!ブランド性を高めて販路を拡大中

 
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水揚げしたムール貝を箱詰め。唐丹町漁協の職員も協力

 
 生産から出荷、売り込みまで手がける体制を継続し、昨年は1.6トンを出荷。今季は12月までの収穫期に2トンを目標にしている。価格も、地元では1キロ当たり200~300円ほどだったが、今は1000円ほどで売れるようになった。
 
 こうした取り組みは、3月に東京であった「第31回全国青年・女性漁業者交流大会」(全国漁業協同組合連合会主催)の流通・消費拡大部門で最高賞に次ぐ水産庁長官賞を受賞した。和則さんは「ゼロから始め、手探りでやってきたことが評価されてうれしい。唐丹から新しい産物を届けられたらいい」と率直に喜ぶ。
 
 武さんは「誰もやっていないことだからこそ、やってみようと思った。生産、開発、流通のすべてに関わり、いろいろな経験ができた。売れた時の喜びは最高。やってよかった」と熱い思いを吐露。小野寺さんは「楽しい。いっぱい売れるように考え、模索し、やりがいもある」と言って、笑顔を見せた。
 
 3人で始めた取り組みを地域も後押し。唐丹町漁協加工課長の佐々木憲佑さん(42)は「高水温の環境に対応できる新事業として期待。流通面やできることで軌道に乗るよう協力したい」と見守る。
 
「新たな名産品に」。これからも唐丹の海でムール貝を育てていく

「新たな名産品に」。これからも唐丹の海でムール貝を育てていく

 
 和則さんと武さんは主にワカメやコンブの養殖、イカ釣り漁業に携わる。小野寺さんはメインとしていたホヤ漁が危機的状況となり、ワカメ養殖に転向すべく試行中とのこと。それぞれの本業と組み合わせつつ、「無理のない、できる形で収入源を増やしていければ」というのが、3人共通の意識だ。
 
 そして、地域や人とのつながり、販売先や消費者の顔が見える関係性から「信頼の大切さ」を改めて実感。注文に応えるべく、海の状況や天候の変化を読みながら漁に出る。「唐丹の海と人を結び、水産業の未来を照らす存在として『はーとふるムール』を育てていきたい」。3人はこれからも“こころ”を届けていく。