屋形遺跡の全景。大石漁港と唐丹湾(釜石市の空撮資料)
文化庁所管の文化審議会(佐藤信会長)は20日、釜石市唐丹町大石地区にある「屋形遺跡」を国史跡に指定するよう萩生田光一文部科学大臣に答申した。貝塚と集落が一体となった同遺跡は、縄文時代の三陸沿岸のなりわいを示す貴重な史料とされる。本年度内にも国指定遺跡となる見込みが確実となった。釜石市内では国指定史跡名勝天然記念物の史跡分野で2件目となる。地元の大石地区住民は「にぎわいにつながる明るいニュース」と歓迎し、今後の整備事業に期待を寄せる。
屋形遺跡は唐丹湾南側半島部の大石地区、標高26~30メートルの海岸段丘にある縄文時代から近世までの痕跡が残る集落。東日本大震災で高さ16・8メートルの津波に襲われ、住宅の全壊8棟を含む建物20棟が被災したが、人的被害はなかった。同遺跡も被害を免れた。
2015年5月、津波避難道路を建設する市の復興事業に伴い発掘調査を開始。7月、縄文時代中期末から後期初頭(4000~3800年前)を主体とする竪穴住居や貯蔵蔵の遺構とともに、三陸沿岸では数少ない希少な事例の貝塚が発見された。
遺跡の範囲は約2万平方メートル。貝塚は遺跡頂上部の平場から南の傾斜面に広がり、広さ約140平方メートル、深さ1・2~1・4メートルの厚さがあった。出土したのは魚介類を中心とする動物依存体、土器、石器類(石鏃・石のさじ、石皿など)、土偶、石棒などの祭祀遺物、骨角器(釣り針や骨のへらなど)が多い。
動物依存体には岩礁に生息する二枚貝ムラサキインコが最も多い。魚類は内湾にいる根魚が大半で、クジラ、トド、イルカなど哺乳類の骨もあった。これらの事実から、同時代の人々のなりわいは湾内での採集・漁労が中心だったとみられる。また、南海産貝類のオオツタノハ、天然アスファルトが付着した二枚貝、黒曜石製石器など遠隔地との交流を示す出土品もある。
現在も食用とされる貝類も貝塚から出土
貝塚発見の翌16年5月、市は専門家による屋形遺跡調査指導委員会=委員長・熊谷常正盛岡大教授(先史考古学)=を設置し、遺跡の保存と管理の方向性を定めてきた。
文化審議会の答申では「三陸沿岸のなりわいの実体を示す遺跡として重要」と高く評価した。発掘調査の実務を担った市文化振興課文化財調査員の加藤幹樹さん(35)は「同時代の建物遺構と貝塚が一体で発見されるのは珍しい」と補足する。
貝塚が発見されて間もない公開に、100人以上が訪れた=2015年10月3日
大石町内会の畠山一信会長(73)は5年前の発掘調査に携わり、貝塚が発見された様子を目撃した。「昔から土器や石器は見慣れていたが、貝塚は初めて見た。震災から間もなく10年。少子高齢化が進む中で明るい話題をくれた。にぎわいにつながるよう期待する」と語った。
野田武則市長は「震災から10年の節目、新型コロナウイルスの影響がある中、喜ばしい。国の史跡指定に向けた取り組みで理解と協力をいただいた大石町内会、唐丹町、市民のみなさんに感謝する」とコメントした。