サプライズで贈られた大漁旗を広げる加藤さんと荻野会長
東日本大震災から間もなく7年―。発災直後から辛苦を共にした避難所スタッフが6年の時を経て再会の喜びを分かち合った。当時、釜石市大渡町の釜石小避難所の運営に当たった大渡町内会(荻野哲郎会長)、同校教職員、行政職員らが3日、ホテルサンルート釜石で“同窓会”を開き、思い出を語り合いながら互いの労をねぎらった。
県内外から32人が出席。円滑な避難所運営を率いた荻野会長、震災時に釜石小校長だった加藤孔子さん(現・見前小校長)に、それぞれの名前がプリントされたオリジナルの「釜小丸」大漁旗を贈り、感謝の気持ちを表した。津波の爪痕や避難所生活を記録したスライドも上映。生きるため必死だった日々をよみがえらせ、目を潤ませる人もいた。
同校では、2011年3月11日の大地震発生後いち早く、避難者を受け入れる準備を開始。駆け付けた町内会員、教職員、市職員が対策本部を設置し、電気や水、暖房の確保に努めた。自主防災会を組織する同町内会。翌日には長期にわたる避難生活に必要な分担体制を整え、炊き出しや衛生管理、連絡調整などさまざまな活動に奔走した。ピーク時には700人以上が身を寄せ、各教室や体育館はすし詰め状態に。幾多の困難を乗り越えながら、8月10日の閉鎖まで避難者を支え続けた。
久しぶりの再会に明るい笑顔を輝かせる元スタッフら
当時の教職員約20人と運営を支えた加藤さん(60)は「自らも被災し大変な中で、頑張ってくださった皆さん。陰で涙をぬぐう姿を何度目にしたか…。本当に感謝の思いでいっぱい。“チーム釜小”の力は素晴らしかった」と振り返る。
町内で割ぽう「丸藤」を営む藤田正社長(67)は、店舗や自宅が被災しながらも避難者の食事作りに尽力。地元の米穀店、仕出し店などから食材を提供してもらい、避難者の要望にもできるだけ応えた。「誰かがやらねばという一心で、とにかく前向きになった。7月に店を再開したが、避難所にいた家族が来てくれた時はうれしくてね」と、共に支え合った仲間との絆をかみしめた。
北九州市から同避難所に応援職員として派遣されて以来、釜石とのつながりを持ち続け、昨年4月から長期派遣で市水産課に勤務する藏本英司さん(43)は「釜小の避難所運営は普段の訓練の賜(たまもの)で、他地域の模範となる。こちらで学んだことを九州でも生かしたい」と誓った。
5カ月に及ぶ避難所生活で関係者の心に深く刻まれているのが、1カ月遅れで行った同校の卒業式。学校側は当初、音楽室で卒業証書の伝達だけできればと考えていたが、荻野会長らから「みんなで祝ってやっぺし」との声が上がり、布団などをよけた体育館で開催することに。避難者やスタッフも式を見守り、避難所で毎朝、歌っていた校歌「いきいき生きる」(井上ひさし作詞)を高らかに歌い、42人の卒業生を送り出した。
荻野会長(75)は「大勢の人が集まる避難所では人間関係など苦労もあるが、班編成し連絡系統を明確にすることで混乱を避けられた。有事の際は、やはり普段からの町内会活動がものをいう。この経験を後世にしっかりと伝えねば」と思いを新たにした。
(復興釜石新聞 2018年2月7日発行 第662号より)
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