38年前のタイムカプセル開封 釜石・旧大渡小 「自分への手紙」で思い出懐かしむ
1985年に埋めたタイムカプセルを開封して喜ぶ当時の在校生たち
釜石市大渡町の旧大渡小(現釜石小)で1985年に開校50周年記念事業として封印したタイムカプセルが4月29日、38年ぶりに掘り起こされた。30年後の2015年に開封するとしていたが、学校統合や東日本大震災などの影響で延期されていた。集まった当時の在校生らは、カプセルから取り出した「自分への手紙」で思い出に触れ、あの頃を懐かしんだ。
カプセルは、当時の旧大渡小の全校児童199人が手紙や記念品を収めて埋めた。03年に釜小と統合、11年に震災があり、復興途上で落ち着かない中、開封のタイミングを逃した。ここ数年は新型コロナウイルス禍が続いたが、感染者数が減少しつつあることも踏まえ、当時6年生だった小田島出(いづる)さん(49)が発起人となって釜小や市教育委員会と協議を重ね、今回の開封を実現させた。
この日の開封作業には、当時の1年生から6年生まで約50人が参加。校庭脇にある同記念事業の石碑近くに埋められていると見込んで、スコップで土を掘り起こした。交代で作業し続けること約30分。無事、陶製のタイムカプセルを発見した。その後、学校昇降口に移動して開封。カプセル内には学校での思い出や未来の自分の姿を想像して書いた作文があり、当時の学校だより、新聞紙なども次々と取り出された。
38年前のタイムカプセルを掘り起こす当時の在校生
バケツに入ったタイムカプセルをのぞき込む参加者
掘り出されたタイムカプセル(左下写真)を開封
当時の在校生たちは、38年前につづった作文を手に「こんなこと、思ってたんだ」「友達の名前がいっぱい出てきた。すごく懐かしい」などと、同級生と思い出話に花を咲かせた。1年生だった阿部孝さん(44)=宮城県仙台市=は、仕事の都合で参加できなかった姉(釜石市内在住)の代わりに、単身赴任先の福島県郡山市から駆け付けた。友達と“ヒーローごっこ”をして遊んだことを書いた作文を見つめ、「今以上に、きれいな字。30年後も読めるように頑張って書いたんだなぁ」と頬を緩めた。小学校卒業以来、会っていなかった人と顔を合わせる機会にもなり、「当時に戻ったよう」とうれしそうだった。
当時の作文を手に笑顔を見せる阿部孝さん(左)。旧友との再会も楽しんだ
「見てー!」。取り出した作文で思い出話に花を咲かせた当時の5年生
「いつ掘り出すか、ずっと気になっていた」と話したのは地元の元持有紀さん(48)。当時5年生で、80歳になった大渡小を想像して「いつまでもきれいな学校でいてほしい」と思いをつづった。くしくも、統合後の釜小に現在通う自身の子どもも5年生。「同じ年齢の頃って、こんなこと考えていたんだー。不思議な気持ち」とはにかみつつ、思い出をうかがえる品に、うれしさもにじませた。そして、「震災で流された地区で、何も残っていない人もいるかもしれないから」とも。
「まるで同窓会」。懐かしい仲間との旧交を温めた参加者
小田島さんは「当時の6年生が50代になるし、このタイミングで―と少し強引に進めた感も。でも、いつか開けようと思っていたので、ほっとしている」と肩の荷を下ろした。校庭のあちこちで同窓会らしき輪が広がる様子を穏やかな表情で見つめ、「40年の時を経て、私たちが直面する環境は当時と大きく異なるが、作文を読めば、困難な状況にも立ち向かう強さや希望を、子ども時代の自分から教わるかもしれない」と、しみじみ話した。
タイムカプセルから取り出した品々(右)が一人でも多くの仲間に届くことを願う小田島出さん
カプセルが封印された当時の釜石は製鉄所の合理化による高炉休止、規模縮小が進められ、親の転勤で転校する児童がいた。さらに震災の影響で転居したり、連絡先が不明な在校生も多いという。開封に立ち会えなかった在校生らの作文は当面、各学年の代表者が保管し、連絡が取れれば引き渡すことにしている。
「亡くなった仲間もいる。一人でも多くの同級生や家族に届けたい」と小田島さん。インターネット上に問い合わせフォームを用意し、連絡を待っている。当時の在校生(1973~78年生まれ)でタイムカプセルを埋めた覚えのある人やその家族、問い合わせのある人は当ウェブサイト「かまいし情報ポータルサイト 縁とらんす」のニュースコーナー内にある地域情報「大渡小学校(現釜石小学校)開校50周年記念事業で埋めたタイムカプセル掘り出しのお知らせ」の確認を!
釜石新聞NewS
復興釜石新聞を前身とするWeb版釜石新聞です。専属記者2名が地域の出来事や暮らしに関する様々なNEWSをお届けします。取材に関する情報提供など: 担当直通電話 090-5233-1373/FAX 0193-27-8331/問い合わせフォーム